Remake Episode 09

第9話 闇の子の声

第三幕 裁きの門とタルタロス

 その夜、シグレは眠ってはいけなかった。

 ハルナにはそう言われた。

 マナにも言われた。

 クレハにも「研究上、今の君が睡眠に落ちると大変興味深く、同時に大変危険だ」と言われた。

 シンには「寝落ちした瞬間に都市情報網が変な方向へ引っ張られる可能性があるから、できれば寝ないで。僕の端末が死ぬ」と言われた。

 アリスには、もっと静かに言われた。

「シグレ。眠る場合は、事前に私へ通知してください。接続遮断補助を試行します」

 つまり、全員が口を揃えて寝るなと言った。

 だからシグレは、ホウジュ区の雑貨店《時雨堂》のこたつに入り、濃いお茶を飲み、ハルナが用意した眠気覚ましの梅昆布茶まで飲み、目を開けたまま耐えていた。

 耐えていた。

 耐えていたはずだった。

「テンチョ」

 ハルナの声が聞こえた気がする。

「寝ないでくださいね」

「寝てないよぉ」

「目、閉じてます」

「これは、まばたきが長いだけ」

「十分以上続くまばたきは睡眠です」

「帝都では個人差として認められないかなぁ」

「認めません」

 そんなやり取りの途中で、世界の音が薄くなった。

 こたつの熱が遠ざかる。

 ハルナの足音が遠ざかる。

 棚の上の蛇型風鈴の音も、女帝ヌルの聖像の冷たい視線も、時雨堂の古い木の匂いも、すべてが水の向こうへ沈んでいく。

 シグレは目を開けようとした。

 だが、瞼の裏に黒い海が広がっていた。

 また、落ちる。

 死都東京の駅ではない。

 タルタロスでもない。

 いや、タルタロスに近い。けれど、前に見た鎖の上よりもさらに深い。

 そこは、声だけの場所だった。

 光はない。

 地面もない。

 風もない。

 ただ、遠いノイズがある。

 ざざっ。
 ざざざっ。
 ざ――。

 古い受信機が、どこにも存在しない放送を拾おうとしているような音。

 シグレは暗闇の中に立っていた。

 自分の身体があるのかどうかも曖昧だった。手を伸ばせば手はある。息をすれば胸は動く。だが、輪郭が薄い。夢の中の自分は、現実よりも簡単にほどけてしまいそうだった。

『……ノ……』

 声が聞こえた。

 遠い。

 ひどく遠い。

『ノ……イ……ン……』

 シグレは答えなかった。

 答えてはいけない。

 わかっている。

 夢で声に返事をすれば、声は道を見つける。

 だから黙る。

 けれど、声はもう道を見つけていた。

『聞こえた……やっと……聞こえた……』

 前に届いた声と同じだった。

 ホウジュ区の怪異を斬った時、タルタロスの奥からこちらへ伸びてきた声。

 闇の子。

 ヌルの半身。

 タルタロス最深部、邪柩の中に封じられた存在。

 シグレは、その名をまだ声に出していない。

 それでも、相手は彼を見つけている。

『ノイン……ノイン……?』

 違う。

 胸の奥で、そう思う。

 シグレはノインではない。

 シオンでもない。

 そのことは、鎖につながれた少女が教えてくれた。

 あなたは、わたしではないのね。

 だから、シグレは黙っていられなかった。

「違う」

 声に出した瞬間、暗闇全体が震えた。

 ざざっ。

 ノイズが激しくなる。

『ちが……う……?』

「ボクは、ノインじゃない」

『ノイン……では……ない……』

「シグレ」

 自分の名を言う。

 暗闇の奥で、何かがそれを反復する。

『シ……グ……レ……』

 呼ばれた瞬間、背筋が冷えた。

 自分の名前が、タルタロスの闇に記録されるような感覚だった。

 それでも、シグレはもう引けない。

「君は、闇の子?」

 沈黙。

 いや、声にならない音が増えた。

 いくつものノイズが重なり、ようやくひとつの意思に近づく。

『闇……と……呼ぶ』
『子……と……呼ぶ』
『ヌルが……そう……名づけた』
『光では……ないもの』
『秩序では……ないもの』
『閉じる……ための……名前』

「君とヌルは、双子なの?」

『双子……』

 声が笑った。

 笑ったのだと思う。

 だが、その音は、岩が軋む音にも、海底で泡が弾ける音にも聞こえた。

『人の子の……言葉』
『ふたつ……あるなら……双子』
『ちがう』
『もとは……ひとつ』

 暗闇の中に、光が生まれた。

 小さな白い光。

 それは少女の形を取る。

 女帝ヌルに似ていた。

 いや、同じ顔かもしれない。

 しかし、その隣に、黒い影があった。

 白い少女と黒い影。

 二つであり、一つ。

『ひとつだった』
『光と……闇に……分かれた』
『ヌルは……形をつくる』
『都市を……つくる』
『名を……つける』
『法を……つくる』
『保存する』
『支配する』

 白い少女の周囲に、都市が築かれる。

 道路。
 塔。
 結界。
 魔導炉。
 夢殿。
 ヴァルハラ宮殿。
 祈る人々。

『ヌルは……地上に……王国を築いた』

 黒い影の周囲には、何もない。

 いや、何もないのではない。

 形にならないものが、すべてそこにある。

 壊れた夢。
 名前のない怒り。
 忘れられた痛み。
 死者の声。
 未完成の願い。
 都市の外へ押し出されたもの。

『わたしは……底へ』
『タルタロスへ』
『封じられた』

 鎖の音がした。

 シグレは、シオンを思い出した。

 鎖につながれた少女。

「シオンは」

 闇が震える。

『シオン……』
『ノイン……』
『痛い……子』
『光の楔』
『わたしを……刺す』
『泣いている』
『まだ……泣いている』

「君は、シオンを憎んでる?」

 声はすぐには返らなかった。

 暗闇の奥で、何かが考えている。

 考えること自体が苦しそうだった。

『憎む……?』
『ちがう』
『痛い』
『あの子も……痛い』
『わたしも……痛い』
『ヌルも……眠る』
『みんな……動けない』

 シグレは息を呑んだ。

 闇の子の声は、怪物の咆哮ではなかった。

 世界を壊す悪意でもなかった。

 もちろん、無害ではない。

 この存在が完全に目覚めれば、帝都エデンも死都東京も、世界そのものも壊れるかもしれない。

 それでも、その声は、ただの破壊衝動ではなかった。

 封じられた半身が、痛みの中で途切れ途切れに喋っている。

 接続不良の神託。

 壊れた受信機から聞こえる、神の寝言。

『ノイン……では……ない』
『でも……ひびき……ある』
『シオンの……欠片』
『門が……聞く』
『門が……呼ぶ』

「裁きの門?」

『門……』
『閉じている』
『でも……座標……揺れる』
『信じる者たちが……叩く』
『間違えて……叩く』
『聞こえない……声を……聞いたと……言う』

 シグレの胸がざわついた。

「D∴C∴?」

 暗闇が、低く唸った。

『小さな……耳』
『濁った……器』
『わたしを……呼ぶ』
『わたしの声では……ない』
『ノイズを……神にする』
『穴を……開ける』

 そこで、闇が裂けた。

 シグレは目を覚ました。

 時雨堂のこたつではなかった。

 自分は床に倒れていた。

 ハルナが泣きそうな顔で覗き込んでいる。

「テンチョ!」

「……ただいま?」

「ただいまじゃありません! 寝ないでくださいって言ったのに!」

「ごめん。まばたきが長くて」

「まだ言いますか!」

 ハルナの声は震えていた。

 シグレは起き上がろうとして、頭を押さえる。

 胸の奥がまだざらついている。

 闇の子の声が残っていた。

 ノインではない。

 でも、ひびきがある。

 門が聞く。

 信じる者たちが、間違えて叩く。

 店の通信端末が鳴った。

 ハルナが飛び上がる。

 シグレが出るより先に、端末からシンの声が飛び出した。

『シグレ、起きてる!?』

「今、起きた」

『最悪のタイミングで寝たね!』

「よく言われる」

『今だけは本当に褒めてない! D∴C∴の残党が動いた。ホウジュ区、カミハラ区、湾岸区、三か所で同時儀式。目的は闇の子の神託受信と、裁きの門の座標観測!』

 シグレは目を細めた。

「場所は?」

『一番大きいのは旧湾岸貨物駅跡。死都東京方面の結界線に近い。そこが本命っぽい』

「マナたちは?」

『向かってる。クレハ教授も。アリスちゃんもいる』

「アリスちゃんも?」

『止めたけど無理だった。マナがめちゃくちゃ怒りながら連れてる』

「想像できるなぁ」

 ハルナが黒いコートを持ってきた。

 何も言わない。

 ただ、シグレの前に差し出す。

「ハルナちゃん」

「行くんですよね」

「うん」

「知ってました」

 ハルナはマフラーも差し出した。

「でも、帰ってきてください」

「うん」

「知らない声に返事しない」

「もうちょっとしちゃった」

「テンチョ!」

「次から気をつける」

「次がないようにしてください!」

 シグレはコートを羽織った。

 ムラサメの柄を腰に差す。

 夢で聞いた声が、まだ耳の奥に残っている。

 D∴C∴は闇の子の神託を受けているのではない。

 ノイズを拾っているだけだ。

 だが、ノイズでも、門を叩くことはできる。

 旧湾岸貨物駅跡は、帝都エデンの境界にある。

 かつて東京湾沿いに伸びていた物流線の跡地。トキオ聖戦後、貨物駅は放棄され、帝都成立後に一部が封鎖された。現在はヨムルンガルド結界の外縁観測施設が近くにあり、一般人の立ち入りは禁止されている。

 だが、禁止されている場所ほど、怪しい者たちは集まる。

 夜の貨物駅跡には、古い線路が残っていた。

 錆びたレール。
 崩れかけたホーム。
 コンテナの残骸。
 結界監視灯の青い光。
 遠くには、死都東京方面を覆う巨大な結界光が見える。

 その下で、黒いローブの者たちが円陣を組んでいた。

 胸元には、歪んだ紋章。

 D∴C∴。

 かつて死都東京の混乱期に生まれた闇の子信仰集団。帝都政府により壊滅させられたはずだったが、残党は都市の影に潜り続けていた。

 彼らは祈っていた。

 いや、叫んでいた。

「聞こえる」

「闇の御子の声が聞こえる」

「女帝の光は偽り」

「死都の門を開け」

「楔を砕け」

「黒き神託に従え」

 その声は、熱に浮かされていた。

 彼らの中心には、古い通信機があった。

 魔導受信機、死都東京の残骸、旧地下鉄の案内板、女帝ヌルの聖像を黒く塗りつぶしたもの、そして人の影を集めたような黒い水晶。

 それらを無理やりつなぎ合わせ、巨大な受信祭壇にしている。

 そこから、ノイズが流れていた。

 ざざっ。

 ざざざっ。

『……ひ……か……り……』
『……いた……い……』
『……門……』
『……ちが……う……』

 シグレには、はっきりわかった。

 これは命令ではない。

 闇の子の神託でもない。

 苦しみの断片だ。

 だが、D∴C∴の構成員たちは、それを都合よく聞いている。

「光を壊せ、と仰せだ!」

「門を開け、と仰せだ!」

「女帝の都市を黒き海へ返せ!」

 マナが貨物コンテナの影からそれを見て、低く吐き捨てた。

「最悪」

 彼女の隣にはアリスがいる。胸元の結界回路が薄く光り、死都方面の位相を読み取っている。

 クレハは後方で端末を操作し、シンは通信越しに各区の状況を送ってきていた。

『ホウジュ区とカミハラ区の儀式は警察と大学警備部で抑えた。でも湾岸は本命だ。そこ、裁きの門座標に一番近い場所へ儀式線が重なってる』

「裁きの門の座標って、そんな簡単に出るものなの?」

 マナが聞く。

『普通は出ない。でもヨムルンガルド結界が揺れてる。シグレの残響、アリスちゃんの未登録回路、セーフィエルの干渉、D∴C∴の儀式、全部が嫌な感じに共鳴してる』

「嫌な感じ、便利な言葉ね」

『便利じゃなくて、本当に嫌なんだよ』

 シグレが遅れて合流した。

 マナは振り返るなり、眉を吊り上げた。

「シグレ! あなた、寝たでしょ!」

「寝てないよぉ」

「嘘!」

「夢を見ただけ」

「それを寝たって言うの!」

 アリスが静かに付け加える。

「シグレの発言は、事実の言い換えによる回避です」

「アリスちゃんが厳しい」

「マナ様から学習しました」

「学習の成果が出てる」

 こんな状況でも一瞬だけいつもの調子が戻る。

 だが、すぐに空気は冷えた。

 D∴C∴の儀式が進行している。

 黒い水晶が、死都東京方面の結界光を吸うように脈打ち始めた。

 クレハが叫ぶ。

「まずい。あの受信祭壇、ノイズを増幅しているだけではない。ヨムルンガルド結界の外層に反射させている」

「どういうこと?」

 マナが問う。

「闇の子の声を聞こうとしているのではなく、自分たちの解釈した神託を結界へ返している。反響で門の座標を浮かせる気だ」

「間違った神託で門を叩いてるってこと?」

「そうだ」

「馬鹿なの!?」

 クレハは真顔で言った。

「信仰と馬鹿は、時に区別が難しい」

「今は哲学いらない!」

 シグレはムラサメを抜いた。

 青白い光刃が、夜の貨物駅跡を照らす。

「止めよう」

「ええ」

 マナが短杖を構える。

「アリスは後方支援。絶対に前に出ない」

「了解しました。ただし、局所結界補助が必要な場合は前進します」

「前に出ないって言った直後!」

「条件付き了解です」

「そこは成長しなくていい!」

 D∴C∴の構成員が、シグレたちに気づいた。

「女帝の犬だ!」

「光の側の魔導士!」

「楔の残り香がいる!」

 その言葉に、シグレの胸が痛む。

 楔の残り香。

 彼らは正しく理解していない。

 だが、何かを感じ取っている。

 シオンの残響。
 ノインの剣筋。
 裁きの門へ通じる鍵。

「シグレ、挑発に乗らない!」

 マナが叫ぶ。

「乗ってないよ」

「顔が乗りかけてる!」

「わかりやすいなぁ、ボク」

 構成員たちが影の獣を放った。

 黒い犬のような怪異。
 顔のない鳥。
 旧東京の駅名を刻んだ鎖。
 歪んだ切符の群れ。

 それらは闇の子の力そのものではない。

 死都東京の残響をD∴C∴が儀式で無理やり形にしたものだった。

 粗い。

 汚い。

 痛々しい。

 シグレは踏み込む。

 ムラサメが黒い犬を斬る。
 マナの金色術式が鎖を焼く。
 クレハの投げた封印針が受信祭壇の補助具を停止させる。
 アリスは後方で、結界の乱れを抑えながら全員の位置を読み上げる。

「右後方、影鳥三体。マナ様、頭上です」

「了解!」

「シグレ、足元に旧駅名型拘束術式」

「見えた」

「クレハ先生、受信祭壇左側の旧通信機が主増幅器です」

「よく見ている。褒めよう」

「ありがとうございます。褒められました、マナ様」

「今報告しなくていい!」

 戦闘の中心で、シグレはD∴C∴のリーダーらしき男と対峙した。

 黒いローブの下、男の顔は痩せている。目は血走り、耳元には古い受信機の部品が埋め込まれていた。皮膚には黒い文字が刻まれている。

「聞こえるか」

 男が笑う。

「闇の御子の声が。光に奪われた真実が。女帝の偽りを裂く神託が」

「それ、神託じゃないよ」

 シグレは静かに言った。

「ノイズだ」

 男の笑みが歪む。

「女帝の犬が何を知る」

「君たちよりは、少し聞こえた」

「嘘だ!」

「闇の子は、光を壊せなんて言ってない。門を開けとも言ってない。痛いって言ってた。聞こえないって言ってた。君たちは、それを自分たちの怒りに変えてるだけだ」

 男の顔が怒りに染まる。

「黙れ!」

 黒い水晶が脈打つ。

 儀式陣が完成しかけている。

 シンの声が通信に割り込んだ。

『シグレ、止めて! 座標が浮く!』

 クレハが叫ぶ。

「祭壇中心を斬れ! ただし深く斬りすぎるな、反動で門が開く!」

「難しい注文だねぇ!」

 シグレは走った。

 D∴C∴構成員たちが立ちはだかる。

 マナが術式で道を作る。

「行って!」

 アリスの胸元の円環が強く光る。

「局所結界固定。三秒間、反動を抑えます」

「三秒で十分!」

 シグレは跳んだ。

 祭壇の中心、黒い水晶。

 そこに、闇の子のノイズとD∴C∴の願望が絡まり、裁きの門の座標を叩いている。

 斬る。

 壊すのではない。

 ほどく。

 ムラサメの刃が、青白く細くなる。

 まるで、ノインの剣筋が手を導くようだった。

 シグレは黒い水晶を斬った。

 音が消えた。

 次の瞬間、旧湾岸貨物駅跡の空間が割れた。

 ほんの一瞬。

 儀式は止まった。

 だが、止まる直前に、目的の一部を果たしてしまった。

 空中に、巨大な門の輪郭が浮かび上がる。

 古い駅の改札にも似ていた。
 神殿の門にも似ていた。
 処刑場の入口にも似ていた。

 裁きの門。

 死都東京の中心にあるはずの門の座標が、一瞬だけ現世に浮上した。

 そこにあったのは、形ではない。

 位置だった。

 どこにあるのか。
 どう呼べばいいのか。
 何を鍵にすれば応答するのか。

 その情報が、夜空に焼きついた。

 シグレの胸が焼けるように痛む。

 アリスが悲鳴に近い声を上げる。

「座標情報、外部へ漏出!」

 マナが叫ぶ。

「誰に!?」

 答えは、すぐにわかった。

 月光が差した。

 貨物駅跡の壊れたホームの上に、白い光が立つ。

 セーフィエルではない。

 彼女の姿はない。

 だが、その魔導は確かにそこに触れた。

 月光の糸が、裁きの門の座標を絡め取る。

 クレハが端末を睨む。

「セーフィエルだ。座標を拾われた」

 D∴C∴の男が笑った。

「門が、門が応えた!」

「違う」

 シグレは低く言った。

「君たちが呼んだんじゃない」

 男はまだ笑っていた。

 だが、その笑いはすぐに凍る。

 黒い水晶が砕け、儀式陣が逆流した。

 D∴C∴構成員たちは次々と倒れた。死んではいない。だが、影を削られ、神託だと思っていたノイズに意識を焼かれ、うわ言のように駅名を呟いている。

 シグレは彼らを見た。

 怒りはある。

 しかし、哀れみもあった。

 闇の子を理解していない者たち。

 自分の怒りを神の声に変えた者たち。

 そして、その誤読すら、門を揺らす材料になってしまった。

 夜空の門の輪郭は、すぐに消えた。

 だが、消えたからといって、なかったことにはならない。

 セーフィエルは見た。

 裁きの門の座標を。

 月光の糸は、遠くへ伸びていく。

 死都東京ではない。

 夢殿でもない。

 どこか、月の届く場所へ。

 その場所で、セーフィエルは一人、白い地図を見ていた。

 地図の中央に、裁きの門の座標が浮かび上がる。

 彼女の指が、そっとその光に触れる。

 その顔は、魔女のものではなかった。

 反逆者でも、敵でも、研究者でもなかった。

 ただ、長い長い時間、娘の居場所を探し続けた母の顔だった。

「見つけたわ、シオン」

 セーフィエルは囁いた。

 月光が、彼女の頬を白く照らす。

「今度こそ迎えに行く」

 帝都エデンの夜が、静かに軋んだ。

 ヨムルンガルド結界の蛇が、尾を噛む力を少しだけ弱める。

 死都東京の中心で、見えない門が目を開ける。

 そして、タルタロスの底で。

 闇の子が、途切れ途切れに笑った。