サーガY
 巨大な雷鳥が天を駆け、崖から見渡す光景は遥かなる地平線を望めた。
 山の上は風が吹き、黄土色の砂埃が舞っている。
 騎獣に乗った7人の影。名だたる魔導士の騎獣はどれも高価もので、中でもアレクとキルスの乗る騎獣は群を抜いており、アレクの騎獣は蝙蝠の翼を持つ黒馬、キルスの騎獣は白い翼を持つペガソスであった。
 〈血の雫〉を取りに来たのはラーザァーと神官長であるキルスの七名。この者たちだけで〈血の雫〉を取りに行かねばならないという仕来りがあるのだ。
 ザルハルト山には凶暴な怪物がいることで有名なのだが、〈血の雫〉を取りに行くルートはムーミストの守護により怪物を寄せつけない。そのため、何事もなく旅路は進む。
 一行はザルハルト山の中腹にある洞窟へ向かっている。その洞窟の中に〈血の雫〉は封印されているのだ。
 約3メティート(約3.6メートル)はあるであろう岩の前でキルスは騎獣から降りた。この岩の奥に洞窟の入り口があるのだが、その前にまずは岩を退かし、その後に結界が張ってあるのでそれも解かなくてはならない。
 岩に触れたキルスはそのままラーザァーのいる後ろを振り向いた。
「私の役目は〈血の雫〉への案内役と、この先にある結界を解くことのみ、それ以外のことで君たちの手助けをすることは何があろうと禁じられている。まずは君たちの力によってこの岩を退かしてもらう」
 この岩はただの岩ではなく、魔導士たちが一定量の魔導を注がなければ動かない魔導石の一種だった。この岩をラーザァーたちに退かさせることによって技量試しというわけだ。
 二本の角を持つ黒馬――バイコーンから降りたシルハンドが一目散に岩に向かって走りした。それに続いて他のラーザァーたちも我先にと巨石に向かう。
 一足遅れてゆっくりと騎獣イーラから降りたアレクの横でザヴォラムはため息をついた。
「こんなところで競って何になるというのだか……」
 その意見にアレクは同感であったが声には出さない。
 シルハンドが手が激しい光を放つ。
「動かすなど悠長なことを言わず、破壊してしまった方が手っ取り早い!」
 岩を破壊しようとしたシルハンドの前にキルスが立ちはだかった。
「これはラーザァー全員に与えられた試練だ」
 キルスによって魔導でつくり出した半透明の壁――魔導壁が雷光を手にしたシルハンドの前に立ちはだかる。
 硝子が砕けたように弾け飛ぶように魔導壁が壊され、煌く破片の向こう側でシルハンドに手を向けるキルスが口元が歪む。
 槍と化している雷光の先端はあと少しでキルスの手を貫くところであった。その距離は1ティート(約1.2センチ)もなかった。
 冷や汗を流すシルハンド。次の瞬間、彼の身体はキルスの手から放たれた波動によって後方に大きく飛ばされていた。
 砂煙を上げながら地面に倒れたシルハンドの身体を光の鎖が拘束する。その鎖を放ったのはキルスだ。
「君の実力はわかった、そこで大人しくしていたまえ。さて、この岩は彼を除いて動かすとしよう」
 唖然とするラーザァーたちにキルスは何事もなかったように視線を向けた。
 動揺しつつもアレクが一番初めに岩に魔導力を注ぎはじめた。それに続いて他の者も魔導力を注ぎはじめる。
 巨石が微かに揺れるが、それ以上は動かない。まだまだ、魔導が足りないということだ。
 額に汗を滲ませるラーザァーたちを見てキルスは冷ややかな表情をしている。
「その程度の実力ではラーザァーを名乗ることはできんな」
 相手を小ばかにした言い方を聞いたラーザァーたちの魔導力が一気に上昇した。
 巨石がゆっくりだが横に移動しはじめた。だが、巨石の動きが急に止まった。ラーザァーたちの動きも止まっている。
 ――強大な力を持つ者が近くにいる。
 アレクは辺りを見回した。近くに何かがいるのは確かだ。だが、どこに?
 気高き咆哮が轟々と木霊した。空気が振動し、ラーザァーたちはそれを見た。
 ただの獣の鳴き声ではない。それは、ドラゴンの一種、地竜の鳴き声であった。
 蜥蜴を大きくしたような身体には、鋼の鱗が並び、眼は黄金色に妖しく輝いている。頭から突き出た角だけでも巨大だというのに、その全長は約一〇メティート(約一二メートル)もあった。
 アレクは文献などでドラゴンの絵を見たことはあったが、本物を目の当たりにしたのはこれがはじてだった。
「まさか、この山にドラゴンが……いや、ザルハルト山にドラゴンがいるなど聞いたことがないぞ!」
 そう、この山にはドラゴンは棲んでいないと云われていた。では、何故?
 ラーザァーたちは身構えはするが、それ以上動けずにいた。そんな中、キルスは冷ややかな口調でラーザァーに言った。
「ムーミスト様の守護も届かぬか……」
 この言葉に含まれた意味をアレクはすぐに感じ取った。
「もしやキース様は、あのドラゴンが……!?」
 〈血の雫〉を手に入れさせまいとする何者かの差し金であるとキルスは悟っていたのだ。
 この地竜を取り巻く魔導。地竜は強大な力を持つ魔導士によって操られている。
 地竜が地響きを立てながら迫って来る。ラーザァーは各々に魔導を発動し、地竜に攻撃を開始した。
 風、炎、雷光が地竜に襲い掛かる。
 ドラゴンが咆哮をあげた途端、ラーザァーの放った魔導は掻き消されてしまった。このドラゴンの咆哮は強力な魔導なのだ。
 地竜はラーザァーの前まで来て大きく口を開けた。
 誰かが大きくな声で叫んだ。
「避けろ!」
 次の瞬間、地竜の口から毒霧が吐き出され、ラーザァーは成す術もなく立ち尽くしてしまった。だが、ラーザァーたちは巨大なドーム状の魔導壁によって守られていた。
 魔導壁でラーザァーを守ったのはキルスだった。
「手助けをすることは何があろうと禁じられている。今のは自分を守ったにすぎない。あのドラゴンは君たちで倒したまえ」
 この事態に及んで手助けをしないとは、どうのような考えがあるのか。
 メミスの民である者にはムーミストの言葉は絶対なのだ。キルスが手出すけをできないのは、ムーミストの定めた仕来りだからだ。
 ザヴォラムが白銀に輝く槍を魔導によってつくり出した。
「ムーミスト様のご加護のもとに!」
 ザヴォラムはキルスの張った魔導壁の中にはいなかった。ドラゴンを討つべく果敢にも独りで立ち向かっていた。
 魔導によって瞬間的に天高く舞ったザヴォラムに向かってアレクが叫んだ。
「ザヴォラム止せ!」
 法衣を風に靡かせ、ザヴォラムは白銀の槍を地竜に向けて投げつけた。
 白銀の槍が地竜の硬い鱗に突き刺さった。だが、びくともしていない。
 地竜が大きく身体を震わせ、地面に着地したザヴォラムの身体を巨大な尾が直撃を喰らわす。
 大きく飛ばされ気を失い動かなくなったザヴォラムにアレクがすくさま駆け寄る。
「大丈夫かザヴォラム!?」
 返事はないが息はある。
 アレクはザヴォラムを安全な物陰まで運び、現状を見定めた。
 ラーザァーは地竜との本格的な戦いをはじめている。そして、キルスはどこに?
「この者は私が見ていよう」
 アレクは驚いた表情をしてキルスを見つけた。キルスはアレクに気配を悟られぬまま、すぐ横に立っていたのだ。
「キース様!?」
「現状は思わしくない。例え選ばれし魔導士とはいえ、〈血の雫〉を服用していない魔導士では、あの魔導具≠フ相手は荷が重い」
「今、何と?」
「あれは巨大な魔導具≠セ」
 キルスは地竜を見つめて言っていた。あの地竜と思われた怪物の正体は魔導具≠ナあるとキルスは言っているのだ。
「キース様、あれが魔導具であるとすると、誰が私たちの妨害を……?」
「その話については後でゆっくりと話そう。今はドラゴンを倒して来たまえ」
「しかし、どうやって倒せば?」
「そのようなこともわからぬのか? 世界に誇るメミスの魔導士の質も落ちたものだ。あの魔導具である地竜には核が存在しているのが視えないのか?」
 アレクはキルスにザヴォラムを任せ、地竜に向かって走り出した。
 地竜の魔導具には原動力がある。それをアレクは視た。
 黄金に妖しく輝く双眸が核だとアレクは見定めた。
「ドラゴンの眼を攻撃しろ!」
 自らそう言って、いち早くアレクは雷光のような剣で地竜の瞳を突き刺そうとした。だが、そう上手くはいかない。
 地竜の前足が横に振られアレクに直撃しようとした瞬間、アレクの身体は仲間の一人によって押し飛ばされて、アレクを押し飛ばした者が身代わりとなって宙を舞った。
 吹き飛ばせれ宙を舞った魔導士に地竜が素早く噛み付き、肉を引きちぎって喰らった。
 悲痛な叫び声と共に血が地面に降り注ぐ。
 目を覆いたくなるような光景の中、アレクは全身に血を浴びながら、今がチャンスと魔導剣を地竜の眼に突き刺した。仲間の死を悼んでいる暇などなかった。
 咆哮をあげる地竜。だが、まだ油断はならない。核はもうひとつ残っている。
 だが、地竜は急に身動きを止めて動かなくなってしまった。核がひとつでは動くことができないのか?
 動かなくなった地竜から目を離さぬまま、ラーザァーも身動きを止めて息を呑んだ。
 動いている。地竜を纏う魔導が爆発的な力を発する。
 誰もが眼を見張った。
 天に向かって咆哮する地竜の背中が割れ、中から巨大な翼が生えたではないか。
 舞い上がった竜は空の上から火炎を吐き地上を焼き尽くそうとする。状況は最悪と言えた。
 アレクはすぐさま騎獣の元へ走った。
「逃げずに待っていてくれたのだな。いくぞイーラ!」
 黒い翼をはためかせ、黒馬がアレクを乗せて天に舞い上がる。
 炎の合間を掻い潜りアレクはイーラの背から力強く飛び上がった。アレクの手が竜の角を掴む。足が宙ぶらりんとなり、大きく首を振る竜からふり飛ばされそうになるが、アレクは手に力を入れてぐっと堪える。
「ムーミスト様のご加護のもとに!」
 声を張り上げたアレクは魔導剣を竜の眼に突き刺した。
 甲高い咆哮とともに落ちる竜からアレクはイーラの背中に飛び移った。
 地響きを立てながら地面に落下した竜を空から見下げながら、アレクは手綱を引いて竜の真横にイーラを下ろした。
 ローゼンにシルハンドを任せたキルスが、すぐさま地竜に駆け寄り核を調べた。
「鼓動はまだある。では、なぜ止まったのか……!?」
 二つの核を破損させられ竜は落ちた。しかし、その両眼からは魔導が発せられている。
 キルスの調べていた核が多く脈打ち魔導波と呼ばれる風を巻き起こした。
「逃げろ!」
 キルスの叫びに従うまでもなく、近くにいたラーザァーは魔導波によって後方に吹き飛ばされてしまった。
 アレク砂煙などから目を守るために顔の前に上げていた腕を下ろした。そして、目を見開いた。
 闇よりも黒い触手のような何かがキルスの身体に巻きついていた。その触手は地竜の核から伸びているようだが、その正体はいったい?
 シルハンドが声をあげながらキルスの元に急いだ。
「それは〈混沌〉だ!」
 一同に衝撃が走る。
 〈混沌〉とは天地創造以前の空間に存在していた世界の元が溶け合っていた〈はじまり〉の物質であると云われている。
 〈混沌〉は人間には触れることも処理することもできないとされる。〈混沌〉は全ての物質を吸収し大きくなっていくので、特殊な術で封じ込めて隔離するしかない。
 キルスが笑った。
「これが〈混沌〉と呼ばれるものか……大したことはない。お還り願おう!」
 キルスを喰らおうとしていた〈混沌〉は核の中に戻っていき、封じられた。
 目の前で起きた驚くべく現象にシルハンドは感嘆の声をあげた。
「まさか、ひとりで〈混沌〉を封じ込めようとは、さすがは神官長様だ」
 アレクもシルハンドに続いた。
「〈混沌〉に巻きつかれ無事だったとは信じられぬ」
 再びキルスは核を調べはじめた。もう、魔導の鼓動は全く感じられなかった。
「この両眼は後で持ち帰ろう。その前に君たちには〈血の雫〉を手に入れてもらわねばならない」
 キルスは巨石を指差した。まだ〈血の雫〉がある洞窟の入り口は開かれていない。
 先ほどの戦いでラーザァーがひとり減ってしまった。これで巨石が動かせるのか?
 腕まくりをしたシルハンドがいち早く巨石の前に立った。
「このような巨石に行く手を塞がれていては、ラーザァーの名が嘆きをあげてしまう」
 驚くべきことが起きた。シルハンドが魔導力を注ぐと同時に巨石が動きはじめたのだ。シルハンドは独りで巨石を動かしてしまった。
 眼を丸くしているアレクの横でキルスが小さく呟いた。
「……あの男、大した食わせ者だな」
 そして、続けて誰にも聞こえない声で呟きを漏らした。
「私は鎖を解いてはいないのだがな……」
 キルスは足早に洞窟の前に向かい、見えない壁を消し去った。これで洞窟の中に入ることができる。
 巨石を独りで動かしたというのに疲れを全く見せないシルハンドをアレクは不思議な顔をして見つめた。
「あれがおまえの実力か?」
 この問いにシルハンドは笑みを浮かべただけで、気絶しているザヴォラムを担いで洞窟の中に消えてしまった。
 残されたアレクは呆然と立ちすくんでしまった。
 到底信じられないことだった。シルハインドは何時の間にあのような魔導力を身に着けたというのか?
 巨石を動かしたシルハンドの魔導力が実力であるとすれば、昨日のアレクとの決闘は手を抜いていたとしか考えられない。
 アレクは渋い顔をして洞窟の中に急いだ。
 洞窟の中は壁自体が淡く輝き、明かりを照らさなくても奥の方まで見渡せた。
 キルスの足が岩でできた杯の前で止まった。
 大きな杯の中に紅い液体が満たされており、その中にキルスが手を浸けた瞬間、辺りは眩く輝いた。
 キルスの親指と人差し指の間には〈血の雫〉が挟まれ、それは妖々とした紅い光を放っていた。
「まずはひとつ」
 そう言うとキルスは宝石に散りばめられた小さな箱の中に〈血の雫〉を入れた。その作業を六回繰り返し、全ての〈血の雫〉を手に入れた。
 手に入れた〈血の雫〉は一度神殿へ持ち帰り、そこで儀式を行った後にラーザァーに選ばれた者たちが服用して力を手に入れる。
 洞窟の外に出たアレクがいち早く気がついた。
「ドラゴンがいない!?」
 この言葉を受けてシルハンドは当たり見回した。
「本当だ……どこに?」
 地竜を模った魔導具がなくなっているのだ。何者かが持ち去ったに違いない。しかし、この男にとってはそのようなことは、どうでもよいことだった。
「〈血の雫〉が手に入れられればそれでよい」
 それだけを言ってキルスはすでに神殿へ足を向けていた。


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