Action Novel / Short Episode

不老孵化

人はなぜ永遠の命を求めるのか?

長編 2005/10/18 更新 読了目安:約1時間50分
本文

第1節 ―

 ギィギィと悲鳴をあげるベッド。その上で裸の男女が戯れていた。

 男の腰に跨った女は腰を上下に浮かし、そのたびに豊満な胸が激しく上下に揺れ動く。

 豊満な胸がたわわに揺れるたび、男のモノが奥まで突き立てられる。

 肉と肉が交じり合いぶつかる卑猥な音。

 女のくびれた腰を掴む男の指に力が入った。

「ううっ……」

 情けなく弱々しい男の声。

 動きを止めた男の顔に苦痛と玉の汗が浮かび、男の股間に激しい痛みが襲った。

 女のナカに迸る血。

 男は果てた。

 ぐったりと口から泡と涎を垂らし、全身から溢れ出た汗がシーツに大きな染みをつくった。

 女は気を失う男の唇を甘噛みして、自分のナカなからオトコを抜いた。

 何度も果て、気を失っているというのに、男のモノは猛々しく天を向いている。

 そして、その先端からは紅い血が滲み出していた。

 痛々しいモノに女の繊手が巻きつく。

「もうあなたからは十分いただいたわ」

 唇が鳴り、女はモノを丸呑みにして溜まっていた精液を全て吸い尽くそうとした。

 口の中に広がる鉄の味。

 女は男根から口を離すと、妖しく微笑んだ。

「お礼に永久の夢幻をあげる」

 長く伸びた爪が男の胸に押し当てられ血が滲む。

 女は男の胸に絵を描いた。

 皮を切り描かれた絵は、地図記号のような幾何学模様だった。

 微かに女の耳が動く。

 安ホテルの廊下を走る音。

 女のいた部屋のドアが蹴破られ、私服警官がセミオートピストルを構えた。

「動くな、手を頭の後ろに!」

 銃口は女の胸元に向けられている。

 女はベッドから降りて、指示通りに手を頭の後ろに回した。その口元が妖しく嗤っている。

「はじめて現場を押さえられちゃったわね。でも、わたしは捕まらない」

 銃口に背を向けた女は窓ガラスに飛び込んだ。

 ガラスが割れ、女は夜の街に姿を消した。

 ここは三階だ。

 警官はすぐに窓の下を見回したが、薄暗い路地に人影はない。

 はじめて現場を押さえられたというのに、まんまと逃げられてしまった。

 苦虫を噛みながら警官は後ろを振り向いた。

 ベッドで横たわる男の姿。

 男はぐったりと気を失っているというのに、モノは天を突いて痙攣し、生暖かい鮮血を噴き続けていた。

 また犠牲者を出してしまった。

 果てない快楽と苦痛の渦に男は囚われてしまったのだ。

 帝都エデンの中でも、一、二を争う大都市ホウジュ区。

 リニアモーターカーが停車するギガステーションが都外との距離を縮め、外からの観光客や仕事で訪れる者も多くいる。

 ショッピングビルが辺りを埋め尽くし、車よりも人間の数の方が遥かに多い。

 人が集まれば、その街は発展し、その影では犯罪も多くなるのが鉄則だ。

 観光外として開けている街を奥に進むと、そこにはアンダーグラウンドな文化が根付いており、昼まっから娼婦たちが道路を闊歩している。中には薬の売人や殺し屋まで紛れている。

 ホウジュ区には帝都役所や帝都警察本部までもあるが、街の奥までは警察の手は及ばない。売人が薬をいくら売ろうと、そこに殺人などの事件が絡まない限り警察は動かない。おとなしく薬を売っている分には、警察も見てみぬふりをするのだ。

 仕事熱心な警官はこの街では嫌われる。

 ホウジュ区の裏通りには、金をもった連中も訪れる。サラリーマンであったり、公務員であったり、お偉い先生方の姿もちらほらある。

 その中に、超ミニスカの女子高生の姿があった。しかも、この辺りでも知られる名門校の制服だ。それもこの場所では珍しいことではない。

 女子高生の華艶[かえん]は車の滅多に通らない道路を闊歩しながら、そこらを歩く男たちを物色していた。

 その眼に、眼鏡をかけた生真面目そうな痩せ型の男が映った。

 今日の獲物[ターゲツト]だ。

 華艶はさっと男の後ろに近づき、男の肩を軽く二、三度叩いた。

「お兄さん待って」

 甘く可愛らしい猫なで声を出すと、男はニヤニヤしながら急いで振り向いてきた。

「なんだい?」

「パンツ買わない?」

 さっそく取引がはじまった。いわゆる、使用済みのパンツを販売するブルセラというやつだ。

 華艶の指は五本とも開いている。それを見て男は少し顔をしかめた。

「ちょっと高くないか?」

「ぜんぜん高くないってば。今ここで脱いで渡してあげるんだから。それと――」

 華艶の濡れた唇が、男の耳元にそっと近づいた。

「さっき独りでしてたから、パンツもべっとり濡れてるよ」

 息を吹きかけるように言われ、男の股間に電気が走り鼻息を荒立てた。

 すぐにポケットから男はサイフを出して、札を数えはじめた。

 サイフの中を覗き込んだ華艶はため息をつき、札の束を見てもっと吹っ掛ければよかったと唇を噛んだ。

 五万円を受け取り、華艶が再度自分で金勘定をしていると、男の手がいきなり華艶の腕に掴みかかってきた。

「もっと出すから一緒にホテルに行かないか?」

「ちょっとやめてよ」

 腕を引いて、男の手を振り払おうとするが、なかなかしつこくて離れない。

「なあ、一〇万でいいだろ?」

「残念だけど、あたしの身体は売りもんじゃないの」

 それでも男は華艶の腕を放そうとせず、もう片方の手が華艶の小ぶりなお尻まで伸びてきた。

 これには華艶もキレて、自らの手で男に制裁を喰らわそうと動いたそのときだった。

「いてててて……」

 男の手首が持ち上げられ捻られたのだ。

 華艶ではない、いったい誰が?

 スレンダーな長身の華艶が少し目線を上げると、そこには熊みたいに大きな男の顔があった。

「大丈夫か?」

 野太い声で聞かれ、華艶は眼を丸くしながら小さく頷いた。

「うん、あんがと」

 まさかのこの街で人に助けられるなど思ってもみなかった。

 スーツ姿の熊男に手を離された痩せ男は、手首を押さえながら地面に膝をついて喚いた。

「ぼ、ぼくは都議会議員の息子なんだぞ!」

 喚く痩せ男を熊男が見下ろしている。熊男の眼は権力にまったく屈していない。完全に痩せ男を見下している。

「だからどうした?」

「な、なんだとーっ!?」

 痩せ男はヒステリーを起こし、後先考えず熊男に飛び掛かった

 骨の折れる音が鳴り響く。

 熊男の拳が痩せ男の前歯を砕いていた。

 血を噴出しながら、痩せ男は気絶して背中から地面に倒れた。この瞬間、周りに集まってきていたギャラリーが静かに歓声をあげた。ギャラリーはいるが、警察に通報するものが誰もいないのは、この街の特徴だろう。喧嘩が長引けば、それで賭け事をする輩もいるくらいだ。

 汚れた拳を真っ白のハンカチで拭く熊男の姿を見ながら、助けられた華艶は呆気に取られていた。

「助けてくれたのはありがたいんだけど、あんたヤクザ屋さん?」

「ははっ、元軍人だ。それよりも、私が助けたのはいい迷惑だったか?」

「ううん、助けてくれてありがと。こいつしつこくて困ってたとこだったし」

「だが、あなたなら自分の力でどうにかできただろう」

 華艶の耳が止まった。自分のことを知っている。だとしたら、助けられたのも偶然ではなかったのかもしれない。

「もしかして、あたしのことずーっとつけてた?」

「五分ほど前からだ」

「サイテー、ぜんぜん気づかなかった」

「これでもプロなのでな」

「あたしもセミプロなんだけど」

 熊男はにこやかに笑った。

 ひとりはプロ、もうひとりはセミプロだが、二人の属する分野はまったく異なっている。熊男は軍隊上がりの戦闘のプロ。華艶はまた別のセミプロだった。

 熊男がすぐそこに止めてあった白いバンを指差した。

「仕事の話がある。車に乗ってくれないか?」

「助けてくれた恩義はあるけど、いきなり車に乗れだなんてど田舎でも危なくてやんないよ」

「今は信用してもらうしかない。ここでは話せないことなのだ」

「まーね、仕事の話なんてこんな人通りの多い道路のど真ん中でやるわけにもいかなし」

 辺りには人が集まっていた。さっき痩せ男をぶっ飛ばしたのがいい見世物になった。

 すぐに人々の関心は薄れ、徐々に散らばって消えていくが、それを待ってる時間がもったいない。

 熊男の眼前に華艶の人差し指が近づいた。

「一万円くれたら、車に乗ってあげる。もちろん前払いね」

「わかった、いいだろう」

 熊男はすぐにサイフから一万円を出して華艶に渡した。

「毎度あり」

「領収書をもらえるかね?」

「はぁ?」

「冗談だ」

「あぁ」

 呆れ顔のまま華艶は熊男のあとをついていき、白いバンの中に乗り込んでいったのだった。

 依頼人の名を告げられぬまま、華艶は車に揺られてホウジュ区から区を跨いでミヤ区まで移動していた。

 ミヤ区といえば帝都の中枢。政府機関の建物も多く、中でも堀に囲まれた大宮殿夢殿が有名だ。

 夢殿にはこの都を治める女帝が住んでおり、その周辺の敷地には政府の会議などが行われるヴァルハラ宮殿などもある。

 この夢殿やヴァルハラ宮殿は、それを囲むように隣接するエデン公園の敷地内にあり、この公園は自然指定区域や立ち入り禁止区域などが多く、メビウス時計台やイスラーフィールの塔などの都市遺産もある。

 ミヤ区といえば、高級住宅街が一角にあることでも有名だ。

 どこぞの財閥の社長などの屋敷もあり、華艶の乗せたバンはその屋敷のひとつの庭を通っていた。

 樹齢を数えるのもめんどくさそうな松や梅、春には桜だろうか。木々の植えられた純和風の庭を向け、車は大きな日本家屋の玄関前で止まった。玄関前と言っても、まだまだ玄関までは一〇メートルはありそうだ。

 母屋に上がり大勢の使用人に頭を下げられ、鏡のように磨かれた長い廊下を進む。横には小石の敷かれた庭と小池が目に留まり、色鮮やかな錦鯉が優雅に泳いでいる。

 華艶を連れて来た熊男――車上で黒川と名乗った男の足が、固く閉じられた襖の前で止まった。

 黒川は襖の前の廊下に正座し、華艶にも促すと部屋の中にいる人物に申し上げた。

「会長、あの者を連れてまいりました」

「入れ」

 小さくか細い声であったが、芯のしっかりしている声だった。威厳が込められている。

 襖がゆっくりと開けられ、中を覗き込んだ華艶は思わず絶句してしまった。

 和室には似合わない心拍系や生命維持装置などの医療器具の数々。

 点滴から伸ばされた管に繋がれ、枯れ木のような老人がふとんの中で安らかに目を閉じていた。

 老人が上体を起こし、華艶の顔を見つめる。顔は皺だらけで老いようとも、その眼は獣のように鋭い。

「よく来てくれた。私が九音寺左京[くおんじさきよう]だ」

「まさか!」

 思わず華艶は上ずった声をあげてしまった。

 大きな正面門を潜ったときから、ここがどこなのかは気づいていた。超がつく大財閥である九音寺グループの会長宅だ。だが、なぜここに呼ばれたのかはまったく見当がつかなかった。

 たとえ仕事の依頼だとしても、住む世界が違いすぎる。そんな依頼来るはずがないと思っていたのだ。

 そして、九音寺左京といえば、若干まだ三〇代のはずだ。

 黒川が華艶のそっと耳打ちをした。

「ここで見聞きしたことは他言無用だ。人に話せば、九音寺グループが全力であなたの排除にあたる」

 なにが他言無用なのかは、すぐにわかった。ここにいる九音寺左京と名乗る老人のことだ。

 しかし、疑問がある。

 九音寺会長はつい最近も雑誌などのメディアに顔を見せ、今朝のニュース番組でも会見のようすが放送されていた。そこに映っていた九音寺会長の姿は若々しく、実年齢よりも若い肌のつやをもった二〇代に見える男性であった。

 考えられる可能性は、ニュース番組で見たあっちが偽者である可能性。だとしても疑問は尽きない。

 九音寺と名乗った老人は、口を半開きにしている華艶を見て、皺だらけの顔にさらに皺を刻んで微笑んだ。

「メディアに露出している男は無論影武者で、私が本物の九音寺左京だ」

 急に九音寺は咳き込み、ゆっくりとまくらに頭を乗せてしまった。

 身体が弱っているらしいことは見た目からも明らかだ。生命維持装置で命を繋ぎ止めていることから考えて、重病であることも間違いないだろう。

 九音寺は横になりながら眼をつぶり話を続けた。

「私がこの病を発症したのは三年ほど前だ。医師はこの病に小難しい名前をつけたが、これは先祖代々が戦ってきた病――急激に身体が老化する病だ」

 これで謎がひとつ解けた。ここにいる老人は三〇代の老人なのだ。だが、新たな謎が現れた。

 ――先祖代々が戦ってきた病。

 まだ依頼を内容も聞いていなければ、受けるとも答えていない華艶に、九音寺会長は九音寺グループを揺るがすことを打ち明けている。これに華艶がちょっと待ったをかけた。

「ちょっと待って、まだあたしは依頼を受けるなんて言ってない」

 ここまで聞いてしまっては後戻りはできないが、もっと聞いたら屋敷を生きて出れる保証がない。

 黒川が畳の上を滑らせ、小切手を華艶に差し出した。ゼロの数が多くて金額を把握するのに時間がかかってしまった。

「依頼を受けさせてもらいます」

 華艶は依頼内容を聞く前に即決した。小切手には一〇億と書かれていたのだ。

 しかし、一〇億で全てではなった。黒川が話を続ける。

「それは前金。仕事が終わったときに残り九〇億をお支払いする」

 それは今までにない報酬だった。こんな高額で依頼を受けたのははじめてだった。もちろん高額な報酬にはリスクが伴う。

 小切手を差し出されたとき、契約書も一緒に差し出され、華艶はすぐにそこにサインをした。これでもう前に進むしかない。

 九音寺会長が再び上体を起こした。

「依頼を受けてくれて感謝する。では、依頼内容を話そう」

 時は平安時代までさかのぼる。

 妖魔の呪いによって、九音寺家の先祖は急激に老衰していくという不治の病をかけられてしまった。

 呪いは子へと孫へと受け継がれたが、病は必ず発病するとは限らないらしく、いつ起こるともわからない。左京の祖父は余生を全うし、父は発病して死んでいったと云い、一族は日々怯えながら過ごしているのだ。

 依頼内容は病を治すために働いて欲しいというものだった。

 九音寺会長の置かれている状況は理解できた。だが、具体的になにをすればいいのか聞かされていない。

 しかも、華艶にはなぜ自分がという思いもあった。

 それなりに名の売れている華艶だが、まだまだトップクラスには程遠く、本業は学生だ。大財閥の会長であれば、もっとトップクラスの者を雇うことも可能だったはずだ。それにこれだけの地位になれば、雇わずともお抱えがいそうなものだ。

 華艶はそっと手を上げて、静かに声を出した。

「あの、具体的にあたしはなにをすればいいの? あと、なんであたしを雇おうと思ったのか教えて欲しいんだけど」

「それについては、別の場所で黒川に話させよう」

 続けて九音寺会長はまくらに頭を乗せて黒川に命じた。

「華艶さんを帝都病院にお連れしなさい」

 ゆっくりと九音寺会長は目を閉じた。心拍系が動いていなければ、まるで死んでしまったように安らかだ。

「会長はお疲れだ、我々は場所を移動しよう」

 黒川に促され、華艶は疑問を残しながら九音寺邸をあとにしたのだった。

 帝都の北西に位置するカミハラ区は、特にこれといった産業はないが、住宅街が多く都心に勤める者たちが多く住む町だ。

 そこにある某大病院の裏病棟。そこは普段人気のない地下にある特別病棟で、公のものはその存在すら知らない。

 コンクリの壁に包まれた無機質な廊下に、三つの足音が響き渡った。

 ひとつは裏病棟の患者を担当する医師。

 その後ろを歩くのは黒川。

 最後尾を付いて歩いていたのは、ルーズソックスを穿く女子高生――華艶だった。

 黙々と歩き続け、厚い鉄の扉を開けた先にあった病室。

 そこには窓もベッドもない。もちろん花瓶もない。あるのは人が眠る冷凍装置だけだった。

「今回のケースでは発見が早かったために一命を取り留めました」

 感情を含まない声音で医師が言った。

 冷凍装置の中で眠っているのは若い男だった。

 心肺などの全ての機能を停止させ、脳すらも働いてない。細胞一つ一つが眠りに付き、病魔に冒されていても進行を食い止めることはできる。裏を返せば治療不可能ということだ。

 硝子窓から見える男の顔を華艶が覗きこんだ。腰を曲げて尻を突き上げ、短いスカートから下着が覗くが、そんなことなど気にもしてないようだ。

「冷凍装置なんか入れられちゃって、どんな病なの?」

 黒川の人間は手に持っていたファイルから書類を取り出し、機械的な口調で読み上げはじめる。

「男の名前は大森達男、年齢二六歳独身、職業フリーター。現在の居住地は――」

 永延と続きそうな黒川の説明に華艶が嫌そうな顔をして口を挟む。

「この男の素性なんて興味ない。あたしが聞いたのは病状の話なんだけど。それとこの患者と依頼とどんな関係があるわけ?」

 書類をしまい、黒川は咳払いをひとつした。

「依頼内容は〈サキュバス〉を生け捕りにすることだ」

「サキュバスってどこのサキュバス?」

 サキュバスといえば、中世ヨーロッパに伝わる女性型の夢魔のことで、眠っている男と行為に耽ることから淫魔とも呼ばれている存在だ。

 だが、最近帝都の街を賑わしているのは別の〈サキュバス〉だ。

 黒川は分厚いファイルを華艶に手渡した。

「〈サキュバス〉事件の〈サキュバス〉だ。これが警察関係者を通じて手に入れた捜査資料だ」

 医師は冷凍装置の調整をしながら、華艶に顔を向けた。

「この男の病状についてお聞きになりますか?」

「聞きなくてもわかってるからいい。仮死状態にしないとイキ続けちゃうんでしょ、かわいそうに」

 軽蔑の眼差しで華艶は眠る男を小ばかにしながら笑った。

 公にはまだ伏せられた事件であるが、華艶が裏の情報筋から〈サキュバス〉事件のことを知っていた。

 ここ数ヶ月の間に〈サキュバス〉に襲われたのは、わかっているだけ六人。被害者は全員若い男性ということが特徴で、中には小学生まで混ざっていた。

 なぜ〈サキュバス〉は若い男を襲うのか、詳しい事情まではわからないが、被害者たちは〈サキュバス〉とセックスをしたのちに、射精が止まらなくなり狂気的な快楽の中で絶命したと推測されている。

 発見されたばかりの屍体は、萎れた男根が赤く腫れ上がり、精液と血が混じり合った液体が床に大量に流れていたという。

 ここで冷凍された男は発見が早かったために、死を免れた〈サキュバス〉の被害者だ。

 黒川は医師を部屋の外に出し、眠り男を含めて三人だけが病室に残った。

「なぜ〈サキュバス〉を生け捕りにして欲しのいか、話さねばならないな」

「うんうん、やっと本題って感じ」

「捜査資料にも書かれているが、〈サキュバス〉は男の精を吸い若さを保っているとされている。九音寺会長はそこに目をつけられたのだ。生憎、あの病を治す術はわかっていないが、〈サキュバス〉を生け捕りし、研究すれば病を治すこともできるかもしれない」

 あの病が治らなければ九音寺会長は長くはないだろう。死を遠ざけるために〈サキュバス〉を捕まえる。だとしたら、一〇〇億でも安かったと華艶は唇を噛んだ。

 しかし、なぜ一〇〇億もの仕事が舞い込んできたのか、華艶はまだ疑問に思っていた。

「質問していい?」

「どうぞ」

 と黒川が促す。

「なんであたしなんかに依頼したの? 有名な会長さんなんだから、モグリのあたしじゃなくて、組合に所属してる真っ当なトラブルシューターに依頼すればいいのに」

「政府公認のTS組合はストライキを起こして、依頼をまったく受け付けてない」

「それでも、あたしよりクラスが上の無所属のトラブルシューターがいると思うけど?」

「あなたが選出された理由は第一に女性であり、〈サキュバス〉の影響を受けないと考えたからだ」

「第二は?」

「会長は病を治すためにあなたの特異体質についても調べていたことがあったのだ」

「いつの間にサイテー。盗撮とか盗聴とかもされてたわけ?」

「その話は置いておこう。とにかくあなたの特異体質が会長の病に応用できるものではないと判断された。その件もあって会長はあなたに興味を持ち、あなたに仕事の依頼をする運びになったのだ」

「あたしってば会長さんに惚れられちゃった?」

 笑いながら華艶は言った。

 そう言えば九音寺会長はまだ独身だったはずだ。それに華艶は九音寺会長になにか懐かしさを感じたのだ。もしかしたら、過去にどこかで会っているのかもしれない。

 仕事の内容もはっきりし、あとは〈サキュバス〉を生け捕りにすればいい。

 さっそく華艶は仕事に取り掛かることにした。

「じゃ、あたしはさっそく〈サキュバス〉を捕まえにいってくるね」

「〈サキュバス〉を追っているのはあなただけではない。警察も〈サキュバス〉の能力を奪おうとしている者もだ」

「ご忠告ありがと、じゃね」

 ひらひら手を振って、華艶は病院をあとにした。

 事件の足取りを辿るには、現場に足を運ぶことからはじまる。

 華艶の足は自分のホームグラウンドに向かっていた。

第2節 ―

 カミハラ区の大病院をあとにし、華艶はその足で隣のホウジュ区に向かった。

 都外との連絡口であるホウジュ区は人口密度も高く、都内の中でも三本の指に入る大都市である。

 夕暮れと同じ色をした電波塔――帝都タワーの見下ろす中、華艶は街の奥へと足を進めていた。

 昼間よりも夜のほうがこの街は活気付いている。華艶も夜の街を気に入っている。

 華艶の足は街の奥へ奥へと運ばれ、廃ビル寸前の建物で営業をする安ホテルの前で止まった。

 〈サキュバス〉のもっとも新しい被害者が出た場所だ。

 ホテルに入ると、カウンターの奥でテレビを見ている男が眼に入った。向こうからこちらに声をかける気はないらしい。

「304号室開いてる?」

 華艶が声をかけてはじめて無精ひげを生やした男が顔を向けた。

「一泊三千円だ」

「おつりは入らないから」

「御用のときはなんなりと。エレベーターは故障中なんで、階段で上がってください」

 華艶が札を一枚渡すと、男は急に笑顔になって、部屋のキーを渡してくれた。

 壊れているというエレベーターを素通りし、三階へ上がり廊下を進む。

 廊下を歩いていると、薄いドアの奥から甲高い女の喘ぎ声が聞こえてくる。

 四番目の部屋のカギを開け中に入ると、そこはホテルの概観よりも酷い場所だった。

 部屋に入った瞬間に臭ってくるトイレの悪臭。

 置いてある家具は茶色いシーツに穴の開いたベッドがひとつだけ、たったひとつの窓は、ダンボールが覆いかぶさっている。

 こんな場所に頼まれても泊まる気はない。裏の世界に生きている華艶だが、いちようはお嬢様学園に通っている身だ。

 華艶は部屋を一通り見回し、穴の開いた床を避けながら窓に近づいた。

 ダンボールを引き剥がすと、割れた窓ガラスが姿を見せる。

 下を覗くと遥か下に地面が見える。汚れた路地裏を走るネズミの影。

 華艶が窓の外に飛んだ。

 ここは三階だ。

 脚を曲げながら衝撃を抑え、華艶は地面に降りた。手を付きそうになったが、あまりにも地面が汚いので、ギリギリで堪えた。

 夜の路地裏は奥まで見通すことができない。近隣から漏れる光があるものの、それでも身の回りを見るのが精一杯だ。

 辺りを見回しながら華艶は先を進む。道は一本で、入れそうなビル隙間も見当たらない。つまり〈サキュバス〉の闘争ルートと同じ道を辿っていることになる。〈サキュバス〉が鳥みたいに空を飛べなければの話だが。

 大通りの眩い光が裏路地との境を作っている。あと一歩も踏み出せば賑やかな界隈に出ることができるが、華艶の足は止まってしまった。

 後ろから聞こえてくる足音。

 華艶は振り返った。

「誰?」

「君と同業だ〈不死鳥〉の華艶さん」

 若い青年の声が返ってきた。声は風のように透き通り、それでいてカマイタチのように鋭い。

「あたしのこと知ってるの?」

「もちろん」

 闇の中から徐々に青年の姿が浮かび上がってくる。

 長く伸びた脚はレザーパンツに包まれ、薄手の黒い長袖はボタンを大きくはずされ白い肌が覗いている。その胸元に刻まれた十字の刺青。

 華艶はその刺青を持つ男を噂で聞いたことがった。

「同業だなんて言わないで。あたしはトラブルシューター、あなたは殺し屋でしょ?」

「大差はないだろう」

 月のように白く輝く顔に、紅い唇が浮かんでいる。

 この場に姿を見せたのは殺し屋の瑠流斗[るると]という男だった。胸の刺青が印象的で、腕もいいと噂される。

 華艶と同じ道をたどってきたということは、〈サキュバス〉事件に関係あると見て、まず間違いないだろう。

 先に華艶から質問しようと口を開きかけたが、瑠流斗に先を越された。

「ここで会ったということは君も〈サキュバス〉事件を追っているのだろう。目的はなんだ?」

「生け捕りにすること。あんたは?」

「もちろん殺すことだ」

「手を引いてもらえない?」

「無理だ。クライアントは〈サキュバス〉の首を持ち帰ることを希望している」

 殺すということは〈サキュバス〉の能力には関心がないということだ。

 怨恨の線が強いか?

 華艶は捜査資料に記載されていた被害者を思い出す。だが、瑠流斗ほど名の通った殺し屋を雇える金額を払える被害者がいただろうか?

「ねぇ、ちょっとさ聞いていい?」

「なんだ?」

「あんたさ、一人当たりいくらもらってるの?」

「なぜをそんなことを聞く?」

「ちょっと興味があるだけ。ちなみにあたしはパンツ一枚五万円で売ってるよ」

「殺す相手とクライアントによる」

 すんなりと後半部分は流された。

「クライアントの名前とかは教えてくない?」

「無理だ」

「でしょうねー」

 最悪だ。しょっぱなからライバルに出会ってしまった。しかも、目の前の男は〈サキュバス〉を殺す気でいる。なんとしても相手よりも先に〈サキュバス〉を探さなくてはいけない。

 捜査状況は自分と相手のどちらが進んでいるのか、華艶は瞬時に思考を巡らせた。

 犯行時刻とほぼ同じ時間にホテルの窓から飛び出し、裏路地を抜けてこの場所に来た――瑠流斗も同じだったのだろう。向こうも〈サキュバス〉の足取りが掴めていないということだ。ここまでは五分と五分。

 決め手はどれほどの情報を持っているかだ。

 華艶の手元にあるのは、警察から流された捜査資料のみ。

 無言で立ち去っていこうとする瑠流斗の背中に華艶が呼びかける。

「あのさ、〈サキュバス〉の手がかり掴んでるの?」

「すぐに追いつく」

「なにか掴んでるの?」

「微かに匂いがする」

「あんた犬?」

 事件からは二日が経過し、この裏通りは歪んだ空気を孕んでいる。警察犬でも〈サキュバス〉の足取りを追うのは不可能だ。

 再び立ち去ろうとする瑠流斗と華艶は追おうとした。今ある重要な手がかりは目の前の男だ。逃がすわけにはいかない。ならば、そっとあとをつければいいものを――。

 瑠流斗が振り返る。氷でできた月のように、静かに冷たく瑠流斗は振り返った。

「着いて来るなら〈サキュバス〉にたどり着く前に、君を殺す」

 この先も二人が鉢合わせする可能性は十分にある。

 華艶は悩んだ。

 ここで瑠流斗だけを行かせれば、先を越されてしまう。

 ここで瑠流斗を殺せば手がかりが途絶える。

 二人の目的は違うので、手を組むのも不可能だ。

 こっそり跡を追うとしても、そんなに簡単に追わせてはくれないだろう。

 もっとも華艶が不安を覚えたのは、戦ったとしても勝てるかどうかだ。

 ならば試してみるしかない。

 華艶の変化に瑠流斗はすぐに気がついた。殺気だ。漲る殺気が空気に溶けている。

 もう激突は避けられない。

 街灯の光に羽虫たちが集まっている。

 露出度の高い服を着た女がタバコを吸いながら二人を見ていた。

 街灯を背に立つ瑠流斗。

 瑠流斗の伸びる影の先に立つ華艶。

 女はさっさとタバコを投げ捨て、店の中に逃げ込んだ。

 辺りを歩いていた人々も同様。

 なにか危険を察知したのか、店の中に逃げ込んだり、この場を足早に立ち去っていく。

 数秒のときが流れる。

 先に仕掛けたのは華艶だった。否、別の存在だった。

「なに!?」

 華艶にはなにが起こったのか理解できなかった。

 足首を掴まれた。

 瑠流斗は目の前で鋼の表情を崩していない。

 すぐに華艶は足元を見た。

 なにもない。

 華艶は眼を剥いた。

 道路に飛び散る血飛沫。

 華艶は腕を押さえて一歩退いた。

「どうやったの!?」

「指を一本一本へし折ってもいい。それとも一撃で仕留めて欲しいか?」

 なにが起こっているのか理解できない。

 どこから攻撃をされているのかもわからない。

 瑠流斗は微動だにしていないのだ。

 仲間がどこかにいるのか?

 誰も近くにいない。

 気配もない。

 では、なにが華艶を攻撃したのか?

 瑠流斗はまだ動く気がないらしい。

 ならば、華艶から仕掛けるしかあるまい。

「炎翔破[えんしようは]!」

 野球ボールほどの火の玉が華艶の手から投げられた。

 炎を宿す鳥――〈不死鳥〉の通り名を持つ華艶の取って置きの技だった。

 燃え盛る炎は火の粉を撒き散らしながら瑠流斗に一直線に向かい、そのまま直撃するはずだった。

 闇色の壁が瑠流斗の前に突如として現れ、大口を開けて炎を呑み込んでしまった。

 これだ、これが謎の攻撃者だ。

 闇色の影は人型をしている。しかし人間ではない。影の身体は長い毛が生えたように波打っている。二足歩行の獣の影だ。

 いったいこの存在はなんのだろうか?

 瑠流斗が冷たい風に乗せて静かに言う。

「闇獣[あんじゆう]だ。前に依頼を遂行させていたときに懐かれてしまって、それ以来僕の影から出ようとしないんだ」

「闇獣ってなに、聞いたことない」

「その子が君の相手をしてくれる」

 瑠流斗が背を向けた。

「ちょっと待ちなさいよ!」

 もう華艶の声は届かない。夜闇の中に瑠流斗は姿を消してしまった。

 すぐに華艶があとを追おうとしたが、その前に闇獣が立ちはだかる。

 聞こえない咆哮が聞こえたような気がした。

 華艶が横に一歩動くと、闇獣も一歩動いて華艶を正面に捕らえる。先に進ませてくれる気がないようだ。

 多くの怪物どもと戦いを繰り広げ、未知の怪物とも戦ってきた華艶だが、今回の相手はどうしたらいいかわからない。

 動物系でも昆虫系でもない。相手は闇色の影なのだ。口から炎でも吐いてくれたほうが、よっぽどわかりやすくて戦いやすい。

 様子見の一発が華艶の手から放たれる。

「炎翔波!」

 闇獣が口を開け、炎の玉は深い穴に落ちたように、その中に吸い込まれていってしまった。

 闇が光を呑み込むか、光が闇を呑み込むか。この場合は光が闇に呑み込まれた。

 接近戦ならどうなる?

 華艶はポケットからバタフライナイフを取り出し、闇獣に向かって斬りかかった。

 闇中は動かない。

 街灯の光を反射しナイフが煌いた。

 風を切る音。

 だが、ナイフは闇獣の身体に傷をつけることなく、空気を切った感触しかない。

 物理攻撃が効かない!?

 戸惑いで華艶に一瞬の隙ができた。その不意を衝いて闇獣が姿を消した。

「どこ!?」

 戦いの勘が働き、見えないなにかを避ける。

 華艶の背中が引っ掻かれ、服に鮮血が滲んでしまった。勘に従わなければ、致命傷を負わされていたかもしれない。

 攻撃地点を振り返るが、そこには闇獣の姿はない。気配もない。

 敵の攻撃に備えながら華艶は辺りを一周見回す。

 華艶は聞いたことがあった。本体が傷付けば、影も傷付く。ならば影が傷付けば本体も傷付くと。しかし、本体は影に攻撃を食らわすことができない。

 闇獣が本当に影なのであれば、華艶には打つ手がない。

 ――なにかが違う。

 華艶の本能が訴える。

 最初に腕に攻撃を喰らわされたときは気づかなかったが、今背中に攻撃を受けたときには微かに気配がした。

 注意深く華艶はあたりに気を配るが、やはり闇獣の気配はない。

 影は本体あっても影だ。

 気配だ!

 咄嗟に華艶は前転跳びをして闇獣の攻撃を躱わす。

 長い脚が天に向き、ミニスカートが乱れる。

 その最中、逆立ち状態の華艶は自分を後ろから襲うおうとした闇獣の姿を捉えることに成功した。

 鼠色の毛をもった獣。それは瞬時に闇色へと変化して姿を消した。

 実体化とでもいうのだろうか。闇獣は相手への攻撃をする、その一瞬だけ本体を現すのだ。

「……倒せる」

 華艶が小さく呟いた。

 次はいつ攻撃を仕掛けてくるのか?

 ――違う。

 今どこにいるのか?

 闇獣は影に溶け込むことができるらしい。今もなにかの影に忍んでいるに違いない。

 ビルの陰か、車の影か、自分の影かもしれない。

 街灯の細い影が、少し伸びたような気がした。

 間違いない、街灯の影が伸びている。それも凄いスピードだ。闇獣は影の中では形すら変えることができるのだ。

 華艶の足元まで伸びてきた影の中から、闇色の獣が這い出してくる。

 そして、それは華艶の目の前で実体化した。

 鋭い爪が振り下ろされる。

 今がチャンスだ。

「宿れ炎よ、焔灯剣[えんとうけん]!」

 華艶のバタフライナイフに炎を宿り、燃え盛る長剣と化した。

 振り下ろされる爪の方が早い。

 だが、華艶を捕らえるはずだった爪は手首から切り落とされ、血飛沫が華艶の顔を汚した。

 辺りに飛び散ったのは紅い血だけではない。紅蓮の炎が闇獣の身体を覆い火の粉を散らす。

 炎を宿す焔灯剣で斬られた闇獣を覆う長い毛に引火したのだ。

 火だるまになりながら、闇獣は苦しみもがき道路の上で転げまわっている。

 次期に闇獣は灰と化して魂は闇の中に堕ちていく。

 華艶は焔灯剣を一振りして炎を払い、元に戻ったバタフライナイフをポケットの中にしまった。

 辺りに人はいない。

 店の扉も硬く閉められている。

 煌びやかなネオンがとても寂しく見えた。

 ペットを倒した華艶は、その主人の行方を追おうとしたが、もう遅い。

「あーっ逃げられた!」

 木霊する声が虚しさを物語る。

 捜査は振り出しに戻ってしまった。

 いや、マイナスだ。

 このままでは瑠流斗に先を越されてしまう。

 華艶は頭を抱えながら、とりあえず瑠流斗の消えた方角へと足を運ばせたのだった。

 千鳥足の男は街で会った女子高生をアパートの一室に連れ込んだ。

 薄汚い部屋だが、キッチンだけは新品のように輝いている。

 ベッドまで来ると、男は小柄な少女の身体をひょいと持ち上げ、ベッドの上に投げ捨てて、いそいそと男はズボンのベルトを外しはじめた。

 ここまで来たらやることは決まっている。そもそも少女のほうから誘ってきたのだ。

 少女も男同様自ら脱ぎはじめ、ブラウスのボタンをひとつひとつ魅せるように外しはじめる。男はそれに釘付けで、トランクスの布地が内から突き上げられている。

 ブラウスのボタンが全て外され、前が開いたところで男は自制を失い少女に飛び掛かった。

 少女はノーブラだった。

 ブラウスを剥がすように脱がせ、白い柔肌に男が貪りつく。

 紅潮する少女の頬をナメクジのような舌が這い、首へと移動させながら唾液の痕が光る筋を引いた。

 女の甘い匂いが男は酔いしれる。

 鋭敏な感覚を備えた耳に男の舌先が触れた。

 卑猥な音が耳元で鳴り響く。

 その間も男の岩のような手は少女の胸の膨らみをまさぐり続けていた。

 男の欲情は昂進させられ、脳は白泥に溶けていく。

 乳房を握りながら淡いピンク色の乳首に男は唇を尖らせ吸い付いた。

 唇を遣い、舌を遣い、男は出るはずもなく乳を吸い、乳児よりも貪欲に乳首を吸い続けている。

 少女は堪らず男の頭を抱きかかえた。

「お願い、早くあなたの挿れて欲しいの」

「焦るなよ」

 男の顔がスカートの中に突っ込まれた。

 清楚な白いパンティの割れ目に男は鼻先を突っ込んだ。

 厭らしさを誘う汚物の匂いが男の鼻を突く。

 肉欲が身体の底から湧き上がり、少女の股間から顔を上げた男は、黄ばんだ歯を剥き出しにして笑う。

「もうぐちょぐちょだな」

「だから早くあなたのを挿れてって言ってるでしょ」

 男はパンティの後ろに指を引っ掛けて、少しずつ楽しむように剥ぎ下ろしていく。

 適度な丸みと柔らかさを備えた太ももを触りながら、パンティはくるくる丸められながら膝まで到達した。

 自らの胸を揉みしだく少女を見ながら、男はパンティを一気に足先から抜いた。

 少女の恥丘を見た男の顔に自然と笑みが零れた。

 縮れの少ない細くて薄い毛では少女の秘所を隠すことができなかった。

 少女は指で軽く秘裂を開き、唇を舌で濡らす。

「実は処女なの」

「うそだろ!」

「本当よ、でも男と寝るのははじめてじゃない」

「再生手術か?」

「私の処女膜は男と寝ればすぐに再生するの」

「はぁ?」

 疑問を覚えつつも男は肉欲を優先させた。

 男は少女の綺麗な直線を誇る秘裂を押し開け、真珠の包皮を剥いた。

 肉唇は薄紅く、少女の言うとおり経験が少ないように感じられる。だが、それとは裏腹に少女は積極的だった。

「あなたの熱くて太いのを早く食べたいわ」

 少女は自らの秘所を指先で性感しながら、身体を動かして四つんばいになり、肉付きのいい尻を高く上げた。

 男は自らのモノを握り、すでに充分過ぎるほど濡れている少女の秘裂に亀頭を押し当て、縦に割れた秘裂をなぞるようにして感触を楽しんでいる。

 男はついに猛った肉棒を少女の中に突き刺した。

「ひっ、ひぃぃぃぃ」 

 のけぞりながら少女は下卑たよがり声が発し、口から唾液が糸を引いてシーツに染みを作った。

 男が入挿れた場所はアナルだった。

 すぼまっていた肛門を無理やり押し広げられ、少女の額には玉の汗がいくつも浮かんでいた。しかし、少女は抵抗することなく淫らな美貌を浮かべている。

 括約筋は必死に男のモノを締め上げ、外へと排出させようとするが、男はギュウギュウに閉まった中に根元までモノを突き挿れた。

 ローションもなにも使わず、一気に突き入れらた肛門からは血が滲んでいるが、男は後先のことは考えず、少女もまた快感に酔いしれていた。

 緩やかだったピストン運動が徐々に速さを増していく。

 膣よりも遥かに締め付けの強い内側を男は乱暴にかき混ぜ、少女はそのたびに喚き、全身から力が抜けたように白目を剥き、口からは唾液が垂れ流されている。

「中に出すぞ、いいな!」

「あぁん、ああっ、ひいっ!」

 女の脳は蕩け、男は絶頂を迎えようとしていた。

 だが、突然アパートの薄いドアが激しい音を立てて開けられたのだ。

 部屋に入ってきた黒い影は、胸に十字を刻み、剃刀のような視線を少女に浴びせる。

「それが次の餌か〈サキュバス〉」

 〈サキュバス〉と呼ばれた少女は妖しく笑った。少女には似つかわしくない悪女のような表情。

 ただし、その顔は警察のモンタージュ写真とは違った。

 モンタージュ写真の〈サキュバス〉は二〇代後半から三〇代前半の女だったからだ。

 ここにいる少女は肌に艶も瑞々しさもある女子高生そのものだった。

 〈サキュバス〉は男のモノを抜いて、ベッドから飛び降りた。

 すぐに瑠流斗も動く。

「シャドービハインド」

 瑠流斗の姿が床に呑まれるように沈んで消えた。それに気づいた〈サキュバス〉は思わず足を止めて辺りを見回す。

 〈サキュバス〉は驚愕した。

 振り向いた真後ろに、なんと瑠流斗が音もなく立っていたのだ。

「いつの間に!?」

「君の首を頂く。比喩ではない、依頼人が君の生首を望んだ」

 瑠流斗が手を振り上げた。その手は刃物のように切れ味がある瑠流斗の武器なのだ。

 空気が弾けるような軽い音が小さな部屋に響き渡った。

 腹を押さえる瑠流斗の指の間から紫の血が滲む。

 鼻を突く硝煙の臭いの先には、リボルバーを震える手で構える男の姿があった。

 瑠流斗の手刀が風よりも早く動いた。

 カッと眼を剥き少女の首が宙を舞い、噴水のように血を噴く身体とともに首は地面に転がった。

 一部始終を見ていた男は、声も出せずに震えている。すでに股間のイチモツは哀れに萎んでいる。

 近づいてくる瑠流斗に発砲しようとするが、引き金を引く指に力が入らない。

「く、くくく来るな!」

「危害を加えるものに牙を剥くのは本能だ――苦しみながら地獄に堕ちろ」

 銃声が響き渡った。だが、そこにはすでに瑠流斗の姿はない。

「ぐぎゃっ!?」

 男の悲鳴。

 闇の閉ざされる世界。

 男は光を失った。

 瑠流斗の手に乗せられた二つの玉は視神経の糸を引いていた。

 両目を抉り取られた男は顔を押さえながら暴れ周り、走り回った挙げ句に凄い勢いで壁に衝突して床に倒れた

「俺の俺の目がぁぁぁっ!」

 床で転げまわる男の身体を瑠流斗が馬乗りになり抑える。

 暴れ馬の上で、瑠流斗は大きく口を開けた。

 瑠流斗の口が男の顔に近づく。

 男の口が血の塊が噴き出す。

 その男の喉元に顔をうずめていた瑠流斗は顔をゆっくりと上げた。

 白い顔が真っ赤な血で汚れている。とくに口の辺りは紅を差したように鮮やかだ。

 血のついた口を手の甲で拭い、瑠流斗はそっと立ち上がる。すでに男は絶命し、死人と化していた。

 そして、瑠流斗の腹から滲み出していた紫の血もすでに止まっていた。

 眼を見開き、血の気を失い蒼白くなった少女の首が、カーペットの上に転がり紅い染みを作っている。

 生首の髪の毛を掴み持ち上げた瑠流斗は、少女の顔を自分の顔の正面に向けた。

「何人の精を貪った?」

 そして、そっと瑠流斗は死人に口付けたのだった。

第3節 ―

 ケータイで呼び出された華艶は黒川と合流し、殺人現場へと赴いた。

 朝も早くからアパートの周りに野次馬や報道陣が集まり、警察が立ち入りを制限していた。

 立ち入り禁止の黄色いテープの前で、黒川は警官と示しをあわせて中へと入り、華艶も後に続いた。一般人である二人が待遇されるわけは、もちろん陰に九音寺グループがあるからだ。

 現場の部屋に着く前にも、点々と血痕がいくつかあり、部屋の中でなにが起きたのか想像を掻き立てられる。

 部屋の中は鉄臭かった。

 全裸の男女の屍体が二つ。

 男は両眼を抉られ、首を噛み千切られ死んでいる。

 女は首を消失させ、腹を破られ死んでいる。

 どちらも猟奇的な殺人鬼の仕業だろうか。

 華艶は辺りを見回しながら女の首を探していた。

「この女の首はどこ?」

 周りで作業を進める捜査員や鑑識官たちは自分たちの作業に勤しんでいる。華艶と黒川は蚊帳の外、所詮はよそ者なのだ。

 首がない女の屍体を見ながら、華艶は一昨日の夜に出会った殺し屋のことを思い出していた。

 女の屍体の横に華艶がしゃがみ込もうとすると、検視官に鋭く睨まれたが、華艶がわざと股を広げてしゃがんでいたために、検視官は眼を伏せてしまった。

「ねぇ黒川さん、これ本当に〈サキュバス〉の屍体なの?」

「ほぼ間違いない。前に採取した細胞と比較した結果だ」

「あーあ、依頼失敗ってわけ?」

「気づいていないのか?」

「気づいてまっすよー」

 ニヤニヤと華艶は笑いながら、腹の裂かれた屍体を観察していた。

 腹の傷は内部から爆発したように裂かれている。外ではなく、内からの損傷が意味することはなにか?

 帝都で起こるこの手の事件で多いのは、寄生虫が体内で育ち巣立ちするときに腹を食い破るケースだ。

 今回もそのケースが適用されるかもしれない。

 女の裂かれた腹から伸びる血の痕は、なにかが這ったように見える。その血痕の注目すべき点は、血痕の行き先は部屋の出口ではなく、シャワールームだと言うことだ。

 もし、シャワールームに向かったのが意図したことであれば、人間のような知性を持っていることになる。

 女の腹から出た生物が寄生虫であろうが、なんであろうが、母体を出たばかりの生物が、なぜそんな知性を持っているかが疑問だ。

 次に追う獲物は決まった。

 〈サキュバス〉の腹から生まれた生物が新たなカギを握っている。

 しかし、華艶は別の手がかりにも手を伸ばしていた。

「黒川さん、マドウ区まで車出してくれる?」

「マドウ区になにがある?」

「情報屋に頼んでおいたモノがマドウ区で見つかったの。詳しい話は車の中で話すから」

 もうここでの情報は得た。

 華艶と黒川は事件前場をあとにし、移動用のバンに乗り込んだ。

 さっそく座席についた華艶は、横に座る黒川に一枚の写真を手渡した。

 写真を見た黒川は訝しげに首をかしげる。

「誰だ?」

 男とも女ともつかないしわくちゃの老人がそこには写っていた。

「桜坂水璃。歳はぁ~推定一五〇歳以上で、マドウ区でひっそり旦那と隠居生活。えっと、性別女ねぇ」

「この女がどうした?」

「実はそれ本人の写真じゃなくて、〈サキュバス〉の手配写真をCGで年取らせてみたの、ざっと一〇〇歳くらい」

「この女が〈サキュバス〉ということか?」

「さぁーどーだろぉー。でもね聴いて、この水璃お婆ちゃんはね、偽名で人を買ってるの。若い男の子ばっかり何人も」

 人身売買の歴史は古代からあり、江戸時代は奉公と称して若い娘たちが売られていた。現代では影を潜める人身売買だが、貧しい国では今もなお公に行われているのが現状だ。

 日本では他人事の人身売買だが、この帝都にはある。主に売られてくるのは子供で、海外から密入国で運ばれてくる。

 華艶たちを乗せた車は帝都の中枢ミヤ区の上に隣接するマドウ区に向かっていた。

 マドウ区と言えば魔導産業で栄えた区で、帝都の観光産業よりも多くの地益を帝都に落としている。

 ショップなどの立ち並ぶ界隈や駅前は素通りし、住宅街の一角へと車は走っていた。

 広い庭のある二階建ての家。一軒どこにでもあるような家だが、周りの家々と比べると塗装も色あせ月日を感じる。ここが桜坂家だ。

 車から降りた華艶と黒川は、門を開け敷地内に入り、玄関のインターフォンを押した。

 返事はすぐには返ってこなかったが、しばらく待っていると真っ暗なキャッチディスプレイから老人の低い声が聞こえた。

「どちら様で?」

 顔は映らないが、声から男手あることがわかった。おそらく桜坂婦人の夫――桜坂京太だろう。

 華艶は一瞬考えをまとめ、返事を返した。

「桜坂京太さんですね。奥様にお話があります。拒否する場合は強硬手段も取ります」

 強硬手段を取るということは、それなりの理由があるからだ。訪問販売とは訳が違う。

 老人の声はすぐに返って来た。

「帰ってくれ、でないと警察を呼ぶぞ」

 このセリフを言われないために、華艶は核心に迫り先手を打ったのだが、やはり簡単には中には入れてもらえなかった。

「黒川さん、ドア開けれる?」

「この家のシステムは九音寺グループのものだ、すぐに開く」

 黒川は懐からマスターキーとなるカード錠を取り出し、玄関のカードリーダーに差し込んだ。

 この家のロックはカードキーと指紋センサーだけで、マスターキーを持っていることでカードキーはすぐに解除、指紋センサーについても黒川の指紋で簡単に開いてしまった。これは特権だが、犯罪に使われたら九音時グループの信用はがた落ちだ。

 九音寺グループはカードキーの複製は不可能であると高言しているが、マスターキーを紛失でもしたら大変な騒ぎになるだろう。

 簡単に玄関を開けた黒川を華艶が羨ましそうに見ていた。

「そのカードキーあたしも欲しいなぁ」

「駄目だ」

「一日貸してくれるだけでも」

「私の首が飛ぶだけでは済まされなくなる」

「残念」

 玄関を開けると、部屋の奥から杖を突いた桜坂老人が慌てた様子でやって来た。

「警察を呼ぶぞ!」

 調べでは九三歳という年齢らしいが、それよりもだいぶ若く見える。見た目だけで判断すなら七〇代前半というところだろうか?

 すでに玄関の段差に腰を掛け、ローファーを脱ぎ始めている華艶は、首を上げて桜坂老人を見つめた。

「警察を呼ぶならご勝手に。ついでにこの家の中も調べてもらいましょう」

 華艶の言葉に老人は言葉を詰まらせたが、すぐに喉の奥から言葉を吐き出す。

「帰ってくれ、ここにはなにもない!」

「その言い方だと、ここになにかあるって言い方だけど?」

 靴を脱ぎ終えた華艶は、勝手に家の中に上がりこみ、辺りの部屋を覗き込んだ。

「奥さんはどこですか?」

「家内は寝たきりだ」

「会わせてもらえると嬉しいなぁ」

 猫なで声を出してみたが、桜坂老人の顔は険しい。

 行く手を阻もうとする老人を押しのけ、華艶は強引に部屋の中を散策し、暖炉のあるリビングのソファーに勝手に座った。

「奥さんが駄目なら、あなたに話があるから、どうぞ座ってください」

 席を勧めるのは主人が普通だ。客人が席を勧めるのは珍しい。

 華艶の強引なやり方に、桜坂老人は観念したのか、疲れ切った表情をしながら華艶の向かいのソファーに腰掛けた。相手が老人ではなく若い主人だったら、激怒されて無理やり追い出されていたかもしれない。

 二人が席に着き、黒川も華艶の横に腰掛けたところで、桜坂老人が話しはじめた。

「私の妻になんのようだね?」

 桜坂老人は華艶に目を合わせなかった。

「奥さんが人身売買で子供を大量に買っていたことはわかってるの。それ、なにに使ったの?」

 駆け引きなどなにもない聞き方だった。

「知らん。妻が人身売買などするはずがない」

「奥さんは魔導師だそうで、美容に関する研究を昔からやっていたそうね。あたし回りくどいの苦手だからはっきり言うけど、〈サキュバス〉っていう怪物が男とセックスして精を吸い取ってるだけど、それ奥さんじゃないの?」

「知らん。妻は寝たきりだ」

「なら会わせて」

「だめだ」

 話し合いが最初からうまくいくとは思っていなかっらが、相手からもらえる情報は不信感を煽る態度だけだ。

 見切りをつけた華艶が立ち上がった。

「勝手に探すから、止めても無駄」

 華艶は足早に部屋を出て行き、桜坂老人は慌てて杖を突いて追いかけた。

 ここが寝室だと勘で入った部屋で、華艶はベッドで静かに寝ている老人を見つけた。

 思わずハッとする華艶。

 ポケットから写真を出して、ベッドで横たわる老人と見比べる。

 双子レベルで瓜二つだ。

 間違いない――桜坂水璃婦人だ。

 すぐに華艶を追いかけて桜坂老人と黒川がやって来た。

 ベッドにいる桜坂婦人を見て黒川もハッとした。

「桜坂婦人だな」

 間違いなくそこに寝ているのは桜坂婦人だ。だが、華艶は自分の予想と反した出来事に納得がいかなかった。論理的じゃない、プライドの問題だ。

 華艶は死んだように眠る桜坂婦人の手首を握った。温かいし脈もある。

「納得いかないし」

「妻は身体が弱っていて寝たきりだ。静か寝かせてやって欲しい」

 桜坂老人の言葉を信じるべきなのか?

 だとしたら、先ほどの慌て様子や動揺はなにを意味している?

 皺くちゃな桜坂婦人の顔を覗きこみ、華艶はなにを思ったように桜坂婦人の首下を触った。起きる気配はまるでない。さらに華艶は触り続け、何重にも重なった皺を広げて隈なく調べた。

 そこに桜坂老人がなにか慌ててように華艶の腕を掴んだ。

「やめてくれ、そっと寝かせておいてくれ!」

「残念でしたー、もう見つけちゃった」

 ふふーんと華艶は鼻で笑った。その表情は充実感に満ち溢れている。

 桜坂老人の顔色が曇る。

「なにをだね?」

「手術痕。皺に隠れて見づらいけど、ちゃーんと残ってるよ。たぶんこれさ、整形手術の痕なんじゃないの、違う?」

 桜坂老人の手から杖が離され、ついに老人は床に膝を付いて精神から崩れた。

「妻を止められなかったんだ。責任は全て私にある」

 替え玉まで用意する周到さだったが、秘密を隠し通す精神が桜坂老人にはなかったのだろう。防波堤が壊れたように桜坂老人は全てを話しはじめた。

「妻は私と出会う前から不老不死や若返りの研究をしていた。その研究の成果は素晴らしいもので、私も妻の実験台に何度かなったことがある。細胞を活性化させ、いくらか若さを取り戻すことはできる。だが、妻はそれでは納得がいかず、真の意味での若返りを求め、非人道的な実験を繰り返し、多くの若者たちが実験の犠牲になって死んだ。その頃から私は妻を恐れるようにあり、研究を止めようと思ったこと何度もある。だが、私は妻を止めることができず、そればかりか妻に手を貸し、事の隠蔽にも手を貸した」

 全ては美の探求のために、桜坂水璃に買われた子供たちは犠牲となったのだ。

 華艶は桜坂老人の横にしゃがみ込み、優しくそっと尋ねる。

「それで研究はどこまで進んでたの?」

「あるときから、妻は研究室にこもり私とも顔を合わせない日が続いた。私はいつのように食事を届け、いつもならドアの前にそっと置いて帰るのだが、その日は部屋の中から声がしたのだ」

 それは喘ぎ声だった。老婆のしゃがれた喘ぎ声。

 桜坂老人は脳裏に悪夢を描きながら、それでもドアノブにそっと手を掛けていた。

 ドアのカギは開いていた。

 そっとドアを一〇センチほど開け、中の光景を見た桜坂老人は驚愕した。

 おぞましくも裸の男女が燃え上がっていた。

 台の上で手足に手錠をはめられ横たわる少年の上に、皺くちゃの老婆が跨っている。

 少年は犯されていた。

 自分より十倍以上も歳の離れた老婆に犯せれ、すでに白目を剥いている少年。

 それでもなお老婆が少年を貪りつくし、汗ばんだ身体を皺とともに激しく上下させていた。

 少年は薬を打たれており、意識を朦朧とさせながらも男根は猛り老婆の膣に突き刺さっている。

 何度か目の射精が老婆の膣内に放たれた。

 桜坂老人は妻の変化を見た。

 精を膣内に放たれた老婆の白髪頭に黒い線がいくつか走り、肌に刻まれた皺がだいぶ減ったように感じられる

 この部屋にいた桜坂婦人の姿を見たときからそれは感じていた。最初に見た時点ですでに桜坂婦人は若くなっていたのだ。

 それが桜坂老人が見た婦人の最後の姿だった。怖くなった桜坂老人はドアを閉め、自室に閉じこもってしまった。

 次の日、桜坂婦人は姿を消していた。

 話を聞き終えた華艶は、ある疑問が浮上していた。

「わかってる範囲で〈サキュバス〉の被害者は、さっきの男も入れて七人。これさ、あたし思うに少ないと思うの。実際はもっといると思うし、そうなると別の疑問があるんだよね」

 老婆が女子高生の身体になるには、どれほどの男の精を奪えばいいのかはわからない。多いかもしれないし、少なくても済むかもしれないが、データがないのでそのあたりはわからない。

 若返ることを貪欲に望んだ者が、数ヶ月――実際は二ヶ月もあって七人しか襲わないというのは不自然ではないだろうか?

 華艶は疑問の眼差しで桜坂老人に顔を向けた。

「奥さんが若返るの見たんだよね?」

「そうだ、私の前で妻は若返っていったのだ」

「つまりそれって見た目でわかるくらい若返ったってことだよね。そゆことは、何百人も男と寝る必要はないわけじゃん、たぶん。七人くらいと寝れば、かなり若返っちゃうかもしれないけどさ、なんか引っかかるんだよね」

 腹を破られていた屍体が華艶の頭に浮かぶ。

 寄生虫は宿主から栄養をもらって育つ。

 だとすると、発見されていない被害者から奪ったエネルギーは、寄生していたもの栄養として回された可能性がある。そして、研修者である本人がその異変に気づかないわけがない。寄生しているものに栄養が行けば、それだけ若返りが妨害されるのだから。

 他の考えをすれば、寄生していたもの自体が若返りの秘術の謎を握る鍵であった可能性。

 今ある情報だけでは、いくつもの推測ができてしまう。

 華艶は考えることをやめた。

 達成するべき目的ははっきりとしている。

「研究室はどこにあるんですか?」

 華艶は桜坂老人に尋ねた。

「この家には秘密の地下室がある」

 そう言って桜坂老人は、部屋にあった大きな本棚から数冊の本を抜き取り、その奥にあったレバーを引いた。

 二つの本棚が音もなく速やかにスライドし、左右に開け地下に下りる階段が姿を現した。

「古典的な仕掛けだこと」

 華艶はさっそく地下室に向かい、黒川も後に続いた。

 Uの字型の階段を降り、扉を潜る

 香を焚いたような匂いがした。

 フラスコや試験管や分離機に顕微鏡。

 棚には本と薬品と臓器と思われる部位のホルマリン漬け。

 実験台の上には本が山積みになっていた。

 一番上に重ねてあった本を華艶は手に取り開いた。

 表装のしっかりした本で、中身の紙は黄ばんでいる。

「何語かすらわからない」

 謎の記号の羅列となにかの図解。華艶にはさっぱりだった。

 自分の見ていた本を黒川に手渡し、次の本を手に取り開く。

「こっちも同じ」

 この本も黒川に手渡し、三冊目の本を手に取った。この本も表装はしっかりしているが、他の本に比べて新しいように感じた。

「アルファベットっぽいけど、なんか違う。アルファベットに似てるからヨーロッパのほうの言語だと思うけど、あたしには読めない。手書きだから研究日誌かなにかかな?」

 その本に書かれた文字は手書きだった。古い書物や魔導書の類は手書きであることが多いが、華艶が手にしている本は、途中から白紙になっている。

 手がかりはここにありそうだが、専門家ではない華艶にはわからない。あとは人の手に委ねるしかないだろう。

「黒川さん、警察呼ぶ? それとも証拠押収する?」

「あとで警察には連絡する」

「オッケー」

 地下室での用事を済ませ上に戻ると、桜坂老人の姿はなかった。

 華艶が目を丸くして辺りを見回す。

「あれぇー、お爺ちゃんの姿ないけど?」

 家の中を捜索し、台所の床に横たわる桜坂老人の姿を発見した。

 黒川が桜坂老人の脈を取り呼吸を確かめ、華艶は流し台に置いてあったビンを見ていた。

「心停止している」

 すぐに心臓マッサージをはじめる黒川にたいして、華艶はため息を吐きながら言う。

「たぶん毒物だから中和剤でも飲ませないと無理じゃないの? 飲ませても手遅れって感じだけど」

「なんの毒物だ?」

「さぁ、ラベルなしの錠剤。てゆか、警察には連絡する?」

「仕方あるまい」

「その辺りの倫理は弁えているんですねー」

「九音寺グループは犯罪者ではない」

「あっそ」

 九音寺グループの強引なやり方は有名な話で、裏では犯罪行為にも手に染めていると噂されている。だが、他人の犯罪基準より、自分たちの犯罪基準が問題なのだろう。盗みはするが殺しはしないという文句と似たようなものだ。

第4節 ―

 深夜という時間帯もあり、駅の改札口は閉まっていたが、駅前のロータリーには短いタクシーの列と人影がちらほらある。

 その中にひとつだけ小さな影があった。背格好が小学生くらいの少女が夜更けに出歩いている。小さな町であれば、気にする者もいただろう。しかし、ここは帝都だ。そういうことも多々ある。

 少女の連れは中年のサラリーマン風の男だった。酒によって顔は真っ赤になっていて、とても父親とは思えない。小学生を保護しただなんて到底思えない。だとすると、答えはおのずと見えてくる。

 タクシーに乗り込もうとしていた中年男性と少女の真後ろで、冷たく鋭い声が静かな街にどこまでも響く。

「話がある」

 最初は中年男性が声を掛けられたのかと思った。けれど、そこに立っていた青年の眼は少女を見ている。

 ――瑠流斗だ。

 おどけない表情をした少女は瑠流斗を見てニッコリと笑った。その笑みの奥に潜む妖艶さは、とても小学生のものとは思えない。

「わたしになんの御用かしら?」

 口調も大人びていた。

 見た目に騙されるな。帝都では特にこれが言えるだろう。少女の皮は被った悪魔などそこら中にいるのだから。

 瑠流斗の手はすでに殺意を秘めていた。

「死んでもらう」

 鋭い爪のついた闇色の手甲を宿し、瑠流斗の攻撃は少女の喉を狙っていた。

 狙うは急所のみ。

 近くにいた中年男性はタクシーの中に逃げ込み、瑠流斗の一撃は少女の喉を掻っ切り、吹き出した鮮血が瑠流斗の顔を彩った。

 少女は艶やかに微笑んでいた。苦しみなど微塵も感じさせないその表情の理由は、生成していく少女の喉を見れば一目瞭然だった。

 掻っ切られたはずの喉が波打ちながら再生していくのだ。

 傷が塞がったそこには血の痕だけが残った。

 瑠流斗は次の攻撃に移らず、その様を見つめていた。

「やはり死なないか。おまえは不死身か?」

「いいえ、生命力が強いだけよ」

「それを得るために犠牲となった者の数に興味はない。ただ、獲物は選ぶべきだった。キミを抱いた男の中に政治家の息子がいた」

「その政治家がわたしを殺せとあなたに命じたのね?」

「獲物を選んでいれば、キミはボクに二度も殺されずに済んだ」

 近くにいたタクシーが逃げるように急発進したのとほぼ同時、瑠流斗は少女の背後に回っていた。

 人を凌駕する瑠流斗のスピードを少女は眼で追うこともできず、その場に立ち尽くすのみだった。いや、多少は動くこともできたはず。微動だにしない少女の行動は可笑しい。

 少女の背中に突き刺さった闇爪は奥まで押し込められ、激しく鼓動を打ち続けていた心臓を鷲掴みにした。

 そして、ぐしゃりと音を立てながら、心臓は身体の内部で握りつぶされたのだ。

 血で真っ赤に染まった手を抜いた瑠流斗の表情は鋼のように硬い。

 しばらくその場に立っていた少女の身体が、支えを失ったように前に倒れて動かなくなった。 心臓を潰され即死だった違いない。普通だったらそうだ。しかし、地面に頬をつけていた少女の顔がニヤリと笑ったのだ。

「心臓もすぐに生成するの。わたしは誰にも殺せない」

 銃声が木霊し、瑠流斗の重心が左に少し傾いた。

 右太腿に銃弾が貫通したにもかかわらず、瑠流斗は右足に重心を置いてなおも立ち続けていたのだ。その表情は鋼だ。並みの精神力の持ち主ではない。

 銃を握りながら立ち上がった少女の表情は、とても嬉しそうに無邪気に笑っていた。

「すごい、銃弾を足に喰らって立ち続けるなんて人間じゃない。あなたのこと食べたくなっちゃった」

「心臓を潰されても生きているのか。ボクに首を刎ねられたときも死んでいなかったのか?」

「あなたに首を刎ねられた感触はまだ覚えてるわ。あのとき、わたしであり、わたしの母だった人は死んだ」

「話が見えてこないな」

 瑠流斗は知らなかった。あの日の翌日、アパートの一室で見つかった〈サキュバス〉の死骸を見ていたならば、話は繋がっていたに違いない。首を刎ねられて死んだ〈サキュバス〉の腹から生まれ出た存在。それが今ここにいる〈サキュバス〉だった。

 辺りに残っているのは瑠流斗と〈サキュバス〉だけだった。列を作っていたタクシーも、酒の臭いを漂わせていた人影も、いつの間にか消えてしまっていた。

 残された〈サキュバス〉は残念に目を伏せてため息を吐いた。

「獲物に逃げられたわ」

「幼女の姿になってもまだ喰い足りないのか?」

「研究――つまりわたしの進化は第二段階に入ったのよ。まだまだエネルギーが必要なの」

 生まれ出ることが第一段階だとしたら、第二段階はいったいなにが起こるのか?

 それを知っているのは〈サキュバス〉だけだ。

「ところで、少女の姿をしていたのに、なぜわたしが〈サキュバス〉だとわかったのかしら?」

「臭いだ。魔性の臭いを追って来た」

「うふふ、まるで犬みたいな人ね、可愛らしい。そうね、今日は気分がいいから聞きたいことがあるなら、まだ話してあげるけれど?」

「ひとつだけ。さっき撃った銃弾はなんだ?」

「うふふふ、なんなのかしら。普通の人間だったらすぐに効果が出るはずなのに、あなたにはなかなか出ないわ。だからこうやって話をしながら待ってみたのだかれど」

「……時間稼ぎか」

 銃弾を受けた太腿には穴が開き、血が滲み出ているが吹き出すことはない。吹き出すはずの血が出ていない。

 違う。

 それは〈サキュバス〉の撃った銃弾の効果ではない。

「あの銃弾は当たったもの細胞を破壊するはずなのよ。不老の逆の効果が現れると考えてくれればいいわ」

「なるほど、それで傷口が塞がないはずだ」

「やはりそうなのね。あなたは驚異的な治癒能力を持っているから、それが今はわたしの作った細菌と攻防を繰り広げているのね」

「細菌か、厄介だな」

 瑠流斗は全身を痺れと倦怠感に襲われていた。すでに細菌が全身に回っている証拠だ。それに加え、全身に回るのを食い止められなかったということは、瑠流斗が細菌に押されているのに他ならない。

 残された時間は有限だ。

 心臓を潰されても死なない相手をどう倒す?

 瑠流斗の手に宿っていた闇爪が炎となって燃え上がった。

「ダーククロウ!」

 三本の闇の炎が爪のように〈サキュバス〉に襲い掛かる。

 髪や衣服に引火し、〈サキュバス〉を包み込み激しく燃え上がる闇の炎。

 細胞が再生するのならば、全ての細胞を燃やし尽くせ。

 瑠流斗の眼の中で揺れ踊る炎。

 やがて炎は治まり、その場には人型をした真っ黒な物体が残された。灰となったそれは踏み潰せばすぐに砕けてしまいそうだった。

 だが、瑠流斗は感じていた。

 焼けて黒くなった肌に皹が入り、〈サキュバス〉の腕が動いた。

 それはまるで脱皮するように、黒い皮を破って〈サキュバス〉が瑞々しい素肌を露わにしたのだ。

 小さな胸の膨らみも、毛すら生えてない秘所も隠すことなく、少女の顔をした〈サキュバス〉は艶然と微笑んでいた。

「その程度では死なないわ」

「ボクの負けだ。死なないと思うと油断をする。キミも気をつけろ」

 それは自分自身に向けた言葉だった。ただの銃弾だと思って油断した。

 瑠流斗の視界が薄暗くなっていく。

 全身も重くすでに感覚はない。

 地面に倒れたときも感覚がなかった。

 聴覚が〈サキュバス〉の声を聞き取った。

「わたしが可愛がってあげるわ」

 すぐに笑い声が静かな夜に響き渡ったが、瑠流斗の耳には届かなかった。

 薄暗い室内。

 段ボール箱が山のように積み重ねられたそこは倉庫のようであった。

 建物が大きく振動し、頭上を通り抜ける電車の音が激しく響いた。線路が非常に近い場所にある。真下と考えてまず間違いないだろう。

 そこは高架線の下に空いたスペースを利用した倉庫だった。

 突然、長い細い蛍光灯が倉庫内を照らし、瑠流斗は目を眩ませた。

 薄目を開けて見たそこに小柄な人影がある。

 ぼやけていた視界が徐々に戻り、そこに立っているのは一糸纏わぬ姿の少女だということがわかった――〈サキュバス〉だ。

「やっと目覚めたわね」

「なぜ生かした?」

「うふふ、あなたとセックスしたかったからに決まっているじゃない」

 瑠流斗の人格には興味はない。興味があるのはその躰。細胞を破壊する細菌と戦うことのできたその躰に〈サキュバス〉は興味があった。

「あなたにはあの細菌を死滅させるワクチンを打ってあげたわ。かわりに別の注射を打ってあげたの。なにかわかるかしら?」

「いいや」

「あら、おかしいわね。薬は充分効いているはずなのに」

 〈サキュバス〉は舌なめずりをして瑠流斗に近づいた。

 瑠流斗は逃げることはできない。なぜならば、その手首や足首は手錠によって拘束され、天井から伸びる鎖と手首を繋がれ、宙吊りにされていたのだ。

 足を動かそうにも、床から伸びる鎖が足首の拘束具と連結している。動かせても一〇センチ程度だ。

 〈サキュバス〉の小さく柔らな手が瑠流斗のシャツの下から進入してきた。

 十字の刺青が刻まれた胸板をなぞるように撫で、乳首の周りで指先が円を描く。

 感情を高める〈サキュバス〉とは対照的に、冷静な瑠流斗の意識は別にあった。

 倉庫の壁にもたれ掛かって座っている全裸の男。その肌は紫色に変色し、死後時間が経っているように見えた。

 まだ発見されていない〈サキュバス〉の犠牲者はどのくらいいるのだろうか?

 瑠流斗の意識が変死体に向けられている最中も、〈サキュバス〉は指での愛撫を続け、瑠流斗のシャツのボタンを飛ばしながらシャツを引き裂いた。

 シャツの下はすぐに地肌で、白く陶器のような肌に刻まれた巨大な十字があった。

 瑠流斗のへその周りを紅色の舌が這う。

「可笑しいわ。なぜ感じないの、あなた不能者?」

「少女は女性じゃない。君に魅力がないからだ」

「少女が好きな男どもどれだけいると思って?」

「興味がない」

「あのタクシー乗り場にいた男は、わたしのこと一〇万で買ってくれたわ」

「なら、僕はこれを君にやるよ」

 瑠流斗が嗤った。

「受け取れ」

 瑠流斗の口が大きく開かれ、か細い〈サキュバス〉首筋に喰らいついた。

 突然のことに〈サキュバス〉は顔を引いたが、その首の肉は大きく削がれてしまった。すぐに噴き出した血は止まったが、そこに瑠流斗は再び噛み付いた。

 柔らかな皮に歯が刺さり、硬い首の筋を首を振りながら引き千切る。

 〈サキュバス〉は逃げるというより力なく真後ろに倒れ、床に蜥蜴のように這いつくばり、鋭い視線が瑠流斗を射抜く。

「よくも……やって……くれたわね!」

 瑠流斗は口の周りについた血を舌で拭い、冷たい視線で〈サキュバス〉を見下した。

「甘美な血の味だった、礼をいうよ」

「許さないわよ、おまえの性器を喰らってやる!」

 狂気の形相を浮かべ瑠流斗に飛び掛かる。

 瑠流斗は両足を激しく振り上げ、床と足を繋いでいた鎖を破壊すると、そのまま両足で〈サキュバス〉の顎を蹴り上げた。

 顎骨を砕かれながら〈サキュバス〉は後ろに飛ばされた。

 その間、瑠流斗は天井に足を裏を付け、一気に天井を蹴飛ばして天井と手首を繋いでいた鎖を破壊していた。

 天井から床に向かってジャンプした瑠流斗は蛙のように床に着地し、そのままの体勢から四つ足の獣ように〈サキュバス〉に飛び掛かった。

 すぐに〈サキュバス〉は横に飛び退いたが、瑠流斗は獲物を逃さない。

 両手に闇色の鉤爪を宿し、瑠流斗は〈サキュバス〉の背中を抉った。

 倉庫の中に血の雨が降った。

 部屋の隅に追いやられた〈サキュバス〉にもう逃げ場はない。

 少女の顔に憎悪が浮かんだ。

 これが偽りのない少女の顔かもしれない。

 般若の形相を浮かべる〈サキュバス〉に意識は集中されていた。それ乱したのは金属のシャッターを殴りつけるような激しい音。瑠流斗はすぐさま音の原因を探ろうと振り向いた。

 人が潜れるほどの穴がシャッターに開いている。穴の淵は真っ赤に熱せられ溶解していた。いったいどんな兵器によって開けられた穴なのか。その答えは穴の先に立っていた。

 街灯の明かりを浴びる女子高生の姿。まさしくそれは〈不死鳥〉の華艶。シャッターの穴は華艶の操る炎によって開けられたものなのだ。

 すぐに倉庫内に駆け込んだ華艶の視線は、狙いの〈サキュバス〉ではなく瑠流斗に向けられた。

「なんであんたいんのよ!」

「君よりも有能だからだ」

 涼しい顔で瑠流斗は言った。その視線は〈サキュバス〉に注がれたままだ。

 華艶はまだそこにいる少女が〈サキュバス〉だと知らなかった。〈サキュバス〉に会うのもはじめてだ。

「そこの少女がもしかして〈サキュバス〉?」

 誰もその問いには答えなかった。

「そいつが〈サキュバス〉なんでしょ。違うならなに、あんた少女趣味でもあるの?」

 少し華艶が揶揄すると、瑠流斗は閉ざされていた唇を開いた。

「こいつが〈サキュバス〉だ。しかし、この場所がどうしてわかった?」

「〈サキュバス〉の居所わかんないから、あんたを捜してたの。あんたが見つけてくれると思ってね」

「汚いことをする」

「合理的なだけ」

 二人が会話をしている最中も、倉庫の隅で〈サキュバス〉は動かずにいた。

 裸の〈サキュバス〉はまさに丸腰だ。逃げ場もない。敵は二人から一人に増えてしまった。

 唯一の出口の前には華艶が立っている。そこに行くまでには瑠流斗という障害もある。逃げるチャンスを待つか、作るかだ。

 〈サキュバス〉が動いた。積み重なっていたダンボールに向かって走る。

 合わせて瑠流斗がいち早く動き、すぐに華艶も〈サキュバス〉を捕らえるべく動いた。

 同じものを追えば、おのずと走るコースも似てしまう。

 華艶にタックルされた瑠流斗がバランスを崩してしまった。タックルした華艶も反動で多少のバランスを崩す。それが〈サキュバス〉にとってチャンスになったのだ。

 一瞬の隙を見逃さなかった〈サキュバス〉は二人の間を通り後ろに抜けた。

 身を反転させようとした華艶の腕が瑠流斗によって掴まれ、強く後ろに引かれてしまった。

「なにすんのよ!」

「邪魔だ退け!」

「あんたこそ!」

 互いに一歩も引かず、足を引っ張りあってしまったために、二人が倉庫の外に駆け出すのに時間がかかってしまった。

 目を凝らして道路の先に潜む闇を見る。

 〈サキュバス〉の姿はどこだ?

 先に見つけたのは瑠流斗だった。

 走り出した瑠流斗を追って華艶も走り出す。しかし、華艶には〈サキュバス〉がどこにいるのかわからなかった。感覚で瑠流斗は華艶を超えているのだ。

 繁華街を照らす明かりは心もとない。明かりを灯している風俗店やカラオケ店は表通りで、道幅の狭い路地は暗闇に近かった。

 足音に耳を澄まそうとすると、近くを通る電車の音に阻まれた。

 華艶の便りの綱は前を走る瑠流斗のみ。

 急に瑠流斗が足を止めた。

 細い路地の終点に〈サキュバス〉の姿はない。

 代わりにあるのは金網のフェンス。その先には水の流れる音がした。街の中を川が通っているのだ。

 夜目が利く瑠流斗は水面の動きが眺めている。

「〈サキュバス〉は川に飛び込んだらしい」

「あんた追わないの?」

「生憎、水は苦手でね」

「ダッサー、もしかして泳げないの?」

 大口を開けて笑い出す華艶に背を向けて瑠流斗は来た道を引き返していく。

 商売敵がリタイヤしたことによって華艶にチャンスがめぐってきた。

「夜の川って寒そ」

 フェンスを華麗に飛び越え、華艶は川の中に飛び込んだ。

第5節 ―

 〈サキュバス〉との寒中水泳をした翌日、華艶は帝都病院に来ていた。

 診察室で華艶は医師と話していた。

「だから川の中に飛び込んでから調子悪くなったんだってば」

 華艶の話を聞くのは紺色のボブヘアがよく似合う主治医の魔女医チアナだった。

「あんたバカね、帝都の川にどれだけ未知の病原体や妖物がいると思って?」

「そのときはすっかり忘れてたんだってば。あるでしょ、なにかに集中すると度忘れすること?」

「私はないわ、あなたと違って」

「あっそ」

 そっぽを向く華艶の頬を異様なまでに赤く色づいていた。

 川の中に飛び込んだ華艶は病原体かなにかに感染してしまったのだ。しかも、〈サキュバス〉も見事に取り逃がしてしまった。ダブルパンチだ。

「主治医としてあたなに忠告があるわ」

「なに?」

「あなたの細胞は驚異的な再生能力を持つわ。だから脳を破壊されるか、即死に至るほどの重傷を負わない限りは死なないわ。でもね、怪我と病気は違うのよ」

「わかってるって」

「わかっていないから川になんて飛び込んだのでしょ?」

 注射器の針から液体を少し出し空気を抜くと、チアナは素早い手つきで華艶の首に注射器の針を突き立てた。

「抗生物質を打っておくわ。拒否反応が出たらごめんなさいね」

「藪医者」

 悪態をつく華艶の腕に空の注射器を差し、少し多めにチアナは血を抜いた。

「血液検査で病気の原因を突き止めておくから、病状が悪化したらまた病院に来なさい」

「いっつも思うけどさ、チアナって患者に対応がテキトーだよね」

「あなただからよ」

 ――だと思った。と華艶は思いながらも言葉を飲み込んだ。あまり悪態ばかりをつくと仕返しが怖い。

 華艶が目を離すと、チアナは別の注射器の用意をしていた。

「対応が適当だと言うのなら、病状が悪化する前に新薬を打ってあげましょうか?」

「ノーサンキュー」

 過去に何度となく新薬の実験台にされたことか。

 華艶はチアナに背を向け、逃げるように診察室を飛び出した。

 待合室には多くの人がいた。みな華艶より早くからいた人たちだ。他の人には悪いが、金でなんでも買える街だ。批判するにも金がいる。

 帝都病院は帝都一の最新鋭の施設を備えている。つまりそれは世界一ということだ。

 魔導や妖物の跋扈する街では、それに伴い医学も飛躍的に進歩した。他の国など累も及ばないのだ。

 正面ロビーより、緊急搬入口が近いという理由で、華艶はそちらに向かって歩いていた。もちろん関係者以外立ち入り禁止だ。

 出口に人影が見えた。すぐに華艶は廊下の端に寄って様子を窺う。

 干からびた全裸の男が台に乗せられ運ばれていく。医師が押さえている患者の患部は股間だった。

 どんな事件が起きてもおかしくない街だが、華艶の勘がなにかあると囁いている。

 すぐに華艶は近くにいたナースの腕を掴んだ。

「今運ばれてきた患者のこと教えて」

 と一万円札を握らせると、簡単にナースは口を開いた。

「性器を食べられちゃったんですって人型の妖物に」

「運ばれてきた場所を教えて」

「陽上[ひがみ]の一丁目……じゃなくて二丁目?」

「うちの近所じゃん。あんがと、そんじゃねー」

 華艶は病院を駆け出し、大通りに出てタクシーを拾って乗り込んだ。

「とりあえず陽上一丁目に向かって」

「了解。ところで陽上と言やあ、さっき事件があったんだってよ」

 アクセルを踏む運転手に華艶が防弾硝子越しに詰め寄った。

「それって性器食われたって男の話?」

「よく知ってんな」

 それは華艶のセリフだった。

「警察無線傍受してんの?」

「さぁてな」

 とぼける運転手に華艶は一万円札をちらつかせた。

「チップはずむから事件のこと詳しく教えて」

 運転手は前を見ながら指を三本立てて華艶に見せた。

「とっておきのネタだから三万だな」

「男が人型の妖物に性器食われて干からびたってとこ以外なら三万払う」

「それしか知らないのか、なら俺の話はとって置きだな。前金で払いな」

 防弾硝子の隙間から華艶は二万円を滑らせた。

「前金で二万。残りは話の内容しだいね」

「しゃーねえなぁ。そのチンコ喰われたっていう男の部屋に救急隊が駆けつけたとき、黄金に輝く卵だか繭を見つけたんだと。だいたいその大きさつーのが、五、六歳の子供より一回り大きいくらいだとか」

「それでその繭はどうなったの?」

「生命科学研究所に運ばれたんだとさ」

「はぁ? バカじゃないの、なんでそれ早く言わないのよ!」

 生命科学研究所といえば、帝都病院のすぐ近くにある施設だ。タクシーはすでに陽上一丁目に入っていた。

「生命科学研究所に引き返して!」

 防弾硝子が激しく殴られた。運転手はまさか防弾硝子が壊れるんじゃないかと思いながら、焦ってハンドルを切って来た道を逆送する。

 制限速度を無視してアクセルを踏む。目の前の鬼女に殺されるより、スピード違反で掴まったほうがマシだ。あわよくば警察に保護を求められる。

 華艶の足裏が防弾硝子を蹴る。

「早くしてよ!」

 バックミラーに映る後部座席の華艶は何度もスカートの隙間からパンツを見せながら、防弾硝子に強烈な蹴りを喰らわせていた。

 運転手は後ろに気を取られすぎて、目の前に迫るトラックの荷台側面に気づいていなかった。

 華艶が怒鳴る。

「前見て!」

「うわああっ!?」

 運転手が叫ぶと同時にタクシーのフロントが、トラックの荷台の下の隙間にめり込んでいた。簡易一発、運転席の前のまで押し寄せる荷台は止まっているが、フロント硝子は飛び散り、運転手は顔から血を流して気を失ってしまっている。

 華艶は慌てず騒がずタクシーから降りて辺りを見回した。通りの向こう側に帝都病院の影が見えた。

「病院の近くで事故起こすなんてラッキーなおっさん」

 華艶の事故後の対処法は、さっさと現場を離れること。

 気を失っている運転手を見捨てて華艶は生命科学研究所に急いだ。

 生命科学研究所は都立の施設ではないが、帝都病院や帝都大学と提携しており、世界最高水準の施設と情報と人材を揃えている。

 当然、施設内への進入はアリ一匹、ウィルス一匹たりとも許さない。過去に施設内部から実験生物が逃げ出した不祥事があったことから、内部からの脱出も容易ではない。

 施設は高い塀に囲まれ、高圧線とセンサーの網が張り巡らされている。正面ゲートは厳重な警備の元、詳細な許可書とIDがなければ部外者はヘタをすれば撃ち殺される。噂では戦車並みの装甲車でゲートを突破する輩への対策として、対戦車バズーカが備え付けられているらしい。

 さすがの華艶もバズーカ砲で撃たれれば木っ端微塵だ。

 考え事しながらゲートの前をうろついているだけで要注意人物にされそうだ。

 華艶は近所を歩きながら生命科学研究所から遠ざかっていた。

「う~ん」

 そもそも生命科学研究所に運ばれた物体が、〈サキュバス〉に関係あると決まったわけではない。

 しかし、華艶は切り離して考えることができなかった。

 先日、桜坂家の地下室で見た表紙の厚い本。そこに描かれていた図解の中に、今になって気になる点があるのだ。

 図解の中にさなぎのような絵があったのだ。それが孵化すると、輝くなにかが現れる絵も近くに描かれていた。

 他の絵もパラパラめくったときに見ていたはず。思い出せないが重要な絵を見たような気がする。

 今ある個々の情報たちを大きな視野で遠くから眺めると、関係ないと思っていた情報たちが手を結ぶ。

「あっ……」

 老人が徐々に若返っていく絵があったはずだ。その時点で、〈サキュバス〉は若い男の精を吸って若返っている、という情報を知ってたので絵に対して関心を向けなかった。

 しかし、今になって起きた出来事を並べると、本に描かれていた順番どおりになり、老人から若返ることが終わりではなかったことに気づく。絵は続いていたのだ。あのときは別の魔導の図解だと思って、切り離して考えてしまっていたのだ。

 続きで描かれていた絵は、胎児が母体にいる絵、さなぎの絵、そして孵化する絵。

「あたしってばヤバイ、当たってるかも」

 華艶は仮説をひらめいてしまったのだ。

 まず〈サキュバス〉は老人から若返った。これには単に若返るという理由以外の理由があったのだ。

 昨晩、華艶が目にした〈サキュバス〉は幼児体型であったが、老人から若返る第一段階のときは、そこまで若返ってはいけなかったのだ。理由は妊娠するためだ。

 若くてエネルギーある状態で妊娠する必要があったに違いない。その身体から生まれてくるものは、人間ではなかったのだから。

 そして、生まれてきたものは成長し、ある一定まで育つとさなぎになり、やがて孵化するのだ。

 〈サキュバス〉はただ若返るだけではなく。若さと共に人間を超越した存在を目指していたに違いない。

「……そんなような気がするんだけど、はずれてるかなぁ」

 華艶の目的は〈サキュバス〉の生け捕りだ。依頼を果たせば全ての謎が解けるかもしれない。

 考え事をいながら歩いていた華艶の目の前には、いつの間にか帝都病院の正面門があった。

「あーっ」

 華艶は帝都病院と生命科学研究所が、提携関係にあることを思い出し、急いで病院の中に駆け込んでいった。

「一日に二度も横入りするなんて、他の患者がクレームを出すわ」

 ため息をつきながらチアナは言った。

 順番待ちをしている患者たちをまた後回しして、チアナは華艶の対応をしていた。

「それで病状が悪化したの?」

「ノンノンノン、病気はすっかり治ったみたい。そんなことよりさ、生命科学研究所に入りたいんだけど、協力してよ」

「無理ね」

 即答された。

 チアナは話を続ける。

「あの場所に立ち入るには許可証が必要なのよ」

「だから協力してって言ってんじゃん。チアナってあそこに出入りしてるんでしょ?」

「指紋認証は闇医者にでも指紋を変えてもらえばいいけれど、静脈認証や骨格認証を乗り切るのは難しいわね」

「なにかあるでしょー」

「ないわ」

 華艶は舌打ちした。

 生命科学研究所の関係者のコネが絶たれた。

 だが、別のコネクションがあることに華艶は気づいた。

 ケータイを取り出し、華艶が電話をかけようとすると、チアナが待ったを掛けた。

「病院内でケータイ使えないのは常識でしょう。電話ならこれを使って頂戴」

 チアナに差し出された有線電話を受け取り、華艶は最大のコネに電話をかけた。

「もしもし黒川さーん」

 華艶のコネは依頼人だった。

《誰だ?》

「ひっどーい、あたしのこと忘れちゃったの? 華艶よ、華艶」

《どうしたんだ?》

「生命科学研究所に〈サキュバス〉がいるかもしれないんだけどさ、あたし許可証がなくて入れないんだよねー」

《なんだと、政府に先を越されたのか!?》

 正確には生命科学研究所は政府の施設ではないが、黒川は〈サキュバス〉の捕獲を政府に先を越されたと思ったのだ。

「たぶん〈サキュバス〉だって知らないで運ばれたっぽい。だからさ、早く生命科学研究所に進入してどうしかしたんだよね」

《難しい相談だな》

「研究所にコネクションあるでしょ?」

《あの場所は九音寺グループの保有する研究所と敵対関係にある研究所だ。人伝いに手を回していけば許可書の発行も可能だが、それには数日間の審査を要する》

「そんなに待てない」

 ガチャっと華艶は受話器を置いた。

 横目で華艶はチアナをちらりと見た。チアナは片手で華艶を払うアクションをしている。

「用事が済んだのなら早く診察室を出て行ってくれないかしら?」

「……あたしのコネもたいしたことない」

 ため息をつきながら華艶は診察室をあとにした。

 病因に戻ってきたのはまったくの無駄だった。

 こんなことをしている間に〈サキュバス〉の検査は進んでいくだろう。警察や研究員たちが優秀ならば、〈サキュバス〉との因果関係に気づくかも知らない。

 生命科学研究所に進入する手立てが思いつかないまま、華艶は病院内を歩き回っていた。

 考え事をしながらも、その意識が今すれ違った男に惹かれた。

「ちょい待ち、あんたすれ違ったんだからちょっとは反応してよ」

 男は足を止め、ゆっくりと振り返った。その白い顔に浮かぶ紅い三日月。

 ――瑠流斗だった。

 病院の廊下で敵役に出会ってしまった。それにも関わらず、瑠流斗ときたら、何事もないように華艶の横を通り抜けようとしたのだ。

 病院の廊下に足音を響かせながら華艶は瑠流斗に詰め寄った。

「どうしてあんたが病院にいるわけ?」

「依頼人が亡くなった」

「〈サキュバス〉の?」

「そうさ」

 これは華艶にとって朗報だ。

「ってことは依頼破棄?」

「遺言で依頼は続行される」

「はぁ?」

「成功報酬も上乗せされた」

 朗報かと思ったが、違ったらしい。しかし、瑠流斗はこう続けたのだ。

「依頼に失敗した場合、成功報酬は財産分与に回される。上乗せされた報酬と合わせると、とても高額だ」

 勘のいい華艶はすぐにその言葉の意味を汲み取った。

「要するにさ、報酬を払いたくない遺族がいるわけ?」

「そうさ」

 払いたくないとは「できれば」ではなく、「積極的」にという意味なのだろう。

 腕利きで高額報酬で有名な瑠流斗を雇えるほどの人物だ。一般人であるわけがない。それに「殺し屋」を雇う神経の持ち主だ。その遺族も安月給のサラリーマンに落ち着いているとは考えにくい。

 早い話が、これから瑠流斗は遺族の妨害工作に遭う可能性があるということだ。

 遺族が瑠流斗の足を引っ張ってくれれば、華艶の運びがだいぶ楽になる。

 しかし、華艶には当面の問題があった。

「ところでさぁ、〈サキュバス〉がどこにいるか検討ついてるの?」

「臭いが途絶えた」

 おそらくさなぎになったときに臭いが変わってしまったのだろう。

 瑠流斗の瞳が華艶の瞳を射抜く。

「どこにいるか知っているな?」

「例えばさ、セキュリティが厳重な場所に進入する方法とか思いつく?」

「良い情報をもらった、礼を言うよ」

 背を向けて立ち去ろうとする瑠流斗を華艶は呼び止めた。

「ちょいちょい、居場所がわかればセキュリティはどうにかなるの?」

「人が作ったものが人が打ち砕けないはずがない。人を超越した存在なら、人が作ったものなど造作もないだろうな」

「意味フ」

 歩き去る瑠流斗の背中を見ながら、華艶は舌打ちをした。

 ヘタなことを言ったために、瑠流斗に情報を与えてしまった。

 ――居場所はわかるが入れない。と教えてしまったようなものだ。

 瑠流斗は居場所さえわかれば、セキュリティを突破する手立てがあるらしい。瑠流斗が〈サキュバス〉の居場所を突き止めるのは時間の問題だろう。

 まだ瑠流斗は華艶の視線の中にいた。

「瑠流斗、ちょっと待って!」

「まだ撲になにかあるのかい?」

「〈サキュバス〉の居場所教えてあげる」

「そちらがどんな条件を出しても、最終目的が違うから協力関係は結べないよ。ボクは〈サキュバス〉を殺す」

 もう華艶に瑠流斗を引き止める理由はなかった。

 焦りだす華艶は気づかない。瑠流斗が出口ではなく、別の場所に向かっていることを――。

 華艶と分かれた瑠流斗は集中治療室に足を運んでいた。

 微かな臭いがこちらからする。

 瑠流斗は近くで雑務をこなすナースを呼び止めた。

「今日運ばれてきたICUの患者のことを詳しく知りたい」

「情報は買うものですよ。さっきの人は三万円もくれましたから」

 本当は一万円だった。

「もしかしてそれは女子高生じゃなかったかい?」

「ええ」

 女子高生とは華艶のことだった。

 瑠流斗の唇がナースの耳元に近づいた。

「残念だけど、現金を持ち合わせていないんだ。変わりにこれをあげるよ」

 鋭い犬歯がナースの柔肌に突き刺さる。

 微かに滲む紅い鮮血。

 ナースの首筋から顔を離した瑠流斗は口を拭い、紅く輝く瞳でナースの瞳を魅了した。

「女子高生に君が話したことを僕にも話して欲しい」

 空ろな瞳をしたナースは、暗示にでもかかってしまったように、ゆっくりと口を開いた。

「陽上一丁目から運ばれてきた患者の性器が、妖物に食いちぎられていたことを話しました」

「患者に他の症状は出ていなかったのかい?」

「全身が干からびたように痩せ細っていました」

「なるほど……ありがとう。では、僕の指を見て欲しい」

 そう言って瑠流斗が指を鳴らすと、ナースの瞳に光が戻った。

 自分がなにをしていたのか、数分間の記憶が靄にかかってしまたように思い出せない。廊下の先を歩く男の姿に見覚えがあるが、それがなに者だったか思い出せない。

 瑠流斗はナースと分かれ、事件の起きた陽上一丁目には向かわず、院内施設のPCルームに足を運んでいた。

 入院患者や来院者のために解放されているPCルームで、瑠流斗はパソコンの前に座りネットワークに接続した。

 キーボードが強烈なビートを刻み、仕切り板をはさみ隣でパソコンをする男も、思わず耳と手を止めてしまった。瑠流斗の指先を見ることはできないが、ありえないスピードでキーボードを打っているのは、音からも間違いないだろうと判断できる。

 瑠流斗は帝都警察のシステムにハッキングしているのだ。

 最重要情報はネットワークに接続されていないパソコンで管理されているが、捜査情報などの情報は利便性からネットワークに間接的に接続されている。

 過去六時間の間に起きた事件。その中で陽上で起きた事件を検索する。検索でヒットした中からさらに検索して目的の資料を探す。

「なるほど」

 呟く瑠流斗がなにをしているのか、回りの人々は知るよしもない。まさか公の場所で大胆にも、ハッキングをしているなど夢にも思っていないだろう。その大胆さが秘密を隠すのだ。

 事件現場で生体反応がある物体を発見。それを調べるために生命科学研究所に移送。

 情報を手に入れた瑠流斗はすぐに生命科学研究所へハッキングした。

 物理的に認証システムを突破できないのであれば、システムそのものに手を加えればいい。身体を作り変えるより、瑠流斗にとっては簡単に済む。

 五分もせずに全ての作業を終え、瑠流斗は席から立ち上がった。

 向かうは生命科学研究所だ。

第6節 ―

 一時間後、瑠流斗は生命科学研究所の正面ゲートに来ていた。

 ダークスーツに着替え、ネクタイまで締めている瑠流斗。

 IDカードを提出し、全身のスキャニングを受ける。

 このスキャニングで武器の所持の有無、登録されたIDと同一人物か認証される。

 ゲートを難なく通っていく瑠流斗の後姿を、近くの物陰から見張っていた華艶は見ていた。

「どーして入れるのよぉ~」

 華艶は未だに生命科学研究所に進入する手立てを見つけられずにいた。

 女子高生かが昼まっから学校にも行かずに、ほっつき歩くのは問題ないとして、生命科学研究所の近くをうろちょろするのはマズイ。

 実はすでにゲートの監守とは顔見知りの中になってしまった。そろそろ警察に連絡されるかもしれない。

 焦る華艶。

 このままでは瑠流斗に〈サキュバス〉を殺される。

 大丈夫、まだここに運ばれた物体が〈サキュバス〉と決まったわけではない。と思いたいが、それは華艶自信の勘が外れたことになり、その点では華艶は納得がいかない。

 正面ゲートを離れ、研究所を囲う塀の周りを歩く。

 とてもじゃないが高くて登れない塀だ。せめて網だったら登れたのだが――。

 正面から偽造パスで入ることは無理そうだ。そうなると、あとが強行突破しかない。

 華艶はケータイ電話を取り出し黒川に電話をかけた。

「もしもし黒川さん?」

《今度はなんの用だ?》

「不法侵入とかして掴まっても、優秀な弁護士をつけて無罪になる?」

《なにをする気だ?》

「ヘリからパラシュートとかなんか使って降りて、生命科学研究所に進入しようかなぁって……」

《裁判で勝つことはできるかもしれないが、その研究所には力のあるバックがついているからな……負ける可能性もある》

「じゃー今のあたしの意見はなかったことに。そんじゃ、捨て駒で生命科学研究所に進入して〈サキュバス〉奪還しちゃって。あーそれから、大変悪いお知らせだけど、〈サキュバス〉の命を狙ってる、とーっても優秀な殺し屋が正面ゲートをパスして進入したから、一分くらい前に」

《なんだと?》

 黒川の声には焦りが含まれていた。

《わかった、すぐに無登録オートマタを向かわせよう》

 オートマタとは自動人形、つまり人型ロボットのことだ。アンドロイドやドールという言い方をされるこもある。

 通話を切った華艶は地面にヤンキー座りをした。パンツ丸見えだが、近くを通る者もいないのでいいだろう。

 しばらく休んでいると、なにかの気配がした。

 通りの向こうからパトカーがやってくる。最近の車は清音仕様で近づいてきてもわからない。そのため接触事故も多くなり、自動車メイカーではわざとエンジン音のする車の開発をしている。

 パトカーの姿を確認した華艶はヤバイと確信した。ここで逃げるのもヤバイが、逃げないのもヤバイような気がする。

 思い過ごしなら華艶を通り越して走り去るだろう。

 だが、パトカーは見事に華艶の前で止まったのだ。

 降りてきた二人の警官の視線が、チラリと華艶の開かれたスカートに向けられた。華艶はわざとからかうように、大きく股を開いて挑発する。

「どこ見てるんですかぁー?」

 その質問は完全にシカトされ、

「研究所の周りをうろつく不審人物とはおまえのことだな?」

「知りませーん。誤解ですよ、ご・か・い。あたしはちょっと疲れたから、ここで休んでただけですから」

「言い訳をしても無駄だ。女子学生がいると通報を受けて来たんだ。それになんだ、学生が学校も行かずに昼間からなにしてる?」

「高校生なんで、義務教育じゃないからガッコーに行くのは個人の自由だし」

 そんなことを言う華艶は単位が足らず、去年は留年を経験しているのだ。

「とにかく最寄りの派出所まで来てもらうからな。そこで事情聴取をする」

 このまま連れていかれるのはマズイ。研究所の周りをうろちょろしていただけなので、すぐに帰してもらえると思うが、研究所の中に入った瑠流斗と〈サキュバス〉が気になって、この場を離れることができない。

「やだー、派出中に連れ込んでえっちなことするんでしょ?」

「馬鹿なこと言うな!」

 怒り出す警官を挑発するように、華艶はさらに股を開いてパンツを見せ付けた。そして自らの指先を股間に伸ばし、なにかをしようとしたのだが、その手は急に空を指差された。

「あっ、ヘリが飛んでる」

 華艶が指先には低空飛行をするヘリコプターが飛んでいた。

 警官もそのヘリを確認し、ヘリが研究所の真上で停まり、そのヘリからロープが下ろされたかと思うと、人影がスルスルとロープを伝って研究所の敷地に侵入するのが見えた。

 警官は慌て、無線機で連絡をしようとし、その視線を華艶に戻して再び慌てた。華艶の姿がないのだ。慌ててもうひとりの警官の顔を見るが、その警官も顔を横に振り、華艶が逃げたことに気づかなかったらしい。

 まんまと華艶は逃げたのだ。

 研究所内に進入した瑠流斗は足早に進んだ。

 用意していた白衣を羽織ながら、瑠流斗は陽上から運ばれてきた生命体を探した。調べた情報で、どの施設に運ばれたのかはわかるが、研究所の見取り図まで探すことができず、あとは自らで確認していくしかない。

 無機質な廊下を進み、瑠流斗の足が扉の前で止まった。頑丈そうな金属の扉だ。扉には〈LEVEL B〉の文字が描かれている。

 レベルB以上のIDカードがあれば、簡単に開くことのできる扉だ。もちろん瑠流斗の偽造したカードで簡単に開くレベルだ。

 扉は左右に開き、瑠流斗の進入を許した。

 そこから廊下を進み、左右の研究室を見渡しながら歩く。

 研究室が硝子で仕切られ、部屋の中が見れる構造になっている。

 その研究室のひとつが瑠流斗の目に留まった。

 硝子の向こうの、そのまた向こうの硝子窓の小さな部屋。その部屋に黄金に輝く繭か、さなぎのような物体を見つけたのだ。

 が、そのときだった。

 研究室にけたたましいサイレン音が鳴り響いた。

 すぐにアナウンスが続く。

《研究室内に外部からの侵入者があり!》

 進入がばれたのかと思ったが、周りの研究者達は自分に気づいていない。瑠流斗は慌てることなく、目的の研究室に侵入した。

 波長計や実験具が置かれた部屋の先にある部屋。そこに黄金の物体はある。

 大きなはめ込みのガラス窓の先で、研究員が白くてロボットみたいな防護服を着て、黄金の物体の写真を撮っている。

 研究室に入ってきた瑠流斗に気づいた研究者が声をかけてきた。

「なんの用ですか?」

「写真を撮っている彼にすぐに離れろと伝えろ」

 瑠流斗の言葉を理解できず、研究者は頭にクエスチョンマークを浮かべた。

 すぐに瑠流斗は操作パネルのボタンを押し、傍らのマイクに向かって話しかけた。

「孵化するぞ」

 その言葉は当たった。

 黄金の色の物体はそれ自体が心臓のように脈打ち、激しい閃光を放って視界を奪った。

 目潰しを喰らった研究者たちは目が眩み、瑠流斗は閃光の前に目を瞑り顔を腕で隠したが、閃光は凄まじさで眼をやられてしまった。

 閃光はすぐに治まったが、視界が白から戻らない。

 瑠流斗の前に小部屋は防音で音もこちらに聴こえない。部屋に向こうでなにが起きているのか視覚と聴覚では判断不能だ。

 だが、瑠流斗の超感覚は、そこにいる研究者とは別の存在が蠢いていることに気づいていた。

 さなぎの背中が割れ、その隙間を裂くように白く生々しい昆虫の羽が出た。それはまるで蝶の羽のようだった。

 白い羽が徐々に色づき、生々しかった羽が乾燥して形を整えていく。

 その間にもさなぎの中からは本体が這い出そうとしていた。

 人間のような背中が姿を見せ、艶めかしい肩とうなじのラインが覗いた。

 視界を取り戻してきた瑠流斗は見た。

 さなぎの中から美しい女が顔を上げたのを――。

 陶器のように白い顔には、黒い唇が微笑を浮かべていた。

 さなぎから立ち上がった身体は羽以外が女性そのもので、身長は一八〇センチ近い。優美な曲線と無駄のない丸みを備えたその身体は、どんなに高名な彫刻家でも創造することはできまい。それほどまでに完璧な身体を持って、この存在は生まれてきたのだ。

 まだ瞳の開かれていないこの存在は、そこに瑠流斗いることを知ってか知らずか、その端整な顔を瑠流斗に向けた。

 そして、ゆっくりと開かれた瞳は金色に輝いていた。

 瑠流斗は確信した。

「やはり〈サキュバス〉か……」

 〈サキュバス〉はそれに答えるように艶やかに微笑んだ。

 蝶の羽をゆっくりと動かしながら、〈サキュバス〉は床に尻餅を付く研究員を見つめ、艶めかしく舌なめずりをした。

「少しエネルギーを蓄え過ぎたみたいだわ」

 〈サキュバス〉は研修者の傍らに肩膝を付き、強化プラスチックの奥にある顔を覗きこんだ。

 防護服を着た研究者は女性だった。怯えた表情をして、瞬き一つしていない。

 固く閉じていた扉が開かれ、この個室に瑠流斗が静かに入ってきた。

「欲情して男と女の区別もつかなくなったのかい?」

 その言葉に〈サキュバス〉は笑った。

「性別を超越した存在になっただけよ」

 立ち上がった〈サキュバス〉は自らの性器の入り口を指で開き、そこが卑猥な音を立てたかと思うと、なんと膣から男性の男根が生えてきたのだ。

 すでに〈サキュバス〉のモノはそそり立ち、血管を激しく脈打たせている。

「わたしのコレ、素敵でしょう? あなたの身体で試してあげましょうか?」

 と言われたのは床にいる研究者ではなく、瑠流斗に向けてだった。

「僕は男だ」

 切り捨てた瑠流斗は冷たい瞳で〈サキュバス〉を見据えた。

 すぐにでも殺る気だ。

 瑠流斗の指の爪には黒いマニキュアが塗られていた。違う――それはただのマニキュアではなく、闇色が渦巻くように動いている。

「ダーククロウ」

 瑠流斗の爪が鉤爪のように伸び、一瞬にして鋭い凶器と化した。

 刹那、瑠流斗の放った爪は〈サキュバス〉の腕に受け止められていた。

 一瞬の動きだけを計れば、瑠流斗の攻撃速度は風よりも速かった。その攻撃を〈サキュバス〉は受けたのだ――腕で。

 〈サキュバス〉は優越な表情で瑠流斗を見下している。

「美しいものは傷つけることはできない。物理法則をも変えてしまうものなのよ」

 瑞々しく艶のある肌は柔らかく、風が吹いただけで傷付きそうなのに、瑠流斗の爪は〈サキュバス〉の肌に傷一つ付けることができなかった。

 美しさで〈サキュバス〉は瑠流斗を凌駕したのだ。

 瑠流斗は動悸が激しくなったことに気づいた。目を凝らすと〈サキュバス〉の周りに黄色い粉が待っている。

 すぐに瑠流斗はシャツの腕で自分の口を押さえた。

 〈サキュバス〉が羽を動かすたびに鱗粉が空気中に舞っていたのだ。

 鱗粉を吸い込んでしまった身体は、手足の先から徐々に痺れ、内臓器まで萎縮してしまったように苦しい。

 すでに瑠流斗は足の感覚がなくなり、無意識のうちに床に倒れてしまった。

 近くにいた研究者たちは異変に気づき、すでに逃げ出してしまっている。残されたのは瑠流斗と防護服を着た女研究者だけだった。

 防護服を着ているため鱗粉を吸うことはなかったが、畏怖から身体が言うことを聞かず、部屋の隅で小さく震えている。

 〈サキュバス〉は瑠流斗と研究者を見比べ、どちらを食べるか品定めしていた。

「前にあなたのことを食べ損なったから、あなたを頂くことにするわ」

 長く伸びた〈サキュバス〉の舌が、瑠流斗の顔をじっとりと舐め、大量の唾液で濡らした。

 風を焼く音が聴こえた。

 廊下から放たれたレーザーが研究室の大窓を溶かし、その中の個室の窓をおも貫通し、〈サキュバス〉の眼前まで迫っていた。

 しかし、直線移動するはずのレーザーは〈サキュバス〉の前に来て、なんと湾曲移動をして〈サキュバス〉を避けたのだ。

 レーザーは壁を溶かし煙を上げて穴を開けた。

 〈サキュバス〉の視線が瑠流斗からレーザーを放った者へと向けられる。

 そこにいたのはボディスーツを着た男の姿。鋼の表情をしたそれは人間のそれではない。魂を持たぬ氷の暗殺者。

 黒川の手配した機械人形が研究室内に侵入していたのだ。

 〈サキュバス〉は瑠流斗を残し素早く動き、廊下にいた機械人形に襲い掛かった。

 ヒトよりも反応速度の速い機械人形は完全にレーザー銃を〈サキュバス〉に向けていた。〈サキュバス〉に避ける術はない距離だ。

 放たれたレーザーを〈サキュバス〉は避けるまでもなかった。レーザーが〈サキュバス〉を避けたのだ。

 レーザーを免れた〈サキュバス〉の手が機械人形の顔面に伸びた。

 速度はまだ機械人形の方が早く、手を出して相手の攻撃を防ごうとした。だが、防ぐには防げたが質量の重いハズの機械人形が、その場で持ちこたえることができない。後ろにあった大硝子を砕きながら機械人形の身体は研究室の中に飛ばされた。

 〈サキュバス〉は真後ろから鋭い殺気を感じた。

 迫る瑠流斗!

 瑠流斗の長く伸びた爪が振り向きざまの〈サキュバス〉の顔面を抉ろうとする。

 だが、それは闘牛士が牛を躱すように、瑠流斗が自ら躱したようになってしまった。

 攻撃がまったく当たらない。

 神々しいまでの笑みを浮かべ〈サキュバス〉は笑う。

「おほほほほ、わたしに触れられるものなら触れてみなさい」

 〈サキュバス〉は瑠流斗から逃げた。逃走ではなく、追いかけっこのつもりなのだろう。追うよりも追われる存在。

 逃げる〈サキュバス〉を瑠流斗は追おうとしたが、急な立ちくらみに襲われ意識が薄れた。

 瑠流斗の身体が〈サキュバス〉の鱗粉を中和し、少しは動けるようになったが急な運動に耐えられず、立ちくらみに襲われてしまったのだ。

 床に手を突いてしまった瑠流斗はすぐに意識をはっきりとさせ、そこから獣がするように手を使って跳躍した。

 生命科学研究所の近くにあるマンションの屋上で、華艶は双眼鏡を使って様子を窺っていた。

 建物の構造はただの白い箱で、窓も一切ない構造から内部の情報を知ることはできない。空気を排出する通気口があるが、その大きさでは人は進入できそうにない。できるとしたら、小型生物かロボットだろうか。

 今ごろ瑠流斗や機械人形たちはどうしているのか?

 もしかして瑠流斗に先を越されてしまったかもしれない。機械人形が先に〈サキュバス〉のさなぎを捕獲したとしても、瑠流斗と鉢合わせして無事かどうかわからない。

 双眼鏡から目を離し、疲れた目をぎゅーと瞑っていた華艶の耳に、激しい爆発音が聴こえた。

 慌てて双眼鏡であたりを見回すと、研究所の建物から伸びる長い道を走り、正面ゲートに向かっている裸の女の姿が見えた。背中に蝶のような羽が生えているので人間ではなさそうだ。

 あの研究所にはいろんな妖物もいそうなので、羽の生えた女が逃げ出してきても不思議ではない。中できっと瑠流斗か機械人形が暴れまわっているのだろう。

 しばらく羽女の姿を観察してると、その後を追って重装備をした男たちが研究所を飛び出してきた。きっと逃げ出した妖物を捕らえに向かったのだろう。

 と、人事と考えていた華艶の目が、研究所から飛び出してくる瑠流斗の姿を確認して変わった。

 あの羽女が〈サキュバス〉だ。

 気づいたと同時に華艶は屋上を飛び出し、フェンスを越えて地面にスカイダイビングしていた。

 コンクリに足をついた華艶は苦痛に顔を歪ませながらも、骨と腱をすぐに再生させ〈サキュバス〉の行方を追う。

 もしかしたらこれは最悪の事態かもしれない。〈サキュバス〉のさなぎが孵化してしまった。

 華艶は道路を駆けながら黒川に連絡を取った。

「〈サキュバス〉が逃げた!」

 要約した言葉に黒川は理解を示した。

《知っている。オートマタにリアルタイムで連絡を受けている。すでに第二班を向かわせたが、すぐにというわけにはいかん》

「やっぱり生きたまま捕獲しなきゃだめ?」

《殺さなければいい》

「了解……やばっ、〈サキュバス〉と鉢合わせ!」

 ケータイから耳を離し、華艶は目の前で止まってくれた〈サキュバス〉に挨拶をする。

「〈サキュバス〉ちゃんこんにちは。見違えるように綺麗になちゃってどうしたの?」

「お褒めの言葉ありがとう」

「ついでにあたしからプレゼントあげちゃう――炎翔破!」

 不意打ちで華艶の手から放たれた炎を〈サキュバス〉の目の前で消失してしまった。

 思わず眼を剥いた華艶はなにが起こったのか理解できなかった。〈サキュバス〉はそこに立っていただけでなにもしていない。

 レーザーがどこからか連続して飛び、〈サキュバス〉を避けて華艶に向かって飛んできた。

「うおっ!」

 驚いた華艶はすぐさまレーザーを躱して、〈サキュバス〉の後方にいる男たちに目を向けた。雰囲気が人間っぽくない。それがおろらく機械人形であると、すぐに察しがついたが、まさかレーザー撃ってくるとは思ってもみなかった。

 まだ通話の繋がっている黒川に華艶が叫ぶ。

「もしかしてオートマタに〈サキュバス〉への攻撃許可出してる?」

《急所は狙うなと命令してある》

 つまり死なない攻撃をしているのだ。しかし、捕獲ネットなどを使わないところを見ると、無傷で捕らえることはあきらめているらしい。あくまで最低限生きている状態での捕獲を考えているのだ。

 そうとなれば華艶もヤル気満々だ。

 住宅街の一本道で〈サキュバス〉の前には華艶。その後ろには機械人形と、瑠流斗が追いついてきていた。

 もう〈サキュバス〉に逃げ場はない。

 いや、逃げ場ならまだある。

 〈サキュバス〉は羽を大きく動かし空に舞った。

 地上に逃げ場を失った〈サキュバス〉は空へを逃げたのだ。

 レーザーが〈サキュバス〉の羽を打ち抜こうとするが、やはり当たらずに空の彼方へ消える。

 華艶も手から炎を出して投げつけるが、〈サキュバス〉には当たらなかった。

「……遠すぎ」

 華艶はこっそりごちた。実は投球は苦手なのだ。

 前髪を掻き上げながら瑠流斗が言う。

「無駄だ。〈サキュバス〉いわく、美しいものを傷つけることはできないそうだ」

「はぁ?」

 華艶には理解できなかった。レーザーや自分の炎を当たらなかったのは認めるが、それは美しさのためとは理解できなかった。まさか美しさが物理法則を変えるとは思いもよらなかったのだ。

 後ろからバズーカの発射音を感じ瑠流斗が地面に伏せた。

 飛んで来るバスーカを見ていた華艶も慌てて地面に伏せた。

 バズーカはその場に立っていた機械人形に当たり、爆発しながら硝煙で辺りを包んだ。

 硝煙の中にいる機械人形はほぼ無傷だ。

 機械人形の心配よりも、華艶は自分の身を感じた。町中でバズーカを突然撃たれる覚えがない。そこまでして命を狙われる悪どいことをした思えもなかった。

「なに、なんで?」

 地面に伏せていた瑠流斗の口が答えを出した。

「僕か……」

 ――命を狙われたのは。

第7節 ―

 ジープの上に乗っていたヒットマンはバズーカ砲からマシンガンに持ち替え、遊びなしで銃弾を乱射してきた。

 マシンガンの銃口は踊りながら瑠流斗を狙っている。

 それは華艶の目にも見て取れたが、ここにいたら巻き添えを食うのも時間の問題だ。いや、すでにバズーカの歓迎を受けた。

「喧嘩に他人を巻き込まないでくれる?」

 その言葉は瑠流斗に届かなかった。

 瑠流斗は家の塀を乗り越え、他人の家の庭に姿を消した。

 マシンガンを止めたヒットマンはジープを走らせ、瑠流斗の消えた塀までやってきた。華艶たちのことは眼中にない。攻撃が華艶に当たっても、たまたまそこにいただけのこと。

 しかし、そんな言い訳を許さない者がいた――機械人形だ。

 危害を加えられた機械人形たちは防衛モードに切り替え、レーザー銃をヒットマンに向けていた。

 それに気づいたヒットマンはマシンガンを機械人形に向けて撃つ。

 流れ弾が華艶の近くにまで飛んでくる。

「サイテー」

 瑠流斗が命を狙われれば、自分の仕事が楽になるという考えが甘かった。

 〈サキュバス〉の近くには、それを追う瑠流斗がいて、華艶も当然のことながらそこにいるのだ。

 幸いなことに命を狙われているのは〝華艶ではない〟。

 華艶は逃げるようにこの場を立ち去った。

 後ろから銃撃戦が聞こえるが無視だ。

 華艶が通りを曲がったところで、住宅街には似つかわしくない青いスポーツカーが現れた。

 スポーツカーは急ブレーキをかけて華艶の前で止まり、助手席のドアが上に開き、中から黒川が顔を見せた。

「乗れ!」

「わおっ、スポーツカーなんか乗ってるんだ」

「いいから早く乗れ」

「はいはい」

 華艶が助手席に乗ると、シートベルトを締める暇のなく車はアクセルが踏まれた。

「高そうな車なんだから安全運転すればいいのに」

「〈サキュバス〉を逃がしてもいいのか?」

「いっそ捕獲をあきらめちゃうとか」

「ずいぶんと弱気だな」

 華艶は自分の実力を知っている。孵化した〈サキュバス〉を目の当たりにして、タイマンは無理だと判断していた。

「仕事は最後までするけど、生け捕りは難しいかも。契約の中で〈サキュバス〉を殺しちゃったらペナルティとかあったっけ?」

「ない。依頼に失敗しても前金は君の物だ。君が死んだ場合は保険金も下りるぞ」

「あははは、保険金を受け取る人がいないかもぉ」

 車は住宅街を走り続け、一戸建てが建てられるくらいの敷地の空き地の前で止まった。

 車内から窓越しに空き地を見ると、そこにはプロペラを回すヘリが停まっている。

 軍用などで見る長細く大きなものではなく、ポピュラーな形をしたものだが、そのヘリの左右には機関砲とミサイルが備え付けられている。

 車を降りた黒川は華艶を連れてヘリの中に乗り込んだ。

 ヘリの中にすでに乗っていたのは操縦者と、後部席に乗っていた武装した男だ。

 男は黒川に無言で会釈し、操縦者に合図を送って、ヘリの機体はゆっくりと宙に浮いた。

 開かれたままになっているドアから華艶は外の景色を見下ろした。

「ヘリに乗るの初体験。実はヒコーキにも乗ったことないんだよねぇ」

 そんな華艶の発言は軽く流されてしまった。黒川も武装した男も眉間に皺を寄せている。〈サキュバス〉の捕獲に精力を傾けているらしい。

 仕事を趣味だと思っている華艶とは仕事に対する考え方に相違があるらしい。

 ヘリは住宅街の真上を飛び、すぐに区を跨いでホウジュ区の上空まで来ていた。

 このあたりは電波等や超高層ビルがあるために、ヘリでの飛行が困難だ。しかし、手馴れた操縦者は谷間を飛ぶ感覚で、ビルの間を縫って〈サキュバス〉を追う。

 〈サキュバス〉の後ろ姿を確認できた。

 ヘリが近づいていることに気づいたのだろう。〈サキュバス〉は上空で停まり、その顔をヘリに向けた。

 男はドアから身を乗り出してバズーカを構えた。

 〈サキュバス〉の周りにはビル郡が立ち並んでいる。こんなところでバズーカを撃つのは大問題だ。

 華艶が静かに手を挙げた。

「それって捕獲ネットとか?」

 黒川が答える。

「捕獲ネットじゃとてもじゃないが届かん。弾薬の代わりに低級のスライムが仕込んであるんだ。遺伝子操作で溶解液を吐かないようにし、当たった相手の動きを封じることができる」

 電子ロックで〈サキュバス〉に照準をセットし、スライム弾が発射された。

 黄緑色をしたゲル状の物体が〈サキュバス〉に向かって飛んでいく。

 しかし、スライムは美しくなかった。

 〈サキュバス〉に迫っていたスライムはその姿を消失させた。

 一部始終を見ていた華艶は黒川に尋ねる。

「次はどうするの?」

「ヘリを〈サキュバス〉に接近させろ!」

 近づいてくるヘリから鬼ごっこをするように、〈サキュバス〉は軽やかに上空を舞って逃げる。

 ヘリは迷路のようなビル郡を左折し〈サキュバス〉を追った。

 そこで突然、プロペラ音を凌いで、高音波による奇声が聴こえたのだ。

 叫んだの〈サキュバス〉だった。

 音波攻撃かと思ったが違うらしい。

 〈サキュバス〉は気がふれたように乱れ飛び、叫びながら車の行き交う地上に落下してしまった。

 なにが起きたのか華艶は理解できず、〈サキュバス〉のいた場所の先を眺めた。あるのはただのビルだ。普通のビルと違うところは、ビルの壁一面が鏡のようになっていることぐらいだろう。

「太陽が反射して目が眩んだ?」

 自問する華艶に黒川が指摘をする。

「太陽の位置はビルの向こう側だ」

「じゃあなに?」

「あのビルに関係がありそうだが、なぜ〈サキュバス〉が狂ったのかはわからん」

「鏡が弱点とか?」

「なんとも言えんな」

 ヘリはビルの屋上にあるヘリポートに向かって進路を取った。道路まで〈サキュバス〉を追いかけるのは不可能だったのだ。

 屋上に停まったヘリから華艶がいち早く降りた。

「ヘリポートが近くにあってよかった」

 次の降りてきた黒川が続ける。

「九音寺グループの傘下のビルだ」

「やっぱしね」

 企業ビルの立ち並ぶホウジュ区に九音寺グループのビルがあっても不思議ではない。

 華艶と黒川は走って屋上を出て、エレベーターを使って地上に降りた。

 ビルの外に出てすぐに黒川が道路を指差す。

「こっちだ」

 耳に取り付けた小型マイク付きスピーカーから、黒川は逐一情報を得ているのだ。

 天から〈サキュバス〉が落ちてきた現場はすでに騒ぎになっていた。

 落ちたときにちょうど車に激突したらしく、大破した車が衝突事故を連鎖させて交通渋滞ができていた。

 目的の〈サキュバス〉はどこにいる?

 〈サキュバス〉は逃げも隠れずぞこに立っていた。しかも銃を持った市民達の標的になっている。

 ひと目で妖物と判断された〈サキュバス〉は、交通事故を引き起こした張本人として人間に敵とみなされたのだ。

 〈サキュバス〉に向けられた銃弾はやはり当たらない。その点については懸念することはないが、問題は帝都警察が郡をなしてすぐにやって来ることだろう。

 すぐにでも〈サキュバス〉の元に行こうとする華艶を黒川が静止した。

「待て、捕らえる手立てがない」

「わかってるけど、逃げられちゃうじゃん」

 停車してある車の影から華艶と黒川は〈サキュバス〉を観察していた。

 華艶は黒川にこんな提案をする。

「いっそのことさ、帝都警察に〈サキュバス〉のこと任せちゃえば?」

「それは無理だ。帝都警察にコネクションはあるが、九音寺グループは政府と敵対関係にある。多少の圧力をかけることは可能だが、大きな圧力をかけることは無理だ」

「まっ、帝都警察に〈サキュバス〉が手に負えるかわかないけど……」

 問題は別にある。華艶もそれを案じたが、先に口に出したの黒川だ。

「帝都警察の手に負えなくなリ、事件が大事になると政府が直接動き出すな」

「女帝直属のワルキューレ部隊か……ワルキューレなら〈サキュバス〉のこと殺せそう」

「ワルキューレが動いたら、それこそ九音寺グループが圧力をかけるのは不可能だ」

「じゃあ、あたしが責任取るってことで、殺して捕獲って方向で。捕獲するんだから、多少は報酬頂戴ね」

 華艶は車の影から飛び出し〈サキュバス〉の元に向かった。依頼が失敗してもペナルティがないと聞いていたからだ。

 成功報酬一〇億の仕事なので、捕獲さえすらばけっこうな金額になるだろう。と華艶は金勘定しながら〈サキュバス〉の前に出た。

 市民達が銃の乱射をしてくれちゃってるので、あまり〈サキュバス〉に近づくことはできないが、〈サキュバス〉の目に華艶の姿は映し出されている。

「こんな荒野にまでわたしを追いかけて来てくれるなんて嬉しいわ」

 嬉しそうな表情をする〈サキュバス〉の手は、そそり立った自分のモノを掴んでした。

「公然わいせつ罪でタイーホされちゃうよ」

 軽く冗談を言いながらも、華艶の頭の中は『どうする、どうする、どうする?』だった。

 捕獲はあきらめたが、果たして殺すことならできるだろうか?

 まずは軽いジャブから。

「炎翔破!」

 飛んでいった炎の玉は、やはり〈サキュバス〉の前で消失してしまった。

「無駄よ、美しいわたしを傷つけることは誰にもできない」

 そんなようなことを瑠流斗からも聞いたような気がする。

「じゃあ、美しい攻撃だったら喰らうわけ?」

 半分冗談だが、半分マジだった。

 遠くからけたたましいサイレン音が聞こえ、銃を乱射していた市民達が何食わぬ顔で平凡なサラリーマンに戻っていく。パトカーや救急車がやって来たのだ。こんなときにばかり早く。

 しまった舌打ちする華艶とは対照的に〈サキュバス〉は余裕に艶笑している。

「楽しくなりそうね」

「ぜんぜん」

 きっぱりと華艶は主張した。

「妖物狩り[モンスターハント]の免許持ってないんだよねぇ。だからさ、街中で堂々と妖物相手にしてると捕まっちゃう」

「それはかわいそうに。けれど私が妖物だというのは侵害だわ」

「羽生えた人間なんて、どー見ても人間じゃないでしょーが」

「たとえばそうね、神とでも言ってもらいましょうか」

「そーゆー驕った考え方はキライじゃないけど……」

 会話を引き伸ばしながら、華艶は神経を集中させ力を溜めていたのだ。

 美しい攻撃なら本当にダメージを喰らわすことができるのか?

 華艶が両手を胸の前に突き出し叫ぶ。

「華艶鳳凰波!」

 自らの放った強大な炎に押され華艶が後方に飛ばされる。

 甲高い声をあげて、火の鳥が輝く火の粉を散らしながら舞った。

 炎の芸術というべきのその業は、威厳と荘厳さ、気高さを兼ね備え、うねる炎が艶やかに美しい。

「こんな美しい炎を見たのは初めてだわ」

 感嘆を漏らした〈サキュバス〉を火の鳥が呑み込んだ。

「……ダメじゃん」

 華艶は苦笑いを浮かべて無傷の〈サキュバス〉を見た。

 美しい技かどうかは別としても、かなり華艶の中では高度な技だった。

 技によって酷い倦怠感と動悸に見舞われた華艶はアスファルトにしゃがみ込もうとした。そんな華艶の身体が宙に浮いた。後ろから何者かに抱きかかえられたのだ。

「なにっ?」

 と顔を首を後ろに向けると、そこには黒川の顔があった。

「一時退避だ。帝都警察が来る」

 黒川は華艶を抱きかかえながら走った。

 抱きかかえられながら華艶は黒川に訊く。

「〈サキュバス〉はどうするの?」

「あの〈サキュバス〉が逃げ隠れすると思うか?」

「ノー」

 黒川の走る方向には自動運転で運んできた青いスポーツカーが停まっていた。

 二人は車に乗り込みすぐに走り出す。

 助手席に座っている華艶がお腹をさすった。

「まだあたし昼食べてないんだけど」

「呑気なことを」

「さっきあたしに質問したじゃん、〈サキュバス〉が逃げ隠れするかって」

「ワルキューレが動いたら意味がない」

 孵化前の〈サキュバス〉は逃げ隠れがうまかったが、今の〈サキュバス〉は違うらしい。公然の場所でも平然としていた。逃げることにもう意味がないのだろう。自分の絶対の自信を持っている証拠だ。

 美しさを求め、力までも手に入れた〈サキュバス〉。

「次に〈サキュバス〉が欲しいものってなんだろ」

 華艶は自分の欲しい物を頭に思い描いた。

「お金に宝石に、やっぱり権力かなぁ。でも〈サキュバス〉はもっと人間の欲に忠実で、食欲、性欲、睡眠欲かも」

「〈サキュバス〉は性欲と食欲が直結していると思われる。性欲を満たすことで、食欲が満たされる」

「さっきも自分のち○こ握ってシコシコしてたし」

 手動運転をしている黒川の痛い視線が華艶を横目で見た。

「女の子がそういうことを口にするものじゃない」

「ち○こシコシコ?」

「少なくとも九音寺会長の前はやめてくれ」

「はーい」

 黒川の走られる車はホウジュ区を南下していた。

 外の景色が高級住宅街に代わり、華艶は嫌な予感がした。

「もしかして会長さんのとこに?」

「そうだ」

「なんで?」

「用件は知らないが、会長が君をお呼びだ」

 ボソッと華艶が呟く。

「……ち○こシコシコ」

 車はやがて九音寺邸に到着し、車上したまま庭を抜けていた。

 二度目の玄関を上がり、前にも長ったらしいと思った縁側の廊下を進んだ。

 障子に向こうには前と同じように医療機器に囲まれた老人が床に伏せていた。

 九音寺会長を見た華艶はこんなことを言った。

「少し若くなった?」

 九音寺会長は柔和な顔をした。

「わかるかね? 新しい薬を試したのだよ。多少効果は出たが、それだけのことだ。根本的になにも解決していない」

 会長の前で正座する黒川も、なぜここに呼ばれたのかまだ知らない。

「ご用件はなんでしょうか?」

「華艶さんに折り入って話がある」

「あたしになにを?」

 寝たりきりの〝若い老人〟は少し上体を起こし、その瞳でしっかりと華艶を見据えた。

「君の仕事に不満があるわけではないが、仕事の依頼をキャンセルする」

「なんでっ!?」

 正座していた華艶は身を乗り出して驚いた。

 〈サキュバス〉の捕獲には手こずっているが、解任されるようなミスをした覚えはない。

「あたしがなにかミスった?」

「君の仕事には満足をしている。大変よくやってくれた。今までの仕事の分として全報酬の三〇パーセントを受け取ってくれたまえ」

「そうじゃなくって、なんでキャンセルなわけ?」

「君の命は貴い。私ひとりの命のために多くが犠牲になるのは――」

 途中で話に黒川が割り込む。

「会長の命は私達の何倍もの価値がございます!」

 人の命は平等であるかという問題は大変難しい。会長が死ねば会社に与える打撃もさることながら、経済界、政界に与える打撃も大きいだろう。

 そんなことは華艶に関係ないことだが、〈サキュバス〉をあのままにするのも、残り七〇パーセント近い報酬を捨てることもできない。

「依頼人のいうことは絶対、命を捨ててまで仕事する気はあたしにはない。けど〈サキュバス〉はどうするの?」

 九音寺会長は答えの前にゆっくりと床に伏した。

「あとは政府がどうにかするだろう。私の病には別の方法も探している。ひとつの方法が失われたといって終わりではない」

 下を向いて黙り込む華艶は一生懸命に頭を働かせていた。

 〈サキュバス〉を捕らえる妙案をここで言えば九音寺会長の考えも変わるだろう。そんな案が華艶にあるのか?

「あー、そうだ、これが失敗したらあたしは身を引きます」

 視線が華艶に注目した。

「成功するかどうかわかないけど、〈サキュバス〉を鏡の部屋に閉じ込めたらどーにか、こーにかうまくいく……かも」

 それは本当にうまくいくかわからない方法だった。

 あのときに突然、悲鳴をあげて墜落した〈サキュバス〉の身になにが起こったのか、はっきりしたことはわかっていない。ただ近くに鏡のような物があったというだけの話だ。

 だが、九音寺会長はその話に乗った。

「その件については魔導師たちに声を掛けてある。あとは命令さえ出せばいいところまで準備はしておいた」

 その言葉に華艶は驚いた。

 〝掛けてある〟とは、この事態を予期していたことになる。

 九音寺会長は話を続けた。

「君たちの行動やヘリでの会話は私に耳に届いている。私も鏡が〈サキュバス〉を狂わせた要因だと思う」

「どうして?」

 と華艶が尋ねると、九音寺は軽く笑った。

「大きな会社を動かすには頭脳だけではなく、時として勘も必要なのだよ。私が〈サキュバス〉の立場でも鏡を嫌うかもしれん……げほげほっ」

 急に咳き込む会長を気遣って黒川が素早く動こうとしたが、それを九音寺会長は制止した。

「案ずるな、いつものことだ。少ししゃべりつかれたので休ませてくれ。華艶さん、まだ仕事を続ける気があるなら、集めておいた魔導師を自由に使ってくれたまえ」

 華艶は眠ったように目を瞑る九音寺会長にそっと近づき、会長の額にそっと唇を乗せた。

「任せておいて」

 華艶と黒川は会長のもとを後にした。

 九音寺会長に集められた魔導師たちに話を聞くと、ミラーシールドと呼ばれる魔導を使える者が集められたらしい。

 ミラーシールドとは、その名の通り〝鏡の盾〟を出現させる魔導だ。光による攻撃などを跳ね返すのに使用される。

 この魔導を使って〈サキュバス〉を囲うというのが九音寺会長の作戦だったのだ。

「問題は〈サキュバス〉を囲うために時間稼ぎ」

 髪の毛を掻き上げながら華艶は言った。

 〈サキュバス〉を囲うには、ここに集まってくれた五人が同時に魔導を発動して、五枚のミラーシールドを使って五角形を作る必要がある。少しでもタイミングがずれたりすれば失敗だ。そして、もう一つ問題があった。

 会議室のホワイトボードに電子ペンで図形を描いた黒川がそれを指摘した。

「周りを五角形に囲ったとしても、上はどうする?」

 下は地面だとして、周りを囲っても上から逃げられてしまう。

 華艶が席に座る魔導師たちに質問する。

「作り出す鏡の大きさとか位置とかは自由に決められるの?」

「大きさはある程度自由にできますが、形は四角以外だと不安定になります。出す位置に関してはある程度自由にできますが、何メートルも離れた場所に出すことは不可能です」

 華艶は黒川から電子ペンを奪ってホワイトボードに図形を描き始めた。

 四枚の鏡で四角形を作り、その上にもう一枚で屋根を作る。

「これでどう? っていうか、会長もこれだから五人集めたんじゃないの?」

 あとはどうやって〈サキュバス〉をこの中に閉じ込めるかだ。一度失敗したら、次は警戒されて困難になる。決めるならいっぱつで決めなくてはいけない。

 華艶は黒川に電子ペンを返し再び席についた。

「あたしに考えがあるんだけど、とりあえず〈サキュバス〉の近くに寄る方法はみんなで考えて。そしたらグッドアイディアであたしが〈サキュバス〉の気を引いてみるから」

 〈サキュバス〉は今、ホウジュ区の繁華街で帝都警察と攻防を続けていた。攻防と言っても〈サキュバス〉はヒマをもてあましながら、積極的な攻撃はしてない。帝都警察も攻撃が全て無効にされることを知り、ロケットランチャーの流れ弾が近くのビルに当たったことで、攻撃を取りやめて〈サキュバス〉の様子を窺って待機している。

 会議室に置かれたテレビから〈サキュバス〉の様子はニュースで知ることができる。

 映像に映る〈サキュバス〉を観ながら華艶は呟いた。

「昼まっから妖物のオナニーショーを流すなんてすっごい」

 カメラ映像を捕らえた〈サキュバス〉は女性器をいじり、甘い声を漏らしながら快感に酔いしれていた。

 それをなるべく見ないようする黒川の横で、華艶はゼリー飲料をちゅうちゅう吸いながら平然と眺めていた。

「昔にね、友達と日本に遊びに行ったとき知ったんだけど、日本じゃこーゆーのにモザイクかけなきゃいけないんでしょ? モザイクかかってたほうがエロイのに」

「そんなことを言ってる場合じゃないだろう」

 なぜか怒り出す黒川に華艶は悪戯に微笑んだ。

 それにまた怒ったのか、黒川はテレビを消してしまった。

「現在警察と交渉中だ。手立てがない警察になら、こちらの提案にも乗ってくるかもしれん」

「……テレビいい感じだったのに」

「重要情報が入れば、すぐに連絡が来る!」

 まだ少し黒川は怒っているようだった。

 それを知って華艶は再び悪戯に笑った。

「仕事が終わったらあたしとデートでもしましょーか?」

 華艶の誘いに黒川は眼を剥いて無言になってしまった。

 そして、再び華艶は悪戯に笑った。

第8節 ―

 帝都警察との交渉の結果、九音寺グループが今回の件に関して介入することが許可された。

 道路封鎖された道を進み、スクランブル交差点の中心を囲むように警察が待機していた。その中心にいるのが〈サキュバス〉だ。

 〈サキュバス〉の傍らには泡を吐いて死んでいる半裸の女性が倒れていた。犠牲者が出てしまったのだ。

 目立った動きのなかった〈サキュバス〉だが、つい数分前に急に動き出し、女をひとり捕まえ警官たちの目の前で犯したのだ。

 もちろん警察たちは〈サキュバス〉を制止しようとしたが、〈サキュバス〉のばら撒いた麟粉を吸い込んだ者達が殺し合いをはじめてしまい、騒然と化したあたりの収拾に手を負われてしまったのだ。

 今は〈サキュバス〉の麟粉を警戒して防護マスクを着用している。

 華艶も防護マスクを着用し、警察官の輪を掻き分けて〈サキュバス〉の近くに寄った。まずは華艶ひとりで様子見だ。

「こんにちは、また会いに来ちゃった」

「すっかりわたしのファンね」

 〈サキュバス〉はまったく臆していない。周りに多くの警官隊に囲まれ、空ではヘリが巡回している。逃げる隙間はないが、強行突破が可能ならば、どこもが逃げ道だ。

 この状況に華艶は自分の作戦に自身を抱いていた。

「ここで時間を潰すのも飽きてきたんじゃないの?」

「やることがないのよ。性欲を満たすのも良いけれど、わたしは大脳新皮質を進化させた高等な生物よ。サルのように交尾ばかりしてれば満たされるものではないわ」

「あなた自分の力に絶対の自信持ってるでしょ?」

「さなぎから孵ったばかりで覚醒しきっていないわ。けれど、周りにいる人間どもではわたしを止めることができないでしょうね」

 これに華艶はニヤリとした。

「あなたが絶対の力を持つなら、今からあたしがする攻撃も絶対に耐えることができるでしょ?」

「なにをする気?」

 首をかしげる〈サキュバス〉に華艶はたたみかけた。

「もちろん受けて立たないはずがないでしょ?」

 これが華艶の作戦だった。

 自分の力にうぬぼれる傲慢なものならば、相手の挑発に乗ってくると華艶は踏んでいたのだ。

 絶対の力を持っていれば、罠だと思っていても恐れる必要はない。

 あとは〈サキュバス〉の気分次第だ。

 華艶は念を押すように尋ねる。

「早くやってみましょ、ねっ?」

「いいわ、退屈しのぎになるのなら。そのあとであなたのことを食べてあげるわ」

 作戦がことのほか順調すぎるほどに進み、華艶は心の奥でほくそえんだが、表情は読み取られぬように平常を装った。

 ストレッチ運動をする華艶は屈伸をして、腕を大きく上に伸ばした。それを合図に、〈サキュバス〉を取り囲んでいた警官隊の輪が縮まった。

 全神経を集中させ氣を溜める華艶。それに合わせるように警官隊が輪を縮める。

「焔龍昇華!」

 渦巻く龍の炎が華艶から放たれ、それはまるで龍が鳴くように風を焼き、巨大な口を開けて〈サキュバス〉を呑み込もうとした。

 それが開始の合図だった。

 警官隊に紛れていた魔導士たちが一斉にミラーシールドを発動させる。

 空気が氷結するようなキンという高い音が鳴り響き、〈サキュバス〉を四枚の鏡が囲んだ。

 おぞましい叫び声が聴こえ、耳を押さえた華艶は見た。

「ヤバイ!」

 鏡の檻の天井がタイミングを外しまだ完成していない。

 そこから狂った〈サキュバス〉が手を伸ばした。

 すかさず華艶は蓋の開いた鏡の檻の中に飛び込み、出ようとしていた〈サキュバス〉の身体を地面に叩き付けた。

 そして、鏡の檻は完全に出口を塞がれたのだった。

 マジックミラーになっているこの鏡は外から中を見ることはできるが、中からは外の様子を窺えず、鏡同士が反射して一つの物体を際限なく何重にも映し出す。

 無限に増幅した自分を見て〈サキュバス〉は叫び声をあげ、近くにいた華艶の胸倉を掴み鏡の壁に叩き付けた。

 鏡の檻が激しく揺れたが、ミラーシールドは衝撃を耐えた。

 〈サキュバス〉は眼を強く瞑り、掴んでいる華艶の胸倉を大きく揺さぶった。

「早くわたしを出せ!」

「こっちの作戦に引っかかったあんたが悪い」

 怒りを露わにする〈サキュバス〉は華艶を投げ飛ばそうとしたが、代わりに一瞬に大きな負荷のかかった華艶の服が破けてしまった。

 白いブラジャーを露わにした華艶はすぐさま〈サキュバス〉の脇を抜けて後ろに回った。

 最悪のピンチだった。

 〈サキュバス〉を鏡の中に閉じ込めたが、華艶も中に閉じ込められてしまった。このままでは華艶の命が危ない。

 叫び声をあげた〈サキュバス〉が鏡の壁に頭からぶつかった。それも何度も何度も狂ったように繰り返す。

「わたしは世界にただひとりなのよ!」

 叫び声が辺りに反響し華艶は頭が割れる思いだった。

「静かにして!」

 華艶の叫びが届いたのか、急に〈サキュバス〉は静かになり、地面にしゃがみ込んで動かなくなってしまった。

 そして、目を瞑っただけでは足らず、〈サキュバス〉はなんと自分の両眼を抉り出してしまったのだ。

 視神経の糸が伸びる眼球が華艶に向けて投げ飛ばされた。

 それと同時に〈サキュバス〉が襲い掛かってきたのだ。

 華艶の反応速度を凌駕した〈サキュバス〉のスピードに、避けることも叶わずに華艶は身体を押されて鏡の壁に激しく叩きつけられた。それと同時に細かい粒子となって鏡が割られてしまったのだ。

 舞い散る硝子片を全身に浴びながら、華艶はアスファルトに叩きつけられた。

 狂った〈サキュバス〉は華艶を残して警官隊に突っ込んだ。

 一斉に銃が乱射され、〈サキュバス〉の身体に無数の穴が開いた。

 それを苦ともしない〈サキュバス〉は警官隊の中を進み、長い爪で防弾チョッキごと抉って警官隊を次々となぎ倒していく。

 警官隊の包囲を抜け、ビル街に逃げ込もうとした〈サキュバス〉の前に、ひとりの男が立ちはだかった。

「君はもう美しくない」

 刹那、〈サキュバス〉の頭部から股間までが引き裂かれ、真っ二つに割れた〈サキュバス〉の身体が左右に倒れた。

 二つにされた傷口から触手のようなものが伸びて、一つに戻ろうとするがそれは叶わなかった。

 〈サキュバス〉の全身は石膏のように固まり、身体に皹が無数に伸びたかと思うと、突然に爆発を起こして散ったのだ。

 砂煙が蔓延し、男の影はその中で消えた。

 辺りの砂煙が治まり、警官隊や華艶たちが駆けつけたときには、そこには〈サキュバス〉の欠片ひとつ残っていなかった。

 地面にしゃがみ込んで華艶はため息を吐いた。

「サイテー」

 これで成功報酬はなしだ。あのときに手を引いて、三〇パーセントの報酬をもらっておけばよかった。

 破られた学校の制服を見ながら華艶が呟く。

「経費で落ちるかな」

 そんな華艶の姿を誰かがビルの屋上から眺めていた。

 真上から気配を感じて華艶が上を見つめるが、ここの位置からではよく見えない。

「絶対に逃がさない!」

 そして、華艶は急いでビルの屋上に向かって駆け出した。

 ビルの屋上に着くと、フェンスの上に腰を掛ける男がいた。

「あんたが〈サキュバス〉に止めを刺したんでしょ?」

 詰め寄る華艶にたいして、瑠流斗は軽く手を前に出して制止させた。

「依頼は果たしたけれど、その証拠がなにも残らなかった」

「そんじゃあんたも報酬なし?」

「嬉しいかい?」

「嬉しいわけないでしょ、あたしの報酬返して!」

「過ぎたことさ」

 瑠流斗は細いフェンスの上でバランスをとりながら立ち上がった。

 今にも落ちそうに背を向ける瑠流斗の背中を突き飛ばそうと華艶は思ったが、やめてこんな質問をした。

「なんで〈サキュバス〉が鏡を恐れたわかる?」

「鏡は簡単に〈サキュバス〉の姿を映し出してしまうからさ」

「映し出すって、自分の姿でしょ?」

「絶対無二の存在なら鏡すら複製することができないはずさ」

「〝むに〟ってどういう意味――あっ」

 瑠流斗がフェンスから飛び降りた。

「もうひとつ質問だったのに……なんでいきなし〈サキュバス〉が攻撃喰らうようになったのか」

 フェンスを少しよじ登って華艶は下を見た。地上まで五〇メートル以上ありそうだ。

「さすがにこの距離から落ちたくない」

 華艶はフェンスから降りて、フェンスにもたれながらコンクリに座り込んだ。

 屋上には風が吹いていた。

 空を見上げると夕焼け空に流れる雲が浮かんでいる。

 もう学校は終わってしまった頃だろう。

 今日も学校を無断欠勤してしまった。

「今年も留年かな」

-了-