ワールド(6)ワールド
 アスカが笑った。
「わたしと涼ちゃんは恋人同士なの。あなたがそれを取ろうとした」
 そう言ってアスカは僕と腕を組んで……僕と唇を重ねた。
 渚の瞳から涙が零れた。
「ウソだよね……だってあたし……知らない……」
 世界がぼやけていく。
 目が回る。
 頭が割れそうだ。
 ファントム・ミラーが僕の体から飛び退いた。
 ローズウィップが床を叩く。
 世界を包む薔薇の香り。
 ミラーは辺りを見回し呟く。
「……ハザマ?」
 壁や窓やドア、足下や天井まで張り巡らされた茨。
 〈ミラーズ〉は消失した。この世界で自我の無いモノは生きられない。
 ここはハザマの世界。
 個々の世界においては、自分自身と他人からの自分に対する認識から、自分というものが存在できる。けれどこの世界で重要のは、自分自身の強い認識だ。
 鏡面の顔になったミラーに映る僕の顔。
(もう少しで思い出せるかな?)
 ヤツは言った。
 あのとき僕になにが起きた?
 そうだ、これは過去の記憶だ。
 それとも歪められた記憶だろうか?
「いやあぁぁぁぁぁっ!」
 少女の叫び声。
 それを発した渚の体が燃え上がる。業火は具現化さえた想いだ。この炎は本物じゃない。けれど、この世界なら本物となる。
 飛び散った火の粉が部屋を燃やす。
「落ち着け渚!」
 鳴海愛の声でファントム・ローズは叫んだ。その声は渚に届いただろうか。しっかりと鳴海愛の声で。
 駄目だろう。今の渚にはなにも見えてない。
 そして、このとき僕はどうしていたのか?
 頭が気持ち悪い。
 吐きそうだ。
(ほら、もう少しだ)
 真っ白な世界が赤く塗りつぶされる。
 たしか……そう……炎を見た僕は……
「ああああああああああああああぁぁぁぁっ!」
 発狂した。
 揺れる炎の先で僕を見つめるひとりの幼女。

 廻る廻る世界。

「ねえ××ちゃん?」
 だれかが呼んでいる。
「ねえってば、今日はなにしてあそぶ?」
 眼を開けると幼いころのアスカがいた。
「これみて、あいつ今ごろこまってるはずだよ」
 彼は小さな手を開き、それをアスカに見せたんだ。
 潰れた煙草の箱と100円ライター。
 酒癖も悪かったけど、ヘビースモーカーなのも嫌いだった。
 だから彼は盗んだんだ。困らせてやろうと思って。
「あぶないよ××ちゃん。ライターは大人しかつかっちゃだめなんだよ。お母さんがいってたもん」
「べつにあぶなくなんかないよ、ほら」
 彼はライターの火をつけたり消したりして、自慢げに笑っていた。
「あぶないよ××ちゃん」
「だいじょぶだって」
「やめて、もぉ!」
「だいじょぶ……あつぅッ!」
 手を伸してきたアスカを避けようとしたときに、彼は指を火傷してしまったんだ。
 そして、ライターが転がった先にはティッシュ箱があった。
 燃えるのはあっという間だった。
 彼はなにもできず唖然として、アスカは火を消そうと必死だった。
 けれど、火の手はアスカの服に引火したんだ。
 叫び声が僕の耳にこびりついて離れない。
 僕はただ見ていた。
 肉が焼ける異臭。
 その臭いを今でも鮮明に思い出す。

 巡る巡る世界。

 僕は逃げたんだ。
 なにもかもからね。
 この閉ざされた闇の世界に閉じこもっていたい。
 そして、なにもかも忘れてしまいたい。
(けどキミは思い出してしまった)
 奴の声だ。
 僕は閉ざされた世界で彼と会話し続けていた。彼だけがここでの唯一の話相手だ。そして、僕はもう気づいていた。
 ――ファントム・ナイトがだれなのか?
 失われた世界。
 失われた過去。
 失われた……アスカ。
 真実は残酷だった。
 おそらく鳴海愛は知っていたんだろう。
 僕は目的を失った。
 これは覚めない悪夢だ。
 認めたくはなかった。だから僕は僕と僕の世界で嘘で固めてしまったんだろう。
 事実は……そう、椎名アスカは……死んでいた。
 とっくの昔に。
 夢幻に広がる世界なら、ひとつくらい僕の理想の世界があってもいい。
 しかし、椎名アスカが死ぬというのは真世界の正史。
 それが抗えない正史であるのなら、僕には絶望しかない。
 本当にそうだろうか?
 僕は平凡な高校生で、同い年の彼女がいた。
 たしかにアスカは存在していた。
 世界の価値とはなにか?
 僕は問う。
 そして、決めた。
「手を貸してくれ、ファントム・ナイト」
(ボクは僕なのだから、わざわざ手を貸せだなんて可笑しな話だよ)
 その通りだ。
 ファントム・ナイトは僕自身だ。
 そして、もうひとりの僕はファントム――。

 闇の中から這い出した僕を出迎えたのは渚だった。
「涼! ……違う、だれ……なの?」
 どのくらい闇の中に閉じ込められていたのかわからない。
 いや、自ら引きこもっていたというのが正しい。
 おそらく渚が僕をあの闇の世界から引き出したのだろう。
 しかし、僕は彼女の期待を裏切ったようだ。
 渚の横にいる影山彪斗がつぶやく。
「その姿……新たなファントムか?」
 どうやらそうらしい。
 たしか名前は……?
「ファントム・メア」
 自然と口から出て名乗っていた。
 ここはどこか?
 状況の把握でもしようか。
 野原だ。
 住宅街の空き地。資材が野ざらしになっているところを見ると、なんらかの理由で工事が中止になっているらしいな。
 横にある家は……うちか。
 つまりここは……。
「ククククッ、ふふふ……なにもかも燃えてしまった」
 なにもかも僕の夢幻だった。
 どこまでが現実で、どこまでが幻実か。
 僕の物語は僕によって語られる。
 しかし、そのすべてが真実だとは限らない。
 僕の目の前には渚と影山彪斗がいる。けれど、それもまた僕の夢幻かもしれない。
 語り部は僕。
「この世界にはアスカがいない。けれど、ボクの世界なら、何度でもアスカは蘇る」
「涼にはあたしがいる!」
「でもキミはアスカじゃない」
 そう言った僕に向ける渚の悲しそうな顔。
 いつも渚は僕の後ろ姿を眺めていた。今でも君は僕の背中を追うことしかできない。僕にはアスカしかいない。
 僕は影山彪斗を見る。渚と行動を共にしているらしい。
「キミの目的は?」
 ファントム以上に謎の多い人物だ。
「ナギサに頼まれて君を助ける手助けをしてる」
 彼は〝弾かれたモノ〟のコミュニティをつくっている。僕も誘われた。けれど本当のところは、なにが目的なのか?
「本当の目的は?」
「本当の目的?」
 彼はオウム返しをしてきた。まるで本当にわからないと言いたげだけど、ファントムになった僕はある種の臭いを嗅ぎ分けることができるようになった。
「ファントムがなぜ生まれるのか。ファントムは地縛霊のようなものだよ。特別な因果関係を有して〝弾かれて〟もなお、世界に関わりを持とうとする。つまりね、ファントムは個々に目的を持ってるんだ」
 僕の話を聞くうちに影山彪斗の表情が険しくなっていった。彼は口を硬く結んだ。なら、こちらから口を開かなきゃいけない。
「君もファントムだろう?」
 とくに驚くことでもない。
「半分アタリで、半分ハズレ。生まれたときからファントム。ひとの手によってつくられたファントムなんだ」
 人造のファントム?
 そこに立つ彼の姿は影だった。横にいる渚が驚いて後退った。ヒトのシルエットに白い仮面。
「目的はと尋ねたね。究極的には存在の維持。そのために必要なのが自分の住む世界。記憶が曖昧ですまないけど、たしか〝弾かれたモノ〟が住むために創られた疑似世界の話はしたかな?」
 どこまでが夢か現実か、その境は難しいけれど、彼がその話をした気でいるなら、きっとしているんだろう。
「それで?」
 と僕は話を促す。
「疑似世界のメンテナンスをできる者がいなくてね。疑似世界を創った偉大な魔導士はとうの昔に死んでいるし、このままだとあの世界は崩壊してしまう。〝弾かれたモノ〟の多くが住む世界を失って消えてしまうだろう」
 なるほど、すぐに理解できた。
「けれど、ファントムとしての僕の力が役立つかはわからないよ」
 彼は僕の力が必要なんだ。
「話の呑み込みが早くて助かるよ。記憶障害のせいで説明が苦手でね。君が持つ世界を創造する力で疑似世界のメンテナンスをして欲しい」
 僕は自分の能力に気づいている。
 世界は想いによって創られる。多くの人々の想いが集まり世界を創ることができる。ひとりの想いだけでは世界という大きな存在を維持することはできない。世界を創る能力はだれもに当たられた能力なんだ。
 けれど、通常それには素材というべきか、土台というべきか、それともツールというべきか、個々に与えられた世界を元にして、その世界に主人公がカスタマイズしていく。だから正確には創る能力ではなく、カスタマイズする能力と言ったほうがいいかもしれない。
 僕の能力はそれを発展させた感じなのだろう。
 ただし問題は……。
「ボクの創れる世界は悪夢かもしれないよ?」
 この世界にアスカはいない。
 僕の世界にはアスカがいる。
 けれど、何度やって、何度繰り返して、何度何度何度も、話を書き換えているのに、アスカはいなくなる。
 僕の世界よりも、世界の正史のほうが強い。
「引きこもっていたボクを外の世界に出してくれてありがとう」
 僕は渚に頭を下げた。
 自分の世界に閉じこもるのはもうやめにしよう。やるべきことが見つかった。
 世界たちの中心にあると仮定される真世界そのものを改変する。
 もしくは僕の世界がすべての世界を呑み込む。
 今、僕の世界は僕の心の中だけに存在する。
 世界を喰らう。
 1つずつ世界を喰らっていくうちに、真世界にそのうち行き着くだろう。
「残念だけど協力できない」
 そう僕が答えることも予測されていたのだろう。すぐに敵意が返ってきた。
「世界を創れるものは、世界の脅威でもある」
 影山彪斗のシルエットが僕に襲い掛かってきた。
 だれかが叫ぶ。
「やめて!」
 渚だ。
 渚は無力だ。見ていることしかできない。いつも僕を見ているだけだ。
 ……薔薇の香り?
 またか。
 僕と影山彪斗の間の地面を薔薇の鞭が大きく跳ねた。動きを止める影山彪斗。僕はその鞭の先を見た。
 ――鳴海愛。
 今日はローズじゃないのか。
「涼!」
 叫んだのは渚だ。
 僕はファントム・メアではなく春日涼だった。
 お互いの想いが結びつき、ファントムではなく本当の姿を維持することが自然にできるのだろう。
 椎凪渚、鳴海愛、そして僕。今この場で3人が世界を創り出し共有している。
 巨大な薔薇の花びらが渚の全身を覆い隠す。
「なにするの愛ちゃん!?」
 ローズの白い仮面はなにも答えなかった。
 渚は薔薇の花びらと共にこの世界から〝弾かれた〟のだ。
 残されたローズの顔は白い仮面となり、おそらく僕も同じようになっているハズだ。
 ファントムが3人か。
 影山彪斗がローズに顔を向ける。
「君がウワサの薔薇か。君と敵対したつもりはないが、なぜ春日涼を助けるようなマネをしたんだい?」
「…………」
 ローズは影山彪斗を見向きもせず僕に襲い掛かってきた。
 いつから僕らは敵になってしまったんだろう?
 僕の足下から噴きだした闇がローズの目を晦ます。はずだったけど、薔薇の鞭は闇を突き抜け僕に向かってきた。
 茨は僕の心臓を貫いた。
 血は出ない。
 なぜなら僕の胸は空洞だったからだ。
 しかし、薔薇の棘は痛みを伴う。
「泣いているのファントム・ローズ?」
 僕は白い仮面に尋ねた。
 相手は無機質な仮面で表情なんてなかった。
「私はあの日、君が煙の出る椎名アスカの家から駆け出てくるのを見ていた。しかし、私はだれにもなにも言わなかった。本当はどうすればよかったのだろうか?」
「さあね、それは君の世界の話だからボクには関係ない」
 二人で話していると影山彪斗が僕に仕掛けようとしているのが視界の端に映った。
 僕は手を出さなかった。
 地面を這う茨が影山彪斗の足首に巻き付き、そのまま投げるようにして、この世界から〝弾き〟飛ばした。強制退場だ。ローズも涼しい顔してなかなかやる。
 僕の体から這い出した闇が鞭のようになりローズを襲う。対抗して薔薇の鞭が飛んできた。
 薔薇の匂いが立ち籠める。
 どうして僕らは戦っているのだろうか?
 敵対する理由なんてなかったハズなのに……。
 気づいたら僕らは学校の屋上にいた。
 空が近い。
 よく僕はこの場所で時間を潰していた。空ばかり眺めて。
 ハッとするように僕は思い出した。なぜ今まで忘れていたんだろう。
「ここが僕らの共通の場所か」
 この場所には僕以外の常連がいた。長い黒髪の少女。彼女は壁際の小陰でよく読書をしていた。
「私は君を救えなかった」
 鳴海愛が言った。
「なにから?」
 尋ねた瞬間に吐き気がした。またこれだ。僕が僕自身にロックをかけている。
 事実。
 僕は平凡な家庭で生まれ育ってなんかいない。
 両親は自殺。
 義父に暴力を振るわれることで、僕は心を閉ざす方法を知った。
 唯一僕が心を開いていたのは幼なじみの椎名アスカ。
 そのアスカを……焼き殺したのは僕だ。
 それからの僕の物語は嘘で塗り固められた。
 鳴海愛は黙っている。
「…………」
「鳴海は僕が自ら封印した僕の記憶を知ってるんだろう?」
「君はこの場所で空ばかりを眺めていた」
「いつか空を飛べるんじゃないかってね」
 そして、あの日……僕は空を飛んだ。
 こうやって両手を広げ、フェンスの上から風に身を任せ。
 空が真っ赤に燃えている。
 風に吹かれる少女の髪。
 僕が最後に見たのは彼女だったのか。
 手を伸されたけど、つかむ気なんてまったく起こらなかった。
 空が高くなっていく。
 急な衝撃に僕の体が見舞われた。
 空中で宙吊りにされた僕の体。
「なんで助けたの?」
 僕の体に巻き付く茨。その茎からは棘が生え、僕の体に深く突き刺さっていた。
「あのとき助けられなかったから」
「ここで助けても過去は変わらないよ」
「そうだな……」
 空から落ちてきた涙が僕の頬に当たった。
 フェンスから身を乗り出す鳴海愛の手は茨を力強く握り締め、そこから血が滴っていた。
 助からなかった僕はどうなったのだろうか?
「僕の本体はどこにある?」
「今も病院で寝ている。ずっと目を覚まさない」
「なるほどね」
 全部夢幻か。
 僕の体から噴きだした闇が茨を侵蝕して、僕は鳴海愛の手から解放された。
 空がどんどん高くなっていく。

「ああああああああああああああああああああああっ!!」
 叫びながら僕を目を覚ました。
 白い天井。
 腕に刺さる針。
 点滴。
 起き上がろうとしたけど体が思うように動かない。
 それでもベッドを這い下りて、窓を開けてよじ登った。
「こんな世界滅びればいい」
 迫ってくる地面。
 鈍い音を最後に世界は暗転する。

 そして、闇の中で目覚める。
 なんだ……また悪夢か。
 どこまでが現実なのか区別がつかない。
 それを考えることも、この闇の中では意味のあることなのか、難しい問題だ。
 リセットを繰り返しながら語られる物語。
 語り部は僕。
 あれは何度目の悪夢だったのか?
 この闇には夢幻の可能性がある。想像すれば見えてくるビジョン。僕はまた世界を創造する。
 平凡な家庭で育ち、平凡な高校生として、理想の彼女がいる幸せな世界。

 ワールド END


ファントム・ローズ専用掲示板【別窓】
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