貴女に贈る花束
 書斎で本を読むディートリッヒの前にエノクとアリアが現れた。
「何かご用でしょうか?」
本にしおりを挟み膝の上に乗せた。エノクの表情からしてこの二人が自分のところに来た理由は察しが付く。が自分から話すようなことはしない。
「あたしたち本当は今朝旅立とうと思ってたんだけどね、今日一日お世話になっていいかい?」
「そのようなことでしたら、何日でもごゆっくりして行ってください」
笑顔を浮かべるディートリッヒであったが、エノクがしゃべった途端に警戒の色を浮かべた。
「あの、昨晩のことなんですけど?」
「昨晩ですか?」
「屋敷の裏で会っていたのは誰です?」
「屋敷の裏で? 昨晩は屋敷の裏など行ってはいませんが……夢でもご覧になられたのでは?」
正直夢だと言われてしまっては身も蓋もなかった。もしかしたら夢かもしれないとエノク自身も半信半疑だったからだ。
 口を摘むんでしまったエノクを押しのけアリアが一歩前へ出た。
「あんたの会ってた奴がヘビ化け物だってことは知ってるのかい?」
「ば、化け物なんてとんでもない!! あれは僕の妻だ!! ……くっ」
突然ディートリッヒが顔を伏せて口を閉ざした。いつ怒りのあまり口が滑ってしまった。
「やっぱり、会ってたんじゃないか? でも、あんたの妻は死んだはずだろ?」
「もう、何も聞かないで頂きたい。もし、これ以上何を言われるのであれば、すぐに屋敷を出て行ってくれ!」
怒鳴り声に押されるようにしてエノクとアリアは部屋をあとにした。
 部屋に残ったディートリッヒの心には動揺が残った。
「(あれは僕の妻だ。ユリアがこの世に戻ってきてくれたんだ)」
ディートリッヒはあれが妻だと信じて疑いもしない。彼はユリアがヘビの怪物に変じたことを知らない。

 部屋を飛び出したイリスは何かに襲われていた。そして、ついに廊下の隅へと追いやられて身動きが取れなくなってしまっていた。
「何なんですか?」
目にに見えない何かに訴えかけるが答えは返ってこない。代わりに何かがイリスの身体に飛び込んで来た。
 薄れてゆく意識の中でイリスはやさしい女性の声を聞いた。
「ごめんなさい、手荒なまねをしてしまって……少しの間、身体を貸してもらいます」
ぷっつりとイリスの意識は途切れた――。

 時間が過ぎていき、各自屋敷の中でゆったりとした時間を過ごした。
 夕食の時間になり、エノクの部屋のドアを誰かが叩いた。
「エノクさん、夕食の準備ができましたよ」
その声はイリスのものだった。
 エノクはすぐさまベッドの上から飛び上がり、ドアを開けた。
「夕食の準備ができましたから、エノクさんも早く下に来てください。アリアさんはもう下で待ってますよ」
「あ、うん、すぐに行こう」
 食卓に行くとアリアとディートリッヒが楽しそうに会話をしながら、エノクとイリスを待っていた。
 部屋に入ってきた二人を確認したアリアは、
「じゃあ、食べようか」
と言って、二人が席についたのを確認して料理を口に運んだ。エノクも料理を口に運んでうれしそうな顔をした。
「このグラタンおいしいよ」
「あ、それ私が作ったんですよ」
今日の夕飯はイリスも手伝いディートリッヒと一緒に作ったものだった。
「イリスさんは料理がとてもお上手で助かりましたよ」
ディートリッヒに笑顔を贈られたイリスはうれしそうに顔を真っ赤にした。
「そ、そんなほとんどディートリッヒさんが作ったんですよ。でも、アリアさんも一緒にどうですかって誘ってんですけど……」
「あたしは料理は苦手でねえ」
「ふ〜ん、やっぱりアリアは料理が下手なんだ」
エノクの腹に横に座っているアリアは肘打ちを喰らわした。
「やっぱりはないだろ? あたしは苦手なだけで、うまい料理なんていくらでも作ろうと思えば作れるさ」
「本当ぉ〜?」
エノクは肘打ちを喰らってもなお、アリアの顔を細い目をして見ていた。
「まだ疑ってるのかい、あんたは?」
「当たり前だよ。じゃあ明日の朝食はアリアが作ってよ」
自慢げにアリアは鼻で笑い、エノクを高い視線から見下ろした。
「ふふ〜ん、望むところじゃないか、明日の朝食はあたしが作ってやろうじゃないか!」
「アリアさんが明日の朝食作ってくださるんですか!? 楽しみです!」
両手を合わせているイリスに見られて、アリアはしまったと内心思った。エノクには啖呵を切ったが、本当は料理なんてものは生まれてから一度もしたことがなかった。
「(まずいね、今からなかったことにしてくれなんて、頼めやしないよ)」
ふとアリアが横を見るとエノクが子憎たらしい顔で自分のことを見ていた。
「楽しみにしてるよ」
その言い方もどこか悪意の感じられる憎ったらしい言い方だった。
「うまいもんで腹いっぱいにしてやるよ」
「僕も楽しみにしてますよ」
ディートリッヒは笑顔を浮かべながらアリアのことを見ていた。アリアはもう後戻りはできなかった。
 このあとも明るく和やかな会話は続き、エノクとディートリッヒのわだかまりもいつの間にかどこかに行ってしまっていた。
 食事のあとも四人は会話を楽しみ、やがて夜も更けて来て各自は部屋に戻って休むことになった。
「皆さんとお話しできてとても楽しかったですよ。では、おやすみなさい」
三人はディートリッヒにお休みの挨拶をして、二階の部屋に戻ることにした。
 部屋に戻ったエノクがベッドの上に寝っ転がり、ぼーっとしていると、コンコンと誰かが部屋をノックする音が聞こえた。
 誰が尋ねて来たんだろうと思ったエノクはベッドから飛び起きて部屋のドアを開けた。すると、そこにいたのはアリアだった。彼女の腰には剣が掛けられていた。
「どこか行くの?」
「どこか行くのじゃないよ、見張りに決まってんだろ?」
「はぁ?」
「ディートリッヒが深夜どこかに出かけないか見張るんだよ」
「ああ、って見張り!?」
エノクは思わず大きな声を上げたが、すぐにアリアが口を手で塞いだ。
「しーっ、大きな声上げるんじゃないよ」
ゆっくりとアリアの手がエノクの口から離された。
「だってさぁ」
「見たんだろヘビの化け物? だったら、行くよ!」
腕を掴まれエノクは強引にアリアに引きずられるようにして連れて行かれてしまった。

 薄暗い家の中で身を潜めてディートリッヒが現れるのを待つ二人。
「ねえ、もう眠いから止めようよ」
「しーっ、黙ってな」
大きな玄関ホールの物陰でアリアは目を凝らしてディートリッヒが現れるの待った。すると、足音が聞こえ人影が現れた。
 人影は案の定ディートリッヒで、彼は辺りを用心深く見回しながら屋敷の外へ出て行った。どうやら警戒されてしまっているらしい。
 屋敷を出て行ったディートリッヒのあとをすぐさま二人は追った。
 月明かりの下を静かに身を潜め歩くディートリッヒは、辺りに注意を払いながら時折後ろを振り返ったりして、屋敷の裏へ足を運んだ。
 エノクとアリアはディートリッヒに気づかれぬように慎重にあとを追う。そして、ディートリッヒが目的地に着き足を止めたのと同時に物陰に隠れて様子を窺った。
 ディートリッヒは小さな声で何か叫んでいた。
「ユリア、今宵も貴女に会に来てしまった」
すると、ユリアがすぅっと姿を現した。
「ああ、ディートリッヒ今宵も貴方に会えて私はどんなに胸が弾むことか」
「僕もユリアに会えてうれしい、けれど昨晩僕らのことをエノクという青年に見られてしまったんだ」
「知っております。けれども案ずることはありませんわ」
「けれど……」
ディートリッヒは口を噤んだ。
「どうしたのです?」
心配そうな表情を浮かべるユリアにディートリッヒはあのことを話した。
「貴女のことをヘビの化け物だと言われた」
「そんな私がヘビの化け物だなどと!?」
「わかっているよ、ユリアが化け物であるはずがない」
「だったら、すぐにでも追い出してください」
物陰から誰かが飛び出して来て、ディートリッヒとユリアは驚いてしまった。
「その人はユリアではありません」
物陰から出てきた人物はユリアに指を差し断言した。この人物はイリスだった。
 これに驚いたのはエノクとアリアもだ。まさかイリスが現れるとは思ってもみなかった。そこで仕方なくエノクとアリアは物陰から出て行った。
「まったく、なんでイリスがいるんだい?」
アリアは髪の毛を掻き上げながら、そうイリスに聞いた。
「私はディートリッヒに目を覚まして欲しいのです」
この口調はいつものイリスとは少し違っていた。声は同じでも違う人がしゃべっているようだ。
「僕に目を覚まして欲しい? 何を言うんだ、ここにいるのはユリアだ。そうだろユリア?」
不安そうな顔をしたディートリッヒに顔を向けられユリアは深く頷いた。
「私はユリアです。私はディートリッヒの最愛の妻です」
「嘘です、あなたはユリアではありません」
イリスは断固とした口調でそう言うと、ぶつぶつと何かを唱え、ユリアを凛とした眼差しで睨んだ。すると、ユリアの身体に変化が起きた。
 そこにいるのはすでにユリアではなくヘビの怪物であった。それを見たディートリッヒは恐れおののき腰を抜かしながら後退った。
 悲しそうな目をするヘビの怪物。
「ディートリッヒ様……貴方には知らないままでいてもらいたかった」
怪物の顔が一転して狂気の相を浮かべてイリスに襲い掛かった。が、突如イリスの前に現れた光の壁にぶつかり遠くに吹き飛ばされてしまった。
 息を荒げながら地面に倒れこむ怪物の顔には依然狂気が浮かび、半狂乱になり近くにいたアリアにその牙を向けた。
 怪物は鋭い爪を振りかざしアリアに襲い掛かる。
 土の上を滑るように移動しながら剣を抜き、襲い掛かってきたヘビの怪物に一刀を喰らわした。
 斜めに裂かれた胸から血が噴出し、ヘビの化け物は地面にひれ伏した。
「私はディートリッヒ様に憧れていた。……だからユリアの死んだあと、私が彼女の代わりになれればと……」
そう言ってヘビの化け物は息を引き取った。
 地面に膝を付き魂が抜けてしまったようになってしまったディートリッヒにイリスがやさしく手を差し伸べた。
 ディートリッヒの目が見開かれ、涙が頬を伝って地面に零れ落ちた。
「……ユリア?」
そこにいたはずのイリスはいつの間にかその姿をユリアに変えて、ディートリッヒに手を差し伸べていた。
「ディートリッヒ、貴方はここにいるべきではないわ。さあ私の手を取って……」
差し伸べられた細い手をディートリッヒはやさしく掴んだ。二人の男女が天へ昇ってゆく――。
 イリスの身体から白い翼を生やしたユリアが離脱し、両手を背中に回しディートリッヒの身体をやさしく包み込み、光柱の中を昇天して夜空の闇に消えて逝った。
 風になびく夜香草が淡い光を放ち、二人の男女を見送った。そして、屋敷は見る見るうちに風化していき廃墟と化した。
 何が起きたのかとエノクとアリアは顔を見合わせ、地面に倒れ気を失っているイリスに気づきすぐにアリアが駆け寄る。
「イリスしっかりしな!」
「……う、ううん……アリアさん!? え、あの、どうして私はここにいるんですか!?」
イリスも自分の置かれている状況についてわかっていないようだ。自分が今なにをしたのかもわかっていない。
「あたしもよくわかんないんだけどねえ、イリスが突然ディートリッヒの奥さんに変わって一緒に空に昇っちまったんだよ」
「……何かに襲われて……それで、『身体を貸してもらいます』って聞こえたと思ったら……それから記憶がなくて?」
「さっぱりだね、今回の事件は?」
二人の会話を聞いていたエノクも首を傾げ、あることに気づいた。
「あの、どこで野宿しようか?」
屋敷はすでに廃墟と化して、壁が少し残っているだけだった。その周りには広大な庭園が前と変わらぬまま残っていた。
 辺りを見回したアリアが髪の毛をかき上げ、ため息を吐きつつ言葉を漏らした。
「……今晩は花畑の真ん中で野宿だね」

 翌朝三人は旅の商人と出会い奇妙な話を耳にした。
「あの屋敷の旦那はな、病気で死んだ妻の後追い自殺をして数年前に死んだんだが……」
「え、今なんて言いました? 死んだって言いましたよね?」
エノクは目を丸くして、後ろにいた二人の顔を見た。屋敷の旦那、つまりディートリッヒは数年前に死んでいるとこの商人は言っているのだ。
「言った、言った、あそこの旦那は数年前に亡くなってるよ。でな、この辺りじゃ有名な噂話なんだがな、その旦那の幽霊が出るっていうんだよ、これが」
この話を聞いた三人は蒼い顔をしてしまったが、そんなことにはお構いなく商人は話を続けた。
「俺は直接見たってわけじゃねえが、旅人がよくその旦那に会って食事に招待されて廃墟のはずの屋敷で……どうしたんだ? 三人とも顔が蒼いぞ?」
三人は顔を見合わせて黙ってしまった。
「おまえら、もしかして!?」
「あ、あのスープおいしかったですよね?」
イリスが二人に言葉を投げかけた。二人はひとつ頷くだけで口は開かなかった。
 今度は商人が蒼い顔をしてしまった。
「食事に招待されたのか? ま、まあ、そこに棲んでる幽霊は旅人を歓迎してくれるだけのいい幽霊だからな……おまえらだって、現にぴんぴんしてんじゃねぇか、な?」
すでに三人には商人の言葉など耳に入っていなかった。まさかディートリッヒまでもが幽霊だったとは思いもしなかった。これが三人の今の気持ちだ。
 エノクたちの巻き込まれた幽霊騒動以来、あの場所で旅人がディートリッヒの幽霊に出会い食事に招待されることもなくなった。ディートリッヒは今は天に昇りユリアと幸せに暮らしているに違いない。イリスはそう心に願った。


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