Episode 02

第2巻 電波系大神官の復讐

大魔王遣いヒイロ

 ――二〇XX年、日本に大魔王襲来。
 3日のうちに日本列島を制圧した。

 でも、市民レベルの生活はそんなに変わらないんですけどね!

 しかし、中には人生を変えるほどの〝チカラ〟を手に入れる者たちもいた。
 人々はその能力者たちをこう呼んだ――ニュータイプと。

 彼の名前はヒイロ……に敗北したブラックファラオ。
 元モッチャラヘッポロ教の大神官である。
 彼の人生はある男との出遭いで一変してしまった。そう、忘れもしない憎き貧乏少年覇道ヒイロ15歳、負けず嫌いで虚栄心、うるさい騒がしい暑苦しい、実はネクラでお金に過敏症のあの少年。
 そうだ、すべてはあの少年のせいだ。
 ヒイロの悪質きわまりないハレンチな戦法により、すっぽんぽんにされて敗北して以来、Bファラオの人生はすってんころりん転落ばかり。
 小指をタンスの角にぶつけるところからはじまり、野良犬に吠えられ追いかけられ、ドブにはまって気づけばサイフを落とす。
 持っていた株は大暴落、教団の支部が住民トラブルの末に警察沙汰に、その支部から大砲(人間ロケットをするため)が発見され、銃刀法違反で摘発、教団は強制解体を余儀なくなくされた。
 追い込まれたBファラオは隠していた資産を使おうとしたが、隠し場所を忘れしまったというウッカリさん。のちに犬の散歩していたサラリーマンに発見された。が、裏金なので名乗るに名乗り出れずに今に至る。
 ヒイロに負けて以来、Bファラオは疫病神に憑かれたように不幸の連続だった。
 今日もここに来る途中、犬のフンを踏むというお約束をしてしまった。
 ちなみに〝ここ〟とはファミレス――の厨房。つまり厨房スタッフのバイトということだ。
 バイトの面接時点で落とされる。むしろ履歴書送った時点で容赦なく落とされる。そんなBファラオがやっと思いで見つけたバイト……のようなもの。
 というか、ここに食べに来て皿を割って皿洗いというベタ。
 さらに実は無銭飲食しようとしていたところを捕まり、警察に通報されたくなきゃ働けと個人経営のファミレス店長(54歳・独身・男性)に脅された。
 厨房でさらに皿を割ったBファラオが、加熱したフライパンでぶん殴られた。
「ぼさっとしてねえで働け!」
「にゃーッ!!」
 髪が焦げたBファラオは水を張った流し台に頭から突っ込んだ。顔を上げたら水浸し、泡まみれ、口からシャボン玉を吐き出す始末。
 Bファラオは拳を握りぐっと怒りを静めた。
「……なんでボクがこんな目に……でもいいさ、もう復讐してやったもんね」
 チラッとBファラオが視線を向けたのはカレーを煮込んでいる深底鍋。ルーから作る本格派。ファミレスっていうか定食屋。
 でも店長(オッサン)がファミレスと言い張ってるのでファミレスなのだ。
 そうそう話を戻そう。
 なぜ鍋に視線を向けたのか?
 それは……それは……ここでは言えない、言えやしないよ、あんな恐ろしいこと。
 まさか鍋の中にアレを入れたなんて……口が裂けても言えやしないよ。
 ふふふっと含み笑いをしていたBファラオのケツが蹴っ飛ばされた。
「ボサッとしてねぇーでゴミ捨ててこい!」
 残飯が詰まったゴミ袋を3つも渡された。
 ……これって逃げるチャンス!?
 猛ダッシュでゴミ捨て場に向かった。
 ゴミ捨て場は店の裏にある。
「食べ物を捨てるなんてもったいないなぁ。ゾンビーたちのエサになるのに」
 なんて言いながら律儀にゴミを捨てるBファラオ。さっさと逃亡しちゃえばいいのにね。
 しかし、こんな善行が思わぬ幸運を呼んだ!
 ゴミを捨てたついでにゴミを漁るBファラオ。まるでホームレスのような行動だが、彼は何かを感じてその場所を探しているのだ。
 そう、生ゴミには食べられる物と食べられない物がある――雑草がそうであるように!
 そして、Bファラオが手に取ったのは食べられない物。
「……なんで……ボクを呼んでいたのはコレか……けど、どうしてこれがここに?」
 Bファラオが手に取ったのは古びた本だった。装丁は動物の皮を縫い合わせて作られており、得体の知れない恐怖感を放っている。
「まさにこれは……」
 その正体にBファラオは気づいていた。
 本から発せられる独特の雰囲気。恐ろしさで、じっとりとした汗を背中に掻く。本自体が力を持っている、まさに魔導書であった。
 ゆっくりと本を開いたBファラオが驚愕する。
「なんてことだ……日本語だって!? ありえない、この本の日本語訳が存在しているなんて、いったいどこの狂人が書いた?」
 Bファラオは手に汗を握った。それだけではない。汗だけではない、このしっとりした感覚。
 なんと魔導書が汗を掻いていたのだ!
「おい、ゴミ捨てまだ終わんねぇーのかっ!」
 突然の声。
 Bファラオはビックリして振り返った。
 そこには顔を真っ赤にして噴火寸前の店長の姿が……。
 Bファラオは「いち」「にの」「さん」で全力逃亡。
「覚えてろよ、ボクに皿洗いなんてさせたこと一生後悔させてやる!」
 そんな捨て台詞を残したBファラオの背中に飛んでくる中華鍋。
 ゴン!
 鈍い音を後頭部に喰らって一発KOしちゃいました。
 さよならBファラオ!
 こうして、気絶したBファラオはオッサン(店長)に引きずられ、110番で駆けつけた警察に引き渡されるのだった。

 大魔王遣いヒイロ~電波系大神官の復讐!(完)

 復讐する前に完!

 自称ファミレスの定食屋にやって来たヒイロ。
 貧乏なヒイロがひとりで飲食店に来るわけがない。
 これにはトリックがあるハズだ!!
 同席しているのは華那汰と、そしてミサ。
 ヒイロはニヤニヤしながらミサを見ていた。
「本当にいいんだな?」
「ええ、ほんのお礼よ」
 静かにミサは微笑んだ。いつもどおりサングラス装備なので、微笑むと全部怪しく見えるのは仕様だ。
 ミサの隣の座っていた華那汰はちょっと恐縮していた。
「あのぉ、あたしまでいいんですか?」
「ええ、華ちゃんも一生懸命探してくれたでしょう?」
 そう言いながらミサは自分のケータイを制服のポケットから出した。
 小一時間ほど前にさかのぼる――。
 ヒイロと華那汰はミサが部長を務める心霊研究部にやって来た。
 そこで起きたケータイ失踪事件!
 ミサいわく、『どこかに行ってしまったの』というケータイ。何気ない一言だったが、のちのちヒイロと華那汰はその言葉の意味を知って驚愕することになった。
 ケータイを見つけたのはヒイロだったが、そのケータイがあった場所というのが!!
 ヒイロの白い学ランのポケットだったのだ。
 これについて華那汰は疑いの眼差しでヒイロを見つめ、疑われたヒイロは『貧乏人を見るような眼やめろよ。母ちゃんからつまみ食いはいいけど、人様の物は盗んじゃいけないって言われて育ったんだからな!』と涙目で訴えた。
 それでもポケットから出てきてしまったのだから、どー考えて疑わしい。
 が、ミサはすんなりとヒイロのことを信じた。
『ありがとう覇道君。この部室にいるといつも勝手にどこかに行ってしまうのよね、私の持ち物』
 このとき、ヒイロと華那汰は強烈な寒気を感じた。
 この世には人間が踏み行ってはいけない領域がある。
 決して聞いてはいけない話。
 ヒイロと華那汰は互いに笑顔で向き合い、無かったことにした。
 ――そして、今に至る。
 ケータイを見つけてくれたお礼と言うことで、なんでも好きな物をおごってあげるというミサの申し出で、ヒイロは念願の夢の1つを叶えようとしていた。
 テーブルで待っていると、しばらくして深底鍋が丸々運ばれてきた。
「カレーを鍋一個分食うのが俺様の夢だったんだ!」
 好きな物を好きなだけ食べてみたい。
 誰もが一度は願ったことがあるかのかないのかわからないが、比較的ポピュラーな願望と言えよう。だが、意外にやってみるとあまり食べられなかったり、好きな物だったのにイヤになるというトラップが仕掛けられている。
 しかし、バイキングのお店がなくならないように、その願望は絶えることはないのだ!
 というわけで、鍋ごとカレーに挑戦するヒイロ。
「食って食って食い尽くしてやるぜ! お前らには一口もやんねーからな!」
 意地汚さ全快のヒイロをじと~っとした眼で華那汰は見た。
「大丈夫、まったくいらないから(こんなのひとりで食べれるはずないじゃん)」
 冷ややかな態度を取って、華那汰はアイスクリームを食べはじめた。
 鍋はふたがされているが香辛料の匂いが漂ってくる。
 じゅるりとヒイロは口を鳴らした。
「よし、食うぞ!」
 オープン・ザ・ふた!!
「ギャ~~~ッ!!」
 ヒイロの悲鳴。
 それを聞いた華那汰も見た。
「キャーーーッ!!」
 魂を離脱させた華那汰に続いて、ミサは無言のままハンカチ片手におでこに手を当てて気を失った。
 騒然とする店内。
 Gが……昆虫戦士Gが……鍋の中から現れたのだ。
 しかもただのGではない。
 巨大なのだ。
 鍋の中身を食い尽くしたGは、丸々太って鍋いっぱいに収まっていた。
 このトラップを仕掛けたのは言うまでもない――ブラック・ファラオだ!
 だが、されたほうも、したほうも、お互いがまさかヒイロとBファラオだったとは知るよしもなかった。
 なんたる奇遇!
 叫び声をあげてしまったヒイロだったが、すでに冷静さ――いや、怒りに燃えていた。
「この野郎、俺様のカレーを食いやがったな!」
 スプーンを構えたヒイロがGに立ち向かう。
 Gが羽ばたく!
 辺りに散乱するカレー。
 ちょっと見方を変えたらう○ちをまき散らしているように見える。
 悲惨だ!
 客がヒイロたち3人しかいなかったのは、ある意味幸運だったかもしれない。
 まさに戦場と化した店内で繰り広げられる死闘。こんな場所で凡人は生き残れない!
 Gがヒイロ目掛けて飛んでくる。小さいGですら飛んできたときの恐怖は壮絶だというのに、デッカイの飛んできたらG嫌いの人からしたら即死もんだ。
 だが、ヒイロは屈しないのだ。
 ヒイロをそうさせるのは貧乏で鍛えたハングリー精神。
 鳴かないコオロギだと騙されGを飼ってた幼少期の痛い思い出。
「お前らが絶滅した地球でも俺様は生き残って見せる!」
 ヒイロが繰り出したスプーンによる攻撃。
 見事Gの顔面に直撃した――が、ぜんぜん効いてない!?
 ヒイロの眼と鼻の先で、ドアップのGが歯をガチガチと鳴らしている。
 恐ろしい。
 恐ろしすぎる。
 もはやここまで来ると宇宙から来た外来生物だ。
 ヒイロはGのベタつく触覚を両手でつかみ、どうにか眼と鼻の距離で持ちこたえている。
 生であのウネウネする触覚をつかむなんて、恐ろしすぎる!!
 いくら消毒してももう手づかみで食べ物は食べられない。むしろ手を交換したい。そんなある意味偉業をヒイロを成し遂げたのだ。
 だが、ここでもしも触覚をつかまなければ、あの歯で生きたまま食い殺されるのだ。想像するだけでおしっこをチビりそうになってしまう。
 ヒイロは絶体絶命のピンチだ。
 脂ぎったGに押し倒され、少しでも触覚を握る手を緩めたら喰われる!
 追いやられたヒイロは助けを求めたいが、華那汰もミサも魂を離脱させたまま戻らない。
 しかし、運命の女神はヒイロに微笑んだ。
 厨房から現れた自称ファミレス(ホントは定食屋)の店長(54歳・独身・男性)が現れたのだ。
 フライパンを構えたオッサン(店長)がGに飛び掛かった!
「うぉぉぉぉぉぉっ!!」
 Gの硬い甲冑にクリティカルヒットを喰らわしたフライパン。
 床にひっくり返ったGを何度も何度もフライパンで叩きつぶす。
 完全にグロ画像だ。
 さすがのヒイロも精神衛生を犯され、気分が悪そうに壁にもたれかかった。
 そのときだった!
 店の中に雪崩れ込んできた白い集団。
 防護服に身を包んだその姿は、バイオハザードを意味していた。
 つまりバイオハザードとは、有害なウイルスなどによる重大な災害。
 しかし、突然変異のGが出現したとはいえ、早すぎる対応だ。
 フライパンを取り上げられたオッサンが連行されていく。
「なんだてめぇら、離せーっ!」
 隔離処理だ。
「有害生物と接触したその子も早く連れて行ってちょうだい」
 防護マスクを被った女の命令でヒイロも白い集団に拘束されてしまった。
「俺様まで、なんでだよミサ先輩!」
 そう、命令を出した声はミサだった。その手にはケータイが握られていた。つまり、この白い集団を喚んだのもミサだった。金持ちの特権を最大限に活用したのだ。
 こうして事件は終息へ向かうことになった。
 ちなみに店はこの日のうちに更地にされ、自称ファミレス店長はこの日以来行方不明だという。

 ぴーちくぱーちくスズメがさえずり、せせらぎのように爽やかなそよ風、朝日がサンサン眩しい日差し、そして住宅街を駆ける爆走少女。
「遅刻遅刻ぅ~っ!」
 今朝も遅刻街道まっしぐらの華那汰は、口にキツネ色のトーストをくわえ、ブレザーの袖に腕を通しながら走っていた。
 毎朝の強制的早朝マラソンを欠かさない華那汰だが、高校入学から早二ヶ月、今のところ一度も学校に遅刻したことがないのが彼女の自慢だ。
 学校への最終コーナーを曲がった直後、目の前に飛び込んできた人影!?
「危ない!」
 ドン!
 口にくわえていたトーストが宙に舞い、華那汰はアスファルトに尻餅を付いた。
「アイターッ!(ったく、いきなり飛び出して来たの誰よ!)」
 あられもない声をあげて、華那汰はお尻を擦りながら目の前にいる人影を見る。
 するとそこに立っていたのは陽の光を背中に浴びる長身の青年。
「(……ありえない)」
 心の中で華那汰は呟いた。
 まさか2ヶ月連続で同じ人物に登校途中に衝突するなんて……ヒイロだった。
 でも、なんだかいつもヒイロと違うような気がする。
 なんだかいつもより輝いて見える――恋愛的な意味じゃなくて。
「覇道くん……いつもより白くない?」
 そう、あの丈の短い白い学ランがいつもよりも白い!
 それだけじゃない。
 なんだか顔色も蒼白い。
「お前は気絶してたから知らないだろうけどな、いろいろあって大変だったんだからな!」
 昨日のG件(事件)のことだ。
 ヒイロは尻餅をついている華那汰に手を差し伸べた。いや、指を差した。
「パンチ見えてるぞ(白か)」
「…………っ!?」
 M字開脚をしてしまっていた華那汰が急いでスカートを押さえながら立ち上がった。
 限界突破の跳躍力で華那汰がヒイロに飛びかかる。
 通学鞄を大きく振りかぶった華那汰。
「このぉッ、変態魔神!」
 ドゴーン!
 顔面を鞄で抉られたヒイロがぶっ飛んだ。
 ウィナー華那汰!
 鞄で殴られ、塀に激突し、さらにアスファルトに強打したヒイロは、身動き一つしない。
 ……焦る華那汰。
「あれ……殺っちゃった?」
 てへっ♪と笑う華那汰の表情は清々しい。
「今日も良い天気だなぁ」
 見事に現実逃避した。
 ヌッとヒイロが立ち上がった。
「殺っちゃったじゃねーよ、天気も良くねーよ、心配するとか謝るとかねーのかよっ!」
 とりあえず殺ってなかったようだ。しかも空は今にも降ってきそうな暗い空。さらに謝らずに走り出す華那汰。
「遅刻遅刻ぅ~♪」」
「遅刻じゃねーよ、謝れよ!」
 ヒイロは華那汰を追っかけようとしたが、爆走少女は風のように住宅街を走り抜けて消えてしまった。
 すぐに体力ゲージが残り僅かになってしまったヒイロは、走るのを止めてトボトボと歩き出す。
 足のちょー早い華那汰で遅刻ギリギリでいつも登校しているのだから、このペースだとヒイロは確実に遅刻だ。むしろペースがどーこーよりも、華那汰と会ってる時点で遅刻確実だった。
「深夜からずっとバイトだったからな……」
 それが遅刻の原因だった。
「外国人の乗ったコンテナを下ろして、代わりに車を乗せて……俺様もあんなカッコイイ車に乗りたいなぁ」
 って、のんきにあこがれちゃってるが、そのバイトはもしかして……?
 そもそも高校生が深夜のバイトをしている時点で非合法じゃ?
 後ろからエンジン音が聞こえてきて、ヒイロは何気なく振り返った。
「そうそう、あんな感じの車が多かったよな」
 グングンスピードを上げて迫ってくる赤いスポーツカー。
「えっ?」
 ヒイロが眼を丸くした次の瞬間!
 ドゴーン!!
 ロケットのように空を飛ぶヒイロ。
 狭い住宅街の道を駆け抜けていくランボルギーニ・ディアブロ。
 見事なひき逃げだった。

 朝のホームルームの時間。
 教室は先生がなかなか来ないことをいいことに騒がしい。
 しばらくして教師室の前のドアが開いた。
 そして、颯爽とスーツに眼鏡で入ってきた20代前半の若い男。
 女子生徒たちの目つきが変わる。うっとりとして瞳を輝かせたのだ。
 男子生徒たちの目つきも変わった。女子の視線を掻っ攫った若い男への敵対心だ。
 教室中に『誰だ、誰だ?』という声が飛び交った。
 教室に入ってきたのは誰も見たことのない男。
 若い男は教壇の前に立った。
 このパターンは先月もあったような気がする。
「はじめまして、今日からこのクラスの担任になりました明星[アカボシ]ヒカルです」
 これまでクラスは副担任が臨時で担任をしていた。
 もともとの担任は交通事故で入院して、そのままいつの間にか行方不明。
 代わりにやって来た偽教師美獣アルドラは、あの事件以降学校を去ってしまった。
 そして、やっと新任の教師がやって来たのだ。
 明星は出席名簿を開いて眼鏡を軽く直した。
「それでみなさんの顔と名前を覚えたいので、ひとりずつ名前を呼んで出席を取ります」
 こうしてア行から順番に名前が呼ばれ、教室のあちこちから返事が聞こえた。
 順調に進んでいた出席確認だったが、ある名前のところで止まることになった。
「覇道ヒイロ君……覇道ヒイロ君はいませんか?」
 クラスを見回す明星だったが、返事をする者はどこにもない。ヒイロはまだ来ていなかったのだ。
「覇道ヒイロ君は欠席ですね?」
 欠席マークをつけようと明星がした直後、教室のドアが力強く開かれた。
「はいはい、俺様が覇道ヒイロだ!」
 勢いよく教室に駆け込んできたヒイロだったが、その姿を見て華那汰は唖然とした。
「なにアレ?(あたしに当てつけ?)」
 華那汰がそう思ったのは、包帯グルグル巻きの姿でヒイロが現れたからだ。
 ヒイロの姿を見ながら明星がふっと口元に笑みを浮かべた。
「君が覇道くんですか。私は今日からこのクラスの担任になった明星です」
「よろしく先生(新しい先生が来たってことは副担任のじいさんついに死んだか?)」
 勝手に人を殺すなヒイロ!
 自分の横の席についたヒイロをじとーっと華那汰は見つめた。まだ自分への当てつけだと思っているのだ。
「どうしたのそのケガ?」
「どうしたもねーだろ、お前に殴られたんだよ」
「はぁ? あたしそんな大けがさせたつもりありませんけどー?」
 悪い態度で華那汰が言うと、ヒイロも意地悪そうに笑った。
「ウソだよ。あのあと車にひかれてさ、保健室でタダで絆創膏もらおうとしたら、大したケガでもないのに包帯グルグル巻きにされたんだよ」
「普通車にひかれたら保健室じゃなくて病院でしょ」
「病院なんて行ったら金がかかるだろ!」
「(元気そうだし、まっいっか)」
 華那汰は溜め息を吐いてそっぽを向いた。
 ふと眺めた窓の外。華那汰はそこであるモノを見た。
 そこにちょうど校内放送が流れた。
《校庭に車を止めている方、お心当たりがございましたら、至急指定の駐車場に移動させてください。繰り返します――》
 放送を聞いた生徒たちが窓際に集まって校庭を眺める。
 ヒイロも野次馬根性を発揮して、誰よりも前に出て校庭を眺めた。
 そして、その〝赤い車〟を見てヒイロが叫ぶ。
「あがーっ! あいつだ、あの赤いヤツが俺様をひき殺そうとしたんだ!」
 その発言を受けて教室中がざわめき立つ。
 ヒイロをひき逃げした車がなぜ学校の校庭に!?
「俺様を殺し損ねてここまで追って来たに違いない!」
「すごい妄想」
 ボソッと華那汰がつぶやいた。
 騒ぎになった生徒たちを沈めようと明星が注目を集めるため手を叩いた。
「君たち自分の席に戻ってください」
 そう言いながら生徒たちを席に戻そうと明星も窓に近付いて、ふと校庭に目を向けて衝撃の一言を放ったのだ!
「あれは私のランボルギーニだ」
 さらに続く衝撃発言。
「あの場所は駐車場じゃなかったのか」
 眼鏡スーツのクセにウッカリさん!
 顔に似合わずウッカリさんとも言えるが、逆に顔とスポーツカーに似合って凡人ではないとも言える。
 さらなる衝撃発言が明星の口から放たれた。
「それでは出席の続きを取ります」
 車動かしに行かないんかい!
 華那汰は今朝から今までのことを思い出していた。
 まるで先月の繰り返しのような今日。
 遅刻しそうになって走っていたら人にぶつかってしまった。それが先月と同じヒイロ。
 学校に来てみたら新しい担任がやって来た。しかも先月と同じで変な人。
「(美獣のこと思い出しちゃうなぁ。もしかして明星先生も……まさかねぇ)」
 偽教師として現れた美獣。その目的もわからないまま、華那汰は戦いに巻き込まれてしまった。
 どっと溜め息を吐いた華那汰。
「(なんであたしの周りばっかりで変なこと起こるんだろう)」
 平凡な生活を一変させたのは大魔王ハルカの存在だ。
 その存在は華那汰のみならず、世界に大きな変革をもたらした。
 アニメやマンガのファンタジーな出来事が現実となってしまったのだ。
 ニュータイプと呼ばれる人々とガイアストーンの存在。
 その世界を変革させた1つの因子――大魔王ハルカは華那汰の姉だった。
 異世界から帰ってきた姉はなぜか黒猫になり、そしてさらに……。
「(全部元に戻るなんて……無理だよね)」
 動き出した世界は止まらない。
 華那汰の知らないところでも世界は動き続けている。
 闇は光に身を潜め、その機会を窺っているとも知られずに……。
 突然!
「キャーッ!」
 女子生徒が叫び声を上げた。
 何事かと思ったときには、生徒全員がそれを確認していた。
 ナメクジだ!
 足下に群がるナメクジ。
 壁や天井を這うナメクジ。
 華那汰の机にボトッとナメクジが落ちた。
「…………」
 魂離脱。
 騒然とする教室内でただひとり動じない生徒がいた。
「なんだ殻のないカタツムリじゃんか」
 ヒイロだった。
 しかもヒイロは平気でナメクジを指で摘みやがった。
 しかも素手で!!
 たしかに殻のないカタツムリというのはあながち間違いじゃない。カタツムリの殻が退化したものがナメクジだとされているが、そういう生物学的なことをみんな言いたいわけじゃないと思う。
 イメージだ、イメージが違うのだ!
 世の中はイメージ戦略が大事だ。
 中国人はなぜかアルを付ける!
 アイドルはトイレに行きません!
 日本人はメガネにカメラ!
 オタクはリュックにチェックのシャツ!
 全部ただのイメージだとは言い切れないが、マルチメディアの世界はイメージに侵蝕されているのだ!!
 カタツムリは歌になって子供から大人まで親しまれ、アジサイとのコラボでイラストにもなっている。
 それに比べてナメクジはどうだろうか。ジメジメ~、ヌルヌル~、キモイだけでキモカワイイとは言われない。梅雨の時期に大量発生する害虫でしかないのだ!
 ナメクジはどこから沸いているのか、その数を増やし教室を制圧しようとしている。
 生徒たちは足の踏み場があるうちに廊下へ逃げ出した。
 すると同じように教室から飛び出してきた他のクラスの生徒がいた。
 ほかのクラスでも同じ状況になっていたに違いない。
 ナメクジは廊下にもいた。
 学校中パニックだ。
 自然と人の流れは校舎の外へと流れ、華那汰もほかの生徒といっしょにグラウンドの避難した。
 教師たちは生徒たちを鎮めるので必死だ。クラスごとの整列を呼びかけるが、パニック状態の生徒たちは収拾がつかない。
 人の波に呑まれながら華那汰が彷徨っていると、人混みの中にポツンと空いた場所があった。その真ん中に立っている独りの少女。
「月詠センパイ(……あからさまにみんなから避けられてる)」
 ボソッとつぶやいてから、華那汰はミサの元へ駆け寄った。
「月詠センパイだいじょうぶですか?」
「ええ、すでに特殊部隊を編制させて呼んだから、もう大丈夫よ」
 そういう意味の大丈夫かっ!
 きのうのG殲滅大作戦(仮称)と同じパターンだ。
 ミサは辺りを見回してから、華那汰に視線を戻した。
「ところで、今日は一緒ではないのね?」
「だれとですか?」
「覇道君と(いつも私と会うときは一緒だから)」
「なんであんなヤツといっしょじゃなきゃいけないんですか!」
 大声を出して拒否した。
 鼻先でミサは静かに笑った。
「うふふ、ムキならなくてもいいのよ」
「それってどういう意味ですか? まるであたしがあいつに気があるみたいな言い方じゃないですか!(マジありえない)」
「違うのかしら?」
「違います! 絶対に違います! あたしもっとぜんぜん理想高いですから!」
 こういうのは否定すればするほど、相手に深読みされるだけだ。
 そんな感じでミサとトークを繰り広げる華那汰は、周りから好奇な目で見られていた。金持ちで変人で、妖しく近寄りがたい雰囲気のミサと普通に話しているからだ。そういえば最近、華那汰の友達がちょっと減ったような気がする。その要因を作っている人物はほかにもいそうだが……。
 好奇な目で見られていると言えば、グラウンドに停めてあるランボルギーニ・ディアボロもそうだ。ナメクジ騒動なんて忘れて高級スポーツカーに生徒たちが群がっている。この車の持ち主はグラウンドにはいなかった。
 では、いったいどこに……?

 いつの間にか教室に取り残されたヒイロ。
 もう一人教室に残っていた者がいた――新任の明星ヒカル。
 教室に残っているのはこの二人だけだった。
 ヒイロは思い出したように明星を睨んだ。
「ナメクジですっかり話題がそれたけど、先生の車なんだろ校庭のやつ?」
「そうですがなにか?」
 ナメクジで群がる教室で、この男も平然としていた。
 ヒイロが声をあげる。
「なにかじゃないだろ、なにかじゃ!」
「そう言えば動かすように言われていましたね」
「そこじゃーねだろ、俺様のことひき逃げしたのキサマだろーが!!」
 ヒイロをひいて逃げたのは赤いランボルギーニ・ディアボロだ。普通の車種ならともかく、滅多に見ないような車種だったら、疑いが濃厚になるのは当たり前だ。
 突然、明星が不気味に笑い出した。
「ギシシシッ、あれはほんのこけおどしだ」
「認めたなこの野郎! 賠償金だ、賠償金払えよ、1万だ……いや、ちょっと言い過ぎた……1000円でどうだ!」
 格安!
 まるで別人に変わってしまったような狂った表情をした明星。
「キサマにはこれからもっと恐怖を味わってもらうぞ、ギシシシシシ!」
 声すらも金切り声に変わっている。
 さらに恐ろしいことに、表情や声以上の変化が明星の全身に現れた。
 皮膚が垂れ下がったかと思うと、髪がズル剥け、眼は溢れ落ち、歯も一本ずつ抜け落ち、そのままジェルになって溶けていく。
 それを見てさすがのヒイロもドン引き。
「人間じゃないのかよ!」
 ヒイロの言うとおり、その姿は人間とかけ離れた存在だった。
 溶けた頭の下から触覚のようなモノが飛び出した。
 否――それは目玉だった。
 変貌した明星がなんであるか見間違えるハズがない。それはそこら中にいるのだから――。
 巨大ナメクジが現れた!!
 新任教師明星の正体は巨大ナメクジだったのだ。華那汰の悪い予感が当たってしまった。
 学校に群がるナメクジとこの巨大ナメクジが点と線で結ばれる。
「このナメクジもお前の仕業だな!」
 ビシッとバシッとヒイロは巨大ナメクジを指差した。
「ギシシッ、そうだ、キサマに復讐するために仲間をここに集めたのだ!」
「復讐だと? 俺様はナメクジに塩をかけて遊んだことすらないんだぞ!(塩がもったいなくてそんなことできるか)」
「オレたちの復讐ではない。オレたちの王となったお方の復讐だ!」
「俺様は人のうらみなんて買ったことないぞ。貧乏人にとって買うって行為がどんなことかわかってんのかッ!」
 力強く言い放ったヒイロ。
 うらみというのはケンカと違って、買ったつもりがなくても買ってしまうことがある。つまり押し売りだ。
 だが、今回の場合は押し売りというわけでもない。
 ヒイロが勢いよく尋ねる。
「だれのうらみを買ったんだよ、言ってみろよ!!」
 その名は!
「ブラック・ファラオ大神官様だ!」
 やっぱりね。
「だれだよそれ?」
 忘れとるしー!
 思わぬヒイロの反応に巨大ナメクジは焦った。
「覇道ヒイロ……だよな?」
 自信なさげな巨大ナメクジに相反してヒイロは堂々と言い放つ。
「そうだ、俺様は覇道ヒイロ、大魔王遣いになる男だッ!」
 そこまで強気で言うくらいなら、〝遣い〟じゃなくて〝大魔王〟だって言い切ればいいのに。変に消極的なところがヒイロの貧乏性クオリティーだ。
 ヒイロの自信に感化されて巨大ナメクジも自信を取り戻した。
「大神官様を知らないなんて嘘つきやがって!」
「知らないって言ってるだろ……ん……思い出した!」
 あんなインパクトあるのに忘れられるなんて、どんだけ過去の人なんだよ。1ヶ月くらい前のことなのに。
 ヒイロが思い出し、やっと互いの意識のズレが埋まった。
 それはどんなことでも言えること。
 たとえば恋愛でも。
 長く付き合えば付き合うほど、価値観の違いなどのズレが生まれてくる。
 それで別れてしまうこともあれば、妥協して付き合い続けることもあれば、価値観を埋めながら互いの絆を深めることもある。
 そう、今まさにヒイロと巨大ナメクジの絆が深まった瞬間だった。
「覇道ヒイロを食い殺してしまえ!」
 ――ぜんぜん深まってなかった。
 巨大ナメクジの命令で普通のナメクジたちがヒイロの足下に群がってきた。
 だが遅い!
 ジトジト粘つく糸を引きながら、ナメクジたちはヒイロの足をよじ登ろうとする。
 だが遅い!
 ヒイロは机の上によじ登った。
 ナメクジにとって机の上はエベレスト!
 ……ごめん言い過ぎた。
 ナメクジにとって机は上はガ○ダム!
 伏せ字な上に一部にしか伝わらない例え。
 とにかくナメクジが机の上に登るまでには時間がかかる。
 だがナメクジは天井から落ちてきた。
 作戦ミス!
「クソっ、次から次に!」
 ヒイロは頭や肩に落ちたナメクジを振り払う。
 普通の人ならこれだけでも精神的攻撃だが、ヒイロにとっては蚊レベルだ。
「ウザイんだよ!」
 ナメクジを素手でつかんだヒイロが投げたーッ!
 でも手を離れな~い!
 ベタつくナメクジはヒイロの手を離れず、しかも噛んできやがった。
「イタッ!」
 ナメクジの歯をよーく見たことのある人はご存じかも知れないが、あいつら意外に歯がギザギザしてて凶暴そうなのだ。
 まあ、虫眼鏡で見なければ、そんな凶暴さも伝わらないかも知れないが、今ここに虫眼鏡なしでも見れる巨大な歯があった。
 そうだ巨大ナメクジだ!
 巨大ナメクジがヒイロに迫ってくる。
 だが遅い!(←遅れたころにやってきた三段オチ)
 いくら遅いナメクジでも、時間と量をかければ驚異になる。
 次々と雨のように降ってくるナメクジ。
 意を決してヒイロは机を飛び降りた。
 ずるっ!
 ナメクジ踏んでヒイロがコケたーッ!
 しかもコケたところにもナメクジがいて潰してしまった……最悪だ。
 こんな最悪な戦いに終止符を打つべくヒイロが動いた。まあ、動いた結果さっきはコケたんだけど。
 立ち上がったヒイロはイスを持ち上げ、巨大ナメクジに飛び掛かったのだ!
「うりゃー!」
 振り下ろされたイス。
 が、しかし!
 巨大ナメクジがイスをかみ砕く!
 こんなヤバイ歯で腕を食われたら……考えるだけで身震いしてしまう。
 なのでヒイロは逃げた。
「経験値は惜しいが、ここはひとまず……」
 クラスの外に逃亡すると見せかけて――イスを投げた!
 さらに机を投げた!
 さらに次々とイスや机を巨大ナメクジに投げまくるヒイロ。
「引っかかったな、俺様が逃げると思ったかッ!」
 でも怖いので離れたところから物を投げて攻撃。
 ボッコボコにされる巨大ナメクジが喚く。
「この卑怯者! 正々堂々と掛かって来い!」
 巨大ナメクジの移動スピードは遅いため、遠距離攻撃には弱いのだ。
 ヒイロは教室中の机やイスを投げ飛ばして、膝に手をついて肩で息を切った。
「ゼーハーゼーハー、殺ったか?」
 巨大ナメクジは瓦礫の下。軟体動物はおそらくぺっちゃんこのハズだ。
 だが、これで終わったわけではない。
 配下のナメクジたちがまだ残っている。
 ヒイロに襲い掛かってくるナメクジたち。
 だが遅い!(←忘れたころにやって来る)
 ヒイロは足下のナメクジを次々と潰していく。気持ち悪くて普通の人ならできない。
「俺様に勝てると思ってるのか、骨のない野郎どもだぜ!」
 それは軟体動物だからだ。
 廊下から迫ってくる気配!?
 ドキッとして逃げ腰になったヒイロ。
 新たな刺客かっ!?
 廊下から流れ込んでくる白い煙。
 その中から溢れ出すように現れた白い集団。
 ヒイロはその集団に見覚えがあった。
 忘れるハズがない。
 きのう見たばっかりなのだから……
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ~~~」
 ヒイロは叫び声をあげながら白い集団に連行されていく。
「やめてくれ~、あんな思いもういやだぁぁぁぁ」
 白い世界に消えゆくヒイロの声。
 怯えるヒイロ。
 いったいきのうヒイロの身になにが起こったのか?
 謎は謎のまま、この世には触れてはならないものがあるのだ。
「ぎ、やぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 ミサが呼んだ特殊部隊は瞬く間にナメクジを葬っていった。
 大量の白い集団が校舎に流れ込んでいくようすを見ながら華那汰は眼を瞬いた。
「あれって月詠センパイが呼んだんですよね?」
 そうだと聞いていたのに、改めて聞いてしまうほど驚いたのだ。
 ミサは妖しく微笑んだ。
「ええ、私の私設害虫駆除部隊よ」
「私設って個人的なって意味ですよね?(やっぱりスゴイお金持ちなんだなぁ)」
「虫が苦手なの。だから、いつ、どこで、どんなときもすぐに駆けつける部隊を保有しているのよ」
 だから呼んですぐに駆けつける仕事の速さなのだ。
 ナメクジを退治したあとは、校内の大規模清掃になるだろう。こんな調子では授業どころではない。生徒からも帰宅モードが盛り上がっている。
 生徒たちには整列が呼びかけられ、騒ぎも少しずつ治まってきた。そのまま生徒たちは待機を指示され、教師たちはなにやら会議を設けているようだ。
 そしてしばらくして、先月赴任してきた新校長のジイさんがマイクで話しはじめた。
「本日の授業はすべて中止になりました。担任の指示に従って下校準備を進めてください」
 予想どおりの展開だ。
 歓声が一部から上がる一方、冷静な生徒たちからは不安の声が聞こえてきた。
『教室に残してきた荷物はどうするんだよ?』と。
 主にサイフや定期など、帰宅に必用な物のあるだろう。殺虫剤やらナメクジの死骸やベトベトで悲惨なことが予想されるが。
 華那汰のクラスの副担任は、自分のクラスの生徒たちに明星のことを聞き回っていた。
 生徒たちが明星を見たのは教室が最後。まさかその後、巨大ナメクジに変貌して、ヒイロとの死闘(?)を繰り広げていたとは、だれも想像していないだろう。
 生徒たちの帰宅がはじまり、希望者の校内立ち入りが順次はじまった。
 校内に入る生徒たちは、混乱を避けるためにクラス単位で移動させられ、華那汰も順番待ちをさせられた。
 そんな時間にも注目を浴びているのは、いまだグラウンドに停まったランボルギーニ・ディアボロ。整列のときも校庭のど真ん中に放置されていたため、邪魔で邪魔で仕方がなかった。
 そんな邪魔な車に新たな動きがあった!
 ドン、ドン、ドン!
 トランクの内側から打撃音が聞こえた。
 中になにかいる!?
 人間の心理には恐いもの見たさというのがある。
 見るなのタブーは世界各地の物語に見られるモチーフだ。だいたい見たら最後、不幸が訪れるのが定番。それでも見てしまうのが、このタブーの恐ろしいところだ。
 音のするトランクを開けて中身を見たい。
 でも鍵がない!
 見られないとなると、見たくなってしまうのも心理。
 強引に開けるという選択肢もあるが、相手は高級車だ。傷つけたらあとが怖い。
 しかし、もしも中に人がいたとしたら、人命に関わるかも知れない。そうなると金がどうこうという問題ではない。と言いたいところだが、やっぱり金勘定が頭に浮かんで手が出せなくなってしまう。
 やがて教師たちも騒ぎを聞きつけて車の周りにやって来た。
 冷静な判断でJAFとか鍵屋に電話しろなど会話が飛び交う中、またも車に新たな動きがあった。
 ドン、ガン、ドンドンドン!
 今までよりも激しい打撃音。
 ドン!!
 トランクが開いた。
 そして、中から現れたのは――明星ヒカル!?
 手首や足、さらに口を縛られ明星ぐったりとした様子だった。いつから閉じ込められていたかは不明だが、心身共に浪費しているのは一目でわかる。
 騒ぎを駆けつけて華那汰も現場にやって来た。
「イリュージョン!?」
 声をあげた華那汰。
 巨大ナメクジ事件を知らない生徒たちにとっては、まるで教室から車のトランクに移動したとも思える。
 教室にいた明星の正体が巨大ナメクジだったのだから、こっちにいるのは何者なのだろう?
 口が縛られていた布を解いてもらい、息を切らせながら明星が話しはじめた。
「酷い目に遭いました。何者かに襲われたと思ったら、こんなところに閉じ込められてしまって……助けてくださった皆さんには感謝します」
 ということは、ここにいるのが本物の明星ということなのか?
 本物の明星を襲った巨大ナメクジは、本物と入れ替わって学校に侵入したということでオッケー?
 だが、その図式が描けるのは巨大ナメクジの存在を知っている者だ。
 ここにいる生徒の大半はぽか~んとしてしまっている。
 そもそもほとんどの生徒が新任の教師の存在を知らない。
 しかし、男子生徒たちは明星がどのような存在なのか察した。
 女子生徒たちの手を借りてトランクから這い出した明星の姿――男の敵だ!
 無事救出された明星ヒカル。
 そして、掃討されたナメクジたち。
 こうして事件は幕を閉じた。
 しかし、この事件は序幕にしか過ぎなかったのだ……。

 まだ買い手のいない分譲住宅から聞こえてくる絶叫。
「ウギャァァァァァァァ!!」
 家具の一つもないリビングの床で転げ回るBファラオ。
「ウゴッ、グオッ、呪いが返ってキターッ!」
 玉の汗を滲ませてBファラオは身悶えた。
 汗で白い包帯がスケスケだ!
 苦痛でその表情が歪む。
 このとき、べつの場所では巨大ナメクジが息絶えていた。
 ――人を呪わば穴二つ。
 その意味は、他人を呪い殺そうとすれば、自らもその報いを受け殺されることから、葬るべき墓穴は二つになるということだ。
 呪術や魔術の分野では代償が必要なことが多い。生贄を捧げることによって、それを代償として自分への厄災を回避したりするが、Bファラオが行ったのは魔力の高いアイテムによる使役だった。
 つまり代償を必要としない召喚を行ったのだ。
 代償を必要としない代わりに、召喚した者をビビらせて従わせるわけだ。
 Bファラオがゴミ捨て場で見つけた魔導書。それによってBファラオは異世界の住人を召喚し、さらに魔導書の魔力によって脅して従わせたのだ。
 が、そこまではよかったのだが、送り込んだ巨大ナメクジがやられたことにより、呪いの魔力が逆流して来てしまったのだ。
 気絶しそうなほどの激痛に耐え、どうにかBファラオは呼吸を整えた。
「とんだ落とし穴だ……配下の魔物が殺られちゃうたびにこれじゃ……命がいくらあっても……足りやしないよ」
 何体もの魔物を呼び出し、それが一気に殲滅なんてされたら、地獄の苦しみを味わいながら死ぬことになりそうだ。
「まだこの魔導書の記述は完璧じゃないようだね……魔法の盾が必要だ……絶対に探してみせるよ」
 決意を新たに復讐の炎を燃やしたBファラオ。
 すべては覇道ヒイロへの復讐。
 その思いがBファラオを突き動かす原動力になっていた。
 どんなことがあっても、その気持ちが支えになって今日までがんばって来られた。
 きのうだって警察に連行される途中で逃亡。免許すら持っていないのにパトカーとのカーチェイスを演じてしまった。しかも運転した車というのが、乗用車ではなくタンクローリー。
 見事に朝刊の一面を飾ってしまったブラック・ファラオ!!
 タンクローリーで老人ホームに突っ込んで、見事な地獄絵図を作り上げてしまったのだ。
 その日のうちに指名手配。
 今もBファラオは逃亡者の身だ。
 そんな彼が潜伏場所に選んだのが分譲住宅だった。
 人の住んでいない住宅は、電気も水も通っていないが、なんと雨風がしのげてしまう!
 まだ呼吸の落ち着かないBファラオは、仰向けになって天井を仰いだ。
「おなかすいたなぁ……(なんでぼくがこんなひもじい目に遭わなきゃいけないんだ)」
 ぐぅと泣いた腹の音が物悲しい。
 食べ物を探しに行こうとBファラオはフラフラと立ち上がった。
 玄関に向かって歩き出したとき、ガチャっという音が聞こえてきた。
 何者かによって玄関が開かれた。
「こちらが玄関になりまーす」
 見りゃわかるわ、そんなの!
 とかいうツッコミを入れてるヒマはなかった。
 住宅見学がやって来たのだ。
 玄関を玄関だと紹介した案内人のお姉さんとBファラオの目があった。
「きゃ~~~っ!」&「にゃ~~~っ!」
 同時に叫んだ二人。
 すぐにBファラオは右見て左見て、ノープランで逃亡した。
 ゴン!
 ノープランだったため、見事に窓ガラスに顔面から激突した。
「いたたたた……」
 Bファラオは鼻を押さえてうずくまった。
「ドジっ子キャラなんかじゃないのに……あれからずっとツイてないよ!」
 つまりヒイロに敗北してからだ。
 だれが呼んだのか、玄関に屈強そうな男たちが集まってきた。
 Bファラオを取り押さえようと男たちが襲い掛かってくる。
「おまえ、そこで何やってるんだ!(しかもなんだその格好)」
 包帯ルックはちょっぴり刺激的だ。どう見ても変質者にしか見えない。怪しまれるのは当然だった。
 Bファラオは窓を開けて逃げ出した。
 白い包帯なびかせて、逃げる逃げるブラック・ファラオ。
 なにがなんでも逃げてやる。
 地の果て、地獄の果てまでも……。
 白い包帯なびかせて、走る走るブラック・ファラオ。
 なにがなんでも生きてやる。
 地を這い、明日も生存だ……。
 おお、我らが大神官、ブラック・ファラオ!!
 歌っぽいものに乗せて、Bファラオは疾走感を出して逃げ続けた。
 ここで捕まったら本当に最後。なんせタンクローリーで老人ホームに突っ込んじゃった大犯罪者だ。どう考えても極刑だ――しかもかなり重めの。
 分譲住宅を抜けて大通りに出た。
 後ろからは男たちが喚きながら追ってくる。
 Bファラオは走りながら振り返った。
「しつこいやつらだ(戦ったら絶対負けないのに。そんなことしてたら、どんどん仲間を呼ばれちゃうよ)」
 相手をしていたらキリがない。今や警察組織を敵に回している身だ、目の前の男たちを倒しても次が控えている。
 後ろに注意を払っていたBファラオの耳に響いたブレーキ音。
 振り向くとそこには2トントラックが目と鼻の距離まで迫っていた。
「にゃぎゃーーーっ!」
 ドーン!!
 トラックにひかれたBファラオは三回転ひねりでぶっ飛んだ。
 アスファルトに全身強打。
 血だらけになりながらBファラオは立ち上がった。
「死ぬかと思ったーーーっ!」
 いや、普通は死んでいる。
 血だらけのBファラオを見て、追ってきた男たちもドン引きしている。
 逃げるなら今がチャンスだ!
 再び逃亡開始。
 赤い包帯なびかせて、走る逃げるブラック・ファラオ!
 だが、新たな追っ手が現場に駆けつけた。
 サイレンを鳴らしながら猛スピードで近付いてきたのはパトカーだ。
 パトカーは一台だけではなかった。別の場所から応援できた2台目のパトカーが、反対車線からもかっ飛ばしてくる。
 前から来るパトカーを見定めてBファラオが飛んだ。
 信じられないジャンプ力で、15メートル以上の距離を飛翔し、カエルのようにパトカーの屋根に着地した。
 乗っていた警官は度肝を抜かれ、ハンドル操作を誤ってしまった。
 パトカーが回転しながら車線を外れ、反対車線を走っていた乗用車に激突した。
 Bファラオはさらに別の走っていた乗用車の屋根に飛び移った。
 そらに次へ次へと飛び移る。
 物音に驚いた運転手たちは急ブレーキを駆け、次々と玉突き事故が発生した。
 こうしてまたBファラオは重罪を増やしていくのであった。
 4トントラックの荷台の上に乗り移ったBファラオ。
「にゃはははは!(もう追いかけて来ないみたいだね)」
 来た道では玉突き事故で道路が封鎖され、パトカーも前に進めない状態だった。
 どうにか警察をまくことに成功したBファラオだったが、彼はまだ自分の身に迫る新たな危機に少しも気づいていなかった。
 後ろを眺めていたBファラオの後頭部に迫る歩道橋。
 ゴン!
 時速40キロで走っていた車にぶつかったのと同じ衝撃で飛ばされ、さらに荷台から転げ落ちて後ろを走っていた乗用車のフロントに激突した。
 おまけに急ブレーキが踏まれた乗用車のフロントからも落とされ、車は急には止まれないの法則が適用され――グチョ。
 聞いてはならない音が響き渡った。
 車を止めた運転手が狼狽しながら下りてきた。車の下敷きになっているBファラオの姿。真っ赤に染まった包帯がビロ~ンと伸びていた。
 殺っちまった。運転手の脳裏を駆け巡ったのはその言葉だろう。けれど、Bファラオは虫の息で生きていた。
 芋虫のように車の下から這い出てきたBファラオは、全身血みどろになりながら力強く立ち上がった。
「きみは神の奇跡を見たんだよ!」
 血だらけの手でバシッとBファラオは運転手の両肩をつかんだ。
「ぼくは神に仕える大神官。もしぼくが神に仕えていなければ、きっと死んでいただろう。きみもモッチャラヘッポロ教に入信するんだ!」
 強引な宗教勧誘だった。
 人をひいてしまったパニックと、訳のわからないセールストークで、唖然としてしまっている運転手に、Bファラオはさらに畳み掛けた。
「今なら入会金3万円……ここはお安く1万円でいいよ。それで神はすべての罪をお許しになるんだ。ぼくをひき殺しそうになった罪なんて帳消しさ!」
 まるで当たり屋じゃないか。
 宗教にかこつけてBファラオは金をたかっていた。
 よくわからなかったが、パニック状態の運転手はサイフを出し、Bファラオに1万円を渡してしまった。
 血だらけの手で1万円を握り締めたBファラオ。
「おお神は1万円では不足だとおっしゃっているよ」
 すでにBファラオは相手のサイフの中身を確認済み。まだふんだくれるとふんでいたのだ。
 わけもわからず運転手はもう1万円を渡してしまった。
 だが、Bファラオが出した手は引っ込まない。
「きみの今世での罪は洗い流されたけど、まだまだ前世の罪が残っているよ。神はもっとお金をくれたら輪廻転生すべての罪を洗い流してやろうとおっしゃってるよ」
 パニックで冷静な判断のできない運転手は、だんだん怖くなってついにはサイフごとBファラオに渡してしまった。
 Bファラオはニヤッと笑った。
「神はすべての罪をお許しになった。これからがんばって新たな罪を重ねたまえ。それじゃあバイバーイ!」
 再び逃走を続けようとしたBファラオだったが、いつの間にか辺りは警官隊によって包囲されてしまっていた。お金に目が眩んで周りが見えなくなった良い例だ。
 警官たちは拳銃を抜いていた。すっかり極悪犯罪者扱いだ。
「にゃはは、ここまでか」
 Bファラオは敵意がないことを示すため、両手を高く挙げてアスファルトとに膝をついた。
 警戒しながらにじり寄ってくる警官たち。
 Bファラオはうつむいたまま動かない。
 さらに近付いてくる警官たち。そこで彼らはBファラオがなにやら呟いているのを聞いた。
 そして、突然大きく動いたBファラオが叫びながら激しくアスファルトを叩いた。
「いでよゴーレム!」
 叩いたアスファルトが盛り上がり、巨大な塊を作り上げていく。
 警官たちは後退った。
 それはまるで巨大なゴリラ。泥で作られた人形のような、アスファルトの巨人ゴーレムだった。
 Bファラオが秘密の仕上げをすると、ゴーレムは命を吹き込まれ、その巨体を揺らしながら動きはじめた。
 周囲のアスファルトをかき集め創られたその全長は約3メートル。人間よりも腕の長さの比率が高く、両手を伸ばせば身長を優に超えているように見える。
 その長く巨大な腕でゴーレムは警官たちを薙ぎ払う。薙ぎ払われたのは人だけではない、車両もろとも吹き飛ばす破壊力だ。ひっくり返った車両がそのまま何度も回転しながら飛んでいく。
 この惨事に警官は躊躇わずゴーレムに発砲した。だが相手はアスファルトの塊。銃弾など効くハズがない。
 もうBファラオは買った気満々だった。
「にゃはははは、神の怒りを知るがいい!」
 ゴーレムは次々と警官たちをコテンパンにしていく。
 こんなアスファルトの塊をぶっ倒すには、ミサイルを撃ち込まなきゃ歯が立ちそうもない。
 しかし、警官のひとりが思わぬ方法を取ったのだ!
 2トントラックに乗り込んだ警官が、そのままアクセル全開でゴーレムに突っ込んだのだ。
 それは壁に突っ込むのと同じこと。
 決死の覚悟!
 ドゴーン!
 トラックは真っ正面からゴーレムにぶつかった。だがゴーレムはなんとそれを受け止めたのだ。
 警官たちに動揺が走る。
 しかし次の瞬間、ゴーレムの体にヒビが走ったのだ。
 ドゴゴゴゴゴゴ……。
 崩れ落ちたゴーレムの体。
 警官たちから歓声の声があがった。
 すぐにトラックに乗った同僚が救出させる。どうにかシートベルト着用、エアバック発動で、どうにか一命は取り留めたようだ。
 その場に佇んだまま残されたBファラオ。
「にゃははは、残念だったね!」
 Bファラオの高らかな笑い声と共に、崩れたハズのゴーレムの破片が動きはじめた。
 まさか!
 焦りと恐怖で警官たちは見守ることしかできなかった。
 ゴーレムが復活する。破片が集合して再びゴーレムが復活しようとしていた。
 勝ち誇っているBファラオ。
「ゴーレムは不死身なのさ。そう、ぼくがバレないようにゴーレムの股間に刻んだヘブライ語のエメトの頭文字を消して死を意味するメスの書き換えない限り、絶対にゴーレムは負けない!」
 バキュンバキュンバキュンバキュン!
 警官たちはゴーレムの股間に向けて一斉射撃。
 あっけなく崩れ落ちるゴーレム。
 唖然とするBファラオ。
「なぜ……なぜ不死身のハズのゴーレムが!」
 あんたが自分で言ったんだろ。
 自分が暴露トークしたことにも気づいていないBファラオは、警官隊に拘束されて身動き一つ出来ないように手錠で手首も足首も繋がれてしまった。
 そして、Bファラオはまるで丸太でも運ぶように連行されて行った。

 ナメクジ騒動の翌日、何事もなかったように学校再開。
 なんだか前よりも学校全体がピッカピカになっているような気がする。
 華那汰はイスの座り心地の違和感を覚えていた。
「(イスが変わったような気が……あれ、机の傷もなくなってる?)」
 まさかの全取っ替えに華那汰は気づいてしまった。
「(まさか月詠センパイの差し金……学校にそんなお金あるわけないもんね)」
 しかも取り替えられたのは机やイスだけではなかった。
 教室に入ってきた明星の姿。
「おはようございます」
 挨拶をしながら教壇の前に立ち、こう言い放ったのだ。
「はじめまして、新任の明星ヒカルです」
 一部の生徒がポカーンとした。
 事情を知らない生徒たちにとっては、『はじめまして』と言われても、こいつボケてるんじゃないかと思われたのだ。
 しかも明星はその理由を見事スルーした。
「それでみなさんの顔と名前を覚えたいので、ひとりずつ名前を呼んで出席を取ります」
 さらに見事なリピート!
 本格的にボケてるんじゃないかと生徒に動揺が走った。
 ツッコミを入れて良いものなのかどーなのか、生徒たちが迷っている間にも出席が取られていく。
 そして、ここでもリピートが起きてしまった。
 順調に進んでいた出席確認だったが、ある名前のところで止まってしまったのだ。
「覇道ヒイロ君は欠席ですか?」
 クラスを見回す明星だったが、そう、覇道ヒイロがいない!
 きのうだったらここでヒイロが包帯グルグル巻きで駆け込んできたのだが、今日はそんなこと起きずに過ぎてしまった。
「覇道君は欠席ですね」
 サラッと明星は出席名簿に欠席マークをつけた。
 華那汰は隣の席を見つめていた。
「(きのうもあれからいなくなっちゃったけど、どうしたんだろ?)」
 華那汰がヒイロの姿を最後に見たのは教室だ。そのあとの事件のことを華那汰は知らなかった。
「(いなければいないで気になるなぁ)」
 車にひかれても登校してくるヒイロだ。そんなヒイロが学校に来ないとなれば、気になるといったら気になるが……。
 ぼーっとする華那汰の名前をだれかが呼んでいる。
 ハッとした華那汰は自分の名前を呼んでいるのが明星だということに気づいた。
「はい!(あれ……出席ならさっき回ってきたけど?)」
「大丈夫ですか、ぼうっとしている様子でしたが?」
「はい……なんでもありません」
「そうですか。ところで今の話を聞いていましたか?」
「なにをですか?」
「覇道ヒイロ君がなぜ欠席なのか知りませんか?」
「えっ!?」
 まさか自分に振られるなんて思ってもみなかった。
「……なんであたしに?」
「皆さんが覇道君と仲がよいのはあなただと言うものですから尋ねたのですが?」
「えーーーッ!? あたしがなんであんなヤツのこと知ってるんですか、ただのクラスメートで、ちょっと席がとなりってだけじゃないですかッ!」
 猛反発。
 これが逆にクラスに変な空気をもたらした。
 ざわつくクラスメート。
 コソコソ話が辺りを飛び交った。
「やっぱりあいつ覇道のこと……」
 それは華那汰の耳にも届いていた。
「だれ今変なこと言ったの!」
 シーン。
 アウェイ状態だった。
 しかもこのタイミングでまさかのヒイロ入場。
 遅刻してきたヒイロがこの場の空気も知らずに、元気よく駆け込んできた。
「おう、みんなおはよー!」
 クラスがざわめいた。
 ヒイロと華那汰の今後に目が離せない!
 そんなクラスの目なんて知らないヒイロは、いつものように自分の席についた。が、ここでみんなの視線が自分の注目していることに気づいたようだ。
「どうしたんだよみんな? 俺様が貧乏だからってそんな蔑[サゲス]んだ眼で見るなよ!」
 ヒイロは横にいる華那汰にも顔を向けたのだが、こっちはかなり怖い形相でヒイロを睨んでいた。
 まったく心当たりのないヒイロはポカンとしている。
「なんだよ華まで?」
 相手の愛称で呼び捨てする仲!?
 クラスにその衝撃が走った。
 実際は特に意識するわけでもなく、前々からヒイロは華那汰を『華』と呼んだりしている。てゆか、名字で呼んだり、さん付けをしたことはない。
 顔を真っ赤にした華那汰が机を両手で叩いて立ち上がった。
「馴れ馴れしく呼ばないで!」
 思っているのは見て明らかだったが、ヒイロには理由がまったくわからなかった。
「はぁ?(なんだよこいついきなり怒りやがって)」
「ウザイからその顔もこっち向けないで!」
 華那汰は自分の机をヒイロの席からズズズズーっと引きずって離した。
 ヒイロの性格からして、こんなことされたら食ってかかるのだが、なぜかヒイロはショックを受けて涙目になってしまった。
 べつのヒイロの性格が発動したのだ。
「俺様が貧乏だからって、まるでバイキン扱いするんじゃねーよ、ばーかばーか!」
 そのままヒイロは教室を飛び出して行ってしまった。きっとトラウマかなんかがよみがえったのだろう。たとえば小学校のころ、イジメで自分の席が隔離されちゃったりする、ほろ苦い思ひ出なんかを。
 号泣しながら出て行ったヒイロの背中を見ながら、華那汰は苦しそうな表情をしていたが、周りが自分のことを見ていることに気づいて、ツンとした表情をして見せた。
「あー清々した!」
 わざとらしく言って華那汰は机に顔を埋めた。
 静まり返る教室。
 すすり泣く声がどこかから聞こえた。

 放課後になってもヒイロは帰ってこなかった。
 一人で机に座ったままの華那汰に友達が声をかけて、『いっしょに帰ろう』と誘ったが、華那汰は首を横に振って席を立ち上がった。
 廊下を独り歩き出した華那汰は、学校の奥へ奥へと進んでいた。
 蛍光灯が物悲しくチカチカと点滅している。
 静かにノックして華那汰はドアを開いた。
「月詠センパイいますか?」
「いるわよ……後ろに」
「ッ!?」
 振り返った目と鼻の先に見えた真っ黒なサングラス。華那汰はビックリして眼を丸くしたまま硬直してしまった。
「私になにか用?」
 それが暗示を解く呪文のように、華那汰の体が硬直の呪縛から解かれた。
「いえ、その……覇道くん来てませんよね?」
「ええ、私のところには来ていないわ。部室の中にもいないようよ」
「そうですか……(やっぱり、いないのか)」
「ところで華ちゃん?」
「……(どこ言っちゃったんだろ)」
「華ちゃん?」
「はい!?」
 うつむいていた華那汰は慌てて顔を上げた。
「大丈夫、華ちゃん?」
「はい、ぜんぜんへーきです。いつもどおり絶好調です。ところでなんですか?」
「鍵を開けたのは華ちゃん?」
「へ? いえ……開いてましたけど?」
「……そう」
 ミサはつぶやいた次の瞬間、華那汰の背筋に冷たいモノが走った。
 まさか!?
 いや、聞いてはいけない。
 世の中には聞かない方が身のためのことがいっぱいなのだ。
 が、ミサがボソッと。
「また彼らが中から開けたのね」
 いや~~~っ!
 それ以上言わないで~~~っ!
 華那汰は耳を塞いで早々に立ち去ろうと足を引いた。
「それじゃ、さようなら月詠センパイ!」
 猛ダッシュ!
 が、ちょっとダッシュしたところで、華那汰の足をサワっと冷たいモノが触れた。
「きゃーーーっ!?」
 見事にパンチラしながら転倒した華那汰。今日は薄いピンクだ。
 思わぬ出来事というか、思ってたけど起きて欲しくなかった出来事で、華那汰は動揺して心臓バクバク。怖くて立ち上がれないし周りも見れない。
 後ろから近付いてくる足音。
 華那汰は廊下を這って逃げようとした。
 足音はどんどん近付いてくる。
 トカゲのような動きで華那汰は廊下を駆けた。この動きの方が怖い。
 カサカサ、カサカサ、一歩間違えるとGの動きにも見えなくもないような気が……。
 やがて足音が遠ざかり、聞こえなくなった。
 ほっと胸をなで下ろした華那汰は、立ち上がろうとして上を向いたのだが――。
「どうしました加護さん?」
 上から華那汰を見下ろしていた明星の姿!
「え!? いえっ、なんでもありません!」
 ビシッとバシッと華那汰は立ち上がり、制服をパンパンと叩いてホコリを落とした。顔は真っ赤で、滝汗状態だ。
 まさか変な移動方法をしているところで人に出くわすなんて、しかもクラス担任。しかもイケメン。
 普通フェイスに恥ずかしい姿を見られるよりも、イケメンに見られた方が恥ずかしい法則。べつに相手に気がなくても、そういう心理が働いてしまったりする。気がないと言っても、どこかに多少ばかりの気があるから、そういう気持ちが沸き起こってしまうわけだが。
 心配そうな顔つきで明星が尋ねる。
「大丈夫ですか?」
 床を這う女子生徒を姿見たら、ちょっと頭おかしいんじゃないかと思うのが普通だろう。えっ、明星が聞いてるのはそこじゃない?
「私の授業中や帰りのホームルームでも落ち込んでいる様子でしたが?」
「あ、そんな……落ち込んでるなんて……ちょっと風邪気味で……それで……」
「なにかあるなら相談に乗りますよ?」
 新任教師の点数稼ぎか!
 それともイケメンの点数稼ぎか!
 顔が良い上に優しい男なんて、ブサイクはどう立ち向かったらいいというのだッ!
 でも、華那汰はなびかなかった。
「大丈夫です、なにもありませんから。さよなら先生」
 早くその場から立ち去ろうとした華那汰の背中に投げかけられる言葉。
「覇道君のことですか?」
 ドキッとした。
 言葉が胸に突き刺さり、華那汰は足を止めてしまった。
 華那汰はなにも言わず立ちすくむ。
 そっち明星が近付いた。
「新任早々あんなことがあって私も驚いているんです。あれから覇道君が気になって少し探してみたのですが、学校にはいなかったようで。おうちにも電話をかけたのですが書類に書かれていた電話番号が間違っていたらしく違う家に掛かってしまって」
 本当に間違っていただけなのかちょっと勘ぐってしまう。わざと違う電話番号を書いて……。
 華那汰は悲しそうにうなずいた。
「そうですか」
「もしよかったら一緒に覇道君のおうちに行きませんか?」
「え?(覇道君の家……行けないよ。でも場所くらい知ってたほうがいいかも)」
「行きますか?」
「はい……でも、家の前まで」
「ではさっそく行きましょう」
 華那汰の『家の前まで』という言葉を追求せず、明星は優しく微笑んだ。
 その微笑み、ちょっとドキッとするくらい魅惑的な笑みだった。
 二人は学校を出てヒイロの家に向かう――もちろんあの赤いランボルギーニ・ディアボロで。
 車に乗ることにちょっとためらった華那汰だったが、こんなところで拒否っても逆に恥ずかしいだけだ。
 男と二人で乗るのも勇気がいるけど!
 付き合ってるならまだしも、相手は教師!
 そう、禁断の教師と生徒の……。
「(ないない)」
 助手席に乗りながら華那汰は首を横に振った。
 住宅街を疾走する高級スポーツカー。まったく景色にそぐわない。
 華那汰はちょっとドキドキしちゃっていた。
「(男の人の車の助手席に乗るなんて……。どうしよ、なんでこんなにあたし手汗かいてるんだろ)」
 こういうときは意識すればするほどツボにハマる。でも考えないようにすればするほど、結果として考えちゃってることになるので逆効果。
「(先生若そうだし……ダメそんなこと考えちゃ。デートみたいだよコレ。なに考えてるんだろ、だいじょぶ、だいじょぶ、先生は生徒に手なんて出したりしない!)」
 ひとりでテンパりすぎ。
 横を見ると明星は爽やかな顔をして運転をしていた。そんな横が顔ですら華那汰を精神的に攻撃してくる。
「(男の人が運転してる横顔とかちょっと……イイかも)」
 ついになびきはじめちゃった華那汰。
 でも、すぐに首を振って思いを掻き消した。
「(危ない危ない、空気に毒されるとこだった。冷静になってあたし。べつに先生のこと好きになる要素なんてないし)。あ、ちょっと窓開けていいですか?」
 頭を冷やす作戦だ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 窓を開けたのが、入ってきた空気はどよ~んとしていた。梅雨特有のジメジメな空気。湿度80パーセント越えしてそうだ。
 それでも外を見ていれば気が逸れそうなので、ぼーっと華那汰は景色を眺めていた。
 が、華那汰の眼に飛び込んできた人影!?
「先生前から人が!」
 脇道から人影が飛び出してきた。
「どこですか?」
 淡々と尋ねながら、なぜかアクセルは床が抜けるほど踏まれていた。
 華那汰のシートベルトがガクンとなって、加速するランボルギーニ・ディアボロ。
 包帯グルグル巻きの人影が『へ?』という表情をした。
 ドーン!
 はねたーッ!
 包帯が新体操のリボンみたいにシュルルーっとなりながら、人影が民家の庭へと飛んで消えた。
 顔を引きつらせる華那汰。
「今……ひきましたよね?(しかもなんだか見覚えがあるような)」
「なにをですか?」
「人ですよ人、人間ですよーっ!!」
 大声で訴える華那汰を不思議そうな顔で明星は見つめた。
「人間なんて轢いてませんが、気のせいではないですか?」
「そんな!(でも先生がそう言うなら……なんてわけないし。本当に気づいてない?)」
「夢でも見ていたのでは?」
「(夢……まさか心霊現象……ハッ……あの部室から連れてきちゃったとか!?)」
 だんだん華那汰はそんな気がしてきた。
 華那汰が見たのは包帯グルグルの人影だった。心霊にはピッタリの衣装だ。
 ニコやかに華那汰はうなずいた。
「うん、なにもなかったですよねー。あたしの勘違いみたいでした、あはは」
 現実逃避。
 こうして車は何事もなく住宅街を走り続けたのだった。

 この日のトップニュースを飾ったのはミイラ男留置所からの逃亡!
 テレビのニュース番組で話題になり、事件の重大性も大きくクローズアップされたが、その顔などについては非公開になっていた。
 なぜなら容疑者である包帯男は、身元不明で国籍から年齢から、なにからなにまで不明なのだ。外国人であった場合や未成年だった場合、そんなこと考えると顔の公表するとのちのち問題が出るかもしれない。だからと言って、危険な存在が野放しになるのは問題だ。
 警察は全力を挙げて包帯男を追跡。
 そして、ついに包帯男を住宅街で追い詰めたのだ!
 というより、包帯男が自滅したのだ。
 パトカーの追跡をかわし、路地を飛び出た包帯男は、なんと車にひき逃げされたのだ。
 もちろんひいたのは赤のランボルギーニ・ディアボロ。
 芝生の海に沈んでいた包帯男。
「うう……なんなんだよあの車……トラックなんかより破壊力あったよ」
 ゆっくりと立ち上がって顔を上げたBファラオだったが……。
「にゃはは、こんちわーっス♪」
 庭一杯の警官隊。
 逃げても逃げても追ってくる。
 倒しても倒しても沸いてくるだろう。
「(ぼくひとりじゃどうしようもないよ。早くアレを完成させて軍隊を組織しなきゃ)」
 それまでは大人しく捕まっているわけにはいかない。
 警官隊に包囲され逃げ場を失っているように思えるが、Bファラオを上空を見上げた。
 どんよりとした曇り空。
 Bファラオが飛んだ。
 あの跳躍力で天高く舞い上がり、家の屋根へと飛び移ったのだ。
 慌てる警官隊。
 だが、こんなこともあろうかとヘリも出動済みだ。と言っても、ヘリは追跡するだけで、結局は人間が捕まえに行かなきゃいけないんだけど。
 屋根から屋根へと飛び移ってBファラオが逃げる。まるで忍者だ。いや、見た目は出来損ないのミイラだけど。
 Bファラオは次々と屋根を飛び回り、とある庭に飛び込んだ。
 なぜか警察官たちの足が止まった。
 追っ手が来ないことを不思議に思いながらも、Bファラオは庭を見渡した。
 庭園と呼ぶにふさわしい行き届いた庭。しかもデカイ。
 逃げるのも忘れてBファラオは庭を散策しはじめた。
 日本の美しい庭園。加えてプール、テニスコート、この庭の大半の面積を占めているゴルフコース。滝なんかもあるため、知らずに迷い込めば庭だなんて気づかないかも知れない。
 気配を感じたBファラオが辺りを見渡す。
 Bファラオ目掛けてゴルフボールが飛んできた!
 ゴン!
 現在運気が低下中のBファラオに飛んできた物が当たらないわけがなかった。
「ぼくにゴルフボールを当てるなんて良い度胸してるじゃないか」
 Bファラオは芝に落ちたゴルフボールを拾い上げ、飛んできた方向に力一杯投げ飛ばした。
 ピューンと順調に飛んでいったゴルフボールだったのだが――。
 カキーン!
 ゴルフボールが見事に打ち返されてきた。
 そして、命中したのはBファラオのゴールデンボール!
「ぶわぁッ!!」
 あまりの痛さに股間を押さえて悶絶。Bファラオは芝生の上を転げ回った。
 しばらくして、この場に女がやって来た。
「この屋敷が誰の物か知っていて侵入してきたのだろうな?」
 威し文句を吐いたのはカーシャだった。
 長い黒髪をかき上げ、不敵な笑みを浮かべるカーシャ。手には凶器のゴルフクラブ(ドライバー)を持っている。しかも、ヘッドのほうを上に向けて、いつもで殴れますよ体勢だ。
 股間を押さえながらBファラオはへっぴり腰で立ち上がった。
「そっちこそぼくがだれだか、もちろん知ってるんだろうね? 偉大なる神に仕える大神官ブラック・ファラオとはぼくのことさ!」
「知るか」
 3文字で片付けられた。
「ぼくのことを知らないなんて失礼なやつだね。さっきの仕返しもしたいし、やっつけてやる!」
「誰にそんな口を聞いておるのか、わかっているのだろうな?(ふふふ、変態ミイラ男め、ぎゃふんと言わせてくれる)」
「ふん、知らないね(さっきのお返しで言い返してやったもんね)」
 カーシャの真似をしたのだが、それがちょっぴり怒りを買ってしまったようだ。
「ふふふふ、その喧嘩買ってやろうではないか」
 完全に眼が座っている。しかも口元に妖しい笑み。殺気が漲っている。
 キラリーンとカーシャの眼が輝いた。
 カーシャは刹那のうちに包帯の先っぽをつかみグイっと引っ張った。
 これはまさか!?
 どっかのだれかと同じ戦法ではないか!
 色黒の素肌に巻かれた包帯がグイグイ引っ張られ、Bファラオは『きゃーっ。お代官様お止めになって、あれぇ~』な感じでクルクル回転した。
「あれぇ~(うっぷ、吐きそうだぁぁぁ)」
 次々と包帯が剥ぎ取られ、どんどん露出度がギリギリになっていく。もともとギリギリな格好だが。
 可愛らしいヒップが丸見えだ!
 さらに乳首もこんにちは!
 お代官気取りのカーシャは心から楽しそうにしていた。
「ふふふふふふっ、回れ回れ!」
 ついに包帯は股間を隠している一本になってしまった。
 必死な抵抗を見せるBファラオは股間を思いっきりつかむが、目が回って力が入らない。
「にゃーっ!(このままじゃ)」
 このまま脱がずに終わったらサギだ!
 全国の美少年ファンから苦情が来てしまう。
 そこんところをカーシャはちゃ~んと心得ている。
「とどめだ!」
 今まで以上にグイッと包帯を引っ張った。
 Bファラオの股間から手が外れた。
 パオ~ン!
 足下をヘナヘナさせながら、Bファラオは倒れそうになるのを堪え、大事なところを手で隠した。
 一瞬だったがカーシャはしとかと見ていた。
「(ふふっ、デカイな。包帯の上からでもわかっておったが、実物は想像以上だ。着やせするタイプだな、ふふっ)」
 きっとさらし効果だ!
 女性が胸にさらしを巻いて小さく見せるのと同じで、ち○こにさらしを巻くと着やせして見えるのだ!
 ブラック・ファラオは顔を真っ赤にして、カーシャを睨みつけた。
「にゃー! 覚えてろよ絶対だぞ!(アイツとまとめて復讐してやるからな!)」
 お尻をフリフリさせながら逃げていくBファラオ。
 芝生に足を取られてコケた。
「にゃー!(ううっ、なんでこんな目にばっかり)」
 どうにか立ち上がったBファラオだったが、直後にケツにゴルフボールが直撃。もちろん撃ち込んだのはカーシャ。
「さっさと出て行け。今度はホールインワンさせるぞ!」
 どこの穴だよ。
 威し文句を聞いたBファラオは、股間とお尻を押さえて逃げて行った。
 この場に包帯を残して行ってしまったが、全裸で大丈夫だろうか?
 公然猥褻罪も新たに加わった。
 もともとギリギリの格好だったけど。

 車を降りて明星は近所を見回していた。
「この辺りの筈なのですが……?」
 ヒイロの家が見当たらないのだ。
 もしかして家すらない!?
 あながちその可能性もないとは言い切れない。
 華那汰も車を降りてきた。
「本当にこの辺りなんですか?(高級住宅街なんだけど)」
「はい、住所はこの辺りになっているのですが?」
 ちょっとセレブリティな感じを意識しちゃってる住宅街。こんな場所にヒイロの家なんてあるのか?
 華那汰は家を一軒ずつ見て回るが、やっぱり納得いかなそうな表情をしている。
「(貧乏なフリしてたけど、実は覇道くんって金持ちだったとか? あの痛さは演技じゃないような気がするけど)」
 だが、今までヒイロの私生活の実態が見えてきたことがあっただろうか?
 よくヒイロは『小さいころトーク』なんかはしていたような気がする。しかし、今はどんな生活をしていて、家族がなにをしているかなど、そういうことを華那汰は聞いた覚えがなかった。
 明星はあきらめて車に戻ろうとしていた。
「行きましょう。どうやらこの辺りには彼の家はないようです」
「はい。あたしもそう思います」
「しかし、電話番号も住所も違ったとなると……」
 ここで明星は思わぬ発言をするのだった。
「覇道ヒイロ君は本当に在籍しているのですよね?」
「え?」
「書類に書かれていることは全部嘘。覇道ヒイロという人物がこの世に存在しているのか?」
「(まさか、覇道くんの正体って集合写真を撮るといつも写ってた幽霊の山田君!? ウワサによると山田君は入学直前に亡くなっちゃったクラスメートで、だからいつもクラスで写真を撮ると写り込んじゃうんだって。でも最近、覇道くんが現れたあたりから出なくなったような気が……?)
 幽霊の山田君イコール覇道ヒイロ説。
 二人を乗せた車が走り出した。
 運転しながら明星が尋ねてきた。
「覇道君とはどのような人物なのですか?」
「どんな聞かれると、ネガティブで貧乏で頼りない感じ……ですかね?(それが本当の覇道君の姿なのかな?)」
「ほかには?」
「え~っと、私服を持ってないみたいで、いつも学ランを着てるんです。しかもその学ランって学校指定のじゃなくて、そもそもうちってブレザーじゃないですか? 白い学ランで丈が短くてお腹が出ちゃう感じなんですよね(冬とかお腹壊しそう)」
「ほかには?」
「え?(なんでそんなに聞いてくるんだろ?)」
「ほかにはありませんか?」
 まるで問い詰めるように明星は尋ねてきた。
 華那汰が口ごもっていると、さらに明星は催促してくる。
「なにかほかにありませんか?」
「なんでそんなに覇道くんのこと聞きたがるんですか?」
「私の生徒だからですよ」
「(それならあたしの話でもいいと思うけど。べつに変な意味とか、あたしに振り向いて欲しいとかじゃなくて……なに考えてるんだろ、あたしのこともっと知って欲しいとか、違うから、そういうのじゃないから!)」
 勝手に一人で盛り上がってる華那汰。
 明星は顔を前に向けながら視線だけ華那汰に送った。
「どうかしましたか?」
「いえっ、なにもありません!」
 強く否定しすぎで怪しい。
 華那汰は冷静になろうと静かに深呼吸をした。
「……だいじょぶ」
「なにが大丈夫なのですか?」
「いえ、あの……そうだ、覇道くんの話でしたよね。あいつったら世界征服が夢とか子供みたいなこと言ってるんですよぁ、あはは」
「世界征服……ですか」
 明星の言葉にはどこか含みがあった。
 疑問に感じた華那汰は首を横に傾けた。
「世界征服がどうかしました?」
「子供だからこそ大いなる力を得ることができる。だから世界征服というのも決して夢ではないでしょう」
「はい?(ちょっと意味わかんないんだけど)」
「大人に比べて子供には夢も未来も多くあると思っただけです。加護さんは将来の夢がありますか?」
 華那汰はすぐには答えられなかった。
「将来の夢……あんまり考えたことないです。でもそうなって欲しいことならあるんですけど」
「それはどんなことですか?」
「平凡な世界に戻って欲しいなぁって。日本とかちょっと最近変なことになってるじゃないですか、なんていうか(お姉ちゃんのせいとかで)、えっと、不思議な力を手に入れちゃった人たちとか(あたしのことだけど)、きのうのナメクジ事件だってそういうことが関係してるような気がして」
「しかし、慣れればそれが普通になる日が来ると思います。ここ最近の世界の変化は急激なもので、それに対応することに人々は必死ですが、小さな子供やこれから生まれてくる生命は、すぐに今の世界に順応していくでしょう。できないモノは滅ぶだけのことです」
 最後の一言を聞いて華那汰はゾクッとした。
 さらに明星は続ける。
「淘汰されていくのは自然の摂理ですよ。地球の歴史を見ても、環境に対応できずに絶滅していったものたちはいくらでもいます。ニュータイプは時代に順応した者たちです。大魔王ハルカの支配地域以外では差別されることも多いですが、これから世界はもっと変化していくでしょう。そうすればニュータイプたちの数も増え、いつかは人間の数を超えることになる。そうしたら今度は差別されるのは人間のほうです」
「ニュータイプだって人間です!」
「本当にそう思いますか?」
「だって人間だから人間じゃないですか! 人間がちょっと不思議な力を持っちゃっただけです!」
 当事者である華那汰は自分が人間じゃないなんて言われてショックだった。
 信号で明星は車を止め、不敵な笑みを浮かべて華那汰を見つめた。
「黒人差別を知らないのですか? 彼らは人間として扱われて来なかった」
「今はそんなことないじゃないですか!」
「いいえ、今でも差別は根強く残っていますよ。肌の色が違うだけで差別を起こるというのに、特異な力を持ったニュータイプが差別されないわけがないでしょう。それに自分を脅かす存在は放っておけない者たちも世の中に多いですから。いつか戦争に発展するかもしれません」
「そんなこと……そんなこと起こるわけないじゃないですか!」
「人間にとって幻想の出来事だったことが現実となった今を思えば、差別と戦争のほうが起こりえるとは思いませんか?」
「思いません!」
 華那汰は大声で否定した。
 実は華那汰も明星の言うことが現実になるかもしれないと思った。それでも認められない理由があるのだ。
 ――大魔王ハルカの存在。
「(認めたら全部お姉ちゃんのせいになっちゃう)」
 華那汰は押し黙ってうつむいた。
 車は走り続ける。
 ゴン!
 謎の打撃音!?
 うつむていた華那汰が顔を上げると?
「きゃーーーっ!」
 叫び声をあげた華那汰の瞳に飛び込んできたのはパオ~ン♪
 フロントガラスにへばりついた全裸の青年。
「うわっ、うわっ、先生人が!!」
「どうかしましたか?」
 何事もないような明星の対応。
 でも華那汰の瞳にはしっかりと、全裸の青年が白目を剥いてフロントガラスにへばり着いているのが見える。
「いやっ、あのっ、だって目の前に人がいますよね!?」
「どこにですか?」
「はい!?(うそっ、あたしにしか見えない!?)」
 そんなバカな。
 パニくる華那汰。
「全裸の男が前のガラスにくっついてますよね!?」
「私には見えませんが?」
「幽霊!?」
「霊感強いので幽霊だったら私も見えるんですけどねぇ」
「幻想!?」
 華那汰が壊れた。『ふへっ』と奇妙な笑い声を発したかと思うと大笑いをはじめたのだ。
「あはははーっ、ちょっとあたし疲れるみたいです。そうですよね、人なんているわけないですよねー」
 ゴトン。
 信号で車が止まったのと同時にフロントから全裸青年が地面に落ちた。
「やっぱり現実ーッ!」
 叫んだ華那汰は急いでシートベルトを外し、焦りながら車から飛び出した。
 アスファルトの上で大の字になって倒れている全裸青年。
「……大きい(ってあたしどこ見てんの!?)」
 顔を真っ赤にして華那汰は目を逸らした。
 が、そっぽを向いて冷静に華那汰がなろうとしていると、あることに気づいてしまった。
「(見覚えがある……あっ、思い出した! 変態大神官なんとかファラオだ!)」
 その存在を思い出したことにより、華那汰は背筋をゾクっとさせた。思い出したくもないGのトラウマもよみがえってしまったのだ。それを封印するため華那汰はなかなかBファラオを思い出せずにいたのだ。
 信号が青になっても明星の車が進まず、さらに地面で全裸青年が倒れていることから、だんだんと辺りが騒ぎになってきた。
 車から降りてきた人々が全裸青年の周りを囲む。そして、だれもが一度は股間を確認するのだった。
 しばらくして、道路の向こう側から一匹の小型犬がこちらに駆けてきた。
 華那汰はその狗に見覚えがあった。
「あ、美獣だ」
 今やミサんちで飼い犬になっている美獣アルドラだった。
「ワンワン!」
 美獣は駆け寄ってくると、なんとBファラオの股間に噛み付いたーッ!
 それはフランクフルトじゃないぞーッ!
「ぎゃーーーっ!」
 絶叫しながらBファラオは立ち上がったが、美獣は股間から放れない。
 パニックと痛みで踊り狂うBファラオに合わせて、美獣が股間でぶーらぶら♪
 騒ぎはもっと大きくなり、ここでやっと明星が車から降りてきた。
 冷たい視線をBファラオに送る明星。やっぱり見えていた。
「狗が宙に浮いていますね」
 やっぱり見えてない!
 いや、ここまで来たら見えてないフリとしか思えない。しかもかなりタチが悪い。
 獰猛な性格で股間に噛み付いていた美獣が、なぜかビクッと体を震わせた。
 急に美獣は股間から離れ、逃げるように走り去ってしまった。
 いったいなにが起きたのか?
「行きましょう加護さん」
 明星はさっさと車に乗り込もうとする。
 華那汰は再び気を失って倒れたBファラオを見たり見なかったり、主に股間をチラチラしていた。
「だってこの人どうするんですか!」
「誰のことですか?」
「だ、だから、そこで気を失ってる全裸の見知らぬ人のことです!」
 知らないと言い切った。華那汰もできれば関わりたくないと思っているのだ。
 明星は溜め息を吐いた。
「仕方がない、どうにかしましょう」
 そう言ってBファラオの体を抱きかかえた。
 やっぱり見えてたんじゃないかっ!
 ここで華那汰が言い放った。
「あたし家近いんでひとりで帰ります!」
 押しつけやがった!
「(あんな変態大神官と関わりたくないもん)」
 明星とBファラオを残して華那汰は逃亡した。
 そして明星も何事もなかったようにBファラオを置き捨てて、赤いランボルギーニ・ディアボロで疾走と消えていったのだった。

 虹色の空は美しいというよりも不気味だった。
 天の色がそうならば、地も同じような色をしていた。
 緋色の瞳を持つ幼児は、それがなんであるかわからなかったが、そのカラフルで毒々しいものに近付いてはならないと本能的に悟っていた。
 煮えたぎる酸と硫黄。
 岩肌に塩を吹き付けたようだが、その色は鮮やかな青や黄色。白く泡だった池の水はすべて酸だ。
 こんな場所にも生物がいた。
 まるでフジツボのような見た目。温水の吹き出る小さな間歇泉に群がっている。
 どこからか聞こえてくる甲高い鳴き声。
 幼児は空を見上げた。
 空を飛んでいたのは恐竜のような生物だった。
 こんな世界で幼児は怯えるどころか、目を輝かせていた。
「すげー!」
 幼児は探検気分でこの世界を歩き出した。
 2メートルも3メールもありそうな巨大なキノコ。
「腹空いたなぁ、食えるかなぁ」
 きっとお腹いっぱい食べても食べきらない。
「でも母ちゃんに知らないもんは食うなって言われてるしなぁ」
 ぐぅ~。
 お腹が鳴いた。
「腹空いたなぁ。キノコじゃなくて肉食いたいなぁ」
 すると向こうから肉がやって来た。でも、ちょっとデカイ。
 その怪獣はティラノサウルスに似ていた。
「すげー、うまそー」
 のんきに幼児が眺めていると、地響きを立てながら怪獣が駆け寄ってきた。
「でけー!」
 まだのんきにしていた幼児だったが、怪獣はドンドン近付いてくる。
 ギャォォォォォン!
 怪獣が咆えた。
「かっけー!」
 キラキラ目を輝かせる幼児はまったく動じない。
 幼児の頭にバケツを逆さにしたみたいなヨダレが落ちた。
 次の瞬間、怪獣は巨大な口を開けて幼児を丸呑みにしようとした。
 怪獣の息が幼児に吹き掛かった次の瞬間、赤い風が吹き抜けた。
 赤いマントをなびかせて、老人は幼い孫を抱きかかえていた。
「危ないとこじゃったなヒイロ」
「じっちゃん!?」
 幼児は驚かずにはいられなかった。
 なぜならいつも寝たきりの祖父がこんなにも元気そうにしている。
 それと、はじめて名前を呼ばれた気がしたからだ。
 ずっとこれまで祖父は父の名である雅人と幼児のことを呼んでいた。
 家族からもボケ老人として扱われ、ホラ吹きとまで言われていた祖父が、元気そうな姿をしてヒイロの名を呼んだのだ。
 怪獣は獲物を捕られ激怒した。
 激しく咆えながら祖父とヒイロに襲い掛かってきた。
 祖父は不敵な笑みを浮かべた。
「ヒイロ、しっかりわしに捕まっとるんじゃぞ!」
 生気に満ちあふれた祖父の顔。
 見た目は骨と皮の老人だというのに、覇気が尋常じゃない。
 さらに驚くべきことに、なんと祖父は飛んだのだ。
 ジャンプというレベルじゃない。
 まさに飛翔!
 赤いマントをなびかせながら、祖父とヒイロは遥か上空30メートル以上まで舞い上がった。
 祖父の体に力が漲る。
「行くぞヒイロ!」
 ヒイロがなにが『行く』のかわからなかった。
 でも次の瞬間にはそれは起きていた。
 急降下!
 怪獣の頭頂部目掛けて祖父の蹴りが炸裂する。
「雷神グキーック!」
 グギャゴッ!
 蹴りを喰らった怪獣の頭がガクンの曲がった。確実の折れちゃってる感じだ。
 体長10メートル以上の巨体を揺らし、轟音を立てながら怪獣が地面に沈んだ。
 無事に着地した祖父は胸に抱いたヒイロに笑いかけた。
 ビームが出るんじゃないかってほど目をキラキラに輝かせるヒイロ。
「すげーよじっちゃん!」
「伊達に若いころは大魔王を目指しておらんわ、ははははっ!」
「おれも大魔王になる!」
「おまえならなれる。おまえは特別だからな、ヒイロ」
 祖父の黒瞳はヒイロの緋の眼を見つめていた。
 緋色の瞳はなにを意味するのか?
 祖父はヒイロの頭をなでると、その体を肩に乗せた。
「そろそろ帰るぞ」
「やだよ、まだここで遊びたいよ」
「こんな場所に人間が長く居ちゃいかん。この世界は人間の住むようにはできておらんからな」
「え~っ!」
 だだをこねるヒイロに祖父は笑いかけた。
「強くなれ、強くなればこの世界でも十分やっていける。おまえが十分強くなったらまた来るといい。この世界はいつもおまえの隣にあるだろう。でも気をつけるんじゃぞ、力のないうちに迷い込めば命の保証はないぞ」
「じっちゃんといっしょなら怖くないぜ!」
「わしもいつもヒイロの傍にいられるわけじゃない。強く生きろ、なにがあろうと力強く生きるんじゃぞ」
「おう!」
 力強く返事をした孫に祖父は満足したようだ。輝く笑みを浮かべた。
「では帰るぞ」
「え~っ!」
 さっきは聞き分けが良かったのに、ダダをこねるヒイロに祖父は苦笑いを浮かべたのだった。

 ヒイロは頭をかいて辺りを見回した。
「おいおい、どこだよここ」
 不気味な景色。
 虹色に輝く空と大地。
 硫黄の臭いが鼻にツンとくる。
「くっせーなぁ」
 よくわからない場所に迷い込んでしまったヒイロは頭をまたかいた。
「(学校を飛び出してから……どうしたんだっけか?)」
 記憶が抜け落ちていた。
「(なんか見覚えあるんだよなぁ、夢かなんかで見たのか?)」
 辺りの景色を見ながら言った。
 間欠泉が噴き出し、ヒイロはそれにビビって腰を引く。
「なんだよ、ビビらせんなよ。ただの噴水かよ」
 声に出して自分を落ち着かせた。
 次に聞こえてきたのは甲高い鳴き声だった。
 またもやビビるヒイロ。
 空を見上げると鳥のような影が見えた。
「なんだよ鳥かよ(焼き鳥食いてー)」
 が、次の瞬間、ヒイロ目掛けて急降下してきたのは、鳥ではなくプテラノドンそっくりの怪獣だった。
 ギャース!
 怪獣はヤル気満々の声をあげてヒイロに喰らう付こうとする。
 ヒイロは猛ダッシュで逃げた。
「なんだよ、俺様なんか喰ってもうまくないぞ!」
 すぐ真後ろから歯を鳴らす音が聞こえてくる。
 それもなんだか一匹じゃなくて、どんどん仲間を呼んで増えてる気がする。
 振り向くこともできずヒイロは必死に逃げた。気配が背中にビシバシ刺さってくる。ちょっとでも気を抜いたら絶対に殺られる。
 足下は悪い。岩場が続いている。なのに相手は空を飛んでヒイロに襲い掛かってくる。
「うわっ!」
 ヒイロの足が岩に引っかかってしまった。
 転んだ拍子に手を付き、岩肌が刺さってしまった。
「いってー、マジいてぇよ」
 すぐに立ち上がって手のひらを返してみると、そこは血だらけになっていた。
「くっそ~、俺様の血が……もったいない!」
 しかしとっさに手を付いていなければ、今ごろ顔面血だらけになっていたところだ。絶対鼻とか歯とかボッキボキだ。
 ヒイロが転んだそのスキを怪獣が見逃すハズがなかった。
 上空から急降下してくる怪獣。開いた口はヒイロの頭を収穫しそうだ。
 だが、そのときだった!
 ギャォォォォォン!
 怪獣の咆吼。
 ヒイロを襲おうとしていた怪獣が一目散に空へ散っていく。
 この場に現れた新たな怪獣。
 ティラノサウルスに似たその怪獣は地響きを立てながらヒイロに突進してくる。
「マジかよ?」
 マジだった。
 怪獣はヒイロを獲物として見ていた。
 ギラつく眼。巨大な口を鋭い歯。体長は10メートルを超えている。
 ヒイロは必死で逃げるが、相手の方が歩幅も大きく勝ち目はない。
 追い着かれるのは時間の問題。ヒイロは慌てて辺りを見回した。なにか使える物はないか?
「あれは?」
 ヒイロの眼に飛び込んできたのは巨大なキノコ。2、3メートルはありそうだ。
「あれに登れば!」
 果物狩りで身につけた木登りで、ヒイロはサルのようにキノコをよじ登った。
 登るのはカサの下までで精一杯だ。
 ぜんぜん高さが足りなかった!
 怪獣は余裕でヒイロに噛み付こうと首を伸ばした。
 おそらくカサの上まで登っていても低かっただろう。
 登り損!
 怪獣に噛み付かれる瞬間、ヒイロは地面に飛び降りた。
 ゴキッ。
 着地に失敗した。
 足首をひねったヒイロが身悶える。
「いって、マジいてー、ありえねーよ!」
 足は負傷したが噛み殺されずには済んだ。と言っても、攻撃を一回かわしただけだ。
 再び巨大な牙がヒイロの眼前まで!
 胞子が舞い落ちた。
 倒れる巨大キノコがなんと怪獣の頭に直撃した。
 バランスを崩した怪獣。
 今がチャンスとばかりヒイロは必死に逃げた。
 さきほど1度目の攻撃のとき、怪獣はヒイロに逃げられ誤ってキノコの茎に食らいついていたのだった。それが今になって倒れてきたのだ。
 振り返らずに走るヒイロだったが、その背中と足に揺れと轟音を感じた。
 恐る恐る振り返ると怪獣が倒れていた。それも白目を剥いて泡を吐いている。ついでに体まで痙攣させているではないか。
「まさか……毒キノコかっ!(食わなくて良かった)」
 一瞬でも食おうと考えてたのかヒイロ?
 ヒイロは慌てて服や髪を払った。
「マジやべー、胞子とか大丈夫かよ!」
 自分の肩を見たヒイロが顔面蒼白になった。
 そこにはエノキのようなひょろっとしたキノコが何本も生えていたのだ。
「繁殖力強すぎだろ!」
 急いですべて抜き捨てた。
 が、反対側の肩にもキノコがひょろっと。
「いい加減にしろよ!」
 そっちのキノコも全部抜いて、怒りを込めて地面に叩き捨てた。
 どうにか一段落。
 溜め息を吐いて下を見た瞬間、ヒイロの眼に飛び込んできた巨大なキノコ。
 股間に生えとるーっ!
 肩のキノコに気を取られている間に育ってしまったマツタケサイズ。
 こうしている間にもキノコはグングン育っていく。
 バナーナ、バナーナ、バ、ナーナ!
 あまりの衝撃でヒイロはキノコを抜くこともできない。てゆか、なんか抜くのがためらわれる。
「うおーっ、どんどんデカくなってる!」
 ついにキノコはバットサイズにまで成長してしまった。
 しかもこのサイズに成長したキノコはなんだか胞子をまき散らしはじめた。
「また増える気か!」
 焦ったヒイロはついに股間からキノコを引き抜こうと握った。
 両手で握って力を込めるが――抜けない!
「俺様のち○こは一本でいいんだよ!」
 それはキノコだ。
「うぉぉぉりゃぁぁぁぁっ!」
 まるでトイレで唸っているような力んだ声。
 スポン!
 抜けたーっ!
 やっとキノコが股間から抜けた。
 どーにかこーにかひと息ついて休むもうとしたのだが、今度は手に生えとるーっ!
 慌てて手からキノコを引き抜き、ゼーハー肩で息を切りながら休もうとすると、股間から生えとるーっ!
 以下リピート。
 そんな感じで小一時間、ヒイロはキノコと格闘するハメになったのだった。
 ――生気を吸われたように瀕死のヒイロ。
「ゼーハーゼーハー(終わった……か?)」
 まだちょっと半信半疑だ。
 でもキノコが生えてくるようすはない。
 つまらないことで時間を潰してしまった。
 ここで改めてヒイロは状況把握しようとした。
「(学校から飛び出して……今に至る)」
 あいだが抜け過ぎだった。
「つーか(こんな景色見たことあるんだよなぁ)」
 思い出せない。
「思い出せ~思い出せ~思い出せ~」
 呪文のように唱えた。
 そのときのことを思い出せば、ここからの帰り方も思い出せるかも知れない。
「……いつ……どこで……だれ……と?」
 自問自答するヒイロが閃いた。
「そうだ、じっちゃんだ!」
 明るい表情をしたヒイロだったが、見る見るうちに不安が顔を染めた。
「待てよ(寝たきりのじっちゃんと来るわけないよな。でも記憶が……それとも夢だったのか……じいちゃんが恐竜を倒すなんてありえないよな)」
 あいまい過ぎる記憶。さらにそれが自分が知っている現実とかけ離れていたら、夢との区別がつかなくなってしまう。
 でも、今のヒイロにはほかの手がかりがなかった。
 記憶の糸をたぐり寄せる。
「(恐竜を倒してすぐに帰ろうってことになったんだよな)」
 ヒイロは歩き出した。
 散歩をすると脳の働きが良くなる……らしい。
「(帰るために俺様の力が必要だとかってことになって、でも結局俺様にはどうしようもなくて、なにか別の方法を探そうってじっちゃんと……)」
 ヒイロはハッとして顔を上げた。
 それは運命なのか、無作為に歩いていたハズなのに、目の前には見覚えのある洞穴。
「ここだ。あのときもここに来た」
 盛り上がった岩石に開いた穴は地下へと伸びている。
 その先にいったいなにがあるのか?
「思い出せねー!」
 ここまで来たら行くしかないだろう。
 ヒイロは意を決して洞穴に足を踏み入れた。
 薄暗くゴツゴツとした地面に足を取られそうになる。
 奥に進むにつれ、入り口からの光も届かなくなり、全身が暗闇に呑み込まれてしまう。
「(前が見えなくなってきた)」
 これ以上進むのは無理そうだ。
「(明かりがあればな)」
 引き返そうとヒイロがしたとき――ガサガサ、ガサガサ、壁を這う音が洞穴に響き渡った。
 そして、ポトっと落ちた。
「ぎゃぁぁぁぁっ!」
 ヒイロの背中に入ってきた謎の物体。
 ガサガサガサっと背中を這い回るなにか。
「うおっ、ひぎゃ、うぉぉぉぉぉっす!」
 パニック状態のヒイロは闇に向かって全力疾走。洞穴の奥へ奥へと進んでしまった。
 まさに闇雲を走り続け、やがて巨大な空洞に出た。
 そこが空洞だとわかったのは光があったからだ。
 気づけば背中の違和感も消えていた。
 ヒイロは空洞の中心に目を遣る。そこで何かが輝いている。
 洞穴は自然にできたように思えるが、この場所は人の手が加わっているらしい。
 空洞は綺麗なドーム状になっていたからだ。
 ヒイロは空洞の中心に近付く。
 光に眼が慣れてきた。
 そこにあったのは壺だった。取っ手の付いていないシンプルな丸い壺。色は白く輝き、それが部屋を明るくしているようだ。
 こんな場所になぜ壺があるのか?
 ヒイロは魅了されたように自然と壺に手を伸ばしていた。
 バチッ!
 壺の近くで手に電流が走った感覚がした。
 思わずヒイロは手を引っ込めたのだが、次の瞬間には手が吸い込まれていた。
「うぉぉぉっ!?」
 なにが起きたのかわからない。
 掃除機なんて比べものにならない吸引力。
 手が壺の中に吸い込まれる。
 しかも、壺の色が変わっているではないか!?
 白く輝いていた壺はいつの間にか黒くなっていた。明らかに壺に変化が起きた。その切っ掛けはわからないが、壺は今まさにヒイロを吸い込もうとしているのだ。
 壺の大きさはヒイロの頭より少し大きいくらいだ。壺の口もそれほど大きくない。それなのにヒイロは肩まですでに吸い込まれていた。
 このままでは丸ごと呑み込まれる!
「クソ、足が……浮く!」
 片足が浮いた刹那、瞬く間にヒイロが壺の中へ吸い込まれていく。
 頭を呑まれ、胴を呑まれ、最後に残った片足が呑まれた。
 静まり返る空洞。
 ヒイロの声が響いた。
「クソッ!」
 壺の内側からヒイロの手が伸び、縁をつかんだが――これが最後の抵抗だった。
 手も闇色の壺の中へ。

「ただいまー!」
 華那汰は元気よく自分ちの玄関を上がった。
 そのまま廊下を走り茶の間に飛び込んだ。
「……あ、こんにちは(今日もいるんだ)」
 華那汰は白い眼でその人物を見た。
 人んちで勝手にまったりしていたのカーシャだった。
「うむ、華か。今日のおやつはエクレアだぞ」
「(口元にチョコついてる。なんでこの人はあたしんちで勝手におやつ食べるかなぁ)」
 ちなみにテレビのチャンネル権もカーシャにある。
 テレビがCMに入るととにかくカーシャはチャンネルを変えまくる。
 内心、華那汰はちょっと止めて欲しいと思っていた。
「(テレビくらい自分ちで見ればいいのに)」
 それを口に出してカーシャに言うことはない。華那汰もカーシャがどんな人物かは心得ているからだ。
 自分の部屋に行く前に華那汰はなにかを探して辺りを見回した。
「お姉ちゃんは?」
「庭におるぞ」
 テレビを観ながら片手間でカーシャが答え、聞いた華那汰は窓の外を見た。
 庭でチョウチョを追いかけて遊んでいるハルカの姿。その姿を見て華那汰は沈痛な表情をした。
「お姉ちゃん……(なんでチョウチョなんか)」
 まるで猫のようだ。
 カーシャはテレビに目を向けながら、淡々と口を開いた。
「幼児化が進んでおるようだな。もしかしたらその副作用で猫化も進んでおるのかもしれん」
「……やっぱり。どうにかならないんですか?」
「今のところは打つ手無しだな(手立てがない以上は毎日こうやって観察することしかできん)」
「そんな……(猫の姿であたしの前に現れて、そのあと幼児化したときもショックだったのに、本当に猫になっちゃったらどうしよう。それってお姉ちゃんって言えるのかな。目を背けてしまいそうで……怖い)」
 異世界から帰ってきた華那汰の姉は猫の姿になっていた。その後、なんらかの理由で幼児化がはじまったらしい。幼児化の原因はいったいなんだったのか?
 華那汰はカーシャへ身を乗り出した。
「せめて人間の姿に戻すことはできないんですか?」
「それを行う魔力がない。道具や施設もない。器もない。もし準備が整ったとしてもリスクが大きい。絶対に成功させなければハルカはこの世界から完全消滅するだろう。幼児化しようが、猫化しようが、魂はハルカだ。それならば打つ手もあるかもしれんが、完全消滅すれば本当に打つ手がなくなってしまう」
 絶対成功がハルカを元の人間の姿に戻す条件。
 望みはないのか?
 華那汰は胸が苦しくて、零れそうになる涙を必死で堪えた。
「あたし……どうしていいか」
「妾にできんことをおまえにできるわけがなかろう」
「そんなヒドイ……あたしだって!」
「出来ると思うなら行動を起こせばよかろう。クヨクヨしているだけではなにも変わらんぞ?」
 どうしていいかわからないじゃ、なにも前に進まない。
「でも、だって……どうしていいのか……」
 どうしていいのかわからないときは、どうしていいのかわからないから、どうしていいのかわからない。
 不安が不安を呼ぶのと同じで、抜け出せなくなって繰り返してしまう。
 自問自答はではそこから抜け出せない。
 なにか外部からのキッカケが必要だ。
 しかし、キッカケすらもつかめなかれば、望みは絶える。
 体を元に戻せば猫化は治まるが、体を戻す手立ては今のところない。もし体を元に戻せても幼児化の原因はべつで、精神的ショックによるものだ。幼児化を強引に直せばショックがよみがえるだけだ。ショックは時間が癒してくれる可能性もあるが、そんな間にも猫化のほうが進むだろう。
 呑気にカーシャはテレビを見続けていた。体勢も畳に寝っ転がって、完全に寛いでしまっているが、発する声音は真面目その物だった。
「ぶっちゃけ、妾もどうしていいのかわからんからこうしておる。だがな決してハルカを見捨てたわけではないとだけ言っておくぞ、そこまで妾も冷たくはない。ただ妾は時間にあまり執着がないものでな、今すぐにハルカを治そうとしてもなにもできず焦りと不安が募るだけなら、妾はその時間を悠々自適に過ごし機会が巡ってくるのを待つことができる」
「でもそんなこと言ったら、時間が過ぎて悪くなる一方じゃ!」
「くだらんな。猫になろうがどうしようが、ハルカはハルカだと言っておるのがわからんのかアホ。悪化しようが魂さえ消滅しなければ治る可能性もある。少なくとも妾がいた世界では理論的には可能だ。ただこの世界では準備が整わないと言っているだけで、不可能なんて一言も言っておらんぞアホ!」
「理論がどーとか言われてもわかりませんけど、魂が消滅って死ななければどうにかなるってことですか! 死ななくてもどうにもならないことあるじゃないですか!」
「これだからこっちの人間は困る。生物学も遅れてるし、なんでエネルギーはあるのにちゃんとした魔導学が存在しておらんのだ。死ぬことと魂が消滅する違いすら理解できないとは、死とは妾の世界では肉体が滅びること意味しておる」
「それってただの宗教思想じゃないですか!」
「こっちの世界では根拠のない宗教でも、妾の世界では証明された宗教の理念として存在しておるのだ」
「そっちの世界ではそうでも、こっちの世界でも通用するとは限らないじゃないですか!」
「するに決まってるだろう。こっちの世界は妾が見てきた限り妾の世界と根本的には似ておるし、魔導を司るマナエネルギーも存在しておるようだ。それにハルカが今のような姿のままで存在し続けていられるのも良い例だ。妾の世界と法則や根本その物が違う次元や世界だったら、妾もとっくに死んでるか消滅しとるわ。人間のおまえが宇宙空間に放り出されて生きていけるのか? 世界の根本が違うということは、おまえが宇宙空間に放り出されるよりも、想像もできないようなわけもわからんことで構成された世界ということなのだ。わかったかアホめ!!」
 長々と吐き捨てた。
 カーシャの態度が挑発的でイラっとしているようなので、華那汰までイラっとした。
「だったらお姉ちゃん治るんですよね!!」
「だから理論的には可能だと言っておるだろうアホめ!」
「理論とか聞いてるんじゃなくて、治るかどうか聞いてるんです!」
「何度も言わせるな、理論的に可能なんだから可能に決まっておるだろう!」
「だぁ~かぁ~らぁ~! カーシャさんアホなんですか!」
「アホとはなんだアホとは!」
「だってアホじゃないですか!」
「おまえのほうがアホだ、バカめ!!」
「バカっていうほうがバカなんですぅ~、ばーか!」
 いつの間にか醜い争いになってしまった。
 火花を散らしながら睨み合いをする華那汰とカーシャ。ちょっとでも二人に触れたら爆発しそうだ。
 そんな状況を知ってか知らずか、華那汰のママが部屋に入ってきた。
「華那汰ぁ~、家のカギ知らなぁい?」
 この場の空気にそぐわないぽわわ~んっとぼやけちゃってる声。
 カーシャはさっと気持ちを切り替えて胸の谷間に手を突っ込んだ。別に血迷ってエロイことをしようとしているのではない。カーシャはよくそこに物を入れているのだ。
「カギなら妾がもっておるぞ」
「(なんでカーシャさんがあたしんちのカギ持ってるんの)」
 華那汰がカーシャに送る疑惑の視線。
 そんな視線は意に介さずカーシャは胸の谷間からカギを出そうとした――が。
「おかしいな……ないぞ……ん?」
 人前で堂々と胸をまさぐるのはどーかと思う。しかも爆乳だから動く動くうねる。
 ついには両手でまさぐりはじめた。
「ないぞ……さっき使ったばかりなのだが……あぁん♪」
 なぜか突然喘いだカーシャ姐さん!
 エロイです!
 華那汰は唖然とした。
「は?(胸をまさぐって喘ぎ出すとかただの痴女じゃん)」
 しかもカーシャの喘ぎは止まらなかった。
「あっ……あう……きゃははは、やめろ、やめんかっ!」
 途中から笑いに変わったぞ?
 目つきをギロっとさせたカーシャが胸の中から巨大ななにを取りだして、そのまま一本背負い風に投げ飛ばした。
「たわけがーッ!」
 ドスン!
「ふぎゃッ!!」
 畳に投げ飛ばされたのは――なんとヒイロだった!?
 取り出したカーシャ本人も怪しむ表情で眼を細めてヒイロを睨んでいた。
「どっから出てきた?」
 あんたの胸の谷間から。と、そんなことを聞きたいわけじゃないだろう。どの空間と胸の谷間が繋がったのか、そこんとこを聞きたい。
 瀕死状態のヒイロの意識が戻った。
「ううっ……ここは……?」
 自分の置かれた状況を理解していないらしい。
「妾の家だ」
 キッパリ言い切ったカーシャに華那汰が言葉をかぶせる。
「あたしんちです!!」
 ホントにカーシャは油断もスキもない。この家が完全制圧されるのも時間の問題かもしれない。
 ヒイロは上体を起こして、辺りを見回し華那汰を見て眼を丸くした。
「なんでお前がここにいんだよ!」
「だからあたしんちって言ってるでしょ」
「なんでお前んちなんかにいるんだよ」
「それはこっちが知りたいし! 勝手に人んち入って来て早く出てってよ! てゆか、まずクツ脱いでよ!」
 ついさっきまでヒイロのことを心配していたというのに、顔を合わせたらこれだ。
 だが、華那汰は少し安堵していた。
「(なんだ覇道くんいつもどおりじゃん)」
 そう、すっかりヒイロはいつもどおりだった。
 大声を出す華那汰にうんざりって感じでヒイロはクツを脱いでから立ち上がった。
 そして、なぜかヒイロの股間に女子3人の視線が集中した。
 ちょっぴり頬を赤らめる華那汰のママ。
 薄ら笑いを浮かべるカーシャ。
 呆気にとられる華那汰。
 3人の視線に気づいてヒイロは自分の股間を見た。
「なんじゃこりゃーっ!」
 そこにあったのツボだった。
 ツボがスポっと股間にハマっていたのだ。
 ヒイロは必死になってハズそうとしたが股間が引っ張られる。
「うぉぉぉっ、ハズれねーッ!」
 ツボを両手でつかんで抜こうとする姿はマヌケ過ぎた。
 華那汰は白い視線でヒイロを突き刺した。
「アホくさ」
 さらにカーシャからの攻撃。
「もともとアホだが、今日は一段とアホだな(ふふっ、エロイ)」
 そして、ママまでも。
「わたしこういうのテレビで見たことあるわぁ」
 どこかの部族が全裸に近い状態で、ち○こだけ筒で隠してるアレですね。わかります。
 ヒイロは腰を引いてみたり、仰向けになってみたり、さらにはM字開脚になってみたり、ツボを外そうと必死だ。
「お前ら人ごとだと思いやがって!」
 華那汰はニッコリ。
「うん、人ごとだもん♪」
 グサッ!
 ヒイロの胸に華那汰の言葉が突き刺さった。
「ふざけんな、困ってる人を目の前で見捨てるなんて外道だ!」
 というのをブリッジ姿勢で言われてもマヌケなだけだ。
 ブリッジ姿勢のままツボを外そうとして、腰が浮いたり下がったり、アホ過ぎる。
 華那汰とカーシャはまだまだ見ている気満々だが、この場には良心が1つだけ残っていた――ママだ!
「そうね、外れないなら割ったらどうかしら?」
「そのアイディアもらったー!」
 ヒイロは叫んで腕立ての体勢を取った。
 そのまま腕を下げて勢いで割るつもりなのか?
 下手したら痛そうだぞ?
 ここでカーシャが止めに入った。
「待て、妾が割ってやろう!」
 カーシャが胸の谷間から取り出したのはカナヅチ。
 たしかに腕立て伏せで地面に叩きつけた拍子に、恥骨とかち○ことか打っちゃうより良い方法だろう。
 ヒイロはカーシャに自分のち○この運命をたくし、腰に手を当てて堂々と仁王立ちした。
「よしっ、来やがれ!」
 カーシャがニヤっと笑う。
 水平にカナヅチを構えたカーシャ!
 水平!?
 つまり横に振るつもり?
 しかもツボを横から狙ってるんじゃなくて、ツボの底――というか、その先のち○こを狙ってるような気がするんですけ?
 それに気づいたヒイロは逃げようとした。
「ちょっと待て、割るな、割るな、割るなーッ!」
 が、遅かった。
 ゴーン!
 ツボの底に強烈な一発が入り、ヒイロのち○こまで振動が響いた。
 しかし、ツボは割れなかった。
「……チッ」
 舌打ちしたカーシャはさらに強烈な一発を放とうとしていた。
 カーシャが大きくカナヅチを後ろに振り下げた瞬間、ヒイロは逃亡を図った。
「俺様を殺す気か!」
 ヒイロは庭に飛びだそうと窓に近付いたのだが、ヒイロが開ける前に窓は何者かによって開かれた。
「見つけたぞ偉大なる魔導具! げっ、なんできみたちまでいるんだ!?」
 窓を開けて部屋に飛び込んできたのはBファラオだった。
 華那汰の視線がその股間を注目する。
 Bファラオは丸出しではなく、白と青のストライプのパンティ。
「ああっ、ああああ、あたしのパンツ!!」
 が~ん!
 しかもサイズが合わないのはあきらかで、かなり無理矢理詰め込んでる感がある。ナニがとはあえて言いませんが。
 華那汰はパンツを取り替えそうとBファラオに飛び掛かった。
「あたしのはかないで変態! もうそんなパンツ燃やして捨てる!!」
 Bファラオのほうはヒイロの飛び掛かろうとしていた。
「その〈呼吸の壺〉はぼくがもらったよ!」
 体勢を低くしてヒイロの股間に飛び掛かるBファラオの顔面に、カーシャの足の裏が迫った。
「またおまえか!」
 ベキッ!
 カーシャの蹴りがBファラオの顔面に入った。
 畳でへばるBファラオのスキを突いて華那汰はパンツを脱がせる。
「早く返してー!」
 再びすっぽんぽんに戻ったBファラオをカーシャは腕を引っ張って庭へと放り出した。
「妾の家で暴れるな!」
「だからあたしんちだって」
 華那汰のツッコミは軽くスルー。
 さらにカーシャはヒイロの首根っこも捕まえて、庭へと放り出してしまった。
「ケンカなら外でやれ!」
「うわっ、なんで俺様まで!?」
 ガラガラ~、ガチャ!
 窓が閉められ、ついでにカギも閉められた。
 全裸で意識を取り戻したBファラオは、股間を手で隠して逃げ出そうとした。
「にゃー! みんな覚えてろよ!」
 お尻をふりふりさせながら消え去った。
 ヒイロは窓ガラスをドンドン叩く!
「ふざけんなこのやろー!」
 家の中ではカーシャが何事もなかったようにテレビを観て寛いでいる。しかもママまで談笑。ちなみに華那汰はパンツを燃やすため席を外していた。
 仲間はずれを喰らったヒイロの脳裏に木霊する言葉。
 やーい仲間はずれ。
 やーい仲間はずれ。
 やーい仲間はずれ。
 トラウマ発動。
 ヒイロは今にも泣きそうな顔をして、庭にあったサンダルに履き替えて、カッポカッポ足を鳴らしながら去って行ってしまった。
「わぁ~ん、貧乏人をバカにすんじゃねえ!」

 キーンコーンカーンコーン♪
 鳴り響く学校のチャイム。
 男子生徒たちが戦闘態勢に入った。
 教室のドアから飛び込んで来た華那汰が宙を舞う。
 ひらひらひら~っと揺れるスカート。
 男子生徒の歓声が上がった。
 ――今日は水玉だ!
 先月まで流行っていたパンティー占い。今月に入ってからはパンティーカジノが流行っているらしい。それを言うならパンティー賭博のような気もするが、きっとカジノのほうが語呂や雰囲気がよかったのだろう。
 喜ぶ男性生徒。
「よしっ、ゲーム1回おごりだからな!」
 残念がる男性生徒。
「なんだよ、白と水色のしましまじゃないのかよ」
 そして、見られただけで嬉しがる男性生徒。
「(うひょー今日もエロかった)」
 パンツの楽しみ方は人それぞれだ。
 華那汰から少し遅れてヒイロが教室に飛び込んできた。
「セーフ!」
 いや、チャイムは鳴り終わっている。
 でも担任が来ていないのでギリギリセーフだろう。
 いつの間にか華那汰の席とヒイロの席は横隣り、きのうちゃんと華那汰が戻しておいたのだ。
 横の席に座ったヒイロに華那汰がある物を差し出した。
「はい、忘れ物」
 それはヒイロがきのう華那汰の家に忘れていった――というか、強制的に放置されたクツだった。
 しかも、ぴっかぴかに磨かれている。
 クツを受け取ったヒイロは驚いている顔だった。
「もしかして洗ってくれたのか?(しかも穴まで塞がってる)」
「べつに……きのう雨降ったからじゃない?」
「サンキュー」
「だからなにもしてないって」
 ツンとした表情で華那汰はそっぽを向いた。
 そして、華那汰はあることに気づいてしまった。
「(席が増えてる!?)」
 きのうまではなかった席が真横に1つ増設されている!?
 ま、まさか!
「(ついに山田くん登場!?)」
 まだ引っ張るのかその話。
 山田くんかどうかは別として、転校生が来ることはほぼ間違いないだろう。ヒイロに引き続き季節外れの転校生だ。2ヶ月続けて転校生なんて、どー考えてもおかしい。
 教室のドアが開いてまずは明星が入ってきた。
「みなさんおはようございます」
 続いて、その後ろから入ってきた〝物体〟を見て生徒たちは唖然とした。
 教壇に立った明星が紹介する。
「今日からみなさんのクラスメートになるツタンカーメン21号君です」
 ざわざわざわざわ。
 クラスに轟いたさざ波。
 そこに立っていたのはエジプト展とかでありそうな黄金の人形の柩だった。
 しかも驚いたことに、ガタガタ音を鳴らしながら柩のまま移動してやがる!
 移動する必死さが見ているこっちにも伝わってくる。
『外に出ろよ』っとツッコミたくなってしまう。
 でも出ない!
「ご紹介にあずかりましたツタンカーメン21号でごわす」
 その語尾は必要なのか?
 国籍も人柄も混沌としているぞこの転校生。
 しかも声色は無理矢理低く出しているように感じられた。
 華那汰はあることに気づきそうだった。
「(あれ、どっかで聞いたことのあるような声)」
 イマイチ思い出せない。
 もうちょっとがんばって思い出そうとする。
「(だれだっけなぁ……友達じゃないし、知り合いでもないし……)ああっ!?」
 急に声をあげて華那汰が席を立ち上がった。
 不思議そうな顔をして華那汰を見つめる明星。
「どうしましたか加護さん?」
「いえ、なんでもありません!」
 華那汰は慌てて席に着いた。
 席についてもその心はまだ荒れたままだ。
「(絶対そうだ、あいつしかいない……パンツ泥棒だ!)」
 つまりBファラオだ。
 まさか学校に乗り込んでくるとは思いも寄らなかった。
 その事実に気づいてしまった華那汰は焦る。
「(パンツ泥棒がなんで学校に……まさかあたしのパンツを狙って!?)」
 いや、それはない。
「(それともあたしだけじゃなくて、女子生徒全員のパンツを狙って!?)」
 いや、それもない。
「(もしかして女子のパンツだけじゃ飽きたらず、男子のパンツまで!?)」
 ない!
 ツタンカーメン21号はドスンドスンジャンプして、華那汰の隣の席に着いた。けど、柩の形状から座れないので立ったまま。
 学校の教室のファラオの柩――シュール過ぎる!
 柩に描かれた顔の無表情っぷりがさらにシュールさを呼んでいる。
 しかも、そんな顔の絵が華那汰のほうを向いていた。
「(あたしのほう見てる!? なんで!? どうして!? やっぱりあたしのパンツを狙ってるの!?)」
 柩は顔を向けようとすると全体を動かさないといけないので、モロ華那汰のほうを向いている。ガン見されている状態だ。
「(このパンツは絶対に渡さない。もう自分の手でお気に入りのパンツを燃やす悲しい光景なんて見たくない!)」
 勝手に盛り上がって決意しちゃってる華那汰。熱くこぶしまで握っている。
 そんな決意をして、華那汰は再びツタンカーメン21号に顔を向けると――近くなってるぅーッ!
「(まさか唇まで奪う気っ!?)」
 ツタンカーメン21号の顔は華那汰の目と鼻の先。10センチも満たない距離まで近付いていた。
 無表情の顔の絵がものすっごいプレッシャーを放ってくる。
 シュールというか怖すぎる。
 明星が咳払いをした。
「ツタンカーメン21号君、なにをしているのですか?」
 ゴタゴトガタン!
 焦ったのか、急いでツタンカーメン21号は自分の席まで戻った。
「なんでもないでごわす!」
 そのしゃべり方どうにかならないのだろうか?
 席に戻って行ったツタンカーメン21号を強烈な目力で華那汰は睨んだ。
「(パンツの次は唇? まさかブラまで盗って付ける気じゃ?)」
 華那汰の頭に浮かんだ上下下着姿のBファラオの映像。股間がちょっと大変なことになっている。
「ぶっ!」
 思わず華那汰は噴き出してしまった。
 そのせいでクラスの注目を浴びる。
 華那汰は顔を真っ赤にしてうつむいた。
「(なんであたしがみんなに見られなきゃいけないの。これも全部パンツマンのせいだ)」
 いつの間にか呼び名が変わっていた。
 気づけば再び華那汰のすぐ傍にツタンカーメン21号が!
「(もうやだ……あたしのパンツが……パンツが……)」
 恐怖で華那汰は涙ぐんでしまった。
 パンツが盗られるという恐怖がなくても、ファラオの柩が眼前まで迫ってきたら怖い。
 もう華那汰は限界だった。
 急に席から立ち上がった華那汰。
「もうパンツあげるから許して!」
 クラスに響き渡った華那汰の叫び。
 なんか変な空気がクラスに広がった。
 クラスメートたちは『は?』という表情をしている。そりゃそうだ、女子生徒が突然立ち上がって『パンツあげる』発言したら、変な空気が漂ってしまうの当たり前だろう。
 女子のパンツというエロワード。エロワードも使いどころを間違えるとまったくエロくない。むしろドン引きされる。
 静まり返った教室。
 涙ぐんでいる華那汰。
 佇んだままのツタンカーメン21号。
 びみょ~な空気で収集がつかなくなっている。
 しばらくして口を開いたのは明星だった。
「どうかしましたか加護さん?」
 尋ねられた華那汰は明星のほうを向いたあと、ビシッとバシッとツタンカーメン21号を指差した。
「だってこいつあたしのパンツ盗ろうとするんです!」
「「「ええ~~~っ!?」」」」
 クラス中から驚きの声があがった。
 瞬く間に広がるツタンカーメン21号は女子のパンツを盗ろうとしている変態思想。
 ツタンカーメン21号ガタガタ言いながら焦った。
「誤解でごわす! あれは穿く物がなくてしかなかったでごんす!」
「「「きゃ~~~っ!?」」」」
 クラス中から悲鳴があがった。
 本人が盗っただけじゃなくて穿いたことも認めちゃった。
 ファラオの柩の格好しているだけでも変態なのに、本物の変態だったとクラスの認識は強まった。
 さらに華那汰は追い打ちをかける。
「さっきからあたしのことずっと見てて、キスしてパンツ盗ってブラまで盗ろうとしてるんです!」
 妄想被害!
 タチが悪い、タチが悪すぎる。
 もしもえん罪だった場合どうするつもりなのだろうか。
 しかし、クラスの空気は華那汰を信じる方向だった。なぜって、すでにパンツを盗んで穿いたのは本人の口から自供済みだ。自分で言っちゃったんだから不利に決まってる。
 すっかりツタンカーメン21号は変態パンツ泥棒扱いだった。盗んだのも事実だし、穿いたのも事実だから、変態は変態に変わりないが。やむを得ない事情があっても女性のパンツを穿くのは変態だろう。
 追い詰められたツタンカーメン21号。
「違うでごわす。キスなんてしないでごわす。ブラも盗らないでごわす!」
「じゃあなんであたしのこと見てたの!」
 華那汰が強く迫ると、ツタンカーメン21号はたじろぎながら、その真相を口にした。
「そこにいる男の股間を見てたでごわす!」
 そっちの趣味だったのかーッ!
 っという衝撃がクラスを駆け巡った。
 さらにツタンカーメン21号の意中の人にも視線が集中した。
「俺様?」
 きょとんとするヒイロ。
 ツタンカーメン21号はヒイロを指差しながら命令する。
「ちょっと立つでごわす!」
 〝たつ〟という響きに反応する一部の生徒。だがこれはそんなに広まらなかった。
 なんだかわからないが、とにかくヒイロは席を立つことにした。
 笑撃!
 教室のあちこちからクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「俺様が貧乏だからってバカにしてんだろ!」
 いや、そこじゃなくて……股間だった。
 ヒイロの股間からはツボが生えたままだった。
 それに今さら気づいた華那汰は衝撃を覚えて顔を青くした。
「覇道くんお風呂入ってない!?」
 衝撃だった。
「べつに1日くらい入らなくたっていいだろ!」
 あ、ホントに入ってないんだ。
 でも、もしもずっとツボが取れなかったら……。
「はい、ではみなさん朝のホームルームを終わります。1時間目の用意をしてください」
 ものすごい空気を読まない明星の発言。唐突すぎて生徒たちはなにを言われたのか理解できなかった。むしろ空気を読んだからこそ変態たちをシカトしたのかもしれない。
 そして、明星はさっさと教室を出て行ってしまった。
 つまり『生徒たちの問題は生徒たちで力で解決しないさい』という教えだ。違うかもしれないけど。
 ファラオの柩VSツボ
 ある意味すごい戦いから生徒たちは眼を離せない。
 どっちも変態だ!
 どちらがより変態か、それを判断するのは難しいかも知れない。
 股間にツボ。これはあきらかに変態である。
 ファラオの柩については、それその物が変態というわけではない。その辺りが審査を難しくしていると思う。教室というシチュエーションにファラオの柩、さらに中身の人が変態。これが審査のポイントになって来るに違いない。
 X軸の左に〝シブイ〟、右に〝インパクト〟、Y軸の上に〝知的〟、下に〝バカ〟というマトリックス表を作って考えてみよう。
 股間ツボはあきらかに〝バカパク〟に分類されるだろう。
 迷うのがファラオをインパクトにするか、それともシブイにするかだろう。ファラオの柩が教室にいるという点はシュールでシブイとも取れる。でも逆にそんな物がいるというインパクトもあるだろう。
 知的かバカという点は、ファラオがいくら考古学だからって、やってことはバカなんだからバカだ。
 そこでこういう提案をしようと思う。
 みんなが思い思いに評価したらいい!
 さてと、話を戻そう。
 ツタンカーメン21号の狙いは華那汰ではなくヒイロだった。
「その〈壺〉を渡すでごんす!」
 いい加減そのしゃべり方やめたらいいのに。
「取れるもんなら取ってみろよ!」
 なんのためらいもなく言い放ったヒイロだが、取ってもらったほうが助かるんじゃ?
 むしろクラスメートたちは『取ってもらえ』と思っているに違いない。
 ツボを股間に付けたままの変態でいいのかヒイロ!
 ガッタンガッタン飛び跳ねながらツタンカーメン21号がヒイロに襲い掛かった。
 だが、ヒイロとツタンカーメン21号の間には華那汰がいた。
 ちょんと足を出した華那汰。
 それにツタンカーメン21号が引っかかってコケた!
 ドスン!
「うわぁ~っ、立てないよぉ~!」
 どうやらコケたら自力で立てないらしい。
「うわぁ~っ、外に出られないよぉ~!」
 柩の扉が下になったせいなのか、それとも扉自体が壊れたのか、どうやら外に出ることもできなくなったらしい。
 そんな柩に入ってくんなよ、マジ使えねーっ!
 クラスの男子から声があがる。
「覇道そのバカうるさいから廊下に出してこいよー」
 そんなわけでヒイロによって廊下に引きずれていく使えない柩。
 中からはわめき声が聞こえてくる。
「最強の防具が負けるわけないでごんすーっ!」
 最弱の間違えじゃないだろうか。
 廊下に出されたあとも、恩怨のこもったわめきが声が嗄れる響いていたのだった。

 1時間目の授業が終わり、教室を出て行く生徒たちの姿がちらほら。
 廊下から聞こえた声はヒイロの元まで響いていた。
「おい、棺桶がひっくり返ってんぞ」
「中身どこ行ったんだよ?」
 あきらかにアレのことを言っている。
 ヒイロは急いで廊下に駆け出した。
 自分でそこに置いたファラオの柩が、動いていることにヒイロは驚いた。柩の扉が上を向いて開いている。たしかにそこに置いたときは逆さだったハズだ。
 柩の中はしっとりと濡れていた。
 汗で濡れたのか、それとも別の理由で濡れたのか?
 ヒイロがちょっと指先で中を触れてみると、ベトッとした。
「汚ね!」
 指先が糸を引いた。あきらかに汗ではない。
 ヒイロはこっそり汚れた指を壁で拭いた。
 廊下をよく見ると、テカテカと輝く太い透明の線が延びている。それは柩から延び、廊下の先まで続いていた。きっと柩の中のベトベトと同じ物だ。
 ヒイロはその線を辿って歩き出した。
「(なんかでっけーナメクジが這ったみたいな……って、またかよ!)」
 ヒイロの脳裏によみがえった出来事。
 おととい起きたナメクジ事件だ。
 ファラオの柩の中に入っていたのは巨大ナメクジだったのか?
 いや、あれはあきらかにあの男だ。華那汰とのやりとりから間違いない。
 廊下に残された痕跡はだんだんと細く消えていくようだった。
 そして、ついに痕跡が途絶えた。
 辺りを見回すヒイロ。
「ここは……?」
 トイレ近くの廊下だった。
 ヒイロの目の前で男子トイレに入っていく生徒。
「ぎゃ~~~っ!」
 すぐに男子トイレから悲鳴が響き出てきた。
 おそらく今入った生徒の悲鳴だ。
 すぐに男子生徒が血相を変えて男子トイレから出てきた。
「どうしたんだよ?」
 ヒイロは呼び止めようと男子生徒の肩をつかんだが、其の手を振り払われて男子生徒は逃げ去ってしまった。
 男子トイレの中でいったいなにがあったのか?
 ヒイロは恐る恐る中を覗き込んだ。
「……またか」
 男子トイレの壁や床にビッシリと這っているナメクジたち。
 しかもそのサイズと来たら、全部あの巨大ナメクジサイズだったのだ。
 ヒイロは無かったことにして回れ後ろをして歩き出す。
 が、その背中にとある音が響き渡ってきて、思わず足を止めずには居られなかった。
 ジャ~ッ。
 トイレの水が流れる音。大のほうだ。
 あんなナメクジが生息しているトイレで、いったい誰が用を足していたのか?
「あ~すっきりしたぁ」
 聞き覚えのある声。
 トイレの個室から出てきたのはBファラオだった。
「柩の中で漏らしちゃうところだったよぉ……ってなんでおまえが!」
 Bファラオは驚いたようすでヒイロを指差した。
 指を差されてヒイロはシカト。
 顔を合わせずその場から何事もなかったように歩き去ろうとしていた。
 慌ててBファラオが呼び止めた。
「待ってよ、きみに用があって来たんだから!」
「あ~次の授業なんだっけなぁ?」
 わざわざ独り言を口に出してまでシカトを押し通す。
 Bファラオはヒイロを追い抜かして、クルッと振り返って廊下を塞いだ。
「その〈壺〉はぼくの物だ!」
 とか言われても、ヒイロは視線すら合わせようとしない。
 焦らず騒がず歩いてシカト。
「ちょっと、なんでぼくのこと無視するんだよぉ!(こうなったら!)」
 Bファラオが手にしているのは魔導書だった。皮の装丁はベットリと濡れていた。いや、濡れているのは魔導書だけではない。Bファラオもテカっている。
「忠実なる魔物たち、こいつを食い殺して〈壺〉を奪うんだ!」
 叫んだBファラオの命令に従って、巨大ナメクジたちがヌメヌメと廊下に這い出してきた。
 襲い掛かってくる巨大ナメクジたち。
 だが遅い!
 後ろからは巨大ナメクジ、前にはBファラオ。ヒイロは追い詰められながら考えた。
「(あんなたくさんのナメクジ野郎相手にできるわけないだろ。だとすれば道は一つ!)」
 ヒイロはBファラオを押し飛ばして、そのまま逃亡しようとした。
 が、タックルが決まる瞬間、股間の〈壺〉をつかまれ、しかもそのまま持ち上げられた。
 ヒイロの足が浮き、グルングルン回される。
「おい離せよ!」
「この〈壺〉を渡せーっ!」
「渡さねーよ!」
 でも、ヒイロは股間から〈壺〉が外れなく困っていて、Bファラオはそれを欲しがっているわけだから、互いの利害は一致しているように思えるが?
 しかし、ヒイロにはどうしても譲れないわけがあった。
「自分のもんを人にやるなんてありえねーんだよ!」
 貧乏だから。
 ちなみに〈壺〉はいつの間にかヒイロの物ということになっている。拾った物は自分の物という貧乏の法則が働いている。
 グルングルン回り続ける二人。
 Bファラオは眼を回してついにヒイロを〈壺〉ごと投げ飛ばした。
「……ううぅ、気持ち悪いよぉ」
 息を整えて顔を上げたBファラオは唖然とした。
 巨大ナメクジが倒されている。
 いったい誰の手で!?
 周りが見えなくなっていたBファラオの自滅だった。
 二人でグルングルン回っているうちに、ヒイロの体が巨大ナメクジに当たって、一匹残らずなぎ倒していたのだ。
 ヌルヌルの廊下に足を取られながらどうにかヒイロは立ち上がった。
「この野郎ぶっ飛ばしてやる!」
 Bファラオに殴りかかるヒイロ!
 だが、ヌルッと転ぶ!!
 そのスキにBファラオがヒイロに飛び掛かった。
 だが、ヌルッと転ぶ!!
 ヌルヌル廊下は勢いよく動こうものなら、容赦なく足を取られる。
 それでもヒイロは勢いよくBファラオに飛び掛かろうとした。
 でもやっぱりコケた。学習しろよヒイロ。
 Bファラオは廊下を這いながら進み、ヒイロの体に乗った。
「〈壺〉を渡せよぉ!」
 強引に〈壺〉を奪おうとするが、ヌルッと手がすべってしまう。
 ヒイロはBファラオの体をどけようとするが、やっぱり手がすべってどうしようもない。
 二人は全身をヌルヌルにしながらもつれ合う。
 まるでローションプレイだ! 
 男同士がヌルヌルの体を擦り合っている光景はその物は一部しかウケないが、二人の熱戦(?)は観客を大いに沸かせていた。
 いつの間にか廊下には生徒たちが集まりローションファイトを観戦していた。
「いけー覇道! おまえにジュース1本賭けてんだからな!」
 しかも賭まではじまっていた。
 ヒイロとBファラオはいったん離れて体勢を整える。
 立ち上がって攻撃のチャンスを互いに謀っている。
 ヒイロが動いた。
 合わせてBファラオも動いた。
 ツーッとすべって互いの横を通り過ぎていく。
 相手を追い越しちゃった二人はあせって動こうとするが、コケる!
 ゴン!!
 二人して後頭部を強打した。
「イテーッ!」&「にゃ~っ!」
 仲良く二人で廊下を転げ回った。
 痛みを堪えながら立ち上がったヒイロがBファラオに飛び掛かった。
「もう許さねーッ!」
 だが思うように動けず床で転げ回るBファラオの横をツーッとスルー。
 おまけに勢いよく動いてしまったために止まれない!
 ヒイロは激しいタップダンスを踊るように廊下をすべった。
「止まんねーッ!!」
 ちょうどそこへ騒ぎを聞きつけて野次馬しに来た華那汰が、人混みをかき分けて前列に姿を現した。
 ジタバタ踊るヒイロと目が合う華那汰。
「え?」
「どけーッ!」
 むにゅ♪
 前に出したヒイロの手が華那汰の胸をわしづかみした。
「きゃあーーーっ!」
 ドン!
 っと思わず華那汰はヒイロを押し飛ばした拍子に、転んだヒイロに巻き込まれて一緒にコケてしまった。
 ヌルヌルの廊下で激しくもつれ合う二人。
 観客たちから歓声が上がった!
 M開脚の華那汰の上にヒイロが乗っている。男子たちは大喜びだ。
「変態!!」
 華那汰は会心の一撃でヒイロを突き飛ばした。
 ぶっ飛んだヒイロが人混みの中に飛び込む。
 まるでボーリングのピンのように生徒たちが倒れていく。
 悲鳴がそこら中からあがった。
 ヌメリにハマった生徒が次々と無事な生徒を巻き込む。
 ここに集まっていた野次馬がローション地獄にハマっていく。
 たまたま体操着を着ていた女子もローションの餌食になり、服がスケスケだ!
 さらに制服の女子はパンチラしまくりパンチラパラダイスだ!
 とくに白はヤバイ!(何がとはあえて言わないが)
 女子の悲鳴が次々と上がる。
「今触ったのだれ!?」
「きゃっ」
「ちょっと触らないでよ!」
「男子あっち行ってよ!」
 間違いなく混乱に乗じて痴漢をしている男子生徒がいる!!
 辺りは大混乱だ。
 収拾が付かなくなったこの中で、周りの空気をムシしてヒイロとBファラオは死闘を続けていた。
「キサマはすでに負けている!」
 ビシッとヒイロが決めた。これで勝てなかったらかなりカッコ悪い。
 Bファラオが怪訝そうな顔をする。
「ふん、ぼくが負けるわけないだろぉ!」
「いいや、キサマはすでに負けている……俺様に包帯の先っぽをつかまれている時点でな!」
「にゃにー!?」
 これはあの必殺技が繰り出されるに違いない!
 ヒイロは包帯を思いっきり引っ張った。
「うりゃ~!」
「あれぇ~!」
 Bファラオがスピンしながら、そのままヒイロにぶつかった。
 倒されたのはヒイロだ!
 Bファラオはどうにか持ちこたえてその場に立っていた。
「にゃはは、なんども同じ手に引っかかると思うなよ。こんなこともあろうかと包帯をきつく縛っておいたんだ!」
「が~ん! なんだとーっ!?」
 ヒイロ敗北。
 さすがに毎回同じ手でやられているわけにはいかない。今回のBファラオは万全を期して来たのだ。
 万全を期すために最強の防具であるファラオの柩に入り。
 万全を期すために巨大ナメクジ軍団を用意した。
 二つとも思いっきり裏目に出たがな!
 それでも最後の砦であった包帯を取られるという失敗は犯さなかった。三度の目の正直というやつだ。
 しかしBファラオは気づいていなかった。
 ヒイロはBファラオの股間を指差した。
「ところでさ、おまえさっきからスケスケだぞ?」
「にゃーっ!?(ホントだ、体中スケスケになってるぅーーーっ!)」
 白い包帯がヌメヌメでスケスケ。
 大事なところはボカシが入っているような状態だった。
 結局Bファラオはこうなる。こういう役回りなのだ。
 パニックになったBファラオはヒイロに飛び掛かった。
「なにか隠す物貸してよぉ!」
 Bファラオはヒイロの学ランを脱がそうとする。
 これを取られたら死活問題のヒイロは必死で抵抗した。
「これ取られたら明日から生活できないだろ!」
 マジでこれしか服を持っていないのだろうか?
 Bファラオはある物に気づいた。
「ああっ、ちょうどいいのがあった!」
 Bファラオがつかんだのはヒイロの股間の〈壺〉だった。てゆか、ちょうどいいとかどーとかじゃなくって、それが本来の目的だったんじゃ?
 すっかり〈壺〉を奪うことが目的だったことを忘れ、結果的に〈壺〉を奪おうとするBファラオ。
「〈壺〉を渡せー!」
 窮地に追いやられるといつも以上の力が発揮されることがある。
 いわゆる火事場の馬鹿力だ。
 Bファラオは渾身の力で〈壺〉を引く抜こうとした。
 そのとき、〈壺〉の色が黒から白に変わったのだ。
 スッポン!
 〈壺〉が抜けてヒイロとBファラオは目を丸くした。
「ついに〈壺〉がぼくの物になっ……!?」
 Bファラオの手の中で踊り狂う黒い〈壺〉。再び色が白から黒に変わり吸引がはじまったのだ。
 一目散にヒイロは床をかいて廊下を泳いで逃げた。
 Bファラオの近くにいた生徒たちが次々と吸い込まれていく。ヌルヌルのせいで力が入らず簡単に吸い込まれてしまう。
 生徒たちの悲鳴もそう長くは続かなかった。
 静まり返ってしまった廊下。
 そこにただ独り立っていたのは股間に〈壺〉を装着したBファラオだけ。
「ふぅ、やっと制御できた。この〈呼吸の壺〉さえあればアレが完成する。そして、ぼくはあいつに復讐するんだ!」
 と、ここでBファラオはあることに気づいて辺りを見回した。
「あいつは?」
 あいつとは、つまりヒイロがいない!
 ガーン!
「まさか……吸い込んじゃった?(そしたらアレとかもうどうでもいいじゃないか。しまった、復讐する前に復讐してしまったよぉ)」
 大魔王遣いヒイロ~電波系大神官の復讐!(完)
 なんかやるせない気持ちでこの場を去っていくBファラオ。
 それからしばらくして、物陰に隠れていた男が廊下に這い出してきた。
「マジ危なかったぜ」
 ヒイロだった。
 あの吸引力を知っていたヒイロは、どうにか独りだけさっさと逃げて助かっていたのだ。
 教室からパラパラと数人の生徒たちが姿を見せる。
 騒ぎが大きかったために、多くの生徒たちが野次馬をしており、学年の大半が〈壺〉の中に吸い込まれてしまったようだ。
 これからどうするかヒイロが廊下に座って考えていると、大勢の足音が遠くから響いてきた。
 ヒイロは音が聞こえた廊下の先を見て顔面蒼白になった。
 白い集団到着!
「もういやだぁぁぁぁぁぁ~~~」
 世界は白い煙に覆われ、その中にヒイロの叫びが呑み込まれて消えた。

 月の輝く晩に聞こえる獣の咆吼。
「わぉ~ん!」
 庭先で咆えていた白銀の仔狗に変化が起きる。
 見る見るうちに体が膨れ上がり、ヒトの形へと変貌していく。
 白銀の毛に包まれた肉付きのよい四肢。溢れそうな豊満な乳房。獣人アルドラがここに復活――。
「ううっ!」
 犬用の首輪が首を絞める。
 見る見るうちに美獣の姿が仔狗に戻ってく。
「わぅーん(うかつだったわ。せっかくヒト型に変身できるまで魔力が戻ったのに、憎き首輪が……首輪が……)」
 美獣は瞳をウルルンさせた。
「(ヒト型でいられるのはわずかだわ。その間にミサからペンダントを奪おうとしたのに)」
 ペンダントとはガイアストーンと同じマナの結晶体で魔力の塊。
「(こうしてアタクシがペットなんかに身を落として甘んじているのは、あのペンダントを奪
うため、あれさえあれば魔力が戻るはずだわ!)」
 魔力を失って仔狗になってしまった美獣は、あれさえ手に入れれば力を取り戻せると考えたのだ。
 が、その前に立ちふさがった問題。
「(この首輪ったら頑丈にできてるし、GPS機能のせいでどこに逃げても金に物を言わせて特殊部隊が追ってくるし。術をかけたカーシャをどうにかしなきゃいけないわね)」
 まずは首輪を外す、そのあとにペンダントを奪う、そして魔力を取り戻す。
 美獣は庭からこっそりと屋敷の中へ忍び込んだ。
 広大な庭や屋敷の見取り図は頭の中に入っている。さらにこの時間にどこで誰がなにをしているのか、それもだいたい記憶していた。
 近頃カーシャは先日発売されたばかりのテレビゲームで毎晩遊んでいる。
 100V型のワイドテレビの前でコントローラーをブンブンしながらカーシャが遊んでいる。横幅はカーシャの身長よりあり、縦幅もなかなかのテレビだが、ずいぶんと昔は映画のスクリーンでゲームをやっていた。でもぶっちゃけ画面が大きすぎるとやりにくいらしく、結局今の大きさで妥協している。
 コントローラーを振って敵をぶった斬る!
 カーシャのニヤニヤが止まらない。
 そんな部屋にこっそり侵入した美獣。
「(カーシャが死ねば術が解けるかもしれないわ。噛み殺してやる!)」
 カーシャはゲームに熱中して周りが見えていない。殺るなら今だ!
 床を全速力で駆けた美獣がカーシャの首目掛けて飛んだ。
 ゲームの敵を斬ろうとコントローラーを振り上げたカーシャ!
 ガン!!
 コントローラーを握ったカーシャの拳が美獣の顔面に会心の一撃!
 痛恨の一撃を受けた美獣がただっ広い部屋の壁までぶっ飛んだ。
 だが、そんなことになどカーシャはまったく気づいていないようだ。
「ふふっ、ザコめ」
 これはもちろん美獣にではなくゲームの敵へだ。
 だが、美獣はまるで自分が言われた言葉のように感じた。
 今まで募りに募った恨みが沸々と煮えたぎる。
 仔狗になってからというもの、そりゃもうカーシャに散々な目に遭わされてきたのだ。
 犬小屋に閉じ込められ(でも人間の家くらいの大きさがあった)、食事はいつも残飯(でも並のレストランよりぜんぜん美味かった)。
「(イヤな上司もしないし、良い生活させてもらってるわ……その女さえいなければ!)」
 美獣はミサや使用人たちには優しくしてもらっていた。が、そのでのんきにゲームなんかやっちゃってる女だけは違うのだ。
「(そこにいる女は鬼より鬼、悪魔より悪魔だ!)」
 思い出すのも恐ろしいカーシャの仕打ち。
 ヒマつぶしだと言って美獣の毛を一本ずつ抜くカーシャ。
 火の輪くぐりを美獣にやらせるカーシャ。
 発情期の雄犬の群れの中に美獣を投げ込んだカーシャ。
 的にした美獣に攻撃魔法を撃つ練習をするカーシャ。
 エサの中に下痢を起こす薬を混ぜたカーシャ。
 仔狗である美獣の乳首に洗濯バサミを挟んで遊ぶカーシャ。
 しっぽをつかんでブンブン美獣を振り回したカーシャ。
 ついでにそのまま美獣をバット代わりにホームランを打ったカーシャ。
 さらに打ったボールを美獣に取りに行かせたカーシャ。
 それをしないと首輪につけた爆弾を起爆させると美獣におどしをかけたカーシャ。
 動物虐待だ。
 ほかにも数え切れない嫌がらせを美獣は受けてきた。
 そして、これまで幾度となくカーシャに仕返しを仕様と挑んだ。
 が、全部失敗。
 ことごとくカーシャに返り討ちされ、美獣が仕掛ければ仕掛けるほど、カーシャの仕返しもグレードアップしていった。
 まだまだゲームに夢中なカーシャにこっそ~り近付く美獣。
「(今度こそ仕留めてやるわ!)」
 さっきはたまたまカーシャの運がよかっただけ。きっとそうに違いない。
 美獣がかわいい牙を剥いてカーシャに飛び掛かった。
 またしてもコントローラーを大きく振り上げたカーシャ!
 ゴン!
 顔面を強打された美獣が鼻血ブー。
 やっぱりカーシャは気づかない。
「(もういや……)」
 鼻血をとぽとぽ垂らしながら美獣はこの部屋をあとにすることにした。
 もうこんな屋敷にはいられない。
「(あんな女と一緒に暮らすなんてまっぴらごめんよ!)」
 美獣は逃げた。
 犬小屋と残飯の生活から逃げた。
 ちょっと後ろ髪引かれながら逃げた。
 何度目かの逃亡であった。
 広い広い庭を越え、仔狗になって元は獣人、塀を軽々と跳び越えて外の世界へ羽ばたいた。
 GPS機能付きの首輪だが、24時間体制で監視がついているわけではなく、ミサもしくはカーシャの命令で特殊部隊が動き出す。
 だいたいいつも美獣がいなくなったことに気づかれるのはエサの時間だ。深夜から朝のエサの時間まで、だいぶ時間があることから、この時間が勝負だ!
 GPSをいかに欺くか。
 つまり電波の届かないところに逃げる必要がある。それができたからと言って安心してはいけない。金に物を言わせてありとあらゆる手段を敵は取ってくる。
 まずは電波の届かないところに逃げる。その場所までのログは残されているため、次にその場所からひたすら離れる。離れるだけなら楽だが、途中で電波の圏内に入ってしまったらゼロからのスタートだ。
 と、ここまでは歴戦でクリア済みだ。
 問題は電波圏外を逃げ続け、最終的にどこに向かうか、それが最大の問題だった。
 一度でも圏内に出てしまえば、振り出しに戻ってしまうが、食料はどうするのか、この先の生活はどうするかなどを考えると、圏内に出ないでいるのは難しい。
「(せめて首輪が外せれば!)」
 GPSの包囲網からも解放され、さらに少しの間なら元の姿にも戻れる。
 首輪を外すためにはカーシャを倒す必要がある。
 でもカーシャを倒せないから尻尾を巻いて逃げる。
 しかし逃げるためにはGPSがあると不利。
 だから首輪を外すためにカーシャを倒す必要が……。
 堂堂巡だった。
「(アタクシひとりじゃ太刀打ちできない。だからと言って仲間もいないし)」
 とりあえずノープランで住宅街を疾走する美獣。
「(あんな失態を犯してしまってはデネブ・オカブ様もお怒りで帰るに帰れないわ。それ以前にデネブ・オカブ様とも連絡取れないわ)」
 前回のヒイロたちとの戦いに敗北した美獣。
 ガイアストーンを奪い、異世界とのゲートを拡張しようとしたのだが、ヒイロの活躍(?)によって野望は砕かれた。
 そんな失敗をしてしまっては仲間のところに帰るに帰れない。
 というか、仔狗なった美獣を助けに来てくれないところを見ると、見捨てられている可能性も大だ。
「わん(やっぱり帰ろう)」
 つぶやいて走るのを止めた。
 トボトボと歩き出した美獣の前方から酔っぱらいのオヤジがやってくる。
 足下はおぼつかず、右へ行ったり左へ行ったり、後ろへ下がったり、泥酔状態なのは見て明らかだ。
 しかし!
 オヤジは美獣の横を通り過ぎるとき、いきなりシャキッと背筋を伸ばしたのだ。
「その醜態はなんだ、アルドラよ」
 しゃがれた声。酒とタバコのやりすぎか?
 いや、違う。
 その声は元々だ。
 美獣はその声の持ち主を知っていた。
「まさか……デネブ・オカブ様!?(あれっ、声が……デネブ・オカブ様の魔力の影響?)」
 驚きの声を美獣があげた。
 深夜の住宅街の一角を靄が包み込み、歪んだように世界がゆらゆらと揺れる。
 体を痙攣させたオヤジの口から小さな老人の顔が姿を見せた。
「今まで連絡もせずになにをしておったのだ?」
「いえ……その……ちょっとしたトラブルが……(ぷぷっ、デネブ・オカブ様の頭にタコの足が乗ってるわ。きっとおでんだったのね……ぷぷぷっ)」
 必死に笑いを堪えながら美獣は反省の色を見せるフリをした。
 デネブ・オカブの鉤鼻[カギバナ]が美獣の顔にヌッと近付く。
「まさか我々を裏切る気ではあるまいな?」
「そんな滅相もありませんわ。この世界の情勢を調べたり(美味しい食べ物を食べたり)、目的の子供に悟られぬように調査をしていたり(というのも忘れて1日中昼寝したり)、とにかくアタクシは内々に事を進めていました(ということにしておこう)」
「ほう、それで成果は?」
「(せ、成果!?)そ、それは……特には……」
「馬鹿もん!!」
 怒号と共にタコの足が飛んだ。
 耳を折り曲げて美獣はブルブルと震えた。
「申しわけ御座いません!」
「失態を繰り返すような足手まといはわし自ら八つ裂きにしてくれる。猶予をくれてやる、それまでに成果が残せぬようなら……わかっておるな?」
「はい、心得ております。それで……その、猶予とはいかほど?」
「次にわしがこの世界に来られるのは、おそらくこの世界で30日は先になるだろう。長くとも二度の満月を拝むことはないだろう」
「わかりました、それまでに朗報をご用意してお待ちしておりますわ(と言っても今の体のままではなにもできないわ)」
 仔狗では本来の力を発揮できない。
 さらに首輪についたGPSのせいで自由な動きもできない。
 申し訳なさそうに美獣は上目遣いで訴える。
「あの……デネブ・カオブ様?」
「なんだ?」
「その……この首輪を取っていただけないでしょうか?」
「ん……首輪だと?」
 デネブ・カオブは眼前で首輪を確認した。
 そして見る見るうちに驚愕へと顔が変わるのだった。
「いったいなんだこれは……!?」
「居場所などを衛星から捕らえることができるGPSという物が組み込まれていて」
「そんなことはどうでもいい!」
「(ワタクシには死活問題なのに)」
「こんな魔法形態は見たことがない。それでもこれが凄まじい魔法技術によって封印されていることはわかる!」
 異世界からやって来たカーシャならではという代物ということだ。
 デネブ・カオブ怖い顔をして美獣に詰め寄った。
「これはどうしたのだ!」
「(本当もこと言ったらまた責められるわ)たまたま遭遇した〝黒猫〟の配下と交戦したときに、窮地に追いやられた敵がアタクシにこんな物を……そのせいで敵には逃げられてしまい……でもあと一歩と言うところまでは追い詰めたのですわよ!」
 大嘘をついた。
 どうにかその嘘でデネブ・カオブは納得してくれたようだ。
「ふむ、〝黒猫〟の配下……やはり謎が多い。今はまだこちらの体勢が整わんゆえ泳がしておるが、いつかは排除せねばならん」
「それで首輪のほうは外していただけるのでしょうか?」
「無理だ」
 キッパリ!
「デネブ・カオブ様それはちょっと……これを外していただかないと元の体にも戻れず任務の方にも支障を絶対にきたすのですが?」
「仮初の姿では無理だ。そうでなくてとも呪術形態を調べるのに時間が掛かるだろう。無理矢理壊すためには、わしよりも魔力を持った者でなくては無理かもしれん」
「そんなデネブ・カオブ様でも無理だなんて(いい加減で意地悪で遊んでばかりの女ではなかったのね)」
 傀儡師[カイライシ]としてカーシャは世界征服を目論み、日本の一部を制圧した大魔王を影から操っているだけのことはある。彼女自身も強大な力を持った実力者なのだ。
 美獣は迷っていた。
「(カーシャのことちゃんと報告した方がいいかしら。でもカーシャにペットとして飼われてるなんて知られたら、絶対に八つ裂きにされるわ!)」
 なので言わないことにした。
 デネブ・オカブが憑依していたオヤジの足下がぐらついた。
「もう時間がないようだ。〝黒猫〟と戦うためにも我々には〈アッピンの赤い本〉が必要なのだ。お前の使命は〈アッピンの赤い本〉の行方を探すことだ。あの子供が〈アッピンの赤い本〉を所有しておらんとしても、我々の計画を邪魔する者は生かしてはおけぬ。あの子供が目的の子なら捕らえよ、違うならば殺してしまえ!」
「御意!」
「ではゆ――」
 オヤジの首がガクッと折れ、そのまま足下から崩れ落ちた。
「ワンワン(ではゆ?)」
 どうやら言葉の途中で魔力が途切れてしまったらしい。
 ただの屍体となったオヤジはピクリとも動かない。
「(とにかくクソジジイも帰ってくれて、首の皮も一枚で繋がったわ。問題はこれからどうするか……って、狗のままじゃなんにもできないわよ!!)ワゥーン!!」
 デネブ・オカブがいなくなった途端、言葉もしゃべれなくなってしまった。
「(もうカーシャ側に寝返っちゃおうかしら)」
 本気で美獣はそう思った。
 頭に浮かぶの悠々自適な月詠家での豪華な生活――カーシャさえいなければ。
 そんなカーシャと和解してしまえば言うことなしだ。
「(とりあえず家に帰って寝て、美味しい朝食を食べてから今後のこと考えましょう)」
 とか考えてると、ズルズル本来の目的が先延ばしされそうだった。

 きのうの生徒大量失踪事件の影響で学校は休校した。
 臨時の休みに喜ぶ生徒は少なく、生徒と保護者からは心配の声が上がっている。
 未だ戻らない生徒たち――その中には華那汰も含まれていた。
「たのもー!」
 まるで道場破りのかけ声を上げたのはヒイロだった。
 ヒイロの前に立ちはだかるのは2人の門番と、その後ろに控える巨大な和風の門。
 門番がヒイロを一瞥した。
「貧乏人が来るような場所ではない。早々に立ち去れ!」
「なんだよ貧乏人だからってバカにしやがって!」
「言葉で言ってもわからぬようなら、力で排除することになるぞ?」
 噛み付いたヒイロに門番が向けたのはリボルバーだった。
 思いっきり銃刀法違反だが、きっとここだけ治外法権なのだろう。
 なぜなら、この屋敷はミサとカーシャが住んでいる月詠邸だからだ。
「俺様はミサ先輩の知り合いなんだぞ、銃なんか向けたらお前ら後悔することになるぞ!」
 バキュンバキュンバキュン!
 銃弾が足下に撃ち込まれヒイロは躍らされた。
「姫様が貴様のような貧乏人と知り合いの筈がなかろう!」
「同じ学校にも通ってるんだからな!」
「休校だというのにそんな制服まで着て偽装工作か? だか、姫様が通う高校の制服はそんな制服ではないことくらい知っているわっ!!」
「転校生なんだから仕方ないだろ!」
「転校生だから制服も買えないというのなら、やはり貧乏人ではないか!」
「貧乏のどこが悪いんだよ!」
「貧乏は病気だ。病人を姫様に近づけるわけにはいかん!」
 とか二人が言い争ってる横を一匹の黒猫が通り過ぎた。
 残っていた門番が黒猫に深々と頭をさげる。
「これはこれは黒猫殿、どうぞお通りください」
 正門のわきにある小さな扉を開けてもらって黒猫が中に入っていく。
 それを見ていたヒイロが叫ぶ。
「猫はよくて俺様はダメなのかーっクソったれ!」
 バキュンバキュンバキュン!
 今度はヒイロの頭頂部すれすれを銃弾が抜けていった。
「黒猫殿はカーシャ様のご友人だ、貴様のような貧乏人とは格が違うのだ!」
「なんだよ、あの猫も俺様の知り合いの姉貴だから俺様とも顔見知りなんだぞ!」
「今思い付いた口から出任せに騙される我らではないわっ!」
「ウソだと思うならその猫に聞いてみろよ!!」
 扉のところで立ち止まっていたハルカが『うん』とうなずいた。
「その変なひとハルカの妹のともだちだよ」
 門番たちに衝撃が走った。
「まさかこんな貧乏そうなガキが……なにかの間違えでは黒猫どの?」
「ううん、こんなマヌケな顔ハルカ忘れないよ」
「そう言われてみれば一度見たら忘れられない汚らしくて貧乏でマヌケな顔だ」
 散々な言われ方だ。
 今にもヒイロは門番に殴りかかりそうなほど顔を赤くした。
「だれが汚くて貧乏でマヌケで弱そうな顔だ!」
 弱そうだとはだれも言ってない。
 ハルカはヒイロを見つけた。
「中に入りたいの?」
「おう、ミサ先輩かカーシャさんに用がある!」
「――だって。入れてあげて?」
 と、ハルカは門番たちに目を向けた。
「しかし……貧乏人を入れてもしも貧乏病が移りでもでもしたら……」
 そもそも貧乏は病気ではない。
 門番たちが困っていると、後ろの正門が音を立てて開きはじめた。まさか自分たちにも知らされず門が開くとは門番たちは驚きを隠せない。
 門扉が全開まで口を開け、その中心に静かに佇むミサが姿を現した。
「私は鍛えているから貧乏なんて移らないわ。だから入れてあげて」
 姫様に出てこられたら門番たちは一言も口を挟まない。
 無言のまま門番は道を空けた。
 ヒイロは『ほら見ろ!』と得意げに門番を舐めるように下から見るが、門番たちは顔色一つ変えない。のをいいことに、さらにヒイロはベロベロバーをした。
 ミサが一瞬だけ目を離した瞬間、すばやく門番が動いた。
 ボディーブロー!
 ゴフッ!
 拳で腹をえぐられたヒイロが地面に沈んだ。
 振り返ったミサ。
「なにをしているのかしら覇道君? 来ないのなら置いていくわよ」
「ううっ……腹が……」
「倒れるほどにお腹が空いたのね。なにかご馳走するわしらっしゃい」
「すぐ行きます!!」
 ウソのようにビシッと立ち上がったヒイロは、兵隊の行進のようにミサに付いて行った。

 テーブルに積まれた食べ終わった皿の山。
 次から次へと運ばれてくる料理はヒイロのブラックホールに吸い込まれていく。
 料理を運んでくるメイドはあからさまにイヤそう顔をしていた。
 変わってミサは微笑ましい表情でヒイロを見守っていた。
「まるでペットみたい。食べている姿を見ていると可愛らしくなってくるわ、うふふ」
 ペットと言えば、この部屋にはこっそり美獣もいた。ボールを転がして遊んでいるように見せかけて、ミサたちを監視している……つもりが本気でボールとじゃれていた。
 ほかにも動物繋がりでハルカも食卓にちょこんと着いている。
 ミサはハルカに顔を向けた。
「そろそろ本題に入りましょう。なにかご用でいらっしゃったのでしょうハルカさん?」
「うん、華那汰が帰ってこなくて心配なの」
「その件については私も調べさせているわ。でも包帯男の行方はわかっていないの(やはりブラック・ファラオのことなのかしら)。ごめんなさい力になれなくて」
 二人が重い表情をする傍らでヒイロはまた皿を空にした。
「おかわり!」
 さすがに食べ過ぎのヒイロに、メイドがミサにコソコソ話をしてクレームを入れた。
 それをミサは聞き入れたようだ。
「覇道君、いつまで食べているつもり?」
「冬の蓄えが終わるまでだ!」
「まだ梅雨も空けていないわよ。それに一度に多く摂取してもほとんど出てしまうわよ?」
「マジか?」
「ええ」
「死ぬほど食って試したことがなかったから知らなかったぜ」
 身をもって実験しなければわからないのか……。
「ところで覇道君はなんの用で来たのかしら?」
 ミサが尋ねるとヒイロはやっと食事の手を止めた。
「忘れてたぜ、俺様はもっと強くなりたいんだ!」
「……そう(はじめて会ったときもそんなことを言っていたわね)。まずは華ちゃんを先に探しましょう」
「そんなことより俺様はもっと強くなりたいんだ!」
「そんなことよりも、まずは華ちゃんを探すためにどうしたら良いのか、カーシャお婆様にも相談してみましょう」
「そんなことじゃねーだろ、俺様が強くなればあの変態包帯野郎をぶっ倒して華も救ってやるぜ!」
 ヒイロの言葉を聞いてミサが微笑んだ。
「あの……ということは、覇道君は包帯男のことを知っているのね?」
「はぁ? ミサ先輩だって知ってるだろ?」
「やはり包帯男はブラック・ファラオのことなのね。覇道君、詳しく聞かせてちょうだい。ブラック・ファラオがなにをして、これからなにをしようとしているのか?」
 ここで情報の共有がされることになった。
 ヒイロはこれまであったことをミサたちに聞かせた。
 ナメクジ事件の首謀者がBファラオだということ。
 そのBファラオが転校生として学校に乗り込んで来たこと。
 謎の〈壺〉を手に入れた経由と、その〈壺〉がBファラオによって奪われたこと。
 そして、〈壺〉に吸い込まれた生徒たちを目の前で見ていたこと。
 もちろんこの話は美獣も耳を澄ませて聞いて――いなかった。ボールで遊ぶのに夢中で周りが見えていない。しかも、その輪にハルカも加わっていた。
 さらに美獣はハルカが大魔王ハルカだとまったく気づいていない凡ミス。マヌケ度がヒイロと同じレベルだ。
 話を統合したミサはある結論を導き出した。
「やはりカーシャお婆様に相談しましょう。〈壺〉に吸い込まれた覇道君がカーシャお婆様の胸の谷間から生還できたなら、華ちゃんたちも同じ事が可能な筈だわ」
 だが、ヒイロには1つ疑問があった。
「けどよ、〈壺〉の中に吸い込まれた俺様が、なんで〈壺〉を持って帰ってきたんだ?」
 ミサが答える。
「空間のねじれ現象よ。〈壺〉が〈壺〉の中へ吸い込まれたのではなく、〈壺〉の中に吸い込まれた時点で覇道君は別の空間にいる。その場所に〈壺〉がおそらく覇道君によって持ち込まれたのよ」
「は?」
「とにかく何ら不思議な現象でもないわ」
「なんかよくわかんねーけど、じゃあさ、華たちはどうやって〈壺〉なしでカーシャさんの谷間から出るんだよ?」
「そこが問題なのよ」
 始点と終点の2つの点と1本の線。これらがそろって空間が移動可能になる。
 二人が話し合ってる間もハルカと美獣はボール遊び。もうすっかり仲良しさんだ。
 が、ここで美獣に思わぬ変化が訪れようとしていた。
「(さっきから凄まじい魔力が躰に流れ込んでくるような気がするのだけれど?)」
 それは気がするだけではなかった。
 ハルカがエネルギーソースとなって、知らず知らずの間に美獣へ魔力を流し込んできたのだ。
 魔力の奔流。
 美獣の首輪にヒビが入る。
 まさかと美獣が目を丸くした次の瞬間、見る見るうちに躰が膨らみ獣人化がはじまった。
 ヒイロが叫ぶ。
「おっぱい!」
 驚いたヒイロの視線の先にいたのは、肉欲な躰を白銀の毛で包み込んだ獣人アルドラの姿。
「奇跡だわ! なんだか知らないけれど、ついに元の姿に戻れたわ!(しかも前よりも魔力に満ちあふれているような気がするのはなぜ?)」
 美獣復活を見たミサがいち早く席を立って身構えた。
「(戦力は向こうの方が上。覇道君と私では勝ち目がない……奇跡でも起こらない限り)」
 ミサはあることに気づいて、それに目を向けた。
 こんな状況になっても無邪気にボール遊びをしているハルカ。
「(ハルカさんを使えば私も高等魔法が使えるかもしれないわ!)」
 エネルギーソースであるハルカ。美獣が力を取り戻し、さらに前よりもパワーアップしたことから、それをミサが使えば美獣と戦えるかもしれない。
 そんな中、ヒイロはなぜか不敵な笑みを浮かべていた。
「あーはははははっ、俺様はこんなこともあろうかと、常に強い味方を持っているのだ!」
 ジャーン!
 ヒイロが取り出したのは空き缶だった。
 一気に周りがびみょ~な空気になってしまった。
 だが、ヒイロだけは違った。
「新たな俺様のパートナー、ニャンダバーZ2号だ!」
 いや、何の変哲もない空き缶だ。あえて言うならスチール缶だ。
 しかしヒイロは自信満々だった。
「1号機は強度に問題があった。そこで俺様は考えたんだ、最強の防御を実現する素材とフォルムをな。そして完成したのがコレだ!」
 空き缶がヒイロによってクルッと底を軸に180度回され、その真の姿が美獣に向けられた。そこにはヘッタクソなロボの顔と『Z』の文字が油性ペンで描かれていたのだ。
 だからどうした?
 ヒイロのクラスは〈人形遊び〉だ。つまりこの空き缶――もとい、ニャンダバーZ2号で戦おうと言うのだ。
「ゆけーッ、ニャンダバーアタック!」
 空き缶がヒイロの操縦によって宙を浮き、そのまま美獣に向かってぶっ飛んだ。
 バシ!
 だが美獣によってハエのように叩かれた。
「アンタの攻撃ウザイのよ!」
 ニャンダバーZ撃沈。
 しかし、ヒイロは余裕の笑みだ。
「スチール缶は何度でも立ち上がる……ニャンダバーZの魂を宿してな!」
 さすがスチール缶。ちょっとやそっとじゃ潰れない。
 再びニャンダバーZが宙に浮こうとした――ところを美獣が足で踏んづけた。床と足の間で身動きができなくなった、もはや役立たずの空き缶。
 ニャンダバーZ敗北。
 が~ん。
 自信作がやられショックを受けたヒイロが膝を付いてうなだれた。
 と、ヒイロが時間稼ぎをしてくれた間にミサはハルカを手に入れていた。
「ハルカさん少しお力を借りますわね」
「うん、いいよぉ」
 ハルカを抱きかかえたミサは魔法を放つ体勢を取る。
「(薄くても私にはカーシャお婆様の血が流れているなら……)ブリザード!」
 ミサの手から放たれた猛烈な吹雪。
 だが、ハルカの魔力はミサには持て余る物だった。
 コントロールの聞かない魔法は美獣を外れるどころか、部屋中を凍り付かせ手を離したホースのように踊り狂う。
 思わずミサはハルカから手を離した。
「……そんな、失敗だなんて」
 氷に覆われた部屋。
 出口付近で逃げるポーズのまま凍り付いたヒイロの姿。
 美獣はテーブルの上で無傷のまま立っていた。
「ちょっとヒヤッとしたけれど、力を使いこなせないお嬢ちゃんに負けるアタクシではないわ。そして、そこにいる猫がエナジーソースだということもわかったわ!」
「ほほう、わかったからどうだと言うの?」
 この部屋に響き渡った冷たい女の声。
 美獣は声がした方向にすぐさま顔を向けた。
 そこにいたのはハルカを抱きかかえ不適な笑みを浮かべるカーシャ。
 このとき、美獣ははじめて驚愕の事実に気づいた。
「カーシャと黒猫……まさか、そんなまさか……それが大魔王ハルカなの!!」
 今さらだった。
「だったらどうする?」
 挑発したカーシャ。
 美獣が鋭い牙を剥いた。
「だったらその猫の首もらうわ!(これで今までの失態帳消し、出世間違いなしだわ!)」
 心躍る美獣だったが、その心は次の瞬間には打ち砕かれていた。
 恐ろしいスピードでカーシャが消えた。
 そして、美獣の耳に吹きかけられる冷たい息。
 驚いた美獣が振り向くと、眼前にカーシャが立っていた。
「いつ!?」
 身体能力に優れた獣人でも捉えられなかったスピード。
「ハルカがいれば妾に敵う者がこの世にいる筈がなかろう、狗っころめ。ふふふ」
「殺してやる!」
 カーシャが間合いに入ってくれたのは絶好のチャンス!
 しかし、それはカーシャとて同じだった。
「マギ・マナドレイン!」
 カーシャが美獣の躰に触れ、そこから凄まじい勢いで魔力を吸いはじめた。
 魔力を急激に吸われた美獣は全身から力が失われ、反撃すらもできないまま躰が狗へと変化していく。
 やがて美獣は干からびた狗になって動かなくなってしまった。それを見下すカーシャの冷たい視線。
「ふふっ、命だけは助けてやる。今度は前よりも強い首輪をはめてやるから覚悟しろよ」
 カーシャによって吸われた魔力はハルカに戻され、さらに部屋を覆っていた氷もいつの間にか消えていた。
「ぶはーっ、死ぬかと思ったー!」
 解凍したヒイロも復活した。
 ミサは口元を縛り、床にへたり込みうつむいたままだった。サングラスで表情は読みづいが、おそらく力を使いこなせなかったことが相当なショックだったのだろう。お姫様の挫折だった。
 そんなミサにカーシャは目を向けた。
「これに懲りたら魔導など安易に使わぬことなだな」
「カーシャお婆様、言葉ですが……」
「なんだ?」
「カーシャお婆様の血を引いている私が懲りるとお思いですか?」
「ふふっ、なら好きにしろ(かわいくない、もう立ち直りおった)」
「ええ、自由奔放なカーシャお婆様のようにさせていただきますわ。うふふふ」
 さすがカーシャの子孫だった。

 カーシャを交えて今後の作戦会議がはじまった。
「ヒイロが出てきたのは偶然による奇跡だ。同じようなことは二度と起こらん(たぶん)」
 と言い切ったふうに見せかけて心では自信のないカーシャ。
 華那汰たちがカーシャの胸から出られる可能性について話し合っていたのだ。
 さらにカーシャは続ける。
「空間を移動するためには向う側にも〈ゲート〉が必要だ。百万歩譲って向う側でその〈ゲート〉が見つかったとしよう。どうやってこちら側と結ぶ気だ?」
 これはすでに判明していた問題点だ。やはりカーシャも同じ結論を出した。
 ミサは深くうなずいた。
「華ちゃんと連絡も取れない状況で、向こうで〈ゲート〉を見つけてもらうのは難しいわね。その発想すら向こうにはないでしょうから」
「第一、〈壺〉の中がどうなっておるのかもわからん。どこかに異世界に繋がっているのか、それとも亜空間があるのか。あくまで妾の胸の谷間に繋がったのたまたまだ」
「たしかに覇道君は〈壺〉の外から外へ移動しただけで、中がどうなっているのかわからないものね。中があったと仮定した話だけれど」
「召喚術で呼び寄せるというのが理論的には可能だろうが、どこにいるかもわからない華那汰
たちを召喚する理論が構築されていないので、ほとんど不可能に近いな」
「強制召喚は手軽にできないですものね」
「確証はないが、〈壺〉を手に入れれば手立ても浮かぶかもしれんな。入った物から出すのが
理に適っておる(ただの思いつきだが)」
 二人の話についていけないヒイロ。
 もう一人ついていけてないハルカ。
 仕方がないので二人はねこじゃらしで遊んでいた。
 ねこじゃらしがヒイロのさじ加減であっちへこっちへ、まるで猫のようにハルカはじゃれた。
 意地の悪いヒイロはなかなかねこじゃらしをハルカに捕まえさせない。
「ほらほら捕まえてみろよ~」
「にゃーっ、届かない!」
 立ち上がったヒイロはねこじゃらしを自分の頭よりも高く上げていた。
 このときヒイロは気づいていなかった。
 見事にねこじゃらしでハルカを操っている。
 それすなわち念願の〈大魔王遣い〉になっていたことを!
 未だに華那汰の姉のハルカ=大魔王ハルカだと気づいていないヒイロ。
 さきほど美獣がその正体に気づいて口にしたときも、氷付けにされていて見事に聞き逃していた。
 ミサと話を進めながらもカーシャはずっとハルカを観察していた。
「(今は見知らぬ者がいる場所では猫の振りをしろと言ってあるが、あのまま猫化が進めば人間としての記憶も曖昧となってボロが出るかもしれん。それ以前に幼児化のせいでウッカリしておるからな。そうか、逆に完全に猫になってしまえば大魔王ハルカだと露見する心配もなくなるか。そうすればハルカにかけておる情報隠蔽費が浮くな……そして妾の懐へ、ふふふ)」
 ニヤニヤとカーシャは微笑んだ。
「カーシャお婆様、聞いておられますか?」
「……ん?」
 ミサの呼びかけに気づいてカーシャは我に返った。
「すまん、考え事をしておった」
「ですからブラック・ファラオを探し出して、〈壺〉を手に入れましょうと言っておりますのよ」
「うむ、そうだった(ぜんぜん聞いてなかったが)」
「警察もブラック・ファラオを指名手配しているけれど、当てにはならないと思いますわ。それでも居場所くらいはつかんでくれるかもしれないので、情報をこちら側に流すように手配しておきましょう」
 幾度となく警察の包囲網を掻い潜り、さらには留置場からも脱走したBファラオを捕まえようと警察は躍起だ。
 さらにミサは付け加えた。
「顔写真を公開して指名手配するようにも言っておきましょう」
 この発言はミサが警察への影響力を持っていることを意味する。おそらくミサ本人ではなく、月詠家が警察に干渉できる立場にあるのだろう。
 カーシャは一言放つ。
「めんどくさい!」
 ミサは首を傾げた。
「なんとおっしゃいました?」
 確実に聞こえていたが聞き返してしまった。
 ほお杖を突いてめんどくさそうにカーシャが答えた。
「めんどくさいと言ったのだ。そんなめんどくさい方法などせずとも、もっと手っ取り早い方法があるだろう?」
「そうおっしゃいますと?」
「変態包帯男はヒイロを狙っておるのだろう。だったらヒイロがいる場所を大々的に相手に伝えればよかろう」
「本人が来ないで刺客だけ放つ可能性もありますけれど?」
「それなら刺客に吐かせるなり、相手の魔力の出所を辿ればよかろう」
「本当に辿ることができますでしょうか?」
「知らん」
 キッパリ言い切った。
 カーシャの作戦はただの思いつき発言だった。
 ただ成功すればこちら側から探すよりも効率的だ。
 ミサはうなずいた。
「やってみましょう。覇道君聞いていたかしら?」
「……はい?(昼飯のメニューか?)」
 だいたい時間は昼の12時前。そろそろ昼食の支度をちょうどいいが、ミサはそんなこと聞いてない。
「覇道君がブラック・ファラオをおびき寄せることになったから、これから準備に取りかかりましょう」
「なんだ昼飯の準備じゃないのかよ」
 ガッカリするヒイロに向かってカーシャがうなずいて見せた。
「うむ、準備をするぞ――昼飯の」
「おっし!」
 ヒイロはガッツポーズを決めた。昼飯もタダで食わせてもらう気満々だった。

 ヒイロたちが通う学校は臨時休校だった。
 だが、きのうの生徒大量失踪事件を受けて、保護者集会が体育館で行われていた。
 事件の詳細、今後の対応について話し合われた。
 この話し合いでは転校生のツタンカーメン21号=Bファラオという可能性には触れられず、あくまでツタンカーメン21号もほかの生徒と共に失踪したとされた。
 この場には警察も来ており、近頃の凶悪事件で指名手配されていた包帯男と、今回の失踪事件の主犯が同一人物とされ、警察はなぜBファラオを取り逃がしたか大バッシングの嵐だった。
 体育館は怒号とすすり泣くで声で溢れ、収拾の付かない状況になりつつあった。
 保護者の中には発狂する者も現れた。
 子供が行方不明になったことで混乱したに――違う!
 体育館中から絶叫があがった。
 天井からなにかが次々と落ちてくる。
 ある母親が頭に落ちてきたそれをつかみ、手のひらを開いて絶叫した。
 ナメクジだ!
 人々は体育館の外に逃げようとした。
 だが扉が開かない!?
 パニックになる保護者たちをなだめようと教員や警察が声を張り上げるが、声は騒ぎに呑み込まれてだれも耳を傾けようとはしない。
 館内放送が流れた。
《愚民のみなさんこにゃにゃちわ。え~、さきほどご紹介にあずかりましたブラック・ファラオだよ》
 だがスルー!
 人々はナメクジ騒動に必死でBファラオの放送なんて耳に入っていなかった。
《きみたちちゃんと人の話は聞いたほうがいいよ。そのナメクジはぼくが操ってるんだけどぉ?》
 だがスルー!
《だからさ、ぼくの話聞けってば。黙らないときみたちの頭でスイカ割りするぞ!》
 やっと少しずつ静かになってきた。
 Bファラオはナメクジに人を襲わせるのをやめさせ、マイクを持って壇上に現れた。
「学校という施設は砦にちょうどよくてね。これからここを拠点に活動することにしたから。きみたちは奴隷になるか信者になるか、2択と言うことで選んでね」
 そんなことより、股間から生えてる〈壺〉に目がいってしまう。
 人々はさらなるパニックを起こした。
 逃げようとする者もいる中、果敢にもBファラオに向かっていった者もいた。
 壇上に立った独りで立っているBファラオ。数では保護者が圧倒的に有利のはずだった。
「ぼくに刃向かう気なら彼らの相手をしてもらおうかな」
 ニヤッとBファラオが笑う。
 天井から巨大ナメクジたちが次々と落ちてきて、Bファラオの前に並んで防壁をつくった。
 突然目の前に現れた巨大ナメクジにおののく人々。それでも警察は意地でもBファラオを捕らえようと巨大ナメクジに挑み掛かった。
 拳銃が火を噴いた。
 一発では巨大ナメクジはビクともしない。あせって弾数も考えずに何発も撃たれた。そうしてようやく心臓を貫いたのか、巨大ナメクジはぐったとして動かなくなった。
 使役していた怪物が死んだことにより、呪いがBファラオに降りかかったハズだ。
 しかし、Bファラオは平然と笑っていた。
「にゃはは、完成したよ!(ぼくに返ってきた呪いはすべて〈呼吸の壺〉が吸い取ってくれる)」
 ついにBファラオは大いなる力を手に入れたのだ。
 次々と巨大ナメクジが現れた。いくら倒されようとBファラオに怖いものはない。これによって軍隊を編制することが可能にあったのだ。
 その拠点として選ばれたのが学校。ここからナメクジたちが世界を侵略していくのだ。
「にゃはははは、やっと運気が戻ってきたようだね。これも全部ヒイロがいなくなってくれたおかげだね♪」
 Bファラオは気づいていなかった――まだヒイロが無事だったことに。
 ナメクジたちは大人しく待機している。そのため人々も静かにその場で震えていた。
 シーンと静まり返った体育館。
 全体の証明が落とされ、壇上だけにスポットライトが当たった。
 マイクを力強く握り締めたBファラオ。
「今日は気分がいいので、ぼくの歌を聴いてください」
 空気を読まずにBファラオは勝手に歌い出す。
「ナメナメクジクジ~♪」
 Bファラオの歌に合わせて巨大ナメクジたちが合いの手を入れる。
「べ~とべと、べ~とべと」
 すばらしく息が合っている。右へ左へ揺れながら大合唱。Bファラオ・オンステージだ。
 そんなものを見せられて人質たちはどうしろと?
 けれどBファラオは構わず熱唱する。
「ベトベトスキスキ~♪」
「あいら~びゅ~、なめくじ~」
 巨大ナメクジが踊り出す。
 ミュージカル仕立てになっていく舞台。
 いったいどこで練習してたんだ?
 そんなことより、だから人質はこれを見せられてどうしろと?
 Bファラオもナメクジたちもミュージカルに熱中して、人質たちのことなど眼中から外れていた。
 チャンスは今しかない!
 警官がパイプイスでBファラオに殴りかかった。
 ガヅゥ~ン!
 後頭部を殴られたBファラオが一瞬脳しんとうを起こして床に倒れた。
 そのおかげで魔力が途切れたのか、固く閉じられていた扉が開くようになった。それに気づいたのは明星だった。
「みなさん外へ、早く!」
 次々とほかの扉も開けられ、人々が雪崩のように外へ駆け出した。
 意識を取り戻したBファラオは警官2人に拘束されていた。
「ううっ、今のは打ち所が悪くてかなりきたよ……きみたち容赦しないよ!」
 Bファラオは軽々と自分を拘束していた警官2人を投げ飛ばした。
 床に激突した警官たちに群がる巨大ナメクジ。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」
 群がるナメクジの山の中から悲鳴が聞こえた。
 Bファラオはナメクジ軍団に命じる。
「行けーっ! 1人も逃がしちゃだめだよ、全部ゾンビー兵にするんだから!!」
 一斉にナメクジたちが体育館の外へ向かう。
 だが遅い!
 致命的すぎる問題点だ。
 体育館の外にナメクジが出たころには、とっくに人々が逃げたあとだった。
 さらに人質になっていた保護者がこっそり警官を呼んでいたのだ。
 校庭にはパトカーが集結して、警官隊がBファラオを待ち伏せしていた。
 すでに学校から一般人の姿はない。大捕物をする条件はそろっていた。
 形振り構わず警官隊がBファラオに飛び掛かる。
 だが、巨大ナメクジ軍団も増殖して、大攻防戦が繰り広げられることになった。
 当初、警官隊はただの巨大なナメクジだと侮っていたが、相手は魔物だった。
 巨大ナメクジが吐き飛ばす粘液によって警官隊の動きが封じられる。
 気づけば警官隊は誰一人として立っていなかった。警棒と拳銃の装備だけでは太刀打ちできなかったのだ。
「にゃはははは、ぼくとやり合いたければ戦車でも持ってくるんだね!」
 ドカーン!
 Bファラオが爆風によってぶっ飛んだ。
「ううっ……まさか?」
 地面から起き上がりながらBファラオを見た。
「本当に戦車なんか持ってくることないのに」
 眼に映ったのは本物の戦車。だが自衛隊などの戦車などではない。その戦車には月詠グループのロゴが入っていた。
 さらに戦車の上にはカーシャが立っていた。
「ふふふ、よくやってくれた包帯男。おまえがここにいたおかげで、周りを顧みずに楽しんで大砲が撃てるぞ」
 ただ大砲が撃ちたいだけだった。
 さらに戦車は改造されており、カーシャが握るゲームコントローラーと連動して動いていた。
 再び大砲が撃たれた。
 弾はBファラオを大きく外れ地面を抉った。
「チッ、照準がないから当てるのが難しいな。あとで改造するように命令しておくか」
 兵器の実地テストも兼ねていた。
 巨大ナメクジはどこから沸いてくるのか次々と増殖していく。だが、大砲の無差別砲撃を喰らってカーシャには近づけない。
 Bファラオは下唇を噛んだ。
「絶対許さないんだからな。ヒイロの次はあの女だ、あの女さえ倒せばぼくの復讐は完遂して、さらなる野望を成し遂げるんだ!」
 どこからかBファラオは魔導書を出してページを開いた。
「魔導書、〈壺〉、そしてぼくの力を合わせたとき、災狂の恐怖が生み出されるんだ!」
 なにやら呪文を唱えはじめるBファラオ。その言葉が聞き取りづらく、この世のものとは思えない言語だった。
 Bファラオが呪文を唱えている間にも、巨大ナメクジ軍団が一掃される寸前まで追い詰められていた。
 しかし、Bファラオは不適に微笑んでいた。
「にゃはははは、蘇れ混沌の魔物よッ!」
 息絶えていた巨大ナメクジ軍団が、なんと動き出した!
 さらに巨大ナメクジが一つの場所に集まり融合していくではないか!?
 ナメクジの巨塔。
 戦車の上に立ったカーシャも巨大な影に呑み込まれた。
「ありえん……合体するのはスライムだけでよかろうて……(ふふっ、マジ笑えん)」
 苦笑いしながらもカーシャはコントローラーを力強く握り締めた。
「撃て撃て撃てーっ! 撃って撃って撃ちまくれ!」
 怒号のように大砲が雨のように降り注ぐ。
 学校の高さよりも巨大な超巨大ナメクジに全弾命中し爆発して、その体に穴まで空いたハズなのだがビクともしていない。
「にゃはははははは!」
 Bファラオは顎が外れそうなほど声をあげて笑った。
「無駄無駄、すでにそいつはゾンビーなんだ、倒せるわけないじゃないか!」
 さらに超巨大ナメクジは融合と同じような原理で、空いた穴が徐々に塞がれていく。
 さらにもう一つ、超巨大化したことによって問題点だった〝遅さ〟が解決していたのだ。遅いといったら遅いが、体に見合った遅さのため、結果的に移動速度が速くなったのだ。
 戦車の砲撃がまったく効かないとしってカーシャは怒りに燃えた。
「ふふふ、どうやら妾を本気にさせたようだな」
 魔法詠唱の構えに入る。
「ライララライラ……嗚呼、世の中冷たい人間ばかり、義理も人情もあったもんじゃない。凍える凍える寒い世の中~、妾の心も冬まっただなか~、ブリザード!」
 どうでもいいように思える言葉だったが、これによって魔法の効果が増大したのだった。
 カーシャの手から放たれた猛烈な吹雪が超巨大ナメクジを凍らせる。
 ――ちょっとだけ。
「うむ、やはりハルカはないとダメか」
 あっさり認めたカーシャ。逃げる気満々だった。
 戦車を捨てて逃走しよう駆け出したカーシャ。その背中に覆い被さる影。
 振り返ったカーシャが苦笑いをした。
「ふふっ、冗談にしては笑えん」
 超巨大ナメクジの巨大がゆっくりと倒れながら覆い被さってきたのだ。
 どっす~~~~~ん!!
 なんとカーシャが超巨大ナメクジの下敷きに!?
 高笑いをするBファラオ。
「にゃははははっ、勝っちゃったもんねぇ~。これでぼくに恥をかかせた者はいなくなったよ。ついに、ついに復讐が完遂したんだ!」
 超巨大ナメクジの進行がはじまった。
 住宅街へと乗り出した超巨大ナメクジ!
 カーシャがやられた今、Bファラオの野望を打ち砕く者はいるのかッ!!

 昼食のあと、まったりテレビを観ながら休憩するミサ。
「カーシャお婆様やられてしまったわ」
 淡々と口にした。
「おいミサ先輩、もっとあせったりしろよ!」
 ケーキを食べる手を止めずにヒイロが訴えた。
 二人が見ていたのはカーシャ進撃のライブ映像だった。
 超巨大化したナメクジに潰されてしまったカーシャの映像が、ヘリからの撮影で映し出されていた。
 そんな映像を見ている二人にまったく緊迫感がない!
 ミサは落ち着いているし、ヒイロなんてケーキをモリモリ食べている。
「カーシャお婆様のことですから、大した怪我もなく無事だと思うわ」
「あんなのに潰されて無事なわけないだろ!」
「その時はその時でしょう、うふふ」
 ミサは微笑んだ。このタイミングで微笑むと怖い。
 たしかにカーシャのことも気がかりだが、問題は巨大ナメクジが住宅街を押し潰しながら突き進んでいることだった。
 テレビ映像を見ながらヒイロが首を傾げた。
「いったいどこに行こうとしてやがるんだ?」
 復讐を終えたと思っているBファラオの次の目的は?
 巨大ナメクジはさきほどから進路を変えずに突き進んでいる。
「どちらの方向に進んでいるのか情報くださる?」
 ミサがメイドに尋ねると、メイドがすぐにヘッドセットでどこかに連絡を取って、うなずいてから返事をする。
「はい、南の方角に向かっているとのことです」
「学校から南の方にある物と言えばあれかしらね?」
「おそらく姫様のお思いになった物かと存じます」
 二人はある場所を共通認識していた。
 だが、ヒイロがまったくついていけてない。
「あれってなんなんだよ?」
 ミサが妖しく微笑んだ。
「うふふふふっ、大魔王の居城に決まっているでしょう?」
「そんなのあるのかよーッ!!」
 ヒイロは眼を剥いて驚いた。
 それにたいしてミサも口元を驚かせた。
「えっ……嘘でしょう覇道君?」
「なにがだよ?」
「大魔王の居城があるなんて日本国民の常識よね?」
「知るかよそんなの。いつからあったんだよ、俺様の許可もなく!」
 昔からあった建物とは言えないが、大魔王ハルカが関東を制圧した際、日本と米軍の基地が場所を奪って、そこに自分の城を建てたと一般には知れ渡っていた。
 ミサがボソッと。
「覇道君って貧乏なだけでなく常識もないのね」
「貧乏って言うなー!」
「ごめんさい、超貧乏だったわ」
「だから貧乏じゃねーっつの。今でも借金がだいぶあるのは認めるけど、バイトで金貯めてそれなるの生活してるんだからな!」
「ごめんなさい、改めて言い直させてもらうわ。貧乏根性の覇道君」
「だからなんなんだよ!」
「貧乏なところが覇道君の可愛いところだから、もっと自信を持ってアピールしてもいいわ」
 いや、絶対にアピールしないほうがいい。
 なぜかヒイロはドキドキしていた。
「(俺様がカワイイだと? まさかミサ先輩……俺様に気があるんじゃ!?)」
 おっと、ここで恋愛フラグが立ったのかーっ!?
 ミサが微笑んだ。
「ご飯を必死になって食べている覇道君の姿、リスが頬を膨らませているみたいで本当に可愛くて、愉快だわ」
 愉快って!
 その言い回しはどうなんだ?
 どっちなんだ?
 褒めてるのか貶してるのか、どっちなんだーっ!
 でもヒイロはまんざらでもなかった。
「そう言われると照れるなぁ~」
 顔を赤ら待て頭をポリポリ。
 ミサはさらに言う。
「そうやってすぐに図に乗るところも覇道君の魅力よ。あなたならできる、なんでもできる」
「そうだ俺様はなんでもできるカッコイイ男なんだぜ!」
「そうよ、だから……さあ、ナメクジ退治に行きましょう」
「へ?」
 呆気にとられるヒイロの腕をメイドたちが拘束した。
 先に部屋を出て行ってしまったミサ。
 ヒイロもその後を追って無理矢理メイドたちに引きずられていく。
「あんなデカイ奴と戦えるわけねーだろ! おい、離せよ、無理だって!!」
 メイドたちは聞く耳を持たない。
 この引きずられていく感覚、ヒイロには覚えがあった。
 脳裏にフラッシュバックする白い集団。
「まさか……お前たち?」
 防護服のマスクの先にあった顔を思い出す。
 それはまさしく今まさにヒイロを引きずるメイドたちであった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~」
 部屋の外に引きずり出されたヒイロの叫びが虚しく木霊した。

 ヒイロたちはヘリに乗って現場に急行した。
 ヘリで近付いて見る超巨大ナメクジのスケールは、大画面テレビで見るよりもはるかに迫力がある。
 超巨大ナメクジの周りをヘリが旋回した。
 双眼鏡から目を離したミサ。
「ブラック・ファラオの姿は見当たらないけれど、どこかでこの様子を見ている筈だわ」
 そんなミサの横で簀巻[スマ]きにされているヒイロ。
「オイッ、これどうにかしろよ!」
 メイドたちによって簀巻き状態されているヒイロから、なが~いヒモが延びている。明らかに怪しいヒモだ。
「姫様、準備が整いました!」
 メイドの合図を受けて、ミサは無言でただ1回うなずいた。
 次の瞬間、メイドの蹴りをケツに喰らったヒイロがヘリから真っ逆さまに落ちた。
 びっろ~ん。っと伸びたヒイロに繋がれていたあのヒモ。まるでバンジージャンプだ。
 ヘリから吊されたヒイロは上空でブランブランした。
「ぎゃーーーっ! うぇぇぇっ、吐く……ううっ」
 恐怖と吐き気のダブルパンチ。
 ヘリが超巨大ナメクジを避けて急旋回するたびに、ヒイロは大きく外へ投げ出されるように振られた。
 そんなようすをミサは楽しそうに見ていた。
「このエサで獲物が釣れるといいわね、うふふ」
 獲物はたしかに釣れそうだった。
 超巨大ナメクジがヒイロを喰おうと釣られたのだ。
 目の前に吊り下げられたエサに向かって超巨大ナメクジが口を開ける。
「ぎゃーっ! 俺様が喰われるぅーっ!」
 ヒイロは必死になって体重移動をして振り子のように体を移動させようとするが、ヘリに振られる遠心力のほうが強くてまったく無意味。
 ヘリは旋回しながら超巨大ナメクジからエサを取られないように、それでいて離れすぎないように飛んだ。
 ヒイロも激しく揺られているが、ヘリの中も大きく揺れている。
「外に身を乗り出さずに姫様お捕まりください!」
 メイドの注目も無視して、ミサはエサと超巨大ナメクジを観察し続けた。
「ほかの作戦も遂行しましょう。このまま住宅街を抜けて、どこか被害が最小限に食い止められる場所までナメクジを誘導するか、それともこの辺りは犠牲になってもらってナメクジに更地にさせて戦いやすくしましょう」
「もっとも近くにある開かれた土地は中学校です。ですが、そこまで移動するリスクよりも、この辺りの住宅を壊した方が被害は小さいと思われます」
「なら旋回を続けてエサで釣って、ナメクジを一定範囲から出ないようにしましょう」
「御意」
 エサに釣られた超巨大ナメクジが近隣の住宅を次々と破壊する。無残な光景だが、ここから超巨大ナメクジが移動しても同じこと。壊される建物が違うだけで、被害の規模が違うだけだ。とは言っても家の持ち主たちはたまったもんじゃないだろう。
 避難勧告が出ているにも関わらず家に戻ってくるオヤジもいたりした。
「この野郎、俺の家を潰しやがって! まだローンが30年以上も残ってるだぞ!!」
 そして、オヤジの近くの家も崩れ下敷きに……。
 一部始終を見ていたミサはメイドに尋ねる。
「まだ避難が済んでいなかったのかしら?」
「いえ、すでに避難済みとの報告を受けております」
「……そう、無能な警察なせいね。あのおじさんは見なかったことにしましょう(壊れた家くらい私たちが保証するというのに)」
 そんなこともありつつ、超巨大ナメクジの誘導は順調に進み、一帯の住宅街は更地にされてバトルフィールドが完成していた。
 援軍の武装ヘリや戦闘機も続々と到着した。このヘリは月詠グループの物ではない。その機体にはキャットマークがプリントされていた。
 超巨大ナメクジは大魔王城に向かって侵略していることがわかり、魔王軍からも部隊が派遣されたのだ。
「やはりカーシャお婆様、魔王軍を動かしてきたわね(同時に生きていたということにもなるかしら)。ハルカさんも軍を動かす権力を持っているけれど、あの人はただの一度も軍に関わったことないものね」
 ミサは魔王軍が動くことを計算済みだった。
「私たちはこのまま覇道君を使ってナメクジを誘導しましょう。攻撃に巻き込まれないように気をつけて頂戴」
 さらにミサたちを乗せたヘリは激しい旋回を続けながら飛んだ。
 ぶら下げられたヒイロがさらに大きく振られる。
「シヌーーーーーーッッ!!」
 大丈夫、まだ死んでないんだから平気!
 魔王軍の攻撃がはじまった。
 戦闘機からミサイルが撃ち込まれる。
 爆発と共に硝煙を上げて体に穴を空ける超巨大ナメクジだが、結果は戦車の大砲と同じだった。
 ミサイルくらいじゃ埒が明かない。
 爆撃機から爆弾が次々と土砂降りの雨のように投下された。
 その爆風に巻き込まれてミサたちを乗せたヘリが大きく傾いた。
 メイドたちが悲鳴をあげる中、ミサは平然と戦いを見守っていた。
「どうかしら、あれが効いていないようなら苦戦しそうね」
 爆煙が晴れてくるとボロボロに崩れた超巨大ナメクジが見えてきた。まだ息はあるようだが、ぐったりとしてその場から動けないようだ。
 揺れが治まり気を取り直したメイドがつぶやく。
「勝ったのでしょうか?」
 ミサは首を横に振った。
「まだ……かしらね。よく見なさい、再生していくのが見えるわ」
 その言葉の通り、超巨大ナメクジは見る見るうちに再生をはじめていた。
 あれだけの爆撃でも倒せないとは、超巨大ナメクジは不死身なのか?
 不死身って言うか、Bファラオいわくゾンビーなんで死んでるんですけど。
 ミサはつぶやくように話しはじめる。
「このまま消耗戦になるか、それとも一気に消滅させるか。もしも肉片からでも再生するとしたら、どうやって倒したらいいのかしらね。あんな大きくて水分量の多い動物、焼き殺すこともできないでしょう?」
 通常の爆撃では倒せない。跡形も残さず標的を消滅させられる現代兵器は……おそらく。
 そんな兵器を使ったら被害は尋常ではなくなる。一帯を更地にしたとはいえ、周りは住宅街が残っている。超巨大ナメクジを倒すために死の街をつくることはできない。
「前にカーシャお婆様が開発していると言った魔導兵器が完成していたら話も変わってくるでしょうけれど。いくら資金があってもこの世界では難しいみたいで、試作品ですらあと数年はかかると言っていたかしら」
 さらにミサは思考をめぐらせる。
「凍らせる。宇宙に捨てる。とにかく動きを封じることが先決ね、覇道君の誘導も長くは保たないでしょう」
 ええ、とっくに限界を超えてます、ヒイロが。
 失神しているヒイロの股間がちょっと濡れていた。
 どこからか聞こえてくる大音響。
《ヒイロ、聞こえるかヒイロ!》
 その声はBファラオ!?
 超巨大ナメクジの口かが開かれ、その中からファラオの柩が這い上がってきた。
《まさかきみが無事だったとはね!》
 いや、現状ぜんぜん無事じゃありません。きっと半分以上魂が離脱しているかと。
《けれど、いくらきみが復活しようが、何度でもぼくが勝つ!》
 いや、正確にはまだ一回も勝ってない。
《さあ、掛かってこいヒイロ!》
 いや、だから失神してるんで無理です。
 望遠鏡で柩を確認したミサ。
「あれが最強の防具だと本人が言っていたらしい柩ね。ナメクジの中にいたとはいえ、爆撃を耐えたところ見るとあながち嘘ではないのかもしれないわね」
 近くにBファラオがいることはわかった。だが、超巨大ナメクジをどうにかしなければならず、さらには柩から出さないと〈壺〉を手に入れることもできない。
 新たな爆撃機が空の向こうからやって来る。
 それを見たBファラオは柩と共に再び超巨大ナメクジの中へ。
 あくまでミサの目的は超巨大ナメクジを倒すことではない。行方不明になった華那汰を救い出すことだ。Bファラオに隠れられては手が出せない。
 気を失ってしゃべれる状態じゃないヒイロの代わりに、ミサはBファラオと交渉することにした。
《覇道ヒイロは拡声器などを持っておらず声があなたに届かないと予想されることから、私があなたと話をします》
 ヒイロが失神していることは伏せた。おそらくBファラオがヒイロに投げかけた言葉から察するに、彼はまだヒイロが気を失っていることに気づいていないハズだ。
 魔王軍の爆撃がはじまった。
 ミサたちを乗せたヘリが救急回避するが、爆風によって大きく傾いてしまった。
 明らかにイヤそうな表情をミサは口元に浮かべた。
「邪魔だわ(でも、もうすぐ来るかしらね)」
 いったいなにが?
 北西から物資を積んだヘリが飛んでくる。その機体には月詠グループのロゴが入っている。
 メイドがミサに伝える。
「吸水材の用意ができました!」
「すぐに投下して頂戴」
「御意」
 魔王軍が1度目の爆撃が失敗したあと、ミサは月詠グループの子会社から吸水材を取り寄せていたのだ。
 吸水材の粒が超巨大ナメクジに投下された。
 次々と降り注ぐ吸水材が超巨大ナメクジの体に付着して、その水分を奪っていく。
 殺すことはできなくても、これで動きを封じることはできる。
 水分を吸われた超巨大ナメクジが干からびていく。もう動く気配はまったくない。
 あれだけ苦戦したというのにあっけない幕引きだった。
 ミサはすぐにヘリを着陸させ、ファラオの柩捜索を命じた。
 何倍も膨れ上がった吸水材を掻き分けて、新たにやって来た私設特殊部隊を中心に探すが、いっこうに見つからない。
 時間だけが流れていく。
 皮になった超巨大ナメクジに穴を空けて突き進んだとき、隊員からミサに連絡が入った。
「姫様、どうやら敵は地中から逃げた様子です。現在その穴を捜索中です」
「私は別の場所に移りますわ。この場所はよろしく」
「御意」
 まんまとBファラオに逃げられてしまった。
 残ったのは壊された住宅街と膨れ上がった吸水材、そして干からびた超巨大ナメクジだ。
「最悪だわ」
 ミサは次の作戦を遂行するため、ヘリに乗ってこの場をあとにした。

 高校の会議室から机やイスをすべて出して、中心にぽつんと立っている二人。
「つーか、ホントにここで待ってればくるのかよ?」
 横にいるミサにヒイロが尋ねた。
「どうかしら、出来うる限りの広報はしたけれど、彼に伝わったかどうか?」
「んなことじゃなくて、俺様だったらこんなの罠だと思って絶対に来ないけどな」
「そうね、だから掻い潜れる程度の人員を配置しておいたわ」
「あのデッカイので攻めてきたらどうすんだよ?」
「そうしたらここに辿り着く前に倒すわ」
「こん中でデッカイのが出たら?」
「天井の高さ以上にはならないでしょう。大丈夫、覇道君なら倒せるわ」
「おう、俺様に任せろ!」
 乗せられやすい。
 ミサはカーシャが前に言ったヒイロを出汁に使う方法を試したのだ。
 テレビやラジオやネット、あらゆる方面からBファラオに呼びかけた。果たし合いを申し入れるから高校の会議室に来いと。正確にはもう少し細かい言い方をしたが、おおよそはそうだ。
 Bファラオに警戒されないため、私設の部下を数人だけ遠くに配置して、警察には手出し無用と通達した。
 ミサの目的は華那汰たち生徒を救い出すことで、Bファラオを倒す必要はない。それは〈壺〉を手に入れたあとで警察たちがどうにかすればいい話だ。
 ただヒイロは事情が変わってくる。ヒイロの場合はBファラオに狙われているため、Bファラオを倒さなくてはならない。
 しばらく無言のまま待つ二人。
 ヒイロは握った手に汗をかいていた。
「(トイレ行きてー)」
 いつ来るとも知れないBファラオを待つ。
 はじめのうちは緊張していたヒイロもだんだんとダラけてきた。
「ちょっと休憩しようぜ?」
「駄目よ、いつ来るのかわからないのだから」
「ちょっとだけ、トイレ行きたいんだよ」
「……早く行ってらっしゃい。万が一ブラック・ファラオが来てしまったら、どうにか話は付けておくから」
「おう、じゃあ任せた!」
 ヒイロは急いで部屋を出てトイレへ向かおうとした――そのとき、ドアで人影と鉢合わせしてぶつかってしまった。
 思わず尻餅をついたヒイロ。
 まさかBファラオの登場か!?
 ヒイロに手を差し伸べる男の姿。包帯じゃなくてスーツ姿だ。
「大丈夫ですか覇道君?」
 明星だった。
 なぜこんなところに?
 ミサは明星と初対面だった。
「どなたですのあなた?(どうやってここまで?)」
「先日赴任してきた覇道君のクラスの担任で、明星ヒカルと申します。はじめまして……あなたは?」
「月詠ミサと申します(掻い潜りやすいとはいえ、一般人がどうやってここまで来たの?)」
「あなたが噂の……御家のことは存じ上げています」
「それはそれは(部外者がいては邪魔だわ。段取りが台無しになってしまう)」
 ミサの気持ちに反して明星は会議室の奥へと入ってきた。
 さらにヒイロまでがミサの思惑を邪魔する。
「先生なんでいんだよ?」
「それが捜し物をしていまして」
「俺様もいっしょに探してやろうか?」
「本当ですか、ありがとうございます」
 こんな調子のヒイロに思わずミサが口を挟む。
「覇道君!」
「ん?」
「先生にはここから出て行ってもらいましょう」
「なんで?」
「(覇道君、あなたって人は)……ばか」
 小さくつぶやいた。
 明星は部屋の隅などを隈無く捜している。
「車の鍵を落としてしまって、ずっと捜しているのですが、まったく見つからなくて」
 まさかとミサは思った。
「もしかして体育館で起きた事件から、一度も学校を出ずにずっといらっしゃったの?」
「はい、車がないと困りますからね。体育館から避難してすぐに駐車場に向かったのですが、鍵がなくてそれからずっと捜しています」
「そうだったの(網の外ではなく中にいたなんて、それではこんな場所に来る筈だわ。本当に迂闊だったわ、全員避難したと思っていたのに)」
 勝算もなくミサがここにいるわけがない。だが作戦を失敗させるかもしれない不安要素が現れては話は別だ。
 ミサはどうしても明星をこの場から遠ざけたかった。
「先生はご存じないかもしれませんが、学校は完全封鎖され立ち入り禁止になっておりますの」
「君たちは?」
「私たちは特別な許可を得てここにおります。ですので先生は早々に学校から立ち去っていただけますか?」
「生徒たちを残していくわけにはいきません。君たちはここでなにを……ッ!」
 明星が驚いた顔をした。
 目の前を通り過ぎ床に落ちたナメクジ。
 ――来た!
 窓ガラスが砕け散り、外からファラオの柩が部屋の中まで飛んできた。
《お待たせ、ちょっと空が渋滞してて遅れちゃったよぉ》
 柩が飛んでくるのに空の渋滞とか関係あるのか?
 明星がまだいる間にBファラオが来てしまった。
 だがミサはそんな場合ではなかった。
「きゃーーーっナメクジ!!」
 ミサは吸水材入り噴射装置(消化器の改良版)を噴射せずに、本体でナメクジを撲殺していた。
 完全に取り乱していた。
 普通サイズのナメクジはあっという間に暴走ミサによって退治された。
 もちろん辺りは吸水材でスゴイことになっている。
 冷静に戻ったミサ。
「ごめんなさい覇道君。私の分の吸水材は全て使ってしまったわ」
 まさかのミサ役立たず!
 ナメクジは次から次へと召喚され続けている。巨大ナメクジも姿を見せる。操っているBフ
ァラオを倒さなければ、いくらナメクジを倒しても意味がないのだ。
 しかし、Bファラオは柩の中で鉄壁の防御を誇っている。
 作戦を起動に戻すためにミサはすぐさまトランシーバーを取り出した。
「標的が檻に入ったわ、閉めて!」
 この合図で会議室の窓やドアがシャッターや鋼鉄で塞がれた。
 満足そうに口元に笑みを浮かべるミサ。
「突貫工事だったけれど上手くいったようね。これはあなたを閉じ込めるだけの物ではないわ、召喚に障壁を作る結界の役目も果たしているのよ」
《にゃんだって!? くそぉ、だけどすでにこの部屋はナメクジだらけだよ。ぼくに勝てるかな!》
 ナメクジ軍団が一斉にヒイロたちへ攻撃を開始した。
 もう吸水材噴射装置は使い切ってしまった。
 逃げ惑うミサ。
 掃除用具入れに入っていたモップで交戦する明星。
 そして、ヒイロはなぜか余裕の笑みを浮かべていた。
「あははははっ、今こそ俺様の新兵器を見せてやろう!」
 ヒイロは段ボール箱をひっくり返して、その中に入っていた野球ボールくらいの球体を出した。
「ミサ先輩の協力で完成したニャンダバーZ3号だ!」
 は?
 どう見てもただの大量のボールだった。
 いや、よく見るとボールには手書きでロボットの顔と『Z』の文字が!
 まさかこれを人形に見立てて!?
「行けーッ!」
 ヒイロの命令でニャンダバーボールが一斉にナメクジたちを攻撃しはじめた。
 しかも、これはただのボールではない。衝撃を加えると爆発して中の吸水材をぶちまける仕様だったのだ。
 先ほどミサはしっかりと言っていたのだ『私の分』と。そう、使い切ったのはあくまでミサの分。ヒイロの秘密兵器であるニャンダバーZ3号が残っていたのだ。
 圧倒的な制圧力。
 まさかのヒイロ大活躍!
 ニャンダバーボールが次々とナメクジたちを倒す。
 ヒイロは額の汗を手の甲で拭った。
「ハーハー、たくさん操ると体力を使うぜ」
 休憩するヒイロに合わせてミサと明星も動きを止めていた。
 吸水材に埋もれたナメクジたちは、一匹残らず干からびていた。
 残されたファラオの柩。
《おのれぇ~ヒイロ。こうなったらぼく自ら相手だ!》
 ファラオの柩が動き出す。
 轟音を立てながら柩がヒイロに向かって跳ねた。柩の強度と重さを考えたら、タックルされたら重傷だ。
 柩に追われながら部屋中を駆け回るヒイロ。
「ズルイぞ、そっから出てこいよ!」
《これは装備なんだ。きみは服を脱いで裸になれと言われてなるかい? それと同じさ!》
 アンタいつも裸同然だろ。
 ナメクジには圧倒的な強さを誇ったヒイロだったが、ただ突進してくるだけの柩には手も足も出ない。
 ミサが構えた。
「覇道君退いて頂戴!」
 魔法を放つ気だ。
 すぐさまヒイロは飛び退いた。
 そこへ空かさずミサの手から炎が放たれた。
「ファイア!」
 人の頭ほどの炎の塊が柩に当たった。
 しかし、少し煤がついただけで無傷だ。
「にゃはは、最強の防御力を誇るこの柩には魔法なんて効かないのさ!」
 やはり柩から出さないことには歯が立たない。
 攻撃は突進のみなので防ぎようがあるが、防御を崩さないことには逃げ続けることしかできない。
 ナメクジの対処までは作戦があったが、柩対策までは少ない時間で考えられていなかったのだ。
 ヒイロが破れかぶれで柩に向かっていった。
「コンチキショー!」
 柩の突進を躱[カワ]してその扉に手を掛けた。
「開けーっ!」
 しかし扉は固く閉ざされビクともしない。
 ヒイロは押し飛ばされ、転んだところに柩が押しつぶそうとのし掛かろうとしていた。
「潰される!」
 もう駄目かと思いヒイロが目とつぶったとき、明星が素早く動いた。
 ヒイロの身体を抱きかかえて飛び退いた!
「大丈夫ですか覇道君?」
「せ、先生……(俺様助かったのか?)」
 そう思ったのもつかの間、ミサが二人を見て叫ぶ。
「二人とも危ないわ!」
 柩が二人にのし掛かろうとしていた。
 拒否するように手を伸ばした明星。その手が柩の扉に触れた瞬間、なぜか強情に閉じていた扉が開いた!?
 中から落ちるように出てきたBファラオ。
「にゃ!?」
 驚きなにが起こったのか理解できていない。
 まさか扉が開こうとは誰よりも思っていなかったのはBファラオのハズ。
「立て付けが悪くなっていたの!?」
 驚いてその場を動けないBファラオにヒイロが飛び掛かった。
「〈壺〉を渡しやがれ!」
「柩なんてなくても、ぼくが負けるわけがない!」
 取っ組み合いで互いの動きは封じられた。
 もつれ合うヒイロとBファラオ。
 ミサが走った。
「私が〈壺〉を!」
 手を伸ばしてミサは〈壺〉を両手でつかもうとしたのだが、なぜか途中で動きを止めてしまった。
「(えっちだわ)」
 触ることをためらったのだ。
 その隙を突いてBファラオはミサを蹴り飛ばした。
「させないよ!」
「きゃっ」
 小さく悲鳴をあげて飛ばされたミサを明星が受け止め抱きかかえた。
「大丈夫ですか月詠さん?」
「ええ、ありがとうございます」
「私がやりましょう、あの〈壺〉を取ればいいのですよね?」
 明星はミサから体を離し、Bファラオに向かって走った。
 Bファラオはヒイロに羽交い締めにされているところだった。〈壺〉を取るには絶好の格好だ。
 明星の両手が〈壺〉をしっかりとつかんだ!
 〈壺〉の色が変わる。白でもない、黒でもない、それは灰色だった。
 スッポン!
 ついに〈壺〉がBファラオの股間から抜けた。
 その反動で明星は後ろへひっくり返り、〈壺〉が手から離れてしまった。
 宙を舞う〈壺〉。
 Bファラオが眼を剥く。
「にゃーっ!(割れるなんてことは!?)」
 ガシャーン!!
 割れた。
 静まり返る部屋。
 壁に掛けられた時計の秒針がゆっくりと進む。
 ヒイロが力なくつぶやく。
「割れた……よな?」
 目の前で〈壺〉は粉々になっている。確認するまでもなかった。
 ミサは下唇を噛んでいた。
「(〈壺〉が壊れたことによって華ちゃんたちが戻れないなんてことは……)」
 それが最悪の事態だ。
 急にBファラオが苦しみはじめた。
「ぐぎゃぎゃぎゃぁぁぁぁぁぁイギーッ!」
 人とは思えぬ悲鳴をあげて床に倒れて転げ回る。
 そしてさらにBファラオの躰が干からびていくではないか!?
 まさかこれは、呪いが返ってきたのか!
 〈壺〉が割れたことによって呪いが外に出たなら、ほかのモノも――。
 空間に突如現れた大量の人影。
 床で音を立てながら生徒たちが次々と起きてきた。
「いったーい!」
 お尻をさすりながら華那汰が声を上げた。M字開脚から見えるパンツは、きのうと同じ水玉。
 すぐさまミサは華那汰に駆け寄り、その身体を抱きしめた。
「華ちゃん無事だったのね!」
「……あれ、月詠センパイ?(なにが起きたんだろ?)」
 〈壺〉に吸い込まれてからの記憶がすっぽり抜けていた。もしかしたら〈壺〉に吸い込まれて、まだ戻ってないなんてことなのかもしれない、記憶すらも。
 明星は笑顔で生徒たちが帰ってきたことを喜び、ひとりひとりと握手や抱擁を交わしていた。
 その間にBファラオは干からびて動かず、声すら発しなくなっていた。
 包帯を巻かれ干からびた姿はまさにミイラ。
 華那汰は気持ち悪そうに干からびたBファラオを見た。
「これ……変態包帯男ですか?」
 ミサが答える。
「ええ、死んでいるのかしら?」
「これで生きてたら怖いですよ、ゾンビじゃないんですから」
「ミイラはゾンビのような物だけれどね。復活するためにあの姿にされるのよ?」
「復活って生き返るってことですか?」
「さあ、どうかしら。もしかしてそんなこともあるかしらね。だからこれも処分した方が良さそうね」
「処分って言い方怖いですよ」
 華那汰は背筋をゾクッとさせた。
 独り輪を外れていたヒイロは、生徒たちと出てきたある物を床から拾い上げていた。
 赤い布。
 それを両手で広げてみるとマントだった。
 赤いマント。
「……嘘だろ」
 感慨深くヒイロはつぶやいた。
 間違いなかった。
 夢か現実化わからない世界で見た祖父のマント。
 ヒイロはマントを強く握り締めた。

 曇天の空から大粒の雨が降ってきた。
 戦闘の爪痕に残されていた超巨大ナメクジ。その身体に大粒の雨は落ちた。
 やがて雨は土砂降りとなり、まるでバケツをひっくり返したような天気になった。
 超巨大ナメクジの干からびていた皮膚に、雨が呑み込まれるように吸い込まれていく。
 波打つ身体。
 体内を水が流動しながら満たしていく。
 黄泉返る。
 柔らかい身体が揺れ動きながら起き上がる。
 超巨大ナメクジが暴れ回る。
 Bファラオの制御を失い、超巨大ナメクジは目的なく住宅街を躍進しはじめたのだ。
 その知らせはヒイロたちにも届いた。
 干からびたBファラオを柩の中に閉じ込め、どこかに捨てようと話し合っているところだった。けれど超巨大ナメクジ復活の知らせを受けて、それも一時中止された。
 学校の会議室に残っているヒイロ、華那汰、ミサの3人。
 ミサは首を横に振ってうつむいた。
「同じ方法でナメクジの動きを封じるには雨が止むのを待つしかないわ」
 いつ止むとも知れない梅雨の長雨の間は吸水材が使えない。
 その間にも被害は拡大する。
 魔王軍の攻撃でも倒せない相手。
 捕獲するにも巨大すぎる。
 華那汰がこんな提案をする。
「変態包帯男に頼むっていうのは?」
 ヒイロとミサが無言のまま華那汰を見つめた。
 ちょっと戸惑う華那汰。
「あたしなんか変なこと言った?」
「いいえ、よい考えかもしれないわ」
 深くうなずいたミサはさっそく部屋に置きっぱなしになっていた柩に近付いた。
 開かれる柩の扉。
 華那汰は眼を背けた。
 干からびて骨と皮になったBファラオの姿。
 ヒイロは柩の中を覗き込んで、恐れもせずその干物を指先でツンツンした。
「(なんかメザシの干物みてーだな)死んでるヤツにどうやって頼むんだよ?」
 その言葉を見越したようにミサは妖しく微笑んだ。
「いいえ、さっき確かめたのだけれど、ちゃんと生きていたわ」
「ウソだろ!?」
「嘘だと思うのなら、口元の耳を近づけてごらんなさい」
「いきなり飛び上がって耳をガブりなんてことないだろうな……」
 ビビリのヒイロは恐る恐るBファラオの口元に耳を近づけてみた。
 すきま風のような音が聞こえる。
 ビックリしたヒイロは飛び上がった。
「うおっ! こいつなんかしゃべってやがる!!」
 言葉にならないかすれた音では、なにを言っているのかまではわからないが、たしかにBファラオは生きているようだった。
 ミサが嗤う。
「ふふふ、きっと覇道君に呪詛を吐いているのでしょうね」
「じゅそ?」
「そう、呪いの言葉よ」
 ミサの淡々として冷ややかな言葉に、ヒイロはゾクゾクっと背筋を振るわせた。
 しかし、生きていることがわかっても、こんな状態では頼み事なんて論外だ。
 華那汰は横目でチラッと干物を見た。
「とりあえず元に戻さないとダメですよね?(でもどうやるんだろ)」
「ええ、この状態ではナメクジを操ることもできないでしょう。現に私たちはナメクジに襲われていないですもの」
 そして、ミサはすぐに拘束具と水を用意させた。
 まずはBファラオが元に戻ったとき、逃げたり襲って来たりさせないために、手錠や足枷で身体を拘束しておく。さらに手錠などから鎖を伸ばして、別の場所にも固定した。
 次に水飲み場からバケツで運んできた水を、柩の中一杯にBファラオの躯[カラダ]が完全に浸るくらい流し込んだ。
 まだ変化はなにもない。
 眼に見えない程度に水が干からびた皮膚に、染みこんでいるかもしれないがわからない。
「なんにも起きねーぞ?」
 ヒイロにケチをつけられたミサだったが、なにも言葉を返さず淡々と作業を続けていた。
 枯れてかぎ爪のようになったBファラオの手を優しく握ったミサ。
「私の魔力をだいぶ分け与えることになるわ。しばらく私も動けなくなるかもしれないから、あとのことは頼んだわよ、覇道君と華ちゃん」
 ミサの髪の毛がふわりと風もないのに浮いた。おそらく魔力が起こした特殊な風。
 口元をきつく縛ったミサからBファラオに魔力が流れる。
 枯れたBファラオを復活させる魔力は膨大だった。
 ヒイロたちの眼からも、ミサの頬が少しやつれていくのが見て取れた。
 それと反対にBファラオの肉が膨れはじめる。
 柩を満たしていた水が急激に減っていく。
 カッとBファラオが眼を見開き、水しぶきを上げて飛び起きた。
「ぶはーっ!」
 同時にミサの体が倒れそうになったのをヒイロが抱きかかえた。
「ミサ先輩!」
 ヒイロの胸の中でミサは気を失っていた。
 上着の学ランを脱いだヒイロは、それを床に敷いてそこにミサを寝かせた。
 復活を遂げたBファラオ。その体は痩せ細り骨が浮き出て、体中に影を作っていた。完全復活とまではいかなかったらしい。
「この手錠と足のやつを……外して……もたいたいね」
 声はしゃがれ、生気が抜けているようだった。
 弱っているBファラオにヒイロがつかみかかった。
「でっけーナメクジが復活したんだ、どうにかしろよ!」
 いつも以上に無駄に強気だ。きっと相手が弱っているせいだろう。
「にゃは……どうにか……町を壊せ……ってことかな?」
「なんだと!」
「復活させて……もらったんだ……そのくらいのお礼は……するさ」
「ナメクジを片付けろって言ってんだよ!」
 ヒイロはBファラオの体を揺さぶった。今にも細い骨が折れてしまいそうだ。
 慌てて華那汰が止めに入る。
「覇道くん、かわいそうでしょ!」
「なにがかわいそうだよ。こいつにはみんなヒドイ目に遭わされたんだからな!」
「そうかもしれないけど……(弱い者イジメみたいで)」
「今だってたくさんの家が壊されて、みんな住む場所を失ってんだ」
 住む場所を失う。それはヒイロにとっては重い意味を持つ言葉だった。
 今回の件に関しては国や月詠グループから支援があるかもしれない。それでも住み慣れた家、思い出の詰まった家、それが為す術もなく壊される想い。
「覇道くん……」
 華那汰はつぶやいた。そして、それ以上止めようとしなかった。
 再びヒイロはBファラオに詰め寄った。
「早くナメクジを消せよ、お前ならできんだろ!」
「……ああ……できるさ……まずはこの拘束を解いてよ……話はそれからだ」
「ダメに決まってんだろ」
「それこそ……だめだよ……魔物を使役するには……準備が必要……だからね」
 拘束を解いた瞬間、Bファラオがなにをするかわからない。この弱っているようすだって演技かもしれない。ナメクジを操って報復されるかもしれない。
 ミサの考えどおり少なくとも今はナメクジを操ることはできないらしい。できるならとっくにヒイロたちを攻撃させているだろう。裏を読めばきりがなく、それすらも演技かもしれないが。
 リスクは冒せない。けれどこのままナメクジを野放しにはできない。
 ガラガラっと会議室のドアが開いた。
「ふふふっ、妾の出番のようだな!」
 扉を開けて入ってきたのはカーシャだった。
 驚くヒイロ。
「ナメクジに潰されて死んだんじゃねーのかよ!?」
「妾があの程度でくたばると思っとったのか。人類が絶滅しようと、ゴキブリが絶滅しようと、この惑星が消滅しようが妾は生き残る自信があるぞ!」
 すげー自信だ。
 華那汰が尋ねる。
「なにしに来たんですかカーシャさん?」
「超巨大ナメクジを妾がどうにかしてやろうと言っておるのだ!」
「ホントですか!?(この自信ありすぎなとこが怖いけど)」
「まあ、見ておれ。ズドーンと一発かましてやるわ!」
 そんなわけでBファラオとの交渉は一時中断して、カーシャの作戦を実行することになったのだった。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ~~~!!」
 空中でブラ~ンブラ~ンと揺れている豆粒みたいな人影。
 上空から吊り下げられていたヒイロだった。
 またヘリから吊されてしまったヒイロ。
 超巨大ナメクジを釣るために再びヒイロの捨て身が必要になったのだ。
 すでにBファラオの制御下にないのだから、ヒイロをエサに使える確証はなかったが、物は試しというわけで実験台にされた。
 それが功を奏して超巨大ナメクジはヒイロを追いかけはじめた。
 超巨大なナメクジを誘導する今度は近くにあった小学校の校庭近くまでだ。
 小学校の校庭ではカーシャが着々と準備を進めていた。
 特設テントから華那汰は外を見上げながらカーシャに尋ねる。
「これなんですか?」
「ふふふっ、超特大魔導砲だ。妾がいた世界で過去の大戦において使われた最強の兵器と言えよう」
 二人が見上げている場所には巨大な主砲があった。
 主砲の筒口の直径は約3メートル。筒の長さはその10倍はあった。
 この場に連れて来られていたBファラオはその兵器を見てあざ笑った。
「こんなものが動くはず……ないじゃないか(なにが魔導砲だ、こんな物を動かす動力源なんてないはず)」
 カーシャはあざ笑いを返した。
「たしかに誰でも使えるような代物ではないが、妾とあるモノの力を使えばそれが可能となる。そのため量産とまではいかないのが今後の課題だな」
 あるモノ?
 華那汰はすぐにそれを察した。だが、安易に口に出すことは避けた。
「(お姉ちゃんの力だ……それしかない!)あたしは反対です、危険が出るかもしれない!」
「ふふっ、兵器など危険が付きものだ。住宅街も巻き添えにするが、もうこれだけ壊れていれば、どれだけ壊れても同じ事だろう」
「あたしが言ってるのはそういうことではなくて!」
「わかっておる……本人は協力的だ」
 カーシャはすでに華那汰の言いたいことを察していた。
 それでも華那汰は認められなかった。
「協力的なんてウソ、絶対カーシャさんが強要したんでしょ!」
「妹のクセになにも知らんのだな」
「なにがですか!!」
「おまえなんぞ比べものにならないほど、ハルカは芯が強いぞ。そして、犠牲のなんたるかを知っている。たとえ記憶が薄れ逝こうと、魂に刻まれた想いは変わらない。ハルカは大切なものたちを守るために戦うのだ」
 カーシャは華那汰に背を向けて歩きはじめた。もう華那汰と話し合うことはない。
 時間がない。
 超巨大なナメクジはエサ(ヒイロ)で誘導されながら、小学校のすぐ近くまで来ている。
 カーシャは魔導砲のコックピットに搭乗した。
「待たせたなハルカ」
「ううん、ぼーっとしてた」
「……そうか」
 後部座席に座ったカーシャ。前の席には半球状のケースに入れられたハルカの姿があった。
 この魔導砲のエネルギー源は華那汰が察していたとおりハルカ。
 カーシャはサブのエネルギー源と、すべてのエネルギーをコントロールする媒体となる。
 ハンドルを握ったカーシャの手からエネルギーが吸われる。
 前方のスクリーンに映し出された画面が拡大する。
 壊された住宅街がズームされ、超巨大ナメクジが大きく映し出された。
 自動照準システムが超巨大ナメクジを捉えた。
 エネルギーはすでに充填済みだ。
 カーシャが通信機に向かって叫ぶ。
「ヘリを離脱させろ!」
 画面に映し出されたエサを吊り下げたヘリが急速に現場を離れていく。
 超巨大ナメクジがエサを追おうと激しく体を回転させた。
 カーシャがハンドルを強く握り締める。
「行くぞハルカ!」
「うん!」
 魔導砲発射!!
 コックピットが激しく揺れ、主砲から光の柱が放たれた。
 世界を震わせる振動。
 この世界の魔力バランスが崩れ、大地と空が唸り声をあげた。
 大地を抉り住宅街を消し飛ばしながら超巨大ナメクジを光が呑み込もうとしていた。
 スクリーンは真っ白でなにも映らない。
 通信機に入るノイズ。
 特設本部からの通信もよく聞き取れない。
 なにやら叫んでいる。
「どうやらナメクジが倒されて喜んでおるようだ」
 笑みを浮かべたカーシャだったが、次の瞬間、驚愕を耳にする。
《発射された攻撃がロスト!》
「なにっ!?」
 本部から入った通信。
 スクリーンが晴れてくる。
 そこに映し出された超巨大ナメクジは無傷。
「そんな……莫迦な、機器の故障じゃないのか!!」
 カーシャは認められなかった。機器の故障ではないことはカーシャもわかっている。魔導砲が発射されたところまでは確認している。
 本部からの通信が聞こえる。
《それが……突然魔導の光が標的の前で跡形もなく消えたのです!》
「変態包帯男を通信に出せ、話がある!!」
 すぐにBファラオが通信を変わった。
《すごいこけおどしだったね……にゃはは!》
「貴様、なにをしたのだ!」
《ぼくが……とんでもない……ぼくはなにもしてないよ……ぼくが仕える神に誓ってもね》
「そんなはずがあるのか!(おのれ、もう一度発射するか……いや)」
 カーシャはハルカの様子を確認した。
 目に見えて弱っている。
 それにエネルギーの充填には時間がかかる。
 超巨大ナメクジはすぐそこ、今もこちらに向かって激進している。
 なにが起こったのかわからないまま、時間が過ぎていく。
 頭をめぐらせるカーシャあスクリーンを見て、ある異変に気づいた。
 空が動いている。
 雨を降らせていた曇天が生き物のように激しく動き、巨大な積乱雲を乱そうとしていた。自然の働きとは考えづらい。
「(魔力のバランスが崩れたせいか?)」
 それはわからない。
 しかし、なにかが起ころうとしているのは確か。
 突然、目が潰れそうになるほどの閃光がスクリーンに映った。
 大地を震え上がらせる稲妻が超巨大ナメクジに落ちた。
 いや、落とされたのはそれだけではなかった。
 この世界に悪魔が堕とされた。
 世界に轟く超巨大ナメクジの声。
「魔力が漲ってくるぞ!」
 しゃがれた老人のような声だった。
「わしをこの世界に呼び、我が力となった魔力をくれた人間どもに感謝をしよう」
 そして、その者は名乗ったのだ。
「我が名はデネブ・オカブ、此の世に災いをもたらす凶星!」
 あのカーシャの自信が最悪の結果をもたらした瞬間だった。

 地面を抉るほどの強い雨。
 雷鳴が轟き、超巨大ナメクジに乗り移ったデネブ・オカブが咆えた。
 その破壊活動はBファラオに操られていた超巨大ナメクジや、その後本能のままに躍進していた超巨大ナメクジの比ではない。
 破壊神――その名を与えても過言ではなかった。
 巨大な体で意思を持って破壊する。人々はその光景を見て戦慄した。
 はじめのうちは持てる力で、近隣の破壊活動をしていたデネブ・オカブだったが、肩慣らしも終わったと言うことか、ある場所に向けて進撃をはじめた。
 それは魔王城だった。
 超巨大ナメクジを支配する者が変わろうと、大魔王ハルカの存在は邪魔者なのだ。
 標的にされた魔王軍が猛攻をはじめる。
 音速機が基地から次々と飛び立つ光景は、まるで世界大戦が勃発したのかと思わせる。
 人々の恐怖心が膨らみ続ける。
 投下される爆弾。
 ミサイルが飛び交う。
 通常の化学兵器では降下が薄いことはわかっている。それでもまったく効かないということはないだろう。
 魔王軍は消耗戦でナメクジの体を少しずつ消失させていく作戦を実行した。
 やられた身体はすぐに再生するとはいえ、デネブ・オカブとてやられぱなしではない。
 超巨大ナメクジの身体に変化が起こる。それは進化と言うべきか、デネブ・オカブによって新たな力が与えられたのだ。
 身体から伸びた触手が音速機を貫く!
「わぁぁぁぁぁ!」
 兵士が最後に残した断末魔。
 空中で爆発した戦闘機。
 かろうじて触手を躱したパイロットが仲間に伝える。
「あまり近付くとやられるぞ!」
 魔王軍は遠距離攻撃を積極的に行った。
 高い高度からの爆撃、射程距離ギリギリの位置からのミサイル発射。
 住宅街の崩壊など誰も気にして入らない。
 ここは戦場だ。
 生きるか死ぬか、やるかやられるか。
 魔王軍が一斉に待避した。
 東京湾の空母と魔王軍の主砲からミサイルが発射された。
 ミサイルの雨が降る。
 大地が激震した。
 硝煙と砂煙が世界を覆う。
 煙の中で何かが輝いた。
 刹那!
 デネブ・オカブの口から魔砲が発射された。
 稲妻を帯びた黒い柱が待避していた音速機を呑み込んだ。
 一瞬遅れて爆発が次々と起こった。
 多くの仲間の命が一度に失われてしまった。
 一機の戦闘機が命令を無視してデネブ・オカブに突っ込んだ。
「死ねーーーッ!!」
 ミサイルが発射された。
 巻き起こる爆発の先で兵士は見た。
「ぜんぜん効かねぇ、強くなってやがる!」
 今までは爆発によって傷つき、その都度に再生していたデネブ・オカブの身体が、ミサイルを喰らってもまったくの無傷だったのだ。
 驚愕していた兵士が乗った戦闘機を触手が貫いた。
「ぐわぁぁぁぁぁぁっ!!」
 またひとり死んで逝った。
 終わらない戦い。
 一匹の魔物相手に多くの命が失われていく。
 さらに強くなったデネブ・オカブによって状況は悪化するばかり。
 このとき魔王城で指揮を執っていたカーシャの元には、日本からの要請が伝えられていた。
 ――結界を解け。
 それは関東一帯を包み込んでいる結界のことであった。
 上空や陸路を規制して外部からの侵入を拒む巨大な結界。これによって魔王軍は日本やアメリカなどの攻撃を防いでいた。
 関東を乗っ取った魔王軍は日本やアメリカから目の敵にされている。
 本土を占領された日本よりも、日本の基地を奪われたアメリカの敵対心は強い。いつでもミサイル攻撃を仕掛けて来ようとしている。日本は公には口にしないが、占領されている土地がアメリカから魔王軍に変わっただけ。
 魔王軍は日本との裏条約によって日本の国民と領土を守ることを約束していた。
 このたびの日本からの要請は自衛隊の派遣であった。
 そのために結界を解けと通達してきたのだ。
 結界を解けばアメリカ軍もしゃしゃり出て来ることは予想される。あわよくば魔王軍も一緒に倒してしまおうという魂胆だろう。
 通常科学兵器で倒せない相手となると、核を使われる可能性だってありえる。
「自力でこの戦いに勝たなければ奴らが付け上がるだけだな」
 カーシャは独り呟いた。
 司令部のモニターを見つめるカーシャは苦笑を浮かべた。
「せめて雨さえ止めばいくらでも方法はあるというのに」
 立ち尽くすカーシャに、横で作業していたオペレーターに声をかける。
「弱点の解析の途中経過をお知らせします」
「うむ」
「解析室と音声を繋げます」
 司令室のスピーカーにハルカの声が響く。
《カーシャさんハルカがんばったよ、ほめてほめて♪》
「あとでいくらでも褒めてやる。弱点はわかったのか?」
《がんばって〈視〉たら、すごーい魔力の反応をナメクジの中に見つけたよぉ》
 それを聞いてカーシャはオペレーターに顔を向けた。
「詳しい位置をモニターに出せるか?」
「今送られて来ました、すぐに映します」
 モニターに映された超巨大ナメクジのシルエット。
 側面と正面のシルエットが並べられ、赤いマークが点滅していた。
「ここはどの辺りになる?」
 カーシャが尋ねると、調べるために少し時間をおいてから、オペレーターが答える。
「胃の辺りになります」
「ふむ、ここを攻撃しても駄目なのか?」
「ほかの部分がやられてもこの場所は無事のようです。通常科学兵器の攻撃ではまったく歯が立たないと思われます」
「硬度の問題か、それとも魔導処理がされているのか、どちらにせよこの高魔力の発生源が重要な場所ということは間違いあるまい」
 カーシャはそう結論づけた。
 そして、ある作戦を口にする。
「標的内部に侵入して内部から高魔力発生源を消滅させる(問題はそんなことやりたがるかだ。侵入はほとんど死にに逝くようなものだ)」
 もし成功したとしても、デネブ・オカブが倒せるとは限らない。
 光は一筋。

 小学校には魔導砲がまだ残されているが、魔王軍は魔導砲の監視役以外は徹底してしまっていた。
 魔導砲作戦が失敗したのち、カーシャとハルカは魔王城へ向かい、ヒイロたちは教室で待機していた。
 教室の片隅ではミサとメイドがなにやらもめていた。
「姫様、どうかこの場をお離れください!」
「それはできない相談だわ」
「なぜです!」
「ここが戦闘を見るには見晴らしがいいからかしら?」
 ミサは悪戯に微笑んだ。
 たとえ仕える身だとしても、メイドはここで引き下がるわけにはいかない。仕える身だからこそ、主君の身を案じなければならなかった。
「それが危険だと申し上げているのです!」
「あまり意見するなら、命令としてあなたに黙るように言うけれど?」
「……ッ(姫様……どうしてわかってくれないのですか)」
 メイドは黙してしまった。
 二人の間に華那汰が割って入ってきた。
「あたしもここを離れた方がいいと思うな」
 サングラス越しにミサは華那汰に顔を向けた。
「離れたいのならどうぞ、あなたの意思で」
 冷たい響きを孕んでいた。
 ミサに拒絶されたように華那汰は感じたが、それでも身を乗り出して訴えようと口を開いた。
「だってここにいても……あたしたちにできることなんてないじゃないですか!」
「予感がするの」
 ミサの言葉を聞き返す華那汰。
「予感?」
「そう予感。確証なんてなにもないわ。でもね、私は予感を大切にして生きているから、だから私は時が来るまでここに残るわ」
「……だ、だったらあたしも残ります!」
「無理しなくてもいいのよ?」
「無理なんて……してますけど、月詠センパイは大事なセンパイですから!」
「ふふっ、ありがとう華ちゃん」
 ミサは穏やかな笑みを口元に浮かべた。
 このときヒイロは教室の端で絶望していた。
「ぜってー勝てねー。もう全類滅亡だ……死ぬ前に鍋ごとカレーが食いたかった」
 この話をイスに座って拘束されているBファラオは近くで聞いていた。
「かわいそうに、だいぶ落ち込んでるみたいだね。にゃははは!」
 まだ痩せ細っているが、声は通常まで回復しているようだった。
 ヒイロはBファラオに掴みかかった。
「キサマどうにかしろよ!」
「またその話か、聞き飽きたね」
「お前ならどうにかできるんだろ!」
「う~ん、ちょっと前まではね」
「はぁ?」
 話が変わったことにヒイロは驚いた。
「どういうことだよ!」
 尋ねたヒイロにBファラオは悪戯な笑みを浮かべながら答える。
「残念だけどね、あれは変な奴に乗っ取られちゃったんだよ。そいつをどうにかしてからじゃないと、ぼくにはなんにもできないね」
「ウソじゃねーだろうな!」
「まだ魔物の召喚する術は完成してなくてね、一歩通行なんだ。だから強制送還もできない。ぼくにできるのは使役して命令を出すことだけなんだよ」
 ミサがこの場に近付いてきた。
「その話、もう少し詳しく教えていただけないかしら?」
「いやだね」
 Bファラオをそっぽを向いてしまった。
 ミサはBファラオが聞いてようといまいと、勝手に話をはじめる。
「あなたがどうやってナメクジを使役していたのか? そのことについて少し考えてみたわ」
 そう言いながらミサはファラオの柩に近付き、さらに話を進める。
「拘束されたのちのあなたはナメクジを使役できなかった。最後に使役できていたのはおそらく柩の中にいたときだわ」
「ギク!」
 思いっきりBファラオは口に出していた。
 柩を調べはじめたミサはある物を見つけた。それは隠されていたふただった。そこを開けると出てきたのは一冊の魔導書。
「これね」
 ミサはその魔導書を手に取り、まざまざとBファラオに見せつけた。
 明らかに動揺するそぶりを見せるBファラオ。細い身体から絞り取るように汗が噴き出していた。
「にゃはは、それはぼくの日記さ。プライベートな物だから見ちゃだめだよ?」
 と、言われると人は見たくなる。
 構わずミサは魔導書を開いた。
「魔導に関することが書かれているわ。今全部目を通すことはできないけれど、おそらくこれが召喚と使役に必要なアイテムなのでしょうね」
「ああ、そうさ!」
 Bファラオは開き直った。
 ミサはメイドに魔導書を手渡した。
「カーシャお婆様へ届けて頂戴(これがナメクジを倒す足かがりになればいいけれど)」
 魔導書を持ったメイドが部屋を出て行ったあと、教室に運び込まれていた大型テレビの映像が、デネブ・オカブのライブ映像から別の画面に切り替わった。
 画面に映し出されたのは司令部にいるカーシャだった。
《ヒマでヒマでヒマ潰しにおまえらと話をしようと思ってな》
 こんな状況でヒマというのは明らかに嘘だった。
 ミサが画面に向かう。テレビの上には小型カメラが取り付けられている。
「たった今、あのナメクジに関わる魔導書をそちらにお贈りしましたわ」
《本当か!?(それさえあれば大逆転のメイクドラマだな、ふふっ)》
「ですけれど、別の存在に乗っ取られているナメクジの制御はできないらしく、今はまだ役に立たないかもしれませんけれど」
《チッ》
 思いっきりマイクが拾った舌打ち。
 ヒイロがカメラの目と鼻の先まで迫った。向こうの映像では、ヒイロの鼻の穴がドアップで映っている。
「あの怪獣倒せるのかよ、どうなんだよ!」
《カメラから離れろ、大声出すな莫迦もんが》
「倒せるのかよ、倒せないのかよ!」
《弱点らしき物は見つかっただが、それを叩く手段と準備が整っておらんのだ。だからやることがなくてヒマでヒマで困っておる》
 ヒイロを押して華那汰がカメラの前に割り込んだ。
「はいはい、ええっと、弱点ってなんですか?」
《ナメクジの胃袋に高魔力反応を感知したのだ。そこは外部からの攻撃を受け付けず、妾の判断だと魔導的な防壁に守られておる。直接胃の中に入って叩ければよいが、方法と準備がな……》
 カーシャの話を聞いていたミサはこの上ない妖しい笑みを浮かべた。
「準備なら整っておりますわよ、カーシャお婆様」
《なんだと!?》
「私に良い考えがありますわ。ただ、方法と機具は揃っていても、ナメクジの体内に侵入する人間がおりません。それから定員は1人で精一杯でしょうね」
「俺様がやる!」
 力強くヒイロが名乗り上げた。
 祖父の赤いマントを羽織ったヒイロの姿。いつもよりも……ギャグにしか見えない。ヒイロが赤いマントを装備すると、どう見てもギャグだ。
 ヒイロはヤル気満々らしいが、無表情のカーシャがザックリ。
《おまえに任せる理由がない。もっと収集な人材に任せた方がいいに決まっておろう》
 正論だった。
「せっかく俺様がヤル気になってるのどういうことだよ!」
 ヤル気があればいいというものではない。
 ヒイロの輝く緋色の眼をミサは見つめていた。
「人材の選考が終わる前にまずは覇道君でやればいいわ。本人がやると言っているのだから、それでいいわ」
「ミサ先輩さすがだな!」
「すぐにやるわよ」
 ミサの指示でファラオの柩が運び出される。
 早急に事は運び、ミサの考えた方法が明らかになってくる。
 それを知って眼を点にしたヒイロは、気が変わったようすでわめきだしたが、構わずファラオの柩の中に押し込められた。
 そして、その柩は校庭に残されていた魔導砲の主砲に収められたのだ。
 魔導砲のコックピットに乗り込んだのはミサ。
 魔力源であるハルカの代わりに用いられたのは、ミサの魔力を持ったペンダントだった。
 マナ結晶であるこのペンダントは、魔導砲を最大出力で撃つエネルギーはなくても、ヒイロを入れた柩を打ち出すことくらいはできる。
 そう、ミサは魔導砲で柩を撃って、ナメクジの口の中から直接ぶち込もうと考えたのだ。
 こんなリスクの高い大胆な作戦、普通はやりたがらない。もちろんリスクを負うのは柩の中のヒイロだ。
 しかし、ミサは一定の安全性があると判断していた。
 Bファラオが遠く空から柩に乗って窓をぶち破った現れたときのことが思い出される。さらに最強の防具らしいのできっと平気。Bファラオだから可能だったのかもしれないけど。
 ミサは操縦桿を力強く握った。
 モニターに映された照準がデネブ・オカブにセットされた。
 チャンスを待つ。
 戦闘機がデネブ・オカブの上を掠め飛んだとき、その巨大な口が開かれた!
「行くわよ」
 静かな一言と同時に魔導砲が発射された。
 柩の中を襲う揺れ。
 外のようすがまったくわからない恐怖
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
 柩の中にヒイロの叫びが木霊した。
 撃ち放たれた柩は魔導砲の光線に乗って、大きく開かれた口の中へ消えた。
 さよならヒイロ!

 ゴトン!
 大きく柩の中が揺れた。
「ううっ……着いたのか?」
 ヒイロは柩のふたを開けてゲロ吐きそうな表情で這い出た。
 急な作戦だったため準備不足は否めず、装備を整えてくることもできなかった。
 ヒイロ自ら準備した装備は――赤いマントだけ!
 このマント……役に立つのだろうか?
 とりあえず柩に入れてきた懐中電灯をつける。
「どこだよここ?」
 内部の地図も準備することもできず、いったいここがどの辺りなのかもわからない。
 体内に侵入したあとは完全にヒイロ任せの作戦だった。
 ヒイロは再び柩の中を探り、ライト付きの工事ヘルメットを被った。
「よしっ、準備万端だ!」
 それはない。
 懐中電灯で照らされた肉壁。
 くすんだ色をいており、細胞が腐っているようにも見える。
 歩き出すと足がブヨブヨの肉に埋まりそうになる。
 ヒイロは深くうなずいた。
「よしっ、やめよう!」
 なんとヒイロは柩の中に控えしてしまった。
「俺様ひとりじゃ無理に決まってんだろ。だれだよ行けとか言った奴!」
 おまえだ。
 どこからかノイズ音が聞こえる。
 ザザザ……ザザザ……。
《聞こえるか……さっさと応答せんと……回線切るぞ……》
 それはカーシャの声だった。
 慌ててヒイロは柩の中を漁った。
「なんだ……ちゃんと通信機準備してあんじゃんかよ」
 出発の前、柩の中にいろいろと放り込まれたが、ヒイロはまったく把握していなかった。
 ヒイロは通信機を耳と口元に当てた。
「もしもし~、聞こえてるぞ~」
《音声の……悪い……目的地はその場所の……の影響で……》
 ザザザザザ……。
 通信が途絶えてしまった。
「おい、聞こえねーぞ?」
 通信は回復しない。
「コンチキショー!」
 ヒイロは通信機を放り投げてしまった。
 放り投げられた通信機が、ゴンという音を立てて何かにぶつかった。
 柔らかい肉壁にぶつかった音ではなく、もっと硬い何かにぶつかったような音だ。
「何奴だ?」
 しゃがれ声が響き渡ったかと思うと、急に辺りがほのかに明るくなりはじめた。
 肉壁に包まれた空間は胃であった。超巨大ナメクジがすでに死んでいるためなのか、それとも寄生している者に都合良くするためか、胃液の分泌はまったくなかった。
 ヒイロは驚いて柩の中に身を潜めた。
 しかし、相手にはすでにヒイロに気づいている。
「そこにいるのはわかっておるぞ!」
 デネブ・オカブの本体。その姿はグロテスクにして異様だった。
 鷲鼻を持った老人の頭部から下は、尻尾のように伸びた背骨と脊髄[セキズイ]のみだった。それが宙に浮いている。
 ヒイロは意を決して柩を飛び出して……逃げた!
 赤いマントを頭から被って逃走を図ったヒイロだったが、柔らかい肉壁に足を取られて壮大にコケた!
 立ち上がろうと地面に手をついて顔を上げたヒイロの眼の前には、すでにデネブ・オカブが回り込んでいた。
「まさか……ここで貴様に会おうとは」
「え……俺様のこと知ってんの?」
「〈アッピンの赤い本〉はどこにある?」
「はぁ?」
 ヒイロはなにを言われているのかわからなかった。
「あくまで惚けるつもりか?」
「いや、だからさ、なに言ってんの?」
「まあよい、吐かぬなら、無理矢理吐かせるまでだ!」
「ぎゃっ!」
 デネブ・オカブの骨の尾で攻撃されて、ヒイロはゴキブリ並の速さで飛び退いた。
 宙を浮くデネブ・オカブは音もなくヒイロを追跡してくる。
 しかも口からビーム!
 ズッコケたヒイロの真上をビームが通り過ぎ、髪の毛が焦げる臭いが漂った。
「うおっ、俺様の髪が!」
 ちょっとしか焦げていない。
 それでも滝汗をかいてあせるヒイロ。
「殺される!!」
 必死でヒイロは柩まで逃げた。
 柩の中を漁ったヒイロはある物を見つけた。
「行け、ニャンダバーZ2号!」
 スチール缶がデネブ・オカブに向かって飛んだ。
 口からビーム!
 バン!
 ニャンダバーZ2号はあっけなく消し飛んだ。
「ギャーーース!」
 叫んだヒイロは再び柩の中を漁った。
「ん……カーシャちゃんのお手軽魔法セット?」
 そんな名前のアイテムが出てきた。
 謎のスティックと某黄色い本並の分厚い説明書。
「ぜんぜんお手軽じゃねーっ!」
 ヒイロは説明書をデネブ・オカブに向かって投げた。
 分厚い本は時として凶器にもなる。
 口からビーム!
 バン!
 だが儚く散った。
「クソー!」
 叫びながらヒイロはスティックをデネブ・オカブに投げつけた。
 ブーメランのように回転するスティックは、持ち主のところに返ってきた。
 バシ!
 ヒイロは見事におでこでキャッチ!
「いてー!」
 おでこを押さえてうずくまるヒイロの足下に、紙の切れ端がヒラヒラ~っと落ちてきた。
 そこに書かれていた説明文。
 ――マジカルスティックは、投げるとブーメランのように戻ってくるよ♪
「先に言えよー!」
 説明書を読まずに扱ったおまえが悪い。
 もうデネブ・オカブはすぐそこまで迫っている。
 ヒイロは最後の望みをかけて柩の中を漁った。
 ペラ紙1枚の説明書と一緒に出てきた謎のボール。今度はちゃんと説明書を読むことにした。
「なになに、結界などの魔力を瞬時に無効化する爆弾です。使用上の注意をよくお読みになってからお使いください」
 とか読んでる間にデネブ・オカブは目と鼻の先だった。
「ギャーーース!」
 説明書を投げ捨ててヒイロは爆弾を投げつけた!
 デネブ・オカブに当たった爆弾は激しい閃光を放ち、ヒイロの身体は爆風によってぶっ飛ばされた。
「ギャーーーッ!」
 軟らかい肉床の上にヒイロは落ちた。
 そして、またヒラヒラ~っとヒイロの足下に落ちてきた紙。
 そこにはこう書かれていた。
 ――使用の際は激しい閃光を伴いますので、目をつぶるか濃い色のサングラスなどを着用ください。
「目が見えねーッ!」
 ヒイロが叫んだ。
 激しい閃光によって視力が効かなくなってしまったのだ。
 それはデネブ・オカブも同じだった。
「おのれ、どこに行った!」
 連続してデネブ・オカブの口から放たれるビーム!
 ビームが無差別に飛び交いヒイロの腕を掠った。
「あたっ!」
 学ランの袖が焦げ、晒された肌も赤く火傷してしまった。
 目が見えないままヒイロが逃げ出した。
 どこからビームが飛んでくるかわからない。
 凄まじい恐怖でヒイロは正直チビりそうだった。
「マジ死ぬ、殺される、こんなとこで死ぬなんてイヤだーッ!」
 焦点の定まらないヒイロの眼が見開かれた。
 まるで時間がゆっくり流れるような感覚がした。
 ヒイロの胸で起きたビームによる爆発。
 学ランと胸を焦がしながら、ヒイロが後方に大きく吹き飛ばされていく。
 ヒイロは床に落ちてから何度も弾みながら、ようやく止まった――心臓すらも。
 ようやく視力が回復してきたデネブ・オカブは、憮然な顔をしながらヒイロの元へ近付いてきた。
「本の在り処を吐く前に死におった。仕様がない、この身体に憑依して記憶を覗くとするか」
 デネブ・オカブはヒイロの口から体内へ侵入しようとした。
 だが、直前でヒイロの口元が動いたのだ。
「〈緋の誓い〉を思い出せ」
 ヒイロの声にして、ヒイロの声ならざるもの。
 その声を聴いてしまったデネブ・オカブは躯を震わせた。
「莫迦な……〈アッピンの赤い本〉が……この場にあるというのかっ!」
 ヒイロの緋色の瞳がいつもよりも深く染まっていた。
 刹那、デネブ・オカブはすべてを察した。
「そこにあったのか!!」
 デネブ・オカブを襲った強烈な鬼気。
 恐ろしさに駆られたデネブ・オカブは目的を忘却して、目の前の死を振り払おうとヒイロを再び手にかけようとした。
 鋭い尾の先がヒイロの心臓目掛けて突いた。
 が、その尾はヒイロにしてヒイロにならざる者によって寸前で掴まれた。
「永き眠りから召喚された我はベルの頂に立つ者なり」
 その言葉を耳にしたデネブ・オカブは確信して戦慄した。
「魔王!」
 次の瞬間、強烈な魔気を浴びたデネブ・オカブは、骨と肉をまき散らしながら爆発した。
 その者はなにもしてない。
 ただそこにいただけ。
 それだけでデネブ・オカブを破滅させたのだ。
 胃が大きく蠕動[ゼンドウ]した。
 魔気の余波が超巨大ナメクジの内部を崩壊させる。
 崩れていく肉。
 1匹の超巨大なナメクジだったものが小さなナメクジへと分裂していく。
 計り知れない力の前では、何であろうと儚く刹那に終わる。
 あまりに呆気なく、あまりに呆然と、呆れ果てるほどに莫迦らしく。
 終わった。

 救出隊が死に絶えたナメクジの山の中を掻き分ける。
「まだ見つからないのか!」
「柩は回収しました!」
「そんな物より少年を早く探せ!」
 懸命な捜索が行われる中、ナメクジの山の中から人間の手が突き出た。
「ブハーッ!」
 ヌメヌメになりながらヒイロが飛び出した。
 口に中に違和感を覚えたヒイロは、それを『うぇ~っ』と吐き出して手のひらの上に乗せ
た。
「ぎゃぁぁぁぁ」
 思いっきり手のひらの上はモザイク指定だった。なにを吐き出したかなんて、怖くて口が裂
けても言えない。
 ヒイロはすぐに救出隊に抱きかかえられながら、半ば無理矢理歩かされて運ばれた。
「おい、どこに連れてくんだよ!」
 このパターンはヒイロにとってイヤな思い出しかない。
 ヒイロが連れて行かれたのは特設テントだった。
 そこには華那汰の姿が!
「覇道くん無事だったのね!」
 華那汰はヒイロに駆け寄ろうとしたが、寸前でピタッと足を止めた。
「近寄らないで殺すから!」
「おまえから近付いて来たんだろうが!」
 叫んだヒイロからツバと体に付着したベトベトが飛んだ。
 ミサの背中からひょこっとミサが顔を出した。
 そして、ヒイロを指差してから、その指をそのまま遠くへビシッと向けた。
「この汚い生物を早く連れて行って頂戴」
 ガ~ン!
 ヒイロショック。
 押し寄せてくる白い集団。
 もはやヒイロは彼らから逃れられない運命だった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」
 消えゆく悲鳴はテントのはるか外まで聞こえた。
 その悲鳴を微かに耳にした男。
 雨にすでに止み、赤い車に寄りかかっていた男は傘をたたみ、かなた空を見上げた。
「光……か。見せてもらいましたよ、君に力」
 妖しい笑みを浮かべた男が見つめる雲の合間からは、輝く光が差し込んでいた。
 そんな男の近くで消え入りそうなしゃがれ声が聞こえた。
「……あがが……どうか……お助けを……」
 男の足下に落ちていたのは、デネブ・オカブの顔半分だった。
 これほどまで無残な姿になってまだ生きているとは……。
 だが!
 ぐちゃり。
 男の足に踏みつけられた。
 それがデネブ・オカブの本当の最期であった。

「ちょっと待って華那汰ぁ!」
 姉の制止を振り切って華那汰は家を飛び出した。
 ぴーちくぱーちくスズメがさえずり、せせらぎのように爽やかなそよ風、朝日がサンサン眩しい日差し、そして住宅街を駆ける爆走少女。
「遅刻遅刻ぅ~っ!」
 フランスパンを丸ごと口にくわえ、ブレザーに袖を通しながら走る。
 学校への最後のカーブを減速しないで曲がる!
 それがポリシーだから!
 が、いつものパターンで目の前に飛び込んできた人影!?
「またーっ!?」
 ドン!
 口にくわていたフランスパンが宙を舞い、華那汰も転びそうになるが、地面に手をついてそのまま側転しながら、さらにフランスパンもキャッチ。
 どうにか尻餅をついてM字開脚をされることは避けられた。
 でも、結局パンツを見えた。
 今日はパステルイエローだった。
 華那汰の目の前には、陽の光を背中に浴びて立っている男の姿。顔が陰になっていて見えないが、華那汰にはちゃ~んとわかっている。
「危ないじゃないのよ!」
 華那汰はフランスパンをスイングして、ヒイロの頭をぶっ叩いた。
 フランスパンはちょっと日にちが経っていて硬かった。
「ぐがっ!」
 ヒイロの顔面で粉砕したフランスパン。ついでに歯も粉砕しそうだった。
 鼻からケチャップ……じゃなかった、鼻血を出してうずくまるヒイロ。
「いってー、なんでいきなりぶたれなきゃいけねーんだ!」
「はぁ!? そっちがぶつかろうとしてきたからでしょう!」
「はぁ? おまえがいつも後ろからぶつかって来るんだろうが!」
「ちんたら歩いてるそっちが悪いんでしょう?」
 いや、後ろからぶつかってるなら、華那汰のほうが悪い。車の運転でも、後ろからぶつかったほうが前方不注意で罰せられる。
 二人はあーだこーだと言い合いをしていると、狗の鳴き声がどこからか聞こえてきた。
「ワンワン!」
 二人仲良く振り返った先には、私服姿のミサが美獣の散歩をしていた。
「覇道君と華ちゃん、今日も仲がいいのね、うふ」
 笑いかけたミサに華那汰とヒイロが同時に詰め寄った。
「あたしがこいつとですか!」
「どう見たら仲良く見えんだよ!」
 が、そんな二人の勢いを受け流してミサは淡々と、華那汰の服装を見て言う。
「華ちゃん、ひとつ言っていいかしら?」
「あれ……このパターンって前にもあったような?」
「なんで制服なのかしら?」
「ぎゃーっ!」
 叫んだ華那汰はすぐさまヒイロの学ランをつかんだ。
「だって覇道くんだって……いつも学ランだっけ。でもでも、だって今日って金曜日ですよね?」
「今日は土曜日よ」
「ええーっ!?」
 〈壺〉に閉じ込められていた華那汰は1日分記憶が抜けていた。
 姉の制止を振り切った華那汰が悪い。
 ショックを受ける華那汰をスルーしてヒイロがミサに尋ねる。
「ところで包帯野郎はどうなったんだ?」
「ブラック・ファラオだったら、この子の散歩をしてから朝食を食べて、それからどこかに捨てに行こうと思っているわ」
「お供します!」
 主に朝食のほうに。
 それを聞いていた華那汰が元気よくバシッと立ち上がった。
「あたしも!」
「お前はフランスパンがあるだろうが」
 ヒイロは自分の朝食がなくなると思って華那汰を敵視した。
 華那汰はあきれ顔。
「これは武器だし……じゃくて、変態包帯男捨てに行くのに着いてくって言ってんの(もちろん朝食も食べさせてもらうけど。だって月詠家の食卓なんて、きっと食べたこともないように美味しい朝食なんだろうなぁ)」
 じゅるり。
 モーソーをトキめかせる華那汰はヨダレを垂らしていた。これじゃあヒイロと変わらないじゃないか。
 そんなわけでミサにお供する狗、ヒイロ、華那汰。
 食べものに釣られてお供をするなんて、まるで桃太郎のようだ。

 ザッバーン!
 高い波しぶきが上がった。
 青い空、白い雲、そして荒れ狂う海。
 お供を連れたミサは鬼ヶ島を探して海に出た――なんてことはなくて、貨物ヘリで太平洋のど真ん中まで、Bファラオを捨てに来たのだ。
「ぼくだってきみたちに協力したじゃないかぁ!」
「ウソつくなよこの野郎!」
 ヒイロはBファラオに殴りかかろうとしたが、それをミサは手を前に出して止めた。
「彼はもう十分な報いを受けたわ。ナメクジの呪いが返ってきて一晩中叫び続けていたのだから……ふふふふふっ」
 いつもよりも笑いが多い。ちょっと怖い。
 ミサの支援を受けてBファラオが図に乗る。
「そうだよ、ぼくは十分な報いを受けたんだよ。だからこんなことやめて早く返ろうよ、ねえ?」
「それとこれとは話が別よ」
 ミサはそう行って柩のふたを閉めた。
 メイドがすぐさまふたを接着剤や鎖で固定する。
 もの凄い監禁事件が目の前で繰り広げられているような気がして、正直ちょっと華那汰は引いていた。
「これって……やりすぎじゃ?」
 その問いにたいしてミサはただ妖しく微笑んで返した。怖すぎる。
 ヘリの搬入口が開けられた。
 ヒイロが威勢よく手を上げた。
「はいはい、俺様が落としてやるぜ!」
 張り切ってヒイロは重い柩を押して運びはじめた。
「クソ重てぇ……なに入ってんだよ」
 Bファラオだ。
 そんなヒイロのボケをみんなは華麗にスルーして見守った。
 強い風でヒイロの髪が揺れる。
「もう……ちょっと……だぁッ!」
 最後の一押しで柩はヘリから真っ逆さま。
 ついでにバランスを崩したヒイロも――落ちた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ~~~っ!!」
 太平洋のど真ん中に呑み込まれた。
 慌てて華那汰とミサは海面を覗き込むが、見つかるわけがなかった。
「……覇道くん。あははー、どうしましょうか月詠センパイ♪」
「大丈夫よ、覇道君は案外運は強いから。ほら、見て、あそこに影があるわ」
 荒波を必死に泳ぐヒイロの姿。その真後ろからは三角のヒレが追いかけてきていた。
 ミサは微笑んだ。
「ほら、生きてたでしょう?」
 ただそれもいつまで続くか……。
 水しぶきを上げながらサメが顔を出した。
 ヒイロは海中でこっそりチビりながら必死で逃げた。
「助けてくれーーーっ!」
 泳ぐ泳ぐ、猛烈に泳ぎまくるヒイロ。
 その勢いは自力で日本まで帰ってしまいそうだった。
 がんばれヒイロ!
 負けるなヒイロ!
 それゆけヒイロ!
 ヒイロはどこまで行ってもヒイロだった。

 おしまい♪