第11話_鼻血で胸焼け
 絶対にカーシャはついて来るな。
 と、念を押してルーファスとローゼンクロイツはお出かけした。
 今日も洗濯日和な街中を、携帯用のペットハウスを持って闊歩する。もちろん、この中には黒猫のハルカが入っている。
 ここ数日、魔導学院は補修工事と国宝盗難事件を受けて、休校処置が取られていた。
 学院の正面門は硬く閉ざされ、見張りの職員が目を光らせて立っている。
 二人は学生証を提示して開門を要請したが、職員は首を横に振った。
「職員以外の出入りは禁止されています」
「ケチ(ふっ)」
 ローゼンクロイツは吐き棄てて、思わぬ速さで動いた。
 ルーファスの手首を掴み、ペットハウスが振りかぶられたぁッ!
 ズゴーン!
 ルーファス叫ぶ。
「ハルカー!」
 顔面をペットハウスで強打された局員が吹っ飛ぶ。
 ローゼンクロイツが門を軽やかに飛び越える。
 ルーファス叫ぶ。
「ローゼンクロイツ!」
 ローゼンクロイツは控えていた残りの職員を殴り倒す。
 開閉ボタンが押され門が開いた。
 全てアッという間の出来事だった。
 慌ててルーファスがペットハウスのフタを開けると、息絶え絶えのハルカが睨みを効かせていた。
「る、るーふぁす……シネ!」
「私じゃない、ローゼンクロイツがやったんだよ!」
 実行犯の姿を探すと、すでにない。
 這い上がるゾンビのように職員が立ち上がろうとしていた。

 たたかう
 魔法
 アイテム
 ▽にげる

 ルーファスは逃げるを選択した。
 しかし、いきなりつまづいてコケた。
 どてっ。
 ペットハウスの中のハルカが大震災に襲われた。
「ルーファス!」
 怒られながらルーファスは立ち上がって、必死に逃げる。
 思いっきり腕を振って走るものだから、ペットハウスの中は揺れに揺れた。
「ルーファスってば!」
「緊急事態だから我慢して!」
「イタッ!」
「世の中、我慢と忍耐も必要だよ」
 追っかけてくる職員を振り切り、ルーファスは学院の地下に逃げた。
 静まり返った廊下に足音が響き渡る。ときおり、ゴツン、ガツンと聞こえるのはご愛嬌だ。
 パラケルススの研究室の扉の前で、ローゼンクロイツが体育座りをしていた。無意味に憂いを含んだ虚ろげな表情が胸にグッとくる。
「待ってたよルーファス(ふあふあ)」
「待ってたってさ、私を置いて逃げるなんてヒドイじゃないか」
「キミの足が遅いだけだよ(ふっ)」
 無表情な顔の口元が歪み、すぐに元に戻る。相手を小ばかにした笑いだ。
 ルーファスの持っているペットハウスが内側から大暴れして揺れた。
「早くここから出して!」
 キーキー甲高い喚き声がした。
 すぐにペットハウスを床に下ろすと、フタに突進して無理やりハルカが出てきた。
「もっと丁重に扱ってよ(身体中イタイし)」
「ごめんねハルカ」
 頭から湯気を出して怒るハルカに謝るルーファスだが、謝ってばかりのルーファスを見てハルカのほうが情けなくなってくる。
「もういいよ、次から気をつけてね」
 ショボーンとするルーファスをほっといて、すでにローゼンクロイツは研究室のドアをノックしていた。
「失礼するよ(ふあふあ)」
 返事を待たずに勝手にドアを開けて中に入る。カーシャとはまた違った自分勝手な感じだ。
 カーシャは自分が一番。
 ローゼンクロイツは周りを見てない。
 研究室の中には、山吹色の魔法衣を着た初老の男性――パラケルススがいた。
「学院は休校のハズじゃが?」
「……知らなかった(ふあふあ)」
 どこまでがマジボケなのかわからない。
 ルーファスはハルカを胸の前で抱きかかえ、パラケルススにハルカの姿を見せた。
「このネコ実は人間なんです」
「うむ、詳しく話してくれんかね?」
「いろいろあったんですけど、身体を失ってしまって緊急的にアニマをネコに移したというかなんというか、とにかくもとの身体に戻るために、パラケルスス先生のホムンクルスの技術でどうにかならないかと……」
「まさか、処刑されたというアースから来た子かね?」
「ええ、まあ(鋭いなぁ)」
 液体を満たした硝子ケースの中に浮かぶ人型の器――ホムンクルスを見ながら、ローゼンクロイツがボソッと呟く。
「その子のアニマをボクが抜いて、猫に移し変えたのは魔女――カーシャだよ(ふにふに)」
「アニマを抜くじゃと?(やはりローゼンクロイツは侮れんな。〈魂移しの儀〉を成功させたカーシャもじゃ)」
 驚きで眼を剥いたパラケルススの視線は、黒猫のハルカに注がれていた。研究者としてとても興味のある存在なのだろう。
 アニマを取り出し、別の入れ物に移し替える。それはつまり不老を手に入れることに等しい。
「わしに作れというのは、この子の元の身体の形をした器じゃな?」
 研究室内にあるホムンクルスは人間と寸分変わらぬ再現率だ。これならばハルカの肉体を再生させることも可能かもしれない。
 しかし、ローゼンクロイツは知っていた。
「ハルカの肉体を作るためには、ハルカが人間だったときの細胞が必要なんだ(ふにふに)。すでに火葬されたらしいよ(ふあふあ)」
 ハルカ&ルーファスが唖然とした。
 なんでそんな大事なのこと早く言わないんだよ!
「今まで忘れてたよ、そのこと(ふあふあ)。ホムンクルスを見てから気づいた(ふにふに)」
 忘れてたでは済まない。希望を持たせといて、崖から突き落とされた気分だ。
 ハルカの頭が真っ白になった。
 グッドアイディアだと信じて疑わなかったルーファスも頭真っ白だ。
 パラケルススの細い手がハルカに伸びる。
「髪の毛一本でもあればいいのじゃが。少し調べたいことがあるので、わしにその子を預けてくれんかね?」
「はい、お願いします」
 ルーファスは抱いていたハルカをパラケルススに渡そうとした。その二人の間にローゼンクロイツが立ちはだかって邪魔をした。
「良くないよパラケルスス(ふあふあ)」
「なにがじゃね?」
「ボクにはわかるよ、人の良さそうな老人の顔をしているけれど、一瞬だけ邪気がした(ふあふあ)」
 エメラルドグリーンの瞳がパラケルススを見据えていた。
 恩師に向かってとんでもないことを言うローゼンクロイツに、さすがのルーファスも怒りを露にした。
「なんてこと言うんだよ、パラケルスス先生が悪いこと考えるはずないじゃないか!」
「ルーファスは甘いね(ふあふあ)。ここにいるハルカは研究対象として、どれだけの価値があると思っているんだい?(ふにふに)」
 それは不老の可能性。
 ローゼンクロイツを前にして、パラケルススが後退りをした。
「ふぉふぉふぉ、錬金術師の研究のひとつである不老不死に、この猫は精通するものがある。じゃがな、わしは医学には興味があるが不老不死には興味がない」
「ほら、ローゼンクロイツの思い過ごしじゃないか(そうだよ、僕がどれだけパラケルスス先生にお世話になったことか)」
 軽く笑って済ませようとしたルーファスの思惑を、ローゼンクロイツは見事に打ち砕いた。
「ボクの思い過ごしなら、パラケルススが左手に隠し持ってる注射器も目の錯覚だね(ふにふに)」
 張り詰めた空気が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、ルーファスは場に捕まってしまった。
 硬直していた場でいち早く動いたのはパラケルススの左手だった。
 その手から注射器がダーツのように投げられ、ローゼンクロイツの顔面に襲い掛かる。
「ライトシールド(ふにふに)」
 光の盾に弾かれて注射器の細い針が折れた。
 弾かれた注射器が地面に落ちるよりも早く、パラケルススは立て掛けてあった自分の杖を手にしていた。
 杖の先端についた紅い宝玉が唸る。
「エントよ、力を貸したまえ!」
 パラケルススの声と共に、杖についた宝玉から太い木の根が飛び出し、生き物のようにしてローゼンクロイツ襲い掛かる。
 華麗にを躱すローゼンクロイツだが、蛇のようにうねる根が執拗に追いかけてくる。
 そんなことより、根をアクロバティックに躱すローゼンクロイツに驚きだ。
実は運動神経抜群だったりするローゼンクロイツ。しかも学校での成績はトップクラスで嫌味以外のなにものでもない。ただし、いつも出席日数がピンチらしい。
 ドレスの裾を揺らしながら、バク転するローゼンクロイツ。
 黒いパンツが見えた!
 ――違った、スパッツだった。
 状況がつかめず、唖然と立ち尽くすルーファスに抱かれているハルカが叫ぶ。
「ルーファス逃げて!」
「え、あ、なんでパラケルスス先生が!?」
 納得できていないが、そんなことを考えてる余裕はなかった。
 木の根に追われるローゼンクロイツがいち早く研究室を脱出し、すぐにルーファスもハルカを抱きかかえたまま走り出した。
 魔導学院の廊下は巨大な魔導具や機材などを運ぶことができるように、場所によっては横幅が五メートル以上ある。その廊下いっぱいに広がった木の根がルーファスたちを追ってくる。
 階段の近くにある広いホールが見えてきた。そこで迎え撃つしかないか?
 しかし、そこには長身の人影が立っていた。
 黒尽くめで魔導具をジャラジャラ身につけているのは――黒魔導教員ファウストだ。
 木の根に追いかけられているルーファスたちを見て、ファウストが手に魔導エネルギー体マナを集中させた。
「ダークフレイム!」
 ファウストの手から放たれた暗黒の炎がルーファスたちを掠め、後ろに迫っていたいた木の根を一瞬にして黒い灰へと変えた。
「おまえたち、ここでなにをしているのだ?」
 ルーファスたちがファウストの問いに答えるよりも早く、この場にパラケルススが追いついてきた。
「そやつらは重罪人じゃ、ファウストよ捕まえるのを手伝ってくれ!」
 状況が今ひとつ掴めず、顔をしかめたファウストにルーファスが訴える。
「違います、パラケルスス先生が私たちに急に襲って来たんです!」
「ルーファスの言うとおりだよ(ふにふに)」
 誰が真実を言っているのか、それを見極めることはファウストにはできなかった。彼を信用させるには――いや、彼を味方につける方法はこれしかない。
 ローゼンクロイツが懐から一本の羽根を取り出した。
「ファウスト契約を結ぼう(ふにふに)。代償はこのハーピーの羽一本でどうだい?(ふあふあ)」
「良かろう、契約を結ぼう。これが契約書だ」
 ファウストは腰に身に着けていた契約書と羽ペンを出し、ローゼンクロイツに突きつけた。
 ハーピーとは海に棲む鳥人で、その美しい歌声で船乗りたちを惑わす怪物だ。それでローゼンクロイツとファウストは契約を結んだ。
 ローゼンクロイツは羽ペンを受け取り、契約書にサインをした。
「ひと段落したら羽は渡すよ(ふにふに)」
「クク……契約成立だ。契約を破った場合は命を代償とするから覚えておけよ」
 契約絶対主義者のファウストを味方につけるにはこれが一番の方法だった。
 パラケルススと対峙するのは三人と一匹。明らかにパラケルススに分が悪い。
 だが、廊下の先から裸体の女性が三人、こちらに向かって駆け寄ってくる。パラケルススの研究所にいたホムンクルスだ。
 これで四対三と一匹だ。
 なんの恥じらいもなく生まれたまま姿でそこに立つホムンクルスを前に、ルーファスが急に腹痛でも起こしたみたいにしゃがみ込んでしまった。
「ごめん、鼻血出た(ヤバイ、向こうを見ることすらできない)」
 鼻血をドボドボ落とすルーファスの横でハルカはため息を吐いていた。
「(……この人ダサい)」
 ルーファスはあまり女性の裸などに慣れていないらしい。免疫ゼロ。
 戦闘不能に陥ったルーファスを呆れながら見守るハルカ。
「上向いちゃ駄目よ、食道に血が入るから」
「えっ、鼻血のときは上を向くんじゃないの?」
「それ間違った対処法なんだって、こないだテレビで見た」
「へぇーそうなんだ(だから鼻血のあと胸焼けとかしてたのかな)」
 なんて二人が呑気に会話してる最中も、ローゼンクロイツとファウストはパラケルススたちと攻防を繰り広げていた。
 肉弾戦で襲い掛かってくるホムンクルスの攻撃を躱し、ローゼンクロイツは軽やかに隠し持っていた短剣をホムンクルスの胸に突き刺した。
「ライト!(ふあふあ)」
 ローゼンクロイツが呪文を唱えると、短剣を伝わってホムンクルスの身体が輝き、その身体を一瞬にして銀の砂へと変えてしまった。
 動くたびにジャラジャラ鳴らすファウストは、腰に見つけていた丸めた羊皮紙を一枚取り出した。
 ホムンクルスに向かって広げられた羊皮紙には、幾何学的な模様と呪文が描かれている。
「喰らえ!」
 ファウストが叫ぶと、羊皮紙の中から黒龍が飛び出し、鋭い牙の生えた口を開けてホムンクルスを二体続けて丸呑みした。
 巻き戻しのように黒龍が羊皮紙に戻ると、ファウストは素早く羊皮紙を丸めてたたみ、紐でしっかりと縛った。
 残るはパラケルススだけだった。
 杖についた紅い宝玉の後ろに手を翳したパラケルスス。
「フレア!」
 宝玉から紅蓮の炎を放出した。
 ローゼンクロイツの口が一瞬だけ歪み、すぐに元に戻る。
「ディスペア!(ふにふに)」
 渦を巻いていた紅蓮の炎は、ローゼンクロイツを前に突如として消滅してしまった。まるでなにもなかったように消えたのだ。
 パラケルススが唖然としたのは刹那であったが、ファウストはその隙を見逃さない。
「シャドウソウ!」
 幾本もの細い針がパラケルススの影に突き刺さる。影縫いだ。
 影を縫われたパラケルススは、その本体の身動きをも封じられてしまった。
 追い討ちをかけるようにローゼンクロイツの指から輝く鎖が放たれる。
「エナジーチェーン!(ふあふあ)」
 光の鎖がパラケルススの身体を雁字搦めに固定する。もう身動きひとつできない。顔の筋肉を動かすのがやっとだ。
 結局なんの活躍もしなかったルーファスだが、まだ鼻血が止まらず軽い貧血とは戦っていた。彼にとっては壮絶な戦いだ。
 身動きひとつできないパラケルススの前にローゼンクロイツが立つ。そして、深く澄んだエメラルドグリーンの瞳に六芒星が宿る。
「どうしてボクたちを襲ったんだい?(ふにふに)」
「もしも黒猫が姿を現したら捕まえるように言われておったのじゃよ」
「なぜ?(ふにゃ)」
「〈銀の星〉の首領〈666の獣〉の命令じゃからじゃよ」
 どこからか風を斬る音が聴こえた。
 パラケルススの眼が飛び出た。刹那、彼の首は宙を舞い、瞬時に頭も胴も銀の砂と化して崩壊してしまった。
 銀の砂と化したパラケルススの向こう側にある壁に、大鎌が回転しながら突き刺さった。誰もが大鎌の飛んできた方向を振り向いた。だが、そこには誰もいない。
 ファウストの背中が血を吹いた。
「くっ、何者だ!?(気配すらしなかったぞ!)」
 振り向いたファウストの腹に巨大な力が加わり、大柄なファウスト身体は六メートル以上も吹っ飛ばされ、激しく壁に叩きつけられてしまった。
 床に落ちたファウストは項垂れたまま首を上げることはなかった。
 敵がどこにいるかまだわからない。
 気配すらしない。
 ローゼンクロイツの瞳が六芒星を映し出す。
「……見つけた(ふにふに)」
 床を叩く激しい鞭の音が鼓膜に響いた。

 つづく


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