モンスター「始まり」
 球、玉、泡、しゃぼん玉。
 始まりは終わり。
 全ては真ん中≠ノ座する〈存在〉の泡沫の夢。

 真球はどこから見ても同じ形。
 はじまりはどこ?

 とある魔導師の夢。
 彼は女性[ヒト]と出逢い、その女性を心から愛した。
 はじまりの頃の燃えるような思いは途絶えることなく、より激しく燃え上がる。
 魔導師は彼女を求め、彼女もまたその求めに応じ、魔導師を心から愛した。
 もともと身寄りのない同士、互いの寂しさを埋め合い、周りの誰からも反対されることなく、幸せを育んでいった。
 しかし、不幸はまるで稲妻のように、激しい衝撃と恐怖の雷鳴を轟かせながら魔導師の心を射抜いた。
 そのころ都市に蔓延していた流行り病に彼女が犯されてしまったのだ。
 日に日に彼女が衰弱していくのを見て、魔導師は嘆き悲しみ、こぼれる涙をどうしても抑えることができなかった。
 彼女の頬は酷く痩せ細り、腕や脚は枯れ木にように、肌にはこの病魔の象徴である黒い斑点が身体全体を覆いつくそうとしていた。
 幸せだった夢は、突然として悪夢に変わってしまったのだ。
 変わり果てていき、醜い化け物のような姿になっていく彼女を、魔導師は前と変わることなく――いや、前以上に慈しみ愛した。
 この頃、この悪魔の病気を治す薬も術もなく、誰も死を迎えるほかない状況だった。
 奇跡など起こらない。
 敬虔な魔導師は週に1度の礼拝を欠かさず、彼女が病魔に侵されてからも神に祈りを捧げた。
 しかし、祈りは届かない。
 その日、魔導師は狂人となり、狂い叫び嘆き呻き、本棚を倒し、研究用の器具を叩き壊し、自宅に火をつけようとまでした。
 ――彼女が死んだのだ。
 狂う魔導師の心を鎮めたのは、安らかな顔をして眠る彼女の姿だった。
 病魔に侵され苦しい身体に鞭を入れながら、彼女は魔導師に微笑を与え続けたのだ。
 通常は土葬をされる遺体だが、この病気で死んだ者は焼かれ灰になる。
 死してなお、炎によって身を焼かれ朽ち果てる彼女のことを思うと、魔導師は居ても立っていられなくなり、再び気が狂う思いだった。
 魔導師の耳元で悪魔が囁く。
 幸せだったころならば、魔導師は悪魔に耳を貸すことなどなかっただろう。
 神は彼女を救ってくれなかった。
 だから、魔導師は悪魔に耳を貸し、魂を売り払った。

 梟が目を覚まし、夜風を身を凍らす。
 月光とランプを頼りに、外套に身を包んだ魔導師はシャベルで墓場を掘り起こし、遺体[ガラクタ]を掻き集めていた。
 最近の流行病のせいか土葬される遺体が少なく、運が悪いことに死して間もない身体が見つからず、魔導師は仕方なく朽ち果てている体の中から使える部位[パーツ]を集めていった。
 あのとき、彼女が死に火葬される前に、魔導師は彼女の胸にナイフを切り裂き心臓を取り出し、頭蓋骨を鋸[ノコギリ]で切断し脳を取り出し保管した。保管していられる時間は限られており、早く手術に取り掛からねばならない。そのため、新鮮な死体が手に入るまで待って入られなかったのだ。
 ガラクタを集めて自宅の研究室に戻った魔導師は、さっそく材料が新鮮なうちに手術に取り掛かった。
 切断された部位[パーツ]を縫い合わせ、彼女の脳と心臓を埋め込み、皮膚を張り合わせ、魔導師は人の形を作り上げていく。
 人の形をしてはいるものの、それはとても不気味でおぞましく見るに耐えないほど醜悪なものだった。継ぎ接ぎされた皮膚の色は所々違いまだら模様になり、接合部分は粗い縫い目で繋がれ、美しかった彼女の面影はなにひとつない。だが、魔導師はそれでも満足だった。
 彼女が黄泉帰り、自分にまた微笑みかけてくれることを信じて、魔導師は一心不乱に彼女の身体を作り上げていく。
 外は激しい風と共に雷雨が吹き荒れていた。
 窓を叩く雨粒は子悪魔が踊るリズム。
 夜闇に走る稲光は空を駆け回る怨霊たち。
 轟く雷鳴は悪魔の怒りか咆哮か、それとも歓喜の叫びか。
 ひとりの魔導師は悪魔に魂を売り、禁忌を犯そうとしていた。
 呪いの鐘が鳴り響き、破滅の序曲で終わりが幕を開けた。
 終わりを迎えるための始まり。

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