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ブラック・キャット |
帝都に聳え立つ古めかしい巨大な洋館。この洋館に住んでいるのは人々に帝都一の魔導士と謳われるマナと機械人形の娘であるアリスの二人だ。 「マスターおはよう御座います」 玲瓏たる声の響きが深い眠りからマナを呼び覚ました。 「今日は絶対この部屋から出ないわよぉん」 目を覚ましたマナは何かを恐れるようにして、ベッドの中に潜りブルブルと身体を振るわせた。 恐れという言葉知らぬとまで人々に言われるマナが何かに怯えている。いったい何に怯えているのか? 機械仕掛けのアリスはそんなマナを無表情な顔で見つめ、一瞬だが少し小莫迦な表情をしたように見えた。 「マスター朝食はどうなさいますか?」 「ここに運んで来て頂戴」 「承りました」 静かにドアが閉まると、残されたマナはベッドから恐る恐る起きて、椅子に腰掛けテーブルに突っ伏した。マナの服は椅子に座った瞬間にネグリジェからいつもの豪華絢爛な法衣に変わっている。 「……いつかこの呪い解いてやるわぁん」 そう、マナは己に架けられた忌々しい呪いに怯えているのだ。 マナに架けられた呪い、それは――満月の晩になると黒猫に変化してしまうという呪いである。満月と言っても正確には月齢が14.8~15.2の月光を浴びると猫に変化してしまうのだ。そして、今日の満月は月齢15――まさに正真正銘の真ん丸の満月が夜空に浮かぶ日であった。 ドアがノックされ朝食の乗った銀色トレイを持ったアリスが現れた。 「朝食をお持ちいたしました。そして、お客様をお連れいたしました」 小柄なアリスの後ろに立っている長身の男を見て、マナは血相を変えてすぐにベッドの中に潜った。 「な、なんでお師匠様が!?」 「私が来ては不都合なことでもあるのかね?」 アリスの後ろに立っている、煌びやかな法衣を身に纏う男――この男こそマナの師匠であるファウストだった。 転生の魔導士ファウストは千年以上の月日を生き、今は帝都のエージェントをしている。 アリスはテーブルの上に朝食を並べ、口元を少し吊り上げた。 「では、失礼いたします」 立ち去ろうとするアリスの背中にマナが手を伸ばした。 「待って二人にしないで!」 悲痛な叫び声を背中に感じながらアリスは子莫迦にした笑いを浮かべてドアをゆっくりと閉めた。 ファウストは朝食のサラダに入っていたプチトマトを口の中に入れて、マナがぶるぶると震えるベッドの上に腰掛けた。 「そんなに私のことが恐いのかね?」 「そんなことはありませんわ、偉大なお師匠様」 大嘘をついたためか、マナの顔は引きつっていた。 恐いもの知らずと云われるマナが世界で一番恐いもの、それはこのファウストだった。 マナはファウストのもとで修行中、散々な目に遭わされ、魔導の実験台にされたり、ファウストのイジメに遭ったりといろいろなことがあった。そして、マナに忌まわしき呪いを架けたのも、このファウストであった。 ファウストは天井を眺めてからマナに視線を落とした。 「ところでマナ、最終試験はクリアできたかね?」 「……まだです」 「では、まだ免許皆伝とはいかないな」 実はまだマナはファウストの修行を全て終えていなかった。つまり、正式な魔導士としてファウストに認められていないということだった。 マナはファウストの下で修行をした際に、いろいろな試験を受けて見事にクリアしていった――ただ、ひとつを除いては。それがマナに架けられた黒猫に変化する呪いを解くことだった。 満月の夜に黒猫に変化してしまうという呪いをマナが架けられたのは、まだ彼女が若かった16、7の頃、ファウストの怒りを買ってしまい、呪いを架けられてしまったのだ。本来はこの呪いを解くことは試験科目には含まれていなかったのだが、この呪いを解かなければ免許皆伝はしないとファウストに断言された。 マナが呪いを架けられた原因をつくった時に一緒にいた共犯者である夏凛という人物にもファウストは罰を与えている。その罰というのは魔導手術による魔族と合成及び、その他いろいろである。そして、この夏凛という人物は満月の夜に本来の姿に戻れるのだ。 「ところでマナ、私がここへ何をしに来たかわかるかね?」 わかるはずがない。マナの知る限り、このファウストという人物は大層きまぐれな人物である。 「いいえ、何の御用でしょうか?」 「それがだ、この頃ニュースでも取り上げられている事件のトップは何だかわかるかね?」 「神威力神社と帝都タワーが破壊されたあの一件でしょうか?」 「いいや、2日ほど前にシザーハンズが現れた」 「そうなのですか!?」 マナはここ数日海外に出かけていて帝都のニュースには疎かった。 「そのシザーハンズを退治及び、それを操っている魔導士を処理して欲しい」 「い……はい、わかりましたわ」 〝嫌〟とは言えなかった。そんな言葉を発したものならば、どのような不幸がマナに降りかかることか……。 「では、今日からがんばってくれたまえ」 「はぁ!? 今日が私にとってどんな日かお師匠様もご存知のハズ……」 「だから、どうしたと言うのかね? 昼間は動けるのだから問題なかろう」 マナは口をきゅっと結んで言いたいこと腹の底に呑み込んだ。この人に何を言っても無駄だ。 ファウストは立ち上がると、テーブルに置いてあったマナの紅茶を飲み干して、部屋を出て行こうとした。 「では、私は旅に出るので後は任せたぞ」 「あ、ちょっと待ってぇん! シザーハンズの情報はないのでしょうか?」 「そうか、まだ言っていなかったな」 このボケ老人! とマナは思ったが、そんなことは口が裂けても言えなかった。 ファウストはテーブルに置いてあったトーストを食べながら話をはじめた。 「シザーハンズは狂人でも何でもない。普通の人間がシザーハンズと呼ばれる魔導具に操られているに過ぎないのだよ」 「なるほどねぇん、それでさっき魔導士を処理しろと――」 「その通りだ、シザーハンズと呼ばれている殺人者の正体は〝爪〟の形をした魔導具。その魔導具に魅入られた人間が殺人を起こしている」 「ですが、その魔導士というのは誰なのですか?」 「彼女を魔導士と呼ぶのは正しくない、他の者が彼女を魔導士と呼ぼうと私は絶対に認めない――なぜならば、彼女は修行を途中で投げ出した女だからだ」 「まさか、それは……!?」 マナの脳裏にある名前が浮かんだ。世間では夜魔の魔女と呼ばれる〝セーフィエル〟の名を――。 ファウストが嗤った。 「我が不肖の弟子セーフィエル。姿を暗ませていた彼女がこの帝都で目撃された」 セーフィエルはマナの姉妹弟子である。 マナが天才であるならば、セーフィエルは秀才であった。努力せずとも才能だけで魔導を使いこなすマナに対して、セーフィエルは血の滲むような努力をして魔導を身に着けた。マナはセーフィエルの嫉妬を買い、いつも一方的にライバル視されていたのだ。 テーブルに置いてあった朝食を全て食べ終えたファウストは、近くに置いてあったナプキンで口を拭うと背中越しに手を振って部屋の外に出て行ってしまった。 残されたマナは外に出るべきか迷った。たしかに月が出ていない間は猫になることはない。が、今日は外に出たくない。 しばらくして部屋をノック音が聞こえた。 「どうぞお入りになってぇん」 部屋に入って来たのはアリスだった。 「ファウスト様に紅茶をお持ちしたのですが、どうやらお帰りになられたようですね」 「その紅茶、私がもらうわぁん。それから、朝食を新しく持って来て頂戴」 マナの言葉を受けてアリスは空になった朝食を見てため息をついた。 「ファウスト様がお食べになられたのでございますね」 一瞬何かを小莫迦にした笑みを浮かべたアリスは空になった食器を持って部屋を出て行った。 朝食を取り終えたマナはしぶしぶ外出した。 満月の日は黒猫になってしまうという呪いもあるのだが、どういうわけだがマナはそれ以外の不運に見舞われることが多い。 マナは自宅の屋敷の正面門を潜り抜け道路に立って腰に手を当てて仁王立ちした。シザーハンズが魔導具であり、それを創ったのがセーフィエルであることはわかった。が、何をしていいのかがわからない。そもそもシザーハンズが現れたのは全て夜であった。 「……何すればいいのよぉん!」 マナが声を荒げシーンとなったところに、何事もなかったようにバイクが通り過ぎていく。――空しい。 シザーハンズを探すよりも元を探した方が効果的である。人探しと言ったら、この街では情報屋を頼るのが一般的である。 「……でも、真ちゃんの情報網にあの女が引っかかるとは思えないのよねぇん」 それにマナはこうも考えていた。――帝都でのセーフィエルの目撃談はわざと彼女が姿を現したと考えられる。自分の存在を知らせるため――それは誰に? マナはこの場にじっとしていても意味がないと思い、シザーハンズが現れた場所に向かうことにした。 歩きながらマナはセーフィエルがどこで目撃されたのか、聞くのを忘れたことに気がついた。セーフィエルがわざと姿を現したとするのならば、その場所に何か手がかりがあるかもしれない。 冷たい風が吹いた。その風に運ばれて夜の匂いがした。 「まさか……!?」 夜色のロングドレス――いや、それは喪服のようにも見える。黒髪に黒い瞳、東洋系にも見えるがラテン系にも見える。妖艶さを身体中から放つ彼女には種族など関係ないのかもしれない。 「こんばんは、お久しぶりね――マナ」 「あらん、セーフィエルちゃんお久しぶりねぇん。――でも、まだ朝よ」 「世界が陽に包まれようと、わたくしは常に夜に存在しているのよ」 この女性こそがファウストの不肖の弟子であり、マナの姉妹弟子であり、世界で最もマナのことを知る人物である。 セーフィエルは空を見上げて呟いた。 「そう言えば、今宵は満月ね」 「ワザとらしく言われなくてもわかってるわ。それよりも、用事があるんだったら早く言ってくれないかしらぁん?」 マナはセーフィエルと偶然に出逢ったのではないことは百も承知だった。 「あら、せっかく久しぶりに出逢ったのだから、もう少しおしゃべりを楽しみましょうよ」 「イヤよ」 「相も変わらずワガママなのね」 笑みを浮かべるセーフィエル。その笑みは全て罪を許す、慈愛に満ち溢れた微笑みだった。だが、マナはその笑みを見るたびに相手の殺意をひしひしと感じる。 「それで、用事は?」 「そうね、一言で言うと、この街で魔導ショップをすることにしたの」 「……あらん、それって私への宣戦布告かしらぁん?」 「とんでもない、この街で魔導具のシェア23パーセントを握っているマナに宣戦布告だなんて。わたくしはこじんまりしたお店でお客様との触れ合いをしたいだけなのよ」 マナは自宅の洋館で魔導ショップを営み生計を立てている。そして、企業ではなく個人でこの街の魔導具業界のシェア23パーセントを握っているとは驚異的である。普通は個人では1パーセントにも満たない。 セーフィエルはわざとらしく手のひらを軽く叩き、思い出したフリをした。 「ああ、そういえばマナはわたくしに用があると思うのだけれど?」 「ないわよぉん」 「それは残念ね、そんなにわたくしのことがお嫌いかしら? 仕方ないから勝手にシザーハンズのことをお話するわ」 昔からおしゃべり好きのセーフィエルはマナが何も言わないのを見て勝手に話をはじめた。 「まずはわたくしがシザーハンズをつくった経由についてお話いたしましょう。わたくしがこの街に来た理由は魔導ショップをはじめるためではないの。本来は何者かに盗まれたシザーハンズを探すため。この街で魔導ショップをはじめるのは、気まぐれよ」 「気まぐれで私に宣戦布告?」 「あら、だから宣戦布告だなんてとんでもないわ。ちょっと生活費を稼ぐためのはじめるだけのことよ」 マナはセーフィエルをしばらく不信の眼差しで見つめてから口を開いた。 「そうことなら、シザーハンズの処理がんばってねぇん。私は全てをあなたに任せて家でゆっくりすることにするわぁん」 「あら、そんなこと言ってもいいのかしら、ファウストの言いつけを守らないとお仕置きされるわよ」 慈愛に満ち溢れた微笑みを浮かべるセーフィエル。だが、なぜ知っているのか? 「わたしがシザーハンズを探してることも知っていたみたいだし、お師匠様との会話も知っているのかしらぁん?」 「あら、気づかなかった? わたくしの創ったあの〝機械人形〟を元に戻したことを――」 「……そんなこと気づいていたに決まってるじゃない!」 マナは全く気がついていなかったのに嘘をついた。 セーフィエルのいう〝機械人形〟とはマナの家でメイドをしているアリスのことだ。 アリスは元々マナの命を狙うために創られた機械人形であり、それを創ったのがセーフィエルだった。 一時は敵であったアリスだが、マナに改造されることにより、マナの家で働くようになった。そのアリスをセーフィエルはまた改造して自分の味方としたのだった。 アリスが改造されたのは2日ほど前。その間マナは海外の遺跡調査に行っていた。そして、マナは昨晩遅く家に帰宅したのだ。 ここでマナにふとした疑問が浮かぶ。セーフィエルはシザーハンズを探しに来たと言った。シザーハンズがこの街に最初に現れたのは5ヶ月も前のこと、セーフィエルほどの者であればもっと早く見つけられた筈だ。 「セーフィエルちゃんにひとつ聞きたいことがあるんだけど?」 「いいわよ、どうぞ」 「シザーハンズがこの街に最初に姿を見せたのは5ヶ月前のことで、つまりシザーハンズが盗まれたのはそれよりも前ってことになるわよね。あなたがそんなにシザーハンズを見つけるのに時間がかかるなんて私には思えないわぁん、そこんとこどうなのぉん?」 月の光のような優しい笑みを浮かべるセーフィエル。だが、月というのは地上からでは一面しか見ることができず、月の裏側がどうなっているのかはわからない。 「あら、さすがはマナだわ。本当はシザーハンズを探しに来たのもついでなの。ここ半年わたくしはある研究をしていたのよ、だからシザーハンズを探す暇もなかった」 「その研究って何かしらぁん?」 「これよ!」 セーフィエルの手から月光を放つバレーボールほどの大きさの玉が投げられた マナはセーフィエルの放った魔導を避けようとしたが、すでにマナの足は地面に張り付いて動けなかった。セーフィエルの話は時間稼ぎだったのだ。 月光を放つ魔導はマナの胸に直撃して、そのまま身体の中に吸い込まれていった。それを見て満足そうな笑みを浮かべるセーフィエル。 「今のは月の光そのものなのよ」 マナのスカートの裾から、黒くてくにゅくにゅと動く長いモノが出た。そして、マナの頭には猫の耳が生えた。 「まさか!?」 驚き慌てるマナの身体は徐々に黒い毛で覆われ縮んでいき、やがては黒猫の姿となってしまった。 「にゃ~ん」 「可愛らしい声で〝泣いても〟駄目よ。あなたは一生そのまま……ふふ」 微かに笑ったセーフィエルは風に揺らめき姿を消した。 猫にされたマナは歩道に立ち尽くしながら考える。 状況としては悪い。まず、ただの猫になってしまっている。それは即ち、人語をしゃべることができない。そして、なによりも重大なことは魔導が使えないということ。 ここでマナは最優先事項を考える。今までの最優先事項はファウストの命令であった。が、今は緊急事態だ。幸運なことに自宅もすぐそこだ――帰ろう。 自宅の正面門を潜ったマナはため息をつく。猫になると自宅の庭が広いことに腹が立つ。歩けど歩けど、玄関は遠い。 噴水広場を抜ければ玄関はすぐそこだ。 玄関のドアが内側から開かれた。姿を現したのは機械人形のアリス。 「マスターお早いお帰りでございますね」 「にゃ~ん(よかったわぁん)」 これでひとまず助かった……助かった? マナはここで重大なミスをしたことに気がついてしまった。 「お命頂戴致します」 「にゃ~っ!!(しまったぁ~!!)」 焦るマナ。戦闘の構えをするアリス。漲る殺気。 機械人形アリスは殺人人形[キリングドール]であった。 疾風の如く翔けたアリスは足を大きく振り上げた。 マナの眼前に迫る足の裏。それは何かを踏み潰そうとしている体制。つまり、マナは踏み潰されようとしていた。 「にゃ~っ!!(殺される!!)」 間一髪でアリスの攻撃を避けたマナの額に冷たい汗が流れた。 アリスの右足が地面に埋まっている。あれを喰らっていたら即死どころの騒ぎではなかった。臓器などが……かなり悲惨なことになっていたのは間違いない。 マナ四足で全速力を出した。だが、たかが猫VS殺人人形。マナの敗北は決まっていた。 今まで後ろにいたはずのアリスがマナの前に立ちはだかる。 「マナ様、もっと必死にお逃げになってくださらないと面白くありません。さあ!」 相手を小莫迦にした笑みを浮かべるアリス。狩を楽しんでいるのか、日頃の恨みか……。マナは楽には逝かせてくれないと身震いをした。 マナは再び走り出した。 自宅の庭は広いので逃げ場ならいくらでもある。が、ここは外に助けを求めた方が懸命だ。しかし、今走っている方向は正面門とは逆方向。距離はあるが、ここのまま裏門まで行くしかない。 アリスは動かなかった。ハンデを与えているのである。 不審に思ったマナは足を止めて後ろを振り返ってしまった。後ろなど振り返らずに早く逃げるべきだったと瞬時に後悔する。 掌を天高く上げたアリスは声高らかに唱えた。 「コード000アクセス――30パーセント限定解除」 魔導を帯びた風がアリスを包み輝かせる。そして、まだ何を唱えている。 「コード003アクセス――〈コメット〉召喚[コール]」 天[ソラ]より召喚された巨大なロケットランチャーを小柄なアリスが肩に担いだ。 死の恐怖を感じたマナは全速力で逃げた。 「ターゲット確認――ショット!!」 爆音と共に発射された魔導弾が光の尾を引きながらマナに襲い掛かる。 轟々と地面ギリギリに飛ぶ魔導弾は、大地を剥ぎ取り、風を巻き起こす。 「にゃぎゃ~っ!!(助けてぇん!!)」 叫び声をあげるマナの横を魔導弾が抜ける。その反動でマナは巻き起こった風によって大きく飛ばされた。 魔導弾をギリギリで躱したマナは一息ついて前方を見た。魔導弾は〈コメット〉の名に相応しく彗星のように輝き飛んでいく。と思えたのもつかの間。魔導弾は軌道修正をしてマナに向かって再び進路を変えた。 前からは魔導弾、後ろには〈コメット〉を構えたアリス。――まさか!? 轟音を立てながら再び〈コメット〉が発射された。それは挟み撃ちだった。 避ける間もなく魔導弾の直撃を喰らう瞬間、マナの身体は抱きかかえられて上空に舞い上がっていた。 「にゃ?(何?)」 マナは地面から舞い上がって来る爆風を感じながら、自分を抱きかかえている人物の顔を見上げた。 「おはようぉ~、マナちゃん!」 「にゃ~ん!(ああ、夏凛ちゃん!)」 危機一髪のマナを救い出したのはゴスロリドレス姿がよく似合う夏凛であった。 容姿も声も女性のようだが、夏凛は肉体的には男性だ。 軽やかに地面に着地した夏凛は息も付かずに全速力で走った。 「マナちゃん、どうしてアリスちゃんに殺されかけてるの?」 「にゃ~ん(説明すると長くなるのだけど)」 「やっぱり言葉がわからないからいいや」 最もだった。『にゃんにゃん』鳴かれても夏凛には猫語が理解できない。そもそも猫語というもの存在しているのか? 夏凛はマナの魔導ショップに買い物に来たのだが、そこでちょうどマナが〝何故〟か猫になっていて、しかもアリスに襲われているのを発見した。 「マナちゃんこれからどうするぅ? 後ろからはアリスちゃんが追って来てるみたいだけど、あんなに可愛いアリスちゃんと戦うのはよくないよね?」 「にゃん!(殺っちゃって!)」 「そうだよね、可哀想だもんね」 マナの言葉は全く夏凛に通じていなかった。 夏凛はマナを抱きかかえながら正面門を抜けて路上に出た。その後をすぐにアリスが追う。 「コード000アクセス――50パーセント限定解除。コード005アクセス――〈ウィング〉起動」 アリスの背中に突如翼のようなものが生えた。翼と言ってもそれは羽根などがなく、骨組みだけの翼である。 魔導がアリスの翼に宿り黄金色に輝かせる。それはまるで天より光臨した神聖な存在であるかのようだった。 「コードΩアクセス――〈メルキドの炎〉1パーセント限定起動」 アリスは上空から地上を走る夏凛たちに両手を向けて叫んだ。 「昇華!」 紅蓮の炎が地上に降り注ぐ。それを見た夏凛は泣き叫ぶ。 「わお! アリスちゃんって何者なのぉ~!? 〈メルキドの炎〉って!?」 〈メルキドの炎〉を躱した夏凛はそのまま道路を走行するトラックの屋根に飛び乗った。後ろを見るとアスファルトの地面が赤く溶けていた。 夏凛は車の屋根の上にマナを降ろして優しく微笑んだ。 「ガンバ、マナちゃん!」 それは別れの挨拶であった。 夏凛は時速60キロメートルほどで走っているトラックの上から軽やかにジャンプした。 トラックの屋根の上に取り残されたマナは唖然とした。――逃げられた!? 上空からはメイド服を着た飛行物体が追いかけて来る。 トラックの上に乗ってマナ逃げているようにも思えるが、実は逃げ場を失っている。その証拠に――。 「昇華!」 再びアリスより降り注ぐ〈メルキドの炎〉。 時速60キロメートルで走行するトラックの上から飛び降りたら大怪我をするだろう。しかし、このままではトラックと共に心中だろう。 マナは鳥になることを決意した。 トラックからジャンプするマナ。トラックを破壊、炎上させる〈メルキドの炎〉。 巻き起こる爆風にマナの身体は軽々と吹き飛ばされてしまった。 日が沈み、夜が舞い降りた。 マナはトラックの炎上に紛れて姿を暗ませて、今の今まで都市の裏路地を徘徊して身を潜めていた。かれこれ、半日以上街を徘徊し、すでに零時を回っている。 幸いアリスにはレーダーなどの機能が付いていなかったので、どうにか今までアリスに見つからずに済んだ。 アリスの製作者はセーフィエルであり、マナはアリスの性能を把握し切れていない。それ故にアリスの戦闘能力は未だに未知数なのである。 帝都の街は眠らない。街は輝き活気に満ち溢れている。しかし、光の当たらない場所には陰ができる。 帝都の裏路地に住むホームレスたちはグループを形成し、自分たちの住むテリトリーのことを〝ホーム〟と呼んでいる。 マナは小規模なホームのひとつに身を隠し、そこでファリスという名の10歳ほどの少女に拾われた。 ファリスはマナの顔を覗き込んだ。 「う~ん、捨てられたにしては毛並みも綺麗だし、お金持ちの家の猫かなぁ?」 お金持ちというのは間違いではないが、捨てられたわけではない。そもそも本当は猫ではないのだから。 マナの抱える問題は2つ。アリスに追われていることと猫であること。現状ではどちも解決する術はない。 マナを抱きかかえるファリスの元へリヴェオが現れた。リヴェオはファリスの3歳年上の兄だ。 「また、そんなもの拾って」 「だってぇ……」 ファリスはマナをぎゅっと抱きしめた。マナはファリスにいたく気に入られたらしい。だが、マナはここで一生暮らすつもりは毛頭ない。 ホームに住む人々の視線がこの場に相応しくない格好をしたモノに向けられた。 メイド服を着たモノとファリスの視線が合った。 「その猫をお渡し願います」 「にゃ!?(ヤバイ!?)」 この場に現れたのはアリスだった。ついに見つかってしまったのだ。 ファリスは何の躊躇もなくマナをアリスに差し出そうとした。 「メイドさんが探しに来るなんて、やっぱりお金持ちの家の猫さんだったんだね」 マナをアリスに手渡そうとしたファリスをリヴェオが腕を出して止め、リヴェオはアリスの顔を見据えた。 「猫を見つけてやったんだから、お礼くらい貰えてもいいと思うけどなぁ?」 ホームで生き抜いて来た者としてはこうでなければならなかった。 アリスはほんの一瞬だけ相手を小莫迦にしたような表情をした。 「仕方ありませんね。コード000アクセス――60パーセント限定解除。コード006アクセス――〈ブリリアント〉召喚[コール]」 マナはファリスの腕の中から飛び出して逃げた。アリスはこの地区をふっ飛ばしても構わないと思っていることを悟ったのだ。 アリスの身体の周りに4つの球体がダイヤのようにきらきらと輝きを放っている。 煌々たる光が世界を白くした。アリスが〈ブリリアント〉を放ったのだ。 アリスの周りに浮く4つの球体から次々とレザービームが発射される。 マナは決して後ろを振り返らない。過去に引きずられて生きるような女じゃない。というか、後ろはきっと大惨事。 爆音と爆風を感じながらマナはとんずらした。 迷路のように入り組んだ路地を疾走するマナの目にある人物が映った。 「にゃー!!(時雨ちゃん!!)」 マナの前方には〝敵〟と対峙する時雨がいた。その敵の手には〝爪〟が装着されていたが、今のマナにはそんなことなどどうでもよかった。 閃光と爆発音に時雨も気がつき、その方向を振り向くと〈ブリリアント〉を発射するアリスがまず目に映り、次に自分に抱きついて来た黒猫が目に入った。 「マナ!?」 「にゃ~ん!(あたり!)」 マナを抱きかかえた時雨であったが、実はそんなことをしている状況ではなかった。 狂人者からシザーハンズが繰り出される。 時雨は輝く妖刀村雨でシザーハンズを受け止めた。しかし、シザーハンズは2対でひとつ。2撃目の爪が時雨を襲い、そこにアリスの〈ブリリアント〉は発射される。 「はぁ!?」 時雨に不幸がやって来た。腕の中には人災マナ、襲い掛かるシザーハンズ、連続発射される〈ブリリアント〉レーザー。 シザーハンズによって時雨の肉が抉られ血が吹き出る。が、そんなものは些細な傷である。すぐそこに迫っている〈ブリリアント〉こそが脅威だ。 時雨はマナを抱きかかえながら路上に飛んだ。手は村雨とマナで塞がれ時雨は腕から地面に転がった。 「……痛い」 時雨はすぐに立ち上がり村雨を構える。状況としてはよろしくない。〈シザーハンズ〉と戦っているというのに、なぜかアリスにも攻撃された。 「あのさぁ~、なんでアリスに命狙われてるの? 日頃の恨みとか?」 「にゃーっ!!(後ろ!)」 立ち上る煙の中からシザーハンズが煌いた。そして、前方には〈コメット〉を構えたアリスが! シザーハンズを紙一重で躱した時雨はヤケクソになった。 「逃げるが勝ち!」 背を向けた時雨に〈コメット〉が発射される。 轟々と鳴り響く輝きが時雨の真横を掠め飛ぶ。だが、この〈コメット〉には追尾機能がついている。 急に進路を変えた〈コメット〉が時雨――ではなく、マナに襲い掛かる。 「にゃーっ!(早く避けてぇん!)」 「何あれ!?」 逆走をはじめる時雨であるが、その先にはシザーハンズ、そのもっと先にはアリスがいる。 二対のシザーハンズを構える狂人者。 時雨が振るう妖刀の切っ先から輝く光が迸る。妖刀村雨の妖術のひとつである。 妖刀から勢いよく飛び出した光の粒は狂人者の目を暗ませた。だが、〈シザーハンズ〉が本体あるので目暗ましは効果がない。 2対のシザーハンズが時雨に振り下ろされる刹那、狂人者の身体を強烈な光が貫き、時雨をも貫こうとした。 時雨は光を辛うじて避けた。 狂人者の身体を貫いた光は槍であった。それをしっかりと握り締めているのはアリスだ。アリスは〈レイピア〉を召喚[コール]して、マナを狙ったのだ。そこにたまたま障害物となる狂人者がいたに過ぎない。 〈レイピア〉を引き抜かれた狂人者の身体は地面に倒れた。 機械人形アリスは無表情のまま〈レイピア〉を構える。 「時雨様、マナ様をお渡しください。わたくしの使命はマナ様の抹殺であり、他のお方に危害を与えるつもりはありません」 『ウソつけ!』とマナ&時雨は思ったが、それは口に出してはいけないような気がした。 一触即発な感じに追い込まれそうな状況に巻き込まれた時雨はアリスとマナを交互に見た。 「つまり、マナを渡せば問題解決って――」 「にゃぎゃ~!(莫迦っ!)」 猫爪攻撃を時雨は頬に受けた。ヒリヒリと沁みる痛さだ。 交渉は決裂した。それも時雨の意思はなしにだ。 〈レイピア〉を還したアリスが再びコードを唱えようとした時だった。地面に転がる狂人者の手が動いた。正確には、動いているのは〈シザーハンズ〉だった。 機械人形と〈シザーハンズ〉が共鳴する。どちらもそれはソーフィエルのつくり出した魔導具であった。 アリスの初期コードは010まである。だが、アリスは拡張パックを取り付けることが可能に造られていた。 「コード013――〈シザーハンズ〉認証開始――エラー、エラー、エラー、エラー、エラー!?」 アリスの腕に装着された〈シザーハンズ〉。だが、様子が可笑しい。 交互性に問題が生じた。それは、暴走の序曲。 「コード000アクセス――70パーセント限定解除。コード007アクセス――〈メイル〉装着。コード005アクセス――〈ウィング〉起動」 アリスの身体を白いボディースーツが包み込む。その背中に黄金の翼が生え、腕には〈シザーハンズ〉が装着されている。 この事態に焦るマナ。そして、時雨がぼそっと呟く。 「逃げるの忘れてた……」 魔導と科学の融合により発展を続けて来た帝都エデン。その繁栄のひとつの象徴は、都市が決して眠らないということ。 魔導炉から二十四時間供給されるエネルギーは都市の生活を彩り、街を輝かせる。 昼にも似いているが、その賑わいは夜特有のものだ。漆黒の空には満月が浮かんでいる。夜はあくまで夜なのだ。 時雨は宇宙[ソラ]を見上げ、星の瞬きに耳を傾けている。 「同じ感覚がする……」 目を瞑りあることを思い出し、そう呟いた。 ある事件が帝都の街を賑わしている。 報道各社はその事件の大々的な特集を組み、昼のワイドショーの時間帯には主婦たちが家事を一休みして、こぞってTV画面にまるで吸い込まれるように顔を近づけ、その報道に釘付けとなっていた。 狂信者シザーハンズ――5ヶ月前にこの帝都の街を賑わした狂気殺人者の名前だ。そいつがまたこの街に現れたらしい。 シザーハンズに殺された被害者は既に15名を数えた。 殺害されたのは皆若く髪の長い女性で、深夜の時間帯に街を独り歩いている時に襲われた。そして、身体を八つ裂きにされ、身包みを剥がされ路上に放置される。それがシザーハンズの手口であった。 犯人の特定はできていない――いや、できない。 なぜならば、シザーハンズは人間ではない。むしろ生物でもない。シザーハンズの正体は女性を八つ裂きにした〝爪〟その物だということが分かっている。 時雨は未だに宇宙[ソラ]を見上げている。だが、その目は閉じられている。 時雨は以前シザーハンズと戦ったことがある。しかし、彼はシザーハンズに逃げられた。それ以降シザーハンズの話はすぐに過去の記憶と化した。 今回、シザーハンズが帝都に舞い戻って来たとのニュースを時雨は聞いた時、自ら今回の仕事に名乗りをあげた。別に汚名返上だとか名誉挽回、プライドがどうこうという問題ではない。ただ、時雨は嫌な予感に苛まれた。 仕事の以来がなくとも時雨はシザーハンズを自ら探し出す気でいた。だが、幸運にも今回も帝都役所からシザーハンズ駆除の依頼が舞い込んで来てくれた。 時雨は空に浮かぶ蒼白い光を放つ丸い物体を見上げこう呟いた。 「はぁ、また満月かぁ」 満月の晩のこの街は危険だ。 満月が不思議な魔力のようなものを持っているという話は有名な話である。この街ではその魔力が最大限に発揮されると言っても過言ではないだろう。 普段は身を潜めている妖物たちが街に繰り出し暴れまわる。今晩もどこかで帝都警察と妖物が戦争さながらの攻防戦を繰り広げているに違いない。 時雨が立っている場所は中型ビルの屋上であった。この場所で時雨はダウジングをしていた。 肌身離さず時雨が持っているタリスマンと呼ばれる石のついたネックレスがダウジングの道具となる。 紐にぶら下げられたひし形の石が揺ら揺らと動く。それは周りの空気を無視した動きで、石が意思を持っているのかのようである。 前回シザーハンズを探し出した時もダウジングを利用した。今回もそれで探せると思ったが、なぜかうまくいかない。 ため息をつく時雨に誰かが声をかけた。 「こんばんは」 「誰?」 そこには見知らぬ女性が立っていた。 闇に溶ける喪服のような服を着た黒髪の女性。風が服とその髪から夜の匂いが香る。 謎の女性に時雨はどことなく知り合いのマナと同じものを感じた。見た目の雰囲気も違うが纏っている特有の気が似ているのだ。 「シザーハンズをお探しでしょ?」 「そうだけど……」 明らかな不信感を時雨は顔で示した。この女性から危険の匂いがする。 女性はビルの下を指差した。 「ほら、そこにいるじゃない」 「えっ!?」 驚きであった。女性が指差した道路の上に鉤爪を装着した男が歩いているではないか!? 時雨は驚いた顔をしながら女性の方を振り向いたが、すでに女性の姿はなく、そこには芳しい香りが残っているのみだった。 すぐさま時雨は不審な男がいた路上に出たが、すでに男の姿はなかった。だが、しかし、突如どこからか女性の悲鳴が聞こえた。 悲鳴の聞こえた場所は近い。 時雨はビルとビルとの間にできた裏路地に入った。すると女性が時雨の横を擦り抜け、すぐに鉤爪を装着した狂信者がそれを追うように姿を現したではないか。 時雨は確信した。狂信者の装着している鉤爪は間違いなく〈シザーハンズ〉だ。 〈シザーハンズ〉も時雨のことを覚えていた。だからこそ、〝セーフィエル〟は時雨に手を貸した。 コートのポケットに手を入れた時雨はあるものを取り出した。 辺りが時雨を中心として眩い光に包まれた。 閃光を放つ物体を握り締める時雨。その物体は妖刀村雨という名前の魔導と科学の融合が創り上げた剣であった。 時雨に狂信者からシザーハンズが繰り出される。 ビュゥンと風を切り、村雨が片一方の鉤爪を撥ね退け、コートの裾を舞い上げながら円舞する時雨の二撃目がもう片方の鉤爪の攻撃を受け止める。 すぐさま時雨は後ろに飛び退いてシザーハンズと間合いを取る。だが、シザーハンズと間合いを取った瞬間、辺りが眩い光に包まれ、時雨は細い目をしながら爆発音がした方向を振り向いた。 ダイヤの輝きを思わせる美しい光を放つ4つの球体を従える人形のような美少女。それは人形のようなではなく、人形であった。 「アリス!」 遠くにいる機械人形アリスを確認した時雨の胸に黒い物体が飛び込んで来た。その黒い物体は黒猫であり、その黒猫は時雨の知り合いであった。 「マナ!?」 「にゃ~ん!(あたり!)」 状況がイマイチ掴めない時雨であったが、こっちの状況よりも今まで自分が直面していた状況の方が急を要した。 意識を乗っ取られた狂信者からシザーハンズが繰り出された。 風を切る鉤爪を輝く妖刀村雨が力強く受け止める。だが、シザーハンズは両腕に装着されている。 残ったシザーハンズが時雨を襲う、それと同時に不幸なことにアリスの〈ブリリアント〉レーザーが発射された。 「はぁ!?」 あまりの危機的状況に素っ頓狂な声を上げる。 時雨の腕の中には人災マナが抱えられ、襲い掛かって来るシザーハンズに、連続発射される〈ブリリアント〉レーザー。 戸惑いの表情を浮かべている時雨の肩が鉤爪によって抉られる。肩から大量の血を流す時雨であるが、そんなことはまだ些細な傷でしかない。今の目の前に迫っている〈ブリリアント〉は死だ。 幾本もの光の帯を時雨はマナを抱きかかえながら路上に飛んで避けた。 路上に転がる時雨の手はマナと村雨によって塞がれており、時雨は腕から地面に転がった。 「……痛い」 きっと、腕や肘に青痣ができたに違いなかった。 瞬時に時雨は立ち上がり、妖しく輝く妖刀を構える。だが、状況としてはよろしくない。 〈シザーハンズ〉とアリスに命を狙われるなんて、ありえない展開だった。 「あのさぁ~、なんでアリスに命狙われてるの? 日頃の恨みとか?」 「にゃーっ!!(後ろ!)」 立ち上る煙の中からシザーハンズが煌いた。そして、前方には〈コメット〉を構えたアリスが! 鉤爪を軽やかに躱した時雨は村雨の電源を切った。輝く光が時雨の握る柄の中に消える。 すでに時雨はヤケクソであった。こんな状況で二人も相手にできない。 「逃げるが勝ち!」 背を向けた時雨に〈コメット〉が発射された。 轟々という凄まじい音で後ろから〈コメット〉が迫っているのがわかる。 時雨はタイミングを見計らって地面に伏せて〈コメット〉をやり過ごした。だが、〈コメット〉には追尾機能がついていた。 空中で円を描き方向転換をした〈コメット〉が時雨に襲い掛かる。正確にはマナに襲い掛かる。 「にゃーっ!(早く避けてぇん!)」 「何あれ!?」 声を荒げながら反則だと時雨は内心で思った。 〈コメット〉から逃げるために逆走をはじめる時雨であるが、その先にはシザーハンズ、そのもっと先にはアリスがいる。もしかしたら〈コメット〉に向かって走った方が、助かる可能性が高いかもしれない。 時雨の眼前に迫った狂信者がシザーハンズを構えた。 妖刀村雨が光の粒子を迸せる。 妖刀から勢いよく飛び出した光の粒は狂人者の目を暗ませた。だが、狂信者の目を暗ませても意味がなかった。本体は〈シザーハンズ〉なので目暗ましは効果がない。 2対のシザーハンズが時雨に振り下ろされる刹那、狂人者の身体を強烈な光が貫き、時雨をも貫こうとした。 時雨は光を辛うじて避けた。 狂信者の身体を貫いたものは光の槍であった。それをしっかりと握り締めているのはアリスだ。アリスは〈レイピア〉を召喚[コール]して、マナを狙ったのだ。そこにたまたま障害物となる狂人者がいたに過ぎない。 〈レイピア〉を引き抜かれた狂人者の身体は地面に倒れた。 その後ろにいた機械人形アリスは無表情のまま〈レイピア〉を構え直す。 「時雨様、マナ様をお渡しください。わたくしの使命はマナ様の抹殺であり、他のお方に危害を与えるつもりはありません」 『ウソつけ!』とマナ&時雨は思ったが、それは口に出してはいけないような気がした。 〈レイピア〉は明らかに時雨に向けられていた。マナを渡さなければ容赦しないということだ。 時雨はアリスとマナを交互に見た。 「つまり、マナを渡せば問題解決って――」 「にゃぎゃ~!(莫迦っ!)」 猫爪攻撃を時雨は頬に受けた。ヒリヒリと沁みる痛さだ。 やはりマナをアリスに渡すべきだと硬く決意した時雨であったが、交渉はすでに決裂していた。以外にアリスの気は短かった。 〈レイピア〉を還したアリスが再びコードを唱えようとする。だが、その時、地面に転がる狂人者の手が動いた。否、動いているのは〈シザーハンズ〉であった。 狂信者が死のうとも〈シザーハンズ〉は死なない。当たり前のことを忘れていた。 機械人形と〈シザーハンズ〉が共鳴する。二つのモノをこの世につくり出したのは者の名はセーフィエル。全ては夜魔の魔女セーフィエルの策略であった。 アリスの腕に〈シザーハンズ〉が装着される。だが、様子が可笑しい。 「コード023――〈シザーハンズ〉認証開始――エラー、エラー、エラー、エラー、エラー!?」 本来は問題なく〈シザーハンズ〉はアリスの追加機能になるはずであった。 「にゃ……!?(もしや!?)」 マナはアリスの身体を勝手にカスタマイズしていたことを思い出した。それが原因だった。 交互性に問題が生じた。それは、暴走の序曲となった。もちろん元凶はマナである。 「コード000アクセス――50パーセント限定解除。コード009アクセス――〈メイル〉装着。コード005アクセス――〈ウィング〉起動」 身体のラインを強調する白いボディースーツがアリスを包み込む。背中に鳥の骨組みのような黄金の翼が生え、腕には〈シザーハンズ〉が身体の一部として左手だけに装着されている。 この事態に焦るマナ。そして、時雨がぼそっと呟く。 「逃げるの忘れてた……」 アリスと融合した〈シザーハンズ〉は鳥の嘴[クチバシ]のように形が変形しており、その口が急に開かれた。 時雨は開かれた嘴型の鉤爪の奥にある闇が輝いたのを見た。 「マズイっぽい!」 鉤爪にエネルギーが集中していき、それは放たれた。 〈シザーハンズ〉はただの鉤爪から魔導砲の役割を担うようになっていた。 発射された魔導砲を辛うじて避けた時雨はそのまま後ろを振り向いた。そこには直径3メートルほどの穴がビルの壁にぽっかりと空いていた。アリスの放った魔導砲はビルの壁を溶かし、遥か数百メートル先まで見渡せる穴を作っていた。 シャレにならない破壊力だった。今の攻撃が身体に掠りでもした時点で人間は即死だろう。時雨のロングコートをよく見ると、焦げているのがわかる。 マナを抱える時雨はアリスの目を見据えながら、ゆっくりと後退していった。後ろを振り向いた瞬間に絶対に殺される。 それにまともに戦うのも賢明な選択ではない。無事では済まないのは明白だった。 冷や汗を流す時雨の腕の中でマナが鳴いている。 「にゃん、にゃん(アリスの様子が可笑しいわよぉん)」 マナが必死にアリスの方を見ろと言っているのが時雨に伝わった。 アリスは魔導砲を放ってから身動き一つしていなかった。 突然、とても濃い夜の香りが辺りを満たした。 冷たい風と共に闇の奥から時雨が先ほど出会った女性――セーフィエルが姿を現した。 セーフィエルはアリスの身体を調べはじめた。 「どうやらオーバーヒートをしてしまったうようね。残念だわ、これからおもしろいところだったのに」 セーフィエルはアリスの背中を開けて内部をいじくると、妖艶とした笑みでマナを見つめた。 「結構楽しかったでしょ? アリスのこと、またよろしくね。精々こき使ってやって頂戴」 この言葉に時雨とマナの頭に『?』マークがいくつも飛び回った。 呆然と立ち尽くす二人を尻目にセーフィエルは背中越しに手を振った。 「じゃあね、またお会いしましょう」 闇の中にセーフィエルは消えた。 「何あの人? マナの知り合い?」 時雨は不思議な顔をしてマナを見つめるが、マナにも状況が把握できていない。 再び、夜の香りがした。だが、今度は声のみだった。 「あ、そうそう。あの術は試作段階だから、明日になったら人間に戻れるわ」 そう言ってセーフィエルの気配は完全に消えた。 結局、何がなんだかわからない。セーフィエルは何がしたかったのだろうか? マナは首を傾げながら、思いを巡らせたが、出た答えはこれだった。『昔から意味のわからない行動する女だった』。 止まっていた筈のアリスがぎこちない様子で柔軟体操をはじめ、しばらくしてからマナを抱きかかえる時雨の前まで来た。 「マスター、帰りましょう」 アリスは時雨からマナを取り上げて去って行った。 残された時雨は首を傾げて宇宙[ソラ]を見上げた。 「世の中ってわかんないなぁ」 ブラック・キャット 完 †あとがく† えっと、作者いっぱいいっぱい。 今回の題名は『ブラック・キャット』ですが、ボクの中では主人公は機械人形アリスちゃん。 エデンのお話はこれにて長期連載停止になるかもしれません。 『ブラック・キャット(下)』は『シザーハンズ(弐)』でもあるのですが、この『シザーハンズ(弐)』は2002年5月12日に冒頭を書いて、執筆がストップしてたんですよね。 つまり、今回のこの話を書くことによって、書こうと思っていた話を書き終えたんです。 エデンはやっと自分の中で一区切りですね。 今後のエデンはどんな展開になるかは、全く考えてません。 でも、アリスの戦闘能力が前面に出てきたので、次回はアリスが活躍するかもしれませんし、今回登場の新キャラ、セーフィエルの活躍と彼女の目論見も気になるところです。 そして、紅葉の活躍が少ないのではないかと、思っているので、次回は紅葉くんが教授をしている帝都大学のお話になるかもしれません。 まあ、とにかく、今後は全く未定ってことです。 そんなわけでして、いつかまたエデンでお会いいたしましょう。 ・・・>>>S.STELLAでした。 エデン総合掲示板【別窓】 |
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