第2話 魔王ナオキ光臨!

《1》

 Zizizizizi……。
 やっと寝付けたと思ったのに、直樹は小うるさい目覚まし時計の音で目を覚ました。
「うるさい!」
 ふとんの中から跳ね起きた直樹は辺りを見回した。
 目覚まし時計が見当たらない……というか目覚ましをかけた記憶がない……というか自分の目覚まし時計は枕元にあるし?
 ではこの豪快な目覚まし音はどこから鳴り響いているのか?
 直樹が首を傾げていると、やがて目覚ましの音は止まった。
「ラップ音?」
 ラップ音とは簡単に説明しちゃうと、幽霊が起こす物音のことである。
 恐怖に駆られながら直樹が当たりに警戒を払っていると、物置の中から怪奇音が!?
 ガサゴサ!
 ゴン!
 ギャァァァ!
 人の悲鳴にも似た怪奇音に直樹は腰を抜かした。
 蒼ざめた顔をした直樹が物置を見ていると、突然物置の戸が勢いよく開かれ、中から黒い人影が!?
「おはよ〜ん!」
「……なんでおまえがそん中から出て来るんだよ!」
 物置の中から出てきたのはアイだった。しかも下着姿。
「やっぱりダーリンの近くで眠りたかったから、近からず遠からずってことで。でも、ここって狭くて起きた時に頭打っちゃった……えへへ」
「えへへじゃないだろ、いつの間に俺の部屋に侵入したんだよ!?」
「まあアタシも悪魔の端くれだし、そこら辺は企業秘密ってことで夜露死苦!」
「てゆーか、早く服着ろよ目のやり場に困る」
「ダーリンのえっち、朝からそんなこと考えるなんて……。でも、ダーリンがそうしたいなら、押し倒してもいいよ」
「誰が押し倒すか!」
 突然アイが床にへたり込んで泣き崩れた。
「そ、そんな、ダーリンはアタシのこと愛してないの? アタシのこと嫌いなの?」
「……おまえのことは嫌いじゃねえよ。でも断じて勘違いするなよ、好きとか愛してるってことじゃないからな」
 そっぽを向いて少し顔を赤くした直樹を見て、アイは嬉しそうにニッコリと笑った。ふたりの関係前進か!?
 そっぽを向いていた直樹の顔が焦りの色に変わっていく。
「ヤバイ、遅刻じゃんか!?」
 直樹の視線の先にある時計の針は思いっきり遅刻を指し示していた。いや、まだ間に合う!
 焦りに焦っている直樹はアイの目も気にせずに素早く着替えを済ませて、通学バッグを持って台所に直行。
 階段を暴走牛のように駆け下りて、台所に置いてあるお弁当を取りに行く。
「母さん弁当!」
 血相を変えた直樹に対して直樹ママ真実さんは自分ペースでゆったりとお弁当を直樹に手渡す。
「はい、お弁当。遅刻するからって朝食は食べなきゃダメよ」
「てゆーか、起こしてよ!」
「あんまり気持ちよさそうに寝てたから、起こしちゃいけないと思って」
 部屋までは入ったのかよ!
 こんなところで母親とゆっくり会話をしていると本当に遅刻してしまう。直樹は朝食のトーストを一枚口に加えて玄関の外に出た。
 自転車に跨った直樹の頭上から声がする。
「ダーリン行ってらっしゃい!」
 直樹が顔を上に向けると二階の窓からアイが手を振っていた。恥ずかしいから無視しようかと思ったが、いちよー小さく手を振って自転車を漕ぎ出す。
 ハンドルを握る手で路面を感じ、爽やかというか、豪快な風を全身で感じながら直樹は住宅街を爆走する。
 寝不足のせいか自転車の心地よい振動が直樹の眠気を誘う。眠い!
 だが、寝るわけには行かない。なぜって? 寝たらこけるだろ!
 雲ひとつない広大なる青空。こんな日は学校をサボるにはもってこいだ。でも、よいこのみんなはしちゃだめだよ。
 息を切らしながらどうにか学校に到着した直樹は休むことなく教室に向かう。
 階段を駆け上っているところでチャイムが鳴る。
「ヤバイ!」
 ヘトヘトの身体に鞭を打ちながらギリギリのところで教室に駆け込む。セーフ!
 椅子に座った直樹は机に突っ伏してばたんきゅ〜。酸欠で意識が遠退く。ああ、時が見える……。
 しばらくして美人科学教師であるこのクラスの担任鈴鳴(すずなり)ベル先生が教室に入ってくる。そして、クラスにどよめきが起こる。クラスの視線はベル先生の後ろについて来た可愛らしい女の子に注がれる。
 死の境を彷徨い続けている直樹はクラスの異変にも気づかず机にキスしてる。
 白衣の下に露出度の高い服を着たベルが、たわわな胸を揺らしながら教卓に両手をつく。
「はぁ〜い、みんな黙りなさ〜い。もう気づいてると思うけど、このクラスに新しい仲間が増えるわよぉん。じゃあ、自己紹介お願いねぇん」
 可愛らしい女の子は黒板に自分の名前を書いてぺこりと頭を下げた。
「天満アイっていいます。みんな仲良くしてください」
 この声を聞いて死んでいたはずの直樹が勢いよく顔を上げた。
「なんでおまえがいるんだよ!?」
 叫び声をあげた直樹にベル先生の投げたチョークがスコーンと脳天直撃。
「直樹、可愛い女の子が転校してきたからってはしゃがないの!」
「鈴鳴先生、違くて、だって、その子……」
「もぉ、直樹ったら転校生に一目ぼれ? 若いっていいわねぇん。じゃあ、アイちゃんは直樹の横の席がちょうど空いてるから、そこに座りなさい」
 直樹は慌てて自分の横の席に目をやる。そこにいるべき人がいない。昨日までそこにいた人がいない。クラスの仲間が一人減ってる!?
 直樹ひとりが取り乱す中、アイは直樹の横に座り、しかも机と椅子を必要以上に寄せてくる。
「よろしくね」
 笑顔大爆発のアイ。直樹を襲う強烈な頭痛。呪だ、呪に違いない。悪魔の呪だ!
 唐突に悲しそうな表情になったベル先生が深く息をついた。
「クラスに新しい仲間が増えて盛り上がってるところ悪いんだけど、実は悲しいお知らせがあるのよぉん。山田さんが家庭の事情で夜逃げ……じゃなかった、突然の転校をすることになってしまったの。そーゆーわけでみんな一分間の黙祷をします」
 黙祷って、山田さんにいったい何が!?
 いろんなことを想像した直樹はアイを蒼ざめた顔で見つめたが、アイはニコニコと笑うだけだった。
 これやもしや危機的状況なのでは、と直樹が思っていると、やっぱり危機的状況のようだ。直樹が斜め左前を見ると、シャーペンの芯をカチカチしながら美咲がアイを睨みつけていた。直樹が斜め左前を見ると、不敵な笑みを浮かべながら直樹とアイを見つめていた。そして、もう一つどこから禍々しい殺気が発せられているが、直樹はその殺気の出所を見つけることができなかった。
 ハラハラドキドキの直樹にお構いなく、見た目はちょー可愛い美少女のアイちゃんはクラスの人気者になっちゃったりして、アイちゃんに群がってくる飢えた獣たち。
 恒例の質問タイムがはじまる中、獣たちの叫びに紛れて何かを言ったベル先生がの眉がぴくりと動き、次の瞬間教卓が放物線を描いて教室後ろの壁にぶち当たって大破。
「お黙りなさい!」
 ベル先生が言う前に、教卓が投げられた時点でみんな黙っていた。恐怖で声が出ないという方が正しいかも。
 静まり返った教室にベル先生の咳払いが響いた。
「じゃあ、朝のホームルームをおしまいにするわぁん。じゃあ、そういうことで直樹には話があるから廊下に出るように」
「どういう脈絡だよ!」
 と静まり返っている教室に直樹の声が響いたが、ベル先生にガン飛ばされたので、しぶしぶ直樹は教室の外に出た。
 教室に出るとベル先生が腕組みをしながら直樹を出迎えた。
「行くわよ」
「はい?」
「ここで話すとまずいから、屋上にでも行くわよ」
「はぁ?」
「大事な話があるのよ」
 屋上で大事な話……もしや愛の告白!?
 教師と生徒の禁断の恋。めくるめく愛情と憎しみの渦に巻き込まれる直樹。愛の先に直樹が見たものとは果たしていったい!? なんてことはないか。
 状況もよくわからないまま、直樹は前を歩くベル先生の後ろをついていった。
 お尻をフリフリさせるフェロモン炸裂お色気歩きをするベル先生。直樹の目がどうしてもお尻にいってしまうのは言うまでもなく、階段を上るベル先生のミニスカから覗く美脚に心を奪われる。これこそまさに悪魔の誘惑。しかも、お色気ムンムン一二〇パーセント増量中!
 ドキドキしながら直樹が屋上に辿り着くと、直樹の身体がベル先生によって壁に叩きつけられた。
 揺れ動くたわわな胸が直樹の眼前に迫り、濡れた唇が悩ましい。
 直樹はとっさに思った――食われる!?
「せ、先生……いったい何を!?」
「アイちゃんの秘密バラしたら、殺すわよぉん」
「はい?」
 イマイチ状況理解に苦しむ直樹によりいっそう迫るベル先生……の胸!
 胸に顔面を押し潰されながら、ちょっといい気持ちかもとか思いながら、実は苦しくて死にそうな直樹。
「気持ちいです……じゃなくって、苦しいです……」
「アイちゃんが悪魔だってことみんなに言いふらしたら、地獄の業火でこんがり焼いてあげちゃうわよぉん」
「あ、あの、なぜにベル先生がそのことを!?」
「わたくしも悪魔なのよぉん」
 ベル先生の身体を退かし、直樹が叫ぶ。
「えぇーっ!?」
「あらん、気づかなかった?」
 愛の告白よりも衝撃的告白。悪魔って以外に社会に溶け込んでるんだなぁ、あはは。
 二人しかいないと思われていたこの場に第三者の声が響き渡った。
「やはり貴様も悪魔だったか……私は悪魔を許さない」
 静かな中に燃え上がる憎しみを込めた女性の声。
 逆光を浴びる少女が長い髪を風に靡かせながら、気高くそこに佇んでいた。

《2》

 太陽を背に浴びる黒髪の美しい女性。直樹と同じクラスの美人生徒会長&大財閥の令嬢である鳴海愛(なるみまな)だった。ちなみに直樹は副会長で愛(まな)とは結構仲良しだったりする。
 愛の手には長く鋭い刃物――日本刀が握られていた。なぜに!?
「私は悪魔を許さない。友人の宙を魔術オタクにして、今度は直樹まで誘惑するつもりか!」
 そんなことじゃなくって、なんで中学生が日本刀なんて持ってるの?
 模造品だよね?
 本物じゃないよね?
 ベル先生が直樹の腕を掴み宣戦布告。
「正体がバレてしまっては愛ちゃんも殺さなきゃいけないわね。動いちゃだめよぉん、直樹の首が飛ぶわよぉん」
「飛ぶ!? 飛ぶって俺の首が?」
 冷や汗が滝のように流れる直樹。ベル先生の目はマジだ。愛が動いたら死ぬ。
 刀を構える愛の眼光が鋭く輝く。
「すまぬ直樹、人類のために犠牲になれ!」
 疾風のごとく駆ける愛の一刀が煌きを放ち、直樹ごとベル先生を斬ろうとした。
 静かに舌打ちをしたベル先生によって持ち上げられた。
「人間爆弾発射よぉん!」
 豪快に投げられた直樹は直球勝負で愛に激突。二人はすってんころりん豪快にコケた。
 地面に倒れた愛の上に覆いかぶさる直樹。手に伝わるやわらかい感触に思わずモミモミしてしまった直樹。そして、状況把握で凍りつく直樹。
「うわぁあーっごめん!」
「……いいから早く退け」
 直樹の手はお約束的に愛の胸を鷲掴みにしていた。しかも、モミモミしちゃったし。手に残る感触を一生忘れないと、密に誓う直樹であった。
 直樹を押し退けて強引に立ち上がった愛は素早く刀を構える。ベル先生の姿はどこに!?
「後ろよぉん!
「何っ!?」
 振り向きざまに愛の眉間に銃口が突きつけられる。ファンキーなデザインその銃は子供のオモチャにしか見えないが、侮るなかれ。ベル先生はその奇抜さから世間一般に認めてもらえない天才奇才なのだ。いわゆるマッドサイエンティスト。
 銃口を愛の眉間に突きつけながらベル先生の早口解説がはじまる。
「この銃は物体を一瞬にして元素レベルに還元してしまうというミラクルな銃――その名も『蛙が還る(試作品)』よぉん!」
 ネーミングセンスはイマイチだが、ベル先生の説明から察するにきっとすんげえことが起こるに違いない。
 引き金にかけた指が微かに動いた瞬間、そのスピードよりも早く愛の一刀が煌く。
 銃がクルクル回転しながら放物線を描く。
「きゃあぁぁぁっ! 腕が……あるわね」
 斬られたと思われたベル先生の手首は白衣の袖に引っ込んでいた。
 銃が地面に落ちた衝撃で誤作動を起こす。そして発射!
「うぎゃぁぁぁっ!」
 得たいの知れない生物が車にひかれたような叫び声。愛とベル先生は戦いを一時中断して、その声がした方向を振り向く。ヤバイ、死んだかも?
 そこには地面に蛙みたいに倒れた直樹の姿が!?
 慌てた愛は直樹に駆け寄る。
「大丈夫か直樹!?」
 続いて平然とした顔をしたベル先生が一言。
「失敗ね」
 ベル先生の理論では直樹の身体は元素レベルまでバラバラにされて、跡形もなくなるはずだったのだ。
 身動き一つしない直樹。やっぱ逝きましたか?
 地面に膝を付き歯を食いしばる愛。
「くっ、すまない直樹、私のせいで……」
「まあ殺人なんて大したことじゃないわよぉん」
「もとはと言えば貴様が!」
 立ち上がろうとした愛の手を何者かが掴んだ。
「直樹!? 生きていたのか?」
 驚く愛の目の前で直樹がゆっくりと身体を起こす。
「はははは……あ〜ははははっ!」
 高らかに笑い立ち上がった直樹は掴んでいる腕を引っ張り、愛の身体を自分の胸に抱き寄せた。
「美しいぞ愛」
「何を申すか、頭でも打ったのか!?」
「いや、わたし≠ヘ本気だよ、愛ちゃん」
 美しい女顔の本領発揮。悩ましい瞳で見つめられた愛は普段の彼女からは想像できないほどに焦りを覚えて、生唾をゴクンと飲んだ。
 この状況を平然とした態度で見守るベル先生はメモを取りはじめた。
「なるほど、実験は失敗したけど思わぬ効果が出たようねぇん。あの銃には人の人格を変える力があったのねぇん。となると名前改め『蛙が変える(試作品)』ねぇん!」
 当初の用途とは変わってしまったが、ベル先生が大発明をしてしまったことには変わりない。やっぱりマッドサイエンティスト。
 本能的に危機感を感じた愛は直樹の身体を突き飛ばそうとした……のだが、直樹の胸を押した感触が妙にやわらかい。思わず愛はモミモミしてしまった。ま、まさか!?
 顔を赤らめて吐息を漏らす直樹。
「あぁん、そんなに激しくしないで……」
 凍りつく愛は顔を沸騰させながら、ものすごい勢いで前を向きながら逆走した。
「な、直樹……おまえ……やっぱり女だったのか!?」
 この発言にベル先生も驚きの声を漏らす。
「そ、そうだったの。そうじゃないかと思ってたのよぇん。そんな女顔の男がこの世にいるわけないものねぇん」
 あまりの衝撃にこの場の雰囲気が凍りつく。地域限定ピンポイント極寒。……このギャグが寒い。
 凍りつくこの場を打ち砕く存在が現れた。盛大に開かれる屋上のドア。中から現れたのは制服がキュートに似合っているアイだった。
「やっほーっ、ダーリン帰ってこないから授業サボって探しに来ちゃった……えへっ」
 場の空気が掻き乱される予感。混迷を深める。カオス万歳!
 直樹を見るアイの表情が曇っていく。
「いつものダーリンと何か違う」
「あ〜ははははっ、当たり前だわたしは生まれ変わったのだからな、魔王ナオキとして!」
 この場にいた全員が『はぁ?』というマヌケな表情をしてしまった。
 恐る恐るベル先生が言葉を漏らす。
「それってギャグかしらぁん。真央直樹、まおーなおき、魔王ナオキ?」
 この意見にツッコミを入れる者は誰一人いなかった。ベルさんちょっぴり寂しいです。カマってあげてください。
 誰もカマってくれないのでベル先生はしゃがみ込んでショック!
「ふふ、儚いわね」
 手に残る感触を感じながら愛もショック!
「ま、まさか直樹が女だったとは……」
 イマイチ状況を理解できてない新参者。
「ダーリンが女ってどういうこと?」
「私は、私は触ってしまったのだ……私よりも豊満な直樹の胸を……ショックだ」
「ダーリンに豊満なバストが? うっそだぁ〜!」
 アイはちょこちょこと歩き直樹の前に立つと、両手でガシっ!
 手に伝わるやわらかな中に弾力性を秘めた感触。確認のためモミモミしてみると反応があった。
「あぁん、アイったらこんなところで……」
「ダダダ、ダーリン!? 女だったの……ってことは結婚サギ!? アタシとの結婚はどうなるの!? ダーリンのばかぁん!」
 取り乱すアイは床に崩れてショック!
 本日三人目の被害者でございます。
 思い思いのショックに浸る三人を尻目に自称魔王ナオキが去ろうとする。
「ではわたしは世界征服をするのでさらばだ、あ〜ははははっ!」
 立ち去ろうとした自称魔王ナオキの足首をアイがガシッと掴んで離さない。
「ちょっと待って。今思い出したんだけど、昨日アタシとお風呂入った時、胸なんてなかったよね?」
 この言葉を聞いて今まで落ち込んでいたはずのベル先生が活気を取り戻して立ち上がる。
「わかったわ、全てを理解したわぁん。直樹はわたくしの作った銃の光線を浴びて人格が変わっただけでなく、肉体的にも変わってしまったのよ、そうよ、そうに違いないわぁん。やっぱりわたくしって天才、おほほほほほ〜っ!」
 頬に手を当てて高笑いするベル先生。
 この場にいた全員が何となく状況把握。
 こちらも落ち込んでいたはずの愛が立ち上がる。
「なるほど、こやつはナオキ♀ということだな。ナオキ♀とやら、貴様が世界制覇を企むとあらば、今から貴様は私の敵だ!」
「ダーリンに牙を剥く人間はアタシが許さない」
 ビシッと立ち上がったアイの指先が愛を捕らえる。
 やはり状況は混迷を深めてきた。
 自分の腕に絡み付こうとするアイ腕をナオキが力強く振り払い、アイが地面にコケてスカートが巻き上がる。あ、くまだ。今日もアイのパンツはクマさんだった。
「おまえみたいな幼児体系のお子様はわたしの好みではない!」
「がぼ〜ん!」
 アイちゃん的大ショック!
 ショックを受けたアイはすぐさまベル先生のもとに駆け寄って、白衣の裾を何度も引っ張って目に涙を浮かべる。
「あんなのダーリンじゃないよぉ、ダーリンも酷いこというけど、あんなのダーリンじゃない。ベル姐どうにかしてよぉ、ダーリンを元のカッコイイ男の子に戻してよぉ」
「わたくしの理論が正しければ、世界の大半の問題は愛で解決するのよぉん。だから、きっと直樹のことを想う人がキスでもしてあげれば戻るんじゃないの?」
 どういう理論だよ?
「アタシがダーリンにキスすればいいんだね?」
「そういうことなるかしらねぇん」
 この二人の会話を横で立ち聞きしていた愛が胸の奥で何かを決意した。
「直樹に接吻すればよいのだな、わかった!」
 屋上から走り去るナオキの後を愛が追った。まさか愛?
 一足出遅れたアイもこの戦いに参戦。ナオキの後を追う。
 屋上にひとり残されたベル先生は青空を眺めて一言。
「青春よねぇん」
 こうして、もしかしたら女たちの熱いバトルに火がついたのかもしれないのだった。

《3》

 授業中もお構いなしにナオキが廊下を走り、その後ろを日本刀を構えた黒髪の美少女――鳴海愛が追い、その後ろを一足送れて仔悪魔アイが走る。
 その光景を幸か不幸か発見してしまった廊下側の席の人は目を丸くしてびっくり仰天。
 西洋刀よりも遥かに重い鍛え上げられた日本刀を持って走る愛は分が悪い。
「待つのだナオキ♀!」
「待てと言われて待つのは犬だけだ!」
「なるほどうまいこと言うなナオキ♀」
 感心してどうするんですか愛サマ!
 くだらないナオキの言葉に感心している愛の後頭部に紙をまるめた物体が当たる。
「何奴!?」
「なんでアンタがダーリンのこと追ってるのよ!」
 一足遅れたアイだったかが、すでに愛の真横を走っていた。
「ナオキ♀が世界制覇を企むのであらば、私はそれを止めなくてはならん」
「そんなこと言ってダーリンの唇を奪う気なのね、この女狐!」
「唇、唇、唇、私が直樹と接吻……」
 遠い目をした愛はトリップ状態だった。そして、すぐに旅行から還って来て刀の切っ先をアイの喉元に突きつける。
「私が直樹と接吻したいがための行と申すのか、この不届き者小娘が!」
「小娘呼ばわりは失礼よ、これでもアタシ四二六歳だし」
「まさか、貴様も物の怪の類か!?」
「高貴な仔悪魔ちゃんだよ」
「ならば成敗してくれる!」
 大きく振り上げた刀がアイの頭上を狙い、ギリギリの所で刃が止まる。
「どうだアタシの真剣白刃取り!」
「小癪な!」
 刀を持つ愛の手が振るえ、アイの手もぶるぶる震えている。まさに一色触発。
 廊下中にけたたましいエンジン音が鳴り響く。アイと愛は気を緩めてエンジン音がした方向を見た。するとそこには七五〇ccを超えると思われる大型バイクに跨った白衣の女性が!
「あなたたちナオキを見失うわよぉん」
 エンジンを吹かしたベル先生バイクで廊下を暴走!
 すでに一色触発状態を解いた二人の横をもの凄いスピードですり抜けていくバイク。確かあっちには階段があったような……、まさかあのまま降りる気なのか?
 心配になって愛がベル先生を止めようとする。
「鈴鳴先生! ヘルメット被ってください!」
 そこかよ!
 確かにヘルメットは被らないと危ないです。よいこのみなさんはバイクに乗るときにヘルメット着用しましょう。
 完全にナオキを見失った二人は顔を見合わせて睨み合う。きっと見える人には火花が見えます。
「アナタがアタシを殺そうとするからいけないのよ」
「悪魔の言うことに耳は貸さぬ」
「そーゆー偏見やめてくれる? 悪魔が全員が悪い奴みたいに言わないでよ」
「悪魔は全て悪だ」
「そりゃー悪魔の中にだって悪い奴とかいるけど、特にベリアル大王様とか。でもね、グレモリー公爵様は立派な方よ」
「ベリアルとグレモリーとやらのことは知らんが、所詮は悪魔であろう!」
「ああ〜っもぉ、アナタと話しても平行線。じゃ、お先に!」
 走り去るアイの背中に愛が声をかける。
「おい、待つのだ!」
 教室から覗く顔顔顔。すでに学校中は大騒ぎになっていた。
 刀を鞘に収めた愛はアイの背中を追う。そして、作戦変更。
 ここぞとばかりに内ポケットからケータイを出した愛。もちろん時刻を調べたかったわけじゃなくて、通話のためだ。しかし、愛はケータイをしまった。
「自分の力で何とかしよう……」
 愛は決意を胸に走り出す。
 前を走るアイに愛が声をかける。
「おい貴様、ナオキ♀の所在がわかるのか?」
「貴様って呼び方やめてよね、アイって呼んで」
「ならばアイ、改めて訊くがナオキ♀の所在がわかるのか?」
「もちろ〜ん。ダーリンの匂いを辿ればすぐにわかるよん」
「貴様は犬か」
「わん!」
 愛はアイの言葉を信じて後を追う。
 廊下を抜け階段を駆け下り下駄箱を抜け、目くるめく景色の移り変わり。
 ナオキは意外に簡単に見つかった。
 巨大な棒切れを持ったナオキはグランドをキャンパス代わりにお絵かきをしていた。ベル先生監修のもと。
 遠くからアイがナオキに呼びかける。
「ダーリン何してるの?」
「来るな、入ってくるな、魔方陣が消えるだろ!」
 グランドを上空からヘリコプターで見たらわかりやすいだろう。それはまるでミステリーサークルのようだった。もうすでに教室の窓から何人もの生徒が顔を出してその紋様を見ていた。
 果たしてナオキは何をしようとしているのか?
 ナオキのすぐ横でベル先生が指示を出している。その通りにナオキは紋様を描いているのだ。
「そこはまっすぐ引いて、そっちと繋げて、違う違うわぉん。そこが最初に念を送る場所なんだから、もっと丁寧に描いてぇん」
「こんなもので本当に成功するのか?」
 ナオキはベル先生の指図まま動いているが、本当にこれが効果を上げるものなのかは不審に思っていた。
 呆然とナオキたちの行動を見てしまっていたアイと愛だったが、アイが先に動いて避雷針の上によじ登り、ナオキがいったい何を描こうとしているのかを見定めようとした。
「なにこのラクガキ……悪魔召喚の魔方陣でもなさそうだし……ベル姐はいったい?」
 上から見た紋様は何かの配線コードのようで、紋様というよりは機械の内部のようだった。
 ナオキの身体が止まる。全てを描き終えたのだ。
「これでいいかベル?」
「まあまあねぇん、でも問題はないでしょう」
 ベル先生は白衣のポケットに手を突っ込むと、ポケットよりも遥かに大きいスピーカーを取りした。きっと白衣のポケットは四次元ポケットに違いない。
 スピーカーの電源をオンにしてベル先生がしゃべりだす。
「みなさ〜ん、黙ってわたくしの話を聴くのよぉん。これから可学の実験を行うわ、モルモットはあなたたちよぉん!」
 学校中に地の底で悪魔が唸っているようなどよめきが巻き起こる。
 この学校の生徒ならば誰も知っている鈴鳴ベル先生の可学=B可学とはベル先生いわく、なんでも可能にする学問であり、その根本原理は可学と魔法の融合にある。
 ベル先生の実験がはじまろうとしている。たびたび行われるこの実験≠フせいで、現在も行方不明者が出ているらしいのだが、ベル先生は犯行を否認している。絶対にベル先生の仕業と思われることでも、それは公然の秘密として黙されてしまうのだ。
 教室で授業をしていた生徒たちがいっせいに逃げ出す。
 四角い箱に波線を描いたコイルをモチーフにした場所にナオキが立つ。
「ここから念を送ればいいんだな?」
 ベルはナオキから離れた四角い模様の中から返事を返した。
「そこで念じることによって、わたくしを経由して力を増幅させるのよぉん」
 何が起ころうとしてか誰にもわからなかった。
 避雷針の上からスルスルと下に降りたアイはすぐに愛の横に駆け寄った。
「なにやってるかわかる?」
 質問された愛は困るかと思いきや、愛にはこの幾何学模様が何であるかわかってきていた。
「これは装置に違いない。鈴鳴先生の言葉から察して、念を増幅させる装置。つまり、サイコキネシス装置と言ったところだろう」
「もっと噛み砕いて説明してよ」
「超能力発生装置だ」
 もっと噛み砕くと、誰でもエスパーになれちゃうよ装置。
 愛の言葉を耳にしてベル先生が高笑いをする。
「おほほほ、さすがは才色兼備の令嬢様ねぇん、正解よ。でも、きっとこのマシンの力はあなたの想像を絶するはずよ。さあ、ナオキちゃん念を送るのよ」
「任せとけ!」
 ナオキが念じる、念じる、念じる。すると、念が地面に描かれた配線を経由してベル先生のいる場所へと送られ、ベル先生が念を魔法エネルギーに変換し、魔法エネルギーは次の場所で増幅され、放たれる!
 強い念波が学校中を包み込み、気分の悪くなった者は早退へと追い込まれる。
 念波の耐性がない人はすぐに気絶してしまい、ある程度耐えられる人は魔法の誘いを受ける。
 気絶しないで残っている生徒たちが突然制服を脱ぎ出した。制服を脱ぎ捨て、下着姿になったところで発信源であるナオキの念じる力と、生徒たちの下着を脱いでたまるものかという力がぶつかり合う。
 アイは魔法に対する耐性が人間よりあるので全く効果が表れてない。
「みんなどうしたの、サバドで乱交パーティでもする気なの? 中学生のクセにみんなへえっちなのね」
 この仔悪魔は全く状況を理解していなかった。ちなみにサバドとは簡単に説明しちゃうと魔女の集会のこと。
 多くの生徒たちは下着を脱ぐ前に精神が尽きて気絶してしまった。そんな中で逆に強い精神力を持っている人の方が損をする。特に鳴海愛。
「くっ……自分の意思に反して手が勝手に……」
 愛は上がブラジャー姿になってしまって、今はスカートと格闘中だった。
 ジッパーを下ろしたり上げたり、まるで遊んでいるように側からは見えるかもしれないが、愛は真剣そのものだった。なのにアイは呑気なことを言う。
「それって人間界で流行ってる遊び? アタシもやるやるぅ」
 やると言って自分のをやればいいものを、アイは愛のスカートのジッパーに手をかけてた。
「やめろアイ!」
「よっし、そっちが上に上げるなら、アタシは下に下げちゃう」
「違う違う、下げるな脱げるだろ!」
 学校中が大混乱の中、微かな声がポツリと漏れた。
「……ばかばっか」
 ワラ人形を持った少女――見上宙が無表情なまま現れる。
 全く念の影響を受けていないようすの宙は地面に描かれている回線を足で消す。
 思わずベル先生は『……あっ』という表情をする。最大の弱点を突かれた。

《4》

 ――念波が消えた。いや、逆流していく。
 蒼ざめるベル先生。
「宙ちゃん、なんてことしてくれたのよ! わたくしの偉大な実験が……うっ」
 立ち眩みを起こしたベル先生はそのまま地面に倒れ込み動かなくなった。
 逆流する念波はベル先生を通して、ナオキの糧となり力となる。
「ははははっ、あ〜ははははっ、力が、力が漲ってくるぞ!」
 高笑いをするナオキの身体は激しい光に包まれ、まさにそれは人間イルミネーション。
 素早く着替えを済ませた愛が素早く刀を抜きナオキに襲い掛かる。
「すまぬ直樹!」
「この魔王ナオキ様に刃向かう気か!」
 風を切り裂く愛の一刀をなんとナオキはチョキで挟んで受け止めてしまった。
 残ったナオキの手が素早く動く。
「くらえ秘儀スカートめくり!」
 手と風の力を利用して放たれたナオキの秘儀は愛のスカートをふありとめくり上げ、黒いレースの下着を召喚した。愛様色っぽい。
 ――時が止まる。愛の思考は一時停止して、その後に訪れる激しい発熱作用。そして、見る見るうちに目じりが上がり、キレる。
「スカートめくりをされるなど末代までの恥。よくも、よくも貴様、許しては置かぬ!」
 チョキから抜かれた刀が滅茶苦茶に振られ、ナオキをみじん切りにしようとする。
 暴走する愛VS自称魔王ナオキの戦いを傍目から見ているこの三人。どこからか持ってきたちゃぶ台をグラウンドに置いて、アイと宙とベル先生はお茶を飲みながらドラ焼きを頬張っていた。
「ダーリン頑張って!」
 『直樹ラヴ』と描かれた小旗を振りながらナオキを応援するアイの横でお茶を飲む宙。
「……熱々。青春ね」
「あぁん、愛って素晴らしいわぁん」
 なぜか悶えるベル先生にアイからツッコミ。
「さすが彼氏いない暦うん百年って感じ」
「あらぁん、一度も男と付き合ったことのないお子様に言われたくないわねぇん」
「ふん、今はダーリンがいるもん!」
「押し掛け女房でしょ?」
「うっ……」
 それを言われると返す言葉がない。
 宙はドラ焼きを食べながら何食わぬ顔をして、ワラ人形をアイの眼前に突きつけた。
「直樹ハ迷惑シテンダロ、コンチキショー!」
「アタシがダーリンに迷惑掛けてるって言うの!? これでも頑張って尽くしてるんだよ!」
 アイの怒りの矛先、アイの視線は宙に向けられているが、宙はあくまでこう言う。
「ワタシじゃない。言ったのはこのワラ人形のピエール呪縛クン」
 なんだかすごいネーミングセンスです。
 一瞬の間、ネーミングセンスに圧倒されたアイだが、すぐに宙に喰って掛かる。
「人形がしゃべるわけねぇだろうが!」
 言葉遣いが乱暴になっちゃったアイちゃんを宙が口元だけを動かして嘲笑う。
「……ふっ」
 立ち上がった宙がワラ人形を手放すと、なんとワラ人形が宙に浮いて勝手に動き出した。
「ナンダバカヤロー、コレデ文句アルカ!」
 突然繰り広げられるイリュージョンにアイは目をキラキラと輝かせて喰いつく。時たま垣間見せる純粋で無邪気なところが素敵です。
「すごい、すご〜い、魔法魔法魔法なのぉ!?」
 無邪気なガキンチョを冷めた瞳で見つめるベル先生の冷めた一言。
「透明な釣り糸が見えるでしょ。釣り糸で動かしてるのよ」
「……ちっ、バレた」
 宙はあからさまにワザと作った嫌な顔をして、すぐにもとの無表情に戻る。
 イリュージョンのネタバレをされてしまったアイはショック!
「がぼーん! だ、騙された」
 ショックを受けてドラ焼きのヤケ食いをするアイに、ピエール呪縛クンが優しく話しかかる。
「マア気ヲ落トスナヨ、人生山アリ谷アリ、ドン底アリダゼ」
「うるうる……ありがとぉピエール呪縛クン。感動したよ」
 この瞬間芽生える固い絆。二人は互いを見つめ合い、深い恋の渦に堕ちてゆく……。なんてことはない。
 いつの間にかお茶からビールに飲み物が替わっているベル先生は、ドラ焼きの代わりに裂きイカを食べながら酔った手つきでナオキたちを指差した。
「アイちゃ〜ん、こんなところで遊んでないで早くダーリンのとこ行ったらぁん。早くしないと、大事なダーリンを愛ちゃんに寝取られちゃうわよぉん」
 若干酔いが回っているベル先生の指摘でアイははっとして立ち上がった。
「そうだ、ダーリンにキスしなきゃ!」
 愛しいダーリンのもとに飛び込もうとするアイの視線に光り輝く物体が入った。
 クルクル回り放物線を描いてアイに向かって飛んでくる物体。
「わぁ、折れた刀だぁ」
 それがなんであるかアイが気づいたと同時に、折れた刀はアイの前髪を掠りながらスパーンとアイの足元に突き刺さった。きっと、アイの胸にもっと凹凸があったら大変なことになっていただろう。時として幼児体系も役に立つ時があるのだ。
 地面に刺さる折れた刀を見ながらアイの中でカウントダウン。
 ――3。
 ――2。
 ――1。
「おんどりゃー! アタシを殺す気か!」
 禍々しい鬼気を放ったアイはどこからともなくちょー巨大ハンマーを召喚!
 ハンマーの大きさはだいたい人間の脳天を一撃でクラッシュさせられるくらい。
 小柄なアイの身体から想像もできない力でハンマーをブンブン振り回すその姿は、悪魔というよりは鬼神。いや、破壊神(邪神の化身<無国籍>トンカツ豚美)。
 猪突猛進のアイちゃん。豚は猪の改良種!
 アイの怒りの矛先は愛だった。
「おのれぇ愛ぁぁぁっ!」
「私のせいではないぞ、ナオキ♀が私の愛刀を追ったのだ!?」
「問答無用じゃ!」
 言葉遣いが明らかに変わっちゃってるアイが第一球振りかぶる!
 空振り!
「私のせいではないと言っておろう!」
「ダーリンはアタシのもんだ!」
 第二球振りかぶる!
 空振り!
「私の話も聴け!」
「ダーリンを返せ!」
 第三球振りかぶる!
 空振り三振!
 紙一重でアイの猛攻を躱した愛はナオキとの戦闘以上に体力を消耗していた。
 このままでは埒が明かないと判断したアイはハンマーを投げ飛ばして、サバイバルナイフを取り出した。ちなみに投げられたハンマーはどっかの誰かさんたちが団らんしていたちゃぶ台を大破。
 サバイバルナイフを取り出したアイはなんと……ナオキを人質に捕った!?
「ふふふ、ダーリンを人質に捕られたら手も足もでないでしょ。アタシ天才!」
 何か間違ってませんかアイちゃん?
 しかし、なぜかナオキは人質気分。
「た、助けてくれ!」
 ついでに愛も人質を捕られた気分。
「くっ、小癪な!」
 唾を飲む音が聞こえる。
 首にナイフを突きつけられたナオキは身動き一切できず、愛は折れた刀の柄を強く握り直しどう戦う?
 誰もがこの先の展開を見守った。しかし、誰もいつの間にかアイが悪役に転じていることにツッコミを入れる者がいない。ここにいる者たちはどちらかと言えばボケ担当だった。この事態を打開できるのはツッコミだけ……なの?
 校庭に空っ風が吹き、黄土色の砂埃が宙に舞う。
 地面に映る黒い影。その人物はアイとナオキの真後ろに迫っていた。気配を忍者なみに消すことのできる者。団らんの仕返しだった。
 黒い影が先端に三角の付いた棒を振り上げる。
 ゴン!
 後頭部を強打されたナオキが顔面から地面に転倒気絶。
 ゴン!
 二発目の攻撃でアイが頭を押えて地面にうずくまる。
「いたぁ〜い……誰?」
 涙目でアイが後ろを振り向くと、そこにはシャベルを構えた宙が立っていた。
「……実力行使」
 ――だそうです。
 地面で身動き一つしないナオキをアイが慌てて膝枕で抱きかかえる。
「ダーリン、ダーリンしっかりして!」
「うっ……うう……」
 微かに動くナオキの唇。
「ダーリン死んじゃヤダよ!」
「うっ……今日のパンツは、あっクマだ……あくまだ……悪魔だ……なんちゃって……」
「ダ……ダーリン、ダーリンのばかっ!」
 強烈なアイの平手打ちがナオキの頬にクリティカルヒット!
 鼻血が噴水のように飛び出し、直樹は完全に目を覚ました。
「あれっ? ここどこ……学校……う〜ん、記憶が曖昧だ」
「ダーリン!」
 涙をいっぱい浮かべたアイは両手をいっぱいに広げて直樹に抱きついた。その時にあることに気づいた。……胸がない。自分の胸じゃなくって直樹の豊満なバストがなくなってる!?
「ダーリン、元に戻ったんだね……」
「元にって俺……があっ!?」
 直樹は自分の鼻を触った感触が生ぬるいことに気が付いて、真っ赤に染まった掌を見た。
「なんじゃこりゃ〜っ!?」
 素っ頓狂な声を荒げた直樹は真っ青な顔になって、アイの膝にうなだれる。
「ダーリン、ただの鼻血」
「えっ、鼻血?」
「もぉ、ダーリンったら」
「あはは、な〜んだ鼻血か」
 いつの間にか二人の世界に入っている直樹とアイを冷めた目で取り囲む三人。
 まず、顔を真っ赤にしている愛様から一言。
「……こんな公衆の面前で恥を知れ!」
 次にビールジョッキを片手のベル姐さんから一言。
「あぁん、青春よねぇん!」
 最後に無表情の宙ちゃんから一言。
「……不潔」
 顔を真っ赤にして状況把握をした直樹が慌ててアイの膝から起き上がる。
「か、勘違いするな! 俺は無実だ、何が無実だか自分でもなに言ってるかわからんが無実だ。俺は潔白で純粋無垢の青春真っ盛りの学生さんだ!」
 言えば言うほどドツボに落ちる。
 ピエール呪縛クンが直樹の眼前に突きつけられる。
「エッチ、痴漢、破廉恥!」
「俺が何したんだよ、気づいたらグラウンドだし、何があったんだよ!」
 一方的に全生徒から軽蔑の眼差しで見られる直樹。ナオキの起こしたあの一連の行為は直樹の深層心理だったのか……?
 下駄箱からバスケットボールを抱えて猛ダッシュして来る人影。狂気の形相をしたその人物は直樹の幼馴染である佐藤美咲だった。
「直樹! よくもさっきは!」
「また俺かよ、俺が美咲になにしたんだよ!?」
「みんなの前で下着姿にさせといて……問答無用!」
 豪速球と化したバスケットボールが真っ赤な顔をした美咲の手から放たれる。
 禍々しいオーラを放ったバスケットボールが直樹の顔面に改心の一撃!
 ゴン!
 勢いよく直樹は後頭部から地面に倒れた。
「ダーリン!」
 すぐにアイが抱き起こそうとすると、直樹はアイの身体を振り払って自らの力で立ち上がった。
「あ〜ははははっ、魔王ナオキ様復活!」
「…………」
 いろんな場所からため息が漏れ、スピーカーを構えたベル先生が大声で話す。
「はい、みんな授業に戻るわよぉん」
 いろんなところから『は〜い!』という返事が返ってきて、流れ解散。
 教室に帰っていくベル先生たちの背中にナオキが怒鳴り散らす。
「おい待て、ナオキ様を無視するつもりかっ」
「ダーリン、アタシだけは無視しないよ!
 ナオキの首に腕を絡めて抱きつくアイ。
 グラウンドにぽつんと残された二人を見て誰かが呟いた。
「……ばかばっか」
 この後、授業はナオキを完全無視して通常通り行われたとさ。


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