ダークネス-裏紅-
 灰色の空から豪雨が降り注ぎアスファルトを殴る。
 長い黒髪から水を滴らせながら、般若の面をつけた少女は虚空を見上げていた。
 傘も差さず、学園の制服が濡れて身体に張り付く。雨に濡れて透けた服から白いブラと肌が見え、動くたびに身体に張り付く服に不快感を生じる。だが、今はそんなことも気にならない。
 敵は上にいる。
 向き合う裏路地のビルとビルの間を飛び交う敵。
 人の顔を持つ人外の魔物。
 それは下卑た男の顔を持ち、胴から人間の腕、肩から巨大化したカマキリの手を2本生やしていた。
 男の背中に生えた半透明の羽根が、不快な羽音を鳴らす。
 数日前から、この界隈を賑わす強姦魔の噂があった。狙われるのは女性ばかりで、強姦された上に内臓を喰われ、惨殺された後に裏路地に粗大ごみのように捨てられているのを発見された。
 数少ない犯人の目撃談によると、犯人は人間ではなくキメラ生物、もしくはミュータントであることがわかった。
 キメラ生物とは2種類以上の異なった遺伝子型が身体の各部で混在する生物のことで、ミュータントは突然変異体である。どちらも一般人にしてみれば、怪物でしかない。
 最近は、人でありながら猟奇的な行動をし、人の生き血や内臓を喰らう者も多く、やはりそれらの人々も怪物という言葉でひとまとめにされてしまう。一般人にとって、細かい種類分けなどさして興味のないことなのだ。

+++

 紅葉はカミハラ区にある学園を出たあと、駅近くで友達と別れた。隣接する大都市ホウジュ区や魔導産業で繁栄したマドウ区に比べれば、小さな繁華街であるが、それでも都市の空気は狂気を孕み、犯罪は後を立たない。強姦魔など珍しくもないのだ。
 友達と別れた紅葉は繁華街から少し離れたビル街を歩いていた。青かった空はいつしか曇り空に変わり、足早に家路を急いでいたところを、裏路地からひょこっと現れた男に声をかけられた。男は言葉巧みに紅葉を誘い、裏路地へと連れ込んだ。
 人気のない裏路地についたとたん、男の態度は急に強引な物となり、無理やり路地の奥へと連れ込もうとする。
「やめて、離して!」
 紅葉はつかまれた腕を振り切ろうとするが、男に抱き寄せられ強引に唇を奪われた。
 口の中に無理やり舌を押し込まれ、悪臭が紅葉の鼻を抜けた。
「うぐ……ううっ……やめ…やめて」
 いやらしい音をわざと立てながら、男は執拗に舌を使い、唾液を口の中に流し込んでくる。その舌はまるで生き物のように蠢き、一本ではなく何本もの舌が口の中で暴れまわっているようだった。
 口を奪われただけなのに、紅葉の身体は熱を帯び、脳が蕩けてしまいそうな快楽が全身を襲う。脚が振るえ、立っているのも精一杯だった。
 負けてはいけない。
 遠ざかる意識の中で、紅葉は目覚めた。膝蹴りを相手の股間に食らわせ、すぐに後ろに飛び退く。
 多く張っていた股間を蹴られた男は後ろによろめき、紅葉の口から舌を抜いた。いや、抜かれたのは舌ではない。男の口からはイソギンチャクの頭のような部位が飛び出ていた。
 なんとおぞましい、なんとグロテスクなことか。
 ぬらぬらと滑り、イソギンチャクの部位はいやらしく動き続けている。
 口に違和感と悪臭を感じながらも、紅葉は男に抱き寄せられたときに落としてしまった通学鞄を拾い上げた。
「姉さん助けて」
 紅葉は呟き鞄を開ける。中から取り出したのは、なんと面だった。それも般若を模った復讐の面。
 般若の面を顔に乗せると、それは紅葉の顔と融合し皮膚の一部となった。
 激しく振り返った般若が怪物男を見据えた。面の奥の表情はわからない。微かに見えるのは闇を湛える深い黒瞳。
「紅葉を傷つける者をあたしは決して許さない」
 声を張り上げるでもなく、怒鳴るでもなく、それは静かな憎しみだった。
 曇天から静かな雨が降りはじめた。遠くからは雷の音が聴こえる。
 怪物男は着ていたシャツを手で引きちぎった。破られたシャツの隙間から、胸板と腹が覗き、その腹に浮かび上がった人の顔が巨大な口を開けて雄たけびをあげた。
 腹にある顔こそがこの怪物の顔であり、首の上に乗っているのは擬態だったのだ。
 雄たけびをあげた怪物の身体は極度の興奮状態に陥り、筋肉が見る見るうちに膨れ上がり、衣服を全て引きちぎり、両肩から鎌のような手が生えた。
 擬態の顔についた口ではイソギンチャクのような触手が蠢き、露出された股間では巨大な男根が猛々しく天を向いていた。
 鎌を振り上げ、怪物が紅葉に襲い掛かる。
 雨を切り刃が煌いた。
 敵の鎌よりも早く、紅葉の持っていた刃が先に風を斬ったのだ。その手に握られていたのは、裁ちバサミだった。しかし、それはただのハサミではなく、内だけではなく外にも刃を持つナイフのような武器だった。
 紅葉は裁ちバサミを短刀のように刃を小指の方に向けて持ち、敵の攻撃を迎え撃つべく構えた。
 2対の鎌が容赦なく紅葉に振り下ろされる。
 刃先の短い裁ちバサミと通学鞄で敵に攻撃を防ぐが、皮の鞄は傷つき破壊されるのも時間の問題だ。そして、敵に攻撃はあと2方向から飛んでくる。カマキリの鎌とは別に、人間の手が2本残っているのだ。
「くっ……はぁ……」
 般若の面の奥で歯を食いしばり、紅葉は防御に徹し反撃のチャンスをうかがった。
 スピードでは紅葉のほうが勝っている。問題は敵の手数だけだ。
 敵のカマキリ鎌はまるで鋼のように硬く、こちらの刃を受け止められてしまう。
 雨は激しさを増し、視界や呼吸を乱される。それは敵とて同じだ。
 紅葉は怪物の一瞬の隙を突き、鞄を怪物の顔面に投げつけた。
 顔面に鞄をぶつけられた怪物は視界を塞がれ、そこに大きな隙ができた。
 雨よりも激しい怪物の咆哮が裏路地に響き渡る。股間を押さえてよろめく怪物の指間からは血が滲み、水浸しの地面には切断されて萎縮した男根が無残に転がっていた。
「貴様のような男は殺すだけじゃ物足りない」
 憎悪に満ちた紅葉の声音。
「男なんて皆滅びればいいのよ」
 激痛を隠すことなく咆哮に変え、怪物は男根を切り落とされても息絶えることなく、その驚異的な生命力を発揮した。
 怪物の背中の皮膚の奥で、蟲が這うようになにかが蠢いた。メタモルフォーゼだ。次の段階へと怪物が変身――メタモルフォーゼをはじめたのだ。
 サナギから孵化するように背中が裂け、半透明の羽根が2対4枚、大きく左右に開いた。
 プロペラ機のような音が辺りに反響し、怪物が空に飛び上がった。
 ビルとビルの合間から覗く、灰色の曇天から大粒の雨が降り注ぐ。
 紅葉の身体はびしょ濡れになり、冷えが表皮から芯へと浸入し、着実に体力を奪っていた。
 怪物は空から紅葉の様子を伺っている。逃げるなら怪物が空にいる今だ。しかし、紅葉は逃げようとせずに、裁ち鋏を構えて怪物を見上げていた。
 逃げるなんてことはしない。最初から怪物を血祭りに上げる気で、男の誘いに乗って裏路地に来たのだ。それに〝妹〟を怪物に辱められた今、〝姉〟の呉葉は怪物を殺さずには燃え滾る血を押さえることができなかった
 距離が遠い。紅葉から怪物までの距離は10メートル以上ある。それに敵が空にいることと、この大雨だ。武器による攻撃が届かない。
 紅葉は片手を腰の横でぎゅっと握り締めた。
 空を飛ぶ怪物と紅葉の目が合った。来る、怪物が急降下してくる。
 今だ!
 握っていた紅葉の手は瞬時に口元へと移動し、筒状にした手に大きく息を吹き込まれるとほぼ同時に、細長い針が怪物に目掛けて放たれた。
 それは待ち針だった。裁縫に使う待ち針が怪物の腹に付いた本物の顔に放たれたのだ。
「ぎゃあああぁぁぁっ!」
 待ち針は怪物の片目を突き刺し、紅葉に牙を向け降下する怪物は一瞬怯んだ。その隙に紅葉は怪物の落下地点から避けた。
「その針には毒薬が仕込んで……っ!?」
 言いかけた紅葉が動きを止めた。なんと怪物は待ち針が刺さった自分の眼を抉り出したのだ。
 抉り出された眼は地面に放り投げられ、眼があった場所から赤黒い触手が飛び出し紅葉の腕を捕らえた。
 思わず般若の面の奥から声が漏れる。
「糞ッ!」
 きつく締められた手首は強引に持ち上げられ、握っていた裁ち鋏が力をなくした手から滑り落ちた。
 自由な片手で紅葉は自分の右手を掴む触手を握り引き抜こうとした。が、逆に身体を引きずられてしまい、怪物の擬態についたイソギンチャク状の部位が紅葉の眼前に迫っていた。
 紅葉は自由だった片腕までも怪物の手に掴まれ、雨に濡れ汚れた地面に押し倒されようとしていた。
「放せ糞野郎!」
 素早く振り上げられた紅葉の脚が怪物を攻撃しようとするが、その脚もまた巨大な怪物の手によって押さえられてしまった。
 ボキッと音が鳴り、悲痛な叫びが路地に木霊する。
「あぁぁぁぁぁぁぁーーーっ!!」
 紅葉の左太股の股関節が強引に脱臼させられた。
 激しい痛みによって紅葉は怪物に楽々と押し倒され、その痛みに追い打ちをかけるように紅葉の脚が無理やり開かれた。
 再び激しい紅葉の叫びが木霊し、身体の芯に走った痛みによって身体が痙攣してしまった。
 汚い地面に押し倒され、巨漢に跨れて両腕、片脚の自由までも奪われた。それでも紅葉は抵抗をやめることなく、無事な片脚で怪物に膝蹴りを喰らわそうとした。
 再び鳴り響いた不吉な音。
 ――ボキッ!
「いやあぁぁぁぁぁぁぁーーーっ!!」
 激しい痛みが紅葉を襲い、視界が真っ白になりかけた。無事だった右股関節までもが強引に脱臼させられたのだ。
 無残としかいいようのない怪物の強攻に〝姉〟は怒りを覚えながらも、自由を完全に奪われて抵抗することもできなくなってしまった。

+++

 怪物は紅葉の身体を覆いかぶさるように跨ぎ、紅葉の右腕の自由を奪っていた触手を自分の手に替え、怪物の両手で紅葉の腕が固定されてしまった。
 怪物の擬態についたイソギンチャク状の部位が、紅葉の首筋を這うように舐める。その間、鎌状の手は器用に動かされ、紅葉の上着を切り刻みながら脱がしていた。
 ブラの中心に鎌が当てられ、ブラのカップが左右に開け飛んだ。
 大きくはないが、形の良い御椀型の乳房が姿を見せた。乳首の色は淡いピンク色で、乳頭も乳輪も小さく、穢れを知らぬ少女のそれのようだ。
「殺してやる、殺してやる、獣めっ!」
 身体の自由を奪われ重症を負わされながらも、紅葉の威勢はさらに激しさを増し、怪物を罵倒した。
「貴様のような奴は皆殺しにしてやる。性器を切り落とし、目玉を抉り出し、舌を引っこ抜いてやる。苦しみながら地獄に堕ちろ!」
 早口で罵倒するが、怪物は耳を貸さずに腹についた本物の顔から触手を伸ばした。その触手は抉った目玉の痕から生えてきた触手だ。
 触手は乳房を揉み解すように巻きつき、男根のように変形した触手の先端は、粘り気のある液を少しずつ垂らしながら紅葉の乳首を擦るように愛撫していた。
 空から降る激しい雨が地面を叩き、怪物の擬態についた口と、腹についた口から粘り気を含んだ涎がどぼどぼと紅葉の身体に落された。
 屈辱だった。人生で何度も味合わされた姉妹の屈辱。それには常に血が付きまとった。
 姉妹を繋ぐ血の絆。
 復讐を捧ぐ血の制裁。
 処女を殺ぐ血の屈辱。
 姉は妹を守るためにこの世に黄泉返った。全ては妹と復讐のために。
 だからこそ、こんなところで妹の貞操を奪われるわけにはいかなかった。
 一緒に戦うと決めた。今までも怪我を負わせれたことはあった。しかし、妹の心に傷を負わせるわけにはいかない。
 怪物は紅葉の身体への愛撫を続け、スカートを切り裂き、触手で白いパンティーの上から恥丘を恥辱した。
 まだ身体で動く場所がある。紅葉は相手から近づいてくるのを待った
 近づいてくるイソギンチャクの部位がいやらしく蠢き、白濁した液体を密集する小さな触手一本ずつが放っている。
「死ね獣がっ!」
 叫びながら紅葉は首を大きく振って、般若の面についていた角を怪物の擬態の頭部が乗る首へと突き刺した。
 だが、極度の興奮状態にある怪物は痛みをものともせず、角が突き刺さったままの首を激しく揺り動かし角をへし折ってしまった。
 折れて刺さったままの角と皮膚の隙間から血が滴り落ち、般若の面を紅く穢した。
 血は雨に滲み、流されていく。
 怪物は紅葉の腕を押さえつけていた片手を放し、その手を般若の面へとかけた。
「やめろ、触れるな!」
 紅葉は自由になった手で怪物の腕を掴むが、怪物の強靭な力の前ではどうすることもできず、般若の面は引き剥がされそうとしていた。
 般若の面は紅葉の顔の皮膚と密着しおり、嫌な音を立てながら徐々に剥がされていく。まるでそれは皮膚を剥ぐ作業のようだ。
「やめろーっ!」
 悲痛な叫び声が木霊する。
 最後は一気に般若の面が剥がされ、その下にあった紅葉の素顔が晒された。
 この瞬間が〝姉〟にとって大きな屈辱であった。人に決して見せたくない〝妹〟の素顔。
 そこにあった〝妹〟の顔は、般若の面を被る以前の美しく整った顔とは似ても似つかぬものだった。
 般若の面を引き剥がされたとき、その下にあった〝偽りの顔〟まで引き剥がされてしまったのだ。
 醜くおぞましい紅葉の素顔。
 どこかで雷鳴が轟いた。
 激しさを増す雨は、なにも洗い流してはくれない。

+++

 雷は近かった。
 カーテンの閉められた窓に稲光が影絵のように映しだされる。
 山に生い茂る森を切り開いて立てられた洋館。
 人里を離れたその場所は交通の便も悪く、車が走れる道はあるもの、当然のことながら舗装はされておらず、無理を切り開いて大地を剥き出しにした道があるだけだ。
 歩いて山を下り里に行くには距離がありすぎ、車で出かけても生活に必要な物を買いに行くだけで1日が終わってしまう。悪くすれば、天候やその他の問題で帰れないこともあった。
 人里を離れて暮らすにはいくつかの理由が考えられるだろう。
 この洋館には一人の男と二人の幼い姉妹が暮らしていた。
 男は姉妹の父ではない。1年ほど前に起きた事件で姉妹の母は死に、家が全焼して父の消息は不明のまま、おそらく死んだのだろうとされてしまった。その後、他に身寄りのない姉妹は叔父に引き取られたのだった。
 それからの生活は姉妹にとって地獄の日々だった。
 3人だけで住んでいる家で、姉の呉葉は叔父に歪んだ愛で溺愛され、妹の紅葉は屋敷での家事を全て押し付けられ、叔父からの厳しい仕打ちにも耐える日々だった。
 毎晩毎晩、姉の呉葉は叔父の相手をさせられ、妹の紅葉はその行為を目の前で見ることを強要された。
 今夜も雄豚が姉の上に乗っているのを見せ付けられた。
 白いシーツの上に裸体で横たわらされた呉葉の上に雄豚が跨り、ベッドがその重みでギィギィ悲鳴をあげている。
 豚に見えたのは叔父だった。
 一日中屋敷にこもっているために肌は白く、運動不足のためか身体は丸々と太り腹が何重にも波打っている。尻もぶるんぶるんと動くたびに振るえ、そこに尻尾が生えていてもなんら不思議ではない。そして、顔についた鼻が上を向いているために、顔もまるで豚のようなのだ。
 こいつは豚だ。汚らわしい発情した雄豚だ。呉葉は自分に跨いで臭い息を吐きかける目の前の動物をそう思っていた。
 幼児特有のふくよかさを備えているが、呉葉の身体はまだまだ発育途中で、胸もほぼ平らである。腹の下った先にあるこんもりと盛り上がった恥丘には、もちろん産毛すら生えておらずに綺麗な割れ目が包み隠さず露出されていた。
 豚は荒い鼻息を立てながら呉葉の乳首に吸い付いた。それはまるで母乳を吸う赤子のように、母乳を吸いだすようにチュウチュウ吸った。
 呉葉はまったく抵抗せずに、心をどこかに飛ばし天井を見つめじっとしているだけだ。抵抗するのはとうの昔に無意味だと知った。妹の紅葉もそうだ。抵抗することもなく、声も出さずに姉と豚との行為を見ていた。
 しかし、妹の紅葉は姉のように無感情にはなれず、その瞳には涙が滲んでいた。目をそむければ、またお仕置きされてしまう。お仕置きをされるのは紅葉だけではなく、姉も一緒だ。だから余計に目を背けることができなかった。
 豚は呉葉の乳頭を舌で舐めてから顔を離した。
「子供のクセに乳首立てやがって、立派に感じてやがんな」
 これは人間の言葉じゃない――豚語だ。だから呉葉の耳には届かない。
 豚は芋虫みたい指を呉葉の口の中に押し込んで命令する。
「舐めろ、アレをしゃぶるように舐めるんだ」
 指を舌の上に乗せられ命令された。しかし、呉葉は舐めようとしない。小さいな抵抗だ。そして決まって結果は同じだ。
 豚の分厚い手が呉葉の頬を激しく叩いた。すぐに頬は赤く染まるが、それでも豚は何度も何度も呉葉の頬を叩き続ける。体力のない豚はすぐに息も血圧も上がり、呉葉を叩くことをやめる。これがいつものことだった。
 最初のころは呉葉も激しく抵抗したが、今では小さな抵抗をして暴力を振るわれる。報復や暴力が怖くて小さな抵抗しかしないのではない。激しく抵抗することに虚無感を感じたからだ。それでも豚に小さな抵抗を見せるのは、必死に自分を叩く豚を嘲笑うためだった。
「いいか舐めるんだ、舐めないとまた叩くぞ!」
 怒鳴り声も豚が喚いているようにしか聞こえない。
 二度目はすんなりと豚の要求を呑み、呉葉は豚の指を男のアレをくわえるように口に含み、唇や舌や頬の裏側を上手に使って豚を楽しませた。
 呉葉が豚の指を舐め回している最中、豚は残りの片手で自分のペニスを握り締めて、上下に動かしながらしこっている。豚のペニスはとても小さく、手で握るとどこに行ってしまったのかわからなくなる。勃起しても大きさはさほど変わらず、皮に覆われたままのペニスはまるで芋虫だ。
「出る、もう出る……くわあ!」
 豚のペニスから白濁した液が勢いよく飛び出し、呉葉の腹の上にぶちまけられた。短小な上に早漏れなのだ。
 しかし、性欲は貪欲で一度放っただけでは終わらない。 
 豚はケツの穴を呉葉の眼前に移動させ、重たいケツを上げると股間についたビクンビクン震える芋虫を呉葉の口元に持っていった。
「いつもみたいに舐めろ」
 フェラチオを要求された呉葉は機械のように指を動かし、豚の股間についた芋虫をつまんだ。それだけで豚は『ブヒッ』と鼻を鳴らした。
 豚のペニスは包茎だが皮が剥けないわけではない。ただサイズが小さいだけで、呉葉は両手を使ってペニスの皮を剥いて悪戯に息を吐きかけた。
「はひっ」
 豚が変な声で鳴いた。普段皮に覆われた亀頭は外部の刺激に敏感で、息を吹きかけられただけで豚は電流が走ったみたいに身体の肉を波打たせるのだ。
 皮を剥いた亀頭の先を舐めはじめると、豚は呉葉の脚をM字に開かせて無毛の恥丘を舌で舐め回す。
 指で割れ目を左右に開き、淡く色づいた秘裂奥へと豚は舌を這わせた。
 やがて舐められているうちに、奥から愛液が零れ、トロリと秘所を濡らしていった。
「感じてやがるな」
 豚がなにかを喚いている。
 感じる?
 馬鹿らしい。
 ただの生理現象で、感じているわけでもないのに豚は喜んで鼻を鳴らしている。そう思いたければそう思わせておけばいい。
 呉葉にペニスをしゃぶられ、30秒もしないうちに豚は2度目を放った。
 性欲はあるが体力がないためか、豚の息はだいぶ荒々しくブヒブヒ鼻を鳴らしている。
 今日は道具を使っていない分、いつもよりはマシだ。それでも姉と豚との行為を見せられている紅葉は今にも瞳から涙が零れ落ちそうだった。
 そんな表情の紅葉を見て、豚は下卑た顔を嗤うのだ。
「おまえがそんな顔じゃなかったら姉妹揃って可愛がってやるのにな」
 雷がいくつも鳴り響き、稲光が薄暗い部屋の中に差し込んで、紅葉の顔半分を照らし出した。
 そこにあった醜くおぞましい顔。
 紅葉の顔半分は火傷によってケロイド状になり、崩れ溶けた皮膚は赤いでこぼこをいくつもつくり、唇の半分は上に向かって引きつれを起こしていた。
 それは姉妹の不幸を象徴する傷痕だった。

+++

 再び雷が落ちた。
 雷鳴はビルとビルの間で反響し、降りしきる雨は激しさをよりいっそう増していた。
 怪物に跨がれ、その奇怪な触手で嬲られ、紅葉は気を失い成す術を失っていた。
 されるがままに脚を開かされる。
 〝姉〟はなにもできない自分を呪った。妹を守ると決めたのに、今はただ見ていることしかできない。身体を失った今、〝姉〟は遠くから犯される〝姉〟を見ることしかできなかった。
 もうしゃべることもできない。動くこともできない。〝姉〟の身体がなければなにもすることができないのだ。
 嘆いても絶望しても、それは心の中で虚しく響くだけだった。
 怪物の切り取られたはずの男根はすでに生成しており、より巨大に上を向いて猛り、浮き上がる血管を脈打たせていた。
 巨大な手が紅葉のパンティーにかけられ、無理やり引き裂かれた。
 薄っすらとしか毛の生えていない紅葉のあそこは、割れ目もしっかりと見ることができ、男をまだ受け入れたことのない処女の蕾は固く閉ざされていた。
 〝姉〟である呉葉は心で慟哭した。自分の身が引き裂かれるよりも辛い。過去に自分と雄豚――叔父との行為を見せ付けられた紅葉もこんな思いだったに違いない。
 怪物は激しく脈打つ巨根の先端からねっとりした液を垂らし、その液を擦り付けるように紅葉の秘裂の縦のラインに沿って巨根を動かす。
 相手を罵倒する言葉も、怒りも悲しみも呉葉の心から消えてしまった。あまりに衝撃的なことに呉葉の心は虚無と化してしまったのだ。
 全てが音を立てて崩れ堕ちる。
 空から落ちる水玉を斬りながら一筋の光が走った。
「ギギャゴォォォォォォォ!」
 怪物が奇声をあげ、擬態の頭部が宙を回転しながら飛んだ。
 呉葉にはなにが起こったのか理解できなかった。
 血飛沫を首の付け根から火山のように噴き上げながら、怪物は路地の奥を振り向いた。そこに立っていたのは、茶色い襤褸切れを頭からすっぽりと被った人物だった。
 謎の人物の顔は白い仮面によって隠され、ゆっくりとした歩調で怪物に近づいていた。
「その頭は偽者か、腹についているのが本物だな」
 仮面で声が響いた。それは男の声だった。それも若い青年の声だ。
 行為を途中で中断させられた怪物は興奮し、咆哮とも奇声ともつかない声をあげている。その首元はすでに血を吹くことをやめ、傷口はすっかり塞がれてしまっていた。まさに怪物というに相応しい再生力だった。
「下賎な妖物が、再生力だけが取り柄か?」
 仮面の男の手が素早くスナップを利かせて動かされた。
 刹那、宙を一筋の光が走り怪物の鎌が腕の根から斬り飛ばされた。だが、その腕はすぐに再生され、より巨大で頑丈な鎌が生えてきたではないか!
「ふむ、切り刻むだけでは物ともしないか……」
 再生した部位は前のものよりも強くなり再生される。とても厄介な怪物だった。この分だと、もしかしたらミンチにしても再生するかもしれない。
 この手の敵を倒すには核を壊すのが良い。だが、最近にキメラ生物の中には小さな細胞一つ一つが再生情報を記憶しており、細胞レベルに分解されても再生する怪物もいる。その場合は、細胞をも完全に消滅させなければならなかった。キメラ生物ではないが、純血のヴァンパイアはこれに当たる。
 仮面の男が曇天を見上げた。
「……雨だな」
 見れば誰もがわかる感想だ。だが、仮面の男にとって気象や地理条件は、戦いに大きな意味を持たせるものだった。――召喚を行うためには。
 召喚とはその場にいながらにして、時間と空間を超越し、超常的な力を持つ異界の住人をこの世に呼び寄せること。そして、〈それ〉を使役することができれば、あらゆる望みが叶えられると云われている。
「傀儡師の召喚を観るがいい。そして、恐怖しろ!」
 仮面の男の両手が素早く動き、それに合わせて妖糸が空に魔方陣が紡がれた。
 激しい雨が大地を打ち付ける中、辺りが静まり返ったように感じる。
 来る、なにか巨大な力が来る!
 奇怪な紋様が空に描かれ、〈それ〉が呻き声をあげた。
 〈それ〉の呻き声は空気を振動させ、大地を震え上がらせ、アスファルトに亀裂を何本も走らせる。
 空か降っていた雨が〈それ〉の唸り声に共鳴し、集合した水の塊が巨大な水魔を創り上げた。
 一瞬の間、辺りは天気になったが、水魔が生まれる共に再び激しい雨が降りはじめる。雨を材料としたこの魔獣は、近くに水がある限り不死身である。雨の降り続く中では、倒す術がまずないのだ。
 水魔はその形を変化させながら、ときには人型に、ときには蛇のように、目の前にいる雑魚を威嚇した。
 怪物は目の前の水魔に怯んでいた。怪物の身長は優に2メートルを越すが、目の前にいる水魔は遥かにそれを凌ぐ大きさで、怪物など楽々と取り込んでしまいそうだ。
 怯える怪物は後ずさりしながら背中の羽をバタつかせた。そのまま空に逃げる気だ!
「逃がすか!」
 仮面の男の手から一筋の光が放たれ、怪物の片方の羽根を斬り飛ばし、空に少し舞い上がっていた怪物は大きくバランスを崩されて地面に落下した。 
 そこに空かさず水魔が覆いかぶさるように圧し掛かったのだ。
 水魔の体内――つまり水中の中に閉じ込められた怪物はもがくが、小さな水の粒ひとつひとつが意思を持つ水魔の体内では思うように動けず、腹についた本物の顔は歪み、口と鼻から大量の泡を吹き出した。
 この怪物が窒息死するなど軽い落ちはないだろう。だが、もう身動きもできず、水魔に徐々に消化されていくのみだ。終わりは見えている。
「あとはお前の世界で可愛がってやるといい」
 仮面の男の手が再び動き、光の筋が空間を斬り開いた。
 裂けた空間は〈闇〉とこの世を繋ぎ、〈闇〉は悲鳴があげ、泣き声をあげ、呻き声があげ、苦痛に悶えた。
 〈闇〉の声がする世界へ水魔が自ら還っていく。そして〈闇〉は辺りの邪気を少し吸い込みながら、轟という音を立て空間の裂け目は閉ざされたのだった。
 一部始終を見ていた呉葉は驚愕の連続であった。まさかこんな凄まじい力を持つ術者に出会うとは……。あんな力を持つ者はすでに人間とは呼べない、魔物だ。
 仮面の男は裸体で地面に横たわる紅葉を見たあと、すぐに地面に捨てられていた般若の面に目をやった。
 相手が自分を見ているのに呉葉には声を発することも、その意思を伝える術もなかった。
 妹を助けて欲しい。妹だけでもどうにか助けて欲しい。呉葉の思う気持ちは、妹を愛する純粋な気持ちだけではなく、復讐に燃える憎悪を孕んでいた。復讐を遂げるまでは死してもなお、魂をこの世に繋ぎ止めているのだ。
 仮面の男は微動だにせず、般若の面をじっと見据えていた。
「妹を助けろだと?」
 通じたのだ、呉葉の強い思念がこの男には通じたのだ。
《助けてくれ、まだ復讐は終わってない。だから、だから妹とあたしを助けてくれ》
「復讐か……貴様はどうだか知らんが、そこの娘はそのまま死なせてやったほうが安らかに眠れるだろう」
《駄目だ、妹とあたしは復讐を誓った。あたしは死んでしまったが、妹は生きなきゃいけないんだ頼む、頼む、復讐を復讐を……》
 復讐を誓い戦う姉妹。そう、その復讐心に仮面の男の心が共鳴し、この場に呼び寄せられ、〝姉〟との会話も可能としたのだ。
「貴様たちを助ける義理はない」
《頼む、頼む、妹だけでもいい、助けてくれ、お願いだ》
 男である者に懇願するなど呉葉にとって屈辱だった。憎しみを覚える全ての男どもに助けを請うなどありえないことだった。それでも、目の前の男を頼るのは、妹と復讐のためだった。 手段など選ばない。修羅の道を歩み、手を紅く染めていく。復讐のためだったら喜んで友をも裏切る。それほどまでに呉葉にとって全てと言えるものは数少なかった。
 ずっと動かなかった仮面の男背を曲げて屈み、般若の面を拾い上げて立ち上がった。
「この面を掘ったのは誰だ?」
《なぜそんなことを聞く? それよりも妹を頼む》
「誰だ答えろ」
《妹だ。妹とあたしは神の手を持つ面作り師の家系に生まれたんだ》
「そうか……。仮は返してもらうぞ、一生を掛けてな」
《妹を、妹を助けてくれるんだな!》
「そうだ、貴様もな」
 仮面の男は般若の面を懐にしまい込み、重症を負い、気を失っている紅葉のほうへと足を運ばせた。
 雨はまだまだ激しく振り、このまま止まずに振り続けるのではないかと思えるほどだ。
 しかし、止まない雨は決してない。
 仮面の男は裸の紅葉に自分の着ていたローブを羽織らせ、紅葉を背負って裏路地の奥へと消えていった。
 これが姉妹と紫苑の運命の出逢いだった。

+++

 学園の鐘が鳴り響き、放課後の喧噪がやって来る。
 教室を出た少女は、腰まで垂らした長い黒髪を揺らしながら、周りなど見向きもせずに足を進めていた。
 少女が校舎を出て向かったのは、学園の敷地に設置された洋式の聖堂。
 円形の大きな薔薇窓から光が差し込み、聖母像の前で跪く少女の顔を優しく照らす。
 この場所にあるのは救いの暖かさではなく、静寂の寂しさと、冷たい空気の重さ。懺悔をする少女の心は暗い闇に呑み込まれそうだった。
「もーみじっ!」
 自分の名を呼ばれた少女――紅葉は驚くことなく、いつもしているように振り返った。
 紅葉の視線の先には、いつものように友達のつかさが立っている。
 この女学園ではじめてできた紅葉の友達が、今そこにニコニコしながら立っているつかさだった。ショートカットでボーイッシュな雰囲気のつかさは性格も活発で、転向してきた紅葉に最初に声を掛けたのもつかさだった。それ以来、つかさと紅葉は一緒に過ごす時間が多くなったのだ。
 そして、毎日、放課後に紅葉がここに来て懺悔をしていることを知っているのは、つかさだけだった。
「今日の懺悔は終わった?」
「うん、ごめんね、いつも待たせちゃって」
「別に気にしなくていいよ。アタシが勝手に待ってるだけだしさ」
「うん」
 元気よくしゃべるつかさに、紅葉は大人しく小さな声で返事をしてうなずいた。
 いつも儚げで大人しい紅葉だが、ここにいるときはいつも以上に元気がない。そんな紅葉を手を引いてこの場所から連れ出すのは、いつものつかさの日課だった。
 つかさに手を握られ紅葉の体温がほんのりと上がり、そのまま駆け出した紅葉に引っ張られるままに聖堂の外に連れ出された。
 心地よい風が吹き、木々が揺れ、芝生が香る。
 紅葉が振り向くと、そこには太陽のように明るく笑うつかさの姿があった。
「紅葉が懺悔をしなくて済む日が早く来ればいいのにね」
「……うん」
 そこにある笑顔を見ていると救われる。聖堂で懺悔をしているとき、つかさに声をかけてもらう、あの瞬間に少しだけ罪から解き放たれた気になる。けれど、本当にそれで罪が贖えたわけじゃない。心は晴れることはなく、罪の重圧がだけが増しいくのだ。
 罪を重ね続ける限り、この重圧は増え続ける。
 手が鮮やかな罪色に染まり、手を洗っても洗っても穢れは拭えない。罪の侵食は身体の奥深くまで達し、心が闇に蝕まれていく。
 ――姉は言う、復讐を果たすまで終わらない。
 ――妹は言う、わたしは嫌。
 妹のためならば命すら捨てる姉。けれど、このことに関して言えば、姉は嫌がる妹の意見を聞き入れることはなかった。それが妹のためにもなることだと信じて疑わないからだ。
「紅葉?」
「えっ!?」
 自分を呼ぶ声によって、紅葉は現実世界に引き戻された。
 そこには心配そうな顔をして紅葉を覗き込むつかさの姿があった。
「どうしたの、いつもより深刻な顔してたけど?」
「うん、なんでもないの、気にしないで……」
 相手を気遣って言うとよりは、触れられたくない秘密を隠してしまいたかった。
「紅葉がそんな顔してると気にするに決まってるじゃん」
「大丈夫、大丈夫だからねっ?」
 紅葉はにこやかな顔でつかさに笑いかけた。心の奥を笑顔で隠してしまう。いつも笑顔でいれば、周りを心配させずに済む。全て笑顔で隠してしまえばいい。
「そっか、ちょっと心配したけど、紅葉の笑顔見て安心した」
「うんうん、つかさのおかげ」
「アタシの?」
「つかさがわたしの傍で、いつも笑いかけてくれるから」
「あはは、なにそれ」
「ありがとう、つかさ」
「あははは、なんかそんなこと言われると照れるよ」
 髪の毛を弄びながら照れ笑いを浮かべるつかさの手を、紅葉の両手が優しく包み込んだ。
「ありがとう、本当にありがとうつかさ」
「そんな何度もお礼言わなくていいよ。なんで言われてるかもわかんなし」
「うん、でも、言いたかったの。つかさは大切な人だから、ずっと傍にいて欲しいから」
「アタシも紅葉のこと大切だよ。紅葉のこと大好きだもん」
 この言葉を聞いた紅葉の身体は少し体温を上昇させ、血流が激しく流れ出し、顔をほんのりと桜色に染めた。
 少し真顔になったつかさの顔が、迫るようにして紅葉の顔に接近した。
「紅葉って本当にキレイな顔してるよね」
 恋人に囁くような声を聞いて、紅葉は耳までも真っ赤にした。これ以上、近づかれたら心臓の鼓動も聞かれてしまうかもしれない。
 つかさの指先がそっと赤みを差す紅葉の頬に触れ、相手の息遣いがわかるほど二人の距離は近づいた。
「嫌、駄目っ!」
 声をあげた紅葉は、自分の頬に触れていたつかさの手を激しく振り払い、怯えるようにして一歩後ろに下がった。
 そんな紅葉を見て、つかさがすぐに取り繕う。
「あはは、ごめん、ごめん。アタシがちゅーでもすると思った?」
「ううん、違うの……」
 つかさはあることを思い出し、はっとした表情を作った。
「あっ、そうか、ごめん。本当にごめん。紅葉って顔に触られるの嫌いだったよね。ついうっかりノリでさ」
「いいの、悪気があったわけじゃないでしょ?」
 顔を触られるのが嫌い。紅葉は顔を触られることを極端に嫌い、自分ですら自分の顔を触らないという、その徹底した異常までの嫌がり方から、最初はからかわれたりもした。けれど、紅葉があまりにも嫌がり、時には泣き出してしまうことから、周りの友達たちもそのことを知っていて今では気を遣ってくれていた。
 突然、財布の中身をしたつかさは、なぜかうんうんとうなずいた。
「じゃさ、お詫びってことで、あそこのデパ地下でデザート買ってあげる」
「もう気にしてないのに」
「えーっ、気にしててよ、デザート買うまではさ」
「それって、もしかして……」
「あははは、ばれたか。午後の授業体育だったじゃん、お腹空いちゃってさぁ」
「もぉ、つかさったら」
 怒りながらも、今の紅葉の表情はとても晴れやかな笑顔だった。

+++

 パソコンのスクリーンセーバーに映し出されたラインが幾重にも織り交わり、奇妙なアートを描き出す。
 部屋の明かりもつけず、デスクトップパソコンの前で、紫苑は椅子にもたれ掛かりながら目を瞑り、遥か遠くに意識を集中させていた。
 紫苑は紅葉がつかさに隠している秘密を知っている。
 しかし、紅葉はつかさの秘密を知らない。
 フェアではない。それは紫苑が紅葉たち姉妹を拾った、その瞬間からだ。
 死に絶える寸前だった妹の命を救ったのは紫苑だ。妹の生を強く願い、紫苑に懇願したのは姉の呉葉だった。
 呉葉の妹への愛が紫苑の心を動かしたのか?
 紫苑はそれを否定する。呉葉が妹を愛しているのは事実だろう。しかし、あのとき紫苑が感じたものは、マグマが煮えたぎるような憎悪の念。だから、紫苑は紅葉の命を救った。
 紫苑と呉葉が抱き、固執する胸中の念――それは復讐。
「僕らは似ている。共通の敵を持ち、相手を地獄に叩き落してやると誓った。だから、僕は君に手を貸し、君も僕の為に動く」
 目を瞑りながら紫苑は呟いた。
 たとえ自分が息絶えようと、復讐を終わらすつもりはない。それを紫苑よりも強く魂に抱いているのは呉葉だ。彼女自身がそれを一番わかっているはずだ。
 愛する者への想いが、敵への憎しみを呼び、復讐の渦をつくった。
 呉葉は妹の紅葉を想い、紫苑は誰を想い戦う?
「……いつか必ず」
 その言葉は紫苑の脇のベッドで安らかに眠る、妖艶で美しい女性の人形に向けられたものだった。

+++

 デパートから出てきたつかさは、満足そうな至福の顔してながらお腹を擦っていた。
「お腹いっぱい」
「デザート買わないで出てきちゃったね」
 紅葉は少し呆れた顔をしているが、つかさの笑みは絶えることない。
「だってさ、試食がどれも美味しくて、ついつい手があっちこっちに出ちゃったんだよね」
「一緒にいたわたしが恥ずかしい」
「なんで?」
「試食を食い漁るなんて、オバサンみたい」
「むぅーっ」
 オバサンと言われぐうの音も出なくなり、つかさは歩道に捨てられていた空き缶を蹴飛ばした。
 バシャ!
 缶の中から飲みかけのビールが飛び出し、歩道とつかさの足元を濡らした。
「最悪だ」
 つかさが失笑を漏らす。
 ローファーは拭けばどうになりそうだが、紺色のハイソックスは酒の臭いが染み付いてしまった。
「こんな酒臭いまんま歩きたくないし、電車乗って帰るのもヤダ」
 表情豊かなつかさは、本当に嫌そうに眉をひそめて唇の端をきつく縛った。
「わたしの家に寄っていく?」
「ほぇっ?」
「わたしの家近いし、靴下を洗うか、代えの靴下貸してあげる」
「マジでありがとう! 紅葉スキスキー!」
 嫌な顔が一変して、つかさは満面の笑みを浮かべて紅葉に抱きついた。
「やっ! つかさってば、みんな見てるよ」
 繁華街を行き交う人々が、路上で抱き合っている自分たちをチラチラ見ているのに気がつき、紅葉は顔を真っ赤にしてつかさの身体を押し離した。
 そして、そのまま恥ずかしさでこの場にいられなくなり、つかさの腕をつかんで足早に駆け出した。
 繁華街を抜け、密集するマンション地帯まで走る。
 この辺りは、近くに大きな繁華街や帝都公園に隣接しているツインタワーへの交通の便もよく、高級住宅街としても知られている場所だ。
 息ひとつ切らしていない二人は、そのまま高層マンションのひとつに入り、カードキーや生体認証システムでロックを解除し、エレベーターを使い五五階のフロアまで上がった。
 紅葉の住む部屋は角部屋だった。そこには紅葉の今の苗字である雨宮姓のネームプレートが取り付けてあった。
「紅葉んち来るのはじめてだから楽しみ」
「あまりお客さんも来たことないかもしれない」
 紅葉はそう言いながらドアを開けた。
 先に靴を脱ぎ捨てて部屋の中に駆け込んだのはつかさだ。その後をつかさの分の靴も整えて置いた紅葉が追いかける。
 さっそくリビングのソファーを占領しているつかさに紅葉が促す。
「靴下を脱いで、洗ってしまうから」
「ういうい」
 両足の靴下を脱いで丸めたつかさが、紅葉に向かってパスをする。
「ほい、紅葉パス!」
「わっ、投げないで手渡ししてよ」
 放物線を描

 未完


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