Level Ⅴ フェイスオフ
 救急車は最寄の病院ではなく、少し離れた個人病院――李外科に辿り着いた。
 ここまで瑠流斗が追ってきた理由は勘だった。長い年月の間に培ってきた第六勘。人間よりも動物に近い、いやそれ以上の超感覚。
 ロビーから入れば小さな病院だ、すぐにこちらの動きが相手の耳に入るだろう。
 瑠流斗は通気口から侵入することにした。
 薬品や血の香りを鋭く嗅覚で感じ、その中に瑠流斗は偽雄蔵の臭いを感じていた。
 静かに身を潜めながら、裏路地のような入り組んだ路を進む。静かな病院内は少しの物音でも響いてしまう。 
 路の先に明かりが見えてきた。偽雄蔵の臭いが強くなった。ここが終点のようだ。
 柵状の隙間から中の様子を探る。
 看護士たちが手術の準備をしているようだった。手術台に寝かされているのは、やはり偽雄蔵。そして、なぜか手術台は2つ――もう1人男が寝かされていた。
 出頭医が手術室に入ってきた。どうやら2人いるらしい。
 死んでいる人間にしては、大掛かりな手術のようだ。
 手術台に2人いるということは、移植と考えて間違いないだろう。しかし、なにを移植する?
 メスは男の顔に入った。行なわれた手術は顔面移植手術だった。
 この手術がはじめて世界で成功したのは、およそ18か19年前のフランス。15時間に及ぶ手術で顔の下半分が移植された。歳月の経った今では、顔全体の移植も容易となり、手術時間も大幅に短縮されている。
 顔面移植とは、単純に皮膚を移植すればいい話ではない。それは顔面移植とは言わない。皮膚組織、筋肉、動脈から静脈に至るまで、骨以外を移植しなくていけないのだ。
 数時間に及ぶ手術を瑠流斗は身動き一つせず見守った。
 死亡した偽雄蔵の顔と移植先の男の顔は、別々の医師によって同時に切り離された。
 手術の間、魔導医が出血と血圧低下を抑えるため、移植先の男に念を送っている。
 完璧な顔の複製をするために、骨格も弄られているようだ。
 効率よく手術は運んだが、それでも数時間、ついに手術は完了した。
 新たな偽雄蔵が運ばれていく。おそらく特別病棟の集中治療室かどこか、術後の安定が見られるまで隔離状態だろう。
 手術の出来に興味が湧いた瑠流斗は、通気口を辿って新偽雄蔵の臭いを探った。
 すぐに新偽雄蔵が眠っている個室を見つけ出した。
 ビニールシートで囲まれたベッドで眠る新偽雄蔵の姿が、通気口の隙間から見ることが出来た。おそらく今日は目を覚まさないだろう。
 病室には医師と看護士が2人。点滴の準備などをしながら、患者の様子を観察している。
 医師が深く頷いた。どうやら手術結果は良好らしい。
 扉が閉まる音がして、医師たちが消えた後に、瑠流斗は通気口を開けた。病室に降り、眠りに付く新偽雄蔵を観察する。
 顔全体に包帯が巻かれ、その上から呪符が貼られている。おそらくこの呪符は、治癒力を上げる効果と、移植による拒絶反応を抑える効果がある。
 部屋の外から気配がした。廊下を歩く靴の音は――おそらく男の歩き方だ。瑠流斗はすぐにロッカーの中に身を潜めた。
 瑠流斗は耳に神経を集中させた。入って来た足音はひとつ。ベッドの前で止まった様子だ。
「手術は成功したかね?」
「はい、完璧です。あとは手術痕が薄くなれば人前に出られるかと」
 入って来た足音はひとつ。なのに声は二重音声だった。
 寝ていたはずの新偽雄蔵がしゃべったのか?
 それとも別の誰かがいるのか?
 瑠流斗は気配を探った。生き物の気配はなく、霊的な気配も感じない。だが、微かになにかの気配を感じる。
「どのくらいでこいつは人前に出られそうだ?」
「1週間もあれば十分かと、薄っすらと残る傷痕はメイクで誤魔化せるでしょう」
「そうか、1週間なら海外に出張ということで片付くな。包帯を取る日になったら、また連絡をくれ」
「はい、わかりました」
 瑠流斗の張り巡らされた思考は一点に集約した。そして、瑠流斗はロッカーを飛び出す。
「影山雄蔵だね?」
 その問いかけをした一瞬、今までなかった気配がした。
 瑠流斗は瞬時に辺りを見回した。医師、偽雄蔵、そしてドアに写る人影。
 ドアが開き、足音もさせずに影が逃げた。
 逃げた影を追いながら瑠流斗は呟く。
「やはり父親と同じ体質の持ち主か……」
 人影は廊下の角を曲がり、瑠流斗もすぐに後を追った。
 姿なき逃亡者。確認できるのは影のみ。だが、角を曲がると影すらも消えていた。
 気配はどこだ?
 人間の気配、死者の気配、多くの気配が混在して、影の気配が掴めない。
 まんまと逃げられた。だが、もうひとりは逃がさない。
 瑠流斗は病室に急いで戻った。病室の中を確認すると、すぐに別の場所に走った。
 大雨が降る野外駐車場。
 白衣を着たままの男が車に乗り込もうとしていた。傘すら差していない焦りようだ。この医師は雄蔵と病室で話していた男だ。
 音もさせず瑠流斗は医師の背後に立った。そして、後頭部に銃口を突きつけた。
「下手な真似をしないことが長生きの秘訣だよ」
 医師はゆっくりと両手をあげた。
 そのまま瑠流斗は医師を車に運転席に押し込み、自分は助手席に乗り込んだ。
「シートを濡らして申し訳ない」
 そう言いながら、銃口は医師に向けられたままだ。
 医師は怯えて瑠流斗と顔を合わせようとしない。
「わ、私になんの用だ?」
「本物の影山雄蔵氏と話していましたね?」
「知らん!」
「惚けるだけ時間の無駄だよ。あれは絶対に影山雄蔵だ。ボクは彼の祖父に1回だけ会ったことがある……まるで同じだ」
 固い唾を医師が咽喉を鳴らしながら呑み込んだ。
 医師は黙り込んでしまったので、仕方なく瑠流斗は話を続ける。
「雄蔵本人が君と会っていたということは、それなりの深い関係と見ていい。ボクが思うに雄蔵本人と会うことができるのは、極僅かな人間しかいないはずだ。顔面移植手術の手並みを見せてもらったけど、君はなかなかの名医だね。もしかして、雄蔵の主治医かな?」
 瑠流斗の耳には医師の鼓動が聴こえていた。明らかに心臓が脈打つ速さが変わった。
 やはり医師はなにも答えなかった。
 銃口がこめかみに付いた。
「黙秘ばかりだね。君はなぜ医者になったんだい? 早死にするためじゃないだろう」
 銃口は瞬時に下に向けられ、医師の太腿を撃ち抜いた。
「ギぃ!」
 歯を食いしばる医師。
 まだ口を閉ざそうとする医師に瑠流斗はため息を吐いた。
「動脈は外したし、病院はすぐそこだ。ボクは殺し屋だけど、人を殺さない術も心得ていんだ。銃弾はあと5発あるよ?」
 医師は出血する左太腿を押さえたまま、口を固く閉ざしてしまっている。
 瑠流斗は銃口を右太腿に向けた。
「下面打通右脚!」
 返事はなかった。そして、予告どおり右脚を撃ち抜いた。
「あと4発だよ。両手の甲を撃ち抜こうか?」
「……わかった、何でも話す」
「最初から素直に話してくれれば2発も撃たれずに済んだのに」
「煙草を吸ってもいいか?」
「どうぞ」
 医師が口に煙草を加えると、瑠流斗はZIPPOを出して火をつけた。
 少し落ち着いた表情をする医師。
「お前の言うとおり、私は影山氏の主治医だ。なにが聞きたい?」
「彼は人間ではない。いや、人間とは呼べないね……影だから。彼は影だ、影が独立した存在として活動しているらしい」
「そうだ、影山氏の正体は影だ。だから人前にでることができず、偽者を使って会社を運営している」
「その辺りまでは全部知っているよ。問題は影ではなく本体、つまり肉体はどこにあるのかということさ」
「影山氏の一族は生まれたときから影だ」
「ふむ、先祖を遡って調べたい事柄だね」
 影山雄蔵の真の姿は影。肉体を持たない影。生まれたときから影だというのだ。
「しかし、今はそれよりも知りたい事柄がある。影山雄蔵の連絡先だよ。はい、ケータイを出して」
 瑠流斗は医師に向かって手を出した。
 おもむろに医師がケータイを出そうとした瞬間、強い殺気が車内に満ちた。
 瑠流斗は瞬時に振り返ったが、間に合わない!
 咄嗟にガードした腕が闇色の刃物で斬られてしまった。
 瑠流斗の腕から黒い血が噴き出る。斬られたのは瑠流斗ではない。瑠流斗の影だ。
 黒い影は瑠流斗の真横を抜け、医師の心臓に闇色の刃物を突き刺した。
 瑠流斗が影を掴もうと手を伸ばす。だが、厚みを持たない影は、難なく車外に逃げてしまった。
 影はおそらく影山雄蔵。まだ近くに潜伏していたのだ。
 医師が持っていたケータイが消えていた。
 瑠流斗はすぐに車外に飛び出すが、動く影は見当たらない。
 大雨の中、瑠流斗の腕から流れる黒い血が、地面に堕ちて墨汁のように広がる。
「実に不愉快だ。ボクにこんな傷を負わせるなんて、ただじゃ置かないぞ」
 腕の傷は一向に塞がることなく、血の勢いも留まることを知らなかった。

 ミヤ区某所の大邸宅に瑠流斗は来ていた。
 ボディチェックをした男は瑠流斗の格好に少し変な顔をした。だが、そのまま瑠流斗はもっとも奥の部屋へと通されることとなった。
 光がまったく届かない部屋。明かりもつけずに、そこに潜む者は……?
「なんのようじゃな?」
「息子さんに不意を衝かれました」
 互いの顔すら見えない闇での会話。いや、瑠流斗の相手には最初から顔などないのかもしれない。
 瑠流斗は影山源三郎の大邸宅に来ていた。おそらく、目の前にいるのは源三郎本人。闇に紛れてなにも見えないが――。
 源三郎は低く笑った。
「その格好はなんじゃ?」
 闇の中にあっても、相手には瑠流斗が見えているらしい。
「ですから、息子さんに不意を衝かれました」
 闇の中でわからないが、瑠流斗は片手にバケツを持っていた。一向に治まらない血を、そこに溜めているのだ。
「以前にあったときよりも、顔色も優れないようじゃな」
「慢性的な貧血です。この腕から流れる血が治まらない限り、ボクは常に疲労と貧血に襲われることになるでしょう」
「病院には行ったのかね?」
「病院よりも、ここに来るのが確実だと思いまして、参上いたしました」
「賢明な判断じゃ」
 瑠流斗は脅威の自然治癒力を持っている。物理攻撃よりも、魔法攻撃が直りにくく、特別な魔法などの類となるとなおさらだ。
 しかし、今回の場合はその治癒力が仇となった。
 血がいくら流れようと死ぬことはなく、常に流れた分の血が躰で製造される――瑠流斗の体力を奪いながら。無から有は創れない。血を作るためには瑠流斗の躰にあるエネルギーが必要なのだ。
「お話し中、申し訳ありませんが、少し無作法なことをさせていただきます。このままでは顔がやつれてしまうので」
 と、瑠流斗は言って、バケツの中に手を突っ込み、中に入っていたコップで血を掬った。
 そして、それが当然の行動のように飲んだのだ。一滴たりともムダにせず咽喉に流し、バケツの血が浅くなったところで、手についた血も全て舐め取った。
「これでしばらく大丈夫です」
 暗闇の中で瑠流斗は静かに微笑んだ。
 血を作るためにはエネルギーを摂取せねばならない。流れた血を呑むことによって、循環させているのだ。
 瑠流斗は事を終えて話を続ける。
「ボクが訊きたいことはただひとつ。この傷を治す方法です。このままでは普段の生活に支障が出てしまいます」
「その傷は物理的な方法では治せんよ。縫い合わせても、なにをしても徒労に終わる」
「では魔導医に頼めと?」
「それも無理じゃな。その傷はお前さんの影が負った傷。影が負った傷は、影を治療せにゃならん」
「ふむ、ではさっそく貴方に治療をお願いしたいと思います」
 影が負った傷は影にしか治せないと、瑠流斗は判断したのだ。
 だが返ってきた答えは――。
「無理じゃ」
 切り捨てるような答えだった。
 コップに注いだ自分の血を呑み、一息ついた瑠流斗が尋ねる。
「なぜです?」
「道具がない。影を治療するには、影の道具は必要なのじゃよ」
「理にかなっていますね。その道具はどこに行けば手に入りますか?」
「以前はわしが所有しておったのじゃが、雄蔵に盗まれてしまった」
「予備はないんですか? それともそれを作っている人を紹介してもらえるとか?」
「予備はない。道具を作れる技術も持った者も、現世には存在しておらん」
「そうですか、参考になりました。それでは失礼します」
 成果はほとんどない。結局は雄蔵を探さなくてはいけないということだ。
 しかし、瑠流斗は雄蔵を探すことを中断して、別の場所に向かうことにした。
 源三郎の大邸宅を後にした瑠流斗は、片手にバケツを持ったままタクシーに乗り、瑠流斗の主治医がいる病院に向かった。タクシーの中でも幾度となく血を呑み、バックミラー越しに見る運転手の顔が不気味そうだった。
 ホウジュ区の奥にある個人病院。見た目は寂れているが、人の出入りが激しい病院だ。
 診察室に通され、簡単な診察をしたあとに瀧沼医師が言った言葉は、
「切断して、サイボーグの腕を取り付けるか?」
 だった。
 瑠流斗は呆れたようにため息を吐いた。
「それでもボクの主治医か……腕を切断したところで、ボクの腕は再生する。機械化した部位は邪魔者でしかありえない」
「ならば、切断すれば傷も消えるのではないか?」
 サングラスをした瀧沼は平然と言った。
「それはもうやったよ。腕を斬ったら、傷口ごと再生しただけだった」
「ではなぜここに来た?」
「ここが病院だからだよ」
 もっともな言い分だった。
 主治医とは言うが、瑠流斗がここに来ることは稀だ。負傷してもすぐに治る。大抵の傷や病気ではここに来る必用がないからだ。けれど、来る時に限っていつも難題を抱えてくる。
 瑠流斗の要求はこれだ。
「出た血をバケツではなく、体内に直接戻す機関が欲しいんだ。躰に針を突き刺すような輸血ではダメだよ。針はボクの躰からすぐに排泄されてしまうからね」
 例えば、瑠流斗の銃弾が躰に残っていた場合、それは自然に体外へ排出される。輸血ようの針を手首に刺しただけでも、針は自然と外に排出されてしまうのだ。腕をサイボーグにしても同じ現象が起こる。絶対的な治癒力を持つ弊害なのだ。
 そのため、傷口を縫うことも不可能だ。そもそも、この傷は縫っても塞がることはない。
 診察の最中も瑠流斗は自分の血を飲んでいた。これではろくに戦うこともできない。
 相談を受けている瀧沼はだいぶ頭を悩ませた。躰に〝刺す〟という行為以外で、血を体内に戻す方法を要求されている。
「縫うことができないのなら、テーピングで固定して、その上から強化セラミックでさらに固定するか?」
「ボクの再生力が強ければ、血液の圧力でセラミックがぶっ飛ぶね。逆なら、ボクの腕が膨れ上がって爆発」
 おそらく後者だ。そして、腕は再生する――傷を残して。

 つづく


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