第1話 仔悪魔ちゃん勝手に召喚!

《1》

 ○月×日(晴れ)。
 平凡な住宅街の風を全身で受け止めながら自転車で疾走する、真央直樹(まおうなおき)こと中学二年生(♂)。苗字が真央ってだけで女の子によく間違われるのに、顔まで女顔ってことが人生最大の悩みらしい。
 今日も生きてるって素晴らしいなぁ、なんて思いながら学校から帰宅中。この先に待ち受ける悪魔の罠を彼はまだ知る由もない。むしろ、知ってたらエスパー。
 いつも通り自宅に帰宅した直樹は、いつも通り自転車を止めて、いつも通りポストのチェック。そして、運命的な出会いが待っていた。
「なぜカップラーメン!?」
 思わず声を荒げる直樹。おそらくご近所さんに聞こえてしまったくらいの大声。
 なんと、ポストの中にはカップラーメンが入っていたのです!
 まさにアンビリバボーな出来事に直樹はカップラーメンを手に取って顔をしかめる。
「アジアン風脳ミソところてん風味、十五パーセント増量中……?」
 どんな味だよ!
 ポストに得たいの知れない物体が入っていた場合、まず考えられるのがイタズラ。となると、毒が入っている場合や得たいの知れない物が混入している場合がある。だが、直樹は意外な決断を下した。
「食ったらうまいかも」
 ちょうど小腹も空いていたことだし……ってそういう問題かっ!?(ノリツッコミ)
 カップラーメンを持った直樹は意気揚々と玄関を潜り、そのまま直に台所にレッツ・ゴー!
 ふたを折り線までめくって、中に入っていた粉末スープと調味油を入れる。なかなか本格的。
 ポットからお湯を注いで三分待つ。
 ――一分経過。
 ――二分経過。
 ――三分待たずにふた開ける。
 直樹は固い麺が好きなので、いつも二分ほどでふたを開けるのがいつもの食べ方。
 めくられたふたの中からモクモクと煙が立ち昇る。通常ではありえない湯気の多さに直樹は思わず咳き込む。まさか、本当に劇物でも入っていたんじゃ……?
 やがて湯気は治まり、世界が晴れてくると、テーブルの上に置いてあるカップラーメンすぐ横に着替え途中の少女がいるありませんか!?
 推定年齢直樹と同じくらいの小柄でチョー可愛い少女。ちなみに純白のパンティーにクマさんプリントがれていることを直樹はチェック済み。
 二人の視線が合ってしまい、少女は顔を赤らめた。
「あっ……」
「マジックショーかっ!」
「三分って書いてあったでしょ〜っ!」
 叫び声をあげた少女の怒りの鉄拳が直樹の顔面を直撃。
 鼻血とともに放物線を描いて直樹の身体が宙を舞う。
 顔を膨らませた少女は怒ってカップラーメンの中に帰って行く……帰って?
「カップラーメンの精か!」
 直樹は鼻血をボトボト垂らしながら床に尻餅を付き、カップラーメンに向かってツッコミを入れますが、声が台所に響いただけで返事はない。ちょっぴり寂しい気分になります。
 へっぴり腰で恐る恐るカップラーメンのふたに手をかけた直樹。
 まさに決断の時――ふたを再び開けるか否か?
 直樹の手がぶるぶると震える。この手で肩をマッサージされたらきっと気持ちぃ。
 意を決した直樹がふたを勢いよく開けると中から再び煙が立ち昇り、その煙に映る少女のシルエット。
「呼ばれて飛び出てチャチャチャチャ〜ン!」
 カップラーメンの中から美少女登場。ちなみに着替えは完璧に済んでおります。
 テーブルの上に仁王立ちするミニスカ少女の手には、魔法使いが持っていそうな古めかしいホウキが握られているが、直樹の注目しているポイントは違った。
「パンツ見えてるよ」
「うわっ、マジで!?」
 慌てたようすで少女はスカートを手で抑えてテーブルからジャンプ。直樹の視界からは見えないけれども、スカートの後ろは舞い上がってクマさんプリント登場。ビバ・チラリズム!
 少女は仁王立ちでホウキの先を呆然とする直樹の鼻先に突きつけた。
「アタシの名前はアイ。職業は仔悪魔見習い」
「へぇ」
「世界征服を企てたらカップラーメンに封印されちゃったの」
「へぇ」
「それをアンタが助けてくれたってわけ」
「へぇ」
「そんなこんなで――汝、我と契約されたし!」
「ちょっと待てぇい!」
 直樹に突きつけられたホウキの先に現れる一枚の紙。その羊皮紙を手に取った直樹はまじまじとそこに書かれている文字に目を通した。
「なるほど、ヘブライ文字で羊皮紙で書かれてるな、なかなか本格的だ……ってヘブライ文字なんか読めるか!」
 ゲームやマンガで得られる程度の悪魔や魔術の知識のある直樹は、書かれている文字がヘブライ文字というところまでは判断できたが、読めるわけないジャン。
 羊皮紙を叩き返されたアイは唇と尖がらせて露骨に嫌な顔をして、近くにあったテーブルの脚を何度も蹴飛ばす。性格悪いかも。
「ちっ……冷やかしかよ。契約してくれない人間に興味ないね」
「契約っておまえ本当に悪魔なのかよ?」
「ま、まさか!? アンタ疑ってんの? こんなに可愛いくてプリティな仔悪魔ちゃんを目の当たりにしながら、その存在を信じないというの!?」
「疑ってる」
 ビシッとバシッと即答だった。
「ズガ〜ン! と頭にハンマー喰らったくらいショック、つまりチョ〜ショック!」
「悔しかったら悪魔だって証拠見せてみろよ」
「だったら――汝、我と契約されたし!」
 再び直樹の鼻先に叩きつけられる契約書。
「だから、読めないって」
「読めなくてもいいから契約して、してください、しやがれコンチキショー!」
「意味わかんない逆ギレするなよ。だって、悪魔と契約すると魂とか奪われるんだろ。それにおまえの技量もわからないし、役立たずの悪魔なんかと契約したら損だし、クーリングオフとか利くのかよ?」
「クーリングオフって契約後一定期間内であれば無条件で契約を解除できる制度だったっけ?」
「――正解。だが、その口ぶりからしてクーリングオフはなしか。だったら契約しない」
「ちっ……」
 舌打ちをしたアイは大きくため息を漏らして椅子に腰掛けると、テーブルに頬杖をついて直樹に命令。
「おい、人間! この家は客に茶も出さんのか?」
「勝手に出てきて態度デカイぞ。まあ、茶くらいは出して出してやるが、飲んだら帰れよ」
「ほ〜い」
 しぶしぶ渋いお茶をいれた直樹はそれをアイに差し出して、自分は通常のお茶をいれてアイのすぐ横の椅子に腰掛けた。渋いお茶をいれて相手に出す性格の直樹がアイを抜いて仔悪魔ちゃんポイントを一〇ポイント獲得っ!
 しみじみお茶を飲んでちょっぴり落ち着いた直樹に、アイからの一撃が放たれた。
「茶菓子はないのか人間?」
「ホント厚かましいヤツだなぁ」
 と口では言いながらも、立ち上がって茶菓子を探す直樹はちょうどいい物を見つけ出すことに成功して微笑む。その名もズバリ――ドラ焼き。
「ほれっ、これでも食っとけ」
「なぁにこのUFOみたいな物体は?」
 出されたドラ焼きを丸い瞳で見つめるアイ。どうやらアイはドラ焼きを知らないらしい。
「ドラ焼きを知らんのか。かの有名な未来から来たロボットも大好物のドラ焼きを知らんやつがいるとは世も末だな」
「美味しいの?」
「うまい」
「じゃあ食べてみよ〜っと」
 ドラ焼きを手にとってパクッ。その瞬間、口の中に広がる香ばしくも甘い香り。粒餡がまさにつぶつぶな食感を演出してくれちゃったりして、なんとも美味ではありませんか!?
「美味しいぃ〜! もっとないの?」
「ない」
「えぇ〜っ、こんな美味しいもの一つで満足できないよ……あっ!」
 ビビッとアイの脳裏に画期的で斬新でナイスなアイデア浮かんだ。少なくともアイ自身はそう思った。
 どっからか契約書を取り出したアイは、またまたそれを直樹の鼻先に突きつけた。
「ドラ焼き一〇〇個でアンタを世界の覇者にしてあげる。そーゆーわけで――汝、我と契約されたし!」
「世界の覇者……マジで?」
 怪しすぎ。ドラ焼き一〇〇個で世界の覇者になれるなら、この世界には覇者が何人いることやら?
「マジマジ、カミサマに誓ってマジ」
「神って悪魔だろおまえ」
「じゃあ、悪の大魔王サマに誓ってマジってことで。なんだったら、仏様にも誓とこっか?」
「信用度ゼロだぞおまえ」
 と口ぶりでは全く信じてないようすの直樹だが、彼の頭の中では今現在壮絶な戦いが繰り広げられちゃってる真っ最中だった。
 直樹の善の心を司る天使ちゃんいわく、『悪魔なんかと契約しちゃだめだよば〜か!』。
 直樹の悪の心を司る悪魔ちゃんいわく、『バカって言った方がバカなんだよば〜か!』。
 低脳な子供っぽいの戦いは決着がつくことはなさそうだ。そこで仕方なく直樹は自ら決断を下した。果たして直樹の決断とは!?
「ドラ焼き一〇〇個くらいでいいなら契約してやる。世界の覇者にしてくれるってのはウソじゃないだろうな?」
「おうよ、任せときらがれコンチキショー!」
「投げやりっぽく聞こえたが、それには目をつぶって契約してやる」
「えっ、本当!? チョ〜うれしぃ〜!」
 無邪気に笑うアイはどこからか契約書を取り出し、またまたまたそれを直樹の鼻先に突きつけた。だが、やっぱりヘブライ文字なので読めない。
「だから、読めないって」
「読めなくてもいいから、ここにサイン。自分の血でちゃんと署名するんだよ」
 契約書をバシンとテーブルの上に置いて、アイは契約書の下の方を指差した。しかも、なぜかもう一方の手には包丁が握られていて、その包丁は見た直樹は思わず声をあげる。
「なんだよその包丁は!?」
「契約には血が必要だから、これでグサッとね……エヘッ」
 包丁を構え無邪気に笑う姿が怖すぎる。
「エヘッじゃないだろ、殺すきか!?」
「ちっ……世話の焼けるやつだ。ほい、ボールペン」
「ボールペンでもいいのかよ……だったら最初からそう言えよ」
「これは契約だから証拠さえあればいいの、商品の受け渡しの儀式はまた別」
 ボールペンを受け取った直樹は何の疑いもなく自分の名前を書いて、契約書をアイに渡した。
「書いたぞ」
「人間、汝、名を何と申す?」
「ここに書いてあるだろ、漢字も読めないのか?」
「読めない……じゃなくって、アンタが自分で名前をいうことが重要なの!」
「真央直樹だよ……ったく」
 お茶を一口飲んで一息入れる直樹の横顔にアイを声をかける。
「こっち向いて!」
「なに……うぐっ!?」
 唇に伝わる柔らかな感触。重なり合う唇と唇に驚いて直樹は目を大きく開けた。瞳孔開きまくり。
 しばらくして直樹の口からアイの顔が離れていくが、直樹は自体を把握するのに時間を要した。ネバーエンディングに脳みそ駆け巡る状態。
「……キスしたな、キスだな、キス、キス、俺のファーストを奪いやがったなぁ〜っ!」
「別に減るもんじゃないでしょ、お子様」
「精神的に減るんだよ!」
 ファーストキスは蕩けるように甘かった……ドラ焼き味かよ!
 精神的にハートを抉られた直樹は意外なまでにショックを受けて、台所の片隅でゴキブリのようにドス暗い雰囲気を撒き散らしながらうずくまり、フローリングの床に涙でねずみの絵を描いた。
 直樹の肩に柔らかな手がそっと優しく乗せられた。
「落ち込まないでダーリン」
 優しい声の持ち主に顔を向けた直樹は『はぁ?』という素っ頓狂な表情をしていた。
「今なんて言った?」
「落ち込むなば〜か」
「……じゃなくて、『ダーリン』って言わなかったか?」
「直樹はウチのダーリンだっちゃ」
 アイの言葉に直樹の脳はフリーズ。
 ――強制終了。
 ――再起動。
「はぁ〜っ!?」
 部屋を飛び越えて、庭を飛び越えて、ご近所さんに響き渡る直樹の声。
 また×4、直樹の鼻先に突きつけられる契約書。
「読めねえよ……って、まさか!?」
「アタシを生涯の伴侶にするって契約書にサインしたでしょ?」
「キサマ、俺のことを世界の覇王にするとか言って騙しやがったな!」
「別に騙してないよ。アタシが世界征服に成功した暁には夫であるダーリンは自動的に世界の覇者……そしてアタシの覇者でも……イヤン」
 アイは人差し指で直樹のわき腹をグリグリした。思わず直樹は脇を軸にして仰け反る。
「あうっ……じゃなくって、契約解消だ、日本の制度に従ってクーリングオフを適用するぞ!」
「控え居ろう、この契約書が目に入らぬか!」
 悪魔の契約書を直樹に叩きつけるアイ。
 どんよりとジメジメ空気が部屋に充満し、息をするのも苦しいほどだ。
 アイの持つ契約書が風もないのに激しく揺れる。
 直樹は本能的に脅え、壁に背中をつけてぶるぶる震えた。
「ダーリン、逃げても無駄だよ……あはは」
 まさにアイが悪魔の笑みを浮かべた瞬間、直樹は契約書から出てきた黒い影を見た。しかし、そこで記憶がプッツリ。
「ギャァァァーッ!」
 ――あ〜んなことや、こ〜んなことが行われているため、描写を控えることをご了承ください(ペコリ←頭を下げる音)。
「ウギャァァァーッ!」

《2》

 放心状態から立ち直ってきた直樹は、ふらふらする頭を抱えながら思考を巡らせた。
 全ては夢か幻か……カップラーメンから悪魔が出てくるわけがないじゃないか……。
「……って現実にいるし!」
「やっほー!」
 仔悪魔アイはテーブルに着いてお茶をすすっていた。寛ぎモード全快。
 全ては現実だったのだ。
「何でまだいるんだよ!」
「だってウチら夫婦だし」
「認めないし」
「う、うそ……」
 目頭に手を当てるアイの口から微かに漏れる嗚咽と鼻をすする音。
 涙をいっぱい流しながらアイは直樹に顔を向けた。思わず直樹はたじろぐ。いつの時代も男は女性の涙に弱い。だが、直樹の気持ちは次の一言で変わる。
「このキスはお遊びだったのね……ひどいわ、ぐすん」
「……おまえからして来たんだろうが!」
「いつもそうやってあなたは言い訳するのよ、ぐすん」
「いつもっていつだよ、さっき会ったばっかりだろ!」
「自分に不都合なことがあるといつもそうやって怒鳴るのよ、ぐすん」
「いい加減にしろよ……」
「じゃ、離婚間際の夫婦ごっこはおしまい。次は熱々新婚家庭ごっこにしようか?」
 無邪気に笑うアイに対して、直樹は俯き加減で拳を握り締めていた。
「……もういい」
「怒らないでダーリン!」
 アイは両手を広げて直樹に抱きついた。小さくとも確かにそこにある胸が直樹の身体に当てっていい感じだが、今の直樹にはそんなことはどーでもよかった。
「俺はな……怒ってんだ、俺んちから出てけ!」
 直樹に大きく振り払われたアイは壮大なまでにズッコケて床に尻餅をついた。スカートの隙間から白いコットン素材が顔を覗かせているが、今の直樹にはそんなことはどーでもよかった。
「早く出ててよ!」
「出てけ、出てけってアタシたち夫婦なんだから、一緒にいるのが当たり前でしょ?」
「知るかそんなこと」
「……ふふふ、そっちがその気ならこっちにも考えがあるも〜ん」
 禍々しい鬼気を放つアイの手には契約書が掲げられていた。
 若干振るえ後退りをする直樹の顔は蒼ざめていた。目をつぶると生々しい記憶が蘇ってくる。もう二度と長くてヌメヌメしたあの物体で、あ〜んなことや、こ〜んなことをされてなるものか。
 直樹は秘策を練った。
「俺が悪かった、悪かった、悪かった、悪かった……」
「じゃあ一緒に暮らしてくれる?」
「いや、それは、それは、それは……」
 直樹は一言しゃべるごとに足を一歩後ろに下げていた。その足が向かう方向は台所の勝手口。そう、直樹は逃げようとしていたのだ。
「おまえが出てかないなら、俺がこの場から逃げてやる!」
 捨て台詞を吐いた直樹は勝手口を素早く開け、目にも止まらぬ速さでサンダルに履き替えて家の外へ逃走した。
 しまった、という表情をしたアイすぐさま直樹の背中を追った。
「待ってダーリン!」
 勝手口を出ようとしたアイの足がふと止まる。
「あーっ! 靴、靴、靴忘れてた」
 アイはカップラーメンの中に手を突っ込んで靴を取り出すと、すぐにその場で靴に履き替えて外に出た。
 再びしまった、という表情をするアイ。
「靴に履き替えてたら完全に見失っちゃったじゃない!」
 道路に出たアイは右見て、左見て、ついでに回って上も見る。
 無表情のままアイは言葉を吐き捨てる。
「……ダーリンのアホ」
「あはは、こんなところで会うなんて奇遇だねぇ」
 直樹は電信柱の上にいた。しかも爽やか笑顔。
 作戦ミス!
 電柱の上に登って相手をやり過ごそうと直樹発案のナイスなアイデアには弱点があった。――逃げ場がないジャン……みたいな。
 電柱を登りはじめるアイの表情はニッコリ笑顔だった。それが異常なまでに怖い。
「ダーリン、逃げ場はもうないわよ、観念してお縄につきなさい!」
「ヤダ」
「どうしてよ、こんなに可愛い娘が妻になってあげるって言ってるのに」
「おまえが可愛いのは認める。だけどな、人間じゃないだろおまえ」
「ヒドイ、ヒドイわ、そうやって人種差別する気なのね……ぐすん」
 アイの手が直樹の足首を掴む。その力は異常なまでに強く、骨がボキボキに砕かれてしまいそうだった。
「痛い痛い痛い……放せ、放せ、むしろ話せばわかる!」
「逃げないって約束してくれたら放してあげる」
「その答えを出すには時間と休息が必要だ。今はとりあえず手を放せ」
「……拷問」
 アイの手によりいっそう力が入り直樹の足は壊死寸前。
「イターっ! わかった、わかったから、逃げないから放せ!」
「本当?」
「う……そ、それは、う……そ〜だなぁ」
「微妙にウソって言ってない?」
「そんなこと口が裂けても言えるわけないだろ」
 これは本当だった。ウソとは口が裂けても直接′セえない。
 電柱で追い詰められている直樹とご近所さんとの視線が合ってしまった。ちょっぴり恥ずかしい。
 呆然と直樹とアイを見つめるご近所さんの女性が自転車に跨りながら一言。
「そんなところで何やってんの直樹?」
 直樹に声をかけたのはご近所さんの中のご近所さん、直樹の隣の家に住んでいる直樹と腐れ縁の幼馴染――佐藤美咲(さとうみさき)だった。
 部活帰りのバスケットボールを腰に抱える美咲に直樹は助け舟を出す。
「助けてくれ、この女の子を追い払ってくれ、一生のお願いだ!」
「今朝も直樹の一生のお願い叶えたような気がするけど?」
 美咲の表情は明らかに冷めていた。直樹がトラブルを起こすの毎度のことで、美咲はほとほと呆れ返っていた。だから、今の美咲に助ける意思はない。
 何も言わず立ち去ろうとする美咲の背中を見ながらアイが直樹に質問する。
「誰あの人?」
「幼馴染の佐藤美咲、恋人できない症候群という不治の病にかかってる」
 美咲の足がぴたっと止まる。そこにアイの言葉が降りかかる。
「まさか恋のライバル出現! 愛に飢えた女がアタシの大事なダーリンを寝取ろうとしているのね!」
 止まっていた美咲の足がターンする。
「腐れ直樹、そんな病気あるわけないでしょ! それに何そこの女、わたしが愛に飢えてるってどういうことよ、もし本当に愛に飢えてたって直樹なんてお断りよ!」
 息の上がった美咲は顔を真っ赤にして肩で息をしていた。それを見たアイの一撃が炸裂する。
「そんなにムキになって……まさか、まさか、やっぱり直樹をアタシから奪うつもりなのね!」
「違うわよ、大声出したから息が上がっただけよ!」
「そうやってムキに否定するところが怪しい……」
「もしかしてわたしに喧嘩売ってるの? だったら買うわよ、パンチラ女!」
 美咲の指差すその先にはスカートから覗くクマさんが微笑んでいた。
 慌てて片手でスカートを押えるアイ。これでやっと直樹の足首は解放された。
 いろんな意味で顔を真っ赤にするアイは報復手段を考えたが、今の彼女は手も足も出ない。片手はスカートを押さえ、もう一方を離すと地上にまっ逆さまで、登ることも降りることもできない状態なのだ。まさに、アイちゃんピンチ!
 たじろぐアイの上から声がした。
「喧嘩なら下に降りてからやれ」
「降りたくても降りれないの!」
「なんで?」
「だってスカート押えてないとパンツ見えちゃうでしょ!」
 この言葉を聞いた美咲の瞳が輝く。
「そうなんだ、降りて来れれないんだ、ふ〜ん。じゃあ、今のうちの攻撃しちゃお」
 バスケットボールを持った美咲がシュートの構えをする。次の瞬間、華麗なシュートが決まる。
 上空に投げられたボールは一直線にアイに向かってゴール!
 ゴン!
「痛いじゃないのよ……あっ!?」
 怒ったアイの両手は上空にあった。つまり離した……ってことは!?
「わぁ〜っ!」
 声を上げた時にはすでにアイは地面に向かって死のダイブ。
 ヤバイという表情をした直樹と美咲。
 物体Aが固いコンクリートに衝突し、明らかにやばそうな鈍い音が住宅街に響き渡った。
 身動き一つしないアイ。焦る直樹は急いで電柱から降りて、もっと焦る美咲がすぐさまアイに駆け寄る。
「もしかして殺しちゃった!? 違うの違うのよ、不可抗力よ」
「コイツ死んだか?」
 直樹は近くにあった小枝でアイの身体をツンツンする。するとすぐに反応があった。
「あぁん、ダーリンそんなところツンツンしないでよ、くすぐったいでしょ」
 悶えたあとに立ち上がったアイは無傷だった。これには美咲が一番驚いた。
「人間とは思えない丈夫さ」
「だってアタシ人間じゃないし、泣く子も黙る仔悪魔ちゃんだよ」
 ニッコリ仔悪魔スマイル炸裂のアイちゃん。それにつられて美咲も笑い出す。
「まっさかぁ〜、こんな子供が悪魔なわけないでしょ?」
 アイに向かって指差す美咲の表情は全く信じてない表情だった。
 静かに息を吐いた直樹が美咲の方にポンと手を乗せる。
「それが本当なんだ。しかも、俺に取り憑いてる」
「ストーカー少女ってこと?」
「しかも、カップラーメンの中から出て来やがった」
 直樹と美咲に見つめられたアイは身体をもじもじさせて顔を赤らめる。すごい勘違い。
「そんなに見つめないで、アイちゃん照れちゃう……じゃなかった。ストーカーとは失礼じゃないのダーリン!」
 ダーリンと呼ばれた直樹に美咲が視線を向ける。
「ダーリン?」
「妄想壁の強いヤツでな」
「ところでどこの家出少女なの、この娘?」
 家出少女扱いされたアイは直樹の腕に自分の腕を回して、美咲に向かってあっかんべーをした。
「アタシは家出少女じゃなくて、正真正銘の悪魔で直樹の妻だもん」
 一瞬美咲の顔が凍りつく。だが、すぐに平常心を取り戻して猛反発。
「直樹があなたみたいな小娘と結婚するわけないじゃない。あと、直樹の顔って女の子みたいで女々しいでしょ、こんな直樹が結婚だなんて笑っちゃうわ、恋人すらできないわよ」
 直樹は斜め下を見ながら思考を巡らす。そして、途中からなぜか自分がバッシングの対象になってることに気づく。
「ちょっと待て、なんで俺まで悪口言われなきゃいかんのだ?」
「直樹が結婚できないってこと立証するためよ。だって、直樹ってことあるごとに女装させられて遊ばれて、男の子からラブレターもらっちゃう変態なのよ!」
 拳を振るわせる直樹が前に出る前にアイが前に出た。
「ダーリンの顔が綺麗だからって僻んでんじゃないわよ、ブス!」
「ブス!? わたしのどこがブスだっていうの? これでもバスケ部の後輩からは人気あるんだから」
 声を荒げる美咲に直樹から痛いツッコミがプレゼントされる。
「女子部員にだろ?」
「うっ……それは……」
 言葉に詰まる美咲。完全に急所を突かれた。直樹の仕返し成功。
 言い返す言葉もない美咲をアイが腹を抱えて笑う。
「あはは、やっぱりモテないんだぁ。恋人できない症候群、ご愁傷様」
 グサッと美咲の腹を抉る一撃に荒塩を塗りたくった感じ。
 追い込まれた美咲。人間追い込まれるとわけのわからない行動及び言動を言う。追い詰められたネズミはネコを噛むっていうし。
「いい加減にしなさいよ、悪魔だかなんだか知らないけど、こっちにはバスケの神様がついてるのよ」
 意味不明だった。かなり混乱している模様、ここは口をつむぐことをお勧めします。でも、一度走り出したら止まらない。美咲の暴走は続く。
「勝負よ、勝負しないさい悪魔!」
「いいよ、受けてたってあげる。でも、なに賭ける? 悪魔は賭けるの好きなの、魂とかね、うふふ……」
「じゃあ直樹の魂かけてやるわよ、あなたが勝ったら直樹を好きにしていいわ」
「俺のかよ! 自分の魂かけろよ」
「いいよ、ダーリンの所有権を賭けて勝負しましょ」
「俺の意見は無視かよ!」
 無視だった。燃える二人の女性の瞳には直樹は映っていない。アウトオブ眼中。
 ちょっぴり直樹は寂しい気分。誰かかまってあげてください。でもエサはあげちゃいけません。つけ上がりますから。
 アイが直樹の腕を両手で掴む。確かにそこにある微かな膨らみが腕を優しく包み込みます。
「ダーリンは絶対アタシが手に入れてみせるんだから」
 負けじと美咲も直樹の腕を両手で掴む。確かにそこにある豊満な膨らみが腕を優しく包み込みます。直樹ウハウハ状態……でもなさそうだった。
「誰か助けてくれーっ、二人の悪魔に引き千切られる!」
 直樹の腕は引っ張られて今にも引き千切られてしまいそうだった。
 痛がる直樹を無視して、今度は美咲が直樹の腕と足を掴んで引っ張る。それに負けじとアイも美咲と同じことをする。宙に浮く直樹。股裂け万歳人間綱引き!
 バスケで鍛えた美咲の腕に力が入る。
「早く直樹のことを離して負けを認めなさいよ!」
「離すのそっちだよ、直樹が痛がって可哀想でしょ?」
 だったら離せよ。
 だが、どっちも離す気配はない。直樹の頭の中で股裂けカウントダウンが鳴り響く。
「死ぬ、死ぬ、股裂けて死ぬなんてカッコ悪い」
「ダーリンが痛がってるでしょ、早く離してよ!」
「あなたが離しなさいよ!」
 ビリビリとズボンが裂ける音がした。直樹の股が裂けるのもそう遠くはなさそうだ。
「おいおまえら、ズボン切れてトランクス見えちゃったじゃねえかよ!」
 直樹の声は二人には届いていなかった。もはや、この勝負に直樹関係なし?
 勝負がつかないことに苛立ちを覚えたアイが美咲に提案を促す。
「このままじゃ勝負がつかないから、ダーリンにどっちが好きか言ってもらって勝敗をつけるっていうのはどう?」
「いいわ望むところよ!」
 アイと美咲の鋭く狂気に燃えた瞳が直樹を睨みつけて、同時に声を出す。
「「どっちが好きなの?」」
「答えられるかそんなこと!」
 半ば泣き叫びながら言った直樹たちの前に一人の女性が現れて、無表情のまま口元だけ微かにあざけ笑う。
「夕方からなかなか……」
 恥ずかしい光景を見られて直樹の顔が凍りつく。
「なんでいるんだよ、おまえが!」
 住宅街に直樹の叫びが木霊した。近所迷惑。

《3》

 この場に現れた女性は直樹たちと同じ学校の制服を着ていた。しかも、なぜか手にはワラ人形が……?
 ワラ人形を持った少女が微かな声を漏らす。
「……夕方からゥハゥハね、直樹クン」
「どこがウハウハなんだよ、この状況を理解しろよ!」
 相手をバカにしたような表情をするワラ人形少女。この少女の名前は見上宙(みかみそら)。声が小さくいつも無表情な顔をしており、相棒のワラ人形とはいつも一緒の仲良しさん。
 ワラ人形を持った手が直樹の鼻先に突きつけられる。
「中学生ノ分際デ破廉恥ダゾ、バカヤロー!」
 キーが高くてふざけた声。宙は口を動かしていない。そう、宙お得意の腹話術。ちなみに彼女いわく、意思を持ってしゃべっているのはあくまでワラ人形だと言い張る。
 アイの視線が宙に向けられる。
「いいところに来たな人間。今からダーリンがどっちが好きか言うから、その証人になれ」
 アイの言葉を聞いても無表情な宙は機械的に美咲に顔を向けた。すると今度は美咲がしゃべりだす。
「今わたしとそいつで勝負してるのよ。それで直樹に先に好きって言わせた方が勝ちなのよ!」
 美咲の言葉を聞いても無表情な宙は機械的に直樹に顔を向けた。すると今度は直樹がしゃべりだす。
「俺はこいつらに強制的に巻き込まれたんだ、だから助けてくれ!」
 宙の口元が微かに動き、小さな声が口から漏れた。
「助けぁげてもぃぃケド、代償として何か貰ぅ」
「……やっぱいい」
 嫌な予感のした直樹は宙の申し出を断った。得体の知れない感じるのする宙に頼みごとをしたら、何を代償に求められるかわかったもんじゃない。もしかしたら、どっかの悪魔みたいに魂とか言い出さないとも限らない……ような気がすると直樹は思ってる。ある意味、直樹のとって宙は悪魔よりも怖い存在だった。
 ワラ人形が素早く前に突き出る。
「勝ッタラ何カ貰エンノカ?」
「ダーリンを自分の所有物にしていい権利が今なら貰えちゃいマス!」
 笑顔で言ったアイの言葉に反応して宙に耳が微かに動く。そして、宙はワラ人形をポケットの中に押し込めると、機械的な歩調で進み直樹の頭に両手をかけた。で、引っ張る。
 勝負は三つ巴の展開に発展してしまった。
 この展開に直樹は泣き叫ぶしかなかった。近所迷惑。
「なんで宙まで参加するんだよ!」
「ちょぅど、実験台が欲しかった」
 蒼ざめる直樹。神に助けを祈ってみたりする。ヘルプミー!
 この勝負、宙に勝たれると実験にされ、アイに勝たれると一生憑きまとわれ、だからといって美咲が好きだとも言えない。
 ランドセルを背負った小学生の女の子が家に入ろうとして、ふと足を止めて直樹と目が合う。
「お兄ちゃんどうしたのぉ〜っ!?」
 小学六年生の可愛らしい女の子は直樹の妹である遊羅(ゆら)だった。
「助けてくれ遊羅!」
 直樹の叫びを聞きつけて遊羅が走り寄って来る。
「どうしたの、みんなでお兄ちゃんの奪い合い? 遊羅もやるぅ!」
 小さな遊羅の両腕を伸び、直樹の腰に回ってガシッと掴む。状況悪化。
 いろんな方向から引っ張られる直樹は失神寸前だった。
 生死の境を彷徨う直樹の耳に幻聴が聞こえる。それはまるで呪文のようだった。
「スキスキスキスキスキ……ワタシをスキって言え」
 呪いの呪文っぽい。宙が直樹の耳元でブツブツ呟いていたのだ。
 この戦いはすでに最初の趣旨を忘れ去られているような気がする。
 過酷な状況下に置かれている直樹は今にも引き裂かれて死にそうだが、側から見たら笑える状況だった。首は仰け反り、両手両足を引っ張られて股裂け、胴体には妹がぶら下がっている。無様だ。
「死ぬぅ、特にアイの馬鹿力が……」
「ダーリン死ぬなんて言わないで、せめて最期にアタシのことが好きって言って!」
 もう、誰かを好きというしかなかった。
「俺が好きなのは……」
 この瞬間に全員が息を呑んで聞き入る。そして、直樹が選んだ相手とは!
「俺は妹の遊羅が大好きだーっ!」
「わぁ〜い、お兄ちゃん大好き!」
 残り三人の女性の動きが止まる。負けた、敗北したのだ。
 ため息をついた美咲の手が直樹の手足から離される。
「アホくさ……わたしがどうかしてたわ。じゃ、わたし家に帰るから」
 くだらないことをしたという表情をした美咲はさっさと家に帰ってしまった。
 敗北感に押し潰されるアイは電柱の傍らでしゃがみ込んで傷心中。
 宙は何事もなかったように、というかいつもどおりの無表情だった。
「……残念」
 全く残念そうじゃない宙の口ぶりだった。
 この場でウキウキなのは遊羅だけ。
「わぁ〜い、お兄ちゃんに好きって言われちゃった!」
「当たり前だろ、俺が世界中で一番好きなのは遊羅だよ……あはは」
 直樹の笑いは魂が抜けていて、もうどうでもいいって感じだった。
 今はもう家に帰って誰にも邪魔されずにゆっくり休みたい、それが直樹の一番の願い。
 電柱に八つ当たりしてキックをかましてるアイには目もくれず、直樹は遊羅を連れてさっさと家に逃げ込もうとした。しかし、その背中に微かな声がかけられる。
「直樹クン」
「なに宙?」
 直樹が後ろを振り向くと、ワラ人形の顔をが眼前にあった。かなりビビる。宙は忍者並みに気配を消す天才だった。
「ぁの娘、悪魔でしょ、どうやって召喚したの?」
「……す、鋭い」
「悪魔の気配がしたから着てみたの」
 宙の前髪の一部は触角みたいな形をしていて、何かを感知するとその触角が立つらしい。今はちなみ立っていない。触角の上げ下げは自在にできる……らしい。宙の噂は全部『らしい』が付く。
 たじろぐ直樹の肩に宙の手がポンと置かれ、ワラ人形がしゃべる。
「マァ、頑張レ若造!」
 機械的にターンした宙が去って行く。結局、何しに来たんだ?
 呆然とする直樹の腕が引っ張られる。
「ねえお兄ちゃん帰ろ」
「……あ、うん」
 遊羅に引っ張られるまま直樹は家に戻り、自分の部屋に向かって階段を駆け上がる遊羅の後姿を見ながら、『今日も白か……』なんて思っていると、台所の方から楽しそうな会話が聞こえてきた。まさか!?
 血相を変えて直樹は台所に向かった。するとそこにいたのは、直樹のテーブルに着いて団らんする母親ともうひとりのおまけ。
「やっほ〜、ダーリン遅かったね」
「誰がダーリンじゃボケっ! てゆーか、何で母さんがこいつと楽しそうに話してるんだよ!」
「あら、だって直樹の恋人なんでしょ?」
「違うから、そいつの言うこと鵜呑みにするなよ!」
 不思議な顔をする直樹ママこと真実(まみ)に対して、アイはモジモジしながら顔を赤らめて言った。
「ダーリンったら照れてるからあんなこと言うんですよぉ、きゃぴきゃぴ」
「あら、そうなの? 直樹って以外に照れ屋さんだったのね。ママそんな直樹の一面を垣間見れて嬉しいわ」
「母さん違うって言ってるだろ!」
 直樹には常々思っていたことがある。――ウチの家族絶対変!
 椅子から立ち上がったアイが直樹の腕に絡んでくる。
「ダーリンったら、恥ずかしがることないんだよ、ねっ?」
「恥ずかしいとかそういう問題じゃないだろ!」
「ダーリンったら強情なんだから、アタシのこと好きって言ってよ、言いなさいよ、言え!」
 アイの人差し指と親指によって直樹の腹が抓まれる。おまけに捻りもついていて、痛い。
「スキスキスキスキ……だから離せ」
「はじめて好きって言ってくれた、アイちゃん嬉しぃ〜!」
 両手を広げて直樹に抱きつくアイ。そんな光景を真実は微笑ましく見守る。
「二人は仲良しさんなのね、ママ嬉しいわ」
 違うと直樹は否定したかったが、アイの腕に力がこもって無言で脅されたので言えず終い。恐妻家?
 アイの腕からやっと解放されたところで直樹は一気にアイと間合いを取ってビシッバシッと言う。
「こんなヤツ大ッ嫌いだ!」
 アイちゃん的大ショック!
 『大ッ嫌いだ!』という言葉がアイの頭でエコーして、胸に槍のように何度もグサグサと突き刺さる。
「ひ、ひどい……ぐすん」
 ショックを受けたアイはすぐさま真実の服を掴んで、涙で潤んだ瞳で真実に無言の訴え。仔犬の瞳作戦炸裂!
「直樹! 女の子を泣かすなんて酷いじゃない。アイちゃんに謝りなさい!」
 完全に直樹ママはアイの味方だった。アイが真実に隠れて直樹にあっかんべーをしているとも露知らず。アイの口元は明らかに『ダーリンのば〜か!』と動かされている。この仔悪魔め!
 震える拳を抑え、ついでに怒りも強引に押し込めた直樹はあきらめた。
「もういい、俺は夕食まで寝る、寝るぞ、邪魔すんなよ!」
 冷静になれ冷静になれと念仏のように頭で唱え、直樹は呼吸を整えながら階段を登った。すると、自分の足を以外の足音が聞こえる。急いで後ろを振り向くと、そこにいたのはやっぱりアイだった。どこに行こうと付いてくる疫病神?
「やっほ〜ダーリン、こんなとこで逢うなんて運命的だね」
「付いてきたんだろ」
「だってダーリンがいないと寂しいんだもん……うるうる」
「もういい好きにしろ」
「わぁーい!」
「だがな、俺はおまえがいないものとして扱うからな」
「ほ〜い!」
 笑顔を浮かべたアイはさっそく直樹の腕に抱きつくが、直樹は完全無視。徹底抗戦の構えだった。
 物体Aを引きずりながら直樹が自分の部屋に入ろとすると、ちょうどトイレに行こうとしていた遊羅と出くわした。
「あ、さっきのお姉ちゃんだ」
「やっほ〜遊羅ちゃん! 遊羅ちゃんのことはお母さんから聞いてるよ。アタシの名前はアイっていうの、お兄ちゃんのお嫁さんだから、これからは遊羅ちゃんお姉ちゃんになるんだよ」
「お兄ちゃん結婚したの!?」
 大きなおめめをパチクリさせる遊羅の顔を見て直樹が驚きの表情を浮かべる。
「どうしたんだ遊羅、独り言なんて言って? 熱でもあるんじゃないか?」
 こーゆー攻撃に出た。
 不思議な表情をする遊羅はアイの腕を取った。
「このお姉ちゃんと話してたんだよ」
「お姉ちゃんなんかいないじゃないか、幽霊でも見てるんだよ……ぐっ!」
 直樹の膝にアイの蹴りが炸裂する。でも、我慢我慢。爽やかな笑顔で直樹は物体Aを引きずり、遊羅から逃げるように自分の部屋に駆け込んだ。
 部屋に入った直樹はアイを怒鳴りつけてやろうとしたが、ぐっとその心を忘却の彼方へ仕舞い込んで無視を続ける。
 直樹の部屋は床は畳で、家具は本棚と勉強机。あとは押入れにいろんなものが入っていたりする。例えるならば、の○太くんの部屋風。
 畳の上に寝転んだ直樹はゆっくりと目をつぶる。安らかな時が直樹に訪れる。ふかふかの枕と優しく撫でられる頭。枕……撫でられる……?
 目を開けると直樹の頭はいつの間にかアイによって膝枕されていた。
「ダーリン動かないで、ゆっくり寝てていいから、ね?」
 優しい笑みを浮かべるその表情は悪魔というより聖母だった。その笑みにドキッとしてしまった直樹だが、無視すると決めたので無視を続けて眠る。
 暖かな体温が直樹の身体に伝わってくる。妙な気分になってきた直樹の心臓はドキドキだった。もしかして、悪魔の誘惑に負けたのか直樹!?
 窓から吹き込む風とともに微かな声が直樹の耳元に届く。
「ダーリンのこと本当に好きだよ。ひと目見た時にこの人しかいないと思ったの……だから、ダーリンと契約したの。ダーリンが望めば身も心もダーリンのもの。あと、ドラ焼き一〇〇個はいつでもいいから」
 やっぱりドラ焼きあげなきゃいけないのかよ、と心の中でツッコミを入れながらも直樹は口をつむぎ続けた。
「マジで惚れちゃったみたいなんだアタシ。でもね、いいんだよ今は振り向いてもらえなくても、いつか絶対アタシのこと好きになってもらうから、それまで頑張って尽くすから……ダーリン好きだよ」
 頭のカーッと熱くなってきた直樹は眠るどころじゃなかった。きっと、この体温の上昇はアイの膝に伝わってバレバレかもしれない、そう考えるとよけいに身体が火照ってくる。それでも直樹はその場を動かず寝たフリを続けた。
 ――しばらく鼓動だけが響く静かな時間が続き、夕飯時になって直樹が下の部屋に行くと、なぜか料理が一人前多かった。ツッコミを入れようとした直樹だが、ここは敢えて何も言わずやり過ごす。
 直樹の父は帰りがいつも遅いので、いつも夕食は三人でとる。はずなのに、なぜか今日は会話がいつも以上に盛り上がる。
 なるべく会話に参加しないように、会話を聞かないようにして食事を済ませた直樹はさっさとお風呂に入る。後ろから忍び寄る足音。風呂までついて来るのかよ!
 平常心を保つ直樹は服を脱いでお風呂に入る。ただ、いつもと違って腰にはタオルを巻いている。
 お風呂場では誰かに背中を流されたような気がするけど、きっと幽霊。
 その後もトイレにまで誰かがついて来たような気がしたけど、きっと変質者。
 夜も更けてふとんを敷いて直樹が寝ようとすると、ふとんの中に何者かが入ってきたような気がした。ここでついに直樹は負けた。
「頼むから、俺が悪かったから、寝る時ぐらいは一人にしてくれ」
「やっとダーリン口聞いてくれた」
「おまえがいると絶対寝れないから、頼む」
「ダーリンがそこまで言うならアタシは別のところで寝るね。じゃあね、ダーリン」
 やっと直樹のもとを離れてくれたアイ、と思ったらアイの足がふと止まって振り向く。
「おやすみのチューは?」
「あるかそんなの!」
「じゃあ、アタシから投げキッス、チュ」
 嬉しそうな顔をしたアイは部屋を出て行った。
 やっとひとりになれた直樹はゆっくりと眠ろうとしたが眠れない。アイがいなくなっても頭が悶々として眠れない。膝枕やお風呂場にトイレと、いろんな記憶が走馬灯のように思い出され、眠れるわけがなかった。
「あーっ!」
 頭を両手で掻き乱す直樹。
 一目惚れも一種の魔法だよね。そう、世の中にはそんな素敵な魔法がいっぱいなんだ。
 ま、まさか直樹……!?
 この後、直樹が眠りにつけたのはニワトリさんが鳴いた頃だったとさ。


飛んで火に入る夏の虫専用掲示板【別窓】
■ サイトトップ > ノベル > 飛んで火に入る夏の虫 > 第1話 仔悪魔ちゃん勝手に召喚! ▲ページトップ