月光姫譚(3)霧
 ――しばらく時間が流れ、再びベレッタが口を開いた。
「これから危ないところに行くから、メイとはここでお別れ。せっかく会えた人間だったのに、少し残念ね。お互い生きてたらまた会いましょう、バイバイ」
 素っ気無く言ったベレッタは背中越しに手を振って歩き出してしまった。
 また置いていかれた。そう思ったメイは急いで地面を駆け、ベレッタの前に立ちはだかった。
「どこに行くの? 僕も行くよ」
「お子様は危ないから暖炉のあるおうちで、温かいスープでも飲んでたら?」
「お子様って僕のことを言ってるなら、ベレッタは僕より子供じゃないか!?」
「アタシは絶対に魔女を殺すの」
 魔女という言葉に反応してメイの脳裏にあの女性の姿が浮かぶ。喪服を着て、愁いの帯びた顔をしていた。どことなく透き通ったイメージを持っていたあの女性は魔女と呼ぶには相応しくないように思えた。
「あの人そんな悪い人に見えなかったよ」
「そうかもしれないけど、今はナイト・メアにたぶらかされてる」
「ナイト・メアって僕らを殺すように命じた仮面の奴だよね、あの人がそう呼んでたような気がする。あ、待って、あのナイト・メアも人間じゃないの? 人間は二人だけだって言ったよね?」
「あれは悪魔だから人間じゃない。この世界に突然現れて、お姫様をたぶらかせて、この世界を永遠の夜で包んだ張本人」
「永遠の夜ってなんのこと?」
 そう言えばベレッタが夜空を見上げながら呟いていた。
 ――いつになったら朝が来るんだろうね。
「そんなことも知らないの。記憶喪失って嫌ね」
 ベレッタは鼻で笑った。
 本当は記憶喪失だから知らないのではなかった。メイはこの世界の住人ではない。ベレッタはメイがこの世界の生き残りだと勘違いしているのだ。
 手の焼ける子供を見るような眼差しで、ベレッタはメイの瞳を見つめた。メイはこの感覚に、どこかで感じたことのあるような懐かしさを覚えた。
 少し間を置いてベレッタが顔についた薔薇の蕾を小さく動かした。そこから発せられた言葉は子供に物事を説明するような優しい声。
「この世界は一日中闇に覆われ、決して朝が訪れることがなくなってしまったの。アタシは光を取り戻したい。それだけ、アタシの想いはそれだけなの……」
 ベレッタの紅い衣装は憎悪や怒りなどを示しているように思えた。けれど今は違って見える。紅い衣装は外側だけにしかないのだ。内にいるベレッタの心は紅に隠されている。
 真剣な顔つきをしたメイの腕は上にはあげられていないが、その拳は下を向きながらぎゅっと硬く握られていた。
「僕も行くよ、魔女っていうひとやっつけに行くんじゃなくて、話がしたいんだ。ほら、話し合いで解決するかもしれないじゃないか?」
「好きにすればいいわ、話し合いなんて無駄だと思うけど」
「やって見ないとわからないじゃないか?」
「やっても駄目だったのよ。ナイト・メアに良心の心はないし、魔女だって今は悪者に成り下がったわ。歯向かう者はみんな殺されちゃうのよ」
 メイにはなんとも言えなかった。確かにナイト・メアは自分たちを殺そうとした奴だ。けれど、メイは覚えている。あの女性はナイト・メアを止めようとして、メイを助けようとした。
 少し悲しいような、怒っているような、なんとも言えない表情をしてベレッタはそっぽを向くと、そのままメイを置いて歩き出してしまった。
 静かな森に静かな足音が二つ響く。
 メイはベレッタの後ろを一歩下がってついていった。ベレッタは何も言わない。だから、メイも何も言わなかった。でも、それがメイはもどかしかった。
 世界が闇に閉ざされようと、森の中では花が光を放ち、微かに小動物たちの気配もする。闇の中にも世界があって、色彩があって、生命の躍動がある。けれど、昼に比べれば虚しい感じがする。闇の中に響く音はどこか虚しいのだ。
 森の中をしばらく歩き、二人はあの湖まで再び戻ってきた。
 ここに人の気配はない。マガミの気配もない。静かな静かな夜の湖がそこにはあった。
 月は丸く、蒼白い光によって水面が煌き囁き、妖精たちが噂話をしているようだ。
 湖の向こう側は不気味な白い靄に覆われ、その奥に微かな影が見える。天を衝く巨大な影――それは塔だった。
 ベレッタは塔の下から上に向かって指差し、肩越しに顔を後ろに向けてメイを見た。
「あの塔に姫が住んでるの。満月の晩だけ外に出てくるから、そこで襲おうとしたんだけど失敗。もう二度と同じ手は使えないわね」
「ごめん、僕のせいだよね」
 自分を責める表情をしたメイに対してベレッタは少し笑って見せた。ベレッタは言葉を発さずただ笑っただけだったが、そのおかげでメイの心はだいぶ救われた。
 塔は湖の中心から天に伸び、泳いでいくかボートなどの乗り物を使うしかなさそうだが、乗り物は近くに見当たらない。
 あの女性は水の精を思わせる軽い足取りで水面の上を歩いていた。もしかしたら、この世界では水の上を歩けるのかもしれない。けれど、違うらしい。
「どうやってあの塔まで行こうかしら?」
「ボートは?」
「ないわよ、そんなの。あいつらは不思議な魔法でなんでもできちゃうんだから、ボートなんて用意してない」
「じゃあ、僕らはどうやって行くの?」
「それを考えてるんじゃない」
 少し顔を赤くしたベレッタは腕組みをして黙り込んでしまった。
「ベレッタは泳げるの?」
「泳げないわよ、悪かったわね」
「よかった、僕も泳げないんだ」
 安心した笑みを浮かべるメイにベレッタは心の底から呆れ返った。
 木の葉がカサカサと揺れ、闇の奥に金色の光が浮かび上がった。それもひとつではなく、二つ四つ六つと輝いている。
「逃げるのよメイ!」
 叫び声をあげたベレッタにメイは反応しきれず、後ろを振り向いただけで精一杯だった。木陰から飛び出してきた三匹の羊がメイの瞳に映し出される。
「わあぁぁっ!」
 羊の背中が裂け、中からマガミが飛び出し牙を向ける。
 銃が火を吹きマガミがメイの目の前で黒土に落下する。しかし、マガミの脅威はベレッタを襲っていた。
 二匹のマガミがいっせいにベレッタに襲い掛かる。メイを助けてしまったうえに、一匹目を殺しても、生き残った一匹にベレッタの身体は八つ裂きにされるだろう。
 誰もがもう駄目だと思う状況で、メイは強く目を瞑った。ベレッタが獣に喰われるところなど、見たくもない。
 突風が巻き起こり、目を瞑っているメイの鼻を強い薔薇の香りが衝いた。
 悲痛な獣の叫び。何かが迸る音。薔薇の匂いは咽るほどに強まった。
 メイは目を開けるのが怖かった。しかし、開けずにはいられない。見てないところで何かが起こったの明らかだった。
 恐る恐るゆっくりと目を開けたメイの瞳に映し出されたのは、紛れもなく薔薇の使者――ファントム・ローズ。
「真に危険が迫った時、真に私が必要な時、私は現れてしまう。助けたのは余計なお世話だったかい?」
 風に揺れるインバネスに身を包み、手には鞭と化した太い薔薇の茎を握っていた。その傍らには狼の形をした薔薇の花びらの山が二つある。その薔薇の山は風に吹かれると、渦巻きながら天に昇って舞い上がった。そして、あとには何も残らない、何も――。
 銃を地面に下ろし立ち尽くしているベレッタの口から言葉が零れ落ちる。
「……悪魔」
「私のことも悪魔と呼ぶか……。確かに血の契約とともに君の光を半分いただいたが、その代わりに力を与えた。銃を望み創り出したのは君だ。銃は憎悪、怒り、敵意を示し、それとともに君は命の儚さを知っている」
 ベレッタに仮面を向けるファントム・ローズ。おそらく力とは銃のことを言っているのだろうとメイは察しが付いた。だが、この二人の関係はいったい?
「アタシひとりでこの世界に光を取り戻すって言ったでしょ!? あんたは邪魔しないでよ!」
「私は君に力を与え、見守った。しかし、朝はまだ来ない。人は己の力で道を切り開いて欲しいと願っている。けれど、私はお節介なものだから、口を出したくてしかたなくなる。その衝動は私にも押さえられないのだよ」
 ファントム・ローズは一呼吸置いて、メイを指差して再び口を開く。
「それと、君が現れたことにより、この世界は変われるかもしれない」
「僕……?」
 指を差されたメイはきょとんとした表情をした。今まで目の前で成されていた会話でさえ、置いていかれている感じがしていたのに、突然指を差されてよけいに戸惑いを覚えた。
 白い仮面が霧の奥に霞む塔を見つめた。
「私は知っていた――ベレッタだけでは光を取り戻せないことを。メイは鍵となって光の扉を開けられることだろう……しかし、それが幸せなことなのか私にはわからない。時は満ちた、約束の約束の地には私が案内しよう」
 足音も立てない静かな足取りでファントム・ローズが歩き出した。その足は一歩一歩、湖へと近づいていく。そして、メイとベレッタは目を見開いた。ファントム・ローズが乗ったのだ。
 ファントム・ローズの足は水面に乗った。ファントム・ローズはそのまま少し水面を滑るよう
に歩き後ろを振り向いた。
「私の通った道を歩くといい、そうすれば沈むことはない」
 陸から湖の上まで色艶やか紅い絨毯が敷かれていた。その絨毯はファンと・ローズの足元まで続いている。紅い絨毯の正体は薔薇の花びら。薔薇の花びらが水の上に艶やかに浮き、月光を浴びながら揺られていた。
 ベレッタはすぐにファントム・ローズのあとを駆け足で追って薔薇の絨毯の上に乗った。
 メイは少しおどおどしながらも、ゆっくりとつま先から薔薇の絨毯に乗った。その感触は木の葉の上を歩くのとさほど変わらず、一歩進むごとに下から薔薇の香りが上に抜ける。
 霧の中に浮かぶ巨大な影が揺ら揺らとゆらめき、その輪郭が徐々にはっきりとしてくる。
 沈んだ灰色の塔はどこか陰気で寂しく、霧に包まれていることによって見ているだけで憂鬱な気分になってくる。
 メイたちの前に巨大な鉄門が立ち塞がった。ここが塔の入り口らしく、門はともて頑丈そうで鍵がなければ中に入れそうもなかった。
 ベレッタが門を開けようとして、引いたり押したり、最後には突進してみたが、びくともしない。
 門を蹴飛ばして怒りをあらわにするベレッタの身体をファントム・ローズは優しく腕で退かした。
「君には開けられない。この門は固く閉ざされた心を暗示している。この門を開けられるものは限られているが、君はその正反対の人であり、君が無理やり開けようとすればするほど、門は固く閉ざされることだろう」
「アタシに開けられないってなんでよ、あんただったら開けられるの?」
「否だ。私にも開けられない――互いの想いが足りないからな。この夢幻世界で開けられる可能性があるのはただひとり、君だけだ」
 振り向かれた仮面が微笑んでいるようにメイには見えた。
 メイは静かに鉄門に近づいた。それだけなのに門が開いていく。メイが一歩進むごとに、門が少しずつ軋みながら開いていく。扉はまるで心を開いたように開き、塔はメイを自ら受け入れたのだ。
 開かれた門を見てメイははしゃぎ、急いで中に入ろうとした。
「開いたよ、早く中に入ろうよ!」
 さっさと中に入って行ったメイの背中を見て、ベレッタは言葉を漏らした。
「なんでメイには開けられるの?」
「君はその理由を知っているはずだ。思い出せないだけだ」
「思い出せないって――!?」
 すぐ横で声がしたと思ったのに、ファントム・ローズの影はすでに門の奥に潜む闇へと吸い込まれようとしていた。
 ベレッタは地面を蹴飛ばした。
 ファントム・ローズはいろいろなことを知っている。それなのに中途半端にしか語らない。それではお節介ではなく性質が悪いだけだ。メイはそれに腹を立てたが、ファントム・ローズに詳しく聞こうとしない自分がいて、ファントム・ローズを頼らないようにしようとしている自分いることにも気が付いていた。
 自分への怒りを認めようとしないため、怒りは全て憤りのない怒りへと変わる。
 ベレッタは幼い子供のように顔を膨らませて門の奥へ飛び込んだ。


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