《3》
その日の夕暮れ、シスター・セレンはいつもどおり夕食の買い物を済ませ、自分の勤める教会へ足早に帰ろうとしていた。
セレンは生まれた時からこの街を出たことがなく、かれこれ一五年ほどこの街に住んでいるが、それでも夜は怖いし、この街の治安がいいとも思っていない。そのため、僧衣の下には、護身用としていつもハンドガンを忍ばせている。だが、そのハンドガンの銃口はこれまで一度も火を噴いたことがない。
ネオンが店を彩りはじめ、屋台からは香ばしい肉やソースの焼けた匂いが漂ってくる。
武器や防具を扱うジャンクショップの横を抜け、セレンは裏路地の横を抜けるところだった。昼間ならば、この裏路地を通って教会に帰るのだが、日が落ちはじめてからは通りたくない路だ。そのため、いつもならば素通りするのだが、今日に限っては違った。
裏路地の闇から音が聴こえた。
「ちょっと嬢ちゃん、手を貸してくれないかい?」
それは中年男性の声音だった。
セレンは闇の中に顔を突っ込み、そこにいる男を確認しようとした。セレンの頭には困っている人を助けなくてはいけないという使命感だけで、それが危険な行為だったことをすっかり忘れていた。仲間以外の人間と関わらないことが、この街でトラブルに巻き込まれない鉄則だったにも関わらず。
薄暗い路地の中に入り、壁に寄りかかり腹を押さえて座っている中年男がセレンの目に入った熊のような男は顔を歪ませながら歯を食いしばり、見るからに苦しそうな表情をしていた。
「大丈夫ですか?」
とセレンが声をかけると、男は荒々しい息遣いで答えた。
「ちょっと腹の調子が……よくなくってよ……」
「悪い食べものに中ったん――!?」
セレンは物陰から突然現れた男によって口を押えられてしまった
そう、一人が病人のフリをして、残りの一人が物陰に隠れて獲物を狙う。男たちは暴漢グループだったのだ。
普段、暴漢に襲われる割合が多いのはこの街の人間ではない。それが今、暴漢グループに襲われているのは、この街に一五年も住む者だった。セレンは自分の間抜けさを悔やんだ。
セレンの口は泥臭くて毛むくじゃらの分厚い手によって塞がれ、真後ろにいる男の身体がセレンのヒップや背中にぴったりと密着している。時折、耳に吹きかけられる荒い息にセレンは身震いした。こんなときにセレンにできることは神に祈るのみ。だが、その祈りも通じない。
病人のフリをしていた男が立ち上がったかと思うと、セレンは乳房を鷲掴みされた。
「尼さんのクセになかなかいい乳してんじゃねえか」
目の前で舌舐めずりをする男を見てセレンは失神しそうになった。きっとこのまま男たちにいいようにされて、身包み剥がされて売られるか、殺されるか、するのだろうセレンはいっそのこと殺して欲しいと思った。
地面には先ほどセレンが羽交い絞めにされてしまったときに落とした買い物籠があり、その周りには汚れてしまった野菜や果物が散らばっている。それを見たセレンの目頭は熱くなり、大粒の涙が頬を伝って地面に次々と落ちた。――嫌だ。
心の中でなにかが吹っ切れたセレンは、自分の口を塞いでいた芋虫みたいな指を、歯を立てて思いっきり噛んでやった
「痛えっ!」
情けない声をあげて男がセレンから身体を放した瞬間、セレンはその隙を突いて僧服の裾を捲り上げ、太ももに装着していたホルダーからハンドガン抜いて構えた。
銃口を向けられた男は両手を高く上げ、セレンに指を噛まれたもう一人の男は、噛まれた指を口に銜えながらセレンから距離を取った。
「わ、わたしから離れて、さっさとどこかに行ってください……さ、さもないと撃ちますよ!」
セレンは自分では凄みを利かせて言ったつもりだったのだが、その言葉は振るえ、ハンドガンを構える手も大きく震えていた。それを見た男は銃口を向けられながら嗤った。
「嬢ちゃん、ちゃんと銃口を向けないと当たんねえぜ」
そのとおりだった。セレンの手は震えていて、銃口は男から明後日の方向を向いている。これではとても銃弾が命中するとは思えない。
「撃ちます、本当に撃ちますよ!」
セレンは叫ぶが、もはや男たちは信じていない。この女には撃てないと確信している。
口から指を抜いた男がセレンにジリジリと詰め寄り、セレンの前にいる男の巨大な手が伸びる。
「撃ちます! あっ!?」
撃てなかった。セレンは手首を掴まれて捻られ、そのままハンドガンを地面に落としてしまった。銃を持っているだけでは、護身用にはならないのだ。
セレンの身体は巨漢の男によって力のまま地面に押し倒され、僧衣が泥で穢された。
再びセレンは男に捕まり、もう一人の男がハンドガンを拾い上げてまじまじと見詰めた。
「こりゃマガジンが装填されてねえぞ。がははっ、こんな玩具で冷や汗かいて損したぜ」
ハンドガンには弾が入っていなかった。これではセレンが引き金を引いていても弾は出るはずもなかった。銃の取り扱いに慣れていないセレンは、そんなことも気づいていなかったのだ。
シスターに覆いかぶさる熊のような男が、穢れを知らない乳房を激しく揉みしだく。
「止めっ!?」
叫ぼうとしたセレンの顎が無理やり閉じられた。自分の顎から伸びる毛むくじゃらの腕をセレンが目線で追うと、そこにはニヤついた男の顔があった。セレンは熊男に上に乗られて胸を掴まれ、もう一人の男には顎を無理やり閉められ叫ぶこともできなかった。
再びセレンは心の中で神に祈りを捧げた。
そのときだった。
裏路地に缶カラを蹴飛ばしたような音が響いた。
男たちは耳を尖らせて、音のした方向を勢いよく振り向き、熊男が声をあげた。
「誰だてめぇ!?」
「俺のこと? ただの通りすがり」
闇の奥から現れたのは左肩を手で押さえた少年だったその押さえている手からは、紅い血が滲み出していた
セレンは神に感謝した。これで自分は助かるかもしれない。けれど、次の少年の言葉にセレンは愕然とさせられた。
「ちょっと横通るけど、俺のこと気にしないでお楽しみを続けて」
この言葉に男たちは口を開けてきょとんとした。
少年の態度は男たちが怖いとか、関わりたくないとか、そういったものではなく、本当にどーでもいいと言った態度だった。この少年は、少年の顔を持った冷酷無慈悲の悪魔かもしれない。
空気の横を通るように少年は男たちの横を歩いていく。
このときほどセレンは自分の不幸を呪ったことはなかっただろう。救いの手が現れたと思ったら、それは悪魔だった。だったらはじめから手なんて差し伸べて欲しくない。ぬか喜びとはこのことだ。
だが、話の展開は少し違った方向に向かうことになった。セレンの顎を押さえつけていた男が、セレンを解放して立ち上がり、少年の背中に向かって叫んだのだ。
「おい小僧、俺たちの顔見たからには生かしちゃおけねえ!」
そう言った男の手には銀色に輝く刃のギザギザしたナイフが握られていた。
振り返った少年はすごく機嫌の悪そうな顔をして、自分の左肩から右手を離し、その手で紅く染まった右肩の傷口を指差した。
「俺さ、今すごーく機嫌悪いわけ。なんでかっつーと、撃たれたから。マジで痛くてイライラすんだよ!」
歯車の回転する音が裏路地に響いた刹那、ナイフを持った男の左頬を少年の拳が激しく抉った。それは目にも止まらぬ速さだった。
少年に殴られた男は五メートルほど宙を飛び、地面に落ちてからは服に泥をつけながらゴロゴロと五メートルほど転がった。
相棒が一発でヤラれたのを見て逆上した熊は、頭に血を昇らせてセレンの上から立ち上がると、なにも考えずに猪突猛進で少年に素手で殴りかかった。しかし、少年は赤子相手のように軽く熊を躱し、熊の腹に左膝で一発喰らわせてやった。それで熊はノックアウト。
少年は口から泡を吹いてうつ伏せになる熊の尻を踵で蹴飛ばし、満足げな笑みを浮かべた。
「糞ったれが。俺に喧嘩売ろうなんざ一億年早ぇんだよ」
そう言って少年は熊の後頭部に唾を吐きかけた。
目の前で繰り広げられた出来事に唖然としていたセレンであったが、我に返って地面から立ち上がり僧衣についた汚れを手で払うと少年の前に立ち、大きく右手を振り上げた。
「この人でなし!」
バシン!
日も沈み真っ暗になってしまった裏路地に鳴り響く音。
セレンは涙ぐみながら少年の頬を叩いた。
普段であれば人に手を上げるなどしなかっただろう。しかし今は、極限状態の恐怖から解放されることにより、いろいろなことが思い出されて頭に血が昇っていた。
なにがセレンの感情を高めたかというと、それは少年の行動にある。
「あなた、わたしが襲われてたというのに、助けもしないで立ち去ろうとしましたよね!」
「別にいいじゃん、結果的に助けてやったろ?」
「助けて頂いたのは感謝いたしますけど……あっ!?」
会話の途中でセレンは目を丸くして、自分の口をはっと息を呑みながら手で押さえた
セレンの視線は少年の左肩に注がれていた。そして、紅く染まる少年の肩を見ているうちに、セレンの顔からスーッと血の気が引き、頭に昇っていた血が一気に足元まで落っこちた。
「だ、大丈夫ですかぁ!? 肩から血が出ているじゃありませんか、すぐに手当てしないと! あ、あの打ったりしてごめんなさい、ちょっと冷静さを欠いていたみたいで……」
と言っているセレンは今も冷静さを欠いているようだった。
目の前で慌てふためく年端も行かぬ尼僧を見て、少年はため息をついてパイロットハットの上から頭を掻いた。
「肩の怪我なんか大したことねえよ」
少年とセレンの歳は同じくらいだと思われるが、二人の纏っている雰囲気は明らかに違った。セレンはおどけなさの抜けない少女であり、少年は口も性格も悪いただのガキのようだが、少年はセレンとは明らかに違う影を纏っていた。
歩き去ろうとする少年の背中をセレンは見送りそうになってしまった。なぜだが、少年の背中に声をかけることに気が引けたのだ。しかし、セレンは喉から声を絞り出した。
「あの、待ってください。病院まで付き添います!」
少年が無愛想な顔つきで振り返った。
「病院は行かねえ」
「駄目ですよ、病院に行かなきゃ!」
「俺って頑丈だから、血なんてとっくに止まってんし。病院とかあんま好きじゃねえんだ」
「では、わたしの家で手当します」
「一晩泊めてくれんなら行く」
「えっ」
少年は悪戯な笑みを浮かべ、それを見たセレンは少し戸惑った。だが、命の恩人であり怪我人である少年をこのまま放って置くわけにはいかず、セレンは首を縦に振った。
「わたしの家は寂びれた教会ですけど、それでよろしければお泊めします」
「うんじゃ、泊めてもらうわ。で、あんた名前は?」
「わたしですか、わたしはセレンと申します」
「ふ~ん、俺の名前はアレン、よろしく」
差し出されたアレンの真っ赤な右手を見てセレンは少し戸惑った。アレンの手は乾いてひび割れた黒い血に覆われていた。そんな手で握手を求められても困ってしまう。
すぐにアレンはセレンの表情を悟って、服で手についた血を適当に拭い去り、再び右手を差し出した。けれども、乾いた血は拭い去れず、また少し付いていたが、セレンは相手の好意を裏切ってはいけないと思いアレンの手を握った。
柔らかかった。アレンの手は思ったよりも柔らかくて温かい手だった。そのことにセレンは少し心を解きほぐす。
「柔らかくて赤ちゃんみたいな手ですね」
そう言われた途端、アレンは握っていたセレンの手を激しく振り払い、唇を尖らせて怒ったようにそっぽを向いた。
「俺は赤ん坊じゃねえ。ほら、さっさとあんたんちに案内しろよ」
「別にそういった意味で言ったんじゃないですけど……。わかりました、わたしの家に案内します、付いて来てください」
なぜ相手に態度を悪くされたのかわからないまま、セレンはしゅんとした表情で歩きはじめた。が、その足が急に止まる。
「ああっ!? 夕飯のおかず!」
地面に散乱する野菜や果物を見て、セレンの瞳は少しずつ濡れはじめていた。それでもセレンは涙を堪えて、黙々と地面に落ちて汚れてしまった食べ物を拾い集めて籠の入れていく。
籠の中にリンゴ持った手がそっと入る。それはアレンの手だった。
「洗えば食えんだからクヨクヨすんなよ」
別にそういうことで泣きそうになってるんじゃない。セレンはそう思いながらも、アレンに優しさを感じて嬉しかった。
――最初の印象よりも悪い人じゃないかもしれない。
街の奥まった道の先にある寂びれた教会。そこに訪れる迷える子羊たちはいない。この教会に出入りする者は、今やセレンただ独りだった。
所々、屋根や壁が風化し、破損してしまっている教会の外観を見て、アレンは正直な感想を口にする。
「これ本当に教会かよ、寂びれてんなぁ」
この言葉を聞いてセレンは少しムッとしたが、すぐに悲しい表情をして呟くように話した。
「昔から寂びれた教会だったんですけど、三年前に神父様がお亡くなりになってからは、前にも増して寂れてしまって……。今のところ新しい神父様が赴任して来る予定もありませんし、今この教会に勤めているのもわたしだけですし……」
「つーことは、あんた独りで暮らしてるってことかよ?」
「ええ、三年前からは独りでこの教会に住んでいます」
そのため、セレンは裏路地でアレンに一晩泊めてくれと言われた時に、少し戸惑いを覚えて躊躇した。
女独りで暮らしている家に、たとえ命と恩人と言っても男を泊めていいものか。それにまだ相手の素性もわかっていないのに。それでも首を縦に振ってしまったのは、困っている人を見ると放っておけないセレンの性格だろう。その性格が幾度となくトラブルの種になったのは言うまでもなく、今日の出来事は最も最悪だった。
目の前にある教会は寂れていて、物静かな印象を受けるが、どこからともなく激しい地響きのような音が聴こえてくる。
「あのさ、近くで工事とかやってんの?」
アレンが尋ねるとセレンが大きく首を振った。
「一ヶ月ほど前から近くで工事をしているみたいで、今まで静かだったんですけど、先日から急にうるさくなって困ってるんです」
「ふ~ん」
二人は壁と壁に挟まれた細い道を通って教会の裏手に回った。そこには小さな庭があり、そこで見た物にアレンは感嘆の声をあげた。
「こりゃすげえな」
そこにあった物は綺麗に咲き誇る色取り取りの花だった。
美しい花壇の横には湧き水の流れる水路があり、水のせせらぎとともに甘い香りのする風が爽やかに吹く。この場所は、この街のオアシスと言える場所だった。
セレンは花々をかけがえのない存在として、大切に思う眼差しで見つめた。
「神父様は花を育てるのが好きな方でした。今でもわたしがそれを受け継いで育いて、少しでも生活の足しになればと売っているんですよ」
「ふ~ん、クーロンで大地に咲く花を見るなんて思ってなかった」
クーロンと呼ばれるこの街は、街としては大きく繁栄しているが、その大地は汚れ、枯れ果てているために栄養価もなく、花が咲くに適してるとは到底言えない。
教会の裏口から建物の中に入り、アレンはセレンに連れられるままに薄暗い廊下を歩いた。
廊下を歩いている途中で、不意にセレンがアレンに声をかけた。
「アレンさん、そこの床が――」
「うわっ!?」
急に木造の床が割れ、アレンは抜け落ちた床に片足を取られてしまった。
事故とはいえ、大事な教会が壊されてしまったことにセレンは頭を抱えた。
「腐ってるって言おうとしたのに……もう、これからは気をつけてくださいよ」
「だったら、早く言えよ」
「だって、わたしはいつも意識せずに避けてるから、ついつい言いそびれてしまったんです!」
「つーかさ、腐ってるってわかってんなら直すとかしろよ」
「直すお金もないですし、わたし大工仕事なんてできません!」
「なんであんた怒ってんだよ、床が抜けたのは俺のせいじゃないだろ」
「だって……」
生まれて間もないときからセレンはこの教会で育った。この教会はセレンにとって掛け買いのない大切な場所であり、事故であったといえ、その大事な場所が壊されることに怒りがこみ上げてくる
頬を少し赤くしながらもセレンは高ぶる感情を抑え、アレンをある部屋に案内した。
こぢんまりとした小さな部屋にはベッドとタンスが置いてあるだけだった。
「長い間使っていませんでしたけど、この部屋を一晩使ってください」
セレンは長い間使われてないと言ったが、その部屋の床にもタンスの上にも埃なく、アレンがベッドに腰掛けても埃が空気中を舞うことはなかった。そのことから、この部屋が定期的に、セレンの手によって掃除されていることが伺えた。
「わたしは包帯と消毒薬を持って来ますから、この部屋でじっとして待っていてください」
「わかった」
セレンはアレンを部屋に残し、自分の部屋に救急セットを取りに向かった。
廊下を歩きながら、セレンは今さながらアレンを連れて来てしまったことを後悔する。しかし、この家には盗まれるような物はなく、アレンが自分ことを襲うような人とは思えない。でも、やはり見ず知らずの人を泊めることに不安はあった。
アレンは悪人ではないが、善人とも思えない。それがセレンの感想だった。
救急セットとタオルとバケツに張った水を持ったセレンは、アレンの待つ部屋のドアをノックもせずに開けた。
「…………!?」
部屋に入った途端、セレンは息を呑んで目を丸くした。
あまりの驚きにセレンは荷物を落とすことのなく、ただ固まってしまうばかりで、アレンから目を離せずにいた。
セレンの視線の先には服を全て脱いでいる、全裸の状態のアレンが立っていた。
全裸を見られているアレンは気にすることもなく、セレンに声をかけた。
「ちょっとさ、背中見てくんない?」
「え、あっ……」
自分に背中を向けるアレンから、セレンはまだ目を離せずにいた。
そこにあったモノがただの男性の裸だったら、セレンは目を両手で覆って視線を逸らせたに違いない。しかし、そこにあったモノは違ったのだ。
柔らかな曲線を描く脚の付け根にある小ぶりなお尻は、発達途中の少女のお尻のようであったが、大きく形良く膨らんだ胸は見ているだけでセレンもドキッとしてしまう。そう、アレンは女だったのだ。しかも、セレンを驚かせたのはそれだけではなかった。アレンの右半身は鼠色に輝く金属によって覆われていたのだ。
その場で動けなくなっているセレンの目の前までアレンが移動した。
「俺の身体ジロジロ見て、エッチだぞあんた。もしかして、そっちの趣味があんのか?」
「え、違います、別に女の人が好きとかじゃなくて、その身体……」
「サイボーグだよ。こん中に入ってる臓器も半分は人工臓器」
そう言ってアレンが右胸を叩くと、金属の鳴り響く音がした。アレンの右の乳房は左と形の上では差異なく再現されているが、やはり鼠色の金属でできていた。
アレンはセレンの手からタオルと水の張ったバケツを取り上げ、タオルを水で浸すと、右肩についた血の痕を拭きはじめた。
血の拭き取られた傷痕は大きな瘡蓋になっていた。通常の人間ではありえない回復の早さなのは言うかでもない。
水の張ったバケツの中に紅く染まったタオルが投げ入れられ、バケツの中から水が床の上に少しはね飛び散る。そして、アレンはセレンに向かって背中を向けた。
「背中ちょっと見てくんない?」
言われたとおりセレンがアレンの背中を――というより、アレンから目を離せずにいたセレンが背中を見ると、そこには黒い煤がついたような跡が三つ並んでいた。その三つの後を線で繋げた先に、右肩の傷痕がある。この三つの跡はアレンが料理店で銃弾を受けたときのものであった。
「黒い煤汚れみたいな跡が三つありますけど?」
「そこんとこさ、へこんだりしてない? ちょっと手で擦ってみて」
言われたとおりにセレンはアレンの背中に触れた。温かかった。金属の背中は予想とは違い温かく、人の温もりが感じられた。しかし、人肌とは違い、硬い金属であることには違いなかった。
セレンが弾の痕を指先で擦ると、黒い煤が指先に残るだけで、アレンの背中にはへこんでいる痕もなにもなかった。
「別にへこんでもませんけど?」
「やっぱな。あんな弾くらいでへこむはずないんだけど、いちよー確かめないとな」
「弾って、もしかして撃たれんですか!? もしかしてこの傷も?」
にしては治りが早いことにセレンも気が付いた。
「貫通したから治りが早くて助かったぜ。炸裂弾とか喰らってたら泣いちゃうとこだったよなぁ」
振り返ったアレンはセレンに向かって笑った。その笑みをみたとき、セレンはとんでもない人と係わり合いになってしまったことに気づいた。目の前にいる少年のような少女は、ただの人間ではない。
アレンは自分のお尻や脚などを見回すと、満足そうに頷いた。
「他は撃たれたないみたいだな」
服を着替えはじめるアレンを見て、セレンはこれからこの少女とどうやって接すればいいのかを一生懸命、頭をフル回転させて考えていた。
まず、少年だと思っていたアレンが少女だったことで、それなりに態度が変わってくるだろうし、それよりもあの鼠色の身体を見てしまっては……。
アレンは軽くサイボーグと言ったが、あんな大掛かりな物は今だかつて、セレンは見たことも聞いたこともなかった。きっと、半身をサイボーグ化する技術は現代の技術ではなく、今に残る〝失われし科学技術〟によるものだろう。しかし、それでも誰がその技術を使ってアレンにサイボーク手術を施したのかわからない。そんな技術を使いこなせる者が、この世に何人いるのか?
「あの、アレンさんって……」
と言って、セレンは口を噤んだ。
「俺がなに?」
「別にいいんです。それよりも、夕飯食べますよね? 粗末なものしかありませんけど」
「夕飯はいらねえ。さっき腹いっぱい食って来たとこだから……ま、代金は高くついたけど」
苦笑いを浮かべるアレン。それを見てセレンはなにを思ったか、こう口にした。
「食い逃げですか?」
「はっ? 食って逃げたには逃げたけどさ、別に食い逃げじゃねえし、相手が一方的に撃って来たんだしさ」
「お金は持ってるんですか?」
「一文無し」
「やっぱり食い逃げしたんじゃないですか!」
「なんか勘違いしてねえか? 俺は普通にトッシュって野郎と食事してたら、変な女が配下の野郎どもをみたいのを引き連れて来て、気づいたらマシンガンでズドドドドドって撃たれたわけよ」
「トッシュって、〝暗黒街の一匹狼〟と呼ばれる人のことですか!?」
「そーいやー、そんな呼ばれ方してたような、してなかったような?」
「あなたいったい何者なんですか!?」
これが一番聞きたかったことだった。
「何者って聞かれても困るよなぁ。俺は俺だし、決まった職業に就いてるわけでもねえしな」
誤魔化されているのか、本心からこんな回答をしているのか。アレンの表情からは窺い知ることはできなかった。
セレンはアレンから聞くことをやめた。世の中には知らない方がいいことが多い。きっと、目の前にいる少年に似た少女とは、深く係わり合いにならない方がいい。それがセレンの答えだった。
「わたしはこの部屋を出て右の突き当たりの部屋にいますから、用があったら訪ねて来てください。じゃあ」
セレンは足早に部屋を出ようとしたが、それを真剣な顔をしたアレンが止めた。
「あのさ」
「なんですか?」
「トイレどこ?」
「……はい? え、えっと、部屋を出て左の突き当たりです」
「あんがと、じゃな」
人懐っこい笑みを浮かべるアレンに手を振られ、セレンはなんとも言えない表情で部屋を後にした。