魔王様は黒猫!?
 部屋の中はカビや薬品臭い――というか汚い。
 汚いというのはバイキンが繁殖しているしているということではなく(しているかもしれないが)、部屋中は魔導書や魔導具の類が床に散乱していて、足に踏み場がないということである。
 この汚い部屋に住んでいるいるのは、この国で超有名な魔導士ルーファスである。有名といっても彼の使う魔法がスゴイとか、そういったもので有名なのではない。……彼が有名なのは、その〝へっぽこ〟ぶりからであった。
 へっぽこ魔導士ルーファスの名を大人から子供、お隣さんの猫まで、知らぬ者はこの国にはたぶんいない。たぶん。
 このルーファスは身長も高くルックスはそこそこイケてるのだが、どこか抜けている雰囲気を持っていて、彼のことをカッコイイと言ってくれる者はそうはいなかった。
 そんなへっぽこ魔導士ルーファスは自宅の地下室で、汚名返上のため、とあるビックな召還魔法をしようと無謀な試みをしていた。
 大魔王ルシファーの召還――それは未だかつて成功例のない超一流な悪魔召還。この大魔王ルシファーを召還して、自分のパシリとして遣うことができれば、ルーファスの名は超超天才ミラクル魔導士ルーファス様として世界に轟くだろう。それはあくまで成功した場合なのだが……。
 若干カビ臭くて薄暗い自宅の地下室で、ルーファスは分厚い魔導書を悔いるように見ていた。
「よし、あとは呪文を唱えるだけだ(これに成功すれば私もウハウハだ)」
 大きく息を吐いて、ルーファスは魔導書に書かれている古代文字を詠みはじめた。
「えーと、なになに……ライラ、ライララ、闇よりもなお暗き者……されど汝の輝きは陽く……黄金の翼をはためかせる……我は汝と契約する……出でよ大魔王ルシファー!」
 呪文の詠唱が終わると同時に建物が激しく揺れ、戸棚に入っていた薬品の入ったビンが次々床に落ち、激しい音を立てながら割れた。
「成功か……それとも……?」
 突如、床に描かれた魔方陣から約一メートル上の空間が、渦巻くようにして歪曲しはじめた。そして、歪んだ空間の中から何かが飛び出して来た。
「やったー、成功だ!」
 と歓喜の声あげた瞬間。
「いたたたた、お尻打っちゃったよぉ……」
 と大魔王らしからぬかわいらしい声が?
 出て来たのは女の子!? しかも、出て来る時にお尻を打ったらしく、お尻を擦っているではないか。
「(こ、これが……大魔王なのか!?)」
 召還された女の子(魔王?)は、亜麻色の髪に黒い瞳、歳は十五か十六といったところか。顔はそこそこカワイイ、って普通の女の子みたいな感じ?
「(……ふ、普通っぽいぞ、だがしかし、この世界では見たことのないセンスの服を着ている……変わり者?)」
 女の子(魔王?)の服装は明らかにこの世界のものではなかった。ミニスカートにちょっと変わった上着に、首に付けているあれはリボンか?
「(よし、ここは直接尋ねるのが確実だ)あのぉ~、あなたルシファーさんですか?」
 女の子(魔王?)と目が合った。女の子は凄く驚いた表情をしている。何だか今はじめて自分の前に人がいることに気がついたようだ。
「ここどこ?」
 目を丸くした女の子(魔王?)は辺りを見回して、いきなりルーファスの襟首に掴みかかって来た。
「ここどこなの!?」
「(この子なんだか凄く怒ってるぞ、いや、パニック状態なのか?)あ、あの、ここは私の家でして……」
「だから、何でアタシがここにいるわけ!?」
「それは私があなたを召還して」
「召還、何それ?(う~ん、RPGに出て来たあれかな?)」
「異世界からモノを呼び出す魔法ですけど……」
「意味わかんない」
 はっきりきっぱり冷めた口調で即答されてしまった。それに対してルーファスは困った顔をする。
「(召還魔法も知らないなんて、もしかしてやっぱり……失敗)あなたルシファーさんですか?」
「ルシファー、誰それ?(外国の人?)」
「(やっぱり、失敗か!)」
 やっぱりというか、女の子が出て来た時点で絶対失敗だと誰もが思う。
 案の定へっぽこ魔導士ルーファスは召喚の術を失敗していた。それというのも、ある決定的な理由がある。
「(やっぱり、人の代わりにマグロの刺身を生贄にしたのがダメだったか。ふんぱつしたのになぁ)」
 あたりまえだ、召喚の手順は正確に行わなければ意味が無い。しかも、人の代わりにマグロの刺身を生贄にする魔導士がどこにいようか(ここにいたのだが……)。マグロの値段が高かろうが安かろうが大した差はない、どちらにしろ失敗するのだから。
「何考えてボーっとしてんの!」
 パン! と女の子の軽い平手打ちがルーファスのほっぺたにヒットした。
「痛いだろ、何すんだよ!」
「ねぇ、早く家に帰りたいんだけど、ここどこなの?」
「(ちょっと痛かったが相手が女の子だからここは我慢だ)ここはアステアと呼ばれる国にある私の自宅だ」
「アステア……聞いたこと無いけど?」
「たぶん君はこことは別に世界から召喚されたのだろう(たぶんだけど)」
「別の世界?(意味不明?)」
 女の子は困惑の表情を浮かべた。
「じゃあ、君の世界の名前を言ってみてよ」
「世界……世界に名前なんてないけど、星の名前はチキュウだけど」
「国の名前は?」
「ニホンっていう国」
「(やはり聞いたことが無い名だな)やっぱり、君は別の世界から来たらしい」
「まっさか~!? 信じられるわけないでしょ、本当だとしても何で私が……?」
 突然、ルーファスの表情が焦りの色へと変わり、頬に冷たい汗が流れた。
「そ、それはつまり……(まずい)」
「それはつまり?」
 ルーファスの眼前に女の子の顔がぐぐっとずずいと近づいて来た。その顔についている二つの瞳はまさに〝疑い〟の眼差しをしている。ルーファスの心なんてお見通しだ。
「ごめん、失敗して呼んじゃった、テヘッ」
「……はっ?(失敗したってどういうこと)」
「つまり、君は間違って私に呼ばれたわけだ(ついつい、本当のことを言ってしまった)」
「じゃあ早く帰してよ」
「それは無理」
 ルーファスはあっさりさっぱりきっぱり答えた。
「無理ってどういうこと?」
「生憎だけど、帰し方を知らないんだ。なんせ普通は用事が済んだら勝手に帰ってくれるもんだから、あははは」
「『あははは』じゃないでしょ、〝方法〟を考えて!」
 女の子は方法のところをかなり強調して言った。怒気がこもっている――つなり殺意というやつ。
「う~ん、たぶん用事が済めば帰れると思うけど(その用事っていうのが……)」
「用事って何?」
「召喚者が召喚したモノを呼び出した理由っていうかなんていうか」
「じゃあその用事を済ませれば私は家に帰れるわけ?」
「まぁそういうこと……かなぁ?」
 ルーファスは言葉の最後に明らかにおかしい含みを持たせた。それを女の子は見逃さなかった。
「(明らかに何かを隠してる表情)言葉が途中で止まったけど、どういうこと?」
「(やばいぞ、やばい、こーなったら本当のことを)……実は」
「実は?」
「世界征服をするために呼んだりしちゃったんだよねぇ……エヘッ」
「はっ! 世界征服?(なに言ってんのコイツ)」
「だーかーらー、せ・か・い・せ・い・ふ・く」
 フリ付きでちょっとかわいらしく言ってみた。がすんなり交わされた。
「詳しく説明して」
「あのさぁ~、その前に襟放してくれないかな?」
「あっ(ず~っと掴んだままだった)」
 女の子に襟首を放されたルーファスは、襟を両手できゅっきゅっとやった。、
「まぁ、ここで話すのもなんだから、一階に上がろう。こっちだよ」
 すたすたと歩くルーファスの後ろを女の子はちょこちょことついていき、二人は階段を登り一階に出た。
「足もと気をつけて、凄く散らかってるから。私は紅茶でも煎れて来るから、そのへんに座ってて」
 そう言うとルーファスは台所の奥に消えて行ってしまった。
「(足元気をつけてって)」
 女の子はポケットから眼鏡ケースを出すと、ささっと眼鏡を取り出しかけた。
「(うぁ~マジで汚い)」
 部屋中は魔導書や魔導具の類で埋め尽くされ――大地を創り、山を創り、森を創り、まるでここは腐海の森のようであった。
 そこに紅茶を煎れたルーファスが台所から戻って来た。
「なんだぁ~、まだ座ってなかったの?」
「だってこの……(腐海の森)」
 女の子はルーファスの方を振り返った瞬間、言葉を失った。
「(カッコイイ!)」
 ルーファスのことを見てそう思ったのだが、たしかにルーファスの容姿はなかなかいイケてる。
 綺麗な顔立ちに銀髪のさらさらヘヤーを後ろで適当に束ね、長身でたしかにカッコイイが、この国で彼のことをカッコイイと言う人はあんまりいない。
 魔導士ルーファスの名は、ドジで間抜けでへっぽこな面が目立ってしまい、どこに行ってもへっぽこ魔導士と言われてしまう。
 少し頬を桃色に染めた女の子に見つめられて、ルーファスは不思議な顔をした。
「どうかした?(私の顔に何かついてるのかな。あっ、眼鏡……カワイイかも)」
「さっきまで気づかなかったけど、あなたカッコイイのね」
 彼女が今のいままで気づかなかったのには理由がちゃんと存在する。
 ①地下室が暗かったから。
 ②かなりさっきまで混乱してたから。
 ③彼女はかなり目が悪いから。
 以上。
「いやぁ~、カッコイイなんて言われたのひさしぶりだなぁ」
「(こんなにカッコイイのに)何でそんなにカッコイイのに?」
「私のことを知ってる人はそんなこと言ってくれないからなぁ~、あはは」
「どうして?(実はチョー変態とか)」
「まぁ、そこに座って」
 ルーファスが指差したそこは?
「(がれきの山?)」
 そう思ったハルカはよく見た。ルーファスの指の先にはがれきの山が……ではなく、よく見ると椅子だった。
「(あまりのも散らかってたから……)」
 ルーファスはすぐに女の子の気持ちを察した。
「はい、紅茶」
 そして、紅茶を手渡すと、椅子の上にあったがらくた(?)を掃除した(床に落とした?)。
「どうぞ」
 ルーファスはどうぞっていう手のポーズを決めてニッコリ笑った。その笑顔は美しくてうっとりしそうだったけど女の子は思った。
「(カッコイイ人ほど不精者)」
 そんな言葉が頭を過ぎった。
「どうしたの早く座って」
 女の子はルーファスに勧められるまま、よいしょって感じで座った。それを見てルーファスもどっこいしょって感じで座った。ちなみに声は出さなかったが。
「では、私がカッコイイと言ってもらえない理由ですが……それが世界征服しようと思った理由にも繋がっていて」
「うんうん、それで」
 女の子は食い入るようにルーファスの話を聞いている。興味津々といった感じだ。
「実は私、この国では『へっぽこ魔導士』と言われていて、そいつらを見返してやろうかなとかって思って……」
「(私を間違って召喚したぐらいだから……てゆーか、見返すためにって)」
「魔導学園に通っていた頃から、ドジで間抜けでクラスメートからはいじめられるし。あぁ人生最悪」
 ルーファスは軽い回想に浸っていた。
「あ、あのぉ~(ちょっとこの人変かも)」
 少し気づくのが遅い。
 軽い咳払いをしてルーファスは還って来た。
「あ、これは失礼」
「あの、だから、アタシが家に帰るためには具体的にどうすればいいの?」
「世界征服だから、人間たちを支配して、奴隷にして、大量虐殺とか?(召喚しようとしたの大魔王だし)」
「それって、魔王みたい」
「ビンゴ! そう私が召喚しようとしたのは大魔王なんだよね」
「ようするにアタシに魔王の変わりをしろってこと?」
「う~ん、ネバーエンディングに脳みそフル回転で駆け巡るって感じだね」
「無理!(てゆーか、この人の発言が意味不明)」
「じゃあ、一生帰れないな」
 ルーファスは紅茶を少し口に入れた。
「(ちょっと、濃いな)」
「ア、アンタねぇ、誰が呼んだのよ、誰が!」
 女の子は怒りのあまり勢いよく立ち上がった。その拍子に手に持っていたカップから紅茶が放物線を描きながら逃げだした。
「あっちぃ~」
 逃げ出した紅茶の三分の二がルーファスの顔に、美しい顔に見事かかった。それは女の子がまるで狙ったかのようだ。もし、狙ってやったならかなりの悪女だ。
「ご、ごめんなさい(ど、どうしよう)」
 女の子は慌ててポケットから駅前でもらったポケットティッシュを取り出し、ルーファスの顔をごしごしとやった。
「あ、あの(痛い)」
「はぁ……はぁ……(これだけ拭けば)」
 たしかに、これだけ拭けばお茶は一滴も残ってないだろう。しかし、ルーファスの顔はティッシュのカスでスゴイことになっているけど。
 ルーファスは顔についたティッシュをパッパッと振り払うと、ちょっと真剣な顔付きになった。
「……(そういえば)」
「……どうしたの?(スゴイ真剣な顔)」
「まだ……」
「まだ……?」
「名前聞いてなかったよね」
「(……ばかぁ)」
「私の名前は(自称)天才魔導士ルーファス」
「あ、アタシはハルカ(天才ってへっぽこなんでしょ)」
「よろしく」
 ルーファスはハルカの手を掴んで、手をぶんぶんと上下に振って握手をした。
「あのさぁ~、私が帰れる手段は他にないの?」
「さぁ、まぁこの世界は広いから、そのうち見つかる(かも)」
 ルーファスの頼りない言い方にハルカは精神的に疲れた。
「はぁ、少し休む」
 とため息を付き、椅子にバタンともたれた。
 こうして(自称天才)へっぽこ魔導士と異世界から来た女の子ハルカの物語。ハルカが元の世界に戻る方法を探す物語。ハルカが魔王になる物語(?)がはじまったのか?

◆ ◆ ◆


 ハルカがこっちの世界の強制召還されてしまってから三日の日数が経ってしまった。
 三日間の間にハルカはどんなことをしていたかというと、例えば――。
「はははははぁ、我が名は大魔王ハルカだ。人間どもなんて、そのぉ~、え~と、はははは~っ(アホくさ)」
 ハルカのセリフはかなり棒読みだった。
「う~ん、イマイチだな(大魔王っていったら、もっと何かこう……)」
「ねぇ、何でこんなセリフの練習しなきゃいけないの……?」
「だって、これから大魔王になるんだから」
「ならない!(……はぁ、何でこんなことになっちゃったんだろ?)」
 このようにハルカはへっぽこ魔導士ルーファスの監修のもと、大魔王になるための猛特訓(?)をしてみたり。
 三日の間にルーファスからこの世界のことをいっぱい聞いたり、出かけたりしてこっちの世界の生活に少し馴染むことができた――と思う。
 そんなこんなで三日という時間が哀しいまでに過ぎていったのだが、いっこうに元の世界に戻る方法のひと欠片の糸口すら見つからなかった。
 ハルカはルーファスの家のソファーに座って考え事をしていた。
「(みんな心配してるんだろうなぁ。学校終わって家に帰ろうとしたら、いきなり変な渦に呑み込まれて……)」
 そんなことをハルカが考えていたら、遠くの方からルーファスの声が聞こえて来た。
「ねぇー、昼ごはんまだぁ?」
「(何でアタシが?)」
 ハルカはここに来て以来、なぜか家事全般をやっている。
「昼ごはんはぁ~?」
「自分で作ればいいでしょ!」
 ハルカの怒鳴り声が家中に――家の外まで鳴り響いた。さぞかしお隣りさんのタマも驚いたに違いない。
「だってさぁ~」
 ルーファスはそう言いながら、気だるそうなあくびをしてハルカの前に姿を現した。
「『だってさぁ~』じゃないでしょ!(このひと、アタシが来るまでどんな生活してたんだろう?)」
 ハルカがここに来て以来、家事全般をしているのは見るに耐えなくなって、仕方なくのことだった。
「ふぁ~(眠い)」
 頭をぽりぽりと掻きながら、ルーファスは大きなあくびをまたしている。そして、一言を言い放つ。
「おなか空いた」
「…………(死!)」
 正直ハルカはこの時、ルーファスに対して殺意が沸いた。包丁を持っていたら絶対に刺していたに違いない。
 ハルカはこの世界に来て三日の間、この世界についての知識を学ぶともに、それ以外のことで膨大な時間を費やした作業があった。――それは掃除、この部屋の掃除である。
 この家に散乱する魔導具の類が大地を形勢し山を創り、まさに足の踏み場のなかったこの部屋を彼女は三日間のほとんどの時間を費やして掃除。
 そして、ついに今日の昼間、家中がピカピカに片付き、疲れた彼女がソファーに座っていたところをルーファスにおなかが空いたと声をかけられたのだった。殺意が沸くのも当然だ。
「あのぉ~、昼ごはん」
「アタシはもう食べた」
「仕方ないなぁ~」
「(仕方ないじゃないでしょ)」
 両手を広げてルーファスは大きく深呼吸をして、口いっぱいに空気を溜めて、モグモグと口を動かし、ゴクンと何かを呑み込んだ。その光景は変としか言いようがない。
「(何やってんのこの人)」
「(やっぱり空気じゃおなかいっぱいにならないか)」
 そんなことでおなかがいっぱいになるはずない。おまえは仙人か、とツッコミを入れたくなってしまう。
「(気晴らしに散歩でもしようかな)」
 そんなことよりも自分で昼飯作れよ、とツッコミを入れたくなる。
「私はちょっと散歩に行って来るけど、ハルカも来る?」
「……うん(外の新鮮な空気が吸いたいかも)」
「じゃあ、行こうか」
 そんなこんなで二人は心地よい日差しの中を散歩することになった。だが、まさかこの散歩があんな事態を引き起こすなど、二人は夢にも思っていなかった。

 この世界はガイアと呼ばれている。名前の由来はとても古く、はっきりした答えはわかっていないが、このガイアの地には不思議なエネルギーが宿っている。
 そのエネルギーとは大地が発するエネルギーと、この世界に存在する全てのモノが持っているマナと呼ばれる命の源のことである。その二つのエネルギーが共鳴して、魔法が使えるということらしい――ルーファスがハルカに説明した内容だと。
 この世界に存在する魔導士とは、マナのエネルギーを自在に使うことにより、魔法を使うことのできる人々のことで、魔法の使い方は自分自身のマナを消費して魔法を使う場合と、自分以外の人や物などのマナを借りて魔法を使う二種類の方法がある。――この説明もルーファスいわくだが。
 ルーファスの住むアステア王国はこの世界でも三本の指に入るほどの魔法国家で(ちなみに一番はこの国なのだが)、街のあちこちには魔導具を売る店が多く存在する。
 そんなわけで二人は散歩のついで、というかハルカを元の世界に戻す方法を探しに一軒の魔導ショップに立ち寄ることにした。
「あ、ここ、ここ(それにしても、いつも思うけどこのネーミングは)」
 ルーファスが指差した先には店の看板があった。それを見てハルカが顔をしかめる。
「……美人魔導士のいる店?(こ、これが店の名前!?)」
 ハルカが店のネーミングにだいぶ困惑しているところへ、不意にルーファスから声をかけられた。
「何してんの、入るよ」
「あ、う、うん」
 店のドアを開けるとカランコロンというベルの音が鳴った。
「(綺麗な音色)」
 そんなことを思いながらハルカがふとルーファスの方を見ると、彼は耳を両手で押さえて目をぎゅっとつぶっている。ハルカは思わず声をかけてみた。
「何してんの?」
「…………」
 返事がない。。
「ねぇ」
「……ぷはっ、苦しかった」
「(何してたんだろ?)」
 ハルカが疑問で頭を悩ましてた時、真っ暗闇な店の奥から、低く呟く感じの女性の声が聴こえて来た。
「耳を塞ぐのはわかるが、目つぶって息止めることないだろう(さすがはへっぽこ)」
「あははは、そうなの」
 暗がりの中に明かりがポッと浮き上がったかと思うと、そこに女性の顔が現れた。
「こんばんわ、へっぽこ(……ん、もうひとりは誰だ?)」
「やあ、こんにちわカーシャ、ちなみにまだ外は昼だよ」
「ワタシの服は黒づくめだから、部屋の中はいつも暗いから、ワタシにはいつでも夜(ワタシは夜に生きる女……ふふ)」
 ハルカはこの時にビビッと思ったことがある。
「(この人も変わり者だ)」
「だからって、ろうそく一本で客を迎えることないでしょ(だから変な客しか寄り付かないんだ)」
 ルーファスもその〝変〟なひとりだと断言できると思う。
「で、今日は何をお求めだ」
「あぁ、それがだね」
 ルーファスは店のカウンターに歩み寄って、自分の顔をカーシャの顔に近づけた。
「実はね(やっぱり、近くで見た方が綺麗だ)」
 そのために近づいたのか、ルーファス!
「あの後ろにいる娘のことか?(あ、ああ勝手に店のものに触るな)」
「ビンゴ(さすがカーシャ、勘が鋭い)」
 ガシャン!
「だから店の物に触るなと言っただろうが」
「ご、ごめんなさい(高そうなの壊しちゃった)」
 店の物を物色していたハルカは綺麗な置物があったからつい触ってしまったら、床にガシャンと落として壊してしまったのだった。ちなみにカーシャは心の中で『触るな』と思っただけで直接口には出していない。
「壊してしまった物は仕様がない、へっぽこおまえが弁償しろ」
「な、何で私が」
「おまえが連れて来たのだろう(へっぽこだから……ふふ)」
 二人の会話の間にハルカが割り込んで来た。
「あ、アタシが弁償しますから(でも、アタシこの国のお金持ってないんだよね)」
「……二万ラウル」
 カーシャがボソッと呟くように言った。
 ちなみにラウルとはこの国で使われているお金の単位で、日本円でいうと一ラウル約一三円といったところで、二万ラウルは円に換算すると約二三万円。もうひとつちなみにラウルっていうのはこの国の初代国王の名前だ。
「ねぇ、ルーファス二万ラウルって高いの?」
「一ラウルチョコが二万個買える(二万個も食べきれないな)」
「例えが悪い(一ラウルチョコって五円チョコみたいなのかな)」
「じゃあ、うめぇぼう(二ラウル)が一万千五百個買えるとか(う~ん、これも食べきれないな)」
「だから、わかんないって!(うめぇぼう……これも聞いたことあるような名前)」
 そんなやり取りを闇の奥から見つめるひとりの女性が、ってカーシャなのだが。
「二人はどういう関係なのだ?(衝撃スクープ、へっぽこに恋人が! なんて……ふふ)」
「あぁ、そうそう、そのことでここに来たんだけど(話をそらして弁償はパーだ作戦発動だっ!)」
「さっきの話の続きだな」
 ルーファスは『ハイ、こちらは』って感じのバスガイドみたいな手のポーズをバシッと決めて、ハルカの紹介をはじめた。
「大魔王を召喚しようとして間違って召喚してしまった代魔王ハルカちゃんです!」
「(大魔王を召喚しようとした……このへっぽこが?)」
「こんにちは加護ハルカです」
「ワタシはカーシャだ、よろしく」
「(カゴハルカっていうのがフルネームだったのか、今知った)」
 ルーファスはちょっとショック!
 だが、ルーファスのことなど完全無視でカーシャは話しはじめる。
「それで、ワタシの店に来た理由は?(かわいそうな娘……かわうそう……かわうそ……カワウソ娘(仮)。……ふふ)」
 『(仮)。』って何なんだカーシャ!
 他人事のようにルーファスが言う。
「え~と、それがだねぇ。帰せなくなったんだよね」
 この無責任極まりない発言に、ハルカは思わず店のカウンターに身を乗り出して、愚痴をこぼした。
「そうなんですよぉ~、このひと勝手にアタシのこと呼んどいて、帰せないとか言うんですよぉ!(あ、このひと近くで見ると綺麗)」
「なるほどな。このへっぽこのせいで元いた場所に還れなくなったとそういうわけか(今年のへっぽこ大賞もこいつで決まりだな……ふふ)」
 ちなみにへっぽこ大賞なんてものはカーシャの中でしかない。
「ホントへっぽこですよねぇ~(あっ、今このひと口元が緩んだ。それにしても綺麗なひと……でも、あの店のネーミングはないと思う)」
 不適な笑みを浮かべたカーシャはその後、ちょっぴり真剣モードに切り替えてしゃべりだした。
「召喚というのは役目が済む、あるいは召喚者が無理やり戻すか、召喚されたモノが自ら戻るかだが、この娘に与えた役目はなんだ?」
 ルーファスは口に軽く手を当てて小さな声で言った。
「え~と、世界征服をしてもらうためだったかなぁ~」
 『かなぁ~』じゃないだろルーファス!
「一つ目の条件は無理だな。では二つ目は?(世界征服なんて……子供の夢か)」
「知らない」
 ルーファスはあっさりさっぱりきっぱり答えた。
「……だろうな(へっぽこ)。この娘に自ら戻るチカラがあるとは思えん。やっぱり世界征服が一番打倒だな(大魔王ハルカか)」
 ガボーンって感じにハルカはショックを受けた。まさにハルカ的大ショック!
「そ、そんなぁ、二つ目の方法、カーシャさんは知らないんですか?」
「召喚者が無理やり戻すというのは可能性の話で、実際に戻す方法はあるのかどうかは知らん(適当な思いつきで言ったからな)」
「じゃあアタシやっぱり、大魔王になって世界征服するしか……(サイテー!)」
 落ち込んでいるハルカを見て、ルーファスが人事のように笑った。
「あはは、大変だねぇ」
「って誰のせいよ!(このへっぽこ)」
 愕然といった感じのハルカに追い討ちをかける一言がカーシャの口から発せられた。
「さて、では弁償してもらうか」
 しっかり覚えていたカーシャに対して、ルーファスは軽く舌打ちをした。
「二万ラウルなんてあるわけないじゃん(チッ、作戦失敗)」
「金はいい、ただ」
「「ただ?」」
 二人の声が揃った。
「新薬の試薬をしてもらう(自分じゃ、恐いからな)」
 瞬時にハルカはあっさり、きっぱり、断った。
「それはヤダ(ヤナ予感がする)」
 ヤダと言われてもカーシャは飲ませる気だった。
「まぁ、ぐぐっと飲み干せ」
 不敵な笑みを浮かべるカーシャは、カウンターから身を乗り出し、ハルカの口を無理やりこじ開けて変な液体を流し込んだ。
「にゃににゅるの!(何するの! しかもマズイじゃん)」
「ハルカに何を飲ませた!?」
「マナのチカラを増幅させる薬だ。まぁ、効果は一・二倍程度だがな」
 すぐに薬の効果は現れた。
「(か、身体が熱い……意識が)」
 ハルカの身体が当然まばゆい光を放ち、暗い店内を一瞬にして白い世界へと変えた。そして、光はハルカの身体に吸い込まれるように消えていき、少し間を置いてハルカを中心に衝撃波が巻き起こった。
「な、何だ!」
 とルーファスが叫んだ時にには、彼の身体は宙に浮き、そのまま衝撃波によって壁に叩きつけられていた。
 失笑するカーシャ。
「予想外の効果が出てしまった、気を付けろルーファス」
「ダメだ、もう背中打った(かなり痛い)」
 ハルカの身体が、また輝きはじめた。
「カーシャ、あれどういうこと?」
 『どういうこと』とは、『何で光ってんの?』という意味である。
「マナの暴走だ。ひとまず店の外に走れ!(まずいことになったな……ふふ)」
 ハルカの放出した光はまた吸収され、第二波が店の出口へと走る二人を襲う。
 衝撃波に押された二人の身体は自分の意志に反して、宙を飛び、店の外に投げ出されるよに放り出されてしまった。
 その光景を見ていた通行人が群がって来た。その中の一人の中年男性が二人に声をかける。
「お二人さんどうかしたか、服がボロボロだぞ」
 その時、店がスッゴイ轟音とともに大爆発を起こし、店の破片が辺りに飛び交う光景を目の当たりにした人々は口をあんぐり開けて固まってしまった。
 そして、ルーファスは首だけをカクカクとロボットのように曲げ、『カーシャさん質問があります』をした。
「マナの暴走って何?」
「そんなことも知らんのか(へっぽこ)。マナの暴走とは自らのマナもしくは借りたマナが大きすぎて制御が利かなくなり、大爆発を起こすことだ!」
 などとカーシャが説明をしていた最中、またも衝撃波が巻き起こり、辺りの建物を全てなぎ払い、ハルカの周り半径一〇メートル先までをまっさらな大地にしてしまった。
 それを見た野次馬たちは大声をあげながら一斉に逃げ出した。――二人を残して。
 予想外の展開であった。カーシャ計算ミス!
「予想以上だな。あの娘は凄いマナの持ち主のようだ(ただの小娘だと思っていたのだが……ふっ)」
 風が、またも爆風が!
 二人は瓦礫となった家の壁の裏まで走りそこに身を潜めた。
 頼りない顔をしてルーファスはカーシャを見つめる。少し目が潤んでいる。
「でも、ハルカはマナも知らない異世界の人だよ(何かスゴイことになってきた)」
「今はそんなことはどうでもいい、あの娘を止めるぞ(たぶん、このままいくと、この地区は崩壊だな)」
「どうやって?」
「作戦はこうだ。次の衝撃波を合図に走っ――」
 カーシャの言葉途中で途切れた。なぜならば、凄い爆風とともに、それも今までで一番スッゴクてデカイ衝撃波が巻き起こり、隠れていた壁とともに二人は天空へと巻き上げられたからだ。――この日、二人は鳥になった。
 だが、二人はそんなことなど全くお構いなしに、空へ舞い上がりながらも会話を続けていた。……この二人の神経普通じゃない。
「作戦変更! このままレビテーションでハルカのところまで飛んで行き、マナを大地に逆流させる。いいな?」
「なんとなくわかった」
 レビテーションとは空中を自由に飛ぶことのできる魔法で、大気のマナを大量に消費する高等魔法だ。
 二人がレビテーションでハルカに近づくその姿は、さながら獲物を狙う鷹のようであった。が狩は失敗に終わった。衝撃波がまた巻き起こったのだ。
 カーシャは乱気流によって地面に叩きつけられ重症。ルーファスは奇跡的にハルカの近くに不時着した。
 カーシャは声を出すのも精一杯なほどの重症で、血反吐を吐きながら最後の力を振り絞ってこう叫んだ。
「ルーファス、マナを大地に逆流させろ!」 
 ルーファスも着地した時に身体を強く打ちつけて足をやられたらしく、地面に這いつくばりながらも手だけでハルカの足元までなんとか行ったのだが、ここでルーファスの口からとんでもない一言が!
「マナを逆流させるってどうやるの?(さっきはわかったとか言っちゃったけど、実はわからなかったんだよね、あはは)」
「…………(世界一のへっぽこ魔導士が!)」
 そう思うが、カーシャはもう声を出す力すら残っていなかった。
「くそぉ、こうなったら一か八かだ!」
 ルーファスはハルカの足を掴むと、目をつぶり全神経を集中して念じた。
「(ハルカのマナがガイアに逆流……ハルカのマナがガイアに逆流……)」
 と、まるで呪いを架けるかのように心でなんどもなんども念じてみた。がしかし、マナの波動は治まることはなく、ハルカの身体が激しく輝き出し、衝撃波が――起こらなかった?
「治まったのか……?」
 いや、間があっただけだった。
 第六感をフルに活用して嫌な予感がしたルーファスは、すぐさまカーシャに声をかけようとしたが間に合わない。
 爆風がルーファスを襲った。そして、彼は見た。一瞬だったが、あるものを見た。カーシャの方を振り向いた時に見た――何を見た?
 死にそうなカーシャがいるはずの場所には彼女の変わりに『ピンクのうさぎの人形』があったのだった。
 ウサギの人形を見たルーファスは、吹き飛ばされながらも大声で思わず叫んだ。
「なんじゃこりゃー!」

 ――そして、全てが終わった。
 ルーファスが気がついた時には、彼は自宅のソファーで寝かされていた(ちなみにハルカがこの世界に来て以来、彼はここで寝ている)。
「う、ううん(どこだ……ここは?)」
「こんばんわ、ルーファス」
 『こんばんわ』を四六時中言う人。耳に届いた声はカーシャのものだった。
「カーシャ!?」
 ルーファスは思わずびしっとしゃきっと立ち上がった。
「ここは、へっぽこの家だ」
「私の家……あの後どうなった?(いや、むしろ私はあの『うさぎ人形』の方が気になるけど)」
「あの後か? あの後、ハルカは結局マナを大暴走させマナをほどよく消費させ、バタンと気を失ったが、今じゃもう」
「ルーファス、おはよう」
 ハルカが笑顔でルーファスを見ている。
「よかった、無事だったか」
 深くため息をついたルーファスはソファーにバタンと倒れこんだ。
 突然カーシャの顔が渋い表情になった。
 せっかく一息ついたところだったが、ルーファスは身体を起こした。
「どうしたのカーシャ?」
「実はマナの暴走で出た損害が予想を遥に越えたもので……ワタシの店から半径一キロメートルが消し飛んだ。まぁ、けが人は多数出たが、奇跡的に死人は出てない(……これは笑えない……ふふ)」
「「はっ!?」」
 これを聞いた二人は同時にびくっり仰天してしまった。そんことなどお構いなしにカーシャが話を続ける。
「というわけでだ。誰がこんなことを起こしたかを国をあげて探している。すなわちバレるとマズイので今日の出来事は三人だけの秘密にしよう」
「秘密にしようってカーシャのせいだろ!」
「まぁ、そうだが、今回のことで一つ大きな成果があった。それはハルカが元の世界に帰る方法だ」
 この言葉にハルカが身を乗り出して来た。
「えっ、どういう方法ですか?」
「あのマナの潜在能力はすばらしいものだ。あのチカラを使えば、きっと世界征服も夢ではない(大魔王ハルカ……ふふ)」
「はっ?」
 口をあんぐり開けて、ハルカは動きを思わず止まってしまった。
「それでは、ワタシは店の再建のため帰らせてもらう。さらばだへっぽこ、そして大魔王ハルカ!」
 カーシャはそんな感じで言いたいことだけ言って勝手に帰ってしまった。
「よかったねハルカ、大魔王になれるってさ(大魔王ハルカ……結構いいかも)」
「アタシ、大魔王何かじゃない!」
 ハルカは怒りながらドシドシと足音を立て、自分の部屋(元ル―ファスの部屋)に閉じこもって鍵を掛けてしまった。
「(何か悪いこと言ったかな?)」
 これ以降丸二日間、ハルカはルーファスとろくに口を聞いてくれなかったという。
 だが、へっぽこなルーファスには、いつまで経ってもその理由は不明なままだったらしい。

◆ ◆ ◆


 ソファーに腰掛けるハルカは自分の不幸について考えていた。
「(何で、こんなとこに来たったんだろう?)」
「ハルカ聞いてる?」
 ルーファスの呼びかけにハルカ無反応。
「ねぇ、ハルカ!」
 ちょっと強めに言ったがそれでも無反応。
 そんなハルカを気付かせたのはこの人だった。
「こんばんわ」
 と、ちょっと低く呟く感じの声と同時に、カーシャが二人の前に忽然と姿を現した。
「わぁ!」
 突然のことにハルカがあられもない声をあげる。
「すまない、驚かしてしまって(わざとやったのだけど……ふふ)」
 カーシャは歩く時に足音を立てない。しかも気配もない、それにプラスしてハルカは考え事をしていて周りに気付かなかったから、カーシャが自分の前に突然現れたように思えたのだ。そりゃービックリだ。
「いきなり現れないでくださいよぉ(あ~、ビックリした)」
「すなない、急用だっだのでな」
 カーシャの急用とはいったい何なんだろうか?
 でも急用の割には急いだようすもなく、声もいつもどおり淡々とした口調で、元気でも元気に聴こえない低く呟く感じの声だった。
「急用について話する前に……ルーファスお茶!」
 ちなみに今の言葉は、前半がゆっくりで後半の『ルーファスお茶!』は早口で強めの言い方になっていた。
「はぁ!?(なんだよ、いきなりお茶って)」
「急いで来たので喉が渇いた」
 カーシャの命令でルーファスはしぶしぶ渋茶を台所に煎れに向かって行った。だが、なぜ、ルーファスはこうもカーシャの言うことをすぐにハイハイと聞いてしまうのだろうか……?
 で、『カーシャはここに何しに来たの?』ってことをやっぱりハルカも気になったらしくて聞いた。
「それで急用って何ですか?(イマイチこの人のことわからないなぁ)」
「ライラの写本がな」
 その言葉に強く反応したルーファスは、ものすごーい勢いで走って戻って来てこう言った。
「ライラの写本だって!?」
 ハルカには何のことだかわからなかったけど、何となく気を引かれた。
「あの、ライラの写本って何ですか?」
「ルーファスお茶!」
「今持って来るよ(人使いが荒いなぁ)」
 ハルカの質問は完全に無視されていた。ハルカ的に大ショック!
 それでもハルカはめげない。
「あの、ライラの……」
 ハルカの言葉は見事に遮られた。
「濃い目に入れてくれ!」
 と言う声に反応して台所の奥からルーファスの声。
「わかった」
 ハルカ的大々ショック!
 しかし、ハルカはまだめげない。ハルカは強い子、ファイト!
「あの、ラ……」
「ルーファス! 茶菓子にようかんを持って来てやったので、お皿とナイフとフォークを頼む!」
「ああ、わかった!」
 ハルカは思った、いじめだ!
「あのカーシャさん、わざとやってません?」
「ん、何がだ……?(バレたか)」
 カーシャは確信犯だった。しかも、シラを切り通した。
「どうしたのだハルカ? 何かあったのか?」
「何かあったじゃなくて……ライラの」
「そうそう、ルーファス、植木屋のゲンさんが倒れたって話は聞いたか?」
「えっ、あのゲンさんが!」
「…………(確信犯だ!)」
 とハルカは確信した。
 お茶を煎れ終えたルーファスが戻って来た。手に持ったおぼんの上には、お茶が三つにお皿が三枚、ナイフが一つにフォークが三つしっかりと乗っていた。
「ゲンさんが倒れたって本当?」
「嘘だ(何となく思いつき)」
「カーシャさんアタシのことからかってるんでしょ(性格の掴めない人)」
「からかっているのではない、おちょくっているのだ」
「…………(どっちも同じでしょ)」
 二人の会話を不思議そうに見つめていたルーファスが一言。
「何の話してるの二人とも?」
「さてと、ではお茶を飲みながらようかんでも食べるか」
「わぁー、こっちの世界にもようかんってあるんですね」
「おぉ、そうかハルカのいた世界にもようかんがあったのか(ワタシの作戦にハルカも乗って来た……ふふ)」
「ようかんって、たまにしか食べないけど結構好きだなぁ(なんとなく、ルーファスに八つ当たり)」
「あのさ、だから何の話を……(これってシカト)」
 今度はルーファスが遊ばれる番だった、しかも二人に。
 いきなりカーシャが話を戻した。……この人気まぐれだ。
「そうだ、ライラの写本の話だったな」
「…………(やっぱり、聞いてたんじゃん)」
 この後、ライラについての話を紙芝居や人形劇を交えたり交えなかったりしながら、二時間ほどでカーシャが説明してくれた。
 カーシャいわく、ライラとは現在この世界で使われてる魔法の起源で、その効果は絶大であるが使い勝手がとても悪いため、今ではライラを簡略化した、レイラ(攻撃系)とアイラ(回復・補助系)が主流になっていて、ライラはもうほとんど廃れてしまい、今の世に残っているライラは、『ライラの聖典』と呼ばれるライラの全てを記したといわれている本の一部を写した『ライラの写本』と呼ばれる本に書いてあるライラのみ。――とのことらしい。って、この説明を二時間もかけたのか!?
「質問はあるか?」
 は~いとハルカが手を上げた。
「あの、そのライラの写本がどうしたんですか?(何で紙芝居と人形劇? しかも後半のラヴロマンスはいらなかったような……)」
「そうだよ、何でカーシャが来たの?」
 やっとここから話の本題に入りました。
「ライラの写本が新たに見つかったらしい」
 この言葉に一番ビックリしたのはルーファスだったというより、この意味がわかるのが彼しかいなかったというより、ハルカにはこの意味がよくわからなかった。
「えぇっ! それって本当?」
「(何ででそんなに驚いてるんだろ)」
 カーシャの顔は真剣だった。でも、無表情に近いので何を考えているのかは、イマイチ不明。
「先日、この国の闇市でライラの写本が出回ったらしい。しかもだ、その写本というのが今まで発見されてない魔法について書かれたものらしい」
 ここまで話されてもハルカ的にはよくわからなかったが、カーシャの次の言葉にはスゴイ反応を見せた。
「その魔法というのが召喚関係の――」
「召喚ですか!」
「(まだ話が途中……まぁいいか)……ルーファスお茶!」
「また飲むの?(何で私が)」
「カーシャさんにお茶!」
「何でハルカまで。いいよ持って来ますよ(パシリか私は)」
 ルーファスの立場はこのメンバーの中では最も下だった。そんなわけでルーファスはしぶしぶ台所へと向かった。もちろん渋茶を煎れに……。
 台所に着いたルーファスはお茶を三つ入れて戻って来た。
「遅いぞ、へっぽこ」
「なんだよ、いつもいつも人のことへっぽこって」
 その時、ルーファスの身に不幸な出来事が!
「わ……っ!」
 と言う声とともにルーファスは見事なダイビングをした。何もないところで彼はつまづいたのだ。強調してもう一度言う〝何も無い所で〟つまづいた。
 その反動で手に持っていたおぼんが空を華麗に舞う。ついでにお茶の入ったグラスもぶっ飛んだ。中身のお茶も飛んだ。そして、お茶は引力に引かれ、バシャン!
「…………(熱い)」
 カーシャにかかった。しかし、カーシャの表情は少しも変わらなかった。むしろ、慌てたのはハルカだった。
「カーシャさん、だいじょうぶですか!」
 ハルカは慌てて近くにあったティッシュ箱を手に取って、ティッシュをガーって何枚も取ると、カーシャの顔を拭きまくった。
「(へっぽこにあわてものコンビ……ふふ)」
「はぁ……はぁ……(これだけ拭けば)」
 息を切らせるハルカと無表情のカーシャを見てルーファスは思った。
「(こんなこと前にもあったような)」
 カーシャの顔からはお茶は一滴たりとも残さず消滅した。しかし、結果は〝あの時〟と同じだった。カーシャの顔はティッシュのカスでスゴイことになっていた。それに気がついたハルカは慌てた。
「ご、ごめんなさい(前にも同じことしたような気が……)」
「これ、使って拭いてあげて」
 ルーファスはハルカに布を手渡すと、ハルカはパニック状態で、
「ごめんなさい(カーシャさんの顔が)」
 と言いながらカーシャの顔を拭いた。のだがカーシャは思った。
「(この布って)ぞうきん」
「はっ!?(ぞうきん)」
 ルーファスの顔が凍りついた。
「(しまった、ぞうきんを手渡してしまった)」
 カーシャは突然立ち上がると、スタスタとルーファスに近づき、無言でルーファスの腹にボディーブローを喰らわせた。
「うっ……(痛い)」
 カーシャのボディーブローはアマのものではなくプロのパンチだった。
 腹を押えたルーファスは、そのままゆっくりと床に倒れこみ、それっきり動かなくなってしまった。ち~ん、御愁傷様でございます。
「そうだった、写本の話の途中だったな(これでも三〇%の力だ……ふふ)」
「……そうでしたね、あはは(カーシャさん怖い)」
「今からその写本を見に行こうと思うのだが、二人も来るか?」
「行きます、行かせてもらいます」
 即決のハルカに対してルーファスの顔は浮かない表情をしていた。というよりまだ腹が痛い。だが、ルーファスはがんばって口を開いた。
「行くってどこにだよ?(少しヤナ予感がする)」
「国立博物館だ」
 この言葉にルーファスはあからさまに嫌な表情をした。それを見たハルカは少し不思議そうな顔をする。
「(どうしたんだろルーファス?)」
「どうしたルーファス、おまえは行かないのか?」
「見に行くだけだよね?(まさかね?)」
「当たり前だ、ワタシが盗みにでも行くと思っているのか?(……チッ)」
「やぱっり盗みに行くのか!(だと思った)」
「本当ですかカーシャさん!」
「うん!(意外に感が鋭いなへっぽこ)」
 カーシャはお花を自分の周りに飛ばしながら、かわいらしく少女の気持ちで答えたが何の効果もみられなかった。……ヤリ損。
「ハルカはワタシと行ってくれるだろ?」
「はい! もちろんです(帰れる方法が見つかるかもしれないし)」
「私は行かない(泥棒なんてできるわけないだろ)」
 そう言ってどこかに行こうとしたルーファスの襟首を掴んでカーシャが引き止めた。
「ハルカの保護者としてついて来い」
 その声はいつも以上に低くドスの効いた声だった。脅しだ! だが、ルーファスはそんな脅しには屈しなかった。がんばれルーファス!
「……ヤダ!(カーシャの目がイッてる……恐い)」
 強くは出たが、カーシャと目は決して合わそうとはしない……。この時点でルーファスはカーシャに負けていた。
「ならば、こないだの置物の弁償代二万ラウル(返せねぇって言うんだったら謝金の片にこいつを貰っていくぜ……きゃあ、おとつぁん。……ふふ……ウケる)」
 やっぱり、カーシャの性格はよくわからない。
「あれはハルカが壊したんだろ」
「じゃあ、あの時のことをバラすぞ(ルーファスって、ルーファスって……きゃあ……ふふ)」
 これは完全な脅迫だった。
「いいんだな、国民全員に言うぞ!(ルーファスって……サイテー……ふふ)」
 ルーファスの顔の血行がみるみるうちに悪くなり顔面蒼白になった。
「……わかった行くよ(これは脅迫だ!)」
 二人の会話を聞いていたハルカはふと思う。
「(あの時のことって何だろ?)」
 そのとおり、あの時のこととはいったい何のことなのだろうか……?
 実のところルーファスにも心当たりが多すぎて、何のことを言われているのかはわかっていなかった。ルーファスへっぽこ列伝の一つには違いないだろうが。
 残っていたお茶を飲み干したカーシャは華麗に身体を方向転換させた。
「では、今すぐ行くぞ」
「まだ、昼だよ」
 ルーファスの指摘は正しい。ちなみにカーシャはここに来た時『こんばんわ』と言ったが、今の時間は午後一時半。
 ハルカもルーファスの意見に賛成した。
「盗みっていったら夜じゃないんですか?」
「夜の方が警戒が厳重だ。そのぶん昼間は人は多いが警備は手薄になっている!(あくまで思いつきで確証はないが)」
 カーシャはかなり自身満々だが、この発言は彼女お得意の思いつきだ。
 自信満々のカーシャを見てルーファスの不安は余計に増していく。
「あのさぁ、昼間に普通に行くんじゃ顔がバレバレじゃないの?」
「ワタシに考えがある(……ふふ)」
 こうしてカーシャちゃんの『おしゃれ泥棒大作戦』がはじまったのだった。ちなみにこのネーミングはカーシャちゃんの思いつきで特に意味はありませんのでご了承下さい。

 ここは国立博物館の近くにある裏路地。ここにある人影は三つ――ハルカ、カーシャ、そして、巨大なネコ?
 ――ではなく、これはルーファスがネコのきぐるみを着ているのだが、どうしてこんなことになったかというと……。
 裏路地にルーファスの声が響いた。
「何で私がこんなものを着なきゃいけないの?」
「作戦の一環だ(ネコ……ふふ)」
 とまぁ、カーシャの説明だとこの一言なのでルーファス、そして、頭の上に『?』マークが飛んでしまっているハルカもわからない。
 ここは代表としてハルカが作戦の全容についてカーシャに質問した。
「あ、あの質問いいですか?(なぜネコ!)」
「何だ、言ってみろ(……ふふ……にゃんこ)」
「どういう作戦何ですか?(ネコがポイントなの!?)」
 腕を組んだカーシャの瞳が妖しくキラリ~ンと光った。
「説明しよう。まず、ワタシとハルカはここで待機。ルーファスはきぐるみを着て写本を取って逃走! 完璧な作戦だ」
 直ぐにルーファが突っ掛かる。
「……だから、何できぐるみなの?(しかもネコって)」
「おまえが言ったのだろ、顔がバレバレだと(ネコはワタシの趣味だが……うさぎでもよかったのだが……ふふ)」
「「…………(それでか!)」」
 二人は心の中でそう叫んだが口には出さなかった。しかも、作戦ってほどのものでもない作戦だ。
 カーシャは右手で博物館の方角をビシッと指差して言う。
「それではルーファス行って来い(さぁ、はばたくのだルーファス!)」
「…………」
 ルーファスは『ヤダ』と言おうとしたが、……あの時のことが頭を過ぎったので、しぶしぶ博物館に向かって歩き出した。ってあの時のことって何だ!
 博物館まではちょっと歩かなくてはいけない――ネコのきぐるみで。
「(みんな私のことを変な目で見ている)」
 ネコ(ルーファス)のことを見ない者はいなかった。
 すれ違う人、路地の向こうにいる人、ここにいる全ての人が不思議そうな顔をして見ている。しかも変な眼差しで……。
 そんな中のひとりの男の子がルーファスの背後にこっそりと近づいて来た。こっそりなのでルーファスは気付く余地もない。
 男の子は『ニカッ』と仔悪魔の微笑みを浮かべると、ルーファスの背中目掛けてドロップキックをかましてきやがった。
 蹴りをいきなり喰らったルーファスはアイザック・ニュートン(リンゴが地面に落ちるのを見て引力を発見した人)の運動の三法則に従って、地面にバタン! とコケた。じつに呆気ない、何の変哲もないコケ方だった。
「(痛い)」
「あははは、まぬけ!」
 ガキはそう言って走り去って行った。こういうガキはテーマパークに行くといる。きぐるみを見るとキックとかパンチをするガキが。
 ルーファスは何事もなかったようにびしっと立ち上がり、何事もないように歩き出してこう思った。
「(こんなコケた姿、知り合いに見らたれたら、恥ずかしいよねぇ。よかったきぐるみ着てて)」
 ルーファスよく考えろ! きぐるみを着てなかったら蹴られなかっただろ?
 そんなこんなでルーファスは博物館の前まで来た。
「ついに来てしまった)」
 博物館の入り口にはいかにも強そうですよ~、って感じの屈強のガードマンが二人立っている。しかも、その二人はものすご~く不信の眼差しでネコ(ルーファス)を見ているではないか。見られて当然だが。
「(ヤバイ、怖い目で見てるよ)」
 ルーファスは思いついた。自分にクイックの魔法をかけて『走れGO・GO・GO!』作戦を。
 ちなみにクイックとは、三分間の間だけ身体能力を上げて、通常の二倍近くのスピードで動くことのできる魔法で、かけられた本人のマナを消費する。
 ルーファスは自らにクイックをかけると、『ヨ~イ、ドン!』のポーズを決めた。すると、どっかの誰かが『ヨーイ、ドン!』と言ってくれたので、それを合図にルーファスは全速力で走り出した。
 疾風のごとく走るルーファスは、ガードマンの間を瞬く間に通り抜け、博物館の中に入った。しかし、中に入ったからといって安心して足を止めてはいけない。
 なぜなら、詳しく説明すると、ルーファスの五〇メートル走(追っかけられた時)のタイムは六・八五秒。そして、先ほどのガードマン(入り口)とルーファスとの距離は約三メートル、このことから次のような数式が立てられる。
 五〇÷六・八五×二(距離÷タイム×クイック使用)=一四・五九八……。すなわち、一秒間に約一五メートルの距離を走ることになるので、ガードマンを抜けることは余裕でできるが、時速に換算すると約五三キロメートルといったところなので、目で見ることが余裕でできる。
 ようするに中に進入したことがバレバレなのですぐに追ってが来るのだ。
「はぁ、はぁ……(中に入れば後は客のフリをして」
 ルーファスの考えは甘い。砂糖より甘い。
 理由は上で説明してとおりで、不審者が博物館の中に入ったことは、もうとっくに気がつかれている。しかも、致命的な誤算がある。ネコのきぐるみを着ている時点で普通の客のフリはできない。あたりまえのことだった。
 案の定、ネコ(ルーファス)の周りにガードマンたちが押し寄せて来た。
「(……何でガードマンが!?)」
 それはルーファスがあからさまに不審者だからだ。
「(やばい……逃げるぞ!)」
 ルーファスはガードマンたちの静止の手を掻い潜った。
 二人のガードマンはルーファスを捕まえようと挟み撃ち作戦を実行したが、ルーファスがスルっと二人の間を抜けたもんだから互いに頭をぶつけて転倒。全治三時間の怪我を負った。
 ルーファスはそんなことお構いなしに、次々とガードマンたちの静止を振り切って写本を目指す。その姿はさながらプロのフットボール選手のようだった。今のルーファスはちょっぴりカッコイイかもしれない。ネコのきぐるみを着ていなければ。
 がしかし、ルーファスの快進撃はここまでだった。クイックが切れたのだ。
 その拍子に、突然切れたクイックにルーファスの身体能力がついていけず、しかも、それが全力で走っている最中だったから、さぁ大変!?
 ルーファスは身体のバランスを崩し、つんのめって、超高速回転連続でんぐり返しを五回転決めた。そのでんぐり返しの姿はプロの運動選手並だった。
 実は、ルーファスは運動神経がそこそこよい。だが彼が魔導学園に通っていたころの体育の成績は最悪だった。それはなぜか……?
 理由は今から起きる出来事にある。
 ルーファスは華麗なでんぐり返しをカッコよく見事に決めて、そのままの勢いで立ち上がろうとした――ここまでは完璧だった。しかも、ネコのきぐるみを着てここまでやるとはじつにすばらしい。だが、不幸は突然訪れる。
 白い壁がルーファスの前に突然姿を現した。そして、ゴン! というリアルな音とともにルーファスは頭を強打し、後ろにバタンと倒れた拍子にまた、ゴン! というリアルな音が……これは痛そうだ。
 これがルーファスの体育の成績を下げていた理由だった。途中までは完璧なのだが、なぜか途中で不幸が訪れる。
「(痛い、でもよかったきぐるみ着てて、着てなかったら気絶してたよ)」
 と心の中で思ったルーファスはむくりと立ち上がった。そして、後ろを見るとガードマンがすんげぇ形相で追いかけて来るのが見えた。
「(ヤバイ、早く写本を手に入れなくちゃ……?)」
 ルーファスはここである重大な作戦ミスに気がついてしまった。
「……写本ってどこだ!」
 思わず叫んでしまった。
 この博物館はこの国で一番広い。名前の上に国立が付くだけのことがあり、なんとなく
格式がありそうな雰囲気が満ちていて、広い。
 その広さは……とにかく広いったら広い!
「(コロセウムの二倍もある建物のどこを探せばいいの!?)」
 写本はどこだと考えていたら、何時の間にかルーファスはガードマンに取り囲まれていた。これって絶対絶命ってやつである。
「(もう一度、クイックで)」
 と思ったがルーファスにはもうそんな力は残っていなかった。
 クイックには欠点がある。クイックは一時的に身体能力を二倍に高めてくれるが、疲れも二倍だったりする。
 ルーファスの息はもうすでに上がっていて、二度目のクイックはつらい。しかも、きぐるみを着ていると呼吸がしにくい。もうひとつおまけにきぐるみは通気性が悪く中が非常に熱い。
「(もうダメだ……おとなしく捕まろう)」
 ネコがゆっくりと両手をお手上げすると、一斉にガードマンたちが押し寄せて来て、腕を掴まれ、そのまま引きずられて事務室に連行されてしまった。呆気ない、呆気ない幕切れだった。

 小さな小さな心もとない声が事務室に微かに響いた。
「ごめんなさい、もうしません」
 ルーファスはガードマンに深々と頭を下げた。するとガードマンは意外にあっさり許してくれた。
「まぁ、博物館を走り回っていただけだから、今回は許しますけど、次回からは気をつけるように」
「本当に申し訳ありませんでした」
 たしかにルーファスはネコのきぐるみを着て博物館内を走り回って、客やガードマンに迷惑をかけただけで、そんなことはこの博物館では同じようなことを〝ガキ〟がよくするので厳重注意だけで済ませてもらえた。
「〝子供〟みたいな真似はもうしないでくださいよ」
 ガードマンは子供のところを強調した。
 しゅんとしてルーファスはうなずいた。
「はい、以後気をつけます(良かったこれだけで済んで)」
「じゃあ、もう行っていいから」
 ルーファスはガードマンに一礼をして、部屋を出て行こうとしてドアノブに手をかけると、ドアが勝手に開いた。自動ドアではない、向こう側から誰かが開けたのだ。
「(あ、ドアが勝手に)」
 ゴン! という音がした。
「いった~っ」
 ルーファスは思わず頭を押えながら、しゃがみ込んだ。
「た、大変です! ライラの写本が何者かによって盗まれました」
 ルーファスのことは無視だった。
「何だって、今行く!」
 ルーファスのことはやっぱり無視だった。
 ガードマンはルーファスのことなどお構いなしにどこかに行ってしまった。残されたルーファスは少し寂しい気持ちがした。
「ライラの写本が盗まれたのか……(疲れたから家に帰って寝よ)」
 事務室を出ると博物館内は大騒ぎになっていて、出口では荷物検査が行われていた。
「(大変なことになってるなぁ)」
 そんなことを思いつつルーファスは出口で荷物検査を受けていた。ルーファスは手ぶらだったのですぐに通してもらえた(ちなみにネコのきぐるみは事務室で没収された)。
 博物館を出たルーファスはあることを思い出した。
「(そうだ、裏路地で待機してるって言ってたっけ)」
 ルーファスは裏路地に向かった。がしかし、そこには二人の姿はなく、代わりにあったのは『ピンクうさぎの人形』と手紙。また、ピンクのうさぎだった。
 手紙にはこう書かれていた。『へっぽこの家で待ってるぞ』と、筆跡と言葉使いからしてカーシャに違いない。
「(ひどいよ先に帰るなんて)」
 なんてことを考えていたらすぐに家に着いてしまった。
 家のドアを開けるとすぐにハルカの元気な声が聴こえた。
「おかえりなさ~い!」
 にこやかなハルカな顔を見て、ルーファスは内心ちょっとムカッと来たが、たぶん帰ろうと言い出したのはカーシャなので怒るのであればカーシャだ。
 家の中に入ったルーファスはすぐさまカーシャを探した。すぐに見つかった(そんなデカイ家ではないので)。
「なんだ、無事だったのかへっぽこ」
 すまし顔のカーシャは読んでいた本をパタンと閉じると、紅茶の入ったコップを片手に優雅に手を振ってきた。
「…………(死!)」
 この時、ルーファスは何度目かのカーシャへの殺意が沸いた。だが、ルーファスはそれを心に留めた。なぜって、それはカーシャが恐いから。
「ルーファスもそこに座って紅茶でも飲め」
 完全な命令口調のカーシャに勧められるままに、ルーファスはソファーに座ると、すぐにハルカがルーファスのために紅茶をかわいらしいうさしゃん(うさぎさん)のティーカップに入れて銀色のトレイに乗せて現れた。
「はい、ルーファス紅茶」
 微笑みながらハルカはルーファスにティーカップを渡した。
「……ありがとう」
 ティーカップを受け取る瞬間、ルーファスはあることを思った。
「(あんなティーカップうちにあったっけ? しかも、うさぎって……うさぎ?)」
 紅茶をひと口飲み、ルーファスは『はぁ』と深くため息をついた。
 カーシャも紅茶を口に含み、それを飲み込むと話を切り出した。
「ルーファス今日はご苦労だったな」
「ご苦労だったって何にも見てなかったでしょ」
 ハルカが首を振った。
「ううん、見てたよ、ルーファスがガードマンに追いかけられてたの(あれはなかなかの見ものだったなぁ)」
 ルーファスは驚いた表情を浮かべた。
「えっ(何でハルカが知ってるの?)」
 とのルーファスの疑問についてカーシャがわかりやすく説明した。
「これを見ろルーファス」
 カーシャは今まで読んでいた本の表紙をルーファスに見せた。
「(この表紙に書いてある古代文字は……!?)」
「おまえがガードマンに追いかけられている隙に、これを盗って来た(ふふ、悪いなルーファス、囮にした)」
「それって、ライラの写本じゃないか!?(何でここにって)……ライラの写本を盗んだのってカーシャたちだったのか!?」
「そのとおりだ」
「ルーファスのおかげで簡単に盗めたよ(ちょっと悪い気もしたけど)」
 ルーファスは唖然としてしまった。そして、微妙にキレた。
「もういい寝る! はいはい、ソファー空けて」
 ルーファスは二人をしっしと追い払い、ソファーにバタンと倒れ込んだと同時に静かな寝息を立てた。
「疲れたのだな(精神的に)」
 カーシャは毛布を持って来てルーファスの身体にそっとかけてあげた。カーシャもいいとこあるじゃんって感じである。
 こうしてルーファスだけの長い一日が終わった……Zzzz。

◆ ◆ ◆


 カーシャちゃん考案の『おしゃれ泥棒大作戦』の実行日から二日が経ちました。
 あの作戦の後『ライラの写本』はカーシャちゃんが自宅で解読するからと言って持っていってしまったのですが……どうなったのでしょうか? 連絡すらありません。まさか、持ち逃げでしょうか?
 ハルカは椅子に深く腰を掛けながら、両手を天上に向けていっぱいに伸ばした。
「はぁ~、いつになったら家に帰れるのかなぁ」
 その問いにルーファスはまるで他人事のように答えた。
「さぁ、いつだろーねぇ~」
「ってあんたのせいでしょ!」
 瞬時にハルカは床に落ちている魔導書をさっと拾い上げると、ルーファス目掛けて投げつけた。
 ゴン! という音とともにルーファスの首がガクンと曲がり、そのまま床に身体が倒れ落ちた――。
「(当たっちゃった)」
 床に倒れたルーファスは身動き一つしない。
「ル、ルーファス! だいしょぶ!?」
 ハルカは凄まじい勢いでルーファスに近づき、膝を付いて床に倒れる彼の身体を思いっきり揺さぶった。
「ル、ルーファス!」
 返事がない。ハルカはかなり焦って、ルーファスの上半身を起こして肩をガシっと掴むとルーファスだけが大地震に見舞われた。ルーファスの首がガクガクと揺れている……骨折れてないか?
「ねぇ、返事してよぉ~!」
 ハルカは思った。
「(殺したかも……ショック!)」
 ハルカ的大ショックのあまり、ハルカの身体からは力がすぅーっと抜けていき、支えを失ったルーファスの身体がパタンと床に転がった。
 ゴン! 床に頭がぶつかった。
「(殺っちゃった……)」
 灰色の世界が辺りを包み込む。
 ハルカはまばたきをせずに首をゆっくりと直線移動だけで動かし、床に転がるルーファスを見下ろした。
「……るーふぁす……生キテル?」
 ハルカの呼びかけに対して、返事がない……ただの屍のようだ。
「あぁぁぁぁぁっ! 殺っちゃった! どうしよう、どうする、何が、いつ(When)今日、どこで(Where)この家で、誰が(Who)アタシが、何を(What)ルーファスを殺した、なぜ(Why)不可抗力で、どのようにして(How)分厚い魔導書を投げて、なんてこったい!(Oh my God!)」
 ハルカは完全にパニクっていた。
「(どうするアタシ……!?)」
 ハルカは思いついた、ハルカ的に完璧な作戦を。
 作戦はこうだ。
 ①まずハルカちゃんは物置に行きます。
 ②そこでスコップを見つけ出して庭に行きます。
 ③庭についたら大人がひとりくらいが入れる穴を掘ります。
 ④そして、掘った穴に先ほど殺害してしまったルーファスを入れて土をかぶせてあげましょう。
 ⑤それが終わったら、手を綺麗に洗って、ルーファスを殺害した魔導書を焼き捨てて証拠を隠滅しましょう。
 ⑥全部の過程を終わらしたら、何食わぬ顔をして紅茶でも飲んで一休みしましょう。
「か、完璧だわ」
 ハルカはこぶしにぎゅっと力を入れて目をキランと輝かせると、さっそく作戦を実行に移した。まずはスコップを探し出し、次にルーファスを庭まで運ぶ。
 スコップを直ぐに手に入れ、第一肯定をすんなりとこなしたハルカは、次にルーファスの足を掴むと、力いっぱい引きずった。
「(重い)」
 そして、そのまま庭まで引きずって行った。途中何度か手に伝わる振動とともに鈍い音が聴こえたが気にしない。だって相手は死んでるんだから、エヘッ。
「あははは~、早く穴掘んなきゃねぇ~」
 ハルカ完全にイッてしまっていた。しかし、作業は冷静かつ淡々としていた。……やっぱりしていなかった。
 穴を掘るハルカの姿はまるで悪魔にでも取り憑かれたようであった。
「きゃはは、きゃはは」
 と奇声をあげながら一心不乱に穴を掘っているし、掘るスピードも異常なほど早い。
 穴を掘りはじめて、三分ほどで大人ひとりがすっぽり入れる穴が掘れた。
 落とし穴を掘ったことのある人ならわかるだろう。三分というスピードが異常な早さだってことが……。
「はぁ……はぁ……(これだけ掘れば)」
 ハルカの肩は大きく上下に揺れていた。あったりまえだ、穴を掘るというのはかなり重労働なのだから。しかも三分とは、『あんた凄いよ賞』を授与してあげたいくらいだ。
 一息ついたハルカはルーファスの足を掴んで、ぐるん、ぐるんと遠心力を使ってジャイアントスウィング風に掘り終えた穴にルーファスを投げ込んだ。
「(ひと段落完了)」
 ひと過程を終わらしたハルカは先ほどの穴掘りの疲れがどっと押し寄せ、倒れ込むようにバタンと地面に尻餅をついた。
「はぁ~、疲れた……」
 空を見上げると青空に太陽が輝いている。――日差しが目に沁みる。
「(空って何であんなに青いんだろう?)」
 空を眺めるうちにだんだんと落ち着きを取り戻して来たハルカは、ことの重大さが今になってわかって来た。
「(……ヤバイ。人を殺して埋めちゃおうなんて、アタシどうかしてた。もし、こんなところ人に見られたら)」
「こんばんわ」
 突然ハルカの耳元で声がした。
 ハルカは頭を動かさずに目だけを動かし横を見ると、人の顔が自分の肩の所に後ろからニョキって出ている。
「こんばんわハルカ、今日は日差しが強いな」
「カ、カーシャさん!?」
 ハルカは思わず声を張りあげた。
「どうしたのだ、そんなに慌てて」
「な、何でカーシャさんが!?」
「どうしてって魔導書のことで来たのだが?」
「そ、そうですか、じゃあ家の中で話しましょう(ど、どうしよう)」
「そうだな、そうしよう。……ところでルーファスはどこにいるんだ?」
「えっ、ルーファスですか、ルーファスは、えーと、その、……どこ行ったんでしょうねかねぇ~、あはは(言い訳が思いつかなかった)」
「そうか、ではあの穴は何だ」
 と言ってカーシャは前方の穴を指差した。
「あ、あの穴は……大モグラがさっき当然現れて……(大モグラって何? アタシの言い訳苦しすぎ)」
 少しの間沈黙があったがカーシャがその沈黙を破った。
「そうか大モグラが……(大モグラが……ふふ)」
「そうなんですよ大モグラが」
「では、その大モグラがルーファスを殺害して、穴を掘ってジャイアントスウィングで穴に投げ込んだわけだな」
「うっ……(もしかして、見られてたの)」
「どうした、顔が青いぞ(……ふふ)」
 ハルカは完全に観念して自白した。
「ご、ごめんなさい、アタシがやりました(もう、サイテー)」
「……見てた」
 カーシャはルーファスが死んだというのに、しかも、殺害したのがハルカだというのに全く驚きもしなかった。冷静なのか冷血なのかどうちらなのだろうか?
「いつから見てたんですか?」
「魔導書を投げたところからだ(……シュッ! ……ゴン! ……バタン!)」
 つまりカーシャは一部始終を見ていたらしい。
「ど、どうしましょうカーシャさん」
 ハルカはカーシャに抱きつき泣き崩れ、助けを求めた。涙がまさに滝のように流れている。
「……海に沈めてしまうのがいいのではないか?(コンクリートで固めて)」
 ハルカは涙目でカーシャを見上げている。
「(カーシャさん、そうじゃなくて)……うわ~ん、もう私の人生終わりだわ」
「そうだ、そんなことより魔導書のことだが」
「そうだじゃなですよ、今はそんなことより(ルーファスが死んだんですよ……アタシが殺したんですけど)」
「そうかじゃあ」
 そう言ってカーシャは庭を見回し、庭の片隅に立てかけてあった大きめのベニヤ板をよいしょっと持ち上げて穴の上にパタンとかぶせた。
「これひとまず安心だ(たぶんだが)」
「安心ってベニヤ板かぶせただけじゃないですか!」
「細かいことは気にするな」
 決して細かいことではないぞカーシャ。
「だ、だって、カーシャさん」
 カーシャの顔が急に真剣モードになった。
「さて、外は日差しが強い、中でゆっくり話をしよう」
 と言うとカーシャはさっさと家の中に入って行ってしまった。
「カ、カーシャさん、待ってくださいよ~」
 ハルカも仕方なく取り合えずカーシャに続いて家の中に入って行った。
 家の中に入ったカーシャは至って普段どおりで、勝手に自分で紅茶まで入れて飲んでいる。うさしゃんのティーカップで。
「済んだことは仕様がない、ルーファスのことは諦めろ(……一分間の黙祷を捧げます……Zzzz……ふふ)」
「カーシャさん、どうしてそんなこと言うんですか!」
「じゃあ生き返らせるか」
 カーシャはすらっとさらっと言い放った。
「えっ……?(生き返らせる?)」
 ハルカの中だけで時間が少し止まった。その間ハルカは全頭脳を集結させ、『生き返らせる』という言葉を検索したが、出た答えはやはり死者をこの世に呼び戻すという意味だった。
「(まさか……死んだ人を……生き返らせるなんて)」
「信じていないのか?」
 ハルカは首を横にぶんぶんぶ~んと振ってこう言った。
「そ、そんな……でも(でもぉ~)」
 カーシャは目を細めハルカを見つめ、ふんと鼻で少し笑った。その顔は自信に満ち溢れている。
「この前博物館で借りたライラの写本の中に『死者の召喚』についての記述があった」
「(借りたんじゃなくて、盗んだんでしょ)死者の召喚ですか?」
「そうだ、おそらく死者を蘇らせる召喚魔法の類だと思うが(たぶんだが)」
 また、たぶんかカーシャ!
 不安はいろいろとあったがハルカのこぶしには力が入っている。
「じゃあ、早くやりましょうカーシャさん」
 輝くハルカの瞳には希望に満ち溢れていた。

 そんなこんなで、ルーファス宅の地下室にカーシャは妖しげな機材を運んで来た。
 この地下室はルーファスが魔法の実験などをするために特別に作ったもので、中は異常なまでに広く、壁は頑丈にできているので決して外に魔法の影響が漏れないようになっている。
 召喚の方法は意外に簡単で魔方陣を描いて、呪文を唱えるだけらしい。カーシャいわくだが。
 カーシャはさっそく死者の召喚をはじめた。
 さっきから、ず~っと不安でたまらないハルカはカーシャに聞いてみた。
「本当にこれだけでいいんですか?」
 ハルカはかなり不安そうな顔をしてカーシャを見つめた。
 カーシャはなぜかハルカと目線を合わせようとせず、淡々と魔導書を広げながら、魔方陣のミスがないかチェックをしていた。
「あのカーシャさん」
 ハルカはカーシャの顔を覗き込むように見ようとしたが、ハルカと目線が合いそうになると、不自然なまでに身体をクルって回して方向転換をしたり、突然上を見上げて考え事をしているフリをした。
「魔方陣は完璧だ、後は呪文を唱えるだけが、心がまえはいいか?」
 やっとこの時カーシャはハルカの方を見て目線を合わせてくれた。
「はい、いつでも(でも何かちょっと不安になって来た……)」
「それでは、呪文の詠唱をはじめる」
 ハルカは緊張のあまり唾をゴクンと飲み込んだ。
 カーシャはゆっくりと瞳を閉じ、魔導書を両手でパタンと閉めて、魔導書の表紙の上に右手をゆっくりと乗せた。どうやらこの魔法を使うためにはこの魔導書の表紙に手を乗せて呪文の詠唱をしなくてはいけないらしい。
「ライラ、ライララ、リリラララ……」
 歌を詠うように呪文の一節を唱えはじめると同時に、カーシャの立つ床の下からやわらかい風のようなものが巻き起こり、衣服を揺らし髪の毛を上に舞い上げた。
「(スゴイ、これが本物の魔法なんだ)」
 ハルカはちゃんとした魔法――これが魔法なんだと思えるものを今まで見たことがなかった。
 『美人魔導士のいる店(カーシャの魔導ショップ)』での事件の際はハルカは気を失っていたし、『おしゃれ泥棒大作戦』の時はルーファスが凄いスピードで走ってるのを見ただけだった。
 真剣な顔をしたカーシャの呪文詠唱はまだ続いている。
「ルラ、ルララ……死者の首を狩りし、太古の神よ、我は貴女の名を呼ぶ……」
 カーシャの身体が突然黄金の輝きに包まれた。これは強力なマナがカーシャの身体に注ぎ込まれている証拠だ。
 目の前で起きている出来事にハルカに圧倒された。
「(カーシャさんってスゴイ人だったんだ)」
 ハルカはそう思った。
 カーシャの呪文詠唱にチカラがこもる。
「慈悲を知り、悲しみを知る神よ、我の願いをどうか聞き入れてください。闇の中で眠る其を……」
 その時だった、階段を下りて来る足音が聴こえた。
「ルーファス!(何で生きてるの、ゾンビ!)」
 ハルカが見たものとは――それはあくびをしながら階段を下りて来るルーファスの姿だった。しかし、ルーファスは死んだはずでは?
「何だぁ、地下室にいたんだ二人とも。ところで何してるの?」
 頭が混乱するハルカ。呪文の詠唱を続けるカーシャ。そして、ルーファスは床に描かれていた魔方陣を足で踏みつけた。
「何をするルーファス!」
 カーシャが叫んだ時にはすでに遅かった。
 足によって遮られた魔方陣はその力を失うか、もしくは暴走する。
 今回は暴走だった。
 魔方陣から激しい閃光が放たれ爆発を起こした。物が飛び、カーシャもルーファスも吹っ飛ばされ、ハルカも爆発に巻き込まれた。
 立ち込める硝煙の中、口に手をやりながらカーシャは辺りを見回した。
 ルーファスは壁に叩きつけられぐったりとしている。ハルカはどうなったのか?
 煙が治まって来ると辺りの酷い有様がよくわかった。機材の破片が辺りに散乱し、床にこぼれて薬品からは煙が立ち込めている。そして、最悪なことに妖しげな薬品が突如発火したではないか!
 勢いよく燃え上がる炎は瞬く間に部屋中に燃え広がる。この場所は危ない。早く逃げねば爆発が起こるかもしれない。
「ルーファス逃げるぞ!」
「ハルカは!?」
「地下室に姿がない。もしかしたらもう上に逃げているのかもしれん!」
 炎の中を掻い潜りながらカーシャとルーファスは一階へと急いだ。
 何重もの丈夫な扉を閉めつつ、命からがら一階に逃げ出したところで、ドカンという音と激しい揺れが起こり、床が爆発に耐え切れずに崩落した。
 そして、ルーファス宅は激しい音ともに全壊してしまったのだった。
 ルーファス宅を包み込む煙。果たして、ルーファス、カーシャ、そしてハルカは本当に逃げていたのか?
 三人の運命はどうなったのか!?

 ここは病院だった。ルーファスはとある病院に担ぎ込まれていたのだ。
 ベッドの上ですやすや眠るルーファスに何者かが忍び寄る。まさに音も立てずに忍び寄る。忍者か暗殺者か?
「……ルーファス……起きろ……」
 謎の人物が声をかけるが、ルーファスはすやすやと眠っている。が、しかし!
「うっ!(痛い)」
 腹を殴られた。受身全くなしのクリティカルヒットだ。これは強烈だ。
 目を開けるとそこにいたのは、音を立てずに忍び寄る達人カーシャだった。
「あっ、カーシャ、おはよ(殴って起こすの止めて欲しいんだけど)」
「こんばんわ、元気そうだな」
 と言われルーファスは辺りを見回した。
「……ここは?」
「病院だ。では、行くぞ」
「えっ!?(行くってどこに?)」
 カーシャはいつでも思いつき&唐突で生きる女だった。それが彼女の生きる道!
「ハルカのところに決まっているだろう」
 起きたばっかりで、ぼーっとしていたルーファスは、今の言葉を聞いて目を大きく開けてベッドからびしっとばしっとずぼっと飛び起きた。
「ハ、ハルカ!? そうだよハルカはどうなったんだ?」
「おまえの家が倒壊した後、いろいろあってな(あ~んなことや、こ~んなことが……ふふ)」
「家が倒壊だって!?(私の夢のマイホームが……じゃなくって)ハルカはどうなったんだよ!」
「だから、これからハルカのところに行くぞ」
 不適な笑みを浮かべるカーシャ。ハルカは本当にどうなってしまったのだろうか?
「ハルカは生きてるの?」
「微妙だ(あれを生きていると言っていいのか?)」
「微妙ってっどういうことだよ!」
「会えばわかる(ハンカチの用意だ……ふふ)」
 退院手続きを済ませてルーファスはカーシャに連れられ、ある場所に向かっていた。
 そこは再建されたルーファス宅だった。
 ルーファスは自分がへっぽこだという自覚があるので、もしもの時のために保険に入っていたのだった。今回はその保険のお陰で、自宅は魔法大工の匠の仕事によって、一日という驚異的な早さで再建されたのだった。
 自宅を見てびっくり仰天しているルーファスはカーシャに尋ねた。
「元通りになってるなんて……私はどれくらい寝ていたの?(まさか一ヶ月なんてことないよね)」
「三日だ」
「ホントに!?(三日でこんなに……アステア王国って建築技術もスゴイんだ)」
「だが、中身はからっぽだ。家具などは保険の対象外だったらしい」
 ルーファスが自宅のドアを開けると、すぐさま誰かが飛び出して来て二人を迎えた。
「おかえりルーファス!」
 飛び出して来た〝何か〟を見たルーファスは、それを指差し、首だけを動かしてカーシャの方を振り向くと、無表情のまま聞いた。
「何あれ?」
「ハルカだ」
「それは見ればわかるけど……(半透明じゃん、もしかして幽霊)」
 そう、ルーファスを出迎えたのはたしかににハルカだった。でも、一つだけいつもと違うところがあった。――半透明なのだ。
「ルーファス、まあ座れ、説明してやる」
「座れってどこに?」
 家の中には家具一つなかった。
「床にだ。ハルカもこっちに来い」
「は~い」
 ハルカはカーシャに言われるままに飛んで来た。本当にふあふあ飛んで来た。それを見たルーファスは得体の知れ無い物を見る表情だった。
「だから何あれ?(幽霊にしか見えないけど)」
「床に座れ、わかりやすく説明してやる」
 この後、ハルカについての話を紙芝居や人形劇を交えたり交えなかったりしながら、二時間ほどでカーシャが説明してくれた。
 カーシャさんいわく、爆発に巻き込まれたハルカの肉体は滅び、奇跡的にマナだけが残った状態になってしまったらしい。つまり、わかりやすく言うと幽霊の親戚のようなものにハルカはなってしまったらしい。
「質問はあるか?」 
 ハルカが元気よく手を上げた。
「は~い!」
「何だ?」
「アタシはこれからどうしたらいんですか? ぜ~んぶカーシャさんの責任ですよ。カーシャさんが死者の召喚なんてしなかったら、アタシはこんな身体にならなかったと思うんですけど(もう、家に帰るどころじゃなくなっちゃた)」
「ハルカがルーファスを気絶させたのがいけないのだろ?(……シュッ! ……ゴン! ……バタン!)」
「うっ……(たしかにあれはアタシがいけないんだけど)。でも、ルーファス生きてたじゃないですか!?」
「それはあとで気付いたことだ。死者の召喚をしたのはワタシの責任ではない!(本当は生きているのを知っていたのだがな……真実は言えない……言えない……ふふ)」
 カーシャは確信犯だった。しかも、重大な秘密を隠してるみたいだ。だが、それを知るものは誰もいない。
 この場で一人会話について行けない者がいた。もちろんルーファスだ。
「あのさ、死者の召喚って何?」
 この言葉を聞いて二人はいきなり口を閉じて沈黙した。ハルカは内心かなり焦っているが、カーシャは平常心。
 全くしゃべろうとしない二人に不信感を抱くルーファスは、こちらも沈黙してハルカをじーっと見つめている。カーシャは口を割らないのでハルカに集中攻撃だ。
「(お願いだから見つめないで)」
「(絶対何か隠してる)」
 ハルカは下を向いて視線を反らす。だが、ルーファスの無言の圧力は続く。で、ハルカはあっさり負けた。
「……ごめん、ルーファス本当にごめんね。だって、だってね、ルーファスが死んじゃったと思って、それで生き返らせようと思って(不可抗力だよねぇ~)。エヘッ」
ハルカは笑顔を浮かべてみたが、口元は明らかに引きつっていた。
「……生き返らせようと思ってねぇ~」
 そう呟くと、ルーファスはカーシャを疑いの眼差しで見た。
「(なぜ、ワタシを見る)」
 心の中で動揺がダッシュしているカーシャだが、表情はいつも通り無表情で何を考えているのかわからない。
 だが、ルーファスにはカーシャが動揺しているのがわかった。二人の仲は長いので、テレパシーみたいな感じでルーファスはカーシャの動揺を見抜いたのだ。
「カーシャ、私が生きてること知ってたような気がするのは、気のせいだよね?」
「(へっぽこのクセして、鋭い)。ワタシもルーファスが本当に死んだと思ってな。ハルカがおまえに本をぶつけて、殺したと思って土に埋めようとしたのをワタシが止めなければどうなっていたことか……それで、生き返らせようと……(だが、あんな騒ぎになるとはな……笑えない……ふふ)」
 ルーファスの目がハルカに再び向けられた。
「ふ~ん、土に埋めようとねぇ~」
 この時ばかりはハルカも言い訳はできない。しかも、ここでカーシャの一言が!
「しかも穴に放り込む時、ジャイアントスイングだったな(大モグラ……ふふ)」
「(何で、カーシャさん余計なこと言わなくても)」
 一瞬失笑したルーファスは、無言で立ち上がり裏庭へ向かった。
 裏庭に着いたルーファスは、二本の材木をしばって十字を作り、簡単な墓標を作ると土にぶっ刺して、どこかに行ってしまった。
 ルーファスのことを追いかけて来て一部始終を見ているハルカは、ルーファスが何をやろうとしているのかさっぱりわからなかった。
「(誰のお墓作ってるんだろ?)」
 ハルカは疑問に思い、ぼーっと空を見ていると、ルーファスが花束とペンキを持って帰って来た。
 帰って来たルーファスが何をするのかとハルカは見ていると、ルーファスは立てた墓に何かを書いて花束を手向けると、その場で泣き崩れた。
 そっと近づき、ハルカはルーファスの後ろにふあふあと移動すると、墓に書かれている文字を見た。
「(……ルーファスって書いてある?)まだ、恨んでるの?」
 ハルカの声に反応して涙を浮かべながらルーファスが勢いよく振り向いた。
「あたりまえだろ!」
 そう言ってルーファスは墓に書かれてる文字を指差した。
「いや、だから……それは(あはは)」
「私が死んだとと思って埋めようとしたって、どういうこと!?」
「(だからって、そんなお墓立てなくても、それって当てつけでしょ)でも、いいじゃないルーファスはそれだけど、アタシの身体はこれなんだから」
 ハルカはルーファスの身体を指して、そして自分を指さして言葉を続けた。
「家には帰れないし、こんな身体になっちゃうし、どうしてくれるのよ!」
「たしかに家に帰れないのは謝るけどさぁ、その身体になちゃったのはカーシャのせいじゃん?」
「そのカーシャさんは今どこに居るの?」
「ここだ」
「わっ! ……ビックリさせないでくださいよ(何でいつもこの人幽霊みたいなあらわれかたするんだろ?)。あの、カーシャさん」
 ハルカはちょっと不満たらたらな顔をしてカーシャを見つめている。
「何だ?」
「カーシャさんが『死者の召喚』なんてしなかったらこんなことにならなかったんじゃないですか?」
「……終わったことだ気にするな(……ふっ……真実は言えない)」
 真実って何だカーシャ! 隠し事か!
 プチっという音がして、ハルカは自ら堪忍袋の緒を切った。
「『気にするな』って、この身体どうしてくれるんですか!(無責任)」
「みんな生きていたんだ細かいことは気にするな」
 ルーファスもそれに腕組みながら、うんうんと同意する。
「そうそう」
 バッシーン! という音が辺りに鳴り響いた。ルーファスの頬が真っ赤に染り、続けてハルカは思わず大きな声で叫んだ。
「よくなーい!」
 あたりまえだ。ハルカにしてみればまったくもってよくない出来事だ。だが、ルーファスは完全に八つ当たりで叩かれている。
 ちなみにマナの状態にあっても魔力が強ければ物に触れることは可能らしい。カーシャちゃんいくだが、さっきの紙芝居で言っていた。
 ハルカは家に帰れないどころか、身体まで失ってしまったのだ。まさに不幸のどん底と言ってもいい。だが、そこにカーシャはお得意の留めを刺す。
「一つ、さっきの説明でしていなかった重大なことがある。……このままだとハルカは消えてしまう(これはマナの還元理論の応用なのだが、二人に説明してもわからんだろうな……特にへっぽこには)」
「「えぇーーーっ!」」
 平然としたカーシャの言葉を聞いて、二人は声を合わせて驚愕した。これは超緊急事態だ。ハルカが消えてしまうなんて、……なぜそれを早く言わない!?
 ハルカはカーシャの襟首を掴むとぶんぶんと揺らした。局地的大地震、マグニチュード七・〇くらいか?
「どういうことですか!? アタシが消えるってどういうことなんですか~っ!?」
 ぶんぶん振られるカーシャはハルカと顔を合わせようとしない。
「さ~て、どうしたものかな?(方法はいろいろとあるがな)」
 カーシャは無表情のまま他人事のように言った。だが、この事態を引き起こしたのはみなさんご存知のカーシャだ。責任逃れはできない。
「どうしたもんかなじゃないですよ! ルーファスも考えてもよ、アンタも魔導士なんでしょ(へっぽこだけど)」
「考えてって言われても(魔導学院の時の成績悪かったからなぁ~、あはは)」
 ルーファスは役立たずだった。
 まだまだ局地的地震がカーシャを襲っていた。
「カーシャさん、どうにかしてくださいよ!
「……方法が無い事も無い。だが、一時的な応急手段だがな」
 不適な笑みを浮かべるカーシャ。この女は何を企んでいるのか?

 そんなこんなで、一時的な応急手段を取るために、ハルカはカーシャに連れられてカーシャちゃん宅に行くことになった。ちなみにルーファスは生活に必要最低限の物を買出しに出かけるので別行動。
 カーシャの家の中は暗かった。まだ昼間だというのにロウソクの光が室内を照らしている。
「(よく、こんなところで生活できるなぁ~)」
 ゴン! 案の定、お約束でハルカは何かに頭をぶつけた。
「いた~い(何にぶつかったの?)」
「気をつけろ、散らかっているからな」
 ゴン! ハルカは今度は足をぶつけた。
「いた~い、カーシャさん掃除とかしてるんですか?」
「してない(掃除なんて生まれてから一度もしたことがない)」
 掃除をしたことがないってどういことだよ? 汚いよカーシャ!
 物にぶつかること数十回、秘境大冒険の末にハルカようやくカーシャに連れられて、ある部屋にたどり着いた。
 この部屋はさきほどよりは明るい。ロウソクの光ではなく、部屋全体がぽわぁ~と光っている。
 ハルカは部屋中を見回した。部屋には二本の大きな透明な円筒形の入れ物があり、管の中は液体で満たされ、下から小さな気泡が上へ上がっている。そして、その中には片方に出目金、もう片方には黒猫が入っていた。
「何ですか、あれ?」
 ごもっとも質問に対して、カーシャも質問で返す。
「どっちがいい?」
 カーシャは出目金と黒猫の方を指差している。つまり、どっちが好きかということなのか?
「どっちって? 何がですか?」
「あれはワタシのペットの出目金と黒猫だ(ちなみに、ジェファーソンとマリリンという名前だった)。もう既に死んでいるものを腐らないように保管してある」
「だから、どういうことですか?」
「どっちが好きかと聞いているのだ(ワタシのおすすめは出目金だ)」
「……黒猫(ちょっとヤナ予感)」
「では、黒猫の身体を使おう(出目金がおすすめだったのだがな……しかたない)」
「使うってどういうことですか?」
「あの身体の中に入ってもらう(本来はいつか生き返らせてあげるために保管しておいたのだが、死者の召喚が失敗したのでな……ふふ、衝撃の告白)」
 な、なんと、カーシャは黒猫と出目金を生き返られるために死者の召喚をしようとしたのだ。つまり、ルーファスが死んでいないのを知っていたことになる。
 ハルカしばしの沈黙。
「…………(アタシにネコになれってこと?)」
「では、はじめるか(ひさしぶりの実験だ……ふふ、魔導学院をクビになってから、おもしろい実験はしていなかったからな……ふふ)」
 カーシャの口の端が少し上がった。カーシャがこの不適な笑みをやると本当に恐い。だって何が起こるかわかないもん。
「カ、カーシャさん、はじめるって、な、何をですかぁ~!?(な、何で不適に笑ってるのこのひとは!?)」
 ハルカ大ピンチ!
 恐怖に苛まれてハルカは猛ダッシュで逃げようとした。が、カーシャは床を滑るように移動して、ハルカの腕を掴んだ。
「逃げるのか?(ふふ、逃げても無駄)」
「逃げるなんて……ちょっとトイレ(カーシャさん、恐い)」
「マナの状態でトイレに行きたくなるわけないだろう?」
 ぐぐっとハルカの身体が引っ張られた。
「あ、あの、カーシャさん、ちょ、ちょっと心の準備が……(殺される!)」
 殺されはしないと思うが、いい実験台にはされるだろう。ハルカ危うし!
 カーシャに腕を引っ張られて部屋の奥に引きずられていくハルカ。彼女の運命はどうなってしまうのか!?

 数時間後、ルーファスの家にカーシャが訪ねて来た。
「こんばんわ、ルーファス」
「あれ? ハルカはどうしたの?」
 ハルカの姿が見当たらない。ハルカは一緒ではないのか……まさか、実験に失敗したとか!?
「ここにいる」
 ルーファスの目線はカーシャの持っている、携帯用ペットハウスに注がれた。
「ここにいるって、その中に?(まさか、そんなところに入るわけないじゃん)」
 カーシャは膝を付き、携帯用ペットハウスのドアを開けた。中から出て来たのは黒猫である。だが、普通のネコじゃななかった。人間の言葉をしゃべるネコだったのだ。
「……ルーファスただいま」
 聞き覚えのある声だった。そして、ルーファス驚愕!
「は、ハルカ~っ!?」
 ネコ=ハルカは小さく頷いた。
「ネコになっちゃった(出目金よりはマシでしょ?)」
 しばし驚愕のあまり沈黙のルーファス。彼が次に取った行動は、カーシャの胸倉を掴むことだった。
「ど、どういうことだよ?(ネコって何で? カーシャがネコ好きなのは知ってるけど、意味不明だよ)」
「しかたないだろ、ハルカが消えてしまうよりはマシだろうに……(本当は出目金がよかった)」
 ハルカはワザとらしく、ネコっぽく、ルーファスに擦り寄った。
「にゃ~んってことだからよろしくね!」
「はぁ~?(何で、こうなるの!?)」
 ルーファスは頭を抱えて悩んだ。そんな彼を頭痛が襲う……可哀想なのはいったい誰なのか?
 ネコになってしまったハルカとルーファスの生活がはじまってしまった。
 果たしてハルカは人間に戻ることができるのか!?
 むしろ家に帰ることはできるのか?
 ハルカの運命はどうなってしまうのか!?

◆ ◆ ◆


 ハルカがこっちの世界に来てしまって、二週間以上の日数が流れようとしていた。もう二週間と言うべきか、まだ二週間と言うべきなのかは微妙だ。
 二週間の間にハルカはいろいろなことを経験した。居住区を半径一キロメートルに渡って吹っ飛ばしてみたり、国立博物館で写本を盗んだり、ルーファスを殺人未遂してみちゃったり、爆発に巻き込まれたり、ろくなことがなかった。こう考えると、まだ二週間ほどしか経っていないと思えるかもしれない。
 そして、今ハルカは黒猫である。
 ネコになって二日が過ぎたが、この身体にも少しずつ慣れて来た。
「(でも、早く人間に戻りたい)」
 そんなことを思いながらハルカはルーファス宅の縁側でひなたぼっこをしていた。
「ハルカ餌だよぉ~」
 遠くでルーファスの声がした。その声に誘われるままにルーファスの元へ四本の足で走って行く。
 ルーファスの足元まで来ると、ルーファスは手に持っていたお皿を床に置いた。お皿にはサラダとパンが少し乗っている。
「ハルカ、餌だよ」
「ネコ扱いしないでくれる?(餌って言い方ムカツク!)」
「だってネコじゃん」
「身体はネコでも、中身は人間なんだから」
 これでも最初のルーファスの態度よりはマシになった。ネコになっての初めての食事でルーファスは、なんと、ハルカにペットフードを出したのだ。当然ハルカは激怒して引っ掻いてやったが、ルーファスは素でそれをやったらしいので、すぐにハルカは怒りを押えた。――そんこんなで今に至る。
 出された朝食を食べながらハルカは思う。
「(ネコじゃなくって、人間の身体に入れてくれればよかったのに……でも死んだ人間の身体に入るのはちょっと気が引けるかなぁ~、出目金よりはマシだけど)」
 ハルカと同じく朝食を食べているルーファスがハルカに声をかけて来た。
「たまには外出かけて来たら? ネコになってから外出てないでしょ?(運動不足は健康に悪いからね)」
「ネコだから外出たくないの(ネコじゃ、何もできないもん)」
 出たくないとは言ったものの、ハルカはやっぱり外に出かけることにした。少しは気分転換になるかもしれない。そう考えたからだ。
 外は冬の冷たい風が吹いていて少し肌寒かった。
 石畳の上をどこに行くでもなく歩くハルカ。横を人や馬車が通り過ぎて行く、ハルカに気を止めてくれる人は誰もいない。
 前方から灰色の毛を持ったネコがこちらに向かって来る。明らかにハルカに向かって歩いて来ていた。
 灰色のネコはハルカの前まで来て『にゃ~ん』と鳴いた。もちろんハルカにはネコ語はわからない。
「(アタシに話しかけてるみたいだけど……何言ってんだろ?)」
 灰色のネコは、また『にゃ~ん』と鳴いた。
「(だから、何言ってんだかわかんないんだって……とにかく、にゃ~んって鳴いてみようかな)……にゃ~ん」
 灰色のネコ沈黙。人間の『にゃ~ん』は所詮人間の声のようだ。
 灰色のネコしっぽ立てる。怒っているらしい。
 灰色のネコ『ふーっ』と鳴く。かなり怒っているらしい。
 灰色のネコ、ハルカに飛びかかる!
「(マ、マジで!?)」
 ハルカ逃げる。
「(何で!? 何か悪いことしたアタシ!?)」
 ドリフトをしながら人の間を抜けて、急カーブを見事に曲がり、裏路地に逃げ込む。後ろを見ると灰色のネコはまだ追いかけて来ている。
「(しつこい!)」
 迷路のような裏路地を逃げ回るハルカ。そして、裏路地のお約束――行き止まり。
「(何で、行き止まりなのぉ~!?)」
 ハルカ的ショック!
 後ろは壁、前からは灰色のネコがジリジリとハルカに詰め寄って来る。
「(コレってピンチ!?)」
 確認するまでもない。ピンチである。
 後ろに後退するハルカと壁との距離がほとんどなくなった。それに加えて灰色のネコとの距離も狭まっている。
「誰か助けてぇ~!」
 悲痛の叫びをついついあげてしまったハルカの横で、木でできたドアがギィィと鳴って中から人の顔が現れた。
「誰かいるの?」
 優しい声。ドアから覗いているのは小さな女の子だった。たぶん五歳~七歳くらいだと思われる。
 ハルカは女の子を見つめる。まさに仔猫の瞳で助けを請う。
 女の子は状況を理解したらしく、灰色のネコを追いやってハルカを助けてくれた。
「(はぁ……助かった……えっ!?)」
 ホッと胸を撫で下ろしていたハルカの身体が持ち上げられた。上を見ると女の子の顔が直ぐそこに迫っている。
「あなたどこから来たの?」
「(どうしよう? 人間の言葉でしゃべったらマズイよね。でも、ネコみたいにうまく鳴けないし)」
 女の子はあることに気がついた。ネコの首には首輪が付けられていて、それに付いているコインに何か文字が刻まれていた。
「ハルカ? ハルカって名前なんだね」
 首輪はカーシャがプレゼントしてくれた物だ。つまりカーシャもハルカのことをネコ扱いしているということになる。
 ニコニコ顔の女の子はハルカを抱きかかえたまま、家の中に入ってしまった。ハルカある意味軟禁?
 ハルカどうする? ハルカネバーエンディングに頭猛スピード回転!
「(どうしたらいいの? 逃げなきゃ! 逃げた方がいいの? てゆーか逃げるべきなのかな!?)」
 ハルカ大混乱!?
 女の子はハルカをソファーの上に下ろした。
「ミルク持って来てあげるから待っていてね」 
 と言って姿を消した。逃げるチャンス到来!
「(逃げなきゃ!)」
 ソファーから飛び降りて玄関に向かう。廊下を走りぬけすぐに玄関まで来たが、そこである重大なことに気づいた。
「(ドア開けられない)」
 そう、ネコに玄関のドアを開けることはできない。しかも、玄関から律儀に出ようと思うなんてハルカらしい。
 引き返そうと後ろを振り返った時、手にミルクの入ったお皿を持った女の子と目が合った。
「(ヤバイ)」
「どうしたの? 待っててねって言ったでしょ?」
 ミルクを溢さないように女の子はゆっくりとハルカに近づいて来る。
「(ごめん)」
 ハルカはそう思いながらも、女の子の横を猛ダッシュで優美に擦り抜けて階段を駆け上がった。
 二階になぜ逃げたのかはハルカもわからない。だが、これだけは断言できる二階に逃げたのは失敗だった。
「(自ら逃げ場をなくしてどうするの!?)」
 ハルカの混乱は増していた。混乱が増してたついでにドアの開いていた部屋に逃げ込むんだ。
「(どうしよう……そもそも、何でアタシ逃げてるの?)」
 そう、ハルカはなぜ逃げているのだろうか? ハルカもわかっていないことを他人はもっとわからない。
 階段を上って来る音が聞こえる。ハルカにとってこの音は、死のカウントダウンに等しいくらいドキドキするものだった。
「どこ行っちゃったの?」
「(アタシのこと探してるよぉ~)」
 女の子の足音が近づいて来る。そして、止まった。
「こんなところにいたぁ」
「(……見つかった)」
 辺りを見回してハルカは逃げ場を探してみるが、――窓が開いているくらい。言うまでもないがここは二階である。落ちたら大変なことになる。
 逃げ場を失ったハルカは軽やかなネコの動きで窓枠に飛び乗った。
「(うわぁ~、高いなぁ~)」
 下を見てしまったハルカは背筋が冷たくなった。ネコであるハルカにとっては人間以上に高く感じられる。
 ハルカの乗っている窓枠と隣りの家の屋根は一メートルほど、ジャンプして飛べない距離ではない。
「(けど、落ちたらヤバイよね)」
 そう、落ちたらヤバイ。だが、ハルカは飛んだ。窓枠にしっかりと足を掛けて高く飛んだ。
 光り輝く青空の下を飛翔するハルカ。この日ハルカは鳥になった――。
 屋根にうまく着地して、ほっとしたハルカは、息をゆっくりと吐き出し肩を下げた。
「(よかった……落ちなくて……落ちなくて?)」
 ハルカ的大ショック!
「(どうやって降りたらいいの!?)」
 とにかく下に降りる方法を見つけようと道路沿いの屋根に移動して、下を見てみる。
「(誰か気づいてくれないかなぁ~)」
 この辺りは商店が多く建ち並ぶ道で、この先をずーっと行くとお城の前に出る。そのため人通りは多い。だが誰もハルカに気がついてくれない。ロンリーハルカ!
「(誰か気づいて……気づいて……気づけったら気づけ……)」
 念じてみる。今のハルカはエスパー気分。
 道路を歩いていた剣士風の女性が屋根を見上げた。そこで黒猫が自分を見ている。ハルカの念が通じたのか? エスパーハルカここに誕生か!?
「(何だあのネコは……降りれなくなったのか?)」
「(あのひとアタシのこと見てる……助けてくれないかなぁ?)」
 剣士は屋根の下まで近づいて来て、何かを抱きかかえるような腕の形をした。
「(降りて来いってことなのかな?)」
「気をつけて降りて来るのだぞ」
「(降りて来いって言われても、ちょっと恐いな)」
「しっかり受けて止めてやるから、安心して降りて来るといい」
 ハルカは女剣士の言葉を信じて、屋根から飛び降りた。小さなネコの身体はやさしく抱きかかえられ、怪我をしないで済んだ。
「(よかった)」
 ほっとした表情をしているネコの顔を女剣士は不思議そうな顔して覗き込んでいる。
「おまえ、本当にネコか?」
「(ビクッ……す、鋭い)」
「マナの波動が、おまえのことを普通のネコではないと言っている(人間の波動が感じられる)」
「(逃げなきゃ!)」
 危険を察知したハルカは女剣士の隙を突いて逃げ出した。だが、女剣士は女剣士に在らず、女魔法剣士だった。
「逃がしはしないよ」
 魔法剣士の指から光のチェーンが放たれハルカの首輪に巻き付いた。
「うぐっ!」
 魔法剣士の指とハルカの首輪が繋がれ、そのままハルカは魔法剣士の足元まで引きづられてしまった。
「仔猫ちゃん、そう簡単には逃がしはしないよ」
 魔法剣士はハルカは抱きかかえると、首輪を見てはっとした表情をした。
「なるほどね、ルーファスの家に行こう」
「(えっ? ルーファスの家?)」
 首輪にはルーファス宅の住所が書かれていたのだ。しかし、ルーファスの名は書かれていなかった。この女魔法剣士は住所を見ただけで、そこに住んでいるのがルーファスだとわかったのだ。
 この女性はもしや、ルーファスの知り合いなのか?

 数分後、ルーファス宅に黒猫を抱きかかえた一人の魔法剣士が尋ねて来た。
「ルーファス、届け物だ」
 この声を聞いたルーファスは血相を変えてすっ飛んでドアを開けた。
「な、何で?(何で、何で、何しに来たの?)」
「これを届けに来た」
 魔法剣士の腕には黒猫が抱きかかえれていた。
「……ハルカ!?」
 名前を呼ばれたハルカは無言でルーファスを見つめた。
「(ルーファス、この人誰なの?)」
「や、やあ、よく来たねエルザ先輩」
 魔法剣士エルザ。ハルカをここまで連れて来たのは、この国はじまって以来の女性元帥エルザであった。そして、この女性はルーファスが魔導学院に通っていた頃の先輩でもあるのだった。
 エルザはハルカの首輪に付けていたチェーンを解呪して、床に下ろした。
「このネコ、人だな?」
「ハルカ、しゃべってもいいよ。この人知り合いだから」
「ルーファスこの人誰なの?」
「このひとはエルザ元帥。魔導学院での私の先輩だよ(この人のお陰で、いろいろと事件のこともみ消してもらってるんだよね)」
 昔からルーファスが騒ぎを起こすたびに、エルザがその後処理に当たってくれているのだった。
「あのエルザ、お茶でも飲んでいく?」
「いや、結構。仕事があるので今日はこれで失礼する」
 エルザは帰ろうとドアノブに手をかけようとした瞬間、ドアは後ろに引かれた。開かれたドアの先を見た彼女はある人物と目が合った。
「(カーシャ先生)」
「こんばんわ、ひさしぶりだな(何で、こいつがいる?)」
 エルザとカーシャは互いに目線を逸らそうとせず相手の目をじっと無言で見ている。微妙な緊迫感がこの辺り一帯に充満していく。
 黒猫であるハルカの毛が逆立った。
「(何か、身体がビリビリする……もしかしてこの二人のせい?)」
 もしかしてではなかった。カーシャは以前魔導学院で教師をやっていて、その時の生徒がエルザだったのだ。その頃からなぜかこの二人は馬が合わない。つまり犬猿の仲というやつだ。
 いつの間にかこの場から二人を残して、ルーファスとハルカは後方に逃げていた。本能がそうさせているのだ。
 カーシャとエルザはしゃべろうとしなければ、目を逸らそうともしない。この勝負、目を逸らした方が負けなのだ。まるで野生動物の戦い。
「そういえば、カーシャ先生はまだ事情聴取の最中でしたよね、住宅地が半径一キロメートルに渡って吹き飛ばされた事件(絶対あの騒ぎの元凶は、この女にあると思うのだが……たしかな証拠が掴めてない)」
「ああ、たしかにあの時ワタシはあの地区にいた。だが、そこにワタシのショップがあるので当然だろう?(バレたら、国を負われるだけでは済まんからな……ふふ)」
「カーシャ先生のショップが、最初に爆発が起きたと思われる中心地と考えられているのですが、その件についてお話をお聞かせ願いたい(あの時、学校を辞めさせるだけじゃなくて、国を追放してやればよかった)」
「さぁな(この女だけは許さん、学校を辞めるハメになったのも、店を営業停止にさせられたのも、この女のせいだ)」
 カーシャは以前に魔導学院で問題を起こした際、エルザの学生運動によって学院を首になっており、数日前に起こった『ハルカ居住区を半径一キロメートルに渡って吹っ飛す事件』でも重要参考人として、取り調べを今も受けている最中で、カーシャの店は営業停止にさせられている。
「とぼけるのはいい加減にしてくれませんか?(これだけ多くの疑惑がありながら、なぜいつもしっぽを掴めないんだこの女は……?)」
「一週間以上も前のことだから記憶にないな(……ふふ、逃げるか?)」
「そうですか……記憶にないですか、仕方ありませんね。今度お会いする時は証拠を山のように持って来ますから、では(絶対しっぽを掴んでやる)」
 エルザは家を出て行く時、口元を少し歪めてバタンとドアを閉めて行ってしまった。
 エルザの出て行った室内は未だ緊迫した空気が流れていた。元凶は言うまでもない、もちろんカーシャだ。
 そのカーシャは、ゆっくりとルーファスとハルカの方を鋭い目つきで振り向いた。
「言うなよ絶対。ワタシが捕まった時は、どうなるかわかるな?(あ~んなことや、こ~んなことに加えて、そ~んなこともするぞ……ふふ)」
 ルーファスは首を横に振っているんだか、ぶるぶる震えているんだかわからないような動きをして、首をコクコクと何度も縦に振った。声すら出ないほどに怯えきっている。
「ハルカもだぞ!(もし何か言おうものなら、ミミズの中にマナを移してやるからな……ふふ、楽しみ)」
 ハルカの毛は全て逆立ち、身体がぶるっと大きく震えた。
「あ、アタシはネコだから……人間の言葉しゃべれないから……に、にゃ~ん(触らぬ鬼神に祟りなし……逃げるにゃ~ん)」
 ネコになったハルカは、ネコを被ってこの場から逃げ出した。
 凍りつくルーファスを残して、カーシャは去って行った。――でカーシャはこの家に何をしに来たのだろうか?

◆ ◆ ◆


 ある日の昼間、ソファーの上で昼寝を楽しむルーファスの腹にネコパンチが喰らわされた。
「うっ!(最近よく殴られる)」
「ルーファス起きて!」
 目を擦りながらルーファスが自分の腹のところを見ると、そこには黒猫ハルカが乗っていた。
「起きた?」
「起きたよ(ネコのクセして、何であんなにパンチ力があるの?)」
 少し怒った様子のハルカは、軽やかにルーファスのお腹からフローリングの床に飛び降り、ルーファスの顔を睨んだ。
「ねえ、アタシが人間に戻る方法を探してくれてたんじゃないの?(昼寝してるなんてヒドイよ!)」
「あ、うん(そうだったんだけど……いつの間にか寝てた)」
 だらんとソファーからはみ出たルーファスの片手の先には、床に開いた状態の魔導書が落ちていた。読んでいる途中で寝てしまったに違いない、決定的な証拠だった。
 白い目でルーファスはハルカに見られている。
「だから、さっきまでは一生懸命だったんだけど……(寝てた)」
「寝てたんでしょ?」
「だって……(眠かったんだもん)」
「ルーファスはいいよ、アタシの身になって考えてみてよ! 家には帰れないし、ネコにはなるし、アタシの人生返して!」
「私だって、ハルカが家に帰る方法と人間に戻る方法を考えてるよ!(でも見つからないんだからしょうがないだろ……)」
「ふんっ!(へっぽこ魔導士!)」
 機嫌サイテーのハルカはさっさとどこかに行ってしまった。もちろんしっぽは立っていた。
「しっぽ立てるなんて……わかりやすいな」
「ホントにわかりやすいなあの娘は」
「わっ!(……カーシャか)」
 ソファーに腰を掛けているルーファスが横を見るとそこには、カーシャもソファーに何時の間にか腰を掛けて落ち着いていた。しかも、手にはうさしゃんティーカップが……落ち着きすぎ。
「こんばんわ、この頃寒い日が続くな(ついでにワタシの心も猛吹雪……ふふ、ギャグが寒い)」
「いつも思うんだけど、不法侵入だよね?」
「安心しろ、玄関から入っている(ノックはしてないがな)」
 玄関から入っていても不法侵入は不法侵入だ。カーシャが一日で犯している罪は数知れず。
「玄関から入っても不法侵入は不法侵入でしょ?」
「不法滞在よりはマシだろ?」
「意味わかんないよ」
 カーシャの言い訳は意味がわからなかった。
「ところでルーファスヒマか?(ヒマでなくとも強制だがな)」
「まあ、ヒマって言ったらヒマだけど……(それより、何でカーシャは毎日毎日うちに来るの? 私よりヒマなんじゃないの?)」
 ホントにカーシャは毎日毎日何をしてるのか? 答えは簡単、店が営業停止にされてしまったのでルーファスをいびりに来てるのだ。ダメじゃんカーシャ。
 なんとも言いがたい悪魔の微笑を浮かべてルーファスを見つめるカーシャの瞳はスゴク濁っていた。よからぬことを考えているのは明白だった。
「(嫌な予感がする)」
「戦争しに行くぞ」
「はっ! どこに!?(戦争って何!?)」
 カーシャのビックリドッキリ仰天発言にルーファスは度肝を抜かれた。
「魔導学院に乗り込むぞ!(ふふ……おもしろいことになるぞ)」
「乗り込むってどういうこと?(戦争って!?)」
「実際全面戦争になるかはわからんが、おまえと〝ワタシ〟があの学院に乗り込めば、追い出されるの必然。最悪戦争だな」
「戦争っていうのは言い過ぎでしょ?(たしかにカーシャが学院に戻ったら、追い返されるだろうけど)」
「わからんぞ、ファウストならワタシに喧嘩を吹っかけて来ると思うが?」
「たしかに(ファスト先生ならありえるな、あのひとそういうの好きだからな)」
 ファウストとは、以前ルーファスが通っていた魔導学院の教員で、悪魔系の術を得意としていた人物だ。学院ではカーシャに次ぐトンデモ系の狂師で、危ない実験や魔術が好きな先生だった。カーシャが学院をクビになった今は学院一のトンデモ狂師はファウストに違いなかった。
「ねぇ、二人とも何の話ししてるの?(ルーファスやけに顔蒼いけど?)」
 いつの間にかハルカが二人の前まで来ていた。ネコになったハルカはカーシャに次ぐ忍び足を手に入れたらしい。
「こんばんわハルカ。おまえも一緒に来い、元の世界に帰る方法と人間に戻る方法両方の手がかりが見つかるかもしれん」
「ホ、ホントですか!?(……カーシャさんの言うことは信用できないけど)」
 カーシャの信用はガタ落ちだった。当たり前と言ったらそれまでだが……。
「本当だ。優秀な魔導士たちがこの国で一番集まる所に行く(学院時代のルーファスはへっぽこだったがな……ふふ)」
「そんなところがあるんですか?(じゃあ、今まで何で連れて行ってくれなかったんだろ?)」
 ハルカがふとルーファスの顔を見ると、彼は今までハルカが見た中で一番うかない表情をしていた。
 魔導学院はルーファスにとってあまり行きたくないところだった。なぜならば、恥ずかしい思い出しかないからだ。
「ではさっそく魔導学院に行くとしよう。ハルカはこの中に入れ」
 カーシャはそう言うと、どこからか携帯用ペットハウスを出してドアを開けた。
「丁重に運んでくださいね(この前にカーシャさんに運んでもらった時はヒドかったからなぁ~)」
 ペットハウスに入る寸前ハルカはルーファスの顔を見た。ルーファスはまだうかない表情をしている。
「何でうかない表情してるの? ルーファスも早く準備してよ」
 ハルカに言われ、ルーファスは重たそうに腰を上げると、空気よりも重そうなため息を落とした。
「はぁ~。……行くのヤダな」
 これは心からの本音、まさに心の叫び。ただでさえ行くの嫌なのに、カーシャは殺る気満々。ルーファスはだんだん頭が痛くなって来た。
 誰が頭が痛くなろうとカーシャには関係ないことらしく、ハルカをペットハウスに入れたカーシャはルーファスに足蹴りを喰らわせて、ペットハウスを差し出した。
「これ」
「私が持つの?」
 と聞きながらもすでにルーファスはペットハウスを受け取っていた。ここにあるのは女王様と下僕の構図、長年カーシャに尻を敷かれているルーファスの悲しい習性だった。
「行くぞ」
 すでにカーシャは玄関を出る寸前だった。
 カーシャの移動速度は異様に速い。だが、カーシャが素早く動いているのを見た者はこの世に誰も居ない。まさにミステリー。カーシャは謎多き女だった。

 ガイアと呼ばれるこの世界には魔法を使える者が普通に存在している。
 そして、このアステア王国には魔法を教える学校が存在する。
 この国には普通教育を九年間受けることが義務付けられているが、普通教育にプラスして魔法を学ぶこともできる。魔法教育を受けるかどうかは個人の自由だが、ほとんどの者はこの教育を受けている。
 九年間の義務教育を終えると、その上に専門各種の学校があり、試験などを受け授業料等を払い入ることができる。その中に魔導士と呼ばれる魔法を使い仕事をこなす職業に就くための学校ある。
 人々の病気を治す魔導士もいれば、天候を自在に操る魔導士、中には工事現場で石畳みの道路や建築全般に携わる魔法大工もいる。魔導士が生活に根付いているだ。
 ルーファスも魔導学園で九年間勉強したのちに、滑り込みでクラウス魔導学院と呼ばれるエリート学校に進学することができた。恐らくルーファスは人生の運を全てここに注ぎ込んでしまったに違いない。
 ルーファスは今そのクラウス魔導学院の事務室にいた。
「あのぉ~、ここの卒業生のルーファスというものですが、ちょっと用事があって来たんですけど?(何か意味も無くドキドキするなぁ)」
 ルーファスの応対に当たったのは二十代後半くらいの綺麗な女性だった。ルーファスいわくだが。
「(ルーファス……ルーファスってもしかして、へっぽこ魔導士ルーファス?)ルーファス様ですね。学園内に入るには腕に腕章を付けて頂く決まりになっておりますがよろしいですか?」
 この腕章は、来客を識別する以外にも騒ぎを起こそうとした者に罰を与えるための秘密が隠されている。
「あ、はい(この腕章知ってるよぉ~、あんまり付けて欲しくないな)」
「では、腕を出して頂けますか?」
 ルーファスが腕を出すと、女性はルーファスの腕に魔法を架けて、紅い腕章を作り出した。
「学院を出る際はここで腕章を解呪しますので、必ずここに戻って来てください」
「は、はい、わかりました。えっと、それから、ペットのネコも学院内に入れても平気ですか?」
「構いませんよ、ペットはそのままお入りください」
 学院内に入って行くルーファスにお辞儀をする女性の後ろで静かな声がした。
「ワタシにも腕章をしてもらおう」
 女性は思わずビクッとして後ろを振り向くと、そこにいたのは不敵な笑み爆発のカーシャだった。
「カ、カーシャ先生!?(な、何でこの人が!?)」
 カーシャは腕をさっと突き出した。
「早く」
「あ、あのカーシャ先生は学院内に入れるなと言われておりまして(ブラックリストのトップに名前が載ってる人がわざわざ正面から尋ねて来るなんて)」
「……宣戦布告……宣戦布告だ。表向きにはクビではなくて依願退職となっているハズだが?(せっかく教員どもにワタシが来たことを教えてやろうという心遣いだったのだがな……しかたない)」
 カーシャの手のひらがさやしく女性の目元を多く隠した。ふっと女性の意識が飛び、床にゆっくりと倒れてしまった。
「勝手にお邪魔させてもらうぞ(ふふ……教員ども待ってろよ……特に、ヨハン・ファウスト!)」

 魔導学院はただ今授業時間で、廊下は静けさに満ち、時折教室から生徒の声が聞こえる程度だった。
 廊下を歩くルーファスは、辺りをキョロキョロ見回しながら過去の痛い思い出に浸っている。
「懐かしいな(そう言えばここでローゼンクロイツの毒電波攻撃を受けて、腹痛を起こしたんだった……いい思い出少ないな)」
「悠長なことをいっているヒマはない……ワタシの不法侵入は既にバレている」
「!?(……いつの間にか横にいるよ)」
 ルーファスがビクッとして横を振り向くと、カーシャがルーファスの歩調に合わせて歩いていた。
「事務の融通が利かなくてな、腕章を付けていない」
「……ってことは?(教職員が侵入者を探してるってことか……侵入者がカーシャだって知ったら大変なことになるなぁ)」
 腕章を付けずに学院内に入ると、すぐさま学院内全体に張り巡らせれているセンサーの役割をしている魔法に引っかかり侵入がバレてしまう。
 廊下が急に騒がしくなった。怒号怒号怒号の足音。大勢が侵入者を探して走り回っているのだ。その足音を聞いた二人は近くにあった教室のドアを開けて乗り込んだ。
 急に扉を開けられた教師及び生徒一同の視線は、一気にカーシャとその配下(?)に注がれた。
 カーシャは生徒たちに片手の手のひらを向けて魔力を貯めているのを見せ付けた。
「動くな!」
 教室ジャックだった。生徒たちは動きを止め言葉を失う。だがこの場で一番唖然としてしまったのはルーファスだった。
「……な、何てことするの!? 人質取ってどうするの、私たちはただハルカを元に戻すために来たんでしょ、騒ぎを起こしてどうすんの!?」
「ふふ……ハルカのことは二の次だ(まずはワタシの復讐からだ)」
 この会話を携帯用ペットハウスの中から聞いていたハルカの表情が曇る。中からは外のようすが見えないので余計に不安が募る。
「(……もしかして、外はスゴイことになってるの?)」
 『もしかして』ではなかった。スゴイことになっていた。
 この教室にいた女教師は新米らしく、カーシャとの直接の面識はなかった。だが、この学院ではカーシャとそのオプションのことは有名で、この新米教師にも二人の侵入者が誰なのかがわかった。
「カーシャさん……あの物騒な真似はよしていただけません?(な、何でよりによってこの教室に……(泣)」
 新米教師就任以来最大の危機だった。
 カーシャが新米教師に視線をふと向け、生徒から気をそらした瞬間、生徒の一人がカーシャに向けて魔法で作ったエネルギー弾を発射した。だが、この場においての勇気ある行動は全体の命を危険にさらす。
 エネルギー弾はカーシャの手の甲によって軽く弾かれ教室の天井に穴を開けた。穴の空いた天井から見える青い空を見上げるカーシャの口元は歪んでいる。
「ふふ、ワタシに撃ったのはおまえか?(ピンクのブタの刑だな……ふふ)」
 氷のように冷たい目をしたカーシャは、彼女に魔法を放った生徒の瞳を見つめて、あることを念じた。
 すると見つめられた生徒の身体は見る見るうちに縮んでいき、その身体はピンクの短い毛で覆われて、周りの者たちが声をあげた時には、ピンクのブタに変身してしまっていたのだった。
「他にブタにしてほしいものはいるか?」
 生徒たちは一斉に首を横に振った。そして、なぜかルーファスもおびえた表情で首を横に振っていた。
 ちなみにネコになったハルカに人間になる魔法をかけることも可能だが、それは根本的な解決にはならない。
 カーシャのこの魔法は時間制限があり、時間が経てば元の姿に戻ってしまうのだ。それと見た目はピンクのブタであっても中身は人間であって、簡単に説明するとピンクのブタに〝見えているだけ〟なのだ。つまり、ハルカに魔法を架けても、人間に見えるネコでしかないのだ。
 壁の砕ける爆発音を聞きつけた男教師が教室に乗り込んで来た。この男、全身黒づくめである。
「うるさい! 私の授業を妨害するのは誰だ!(……カーシャ?)」
 教室に怒鳴り込んで来たのは、隣りの教室で悪魔召喚の実習授業を行っていた、ヨハン・ファウストだった。
 カーシャとファウストの間でピリピリした空気が流れている。しかも運の悪いことにルーファスは二人のちょうど真ん中に立っていた。
「(……ついてない)」
 そうルーファスはついてない。
 ファウストの身体からは目でもわかる黒いオーラが悶々と出ている。カーシャからも目には見えないが肌で感じられる冷たいオーラが出ている。まさにこの場は只今一色触発中だった。
 本能で今までにないほどの危険を察知した新米教師及び生徒たちは、そーっと、できる限りにそーっと、音を立てずに教室を出て行った。だが、この場に取り残された人物がいる。言うまでもないルーファスだ。
「(……な、何で私を置いてみんな逃げるのぉ~!?)」
 可哀想なことに、二人のトンデモさんに挟まれたルーファスは、身動き一つ許されなかった。
 不幸なことにルーファスが動けないということは、ペットハウスの中にいるハルカも動くことができない。しかも、ハルカには外の状況がわからない。
「(な、何、この嵐の前の静けさみたいなのは!? ヤナ雰囲気がするんだけど、ここから出してくれないかな……)」
 不安でいっぱいになるハルカ。だが彼女は無力だった……ネコだから。
 ネコでなくとも、この場では誰もが無力だった。
 沈黙を続けていたファウストの口が開かれた。
「ひさしぶりですね(まさか、ここで再びこの人に出会うとは)」
「ファウスト先生も相変わらず黒だな(腹の中身も真っ黒だ)」
 緊迫し、再び沈黙がはじまる――。
 カーシャVSファウストの構図がわかりやす~くできあがっている。
 その二人に挟まれてしまったルーファス+ネコ一匹。彼らは非常に焦っている。特に冷や汗をかいているルーファス、焦りすぎ。
「カ、カーシャもファウスト先生も仲良くしてください(巻き添えで殺される!)」
 空気がキン! と冷えた。カーシャの瞳は妖々と冷たく輝いている。
「ふふ、まだ……(まだ、何にもしてない)」
 ファウストの周りの空気が急激に圧縮され、一気に解き放たれることにより風が巻き起こった。教室に吹き荒れる強風にルーファスは反射的に顔を腕で覆った。
 強風で筆記用具が空を飛び、椅子がガタガタ揺れ動き、備え付けの机までがきしむ中、カーシャとファウストだけは平然と立っていた。しかも、ファウストは不適な笑みを浮かべている。
「私たちはまだ何もしていませんよルーファス。ねえ、カーシャ〝先生〟?」
 その場で身動きできないルーファスは思った。
「(思いっきりしてんじゃん!)」
 ルーファスのそんな思いなんてどうでもよく、新たな波が押し寄せようとしていた。そっちの方が大事だ。
 無表情でファウストを見ていたカーシャの眉がピクッと動いた。
「ファウスト先生。ワタシはもう〝先生〟ではない(……ワザとだな……ふふ、おもしろい)」
「なるほど、そうか今は先生ではなくて、ただの一般人だった、これは失礼。カーシャはここを〝クビ〟になってから非合法の魔導ショップをやっていらしたそうですが、今は営業停止らしいですね。困ったことがあるならいつでも相談に乗りますよ」
 そう言いながらファウストは鼻で笑った。いちいち突っかかる言い方で、完全のカーシャを見下していた。
 だが、ルーファスにしてみれば、二人は同じ穴のムジナ。どっちもどっちだった。
 今ここにいるムジナは互いのことを見下している。自分の方が格が上だと思っているのだ。そーゆー人種だった。
 部屋の空気が一層冷たくなったような気がする。――気のせいではないようだ。ここにいる巻き込まれちゃったルーファスはそれに気がついた。
「あ、あの~、……教室に霜が張ってるんですけど?(気温が零度切ってるってことでしょ?)」
 ガタガタと寒さと〝何か〟で振るえはじめたルーファスの言うとおり、教室の壁や床には霜が発生していた。その発生源は言うまでもないカーシャを中心にしてだ。
 カーシャの眉がピクッと動いた。その瞬間、床、壁、そして、天井から巨大な氷針が幾本も突き出した。
「はぶっ!(な、何!?)」
 ルーファスはあられもない声を上げて、紙一重で氷の刃を『つ』や『大』の字になったりして避ける。そして、氷に挟まれて『と』の字になって動けなってしまった。冷や汗も凍ってしまっている。
 カーシャとファウストは氷の刃が顔すれすれ数ミリのところを通るが、顔色ひとつ変えず身動きも全くしていなかった。
 氷が少しづつ溶けはじめた。この現象の中心はファウストだ。彼の身体から漆黒の炎がオーラとして放たれているのだ。
 嫌な戦い方だ。微妙でネチネチしているし、直接攻撃は微妙だがまだない。だが、ファウストがついに仕掛けた。
「そうだ、カーシャに貸した一〇〇〇ラウル返して貰ってないのですが、返済期限が切れているのはご存知でしたか?(契約の名のもとにカーシャを冥府に送ってさしあげますよ……クク)」
「一〇〇〇ラウル、知らんな(……チッ、覚えていたのか)」
 カーシャは確信犯だった。確実に借りたお金を踏み倒す気だったらしい。
「シラを切っても意味はありませんよ。ここにちゃんと契約書があります(シラを切るのは予想済みだ)」
 そう言ってファウストは、どこからともなく契約書を出し、カーシャに見せ付けた。それの一節にはこう書かれている、『契約を破った場合は魂を持って償う』と。それはつまり、契約を破ったカーシャは殺されるということだった。
 契約書を見たカーシャはしばし沈黙。
「…………(焼くか)」
 沈黙して考えた結論はわかりやすかった。『焼く』、つまり、契約をなかったことにする気なのだ。
 カーシャの右手が凄いスピードで動いた。
「ルーファス避けろ!」 
「えっ!?」
 いきなり避けろと言われても、そう避けられるものでもない。
 カーシャは声と同時に炎の玉を放っていた。それは契約書に向かって放たれたものだったのだが、途中の障害物に見事ヒット!
「あちぃ~っ!」
 ルーファスが炎上。炎の玉はルーファスの服に引火してしまった。すぐさま彼は床にへばりついた。それはなぜか? 床は氷が溶けて水浸しになっていたからだ。
 シュ~っという音を服から立てながら立ち上がるルーファスを見てカーシャが小さく呟いた。
「チッ……外したか(契約書を燃やしてしまおうと思ったのだが)」
 言うまでもないが、カーシャは自己中である。
「契約書を燃やそうとしましたねカーシャ? そういうことをする悪い子はお仕置きですね(クク……悪魔でも呼び出しましょう)」
 悪魔の笑みを浮かべるファストの持つ契約書が風もないのに揺れた。それも激しく、激しく揺れ、中から巨大な影がこの世界に召喚された。
 契約書の中から現れた悪魔は、赤黒い身体を持ち、丸まった背中から漆黒の翼を生やしており、金色の目でカーシャをギロギロと見ていた。
 危険を察知したルーファスはしゃがんだ。彼の判断は正しかった。カーシャの口元が歪んだ。
「ホワイトブレス!」
 氷系の高位魔法をぶっ放した。カーシャは教室内で強力呪文をぶっ放したのだ。
 一般に使われる魔法であるレイラ・アイラに関しては魔法を発動させる際に、その魔法の名を言う必要は基本的にないが、それ以外の魔法――ライラに関しては魔法を発動させる際に魔法の名前や詩を口に出す必要がある。そのことからライラは別名『神の詩』と呼ばれている。
 今カーシャが放ったのは正真正銘のライラだった。
 ブォォォッッッ! 濃縮された吹雪が悪魔に直撃して、悪魔が凍る。おまけにルーファスの心も凍る。
「カ、カーシャ! 何すんだよ!(死ぬかと思ったぁ~!)」
 だが、ルーファスの言葉にカーシャは何の反応も示さず、その場から消えた。次にカーシャが現れたのは凍ってしまって身動き一つしない悪魔の目の前だった。
「ふふ、儚く散れ!」
 カーシャの回し蹴りが悪魔に炸裂! 粉々に砕け散る悪魔。砕け散った氷が煌くその先でファウストは微笑していた。
「なかなかやりますね。ですが、カーシャが死ぬまで悪魔はいくらでも出ますよ。早く一〇〇〇ラウル返した方が身のためですよ(私としては、この方がおもしろいですがね……クク)」
「一〇〇〇ラウルなんて借りた覚えはない!」
 カーシャはきっぱりはっきり断言した。『嘘は認めたが最後』これがカーシャの信条なのだ。
 契約書が激しく揺れ、中からたくさんの影が召喚された。
「覚悟なさいカーシャ!」
「ヤダ」
 室内は只今、ホラーハウス状態。悪魔で満員だった。
 カーシャ逃げる準備OK。
「逃げるぞルーファス!(流れ解散~っ!)」
 カーシャは自らに運動能力を一時的に二倍にするクイックという魔法をかけて走り出した。ルーファスも逃げる必要はないように思えるが、クイックで逃走。
 廊下を走り抜けるカーシャとルーファス。
 ルーファスが走ると、持っているペットハウスが激しく揺れる。中にいるハルカは当然ご立腹。
「ルーファス、もっと丁重に運んでよ!(……ったく、何が起きてるのよ?)」
「ハルカごめん、追われてるから」
「(追われてる?)」
 廊下を走る二人の後方からは大勢の悪魔が追いかけて来ていた。
 カーシャは後ろの悪魔に向けて魔法を連発。廊下の壁や床は大変なことになるが、悪魔の数はいっこうに減らない。
 外の大騒ぎに気づいて教室にいる生徒たちは廊下の外を見るが、皆直ぐに見なかったことにする。なぜならば、悪魔たちを従え先頭を走っているのがファウスト先生だったからだ。この先生がすることに関わってはいけない。これがこの学校を無事に卒業するための暗黙のルールだった。
 ルーファスたちを捕まえようとしているのはファウストだけではなかった。彼らの名は風紀委員。学校の風紀を乱す者を罰するのが役目である、生徒たちの集まりだ。
 風紀委員がルーファスたちの前に立ちはだかる。その数一〇名ほど。
「止まりなさい!」
 風紀委員が叫ぶが、当然カーシャの性格を考えればわかるが、止まるわけがない。しかも、今日のカーシャはご機嫌だった。
「ふふ、おもしろい……今度はピンクのうさぎしゃんだ!」
 カーシャは風紀委員たちを鋭い目で〈視た〉。魔力のこもった魔瞳で見つめられた風紀委員は次々にうさぎしゃんのぬいぐるみにその姿を変えていった。しかも、このうさぎしゃんのお人形、動いてしゃべることもできるらしい。
「うわぁ~、にげろぉ~!」
 プリティなピンクうさぎしゃん人形は、ピョコピョコ歩いているのだが走っているのだがわからないような動きで逃げていった。
「ふふ、カワイイ」
 カーシャはうさぎしゃん好きである。自分より魔力の弱い者であれば簡単にうさぎしゃんに変えられてしまうのだ。
 後ろからはファウストが引き連れる悪魔たちが追いかけて来ている。その数は明らかに増えていた。
 カーシャが突然立ち止まり後ろを振り向いた。ルーファスもちょっと先で立ち止まりカーシャを見つめた。
「どうしたの?(聞くまでもないような気がするけど……)」
「逃げていてもラチがあかない……ふふ、殺るぞ(力を使う時が来たな)」
「やるって、手荒なマネは止めた方がいいと思うけどなぁ(って言っても無理か)」
「ふふ……(滅却)」
 滅却ってカーシャは何する気なのか!
 カーシャは自分の両耳にしていた蒼い宝玉イヤリングを外した。刹那、カーシャの身体が蒼白き光を発しはじめた。その輝きは冷たく辺りを包み込み気温をぐっと下げる。
 そして、カーシャの瞳は黒から蒼に変わり、唇は赤から紫に変り、髪は漆黒から白銀に変わっていった。ルーファスは驚愕した。
「何で、その力を使えるの!?(だって、その力を使ったら、カーシャは!?)」
「ふふ、だいぶ休養したからな。ワタシはチカラを取り戻した!」
 氷の魔女王がここに復活した。
 走るようにして廊下が凍りつく。カーシャを追いかけて来ていた悪魔たちも次々と凍りついていく。その中でファウストだけが漆黒の炎を身にまとい平然と立っている。
「ほう、カーシャの真のチカラですか、それは?(……少々厄介だ)」
 カーシャ砲撃準備OK!
 マナがカーシャの身体に集められていく。――もう誰も止められないのか?
「カーシャいい加減にしてよ!」
 ドゴ!
「あうっ!」
「ぐっ!」
 ゴォォォッッッーーー!
 何が起きたか説明しよう。まず、カーシャは学院ごとふっ飛ばすくらいのマナを溜めて撃とうとした。それをルーファスが止めた。その止め方というのが、持っていた物でカーシャをぶん殴ったわけなのだが……持っていた〝物〟、そうペットハウス。ルーファスペットハウスでカーシャを殴る。その時の効果音が『ドゴ!』、そして、ペットハウスの中にいたハルカが『あうっ!』と叫んで気絶。殴られたカーシャは『ぐっ!』と言ってバランスを崩しバタンと床に倒れた。撃とうとしていた魔法は中途半端なまま、天井を突き破り上空に放たれた。以上説明でした。
 床に大の字で倒れたカーシャの髪の毛の色は元に戻っていた。打ち震えるカーシャは何かを小声で言っている。
「……ル……ファス……(死!)」
 気迫とともに立ちがるカーシャ。その目はキレていた。
 氷ついた廊下に残されたファウスト&ルーファス&一匹。緊張が張り巡らされる。
 無言でお得意の不適な笑みを浮かべるカーシャの手が動いた。動いた! 動いた! そしてまた動いた!
 カーシャの手から放たれる氷の刃がそこら中に突き刺さる。ルーファスは紙一重で避けるが、明らかに刃はルーファスに向けて放たれている。
「カ、カーシャ、落ち着いて!(殺されるぅ~)」
「ふふ……(死!)」
 キレちゃったカーシャの容赦ない攻撃は続く。狙われているのはルーファス。ファウストはただ見ているだけで何もしようとしない。
「(クク……おもしろい光景だ)」
 この人は心の中で楽しんでいるようだ。
 氷の刃に追われ逃げるルーファスは、凍りついた廊下をツーッと滑りファウストの前まで来て助けを請う。
「ファウスト先生助けて!」
「私に助けを請うか……契約を交わすならよかろう」
「ええ、助けてくれるならなんでも(……いや、何でもはマズイ、この先生と契約を交わすのはマズイかも)」
「よかろう、私がおまえを助ける代わりに、ハーピーの羽を代償とする。これが契約書だ」
 ファストはどこからともなく契約書と羽ペンを出し、ルーファスに突きつけた。
「(ハーピーの羽か……)」
 ハーピーとは海に棲む鳥人で、その美しい歌声で船乗りたちを惑わす怪物だ。この羽を取って来るのはなかなかの至難の業である。だが、カーシャから身を守ると考えると安い物だった。
 ルーファスは羽ペンを受け取り、契約書にサインをした。
「クク……契約成立だ。契約を破った場合は命を代償とするから覚えておけよ」
 実際はルーファスの寿命は少し伸びただけかもしれない。だがルーファスには選択の余地はなかった。
 カーシャは口元だけ笑っていて、あとは無表情というカーシャスマイルを炸裂させながら、ゆっくりとルーファスの元へ歩み寄って来る。
「ルーファス、ワタシを殴った罪は重いぞ(……ふふ、こ~んなことや、あ~んなこと、そ~んなことをした挙句にピンクのクマしゃんに変えてやる!)」
 善からぬことを考えるカーシャの口元はいつも以上に歪んでいた。だが、ルーファスがあの時カーシャをぶん殴っていなければ、死傷者が多数出たことは明白な事実だった。
 ルーファスをさっと押しのけファウストが前に出た。
「契約の名の元にカーシャ、あなたを冥府に送って差し上げますよ(THE ENDですよ)」
「ふふ、なかなか言うなファウスト。おもしろい……ワタシに勝てる気なのか?(こいつはピンクのチンパンジーの刑だ)」
「勝てない勝負はしませんよ(歳を誤魔化しているような、おばさんには負けはしませんよ)」
「それは奇遇だ。ワタシも勝てない勝負はしない主義だ(黒づくめの服から心の中まで真っ白に凍らせてやる)」
 先手必勝、カーシャが最初に仕掛ける。彼女の身体から、レイビームと呼ばれる魔法が放たれた。
 レイビームは白く長い帯のように幾本も発射され、蛇が身体をくねらせるようにしてファウストに喰らいつくが如く襲い掛かる。
 ファウストは魔法で防護壁を作りそれを難なく防ぐ。この時点では互いに本気を出していない。レイラとアイラと呼ばれる簡単な魔法しか使っていない。
 だが、今度はファウストが仕掛けた。しかも、ライラと呼ばれる強力魔法で――。
「ダークフレイム!(魂をも焼き尽くせ)」
 漆黒の炎が渦を巻きカーシャに襲い掛かる! カーシャはそれを魔法を放って打ち返そうとする。
「ライトクロス!(小癪な!)」
 雷光が漆黒の炎を突き抜けかき消し、そのままファウストに襲い掛かる! だが、ファウストは臆することなく呪文を唱える。
「デュラハンの盾!(甘いですよ)」
 雷光は魔法壁に弾かれ廊下の壁を突き抜けどこかに飛んでいってしまった。きっと、どこかで被害者が出たに違いない。
 二人の戦いは終わりそうになかった。――だからルーファスはそーっと逃げることにした。この時ばかりはカーシャ以上の忍び足で――。
 後ろから爆発音が聴こえ、爆風が背中を強く押すが、ルーファスは決して振り返らなかった。何が起ころうとルーファスはもう他人のフリ、巻き込まれるのはごめんだった。
 ルーファスがいなくなったことにも気づかず、二人の戦いは加熱し続く。だが、ルーファスには関係ないことだ。彼はもう自由と言う世界に羽ばたいたのだから。
 戦場(カーシャVSファウストの現場)から、そーっと逃げ出したルーファスはある先生の研究室のドアの前に立っていた。その横には携帯用ペットハウスから出たハルカがいる。
 ルーファスが魔導学院に来た理由はハルカを元の姿に戻すことと、元の世界に戻すための手がかりを見つけるためである。カーシャは暴れに来るのがメインだったみたいだが、ルーファスは断じて違う。
 目の前にあるドアに思いを馳せるルーファス。ドアフェチなのではなく、思い出があるからだ。
「学生時代ここのドアを壊して、パラケルスス先生のホムンクルス盗みに来たんだよ(あの時は大変だった)」
「器物破損に窃盗、ルーファス昔はワルだったの?(意外だなぁ)」
「ち、違うよ! ドア壊した(蹴破った)のはローゼンクロイツっていう私の友達だし、ホムンクルスを盗んだのも理由があって、カーシャに盗むように言われたから……」
 昔からルーファスはカーシャにいいように使われていたらしい。つまり、学生時代からルーファス<(小なり)カーシャの構図ができていたということだ。ルーファス、かんばれ!
「ところで、そのホムンクルスって何?」
「ハルカを元の身体に戻すことができるかもしれない魔導具、詳しくは中で話すよ」
 コンコンとノックをしてルーファスは部屋の中に入った。
「失礼します」
 とお辞儀をして、ルーファスが顔を上げるとそこには初老の男が立っていた。
「おお、ルーファスか、ひさしぶりじゃな」
 笑みを浮かべる老人にルーファスは近づき握手をした。
「おひさしぶりです、パラケルスス先生」
「魔導の勉強は今もちゃんとしているのかね?(実力ならば、学院でもローゼンクロイツの次じゃったからな)」
「もちろんです、でもまだまだ力不足で苦労してますけど……」
 そう言ってルーファスはドアのところにちょこんと座っているハルカを見た。
「あのネコがどうかしたのかね?」
「それがですね……。ハルカちょっと来てくれるかな?」
 しなやかな足の運びでパラケルススの前まで来たハルカは頭をちょこんと下げて挨拶をした。
「こんにちわ、ハルカっていいます」
 パラケルススはハルカをじーっと〈視て〉それが何であるのかを言い当てた。
「ふむ、今はネコの姿をしているようじゃが、マナは人間のものじゃな? どういうことか説明してくれないかね?」
 ――ということでルーファスは、ハルカを異世界から召喚してしまったことから、終いにネコになってしまった経緯を全部一通り話して説明した。
 初老のパラケルススは深くうなずいた。
「それでわしは何をすればよいのじゃ?(察しはついておるがの)」
「先生にはハルカのホムンクルスを作って貰えないかなと……?」
 ハルカも熱い眼差しでパラケルルススを見ている。だが、ハルカはホムンクルスがなんだかわかっていない。
 期待は裏切られると大きなショックを受ける。
「この子のホムンクルスを作る材料が一つだけ手に入らんでな。ホムンクルスは作れんのじゃ」
「ああ、やっぱり(肉体が滅びてるもんね)」
「ええ~っ!」
 ハルカだけショック!
 ショックは受けたが、まだハルカはホムンクルスがなんだかわかっていない。
「ところでホムンクルスって何?(なんとなく話合わせてたけど)」
「え~と、ホムンクルスっていうのは……先生、説明お願いします」
 ルーファスは困るとすぐに近くにいた人を見つめて助けを請う習性がある。助けを求められたパラケルススは大きなガラスの筒を指差した。
 部屋に幾本もあるガラス管の中は液体のような物で満たされ、下から小さな気泡が上へ上がっている。そして、時折大きな泡が人の形をした物の口から吐き出される。
 ホムンクルスを見たハルカは至極もっともな見たまんまの質問をした。
「人間?(人体実験!?)」
「あれがホムンクルスじゃ。簡単に説明すると人間の形をした入れ物じゃな」
 人間の入れ物と説明されて、ハルカようやく納得。
「ああ、なるほど。そのホムンクルスでアタシの身体を作って入るのか……でも、アタシのホムンクルスを作れないってどういうこと?」
 ルーファスは最初からわかっていたらしく、簡単な説明をはじめた。
「ハルカのホムンクルスを作るには、ハルカの肉体の一部が必要なんだよ。でも、肉体はもうないからね(パラケルスス先生ならどうにしてくれると思ったけどやっぱり無理みたいだな)」
 ハルカショック!
「やっぱり、人間に戻れないの? あのさぁ、今思ったんだけど、ネコじゃなくってそっちのホムンクルスに移してくれるかな?(人間の方が動きやすいし)」
「それは止めておいた方が無難じゃな」
 ハルカの意見はパラケルススに即答で弾かれた。ちょっと納得のいかないハルカはパラケルススに詰め寄った。
「どうしてなの?」
「マナ移しの儀は大変難しい魔術でな、移された本人のマナに過度の負担を与え、それに加え君をネコの身体に移せたのは奇跡に近い。つまり、何度もマナ移しの儀をすることはお勧めできないのじゃ」
「そうなの?(ってカーシャさんは簡単にやってのけたけど、もしかしたら失敗してかかもしれないってこと……ってことよりも、だったら最初から人間の身体に入れてくれればよかったのに!)」
 人間の身体ではなくネコの身体に入れたのはカーシャの趣味と言えばそれで終わってしまうが、本当の理由は急を要していて、完全な状態で保存してある肉体がネコと出目金しか手元になかったからだ。完璧な保存状態でない肉体を使うと儀式に失敗する可能性が高くなる。
 もうハルカは大ショックだった。人間には戻れないし、元の世界にも帰れないし……。最悪を極めている。
「もう、一生この世界でネコとして暮らすのか……(お母さんとお父さん、友達……みんな心配してるよね)」
 目に涙をにじませるハルカを見てルーファスは何も言えず、パラケルススは何か言い方法がないかと一生懸命頭を悩ましている。
「髪の毛一本でもあればよいのじゃが……」
 パラケルススの言葉を受けてルーファスが意識せずにハルカに止めを刺した。
「私の家は全部一度倒壊してしまったから、髪の毛すら残ってないな……」
 ハルカ的大ショック! ルーファスの発言、それは絶対人間に戻れません宣言をハルカに突きつけたのと同じだった。
「(どうせ、アタシは一生ネコのまま……)でも、せめて元の世界に戻りたいな……元の世界に……元の世界のアタシの部屋だったらアタシの髪の毛一本くらい落ちてるかもしれないけど?(望みは薄いけど)」
 ワラをも掴むような発言だった。
 たしかに髪の毛一本くらいなら落ちてるかもしれない。元の身体に戻る手立てが絶たれてしまった以上、今は元の世界に帰ることだけでも……ネコのままで?
 ルーファス&ハルカはいいアイデアをもらうべく、パラケルススの方を同時に振り向いた。
「ハルカを元の世界に戻す方法ありませんか?」
「お願いします!」
 お願いされてもとパラケルススは困ってしまった。パラケルススは今学院の教頭をやっているほどの魔法の使い手だ。しかし、それでもできないことは山とある。魔法は万能ではない。
「わしにもこの子を元の世界に送り返す手立てはわからんな。普通の召喚だったらできるだろうが、どこの世界との知れない住人となれば話は別じゃ」
「ルーファス帰ろ。パラケルススさんありがとうございました」
 ガックリと肩を落としたハルカは重い足取りで部屋を出て行ってしまった。
「待ってよハルカ!」
「力になれんで悪いな」
「いえ、ありがとうございました」
 ルーファスはパラケルススに頭を下げて急いでハルカを追った。

 騒がしい廊下を一匹とぼとぼと暗い影を背負いながら歩いているハルカ。その後ろからペットハウスを持ったルーファスが追いかけて来た。
「ハルカ待ってよ!」
「お腹空いちゃったよねぇ~(はぁ、アタシにはどうしょーもないもんね、考えるだけ無駄、無駄)」
「お腹空いた? まだ夕飯には時間あるけど?」
「わかってないな、まあルーファスは鈍感だから」
「私が鈍感?」
「いいの、気にしない気にしない。人生もっと明るくいかなきゃね!(周りに励ましてもらおうなんてダメだよね。自分が明るくならなきゃ)」
 とその時突然、ドカ~ンという轟音が響き、天井が崩れ落ちて来て、青空とそこを飛ぶ何かが見えた。
「「あっ」」
 二人の声が重なり、二人の目線は同じ方向に向けられていた。
 青空を飛び交う二つの物体。よ~く目を凝らして見るとそれがなんだかわかって来る。カーシャとファスト。
 口をポカンと開けながらルーファスは他人事のように呟いた。
「まだ、戦ってたんだ(そうだ、ハーピーの羽取りに行かなきゃ)」
「ペットハウスの中にいてイマイチ状況がわからなかったけど……あんなことになってたんだ」
 息をひと吐きしてルーファスは上空で起きていることを見なかったことにした。
「さてと帰ろうか(他人のフリ)」
「そうだね(他人のフリ)」
 ここでまたカーシャに関わるとロクなことがないと判断した二人は足早に学院をあとにすることにした。
 学院を出る前に事務室に行って腕にした腕章を取ってもらわなくてはいけない。
「あの~、腕章取ってもらえませんか?」
 ルーファスの呼びかけで出て来た事務のお姉さんは最初に会った人とは違った。最初の事務員はまだ意識を失って倒れている。
「騒ぎが治まるまで、誰も学院から出さないようにと言われていまして……」 
「でも私は無関係だし、早く家に帰りたいなぁ~、なんて……(本当は無関係……じゃないけど)」
 たしかにルーファスは無関係とは言いがたい、ルーファスは先ほどまで事件の中心にいたのだから。
 できる限り早くここから逃げたいルーファスは事務員になんども詰め寄るが、事務員は決して首を縦には振ってくれなかった。そこにある人物が姿を現した。
 空色の生地に白いレースをあしらったドレスを着た美しい女性がルーファスを無表情で見つめた。お嬢様オーラが全身から出ている。
「へっぽこルーファスひさしぶり(ふにふに)」
 ゆったりとした口調で、透き通るような、そこに無いような声色だった。
 この空色のドレスを着ている人物は、ルーファスの三歳ごろからの知り合いのクリスチャン・ローゼンクロツ(♂)。そう、見た目と声質はお嬢様だが男である。
 ローゼンクロイツは事務員に近づくと身分証明書を提示した。そこには国務執行官、それも執行官長と書かれていた。
 国務執行官とはこの国のエリート中のエリートがなれるという職業であり、犯罪の取締りから他国との外交などなど、国務の中でも現場に赴く仕事を中心にするエリート集団である。
 事務員は慌てた様子で背筋をピンと伸ばした。
「存じております。最年少で国務執行官長になられたローゼンクロイツ様ですね(本学在校中は手におえない問題児の天才魔導士だったって聞いたけど……)」
「そこにいるへっぽこ魔導士ルーファスは、ボクの方で身柄を拘束することになったから連れていくよ?(ふに?)」
「あ、はい、どうぞ」
 機械のような正確な歩調でローゼンクロイツはルーファスの前まで来ると、ルーファスの腕に付いていた腕章を手でなぞるようにして簡単に取ってしまった。
「行くよ(ふあふあ)」
 と言ってローゼンクロイツはルーファスの腕を掴んだ。
「え、何? 捕まったの?(犯罪者なの?)」
「……拘束(ふっ)」
 この言葉を発した一瞬だけ、冷めたような目をして、口元だけが少し歪んだ。ルーファスを少しバカにしているような態度だった。そして、すぐに無表情に戻る。
 ペットハウスの中にいるハルカはやはり外の状況はイマイチわからない。
「(ルーファスが身柄拘束!? えっ、もしかしてアタシも連れて行かれるの!?)」
 ローゼンクロイツに腕を捕まれて、ルーファスは唖然とした表情を受けべてしまっている。たしかに連れて行かれる心当たりはたくさんある。が、どれが理由で連れて行かれるのかわからない。
「あ、あのさ、何で私がローゼンクロイツに連れて行かれなきゃいけないの? いや、心当たりは山とあるけど……(これとか、これとか……ホントに数え切れない)」
「学院を出てからゆっくり話そう(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。これはローゼンクロイツのクセのようだ。
「拘束って? 私は犯罪者扱いなの?(たしかに……否定はできないけど)」
「……それはどうかな?(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。
「な、なんなのその意味あり気な表情は!?(どれで捕まるのか……ライラの写本盗んだこと、住宅街吹っ飛ばしたこともあったな……)」
「行くよ、ある意味力ずくでね(ふあふあ)」
 ローゼンクロイツの腕が何かを振り払うような動き――正確には何かを飛ばすような動きをした。その手から光のチェーンが放たれルーファスの首に巻きついた。
「……捕獲完了(ふにふに)」
 ぐぐっと首輪のひもを引っ張られてルーファスは強引にローゼンクロイツに連れて行かれる。
「あ、待って、何で、何で連れて行かれるの?」
「……どうしだろうね?(ふに?)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。
 ズルズルと引きずられていくルーファスとローゼンクロイツに事務員は深くお辞儀をして見送った。
 心当たりはあるものの結局のところわけのわからないまま、ルーファスはローゼンクロイツに首輪を引っ張れれて学院の外にある噴水広場まで連れてこられてしまった。
 学院から離れるとどっかの誰かさんたちの戦いが手に取るようにわかったりする。バ~ン! ど~ん! ドォォォッ! ぴゅるる~っ! 上空では激しい戦いが繰り広げられている。
 勇敢な人々が二人を捕まえようとしているみたいだが、ピンクのうさぎしゃんのお人形が上空から落下している。もう二人は誰にも止められないのか?
 目を凝らしてルーファスが学院上空で繰り広げられている激闘を見ていると、突然グッと首輪が引っ張られた。
「はぶっ!(苦しい)」
「よそ見してると引っ張るよ(ふーっ)」
 言うことを聞かない飼い犬の鎖を引っ張るような態度のローゼンクロイツ。しかし、言い方はゆったりとした口調で、ふあふあ~っとしていて、しかも無表情だった。
 首元を摩りながらルーファスはローゼンクロイツのことを横目でチラッと見た。
「引っ張る前に言おうよ、そういうことは(ホントに首絞まるかと思った)」
「えっ、ウソ!? 引っ張った前に言ったつもりだったのに、手の方が早く動いたらしい……自分の身体能力に驚き(ふにふに)」
「そういう原理なの?(今、自分でもよくわからない発言しちゃったよ)」
 ペットハウスがガタガタと揺れた。ハルカの外に出してよコールだ。ルーファスはしかたなくペットハウスを石畳の上に降ろして扉を開けた。
 ペットハウスの中から出て来たハルカは前足を伸ばして伸びをしながら欠伸をした。このポーズはいわゆるヨガとかでいうネコのポーズってやつ?
 ぶるぶると身体を震わせ姿勢を正したハルカとローゼンクロイツの目線が重なった。
「(思いっきり見てるよこのお嬢さん風の人)」
 ハルカはローゼンクロイツが男だということを知らない。
 全てを見透かしてしまいそうなエメラルドグリーンの瞳がハルカを見つめる。見つめられるハルカはあることに気づいた。ペンタグラム(五芒星)の形――ローゼンクロイツの瞳にはペンタグラムが映っていた。
「(変わった瞳……?)」
「キミ、ボクの瞳のこと変わった瞳だなって思ってる顔しているよ(ふあふあ)」
「(げっ、何でわかったの?)」
 なぜわかったかという以前にローゼンクロイツがネコに普通に話しかけている光景の方が問題あると思うが……?
 もしかして、ローゼンクロイツはハルカが本当は人間だということをそのペンタグラムの瞳で見透かしているのか!?
 ローゼンクロイツは異常なまでに鋭い、もしかしたら人の心が読めちゃうのではないかとルーファスは考えている。で、ルーファスはすばやく行動に出た。
「あのさ、ところで何で私が連行されなきゃいけなかったの?(話を反らせよう作戦発動だ!)」
 これ以上ハルカに興味をもたれるのはマズイと思い、ルーファスはローゼンクロイツの気を反らせることにしたのだ。
「そうだ、忘れてた(ふにゃ)」
「そうだよ、私が連れて行かれる理由を話してくれなきゃ(……どうやら、話がコッチに来たぞ)」
「これ人間(ふあふあ)」
 衝撃の一言にルーファスショック! ローゼンクロイツの指差した方向には百歩、いや千歩譲ってもハルカがいた。
 話をうまく反らせたと思っていただけにルーファスのショックは一入だ。
「え、何が?(何でわかるの?)」
 何でわかるのと聞くまでもない。高位の魔導士であればハルカが人間であることをマナを感じて、もしくは〈視る〉ことによって簡単にわかってしまう。現に魔法剣士エルザやクラウス魔導学院教頭パラケルススもすぐにハルカが人間だとわかったではないか。
「……これでも国務執行官長だから(ふん)」
「……そうだよね」
 そうです。ローゼンクロイツは学院生時代はルーファスとは違って自他ともに認める学院でも一、二を争う魔法の使い手。そんな人がハルカが人間であることを言い当てないはずがなかった。
「それはさておき、何でボクがここに来たのか、そしてなぜルーファスを捕まえたのか聞きたいよね?(ふあふあ)」
「(さておいちゃうの?)だから、ず~っと何でか聞いてるでしょ?」
「えっ、ウソ!? そうだったの!?(ふにふに)」
 今まで見せなかった驚いた表情というものをしてすぐに無表情に戻る。これで彼の表情パターンは三パターン披露された。
「ずっと言ってたでしょ?(人の話聞いてないなぁ~)」
「……冗談(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。この発言にルーファスは思わずまぬけな表情をしてしまった。
「はい?」
「ず~っと言ってたの知ってるよ(ふっ)」
 二人の会話を近くて見て聞いているハルカは思った。
「(この人もしかして、性格悪い? てゆーか電波系って感じ?)」
 とハルカが心で思った瞬間ローゼンクロイツがハルカを一瞬見て、無表情な顔についた口が一瞬だけ歪め、すぐに無表情に戻した。
「そんな不思議な知的生命体を見るような目でボクを見ないでよ(ふにふに)。あ、そんなことより、ボクがルーファスを連行した理由だったね。うん、二割引バージョンで手短に話してあげるよ。あれ(ふにふに)」
 ローゼンクロイツの指の先――上空では今もどっかの誰かさんたちが激しい戦いを繰り広げていて、時折、黒き炎や氷柱が地面に飛来していた。下にいる人々は大惨事、とんだとばっちりだ。
「本当はあれらを連行するように言われたんだけど……こっちの方が気になってね(ふにふに)」
 そう言ってローゼンクロイツはハルカを見た。見られたハルカは一瞬ビクっとして後退り、身を縮めた。
「(あの瞳ちょっと不思議で恐い感じがする)」
「えっ? 私を連行したかったわけじゃないの?(……会ってすぐにハルカのことバレてたのかな?)」
 てっきり捕まるのだと思っていたルーファスはちょっと拍子抜けしてしまった。
「学院で暴れてる奴を連行するように言われたけど、このネコの方がおもしろそうだったからね(ふあふあ)」
 そう言ってローゼンクロイツは普段は絶対見せることのない笑顔を浮かべてハルカに手を差し伸べた。でも笑顔はすぐに無表情へと変わる。
「ボクの名前はクリスチャン・ローゼンクロイツ。キミの名前はなあに?(ふあふあ)」
「アタシの名前はハルカ。今はネコだけど本当は女の子で、こんなことになったのも全部コレせい!」
 びしっとばしっとずばっと、ハルカは前足をルーファスに指した。
「ええっ、ネコになったのはカーシャのせいでしょ?(……たしかに召喚しちゃったのは私だけど)」
「でも、ほとんどはルーファスのせいだもん!」
「うっ……(痛いとこ突くなぁ)」
 クリティカルヒット! ルーファスは図星を突かれて精神的ダメージを受けた。
 空色のドレスの裾を揺らしながら、機械のような正確な九〇度回転をしたローゼンクロイツは肩越しから二人を見て、
「じゃあ行くよ(ふにふに)」
「どこに?」
 ルーファスは至極もっともな質問をしてしまった。それに対してローゼンクロイツは無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、鼻で笑ってすぐに無表情に戻した。
「……ハルカとゆっくりお話がしたいから、ボクについて来て欲しいな(ふにふに)」
「えっ、でも、カーシャを捕まえに来たんじゃないの?」
「……えっ!? そうなの!?(ふにゃ!?)」
 すごく驚いたような表情をして、やはりすぐに無表情に戻る。そして、一言呟く。
「……ウソ(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。
「あの、でも仕事しないのはダメなんじゃないんですか?(……国務執行官とか言ってたけど、こんな人が国務なんてできるのかな?)」
 ハルカがこう聞くとローゼンクロイツはペンタグラムの瞳でハルカの瞳を見透かしてしまったた。
「……職場放棄(ふっ)。大丈夫、一時間もすれば別のひとが来るから。でも、それまで学院が残ってたらいいけどね(ふにふに)」
 無表情でとんでもないこと言うローゼンクロイツの瞳は尚もハルカの瞳を見つめ、何かを言いそうな雰囲気だった。だが、彼は何も言わなかった。
 ローゼンクロイツはスカートのふあふあレースをふあふあさせながら機械のような正確な歩調で歩いていってしまった。
 一瞬その場で立ち止まってしまっていたルーファスとハルカはすぐに歩き出しローゼンクロイツの背中を追った。
 すぐにローゼンクロイツの横に追い着こうとした二人だったが、ローゼンクロイツの移動速度は異様に速かった。だが、彼は普通に歩いている、それなのに追い着けない。ローゼンクロイツと二人の間には絶対的な何かがあるかのように思えた。
 今まで一度も足を止めなかったローゼンクロイツが突然足を止めた。それでようやく追い着くことのできたルーファスは呆然と立ち尽くしてしまっているローゼンクロイツの横顔を見た。
「どうしたの? こんなところで立ち止まって?」
 辺りは家々の立ち並ぶ住宅街だった。人通りはなく、静かだ。
「……道に迷った(ふあふあ)」
 衝撃発言だった。
 後ろからやっと追い着いて来たハルカは、息を切らせながらローゼンクロイツを見上げた。
「道に迷ったって、アナタが前歩いてたんでしょ?」
「……冗談(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。ちょっと小ばかにされたような感覚をハルカは覚えた。
「ローゼンクロイツさんって性格悪いですよちょっと!(ホントはちょっとどころじゃないけど)」
 こんなふうにちょっと強い態度で出たハルカに、思わぬ精神的攻撃がローゼンクロイツから繰り出された!
「……ペチャパイ(ふっ!)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。ちょっとローゼンクロイツは頭にきたのかもしれない。
「ペチャパイって何で知ってるのよ! ネコのアタシ見て何でそう言い切れるの!(……どーせ、アタシは胸ないけど、こういう言い方されると腹たつなぁ~!)」
 必要以上に反論してしまったハルカに無表情のローゼンクロイツの一言が繰り出される!
「……推測(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。
「推測で言わないでください!(当たってるけど)」
「……ウソ(ふっ)。今はネコの身体かもしれない、見た目はネコかもしれない。でも、その中に入っているマナの形は変わらない、ボクにはそれが〈視える〉から、キミがペチャパイだってわかった。つまり、ペチャパイはネコに入ってもペチャパイなわけで、ペチャパイはペチャパイのままで、つまりキミは今もペチャパイ」
「ペチャパイ、ペチャパイうるさい!(まだまだ、発展途上なんです!)」
 と、ここでハルカの頭にあることが過ぎった。
「(マナが見えるって……もしかして裸見られてるの!?)ねぇ、ルーファス。ルーファスはアタシのマナを直接見ることできるの?」
「私はできないけど? それがどうかしたの?」
「ううん、別にいいの。あのローゼンクロイツさんちょっと耳貸してもらえますか?」
 こう言われたローゼンクロイツはハルカを抱き上げて自分の耳元に近づけた。
「もしかして、アタシの裸とか見えてるんですか?(もし、そうだったら恥ずかしくて外出れないよ)」
「……それはどうかな?(ふっ)」
 この態度にハルカのネコパンチが繰り出されたが、ローゼンクロイツはハルカの腕を掴み受け止めた。
「……冗談(ふっ)。大丈夫だよ、マナっていうのは真の形は不変なものだけど、偽ることができる。キミのマナは今服を着ているから心配しなくてもいい。けど、キミが裸って思えば裸になるから気をつけてね」
 ローゼンクロイツはハルカを地面に降ろすした。
「さてと、行こうか?(ふにふに)」
 と言ってローゼンクロイツは手を上げた。
 次の瞬間に起きたことにルーファスとハルカは何が起きたのかを把握するまで時間がかかった。
 滑り落ちていた。ローゼンクロイツが手を上げた瞬間、地面が左右に開け下に落ちたのだ。
 長い滑り台のような、いや、ジェットコースターのような感覚で下に下りて行く。右へ左へくねくね曲がりくねって、やがて止まった。
 止まった拍子にお尻を打ったルーファスは、お尻に手を当てながら辺りを見回した。
 太陽の光ほどではないが、ここはロウソクの光よりも断然明るく、辺りが見通せる。人工の建造物であることはすぐにわかった。石で作られた壁と床、そして前方に立つ神殿と思わしき建物。
 思わずこうルーファスは呟きたくなった。
「どこ、ここ?」
「……ここはね。ボクの秘密結社だよ(ふにふに)」
 そうローゼンクロイツは呟いた。小さな呟きであるがルーファスを驚かせるのには十分だった。
「な、何? 秘密結社だって!? だって、ローゼンクロイツは国務執行官でしょ? 秘密結社?(どういうこと!?)」
 取り乱すルーファスなど構いもせず、ローゼンクロイツはハルカのことを抱き上げ神殿に中へ入って行ってしまった。
 自分の置かれた状況が、一向に見えてこないルーファスがはっとした時には周りには誰も居らず、自分が置いていかれたことに気づいて駆け足で神殿の中へ入って行った。
 神殿の内部は神殿というより宮殿、大きな広間が一つだけ存在して、絢爛豪華な装飾のされた壁や天井には、幻想的な羽の生えた人間の絵が描かれている。そして、床には魔方陣や古代文字がびっしりと敷き詰められていた。
 静かな神殿の奥へと足を運んだローゼンクロイツは、祭壇の前で足を止め、ハルカをその上に祭り上げた。
「キミがこの秘密結社の神だ(ふあふあ)」
「えっ!?(か、神ってアタシが!?)」
 ローゼンクロイツの『キミは神だ』発言。この発言は愛の告白よりもある意味衝撃的な発言だ。
「……今からその説明してあげるよ(ふあふあ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。そして、ローゼンクロイツの説明がはじまった。
「ここはボクの組織した薔薇十字団の神殿。本部は別にある。国務執行官は仮の姿、あれは国を乗っ取るためにやってるだけ(ふにふに)」
 衝撃の告白第二弾、『国を乗っ取る』発言。ハルカ固まる。ルーファスはあごが外れてガボ~ン。。
 ――数秒の時間を要してハルカが聞く。
「国を乗っ取るってどういうことですか!?(何この人テロリストなの?)」
「ちょっと、待った待った、何で国を乗っ取るの?(ローゼンクロイツは何を考えているんだ?)」
 とルーファスは大声で言った。
 対してローゼンクロイツは無表情なまま答えた。
「国を乗っ取るのは魂の解放、全てのモノを天へと導く教祖としてのボクの使命(ふにふに)」
「ローゼンクロイツ、魂の解放って何? 君がやろうとしていることは何なんだ!?(……っていうか、昔からこんな奴だったけど)」
 そうローゼンクロイツはルーファスが知っている限り、三歳ごろから電波で、しかも危ない思想を持った人物だった。よくこんな奴が国務なんてやってるもんだとルーファスは思う。
「……ここからは一切質問は受け付けない、最後まで一気に話すからよく耳を済ませるんだよ(ふにふに)」
 二人はこの言葉にうなずき口を開くことを止めた。
「ボクは魔導の研究をしているうちにある預言書を見つけた……ある意味偶然(ふっ)。その預言書には、今日の日付とある場所が書かれていて、その場所に全てのモノたちの魂を解放する救世主が現れ、ボクがその救世主に出逢うことが書かれていた。その救世主は人間の言葉をしゃべる黒猫。それを読んだボクは秘密結社薔薇十字団を創設して、教祖となりこの日が来るのを待ちわびた……(ふあふあ)。つまり、ハルカ、キミが救世主ってことだよ(ふあ)」
 閃光が神殿内に乱れ踊った。ローゼンクロイツの身体を包み込む淡い光から閃光が外へと放出される。
「……電波ジャック(ふっ)」
 自身に満ち溢れた気高く崇美な表情を浮かべたローゼンクロイツ――。
 いったい何が起こっているのか!?

 アステア王国に住む人々は驚愕した――。
 突如どこからか放たれた稲妻のような光線が、生き物のように縦横無尽に国中を飛び交い、人々は怯え、逃げ出し、パニック状態に陥り、国中は狂気に満ち溢れた。
 国を、町を、人々の間を飛び交った閃光は上空に上がり、フォログラム映像を作り出した。それも一つではなく、国中の至る所にいくつも、いくつも同じ映像が映し出されたのだ。
 映し出された映像は――黒猫だった。その映像を見た人々は唖然とした。
 映像のネコは言った。
「こ、こんにちわ、加護ハルカって言います(こ、これでいいの?)」
 ネコ=ハルカはちょっと気恥ずかしそうに、数分前にローゼンクロイツに言われたように挨拶をした。
 人々は余計に唖然とした。映像のネコが人間の言葉をしゃべり、しかもその声がかわいらしい女の子のものだったからだ。ここで低く恐ろしい声を発していたならば、人々は再び恐怖で混乱に陥ってかもしれない。
 映像は、画面の端からローゼンクロイツが入って来て、ハルカを抱きかかえる映像となった。
「……この映像は国に無断で流してるんだよ(ふにふに)。でも、誰もボクの崇高な行為を邪魔はできない、この国で一番の魔導士はこのボクだからね……自画自賛(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻り話を続ける。
「申し遅れたね、ボクの名前はクリスチャン・ローゼンクロイツ、国務執行官を副業にしている秘密結社薔薇十字団の教祖だったりする(ふにふに)。今日は大事な報告をするためにみんなの前に顔を出してみたよ(ふにふに)」
 秘密結社薔薇十字団のことは秘密と名乗りながらも、国民の大半に知られる公然の秘密組織だった。その活動内容は特に重い病を患い苦しむ人々の前に現れ、無料で治療を行ったり、一部の特権階級しか知らない秘術などを一般人に広めたりしていた。
 慈善活動をやっている団体のようではあるが、国からは目を付けられ、教祖は指名手配されていた。
 国がこの秘密結社を疎ましく思った理由は、国の最高機密である秘術などが、この秘密結社によって一般人にも広まってしまっていたからだ。
 しかし、教祖の存在はいるとは言われるが、そのしっぽすら掴めず国はお手上げ状態であった。
 男か女かも正体が知れなかった秘密結社薔薇十字団の教祖が、今全国民の前に姿を現したのだ。国家は揺れた。
 カーシャ並びにヨハン・ファウストを拘束し、この映像を見ていたエルザ元帥は唇を噛み締めた。
「くっ、まさかローゼンクロイツが薔薇十字団の教祖だったとは……(どおりで証拠が何一つ掴めなかったわけだ。上で情報を改ざんされていたのでは、証拠などもみ消されて当然だ)」
 エルザ元帥とは対照的に、魔法で作られたチェーンで拘束されているカーシャとファウストはうれしそうな顔をしていた。
「ふふ、クリスちゃんもなかなかやるな(ローゼン=薔薇、クロイツ=十字、で薔薇十字団か……そのままだな……ふふ)」
「ローゼンクロイツが教祖か、おもしろい。我が魔導学院卒業生の一番の鬼才だけのことはあるな」
 この二人はこんなところでは馬が合うらしい。
 悔しそうな表情のエルザを見て、カーシャは実に楽しそうだった。
「ワタシを捕まえて気分上場だったエルザも、今は失意の底か?(……人生、山あり谷あり、ふふ)」 
「何だと?(この女が、私自らが極刑を下してやる)」
 しかし、それは叶わぬ夢となった。
 両腕を魔法のチェーンで拘束されていたカーシャの腕が溶けた。まるで手と腕だけが液体になってしまったように、それでいて手と腕の形を保っていた。そして、液体となった腕が手錠から抜かれた。
 手錠が外されたのはエルザが気を抜いていたためではない、カーシャにとって彼女は所詮生徒だった。魔法力はカーシャが数段上だっただけのこと。
「ワタシはハルカに会いに行く(ふふ、おもしろいことになって来た)」
 そう言ってカーシャは空に舞い上がり、この場から逃げた。
 当然のことながらエルザは逃げたカーシャを追いかけるべく、レビテーションでファウスト共々空に舞い上がろうとしたが、上空三メートルもしないところで地面から、ぐぐっと引っ張られた。下を見るとファウストがマナを溜めているのが見えた。彼が抵抗してエルザが空に舞い上がることを邪魔していたのだ。
「行かせてやれ、こんなおもしろいことは滅多にない(クク、国中が大騒ぎだ)」
「くっ、何をする!(学院の教師どもは揃いも揃って何を考えているのだ!)」 
 エルザはファウストを拘束していたチェーンを解呪しようとしたができなかった。
「今度は私が君を拘束する番だ(ククク)」
 拘束していたはずの者に逆に拘束されてしまったのだ。
「邪魔をするな! 公務執行妨害だぞ!」
「邪魔をするなだと? 私を誰だと思っている? 私はヨハン・ファウストだ!」
 異変に気づいたエルザの部下である治安執行官たちがファウストに飛び掛った。が、ファウストの発した黒いオーラによって吹き飛ばされ近づくことすらできなかった。
「ククク、この国は退屈しなくて実に住みよい国だ」

「同志たちよ、ついにボクたちが待ち望んでいた救世主が現れたよ(ふにふに)」
 映像のローゼンクロイツはハルカを高く掲げて、映像を見ている全ての者に偉大なる救世主である神を見せ付けた。
「この、ボクたちの住む世界とは異なった異世界から来た黒猫が、ボクたちの魂を解放して楽園へと導いてくれる(ふあふあ)」
 映像が突如ザザーッと乱れ、そしてプツリと消えた。発信者側――つまりローゼンクロイツにトラブルが起きたのだ。
 無表情のローゼンクロイツが後ろを振り向くとそこにいたのは!?
「こんばんわクリスちゃん。三ヶ月前の感謝祭以来だな(相変わらず変な格好をしているなこの男は)」
 そこにいたのはカーシャだった。
 ローゼンクロイツもルーファスもハルカも、誰一人としてカーシャが近づいて来たのに気づかなかったのだ。恐るべしカーシャの忍び足。
「なぜ魔女がここに?(ふにふに)」
 ローゼンクロイツはカーシャのことを魔女と呼んでいた。
「それは、この場所がどうしてわかったかという意味か?」
「いくら魔女の女王でもボクの結界は破れないハズだよ(ふーっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。ローゼンクロイツの声音はいつもと違っていた。いつものゆっくりとしていて透き通るような声ではなく、今の彼の声のトーンは少し低めだった。
「ワタシの正体を知る数少ないおまえならわかると思うが?」
「学院時代の魔女とはマナの波動が違う。……もしかしてチカラを取り戻したの? もしそうだったら……少し驚き(ふにふに)」
「そうだ、チカラを取り戻した今のワタシは、この国で一番の魔導士だ。一番はクリスちゃんではなくなった。格が下の魔導士の結界など、ないも同じだ。それにこの場所はハルカの首輪に付けてある特別な鉱物でわかった(クリスちゃんとはいろいろあったが、今なら絶対負けない)」
 『いろいろあった』とはどういうことなのか? てゆーか、この人いろんな人といろいろあり過ぎ。
 そんな感じで二人が会話を進めているなか、ハルカはある言葉がずっと頭に引っかかって、そのことだけに頭を使っている状態だった。
 その言葉とは、『ボクたちの住む世界とは異なった異世界から』というローゼンクロイツの言葉。彼はハルカが異世界から召喚されたことをどこで知ったのだろうか?
「あの、お取り込み中のところ申し訳ないんですけど、ローゼンクロイツさんは何でアタシが異世界から来たこと知ってるんですか?(この人なら勘とか言いそうだけど)」
 本当にお取り込み中だった。
 プライドの高いローゼンクロイツはカーシャに結界を破られたことが、ショックだったらしい。
「結界が破られるなんて……そんな自分に苦笑(ふ~)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。そんなローゼンクロイツにカーシャは、びしっとばしっとずばっと人差し指を顔に突きつけた。
「学院時代に負けた運動会の障害物競走、今なら勝てる!」
 以前カーシャはローゼンクロイツに障害物競走で負けたことがあった。ただ負けただけならばカーシャも気にしなかっただろうが、二人はレースの前に罰ゲーム付きの賭けをしていて、カーシャはレースに負けたうえに賭けにも負けて、しかもレース中にローゼンクロイツにヒドイ目に遭わされていた。それが今でも尾を引いているのだ。
「……負けず嫌い(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。
「何だと!?(罰ゲームで受けたワタシの屈辱、今思い出しても笑えない……ふふ)」
 そう考えながら心の中で笑っているカーシャ。この人のことはよくわからない。
「あのぉ、お取り込み中申し訳ないんですけど!(何で二人とも気づかないわけ?)」
 ハルカは頑張っていた。
「あのぉ、ちょっと、ローゼンクロイツさんに話があるんですけど!(いい加減気づいてよ!)」
 気づかないのには理由があった。実は二人ともわざとハルカを無視していた。つまりグルになってからかっているのだ。
「(クリスちゃんとはこういうところで気が合うな……ふふ)」
「(ふっ)」
 確信犯だった。二人の息はぴったりだ。
「あのぉ~!(いい加減にしてよ!)」
「……飽きたね(ふにふに)」
「……そうだな、ハルカをからかうのも飽きたから、このくらいにするか(有意義な時間だった)」
「わざとやってたんですか?(この二人、最強タッグだ!)」
 ハルカ的ショックだった。でも、ハルカはめげずにやっと質問した。
「ローゼンクロイツさんは、アタシが異世界から来たこと何で知ってるんですか?」
「……勘(ふあふあ)」
「(やっぱし!)」
「……ウソ(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。
「本当はエルザ元帥に白状された……自白(ふっ)。事件がもみ消されていることに気づいたボクは、その犯人がエルザ元帥であることを突き止めて吐かせたたら、ルーファスとハルカの名前が出てきてね……因果関係(ふにふに)」
 この話を聞いたルーファスは少し慌てていた。なんせ、いろんな罪が国務執行官にバレてしまっていたのだから。
「あ、あのさぁ、私たちがしたこと、ローゼンクロイツと私の中なら当然見逃してくれるよね?」
「……交渉(ふにふに)」
「……交渉ってどんな?(交渉したくないベスト三の中にローゼンクロイツは入るんだけどな)」
 ちなみにルーファスの交渉したくないベスト三は、カーシャ、ファウスト、ローゼンクロイツである。この三人の順序は誰が一番というわけではない、できれば誰ともルーファスは交渉をしたくない。
「……ハルカを神としてこの世界に君臨させるお手伝い(ふにふに)」
「もっと楽なのない?(神として君臨って……)」
 ビビッとハルカは超名案が頭に浮かんだ。
「ルーファス! ローゼンクロイツさんに言うとおりにして!」
「なんでさ?(神として君臨なんて無理だよ)」
「アタシが元の世界に帰る条件は?」
 ハルカはルーファスに大魔王ルシファーという超ビックな悪魔の代わりに召喚されてしまった。そして、ルーファスが大魔王にさせようとしたこと、それは、〝世界征服〟だった。世界征服さえ成し遂げればハルカは元の世界に帰れるはずなのだ。
 妖々たる邪悪な笑みを浮かべるカーシャ。とっても悪いことを考えているのは明々白々で皆さんご存知、お見通しだ!
「ワタシもハルカが元の世界に帰る手伝いをしよう(……世界制服……ふふ)」
 手伝いをすると言いながらもカーシャの目的は世界制服にある。何を隠そうカーシャは古の時代に世界制服に失敗しているのだ。
 ローゼンクロイツとカーシャは何時の間にか結託して、固い握手をしているではないか――。しかも、ハルカまでもその輪に入っている。この場でついていけてないのはルーファスだけだった。
「あのさ~、ハルカを神として君臨させるってどうやるの?(カーシャとローゼンクロイツが組んだら何でもアリって感じだけど……)」
「ボクの辞書に不可能の文字はないよ(ふあふあ)。これから本部に行く、そこで作戦について話し合おう(ふにふに)」
 今ハルカたちがいるのは薔薇十字団の臨時支部だった。どおりで人がいないはずだ。
 突然、ペンタグラムの瞳が天を〈視た〉。
「……来るよ(ふーっ)」
 全員がローゼンクロイツにつられるようにして上を見上げた。
 轟音と共に天井が崩れ落ち、辺りに砂煙が充満した。
 服の裾を口と鼻に当てながら砂煙が静まるのを待っていたカーシャが見たものは、魔導吸収法衣を着た国の特殊部隊だった。特殊部隊の数はざっと二〇名。
「ふふ、教祖サマを捕まえに精鋭が来たようだな。どうするクリスちゃん?」
「……魔女が結界破ったから(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。つまり非はカーシャにあると言いたいのだ。
 カーシャは何を言い返そうとしたが、今はそれどころではなかった。特殊部隊は手に持った杖状の魔力増幅器にマナを溜めている。
「ハルカを守れ!」
 険しい表情をするカーシャがそう叫んだ次の瞬間には、エネルギー弾の猛襲が特殊部隊から放たれていた。
 三人の魔導士たちは瞬時に魔法壁を張ることができたが、ハルカは?
 ハルカは無事だった。ルーファスがその手にしっかりと抱きかかえている。だが、しかし、ルーファスの右肩は衣服が焼け焦げ肌が炎症していた。
「ルーファスだいじょぶ?(アタシのために……)」
 抱きかかえられたハルカは焼けた肌を目の前にして鎮痛な表情をした。
「……結構痛い」
 正直な感想だった。
 ルーファスの肩の治療をしようとカーシャが走り寄ろうとしたその時だった。カーシャの後ろにいたローゼンクロイツが口に手を当てた。
「は、は、はっくしゅん!」
 大きなくしゃみとともに辺りが静まり返った。この場にいたハルカ以外の全員が口を半開きにして次に起こる事態に恐怖したのだ。ローゼンクロイツを知る者であれば誰もが知っている最悪の事態。
 ローゼンクロイツの頭にかわいらしいねこ耳が生えていた。妖怪か!?
「カーシャ逃げよう!(ホントにヤバイ)」
 ローゼンクロイツの変化を見たルーファスは素っ頓狂な大声で叫んだ。
 失笑するカーシャ。
「言われるまでもない、ローゼンクロイツの猫返りは危険極まりない」
「え、何? ローゼンクロイツさんに何が起こってるの!?」
 ハルカには何が起きようとしているのか全く検討もつかない。未だにこの世界の出来事及び、わけのわからない人々の理解には苦しんでいるのだ。
 ローゼンクロイツの『猫返り』とは、一種の発作のようなものである。いつ起こるともわからないその発作を起こすと、ローゼンクロイツの身体は猫人へと変化し、ねこ耳としっぽが生える。
 猫人と化したローゼンクロイツはいろんな意味で最強である。
「……ふあふぁ~」
 猫返りをしてしまったローゼンクロイツには人間の言葉が通じない。通じるのは猫語のみだ(たぶん)。しかも、トランス状態で意味不明な破壊活動を行う。
「……ふっ」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。次の瞬間ローゼンクロイツの身体から大量なねこしゃん人形が飛び出した。しかも、ねこしゃんは止まることなく放出され続けている。
 ねこしゃんを目の当たりにしたカーシャは思わず叫んだ。ネコが好きだから叫んだのではない、恐怖から叫んだのだ。
「しまった、今回はねこしゃん大行進か!(この前はたしかしっぽふにふにだったな……ふふ、ラヴリィだ)」
 『ねこしゃん大行進』とはカーシャが名づけた猫返り時のローゼンクロイツの魔法で、ローゼンクロイツの身体から放出された大量のネコのお人形さんたちが二足歩行で走り回り、何かにぶつかると『にゃ~ん』とかわらしく鳴いて大爆発を起こすという無差別攻撃魔法である。
 ちなみに猫返り時のローゼンクロイツの魔法にはこの他にも『しっぽふにふに』という魔法などもある。
 二足歩行のねこしゃん人形がランダムに走り回り爆発を起こしていく。爆発が爆発を呼ぶ最悪な状況だ。
 特殊部隊員は着ている法衣で辛うじて身を守っているが、その法衣でも幾重もの爆発でボロボロになっていく。
 ボロボロになっていくのは法衣だけではなかった。壁が崩れていく――明らかにここはもう危ない、崩れるのも時間の問題だ。
 大爆発を足元に感じながら、ルーファスたちは一目散に逃げていた。今は特殊部隊が空けた穴をレビテーションで登っている途中だ。
 出口を猛スピードで出ようとしたルーファスたちの前に、蜘蛛の巣のようなネットが広がった。
「罠か!(ついてない)」
 そうルーファスが叫んだ次の瞬間にはネットに突っ込み、単純なまでにあっさりと捕らえられてしまった。
 このネットは魔導士に魔法を使えなくさせて、ただの人にしてしまう優れもので、一般人は手に入れることができない貴重なマジックアイテムだ。
 逃げ道で待ち伏せなど基本中の基本。そんな手に引っかかるなんて迂闊。
「自分自身に幻滅だ(……ふふ、情けない)」
 って感じだった。
 為す術もなくなってしまった〝ただの人〟二人とネコ一匹はネットに絡まったまま連行されて行ってしまった。
 となると思いきや、ハルカは上空から飛来して来る三つ人影を見た。
 その影は地上に降りるや否やここにいた特殊部隊員を肉弾戦でバッサバッサと倒していくではないか!?
 影の一人がネットの方へ近づいて来る。
 その容貌は人間の時のハルカと同い年くらいのお嬢様系で、他の二人もよく見ると同じ感じの女の子だ。
 しかもみんな空色のドレスを着ている。どう考えてもローゼンクロイツの仲間か何かとしか思えない。それに付け加えて、なぜか全員ねこ耳を付けている。
 ネットの前で足を止めた少女はドレスを少し捲り上げ、足のところに隠してあったナイフを抜くと、ネットを切りルーファスたちを救出した。
「近距離戦闘班隊長アインといいます。みなさんを助けに来ました」
 鈴が春の歌を謳うような声だった。次の瞬間カーシャは思った。
「(こいつら女か?)」
 見た目、声、どこを取ってもカワイイ女の子っぽいが、ローゼンクロイツの例があるのでなんとも言えない。
 特殊部隊員を倒し終えた二人の女の子もこちらに近づいて来て挨拶をはじめた。
「近距離戦闘班のツヴァイといいます」
「同じく近距離戦闘班ドライであります!」
 微妙に一人だけしゃべり方が違った。しかもその一人だけがビシッと背筋を伸ばして軍人風の敬礼の挨拶だった。だが、あえて誰もそこには突っ込まない。
 聞くまでもないと思って、誰も聞かなかったことに、ハルカが取り合えず代表で聞いてみた。
「あの、あなたたち何ですか? ローゼンクロイツさんと関係ある人?(っていうか関係ありすぎな格好してるけど……)」
 アインが一歩前へ出て答えた。
「私たちは薔薇十字団のメンバーでして、ここが襲撃された場合に備えて待機していました(まさかホントに襲撃されるなんて思ってみなかったけど)」
 まさか襲撃されてしまったのはカーシャが結界を解いたせいだ。ぜ~んぶカーシャのせいだ。
「それでは本部にお連れします」
 そう言ってアインがハルカを抱きかかえると、ツヴァイはルーファスとカーシャにある衣装を渡した。
「これを着て変装してください。追っ手にバレると大変ですから」
 渡された衣装は修道士の物であった。
 ケープを羽織り、ドミノと呼ばれる頭巾を被ったルーファスとカーシャは、どこから見ても修道士、何の変哲もない。
 完璧な修道士になりすましたルーファスとカーシャは、近距離戦闘班と共に街中を歩いていた。
 アインは先程から人々が自分たちに微妙だが注目しているのに気づいた。
「(完璧な修道士の変装が見破られてるのかしら?)」
 先程からしつこく言っているが、〝修道院〟の変装は完璧だ。ただ、空色ドレスの三人娘は異様に目立っていた。中でも猫耳が目立っていると断言できる。
 人々の視線を浴びながらハルカたちは花屋さんの前に来た。色とりどりの花がいっぱい置いてあり、その花々に囲まれた花のように美しい女性店長がいた。
 ハルカを抱きかかえたままアインは花屋の店長と話しはじめた。
「薔薇を一万本いただけませんか?」
「白にしますか、赤にしますか?」
「知るかんなもん、バッキャロー!」
 突然人が変わったように怒り出したアインだったが、女店長は怒ることなく応じた。
「どうぞ、こちらへお入りください」
 一部始終を近くで見ていたハルカは何なんだかわからなかった。
「(何今の? アインさんにあんなこと言われて怒ってないのかな? 実は内心でははらわた煮えくり返っていて、お店の奥に連れ込まれて、あ~んなことやこ~んなことされるんじゃ!?))」
 ハルカは善からぬことをいっぱい想像したようだが、今の実は合言葉だったりする。
 女店長に続いてぞろぞろとハルカたちはお店の中に入って行った。
 お店の中は外から見た時より広い。異様に広い、やけに広い、広すぎる。
 部屋がたくさんあり、廊下もかなり入り組んでいる。迷路のようだ。
 長い廊下をずいぶんと進み女店長の足がドアの前で止まった。
「このドアの先です」
 頭を下げた女店長にアインは礼を言うと、ドアの中に入って行った。他の者もそれに続く。
 ドアの中は明らかに花屋の店内ではなかった。ここが薔薇十字団本部だ。
 薔薇十字団の本部であることをアインに告げられ一行は本部内を観光案内風に案内された。
 まず、最初に連れて来られたのは何かの製作所らしき場所。
 ここには作業着を着たたくましい男たちが、なにやら大きなブロンズ象を磨き上げていた。
 ブロンズ象は明らかにネコの形をしていて、その大きさは横に五メートルほど、高さは土台も合わせると一〇メートルはあるブロンズ象だった。
 思わずハルカはネコつながりということで親近感を覚えた。
「アインさん、あのブロンズ像は何なんですか?」
「あれはハルカ様のブロンズ像で、五〇ほど製作して各国の主要都市に送りつける予定です」
「あれってアタシなの!?(てゆーか、送りつけるってどういうこと)」
 アインは両手を合わせると理想を夢見て遠い目をした。少しイッてる。
「ハルカ様が世界を統治された暁には、あのブロンズ象が世界各国に……(あぁ、ねこねこファンタジィ~)」
 アインは少し危ない世界に浸っていた。今触ると感染しそうだ。
 ツヴァイとドライはなぜかここで声を合わせて掛け声をあげる。
「「ねこねこファンタジィ~!」」
 三人娘は少し危ない世界に入っていた。帰還できないかもしれないほどに重症のような気がする。
 ローゼンクロイツの猫返りといい、この近距離戦闘班のねこ耳三人娘たちといい、ハルカを神として崇めようとしていることいい、もしや、薔薇十字団ってネコを崇める新興宗教なのか!?
 ハルカとルーファスは、ここを出る頃には催眠療法に引っかかって高額商品を買わされていそうな気分になった。
 次に案内されたのは、民間人から集った戦闘隊員の訓練場だった。ここでハルカは凄まじい光景を目の当たりにすることとなった。
 訓練場にいる人たちは、なぜかみんなネコのきぐるみを着て、それが三〇〇人ほどもいる。ふざけているとしか思えない光景だった。……ふざけているのかもしれない。
 ハルカはこの訓練のことには触れないでおこうと思ったが、ルーファスは聞きたくて聞きたくてしょうがなかった。
「(どうしようかな、聞きたいけど触れない方がいいような……)あの、この訓練って何ですか? というより、なぜネコ何ですか?」
 ルーファスはついに禁断の扉を開けてしまった感じだ。
 質問に答えてくれたのはドライだった。
「ここに集ってくれた者たちは家庭を持った一般人であります。ですから顔を隠すためにきぐるみを着ているのでありますっ!(敬礼!)」
 以前ネコのきぐるみを着て国立博物館に侵入したことのあるルーファスは、なるほどとひとり納得した。
 だが、この後誰もが予想だにしなかった展開が!
 ツヴァイはネコのきぐるみ軍団の前に立った。
「ねこねこファンタジィ~!」
 と言って、ぽぁぽぁ~とした感じで拳を高く上げた。するとネコのきぐるみ軍団も同じように拳を高く上げて叫んだ。
「ねこねこファンタジ~!」
 こちらの声は低く唸るような声でちょっと男臭かった。むしろ恐い。むしろ熱い?
 唖然としてしまっているハルカとルーファスを後目に、カーシャはツヴァイを押しのけてネコのきぐるみ軍団の前に堂々と立った。
「ねこねこファンタジ~!(……意味のわからん言葉だ。でも、おもしろい……ふふ)」
 カーシャが拳を上げて抑揚のない声で合言葉を叫ぶとやっぱり来た。
「ねこねこファンタジ~!」
 また低く唸るような声が返って来た。やはり恐い、不気味だ、変態だ。むしろ萌えなのか!?
 カーシャはカーシャスマイルを浮かべた。
「(……ふふ、おもしろい)ハルカもやってみたらどうだ? 神なのだから、ちょうどいいのではないか?」
「(何でアタシが? こんな恥ずかしいことできるわけないじゃない)」
 ハルカを抱きかかえるアインは何かを訴えるような熱い眼差しでハルカを見ている。そして、残りの二人のねこ耳娘もハルカの前にささっと立った。
 アイン、ツヴァイ、ドライの順番でハルカに熱いエールを送った。
「ハルカ様ぜひお願いいたします!(ねこねこファンタジ~をぜひ!)」
「ハルカさまぁ~!(プリティ~ボンバーでよろしくお願いします!)」
「自分からもお願いであります!(自分はハルカ様のねこねこファンタジ~が見たいであります!)」
 ハルカに有無を言わせぬままに、アインはハルカを抱きかかえたままネコのきぐるみ軍団の前に立った。
「ハルカ様、どうぞ!」
「(どうぞって言われてもなぁ)」
 ここにいるみんながハルカに注目している。しかも、ネコのきぐるみ軍団は顔こそ見えないが、ハルカへの想いはアイドルを追っかけるアブナイ人たちと同じオーラを発しているように思えた。
「(……このネコさんたち恐いよ、言わないとなにされるかわかんないから)……ねこねこファンタジ~」
「ねこねこファンタジ~!」
 ハルカはかなり控えめに言ったのだが、返って来た声はうねる波のようだった。やっぱ恐い。
 ぶるぶるとハルカは激しい悪寒に襲われ、毛が全て立ってしまった。かなりの精神的ダメージを受けて、賠償請求を叩きつけてやりたいくらいだ。
「アインさん、案内はもういいですから、どこかでゆっくり休みたいんですけど?」
「申し訳ありません、気づきませんでした。ですが、あと一箇所だけご案内させていただきたい場所がありますので……」
 最後に案内したい場所。
 個室のドアの前には『教祖』というプレートが掲げれていた。
 部屋の中に入った一同を出迎えたのは、あの人だった。
 もちろん部屋で待っていたのはローゼンクロイツだ。彼はハルカたちが建物内を見学している間に急いでここに来て待っていたのだ。つまり、ハルカたちの建物見学はローゼンクロイツの時間稼ぎ。
「遅かったねみんな(ふにふに)」
 自分で時間稼ぎさせといて『遅かった』はないと思う。
 ハルカたちをローゼンクロイツの部屋に案内したアインたち三人は、足並み揃えて部屋を出て行った。彼女たちは無事任務を果たし終えたのだ。任務に成功したことを感動してドライが大粒の涙を流しながら部屋を出て行ったのをカーシャは見逃さなかった。
「(ドライとかいうやつ……おもしろい……ふふ)」
 ドライはカーシャのお気に入りリストにその名前を連ねることになった。実際はそんなのなかったけど、カーシャの中で今できた。つまり、気まぐれ。
 空中に突然ホログラム映像が現れた。その映像はホワイトボードのようなもので、ローゼンクロイツが指を動かすと文字が浮かび上がってきた。
「ボクの目的はまずこれ、そして、これ……で」
 ローゼンクロイツが宙に描いた文字は次の通りである。

 ①アステア王国を乗っ取る。
 ②アステア王国を使って世界を乗っ取る。
 ③ハルカ神になる。
 ④世界が愛と平和に包まれる。
 ⑤ねこねこファンタジィ~!

 最後の⑤が意味不明だが、それはさて置き、やはりローゼンクロイツは本気でハルカを神に仕立てるつもりなのだ。
「ボクの目的はこんな感じ(ふあふあ)」
 生徒が教師に質問する時のようにルーファスは『は~い』と手を上げた。
「質問がありま~す」
 こちらも負けじと教師の顔つきになってルーファスを指名した。
「なんだねルーファスくん?(ふにゃ)」
「本気で世界征服するつもりなの(……聞くまでもなく本気だと思うけどさ)」
「……わかってないね(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。ちょっとルーファスをバカにしている態度だ。
「征服じゃなくって統治だよ(ふあふあ)」
 今度はハルカが『は~い』と前足を上げた。
「は~い、質問で~す」
「なんだねハルカくん?(ふにゃ)」
「どうやって世界征服……じゃなくって世界統治するんですかぁ~?(明らかに無謀だと思うんだけどな)」
「……知らない(ふっ)」
 言い出したローゼンクロイツが『知らない』とはどういうことだ。と言いたくなるが、ローゼンクロイツの性格からして次に言葉はこれだ。
「……ウソ(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。そして、もう一言。
「……ウソ(ふっ)」
 『どっちだよ』と誰もが思い、ルーファスが代表してツッコミを入れる。
「どっちだよ!」
 普段無表情なローゼンクロイツの顔が深刻そうな顔つきになった。……が、たぶん特に深刻でもないと思われる。
「……何も考えてなかった(ふあふあ)」
 これって、もしやとハルカは思った。
「(無計画!?)」
 正解である。ローゼンクロイツはハルカを拉致(?)するところまでしか考えてなかった。
「そこで今からみんなに世界統治の方法について考えてもらいたいと思うんだよね(ふあふあ)」
 いい加減なローゼンクロイツの発案を聞いて、カーシャの瞳が怪しく光った。悪巧み全快、脳みそフル回転で駆け巡る。
「ワタシにいい考えがある(ぴかっと、きらっと、最たるひらめき……ふふ、天才)」
 自画自賛で不適な笑みを浮かべるカーシャを見て、不安を覚えるハルカ。だが、いちよう聞いてみる。
「どんなひらめきですか?(トンデモないことだとは思うけど)」
「昔、ワタシが世界征服をしようとした時に用意した、あるものがある(ドカーンと一発散らせましょう……ふふ)」
「(やっぱり、ヤナ予感)」
 世界征服って言ってる時点でかなりアブナイ。が次の言葉はもっとアブナかった。
「世界を恐怖を与え破滅に追い込む、世界最大級の魔導砲、その名も『ジエンドちゃんゼロ号機』」
「「はぁ?」」
 ハルカとルーファスが声をそろえてスゴク変な顔をした。かなり間の抜けでへっぽこな表情だ。
 魔導砲とは古の大魔導士たちが創り上げたという魔導兵器で、アステア王国が太古の技術を復元し造った魔導砲の威力は、最大出力で小さな島を破壊させるほどのものだと伝えられている。
 アステアの所有するレプリカとも言える魔導砲でさえ小島を吹っ飛ばすのだから、世界最大級の〝オリジナル〟の威力はいかに?
「クリスちゃん、全世界に人々にワタシの声明を伝えたい。ハルカの時と同じように映像付で頼む」
「……了解(ふあふあ)」
 世界中の主要都市に住む人々は驚愕した――。ちなみにアステア王国に住む人々は、本日二度目の驚愕だ。
 突如、どこからか放たれた稲妻のような光線が生き物のように縦横無尽に世界中を飛び交い、誰もが敵の襲来かと思った。
 閃光はやがて上空でホログラム映像を作り出した。映像に映し出された人物はもちろんカーシャ。
「こんばんわ、カーシャだ(ふふ、カメラ写りは良好だろうか?)。全世界の下賎な人間どもたちに告ぐ、おまえたちに未来はない、あるのは死のみだ。今、この星は世界最大級の魔導砲の照準にセットされた。つまり、ワタシが合図をすれば、この星は木っ端微塵に消し飛ぶ!(カッコよく決まったな!)」
 ぶっ飛んでるカーシャの横にいたルーファスがへっぽこな顔をする。
「はぁっ! それってやりすぎじゃないの?」
 空かさずカーシャの強烈なボディブローがルーファスの腹に炸裂する。ジエンド・ルーファスで床にうずくまって動かなくなった。
 何事もなかったようにカーシャは話を続ける。
「だが、ワタシとて冷酷な女ではない」
「(ウソつき、カーシャさんは十分冷たいひとだと思う)」
 ハルカの発言は大当たり。カーシャは絶対私利私欲のためならなんでもするタイプの女だ。きっと親友でも笑って崖から突き落とすタイプだ。
「おまえらにチャンスをくれてやろう。全人類がワタシの下僕になると約束したら、魔導砲は撃たないでやる」
 本気でカーシャは世界征服をするつもりだ。きっと、カーシャが世界の支配者になった暁には、『うさしゃん』のきぐるみを着ることが義務付けられるに違いない。
 いくつものモニターで外の映像を確認しているローゼンクロイツ。カーシャの声明を聞いている人々はみんな笑っている。星が木っ端微塵に吹っ飛ぶなど、冗談だと思っているのだ。
 人々の反応を見ていたローゼンクロイツは、カーシャの顔の横でそっと耳打ちした。
「みんな信じてないみたいだよ(ふあふあ)。ここはひとつ、軽くかましてやるべきだと思う(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。これに合わせてカーシャも口元を歪める。
「人間どもよく聞け! 大魔法国家で名高いアステア王国の上空を掠めるように魔導砲を撃ってみせる」
「カーシャさん本気ですか!?(やっぱりアブナイよぉ、この人)」
「(ドカンと一発散らせてみましょう……なんてな)」
 カーシャはハルカに対して不敵な笑みを投げかけただけで何も言わなかった。だが、心の中では――ドカンと一発ってマジですかカーシャ!?
 マジだった。
 悪魔の笑みを浮かべたカーシャのイヤリングが怪しく輝く。
「発射!(どか~ん……ふふ)」
 次の瞬間、宇宙空間に設置してあった超巨大魔導砲が発射された。
 巨大な光の柱がアステアの上空を掠め飛び、巨大な風を巻き起こし、上空の空気を掻っ攫い真空状態にした。
 真空状態になったことにより、そこに空気が一気に流れ込み、地盤が浮き上がり、建物が上空に吸い込まれ、人々も、看板も、洗濯物で干してあったステテコパンツも飛んでいく。大惨事だった。
 モニターを見ていたハルカは口に出してはいけないことを心の中で呟いた。
「(カーシャさんやりすぎ……この人悪魔)」
「さすがは魔女だね(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。大惨事を目の当たりにして、無感情な顔をしているローゼンクロイツは、十分悪だ。
 この中で顔を真っ青にしている人間的な普通人はハルカだけだ。ちなみにルーファスは未だ床にうずくまり、アステア王国を襲った大惨事を知らない。
「さて、相手の出方を伺うとするか(これこそワタシの憧れていたものだ……ふふ)」
 これにてカーシャの演説は終わった。
 沈黙が流れる。――ハルカは気づいた。
「今のってカーシャさんが世界征服するみたいじゃないですか? あの、アタシが征服しないとダメなんじゃないんですか?(完全に脅しだよね……)」
 びびっとひらめき、ローゼンクロイツは手を叩いた。
「じゃあ、こうしよう(ふあふあ)。魔女はハルカの補佐で、実際に動くのが魔女で、裏で糸を引いているのがハルカっていう設定にしよう(ふにふに)」
 裏で意図を引く――裏番!? これって完全な悪役だ。ハルカの大魔王への道は着実に向こうから勝手にやって来ている。ビバ大魔王ハルカ!

 アステア王国を襲った大惨事は世界各国に瞬く間に広がった。世界滅亡が迫っていると誰もが確信した。
 アステア王国ヴァルハラ宮殿――今ここでは国の要人たちが集められ緊急会議が行われている真っ最中だった。
「君たちをここに集めたのは他でもない、この国は、いや、世界はあのカーシャという人物によって滅亡の危機にさらされている」
 ずいぶんと重い口調で現国王クラウスは言った。
 彼は八歳という異例の早さで国王の座に付き、その才を活かし、この国を五年という短い時間の間に、世界にその名を轟かす魔法大国とした若き王であった。
 クラウスの声は重い。カーシャの宣戦布告により彼は国王就任以来の最大の危機にさらされていた。
 あの時、フォログラム映像で顔出していたのはカーシャだけであったために、カーシャが世界征服を企んだことになっている。……企んでいたのは事実だが。
 カーシャの前にフォログラム映像で演説をした黒猫(ハルカ)とローゼンクロイツが、カーシャと何か関係があるのではないかという話が持ち上がったが、とにかく今はカーシャの居所を探ることが先決とされた。
 会議で即刻カーシャ討伐隊この国の誇る魔法兵団で編成され、国中が騒然とした雰囲気に包まれた。
 クラウスの表情は重い。
「被害状況はどうなっている?」
 国王の問いに席を立った男が深刻な顔をして答えた。
「被害状況は東地区から西地区にかけて及んでいるようですが、詳しい被害状況については現在調査中です」
 今回の被害は大型台風が直撃した時の被害状況に酷似している。
 少しの間クラウスは考え込み、エルザ元帥に視線を向けた。
「エルザ元帥、カーシャの素性調査はどうなっている?」
「魔導学院で教員をしていた以前の経歴は一切不明です」
 魔導学院時代のカーシャのことはクラウスもよく知っている。なぜならば、彼もエルザと同じように魔導学院でカーシャの授業を受けていた生徒だったからだ。
 エルザ元帥は話を続けた。
「ルーファスという人物がカーシャと親しいようで、彼ならば何か知っているかもしれません(いや、絶対ルーファスならば、あの女狐の過去を知っている)」
「では、そのルーファスという男に話を聞いて参れ(ルーファス……か)」
 クラウスはルーファスと同い年で、魔導学院時代は仲のよかった友であった。
 カーシャがどこに潜伏しているのかがわかれなけらば、結局のところ打つ手がない。
 この席に集められた者たちが一斉にざわめきはじめた。
「国王様、私たちはどうしたら?」
 国王の表情は尚も重い。
「静まれ!」
 王の声で辺りは一瞬にして静まり返った。
「魔導砲の準備をさせろ!」
 魔導砲には魔導砲で対抗するしかない。しかし、これは最後の手段である。魔導砲はその脅威の破壊力から、実戦では今まで一度も使われたことはなかった。
 王の意見にエルザ元帥が反論した。
「しかし、魔導砲は危険過ぎます。どの位の被害が出るとお思いで?」
 ヴェガ将軍はその意見に顎ヒゲを手で触りながらこう言った。
「しかしねぇ、この国の非常事態にそんな些細なことを言っている場合ではないと私は思うが?(……ククク)」
「些細なことですって!(このゲスが!)」
 エルザ元帥はテーブルを両手でバンと叩きながら立ち上がり激怒した。
 クラウス王はそんなエルザを見てなだめた。
「気を静めたまえエルザ元帥、たしかに君の言うことはわからなくもないが、我々には他に成す術がない。もし、カーシャが魔導砲を撃った時、君は何もせずに国が滅びるのを見届けろとでも言うのかね?」
「しかし(危険すぎる)」
「国王の意見は絶対であるぞエルザ元帥(少し黙っていろメス犬は)」
 エルザ元帥とヴェガ将軍の仲の悪さは王宮内では誰もが知っていることで、ヴェガ将軍がエルザ元帥よりも地位が下ということが、エルザがヴェガの嫉妬をかう結果となり二人の仲を必要以上に悪くしているとも言われている。
 国王クラウスは静かに淡々と二人に命令を下した。
「ヴェガ将軍には魔導砲の準備を命じる」
「仰せの通りに」
 ヴェガそう言うと、エルザの顔を見てあざけ笑った。
 会議が終わり、人々が部屋の外に出て行く中、エルザはクラウスによって呼び止められた。
「エルザ元帥、この場に残ってくれ、大事な話がある」
「(私に話?)」
 部屋に二人っきりになったところでクラウスはゆっくりは話しはじめた。
「今は国王と元帥の関係を抜きで、君と話がしたいエルザ〝先輩〟」
「……わかった(先輩か、懐かしい響きだ)」
 魔導学院時代、クラウスとエルザは後輩と先輩の関係であった。二人の口調もそのためか少し砕けた感じだ。
「僕は今回の事件――僕自らカーシャの元に出向きたいと思っている(ルーファスやカーシャが事件に絡んでいるなら、僕が行かなくてはいけない)」
「それはできないことだ。国王が危険に自ら飛び込むなど、誰も許してはくれない」
「だから、君に一緒に来て欲しい。この城を隠密で抜け出すには、エルザの力が必要なんだ」
「昔からクラウスは一度こうと決めたら意見を曲げないからな。仕方ない、私の首をかけてクラウスの供をしよう(これで、クラウスにもしものことがあったら、私の命だけでは償えんな)」
「すまないエルザ」
 決意を胸に秘めてクラウスは窓の外を見た。
「(もし、ルーファスがカーシャ手助けをしているのならば、僕は自らの手でルーファスを捕まえる)」
 この日、カーシャ+おまけVSアステア王国を先陣とした世界の全面戦争の火蓋が切られた。

 床に這いつくばっていたルーファスが、やっと立ち上がった時には、魔導砲はすでに放たれていた。
「本当に撃つことないだろカーシャ!」
 こんなにもルーファスが強く出るのも珍しい。ルーファスは激怒しているのだ。それもかなり。
 ルーファスはびしっとばしっとずばっと堂々とカーシャを指差した。
「カーシャが世界征服をするなら、私はカーシャの敵になるよ(……ハッキリ言ってしまった。後が怖いかも)」
「ふふ、ワタシの敵だと? この世界征服はハルカの世界征服だ。つまりおまえはハルカの敵になるということだな?」
「……統治(ふっ)」
 無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。そして、話を続ける。
「征服じゃなくって統治(ふあふあ)。ハルカを全知全能の唯一絶対の神として君臨させて、絶対君主による完全なる統治がボクの目的だよ(ふあふあ)」
 この場の状況というか雰囲気が可笑しくなりはじめている。
 『はい、は~い』と言った感じでハルカは手をあげて発言した。
「あの、カーシャさんは……やり過ぎだと思うんですけど(ああ、言っちゃった)」
「ほう、ハルカもワタシに口答えする気か?(喧嘩上等!)」
 冷酷な表情をしてカーシャはハルカとルーファスを睨んだ。まさに蛇に睨まれて蛙状態である。
 思わずハルカとルーファスは一歩と言わず、一〇歩ほど後ずさりをしてしまった。
 ルーファスはハルカを抱きかかえて共同戦線を張った。
「ハルカをダシに使って、自分が世界征服をしたいだけなんだろ!(……ヤバイ、また口が滑ってしまった)」
「そうですよ。今回ばかりはカーシャさんに付いていけません(……ルーファスにつられてアタシも言っちゃったよぉ~)」
 さらに冷たい目をするカーシャに対して、ルーファス&ハルカは、もっともっと後ろに下がった。
 一方的に押されぎみの二人を助けるようにして、ローゼンクロイツが割って入った。
「魔女の方法はいいと思ったんだけどな(ふあふあ)。ハルカが魔女と決別するなら、ボクはハルカ側に付くよ(ふにふに)」
 ここで完全にカーシャVSハルカたちの対立の構図が完全にできあがってしまった。ひとりになったカーシャはどうする!?
「ワタシはやるぞ(走り出したら止まらない……ふふ、ビバ世界征服)」
 だそうです。カーシャはひとりでも世界制服をするつもりらしいです。
 決別したカーシャは部屋を出て行こうとした。それをルーファスが止める。
「どこ行く気?」
「おまえたちとは絶交だ。ワタシはシルバーキャッスルに帰る(あそこに帰るのは何年ぶりか?)」
 そういい残すと、カーシャは姿を消してしまった。それを追うものは誰一人としていない。ローゼンクロイツを除く二人は、絶対にカーシャを止めることは不可能だと思っているからだ。
 ローゼンクロイツが軽い咳払いをした。
「じゃあ、そういうことで魔女カーシャを倒しに行こう(ふあふあ)」
「「はぁ?」」
 いつも通り息がぴったりな二人。ハルカとルーファスは声をそろえて裏返った声を出して、間の抜けた表情をした。
「世界征服を企む魔女を正義の味方ハルカが倒しに行くんだよ(ふにふに)。そうして世界に恩を売って、ハルカを世界に君臨させるんだよ、わかった?(ふあふあ)」
 この男、カーシャよりも悪いやつかもしれない。

 本日三度目のホログラム映像が世界に発信された。
 その内容とは、カーシャは世界の敵であり、ハルカ率いる薔薇十字団はカーシャを討伐してみせるというもの。つまり、薔薇十字団はカーシャと一切関係ないと世界に伝えたのだ。……いわゆる、トカゲのしっぽ切り。
「じゃあ、ハルカとルーファスはカーシャを見事にお縄にして来てね(ふあふあ)」
「「はぁ!?」」
 本日何回目だっただろうか? またまたハルカ&ルーファスは声をそろえて驚いた。
「ちょっと待ったローゼンクロイツ、君はもしかして行かない気?(カーシャを敵に回すなんてできるわけないじゃん)」
「そうですよ、アタシはただのネコですし(にゃ~んってね)」
 二人の発言はなかったことにされて、無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。
 次の瞬間、ハルカ&ルーファスは路上の真ん中に突っ立っていた。
「……飛ばされた!?(ローゼンクロイツに外に飛ばされたのか!)」
 そのとおり、ルーファスが思ったとおり、二人は路上に強制的に飛ばされていた。
「ルーファスがいたぞ!」
 自分を呼ぶ声が聞こえたので、ルーファスがふと後ろを振り向くと、そこには鎧を着たゴツイ兄さんたちが大勢こちらに向かって走って来る。
「何あれ!?(私何かしたっけ?)」
 次の瞬間には、ルーファスはハルカを抱きかかえて走っていた。小心者というかなんていうか、悪いことをしていないのに逃げてしまった。
 もちろん、逃げたら普通は追いかける。ルーファスの後ろからは恐い顔の兄さんたちが追いかけて来る。そして、追いかけられたら普通は逃げる。
「何なのあの人たち、ねえルーファス?(何か厄介なことに巻き込まれた感じ)」
 ハルカの不幸は続く。その不幸に巻き込まれる率はルーファスといい勝負。つまり、二人が一緒にいれば破滅的な人生を送ること間違いなしなのだ。
「何でだろうね? 私にもわからないよ(心当たりならいっぱいあるけど)」
「じゃあ、逃げないほうがいいんじゃないの?」
「でも、乱暴とかされたら恐いしさあ」
「……へっぽこでも魔導士なんだから、少しは強いんじゃないの?」
「私は平和主義だか――わぁっ!?」
 突然、ルーファスの首根っこは何者かに捕まれ、路地裏に連れ込まれた。ま、まさか、拉致監禁暴行か!?
 フードをかぶったローブ姿の二人組みがそこにはいた。怪しすぎる。
「話は後だ。今は追ってから逃げよう」
 フードの中から聞こえる若い男の声はそう言った。
「テレポート!」
 声を発する魔法。すなわちこのフードの男はライラの使い手ということになる。ちなみに先ほどローゼンが使った魔法はマイラと呼ばれる特殊な部類に入る魔法だ。瞬間移動系の魔法は高度な魔法のため、使い手は極僅かである。
 ここにいた四人は瞬時のうちに別の場所に移動し、ここに駆けつけた兵士たちは丸い目をして顔を見合わせた。

 アステア王国の首都外の平原に瞬間移動して来た四人。
 フードをかぶっていた二人はハルカ&ルーファスにその顔を見せた。
 一人目はエルザ元帥。そして、もう一人はクラウス国王。
「やあ、ルーファス。ひさしぶりだね(相変わらずだな、こいつは)」
「ああっ!? クラウスが何でここにいるの?(城の外に出るなんて、しかもエルザと一緒って?)」
 素っ頓狂な声をあげてルーファスは目を丸くした。だが、ハルカはクラウスのことを知らない。
「誰なのこの人?(顔立ちはルーファスよりも端整で、ちょー高貴な雰囲気がどことな~くある人けど……?)」
 エルザがどどんと胸を張って前に一歩出る。
「ここに仰せられるお方は、クラウス国王様であらせられる」
「マジで!?(この人が王様なんだ。結構若いみたいだし、何でルーファス何かと知り合いなんだろう?)ルーファスと国王様はどんな関係なんですか?」
「僕とルーファスは学院時代の友達でね。ああ、それからこれはお忍びの旅だから、王様っていうのはやめてくれるかな? クラウスって呼んでくれ」
「(王様とルーファスが友達!? このへっぽこ魔導士と?)」
 ハルカがどう思おうと、ルーファスとクラウスが友達なのは変えられない事実で、そうなんだからしょうがないとしか言えない。
「僕とエルザはカーシャを捕まえに行こうと思っているんだ。そのためにルーファスの力を借りたい」
「こんなへっぽこ魔導士に!?(無理無理、カーシャさんに敵うわけないじゃん)」
「へっぽことは失礼な。私だって道案内くらいはできる!」
 胸を張って堂々と言い放ったルーファス。でも、全然胸を晴れることではないのは、誰もが思うこと。魔導士としてはやはりへっぽこなのだ。
「では、さっそく道案内を頼む(今のは胸を張って言うことなのか?)」
 エルザに本当に道案内を頼まれてしまったルーファス。しかし、彼は道案内に胸を張っていた。
「任せて、道案内なら。カーシャのところに案内すればいいんでしょ? でも、かなり遠いよ」
 テレポートならば瞬時に行くことができるかもしれないが、テレポートとは基本的に行ったことのある場所でないと行くことができない。基本的というのは、その場所の映像などの情報があれば、行けるかもしれなからだ。
 ここでひとつわかったこと、つまりルーファスはテレポートが使えない。使えるものの方が稀なのだ。
 ここにいるメンバーでテレポートが使えるのはクラウスだけだった。
「そこは僕の行ったことのない場所なのかい?」
「う~ん、え~と、行ったことはあるけど、途中まで……(ああ、嫌な思い出を思い出しちゃったよ)」
 腕を組んだ状態でルーファスの表情が強張っている。それを不思議な顔をしてハルカが覗き込む。
「どうしたの、顔が真っ青だよ?(いつものことのような気もするけど。いつもこんな表情ばっかりするよね)」
「……私がカーシャとはじめて出遭った場所にカーシャはいる。その場所は……魔導学院の校外実習で行った雪山」
 この言葉を聞いたクラウスが少し顔を強張らせた。
「あの地獄の校外実習か……(思い出しただけで身震いがする)」
 地獄とはいったいどんな実習だったのか? もしや雪山ですっぽんぽんとか?
「でも、たしかルーファスは帰り道で遭難して?(そうか、その時、ルーファスはカーシャと出会ったのか)」
 そう、その時にルーファスはカーシャと出遭った。しかし、遭難して帰って来たルーファスはそのことを誰にも話していない。聞かれても何も覚えてないとウソをついていた。その理由はもちろん、カーシャによる説得(脅迫)があったからだ。
 カーシャに脅迫(?)されて今まで誰にも言わなかったカーシャとの出遭い。そのことを思い出したルーファスは突然慌て出した。
「あ、あの、うん、雪山で何かカーシャと出遭ってないよ(危ない、危ない、口を滑らせるところだった)」
 十分口は滑っていると思うが、ルーファスにとってはこれが精一杯の言い訳なのだ。
 空気を切り裂き、何かが煌いた。
「言え、ルーファス!(あのカーシャのこととなれば黙ってはいられぬ)」
 ルーファスの首にはエルザの抜いた剣が突きつけられていた。
「え~と、カーシャの正体が何であるかなんて、口が滑っても言えるわけないじゃん。でも、居場所くらいなら、言えるかなぁ~(……こ、殺される)」
 またルーファスは口を滑らせた。『正体』ってことは今のカーシャの姿は仮の姿だと言っているようなものだった。
 首に突きつけられた剣がぐぐっと動いた。
「……言え」
 ドスの利いた低い声だった。
「言ったら私が殺される(言わなくても、今殺されそうだけど)」
 あまりの怯えようをするルーファスの首から剣が離された。エルザは少々呆れた顔をしている。
「ふぅ、仕方ない。場所案内だけでいいだろう(だが、カーシャの首は私が……)」
 もしや、エルザはカーシャを殺す気満々とか?
「では、僕のテレポートでグラーシュ山脈まで行こう。その後の道案内はルーファス頼むぞ」
 今のクラウスの言葉に頼りなさ気に頷いてみせるルーファス。彼は本気でカーシャが恐い。それはハルカも同じだった。
「(ああ、カーシャさんと戦うことになるのかなぁ~。ヤダなカーシャさんって冷血なんだもん)」
 クラウスは目をつぶってグラーシュ山脈のイメージを頭に思い浮かべた。これに失敗するととんでもない所に行ってしまう。
 テレポートとは、時には空間の狭間に閉じ込められて出れなくなることもある危険な魔法なのだ。
 グラーシュ山脈。そこはアステア王国の北に位置する極寒の山岳地帯。アステア王国全体はやや温暖で過ごしやすい地域なのだが、この山脈地帯だけがなぜか気温が異常なまでに低い。その気温は平均で零下二五度で、最低気温はだいたい零下五〇度まで達するという。
 グラーシュ山脈には特殊な生物以外は全くいない。そのため過去に一度だけ魔導学院の実習場所として選ばれたが、あまりにも過酷だったためにそれ以降の実習では使われたことのない場所だ。
 イメージが固まった。昔のことだったのでだいぶイメージを固めるのに時間がかかったが、準備は整った。
「テレポート!」
 次の瞬間、平原から四人の姿が消えた。

 寒い、寒い、じつに寒すぎる山脈。凍え死にそうなくらいに寒い。いや、凍え死ぬ。
 だが、魔法で透明な服のようなものを着ているのでだいじょうぶだった。
「はぁ~、何かぽかぽかしますねこれ(こたつの中に入ってるみたい)」
 夢心地のハルカ。こたつを愛するハルカはこれでまたネコに一歩近づいた。
 ハルカが眠りそうになってすぐに、その城は見えてきた。氷でできたような城――昔のカーシャのご自宅だ。
 城の壁は石でできているが、その周りは全て氷に包まれ、城から突き出る塔はまるでつららを逆さまにしたような形をしている。
 城門は開けられていた。もしや、これは『かかって来れるもんなら来てみろ!』というカーシャの意思表示なのかもしれない。
 城の床にも氷が張っていてスパイク靴を履いていないと滑ってしまう。ちなみに今は魔法でどうにかしているので普通に歩ける。
「(なんだか、スケートとかできそうなところだなぁ~)」
 そう思いながらハルカはルーファスに抱きかかえられながら辺りを見回す。
 廊下には窓から差し込む輝く光と、炎が灯され、とても明るい。この炎は普通の炎の色とは違い青色をしていて、触るととても冷たい。
 長い廊下を進み玉座の間まで来た。そこで一行を出迎えたのは!?
「誰のあの金髪の人?(カーシャさんがいると思ったのに)」
 金髪の白い薄手のドレスを着た優美な女性。それを見たハルカは不思議な顔をしたが、ルーファスは身も凍る思いで、一歩後ろに足を引いた。
「また金髪に戻したんだねカーシャ(カーシャが私のこと恐い目して見てるよぉ)」
 金髪の女性はカーシャだった。ハルカの知っている――この場にいるルーファスを除く全員が知っているカーシャの髪の毛の色は黒だ。
「……ふふ、ぬけぬけとようこそ我が城、シルバーキャッスルへ(ここに来たからには、身も凍るような、あ~んな目やこ~んな目に遭わせてやる)」
 金髪のカーシャ――それは彼女が氷の魔女王と呼ばれていた時代の髪色。
「カーシャ先生、おひさしぶりです(金髪?)」
 クラウスが一歩前に出た。
「我々アステア王国はあなたの討伐に乗り出しました。ですが、僕としては穏便にことを済ませたいのです。どうか、僕に捕まって頂けませんか?」
「ヤダ(ぴょ~ん……ふふ)」
 即答だった。カーシャは人の言うことを聞くのが嫌いな女だ。
「なんだとカーシャ! 国王が穏便に済ませようと言っていらっしゃるのだぞ!(相変わらず嫌な女だ)」
 エルザは剣を抜いていた。もう、戦う気満々なのだ。だが、ルーファスは絶対カーシャと戦いたくない。カーシャと友達だからとかではなく、どんな目に遭わされてしまうかが恐いからだ。
「まあまあ、ここは話し合いでもしようよ(どうにか丸く治めないと)」
「ヤダ(ぴょ~ん)」
 また即答だった。もう一度確認のために言うが、カーシャは人の言うことを聞くのが大嫌いな女だ。
「カーシャさん、世界征服なんてよくないですよ、ね?(この人に世界征服なんてされたら……恐い)」
「ヤダ(ぴょ~ん)」
 またまた即答だった。改めて言うが、カーシャは人の言うことを聞くのがちょー大嫌いな女だ。
「くそぉ~、この女狐が! こっちが下手に出れやればいい気になるとは、許せん!」
 怒り頂点で大爆発。エルザは本気で殺るべく、カーシャに切りかかって行った。
「たがが人間の分際でうるさい女だ、ピンクのうさしゃさん人形に変えてやる(うしゃさん……LOVEみたいな!)」
 剣がカーシャの頭上に下ろされそうになったその瞬間、カーシャは鋭い目つきでエルザを〈視た〉。
 振り下ろされた剣。しかし、それはぬいぐるみの剣だった。その剣を振っているのは小さなピンクウサギだった。
「えいっ、ていっ、カーシャ覚悟しゅろ!(……なにか、様子が変だ)」
 舌っ足らずのかわいらしい声でしゃべっていたエルザは気がついた。
「まさか、この私がカーシャの魔法で!(あり得ない、私はエリートだぞ!)」
 エルザ的ショック! 今までの人生をエリート街道まっしぐらで元帥まで上り詰めたエルザには信じがたい屈辱だった。
 自信喪失で燃え尽きて灰になってしまったエルザはその場で固まってしまった。それを見たカーシャは満足そうに不敵な笑みを浮かべる。
「次は誰だ?(ふふ、世界中の人間をうさしゃんに変えてやる」
 カーシャの冷たい声が静かな城の中に響き渡った。

 そのころ全世界では、ハルカVS魔女カーシャの戦いが巨大ホログラムスクリーンによって映し出されていた。もちろんローゼンクロイツの仕業だ。
 ハルカVSカーシャの映像を流して、見事ハルカがカーシャをやっつける映像を全世界に広めようとしているのだ。
 ローゼンクロイツの思わく通り、世界中の人々は戦いを見守り、ハルカを応援した。ちなみにクラウスが城を抜け出したことは全世界にバレた。
 もうひとつちなみに、クラウスを含めてルーファスとエルザはハルカの下僕ということになっている。そういうことにしてこの戦いは〝実況中継〟されていた。
 この実況をしているのはローゼンクロイツの雇った実況のプロと、特別解説員としてこの場にいる牢屋を抜け出したヨハン・ファウストだった。
「なかなか、面白い戦いだ。クク……私は誰が勝とうが構わないがな」
「おおっと、クラウス国王がカーシャに向かって走り出しました!」
 実況の言葉の通りクラウスはカーシャに向かって走っていた。言うことを聞かないカーシャに対して、彼は実力行使に出たのだ。
「カーシャ先生、少し悪戯が過ぎますよ(ウサギってギャグだろう)」
 クラウスの手から放たれる輝く鎖。これで彼はカーシャの身体を拘束しようとした。だが、カーシャには通用しない。
 妖しく輝く瞳で見つめられたクラウスは、ピンクのうさしゃんになってしまった。そして、すぐさまカーシャは牢獄を作り出し、クラウスとエルザをその中に封じ込めた。
「ふふ、ルーファス、ワタシと戦うか?(喧嘩上等……ふふ)」
「遠慮しとくよ(私がカーシャに刃向かったらうさぎどころじゃないよ、きっと)」
「何言ってるのルーファス!? もう、頼りになるのルーファスしかいないんだよ(本当に頼りになるかは微妙だけど)」
 だが、ルーファスは何も言わなかった。その反応を見てハルカは頬を膨らませて怒りをあらわにした。
「ルーファスのばかぁ!(役立たず、腰抜け、へっぽこ! ルーファなんて嫌い)
「だったら、ハルカがこのワタシと戦うか?(かかって来いや……なんてな)」
 冷たいカーシャの声でハルカの胸が突かれた。
「まさか、アタシがカーシャさんと戦えるわけないじゃないですか。だってアタシ、ネコだし(にゃ~んて感じで)」
「この戦いは世界の覇権をかけたハルカとワタシの戦いなのだぞ!」
「いつから、そんなことになったんですか!?」
「ワタシに勝って世界を手に入れたら、家に帰れるかもしれないぞ(本当のところはどうだか知らんがな)」
「(世界に帰る)そうよ、アタシもとの世界に帰りたいよ。ねえルーファス、アタシのためにがんばってよ」
 少し潤んだ目でハルカに見つめられたルーファスはため息をついた。
「はぁ、たしかに私がどうにかしないといけないことだよね(ハルカをこっちの世界に呼んじゃったのは私のせいだからね)」
「よし、それでこそルーファスだよね。じゃあ、カーシャに向かってレッツゴー!」
 レッツゴーと言われても少し困る。ルーファスはカーシャに刃向かいたくないが、ハルカをもとの世界に帰さなければならない。板ばさみにされて窒息しそうだ。
 その時だった。この場に新たな新キャラが登場したのは!
 白髪白髭の杖を突いた見るからにヨボボヨの爺さんがこの場に乱入して来た。
「やっとこさ見つけたぞ、魔女王カーシャよ(こやつを探すのに、はて、何年くらいの月日を費やしたかのぉ?)」
「誰だおまえは?(この爺さんは誰だ?)」
 全く記憶に御座いません状態のカーシャ。この老人の正体とは?
「わしのことを忘れてしもうたのか、この魔女が。わしは……わしは……どこの誰じゃったかの?(ロバート、ポール、エリザベスじゃったかの?)」
 この老人はだいぶボケていた。
「ああ、思い出したぞ、わしの名前はハインリヒ・ネッテスハイムじゃった(少しボケたかのぉ?)」
 だいぶボケている。
 名前を聞いてもカーシャはこの人物について思い出せなかった。もしかして、老人は自分の名前を勘違いして、別の名前を言ったのか。いや、違うこれが彼の本名で、人々に知れ渡っている名前は別にある。
 驚いたルーファスは裏返った声をあげた。
「もしやあなたが、かの有名なアグリッパ様ですか?(……そんなわけないか、このボケ老人がね)」
「おお、そうじゃ、その名前じゃ。その方が世間様に知れ渡っておる」
「ああ、思い出した(だいぶ歳をとっていたので見た目ではわからなかった)」
 ぼそりと呟いたカーシャはやっと思い出した。この男は〝過去〟にカーシャを討伐するために編成された魔導士の一団のひとりだった。
 だが、今ごろカーシャの城を見つけるなど、たまたまカーシャがここに帰っていなかったらどうする気だったのか? もしろ今まで探し続けていた彼の根性はスゴイと褒めてあげたい。なんせ、一〇〇〇年以上もの月日を費やしているのだから。
「よく、人間が永い時を生き長らえたものだな。で、今更アグリッパがワタシに何のようがあるというのだ……まさかワタシを倒すなんて言うわけがないな。(こんなご老体のヨボヨボ爺さんがな)」
「わしの仲間は長い時の流れの中でみんな死んでしまったわい。残っているのはわしだけだ。仲間のためににもお主の首を貰わねばならん。じゃが、なぜわしをお主の首を狙っておるんじゃったかの?(こそ泥だったか、わしの逃げた女房だったか?)」
 ボケてまで追い手を追い続けるとは大した執念だ。もしかして、ボケていて年月もわからなかったのか?
 このアグリッパがカーシャ討伐の旅に出たのは、もちろん過去に魔女王としてカーシャが人々に恐れられていたからだ。
 キラリ~ンとカーシャの目が妖しく輝いた。またまたトンデモないことを言いそうな空気がこの場を包み込む。いや、絶対言う(断言)。
「では、こうしよう。ハルカ&ルーファスチームとアグリッパとワタシで三チームに分かれて戦い、勝った者が世界を自分のものしていい権利を持つことにしよう。魔導砲の制御装置はこのイヤリングだ。これを勝者にはくれてやる(勝つのはワタシだがな、どんな手を使ってもワタシは勝つ……ふふ、卑怯者)」
 蒼い宝石の付けられたイヤリングが妖しく輝く。
 アグリッパは杖を高く上げて笑い出した。
「ふぉふぉふぉ、そうじゃったわい。わしは全世界の覇権を賭けて戦っているんじゃった(いや、違ったかもしれんな)」
 別に世界の覇権を賭けてカーシャを探していたわけではない。彼の発言はだいぶ外れたことばかりだ。
 なんだかわからないうちに世界の覇権をめぐる戦いが勃発。しかもアグリッパまでもがその戦いに強制参加。
 マナと呼ばれる魔法エネルギーが風を巻き起こし、この場に戦慄を呼ぶ。
 杖を構える老人はただのボケ老人ではなかった。魔法を使うの能力は歳とは関係ない。老人の魔力は凄まじいものだった。
 相手の発するマナの力に負けじとカーシャも出力をあげる。
 ――この場でついていけてないのはルーファスとハルカだった。二人は隅っこで小さくなっている。できれば戦いに巻き込まれたくないのだ。
「あのさぁ、ルーファス、ちょっと耳貸してくれないかな?」
「何ハルカ?」
 小さなハルカの身体をルーファスは持ち上げて、耳元に近づけた。
「カーシャさんのイヤリングを奪うことできないかな? そうすれば全部丸く治まると思うんだけど?」
「そうだね、どうにか隙を見てイヤリングを奪おう(でも、どうやって?)」
 ポケットに入った財布ならまだしも、耳についたイヤリングを盗むのは大変困難だ。むしろ、普通は無理。
 アグリッパは呪文を唱えるべく杖を高く掲げた。この杖はマナの増幅装置の役目を果たしている。
「セ……セイ……呪文が思いだせん(はて、何の呪文を唱えようと思ったんじゃったかのぉ?)」
「ホワイトブレス!」
 カーシャは老人を殺るつもりだ。老人愛護の精神なんて微塵もない。てゆーか人殺しなんて悪いことを本気でするつもりだ。
 白い煙のようなブレスが老人に襲い掛かる。
「そうじゃった、ファイアーブレス!」
 小柄な老人の持つ杖から巨大な炎が吐き出された。
 白と紅がゴォォォーッという音を立てて混ざり合い相殺した。そのエネルギーは凄まじく、巻き起こった爆風によってルーファス&ハルカは大きく吹き飛ばされてしまった。
 完全にルーファス&ハルカは置いていかれている。彼らの出る幕はない。
 アグリッパは呟いた。秘術を発動させる気なのだ。
 氷の床にひびが入り、地響きとともに地面の底から何かが突き出た。頭だ、巨大な頭が突き出たのだ。
 地面の底から生まれ出た石の巨人。それはゴーレムと云われるものだった。
 ハルカがルーファスに尋ねる。
「あれって何なのルーファス?」
「ゴーレムって呼ばれている石や土で造った巨人だよ。マッチョで強そうでしょ?(スゴイなぁ、あれが本物なんだ)」
 二人が見ていると、ゴーレムはゆっくりと重い足を動かした。足が地面に下ろされるたびに地面が割れる。
 のっし、のっしと歩いて来るゴレームを冷たい目で見るカーシャ。ゴーレムが相手ではカーシャは少し分が悪い。
「……どうしたものか(石に効果のある魔法は?)」
 考え事しているカーシャの身体を巨大な手が掴んで、そのまま上に持ち上げた。それにカーシャは全く動じない。まだ、考えを巡らせているのだ。
「ふぉふぉふぉ、手も足も出ないようじゃな」
「いや、手も足も出ているぞ(な~んてな)」
 握られているのは胴体なので、カーシャの手と足は自由に動かせた。だが、もちろんアグリッパが言っているのはそんなことではない。
 ハルカはチャンスだと思った。
「ルーファス、今がチャンスだよ!(ほら、早く行かなきゃ)」
「よっし、行くぞぉ~!(ヤケクソだぁっ!)」
 捕まったカーシャを見てルーファスはここぞとばかりに走った。とにかく走った。そして、ゴーレムの身体をよじ登ってカーシャのもとに行った。
「そのままじっとしててよ」
「なにをするルーファス!?(まさか、ワタシが動けないことをいいことに、唇を奪う気か!?)」
 奪うは奪うでも奪う違い。ルーファスはカーシャのイヤリングを奪おうとした。が、取れない。
「あのさぁ~、これってどうやって取るの?」
「ああ、このイヤリングなら、こうやって――」
 カーシャは自ら両耳のイヤリングを外して見せた。それをチャンスとルーファスはカーシャの手からイヤリングを掻っ攫って逃げた。
 今のルーファスの行動は作戦ではない、本当に取り方がわからなくて聞いたら、律儀にカーシャが取って見せてくれたのだ。カーシャ不覚。
「待てルーファス!」
 カーシャの手から氷の刃が放たれ、ルーファスの掠めて飛んでいく。
「待ったらヒドイ目に遇うからやに決まってるでしょ!」
 まんまとルーファスはとんずらして柱の影に隠れた。
「ふぅ、どうにか逃げ切れた(死ぬところだった)」
「すっごいよルーファス! やればできるじゃん」
 柱の影でルーファスを出迎えたハルカは賞賛の言葉を投げかけた。
「カーシャさんから盗むなんて、これでこっちの勝ちも同然だね!」
 辺りの気温が突然下がった。
「ふふ……それはどうかな?」
 蒼ざめるハルカ&ルーファス。二人の視線の先にはカーシャが立っていた。それも白銀の髪をした蒼い瞳の覚醒しちゃってるカーシャが立っている。
「な、何でカーシャが!? ゴーレムは? アグリッパ様は?(まさか……!)」
 まさかのまさか、まさかの頭痛がルーファスに襲い掛かる。あまりの衝撃にルーファスは頭が痛くなってしまった。
 氷の床に散乱する石の塊。そして、ずいぶんとヨボヨボなピンクのウサギ。カーシャ恐るべしである。
 イヤリングを盗まれたことに激怒したカーシャは、マナの波動だけでゴーレムを粉砕して、すぐさまアグリッパをピンクのうさしゃん人形に変えたのだった。
 もうカーシャに敵う者はいないだろう。今のカーシャはなんでもアリ状態だ。
「ふふ、ふふ、ふふふ……今なら二人ともお尻一〇〇〇回叩きで許してやろう。さあ、イヤリングを返せ」
「はい、どーぞ返します(お尻一〇〇〇回叩きで済むなら安いもんだよね)」
「ダメだよルーファス! 世界の危機なんだよ、世界がカーシャさんの物になってもいいの!」
「いいよ、私は今だってカーシャに使われてるし(よく考えれば、今とあんまり変わらないんだよねぇ~、あはは)」
「ばかぁ、ばかばかかばルーファス!(もう、ルーファスなんて大ッキライ)」
 最後だけ『かば』になっている。
 少し涙ぐむハルカの顔を見て、ルーファスの何かに火がついた。
「そうだよね。私が悪かったよハルカ。こんな物――」
 イヤリングを持ったルーファスの手が大きく上げられた。彼はイヤリングを破壊するつもりだった。それを見たカーシャが叫ぶ。
「やめろ!(割れ物注意なんだぞ、そのイヤリングは!)」
 手が振り下ろされたとほぼ同時に、蒼い宝玉の付いたイヤリングは、地面に叩きつけられて四方に弾けて砕け散った。
 煌びやかな破片が宙を舞う。
 この展開にカーシャの顔が蒼ざめた。普段から白い顔をして顔色の悪いこのカーシャが本気で顔を蒼ざめさせたのだ。
「アホかキサマは! 制御装置を壊したら魔導砲が発射されるかもしれなだろうが!」
「「えっ!?」」
 この二人、ホントに最近息が合ってきた。コンビとしては申し分ない。
 ハルカの手が上げられた。
「は~い、それって本当ですか? でも、カーシャさんだって魔導砲を撃つもりだったんでしょ?」
「アホか撃つわけないだろうが、脅しだ。本当に撃ったら自分も死ぬだろうが!(アホかこいつらは!)」
 ――しばしの沈黙。
「「マジで!」」
 この二人は双子なのだろうか? 声がそろいすぎだ。
 カーシャは呑気な口調で言った。
「あっ(入ったみたいだ)」
「「なにっ?」」
 声をそろえる特訓でもしているのか、この二人は。
「魔導砲のスイッチが入っちゃったみたいだな……テヘッ(今日という今日は笑えないな……ふふ)」
 そう考えながらも心で笑っているカーシャ。それは苦笑だった。
 絶体絶命大ピンチ。それも世界規模でピンチ。世界破滅へのカウントダウンが開始された。
「世界を吹っ飛ばすくらいのエネルギーを放つには少し時間が要る。魔導砲が放たれるのはだいたい一時間後だな(ジエンドだな……ふふ)」
「そんなバカなことあるわけないじゅあ~ん!」
 そう言っている本人がスイッチを入れた張本人だ。
 スクリーンに映し出された映像を食い入るように見ていた世界中の人々は、泣いたり、叫んだり、踊ったり、とにかくパニック状態になった。
 まさか、一時間後に世界が吹っ飛ぶなんて信じられない。毎日を普通に過ごし、明日が当然のように訪れていた全ての人々や生物たちの運命が一転した。
 次の朝が来ない。生物はいつ死ぬかわからない。しかし、一時間後の死を受け入れるなど現実味がない。
 なが~い沈黙が訪れた。成す術は本当にないのか?
 突然、カーシャが手を叩いた。
「あっ、そうだ。この城にも魔導砲があった」
「本当ですかカーシャさん、アタシたち助かるんですか?」
「わからんな(たぶん無理だ……ふふ)」
 無理ってどういうことですかカーシャさん!って感じだ。
 カーシャは歩き出し、弱っていたヨボヨボのピンクのうさしゃんを人間に戻し、牢屋に入れていたピンクのうさしゃんも人間に戻し、言った。
「世界を救うためにおまえたちも協力しろ(ワタシはまだ死にたくないからな)」
 世界を救うのは二の次で、本当は自分がカワイイカーシャであった。
「キサマ、よくも私とクラウスをウサギに変えたうえに牢獄に閉じ込めてくれたな!」
「昔からうるさい小娘だが、今はそれよりも、魔導砲のスイッチが〝ルーファス〟の不注意で入ってしまった。あと一時間でこの星に到達するだろう。そこで我が城にある魔導砲でこの星に飛んで来る魔導砲を相殺する。だが、この城の魔導砲もエネルギー不足で宇宙空間にある魔導砲を相殺できるか微妙だ(むしろ、不可能に近いな)」
 ここにいる魔導士たちのエネルギーを注ぎ込み、魔導砲を撃つ。だが、カーシャの考えでは、ここにいる魔導士だけではエネルギー不足であった。そのことにはクラウスも気が付いた。
「僕たちだけのマナでは無理だろう。いくらカーシャ先生でもアグリッパ様でも、世界を吹き飛ばすほどのマナを魔導砲に注ぎ込むことは不可能」
 痛いところを突かれた。かなりど真ん中の図星だった。
 この展開は世界中の人々に実況中継されていて多くの人々が観ている。その中にはこの人物もいる。
《ボクの出番のようだね(ふにふに)》
 カーシャのすぐ横にローゼンクロイツのホログラム映像が映し出された。
《今、ここにいるキミたちの映像は全世界中の人々が見ているんだよ(ふあふあ)。つまり、その人たちに呼びかけて、魔導砲にマナを送ってもらうことにしよう(ふにふに)。魔導砲に人々のマナを送る転送に関しては僕が引き受けるよ(ふあふあ)。ところで、その魔導砲はどこにあるんだい?(ふにふに)》
「この城全体が魔導砲なのだ(……ふふ、これでも世界を破壊できるだけのエネルギーを放つことができる代物だ)」
 ただ、地上にある魔導砲で地上を攻撃してこの星を吹っ飛ばすことができないので使用していなかっただけのこと。だが、それ以外の問題として、エネルギーが注ぎ込まれておらず、使用が不可の状態になっている。
 魔導砲を撃つには魔導砲にエネルギーを注ぎ込まなくてはいけない。宇宙空間にある魔導砲は今宇宙にあるマナを溜めている最中なのだ。
 自分の玉座に向かったカーシャは、その玉座の肘掛の裏にあったスイッチを押した。すると城全体が淡く光り出し、どこからか歯車の回る音や物が動く音が聴こえてきた。
「さあ、この城にマナを注ぎ込むのだ」
 カーシャの言葉にここにいる魔導士たち、そして世界中の人々がこの城にマナを注ぎ込んだ。それに反応して城の輝きが一層強くなる。だが、まだまだ足らない。
 世界中の人々が、世界中の全てのものたちが一丸とならなくてはいけない。
 世界各地で祈りを捧げる人々。魔導士でないもの身体にもマナの力は宿っている。全てのものにマナは宿っているのだ。
 この星、ガイアにもマナは宿っている。この星はひとつの生命体と言えるのだ。
 地上に生まれた生命はガイアから分離した小さなマナを宿し、時を経て果て、そしてガイアに還っていくのだ。その循環により、この世界は生き続け、成長していく。
 地上が淡い光を放ち、命の鼓動が地面の奥底から聴こえて来る。この星、この星の全てものたちがこの城にマナを注ぎ込む。
 長い間、世界の祈りは続いた。そして、辺りが暗闇に包まれ空に星が輝き出したころ、星とは別の輝きが東の空に現れた。
 宇宙から魔導砲が放たれた。それは地上から肉眼で確認できるほどの大きさであった。あの魔導砲が地上にぶつかったら、この星が木っ端微塵に砕ける。本当に魔導砲の光を見て、人々は改めて認識した。
 日の光よりも明るい輝きが宇宙から飛来して来る。だが、地上の魔導砲のマナはまだ足りない。
 マナを注ぎ込む人々の疲労は極限に達していた。ハルカたちもそうだ。
「うぅ~、体力っていうか、何かスゴイ身体がだるいんだけど?」
「マナは命の源だからね。でも、今はやらなきゃいけないんだ」
 真剣な顔をしてこう言ったルーファスの横顔はいつもより、ちょっぴりカッコよくハルカの瞳には映った。
 飛来して来る光はすぐそこまで迫っていた。
 エルザが大声で叫ぶ。
「まだ、マナは足らないのか!?」
「もう、少しだ(だが、全出力で撃っても……ふふ)」
 カーシャの額から汗が流れる。カーシャの額からだ。ちなみにアグリッパ老人の様態はかなり悪い。やはりご老体には相当堪えるらしい。
 宇宙から飛来する魔導砲が大気圏に突入する寸前、カーシャが大声を出した。
「発射だ!」
 城全体が激しく揺れ、唸るような音を出した。
 ごぉぉぉぉぉっという凄い音を立てながら、城から光の柱が天を貫くように伸びた。
 魔導砲と魔導砲がぶつかり合い、目を開けられないほどの光が地上に降り注ぎ、人々は空の上で何が起こっているのか、感じることでしか確認できなかった。
 光と光のぶつかり合いは世界から闇を消して、全てを白い世界で包み、呑み込んだ。そして、世界は――

 ハルカは目覚めた。
「……あれ、ここって?」
 見覚えのある部屋。テレビや机、そして、お気に入りのカーテンのある窓。――ここはハルカの世界の自分の部屋だった。
「もしかして……帰って……もしかして、全部夢だったのかな?」
 目覚めたら自分の部屋。そう考えたら、もしかして、今までの出来事は全部夢だったのかもしれないと思った。
 剣と魔法の世界――そんな世界があるはずがない。
「何か、少し疲れてるみたい……もう少し寝よ」
 そう言ってハルカは深い眠りに落ちた。
 静かな寝息を立てるハルカ。
 ハルカの夢のような冒険は終わった。でも、本当に夢だったのか?
 もし、あの出来事が現実だったならは、そのことはハルカの〝身体〟が身に沁みて覚えていることだろう。

 おしまい

 
魔導士ルーファス専用掲示板【別窓】
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