二人の魔女

《上》

 偶然にも、その日に二人も弟子の志願者がきた。二人とも幼い女児だった。
 ひとりは名門――星神[ホシガミ]家の息女。
 ひとりは駆け込みのどこの馬の骨とも知れない女児。
 18世紀のフランスで流行した、室内装飾や家具類に囲まれたロココ様式の部屋。込み入った曲線模様と、華やかな色彩で部屋は飾られていた。
 足を組み、優雅に椅子に腰掛けているのは、この屋敷の主であるヨハン・ファウストだ。
「弟子はここ数十年とっていない」
 ファウストは目の前に座らせた二人の女児を見比べた。
 星神家の息女は日本とヨーロッパの混血らしく、金色の巻毛が似合う女児だった。絢爛なドレスに見えるのは魔導衣だ。地位も財力もある息女だとひと目でわかる。
 一方の女児は黒い質素ワンピース姿だった。黒髪と黒瞳からは東洋系ともラテン系とも取れる。目に見える才能を持っているのは星神家の息女だが、磨けば光るのはこちらの女児だろうとファウストは考えた。
「名前は?」
 とファウストが聞くと、相手を差し置いて勢いよく答えたのは神星家の息女だった。
「はぁい、私の名前は神星マナ。おとー様に言われてしょうがなく来ました」
 快活で自己主張の強いとファウストは瞬時に判断した。
 次にファウストが視線だけでもうひとりを促した。
「わたくしの名はセーフィエル」
「それは姓かね、名かね、それともミドルネームかね?」
「セーフィエルだけです。それが姓か名か、わたくし自身も知りません。セーフィエル――それがわたくしを表す記号」
 横にいるマナが不思議そうな顔つきでセーフィエルを見つめている。それを感じ取ったのか、セーフィエルはマナに顔を向け、月のように静かな微笑みを湛えた。
 金糸の法衣をはためかせてファウストが立ち上がった。
「よかろう、二人とも弟子として迎えうけよう」
「えぇーっ、私、弟子なんかやりたくなーい」
 騒ぐマナの横で、すっと立ち上がったセーフィエルが深々と頭を下げる。
「ありがとうございます」
 こうしてこの日、二人の女児がファウストの弟子となった。

 両親の言いつけで無理やりここに預けられたマナは怠惰そうな顔をしている。
 一方のセーフィエルは静かながらも、積極的な顔つきで真摯にファウストを見ている。
 真面目な者よりも、不真面目な者に目が向いてしまうのは必定。
 ファウストの視線はマナに向けられた。
「修行にペーパーテストはない、常に実践だ。血反吐を吐くまで扱いてやるから、そのつもりで覚悟しろ」
 他の部屋とは違い素っ気のない石壁の部屋。
 床には焼け焦げた黒ずみや変色した部分が見受けられる。
「さて、それでは二人の実力を見せてもらおうか」
 ここは魔導の室内訓練場であった。
 ファウストに促され、マナは待ってましたと胸を張る。
「私の実力を見て驚くんじゃないわよ」
 マナの周りにオレンジのフレアが現れた。それは蛍火のように、ゆらりゆらりと宙に浮く。
 目を瞑りマナがゆっくりと掌を胸の前に突き出した。
「ファイア!」
 紅蓮の炎が掌から放たれ、それはファウストを飲み込まんと飛んだ。マナはファウストを殺す気で炎を放ったのだ。
 鼻で嘲笑するファウストが法衣のマントを翻した。
 すると炎はあっさりとマントに呑み込まれてしまった。
「くだらん手品だ。私のマントに焦げ跡すら残ってらんぞ?」
 悔しそうにマナは口をへの字に曲げ、石畳をヒールで蹴っ飛ばした。
「あなたのこと殺せば家に帰れると思ったのにぃ!」
「私を殺せるのなら、殺せばよかろう。いつ何時、命を狙おうと構わんぞ」
 声をかみ殺すようにくつくつとファウストは笑った。
 マナのファウストへの殺意が、お遊びから憎悪に変わる瞬間だった。
 再びマントを翻したファウストは身体をセーフィエルに向けた。
「さて、おまえはなにができる?」
「わたくしは魔導力があまりありませんので、魔導具を使うことをお許しください」
「魔導具使うなんてずっるーい!」
 口を挟むマナにファウストが一括する。
「おまえは黙っていろ。魔導具の使用を許そう、さあはじめろ」
 セーフィエルが出したのは杖だった。
 本人の身の丈ほど杖の先には、木を刳り貫いて掘った翼が模ってある。その左右の翼の中心には蒼玉が埋め込まれている。
 おそらくこの杖は魔導力を増幅する装置なのだろう。
 セーフィエルの唇が三日月の笑みを浮かべた。
「……ファイア」
 杖を通して紅蓮の炎が放たれた。その規模はマナとほぼ互角。微かにマナが上か?
 紅蓮の炎はファウストの横を掠めたが、彼は微動だにせずに炎を間近で見定めた。
 炎が後ろの壁に煤を付け消えたの同時に、ファウストが静かに口を開いた。
「ふむ、その魔導具はどうした?」
「わたくしが自分で作りました」
「おもしろい、少し見せてはくれないか?」
「はい」
 献上するように杖はセーフィエルからファウストに手渡された。
 手彫りで丁重に作られた細工は、目を凝らすほどに繊細だ。宝玉は人工のようで、魔導の力を結晶化したもののようだった。
「この結晶も自分で加工したのかね?」
 ファウストが尋ねると、控えめにセーフィエルは微笑んだ。
「ええ、四季の森にある泉の水を蒸留して使いました」
 四季の森は別名〈迷いの森〉。ニーハマ区にある自然公園だが、今は一般の立ち入りが禁止されている。
 あの森で迷わず、目的を果たして外に出る。それを成し遂げたセーフィエルは賞賛に値する。
 杖をセーフィエルの返し、ファスウトは言った。
「おまえは魔導を直接使う才能より、魔導具を作る才能に恵まれているらしいな。他にどのような物が作れる?」
「アミュレットやタリスマンも作れます。けれど、今は魔導人形に興味があります」
 二人の会話をマナは不機嫌顔で聞いていた。自分が以外が人から賞賛されたり、脚光を浴びるのが許せないのだ。
「私なんかセーフィエルちゃんより、もぉっとスゴイ魔導具作れるわよ!」
 威勢の良いマナが負けじと出任せを吐いたことをファウストはすぐに見破った。
「よかろう、では今より24時間後に二人の作った魔導具を見せてもらう」
「う゛っ……」
 威勢の良かったマナが一歩後ずさりをした。身から出た錆び。負けず嫌いな正確と快闊な気質が災いした。
 マナにたいして、セーフィエルは事を受け止め淡々としている。
「条件はおありでしょうか?」
「二人には同じ材料で同じ物を作ってもらう――アミュレットだ。材料は四季の森にある冬の泉の水。早く作った者が勝ちではない。制限時間内に1つ、良品を作った者を勝ちとする。では、初め!」
 突然のスタート合図にも慌てず、セーフィエルは静かに部屋を出て行った。
 しかし、マナは目をパチパチしてファウストの顔を覗きこんでいる。
「ちょっと待ちなさいよ。四季の森って行ったことのあるセーフィエルが有利じゃないのよ」
「実践において有利もなにもない、結果が全て。御託を並べるのは敗者のすることだ、見苦しいぞ」
 これ以上ファウストに食い下がるのはプライドが許さない。マナは自分の力に絶対の自信を持っている。たとえ自分が不利でも勝ってみせなくてはならないのだ。
 マナはセーフィエルを追って屋敷を出た。
 大きな鉄の門を潜り、道路に出たがすでにセーフィエルの姿はない。姿が見なくとも行き先はわかっている。すぐに追いかけなければならない。
 これは競争ではない。時間内により相手よりも良質の魔導具を作ればいい。しかし、それではマナの気は治まらないのだ。
 セーフィエルに全てにおいて勝つことが大前提。次にファウストの鼻をはかしてやりたい。それが一番の目的かもしれない。
 現在、マナがいる位置は魔導街の一角。ここは帝都の中央部から少し横にずれたマドウ区で、魔導産業によって繁栄した街だ。魔導工場も多く点在するが、その一角には中世の屋敷を思わせる魔導師たちの家が立ち並んでいる。
 四季の森――通称〈迷いの森〉があるのは、ここから北東に進んだニーハマ区だ。ニーハマ区は帝都の端にある区で、この場所からはだいぶ距離がある。
 マナは辺りを見回した。こんなに早くセーフィエルの姿が消えるなんて、運良くタクシーでも拾えたのだろうか。
 この場所から駅までは遠い。
 バス停は少し行った所にあるが、四季の森への交通手段はステーションで電車を乗り継ぎ、またバスに乗って四季の森の近くのバス停から徒歩だ。とてもじゃないがお嬢様育ちのマナは、それを実行するほど悠長ではない。
 しかし、近くに交通手段がないのだ。あるのは自分の足が2本。
 タクシーや人を呼ぼうにも、ケータイ電話はファウストの元に預けられる前に没収された。クレジットカードも没収され、残されたのはわずかな現金。
「おとー様は私に甘いのに、どーしてお祖父様は厳しいのかしらぁん」
 ファウストのもとに修行に行けと命じたのもマナの祖父だ。魔導に関しては尊敬できる人物であることは認めるが、マナは祖父があまり好きではなかった。
 ファウスト邸を出てすぐの道路でマナが突っ立っていると、すぐ後ろで歯軋りのような音を立てながら鉄の門が開かれた。
 振り向くとそこにいたのは、先を越されたと思っていたセーフィエルだった。
「あらぁん、まだいたの?」
 不思議そうにマナが尋ねると、セーフィエルは微笑んだ。
「準備をしていたの」
「準備?」
「マナはしていないのかしら……うふふ」
 静かに笑われ、マナは小ばかにされている思いだった。
 マナは手ぶらだった。それにたいしてセーフィエルは箒と皮の袋を持ってる。皮の袋は膨らみや凹凸を見せ、中にいろいろと物が入っていることを伺わせる。
 四季の森に行くにはなにか準備が必要のだ。それがなんであるかわからないマナは悔しかった。
 それを見透かしたようにセーフィエルは言う。
「冬の泉で水を掬うには特別な道具が必要なのよ」
「知ってるわよ!」
 思わず口をついて出てしまった。本当はどんな道具が必要なのかさっぱりわからない。
 マナの強がりもセーフィエルも黒瞳で見透かした。
「教えてあげるわ。あなたがわたくしに頭を下げれば」
「そんなこと――」
「できないわよね、知っているわ。あなたはそんなことはできない。うふふ、少しからかっただけ」
 ガキのクセになんて性格が悪くて、子供っぽくないんだろうとマナは内心思った。それを言うのならば、マナもませていて子供なのに変な色香を醸し出している。
 セーフィエルは皮袋から二つの道具を取り出した。小船のような三日月状の形をした器と、白銀に煌く髪飾り。
「これは三日月の器と銀の髪飾り。三日月の器で水を掬い、銀の髪飾りで水を梳いて清めるの。この二つ、マナにあげるわ」
「えっ?」
 勝負の相手に手を貸すなど、マナの常識にはないことだった。
 セーフィエルを勘ぐるが、二つの道具を今から入手する余裕はマナにない。ここはひとまず受け取って置いたほうがいいかもしれない。
 小さな子袋に二つの道具を入れ、それをマナはいちようスマイルで受け取った。
「ありがとぉ、感謝するわぁん」
 と口で言いつつも、これは罠かもしれないと脳内で考え続けている。
 もしこれが本物の道具だとしても、それはつまり泉の水を二人が取ってきても、良質の物を作れるのは自分だと、セーフィエルには絶対の自信があるのかもしれない。だから、わざわざ人を上から見る態度で、魔導具をくれたのかもしれない。そう思うとマナは腹立たしくなったが、そこはレディとして腹の奥にぐっと怒りを抑えた。
 要するにこの勝負に勝てばいいのだ。マナはそう考え心を鎮めた。
 セーフィエルはどこだろう?
 マナは辺りを見回したが、すでにセーフィエルの姿はない。
 上に気配を感じた。
 セーフィエルは箒に跨って宙に浮いていた。空飛ぶ箒までセーフィエルは作っていたのだ。
 空飛ぶ箒は作る工程も難しいが、材料を集めるのも容易ではない。その上、操作性も悪く、乗りこなすのは熟練した腕が入るのだ。
 それをセーフィエルは易々と乗りこなし、遠くの空に消えていった。
 取り残されたマナは地面にしゃがみ込み頭を両手で抱えた。
「もぉーヤダヤダ。絶対に負けたくないわぁん!」
 だが、手短な交通手段は近くにはなかった。
 もう歩くしかないとマナは決意し、とりあえずセーフィエルが消えた空に向かって歩き出す。
 四季の森までの道のりは遠い。

 つづく


 【あとがく1】

 こにゃにゃちわー!!
 ぁい、というわけでエデンです。

 今回辺りからエデンは大きな物語に向かって走り出す予定だったんですケド、予定はなかったことにしました。
 あのね、そのね、その物語はエデンの中では長編に位置するのね。
 エデンは基本的には短編連作なんだけど、その書く予定の話は中篇になるかなぁって。
 頑張っちゃったら長編になるかなぁってね。
 だかさ執筆にはまとまった時間が必要なの。
 でもね、そんな時間わけ。
 だから今回は(上)(下)の短編にしたの。
 で、急遽書いた話がコレ。
 マナとセーフィエルの修行時代の話。
 マナちゃんのこと描くの2年ぶりかも(笑)
 『ブラック・キャット』のファイルが03年6月になってるんですよ。
 書き終わってから修正加えてる可能性もあるので、おそらく2年ほど。
 ブラック・キャットの初回連載自体が03年6月してた。
 だからたぶん公開直前に手直ししたっぽいので、書いたのはもっと前みたいです。
 でねでね、この『二人の魔女』の公開がおそらく05年8月なのですよ。
 だからどっちにしても2年ぶりのマナちゃん登場なんですね。
 ……マジか。
 エデンの連載はまったりペースですからねぇ。

 あはは、秋月愬夜でしたw

《下》

 歩き出して10歩も満たない。マナは足を止めてしまった。
 辺りを見回して乗り物を探す。
 ちょうど角を曲がって現れたリムジンが見えた。
 マナはやるしかないと思った。
「止まりなさい!」
 マナは道路に飛び出し両手を羽ばたくように大きく広げた。
 甲高いブレーキ音とタイヤの摩擦で焼ける臭いが鼻を突いた。
 リムジンはマナと数センチのところで止まっていた。マナは冷や汗一つ流していない。絶対に相手が止まるという自信を持っていたのだ――確証もないのに。
 すぐに運転席からタキシードを着た初老の老人が降りてきた。
「お怪我はありませんか?」
 車の前に飛び出してきた者を気遣うなど、この街では大変珍しいことだ。使用人の教育が行き届いていることを考えると、雇い主は大そうな人格者かもしれない。
 マナは初老の老人に詰め寄り、真下からかなりの上目遣いで見つめた。
「私の人生の一大事なの。四季の森に連れて行ってくださるかしら?」
 困惑する使用人の後ろで車の窓が開く音がした。
「とりあえず乗せてやれ」
 子供の声だった。にも関わらず妙に大人びている。
「畏まりました、お坊ちゃま」
 使用人は後部差席のドアを開き、その中に手を向けた。
「どうぞ、お乗りください」
「ありがとぉ」
 マナは上機嫌でリムジンの中に乗り込んだ。
 そこで出会った一人の少年。
 年のころはマナよりも断然に上だが、それでも12、3といったところだろうか?
 短パンに白いシャツをコーディネートし、赤い蝶ネクタイまでしている。いまどき、こんなお坊ちゃんがいるなんて思いもしなかった。
 お坊ちゃんは読んでいた分厚い本を座席に置き、自分と向かい側になる席を指差した。
「そっちに座るといい」
「はぁい」
 マナが向かいの席に座ると、お坊ちゃんが尋ねてきた。
「お嬢さんはどちらまで?」
 自分みたいな女児に『お嬢さん』なんてと思いつつも、マナは悪い気はしなかった。小さくてもレディなのだから。
「四季の森に行って欲しいのだけれど?」
「爺、聞いていただろう? 向かってあげたまえ」
《四季の森まで行っておりますと、開演の時間に間に合いません》
 その声は備え付けのスピーカーから響いていた。
《お母上は紅葉[クレハ]様とオペラを観るのを楽しみにしておいでです》
 お坊ちゃん――紅葉はため息をついた。
「くだらない。次のもすぐに交代になるのは目に見えてる。今回の母上が父上と1年以上持つなら仲良くすることも考えるけど、父上はすでに他の女に気が向いているよ」
 複雑な家族事情があるらしい。
 車はすでに走り出していた。使用人が無言になったことから、四季の森に向かっている違いない。
 紅葉はマナの瞳を射るように見つめた。
「まだお嬢さんの名前を聞いていなかった」
「私の名前はマナ」
「そうかマナか。僕の名前は秋影紅葉[アキカゲクレハ]と言う」
 この街で秋影と言ったら、マナはこれしか知らなかった。
「もしかして秋影コーポレーション!?」
「父は父、僕は僕」
「すっごいお金持ちの御曹司なのねぇん」
 このときマナは幼いながらも色目を使っていた。
 秋影コーポレーションは帝都で80パーセント以上のシュアを誇る医療メーカーだ。手術器具から、福祉などもやっているが、その売り上げの大半は薬品関係である。
 帝都特有の妖物やウィルスを研究して作られた薬品が主で、それが生み出す経済効果は計り知れない。そのため、帝都政府の取り締まりは厳しく、妖物の肉片一つでも外に持ち出すのは大変困難である。
 リムジンは順調に区を跨ぎニーハマ区に向かっていた。
 四季の森が近づいてきたところで、紅葉がマナに質問した。
「ところで四季の森になにをしに行くんだい?」
「冬の泉で魔導具の材料を手に入れるのよぉん」
「四季の森に入る気なのか、そこが迷いの森だと知って?」
「こう見えても私は魔導士なのよぉん」
 それは魔導法衣着ているので一目瞭然だ。
 やがてリムジンは四季の森の近くに停車した。
 リムジンを降りるマナに紅葉が身を乗り出して声をかける。
「無事に帰ってきたら成果を教えて欲しい」
「無事に帰ってくるに決まってるじゃない」
「僕の名刺を渡しておくよ」
 電子名刺を受け取ったマナは軽く手を振って、走り去るリムジンの背中を見つめた。
 視線を落とし、手に持った名刺を眺める。
 電子情報として表示される紅葉の経歴に、博士号取得の文字が羅列していた。

 四季の森に入って5分。
 すでにマナは迷っていた。
 舗装されたまっすぐの一本道。左右には木々が先が見えないほどに生い茂っている。
 後ろを振り返ると、地平線の先まで道が続き、その先に建物などの影はない。
 前を再び向いても同じ。
 道の先になにも見えないのだ。
 まるで永遠ループの道を通ってる気分だ。というより、おそらく永遠ループにはまってしまったのだろう。
 左右の森に足を踏み入れるという選択肢も残っている。
 足を止めたマナは後ろに気配を感じ、そっと振り返った。
 思わずマナは目を丸くした。
「何時の間に私の後ろに?」
「それは難しい問題だわ」
 そこに立っていたのはセーフィエルだった。
 突然、セーフィエルは手を振り上げ、マナの頬を叩こうとした。
 驚いたマナは避けるヒマもなく、そのビンタを喰らうはずだったのだが、どうしたことか、セーフィエルの手はマナの頬を通り抜けてしまったのだ。
「叩こうとしてごめんなさい。でも、百聞は一見にしかずというでしょう」
「どういうことなのぉん?」
「同じ場所にいるように見えるけれど、時間軸と空間軸が違うのよ。わたくしはマナよりも、ずいぶん先を歩いているの。わたくしはもうすぐこの一本道を出れるもの」
「前も後ろも同じ道なのに、どうやって出るの?」
 セーフィエルは振り返って後ろを指差した。
「まずは後ろに進むといいわ。マナのために印を残してあげたから」
「印?」
「そう、印。道しるべ。まずは後ろに進むの、するとやがて五芒星の印が地面にあるわ。それを一歩通り越し、次は前に進むの。するとまた五芒星があるから通り越して、また後ろに進むのよ。それを繰り返せば道の先に出ることができるわ」
「本当に?」
 マナはセーフィエルを疑った。どうして、ここまで親切にしてくれるのかわからない。先ほども道具を分けてもらったが、すべて罠かもしれない。
 セーフィエルはマナに答えを返せず消えた。数歩を歩いたセーフィエルが忽然として消えたのだ。別の時間軸、別の空間に移動してしまったに違いない。
 少し考えたマナはセーフィエルの言ったことを実行することにした。信じたわけではないが、このままヒントもなしで歩いていても意味がないと判断したのだ。
 後ろに進みはじめて100メートルほど、そこでマナは地面に描かれた五芒星を見つけた。砂の上に指で描いたような五芒星。これがきっとセーフィエルの言っていた印だろう。
 その印を一歩通り越しすと、あったはずの五芒星が消えた。つまり空間軸が変わったのだ。
 次にマナは来た道だったはずの道を進んだ。するとしばらくして、また五芒星の印を見つけ、同じことを繰り返した。
 だいたい5回くらい同じことしただろうか?
 今度はなかなか五芒星が見つからない。
 もしかしたら、罠にはめられたのかもしれない。
 後ろを振り向き引き返そうか考えたが、もしかしたらあと少し前に進むだけで脱出できるかもしれない。
 マナは引き返さず進み続けた。
 すると地平線しか見えなかった道の先に、なにか別の光景が見えてきたのだ。
「やったわぁん!」
 マナはまっすぐの一本道を抜け、泉のすぐ近くまで来ることができたのだ。
 すぐ先にある泉にマナは走って向かった。しかし、驚いたことに、泉の水がからっぽなのだ。
 地肌を見せる泉。
 ただの巨大な穴がそこにはあった。
 もしかしたら、泉はまだ先なのかもしれない。
 マナは辺りを見回したが、今来た道以外に道はない。周りは森に囲まれてしまっている。
「あらぁん?」
 マナの目に映るセーフィエルの姿。
 木の根元にもたれて目を瞑るセーフィエルの姿。
 近づいてみると、セーフィエルは静かな寝息を立てて眠っているようだった。
 セーフィエルの近くには皮袋がある。
 その皮袋を見たマナはそーっとセーフィエルに近づき、その袋の中から三日月の器と銀の髪飾りを取り出し、自分の持っていた物と取り替えてしまった。
 自分が渡された物が偽者でも、相手の持っている物と取り替えてしまえば、大丈夫だろうとマナは考えたのだろう。
 そっとセーフィエルの近くを離れたマナは背筋に悪寒を感じた。
 罪悪感やセーフィエルが放ったものではない。
 森の気温が下がったのだ。
 赤く色づいていた森が葉を落とし、どこかで水のせせらぎが聴こえた。
 急いでマナが泉に近づくと、そこには先ほどまでなかった水があった。
 マナは急いで手に持っていた三日月の器で泉の水を掬おうとした。だが、いくら器の中に水を入れようとしても、蒸発して消えてしまうのだ。
「駄目よマナ」
 後ろで声が聴こえ、マナは驚いて振り向いた。
「セーフィエルちゃん!?」
「わたくしが持っていた道具と取り替えたでしょう。全て知っているわ」
「う゛っ……」
「それは偽物なの。あなたを試したのよ」
 なんとセーフィエルは、マナが自分の道具と取り替えることを見越していたのだ。
 セーフィエルは自分が持っている三日月の器で、冬の泉の水を汲み取り、それを銀の髪飾りで梳いて清めると、持っていた子瓶に移し変えてマナに渡した。
「これはマナの分」
「えっ?」
「差し上げるわ」
「どうして?」
 セーフィエルは答えなかった。
 換わりに道を指差し、
「帰り道は楽よ。トラップはなにもないから、道を進めばすぐに出口に出れるわ」
「どうして私に親切にしてくれるの?」
 やはりセーフィエルは答えず、先に道に行ってしまった。
 残されたマナはセーフィエルから受け取った子瓶を眺め、これが本物なのか疑った。

 マナは無事に冬の泉で材料を調達し、手こずったが加工してアミュレットを作ることに成功した。
 出来立てをすぐにファウストの元に届けると、その部屋にはすでにセーフィエルがいた。セーフィエルに遅れを取ってしまった。しかし、肝心なのはアミュレットの出来具合だ。
 マナとセーフィエルのアミュレットは、ネックレスなどの装飾品に加工されていないため、楕円の宝石に見える。
 蒼い光を放つ塊。二人の作ったものは、見た目ではまったく同じに見える。
 ファウストは二人からアミュレットを受け取り、両手に分けて握り締めた。
「さて、今から私が二つのアミュレットに、同じ力を同時に加える。先に壊れた物を負けとする。いいな?」
 問われた二人は頷いて見せた。すると、ファウストを取り巻いていた気が変わった。
 物理的な力ではなく、魔導をファウストの両手に集中される。
 魔導による負荷を徐々に加えていき、先に耐えられなくなったアミュレットが壊れる。
 ピキッとひび割れる音がした。
 どちらのアミュレットか?
 マナの物は右手、セーフィエルの物は左手。
 再びひび割れる音がした。
「勝者が決まった」
 ニヤリと嗤い、ファウストが両手を開いて見せた。割れて砕けていたのは、左手に握られていた物。
「やったわぁん、私の勝ちよ!」
 喜ぶマナはファウストから自分のアミュレットを奪い取り、ペットを愛でるように頬擦りをする。
「おほほほ、やっぱり私には魔導具を作る才能もあるのね!」
 上機嫌のマナはスキップをしながら部屋を出て行ってしまった。ファウスト見返すことも忘れ、そのファウストがしゃべる前にだ。
 長い前髪を掻き上げたファウスは横目でセーフィエルの瞳を見つめた。
「イカサマにも気づかぬとは、マナの修行は基礎からだな」
「さすがはお師匠様。お気づきになられていたのですか?」
 意味深なことを言うセーフィエルにファウストは頷いた。
「マナが持ってきた物は、おまえが作った物だな?」
「はい、その通りです」
「魔導具には多少なりとも、製作者の気が混じる。おまえが持ってきた物がマナの作ったものだな?」
「マナが目を放した隙に取り替えました」
 実は、マナが自分は作ったと思い込んでいるものが、セーフィエルの作ったアミュレットだったのだ。
「どうしてそんな真似をした?」
「彼女は虚栄を実力に、傲慢さが彼女のエネルギーソースです。自身さえあれば、彼女の魔導は磨きがかかります」
「ふむ、だかが私はマナの祖父から傲慢さを治して欲しいと言われたのだがな」
「今はまだ早いと思います。落ち込んだり、愚かさを知り、それを力に変える精神はまだマナに培われていません。今、彼女は挫折したら、立ち直れなくなりますわ」
 ファウストはしばらく黙ってしまった。
 なんて恐ろしい娘を弟子にしてしまったのだろうと思った。
 本当に見た目の年齢だけを、この娘は重ねているのだろうか?
 幼い女児の思考とは到底思えない。
 しばらく黙っていたファウストが重い口を開いた。
「どうして私の弟子になった?」
「学ぶことがあるからですわ」
 本当にそうなのだろうか?
 教えられずとも、セーフィエルは学ぶ力を持っているように思える。
 セーフィエルは三日月の口で微笑んだ。
「まだお師匠様は、わたくしよりも格が上ですもの」
「おまえは私を越えるか?」
「いつか必ず」
 ニッコリと微笑んだセーフィエルは一礼して、この部屋を静かに出て行った。

 二人の魔女(完)


 【あとがく2】

 今回のお話にゲストで紅葉クンが出てきました。
 現在では白衣にロンゲの教授様ですが、当時はダッサイ格好してたんですね(笑

 セーフィエルの行動原理が不可思議です。
 マナちゃんの性格曲がってます。
 今回のファウストは普通でした。

 マナとセーフィエルの修行時代のエピーソードはいろいろありそうで、考えるの楽しそうですが、それは機会があったときに執筆します。
 マナちゃんの過去の話といえば、『黒猫の呪い』の話がありますね(ブラック・キャット参照)。それには夏凛ちゃんも絡んでくるので、エデンと夏凛の章のどちらでしましょうかね。

 現在のマナちゃんはセーフィエルのことを苦手にしているみたいです。
 きっと修行時代にいろいろあったのでしょう。
 でも、全部先に仕掛けるのはマナだったのでしょうね(笑

 この話の時間軸はおよそ15年前くらいです。
 そのときに他のキャラたちがどんなことをしていたかと言うと――。
 今回登場した紅葉クンは執事が傍にいるような暮らしをしてました。弟の蜿クンはこのころからやんちゃらしく、まだこのときは〈蛇〉の呪いは発症してません。
 雪兎クンは小学生で、妹の命は実はマナちゃんより年下だったり。
 ハルナは立ち歩きができるようなったあたり。
 真クンはサイバーフェアリーのHNでサイバーテロをやってました。ちなみに小学生です。
 時雨クンはというと、ヒミツです(笑

 ・・・>>>秋月愬夜でしたo


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