第4話 学校のきゃあ

《1》

 結構深夜――すやすやと安らかな寝息を立てながら眠る直樹に忍び寄る影。忍者か暗殺者か曲者か?
 大きく振りかぶって、ズゴッ!
「うぐっ……!?」
 腹を押えながら飛び起きた直樹の絶叫。
「うぎゃーっ!」
 闇の中に浮かぶ女性の顔。懐中電灯を顔に当てたアイだった。
「うらめしや〜」
「脅かすな!」
 スパーン! とアイの頭にスナップを効かせた平手打ちが決まった。
「いた〜い!」
「脅かすからだ」
「だって、夜中に人を起こす時はああやって起こすって教わったんだもん」
「誰にだよ」
「ベル姐」
「……信じるなよ」
 すっかり目が覚めてしまった直樹は目覚まし時計に目をやった。
 時計の針は十二時過ぎを指している。寝たのが十一時半ごろだったので、また一時間も経ってない。
「まだ朝にもなっとらん。なぜ俺をこんな時間に起こしたのか正当な理由を聞かせてみろ」
「だって今日は満月だよ、満月と言ったらエスバトに決まってるよぉ」
「えすばと≠チて何だよ」
「え、エスバトも知らないなんて……ダーリンがそこまでアホだったなんて、アイ悲しい」
「アホっていうな、アホって。絶対エスバドなんて一般用語じゃねえよ」
「悪魔や魔女の間じゃ知らない人いないよ」
「だから一般用語じゃねえんだよ」
 付き合いきれないといった感じで再びふとんの中に潜ろうとする直樹に対して、アイは強引に掛け布団を引き剥がそうとした。だが、直樹も負けじと掛け布団にしがみ付く。ここで直樹は重大なことを忘れていた。アイは見た目に比べて力が強い。
「うわっ!?」
 掛け布団ごと投げられた直樹は勢いよくふすまを破って廊下にドン!
 家中に響き渡った物音に驚いて隣の部屋から直樹の妹の遊羅が飛び起きてきた。
「なにぃ!? あっ、お兄ちゃん!」
 廊下で掛け布団に絡まって倒れている直樹発見。
 苦笑いをする直樹に遊羅から一言。
「もぉ、お兄ちゃんたら寝相が悪いんだから」
 それで済まされる現象なのか?
 直樹が言い訳を考える間もなく遊羅はあくびをしながら部屋に戻ってしまった。
 ――直樹ショック!
 妹の寝相の悪い兄だと思われたことがちょっぴりショック。
 傷心に浸る直樹にアイは優しい笑みを浮かべた。
「ダーリン……早く着替えてエスバト行こーっ!」
「あのなあ……もっと俺を労わるってことを知らんのか?」
「なんでぇ〜、いつもダーリンに尽くしてるつもりだよ」
「つもり≠セろ」
「ひっど〜い、そうやってダーリンは可愛い女の子を苛めてウハウハ気分に浸るんでしょ? でも、わかってるの……それがダーリンのアタシに対する愛表現だって」
「違うわ!」
「そんな照らなくてもいいんだよ。なんだったら今からアタシのこと……イヤン」
 アイと言い合いをするといつも果てしなくバカらしくなってくるので、直樹は早々に掛け布団を引きずりながら部屋に退散。速やかな眠りにつくことにした。
 目を閉じて眠りにつこうとする直樹の耳元で悪魔が囁く。
「ねえ、ダーリン、ダーリン、ダーリン!」
 もとい、悪魔が喚く。
 耳に手を当てて直樹は完全無視。
「ダーリン出かけるよ」
「聞こえない、聞こえない」
 こう言ってる時は大抵聞こえている。
 顔を膨らませたアイが直樹の服を強引に脱がせようとする。
「ほら、早く着替えて!」
「うわっ、やめろ!」
「ベル姐に直樹も連れて来いって言われてるんだから」
「……行く」
 今までのことが嘘のように直樹はすっと立ち上がって着替えをはじめた。ベル先生に逆らうと後が怖い。
 着替えを済ませた直樹はアイに手を繋がれながら家の外に出た。
 夜空には星が煌き瞬いている。そして、月明かりが世界を淡く優しく照らす。今日は満月であった。
「ところでアイ、さっきのエスバトってなんだ?」
「小集会のことだよ。満月の晩は魔法使いと悪魔で集会するの。大きな集会になるとサバドって言って、年に八回やるんだよ」
「ふ〜ん……って悪魔の集会!?」
「そう言ってるじゃん」
 悪魔と聞いて驚いた直樹であったが、アイに愛くるしい顔を見てほっとする。そう言えばこいつも悪魔だった。悪魔の集会といっても大したことなさそうだ。
 人通りのない静かな住宅街を歩く二人。
 アイは直樹の腕にしがみ付いて身体を寄せた。程よい体温が直樹の身体に伝わり、このシチエーションが直樹の心臓をドキドキさせる。いつも何も感じないのに、たまに相手を意識してしまう。だから、直樹はできるだけアイのことを見ないように星空を見ていた。
「ねえ、ダーリン」
「なんだよ」
 直樹はそっぽを向きながら答えた。その口調はどこか強がっているようだった。
「アタシのこと好き?」
「な、な、なんだよいきなり!?」
 取り乱しすぎ。そんな直樹を見てアイは『う〜ん』と唸る。この直樹の反応をどう取るべきかで悩む。
「ダーリン質問の答えは?」
「言えるか、んなこと!」
「ま、まさか、アタシ以外に女ができたのね!?」
「違うじゃなくて、違うが違う、ノーコメントだ」
「わざわざノーコメントっていうことはいるってことだよね?」
「どうしてそういう解釈になるんだよ」
「もういい、聴きたくない」
 急にそっぽを向いて口を尖らすアイ。直樹としてみればなんでこんな反応をされるのかわからない。逆ギレもいいとこだ。
「俺が好きな人がいるって言えばいいのかよ」
「それはヤダ」
「じゃあいねえよ」
「それもヤダ」
「意味わかんねえよ」
「アタシもわかんないよ」
 アイは今までしがみ付いていた直樹の腕から離れて早足で前を歩きはじめた。
 二人は少し離れた距離を無言のまま歩いた。その間、アイは時折後ろを振り向いたのだが、直樹と視線が合うと怒った表情をして前を向く。アイにそんな態度をされるもんだから直樹は直樹で腹を立てていた。二人の歩く距離はそうやって開いていった。
 だいぶ長い時間をかけて辿り着いたのは直樹の通う学校であった。
「俺の学校じゃんかよ」
 いつもは自転車で来る距離にある場所だ。
「俺の学校来るなら自転車で来ればよかっただろ」
「だってダーリンと一緒に夜空の下歩きたかったんだもん」
「……学校のどこだよ、早く案内しろ」
 閉まっている正門のフェンスを登りながら訊く直樹にアイが手を差し出した。
「登るの手伝って」
「しゃーねえなあ。ほら、しっかり掴まれよ」
 ガシッと掴み合う手と手。直樹が力いっぱい引き上げると、少し力が入りすぎてしまって後ろにバランスを崩してしまい、アイも一緒に地面に落下してしまった。
 重なり合う視線。
 思わず直樹はとっさの反応でアイの身体を抱きしめてしまっていた。
 いつもは攻めのアイがこの時ばかりは動揺した赤い顔をして、それを見つめる直樹も真っ赤な顔をした。けれども、直樹はアイの身体をはなそうとしなかった。
「……アイ」
「ダーリン……」
 地面に寝転がって抱きしめ合うふたりに忍者のように忍び寄る影。
「中坊ノクセニ不純行為シテンジャネエ!」
 謎の声を聞いて慌てて直樹とアイが分離すると、それを見ていた見上宙が微かに微笑んだ。
「……不潔」
 宙の顔を確認した直樹は状況理解に苦しみながら声をあげた。
「な、なんで宙がいるんだよ!」
「ワタシ魔女だから、ベル先生に呼ばれた」
 衝撃のカミングアウト。ワタシ魔女です発言!
 だが、直樹とアイの反応は『な〜んだ、やっぱり』と言った表情だった。
 動揺しながらも気を取り直したフリをする二人と、それを心の中で笑う一人は校舎内に入ることにした。
 職員玄関の鍵は開いていて、そこから校舎内に進入した。
 廊下は静まり返り、微かに水の音が聞こえてくるとこがかなりビビる。夜の学校と夜の墓場と夜のトンネルはマジで怖い。
 アイと宙はどこからか懐中電灯を出して辺りを照らしながら歩くが、直樹はそんなもの用意してきてない。
 直樹はビクビクしながらも平常心を保つ努力をする。けど、手はアイの服を掴んでいた。
 コツコツ、コツコツと薄暗い廊下に響く足音。それが自分たちの足音だとわかっていても怖い。なのに、足跡の数が多いことに気づくともっと怖い。
 蒼ざめた顔をした直樹が急に足を止めた。
「あのさ、みんな止まってくれないか?」
 直樹の指示通りアイが足を止め、宙が足を止め、もうひとり足を止めた。
 ゾクゾクとした悪寒が直樹の背筋を駆け抜け、直樹は恐る恐る後ろを振り向いた。
 闇の中に浮かび上がる蒼白い顔。
「ぎゃーっ!?」
 女性顔負けの叫び声をあげた直樹は腰を抜かしてしまった。そんな直樹を見てアイちゃんちょっと幻滅。宙は無表情。そして、蒼白い影が微かに笑った。
「……ふふふ、こんばんわ(脅かし甲斐がある小僧だ)」
 闇の中に立っていたのは蝋燭を携えた自称『夜に生きる女』カーシャだった。
 大きな瞳をパチパチさせながらアイがカーシャに聞いた。
「カーシャさんがなんでこんなところにいるの?」
「知りたいか? 仕方ない、そこまで言うのなら教えてやろう」
 誰もそこまで言ってませんが、とりあえず聞いてあげましょう。
「ベルに呼ばれたのだ」
 ――だそうです。
 ナンダカンダで人数の増えた一行は廊下を進み理科室に辿り着いた。
「遅いじゃないのぉん!」
 理科室の中ではベル先生が独りで待っていた。
 部屋は大量の蝋燭に明かりが灯され明るい。ちゃんと一酸化中毒にならないように換気扇が回してる。理科室をエスバトの会場に選んだのは室内で換気扇が付いていたからだった。
 随分と待ちくたびれたといった感じのベル先生は、この場に来た人数を指差しながら数えはじめた。
「1、2、3人しかいないじゃない。エスバドは十二人の人間にプラス悪魔でやるって決まってるのよ」
 すっとベル先生の背後に回ったカーシャがボソッと聞く。
「おまえが幹事だから他の者は来たくなかったのだろう(嫌われ者……ふふ)」
「なんですって、わたくしが幹事だとどうして来ないのよぉん?」
「おまえが幹事をやると必ず負傷者や帰らぬ人が出るからな」
 人数が揃わないと聞いてアイが顔を膨らませる。
「えぇ〜っ、エスバト中止なのぉ。せっかくダーリン連れて来たのにぃ」
 アイには残念でも直樹にしてみれば喜ばしい限りだった。ゴタゴタに巻き込まれる前にさっさと帰りたいというのが直樹の本音だった。しかし、運命はそんなに甘くなかった。
 刀を構えた少女がこの場に乱入して来て声を張り上げた。
「こんな夜更けに何をしておるのか聞かせてもらおう!」
 嵐の予感。

《2》

 日本刀を構える黒髪の美少女。言わずと知れた鳴海愛であった。
「私は寛大な心を持って悪魔が普通の学園生活をすることを認めたが、こんな夜更けに密会をして悪事を謀ることは認めていない!」
 刀の切っ先はベル先生に向けられていた。
「あらぁん、悪事なんて企んでいないわよぉん。今日はただのお茶会をするだけよぉん。お菓子でも食べながら楽しくおしゃべりして、ニワトリが鳴いたら解散よぉん」
 熱い火花が両者の間を飛び交う。誰か消火器の用意をしてください、火事になります。
 刀を握る手に力を込めた愛が摺り足でベル先生に近づいた。
「問答無用! 可及的速やかに蝋燭を片付けて学校から出て行くがよい。さもなくば刀の錆にしてくれる」
「あらぁん、できるものならばやってみなさぁい!」
 なぜこの人はわざわざ相手を挑発するのか。その答えはきっとベル先生が悪魔だから。
 上段の構えから愛がベル先生に踏み込んだ。
「叩き斬ってくれる!」
「可学の力を見せてあげるわぁん」
 白衣のポケットに手を突っ込んだベル先生は金属の塊を取り出して愛の一刀を受け止めた。それを見ていた直樹がツッコミを入れる。
「フライパンじゃん!」
 愛の一刀を受け止めたアイテムは、パンはパンでも食べれないフライパンであった。しかも、テフロン加工でサビに強い!
 戦いをおっぱじめしまった二人を止めるべく直樹は知恵をクルッと廻らすが、三六〇度回転してスタート地点。そこで他の人たちに助けを求めるべく後ろを振り向いた。
「みんな! ……みんな?」
 テーブルに広げられたお菓子の袋とペットボトルたち。ちょうどアイがカーシャのコップにオレンジジュースを注いでいるところだった。すでに何かパーティーはじまってるし!
 カーシャに飲み物を注ぎ終わったアイが爽やか一〇〇パーセント笑顔で尋ねる。
「ダーリンもオレンジジュースでいい?」
「お、おう」
 なぜか勧められるままに直樹は席に着いてアイからオレンジジュースを受け取った。そして団らん……してどうする!?
「俺としたことが団らんしそうになってしまった!」
 ビシッとバシッとシャキッと立ち上がった直樹はベル先生&愛を止めようとした。その手にはジュースの入ったカップをしっかり握っている。そこんところが真剣さに欠ける。
「おい、二人ともやめんか! 争いごとはよくない、外でやれ……ひっく!」
 ほのかに赤い顔をする直樹に対して愛がベル先生との戦いを中断して切っ先を突きつけた。
「直樹、おまえも悪魔となど縁を切るのだ。宙、おまえもだぞ……おまえたち顔が赤くないか?」
 顔を赤くしている直樹と宙。ちょっぴり顔の赤いカーシャがボソッと呟く。
「悪魔の飲み物は人間には合わんらしい……ひっく(身体が火照る……ふふ)」
 呆然とする愛の背後に忍び寄る白い影。
「愛ちゃんも飲んで呑まれなさぁ〜い!」
 ベル先生が愛の口を強引にこじ開けてペットボトルをググッと!
「うぐっ……止めろ……私は一〇〇パーセントしか飲まんのだ!」
「大丈夫よぉん、このジュースは泣き叫ぶオレンジをグチャグチャに潰して作ったものだから」
 泣き叫ぶ……オレンジが!?
 ぶはーっ! と直樹が口の中のジュースを噴射!
「泣き叫ぶってオレンジが!? オエッ……得体の知れんものを飲んでしまった」
 目の前にいる女性の姿を見て直樹凍りつく。水難の相のある女カーシャ。直樹の噴出したジュースによってカーシャの顔はベトベトだった。
 すっと無表情のまま立ち上がったカーシャ。その瞳は黒瞳から蒼瞳へと変化し妖々と冷たく輝き、彼女の髪の色は金髪から日を浴びた雪のような白銀へ。
「……ふふふ、ふふふ(滅却!)」
 部屋の気温が一気に氷点下まで下がる。
 教室の壁や窓や床には霜が発生し、灯されていた蝋燭の炎が朱色から蒼白く変わる。この現象の発生源は言うまでもない、氷の魔女王カーシャ。
 魔法のホウキを構えたカーシャの眉がピクッと動いた。その瞬間、床、壁、そして天井から巨大な氷針が幾本も突き出した。
「なんじゃこりゃー!?」
 直樹はあられもない声を上げて、紙一重で氷の刃を『つ』や『大』の字になったりして避ける。そして、氷に挟まれて『と』の字になって動けなってしまった。冷や汗も凍ってしまっている。
 ベル先生が叫ぶ。
「トランス状態のカーシャちゃんは誰にも止められないわぁん、逃げるのよぉん!」
 これを聞いてみんなは一目散に逃げるコマンド発動!
 一番早足なのがベル先生、次が存在感の薄い宙、次が足取りの可笑しい愛、そして最後に教室を出て行こうとするアイの背中に直樹が悲痛の叫びを投げかける。
「待ってくれアイ! 俺を見捨てる気か!?」
「ダーリン……生きてたらまた会おうね……ぐすん」
 目頭に手を当てながらアイは内股で去って行った。
 ――見捨てられた。
 氷に挟まれて動けなくなっている直樹に無表情なカーシャがジリジリと近づいて来る。
「覚悟はいいか小僧(あ〜んなことや、こ〜んなことをしてやる……ふふ)」
「……よくない」
 すっかり酔いの醒めた直樹の顔は死人のように蒼ざめている。
 カーシャが魔法のホウキをカッコよく回して呪文を唱える。
「ライラ、ルルララ、出でよ魔界の魔獣!」
 魔法のホウキによって円を描かれ現れたゲートから禍々しい風が教室内に吹き込む。そして、そのゲートの中に光る眼、眼、眼。いくつもの眼が直樹を狙っている。
 キシャーッ!!
 奇声をあげながら鋭い爪を持った魔獣が直樹に襲い掛かった。
「きゃはは、やめて……くれ」
 直樹の身体に群がるピンクのうさぎさん人形。うさしゃんたちは直樹の身体を一心不乱にくすぐっていた。な、なんと怖ろしい魔獣なのだろうか。まさに生き地獄だ!
「あはは、きゃはは、やめろ!」
 身体を動かせないもどかしさ。抵抗できない苦しみ。しかも、うさしゃんの攻撃はツボを心得ていた。
「ふふふ……どうだ、苦しいか。このまま笑い死にさせてやる(学校で笑い顔の変死体発見……ふふ、ウケる)」
「頼む、頼むから殺すんだったら、一思いに……あっ?」
 笑いによって直樹の体温が上昇したお陰で、氷が解けて直樹の身体がツルッと抜けた。
 一時停止する、直樹&カーシャ&うさしゃんたち。
 そして、直樹脱走!
 猛ダッシュで直樹は教室を抜け出し廊下を駆ける。廊下は走っちゃいけません、なんて今は無視。
「直樹、待つのだ!」
 叫ぶカーシャがホウキの先端を直樹に向けると、うしゃさんの大群がピョンピョン跳ねながら直樹を追った。
 必死こいて逃げる直樹は薄暗い廊下を走る。非常灯のお陰で前を見えるが、後ろからピンクのうさぎが追ってくる光景はホラー以外のなにものでもない――マジ怖い。しかも変な奇声あげてるし。
 直樹は階段を駆け上がり、きっとここでうさぎさんたちは二手に分かれてくれるハズ。
 そのまま足を止めることなく走り続けた直樹はふと後ろを振り向く。うさぎさんたちの気配はなくなっている。きっと巻けたに違いない。よかったよかった。
 と思ったのも束の間。直樹の前に現れた人影に直樹絶叫。
「ぎゃ〜っ!」
 直樹が腰を抜かすと相手も腰を抜かした。
 胸に手を当てて鼓動を沈め、直樹は冷静になって相手の姿を見た。
「な〜んだ、脅かすなよ鏡じゃんかよ……」
 相手が鏡に映った自分だと知り、ほっとした直樹の脳裏にあることが浮かぶ。――学校七不思議。
 直樹の通う某○○中学には学校お約束の七不思議が存在する。その中の一つである『死の鏡』の噂話。深夜遅く四階にある人の全身を映せる大きな鏡に自分の姿を映すと、死に際の自分の姿が映し出されると云う。
 直樹はブルッと身体を震わせて立ち上がろうとしたが、腰が抜けて立ち上がれない。しかも、怖くて逆に鏡から目が放せない。最低最悪の状況だった。
 鏡にすっと人影が映った。もちろん直樹ではない。次の瞬間、蒼白く冷たい手が直樹の肩に乗った。
「ぎゃ〜っ!」
「叫ぶでない、私だ」
「えっ!?」
 直樹が自分の肩に乗った手から視線を登らせていくと、そこにいたのは愛だった。
「脅かすなよ」
「脅かすつもりなどなかった」
「手を置く前に声かけるとかしろよ!」
「そ、そんなに怒らなくても……」
 突然愛が涙を流して泣き出した。
「ど、どうしたんだよ、俺が泣かしたのか!?」
「だって、だって、直樹が急に怒るんだもん」
 泣きながら愛は直樹の身体に抱きついて押し倒した。
 火照った愛の身体はとても温かく、直樹はあることに気が付いた。
「もしかして、おまえ酔ってないか?」
「私酔ってないよ〜ん、ひっく!」
 完全に酔っていた。
 呆れ返った直樹は愛の身体を退かして起き上がろうとするが、愛は直樹の身体に足を絡めてきて立ち上がることを許そうとしない。
「直樹……もっと、こうしていたい」
「バカなこと言うなよ!」
「直樹は私のこと嫌いか?」
「嫌いとかそういう問題じゃなくって、友達としてこういう行為は……!?」
 唇と唇が重なった。眼を丸くする直樹。愛のやわらかな唇によって直樹の言葉は完全に塞がれていた。
 ゆっくりと直樹から顔を離した愛は自分の唇をいやらしくぺロッと舐めた。それを見た直樹の体温上昇。惚けて何も言えない。
「私は直樹のことが好きだ……そう、ずっと好きだったのだ」
「……マジで!?」
 酔いのせいか、顔を赤らめている愛が小さく頷いた。普段凛々しい表情ばかりしている、愛の恥じらい姿に直樹胸キュン!
「直樹のことがはじめて出逢った時から好きだった」
「……マジで!?」
 直樹の頭にモーソー、トキメキ、ロマンスが駆け巡る。そう、一時期直樹は愛に恋心を寄せていた時があったのだ。だが、相手は大財閥のご令嬢、一般階級の自分には高嶺の花だと想いを断念したのだ。その愛が今……。
 愛が直樹の首に手を回し、耳元で何かを呟く。
「直樹は私のこと好きか?」
「はぶっ!?」
 耳に優しい声が吹きかけられ、直樹の身体はビクンと震えた。しかも、高級そうなシャンプーの匂いが直樹の理性を崩壊させようとしていた。このままでは間違いを起こしてしまう。今にも野獣になりそうだ。
 激しく揺れる直樹の心。片思いだと思っていた人からの突然の告白。嬉しくもあり、苦しくもあった。そう、今更なのだ。
 愛の身体を強く突き放して立ち上がった直樹は深く頭を下げた。
「すまん、俺も昔おまえのこと好きだったことがあったけど……とにかく、ごめん」
 その言葉を聞いて愛は瞳を涙で潤ませた。
 何も言わない泣き顔の愛の表情は今すぐ抱きしめてあげたいくらいだったが、直樹はその想いを振り切ってこの場から逃げた。
「すまん!」
 走り去る直樹の背中を見ながら、愛は涙を腕で拭き取った。

《4》

 その場の雰囲気から逃げるために失踪した直樹であったが――今になってショック!
 真っ暗な学校の中で独りになってしまったのは大誤算だった。
 廊下に響く自分の足音が怖いので摺り足で歩いていた直樹の足が止まる。
「……っ!?」
 某○○中学七不思議第二弾『ひとりでに鳴るピアノ』。夜な夜な音楽室の壁に立てかけられた肖像画からベートーベンの霊が抜け出し、グランドピアノで『エリーゼのために』という楽曲を奏でるのだと云う。
 微かに開かれた音楽室の扉からピアノの音が漏れてくる。それを聞いた直樹の表情は強張り、この場から逃げようとした。だが、怖いもの見たさというかなんというか、直樹の足は音楽室の扉に引き寄せれていく。そして、小さく開かれた隙間から音楽室の中を覗き込んだ。
 ジャジャジャジャ〜ン♪
 突然ピアノが大きな音を出して曲が変わった。ベートーベンの『運命』だ。
 大きな音に驚いて直樹が腰を抜かしていると、ピアノの音がパタリと止み、音楽室の扉がギィィっとホラーチックな重々しい音を立てて開かれた。
「……カッコ悪ぃ」
 そこに立っていたのは宙だった。
「脅かすなよ……」
「別に脅かすつもりはなかった……ちょっとピアノが引きたくなっただけ……ひっく!」
 こいつも酔っていた。
「おまえも酔ってるのかよ」
「酔ってなぃ……ひっく!」
 いつもより血色のいい顔をした宙はほろ酔い加減だった。
 宙の小柄な手が差し伸べられ、直樹はそれを掴んで立ち上がった。握った宙の手は温かい、やっぱりほろ酔いのようだ。
 直樹が宙から手を離そうとすると、宙は直樹の手をぎゅっと掴んで離さず、直樹はそのまま音楽室の中へ引っ張り込まれてしまった。
「おい、なんだよ」
「……ピアノ聞かせてぁげる」
「はぁ?」
 意味もわからないまま直樹はグランドピアノの前に立たされ、宙は椅子にちょこんと座り鍵盤に手を置いた。
 静かな夜の演奏会。宙の繊細な指先から美しく可憐な曲が奏でられる。まさか、宙がこんな特技を持ってるなんて直樹は思いもしなかった。ちょっと意外。
 優しくも力強い曲調――それはまるで月のイメージを彷彿とさせた。
 穏やかな表情をしてピアノを奏でる宙に直樹が語りかけた。
「なんて曲?」
「ま、まさか、この曲を知らないなんて……低脳」
 わざとらしく驚いて見せた宙は『低脳』の部分だけボソッと呟いた。完全な悪意が感じられる。てゆーか、からかわれてる。
「俺のこと低脳って言うな、これでも学校の勉強はできる方だぞ」
「学校の勉強だけが全てじゃなぃ。直樹クンは知識が乏しぃ……」
「知識が乏しいの認めるから、今おまえが弾いてる曲名教えろよ」
「……ぉ願ぃは?」
「そんなこと言うなら聞かん」
「……それは残念」
 ボソッと呟いた宙は急にピアノを弾く手を止めた。
「どうしてやめるんだよ」
「だって、直樹クンがイジワルするから」
「イジワルしたのはおまえだろうが」
「ま、まさか!?」
 わざとらしく驚いてみせる宙。絶対『まさか!?』なんて思ってない。からかってるだけ。
「俺のことからかってそんなに楽しいか?」
「楽しぃ……もぉ病みつきだね……クククッ」
 ニコッと笑った宙が再び曲を奏ではじめた。先ほどと同じ曲だ。
 ため息をついて一息入れた直樹が再び聞く。
「この曲なんていうんだよ?」
「ベートーベンの『月光』って名前」
「ふ〜ん、いい曲だな」
「前にもそう言った」
「えっ!?」
 目を丸くした直樹に宙はもう一度同じことを言った。
「前にもそう言った」
「俺が?」
「他に誰がいる……直樹クンはばかだなぁ」
「そーゆー意味で聞いたんじゃねえよ。でも、マジで俺が言ったのかよ?」
「覚ぇてないのね……ちょっと寂しぃかも」
「はぁ?」
 直樹は全く意味がわからなかった。第一、宙にそんなこと言った記憶がないし、なんで寂しがられるのか皆目検討つかなかった。
「直樹クンがこの曲ぃぃって言ったから、ワタシも好きになったのに……残念」
「だから、そんな記憶ないって」
「小学三年生の時言われた」
「はぁ? その時おまえのことなんて知らねえよ。それに俺と同じ小学校だったのかよ、記憶ねえぞ」
「影薄かったから」
 今の宙も影が薄い。けれど存在感はある。昔の宙は影が薄いだけの存在だった。だから、宙と小学六年間一緒に過ごしたことも、同じクラスになったことも直樹の記憶にはなかった。
「直樹がぃぃって言ったから、たまにここに来て弾いてたのに」
「たまにここに来て?」
「……学校七不思議」
「おまえの仕業立ったのか!?」
「そぅかもね……『エリーゼのために』も弾いてたから」
 また、急に宙はピアノを弾く手を止めた。そして、少し潤んだ瞳で直樹を見つめた。見つめられた直樹はかなり焦る。
「ど、どうしたんだよ!?」
「本当に覚えてなぃの? 昔は髪が今よりも長かったんだけど……?」
「だから、小学校の時のおまえなんか知らねえよ」
「同じクラスになったことも覚えてなぃの?」
「俺がおまえと!?」
「本当に覚えてないのね……すごく悲しぃ」
 いつもはわざとらしい表情を作る宙だったが、この時の泣き顔は直樹の目に本気に映った。
 宙を泣かせたのが自分であることに気づいた直樹は異常なまでに焦る。
「泣くなよ、泣くなって言ってんだろ。俺が悪いのかよ、俺かよ、俺が悪いよ、あ〜俺が悪いさ、だから泣くなよ」
「……片思ぃってつらぃ」
 この発言を聞いた直樹が凍りつく。この状況でこの発言、マヌケな直樹でもわかる一言。明らかに自分のことだと直樹は瞬時に理解した。
「俺に? 俺か? 俺にか?」
「……うん」
 涙目の宙が可愛らしく頷いて見せた。直樹の心、激殺!
 まさか、まさかの展開に直樹はただ笑うしかなかった。
「あはは〜っ、悪い冗談はよせよ」
「冗談なんかじゃなぃ」
 それは直樹にもわかっていた。ただ、冗談として片付けたかったのだ。宙とこんな展開になるなんて思っても見なかった。
 宙の両手がそっと伸び、直樹の両袖をぎゅっと掴んだ。
「直樹クンの気持ち聞かせ……」
「……うっ」
「ワタシじゃだめ?」
「……うっ」
「ワタシは直樹クンのこと好きなのに……」
「……うっ」
 どんどん追い込まれていく直樹。彼の袖口は宙によってぎゅっと掴まれ、逃げようにも逃げられない。しかも、袖口を掴まれる力は強くなっていた。
 宙の顔が直樹の顔に近づいた次の瞬間、やわらかな感触が直樹の唇に伝わった。本日二度目だった。
 慌てて顔を離した直樹の顔を悲しそうな宙の瞳が覗き込む。
「やっぱりワタシとじゃイヤ?」
「イヤとかじゃなくて、キスされるのは嬉しいけど……じゃなくって……そのなんだ?」
「嬉しぃんだ……」
「そうじゃなくて、俺とおまえは……」
「でも、わかった。直樹クンはワタシのこと好きにならなぃ……呪ってやる」
 怖いほどの和やかな笑顔を浮かべる宙。この瞬間、直樹は宙に呪い殺されるとマジで思った。
 どこからともなくカナヅチとワラ人形を取り出した宙は、ワラ人形に向かって杭を打ちつけはじめた。よく見るとワラ人形に『直樹』と書かれているのは言うまでもない。
 カーン!
 カーン!
 カーン!
 ワラ人形に軽快なリズムで杭が打ち込まれる。
 直樹は胸を押えて床に膝をついた。即効性のある呪が襲い掛かったのだ。恐るべし見上宙!
 床に寝そべり死相を浮かべる直樹が宙の足首に手をかけた。
「マジで俺を殺す気か……すぐにやめろ!」
「ワタシのこと好きになるまで止めなぃ」
「卑怯だぞ、そんなやり方で俺に好きって言わせて本当に嬉しいのかよ!」
「それでもぃぃ……。術に頼ってでも相手が振り向ぃてくれればそれでぃぃの」
「俺はそんなの認めんぞ。おまえは間違ってる、性根が腐ってる!」
「性根が腐ってるから呪に頼るの……やっぱり直樹クンばか」
 こんな状況でもからかわれてるのか、それとも本気で言われたのか。からかわれてる方に一票!
 胸の痛みが激しくなって来て、直樹は死に物狂いで宙の身体をよじ登りはじめた。
 直樹の掌に伝わるやわらかい感触。
「直樹クンのえっち」
「ふ、不可抗力だ!」
 直樹の手は宙の豊満な胸を鷲掴みしていた。しかも、苦しさのせいでかなり強く握ってる。まるで宙に抱きついて襲い掛かっていうような光景になってしまった。
 こんな恥ずかしい光景を目の当たりにした何者かが叫び声をあげた。
「ダーリンのえっち!」

《3》

 音楽室の扉を開けて突然入ってきたアイ。あの顔は真っ赤に染まって、直樹のことを軽蔑した目で見ていた。軽蔑されるのも無理がない。だって、直樹の手が宙の胸にあるんだもん。
「ダーリンのえっちえっちえっち、女の身体に飢えてるならアタシに言ってくれればよかったのに、クラスメートを襲うなんてヘンタイだよ!」
 慌てて宙の胸から手を放した直樹はアイに駆け寄った。
「違うんだって、順番を追って説明してやるからよく……うっ!」
 急に胸を押えて倒れこむ直樹。アイは突然のことに目を白黒させた。そして、微笑む宙はワラ人形に杭を打ちつけていた。
「直樹クンはワタシのものになるのよ」
「ダーリンが宙のものに!?」
 アイは床でもがき苦しむ直樹の襟首を掴んで無理やり立たせると、バシーンといっぱつ平手打ち!
「ダーリンのばか! アタシという女がいながら浮気するなんて……日本国の法律だと同時に複数の女性と結婚できないんだよ!」
「俺の話を聞けと言ってるだろうが……うっ!」
 再び打ち付けられる杭。そんなこととはつゆ知らずのアイ。
「そうやって病気のフリして話をはぐらかすつもりなの……ダーリン最低!」
「違うと言ってるだろうが、これは……ううっ!」
「ダーリンのばかぁ!」
「だからこれは呪なんだよ……うううっ!」
「呪?」
 きょとんとしたアイと宙の視線が合う。
 宙の手にはカナヅチとワラ人形。そのワラ人形には杭がブッ刺さっている。アイちゃんのシンキングタイム。そして、解答は?
「呪!?」
「だから俺がさっきからそう言ってるだろうが……ううううっ!」
 アイの肩にもたれかかるようにした直樹は気を失った。
「ダーリンしっかりして!」
 返事がない。人はこれを気絶と呼ぶ。
 真っ赤な顔で憤怒したアイの身体がブルブル震える。もちろん寒いからではない。怒っているのだ。
「よくもダーリンを酷い目に遭わせてくれたわね、もぉ泣いたって許さないんだから!」
「……ぅぇ〜ん、ぅぇ〜ん。泣ぃてみた」
 人を小ばかにような笑みを浮かべた宙に、アイは本気と書いてマジでぶちギレた。
「あぁ〜もぉ、アタシ本気で怒ったかんね! ちょープリティーなアタシが怒ると怖いんだかんね、覚悟しいや人間!」
「……怖ぃ怖ぃ、ぶるぶる」
 宙の挑発は止まることを知らなかった。しかも感情ゼロで、言い方が淡々としているのが妙に腹が立つ。
 怒り頂点マックス越えちゃって一二〇パーセントのアイは魔法のホウキをどこからともなく取り出した。
「くたばれ人間!」
 魔法のホウキを長刀のように構えてアイが地面を蹴り上げジャンプした。
 ジャンプした時の弱点その一。飛んだら最後、通常空中では自由な身動きができず、方向転換することは難しい。
 無表情な宙がカナヅチを投げた。
「……喰らぇ悪魔」
 ゴン!
 見事命中。宙ちゃんには一〇〇ポイント差し上げます。
「アイタタ……金物は反則だよぉ」
 頭を押えながらうずくまるアイは涙目だった。カナヅチ攻撃はかなり堪えたらしい。当たり前だけど。
 かなりやられぎみのアイちゃんの報復手段。投げられたら投げ返せ!
 床に落ちてるカナヅチを拾い上げたアイは力いっぱい宙に投げつけた。
「えいっ!」
 クルクル回転して向かって来るカナヅチを宙は軽やかに避けた。何気に運動神経はいいらしい。しかも、よく見るとキャッチしてるし。
 カナヅチをキャッチした宙は無言でそれを投げた。
 ゴン!
「いたーい! 弱ってる相手に追い討ちかけるなんて卑怯者!」
「……敵は起き上がれなくなるまで叩き潰せ。ウチに代々伝わる家訓」
「そんな家訓作るなよ、ば〜か!」
「ばかって先に言った方が、超ばか。これもウチの家訓」
「イチイチ癇に障る家訓だなぁ〜」
 今までしゃべっていたアイが突然立ち上がって宙に攻撃を仕掛けた。
 魔法のホウキを横に大きく振りながらアイが叫ぶ。
「油断大敵、これアタシの座右の銘……あっ!?」
 顔面直撃脳天炸裂するはずだったホウキは宙の素早い手刀によって叩き割られてしまった。宙ちゃん実は肉弾戦強い?
 空かさず宙の無表情チョップがアイの脳天に炸裂!
「いたーい! もぉさっきからやられっぱなしだよ」
「愛のチカラは偉大。ワタシが直樹を想ぅチカラは誰にも負けなぃ……かも」
「ダーリンのことを世界で一番想ってるのはアタシですぅ〜!」
「ワタシ」
「アタシ!」
「タワシ……ふふ」
「ふざけてるの?」
「ぅん」
 最高の笑みで宙はうなずいた。この子の性格よくわからん。
 二人がもうすぐキスしちゃますよくらいの距離に互いの顔を近づけて対峙していると、横たわる直樹の近くで声がした。
「大丈夫か直樹、しっかりしろ!」
 直樹をしゃがみ込んで膝で抱きかかえる愛の姿がアイと宙の目に入った。恋のライバル出現!
 愛が直樹の身体を強く揺さぶる。
「しっかりしろ、目を覚ますのだ!」
 直樹は返事一つせず、目を覚ますことはなかった。
 微かに鼻で笑った愛が直樹を丁重に床に寝かせて立ち上がった。
「誰が直樹をこんな目に遭わせたのだ、名乗り出るがよい!」
 アイが宙を指差した。
「宙が呪でやった」
 鋭い眼差しで愛は宙を睨み付けた。
「本当か、宙?」
「ま、まさか!? ワタシが……やったよ」
 にこやかに笑う宙。それを見た愛は鞘からゆっくりと刀を抜いた。
「よくも、親友とて私の直樹をこんな目に遭わせると許してはおけぬ!」
 切っ先を宙に向けるマナにアイからツッコミ。
「……私の? いつからダーリンがアンタのもんになったのよ!」
 剃刀のように鋭いツッコミに愛はたじろぎながら顔を赤くした。
「い、いや、それはだな……そうなったらよいという過程の話であって……」
「ダーリンのこと好きってことでしょ? あーっもぉ、やっぱり愛はダーリンのこと狙ってたんじゃん。二人揃ってダーリンのこと狙って、ダーリンはアタシだけを見てればいいの!」
 宙に向けられていた刀の切っ先がアイに向けられた。
「それは自分勝手というものではないのか? 直樹が貴様だけを見てればいいなど自分勝手極まりない。伴侶を選ぶのは直樹だ!」
「直樹クンはワタシの所有物」
 誰もが一歩も引かない状況。女の戦いって怖いなあ……。
 一触即発で睨み合う三人。そのトライアングルの中心に沈んでいるのは直樹。彼は未だに気を失ったまま。というか、今は起きない方が幸せかも?
 横たわる直樹にアイが駆け寄る。
「こうなったらダーリンに決着つけてもらおうよ。ねえ、ダーリン起きて、起きてよ、起きてください、起きろって言ってんだろうが!」
 アイちゃんの力強い拳が直樹の頬を抉った。これじゃあ起きるどころかよけいに気絶。もしくはご臨終。
 乱暴なことをするアイを見かねて愛が直樹を奪おうとする。
「私が起こす!」
「ダーリンはアタシが起こすの!」
 だが、アイは直樹を渡そうとせずにぎゅっと抱きしめる。それに負けじと愛は直樹の腕を引っ張る。そして、気づけば宙がもう一方の腕を掴んでいた。
「ワタシが起こすのが確実」
 三人の女性に奪い合いをされるんなんて、この幸せ者……でもなさそうだね。
 引っ張られる直樹の顔が悪夢でも見てるように苦痛に歪む。そして、ゆっくりと目を覚ました。
「ダーリン!」&「直樹!」&「直樹クン!」
 三人の声が重なり、三人とも嬉しそうな顔をしているが、直樹の表情は微妙。この状況が把握できてないうえに、身体が引っ張られて痛い。
「痛いから離してくれないか?」
「ダーリンがアタシのこと好きって言ったら離してあげる」
「私のことを好きと言うのだ直樹!」
「ワタシを好きって言わないと……呪う」
 三人の言葉を聞いて蒼ざめる直樹。だんだん状況が理解できてきたが、意味不明な展開なことにはかわりなかった。
 愛がググッと直樹の腕を引く。
「私を好きと言えば一生遊んで暮らすことができるのだぞ!」
 この時ばかりは金に物を言わせて直樹を誘惑。
 宙がググッと直樹の腕を引く。
「ワタシを好きって言わないと……呪う」
 やっぱりそれかい!
 最後にアイが力いっぱい直樹に抱きつく。
「アタシはダーリンに死ぬまで尽くすよ」
 愛くるしい瞳で直樹を見つめるアイ。
 この状況を打破したい直樹だが、三人に抱きつかれていては無理。しかも、運が悪いのか、神のイタズラか、この場に第四の女性が現れた。
「あらぁん、わたくしの見てないところでウハウハじゃなぁ〜い直樹」
「断じてウハウハじゃない。この状況をよく見ろ!」
 泣き叫ぶ直樹に追い討ちをかけるように第五の女性現る。
 室内の気温が一気に氷点下まで下がった。
「ふふふ……ついに見つけたぞ小僧……(○○にして××にしてやる……ふふ)」
 目がイッちゃてるカーシャ登場。
 状況は最低最悪。
 直樹に抱きつく三人が順番に声を発する。
「直樹!」
「直樹クン!」
「ダーリン!」
 そして、床や天井から突き出る氷柱。
「ふふ……凍りつくがいい!」
 そんな光景を見て惚けるベル先生。
「あぁん、青春ねぇん!」
 最後に泣き叫ぶ直樹。
「もういい加減にしろ、俺が好きなのは――」
 部屋中から一気に突き出す氷柱。床が突き破られ、壁が突き破られ、天井が崩落し、窓ガラスが激しい音を立てて砕け飛んだ。そして、直樹の最後の声は完全に掻き消された。
 ぶっ壊れる音楽室から一同は一目散に逃げた。そんな中で二人を振り切った直樹は一人を振り切れなかった。
「ダーリン、さっき誰の名前言ったの?」
 アイに抱きつかれながら直樹は走って逃げていた。
「知るか!」
「もぉ!」
 アイはニッコリと笑って直樹とともに深夜遅くの学校から逃げ出したとさ。
 翌日、学校は大騒ぎになったことは言うまでもないが、騒ぎを起こした犯人は未だ見つかっておらず、どっかの大財閥の力でこの事件はすぐにもみ消されたらしい。


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