サーガV
 神殿内は殺伐とした空気が張り詰めていた。それによってアレクの緊張も高められる。
 大広間を見回すと、この国でも名高い魔導士たちが多く目に入った。この者たちも巫女に呼ばれて来たに違いない。やはり、アレクはラーザァーとして呼ばれた可能性が高くなった。
 大広間に集まっている魔導士の数は五名。まだ来ていないシルハインドの数を合わせると六名となる。六名という数はラーザァーの数とも一致している。
 ラーザァーとは古代語である星を意味するラーザが複数形になったもので、魔導によく使用される六芒星からラーザァーの数は6人と定められている。
 この場にいたザヴォラムとアレクの視線が合うと、ザヴォラムの方から睨み付けてすぐに視線を外した。アレクは睨まれることをした覚えはない。昔から目の敵にされてしまっているのだ。
 魔導士になるには貴族でなければならない。アレクは父を神官に持つ、だが、ザヴォラムの父は魔導士でもなんでもない、ただの貴族に過ぎない。息子が魔導士であっても父親が魔導士である可能性は低いのだ。魔導士とただの貴族では爵位が同じでも格差が生じてしまう。この国の階位は完全に力によって統治され、それでも暴動が起きないのは魔導士の力が強大であるためと、神と巫女の力によるものが大きい。
 魔導士になる素質≠ェあっても、多くの者は魔導士になる資格≠ェないのだ。
 だいぶして、シルハンドがこの大広間に入って来た。
 全く悪びれた表情も見せないシルハンドは、そのまま迷わずアレクの元へ一直線に向かった。
「やあ、アレク」
「遅かったなシルハインド」
「絶世の美女である巫女様に会えるのでな格好よく決めて来なければならないと思ってな、髪型を整えるのに時間がかかってしまった」
「そんなことに……まったくおまえって奴はどうしようもない奴だ」
 突然静けさが訪れ、誰もこの場に現れた人物に対して恭しく頭を下げはじめた。
 法衣を纏った高貴な顔立ちの男。その男の肩には淡く輝く女の霊が寄り添っている。この男の名はキルス。神官長を務める巫女の双子であり、この国で巫女に次いで権力を持つ者だ。
 代々巫女の家系では男と女の双子が必ず生まれて、女が巫女になり男がそれを守る魔導士となる。
 巫女は生涯清らかな身体でなければ魔導を失ってしまうので、特別な事情を除いては男の方が結婚をして子供を作ると決まっている。
 神官長キルスはまだ跡継ぎがいないために神殿内で厳重な警備下に置かれ、神殿の外に出たこともないと云われていて、その顔を見たことのある者も少ない。
 この場に集められた魔導士たちは高位な魔導士であり、誰もがひと目でここに現れた霊を連れた若者がキルスであるとわかった。
 キルスが一歩足を踏みしめるたびに場の空気が凛とする。
 頭を下げながら視線を少し上げたアレクの目とキルスの目が合ってしまった。
 黒く冷たい瞳。その瞳で見据えられたアレクは心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。もはや、キルスの眼はヒトの眼ではない――魔性の眼だ。
 アレクはすぐに視線を下に向けたが、頬に冷たい汗が流れた。
 無表情な顔をしたままキルスはこの場に集まった魔導士たちを一瞥した。
「なるほど、強い魔導を持った者たちばかりだ。まずは顔を上げるがよい、私は堅苦しいものが嫌いでね、この国全てが腹立たしい」
 この国で大きな発言力を持つ神官長の言葉とは思えなかった。変わり者だとの噂はあったが、こんな男が神官長では国がいつ崩れても可笑しくないかもしれない。
 魔導士たちが顔を上げると、キルスは踵を返して歩き出した。
「巫女が待っている、私について来い」
 それだけを言って歩き出したキルスの後を魔導士たちが付いて行く。魔導士たちの動きはぎこちない。まるで下手な人形師に操られているようにキルスの後をついていくのだ。
 床には赤い絨毯が敷かれ、部屋の両脇には聖水が流れる水路がある。この部屋に案内されて来た魔導士たちはひと目である娘に魅了された。
 金の装飾の首飾りや腕輪で飾られた白い身体についた乳房は隠されることなく露出され、その胸の下から布が身体のラインに沿って巻かれ、くびれた腰と優美な脚を協調していた。
 大理石の玉座に座る妖艶な魅力をうら若き巫女。この国で最も権力を持ち、世界でも美女である巫女は、自分の前に跪いた魔導士たちを魔導のこもった黒い瞳で見つめた。
 巫女はとても妖艶な色気を放ち、男であればこのような女性を抱きたいと思うのかとアレクは考えるが、巫女はあまりにも高貴で男の方が怖気づくのではないかと考え直す。そして、巫女と男っぽい女のどちらが好かれるのかと考えて、すぐにそのことを頭から掻き消した。
 陶磁器のように白い顔から玲瓏たる声が零れた。誰をも魅了する巫女の魅言葉だ。
「うぬらを呼んだのは他でもない、ラーザァーに任命するためじゃ」
 四〇年に一度このメミスの都に攻めて来る怪物と戦うのがラーザァーの役目だが、ラーザァーが本来倒さねばならないのはレザービトゥルドという大怪物だ。このレザービトゥルドという大怪物がメミスに四〇年に一度怪物を送り込んで来ているのだ。
 レザービトゥルドとの争いはメミスの都が建国される以前にさかのぼる。
 元来この土地は資源豊かな土地であり、特に金などの鉱物が豊富に採れた。この土地を守っていたのが土地神であるレザービトゥルドであった。
 レザービトゥルドはある時、ムーミストという月の女神と夫婦となった。だが、レザービトゥルドは浮気性で度々他の女神と不倫をして、ついにムーミストの激怒を買ってしまったのだ。
 ムーミストはレザービトゥルドの盗み出し、レザービトゥルドを追い払ってしまおうと考えたのだが、レザービトゥルドは激しく抵抗して自分の宝を全て呑み込み怪物へと姿を変えてしまった。しかし、レザービトゥルドはこの地を追い払われて、ムーミストはこの地に自分を信仰する人間たちによる国を造らせた。
 実はムーミストはレザービトゥルド宝が目的で夫婦となったのだ。そのことを知ったレザービトゥルドは激しい怒りを覚えた。
 深手を負わされたレザービトゥルドは四十年に一度この地に怪物を送り込んでやると言い、そしていつか自らの力を蓄えたのちに、自らの手でムーミストを信仰する全ての人間たちに復讐して、メミスを滅ぼしに来ると言って完全に姿を暗ませた。
 四十年に一度怪物を送り込むという約束通り、怪物がメミスの都に攻めて来て、メミスは大きな打撃を受けてしまった。この四十年に一度という日は、国の守護神ムーミストの力が最も弱まってしまう日でもあったのだ。
 レザービトゥルドの送り込んで来る怪物は都市に大きな打撃を与えるが、滅亡までには至らない。レザービトゥルドの目的はあくまで自らの手でメミスを滅ぼすことであり、送り込む怪物はメミスの民に恐怖を与ええるためのものなのだ。
 一度目の怪物の襲撃で思わぬ打撃を受けてしまったムーミストは策を講じることにした。
 ムーミストは四十年に一度の来るこの日のことを聖戦と呼び、この日に備えて準備を講じ、ある魔導具を用意したのだった。
 玉座に座った巫女は話を続けていた。
「うぬらにはここにいるキルスと共に〈血の雫〉を取って来てもらいたい」
 この〈血の雫〉こそがムーミストが用意した魔導具である。
 レザービトゥルドを向かい撃つために選ばれたラーザァーは、強い魔力を得るために〈血の雫〉を取りに行かねばならない。これを取って帰って来た後に儀式をすることによって正式なラーザァーとなれるのだ。
 〈血の雫〉と呼ばれる真っ赤な宝石の形をしているもので、この魔道具はムーミストが四〇年の年月をかけて自分の魔力を結晶化したもので、魔導士が服用し一時的に強大な魔力を得ることができる。
 〈血の雫〉は四〇年で六個しか作られず、そのためにラーザァーの数は六人と決められている。
 巫女の横にいたキルスが前へ一歩出た。
「明日の早朝、私と共にザルハルト山へ向かってもらう。今日から君たちラーザァーは責務を終えるまでこの神殿で暮らしてもらうこととなる」
 〈血の雫〉は険しい山道を進んだ先の洞窟の中に厳重な封印をされ保管されて、洞窟にかけられた封印を解くには巫女の双子である神官長の力が必要になり、その神官長がラーザァーを導き、〈血の雫〉を取りに行くことが仕来りになっている。
 ラーザァーを神殿に待機させるのは戦いの日が来るまで厳重に警備下に置くという理由と、この神殿内に流れる神聖な力が魔導士の潜在能力を最大限まで引き出してくれるからだ。
 ラーザァーたちの後ろに立っていた侍女たちが恭しく頭を下げ、その侍女たちについてキルスが説明をした。
「後ろにいる侍女たちが君たちに与えられた部屋まで案内する」
 アレクに近づいて来た侍女は恭しく頭を下げた。
「お部屋まで案内いたします、わたくしに付いて来てくださいまし」
「ああ頼む」
 アレクたちが歩きはじめようとすると、他の侍女の腰に手を回しているシルハインドがアレクに軽く手を振った。
「アレク、後でおまえの部屋に行く。では、また会おう!」
 歩き去ったシルハインドの背中にアレクが言葉を吐いた。
「まったく、女好きさえなければいい奴なのだがな」
 この言葉を聞いてアレクの横にいた侍女は顔を赤らめながら聞いた。
「アルフェラッツ様は女の方がお嫌いでございましょうか?」
「いいや、そういうわけでもない」
「でしたら、お部屋でわたくしのことを抱いてくださってもいいのでございますよ」
「戯言を申すな!」
「申し訳ございません。ですが、やはりアルフェラッツ様はお堅い方なのでございますね。気品に溢れていらっしゃり、真摯な心を持つアレク様はわたくしたち侍女の間でも噂の的になってございます」
「そんな話はどうでもよい、早く部屋に案内してくれ」
「畏まりました」
 歩き出そうとした侍女とアレクを玲瓏たる声が止めた。
「待つのじゃ」
 アレクは身の毛もよだつ思いだった。その声は巫女以外の誰でもない声。その声に呼び止められてしまった。
 ゆっくりとアレクが巫女の方を振り向くと、すぐにキルスが近づいてきてアレクの横にいる侍女に話しかけた。
「アレク・アルフェラッツに巫女が直々にお話しがある、おまえは外でアルフェラッツを待っていろ」
「畏まりました」
 侍女は恭しくキルスにお辞儀をすると、部屋の外に出て行ってしまった。
 残されたアレクは不思議な顔をしてその場に立ち尽くすことしかできなかった。なぜ、自分だけが残されてしまったのかわからない。不安が頭を過ぎる。
 硬直するアレクに対して巫女が妖艶な顔で微笑む。
「近う寄れ」
「はい」
 アレクは巫女に誘われるままに歩き出した。その動きは操り人形のようだ。
 約2メティート(2.4メートル)の距離までアレクは近づいたが、巫女はまだ微笑みながら手招きをする。
 アレクと巫女の距離がどんどん縮まり、やがてアレクは巫女の目の前で跪く格好となった。
 美しく白い手がアレクの顎へと伸ばされる。魔導を秘めた黒瞳がアレクの顔を映し出す。今にも二人に顔はくっついてしまいそうな距離しかない。思わずアレクは息を呑んだ。
「巫女様、何を……?」
「おもしろい運命の持ち主じゃなもう下がってよい」
 アレクは逃げるように後ずさりをした。巫女に心を覗かれたような気がする。そう、深い黒瞳によって全ての秘密を見透かされた気分だ。アレクは大量の汗をかいて顔面蒼白になった。
 身体の振るえと同様を押し殺しながらアレクは言葉を喉から搾り出した。
「失礼いたします」
 早足でアレクは部屋から逃げ出した。
 部屋の外では先ほどの侍女が待っており、アレクの顔を見て少し驚いた表情をした。
「どうなさいました?」
「なんでもない、少し気分が優れないだけだ」
「まあ、それは大変でございます、すぐにお部屋まで案内いたしますわ」
 侍女は自然に手をアレクの背中に回し、寄り添って長い廊下を歩き出した。
 案内された部屋はさして大きくはないが、これと言って困ることはない。窓があり、家具も一式揃っている。
 侍女はテーブルの上に置いてある銀色のベルを手に持って説明をした。
「御用がおありの時はこのベルをお鳴らしください、すぐにわたくしが参ります」
 このベルは魔導具のひとつで、侍女が耳にしているイヤリングとセットになっており、ベルを鳴らすことによってイヤリングを振動させて音を鳴らすことができるのだ。
 侍女はベルをアレクに手渡した。
「試しにお鳴らしになってください」
「わかった」
 アレクがベルを鳴らすと侍女が身体をビクンと振るわせた。
「あぅん……大変結構でございます」
 そう言いながら侍女はアレクの腰に自分の両腕を絡めて来た。魔導士は男しかいないので相手を楽しませるために侍女は教育されている。
「私に触れるな!」
「きゃっ!」
 アレクは侍女を大きく押し飛ばし、侍女は地面に尻餅をついた。
「すまない、押し飛ばそうと思ったわけではないのだ」
 侍女はアレクが差し伸ばした手に掴まって立ち上がった。
「やはりアルフェラッツ様は女がお嫌いで?」
「いいや違う、ただ身体に触れられるのが嫌いなだけだ。さあ、早く部屋の外に出て行ってくれ」
「失礼いたします」
 侍女は恭しく頭を下げて部屋を出て行った。
 部屋に一人きりになったアレクは肩の力を抜いてベッドの上に寝転んだ。
 侍女の誘いをあのような形で拒んだのが今になって思うとまずかったように思える下手に女性に近づかれるのも困るが、変な噂を立てられるのもまずい。アレクはため息をついて天井を見つめた。
 アレクは他人といる時はいつも緊張が張り詰めた状態で心が休まらない。こうして一人でいる時が最も心が休まる時間だと言えればいいのだが、そうでもない。一人でいるといらぬ考え事としてしまい、不安が募るばかりで胸が締め付けられる。アレクが気を休める時間などないのだ。
 しばらくしてノックの音が聞こえた。すぐにアレクは飛び起きて背筋を伸ばす。
「どうぞ」
 部屋の中に入って来たのはシルハインドだった。
「約束どおりやって来たぞ」
「来ないと思っていたが……?」
「どうしてだ?」
「てっきり私は、おまえは侍女と……」
 アレクは恥ずかしさから言葉を詰まらせたが、シルハインドはアレクが何を言いたいのか理解した。
「ああ、あの侍女とはまだ何もない、夜にまた会おうことにした」
「そうか、何もなかったのか、それはよかった」
「よかったってどういうことだ?」
「おまえに泣かされた女がどれだけいると思っているのだ?」
 アレクに軽蔑された眼差しで見られたシルハインドは笑ってごまかした。
「そんな話誰に聞いた? 俺は誰も泣かしてなどいないぞ」
「もういい、おまえの話を信じよう」
「なんだその言い草は、信じていないだろ?」
「本当に信じたから、その話はもう終わりだ」
「信じようが信じまいが、まあ今はいいとしよう。それよりも、これをおまえの渡しに来たのだ」
 シルハインドは自分の指にはめていた指輪をアレクに手渡した。
 手渡された指をアレクはまじまじと見つめた。蒼く輝く宝石のついた指輪の輝きは、シルハインドの持つソーサイアの魔導具の輝きに似ていた。
「なんだこの指輪は?」
「俺の持っているソーサイアの魔導具と一緒に見つけたものだ。魔導具のような気を発しているが、効力は不明だ。お守り代わりだと思ってもらってくれ」
「ありがとう、快くもらうことにしよう」
「では、俺は自分の部屋に帰るよ」
「もう行くのか?」
「ああ、少し外に出てくる」
「外出が禁じられているのことを忘れたとは言わせないぞ」
「俺が守ると思うか?」
 シルハインドは背中越しに手を振って部屋を出て行ってしまった。
「まったく、あいつは……」
 アレクはもらった指輪を指にはめて少しだけ微笑を浮かべた。


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