復讐の朱(4)
 銃弾を受けてよろめいたのは妖女だった。
 血を撒き散らす妖女の顔半分は悲惨だった。まるで銃口の大きいライフルを近距離で発射されたように、顔半分がぶっ飛んでいたのだ。
 銃を構えた男は紫苑の真横にいた。
 長く伸びた脚はレザーパンツに包まれ、薄手の黒い長袖はボタンを大きくはずされ、青白い肌が覗いている。その胸元に刻まれた十字の刺青。
 紫苑はこの男に察しがついた。
「……瑠流斗だな」
 紫苑の問いかけに青白い顔に浮かぶ紅い唇が囁いた。
「そうだよ。キミは?」
「……紫苑」
「ふむ、同業者か……」
 裏社会ではどちらの名も有名だ。
 二人が会話を進める最中、妖女の顔は再生の兆候を見せていなかった。吹っ飛ばされた断面は、蟲が奥で這うように蠢いているが、脅威の生成力は発揮されてない。
 妖女は残った口をガチガチと鳴らした。
「なぜじゃ、なぜ傷の治癒が遅いのじゃ!」
 吹っ飛ばされた顔半分は再生していないわけではなかった。少しずつ再生しており、人間の治癒に比べれば驚異的な速さだが、妖女が本来持っている治癒力には遠く及ばない。
 瑠流斗が悪戯に囁く。
「ボクが撃った弾は呪弾だよ。怨霊によって呪われた銃弾。この銃弾を喰らって再生するなんて、大したものだね」
 瑠流斗はゆっくりと銃口を下げて、腰のホルスターに銃を閉まった。その行動を見ていた紫苑が疑問を投げかける。
「なぜ銃をしまう?」
「ここに来るまでに敵が多すぎて、一発を残して全部撃ってしまったんだよ。なにか文句でもあるかい?」
「……いや」
「ならいいんだ」
 三人は自然と間合いを取って、正三角形を描いていた。
 これを2対1と数えるか、それとも1対1対1と数えるか……。
 正三角形の均衡を崩したのは瑠流斗だった。いち早く瑠流斗が仕掛けた。
「シャドービハインド」
 瑠流斗がコンクリの地面に〝沈んだ〟刹那、彼は妖女の影から這い出していた。
 唇が重なるほどの距離に現れた瑠流斗を見て、妖女が片眼を向いたのも束の間、武器と化した鋭い手が首を刎ねていた。
 瑠流斗の手刀に飛ばされた崩れ欠けの首は堕ちた。鈍い音を立てながらコンクリに落ち、3回転ほど転がって止まった。
 すでに紫苑も仕掛けていた。
 放たれた妖糸は肉を切り刻まずに、締め付けることにより妖女の首から下を拘束した。
 妖女の脚はきつく縛られ、両腕は胴から離れない。
 床に転がる半分の顔で妖女は苦虫を噛み潰した。
「心の臓さえあれば……」
 生首から鞭毛のような足が何本も生え、妖女の首は這うように走った。
 紫苑を見張った。自分が拘束した妖女の躰が枯れ木のように枯れた。胴体は脅威の生成力を発揮することなく、養分を失ったように枯れたのだ。
「頭が核か……?」
 呟く紫苑に瑠流斗は意味ありげに静かな笑みを浮かべた。
 気配がした。
 紫苑と瑠流斗が視線を向けると、闇の奥から偽妖女が3体、音もなく忍び寄って来ていた。
 気付かれた偽妖女が瞬時に素早く動き、紫苑と瑠流斗に襲い掛かる。
 目にも留まらぬ速さで紫苑の妖糸が妖女を縦割りにし、瑠流斗は妖女の顔面を鷲掴みにして、そのまま妖女の後頭部をコンクリに激しく叩き付けた。
 脳を飛び散らせて破壊される頭蓋骨が不気味に音を鳴らした。
 残る1体の偽妖女は、示し合わせたように妖女の首に向かっていた。
 紫苑と瑠流斗が動いたのはほぼ同時。
 しかし、妖女のほうが早い。
 なんと偽妖女は自らの頭を果実のようにもぎ取り、切り離されていた妖女の首がそこに乗せられたのだ。
 体を手に入れた妖女は憤怒していた。
 半壊した顔はおどろおどろしく、それでいて妖艶な雰囲気が、相反する美と醜を兼ね備えていた。
「許しはせぬぞ」
 妖女が地面を激しく蹴り上げた。
 瞬時に瑠流斗がスキルを発動する。
「シャドービハインド」
 だが、瑠流斗の躰が自らの影に沈む前に、妖女の手が瑠流斗の腕を掴んだ。半身まで地面に沈んでいた瑠流斗が、沼地から引き上げられるように持ち上げられた。そして、そのまま瑠流斗は投げ飛ばされてしまった。
 瑠流斗が地面に着地するよりも早く、紫苑が妖糸は妖女を捉えた。
 斬っても無駄だと悟った紫苑の妖糸は妖女を雁字搦めにした。縛られた妖女はボーリングのピンのように立ち尽くす。だが、その顔は不敵な笑みを浮かべていた。
「姑息な手段じゃの」
 その言葉のとおり、一時しのぎにしかならなかった。紫苑は妖女に巻きついていた不可視の糸が、弾け切れるのを指先で敏感に感じた。
 技を打ち破り両手を力強く広げる妖女の前に、紫苑の動きが止まってしまった。微かな気配を感じたのだ。また偽妖女がやってきたのだろうか?
 ――違う。
 この場で誰よりも五感の鋭い瑠流斗は気付いていた。
「機動警察が突入してくるよ」
 外で偽妖女と攻防を繰り広げていた機動警察が、ついに外を制圧して敵陣に乗り込んできたのだ。
 瑠流斗は妖女と紫苑に背向けて走り出した。
「政府に目を付けられる前にボクは逃げるよ」
 機動警察はすぐそこまで迫っていた。残った偽妖女と攻防する銃声音が遠くから聴こえる。
 紫苑もまた、帝都警察や機動警察、その先にいる政府に目を付けられる行動は控えたかった。
 ここはいったん引くしかないのか?
 しかし、身を引いたのは紫苑ではなく妖女だった。
「汝には訊きとうことがあるが邪魔が入りそうじゃな。改めてまた会おうぞ、憎き蘭魔に血を引く者よ」 
 妖女は疾風のように姿を消した。
 銃声と共に流れ弾が紫苑の近くまで飛んできた。遠くには機動警察が照らすライトがいくつも見える。
「……あの人がいないのならば、私が奴を倒さなければならない」
 呟いた紫苑は闇の中へと姿を消していった。

 神原女学園の制服を着た女子高生が二人、カミハラ駅前の繁華街を歩いていた。
 長く美しい黒髪を風に流しながら歩いているのは紅葉だ。その横を歩いているのはつかさ。二人はカミハラ駅にあるブックストアに向かっていた。
 なぜか紅葉は深刻そうな顔でつかさの顔を覗きこんでいた。
「今日も午前中の授業全部サボってどこに行っていたの?」
「ひーみーつー」
 深刻そうな紅葉とは対照的に、つかさは意地悪そうな顔で笑っていた。
 学校の登校するときは一緒だった。それが1時間目の授業がはじまると、つかさは授業も聞かずに机に突っ伏して眠り、1時間目の終了チャイムが鳴ると同時に起き、どこかに姿を消してしまった。今日だけではなく、似たようなことはしょっちゅうある。
 つかさが紅葉の前に再び姿を現したのは5時間目の体育の授業だった。
 サボリ癖のあるつかさのことが、紅葉は心配で堪らなかった。
「中間テストだってもうすぐなのに……それに……」
「それに?」
 まん丸な瞳に浮かぶ深い黒瞳でつかさ紅葉を見つめた。すると紅葉は少し頬を桜色に染め、つかさから逃げるように視線を地面に向けた。
「だってそれに、つかさと一緒に2年生になれないと嫌だから」
 その言葉を聞いてつかさは頬をフグみたいに膨らませた。
「ぷんぷん、ウチがまるで進級できないみたいな言い方よしてよぉ」
「だってあまりにもつかさが授業をサボるから」
「へーきへーき、うちの学校は先生たちがあの手この手で無理やり生徒を進級させようと頑張るもん」
「でも……」
「あっ、そういえば去年の1年生もお金で進級した人たくさんいるって」
「…………」
 紅葉は難しい顔をして沈黙してしまった。
 そのまま紅葉は無言でつかつかと先を歩いて行ってしまった。慌ててつかさが取り繕う。
「どうしたの、もーみじ! ウチなにか悪いこと言った?」
「別にいいの……つかさがどんな方法でも一緒に進級できれば。でも……つかさもお金さえあれば、なんでもできると思ってる人なのかなって・・・…ちょっと思っただけ」
「そんなこと思ってないよぉ。えっ、なに、紅葉ってお金持ちを目の敵にしてるとか?」
「えっ? う~ん……気にしないで、お金で欲望を満たそうとする人が少し嫌いなだけだから」
 不思議な顔でつかさが紅葉を見つめていると、紅葉は急に笑顔でファーストフード店を指差した。
「そうだ、本屋さんの帰りにワルド行く?」
「ウンウン、ウチ昼ごはん食べてないからお腹すいてたんだよね」
 と、言いながらワルドナルドに視線を流したつかさが、〝なにか〟を見て少し瞳を大きく開けた。紅葉はその様子に気付いていないようだ。
 そのためにつかさの次の言葉に驚いた表情をすることになった。
「ウチさ、急に用事思い出しちゃった。ゴメン、この埋め合わせは……なんか考えとくから、また明日ね!」
「えっ、どうしたの?」
「バイバイーイ!」
 慌てた様子でつかさは紅葉に手を振り別れた。
 すぐにつかさは影を追った。
 駅前のビルの中に消えた細い影。
 影は何階に消えたのか?
 歩道沿いの店舗ではなく、階段とエスカレーターのある方向に影は消えた。
 2階のパソコンショップ、3階の漫画喫茶、4階の居酒屋、5階の飲食店、6階はなにかの企業だ。
 あの影が見間違えでなければ、どこにも行きそうにない雰囲気だ。見間違えだったのかもしれない。
 それでもつかさは可能性を信じて2階のパソコンショップに向かった。
 〝あの手の職業〟の中には、仕事などでパソコンを酷使する者も多く、以外にパソコンマニアも多い。
 つかさは店内の客達をひとりひとり観察した。外観の特徴だけを言えば、いろいろなジャンルの人間がいる。いかにもパソコンオタクそうな男や、インテリ風のスーツ姿の男、ヘヴィメタルが好きそうな奴までいる。
 つかさの目が大きく開かれた。探していた人物を見つけたのか?
 違った。
 つかさの視線の先にあったのは特価商品の現品限りのメモリだった。
 あからさまに素早い手つきでつかさはメモリの箱を手にしていた。ふと、つかさが横を見ると、同じ学校の制服を来た生徒がにやけていた。知らない生徒だが、つかさは無理やり何くわぬ顔をして、素早い脚でレジに向かい会計を済ませた。
 そして、逃げるようにして店内を出た。
 あの店には探していた影はいなかった・・・…と思う。
 つかさそのままその足で3階の漫画喫茶に向かった。あの影は漫画など読みそうにないような気がする。けれど、漫画喫茶には別の物もある。
 店に入ってすぐの場所からでは店内の客は見えなかった。
 仕方なくつかさは漫画喫茶を利用することにした。
 探している影がオープンスペースにいればいいが、個室にいたら探すのは難しいかもしれない。
 つかさは漫画棚には目もくれず、パソコンスペースを見て回った。
 簡単な板で横のパソコン台と仕切っているスペースの横を通りかかったとき、凄まじい音と速さでキーを打つ音が聴こえた。すぐにその場所にいくと、ディスプレイの前に座って、キーボードを奏でている影の後姿あった。
 その席の番号を確認して、つかさは少し離れた場所のパソコンの前に着いた。
 素早い手つきでつかさはパソコンを操作し、先ほど確認したパソコンに簡単なメッセージを送信した。
 ――瑠流斗さんに仕事の依頼があります。
 返事はすぐに返ってきた。
 ――パスワードは?
 仕事を依頼するときに必用な秘密の暗号だ。つかさはそれを知っていた。
 ―――666
 これは単純な数字の羅列ではなく、魔を意味する言葉だ。
 ――20分後に駅近くのラフィーナで待っている。
 という送信が相手からあり、つかさは返事を返そうとメッセージを送信したが、相手へのメッセージ送信が制限され、音信不通になってしまった。
 仕方なくつかさはレジで会計を済ませて店を出ることにした。
 ラフィーナの場所は〝自分のパソコン〟で調べた。店は飲食店――BARだった。
 さすがに制服姿で入るのはマズイだろうと思い、つかさは店に下りる階段の前で相手を待った。相手が自分よりも後に来ることは漫画喫茶を出るときに確認済みだ。
 指定の時間きっかりに影は姿を見せた。
 全開にされたシャツから覗く十字の刺青。間違いなく瑠流斗だ。
 店に入っていこうとする瑠流斗の腕をつかさが掴んだ。
「ちょっと待って」
「援交ならお断りだよ」
 こんな言葉を言われて、思わずつかさは言葉を詰まらせた。
「……ち、違うし! ウチが依頼人」
「キミがかい?」
 瑠流斗は不審そうな眼でつかさを見ている。
「正真正銘ウチが依頼人。制服姿のままじゃお店に入れないからここで待ってたの」
「それはすまないね、依頼人が女子高生だとは思わなかったから。場所を替えようか」
 歩き出した瑠流斗は地下には降りず、ビルの上を目指して階段を上がりはじめた。どこに向かうのかと付いていくと、屋上に通じるドアまで来た。
 ドアノブごと鍵を壊した瑠流斗が先に出た。
 屋上は冷たい風が吹いていた。
 この時期は日が暮れるのが早く、薄闇が空を覆おうとしている。
「誰を殺して欲しいんだい?」
 単刀直入に瑠流斗はつかさに尋ねた。
「あ~っと、暗殺の依頼じゃないけどオッケー?」
 瑠流斗は殺し屋だった。
「内容にもよるね」
「プロなのに意外に柔軟なんだ」
「時代が時代だからね」
「なら今日マドウ区の工事現場に機動警察が出動した事件について教えて」
「同業者かな?」
「近からず遠からずじゃダメ?」
 瑠流斗は少し考え込んでから口を開いた。
「いいよ、教えてあげる」
 それは甘く囁くような声だった。


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