第19回 仮面泥棒の末路
 朱色に染まった空はすぐにでも堕ちそうだった。
 潮風が凪いでしまっている――予兆。
 ミナト区最大の臨海公園を見下ろすように立っている通称ツインタワービル。正式名称は黄昏の塔というが、その名前はあまり知られていない。
 ツインタワービルはノースとサウスに分かれる一〇〇階建ての双子ビルだ。帝都でもっとも夕焼けが綺麗に見える場所としてデートスポットになっているほか、ノースビルはショッピングビルとして機能しているため、観光マップでも大きく取り扱われている。
 ノースビルには帝都で一般的に買える物ならば、全て取り揃っていると言ってもいいだろう。もちろん武器も売っている。
 警戒警報がビル内に鳴り響き、正面入り口のシャッターが下りた。
 ミナト区臨海公園を走る一台のオープンカーが、ノースビルの入り口に突っ込んだ。
 車が通常ではありえない大爆発を起こし、辺りを硝煙の煙で覆い隠してしまった。火薬類などの武器を積んでいたのだ。しかし、それを扱える者はすでに車に乗車していなかった。
 車に乗車していたモノは――?
 煙の中から大王イカのよりも巨大な白い触手が伸びた。
 すぐにオープンカーを追ってきた機動警察が到着し、有無を言わせぬまま爆発してしまったオープンカーに目掛けてバズーカ砲を撃ち込んだ。
 ますます煙に覆われたその場所で、象が落ちるような音がして地面が揺れた。
 ズブズブと音を鳴らしながら巨大な生物の影が蠢いている。
 幾本もの触手が蠢いている。
 煙が徐々に晴れ、その先で踊る長い触手――白い蛸のような妖物がそこにはいた。体長は三メートルだが、何十本もある足の長さをいれたら、その全長は計り知れない。そして、その足は蛸のように軟弱なものではなく、硬い鱗に守られていたのだ。
 妖物を包囲する機動警察の戦闘車両の上を走る影。少女を乗せたバイクが飛び越えた。
 風になびく長い黒髪。そこにある顔は人に非ず――〈般若面〉。
 バイクからハイジャンプして、呉葉は妖物の影に襲い掛かった。
 手に持った裁ち鋏が硬い鱗に弾かれ、触手は荒れ狂い呉葉の躰を大きく飛ばした。
 地面に片手を付いて滑る呉葉。
 足を踏ん張り呉葉は再び妖物に向かって襲い掛かる。
「やってくれるじゃないか!」
 呉葉は妖物の躰に埋め込まれた仮面を見ていた。
 妖物には目や口など顔がなく、蛸のような頭に異形を模った仮面が埋め込まれていたのだ。
「たこ焼きかい、それともイカ焼きかい!」
 呉葉の手から炎の弾――炎翔破が放たれた。
 しかし、紅蓮の炎は妖物の仮面に当たる前に、触手によって叩き消されてしまった。
 舌打ちをした呉葉は背中にスピーカー越しで声をかけられた。
《民間人に告ぐ、ただちにその場を離れなさい!》
「うるさい! モンスターハントの許可書ならあとで見せてやるわ!」
 嘘も方便だった。
 襲い掛かってきた触手を軽やかに躱わし、〈般若面〉が妖物を睨みつけた。
「こいつはアタシの獲物よ」
 何人か抱えている情報屋のひとりから連絡があったのは、紅葉がつかさといたときだった。すぐに自宅のマンションに戻り、着替えを済ませて〈般若面〉を手に取った。
 情報によると仮面コレクターである資産家の家に強盗が入り、いくつかの仮面を盗まれたと警察に通報があったらしい。その仮面の中に源幻刀斎の作があったと聞き、犯人たちを追いかけて来たらこのざまだ。
 どうやら逃走中に犯人グループのひとりが面に取り憑かれたらしい。
「お父様の失敗作……娘の手で破壊してやるわ」
 失敗作のその意味は仮面が完全に躰と融合できていないことだ。妖物の躰に異形の仮面が〝埋め込まれている〟ように見える。これでは駄目なのだ。
《怪物退治は我々が引き継ぐ、ただちにその場を離れなさい!》
「うるさいカスども!」
 できればこんな場所で派手に戦いたくはなかったが、妖物がここにいるのでは仕方がなかった。
 もうしばらくしたら中継カメラも到着するだろう。いや、もうすでにすぐ近くのビル内から撮られているかもしれない。
 今や国民総カメラマン時代だ。ケータイのズーム機能を使って撮った映像は、テレビ画質に十分なほど通用する。ケータイはそのままネットにも接続できるので、ニュースサイトに撮った動画をすぐに投稿できてしまう。
 あまり姿を晒されることは好ましくない。早急に敵を片付ける必要が呉葉にはあった。加えて機動警察が手を出してくるのは時間の問題に思えた。
《仮面の女、ただちに退きなさい。さもないと有事律法に則って攻撃を開始する!》
「外道がっ!」
 呉葉の怒号と共に徹甲弾が妖物に目掛けて発射された。その近くに呉葉がいることなど関係ない。ひとりの人命よりも、一匹の怪物を野放しにした場合の被害が優先された――それが帝都という街だ。
 二段式になっていた徹甲弾は一段目が妖物の鱗を突き破ると同時に、二段目が炸裂して妖物の触手が大爆発を起こし、肉塊を飛び散らせて血の雨を降らせた。
 爆風の衝撃を受けた呉葉は地面に転がり叫ぶ。
「ざけんじゃねぇ!」
 妖物は足数本を消失させたが、三回瞬きをする間には次の足が生え変わろうとしていた。
 あの胴体についている仮面を破壊しなければならないのだ。
 もしくは、仮面を剥ぎ取る。
 海へ向かって動き出す妖物のあとを呉葉が追う。
「逃がしはしないよ!」
 呉葉は妖物の前に出ようとしたが、触手の猛攻に阻まれ思うように勧めない。
 轟音が鳴り響き徹甲弾の雨が降り注いだ。
 だが、妖物の触手がそれを蝿でも叩くかのように打ち飛ばしてしまった。すでに一撃目を受けたときに、徹甲弾に対する免疫ができて、触手に生え揃う鱗はより強靭なものに変化していたのだ。
 倒すべき敵によって皮肉にも身を守られた呉葉。だとしても呉葉は攻撃の手を緩めない。
「死に狂え!」
 炎翔破よりも激しく美しく、渦を巻く炎の龍――奥義焔龍昇華が放たれる。
 炎の芸術というべきその業は、まるで龍が咆哮するように風を焼き、艶やかに美しい紅蓮の口を開けた。
 体長三メートルもある妖物を丸呑みにして、炎は地獄の大地が噴き上げるように燃えた。
 燃え揺れる炎の前で呉葉は膝を付いた。体力をだいぶ消費してしまった。〈般若面〉を外したときの紅葉への負担は計り知れなかった。
 だが、もう終わった。
「地獄の業火で焼け死ぬがいいわ」
 焼け焦げた妖物は黒い塊と化した。と、思われた刹那、黒い皮に皹が入り、脱皮するかのように妖物は復活を遂げたのだ。
 立てずに膝を付く呉葉に触手が襲い掛かる。
 触手が宙を舞った。
 さらに襲い掛かって来た触手も宙を舞い、連撃された触手は次々と宙を舞った。
「さすがは源幻刀斎作の彫り上げた芸術」
 この世のものとは思えぬ美しい魅言葉。その声は恐ろしい魔力を秘めていた。
 呉葉の前に背を向ける紅いインバネス。
 その美影身と声音を聴いて呉葉は戦慄した。
 ――アタシはこいつを知っている。
 インバネス姿の男は指揮者の如く、華麗に手を動かし煌く妖糸を放った。
 細切れにされていく妖物は決して再生することはなかった。斬る場所とタイミングを巧みに心得た神業。この者の妖糸よって斬られた肉は再生しない。
 血の海でのた打ち回る妖物の仮面に男が手を掛けた。
 めりめりと皮を剥ぎ取る音がした。
「この仮面、私が貰い受ける」
 刹那、仮面を剥がされた妖物は元の姿に戻り、その場にはヒトの肉塊が残された。
 男は振り返って微笑んだ。
 その世にも美しく恐ろしい艶笑は、呉葉の目に焼きついた過去の記憶を呼び起こしたのだった。


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