花人セシル
 地下室の暗くてジメジメしている陰湿な牢屋の中にセイたちは入れられていた。
 この牢屋には窓すらなく、牢屋のすぐ前には見張りの男が一人いる。どう考えても逃げられるような状況ではなかった。
「どうして僕らが掴まらなきゃいけないんだろう。花人たちはあんなに綺麗で美しいのに、僕の話はぜんぜん聴いてもらえなかった」
 セイが肩を落として冷たい床に座っていると、ファティマがセイに肩を寄せて座ってきた。
「見た目が綺麗でも心まで綺麗な人とは限らないんだと思うよ。それに花人はノエルのことをあんまりよく思ってないんだよねぇ。ちなみにノエルって言うのはご主人様みたいな人種のことね」
「なんで僕らが嫌われてるの、花人になにか悪いことでもしたの?」
「過去の歴史の中で花人はノエルの奴隷として扱われていた時代があったんだよ。だから、今でも根に持ってる花人は多いわけ」
「じゃあなんで僕をこの町に連れてきたのさ、危ないじゃないか」
「そーゆー偏見はよくないなぁ、花人にだってノエルに好感を持ってる人だっているよ」
「現に僕らは捕まえられじゃないか」
 セイの声は沈んでいた。
 捕まえられたのも事実だし、話を聞いてもらえなかったのも事実だった。セイからしてみれば花人はもういい人には思えない。
 落ち込んでいるセイの背中をファティマがポンと軽く叩いた。
「まあ元気出して、きっとなんとかなるよ!」
「そうだといいけど……」
 なにも悪いことをしていないのだから、そのうちここを出してはもらえるだろう。だが、セイは元気にはなれなかった。異世界の冒険はもっと楽しいものだと思っていたのに、これじゃあもとの世界にいた方がよかったかもしれない。どこに行っても自分は不幸なんだとセイは心の中で思った。
 しばらくしてから、白い薔薇の花をさりげなくあしらった服を着て、手には装飾の美しい杖を持つといういでたちの男が現れた。その男は牢屋の見張りをしていた花人と何やら話をして、話が終えると見張りの花人はどこかに行ってしまった。
 残った男が杖を突きながらの牢屋に近づいて来る。長身ですっきりとした身体つきで、とても美しくて清楚な顔立ちの顔についた両目は閉じられていた。もしかしたら、この人は目が見えないのかもしれない。
 牢屋の前に立った男は何やらセイたちに話しかけているのだが、セイには聞いたこともない言葉で何を言っているのかさっぱりだった。
「ファティマ、あの人なんて言ってるの?」
「言葉わかんないの? あぁ〜っ、そうか、本を取り上げられちゃったからか。とにかくあの人がここから出してくれるんだって、早く出よう」
 男が牢屋の鍵を開けてくれて、セイはファティマに手を引かれて牢屋の外に出た。すると、そこで男がセイに話しかけてきた。
「申し訳ありませんでした。これをお返しいたします」
 今のは何て言ったかセイにも理解できた。でもどうして?
 男は首に提げていたバッグの中から一冊の本をセイに手渡した。取り上げられたあの本だ。
 ほっとした顔をしたファティマはセイの顔を覗き込んでため息を吐いた。
「一時はどーなることかと思ったけど、この本が戻ってきてよかったよかった。でも、これからは絶対手放しちゃだめだよ。この本が近くにないとご主人様はこの世界の言葉がわからなくなっちゃうんだから」
「なるほど、だからか」
 深く頷いたセイは納得した。この魔導書は翻訳機の役目を果たしてくれいたのだ。そうでもなければ、セイが知らない世界の言葉を理解できるはずもなかった。
 男は自分の首に提げていたバッグをセイに手渡しながら言った。
「このバッグを差し上げましょう、そんな重い本を手で持っているのは大変でしょうから。わたくしの名前はセシル・ローズと申します。セシルとでも呼んで下さい。それで、二人の名前は?」
 セシルはセイとファティマの顔を交互に見て言った。それはまるで目を開けて見ているような動きだった。
「ボクの名前はファティマ、こっちがボクのご主人様のセイだよ」
「ご主人様と申されましたが、召し使いなのでしょうか?」
 セシルの顔色が曇り、セイは花人がノエルの奴隷だった話を思い出した。
「とんでもないです、あだ名みたいなものです。僕とファティマは友達で一緒に旅をしているんです」
「お二人はこんなにお若いのに、二人だけで旅を?」
 少しびっくりした表情をしたセシル。そして、彼は『こんな』と言った。それはまるで見えているとしか思えない発言だった。
「あの、セシルさんは僕たちのこと見えているんですか?」
 セイがそう聞くとセシルは笑って答えた。
「この目でものを見ることはできません。けれど、わたくしには物の形やその位置が手に取るようにわかるのですよ」
 続けてセイはもうひとつ質問をした。
「じゃあ、その杖はなんで持ってるんですか?」
「ああ、これはわたくしが魔導師だからですよ。この杖が魔法を使う時に力を増幅させてくれるのです」
 セイが他の質問をしようとすると、その前にファティマが口を開いた。
「ボクたちお金なくて泊まるところがないんだけど、セシルの家に泊めてよ」
「よいですよ、わたくしの職務は困っている方に力を貸すことですから」
「やったねご主人様、これで今晩は困らないねっ!」
「うん、そうだね」
 そのままセイたちはセシルに連れられて、階段を上り建物の外へ出た。
 辺りは黄昏(たそがれ)色に染まり、真っ赤に燃える陽が沈もうとしていた。町を歩く人通りも少なくなってきて、もうすぐ夜闇が世界に下りてくる。
 夕暮れの中、セイたちは大きな通りを歩いた。その途中でセイがどこに向かっているのかとセシルに尋ねると、彼は前方に聳(そび)え立つ建物を指差した。
「あれがわたくしの務めるハナン聖堂。わたくしはあそこの司教でしてね」
 セシルは教会の司教だったのだ。そう言われてみればセシルからはそんな物腰が感じられる。落ち着いていて誠実そうな人柄が全身から出ている。この時やっぱり花人にもいろんな人がいるんだとセイは考え直した。
 この道から見える聖堂は石造りで大きくて、二階部分には光を通す巨大なステンドグラスがあり、聖堂全体を白と赤の薔薇の花が覆いつくしていた。
 聖堂の中はとても静かで――と思いきや、聖堂の中は大勢の人々でごった返して、うるさくて耳を塞ぎたいくらいだった。
 セイたちが赤い絨毯(じゅうたん)の上を歩いていると、すぐにシスターがやって来てセシルに声をかけた。
「こんな大事な時にどこにいらっしゃっていたのですか、聖堂からくれぐれも出ないように申し上げておいたはずですが?」
「すまない、この事件のせいで不審人物として捕らえられてしまったこの子たちを引き取りに行っていたのだよ」
 シスターはセイとファティマに向かってニッコリと微笑んだが、すぐに恐い顔になってセシルを睨みつけた。
「わざわざ司教様がお出向きになられなくても、他の者に頼めばいいことではありませんか。〈ライラの写本〉が盗まれるという大事件の最中なのですよ!」
「確かに〈ライラの写本〉が盗まれたことはわたくしも一大事だと思いますが、わたくしたちが慌てても仕様がない。盗まれた写本を取り戻すのはわたくしたちの仕事ではなく、治安官の仕事ですよ」
「だからと言って私たちがなにもしないわけにはいきません。あの〈ライラの写本〉を守るのは我々の務めのですから」
「ですが、今はなにもできることがありません。取り敢えず、ここに集まった人々に帰ってもらい、シスターたちには普段の仕事に戻ってもらいましょう」
 セシルは人々が集まる輪の中に入って行ってなにやら話すと、同じ制服を着た治安官たちが聖堂の外に不機嫌そうな顔をして出て行き、シスターたちはバラバラに消えていった。
 セイがセシルの方に歩いて行こうとすると、セイよりも早くさっきのシスターがセシルに駆け寄った。
「なぜ治安官まで帰したのですか!? 治安官たちは捜査のために来ていたのですよ!」
「なぜと言われましても、彼らはこの場に不必要な人間でしたから、こんなところで調査などしていないで怪盗本人を探すように言って帰ってもらいました」
 シスターは絶句したようすで、そのまま何も言わずにセシルに頭を下げて足早に消えてしまった。
 セイはすぐにセシルに駆け寄って彼の顔を見上げた。
「本当に治安官たちを帰してよかったんですか?」
「ええ、神聖な聖堂でああも騒がれては迷惑でしたし、怪盗はまたここに来ると思いますから、あのような輩がいては入りづらいでしょう」
「えっ?」
 セシルの言葉にセイは心底驚いた。
 もしかして、セシルは一人で怪盗を捕まえる気なのだろうか?
 セシルはセイが首から提げいるバッグを指差して言った。
「先程の魔導書をわたくしに貸していただけませんか?」
「はい」
 魔導書をバッグの中から取り出しセシルに手渡すと、彼は魔導書の表紙に手をかけて力を込めているようすだった。
「やはりわたくしには開けられない」
「どういうことですか?」
「力のある魔導書は普通の人にはページを開くことはできません。ある一定の力を持った魔導師でなければ開くことはできませんし、中には力を持っていても開いてくれない魔導書もあります。持ち主を自ら選ぶ魔導書もこの世界にはあるのですよ。つまり、早い話が盗まれた〈ライラの写本〉はわたくしにしか開けないということです。それを怪盗が知ればまたここに来る可能性は高いでしょう」
「でも開かないから捨てちゃうかもしれないじゃないですか?」
「開かない魔導書はそれだけ価値のある魔導書です。捨てるなどはしないでしょう」
 優しく微笑んだセシルはセイに魔導書を返して歩き出した。
「こちらへいらっしゃい、部屋に案内して差し上げます」
 セイはセシルに質問したいことがまだあったのだが、タイミングを逃してしまったので、また次の機会にでも訊いてみることにした。


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