偽りの貴女
 ふと目が覚めた。ベッドの上で――。
「えーと、たしかアリアにやられて……そうか、屋敷のベッドで休ませてもらったんだきっと」
ベッドから飛び降りたエノクは窓の近くまで行き外の景色を眺めた。
「夜になっちゃたのか」
外は真っ暗で、だいぶ長い時間気を失っていたらしいことがわかる。
 まだまだ眠い目をこすりながらエノクはもう片方の手でお腹を擦った。
「少しお腹が空いてるかも」
ぐぅ〜とお腹が鳴いた。たしかにお腹が空いてるらしい。そこでエノクは部屋の外に出て食べのもを少しもらうことにした。
 ドアを開けろうかに出た。屋敷内は静けさに満ち溢れていた。
「もう、だいぶ遅い時間なのかな?」
気を失ってしたので時間の感覚があやふやになってしまっている。だが、この静けさから考えて、みんなもう寝てしまっているのかもしれない。それとも屋敷が広いのでエノクのところまでしゃべり声などが聞こえてこないのかもしれない。結局のところ時間はさっぱりわからない。
 時計をまずは探そうとエノク考えた。もし、深夜だったら食べのもをわざわざ催促するのは少し気が引けるからだ。
「時計、時計、時計……どこかで見た記憶があるんだよね。あ、そうだ!」
食卓にたしか柱時計があったことを思い出した。ここが二階だということは先ほど窓から外を見たのでわかっている。
 廊下は一本道なので、このまま行けば階段があるに違いない。だがしかしエノクの足は止まった。
「……人の声?」
右手にある開かれた窓の外から男性の声が聞こえた。エノクは窓の外を覗いて見た。 
 静かな漆黒の空の下、屋敷の裏庭に咲く夜香草の中で男女が二人見詰め合っている。ひとりはディートリッヒ、もうひとりは……!?
「(あの人は!?)」
女性の顔を見たエノクは息を潜め目を大きく見開いた。そこにいた女性にエノクは見覚えがあった、……だが、実物を見たわけではない、絵の中でその女性を見た。
 微笑を浮かべる女性の白い手がディートリッヒの頬にやさしく触れる。
「ディートリッヒ、今宵も会いに来てくれて本当にうれしいわ」
「当たり前さ、貴女がいなければ僕は生きていくことができない」
「ああ、ディートリッヒ」
 エノクは思わずその場にしゃがみ込み窓から見えないように自分の姿を隠した。
 息を潜めつつ、――けれで本当は声を出したかった。
「(だって、あの人死んだんじゃないの?)」
亡霊か、それとも別のものか? エノクが目にした女性は絵画に描かれた女性と瓜二つ。だが、その女性はディートリッヒの言葉が正しければ”亡くなって”いる筈である。
 恐る恐るながら窓枠に指をかけてゆっくりと頭を出し、窓の外を見る。ちょうど外ではディートリッヒと女性が抱き合うシーンだった。
 ディートリッヒは目を瞑り自分の妻であるユリアのことを抱きしめていた。決して放しはしない、力強く、強く抱きしめていた。
 月明かりは二人だけのためにある。その光景を外の世界から眺めるエノク。
「(見てちゃまずいかな?)」
そんなことを考えていたエノクは再び自分の目を疑った。
 ユリアの身体が突如別のものに変わった。――青白い鱗に覆われた身体から伸びる足の代わりにあるとぐろ巻くしっぽ。
「(モンスター!?)」
そうエノクが思った次の瞬間、怪物とエノクの視線が重なった。怪物はすぐさま忽然と消えてしまった。
 残されたディートリッヒは異変に気づき辺りを見回した。だが、ユリアの姿は消えてしまっていて、その代わりにふと見上げた窓にエノクが自分のことを見ていることに気づいた。
「あ、あの見る気はなかったんですけど……」
少し気まずそうにエノクがしゃべり始めたが、ディーットリッヒは恐い面持ちで視線を逸らし無言でその場から立ち去ってしまった。
「隠れて見てたのは悪かったけど……」
だが、あれは確かにモンスターだった。蛇のような下半身を持ち、上半身は女性の身体だの怪物。きっとラミアやメデゥーサと呼ばれる蛇の化け物たちの仲間かもしれない。
 すぐさまエノクは屋敷の裏庭へと急いだ。すでにお腹のことなど頭にはなかった。
 白く底の丸い筒型の花を咲かせる夜香草。芳しい匂いが風に乗り大地を駆け巡る。
 裏庭には怪物のいた痕跡は全く残っていなかった。それでもエノクは根気強く辺りに何かがないか捜し歩いた。
 だが、結局何も見つからなかった。仕方なくエノクは自分の部屋に戻ることにした。
 ベッドの中にもぐり、怪物のことを考えてみる。そして、やがて意識が薄れ深い眠りに落ちてしまった。

 翌朝、エノクが起きるころにはすでに朝食の準備は終わり、他の者は皆朝食をとっていた。
 エノクは椅子に座り少し不機嫌そうな顔をして言った。
「どうして、起こしに来てくれなかったのさ?」
この発言は朝食をみんなが先に食べていたことによる不満だ。それを聞いたイリスはすごく慌てた。
「あ、あの、それがですね。エノクさんを私が起こしに行こうとしたらアリアさんが……」
わなわなしてしまっているイリスはアリアの方を向き、エノクもそれに合わせて振り向いた。アリアはちらっと二人のことを見て食事を続けながらしゃべった。
「どうせ腹が減ったらエノクのことだから降りてくると思ってさ」
「ぼくのこと食い意地が張ってるみたいに言わないでよ!」
「みたいじゃなくて、そうだろ?」
「……うっ」
反論はできなかった。エノクには自覚があった。昨晩だって、お腹が空いて、それで……。
「あ、そうだ!」
エノクはあることを思い出した。そして、ディーットリッヒに視線を向ける。だが、彼は気づかないのか、無視をしているのか無言で食事を続けている。
 イリスはある疑問が頭の中に生まれていた。
「(どうしてディートリッヒさん、エノクさんが来たら突然無口になちゃったのかな?)」
そう、ディーットリッヒはエノクが食卓に来る前までは昨日と同様にイリスやアリアと会話を楽しんでいた。それがエノクが来た途端にピタリと口を閉ざしてしまった。
 そのことについてはアリアも気づいている。だが、気には留めるが、深く詮索しようとは思わない。
 エノクは昨日のことを聞こうとしたが、ディートリッヒはナプキンで口元を拭うと、使った食器を持って台所に行ってしまった。
 明らかにディーットリッヒはエノクのことを避けていた。昨晩のことで起こっているのか、それとも触れられたくないのか?
 食事の手を止めイリスがエノクのことを真剣な眼差しで見つめた。
「エノクさん、ディーットリッヒさんと何かあったんですか?」
どうしても気になってしまった。こういうことを目の前にするとイリスはいてもたってもいられなくなる。お節介や余計なお世話と言われるかもしれないが、イリスは少しでも自分が人の役にたてればと思ってしまう。
 正直エノクは昨晩のことを話すかどうか迷っていた。もし、ディーットリッヒが自分が覗き見たことに怒っているのならば、他言するのは控えたいし、けれど怪物のこともある。そもそもディーットリッヒは妻だと思っている者の正体が怪物だということを知っているのか? 知っていながらも怪物と……それとも騙されているのか?  エノクが見たのは二人が抱き合っているのだけで、怪物がディーットリッヒを襲おうとしている場面ではなかった。
 結局エノクは昨晩見たことは語らなかった。
「別に……昨日はずーっと寝ていたから」
少し言葉に詰まった。そのことに気づいたイリスは疑いを抱く。
「本当にですか? エノクさん嘘ついてますね?」
嘘をついているとイリスは断定した。それほどエノクは気持ちの動揺などが身体に出てしまっているということだ。
 少しの間沈黙してしまったエノク。彼は言い訳や嘘が得意ではない。
「……もう少しぼくの中で結論が出たら話すから、今は聞かないでくれるかな?」
それ以上は何も語らない。食事を終えてもなおエノクは何も語らなかった。
 空いたお皿を他人の分までイリスは回収して、台所へ運んでいった。エノクとアリアがこの場に残された。
「結論は出たかい?」
テーブルに両ひじを付きながらアリアは聞いた。その態度は興味がないのにわざわざ聞いた感じがする。そうアリアには興味はなかった、けれどいちよう聞いた。エノクが聞いて欲しいような顔をしていたからだ。
「今のままじゃ結論は出ないと思う、頭の中だけじゃ無理なんだと思う」
「なら、行動に出てみな。あたしにあったことをそのまま話してみるとか」
「うん、そうだね」

 台所についたイリスは辺りを見回したがディートリッヒの姿はなく、洗い終わった食器が乾かしてあるだけだった。
「ディートリッヒさん……いないのか」
本当はディートリッヒと話したいことがあったのだが、台所には姿が見当たらなかった。
 仕方なく洗い物を始める。ディートリッヒには食べ終わったら流し場にそのまま置いておくように言われたが、イリスにはそんなことはできない、お世話になりっぱなしは悪い気がしてしまう。
 食器を洗い再び食卓にイリスが戻るとエノクとアリアが何かを話し終えたあとで、席を立ちどこかに行こうとしている最中だった。
「イリスも来るかい?」 
「え、どこにですか?」
いきなりアリアに来るかと聞かれて、イリスは戸惑ってしまった。どこに行くかもわからないのに行くとは言えない。
「エノクと一緒に探索に行こうと思ってね、イリスも来るかい?」
「あ、私はいいです。お二人で行って来てください」
とくに断る理由もなかったがイリスはとりあえず断った。
「じゃあぼくたちちょっと出かけてくるから」
「行ってらっしゃい」
エノクとアリアはイリスの前から姿を消した。残されたイリスは何もすることがなく貸してもらっている部屋に戻ることにした。
 階段を上りながらふと考えごとをする。
「朝食を食べたら出発するって言ってたのに」
本当は朝食を食べ終えたあとすぐにこの屋敷を出る予定だった。でも、アリアはそんなことなど忘れてしまったのか、エノクと一緒に出かけてしまった。
「自由気ままな人……」
そう呟き廊下の窓から見える景色をふと眺めた。
 そこには屋敷の裏には広がる庭園が広がっていた。でも、屋敷の正面にあった庭園とは違いこぢんまりとしていて、花もつぼみで咲いていない。少し寂しげのする庭園だ。
 ぼーっとしながらイリスが流れる雲を見ていると、裏庭にエノクとアリアがやって来た。
 エノクは地面を指差してアリアに説明している。
「ここら辺にいたんだよ二人が」
「で、エノクに気づいた化け物はどっちに逃げていたんだい?」
「逃げて行ったんじゃなくて、消えちゃったんだよここで」
二人の会話はイリスの元まで届きはするが、イリスには何のことを言っているのかまでは理解できなかった。
「(二人ともそこで何してるんだろ?)」
 やがてエノクとアリアはどこかに行ってしまったのでイリスは再び部屋へと歩き始めた。
 部屋についたイリスはベッドにどっしりと腰掛けた。
「私も行けばよかったかな?」
二人が裏庭で何をしていたのかとても気になってしまった。でも自分がついていったら足手まといになるだけだと思い、少し気分が沈んだ。
 昔からそうだった。人のためなどに何かをしようとすればするほど、回りに迷惑をかけたり、自分が足を引っ張ってしまっていた。愚図でのろまで小さい頃からよく男の子にからかわれいた。自分が何かの役に立つなど到底思えない、今だって本当はエノクの旅に着いてきてしまって、きっとエノクは迷惑しているに違いない。でも自分はひとりじゃなにもできなくって……そんな自分がイリスは嫌いだった。
 部屋の中で何かがガタっと動くような音がした。すぐに目をやるが何もない。不審に思いそこに近づいてみるが変な所は何もなかった。
 部屋全体を見渡すがやはり何もない。けれどイリスは感じていた。
「誰かいるの?」
思わずそう聞いてしまった。目には見えないけれどイリスは何かの存在を感じていた。
 誰かに見られているような気がする。けれど、部屋には自分以外いない。ではこの感覚は?
 イリスはこの屋敷の中に初めて入ったときも今と同じ感覚を感じていた。誰かに見られている。その時はすぐに消えてしまったので気のせいだと思い、それ以降は忘れていた。けれど……。
「(今度は気のせいなんかじゃない、ずっと誰かに見られている感覚が続いてる)」
ガタッ!! 何かが動いたような音が再びした。すぐにそこを振り向くがやはり何もない。
 風が吹いた。イリスの背中の辺りを通り過ぎるような風が吹いた。
 不信感が増した。風を感じた。けれど、窓もドアも閉まっていて、風が吹き込む場所など存在しなかった。
 今度はガタガタと部屋中の物が目ではっきり確認できるほどに揺れた。それは三秒ほどで治まり止まった。
「誰かいるんでしょ?」
呼びかけには誰も反応しない。そして、イリスの感じていた気配はどこかに消えてしまった。
 ことの終えたイリスは急に恐くなり、部屋を飛び出して行った。


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