サーガ[
 ラーザァーが〈血の雫〉を授かった次の日には都市中で盛大な宴が催される。これから戦いに出る魔導士たちや兵士たち、そしてラーザァーを賛美する。
 他のラーザァーが宴に出席している中、アレクはこの日も酷い熱などにうなされ、宴を欠席した。
 静かな寝息を立てるアレクの部屋に訪問者が来た。それはアレクの容態を診に来たザヴォラムであった。
 酷く汗をかきながらアレクはうなされ寝ていた。ザヴォラムが部屋に入って来ても目を覚ますことはなかった。
 神官長キルスの命により、アレクが眠る部屋への立ち入りは禁止されていた。それにも関わらずザヴォラムはこの部屋に足を踏み込んだ。神官長の命令を破ってでもザヴォラムには確かめたいことがあったのだ。
 アレクの顔をザヴォラムが見定めた。
「この目で貴公の正体を見定めさせていただく」
 ゆっくりと伸びたザヴォラムの手がアレクの服に掛かり、慎重な手つきで服を脱がせて胸元を開けた。
「……やはりな」
 これによってザヴォラムはアレクに対する疑問に答えを出した。やはり、アレクは女であった。
 アレクは急に目を覚ますと飛び起きて自分の身体をシーツで隠した。
「ザヴォラム!?」
 相手の名を呼ぶだけで精一杯だった。
 確実にザヴォラムに自分の秘密を知られてしまった。そう思ったアレクは自分の失態を強く悔やみ、大罪を犯してしまった自分はどのような罰を与えられ、自分の家族はそうなるのかなど、いろいろなことが頭の中を駆け巡った。
 ザヴォラムはアレクの瞳をしっかりと見据え、突然鼻で笑って近くにあった椅子に腰掛けた。
「まさかとは思ったが、本当に女だったとはな」
「…………」
「貴公が女であることはキルス様もご承知のはずだ。気を失った貴公の面倒はキルス様がひとりで看られた。ということは、キルス様はだいぶ前からご存知だったことになるな」
「告発でもするか?」
 静かにザヴォラムは首を横に振った。
「貴公の処分は保留としよう。キルス様が黙認されているのには意味があるのだろう。それに戦いの日は近い、こんな時にラーザァーのひとりが女であったなど言えるものか、暴動が起きるのは間違いない。〈血の雫〉の力を得たのは貴公ひとりしかおらぬ。戦いが終わったあと、私は貴公を告発する、それでよかろう」
 アレクは何も言えなかった。神官になることは叶わぬこととなった。未来は閉ざされてしまった。だが、自分には使命が残っている。
 全ては神官になるためだった。それが今、アレクの中で変わったのだ。
「ザヴォラム……どうしても告発するか?」
「この期に及んで何を言うのだ!」
「私はどうなろうと構わないのだ。私を男として育てた父の罪も重い。だが、母上が心配なのだ。全てが終わった後に私が自害をし、おまえは全てを黙っている、それでは駄目なのか? おまえの望みは私の失脚だろう?」
「私は貴公の失脚など望んでおらぬ。私は私の実力で貴公を超える。告発をするのはムーミスト様に遣えるものとしての勤めだ」
 突然アレクの顔が緊張し、ザヴォラムの背後で声がした。
「そのムーミスト様のお導きとは考えられぬか、ザヴォラム秘書官? ここへの立ち入りは禁止したはず、君が禁を犯すとは思ってみなかった」
 後ろを振り向いたザヴォラムの顔が硬直する。そこに佇んでいたのは神官長キルスであった。
 何も言わず固まる二人に対してキルスは静かな口調で話しはじめた。
「神はこの世に存在する、これは紛れもない事実であることだが、その神の技量はどれほどのものか。ムーミスト様は君が女であることをご存知か否か。ご存知とあらば、これは変化の兆し。それをどう取るかねザヴォラム?」
「申し訳御座いません、キルス様の命に叛きこの部屋に立ち入った罪、罰を受ける覚悟はできております」
 キルスはあからさまに嫌な顔をしてザヴォラムの瞳を見据えた。この瞳で見据えられたザヴォラムは心臓が止まりそうな気分だった。
「私は君の罪を咎めるつもりはない。この国で一番の咎人はこの私に他ならない。私の質問が聞こえていないようなら、もう一度言うが?」
「いえ、聞こえておりました。ムーミスト様のご意思ならばアレクの罪を見逃せということで御座いましょうか?」
「敬虔なる者に対してはムーミスト様のご意思は絶対であろう。まあ、私は違うがな」
 この国の神官長とは思えぬ発言にアレクとザヴォラムは度肝を抜かれた。ムーミストの意思があるならば、このような神官長を放って置くのはどういう所存か?
 難しい顔をしてザヴォラムが椅子から立ち上がった。
「職務に戻りますので失礼いたします」
 軽く頭を下げたザヴォラムは早足で部屋を出て行ってしまった。
 二人きりとなった部屋に緊張感が漂う。
 神官長と二人にされてアレクはどうしていいかわかない。アレクはただならぬ恐怖をキルスから感じていた。アレクにとってキルスは自分よりも地位の高い存在というだけでなく、同じ人間とも思えない存在であった。
 キルスの口が少しつり上がる。
「ザヴォラム秘書官にはああ言ったが、私はムーミスト様の意思とは思えぬな」
「あ、どういうことでしょうか?」
「女である君が魔導士となりラーザァーとなったのはムーミスト様の意思でもなんでもないだろう。神などという存在は支配級でしかない、決して万能でもない、ただ人間よりも力のある者に過ぎないと私を思う。神が全てを見通せるはずがない。この国の歯車は狂いつつあるな」
「それは私のせいなのでしょうか?」
「わからぬな。ただ、君の存在はこの国を変えるだけの力がある」
「キルス様は何をお望みなのですか?」
「さあな」
 アレクは俯き黙り込んだ。キルスは自分に対して何かを望んでいるように思える。だが、キルスの考えが理解できない。自分はなぜこの世に生を受けたのか?
「キルス様は私の罪を咎める気はないとおっしゃいましたが、それは私が女であることを黙っているということでしょうか?」
「そうだ、巫女も私も君に処分を下す気はない」
 実のところキルスはアレクが女であろうがどうでもいいと思っていた。彼は貴族である男だけが魔導士になれることを疑問に思っていた。そして、何よりも自分が神官長という地位にがんじがらめにされていることに不満を持っていた。
この世界に不満を多く抱いているキルスは、女が魔導士になるという社会の秩序が乱れるようなことが起きたことに何かが変わるのではないかと少し期待していた。
 部屋を出て行こうとしたキルスの背中にアレクは声を掛けた。
「キルス様、ありがとうございます」
「……どうでもいいことだ」
 キルスは小さく呟くと部屋を出て行った。


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