ハナンの町
 真っ白世界の中でファティマの声が響いた。
「必殺目暗まし!」
 次の瞬間、地面に尻を付いていたセイの腕が強引に引っ張られ、セイは訳もわからずファティマと一緒に全力で疾走していた。
「ご主人様、ボクの必殺技どお?」
「どうって……?」
「取り敢えず目暗ましでとんずらしてみたんだケド」
「……てっきり僕はファティマがドラゴンをやっつけてくれるんだと思った」
「そんなの無理に決まってるじゃん、ご主人様も意外にバカだなあ」
 ここでセイの頭にある考えが浮かび、その考えを現実にするようにドラゴンの咆哮が聞こえた。そう、やっつけてないドラゴンは後ろから追って来ていた。
「わぁーっ! 追って来てるよドラゴン、ファティマなんとかしてよ」
「じゃあ、もういっちょ目暗ましでも」
 セイの手が素早く動いてファティマの頭を撫でるように叩いた。
「バカ!」
「イタ〜い、打つことないじゃん。女の子殴っちゃいけないって教わんなかったの?」
「今はそういうことを言ってる場合じゃなくて、ドラゴンから逃げる方法か倒す方法考えてよ!」
「だ〜か〜ら〜、ここはボクの必殺目暗ましで」
 セイの手が素早く動いてファティマの頭を撫でるように叩いた。
「イタ〜い、二度も打った。打った打った打った打った打ったブタ!」
 二人がこんなしょうもないことをしている間にも、空を飛翔するドラゴンは巨大な翼を広げて、獲物に向かって急降下をはじめていた。
「ご主人様危ない!」
 ファティマに後頭部を押されて顔面から芝生に倒れこんだセイとファティマの真上をドラゴンが掠めるように飛んでいった。セイはかなり痛かったが、ドラゴンに連れ去られずには済んだ。
 芝生に倒れるセイが真っ赤にした顔を上げると、ドラゴンが上空を旋回してこちらに向かって来ているのが見えた。
 ファティマはセイと同じように寝転びながら、両手で頬杖をつきながら呑気に言う。
「絶体絶命だね、あはは」
「笑ってる場合じゃなくて、これって魔導書なんだから大きな火の玉とか出せないの!?」
「そんなことできたっけ……よく覚えてないなぁ」
「役立たず!」
 立ち上がった二人はもと来た道を逆走して逃げはじめた。状況はなにも変わっていない。あえて言うならば、セイの体力が尽きようとしている。
 逃げる二人の背後で巨大な物体が落下する音が聞こえた。ドラゴンが地面に着地したのだと思われるが、それにしてはようすが可笑しかった。落下音が聞こえてから、何も音がしないのだ。二人は足を止めて恐る恐る後ろを振り向くと、そこには!?
 項垂れて地面に横たわるドラゴン。その頭には巨大な槍が突き刺され、その槍はローブを纏(まと)う白銀の髪を風に揺らす少女が握っていた。
 槍を抜いて地面に飛び降りる少女。その瞳の色は左右で違い、蒼と翠の瞳であった。
「まだ波長が合っておらず使いこなせぬようじゃな」
 とても少女の言葉使いとは思えぬ口ぶりで、気高く相手を威圧するようだった。
 その場に立ち尽くすセイとファティマの前に立った少女は静かな月のように微笑んだ。
「ドラゴンを嗾(けしか)けたというのに、なんの役にも立たなかったの」
 少女の言葉を聞いたセイの顔色が見る見るうちに曇っていく。
「嗾けたって、君が僕らを襲わせたってことだよね。君はいったいどこの誰で、なんでドラゴンで僕らを襲わせたの?」
「ふふふ、妾(わらわ)たちの目的はやがてわかるじゃろうて。妾は〈光天(こうてん)の書〉とともに生きるエムと申す者じゃ」
 エムは空間に溶けるように姿を消してしまった。その表情は嗤(わら)う月のようだった。
「今の人、ファティマの知り合い?」
「ううん、知らない人」
「そう……」
 セイはエムにファティマと同じものを感じていた。性格はせんぜん違うかもしれないが、根本にある何かが同じように感じた。
 疑問で頭に抱えながらセイは再び〈ハナンの町〉に向かって歩き出すことにした。しかし、最初のような会話は二人の間にない。ファティマはなにか話したそうな雰囲気であったが、考え事をするセイの雰囲気がそれを寄せ付けない感じだった。
 しばらく歩いたところで花の香を運んできてくれた風が吹く方向に町が見えてきた。あれがきっとハナンの町だ。
「セイ、あれが花の都ハナン。花人が住む町では三本の指に入る大きさの町だよ」
「いろんな花のいい香りがする」
「あたりまえだよ、花人の住む町なんだから」
「そういうもんなんだ」
 花の香りは町の中に入ることによってよりいっそう強くなった。
 大きな通りの横には花壇があって、いろんな花が咲き誇っている。
 この道を歩いている人たちは大輪の花のようなドレス姿の人や、身体中を葉や花に包まれた人だった。みんな綺麗で美しくて華やかな人たちで、少し中世の貴族みたいなイメージがする。そう、この人たちが花人と呼ばれる人たちだった。
 花人の見た目はセイとほとんど変わらない。中には身体の一部が植物の者もいるが、ほとんどの者がセイと変わらない種族に見える。大きな違いを挙げるとすれば、花人の体臭は花の香りがするくらいなものだ。
 町を歩いているとセイの目に鳥の足と羽を持った人が入った。
「ファティマ、あの人たちは?」
「あの人たちはセイレーン、歌がとっても得意なことで有名なの。あの種族は大きく分けて二つに分けることができて、地上に住んでる人たちとラピュータっていう空中に浮かぶ島で科学とともに生きてる人たち。地上に住んでるセイレーンとラピュータに住むセイレーンは仲が悪くていつも喧嘩(けんか)ばっかりしてるんだよ」
「ふ〜ん。じゃあ、あっちにいる鳥がそのまんま人になったみたいなのは?」
 セイが指差した方向には大きな嘴(くちばし)を持った二足歩行の鳥がいた。二本足で人間みたいに立っていて服も着ているが、手はなくて羽を上手に手にみたいに使っている。
「あれは鳥人。セイレーンに近い種族だけど、普通の鳥の方が近いかな」
「ふ〜ん。じゃあ、あっちのは?」
「もう今日は質問タイムおしま〜い。よっし、まず宿を探してそれから次のことを考えよう!」
 セイの腕を引っ張って歩き出すファティマ。ここでセイはある疑問が頭に浮かんだ。
「ところでお金は? この世界にもお金はあるんだよね?」
 突然歩くのを止めたファティマがはっとした表情をしてセイを見つめた。
「あぁ〜っ! そうだ、ボクたちお金持ってなかったんだ。困ったね、う〜ん、これからどうしようか?」
「僕に聞かれても困るよ。だって、僕はこの世界のこと詳しくないし」
「じゃあ野宿しよう、決定!」
「ヤダよ野宿なんて」
「だいじょぶだって、花人の町は比較的安全な町だから」
 セイはキャンプだってしたことないのに、知らない土地の知らない町で野宿なんて絶対に嫌だった。
「誰か親切な人に泊めてもらうことにしようよ」
「でもぉ、これからだってきっと野宿する機会が来ると思うよぉ」
「……う〜ん」
 冒険には野宿は付きもの。テレビゲームであれば、敵を倒すとお金やアイテムを拾えるものだが、あれはゲームの話だ。
 セイがどうしようか頭を悩ませていると、どこからか大きな声が聞こえてきた。
「〈ライラの写本〉を盗まれたぞ!」
 その声は酷く慌てたようすで、その声を聴いた人々も慌てた表情をしている。きっと大切な物が盗まれたのだろう。だが、セイには〈ライラの写本〉と聞いても、それがなんなのかわからない。
「〈ライラの写本〉って何?」
「魔導書のことだよ。ライラっていうのは別名〈神の詩〉って言ってね、レイラ・アイラ・マイラ、いろんな種類の魔法があるんだけど、本を正せば全部ライラの派生に過ぎないんだよねぇ。〈ライラの写本〉はそのライラが書かれてるんだけど、普通の人じゃ表紙を開くことすらできなんだよ。ライラについて説明してると夜が明けちゃうから、機会があるたびにちょっとずつ説明していくね」
 町中が騒がしくなりはじめ、いろんなところから声が聞こえてくる。
「魔導書を盗んだのは怪盗ジャンクらしいぞ!」
「あの荒くれ者の怪盗ジャンクか!?」
「ジャンクって言ったら変装の名人らしいじゃないか。もしかしたら、この中にいるかもしれないぞ!」
 町中に声が飛び交う中、自然と人々の視線がセイとファティマに注がれていた。嫌な予感がする。
 そして、セイたちはあっという間に取り押さえられてしまった。見かけない顔っていうことが災いしてしまったらしい。
「僕は怪盗なんかじゃないよ!」
 セイとファティマは腕を強く掴(つか)まれ、セイは持っていた魔導書まで取り上げられてしまった。
 本を取り上げた男の花人が表紙を開けようとしたが開かない。そして、セイの顔を不信そうに見つめた。
「まさか、この本は魔導書なのか? いや、こんな子供たちが魔導書を持っているはずがない。どこで盗んだんだ!」
「それは僕の魔導書です、返してください!」
「うるさい黙れ! こいつらを早く牢屋(ろうや)の中に入れてしまえ!」
 牢屋と聞いてセイは脅えた。セイたちはなにも悪いことをしていないのに、どうして……?
 セイたちは大勢の花人たちに捕まえられ、引きずられるようにしてこの場を後にした。


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