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Level Ⅰ 依頼者の影 |
依頼人との待ち合わせ場所に、決まった場所は存在しない。 料亭からカラオケボックス、幅広く瑠流斗[ルルト]は対応する。 今日の依頼人は瑠流斗を深夜の公園に呼び出した。 昼の公園はサラリーマンの憩いの場。夜の公園は果たして誰のものか? 月光に輝く白銀の髪。ボタンを全快にしたシャツから覗く白い肌。その胸に刻まれた十字の刺青。 瑠流斗の紅く妖艶な唇が微笑を浮かべた。 公園に足を踏み入れた瞬間、細長い影が胸を掠めた。 続けざまに襲ってきた同じモノを、瑠流斗はバク転をしながら躱[カワ]した。 瑠流斗が逃げた道を追うように、地面には矢が刺さっていた。 そして、すぐに矢は霞み消えた。矢はエネルギー体なのだ。 矢は瑠流斗の眉間を狙って飛んできた。 刺さる寸前、瑠流斗は矢を素手で受け止めた。すぐに矢は消えてしまったが、手を開くと肉が焼け爛れていた。 焼けた手を握り、瑠流斗は後もなく闇夜を駆けた。 耳元を抜ける矢が風を鳴らす。 嵐のような矢の猛撃が瑠流斗を襲う。 狙撃手の姿は見えない。しかし、矢が飛んでくる先にいるはずだ。 矢が降らなくなった。 耳を澄ます瑠流斗。 風を滑る矢の音。 背中から胸を貫通した矢をはじめに、次々と矢が瑠流斗の身体を貫いた。 身体に風穴を開けられた瑠流斗が前のめりに倒れた。 瑠流斗は動かない。呼吸すらしていないように、微動にしなかった。 足音も気配もしなかった。 しかし、その男は瑠流斗を見下ろしていた。 その男は左手でピースサインを作り、中指と人差し指の間に何かあるように抓まんで引いた。ピースサインは弓、抓んだ何かは弦と矢。男は矢を放った。 瑠流斗の後頭部に矢が刺さる寸前、その矢は瑠流斗の手に止められた。 うつ伏せから仰向けになった瑠流斗。その胸の十字の刺青を見た男が声を漏らす。 「まさか〝宵の明星〟……」 それは瑠流斗の通り名だった。 瑠流斗の唇が笑う。 「キミは……〝アポロンの狙撃手〟かな?」 立ち上がった瑠流斗の服には穴が開いていた。だが、肌に穴はない。あんなにも矢で貫かれたにも関わらず、素肌には傷ひとつなかった。 〝アポロンの狙撃手〟はすでに〝弓〟を構えていた。 しかし、瑠流斗のほうが早い。 骨を砕く音が闇に木霊した。 瑠流斗に握られた〝アポロンの狙撃手〟の手首――〝弓〟がへし折られていた。 止めを刺そうと瑠流斗が動こうとした瞬間、別の気配がこの場に緊張感を張り巡らせた。 すぐに瑠流斗は相手を押し飛ばし、〝アポロンの狙撃手〟は逃げていった。 新たに現れた気配は土の中からした。 地中を移動している。それも浅い位置を移動している。にも関わらず、土が動く様子も、盛り上がる様子もない。 敵は瑠流斗のすぐ足元まで迫っていた。 地面から白く繊細な手を伸びた瞬間、瑠流斗は高く飛び上がっていた。 空中から地面を見た瑠流斗の瞳に映ったものは、地面から飛び出した裸体の美女。 「〝陸上のマーメイド〟だな?」 「そうヨ。マサカ相手が〝宵の明星〟ダッタとはネー」 中国なまりのアクセントだ。 〝宵の明星〟、〝アポロンの狙撃手〟、そして〝陸上のマーメイド〟、裏社会では〝通り名〟が付くほど有名な存在だ。 依頼人の代わりに、瑠流斗の命を狙う者が現れた。簡単に考えて依頼は瑠流斗を誘き出す口実。その狙いは瑠流斗の殺害か? ただ、瑠流斗には気がかりなことがあった。 「人魚さん、依頼人の素性を知っているかい?」 「依頼人を明かすと思うカ?」 「依頼人を明かして欲しいわけじゃない。依頼人が誰なのか、それを知っているかどうか、それが重要なんだ。無駄な殺し合いをしなくて済むかもしれない」 「ワタシと戦う怖くなったカ?」 「……怖い?」 世にも恐ろしい笑みを瑠流斗は浮かべた。 まずは小手調べ。 「ダーククロウ」 呟きと共に、漆黒の爪が瑠流斗の手に装着された。 一気に相手の懐に踏み込み、ダーククロウが〝陸上のマーメイド〟の躰を抉ろうとした。 だが、瞬時に〝陸上のマーメイド〟は地に潜った。 瑠流斗はすぐに真後ろに向かって回し蹴りを放った。 その蹴りは〝陸上のマーメイド〟の胴体を確実に捕らえていた。だが、感覚がない。瑠流斗の足は〝陸上のマーメイド〟を透過していた。いや、足が透過したのではなく、足を透過していた。 そのまま〝陸上のマーメイド〟は瑠流斗の躰を透過して、すぐに地面に潜って消えてしまった。 ダーククロウの追撃が地面に突き刺さった。手ごたえは地面の感覚だけ。 地中のみならず、人間の躰をも透過する〝陸上のマーメイド〟。攻撃を与える術はあるのか? 地の底から水撃は放たれた。その水圧は肉を貫くほど、見事に瑠流斗の腹に親指の先ほどの穴を開けた。 瑠流斗の傷はすぐに塞がった。 「厄介な相手だね」 それは相手も同じことだろう。敵として戦う瑠流斗は厄介な相手だ。 地中を漂う気配。地面は身を隠すと同時に盾となる。通常の武器では歯が立たない。 チャンスは地上に顔を出した時。だが、物理攻撃は透過される。ならばどう倒す? 瑠流斗は辺りを見回した。 噴水、ベンチ、電灯、樹木――。 瑠流斗は電灯を登るのではなく、引力に反して柱を走った。 電灯の天辺に立った瑠流斗は地上を見回した。さすがの〝陸上のマーメイド〟も、細い電灯の柱を泳ぐことはできまい。 地中から放たれた水撃が瑠流斗を狙う。それを避けることなく瑠流斗は受けた。 腰の後ろから瑠流斗はリボルバーを抜いていた。 放たれる怨霊呪弾。 口径の大きなリボルバーから撃たれた銃弾は通常のものではない。その弾丸は怨霊を孕んでいた。 老婆の嗤う声、若い女の叫び声、幼子の泣く声。 呪弾は水撃の放たれた地面に撃ち込まれた。 「キャァァァッ!!」 地の底から沸く悲痛な叫び声。 躰を海老反りにしながら、〝陸上のマーメイド〟が地上に飛び出てきた。まるで丘に上げられた魚だ。 腹から血を流し、躰を痙攣させている〝陸上のマーメイド〟に戦意はない。白目を剥いて、口からは泡を吐いている。その表情は、何か恐ろしいモノを見たように、酷く歪んでいた。 「人魚姫の精神は実に繊細だったらしい」 電灯から瑠流斗は軽やかに地面に降りた。それは舞う羽根のように音もなく。 微かな気配。拍手をしながら何者かが近づいてきた。 瑠流斗はすぐにその人影を見た。 「誰だい?」 「実にお見事じゃ。これならば君に仕事を任せても問題ないじゃろう」 「ボクを試したのですか、影山源三郎[カゲヤマゲンザブロウ]氏?」 その名は瑠流斗をここに呼び出した者の名。正確にはダミーの依頼人から、情報を辿って行き着いた本当の依頼人の名である。 「わしが依頼人だとよくわかったな」 「はい、情報収集が趣味なので」 「腕だけはなく頭も使えるようじゃな」 皺くちゃの顔で源三郎は怪しげな笑いを浮かべた。 影山源三郎――帝都エデンの恩恵を受けた実業家のひとりだ。 東京が死都と化したとき、経済界は大きな打撃を受けたが、これをチャンスと見た者もいた。東京が死に、代わりにエデンが生まれた。 突如として現れた女帝によって造られた魔導と科学の都――帝都エデン。死都と化した東京の技術と文化が流れ込み、女帝たちのもたらした魔導と融合し、世界を動かすほどの技術革新が起きた。これはビジネスチャンスに他ならない。 当時から資産家であった源三郎は、全ての金を魔導につぎ込み、成功者となった。 しかし、源三郎はすでに息子に会社を任せ、気楽な隠居の身だと云う。 二人はベンチに座って話をすることにした。 先ほどまでなかった気配が公園中から感じられる。おそらく源三郎のSPだろう。今この時間、公園に入ろうものなら殺されるに違いない。 瑠流斗が尋ねる。 「それでボクにどんな依頼でしょうか?」 「愚息[グソク]を殺して欲しい」 「月並みな依頼ですね」 あっさりと言い放った。 瑠流斗の仕事は殺しに限る。そう、彼は殺し屋なのだ。 親族や恋人を殺して欲しいという依頼はよくある。恋人――いや、元恋人を殺して欲しいという依頼や、親族間であれば相続問題が多い。 瑠流斗は立ち上がった。 「ボクはこれで失礼します。依頼料は成功報酬としていだきます、では――」 立ち去ろうとする瑠流斗に源三郎が手を伸ばす。 「君、待ちたまえ!」 「まだ何か?」 神妙な顔つきで瑠流斗は振り向いた。 「わしに聞くことはないのか?」 「いえ、別に……」 「なぜ息子を殺して欲しいのか、その理由を聞かなくて良いのか?」 「ボクには関係のないことですから。ターゲットがどんな善人でも、ボクには関係のないことです。しかし、話したいのならどうぞ、聞きましょう」 瑠流斗は再びベンチに腰掛けた。依頼人の話を聞いてあげるのも仕事のうちだ。報酬の支払いが終わるまで、依頼人としての関係が続く。 ひとつ咳払いをして源三郎は話しはじめた。 「今のままではわしが築き上げた会社は息子に壊されるだろう。奴は経営のなんたるかを全くわかっておらん。奴に会社を譲ったのはわしの人生で最大の失態じゃ」 まあまあ月並みな話だ。 「ならば他の者に会社を任せればいいでしょう。あなたは隠居ですが発言力はあると思えます。それになにより父親だ、息子は父の言うことを聞くものです」 「息子が父のいうことを聞くような時代じゃない。発言力があるのはたしかじゃが、わしが息子を退陣させようと画策をはじめると、奴め、わしを暗殺しようと手を打ってきた」 「なるほど、歯に歯を、眼には眼を。そこでボクに息子を殺せとおっしゃったのですね」 これで理由も聞き終わった。再び瑠流斗が腰を上げようとすると、また源三郎が口を開いた。 「瑠流斗君、君は影についてどれくらい知っているかね?」 突然、なぜそんな話を……と瑠流斗は首を傾げた。 「それは科学的な見地からでしょうか、それとも別の見地から?」 「人が動けば影も動く。では、影の動きを止めれば人は動かなくなるのではないかね?」 不思議に思いながらも瑠流斗は話を繋げる。 「ふむ、影縫いという技が有名ですね」 「そのとおり、この原理は昔から考えられているものなのだよ」 「影は決して消えません。大きな闇に隠れて見えなくなることはあってもね」 「どうだね君、君に影の自由を奪うことはできるかね?」 「さて、わかりません」 できないとは答えなかった。 伸びた重い瞼で隠されていた源三郎の眼が、カッと見開かれて瑠流斗を見つめた。 「わしは君が仕事を任せるに値する人間か試した。戦いを見たわしは君が絶対の自信を持っていることを知っておる。『わからない』と答えるのは謙虚とは言わんよ、傲慢じゃ」 そう言われ、瑠流斗はなぜか口元を緩めた。 「ボクの通り名をご存知で?」 「〝宵の明星〟だそうじゃな」 「そう、宵の明星――ルシフェル」 「リュシュフェルはその傲慢な態度ゆえに天から堕とされ、輝ける栄光をも失った」 「本当にそうお思いで?」 若者の口調は少し悪戯だった。 「どういうことかね?」 「あなたは夕焼け空を見たことがないのですか?」 「質問の意図がわからんな」 「空で輝く1番星は、いったい何です?」 「金星……ルシファーだ」 「ルシファー、ルシフェル、呼び方はいろいろあります。では、答えはおわかりでしょう?」 「輝ける栄光は失っていないと?」 「さて、どうでしょう」 「君はまったくの食わせ物だな」 瑠流斗は静かに微笑んだ。 「では、あなたのご依頼はお受けいたしましょう」 「そうか、頼んだぞ」 先に立ち上がったのは源三郎だった。その背中を瑠流斗は視線で追った。 杖を突く音と、去って行く足音。 姿を見えなくなってから、静かな夜に車のドアが閉まる音が聴こえた。そして、すぐにエンジン音が遠ざかって行った。 「良いエンジンの音色だ。さすがは大富豪であらせられる影山氏――と言いたいところだが」 闇に潜んでいた殺意が、瑠流斗を目掛けて襲ってきた。 「ぐぎゃぁ!」 闇の中に木霊する悲痛な叫び。それは瑠流斗の発した声ではなかった。なぜなら、瑠流斗は涼しい声をしていたからだ。 「手加を減させていただきました」 すぐに咳き込む音が返ってきた。 「げほっ、げほっ……すまん、少し君を試すつもりじゃった」 「知っています。だから、その程度で済ませました」 瑠流斗が話しかけている方向には闇が広がっていた。ベンチのすぐ後ろにある小さな林。その中に人の気配はまったく感じられない。 「それにしては瑠流斗君、今わしは死にかけたぞ」 「ですがあなたがボクの依頼人でなければ、殺しているところです。あなたもボクを本気で殺そうとしたのですから、お互い様です」 そう言って瑠流斗は何も見えない闇の中に微笑みかけた。 源三郎は闇の中でゾッとした。 天使のような微笑であるにも関わらず、表情とは裏腹に魔性を孕んでいたのだ。 天使でも、悪魔でもない、堕天使の笑み。 「君の実力はよくわかった。これなら君に依頼を任せても心配あるまい」 「ありがとうございます。あなたの息子さんを必ず殺してみせましょう」 去ろうとする気配を瑠流斗は呼び止めた。 「待ってください。ひとつ忘れていました」 「なんだね?」 「あなたがボクを試したせいで、服がボロボロになりました。これは依頼料とは別に、のちほど請求させていだたきます」 闇の中から咳き込む音が聴こえた。笑いを堪えて咳き込んでしまったのだろう。 「……わかった、ちゃんと弁償させてもらおう。ではな」 去って行く気配は感じなかった。けれど、おそらくもういないだろう。 一人残された瑠流斗は闇の中で神妙な顔付きをした。 「影が動けば本体も動く……ではないのかもしれないな」 それは自然の摂理のはずだった。 暗い公園を瑠流斗は静かに歩きはじめた。 こんなところで時間を潰している暇はない。なぜならば、瑠流斗はまだ夕食の買い物すらしていないからだ。 深夜まで開いているスーパーに行くには、少し遠回りで帰路に着かねばならなかった。 つづく エデン総合掲示板【別窓】 |
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