シザーハンズ
 月明かりも届かぬビルの合間で、巨鳥のような影が激しく動く――それは人影だった。ロングコートを纏った人物が地面を蹴り上げて空に舞ったのだ。
 ロングコート纏った人物の手元が激しく閃光を上げた。それは輝く刃だった。
 閃光を浴びて闇の中に美しい顔が浮かび上がる。人とは思えぬ中性的な妖艶な顔。この街に住む人々は、彼をこう呼んでいた――帝都の天使。
 宙に舞い上がっている帝都の天使は妖刀を力強く握り、激しい閃光の粒を撒き散らしながら、地面にいる男を一刀両断しようとする。がしかし、男の腕がそれを受け止めた。いや、腕という表現は正しくない。腕に装着された物を挟み切る爪が帝都の天使の一刀を受け止めたのだ。
 地面に足を付くこともなく、帝都の天使は後方に押し飛ばされて、片手を地面に付きながら着地した。そこに素早く両腕に爪鋭い爪を装着した――シザーマンが襲い掛かる。
 帝都の天使の握る妖刀の煌きがシザーマンの腰に喰い込んだ。そして、そのままシザーマンの身体を二つに分けるはずだった。シザーマンの身体が突如霞と化して消えたのだ。
 すぐに状況を理解した帝都の天使は妖刀を大きく後ろに振るった、しかし、シザーマンの方が早かった。帝都の天使の真後ろに立つシザーマンは鋭い爪で、妖刀を持つ帝都の天使の腕を深く抉った。
 静かな苦悶が帝都の天使の口から漏れる。しかし、彼は妖刀を手放すことなく、シザーマンの胴を割った。
 シザーマンは消えた。再びシザーマンは霞みと化して消えたのだ。帝都の天使は敵に逃げられたことを悟った。
 静寂が辺りを包み込む。
 殺気が辺りから消えている。
 その中に深いため息が響いた。
「はぁ、また逃げられた」
 帝都の天使は右腕をだらんと地面に垂れ下げている。その腕からは鮮血が流れ出し、紅い雫が地面の濡らしていた。

 夜空の漆黒の闇に浮かぶ満月は蒼白い光で大地を照らし、星々はいつもより騒がしく煌いている。そして、輝く星よりも騒がしい輝きを放つ巨大都市。
 魔導と科学の融合により生まれた魔導炉により、膨大なエネルギーが二十四時間、止まることなく都市にエネルギーが供給される。――この都市は決して眠らない。
 高層ビルは天を貫き、深夜だというのにメインロードは車や人の往来が激しい。
 ビルの屋上には人影が立っていた。黒衣を風に靡かせながら、天を見上げている。
「はぁ、今夜は満月か……。ついてないよね、この頃……」
 澄んだ夜風と黒いロングコートを身に纏い、間延びした声の持ち主は少し眠たそうな表情、夜空に輝く満月を眺めていた。
 この人物の姿は月光が反射して、輪郭がぼやけてよく見ることができないが、恐らく若い男性だと思われる。
 闇の中から声がした。
「ついていないのはいつものことだろう。それはいいとして、なぜ私が君に呼ばれなければならんのだ?」
 闇に浮かび上がる白い白衣に身を包み込んだ男。長髪の毛が風に弄ばれ闇に溶けている。
 白衣の男に言葉を投げかけられた若者は空を見続けている。そして、間延びした声で白衣の男に返事を返した。
「あれぇ、言ってなかったっけ?」
 それを聞いた長髪の男の顔は不快の表情を露にした。
 満月の晩は妖魔やキメラ生物たちの活動が活発になる時間帯のひとつだ。この街に住む人々は満月の晩が訪れると、夜が来る前に仕事から帰宅し、いつもよりも厳重に戸締りをする。それがこの街を生きていくための掟だ――という人もいるが、多くの人々は満月を恐れない。
 二十四時間眠らぬ街は、満月の晩だとしても輝いている。たしかに、満月の晩に魑魅魍魎たちが活発になるというのは本当だ。しかし、裏路地やひと気のない場所に立ち入らない限りは普段の夜と変わらない。
 白衣を着た男の長い髪の毛が、腰の辺りから風に揺られて、辺りに芳しい匂いを撒き散らす。
「私を呼び出したからには、それなりのことがあるのだろうな?」
「切り裂き魔のニュースは知ってる?」
「帝都新聞で読んだが、それが私の呼ばれた理由と何の関係がある?」
 先月から今月にかけて17件の連続殺人事件のニュースが帝都の街を賑わした。その事件は目撃証言や使われた凶器の刃型が一致したことなどや、目撃証言から事件を起こした人物は、ほぼ同一人物とされている。
 狙われた被害者は皆長い黒髪の女性であった。被害者たちの手足には何かで縛った後があり、衣服は脱がされ、身体は刃物で滅多刺しにされた状態で路上に放置されていた。
 事件は帝都市民の関心を呼び、報道各社はこの事件を大々的に取り上げ特集番組も組まれるほどであった。
 若者は依然空を見上げていた。
「えーと、その切り裂き魔なんだけど、証拠はいっぱい残ってるのに足取りが全く掴めないらしくってさぁ、帝都警察本部長に直々に仕事の依頼を頼まれちゃって」
「仕事なら一人ですればよかろう、私が呼ばれる理由はあるまい」
 空を眺めていた若者が長髪の男の方へと顔を向けた。月明かりに照らされた若者の顔は以前眠そうな表情を見せていたが、その顔は中性的な美しさに満ち溢れており、彼が道を歩けば男女問わず誰もが振り返り顔を赤らめうっとりとしてしまうほどだ。天使がこの世界にいるとしたら彼にちがいない。
「じつはさぁ、その切り裂き魔は不思議な幻術を使うんだけど、ボクには全く太刀打ちできずに困っちゃってね、紅葉[クレハ]になら何とかできるかなぁとか思ってさぁ」
 紅葉と呼ばれた男は顔をしかめながら目の前にいる若者と目線を合わせた。
「太刀打ちできずに困っただと……どういうことだ、既にその切り裂き魔とやらに会ったのか?」
「あぁ、もう2回も会っちゃったよ。ほら、この傷見てよ、ザックリいっちゃってるだろ」
 そう言って若者は右手の服の袖を捲くり上げ腕の傷を見せた。傷は鋭利な刃物で付けられたような15センチに達するほどの重症であったが、その傷の持ち主はのほほんとした表情でまるで他人事のようであった。
「2回も会っていながら取り逃がし、そのうえ傷を負わされるなど〝帝都の天使〟も地に堕ちたものだな」
「ボクは元から地面の上を歩いてるよ。だから、何と言われようが構わないよ、でもその代わり仕事を手伝ってもらうよ」
「君の仕事の手伝いをして私に何の見返りがある?」
「僕が手傷を負わされたほどの幻術使いだよ、いい研究材料になると思うけどなぁ、それじゃあダメ?」
 ダメ? といった若者の表情は子犬のような愛くるしさを持ち合わせており、その瞳に見つめられた者は誰もが彼のためだったら何でもしてあげたくなる――そんな表情だった。
「駄目だ、私は研究が忙しい。それにだ、今日その切り裂き魔が現れるという確証はないだろう」
「それがねぇ、あるんだよね」
「言ってみたまえ」
 天使の顔は勝ち誇った表情をしていたがそれを見た紅葉は少し不服そうだった。
「切り裂き魔が現れるのは決まって月・水・金の午前0時から4時の間なんだよね」
「そこまでわかっていて、帝都警察も君も切り裂き魔を捕らえることができんとは、ワイドショーのいいネタになるな」
「しかたないだろ、ほんとに手強い相手だったんだから」
 今度は紅葉が勝ち誇ったような表情をし、天使は不服そうな表情をした。
「私は研究の続きがあるので帰らせてもらうぞ」
 紅葉は白衣をなびかせながら足早にその場を立ち去ろうとしたが、それを天使が引き止めた。
「ま、待ってよ、幻術の研究も〝プロフェッサー〟の大事な仕事だろ」
「幻術ならば、あの凄腕の魔導士がいるだろう」
「彼女なら、ヨーロッパで魔導書が発見されたとかで出かけて行っちゃったよ」
「魔導書か……私もそちらの方が興味をそそられる。私も研究のために出向いてみるか」
 プロフェッサーの頭の中にはもう切り裂き魔のことなど微塵もなかった。今、彼の頭にあるのは魔導書のことだけだ。
 帝都の天使は本当に困っているのだか疑わしい表情をしながら目を閉じ少し考えた後、その艶やかな唇を動かした。
「わかった、取引をしよう」
「取引?」
「その魔導書を紅葉にやる代わりに仕事手伝ってよ」
「よかろう、しかし、その魔導書はどうやって手に入れるつもりだ?」
「彼女のことだから、その魔導書をパクってくると思うし、彼女1回読んだらすぐに覚えちゃうから、そしたら、君にやるよ」
「契約成立だ。それでは時雨[シグレ]、一緒に狩りを始めよう」
 その言葉を聞いた時雨は不適な微笑み浮かべ空を見上げた。

 白衣の裾をはためかせながら紅葉は横を歩く時雨に尋ねた。
「切り裂き魔の現れる場所の見当はついているのだろうな」
「ボクの半径1キロメートルに奴が入ればダウジングでわかると思うよ」
 天使の右手には紐状の物が握られており、その先端にはひし形の宝石らしき物がぶら下がっていた。
「奴がボクの半径1キロメートルに入ると、こんな風に魔石がその方向を示してくれるんだけど……あっ反応」
「……気づくのが遅い」
 紅葉が気づいた時には、天使は月光に照らされたビル街を魔鳥のごとく宙を舞っていた。
「紅葉、遅いよ、早くしないと逃げられちゃうよ」
 黒い魔鳥は少し後ろを振り返ったが、すぐに前を向き、また空を舞った。それを見ていた白い魔鳥も空を舞い黒い魔鳥を追う。
 そしてこの日、2羽の魔鳥が帝都の夜空を舞った。
 今宵の帝都は静けさに満ち溢れていた。
 月光に照らされたビル街はまるで氷でできた彫刻のようであったし、風もなく、獣の声すら聞こえない、まるで廃墟と化した街のようであった。
 時計の針は深夜12時を回っていた。夜の闇は深さを増し、路地を照らす光は街灯と月光のみであった。
 時雨の辿り着いた場所は街の影である裏路地。満月の晩に人が足を踏み入れない場所。妖魔の巣食う世界だ。
 ひもの先に付けられた魔石が獲物の方向を強く指し示している。
 真剣な表情をして時雨は紅葉に顔を向けた。
「反応が強くなった……もう近いよ」 
「後、どのくらいだ?」
「……目の前」
「!?」
 天使の言葉に紅葉は少し度肝を抜かれた感じだった。
 二人の魔鳥の前方には紫色の髪の若い男性が、何かを物色するように辺りを見回しながら歩いていた。
「あれが獲物か?」
「あぁ、そうだよ、でもやっぱり、今夜は獲物がなかなか見つからないらしいね。ほら、あんなに辺りを見回して」
「満月の晩にこのような場所に好き好んで出かける奴はいないだろう」
「知能低いのかな」
 とそんな会話を二人がしていると、切り裂き魔は二人に気づいたらしく全速力で突進して来た。
「ボクのことちゃんと覚えててくれたみたいだよ」
 ほら、といった感じで時雨は切り裂き魔を指差し、紅葉の方を振り向き微笑みを浮かべた。
 切り裂き魔の両手には鋭い爪のような武器が装着されている。
「シザーハンズか、肉弾戦は私より時雨、君の方が向いているだろ」
「OK!」
 時雨はそう言うとコートのポケットから何かを取り出し、それについているボタンらしきものを押した。すると時雨に握られたそれの先端から、閃光が飛び出しまばゆい光で辺りを照らした。ビームサーベルと呼ばれるようなものなのだろうか。
 シザーマンは時雨目掛けて鋭い爪を振り下ろす。時雨はその攻撃を流れるように素早く躱[カワ]すと、ジザーマンの頭上から地面にビームサーベルを叩きつけるように振り下ろした。
「捕らえた!」
 時雨の手にはたしかに手ごたえがあった――。しかし、その時、時雨に紅葉から罵声が飛ばされた。
「どこを斬っている! 獲物はこっちだ」
「えっ!?」
 時雨はシザーマンの幻術に惑わせれたのだ。そして、彼が自分の置かれた状況について把握した時には、すでにシザーマンは紅葉にその刃を向けていた。
「肉弾戦は私の専門外なのだが……」
 そう言いながら紅葉はどこからともなく二つのフラスコを取り出し、蓋をしてあるコルクを抜くと科学の実験をはじめた。
「これを実践で使うのは初めてなので、いいレポートが書けることを期待する」
 そう言い終わると紅葉はフラスコの中にある不思議な液体を一つに混ぜ合わせた、すると、フラスコの中から大量の煙が発生し辺りを包み込んだ。
「ねぇ紅葉、仲間のボクまで見えないよー」
「大丈夫だ、君が見えんということはシザーマンにも見えておらん」
「ああ、なるほど……ってダメじゃん」
「もうすぐ、霧は晴れる、お楽しみはその時だ」
「はぁ?」
 辺りをたちこめていた霧が徐々に晴れてきた。すると、そこには目を疑うような異様な光景が広がっていた。
「何これ!」
 と大声を上げたのは時雨だった。彼が大声を上げるのは無理もない、なぜなら――。
「実験は成功だな。私が調合したこの薬は人間に一種の幻覚作用を引き起こす。君に難しい話をしても分からんだろう、まぁ薬の効能は見ての通りだ」
「見ての通りって、紅葉がたくさん居るよ」
 時雨の目には何人もの紅葉が映っていた。その時雨の目に映る紅葉たちは個々に別々の動きをしている。
 シザーマンは紅葉の幻影を次々に斬りつけていくのだが、傷も付かなければ、血も一滴も出ない。
 それを見ていた紅葉たちがいっせいに不敵な笑みを浮かべた。
「後は君の仕事だ時雨、奴が私の幻覚を相手にしているうちに仕留めろ」
 時雨はビームサーベルを構えると、シザーマンにその刃を向けた。
 彼の剣技は美しいという言葉が相応しい。まるで舞を踊るかのような剣さばきにシザーマンが気づいた時にはもう遅かった。
「ぎゃあぁぁぁぁ!!」
 シザーマンは悲鳴を上げるとその場に倒れ込んだ。彼は幻術を使う暇もなく呆気なく縦に裂かれてしまった。
「呆気なかったね……なんか」
「そんな、相手にてこずっていたのはどこの誰だ?」
「!?」
「どうした?」
「爪が勝手に動いてる」
「何!?」
 二人の目線の先には不気味な動きをするシザーハンズがその鋭い爪を時雨に向けていた。
「こちらが本体のようだな」
 シザーハンズは装着者の手を離れ時雨目掛けて飛んで来た!
 時雨は目にも止まらぬ速さでシザーハンズをビームサーベルで地面に叩きつけた。と思った瞬間、またも紅葉から時雨に罵声が飛ばされた。
「どこを斬っている、獲物が逃げるぞ!」
「えっ!?」
 時雨が気づいた時には敵はその場から姿を消していた。またもや彼は幻術に惑わされてしまったのだ。
「はぁ、逃げられた」
 ため息をついた時雨の身体はまるで周りの闇に溶け合うように深く深く沈んでいった。
 
 この事件以降、シザーハンズが帝都の街に姿を現すことはなくなった。
 都民の関心も次第に薄れ、報道各社も今ではこの事件を取り上げることはなくなった。
 最近の都民が関心を寄せていることは帝都の地下で発見された、古代遺跡に集中している。
 この遺跡が都民の暮らしをより良いものにしてくれると科学者たちは口々に言っている。現に遺跡ですでに多くのロストテクノロジーが発見されている――。
「ロストテクノロジーねぇ」
 時雨はTVを見ながらおせんべいをツマミに熱い玉露を飲んでいた。するとそこに一人の訪問者が訪れた。
 コンコン、と戸を叩くと同時に男の声がした。
「入るぞ」
「どうぞ」
 時雨が返事をすると、紅葉が部屋の中へと入って来た。
「報酬を受取に来た」
「報酬?」
「魔導書だ」
「あぁ魔導書ねぇ、でもさぁ、逃げられちゃったから」
「逃げられたからなんだというのだ。私は君に仕事を手伝えと言われただけで、獲物に逃げられようが私の関知するところではない」
「はいはいわかったよ、苦労して手に入れたんだから大事にしてよ」
 そう言うと時雨は紅葉に向かって魔導書を投げた。
 紅葉は魔導書をキャッチすると、足早に部屋を出て行った。
 そして、紅葉が部屋を出て行ったのを確認すると時雨はため息をつき、お茶をすすりながら一言。
「がめついよ紅葉」
「何か言ったか?」
 時雨の目の前には部屋を出て行ったはずの紅葉がいて、それに気づいた時雨は思わず口に含んだお茶を噴出してしまった。
「な、何でまだいるんだよ」
「言い忘れていたことがある」
「なにさ」
 時雨は、噴出したお茶をティッシュで吹きながら、紅葉を上目使いで見上げた。
「帝都の地下で発見された遺跡のことは知っているな?」
「あぁ、ニュースで毎日やってるからね」
「時間があったら行ってみろ」
 そう言うと紅葉は部屋の外へと出て行ってしまった。
「はぁ、何だよ、どういうこと?」
 時雨はこたつに潜るとそのまま目をゆっくりと閉じた。
「まぁいいかぁ」
 そう呟くと同時に時雨はやさしい寝息をたてていた。
 部屋の窓からはやさしい光が部屋中に差し込み、外からは子供たちの遊ぶ声が遠くから微かに聴こえていた――。

 シザーハンズ 完


 †駄文†

 このお話は続きがあります。
 シザーハンズをやっぱり仕留めないと終われないですよね、でもそれは別のお話ということで。
 でそのシザーハンズ2(仮)ですが、来年のUPになってしまいそうです。
 ヘタをしたら、この話を書いてから1年後ということにもなるやもしれません。

 え~と後、このお話の途中のシーンや最後のシーンは別の話にリンクしています。
 会話中に登場した『凄腕の魔導士』とは今後登場のマナちゃんです。
 それに魔導書の話が絡んで『魔女っ娘マナ』というお話が展開されています。
 そして、最後のシーンに出てきた地下遺跡は『邪神伝』の舞台となっております。


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