ワールド(2)平行
 ひとつわかったことがある。
 平行世界の時間の流れは同一ではないということ。なぜそうなのかはわからないけれど、さっきまでいた世界は僕にとっては過去ともいえる世界だった。
 時間というのは相対的で、光の速さで移動することができれば、周りの時間は遅くなる。そのことを考えれば、世界それぞれの運行スピードが違うことも、それほど不思議なことではない気がする。
 ミラーやローズは比較的安易に世界を渡っているように思える。とくにローズは僕のことを見つけることができるようだ。僕はそう簡単にはいかない。
 まだ世界の仕組みが掴めていないせいかもしれない。
 行き来できる世界にも制約がある。
 それこそ数え切れない平行世界がある中で、僕の知る世界とはかけ離れた世界もきっと存在しているはずだ。けれど、そういう世界には今のところは行ける気すらしない。僕が行ける世界は僕との繋がりを必要とする。
 今はもうない僕の世界に構造が近いか、僕が親しくしているひとの世界など、〝弾かれたモノ〟がその世界に入り込む余地のようなものがある世界。
 さらにその世界にうまく入り込めたあとは、その世界に類似した世界には入りやすいようだ。世界同士に物理的な位置があるのかはわからないけれど、隣接している世界には入りやすいのだと思う。
 ひとつひとつの世界はシナプスで繋がれたようになっているのだと思う。中には多くの世界と繋がりを持つ世界もあるだろうし、まったく繋がりのない世界もあるのだろう。
 世界と世界の繋がりが切れるのが先か、自分の世界から〝弾かれる〟のが先か。僕はどちらが先だったのだろう?
 ここでひとつの疑問が浮かぶ。
 〝弾かれる〟のが先だった場合、残された世界はどうなるのか?
 その世界はほかの世界との繋がりを断たれる。そうして、そこにいた主人公のことは、ほかの世界の住人は思い出せなくなる。
 思い出せないからといって、その世界がなくなったわけじゃない。
 そう、アスカの世界はどうなったのか?
 おそらく主人公を失った世界は、その存在を維持することが難しくなるだろう。この夢幻世界は想像によって創造されている。ひとの想いが重要なのだ。
 そして、ほかの世界と繋がっている場合は、外の世界に干渉される。主人公を失っても、繋がりさえ維持されていれば、ほかの世界に支えられて存在できるかもしれない。
 主人公がいない分、その世界は繋がりを持っている世界たちを平均化した世界、もしくは想いの強い世界の影響が色濃くでるかもしれない。
 世界は常に繋がっていなければ生きられない。それはひとも同じだ。〝弾かれたモノ〟はより強く認識され続けなければ、その存在が危うくなる。
 僕は一度消えかけた。あの闇の中でまずは身体を失った。そして、心も徐々に闇に呑まれかけた。けれど、僕は僕を再構築したんだ。
 そして、世界の心理に近づいた。
 未だ僕は世界を渡ることが不得意だ。
 世界と世界を繋ぐ出入り口のようなものは、そこら中に存在していると思われる。ただし、今の僕にはそれを見つけることができない。
 僕が見つけることのできる出入り口はごくごく限られている。
 たとえばこの世界では――。
 保健室でのごたごたのあと、僕は教室には行かずに屋上で時間を過ごした。こういうことをすればアスカからメールが来そうなものだが、この世界では来なかった。この世界のアスカは薄い。本来はもういない存在だし、この世界の主人公も覚えてないだろう。僕がアスカを認識してあげないと、この世界でアスカは存在を維持できない。
 1時間目の終了を知らせるベルがなる少しまでに屋上を出た。 
 ベルがなると次々と教室から生徒が湧いてきた。顔がぼんやりしている。この世界の主人公と繋がりが薄いからだろう。
 主人公と離れた場所、もしくは関わりが薄いものは、記憶として世界には存在しているが、目で見える形では存在していない。主人公は暗闇を照らすランタンのようなもので、近くしか照らすことができない。主人公が見たり体感できないものは停止しているのだ。しかしそれでも世界が成り立っているのは、世界同士が繋がり記憶を共有しているからだ。
 これは僕の推測だけど、世界にはきっとホストコンピューターがあり、すべてのデータを蓄積して、それを各世界にテンプレート化して配信してるんじゃないだろうか。
 そう考えると、僕が知っている世界から逸脱した世界は存在していないことになる。
 世界のホストコンピューター。そこにはまだアスカのデータが残っているだろうか。残念ながらアスカが全世界から消えてしまったことを考えると望みは薄い。それでも多くの断片は残っているかもしれない。
 話はだいぶ逸れてしまったけど、世界を渡る出入り口。それはこの世界の主人公の近くに多くある。
 この世界の主人公はアスカの友達だ。彼女は僕が知る仲ではもっとも仲が良かったはず。それなのに、この世界にあるアスカの断片は少なかった。
 僕とその彼女はクラスが同じだ。自分のクラスに入ろうとすると、その子が目についた。
 あんな友達とは仲良くしてなかったのに。
 アスカがいなくなったことで、その子は別の友達をつくり。その子と仲良くしている。それを見ると本当に悲しい。
 教室に入った僕をだれも見向きもしない。まるで空気になった気分だ。
 決して周りのひとびとに僕が見えていないというわけじゃないんだけど、存在がうまく認識されてないんだ。
 そういえば鳴海愛はどうしてあそこまで認識することができたんだろう。彼女をよく知る渚の世界だったから?
 いや、彼女が僕の前に現われたのは、僕の世界でだ。
 その疑問はひとまず置いておこう。
 アスカの友達だった子は、今はもうアスカを忘れている。けれど完全にリンクが断たれたわけじゃない。
 よく目を凝らすと見えてくる。今の僕はかなり意識して集中しなくてはいけない。すると見えてくる。空間の歪み。
 ズレというか、断層というか、空間に亀裂のようなものがある。もしかしたら糸のようにも見えるかもしれない。
 無数の糸。世界と世界を繋ぐ無数の糸だ。
 彼女の周りにある糸は彼女と関わりの深い世界へのリンクで、本当は世界中にリンクが張り巡らされているはずだけど、それらのリンクは薄すぎて僕には見ることができない。
 たまに主人公の近く以外でリンクを見つけることができる。それはすべての世界に大きな力を及ぼすことができる存在の近くにある。
 たとえば、そう、このリンクは想いの強さが重要だ。だから絶大な権力者、世界中に信仰者がいるキリスト教の法皇とか。あるいは建造物やひとの手でつくられたモノにもリンクが存在している場合がある。モノ自体には想いや思考は当然ないので、そのモノにたいするだれかの思い入れなんかがリンクをつくる。
 あの闇の中から僕が救われたのは偶然とも必然ともいえる。あの中で僕は偶然リンクを見つけた。だから僕はあの世界から出ることができた。
 今、僕の目にはこの世界の主人公である彼女の周りにあるリンクが見えている。ただ、問題なのが、それらがどこに繋がっているのかわからないことだ。
 きっとローズなんかは、もっと多くのリンクが見えて、その行き先もわかるのかもしれない。
 僕は彼女に近づき空間の亀裂に指先を入れた。はじめは小さい隙間だったのが、手が全部這入るほどの隙間に広がった。そして、指先から痺れる感覚がする。僕はこの感覚が好きじゃない。なんていうか、強い引力に吸いこまれるって感じだろうか。吸い込まれて自分が消えてしまうんじゃないかって不安感がある。
 世界と世界は引き合っている。
 けれど、うまいバランスを取りながらぶつからずに存在している。惑星の公転に似ているかも知れない。太陽系、銀河、宇宙、それらの法則と似たものが、この幾多もある世界にあったって不思議じゃない。
 今、僕が手を入れている先はどこに繋がっているのだろうか。
 もうひじまで中に入っている。
 けれど、僕は腕を引いた。指先を痺れさせる不快感。
 そして僕は振り返る。
 それは声がした方向だ。
 声の主は同じ言葉を繰り返す。
「春日」
 僕の名前だ。衝撃的だった。この世界で僕が認知されている。
 驚く僕に今居は不審そうな顔をした。
「なんか反応しろよ、じっとこっち見てなんかあったか?」
 こいつとはよくつるんでいた。でも、ここは今居の世界ですらなお場所だぞ?
 どうして僕が……。
「……ッ!?」
 僕はさらに驚いた。
 リンクが見える。今居の周りにリンクが見えている。それもこの世界の主人公と同じくらいの濃さだ。
 いつの間にか今居の世界にきた?
 いや――僕は振り返って確かめた。彼女は楽しそうに友達と話し、その周りにはリンクが見えた。
 ここはだれの世界なんだ?
「そこでそーやってぼーとしてろよ」
 今居はそういいながら僕の横を通り過ぎ、あの子の横に立った。そう、この世界の主人公の彼女だ。
 その瞬間、リンクがより見えるようになった。これはすごい、二人を中心にまるで蜘蛛の巣のように教室中にリンクが張り巡らされ、さらに廊下のほうまで。
 それだけじゃない。世界の色が明らかに違う。明るくなったというか、鮮やかさがよくなったように感じる。
 なにが起きた?
 今居は彼女になにやらコソコソと話すと、さらに世界が鮮やかになった。
 そして今居はまた僕の横を通り過ぎようとした。
 そこで僕は質問を投げかける。
「もしかして付き合ってるの?」
 二人を見ていてそう感じた。
「ちょっと前からな」
 僕の知らない事実、ここでは史実というべきか、僕の世界ではふたりは付き合ってなかった、断言できる。なぜなら、今居はあの子に惚れていて、その話しは聞いたけど、付き合えてはなかったからだ。今居はあの子に告白してフラれている。
 僕は感じたふたりはリンクしている。
 世界はひとりひとりに与えられているけれど、その世界が交じり合う可能性については前々から考えていた。それはミラーのやろうとしていたことにも繋がることだからだ。
 この世界で僕の影が濃くなる。おそらく今居の近くにいるときは、この世界での僕の認知度が高くなるのだろう。
 もう少しこの世界にいよう。
 世界に認知される方法は僕のためだけでなく、アスカを取り戻すことにも繋がる。
「ちょっと前っていつからだよ、ぜんぜん気づかなかった」
 今居との会話を繋ぐ。こうやって関わることは繋がりを強くすることになる。
「俺もずっと片思いのままで終わるのかって思ってたんだけど、あいつ好きなやつがいたから……?」
 言葉の途中で首を傾げた。
「そういやあいつだれのことが好きだったんだ?」
 僕は知っている。僕らの関係はこのごろ――このごろというのは、この僕からすれば過去の話だけど、かなり微妙な関係だった。
 好かれていたのは僕だった。けれど僕にはアスカがいて、あの子はそれでも僕のことが好きらしく、今居は僕とあの子の間で板挟みになっていた。
 おそらく、僕が〝弾かれた〟せいで修正されたんだろう。僕という障害がいなくなった歴史。
 しかし、この世界に僕はいる。
 それによってなにか変わるのだろうか?
 僕はあの子を見つめた。
 目が合った。
 すぐに向こうから目を逸らされた。
 今居が不審そうに僕を睨む。
「俺の彼女だから手出すなよ」
「出さないよ」
「おまえも早くカノジョつくれよ」
「…………」
 僕は言葉を失った。わかっていてもつらい。
「椎名アスカって知ってる?」
 思わず尋ねてしまった。
「そいつのことが好きなのか? ほかのクラスか学年か?」
「幼なじみなんだ」
「そっか、違う学校か」
 アスカはここにいる!
 今、僕の真横に立ってるじゃないか!
(ねぇ、涼ちゃん。さっきからムシして、そーゆーイジワルすると怒るよ!)
 今居には、このクラスのみんなには、この世界の住人たちには見えていない。僕の横に立っているアスカの姿、アスカの声、アスカの存在が忘れられている。
 のっぺらぼうのアスカが僕の顔を覗き込んでいる。
「早退する」
 僕は教室を足早に抜け出した。
 うしろから聞こえてくる声。
「おまえ遅刻してきたのに、帰るやつが……」
 今居の声が遠くなる。
 景色の色も少し薄くなった気がする。
 アスカが追いかけてきた。
(涼ちゃん変だよ)
「少し疲れてるだけだよ」
(心配だよ、絶対今日の涼ちゃん変だもん)
 これは僕の頭の中だけに聞こえる声なのか?
 アスカはいない?
 だとしたら現実ってなんなんだよ。僕の周りの景色は色あせ、どんどん透明になっていく。こんな世界が現実?
 多くの人々はなにも知らずに生きている。
 現実か、幻か、そんなことを考えるのくだらないことだ。
 僕にはアスカの姿が見え、その声を聞くことができる。まだまだ昔のアスカにはほど遠い。けど、アスカはたしかに存在している。
(キャーーーーーッ!)
 急にアスカが悲鳴をあげた。
 僕は絶望で声を失った。
 切り裂かれ頭の先から股まで真っ二つにされているアスカ。血は出ない、なぜなら身体の中は空っぽで、断面には底なしの闇が広がっていた。
 アスカが斬られた。それも衝撃的だったけど、斬った相手はアスカを認知しているってことだ。
 ドロドロになって溶けたアスカが、闇色の靄になって僕の身体に吸収される。
「だれだ!」
 叫びながら辺りを見回す。
 ――いない?
 いや、気配がする。
 目では見えない。けれど、微かに気配がする。かなり近い位置になにかがいる。
 認知できない?
 さらに目を凝らすと、だんだんと見えてきた。
 そして、僕と目が合ったと気づいた彼は険しい顔をしていた。
「残念だ」


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