Remake Episode 03

第3話 バスケと超能力者と魔法少女

IF~魔法使いになったら~

 試合開始の笛が鳴りました。

 きゅっ、きゅっ、と体育館の床をシューズがこする音。

 だん、だん、とボールが弾む音。

 「こっち!」「パス!」という声。

 体育館は、一瞬で戦場になりました。

 わたしはその戦場の端っこにいました。

 正確には、赤チームの一員としてコートに立っていました。

 でも、気持ちは完全に見学者です。

「珠瀬さん、動いて!」

 佐藤さんが叫びます。

「動いてます!」

「足が!」

「心は動いてます!」

「心じゃボール取れない!」

 正論です。

 でも無理です。

 バスケットボールは速いんです。

 人も速いし、ボールも速いし、展開も速いです。

 わたしは本を読むのは好きですが、目の前で人とボールが高速移動する情報量にはついていけません。

「那々美!」

 反対側から、愛先輩の声がしました。

 白チームの愛先輩は、体育着姿でもかっこよかったです。

 黒を基調にした普段のクラシカルな装いとは違って、白い体操着にジャージ姿。

 それだけなのに、立っているだけで絵になります。

「ボールを見るんだ。怖がらなくていい」

「はい!」

 わたしは元気よく返事をしました。

 そして、飛んできたボールから反射的に逃げました。

「珠瀬さん!?」

 佐藤さんが悲鳴を上げました。

「す、すみません! ボールを見るのと受け止めるのは別問題です!」

「別にしないで!」

 ボールはそのまま白チームに渡りました。

 愛先輩が受け取ります。

 ああ、受け取り方まで綺麗です。

 片手で軽くボールを制し、身体をひねって、味方へパス。

 無駄がありません。

 美しいです。

「鳴海先輩、かっこいい……」

「珠瀬さん、敵! 今、敵だから!」

「敵なんて言わないでください!」

「試合だから!」

 佐藤さんが必死です。

 わたしも必死です。

 でも、必死の方向が違いました。

「よし、そこだ!」

 ベルバラ先生の声が体育館に響きます。

「愛! その切り返し、美しい! まるで戦場に咲く白薔薇!」

「先生、試合中です」

 愛先輩は落ち着いて答えました。

「そうだった! 続けたまえ!」

 ベルバラ先生は無駄に感動していました。

 この先生は、体育の授業を見ているのか、舞台を見ているのかわからなくなることがあります。

 そのとき、わたしはある人と目が合いました。

 見上宙さんです。

 同じ学年の女子で、いつも少し眠そうな顔をしています。

 髪は長く、前髪で目元が少し隠れていて、どこか不思議な雰囲気があります。

 そして今、見上さんはコートの隅にいました。

 体育座りで。

「…………」

「…………」

 目が合いました。

 見上さんは、にやりと笑いました。

 わたしは少しだけ安心しました。

 あ、仲間です。

 戦力外仲間です。

 そう思った次の瞬間、見上さんが立ち上がりました。

「……そろそろ」

 見上さんが小さくつぶやきました。

「え?」

 わたしが聞き返す前に、コートの空気が変わりました。

 佐藤さんがドリブルしていたボールが、ふわりと浮いたのです。

「えっ?」

 佐藤さんが固まりました。

 ボールは誰の手にも触れられていないのに、空中へ上がっていきます。

 そして、ふわふわと移動しました。

 まるで見えない手で運ばれているみたいに。

「ちょっと、ボール!?」

 佐藤さんが追いかけます。

 ボールはするりと逃げました。

 白チームの生徒も手を伸ばします。

 ボールはまた逃げました。

 体育館全体がざわつきます。

「何あれ?」

「風?」

「体育館で?」

「玉藻先生の実験?」

「また?」

 違うと思います。

 たぶん、見上さんです。

 見上さんはコートの隅で片手を軽く上げ、指先をくるりと動かしていました。

 ボールはその動きに合わせて、空中をすいっと進みます。

「見上さん……」

 わたしがつぶやくと、見上さんはもう一度にやりと笑いました。

 完全に確信犯です。

 ボールはそのまま、見上さんの手元に落ちました。

 見上さんは両手でボールを持ち、なぜか床に置きました。

「え、何する気?」

 佐藤さんが言いました。

 見上さんは低い姿勢になり、ボーリングのようにボールを転がしました。

「バスケですよ!?」

 わたしは思わず叫んでしまいました。

 でも、転がったボールは、ただ転がったわけではありませんでした。

 床の上をすべるように進み、人と人の間をぬって、相手チームの足元を避け、最後に急に跳ね上がりました。

 ぽん。

 ボールはリングに当たり、きれいにゴールへ入りました。

 しゅぱっ、という音。

 赤チーム得点。

 体育館が静まり返りました。

 見上さんは小さくピースしました。

「……やった」

 佐藤さんがぽつりと言いました。

「やった、じゃないよね?」

 わたしも、こくこくうなずきました。

「今の、バスケットボールじゃないです」

 ベルバラ先生は笛をくわえたまま固まっていました。

 そして、ゆっくり笛を外します。

「見上」

「はい」

「今のは……」

「シュートです」

「そうか。シュートか」

「はい」

「ならば得点だ!」

「いいんですか!?」

 わたしと佐藤さんが同時に叫びました。

 ベルバラ先生は薔薇を取り出し、無駄にポーズを決めました。

「青春には、時として常識を超える瞬間がある!」

「先生、超えすぎです!」

 愛先輩が冷静に言いました。

「先生。今のは反則では?」

「ルールブックに、超能力でボールを動かしてはいけないとは書いていない!」

「超能力と認めるんですか」

「いや、まだ認めてはいない!」

「では何ですか」

「気合いだ!」

「気合いでボールは浮きません」

 愛先輩の正論がきれいに突き刺さりました。

 でも、ベルバラ先生は強いです。

「とにかく、授業を続ける! ただし見上、次からはもう少しバスケらしく!」

「はい」

 見上さんは素直にうなずきました。

 でも、絶対またやる顔でした。

 わたしは心の中で思いました。

 この学校、おかしいです。

 いや、前から知っていました。

 知っていましたけど、今日ほど強く思ったことはありません。

「珠瀬さん」

 佐藤さんがわたしの肩をつかみました。

「はい」

「見上さんに負けてられないよ」

「何をですか?」

「珠瀬さんも何かやろう」

「無理です」

「大丈夫。気合いで!」

「気合いでわたしは動きません」

「でも、さっき紙吹雪出してたし」

「あれは忘れてください!」

 忘れてほしいです。

 本当に。

 でも、そう言われたせいで、わたしはまた思い出してしまいました。

 魔法。

 朝から暴発している、よくわからない力。

 制服。

 眼鏡。

 テレビ。

 花。

 紙吹雪。

 次は何が起きるかわかりません。

 だから、使ってはいけません。

 絶対に。

「魔法禁止。魔法禁止……」

「珠瀬さん、また言ってる」

「自己管理です」

「自己管理、大変そうだね」

「はい。とても」

 試合が再開しました。

 ボールは赤チームからです。

 佐藤さんがドリブルで進みます。

 見上さんは今度はちゃんと立っています。

 ただ、目がボールを追っています。

 たぶん、また何かする気です。

 わたしはコートの端をうろうろしました。

 邪魔にならないように。

 目立たないように。

 ボールが来ないように。

 でも、こういうときに限って来るんです。

「珠瀬さん!」

 佐藤さんの声がしました。

 見ると、ボールが飛んできています。

 わたしの方へ。

 まっすぐ。

「ひゃあっ!」

 避けようとしました。

 でも、なぜか身体が動きません。

 いえ、違います。

 逃げたらまた迷惑をかけると思ったんです。

 だから、目をつぶって、両手を前に出しました。

 ぽすん。

 ボールが手の中に収まりました。

「取れた!」

 自分で驚きました。

 佐藤さんが叫びます。

「珠瀬さん、そのままシュート!」

「シュート!?」

 見れば、わたしはいつの間にかゴール下にいました。

 なぜここにいるのか、自分でもわかりません。

 目の前にはリング。

 手の中にはボール。

 周りには人。

 そして。

「那々美」

 愛先輩が、わたしの前に立っていました。

 白チームのディフェンスです。

 あまりにもかっこよくて、わたしは心臓が止まりそうになりました。

「え、あの、愛先輩」

「来い」

「来い!?」

「全力で来るんだ」

「無理です!」

「無理じゃない。ボールを持っているなら、君は今、攻める側だ」

「攻める側……」

 言葉が強いです。

 愛先輩が言うと、何でも名言に聞こえます。

 でも、わたしは攻める側に向いていません。

 できれば一生守る側でいたいです。

 というか、今すぐベンチに戻りたいです。

「珠瀬さん、打って!」

 佐藤さん。

「那々美、落ち着け」

 愛先輩。

「珠瀬、青春の一投だ!」

 ベルバラ先生。

「……飛べば入る」

 見上さん。

 いろんな声が聞こえます。

 わたしは混乱しました。

 リングが高いです。

 ボールが重いです。

 愛先輩が近いです。

 顔が熱いです。

 心臓が変です。

 そして、最悪なことを思ってしまいました。

 届けばいいのに。

 ほんの少しだけ。

 リングまで、届けば。

 その瞬間、足元が軽くなりました。

「あ」

 床を蹴りました。

 自分でも信じられないくらい、身体が浮きました。

 高い。

 高いです。

 体育館の天井が近づいている気がします。

 リングが目の前に来ました。

 愛先輩の驚いた顔が、下に見えました。

 佐藤さんの口が開いています。

 ベルバラ先生が薔薇を落としました。

 見上さんだけが、なぜか楽しそうに笑っていました。

「え、ええええええっ!?」

 叫びながら、わたしはボールをリングに叩き込みました。

 どんっ。

 ダンクシュート。

 というやつだと思います。

 バスケット漫画で見たことがあります。

 現実のわたしがやるものではありません。

 でも、やってしまいました。

 しかも、勢いでリングにつかまってしまいました。

 ボールは床に落ちました。

 しゅぱっ、ではなく、どん、でした。

 体育館は完全に静まり返りました。

 わたしはリングにぶら下がったまま、足をぶらぶらさせていました。

「…………」

「…………」

「…………」

 沈黙。

 長い沈黙。

 そのあと、佐藤さんが小さく言いました。

「珠瀬さん、すご」

 それを合図に、体育館が爆発しました。

「今の何!?」

「ダンク!?」

「珠瀬さんが!?」

「魔法少女?」

「いや、玉藻先生の実験だろ!」

「やっぱり?」

「朝から花咲いてたし!」

「バレンタイン体質じゃなかったの!?」

 全部聞こえています。

 やめてください。

 わたしは泣きそうでした。

 なぜなら、問題はダンクをしたことではありません。

 降りられないことです。

「あの……」

 わたしは小さく言いました。

 誰も聞いていません。

「あの!」

 今度は少し大きく言いました。

 全員が見上げました。

「降りられません……」

 また沈黙が来ました。

 佐藤さんが両手を口に当てました。

「珠瀬さん、かわいい……」

「かわいくないです! 助けてください!」

 ベルバラ先生が我に返りました。

「よし、私が受け止めよう!」

「先生は嫌です!」

「なぜ!?」

「勢いが怖いです!」

「ならば、愛!」

 ベルバラ先生が振り返りました。

「君が受け止めたまえ!」

「はい」

 愛先輩が即答しました。

 わたしの心臓が、また変な音を立てました。

「え、あ、愛先輩!?」

 愛先輩はリングの下に立ち、両腕を広げました。

「那々美、手を離せ。私が受け止める」

「む、無理です!」

「大丈夫だ」

「そういう意味じゃなくて!」

 愛先輩の腕の中に落ちる。

 それは危険です。

 わたしの心臓にとって、とても危険です。

 でも、腕が限界でした。

 手が汗で滑ります。

 指がしびれます。

「那々美、こっちを見ろ」

 愛先輩の声は落ち着いていました。

 わたしは恐る恐る下を見ました。

 愛先輩が、まっすぐこちらを見ています。

「大丈夫。受け止める」

「本当に……?」

「ああ。約束する」

 その言葉を聞いた瞬間、少しだけ怖さがほどけました。

 でも、別の意味で怖さが増えました。

 愛先輩に受け止められるなんて。

 そんなことが現実に起きたら。

 わたしはきっと、たぶん、絶対。

「じゃ、じゃあ、いきます」

「来い」

 わたしは目をつぶりました。

 手を離します。

 身体が落ちる。

 浮遊感。

 空気。

 そして、あたたかい腕。

 愛先輩が、わたしを受け止めてくれました。

 思っていたより、ずっと安定していました。

 思っていたより、ずっと近かったです。

 愛先輩の顔がすぐそばにありました。

「大丈夫か?」

「あ、あ、あ……」

「那々美?」

「だ、大丈夫、です」

「顔が真っ赤だ」

「そ、それは……」

 愛先輩の腕の中です。

 いわゆる、お姫様抱っこです。

 体育館の真ん中で。

 クラスメイト全員の前で。

 ベルバラ先生の前で。

 見上さんの前で。

 世界が終わりました。

 でも、少しだけ、終わってもいいと思いました。

「鳴海先輩、保健室!」

 佐藤さんの声で、わたしは現実に戻りました。

「珠瀬さん、顔真っ赤だし、今のジャンプ絶対おかしいし、休ませた方がいいです!」

「そうだな」

 愛先輩はうなずきました。

「先生、那々美を保健室へ連れていきます」

「許可する!」

 ベルバラ先生はなぜか感極まった顔をしていました。

「愛が乙女を抱いて退場する……美しい! これぞ青春の名場面!」

「先生、そういうのではありません」

「わかっているとも!」

「たぶんわかってません」

 愛先輩はわたしを抱えたまま歩き出しました。

「お、下ろしてください! 歩けます!」

「本当に?」

「歩け……たぶん、歩けます」

「たぶんでは困る」

「でも、みんな見てます!」

「見ているな」

「恥ずかしいです!」

「落ちた直後だ。無理をさせる方がよくない」

「愛先輩……」

 優しいです。

 優しすぎます。

 このままだと、また魔法が暴発しそうです。

 お願いです。

 花も紙吹雪も出ないでください。

 今ここでハートなんて出たら、本当に生きていけません。

 でも、わたしの願いは少し遅かったようです。

 愛先輩が体育館の出口へ向かう途中、わたしの周りに、ふわっと小さな白い羽根が舞いました。

 どこからともなく。

 きらきらと。

 完全に演出みたいに。

 体育館がまたざわめきました。

「やっぱり魔法少女だ」

「玉藻先生の実験だろ」

「いや、バレンタイン体質」

「どれ?」

 わたしは愛先輩の腕の中で、両手で顔を隠しました。

「違います……違うんです……」

 愛先輩が小さく笑った気がしました。

「那々美」

「はい……」

「君は本当に、不思議な子だな」

「すみません……」

「謝ることじゃない」

 その声が優しすぎて、わたしは顔を上げられませんでした。

 体育館を出る直前、見上さんの声が聞こえました。

「……珠瀬さん」

 振り返ると、見上さんが口元だけで笑っていました。

「次は空中戦しよ」

「しません!」

 わたしは全力で叫びました。

 愛先輩の腕の中で。

 白い羽根が、また一枚、ひらひらと落ちました。

 魔法禁止のバレンタインは、どう考えても失敗していました。