龍神湖
 龍神湖に向かう途中でエノクは生まれて二度目の実践を体験していた。
「大バッタの群れに出くわすなんてついてないよね〜」
ティンカーベルは呑気な口調でエノクに話し掛けた。
「呑気に言ってる場合じゃないでしょ!?」
剣を握り締めるその手はすでに大量の汗をかき、エノクは自分の身を守るのに必死だった。
 大バッタはさほど凶暴なモンスターではない。一対一であれば大人だったら誰でも軽々倒せるモンスターだ。だが、今は一対一ではなかった。
 三〇匹ほどの体長一メートルの大バッタがエノクたちを取り囲み襲い掛かってきていたのだ。
 アリアはイリスを守りながら自分の方に襲い掛かってくる大バッタだけを倒している。あとの大バッタはエノクに任せているのだ。
「ほら、エノクいい修行になるからがんばんな!」
軽々と大バッタをなぎ払うアリアと両手を振るイリス。
「エノクさんがんばってくださ〜い!」
二人に応援されながら、エノクは剣を振るう。剣の重さはティンカーベルによって水鳥の羽のように軽くなっている。だが、剣はエノクの意思で振るわれている。
 数十分後全ての大バッタを倒したエノクは草むらに背中から倒れ込んだ。
「あ〜疲れた」
「まだまだだねぇ〜、大バッタなんてモンスターのうちにも入らないザコだよぉ」
そんなことわざわざティンカーベルに言われなくてもエノクは十分わかっている。しかし、エノクの成長振りは目覚ましいものだった
 エノクの横に近づいてきたアリアも満足そうな笑みを浮かべている。
「まあ、エノクにしては上出来だね」
 庭園を出発してから三日が過ぎたが、その三日の間、エノクは暇さえあればアリアに剣の稽古をつけてもらっていた。今回の戦闘ではその成果が出たと言える。
 だが、エノクはまだまだ満足はできない。もっと、もっと強くなって大魔王カオスを倒さなくてはいけないのだ。
 満足はできない。しかし、今の戦闘でだいぶ体力を使ってしまった。そんなエノクにアリアはうれしそうな顔をして空を指差して言った。
「ほら見なよ、キラービーが二匹飛んでるよ」
キラービーとは大きな蜂のようなモンスターだ。大抵の野生のモンスターはむやみに人間を襲うことはないが、このキラービーは人間を見つけると襲ってくる習性があった。
 二匹のキラービーはエノクとアリアを発見し襲い掛かってきた。
「ほらエノク、相手してやんな」
「あのアリアは?」
「あたしはイリスと遠くで見てるから」
と言ってアリアは一目散に逃げてしまった。その逃げる途中でアリアは振り向き、
「あの針に刺されないように気を付けな、刺されたら一時間以内に抗生剤打たないと死ぬからね」
「えっ!? 死ぬの?」
「エノク前見て!」
ティンカーベルが叫ぶ! すでにキラービーはエノクの目の前まで来ていた。しかも二匹同時にだ。
 キラービーは集団で個体を襲う習性があり、二匹のキラービーはエノクにまず狙いを定めたのだ。
 猛毒を持つ鋭い二〇センチメートルほどの針が二本同時にエノクに襲い掛かる。それを剣でなぎ払うが、防御するだけで攻撃には出られない。
 そんなエノクを見かねしまうティンカーベル。
「あのさぁ、手伝ってあげようか?」
「ちょっと黙ってて!!」
別に余計なお世話だったから怒鳴ったわけではなく、ただ、エノクに余裕がなかっただけだが、ティンカーベルにしてみれば少しムッとしてしまった。
 いきなり剣が重くなって、エノクの方がぐっと地面に引き寄せられた。
「……うっ」
急に重くなった剣を振り上げ偶然にも一匹のキラービーを真っ二つにすることができた。だが、キラービーはもう一匹残っている。
 猛毒の針がまるでフェイシングの切っ先のようにエノクに襲い掛かる。風を切る音が耳元でシュッシュッ鳴り響く。紙一重で避けているのだ。
 紙一重で避けるのは匠の技か、それとも本当にギリギリなのか――エノクは後者だった。
 わずかな段差につまずきエノクがバランスを崩したのをキラービーは見逃さない!
 猛毒の針がエノクの肩をかすり服を破いた。敵の攻撃を受けながらも、攻撃でできた一瞬の隙をまさに捨て身でエノクは一刀をキラービーに喰らわされた。
 地面に真っ二つにされたキラービーが息絶え絶えにピクピクと動いて、息絶えた。エノクもそれに合わせて草むらに膝を突き、アリアとイリスがすぐに駆け寄ってきた。
「ど、どうしましょうアリアさん!?」
「だいじょぶだって、そんなに慌てなくても」
「だ、だって一時間で死んじゃうんじゃないんですか!?」
肩で息を大きくするエノクはすでに顔を真っ赤にして、肌からは汗が大量に噴出していた。
 キラービーの毒は高熱と身体に麻痺症状を引き起こす、早く手を打たなくてはエノクが危ない。
 慌てふためくイリスに対して、アリアは至って冷静で、腰に装着してある万能ベルトから針の付いた注射器らしき物と液体の入った三センチメートルほどのカプセルを取り、カプセルを注射器に装着した。
「アリアさん何をするんですか?」
「打つよ」
そう言ってアリアはエノクの首の付け根辺りに注射器の針を突き刺した。
「絶対安静、三〇分はここから動かさない方がいいね」
「だから、エノクさんになにしたんですか?」
「龍神湖の梅の老い木から取れる伝説の実から作った梅酒を打った」
「梅酒ですか?」
酒と聞いてエノクになんで酒なんて打ったんだとイリス思ったが、アリアはその理由を簡単に説明した。
「その酒は魔力を秘めていて、大抵の病気なら簡単に治っちまうだよ」
「あーなるほど……なんでアリアさんがそんな物持っているんですか?」
「こないだ会った商人から貰った」
「そんな、すごいアイテムただで貰ったんですか?」
「ちょっと、色仕掛けしたら簡単にくれたよ」
色仕掛け――イリスには到底できない芸当で、彼女は顔を真っ赤にした。
 イリスが顔を真っ赤にしてうつむいてしまっていると、アリアが何かを見つけて大声でそれを呼んだ。
「おーい、病人がいるんだ、ちょっと乗せて行ってもらえないかい?」
イリスが顔を上げると、遠くから馬車がこちらに向かってきていた。
 馬車はイリスたちの前で止まり、中年の馬借が声を掛けてきた。
「病人がいるってほんとか?」
「キラービーに刺されて、薬は打ったが運ぶのに困ってねえ」
そう言いながらアリアは髪の毛を掻き上げながら馬借を色っぽい目つきで見つめた。
「おらぁ、竜神湖まで荷物を運びに行くんだども、荷物と一緒でいいなら後ろに乗ってけ」
「私たちも龍神湖に行こうと思ってたんですよ。よかったですねアリアさん」
「馬車だったら昼前に着くかもしれないねえ」
 アリアはエノクを担ぎ上げると馬車の中に乗り込んだ。それに続いてイリスも乗り込む。
 馬車の中には荷物がたくさん積んであったが、エノクを寝かせて、アリアとイリスが乗るには申し分のないスペースが空いていた。
 エノクたちを乗せた馬車は龍神湖へと出発し、草原を越えて、森を切り開いて作られた街道を通り、日の光で輝く龍神湖へと出た。
 周囲を森に囲まれた竜神湖。周囲二四キロメートル、面積八平方km、水深は不明。冬でも水温は三〇度近くまであり、その理由は地熱によりものだとか、いろいろと説があるが一番有力なのは湖の底に竜宮があるからだと言われている。
 竜神湖は観光名所となっており、多くの観光客が訪れ、土産屋も多く点在している。
 馬車の中で元気を取り戻したエノクは馬借にお礼を行って馬車を降りた。
「どうもありがとうございました」
「元気になって良かったな。おらぁ仕事があるから、んじゃな」
馬借は手綱を握り締め、馬車は遠くに走り去ってしまった。
 湖に向かって歩き出すエノクたち。湖の周りには観光客や釣り人が数多くいて、湖の上にはボートが何艘も浮かんでいた。
「湖って大きな水溜まりみたいなんだね」
とエノクに言われたイリスは返答に困りかねた。
「水溜まりですか? 魚とかも棲んでいますから、水溜まりというのは……水溜まりにも微生物が棲んでいて……えっと、えっと。アリアさ〜ん」
「大きな水溜まりだと思うんだったら、水溜まりでいいと思うけどねえ」
あっさり適当に答えられてしまったイリスは余計に困ってしまったが、エノクの中では湖は大きな湖だということで認識された。
 お腹をさすりながらエノクはイリスを見つめた。財布を握っているのがイリスだからだ。エノクに財布を預けると、無くしてしまったり騙し取られたりする可能性が高く、アリアは戦闘の時邪魔だからという理由で、消去法でイリスが財布の管理をすることとなった。
 イリスに財布を預けたのは正解だったかもしれない。貧乏暮らしが長かったためか彼女の財布の紐は堅い。
「まだ昼食には早いですから、もう少し我慢してください」
「え〜でもぉ〜」
だだをこねるがイリスは絶対財布の紐を緩めようとはしなかった。
「昼食の時間まで待ってください。その間にアイオンさんの情報を集めましょう?」
海の上で離れ離れになってしまったアイオンを探す。それがここに来た一番の理由だった。
 湖の周辺で釣り人に聞き込みをしたり、お店で聞き込みをしたが、アイオンを見た人や話した人はいたものの、その後のアイオンの足取りはわからなかった。
「その詩人なら私も見たけど、どこに行ったかまではわからないなあ」
若い男性はそう言いながら首を傾げた。今回も有力な情報が掴めなかったかとエノクたちが思った時、突然若者が何かを思い出したように手を叩いた。
「そうだ、あの爺さんなら知ってるかも」
「お爺さんですか?」
イリスがそう聞き返すと、若者は湖を指差した。
「湖の真ん中でいつも釣りをしてる有名な爺さんがいて、その爺さんこの湖のことならんでも知ってるんだよ。だから、もしかしたら、詩人のことも知ってるかもな」
実はエノクたちはそのお爺さんのことを別の人からも聞いていた。みんな口々にそのお爺さんなら知っているかもしれないと言っていたのだ
「やっぱり、その爺さんに会いに行こうかねえ?」
アリアは髪の毛を掻き上げながら、親指で自分の後ろにあるボートを指差した。それにエノクとイリスは頷くと若者に軽く頭を下げて、ボートに乗り込んだ。
 ボートを漕ぐのはエノクの役目だった。
 水面上をゆらゆらと進み、先ほどの若者が指差した老人の乗るボートの近くまで来ると、老人の方から声を掛けてきた。
「わしに何か用かな?」
エノクをボートを漕ぐのを止めてボートから身を乗り出した。
「あの、数日前にここに来た詩人を探しているんですけど、何か知りませんか?」
「お前さんたちが探しているのは、アイオンと言う詩人のことじゃろ?」
「はい、そうです、でもなんで……?」
でも、なぜ、すぐにアイオンを探していることを言い当てたのか?
「不思議な顔をせんでもいい。アイオンと言う詩人からやがてエノクという青年がここに来るかもしれないと聞いておった」
「アイオンは今どこにいるんですか?」
周りの見えなくなってしまったエノクはボートから落ちそうになるくらいに身を乗り出していた。
「エノクさん、落ちますよ!」
イリスに服を引っ張られながらエノクは身を引っ込めた。
「あ、ごめん、つい夢中になって、でもアイオンは今どこに?」
「その詩人は三日前にこの湖に来て、今は七英雄のひとり竜王ザッハの住む天昇山(テンシヨウザン)に向かっているところじゃろう」
その話を聞いてエノクはすぐさまオールを取ってボートを漕ぎ出そうとしたしかし、老人がそれを止めた。
「まあ、急ぐ気持ちはわかるが、お前さんたちには来てもらいところがある」
「どこにで……」
エノクの言葉は途中で止まってしまった。老人に変化が起きたのだ。
 老人の身体は光に包まれ、その光が治まるとそこにいた筈の老人は大きな年老いた亀になっていた。
 亀は杖をつきながら二本足で立っていて、人間の言葉までしゃべったのだ。
「竜宮まで案内する」
大亀が杖を天高くかざすと、エノクたちの身体はシャボン玉のような膜に包まれ水の中に没してしまった。
 水の中を泳ぐ亀の後ろを泡に包まれて導かれるようにして付いていくエノクたち――。
 湖の底は深く、けれどもすごく水が澄んでいるのでどこまでも見渡せて、魚たちがたくさん泳いでいるのが見える。
 エノクたちを引きつれ亀は湖の底へ、深く深くまで潜ってゆく。やがて、エノクたちの目に信じられない光景が飛び込んで来た。
 湖の底に存在する宮殿。――竜宮。
 アリアは記憶の糸を辿った。
「(まさか、本当に湖の底に宮殿があるなんてねえ)」
アリアは竜宮の伝説を父と母から以前ここに来たときに聞いたことがあった。だが、まさか本当に湖の底に宮殿があるなど信じてもいなかった。
 竜宮は確かにアリアの目前に存在していた。そして、徐々に建物は大きくなりやがて竜宮に吸い込まれるようにして中へと入って行った。


アルティエル戦記専用掲示板【別窓】
■ サイトトップ > ノベル > アルティエル戦記 > 龍神湖 ▲ページトップ