第14話_私たち結婚します!
 球根型をした黄金の屋根を頂き、寺院にも見えるその建物は、一種の荘厳さを兼ね備えている。そこは王都アステアの北西に位置する古代寺院の跡だった。
 土気色の石壁に囲まれた寺院の一室で、ハルカは台座の上に座らされ、その毛並みをクロウリーに撫でられていた。
 もう抵抗する気も起きない。
 麻薬漬けにされたみたいに思考能力を空ろになり、ハルカは前を見つめながら前など見ていなかった。
「これから私たちは婚約し契りを交すのだ。式はこのサン・ハリュク寺院で執り行う」
 ハルカを連れ去り、次にクロウリーがしようとしていることは、ハルカとの結婚だった。
 主人がハルカを見る目つきは、崇める神像を見るような眼差しであると同時に、神に畏怖などまったく感じていない。いざとなれば神をも喰い殺してしまうような狂気の眼差しだった。けれど、形はどうあれ、主人はハルカに愛を捧げている。エセルドレーダは心穏やかではない。
「我が君、本当にこの者が魔王になるとお思いですか?(アタシはそうは思えない)」
「私のこの眼を信じられぬのか?」
 クロウリーの瞳が黒から緋色へ変わり、瞳に映る六芒星とエセルドレーダが重なり合った。六芒星に囚われているのは、瞳の中のエセルドレーダだ。それなのに現実のエセルドレーダまでもが、楔によって繋がれたように動けない。
「我が君が信じるものであれば、アタクシも受け入れます」
「そうだ、それでいい。私がハルカと肉体の契りを交すまで、全てを見届けるのだ。おまえが歴史の証人となる」
 肉体の契りとは、身体と身体の交わりを意味する。――猫とえっちするのかっ!
 すでに人間の域を超えた妖艶さを持つクロウリーにならば、動物さえも虜にさせられるかもしれない。けれど、美しさに潜む狂気が、相手を畏怖させてしまう。エセルドレーダは畏怖の先に、クロウリーの奴隷となる道を選んだ。
 絶対なる主人に仕え、主人の全てを受け入れる。受け入れる――信じていなくても受け入れる。
 ハルカを見るエセルドレーダの目は厳しい。
「(殺してやりたい)」
 せめてもの救いは、主人はハルカに愛を捧げながらも、己をハルカよりも各下だと思っていないことだ。エセルドレーダにとって、主人は常に最強の魔導士でなくて困る。この世でもっとも優れた存在であると信じている。
 ずっとハルカを撫で続けていたクロウリーがマントを翻した。
「私は先に行っている。私の妻となる者だ。丁重に扱え」
「御意」
 花嫁の支度をエセルドレーダに任せクロウリーが去った。
 二人だけになった部屋に息苦しい空気が立ち込め、ハルカを憎悪の視線が突き刺す。
「アンタなんかが我が君に愛されるわけがない。全てが終れば、我が君はおまえを捨てるのよ。我が君の本当の目的は、魔王の力を手に入れること」
 エセルドレーダの長い爪がハルカの首根っこに食い込み持ち上げた。
「アンタはね、我が君に喰われる運命にあるのよ!」
 ハルカの身体が壁に投げつけられた。
 全身を強い衝撃と痛みが走り、ハルカの眼に色が戻った。
「痛っ!」
「やっと意識が戻ったようね」
「…………(よく覚えてない、アタシ……)」
「これからアンタは我が君――クロウリー様と結婚式をあげるのよ」
「にゃっ?(なに、どうなってるの?)」
「アタシがベールを被せてあげるわ」
 純白ではなく、葬儀のような漆黒のベールをハルカは被せられた。
 ハルカの混乱は増すばかりだった。
 結婚式?
 ここはどこ?
 そう、ルーファスたちは?
「(……ルーファス。助けに来て)」
 パニック状態に陥りながらも、ハルカの脳裏に浮かぶのはルーファスの顔だった。
 頼りにならないのはわかってる。でも、絶対助けに来てくれる。
 蛇のような生き物がハルカの首に巻きついた。
「なにっ!?」
 黒蛇の先を握っていたのはエセルドレーダだ。そう、蛇だと思っていたのは黒い鞭だった。
「我が君がお待ちよ、行くわよ!」
 犬の首輪を引くように鞭が引かれ、最初は抵抗を示したハルカだったが、すぐにあきらめてエセルドレーダの後をついて歩いた。
 長方形に切った石を敷き詰めた廊下が続き、壁をくり貫かれた小窓から直接外の光が差し込んでくる。寺院内の内壁は剥がれ落ちて今にも崩れそうな感じだが、そこには絵巻物のような長い絵が描かれていた。おそらく絵が紙芝居のように物語りになっているに違いない。
 廊下はいつしか姿を消し、ハルカたちは青空のもとに出た。
 そこは寺院の石壁に囲まれ、緑の芝が地面を覆っている。その中を通る石畳みの一本道は祭壇へと続き、女神像の見守る眼下に黒い人影が佇んでいた。
 ヴァージンロードの変わりだろうか。
 石畳の上を黒いベールを被った花嫁が悪魔に付き添われ歩く。
 式を見守る者は誰もいない。静かな結婚式だった。
 目を閉じ、瞼の裏で花嫁を見ていたクロウリーの瞳が見開かれた。
 緋色の瞳が妖しく輝き、六芒星が五芒星を見据えた。
「早いな、もうここを見つけたか、ルーファス君。そして愛しのローゼンクロイツ」
 クロウリーの口元は笑みを浮かべていた。
 式場の入り口に立つ二人の影。ルーファスとローゼンクロイツの姿がそこにはあった。
 ルーファスとハルカの目が合い、声を出したのはほぼ同時だった。
「ハルカ!」
「ルーファス!(やっぱり助けにきてくれた)」
 ハルカは満面の笑みを浮かべた。白馬の王子様にはほど遠いけれど、今は誰よりも頼もしく見えた。
 全速力でハルカに駆け寄ろうとしたルーファス――ズッコケた。
 地面に足をつまづいて腹から地面に落ちたルーファスを見て、顔色の曇ったハルカは思う。
「(助けにきてくれたけど、助けてくれるか不安)」
 式に邪魔者が入った。招かれざる客だ。
しかし、クロウリーは笑っていた。
「よい余興になるそうだ」
 クロウリーのマントが風もないのに大きくはためく。
 コケているルーファスはほっといて、ローゼンクロイツはすでに戦闘態勢に入っていた。エメラルドグリーンの瞳が映し出すのはクロウリーだけだ。ローゼンクロイツは地面を駆けた。だが、その前に巨大な翼を広げたエセルドレーダが立ちはだかる。
「邪魔はさせないわ」
「キミに用はないよ(ふあふあ)」
 鬼気をまといながら対峙する二人の先で、クロウリーが妖しく笑う。
「今日は特別な日だ。エセルドレーダよ、ローゼンクロイツの相手をしてやれ――殺す気で構わん」
「御意」
 ついにこの瞬間がきた。クロウリーの許しを受け、エセルドレーダは心の底から打ち震えた。
 怪鳥のような甲高い奇声を発し、エセルドレーダの鞭がローゼンクロイツを捕らえる。
 ローゼンクロイツの口元がエセルドレーダを一瞬だけあざ笑う。
「ボクに勝つ気かい?(ふあふあ)」
 二つの気が激しく衝突し、爆風が辺りを蹴散らした。
 地面に這いつくばったままチャンスを伺っていたルーファスは、爆風の中で立ち上がりハルカに向かって走り出した。
「ハルカ!」
 叫ぶルーファスにハルカも駆け寄ろうとした。
 だが、クロウリーがそれを許すはずがなかった。
「ハルカは私の物だよ」
 手に魔導を溜め、クロウリーがルーファスに向かって解き放とうとした。そのとき、背後に気配を感じ、クロウリーは瞬時に振り返った。そこに立っていた巨乳の女は艶然と微笑む。
「ふふふ、アイスニードル!」
 そこに立っていたのはカーシャだった。
 カーシャの手から放たれた氷柱はクロウリーの身体を貫かんとする。
 二メートルにも満たないこの至近距離で避けられえる者はまずいない。
 ゼロではない可能性の中で、クロウリーは避けて見せたのだ。
 クロウリーの身体が残像を残し消え、カーシャから遠く離れた場所に立っていた。
「カーシャ君が近くにいたのは知っていた」
「やはりな、しかしあの距離で妾の躱すとは流石は魔人(チッ……仕留め損ねた)」
「利己主義な君がなぜここに来た?」
「こんな面白いこと、見逃すわけにはいかぬであろう……ふふふっ」
 それぞれの目的で戦いははじまった。
 〈薔薇十字〉の首領としてのローゼンクロイツの宿命。
 憎悪に燃えるエセルドレーダのローゼンクロイツのへの嫉妬心。
 己の信じる理想を求めるクロウリーのハルカに対する愛。
 どうしてもハルカを助けたい一心でルーファスはクロウリーに立ち向かう。
 そして!
 ただ単に面白そうなことを見逃せないだけのカーシャ!

 つづく


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