ハザマ(1)ナギサ
 ――世界分裂化現象。
 〝弾かれたモノ〟である春日涼は〝世界を渡るモノ〟であるという。
 そんな感じで、あたしの前に現れた青年は説明した。
 あたしにはなにがなんだかわからなかった。
 涼の様子はたしかに可笑しかったけど、それが失踪の前触れだなんて思いもしなかった。
 ある日、涼はあたしにこんなことを言った。
 ――君はアスカの代わりなんだ。って……。
 それを聞いたあたしは涼に一方的に怒りをぶつけたけど、涼は老衰したみたいに何も言わずにいた。
 涼が失踪したのはその後すぐだった。
 最初はあたしのせいかと思ったけど、もしかしたら違う原因があるかも思いはじめたのは、冷静になってきた最近のこと。
 そんなときに彼はあたしの前に現れた。
 名前は影山彪斗[カゲヤマアヤト]。あたしより3つも年上らしい。だから19歳ね。
 彪斗はあたしの前に突然現れ『春日涼について知りたいことがある』っていきなり言われたの。涼のことを知りたいのこっちだよって思った。
 それで近くの喫茶店に入ることにしたんだけど、この彪斗ってひと、そーとーキテるよ。
 あたしものね、こういう話キライじゃないけど、現実とアニメとかの区別くらいできる。可笑しいよこの人。
「あたしもう帰る」
 こんな人と付き合ってらんない。まあ、カフェオレおごってもらったけど。
「まだ話は終わってないよ渚さん」
 席を立って帰ろうとしていたあたしは思わず足を止めてしまった。
「名前言ったっけ?」
 そのときは名前を呼ばれただけで足を止めちゃったけど、涼のこと聞きたいってあたしのとこに来たんだから、あたしの名前くらい知ってて当然だよね。
 でもね、彪斗はこんなことを言ったの。
「アスカ、ファントム・ローズ、ミラーズどれかに聞き覚えは?」
 それは全部、涼が失踪する前に口にしていた言葉だった。彪斗がなにか知っているのは間違いないと思ったの。だからあたしはまた席に戻った。
「君はアスカの代わりなんだって涼に言われた。涼の本当の恋人はあたしじゃなくて、アスカなんだって。アスカっていったい誰なの?」
「椎名アスカはすでにミラーズになって世界から抹消されてしまったよ」
「世界から抹消って、殺されたってこと?」
 なんだかすごい話になってきたみたい。
「殺されたんじゃない。実験体にされて……いや、やめよう。説明だけでは実感できないものもある」
「それってあたしばかにしてるの?」
「違うさ、知らないことは理解できない。椎名アスカは死んだようなものと考えてくれていい。しかし、春日涼は椎名アスカを蘇らせようとしている。それが要約さ」
「死んだ人を蘇らす?」
 そんなゲームとかじゃないんだし。でも、あたしを見つめる彪斗の瞳は嘘を言ってない。かなり大真面目。
「僕がさっき説明したことを覚えているかい?」
「どの話?」
「世界は人の数だけあり、分裂を続けている。それを世界分裂化現象という」
「うん」
「しかし、世界はもともとひとつだった。いや、この話もよそう。つまり、3人の人間にたいして、2つしか世界がなかれば、1人は余ってしまう。その余りになってしまったのが春日涼さ」
 なにがいいたいんだか、ぜんぜんわかんない。
 この人の説明って順序だってないし、言ってることも意味不明。
 だから、あたしは一番聞きたいことを考えて質問を投げつけることにした。
「涼はどこにいるの?」
「それは最初に言ったはずだ」
「聞いてない」
「そうか、すまない。記憶障害なんだ。弾かれた春日涼には自分の世界がない。だから人の世界を渡り歩く。世界のどれかに春日涼はいる」
 また意味不明な話がはじまった。
 こうなったら、こっちだって要点だけ言ってやる。
「涼はあたしが自分で探すから、あなたの知ってる手がかり全部話して」
「君はもうこの件から手を引いたほうがいい……といいたいところだが、君はすでに世界剥離がはじまってしまっている」
「だーかーらー、あなたの言ってること全部意味不明!」
 もういい。こんな人と話してられない。
 あたしは席を立ち上がって帰ろうとした。
 帰ろうとする彪斗に腕を掴まれ、世界が揺れたような気がした。
 地震じゃなくて、世界そのものが歪んで揺れた。
 驚いているあたしから彪斗はすぐに手を離した。
「すまない、君の世界剥離を早めてしまった」
「世界剥離って……」
「君も世界から弾かれた存在になる」
「意味わかんない」
「春日涼や私と同じ存在になる」
 わかないことばっかり。わかんなさすぎて、なにを質問すればいいのかもわかんない。
「同じってなに? 同じなったら涼に会えるの?」
「見つけ出すことができれば会える。今の君では、春日涼が君の世界に侵入して来ない限り会えない」
「だから世界剥離すればこっちから涼を探しにいけるってこと?」
「僕らは春日涼の行方を捜している。僕らの仲間になるかい?」
「なれば涼に会える?」
「探し出せれば」
「だったら仲間になる!」
「君が世界剥離したら会おう」
 ――消えた。
 人間が忽然と消えた。
 あたしの目の前から彪斗が消えてしまった。
 周りの人たちは人が消失したというのに、誰も驚いていない。
 まるで最初から、そんなことなかった。影山彪斗なんて人物そこにいなかったように周りの時間が流れている。
 でも、あたしの前には彼の飲んでいたコーヒーカップが置いてある。それが彼のいた証拠だ。
 あたしは近くの席にいた人に尋ねてみた。
「あたしの前に座って人、消えましたよね?」
 相手は不思議そうな顔をしている。まるであたしが頭可笑しくなったみたい。
 そんなはずない。だって、コーヒーカップがそこにあるのに……。
 あたしのカフェオレと彪斗のコーヒーを運んできたウェイトレスが通りかかったので、あたしはすぐに腕をつかんで呼び止めた。
「さっきコーヒーを運んでもらったとき、あたしの前に男の人が座ってましたよね? コーヒー頼んだ男の人?」
 ウェイトレスはあたしのことを不思議そうな顔をして見つめている。
「コーヒーはお客様が注文なされたものですが?」
「あたしが頼んだのカフェオレで、コーヒーを頼んだのはあたしの前に……」
 駄目だ。本当に頭が可笑しくなってきた。
 頭が可笑しいのはあたし?
 それとも周り?

 ファミレスからの帰り道、あたしは頭が割れそうで死にそうだった。
 本当はもう死んでるかも。
 なんだか自分がいる現実の世界じゃないみたい。
 世界が歪んで見える。
 道路が波打ってる。
 ……もう駄目。
 あたしはアスファルトの上に寝そべった。
 世界がグルグル回る。
 空が回ってる。
 空が青から急激に赤に変わった。燃えていような赤。
 薔薇の花びら。
 真っ赤な空よりも赤い薔薇の花びらが、ゆらゆら落ちてくる。
 鼻を突く薔薇の香り。
「私のせいだ……すまない」
 男の子の声?
 女の人の声かもしれない。
 白い仮面があたしを空から覗き込んでいる。
「あなた誰?」
「ファントム・ローズ」
 涼が口走ってた名前だ。
「あなたのこと涼から聞いたことある」
「そう、私は涼を救うことができた。しかし、それをしなかったがために、君までも世界から弾かれてしまった」
 また弾かれただって……それって共通語なわけ?
 ファントム・ローズが差し出した手に掴まって、あたしはゆっくりと立ち上がった。
 白い仮面があたしの顔に近づいた。
「君はすでに現実剥離してしまった」
 またそのことば。
「現実剥離ってなに?」
「例えば、自分の家を失い、路上または人の家に住んでいる状態。ただし、無断でという意味だ」
「だんだん読み込めてきた……」
 けど、現実だとは思えない。まるで夢の中にいる気分。
 そういえば、周りに人の気配がしない。生活の雰囲気がしない。夢の中にいるのかもしれない。
 けど、それをファントム・ローズは否定する。
「夢はここよりも現実的だ」
「ここはどこ?」
「世界の狭間。人が住んでいる家と家の間とでもいえばいいだろうか」
 ……あれ?
 急にあたしは恐ろしい震えに駆り立てられた。
「あたしの名前なんだっけ?」
 それだけじゃない。他のことも……ママとパパの名前も……。
「あたしは?」
「思い出すんだ。思い出せなければ、君は世界から消える」
 消えるって死ぬってこと?
 いやだ……死にたくない……けど、思い出せないよ。
 夕焼けが急に星空に変わって、夜の澄んだ空気に男の声が響き渡る。
「君の名前は椎凪渚。椎名アスカの代わりだよ」
 道路に向こうであたしたちと向かい合うように立っている人影。黒い服を着て、顔には仮面――ファントム・ローズに似てる。
 そして、あたしはあの声を聞いたことがあるような気がする。
 ファントム・ローズの無機質な仮面が哀しそうな表情をした。
「ファントム・メア」
 呟くファントム・ローズの言葉にファントム・メアが深く頷く。
「そう、ファントム・メア……それが世界から弾かれた僕の仮初の名。自分自身だけだは自分が証明できないだなんて、ばかげてると思わないかい?」
「だから、私たちはファントムなのだ。世界は全ての者に平等に与えられている。個人の持つ世界が己を証明してくれる。しかし、自己の世界から弾かれてしまっては、他に自己を証明してもらわなけらば、消えてしまう。自分自身がここにいると感じるだけでは、想いが弱すぎる」
「すでに僕たちは顔を持たない」
「だから私たちはファントム」
「けどさ、僕には君の真の顔が見えるよ」
 ファントム・メアは少し間を空けて言葉を続けた。
「――鳴海愛」
 そして、ファントム・ローズも言葉を続けた。
「私には君が春日涼に見える」
 このとき、あたしにも見えてしまった。
 二人の仮面がヒトの顔に見えた。
 よく知ってる二人の人物。
「涼、愛ちゃん!」
 二人ともあたしを見て微笑んだ。
 あたしは自分の名前も思い出し、あたしが涼の恋人じゃないことにも気づいてしまった。
 学校で怪奇事件がはじまりだった。
 涼があたしの腕を掴もうとしたとき、鞭が飛んで涼の手を弾いた。
 鞭を放ったのは愛ちゃんだった。
「どうして?」
 なにがなんだかわからない。
 仮面の二人があたしの知り合いで、愛ちゃんがどうして涼のことを?
 愛ちゃんが素早く動き、あたしの身体を抱きかかえた。
「ファントム・メア……なぜ君は渚を狙う?」
「推測はできるだろ?」
「椎名アスカに関係があるのか?」
「アスカの復活には渚が鍵を握ってるからね」
 愛ちゃんはあたしを背中に回し、涼に向かって襲い掛かった。
 なんで二人が争ってるの?
 二人になにがあったの?
 わけわかんないよ。
「ひゃっ!?」
 急にあたしの身体が後ろに引っ張られた。
 後ろからお腹を抱きかかえられてる。
 いったい誰?
 愛ちゃんの手があたしに伸ばされる。
 けど、愛ちゃんの背後に涼が……。

 ――消えた?
 それだけじゃない。
 夕焼け?
 さっきまで夜だったのに、また昼間に戻ってる。
 後ろに気配がする。
「誰?」
「俺だよ、影山彪斗。世界剥離したらまた会う約束だっただろう?」
 それはそうだけど、涼と愛ちゃんはどこに行ったの?
「なにがあったの?」
「メアとローズはまだ〈狭間〉で戦っている。ここは現実だ。君は世界剥離をして、自分を失わずに耐えた」
 あのまま自分の名前も全部忘れていたら、あたしはどうなってたんだろう?
 彪斗があたしの手を握った。
「なにするの?」
「ここは俺の世界じゃないから、うまく魔法が使えないんだ」
「魔法?」
「俺は魔術師なのさ」
 次の瞬間、あたしは誰の部屋にいた。
「俺の部屋にようこそ、椎凪渚さん」
 俺に部屋って、また別の場所に一瞬で来たの?
 なんだかなんでもアリって感じ。
 あたしはベッドの上に腰掛けて部屋を見回した。
 本棚に分厚い本が入ってるほかは、綺麗さっぱりなにもない部屋。寝るときに使ってるだけって感じの部屋。
「渚さんの部屋はどこがいいかな?」
「えっ?」
「君はもう自分の家に帰らないほうがいい」
「どうして!」
「君はすでに世界から弾かれている。君に帰る場所はないんだよ。それに俺の傍にいたほうがいい」
 大きな事件に巻き込まれてしまったことはわかってる。
 いろいろなものを失ってしまったような気がする。
「あたしの失ったモノ……取り戻せる?」
「なんとも言えないな。ただ……」
「ただ?」
「――春日涼は僕らの敵だ」
 あたしはいったこれからなにを……?


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