Level Ⅳ 潜入
 遅い朝食の準備をはじめる瑠流斗。
 今朝は昨日の残りのカレーをパンに挿み、油で揚げたお手製カレーパンだ。それに玉子焼きとトマトジュースを加えて、朝食のセットメニューができあがった。
 昨日の夜からアリスはご機嫌斜めだった。そんなことなど気にする瑠流斗でもない。だから、そんなことになど触れず、他の話をはじめた。
「近いうちにここを引っ越すかもしれない」
「……どうしてですか?」
「君が捕まったから」
「…………」
「捕まった君を責めているんじゃないよ。君が捕まったということは、敵にここがバレているということだからね。また来られたら困る」
 朝食を食べ終え皿洗いをはじめた瑠流斗は、ため息を吐くように独り言を呟く。
「せっかく隣人が死んだのに、また引っ越さなければならない」
 瑠流斗の背後で椅子を蹴っ飛ばす音が聴こえた。
 振り向きながら神妙な顔をする瑠流斗。
「君ってそんなことする子だったのかい?」
「……わかりません。なぜか無性に蹴りたくなりました」
 アリスに蹴飛ばされた椅子は、見事に壁に当たって大破していた。椅子が飛んだ方向に、何もなかったのがせめてもの救いである。
 皿洗いを終えた瑠流斗は壊れた椅子を片付け、さっそく出かけることにした。けれど、今日はいつもの出掛けとは違った。
「行くよ、アリス」
「えっ、わたくしもですか?」
「ここに残してまた攫われたら笑い事じゃない」
「瑠流斗様のお仕事に同伴して、大丈夫でしょうか?」
「問題ないよ」
 心配の反面、なぜかアリスは気持ちが高揚した。まるでデートのような感覚。
 だが、アリスの期待は見事に裏切られた。
 貸し倉庫に連れて来られたアリスは『ここで待ってて』と言われたのだ。
 蛍光灯の明かりはある。空調もあり、エアコンもある。ただ、窓もなくとても静かな場所だった。こんな場所、まるで牢獄だ。
「嫌です」
 アリスは言った。
 しかし、瑠流斗は首を横に振った。
「駄目だよ。ここが君にとって1番安全なんだ」
「嫌です、絶対に嫌!」
「子供じゃないんだから、だだをこねるのはやめたほうがいいよ」
「子供じゃありません。でも嫌です!」
「なら電源を落とすよ、それでいいだろう?」
「それも嫌!」
「……わがままだなぁ」
 瑠流斗は難しい顔をしてしまった。
 ここが牢獄よりもマシな点は、物が多く置いてあることくらいだろう。だからと言って、それがアリスの気を引くものではない。
 数台の車とオートバイ、ハンドウェポンの類……ここは主にそう言った物の倉庫だった。
 瑠流斗はアリスとの話を諦め、デュアルパーパスバイクのエンジンを掛けていた。
「行っちゃうんですか?」
 機械人形なのに憂いを含んだ表情でアリスは瑠流斗を見ていた。
「仕事だからね」
「本当にわたくしをここに置いて行く気ですか?」
「そんなになにが嫌なんだい?」
「独りでいるのが嫌なんです」
「いつもアパートで独りじゃないか」
「違います。テレビだってあるし、外から聞こえる声、窓から景色だって見れます」
「車のカーナビはテレビも見れるから、エンジン掛けようか?」
「……瑠流斗様、大ッ嫌いです」
 ぷいっとアリスはそっぽを向いてしまった。
 その隙に瑠流斗はオートバイを走らせ倉庫を出た。
 リモコンで閉まるシャッターの向こうで、アリスは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 瑠流斗はシャッターが閉まるのをいったん止め、腕にしていたシルバーアクセサリーを外し、アリスに向かって投げた。
 見事にアリスはキャッチに失敗したが、瑠流斗は何も気にせずこう言いながら再びシャッターを閉めはじめた。
「ボクの代わりだよ。きっと君を護ってくれる」
「……瑠流斗様」
 シャッターは完全に閉められた。
 オートバイはエンジンを吹かしながら、雨の街を駆け出した。

 瑠流斗が向かったのは影山物産株式会社の本社ビルだった。影山源三郎氏が隠居して、近々社名が変更になるとの噂だ。
 目深に帽子を被り、作業服の胸にはIDカード、瑠流斗は清掃員に扮装して社内に忍び込んでいた。
 消耗品をカートで運びながら、瑠流斗は何食わぬ顔で廊下を進んだ。
 途中でカートを階段のフロアに置き捨て、階段を上ってさらに先を進んだ。
 会長がいるフロアには、直通のエレベーターを使うか、もしくは専用階段から行くしかない。
 専用階段に入る前には厳重に鍵の掛かった扉があった。
 瑠流斗はポケットからカードキーを取り出し、プッシュ式のボタンを押して暗証番号を入力した。全て手はずどおりだった。
 階段を慌てることなく登り、フロアに出てすぐに瑠流斗は通常の銃弾を放った。
 2発連続で放たれた弾丸は見張りの男2人の脳を貫いた。
 すぐに瑠流斗は天井の防犯カメラを撃ち抜いた。
 ここからは全速力で駆ける抜ける。
 風が吹くように廊下を駆け抜け、会長室の前に立っていた2人の男を銃弾で仕留め、そのままドアを蹴破った。
「動かないでもらいたい」
 すでに銃口は影山雄蔵に向けられていた。おそらく昨日の朝にあった偽者だろう。それでも瑠流斗には構わなかった。
 偽雄蔵は怯えきった様子で後退りをした。
「どうやってここに……このフロアは特別な人間しか……」
「この会社のシステムと、警備会社のシステムにハッキングさせてもらったよ。偽造ID、偽造カードキー、暗証番号も全て記憶させてもらった」
「そんなバカな……」
「バカなと言われても、現にボクはここにいる。ところで、機械人形は返してもらったけど、ハードディスクがまだだ」
 まだ下ろされていなかった銃のハンマーが下ろされた。あとは引き金を引くだけだ。
 偽雄蔵の顔から大量の汗が噴出した。今にも脱水症状で倒れそうな、蒼白い顔をしてわなわな唇を震わせている。
「ハードディスクはここにはない」
「どこにあるんだい?」
「この会社の中にはある。専門の部署でパスワードの解析中だと聞いた」
「ふむ、まだ中身を見れていないのか、残念だ。ならいいことを教えてあげよう。あのハードディスクはダミーだよ、しかも間違ったパスワードのダミーも用意してある。間違った方法、もしくは無理やり中身を見ようとすると、ウイルスが作動する仕組みになっている」
 そして、瑠流斗は銃を撃った。
 弾は偽雄蔵の腹を貫いた。
 腹を押さえて蹲る偽雄蔵の顔に苦悶が浮かぶ。
「こ、殺さないで……くれ……」
 すぐに病院に運べば助かるだろう。
 しかし、誰が病院に連絡をする?
 瑠流斗は微笑んだ。
 再び銃声が鳴り響いた。
 今度は偽雄蔵の太腿が血を噴いた。
 銃弾をリロードしながら瑠流斗は淡々と言う。
「実はね、とてもボクは機嫌が悪い」
 リロードを終え、銃弾が連続して放たれた。
 無事だった脚の膝が打ち抜かれ、両手首も撃ち抜かれた。
「部屋が荒らされたことも腹が立つが、アリス君が攫われたと知った瞬間、この喧嘩を買うと決めたよ」
 躰中を撃ち抜かれながらも、偽雄蔵は這いつくばって逃げようとしていた。
「逃がさないよ」
 銃弾が偽雄蔵の背中を貫いた。当たった場所は心臓ではなかったが、まったく動く気配を見せない。
「……しまった、間違って殺してしまった」
 そう言いながら弾切れになる前にリロードしていると、会長室に3人の男が飛び込んできた。
「会長!」
 と、叫んだ男が後頭部から脳漿を噴いた。
 銃弾はあと2発放たれ、すべて男たちの頭を貫通した。
 だんだんと死体の山が築かれてきた。
 だが、瑠流斗は不満そうな顔をしている。
「魔導関連の会社なら、それらしい戦闘法で来て欲しいものだね。例えば優秀な魔導士とか」
 会長室を出るとすぐに左右の廊下から、銃を持った男たちが駆け寄ってきた。
 男の数は5人。抜かれたオートピストルの数も同じ。ただし、撃たれた銃弾は数知れない。
 瑠流斗は構わず銃弾を全て躰で受けた。
「銃弾の無駄だよ」
 ゆったりとした動作で瑠流斗は銃弾を放ち、確実に狙いをつけて1人ずつ殺した。
 廊下は香で満たされ、静かな月のようなに瑠流斗は微笑んだ。
 このビルにいる者を皆殺しにしてやってもいいが、そこまで事を大きくして帝都警察を全面的に敵に回す必要もない。長居をすればビルを取り囲まれるだろう。
 瑠流斗は身を隠すことにした。
 屋上に出ると、猛烈な雨が降っていた。高度が高いこともあり、まるで雨は台風のようだ。
 瑠流斗は身を乗り出して隣のビルを見た。距離はおよそ15メートル、高度は10メートル下だろうか。助走をつければ瑠流斗なら飛べるだろう。
 助走をつけようと縁から下がったとき、真後ろで人の気配を感じた。
 吹き付ける雨に視界を奪われながら、瑠流斗はその男を見た。
 黒いスーツを着た男。服装は平凡だが鋭い眼と漲るオーラが、戦闘型だと物語っている。
 武器はなんだ?
 黒スーツは白い手袋を嵌めていた。そこに描かれる魔法陣。
 瑠流斗は紅い口で微笑んだ。
 先に攻撃を仕掛けたのは瑠流斗。リボルバーを抜いて通常の銃弾を放った。
 黒スーツはなにか呟き、小さな魔法壁を張る。銃弾は全てそれに弾かれてしまった。
 魔法壁が瑠流斗に向かって投げられた。瞬時にして盾が攻撃に転じ、フリスビーとなって瑠流斗に襲い来る。
 濡れたコンクリの床に飛び込み躱す瑠流斗。その一瞬に、撃ってない銃弾と空薬莢を全て抜いて、床を転がりながら呪弾を装填した。
 呪弾が放たれた。
 雨の中を呻き声が抜ける。
 黒スーツの踏ん張った足が水を四散させる。
 魔法壁が呪弾を受けた。中和されたように呪弾の呻きや叫びが消えた。
 再び放たれた呪弾もやはり防がれたが、次はすでに放たれていた。防いだばかりの魔法壁に、連続して呪弾が撃ち込まれる。
 しかし、結果は同じだった。
 黒スーツは無傷のまま。それに比べて瑠流斗の手は紫色に変色していた。腐っているのだ。驚異的な治癒力を持つ瑠流斗でさえ、強力な呪弾を使えば使うほど、呪いによって負傷して治りが遅くなる。
 中距離戦から瑠流斗は近距離戦に作戦を変更した。
 水を蹴り上げながら瑠流斗が駆けた。
 フリスビーが瑠流斗の肩を切った。通常の物理攻撃に比べ治りが遅い。
 瑠流斗は構わずそのまま黒スーツに向かっていく。
「ダーククロウ!」
 瑠流斗の手に宿る暗黒の爪。
 空かさず瑠流斗は次の魔導を詠唱する。
「シャドービハインド!」
 黒スーツの視界から瑠流斗が一瞬にして消えた。
 殺気は真後ろからした。
 振り下ろされる暗黒の爪を黒スーツは魔法壁で受けた。
 瑠流斗は笑った。ここまで敵がやるとは思わなかったからだ。瑠流斗は嬉しかった。
「人間にしては上出来だ」
 褒められた黒スーツは黙したままだった。おしゃべりは嫌いらしい。蹴りを放ってきた。
 相手の蹴りを腕で受けた瑠流斗が大きく飛ばされた。
 小さな水飛沫を上げながら瑠流斗は床を転がった。それでも瑠流斗は淡々と冷静に攻撃を見極めた。
「ふむ、靴になにか仕込んであるね」
 靴には魔石と呪文が仕込まれており、反発力が強くなる仕様になっていた。
 まだ地面に肩膝を立てている瑠流斗に向かって、黒スーツが1歩の跳躍で飛び掛ってきた。その距離は6メートル以上。通常、助走なしで飛べる距離ではない。
 空中からフリスビーが放たれた。軽い身のこなしでそれを避けた瑠流斗は地面を蹴った。
 黒スーツが地面に着地した直後に、瑠流斗はその懐に飛び込んでいた。
 魔法陣に描かれた手袋が拳を作った。対する瑠流斗のダーククロウ。
 リーチは黒スーツのほうが長い。
 瑠流斗の腹が強い衝撃によって抉られる。だが、瑠流斗はそのまま鋭い爪で、黒スーツの左胸を貫く……はずだった。
 ダーククロウは硬いなにかによって防がれ、パンチを受けた瑠流斗は後方に飛ばされていた。
 まるで焼けたように胸元が破れた黒スーツのワイシャツ。そこから覗く鋼色のプレートには呪文が刻まれていた。
 一方、瑠流斗の肌蹴たシャツから覗く腹には、紫色の痣がくっきり残っていた。さっきからやられてばかりだ。
 雨はより激しくなり、2人の男の全身を水浸しにする。
 瑠流斗は少し息を切らせていた。髪から滴った水が頬を流れ、息を吐く唇の真横を通る。いつもよりも唇の色が紅くなく、むしろ紫色がかっているように感じる。
 今殴られた腹の痣はおろか、切られた肩さえも治癒していなかった。
「雨の日は気分が滅入る」
 呟いた瑠流斗は敵に背を向けて走り出した。
 向かう先には隣のビルがある。
 逃げる瑠流斗を黒スーツは追った。だが、急に瑠流斗がビルの淵で振り返ったのだ。急に止まることができず、黒スーツはそのまま瑠流斗に飛び込んだ。
 瑠流斗は黒スーツの躰を受け流しながら、相手の腕を掴んで投げ飛ばした。
 宙に投げ出された黒スーツは断末魔をあげながら、数百メートルの地上に落下した。
 もう黒スーツの記憶は瑠流斗から抹消された。死んだ人間など興味がない。
 助走をつけた瑠流斗が隣のビルに飛んだ。まるで魔鳥のような飛空だ。
 瑠流斗はすぐに身を低くして、淵から身を乗り出して地上の様子を探った。
 警察が来ると予想されたが、それらしい車両も覆面パトカーもいないようだ。事を隠密にするために、通報されていない可能性もある。
 パトカーよりも早く、サイレンを鳴らして到着したのは救急車だった。どうやら殺したうちの誰かが搬送だれるらしい。
 しかし、ここで疑問が浮かぶ。
 確実に殺したはずだ。その場合、病院に搬送されるのではなく、警察の現場検証が先のはずだ。病死でなく殺人ならなおさらのこと。
 瑠流斗は屋上から地上に飛び降り、すぐに隠してあったオートバイに乗り、走り出す救急車の後を追った。
 あの救急車、なにか臭うのだ。

 つづく


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