第5話 アゲクの果て

《1》

 いつもの朝、いつもの光景、いつものように学校に登校。
 通学バッグを自転車カゴに入れて直樹が自転車を漕ぎ出す。その横では魔法のホウキに跨ったアイの姿。これがいつもの登校風景だった。
 アイの存在はご近所さんでも有名で、いろんな人から可愛がられている。ご近所のアイドル的存在といった感じだ。
 直樹とアイがゆったり登校していると、後ろから自転車に乗った美咲が追っかけて来た。これもいつもの朝。
「二人とも待ってよ!」
 待つまでもなく美咲は追いついてくるので待たない。すると、追いついて来た美咲は決まってこう言う。
「待ってって言ったじゃない」
「待たんでも追いついてくるだろ、おまえは」
 直樹が素っ気なく言った。すると美咲は少し怒った表情をするが何も言わない。
 三人での登校風景もいつもの風景だった。だが、ここでいつもと違う発言を美咲の方を向きながらアイがした。
「なんでいつもダーリンとアタシの時間を邪魔するの?」
「わたしが二人の邪魔? いつどこで?」
「アタシとダーリンがいつもこうやって学校行ってると、いつも後ろから追っかけてくるじゃん」
「別に追いかけてきてるわけじゃないわよ、もともとあなたが現れる前からわたしと直樹は一緒に学校行ってたんだから。だって、あなたが現れるようになってから、直樹がわたしのこと置いていくようになったから、だから……」
 美咲の話を聞いてアイが『そうなの?』という表情で直樹の横顔を覗き込む。
「俺は別に美咲のこと置いててってるつもりねえし、昔だって別に一緒に行ってたわけじゃなくて、俺が遅刻しないようにおまえが迎えに来てただけじゃんかよ」
 少しばつの悪そうな顔をする美咲をアイが勝ち誇った顔で見る。
「美咲の勝手な思い込みじゃん。今はアタシがダーリンを遅刻しないように起こしてるから、美咲はいらないよ〜だ!」
 一瞬すごく怒った表情をした美咲だったが、すぐに悲しそうな表情をして自転車のペダルを漕ぐ力を入れた。
「全部わたしが悪かったです、二人の邪魔してすみませんでした!」
 そう言って美咲はすごいスピードで自転車を漕いで行ってしまった。
 やっと直樹と二人っきりなれたアイは心を弾ませてウキウキだった。
「やっとダーリンと二人っきりだね。こんな朝の風景をどんなに待ちわびたことか……」
「…………」
 ニコニコ顔のアイに対して直樹の顔はちょー不機嫌そうだった。
「どうしたのダーリン?」
「別に」
「別にって顔してないよ、すっごく機嫌悪そう」
「すっごく機嫌が悪いからに決まってるだろ」
「どうして?」
「おまえのせいに決まってるだろ」
「……あ、アタシ?」
 アイちゃん的大ショック!
 と思いきや、ショックというよりも意味がわからなくて、アイはきょとんとした顔をして魔法のホウキの動きを止めてしまった。
 直樹の足も止まり、その場できょとんとしてるアイの方を振り返って言った。
「あとで美咲に謝れよ」
「な、なんでアタシが? アタシ美咲になんかしたっけ?」
「態度悪かっただろ」
「悪くなかったよ、いきなり美咲が先に行っちゃっただけじゃん」
「それがおまえのせいなんだろ」
 自転車を一八〇度回転させた直樹はアイの横をすり抜けながら呟いた。
「帰る」
「え、あ、えぇ!?」
 呆然と立ち尽くすアイを置いて直樹は自宅に向かって自転車を走らせた。すると、魔法のホウキに乗ったアイが猛スピードで追って来る。
「待ってダーリン!」
 直樹はそれを振り切ろうとペダルを漕ぐ力を入れる。けれども魔法のホウキの最大時速は無限大。ホウキに乗る者によって、その最大時速は変わるのだ。ちなみにアイの出せる最大時速は時速三〇〇キロメートルほど、つまり――。
「ダーリン止まって……アタシぐあっ!?」
 最大時速ギリギリのスピードで飛んだアイが直樹を通り越して、遥か彼方へキラリーンと星になった。つまり、ブレーキが効かなかったということ。
 姿の見えなくなったアイへ自転車を止めた直樹から一言。
「アホかあいつは」
 再び直樹がペダルに足をかけた時、近くの家から夫婦喧嘩をする物音が聞こえて来た。
「離婚よ離婚!」
「おう離婚でもなんでもしてやるよ!」
 喧嘩するほど仲がよいとは言ったものだが、実際のところはどうなんだろうか?
 直樹は小さく息を吐いて今度こそ自転車を漕ぎ出そうとした。だが、夫婦喧嘩をする家の中からフライパンが窓ガラスを破って飛んできた。
「甘いな」
 カッコよく華麗にすっとフライパンを避けた直樹。次に包丁も飛んできたが、それも避ける。だが、もう一つ放物線を描いて飛んでくる物体に直樹は気づいてない。
 ゴン!
 やかんが直樹の脳天直撃。しかも中身が入っていたのでかなり痛い。
 バタン!
 脳天クリティカルヒットされた直樹は自転車ごと地面に転倒、気を失った。
 気を失い倒れている直樹の横を鎧を着た黒髪の武人と、月の砂漠を連想させる駱駝に乗った中東風の衣装を着た女性が通りかかった。住宅街では滅多に見られない装いだ。というか、場違い。
「マルコ、歩みを止めよ」
 気高い声で駱駝に乗った女性が言うと、武人が機械のようにピタッと足を止めた。
「なんでございましょうかモリー様」
「そこで行き倒れる子供を助けてやるがよい」
「畏まりました」
 主人に頭を下げた武人は地面に倒れている直樹の脈を取り息を確かめると、軽く直樹の頬を叩いて目を覚まさせようとした。
「しっかりするのだ小僧」
「う……ううん……」
 ゆっくりと目を覚ました直樹は目の前の顔を見てビビる。
「わっ!? 誰だおまえ!」
「おまえとは失礼な、俺の名はマルコ。こちらに居られるのは我が主君モリー公爵様だ」
「はぁ?」
 きょとんとする直樹。
 マルコと名乗った武人の顔は男性にしておくには持ったいくらいの綺麗な顔立ちで、肩まで伸びた美しい黒髪が静かな風に揺られていた。そして、この美しい武人よりも美しいのがひと目で良家の娘だとわかる駱駝に乗ったモリー公爵だった。
 モリー公爵の高貴な顔立ちからは少しもの悲しげな感じられ、どこか哀愁の漂う表情をしている。そんなモリー公爵は清閑な眼差しで直樹を見据えた。
「そち、名を何と申すのじゃ?」
「よくぞ聞いてくれた、わたしの名はナオキ。世界を統べる予定の者だ!」
 先程気を失った際に直樹はナオキになっていたのだ。
 ナオキの言葉を聞いたモリー公爵の静かな瞳に微かな火が宿る。
「ほう、人間風情が世界を統べると申すか?」
「は〜ははははっ、その通りだ。わたしが世界の覇者になった暁にはあんたを愛人にしてやってもいいぞ、あ〜ははははっ!」
 高笑いをするナオキの襟首をマルコが掴みかかった。
「無礼であるぞ、すぐにモリー様に謝るのだ」
「わたしに指図するつもりか、このナオキ様に指図するとはいい度胸だ!」
 直樹はナオキになると態度がデカくなる。普段の直樹であれば、猛ダッシュで逃げるか、土下座して謝っていたに違いない。マルコの気迫はそれほどのものだった。
 相手を睨み殺そうとするマルコにモリー公爵が静かな声で命じた。
「子供の冗談に腹を立てるでない、許してやるがよい」
 震える拳を抑えながらマルコはナオキを地面に下ろした。
「すまないことをした、心から詫びよう」
 頭を下げるマルコに対するナオキの顔はかなり優越感。自分の力で相手を負かしたわけでもないのにね。
 襟元を正したナオキは地面に転がる自転車を起こして跨った。
「では、わたしは世界を征服するために行く。さらば凡人ども!」
「待つのじゃナオキとやら」
 とても静かなモリー公爵の声。その声に反応してナオキは身動きを止めた。いや、止められた。モリー公爵の静かな声には底知れぬ力が込められていたのだ。
 背中に冷たいものを感じながらナオキが首だけを動かして後ろを振り向くと、モリー公爵は静かな声で尋ねてきた。
「アイという悪魔の娘を探しておる。どこにおるか知らぬかえ?」
「あ〜、アイならさっきこの道をホウキに乗って爆走して行ったぞ、向こうに」
 と遠くを指差しながらナオキは疑問を感じた。こいつらアイの知り合いか?
「モリー様のご用はお済みになられた、早々に立ち去るがよい小僧」
「あ、ああ」
 マルコの雰囲気は質問一切受け付けないといった雰囲気だった。だからナオキは仕方なく自転車を漕いでこの場から立ち去った。かなりのスピードで。
 小さくなって行くナオキの背中を見ながらマルコが呟く。
「あの小僧、アイ様のお知り合いだったのでしょうか?」
「おそらくそうであろう、微かにアイの匂いがしておった。それにあの子供、内に二つの心を持っておる。それに……」
「それに?」
 主君の顔をいぶしげな表情で見るマルコに対してモリー公爵は微かに微笑んだ。
「今の言葉は忘れるがよい」
「……畏まりました」
 駱駝が静かに歩き出す――アイを目指して。

《2》

 自宅に戻ろうと一時期は考えることもあった。けれど、心は揺れ動き、常に変化するもの。ナオキは作戦変更して住宅街を無意味に爆走していた。
 アイが自宅で待ち伏せしている可能性は高い。そこでナオキは世界征服の作戦を考えるついでに住宅街を爆走しているのだが、何もいい考えが浮かばない。てゆーか、住宅街を爆走する意味がどこにあるのか。そのことにやっと気づいたナオキは自転車を止めた。
「疲れるだけだ」
 さてとこれからどうしようかなって感じでナオキが物思いに耽っていると前方から見慣れた制服姿がやってきた。まさしくあれはナオキの通う某○○中学の女子制服ではないか。
しかも知り合い。
 ナオキの前に立った少女が突然ワラ人形を取り出す。
「ガッコーサボッテンジャネェゾ!」
 言うまでもなく、ワラ人形を持ち歩いている少女はこの近辺では一人しかいない――見上宙だ。
「わたしは学校をサボっているのではなく、大いなる野望を企てている最中なのだ、わかった凡人。てゆーか、おまえこそ学校をサボっているではないか」
「……道に迷った」
「学校行くのにどうして迷う。四〇〇字以内に説明してみよ!」
「……ウソ」
「わたしをからかっているのか愚民のクセして」
「だってワタシ……アナタ嫌ぃ」
 ナオキ的大ショック!
 まさか宙に『嫌い』って言われるなんて夢にも思ってなかったナオキは精神的に大ダメージを受けて気分ブルー。
「ま、まさか、宙に嫌いと言われるとは……。わたしは、わたしがこんなにも宙のことを愛しているというのにぃ!」
 自転車から飛び降りたナオキは両手一杯広げて宙に抱きつこうとした。だが、あっさり躱され地面に腹から落下。これは痛そうだ。
 地面で潰れた蛙のように息絶え絶えのナオキを見下す宙。
「その愛はぉ断り」
「どうしてだ、おまえはわたしのこと好きだったんじゃないのか!?」
「そんな記憶なぃ。それに雌は恋愛対象外」
 傷口に荒塩を練りこまれた感じのナオキ。こういう場合は愛の逃避行しかない。涙を流すナオキは乙女チックにすすり泣きながら、自転車に乗って走り去る。追ってもムダよ!
 猛烈に自転車を走らせるナオキは傷心に駆られながら住宅街を疾走、爆走、激走!
 勇気を奮って、古い恋を廃棄処分して新しい恋に向かってレッツ・ゴー!
 しばらくナオキが自転車を走らせていると、見覚えのある制服姿が――。また某○○中学の制服だ。しかも、またナオキの知り合い。
 数人の男たちに腕を掴まれからまれている女子中学生。ナオキが見間違えるはずもなく、それは美咲だった。
「やめて、放して!」
 美咲は掴まれた腕を振り払おうとするが男の力は強く、別の男に後ろから羽交い絞めにされて身動きが取れなくなっていた。
「俺たちといいことしようぜ、なあ?」
 三人目の男の手が美咲の胸に伸ばされようとした時、自転車に乗ったナオキの目がキラリーンと輝いた。
「愚民どもめが!」
 ナオキを乗せて激走する自転車の前輪が浮くと同時にナオキが必殺技の名前を叫ぶ。
「喰らえ、前輪クラシャー!」
 突然の声に振り向いた男の顔に自転車の前輪が食い込んで、男は勢いよく吹っ飛ばされて即気絶。一丁上がり!
 残る男は二人。
 ジャンプしながら自転車から降りたナオキはカッコよく男二人を指差した。
「わたしが来たからには安心しろ美咲! こんなやつらケチョンケチョンのギッタギッタにして、生ゴミとして出してやる!」
 とは言っても状況的には美咲は人質に捕られていて最悪。
「助けて直樹!」
 心から叫ぶ美咲を後ろから羽交い絞めにする男と腕を掴んでいる男。どちらもそこそこ喧嘩の強そうな顔とガタイをしている。果たしてナオキに勝ち目はあるのか?
 美咲の腕を掴んでいる男が吼える。
「よくも俺のダチをやってくれたな。この女の彼氏だかなんだか知らねえが、ただじゃあ済ませねえ!」
 吼える男をナオキは鼻で笑った。
「わたしは美咲の彼氏じゃない、美咲はわたしの愛人Aだ。それに――」
 制服の上着を脱ぎ捨てたナオキの豊満な胸がボヨ〜ンと弾む。
「わたしは女だ!」
 男二人がナオキの胸を見て舌なめずりをした。超美人顔で巨乳ときたら喰うしかないと男たちは判断したのだ。そして、美咲の腕を放した男がナオキに襲い掛かってきた。
「俺が先に頂くぜ!」
「ふん、下賎な。我が名を知れ、我が名は魔王ナオキ様だ!」
 軽やかなステップで地面を蹴り上げたナオキの回し蹴りが男の頬を砕いた。ちなみにナオキの胸はノーブラなのでよく揺れる!
 一撃ヒットで男は宙をぶっ飛び、アスファルトの上を転がり回って白目を剥いて気絶。ナオキ強し。
 あまりのナオキの強さに残った男の顔に冷たい汗が流れる。
「こ、この女がどうなってもいいのか!?」
「ナオキ!」
 今にも泣きそうな顔をしている美咲の表情を見てナオキの心がメラメラと燃え上がる。
「美咲に傷一つでもつけてみろ、おまえの(ピー)からな!」
 あまりにも過激かつ汚らしい言葉だったので自主規制が入りました。ご了承ください。
 ナオキの発言に蒼い顔をする美咲。その後ろではもっと蒼い顔をする男。いったいどんな言葉を聞いたのだろうか、とても気になる。
 蒼ざめた男は美咲の身体を突き飛ばし、股間を押えながらナオキに襲い掛かってきた。だが、もはや脅えきった男などナオキの敵ではない。
「外道よ散るがよい!」
 高い舞い上がったナオキの踵落としが男の脳天を襲う。だが、ナオキは踵落としを炸裂させずに何食わぬ顔で地面に着地した。
「な〜んちゃって」
 固まる男は何が何だかわからなかったが、次の瞬間!
「ぐおっ!」
 股間を押えながら悶絶する男。ナオキの蹴りが決まったのだ。
 男は股間を押えながらよろめき、背中からバタンと地面に倒れて白目を剥いた。倒された男の中で一番凄惨な顔して気を失っていることは言うまでもない。ご愁傷様。
 完全なる勝利感に浸るナオキ。
「伊達に元エースストライカーではないわ、あ〜ははははっ!」
 ほっとして力の抜けた美咲が地面に尻餅を付き、ナオキがすぐに駆け寄った。
「大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないわよ」
 急に涙をボロボロ流しはじめた美咲はナオキの身体に力いっぱい抱きついた。
 ――美咲が泣いたのを久しぶりに見た。
「泣くな、助けてやったのだから」
「だって、怖かったんだから泣くに決まってるじゃない!」
 涙を流しているのにその声は怒っているようだった。
 ナオキの身体を掴む美咲の力が強くなった。
「どうしてもっと早く助けに来てくれなかったのよ」
「どうしてって、ここに来たのだって偶然であって、わたしはエスパーではない」
「だって小さい頃、『美咲は一生俺が守ってやる』って約束してくれたじゃない」
「はぁ? そんな約束……したな。だが、その約束をしたのはわたしではなく、直樹♂の方であるし、そんな昔の約束を掘り返すな」
 小さい頃、美咲は近所のガキンチョどもによくイジメられていて、直樹はそれをよく助けていた思い出がある。その時にそんな約束をした記憶がある。けれど、いつの間にか美咲は近所のガキンチョを泣かすくらいに喧嘩が強くなっていて、直樹が活躍することも次第に少なくなっていった。そんな遠い過去の約束。
 何時になく可愛らしい表情をした美咲がナオキの顔を上目遣いに覗き込んだ。
「じゃあ、こんな約束覚えてる?」
「なんだ?」
「大きくなったらわたしのことお嫁さんにもらってくれるっていう」
「……したな。だが、それも直樹♂のした約束だ。しかし、わたしはおまえのことを愛している、すぐにでも結婚してやってもよいぞ」
「えっ?」
「おまえだけではない、この世の全ての女性を愛しているのだ。いつの日か、必ずや世界中の女子を我がものにしてくれる、あ〜ははははっ!」
 少し顔を赤くした美咲だったが、今の発言を聞いて大きくため息を吐いた。
「サイテー、女のナオキはサイテーね」
「命の恩人に向かってサイテーとはなんだ。こんな男に引っかかるおまえの方がよっぽどサイテーだ」
「だって、デートしたらお金くれるって言ったから」
「そ、そんなアホな口実に引っかかったのか? 恥だ、こんな女が世の中にいるなんて女の恥だ」
「だって、朝のことで頭にきちゃってて、それでどうにでもなれって感じだったから」
 朝のことと聞いてナオキを思考をグルングルン巡らす。ナオキの記憶は直樹と共有しているので、直樹が体験したことは全て覚えている。だが、直樹の方はナオキだった時ことは覚えておらず、いつも後から聞かされていた。
「あ〜、直樹♂に素っ気ない態度されて、そこにアイに追い討ちをかけられたあれか」
「素っ気ない態度って他人事みたいに言わないでよ、あなた直樹なんだから」
「あくまで直樹♂とわたしは違う存在だ。それから、いいこと聞かせてやろう。おまえがいなくなった後、直樹♂の機嫌が悪くなってな、おまえに謝るようにアイに言っていたぞ」
「直樹が?」
「直樹♂もああ見えておまえに気を使っているのだろう。直樹♂の心は激しく揺れている」
 直樹の顔で直樹の気持ちをナオキに語られると少し変な気分だ。直樹の心を直接覗いている感じで美咲は悪い気がした。ズルイ気がした。
 サッと立ち上がったナオキは地面に落ちている自分の制服を拾い上げて埃を手で払った。
「さて、わたしは世界征服を企てるために行くぞ」
「ちょっと酷いんじゃないの、わたしのこと置いていく気?」
「そうだ、自転車どうしたんだおまえ?」
「ちょっと離れたとこに置いてる」
「じゃあ、そこまでは送ってやろう。我が自転車の荷台に座るがよい」
 ナオキが近くに転がっていた自転車を起こして跨ると、美咲が荷台に座って直樹の腰に腕を回した。美咲のやわらかな胸の感触とともに体温がナオキの背中に伝わる。相手がナオキでも美咲の心臓は激しく鼓動を打っていた。できれば、すっと……。
 ペダルに力を込めたナオキが一言。
「……重い」
「そんなに重くないわよ」
「いや、重い」
 文句を言いながらも自転車は進みはじめた。

《3》

 しばらく二人だけの時間を美咲が過ごしていると、後方から豪快なエンジン音が近づいて来た。雰囲気ぶち壊し。
 美咲が後ろを振り向くと、そこにはノーヘルで大型バイクに跨っている白衣姿の女性。白衣でバイクに乗る人は滅多にいない――ベル先生だ。
「そこの二人乗り自転車止まりなさぁい!」
 この声を聞いたナオキも後ろを振り向く。
「なぜベルがここにいる。今は学校時間帯だろうに」
 ナオキはベル先生から逃げるのは得策でないと考えて自転車を止めた。すぐに大型バイクが横付けされて止まる。
「ナオキちゃんと美咲ちゃん、白昼堂々学校サボってデートかしらぁん」
「そうだ」
 ナオキは否定するでもなく認めた。だが、すぐに美咲が否定する。
「ウソです、デートなんかじゃありません。そんなことよりも、ベル先生がなんでこんなところに……校外パトロールですか?」
「よくぞ聞いてくれたわぁん。学校なんてそんなくだらない場所に行ってるヒマじゃないのよぉん。この街にある女が来たって情報を仕入れて探してるところなのよぉん」
 ある女と聞いてナオキの頭にある女性の姿が浮かぶ。
「ベルが探している女とは、鎧を着た変な男を連れたアラビアンな感じの女か?」
「そうよぉん、なんでナオキちゃんがモリーちゃんのこと知ってるのぉん?」
「さっき会ったぞ。なんだかアイを探しているとかでな」
「あぁん、やっぱりアイちゃんを探しに来たのねぇん、あの女は……。そーゆーことでナオキちゃん、モリーちゃんと会った場所まで案内しなさい」
「はぁ?」
 ベル先生はいつも強引です。逆らってムダです。さっさと従った方が身のためです。
 ナオキは自転車を折りながら美咲に言った。
「わたしはこれからベルとともに行く。美咲はわたしの自転車に乗って家に帰るなりしろ」
「わたしの自転車はどうなるのよ?」
「知らん」
 ナオキはきっぱりと言ってベル先生のバイクに二人乗りした。
 エンジンを吹かせてベル先生が美咲に手を振る。
「じゃあ、ナオキちゃんを借りていくわねぇん」
「ちょっと待ってくださいよ!」
 美咲の言葉も空しくバイクは走り出した。その荷台からナオキは美咲に手を振る。
「さらばだ美咲!」
 背中の後ろで小さくなっていく美咲の姿を見ながら、ナオキはベル先生に声をかけた。
「あのモリーとかいう女は何者なんだ?」
「わたくしのダチの悪魔で元は月の女神。モリーっていうのは愛称で本当はグレモリーって名前なんだけど、それも本名じゃなくて、本名はレヴェナ。争い嫌いとか自分では言ってるけど、本当は清ました顔して性根が腐ってるのよぉん」
「性根が腐ってるようには見えなかったが?」
「あの女は何千年も昔のことをネチネチと掘り返すような女なのよぉん。された嫌がらせは絶対に忘れないし、お金を借りたが最後、酷い目に遭うわぁん……」
 過去の回想に浸るベル先生。モリーにだいぶ痛い目を見せられたと思われる。
 物思いに耽って若干事故りそうなベル先生にもう一つナオキから質問。
「モリーの傍に仕えていた男は何者だ?」
「あれはマルコシアス侯爵、モリーちゃんの飼い犬ねぇん、しかもかなり獰猛で強者。近くにモリーちゃんがいる時はそうでもないけど、野放しにすると手に負えないわぁん。それにマルコちゃんは――」
「前見て運転しろ!」
 何かを言おうとしていたベル先生の言葉をナオキの叫びが掻き消した。
 前方に聳え立つトラックの荷台!
「飛ぶわよぉん!」
「はぁ!?」
 バイクの前輪が浮き上がり、勢いに乗って後輪も浮いてジャンプ!
 ジャンプというか飛んでいる。バイクが空を走っている。トンデル!?
「ベルさ〜ん、空飛んでませんかバイク?」
「ホウキだって空飛ぶご時世なのよぉん、バイクだって空飛ぶわよぉん」
「なるほど」
 納得してどうする!
 障害物、渋滞なしで、あっという間に目的地に着いた。
 住宅街の路地にバイクを止めたベル先生は辺りの空気をクンクン犬のように嗅ぎはじめた。
「微かにモリーちゃんの香水の香がするわねぇん」
「あんたは犬か」
「人間に比べてちょっぴり嗅覚いいだけよぉん。じゃ、そういうことで案内ありがとねぇん、あとはわたくしひとりで行くわぁん」
「ちょっと待て、わたしも行く」
「どうしてなのぉん?」
「やつらはアイを探していたからな」
 スタスタっと歩いてきたベル先生がナオキの両手をぎゅっと胸の前で掴んで瞳をキラキラさせた。
「青春ねぇん!」
「意味がわからんぞ」
「いいわぁん、早くバイクの後ろに乗りなさぁい!」
「感謝するぞベル、わたしが世界の覇者になった暁には科学顧問にしてやる、あ〜ははははっ!」
「笑ってないで早く乗りなさぁい、置いてくわよ」
「あ、ああ」
 頭をポリポリと掻いたナオキがバイクの後ろに乗ると、ベル先生が勢いよくエンジンを鳴らした。
「しっかり掴まってるのぉ〜ん?」
 ベル先生とナオキの視線が道の向こう側からこっちにやって来る――飛んで来る少女の姿を捉えた。
 魔法のホウキに跨って道路を低空飛行していたのはアイだった。その後ろを駱駝から毛並みの美しい黒狼に乗り換えたモリー公爵が追っていた。
「ダーリン!」
 キィィィィィッ!
 急ブレーキをかけた魔法のホウキは急には止まれない。
「ダ、ダーリン、ぐわぁっ!」
 ナオキたちの横を通り過ぎたアイはキラリーンと星になり、その後ろを黒狼に乗ったモリー公爵が追って行った。
 唖然とするナオキをよそにベル先生はちまたで有名な白衣のポケットから、絶対大きさ的にポケットに入るはずのないバズーカ砲を取り出して構えた。
 ズドォ〜ン!
 バズーカ砲から出たのは巨大なマジックハンド。マジックハンドはものすっごい勢いでモリー公爵の身体を掴み取って、ベル先生のもとまで引きずって来た。
 主人を奪われ拘束された黒狼は怒りに眼を紅くして、地面を激しく蹴り上げて道を引き返してくる。そして、モリー公爵を拘束した張本人ベル先生に鋭い牙を向けて飛び掛ろうとした。だが、それをマジックハンドに掴まれているモリー公爵が止めた。
「止めよマルコ、ベルに牙を剥くでないぞ!」
 ベル先生の眼前に迫った黒狼は空を激しく噛み切って牙を閉じた。そして、低く喉を鳴らしながらベル先生を睨付け辺りを歩き回った。
 自分の周りを歩き回る黒狼から目を放さないようにしてベル先生はモリー公爵をマジックハンドから解放した。
「モリーちゃん、早くこの子を大人しくさせてくれないかしらぁん!」
 マジックハンドから解放されたモリー公爵は気が立っている黒狼の毛並みを優しく撫でた。すると、黒狼の身体に変化が起こり徐々にヒト型に変化していく。そして、そこに武人マルコの姿が現れた。
 そして、魔法のホウキを手に持ってアイが逆走してきた。
「ダーリン助けて!」
 戻ってきたアイはすぐにナオキの後ろに隠れてモリー公爵の顔を覗き見た。
 状況理解に苦しむナオキはアイをモリー公爵に挟まれて、かな〜り困惑。
「おいアイ、わたしを盾にするな。それと、誰か状況説明をしろ」
「ダーリン殺っちゃって!」
「だから状況説明をしろと言ってるだろう」
 ナオキの言葉を受けてここぞとばかりにベル先生が一歩前に出た。
「ここはわたくしに任せるのよぉん」
 そう言ってベル先生が白衣のポケットから取り出したのはちゃぶ台。ベル先生は団らんするつもりだった。
 ちゃぶ台に着いたベル先生は茶菓子とお茶をみんなに勧め、勧められたみんなは何となくちゃぶ台に着いた。ちなみに人数がちょっと多いので狭い。
 お茶を一口飲んだモリー公爵が軽く咳払いをして話しはじめる。
「……安物のお茶じゃな。もっといいお茶を出せぬのかえ?」
「あらぁん、ごめんなさぁい、モリーちゃんのお口には合わなかったかしらぁん。でも、学校の安月給で出せるお茶はそれしかないのぉん」
 ベル先生微妙にモリー公爵に喧嘩腰。だが、モリー公爵はお清まし顔で受け流す。二人の間にはビミョーな温度差があった。
 それはさて置き、ナオキが気なることはこれ。
「で、どうしてアイがどうして追われてたんだ? 一番まともな回答をしてくれそうなモリーどうぞ!」
 どうぞとモリー公爵に手を向けたナオキの首筋にマルコが腰に差してあった剣を抜いて突きつけた。
「モリー公爵ないし、モリー様とお呼びしろ。次に呼び捨てにしたら容赦しないぞ!」
「……じゃ、じゃあ、モリー様どうぞ!」
 ナオキが蒼い顔をして改めて手を向けると、モリー公爵は堰を切ったように放しはじめた。
「まず、そこにおるアイは妾の養女じゃ。じゃがな、どういうわけか我が儘な娘に育ってしまってな、ある日お灸を据えるつもりでカップラーメンの中に閉じ込めてやったのじゃ」
 モリー公爵の顔が真剣そのものなので、誰も『なぜカップラーメン?』にというツッコミは入れない。代わりにナオキは手を上げて別の質問をした。
「で、なんでアイを追っていたのだ? お尻ペンペンでもするつもりだったのか?」
「そうじゃ、カップラーメンから抜け出した罰として、地獄の業火で熱した鉄棒でお尻ペンペンしてやるつもりじゃった。それにアイは半人前ゆえ人間界で暮らすことを許すことはできん。すぐにでも妾とともに異界へ帰るのじゃ!」
 清まし顔のモリー公爵の清閑な声がご近所さんに響き渡った。

《4》

 道路のど真ん中でちゃぶ台に座ってる五人。それだけでもご近所迷惑で異種異様だっていうのに、誰もが口を閉じて沈黙しているのが妙に怖い。そして、ついにアイが叫んだ。
「ヤダよーっ!」
 ご近所さんに響き渡るアイの声。
 カーテンの隙間から謎のちゃぶ台集団を覗き見してる人がいたりするが、おおっぴらに見ることはない。
 ちゃぶ台の横を母親に連れられた子供が指差しながら通り過ぎるが、『お母さんあれなに?』『駄目よ、見ちゃ駄目よ』なんて会話をしながら足早に通り過ぎていく。
 そして、電柱におしっこをする野良犬。
 誰もが微妙に次の展開を見守っていた。
 一生この人から離れませんってな感じでアイはナオキの首に抱きついた。
「アタシはダーリンと一緒に暮らすんだから、ママはさっさと異界に帰ってよ!」
「妾が心配して迎えに来てやったというのに……」
 いかにも悲しそうな顔をするモリー公爵の瞳にキラリと光る一滴。マルコはすぐにハンカチをモリー公爵に手渡した。
「モリー様、これでお涙をお拭きください」
 そして、すぐにアイを見つめた。
「ご息女と言えど言葉が過ぎますぞアイ様」
「だってぇ〜、アタシとダーリンはもう夫婦だしぃ」
 このアイの言葉を聞いてモリー公爵とマルコはフリーズした。二人にとっては驚愕の新事実発覚!
 どっかに飛んでいた意識を戻したマルコがちゃぶ台返しをして勢いよく立ち上がった。
「ど、どういうことだ小僧説明しろ!」
 大声を出した横でモリー公爵があまりのショックに意識を失ってフラフラ〜っと倒れた。その倒れ方はおでこに軽く手を当てて、あくまでも可憐に倒れた。さすが貴族。
「モリー様、お気を確かに!?」
 マルコはすぐさまモリー公爵を抱きかかえ、鋭い眼差しでナオキをにらみ付けた。
「小僧!」
 怒鳴られたナオキはビシッバシッシャキッと立ち上がった。ナオキは直樹と違って怯むことはないのだ……たぶんね。
「小僧小僧ってレディーに向かって失礼だぞ! わたしを呼ぶ時はちゃんとナオキという名前で呼べ。それにわたしはアイと結婚したつもりなんてないぞ!」
「ではなぜアイ様は貴様に抱きついておられるのだ!」
 マルコの指摘どおり、ナオキにベタベタ抱きつくアイの姿は恋人以上の関係にしか見えない。そこに極めつけとしてアイがどこからともなく契約書を取り出してマルコに叩き付けた。
「これがダーリンとアタシが婚約した証!」
 叩きつけられた契約書をマルコはマジマジ読みはじめ、次第に顔つきが険しくなって、仕舞いには顔面蒼白になった。
「こ、これは正しく悪魔の契約書ではないか!? な、なんてことだ……モリー様のご息女ともあろうお方が、こんな平民と結婚など……許してはおけぬ!」
 瞬時に抜かれたマルコの刀をナオキが真剣白羽鳥!
「ぐわぁっ!? わたしを殺す気かこの野蛮人が!」
「俺に向かって野蛮人とはなんだ! 俺はモリー公爵様にお仕えする高貴なる騎士だ!」
「武器も持たん一般人に剣を振るう騎士なんて外道だ!」
「自体が自体だ、俺は貴様を必ず斬る。さすれば契約は無効となるのだ!」
 二人が死闘を繰り広げようとしている中、一人は気絶、一人はナオキに抱きついたまま、そして最後の一人は!?
「青春ねぇん!」
 ベル先生は他人事としてお茶をすすりながら観戦していた。
 ナオキの横で緊迫感ゼロできゃぴきゃぴする仔悪魔少女。
「ダーリン頑張って、見事のこの戦いに勝ってアタシを掻っ攫って!」
「わたしはおまえのために戦っているのではない、自己防衛として戦っているのだドアホがっ!」
 両手で挟んだ剣を力いっぱい横に押し下げ、ナオキは剣を放してすぐにマルコと間合いを取った。だが、マルコの動きは早く、風を切るスピードで地面を蹴り上げナオキに襲い掛かってくる。
「お命頂戴!」
「ぐわぁっ!」
 しゃがみ込んだナオキの頭上を掠める研ぎ澄まされた剣技。
 紙一重で相手の攻撃を避けたナオキは叫び声をあげた。
「武器をよこせ、わたしにも武器をくれ!」
 と言ったナオキとベル先生の視線が合致する。そして、ニヤっと笑ったベル先生は白衣のポケットから何かを取り出すとナオキに向かって投げた。
「これを使いなさぁい!」
「サンキューベル……ってフライパンかよ!」
 ベル先生の特殊武器――魔法のフライパン。テフロン加工でサビに強い!
 フライパンを否応なしに構えることになったナオキにマルコの剛剣が振り下ろされる!
 カキィーン!
 ――相打ち。
 マルコの一刀はナオキのフライパンによって見事防がれた。フライパンが斬られることもなく、剣が折れることもなかった。フライパン対剣の世紀の大対決は五分と五分……なのか!?
 ナオキの攻撃!
 ――たたかう
 ――ぼうぎょ
 ――逃げる
 ――ひ・み・つ
 秘密ってどんなコマンドだよ!
 ってことでナオキは秘密コマンドを使った。
 素早く動いたナオキはアイにヘッドロックをかけて拘束し人質に取った。
「あ〜ははははっ、アイを人質に捕られては手も足も出まい!」
「きゃ〜っ! ダーリンあったまE!」
 フライパンで人質を脅す犯人と緊迫感ゼロの人質。滑稽すぎる……。でも、マルコには効果覿面で切っ先を地面に向けながら身動きを止めた。
「アイ様を人質に捕るとは卑怯者め!」
「あ〜ははははっ、なんとでも言え。戦いは最後に立っていた者が勝者なのだ!」
「きゃ〜っ! ダーリンカッコE!」
「は〜ははははっ、これで勝ったも同然。さっさと武器を捨てて降参しろ!」
「くっ」
 唇を噛み締めたマルコ仕方なく剣を地面に放り投げた。すると次の瞬間、ナオキはアイを突き飛ばして武器を持たないマルコに対して卑劣なまでに襲い掛かった。
「は〜ははははっ、覚悟!」
「甘いな小僧!」
 マルコは地面に向かってジャンプして転がり剣を拾い上げた。しかし、ナオキの方が一足早く、剣を振るおうとして胸に隙のできたマルコにフライパンが炸裂!
 胸当て越しに強烈な一撃を受けたマルコは地面に転がり、苦痛に悶えながら胸を激しく押えた。そのマルコ痛がり方が尋常でなかったためにナオキは思わずフライパンを投げ捨てて駆け寄った。
「大丈夫か? そんなに強烈だったか、今の一撃?」
「うぅ……」
 苦しむマルコを見てナオキは焦りに焦ってマルコの胸当てを急いで外した。血も出てないし傷も見当たらない、ただそこには胸≠ェあった。そう、結構豊満なバスト!
「おまえ女だったのか!? どーりで尋常じゃない痛がり方をするはずだ」
 なるほど納得。
 地面に横になって倒れているマルコの姿を見て、ナオキの頭に名案が浮かぶ!
「そーだ、こういう時は人工呼吸だ!」
 なんのためらいもなくマルコに口付け目的で人工呼吸をしようとするナオキ。それに気が付いたマルコが近くに落ちていた硬い胸当てスコーン!
 胸当てで頭を強打するナオキは二メールとほどぶっ飛んで地面に激突。すぐにアイが駆け寄って膝枕をする。
「しっかりしてダーリン!」
 涙を流してナオキを抱きしめるアイの前にマルコが立ちはだかった。
「アイ様、お退きください。最後の止めを刺します」
 剣を構えたマルコがナオキを一思いに殺そうとした時、清閑な声が場に響いた。
「止めるのじゃマルコ! その者を殺してはならぬ」
 この声を発したのはいつの間にか意識を取り戻してベル先生と楽しく団らんしていたモリー公爵だった。しかも手にはお茶と、口にはようかんを入れて若干モグモグしている。
 切っ先を地面に下ろしマルコはモリー公爵に訴えた。
「どうして止めるのですか!? この者を殺さなければアイ様は……」
「事情は全てわかっておる。じゃがな、無闇な殺生は許さぬぞ」
 事情は全てわかっておる……ってことは、もしや気絶は演技だったのかっ!?
 主人が殺すな言ったら殺すことは叶わない。主人に死ねと言われたらマルコは自ら自害する。モリー公爵の言葉はマルコにとって絶対であるのだ。ナイス忠誠心!
 刀を鞘に納めたマルコはその場に胡坐をかいて座り込んだ。もう、何もすることはない。
 気絶するナオキにベル先生がどっかから持ってきたバケツで水をぶっ掛けた。すると、ナオキがゆっくりと目を覚ました。
「ううん……よく寝た。ってどこだよここ!?」
 ナオキは直樹に戻ったらしく、状況理解ができていない。
 キョロキョロ辺りを見回して脳ミソフル稼働の直樹にアイが力いっぱい抱きつく。
「よかったダーリン!」
「よかったじゃなくて誰か状況説明しろよ」
 道端にちゃぶ台で置いて団らんする二人と、地面にあぐらをかいている武人風の巨乳のお姐さん。直樹には理解不能なシチエーションだった。
 ようかんを食べ終えたモリー公爵が重い腰を上げた。
「マルコ帰るぞよ、もちろんアイもじゃ」
「アタシもぉ〜!」
 モリー公爵の言葉にアイは顔を膨らませて不満満々だが、マルコは一気に元気を取り戻した。
「アイ様、今すぐ俺たちと帰りましょう」
 差し伸べられたマルコの手をアイは引っ叩いて振り払った。
「ヤダヤダヤダ、アタシはダーリンと一緒に暮らすんだもん!」
「アイ様! 我が儘を申さずに俺たちと帰るのです」
 マルコがアイの腕を引っ張り、アイが直樹の身体に抱きつき、直樹は片手を上げて質問で〜す。
「アイが帰るとかどうとかってどういうことか誰か説明してくれ」
「わたくしが説明してあげるわぁん」
 急に立ち上がったベル先生が口をモグモグさせながらマルコに手を向けた。
「まず、この人がマルコシアス侯爵。愛称はマルコちゃんで、わたくしのいい実験台」
 次ぐにベル先生はモリー公爵に手を向けた。
「次にこの人はグレモリー公爵。愛称モリーちゃんで、好きな物は金銀財宝。そして、驚かないで聞きなさぁい、な、なんとこの人がアイちゃんのママよぉん。まあ、養女なんだけどねぇん」
 説明された内容を直樹は頭の中で整理整頓。まず、巨乳のお姐さんがマルコで、アラビアンな衣装を着てる方がアイの母親。そして、直樹は時間差で驚いた。
「アイの母親!?」
 驚く直樹の肩にベル先生が手をポンと置いてしみじみ語りはじめる。
「実はね、アイちゃんは家で少女だったのぉん。それで母親のモリーちゃんが遥々遠くの国からアイちゃん迎えに来たたのよぉん。だから、アイちゃんはモリーちゃんと一緒に帰らなきゃいけないの、わかったかしらぁん?」
「そっか帰るのか家に……」
 素っ気なく言う直樹にアイは涙を浮かべながら抱きついた。
「アタシ帰らないよ、ダーリンと一緒にいるんだもん」
 マルコがアイを強引に引き離し、直樹に手を伸ばすアイの身体をちょー強引に引きずる。
「人間のことなど忘れて帰るのですアイ様!」
「ヤダよ、帰りたくないって言ってるでしょ」
 マルコに引きずられるアイの腕をモリー公爵も掴んだ。
「帰るのじゃアイ!」
「ヤダヤダ、帰りたくない。ダーリンだってアタシが帰ってらヤダよね?」
 空を仰いだ直樹はゆっくりと顔を下ろし、泣きじゃくるアイの顔をしっかりと見て言った。
「自分の家があるならさっさと帰れよ、俺はおまえに付きまとわれてただけなんだから……」
「…………」
 アイの涙が急に止まり何も言わなくなった。
 モリー公爵とマルコに連れられ小さくなって行くアイ。そして、歯を食いしばっていたアイが力いっぱい叫んだ。
「ダーリンのばかっ!」
 異界のゲートが開かれ、アイたちの姿は完全に消えた。
「……ばかって言うやつがばかなんだよ」
 直樹は呟いて地面にあぐらをかいた。


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