キリングドール
 時雨[シグレ]――彼は帝都で一番美しい。そして、今は帝都で一番臭かった。
「……死ぬぅ」
 帝都の駄天使[ダテンシ]は、帝都地下に棲む大海蛇リヴァイアサンと呼ばれる、全長は60メートルから大きいものでは100メートルにも達し、時には帝都に局地的な地震を起こすことで有名だな怪物との死闘の末、下水に引きずり込まれてしまった。
 下水に引きずり込まれた後、どうにか九死に一生を得た時雨は我が家に帰って来て、家の前で安堵感から立ち尽くしていた。
「……夏凛[カリン]なんか助けるんじゃなかった」
 夏凛とは時雨の妹? でその〝彼〟を助けたがために時雨は下水に落ちたのだ。
 しばらく、ぼーっとしたあと時雨は家の脇にある階段で2階へと上がった。1階はお店となっていて自宅の玄関は2階にあるのだ。
 コンコンと叩いてドアをノックする。ちなみにドアの脇にはインターフォンも付いている。
「ハルナちゃん開けてぇ~」
 ややあってドアは開けられ、チェーンロックの掛けられたドアの隙間から眼鏡をかけた女の子がこちらを覗いた。
「おかえりなさ~い、ふぁ~……!?」
 いきなりドアが勢いよくバタンと閉められた。しかも、その後ガチャという鍵を閉める音もした。
 理由は明白だった。ドア越しで声が聞こえた。
「テンチョ、クサイですよぉ!」
 時雨は臭かった。それも今は帝都一臭い。
「臭いのは自覚あるから、開けて」
「イヤですよぉ~、鍵は開けておきますけど……あたし、寝室にこもりますから、少ししたら入ってくださいね。それから、シャワーとか浴びて綺麗になったら、部屋中にバケツで芳香剤まいといてくださいね」
 ガチャと鍵が開けられた。――しばらく待つ。――もう少し待つ。――そしてドアを開ける。
 ゆっくりと開かれるドアと共に異臭が家中に流れ込む。
 時雨急いでシャワールームに直行。そして、脱衣所で着ていたコートや服を脱ぎ、瞬間乾燥機付きの洗濯機に服を全部入れてスイッチオン。
 いつもどおりの行動をした時雨はお風呂に入った――。

 数分後、もうもうと湯気を肌から上げる時雨がお風呂から上がってきた。次に彼は身体を拭き、そのまま裸のままドライヤーで髪の毛を乾かす。
 髪の毛を乾かし終わると洗濯機に入れてあった衣服を取り出す。衣服はすでに瞬間乾燥機により乾いている。そして、着る。
 帝都の天使と呼ばれる時雨はいつも同じ格好をしている。同じ服をいっぱい持っているのではなかった。いつも同じ服を着ていたのだ。……洗っているだけマシと言ったほうがいいのだろうか?
 3階に上って部屋に行こうとした時雨であったが、その足が不意に止まった。居間の電気が点いているということと誰かの会話が聴こえて来たのだ。だが、ハルナがテレビを見ているのだろうと思ってそのまま階段を上った。が……、
「どうぞ」
「うん、ありがとぉ」
 ハルナの声とは別に聞き覚えのあるブリッ子した声が……聞こえた。
「ああ~っ!! どっ、どうしたんですか、こんな格好でしかも肩から血が出てるじゃないですかぁ~!!」
「気付くの遅いよ姫」
 時雨の頭にある名前が過ぎった――夏凛。その名前が頭に過ぎった瞬間、時雨は階段を急いで降りようとして階段から転げ落ちて腰を強く打ってしまった。
 腰を打ちつけながら時雨はふらふら歩きで居間のふすまを勢いよく開けた。そして叫ぶ。
「なんで夏凛がいるの!?」
「兄さま、こんばんわ」
 バスローブ姿の夏凛はティーカップを持ち上げながらにっこりと微笑んだ。その姿はまるでお風呂上りのここの住人のようだ。
 この家の偽住人夏凛の顔をあからさまに嫌な顔で見る時雨の手は、まだ、ふすまを開けたままの斜め上30度の位置で止まっていた。
「だからなんで夏凛がいるの?」
 あからさまに嫌な表情をしている時雨に至福の笑みを送り続ける夏凛。
「兄さま、だいじょぶだったあの後」
 あの後とは、もちろん下水に流された後のことである。
「だいじょぶなわけないでしょ」
 そう言いながら時雨は夏凛の前の席に腰を下ろしてテーブルに腕を乗せた。時雨の表情は未だ硬い。そんな時雨をワザと無視するかのように夏凛はハルナに話し掛けた。
「ああ、そうだ! 姫、メイド服貸してくれないかなぁ」
「いいですよ」
 そう言ってハルナはメイド服を取りに自分の部屋へ走って行った。
 二人っきりになって、時雨の視線が痛いくらいに夏凛に注がれる。このまま兄弟戦争勃発になるのか!?
「なんで夏凛がここにいるの?」
「やだぁ~兄さま、そんなに見つめないで」
 両手の平を頬に付け、顔を赤らめ叛ける夏凛。だが、それをやられた時雨はかなりキレていた。
「……怒るよ」
「ごめんなさい、言います。私がここに来た理由」
「よろしい」
「じつは……、暗殺タイプのA級キリングドールに追いかけられてて」
 キリングドールとはマシーンのことで、兵器としてのマシーンは、暗殺用や殲滅用などがあり、それらをまとめてキリングドールと呼んでいる。そして、暗殺用はその用途から人型をしていることが多い。
「……で?」
 時雨の表情は先程より余計に硬く曇っていた。キリングドールに追いかけられているということは、ここにそれが来るということではないのか?
 そこへいつの間にか、さっきまぼさぼさ頭だったハルナが髪の毛をツインにまとめメイド服を着て、その両手にもメイド服を二つ持って現れた。早業だ。
「あのぉ、夏凛さん、どっちがいいですか?」
 夏凛は迷わず自分から見て右のピンクの生地にフリルがひらひらしてるデザインの方を選んだ。
 そのメイド服を受け取った夏凛は着替えのために家の奥へと姿を消してしまった。
「話が終わってない」
 そう呟くと時雨は台所にお茶を入れに行った。
 台所に立ち水道の蛇口から熱いお湯を出し急須に入れると、湯飲みを空いている手で持って居間へ戻った。
 お茶を炒れて居間に戻って来ると、ハルナは深夜TVを観て楽しそうに笑っていた。
「テンチョ、これおもしろいですね、あはは」
 時雨はお茶をテーブルに置いて座ろうとしたのだが、彼の顔は突然何かを感じ取り、険しい表情へと変わった。
 銃声と共に道路に面している窓ガラスが弾け飛び部屋中に破片が散乱する。敵襲以外のなんでもない。
「ハルナちゃん逃げるよ!」
 そう言って時雨は瞬時にハルナを抱きかかえて家の奥へと走り出した。
 騒ぎを駆けつけた夏凛と時雨が鉢合わせになる。
「兄さま、どうしたの!?」
「夏凛は外で敵と時間稼ぎ、ボクは村雨を取って来る」
「OK」
 夏凛の返事を聞くと時雨はハルナを抱えたまま3階へと駆け上がって行った。
 ハルナの部屋の前で時雨はハルナを床に下ろすと、
「ハルナちゃんは自分の部屋にいて、ボクは村雨を……村雨?」
 時雨はコートのポケットに両手を突っ込み蒼い顔をした。
「ボク……村雨どこに置いたっけ?」
 回想に入る……。夏凛を助けた時、リヴァイアサンを斬るのに使った。その後下水に流され、家に着き、お風呂に入る時ポケットの中身を全部出して……全部出して? 全部出した時に無かった!?
「まさか下水で落とした!?」
 下水に落としたとなると見つかる確率は天文学的な数字になってしまう。
 別の武器を取りに行くべく時雨は自室に駆け込んだ。
 和室に掛けられた掛け軸の下に置いてある家宝の壺の中に手を突っ込み何かを取り出した時雨。その手には村雨に似た、柄だけしかない妖刀殺羅[ヨウトウサツラ]が握られていた。
 殺羅は村雨同様、柄に付けられたボタンのような物を押すことによって、光り輝くライトサーベルのような刃が出る。
 時雨が夏凛に元へ行こうとしたその時だった。1階の雑貨店から大きな破壊音が聞こえた。嫌な予感がした時雨は猛ダッシュで1階に駆け下りた。
 時雨の目は大きく見開かれ、怒りの念が沸々と腹の底から湧き上がって来ていた。
 閉めていた店のシャッターが壊され店の中もメチャクチャに壊されていた。
 夏凛に向かって歩いてくるキリングドールの後ろ――店の奥で何かが激しく閃光を煌かせた。
「ボクの店をどうしてくれるんだ!」
 妖刀村雨の代用品、妖刀殺羅を構える時雨の目は怒りで満ち溢れていた。そして、時雨は黒いロングコートを風になびかせながらキリングドールへと斬りかかった。
 真紅の光を放ち振り下ろされるソードからは光の粒が血の玉のように飛び散り、それを片手で受け止めようと手を出したキリングドールであったが、その行為は虚しく。出された手は腕ごと切断された。
 火花を飛ばしながら血の代わりの緑色の液体を出す腕には気にも止めず、キリングドールの蹴りが時雨のわき腹目掛けて繰り出される。
 蹴りはわき腹に喰い込み、苦痛の色を浮かべる時雨であったが、ソードの柄を強く握り締め相手の首目掛けて振った。
 マシーンの首が宙を舞い、地面の落ちた。虚しい金属音が夜の澄んだ空気に響き渡る――。
 戦いを終え、わき腹を押え道路に片膝を付く時雨は辺りを見回し呟いた。
「……夏凛は?」
 もう、この場には夏凛の姿はどこにもなかった。夏凛いつの間にかこの場から逃げてしまっていたのだ。
 夜の闇にバイクの走る音が聴こえた。夏凛が戻って来たのかとその方向を見ると大型バイクに跨った女性がこちらに向かって来るではないか!?
 向かってくるというのは、〝近づいて来る〟ではない。時雨をひき殺す勢いでこちらに向かって来ているのだ。
 それに気付いた時雨は間一髪のところでアスファルトの地面の上を転がり向かって来たバイクを避けた。
 時雨をひき殺すことに失敗したバイクは激しい音を立てて急ブレーキで止まると、特殊部隊のような格好をした女性がバイクを降りて時雨に近づいて来た。
 女性は明らかな殺気を放っている。だが、感情が無い静かな殺気だった。このような殺気は先ほどのキリングドールからも感じられた。つまり……。
「また、キリングドールか……はぁ」
 妖刀を構え立ち上がる時雨であったが、腹に痛みを覚え顔しかめる。だがキリングドールには相手の事情など構うわけも無い。
 瞬時に抜かれた銃から9ミリの銃弾が秒速300キロメートルの早さで発射された。時雨との距離は10メートルを切っている。だが時雨はそれを防いだ。
 まさに目にも止まらぬ速さで時雨は剣を振るい、銃弾を叩き斬り消滅させた。人間の技とは思えぬ神の成せる業であった。
 銃弾を叩き斬った時雨の身体はわなわなと震えていた。
「この妖刀はボクの手には余るな……ボクの身体の限界以上の力を引き出してくれる……」
 限界以上の力を引き出す。それは身体に過度の負担をかけることを意味していた。
 再び銃弾を発射される前に時雨は相手の銃を構える手を腕ごと切断しようとした。だが、相手は並みの人間ではなかった、キリングドールだった。腕は瞬時に引かれて腕を切断することはできなかった。だが銃は切断できた。
 目的の根本を達成した時雨は敵に背を向けて走り出した。つまり逃げたのだ。
 自分の店を構えている商店街を黒いロングコートをなびかせながら走り抜ける。時雨はこの商店街で騒ぎを起こしたら追い出され店の営業ができなくなると考えたのだ。
 キリングドールは時雨の真後ろを走っている。もう少しで手が届いてしまう距離だ。そして手が伸ばされた。
 それに気付いた時雨は回転しながら妖刀を振るった。キリングドールは後ろに飛び退き間一髪のところでそれを避けた。
「惜しかった、もう少しで斬れたのに……でも、ここなら思う存分に戦えるかも?」
 ここは商店街を抜けた先にある神威[カムイ]神社。変わったしゃべり方をする美人の巫女がいることで有名な神社だ。
「ここの境内広いから……少しくらい暴れても平気だよね?」
 気兼ねをする時雨だが、キリングドールは命令以外のことに構いもしない。
 襲い掛かってくるキリングドールを交わし、時雨は相手の股から頭上にかけて一刀両断を試みたが、キリングドールは状態をひねり腕でそれを受けた。もちろん一刀を受けた腕は斬り飛ばされた。
 斬り飛ばされた腕は遠くまで飛び、しめ縄の架けられた御神木の横を掠めるようにして落ちた。
 冷や汗を一滴流し顔を蒼くした時雨の身体は固まってしまっている。そこにすぐさま巫女装束を着た命[ミコト]が現れた。
「神社で暴れるなど不届き千番。時雨、わらわの寝起きが悪いことはお主も知っておろう? 説教はあとでしてやるのでな覚悟せいよ。じゃが今は人の形をしたまがい物を滅するのが先じゃ」
固まり何も言えない時雨を無視して命は空[クウ]に印を描く。
「汝らは全てを滅する力なり――招!」
命は右手の中指と人差し指で空[クウ]を突き刺した。すると、空間が裂け、中から二人の鬼神があらわれた。
 おぞましい怒りの形相をしている赤色の肌を持つ鬼神は手に持っていた鞘から同時に剛剣を抜き、キリングドールに襲い掛かった。
 鬼神を敵と判断したキリングドールは鬼神を倒すべく挑むが力の差は明らかだった。キリングドールは30秒もしないうちに残骸と化してスクラップにされていた。
 命の視線が時雨に向けられた。
「さて、時雨よ。言い訳は聞くがの、仕置きは覚悟せいよ」
「あのね……夏凛がキリングドールに追いかけられてさ……それでボクにそいつを押し付けて……」
「だからとゆうて、この神社に逃げ込む理由はかるのかえ?」
「そ、それは商店街で暴れると商店街を追い出されて営業が……」
「ふむ、時雨の言うことはわかった。じゃがな、わらわの怒りを買うことになるとは考えなかったのかえ?」
「…………」
 言葉が詰り無言になった時雨を見たあと、命は二人の鬼神を見てこう言った。
「仕置きをしてやれ」
 二人の鬼神は時雨の腕を掴み羽交い絞めにした。そして、命はもう用は済んだと帰ろうとした。
「ま、待ってよ命!!」
「わらわはもう寝る」
 命は時雨の顔を見ずにさっさと帰ってしまった。
 残された時雨は一人の鬼神に抱きかかえられ、もう一人の鬼神は鞘を握り締め構えた。時雨のお尻は鞘を構えた鬼神に向けられていた。まさか……!?
 この日の夜中、静かな境内から男の悲痛な叫びが声が聴こえたのは言うまでも無い。その声は商店街まで響き、何事かと家から飛び出してきた近隣住民は二人の鬼神を見て腰を抜かし大騒ぎをしたという。
 鬼を見たものは皆すぐに逃げ出したためにお尻叩かれていたのが時雨だと気付かれずに済んだ。不幸中の幸いとはこのことを言うのだろう。


 キリングドール 完


 †駄文†

 『躯』という作品のUPを取りやめ急遽UPした作品です。
 話の内容は別シリーズ、エデン外伝『夏凛の章』のお話の中のひとつとリンクしています。
 このお話は『魔剣士』というそのうちUPされている作品のあとの出来事という設定になっていて、魔剣士に出てくるとある物がこの作品に出てきました。魔剣士を書こうと思ったのが4月ごろだったと思うのですが、UPのほうは来年6月になるかと……。
 魔剣士の時間軸はエデンの『病気は気から』と『夏凛の章』のお話『夏に咲く氷の花』との間の出来事です。
 今回は命もちょっとだけ登場です。神社の名前は初でしたっけ? でも、時雨の店がある商店街の先にその神社があるっていう設定を公開したのは初だと思います。
 命ちゃんは『魔剣士』にも登場する予定なのでお楽しみを。
 次には今度こそ『躯』をUPするのでお楽しみにして下さい。『躯』は『魔剣士』の複線になるお話で、紅葉&蜿のお話になっております。
 ではでは、……>>>S.STELLAでした。


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