月夜のランベル
 神々が世界を創造し、精霊が生まれ、大空には竜が羽ばたいていたと云われる時代。
 聖都アークは暗黒の力に荒廃し、悪しき大臣と魔女によって法王は投獄され、王女は行方知れずとなっていた。
 時はたち、王女の死亡が国民に伝えられるが、風の噂では王女は魔女に呪いをかけられ、今も放浪の旅をしているらしい。
 しかし、王女が生きていようとも、たった一人の力で聖都に舞い戻りてなにができようか?
 今や聖都アークは大臣と魔女による恐怖政治で国は治められていた。もはや王女ごときに国を動かす力はない。
 それでも人々は希望の光に祈りを捧げるのだった。

 メスト地方に広がる大森林。
 〈月夜の森〉と呼ばれるこの森は、月の女神ムーミストの守護を受ける霊的磁場がとても強い森だ。
 この森には昼も朝もなく、夜だけが永遠に続く。静けさの中に霊気を孕みながら――。
 夜が続く森といっても、森の中は活気に満ち溢れ、生命が息づいている。発光植物も数多く、森は淡いライトに照らされていた。
 海辺に程近い森林地帯を切り開き、村もある――月夜の村ランベル。
 淡い光を放つ花々に囲まれたこの村は木造平屋建てが多く、村の収入源は普通の農作物や家畜よりも特産品の花に頼っていた。
 旅のローブを羽織った娘は、白く洗練された羽並みの梟を連れていた。金髪の長い髪を流している娘がセーレ、旅の同行者の梟の名をフロウといった。
 セーレは村に一軒だけの宿屋に宿を取り、宿屋の一階の酒場に足を運んだ。
 村や地方の話や噂は酒場で聞くのが一番良い。社交場となっている酒場には、各地からの旅人も集まってくることが多い。酒で機嫌の良くなった者たちは、たちまち情報屋と化すのだ。
 体躯の良い男たちの座るテーブルに恐れることもなくセーレは近づいた。もちろんその手には、ワインの入った大ジョッキを持っている。
「話に入れてもらっていい?」
 妙に旅慣れている物腰のセーレに、男たちは顔をきょとんとさせながらも、好い女が来たと快く席を空けた。
 席についたセーレの顔を覗き込みながら、さっそく質問だ。
「姉ちゃん、旅は長いのかい?」
「そうね、いろいろな場所を旅したわ」
「物売りでも、芸人でもねぇし、姉ちゃんひとりで旅の目的はなんだい?」
「放浪の旅ってとこかしら。それとあたし一人じゃないわ、仲間がいるの」
 男たちは辺りを見回し、セーレの席の傍らで大人しく立つ動物に目が集中した。梟のフロウだ。
「やっぱり旅芸人で、梟に曲芸でもさせるのか?」
 男の質問にセーレは首を横に振った。
 旅人と一口にいっても、旅芸人、物売り、吟遊詩人といろいろあり、女の旅人も珍しくない。しかし、セーレのような雰囲気を持つ女の旅人は珍しい。まるでいくつもの危険を掻い潜って来たかのような雰囲気を持っているのだ。それは屈強の戦士などの雰囲気に似ている。
 セーレは自分のジョッキをフロウに向けた。
「フロウも飲む?」
 梟のフロウは首を横に振り、それを見ていた男たちは目を丸くした。
「この梟は酒を飲むのか?」
「ええ、けっこういける口よ」
 とセーレは笑って見せた。
 人に懐き、酒も飲む梟とは変わっている。この分だと曲芸もするかもしれない。
 フロウはひと鳴きすると、小さく羽をばたつかせた。それを見てセーレは理解した。
「話はあたしが聞いているからフロウは外の様子でも見てきて頂戴」
 またフロウはひと鳴きすると、羽を広げて酒場の外に羽ばたいていった。
「さてと、いろいろ話を聞かせてもらいましょう」
 セーレは目の前にいる男たちの分の酒を注文し、旅の良き出逢いを祝して乾杯を交わした。
 気を良くした男たちは饒舌になり、この辺りの特産や遺跡などに聞きもしないのに話しはじめた。
 この村の名前は特産品であるランベルという花を由来にしている。
 ランベルはベル状の花弁を持ち、花粉がムーンライトに輝いて光を発する。この花粉を染料に混ぜたり、魔術の原料にしたりするのだ。ランベルを栽培できるのは月夜の森だけで、別の場所では花は咲くが輝きを全く放たないのだ。
「ランベルで染めた織物を求めてやって来たのだけれど?」
 セーレが言うと男たちは難しい顔をして唸ってしまった。
「ランベル染めの技術はもうこの村には残ってねぇんだ」
「やはり……」
 呟いたセーレ。
 現在ではランベル染めの織物は流通しておらず、そのため原産地のランベルならばと、わざわざ足を運んだのだ。
 以前セーレが目にしたランベル染めのローブは、すでにその輝きを失いただのローブと化していた。ランベル染めの効果は永久的なものではないのだ。そのため、過去の流通していたものはその効果を失っており、セーレの欲するものは程遠いものだったのだ。
 現在、ランベル染めの織物が流通していなかった理由、それはランベル染めの技術が失われてしまっていたからだった。
 沈黙するセーレに男がワインを注いだ。
「ランベル染めの技術はもともと人狼(じんろう)だったっていうぜ」
 男の言葉に食いつくようにセーレが身を乗り出した。
「人狼たちはどこにいるの!」
「月夜の森の奥深くに人狼が棲むフェンリルの里があるって聞いたことがあるが、細かい場所は誰も知らないんじゃないか?」
「それでは人狼を見た者はいないの?」
「ムーミスト神殿やメスト古代遺跡に人間が近づくと、人狼が襲ってくるらしいぜ」
 この辺りの人間が人狼と友好関係にないことが伺える。
 なにか考え込むセーレに慌てた男が声を掛ける。
「おい、まさか人狼に会いに行く気じゃないだろうな?」
「会いに行くわ」
「やめとけよ、こないだも人狼に襲われて重傷を負った奴が出たばかりだ」
 それでもセーレは命を懸けるだけの理由があるのだ。
 酒場の入り口が急に慌ただしくなり、外から一羽の梟が飛び込んできた――フロウだ。
 セーレの腕に停まったフロウはなにかを訴えるように身体を動かしている。どうやら外でなにかが起きているらしい。
 すぐさまセーレは酒場の外へ飛び出した。
 セーレの腕から飛び立って誘導するフロウの後を追う。
 人々の叫び声が聴こえた。
 月光のように輝く花畑の中になにかがいる。
 土のそこで蠢くなにか。
 ひとつ、ふたつ、みっつ……。
 土の中を走るなにかが地表に飛び出した。
 モグラだ、何匹ものモグラがランベル畑を荒らしている。
 ただのモグラといえど、特産品であるランベルを荒らされては、その被害は多大なものになってしまう。
 鍬(くわ)や鎌などの農具を構えた男たちは懸命にモグラを追い払っている。
 その姿を見守るセーレの横でフロウがけたたましく鳴いている。
「どうしたのフロウ?」
 フロウが甲高く鳴いた。
 それと同時に度肝を抜かれて尻餅をついた男たちの中心から噴火したように舞い上がる土。
 巨大な影がセーレの瞳に映った。
 モグラに似た生物がそこにはいた。その全長はモグラよりも遥かに大きく、約一メティート(一・二メートル)はあるだろう。
 誰かが叫んだ。
「モゲラだ!」
 モグラを巨大化させたような生物の名はモゲラ。鋭い鉤爪を五本持ち、雑食で畑を荒らし、ときには人間に襲い掛かることもある。
 巨大で鋭いモゲラの爪が農夫に振り下ろされようとしていた。
 セーレは腰に差していた小剣(フルーレ)を抜き、農夫を助けようと地面を蹴り上げようとした瞬間、セーレの身体が大きく傾いてしまった。
 地響きと共に地面が崩れ、口を開けた裂け目にセーレは呑み込まれてしまった。

 目を開けたとき、そこは暗闇だった。
 手に伝わる土の感触。
 自分がどこにいるのか瞬時に判断がつかなかった。
「ライト」
 拳大の光が出現し、それはセーレの周りを飛び回り、辺りを照らし出した。
 セーレは直径一メティートの洞穴にいた。
 体勢を四つん這いにしながら、セーレは首を伸ばして後ろを観察した。
 土砂が崩れたように道が塞がれている。
 もしかしたら、その土砂に生き埋めになっていたかもしれないと考えると、セーレは背筋の冷える思いだった。
 地盤が崩れ地面の底に落ちてしまったのだろう。おそらくここは自然洞穴かモゲラの掘った穴だろうか?
 土砂に巻き込まれず命拾いしたが、ここから脱出できなくては同じである。
 酸素も薄く、こんな場所でモゲラと鉢合わせたら絶体絶命だ。
 ここ≠ナはフロウの助けも当てにならない。自力で脱出しなくては――。
 四つん這いで懸命に穴の中を進む。
 土を掻くような音が聴こえた。
 前方からだ。
 激烈な勢いでなにかがこちらに迫ってくる。
 避ける場所もない。
 セーレは魔導の原動力マナを手に溜めて、一気に解き放った。
「フラッシュ!」
 瞬間的に激しい閃光が辺りに広がり、奇声を発したモゲラが慌てて後進していった。
 モゲラが来るたびに同じ戦法で逃れることができるとは限らない。
 先を進むセーレの足が速くなる。
 やがて洞穴は広がりを見せ、徐々に大きくなった幅は二メティート(二・四メートル)になり、セーレは立って洞穴を移動することが可能になった。
 広がりを見せる洞穴はどこまでも広がり続け、大空洞へとセーレを導いた。
 果たしてこの大空洞もモゲラが掘ったものなのだろうか?
 モゲラの掘った穴が洞窟に繋がっていたのではなかろうか?
 この大空洞でモゲラたちに囲まれたら危険だ。
 腰のフルーレだけでは心もとない。
「……こんなことなら」
 ――攻撃系の魔導を会得しておくべきだった。それは旅の途中で何度も思ったことだった。しかし、旅を急ぐあまり先送りになってしまっていたのだ。
 大洞穴を見渡すと、小さな穴がいくつも見受けられる。その穴の奥から感じられる殺気。
 見せない敵に囲まれている。
 フルーレを引き抜き、間合いを取りながら、ゆっくりと足を引きずるように動かす。
 三六〇度囲まれた穴のどこから敵が襲い掛かってくるかわからない。
 襲い来た!
 穴から飛び出した何十匹というモゲラが一斉に襲い掛かってきた。
 戦っても勝ち目は皆無だ。
 こんなところで死するわけにはいかなかった。
 憎き大臣と魔女の嗤う顔が脳裏に浮かぶ。
 大臣セトの謀略により、セーレの父は汚名を着せられ投獄された。その裏で糸を引いているのは悪しき魔女キュービだ。二人に復讐を果たし、自分たちにかけられた呪いを解くまで死ぬに死ねない。
 王女として聖都アークの地に足をつけるまで絶対に死ねない。
 あざ笑う大臣と魔女の顔を振り払い、セーレは魔導を解き放った。
「フラッシュ!」
 瞬く閃光が大洞穴を隈なく照らし、驚いた逃げたモゲラは壁に激突し、奇声と共に辺りは騒然とした。
 その隙にセーレは大きな横穴へと飛び込もうとした。
 だが、地響きがセーレの行く手を遮った。
 地響きはセーレが飛び込もうとしていた穴の奥から響いている。
 底知れぬ恐怖を感じたセーレはその場を動くことができない。
 汗が滲み出し、顔が緊張で強張る。
 モゲラなど比ではない。
 もっと強大ななにかが洞穴の奥にいる。
 激しい咆哮と生暖かい風がセーレの髪を揺らした。
 それは手だけでモゲラほどの大きさがあった。そこについた鋭い五本の鉤爪で抉られれば、一撃で死に至ることは間違いない。
 モゲラよりもさらに大きい全長三メティート(三・六メートル)もの巨大モグラが姿を現した。
 この地方で地震を起こすといわれる怪獣ドリューだ。
 どんなに恥を晒しても逃げ切る。
 セーレはドリューに背を向けて走り出した。
 気を取り直したモゲラも襲い掛かってきて、鋭い爪をセーレに向ける。
 フルーレを振り回すが、モゲラの攻撃は躱せず、鉤爪がセーレの腕を傷つけた。
 鮮血が絹に滲み、苦痛を噛み締めながらセーレは走り続けた。
 だが、また地面が揺れ、鼓膜を振るわせる咆哮が大空洞に響いた。
 モゲラたちが次々と穴の中に飛び込んでいく。
 好機が訪れモゲラの魔の手を振り切りセーレは再び逃げ出す。
 その後ろを巨大なドリューが血の臭いを嗅いで追ってくる。
 横穴に飛び込んだセーレにドリューが突進する。
 穴よりも大きなドリューは壁を崩し、洞穴は大振動に見舞われた。
 天井が大きな音を立てて崩れ、ひび割れた天井から熾烈な光が差し込んだ。
 そして、セーレは崩れた天井から太陽が落ちてきたのだと思った。
 それほどまでに激しい光が辺りを包み込んだのだ。
 激しい咆哮があがり、血飛沫が地面を彩り、流れ出す大量の血は海をつくった。
「偶然に感謝しよう」
 澄んだ男の声が響いた。
 謎の光に照らされた白銀の鎧を着た男がドリューの頭部に乗っていた。そのドリューの頭部には巨大な剣が突きたてられていた。
「無事かセーレ?」
 男の声に呼ばれ、物陰に隠れていた黒い毛並みの雌豹が姿を見せた。
 ドリューから降りた男に、しなやか足並みで雌豹が近づき、甘えるように頭を男の胸に擦り合わせた。
 雌豹の頭を撫でる男はまるで恋人を扱うように優しい手つきをしていた。
「僕たちは勘違いをしていたようだ。ランベルの光はムーミストの力によるものではなく、太陽神アウロの力によるものだったらしい」
 男はそう言って、天井から大空洞に落ちてきた巨大な結晶を指さした。
 尖った突起がいくつも飛び出した結晶は太陽のように激しく輝き、大空洞に昼が訪れたように照らしている。
 目を細めながら結晶を見つめる男。
「これにアウロの力が宿っていることは僕が人間の姿に戻れたことが証明している。おそらく、この力が大地に浸透し、地上で咲くランベルに影響を与えていたのだろう」
 月は太陽光を反射して輝く。
 月の女神ムーミストの守護を受ける〈月夜の森〉の森も、太陽の神アウロの光によって照らされていたのだ。

 美しく輝いていたランベル畑はほぼ全滅してしまった。
 地面は乱暴に掘り起こされ、その中に巨大な縦穴が開いていた。
 大穴から天に伸びる光柱。さきほどまで、セーレはあの下にいたのだ。
 地面から伸びるあの光が呪いを解く鍵を握っている。
 梟のフロウを肩に乗せ、セーレは希望の光を求めて再び旅立つのだった。


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