《7》
砂海原の中を、砂を巻き上げ泳ぐように走るジープ
茶色い布を頭から被り、砂から身を隠す三人の男女。一人は車の運転をするトッシュ。二人目は荷台で寝転がっていびきを立てているアレン。そして、三人目は頭を抱えて項垂れるセレンだった。
「どうしてわたしまで……」
どうして自分はこんな場所にいるのか。それもこんな人たちと。
「どうしてって言われてもなぁ」
笑って誤魔化すトッシュをセレンは横目で睨み付けた。
「自分が悲劇のヒロインだなんて言いませんけど、少しでもあなたに人を思いやる気持ちがあるのなら、わたしを街に帰してください!」
「用が済んだらあの街に戻るつもりだ」
「今すぐ!」
「今すぐは無理だ。それに俺様たちと一緒にいるところを見られてるから、シスターも奴らに狙われてるだろうな」
「わ、わたしも……あぁ~~~っ」
「心配するな、シスターをトラブルに巻き込んじまったのは俺様だ。シスターの命だけは俺様が責任を持って預かる」
「勝手にわたしの命を預からないでください」
「じゃあ、シスターが命の危機に晒されてるときに、知らん振りして立ち去れってことか?」
「そんなわけないじゃないですか!」
「だったら俺様に命を預けるんだな」
「…………」
ぐうの音も出なくなったセレンは、首を横に振って悪夢を振り払おうとしたが、振り払えるのは砂埃だけで、悪夢は消えてくれなかった。
ジープは砂漠の中を走り、ある場所に向かっていた。その目的地を知る者はトッシュだけだ。
「わたしたちはどこに向かっているんでしょうか?」
「さあてな」
「そんな返事は許しません。わたしの身にも関係することなんですから」
「シスターは俺様に命を預けたんだから、黙っ――」
「黙りません!」
真剣な顔をするシスターに負けてか、トッシュは重い口を開いた。
「……そうだな、これも運命ってやつか。なあ、シスター、本当に俺様の話を聞くか?」
聴けば後戻りはできなくなる。それはセレンにもわかっていたが、もうすでに足は踏み入れてしまっている。
「聴かせてください」
「帝國から一生命を狙われるぞ」
この辺りで帝國と言えば、皇帝ルオの率いるシュラ帝国しかない。そして、シュラ帝国の悪評をセレンは嫌と言うほど耳にしている。それでも彼女は首を縦に――。
「やっぱり駄目ですよぉ。聴きません聴けません、わたし長生きしたいですから、これ以上トラブルに巻き込まれたくないです。トッシュさんに命預けましたから、必ずわたしのこと守ってくださいね!」
先ほどまでの真剣な顔をしたシスターはどこいってしまったのか。トッシュは目の前で慌てふためくセレンを口を半開きにして見つめていた。
「シスター、あんた正直な人だな」
「ただの怖がりです」
「よくそれであんな街に住んでられるな」
「臆病者だから生き抜けたんです」
「まったくだ。俺も臆病者だから、これまで死なずに済んできた」
そんな莫迦なとセレンは思った。
〝暗黒街の一匹狼〟と呼ばれるトッシュの噂はセレンも耳にしている。拳銃を持ったやくざもん一〇〇人と素手で遣り合って勝ったと言うのは朝飯前で、警戒厳重なシュラ帝國が運営管理する銀行からキャッシュを根こそぎ奪い去ったのが昼飯前で、ある街に雇われてシュラ帝國の軍隊と遣り合ったのが晩飯前。そして、彼の最大の偉業と云われるのが、シュラ帝國の皇太后――つまり皇帝ルオの母君の寝室に侵入したことで、それが食後のデザートというところだろうか。
トッシュのことを考えながら、ここでふとセレンの頭にあることが浮かんだ。
「トッシュさんて、職業なんなんですか?」
「なんだと思う?」
「金さえもらえればなんでもする、なんでも屋さんですか?」
「いいや違う。俺様はトレージャーハンターだ」
「はい?」
目を丸くしてきょとんとするセレンを、ジープを運転しながら横目で見たトッシュは、少し口元を緩め恥ずかしそうな顔をした。
「聞こえてただろ、トレージャーハンター。宝探し屋だよ」
「わたしのことからかっているんですか?」
「からかってなんかないぞ。俺様の夢はガキの頃から世界を股にかける、トレージャーハンターって決めてたんだ」
少し胸を張って大きな声を出したトッシュの横で、セレンが笑いを堪えながらクスクスと微かに声を漏らした。それを見て、トッシュが子供のように唇を尖らせて不機嫌そうな顔する。
「なにが可笑しい?」
「だって、可笑しいじゃないですか」
「なにがだ?」
「……やっぱり可笑しくありません。トッシュさんて、噂だと凄く怖い方のイメージがありましたけど、実際にこうして話してみると、悪い人じゃないかもと思います」
「噂なんてものは、尾ひれがどんどん付いていくものだからな」
トッシュは鼻先で笑い、横のセレンから前方に視線を戻した。そこで彼は目を見開いた。
大地が振動し、約二〇〇メートル前方が砂煙に覆われ、その先がまったく見通せない。
竜巻か、いや違う。
砂蛇か、いや違う。
それは群れだった。
トッシュの視線の先で、右から左へと影が次々と飛び跳ねるように上空を移動している。それはまるで、砂から砂へと飛び跳ねて泳いでいるようだった。いや、泳いでいるのだ。
雲海のような砂煙の中から飛び出す生物の形状は、身体は菱形で平たく、尾が糸のように細長い。人々はこの生物にサンドマンタという名を付けた。
何十匹というサンドマンタの大群を前にして、セレンは感激の声をあげた。
「こんな雄大な自然の光景を目の当たりにできるなんて感激です!」
「俺様もこんな大群の大移動を観たのははじめてだ」
ジープを止めたトッシュは、サンドマンタたちが通り過ぎるのを待った。その間に、荷台から聞こえていたいびきが聞こえなくなり、変わりに大きなあくびの音が聞こえてきた。
「ふわぁ~~~っよく寝た。お、美味そうなのが空飛んでんじゃん」
目を覚ましたと思ったら、すぐに食のことである。
呆れ顔をしたトッシュが荷台に向かって振り返った。
「おまえは寝ることと食べることしか頭にないのか。あんな硬い骨格に覆われた生物をどうやって喰うんだ?」
「う~んと、普通に皮剥げばいいんじゃないの。蟹とかといっしょいっしょ」
「いっしょなわけないだろうが」
ジープの荷台でサンドマンタを喰うとか喰わないなどと話されたら、せっかくの雄大な光景も台無しだ。セレンはため息をついてサンドマンタの大群から視線を外すと、手に顎を置いてふと横を見た。
「あ、二人とも見てください!?」
セレンの声に誘われて、アレンとトッシュはそこに広がる光景を見た。
砂漠の中で、そこだけが水の恵みに育まれ、草木が生える緑地――オアシスだ。だが、トッシュはすぐにそれを否定した。
「さっきまではなかった。〈蜃の夢〉だな」
「大蛤喰いてえ!」
トッシュの言葉に、すぐにアレンが言葉を乗せたが、セレンには二人の言葉がさっぱり理解できなかった。
「あのぉ、〈蜃の夢〉とか、あとなんでいきなり大蛤の話になるんですか?」
「俺様が説明する。〈蜃の夢〉ってのは、つまり蜃気楼のことだ。〝蜃〟は大蛤のことで、〝気〟は息、〝楼〟は楼閣の楼。この砂の中に住んでる大蛤が吐く気が蜃気楼になってるってわけだ」
「そうなんですかぁ、だいたいわかりました」
うんうんと首を縦に振って頷くセレンの首が、ガクンと揺れた。それはトッシュが急にジープを走らせたからだ。
「〈蜃の夢〉に囚われる前に早いとこ逃げよう!」
アクセルを踏み、ハンドルを切るトッシュにセレンが声をかけた。
「逃げるってどうしてですか?」
「〈蜃の夢〉に囚われた者は、下手をすれば一生夢の中の住人ってことだ」
幻のオアシスが水の中にあるように揺れ動き、遥か後方に消えていく。
薄れゆく幻影を眺めながら、アレンがボソッと呟いた。
「俺の蛤ぃ……」
燦然と輝く太陽は、まだ一番高い位置には到達していなかった。
木製のドアが軋めきながら開けられ、中から無数の皺が刻まれた老人の顔が出てきた。
「どうぞ中へお入り」
三人は老人に促されるまま家の中に入った。
茶色いローブを羽織った老人の後姿は、まるで枯れ果ててしまった老木のようだ。幾星霜を生きた老人は、その姿からも声からも、性別を判断することすらままならない。
石造りの家の室内には古ぼけた木製の家具が並び、この家で使われている金属はすべて真鍮だった。そして、どこからかお香を焚いた独特な匂いが漂ってくる。
居間に通された三人が椅子に座って待っていると、老人が薫り立つコップを三つトレイに乗せて運んできた。
「どうぞ召し上がれ」
枯れ枝のような手からセレンはコップを受け取り、コップの中身を覗き込んで鼻で息をした。
鼻を抜ける心地よい花々の甘い香りが口の中で広がり、セレンは薫りに誘われてコップに口を付けた。
「美味しい」
と、自然と口から零れた。
至福の顔をするセレンを見て、老人がにっこりと微笑む。
「裏庭に生えていたハーブに、特性のシロップを三滴ほど加えたもんさ」
老人の言葉は緩やかな川のせせらぎのようで、この家の中の時間は外の時間の流れよりも遅く流れているようだった。
セレンはこの家に懐かしさと温かみを覚え、いつまでものんびりとティータイムをしていたい気分だったのだが、彼は違うらしい。
「俺様は前回ここに来たとき、まんまと惑わされちまったが、今日はそうはいかない」
目をギラギラと輝かせ、気合い十分なトッシュの横で、あくびをする音が聞こえた。
「わたし……なんだか、眠くなっちゃいました……」
眠い目を擦りながらあくびをしたセレンは、腕を枕にしてテーブルの上に沈んだ。そして、すぐに彼女の鼻から安らかな寝息を聞こえてきた。
眠りに落ちてしまったセレンを見て、トッシュは訝しげな表情をしていた。
「やはり、この飲み物に睡眠薬が入っていたのか」
トッシュの言葉を受けて、アレンはカップの中を満たす液体を覗き込んでいた。
「ふ~ん、そーなんだ。飲まなくてよかった」
食べることと寝ることが思考の大半を占める彼にしては珍しく、アレンは一口も飲み物に手をつけていなかった。もしかしたら、野生の勘とやらで危険を察知していたのかもしれない。
老人が静かに笑う。
「ほっほっほっ、同じ罠には引っかからんか」
「俺様が二度も同じ罠に引っかかってたんじゃ、世間様に顔向けできんからな。さて、シスターが眠ってくれたのはちょうどいい、クーロン地下に眠るエネルギープラントの話でもしようか」
以前にもトッシュはこの老人の家を訪ねている。そのときは話半ばで眠気に襲われ、気づいたらクェック鳥の背中に揺られ、砂漠の真ん中を彷徨っていた。同じ過ちは繰り返さない。
クーロン地下にエネルギープラントがあるというのはアレンも初耳だった。トッシュはここに来るまで詳しい話をなにひとつしていなかったのだ。
「クーロン地下にエネルギープラントがねぇ。で、この〝姐ちゃん〟となんの関係があるわけ?」
老人は表情一つ変えないでアレンの顔を見つめていたが、やがて破顔一笑した。
「おぬしはわしを〝姐ちゃん〟と呼ぶか。ほっほっほっおもしろい小僧じゃ」
〝姐ちゃん〟と呼ばれたのが嬉しかったのか、老婆は不気味な笑いを低く立て続けている。
トッシュは『この老人、〝婆さん〟だったのか』という感心した表情をしていたが、すぐに気を取り直して話を元に戻した。
「クーロン地下に眠るエネルギープラントの開発に、あなたが携わっていたという話は前回もしたと思うが、覚えておいでか大魔導師リリス殿?」
「わしを耄碌したただの婆と思っているのかい?」
妖婆リリスは妖艶と笑った。その笑みを見たトッシュは、久しぶりに背中に冷たいものを感じ、自分が額から汗を流していることに気づいてすぐに拭った。
「いいや、失礼した。それでエネルギープラントの件だが、あそこの入り口を開けられるのは、この世でもうただひとり――あなただけと思っているのだが、やはり開ける気はないか?」
「ないね」
リリスの返事はあっさりしていた。だが、ここまでは前回来たときと同じだ。
正直トッシュには切り札もなにもなかった。彼はもとより考えるより身体が先に動く性質なのだが、ひとたび頭を使えば切れ者と早変わることから、その辺りを高く評価して彼を高額で雇う者も多い。だが、今回に限っては目の前にいる老婆の心を動かす材料が、なにひとつ見つからなかったのだ。
う~ん、と深く唸って、それっきりトッシュは口を開かなくなってしまった。その代わりにアレンが口を開く。
「なあ姐ちゃん、金で雇われる気はないのかよ?」
「ないね、わしは金なんぞに興味ない」
それは前回トッシュが条件として提示し、すでに断られている。金では動かないのだ。
「そんじゃ、姐ちゃんの望みを叶える代わりにってのは?」
「自分の望みは自分で叶えられる」
「じゃあさ、俺と一晩過ごすってのは?」
「ほほっ、おもしろいこという」
平然ととんでもないことを言ってのけたアレンを見る妖婆の瞳は妖しく輝いている。その瞳は目の前にいる〝少年〟が、〝少女〟であることを見透かしているようだった。
鼻を小刻みに動かしたアレンは、少し部屋を漂うお香の匂いが強くなったのを感じた。すると、すぐ隣でトッシュが顔面からテーブルに突っ込んで気を失った。香りにやられたのだ。
この部屋での脱落者は二人目。セレンもトッシュも深い眠りに落ちてしまった。その中でアレンだけが平気な顔をしている。
妖婆リリスの目は輝きを放っていた。それは嬉しさの表れだった。自分の妖術にかからぬ者に対しての興味関心。
「おぬしには効かぬか」
「ちょっと鼻が詰まっててさ」
鼻をわざとらしく啜ったアレンは、まだ手をつけていなかったコップに口を付け、薫り立つ液体を一気に胃に中に流し込んだ。
「美味いね」
――なんともなかった。それどころか、アレンはトッシュのカップにも手をつけて、中味を一滴残さず飲み干してしまったではないか。
「ふほぉ~っほっほっほっほっ、おぬし何者じゃ?」
「唾飛ぶから大口開けて笑うなよ。俺は俺だ、ただのガキさ」
「魔導手術を受けた〝少女〟をただのガキとは言うまい」
「……なんだ、やっぱバレてたのか。だったら姐ちゃんもさ?」
「わしもわしじゃて」
「あっそ」
素っ気ない返事をするアレンであるが、彼女は目の前にいる妖婆に関する秘密をなにか知っているようだった。だが、別に追求するつもりもないらしい。
いつの間にかリリスの手にはポットが握られており、妖婆はアレンのカップに煌びやかに輝く液体を注いだ。
「このハーブティーが気に入ったのなら、いくらでも飲むがよい」
「お菓子ないの?」
「おぬしに食わす菓子などない」
「ケチ」
「わしをケチとな?」
「あーそうだね、あんたはケチさ。〈扉〉くらい開けてくれりゃあいいのに」
「その〝扉〟の向こうになにがあるか知っておって、そんな口を利いておるのか?」
「いいや、知んないし、そんな興味もない。俺はただ横でぶっ倒れてる、この兄ちゃんに金でで雇われただけだし」
深い眠りに落ちているトッシュは、当分目を覚ましそうになかった。
妖婆はアレンの瞳を見つめていた。ただ見つめているだけではない。妖しい彩を放つ瞳で見つめている。妖婆でありながら、その艶かしい瞳は妖婆のものではない眼光。
アレンは決して視線を逸らそうとはしなかった。これは二人の間で繰り広げられる壮絶な戦いなのである。だが、その静かな戦いもすぐに終わってしまった。
ぐぅぅぅぅぅ~~~っ。
アレンの腹が奇怪な音を立てて鳴いた。
「腹減ったんだけど」
「緊張感のない奴じゃ。わしの瞳で見つめられたものは男女問わず、獣であってもわしに魅了されるはずなのじゃが。食欲が性欲に優るか」
「ババアの身体になんて欲情しねえよ、ふつー」
妖婆リリスの眼光は人の身も心も虜にするはずであった。それがいとも簡単に破れてしまったのだ。
「ほっほっほっ、おぬしになら〈扉〉の向こうになるが〝いる〟の話してやってもよいぞ」
「興味ないね」
「じゃが、そこで眠っておる若いのはどうかの? 若いのは〈アレ〉のことをただのエネルギープラントだと思っておるようじゃが、実際はもっと恐ろしい存在じゃ」
「で、なにがいんのさ?」
「〈アレ〉の正体は人型エネルギープラントとでも言っておこうかの」
「でさあ、あんた〈扉〉を開けてくれる気あんの?」
「さて、それはおぬし次第じゃな」
「条件は?」
「ない」
「はぁ?」
『おぬし次第』と言っておきながら、条件はないという。これではなにをしていいのかわからない。
突然、どこからか玲瓏たる鈴の音が家中に鳴り響いた。
「招かれざる客が来たみたいじゃな」
リリスの意識は家の中ではなく、窓の外に向けられていた。
「外にずっといたの気づいてたクセに」
アレンがボソッと言うと、リリスは妖々と微笑んだ。
「相手の出方を窺っていただけさね」