第6話「悟られないモノ」
 じゅるるるるるるるぅ〜〜〜。
 熱い日本茶を飲みながら過ごす地球の午後。
 お茶を飲むポチの周りでは、五つ子ちゃんたちが元気に遊んでいる。
 バニースーツにエプロン姿のパン子ママが、となりの部屋から顔を見せた。
「ポチさん今晩のご飯なにがいいかしら?」
「そうですねー、バニーちゃんの作ってくれる物ならなんでもいいですよ」
「最近は好きな食材が買えるようになって、料理が楽しくて仕方ないわ」
 そんなトークをしていると、イケメンパンダマンが現れた。
「そろそろ仕事に行ってくるぜマイバニー」
 美声を響かせるパンダマン弐号。
「いってらっしゃいアナタ♪」
 二人は抱き合って熱いキスをした。
 そして、さっそく仕事に出かけたパンダマン弐号であった。
 今日も平和だ。
 ビビビビビビビビ!
 そんな平和をぶち壊す電子音。
 ムッとしながらポチが部屋の片隅を見ると、
「俺のノーパソ!」
 慌ててポチはノートパソコンを操作して呼び出しに応答した。
 それは遠く離れた母国――ワン帝国からの通信であった。
 画面に映し出される犬耳のシルエット。
《喝(ワン)ッ!》
 いきなり吠えられポチは驚いて腰を抜かした。
「こ、これはこれは偉大なる大魔王アーロン様!」
《今まで連絡一つ寄越さずなにをしておったのだ!》
「いやっ、それが……宇宙船が爆発し仲間たちも行方不明となり、このパソコンも修理が必要だったのですが、地球ではなかなか部品が見つからず」
「言い訳など聞きたくないわ!」
「申しわけございません大魔王アーロン様」
「エロリック暗殺はどうなった!」
「それが……」
 ブチッ。
 いきなり通信が切れた。
 ポチが横を見ると五つ子の一匹がノートパソコンを勝手にいじっていた。
「大魔王様との通信中になんてことを! と思ったけど、まあいいか。このまま電源も落としておこう」
 不慮の事故ということにした。

 ペン子のストーカーをするミケのストーカーをするパン子とポチ。
「なんでアンタが!」&「なんで貴様が!」
 ペン子とポチは顔を見合わせた。必然の鉢合わせだった。
 今や同じ屋根の下に住んでしまっているが、この二人は顔を合わせる度にケンカが絶えなかった。
「ミケ様に指一本でも触れたら殺すから!」
「エロリックは必ず殺す!」
 パン子の視線の端で動きがあった。
「あっ、ミケ様が動き出した」
「本当だ。だが、どうしてエロリックはペンギンをつけ回しているのだ……腹が立つ」
「それはアタシも同感……って、もしかしてアンタ、ペンギンのことが好きなの!?」
「そ、それは……」
 急に慌てだしたポチ。わかりやすい反応だった。
 人の弱みを握ったパン子はニタ〜っとする。
「あのペンギンのこと好きなんだぁ〜。だったら付き合っちゃえばいいじゃん?」
「馬鹿なッ! 誇り高きワンコ族の貴族の俺が辺境の地の女となど……」
「でも好きなんでしょ? ほらほらさっさとコクりやがれぇぇぇッ!」
 パン子は渾身の馬鹿力でポチの背中を押し飛ばした。
「うお〜〜〜っ!」
 押されたポチはそのままペン子の元へ。
「あ、ポチさんこんにちは」
「こんにち――」
 ドン!
 ポチは止まれずそのままコケた。
「大丈夫ですか?」
 ペン子に優しく手を伸ばされ、ポチは顔を真っ赤にして自ら立ち上がった。
「鍛えてるから大丈夫!」
 と言いながら、鼻からブーしていた。
 ペン子はハンカチを出して、鼻血を拭いてあげた。
 目と鼻の先ほどの距離にペン子の顔がある。ふっくらした唇がそこに……そんなことされたら余計にブー!
「きゃっ!」
 返り血を浴びたペン子。
 血だらけのその姿を見てポチは悶々してきた。
「(駄目だ血を見たら興奮してきた。俺は誇り高きワンコ族の騎士だ、いつでも俺は冷静だ。よしっ、いける!)すまなかった、俺の血で貴女を穢してしまうなんて」
 真剣な眼差しだったが、鼻血ダラダラ垂れ流し。
「謝らないでください、ヒナは大丈夫ですから。ヒナよりもポチさんが貧血にならないかと心配です」
「最近は良い肉食べてるから大丈夫!」
 でも鼻血ダラダラ。
 ペン子はどこかに持っていたタオルで血を拭き、ポチの鼻血もようやく治まったところで、会話が途切れた。
 焦るポチ。
「(なにを話せばいいのだ。気まずいぞ、どういう会話をしたらいいのだッ!)」
 ポチがなにか突破口がないかと辺りを見回すと、遠くで看板を掲げているパン子の姿が目に入った。
 そこには『告白しろ!』と書かれていた。
 挙動不審なポチをペン子が不思議そうな顔で見た。
「どうかしましたか?」
「す、す……スキヤキにしようと思う今晩の夕食は(なに言ってるんだ俺は)」
「おいしそうですね。でもお肉ばっかりではなくてお魚もちゃんと食べてくださいね」
「ペ、ペンギンさんは夕食の献立は?」
「グミです」
「はっ?」
「ヒナはグミが主食なんです。お一ついかがですか?」
 袋詰めのグミを差し出された。
「一つ頂こう」
 ポチが袋の中から摘んで出したのは、ペンギンの形のグミだった。それを知ったペン子はニッコリ笑顔。
「ラッキーですね、それ一個しか入ってないジャイアントペンギンです」
「ジャイアントペンギン?」
「絶滅してしまったと言われているぺんぎんです。でもヒナはきっと絶滅したのではなくて、お空を飛んで別の安全な場所に移住したのだと思うのです」
「ペンギンが好きなのか?」
「はい、幼いころからずっと好きです」
「そうか……俺も貴女のことが、す――」
 シャリン♪
 鈴の音がしてポチは辺りを見回した。
 ペン子も同じようにキョロキョロしていた。
 急にペン子が真面目な顔をして、
「あの、綾織さんのことどうするおつもりですか?」
「綾織……エロリックのことか。どうするもなにも抹殺するのが俺の使命だ」
「そうですか……」
 影のある表情をしながらペン子はうつむいてしまった。
 ポチは言葉にできない苦しみに襲われた。
「(俺は……ペンギンのこんな表情……いつも笑顔なのに。しかし)俺は絶対に使命を果たす。なぜならそれがワンコ族の為だからだ」
 そう思い続けてポチは今もここにいる。
「ニャー帝国の政治は狂ってる。すべてはニャース族の皇族どものせいだ。やつらは人を信じると言うことを知らない。知る必要もないと思っている。裏切り者たちを次々と血祭りに上げ、やがて盲目な疑いがすべての人に向けられる。種族の違うワンコ族はそのいい標的だ」
 すべては〈サトリ〉があるがゆえに……。
 ポチは拳を握った。
「すべては死んでいった同胞たちの復讐。そして、自由のある未来を勝ち取るため」
 ずっとうつむいて話を聞いていたペン子が、哀しみの瞳をポチに向けた。
「憎しみはきっと新たな憎しみを生みます。その憎しみの芽を摘み続けるつもりですかポチさんは?」
「俺は俺の使命を果たさなければならない」
「憎しみや悲しみの連鎖は巡り巡ります。自分とは無関係だと思っていた人々まで輪が広がり、やがては親しく想っていた人にも憎まれるかもしれませんね。まるで世界そのものが自分の敵のように……そう、世界が自分の敵」
 最後の言葉は呟きながら、まるで内に込めるような言い方だった。
 ポチの中でためらいが生まれた。
「(ニャース族に憎まれ恨まれるのは覚悟の上だった。それはワンコ族とニャース族だけの問題だったからだ)地球育ちのニャース族の皇子か」
「もう輪は大きく広がっているのです。綾織さんはなにも知らずに育ち、ポチさんたちの争いには関係ないはず。なのにどうして傷つけようとするのですか?」
「(不安な要素は早いうちに摘み取らなければならない。やってることはニャースの皇帝と同じだな)貴女はエロリックのことが大切なのだな」
「はい」
 物陰でこれを聞いていたパン子は嫉妬の嵐。
「(ペンギン絶対コロス!)」
 ついにパン子が飛び出した。
 そのことに気づかずペン子は話し続けている。
「綾織さんだけじゃなくて、みんなのことが大切です。世界中のすべてのものが、みんなが幸せになれればいいと思っています」
 この言葉は頭に血の昇ったパン子の耳には届いていない。
「ミケ様はアタシのものなんだから!」
 突然のパン子の登場にペン子はぽか〜んとしてしまった。
「ほよ? 山田さんこんにちは」
 その笑顔の挨拶がパン子の逆鱗に触れた。
「アンタなんかキライ! アンタなんかいなくなればいい!」
「ヒナがなにかしたらなら、本当にごめんなさい」
 辛い顔も、悲しい顔もせず、優しい顔をしながらペン子は謝った。
 さらにそれがパン子には気にくわなかった。
「どうして……ミケ様はアタシだけのものなのに、ミケ様のことがスキなのに、スキなのに、大スキなのにぃーーーっ!」
 大粒の涙を流しながら顔をくしゃくしゃにした。
 ペン子は無垢な笑顔だった。
「山田さんはしあわせになってくださいね。ヒナは応援しています」
「アンタに応援されても意味ないの!」
「でもヒナは本当に山田さんにしあわせになって欲しいのです」
「だからキライ、本当にキライ、アンタなんか大ッキライなんだから!!」
 いつもならそのままパン子は走り去っていた。だが、今日はついにペン子に飛びかかろうとした――パン子の腕が強く握られ引き止められたポチに。
「そこまでにしておけ見るに堪えない。まだ止めないというのなら、誇り高きワンコ族の騎士はどんなことがあっても姫を守るぞ」
「…………」
 パン子は目を丸くして、ポチの手を振り払うと、なにも言わず走って逃げた。
 逃げる最中、パン子は隠れていたミケと目が合ってしまった。
 ハッとしたパン子はさらに大泣きしながら逃走した。

 ミケはどうしていいかわからず、あの場所を去った。
 行く当てもなく町を歩き、意味もなくコンビニに入ろうとした。
 そのコンビニの前に、同じ学校の男子生徒たちが、二人たむろっているのが見えた。
 ミケは視線を合わせずに、そのまま横を通り過ぎようとしたのだが――。
「(キモイのが来た)」
 聞こえてしまった。
 だがミケは構わずコンビニの中に入った。
 ミケがマンガ雑誌の立ち読みをはじめると、男子生徒たちが話をはじめた。
「あいつ知ってる?」
「二年の転校生だろ?」
「あれ女装らしいぜ?」
「キモくね?」
「しかも人間じゃなくて、あのニットの下に猫みたいな耳が生えてるらしいぜ」
「キモッ」
 その会話はミケに聞こえていないつもりだった。
 しかし、彼らの言うとおり、ミケの耳は人間のそれとは違っていた。
 すべてを聞きながらミケは我慢した。
「(いつものことだな。オレの周りにいたヤツらに隠れて見えないだけで、本当はオレのことをよく思ってないヤツらなんていくらでもいる)」
 これまでミケが経験して来たこと。なにも今にはじまったわけではない。
 男子生徒がせせら笑っているのが見えた。
 そこへ新たな男子生徒がやって来た。ミケのクラスメートだ。
 クラスメートの男子はそこにいた二人組に挨拶をする。
「阿久藤(あくとう)先輩こんにちは」
「よぉ宇田桐(うだぎり)。ちょっとこっち来いよ、あいつおまえと同じクラスだろ?」
 指を差されたミケは顔を伏せた。
「はい、そうですけど?」
「キモくね?」
「えっ?(別に俺は……)」
 戸惑う宇田桐だったが、もうひとりの先輩に、
「キモイよな?」
 同意を強く促され、
「はい、キモイと思います」
 心にも無いことを言った。
 ミケはマンガ雑誌を持っていた手が震えるのを押さえられなかった。
「(また裏切られた。こうも簡単に、人は裏切る)」
 同じクラスメートだったので、宇田桐の心は普段から聞こえていた。それにはミケに対する悪意は一つもなかったことを知っていた。
 だから余計に胸が痛かった。
 相手は話を聞かれてるなんて思ってない。だからこのまま済ませればよかった。それがミケにはできなかった。
 ミケは息を吐きながらマンガ雑誌を棚に戻すと、静かな足取りでコンビニを出た。
 そして、三人の男子生徒を心の底から睨み付けた。
 無言でそこを動かないミケ。
 阿久藤が睨み返しながら口を開いた。
「なんだよ、キモイ目で見んなよ(こんな格好してんのに、ちんこ生えてると思ったらマジキモイな)」
 ミケは言い返さなかった。言葉よりも拳が出ていた。
「あがッ!」
 顔面に一発喰らった阿久藤が地面に転がる。
 もう一人の先輩が突進して来たが、ミケは難なく躱した。
 殴られた阿久藤が目を血走らせながら吠える。
「三人でやるぞ!」
 先輩二人が同時にミケに襲いかかって来た。
 残った宇田桐の心の声が、
「(どうしよう?)」
 しかし、先輩たちを前にして抗うことはできなかった。
 三人がかりでミケは襲われ、ついに腕を掴まれてしまった。
 いくら体力がなくとも、一対一くらいなら負けない自信がミケにはあった。
 だが、数に負けた。
 気づけばミケはアスファルトに頬を叩きつけられ、体中を蹴られ踏まれていた。
 痛みに耐えるミケの視線の先には、コンビニからこちらを見ている客や店員たち。誰も外に出て来ようとしない。巻き込まれるのは誰も好きなはずがない。
 もうミケは逃げる体力も残っていない。
 目を閉じるミケ。涙を流すことはなかった。
「(全部わかり切ったことだ)」
 やがて地面に一つ、二つと雨粒が落ちた。
 急に降り出した雨。
 周りにいた奴らがどこかに消えるのがわかった。気配が遠ざかっていく。
 まだ誰も助けてくれない。
 誰かの心が聞こえた。
「(なにあの耳、動いてる!?)」
 ミケは少し離れた場所に自分の帽子が落ちていることに気づいた。
 一生懸命それを拾おうと手を伸ばすが、届かない。
 この猫の耳さえなければ人は助けてくれただろうか――こうなる前に。
 ミケの目の前で小さな手が帽子を拾い上げた。
「だいじょうぶお姉ちゃん?」
 ミケが視線を少し上げると、そこには幼い少女が立っていた。
 いたいけな少女。
 丸く澄んだ瞳がミケとその耳を映し出している。
 ミケは最後の力を振り絞って立ち上がった。
 そして、乱暴に帽子を奪い取った。
 その弾みで少女は転んでしまったが、ミケは構わず帽子を被り直し背を向けた。
 少女が去っていく足音が聞こえた。
 幼い声で少女が泣いている。
 雨の中で少女が泣いている。
 どこかで少女が泣いている。
 ミケは酷く心が痛くなって首につけている鈴を握りしめた。
 そして決して振り返らずに逃げた。
 多くのモノからミケは逃げた。
 やがて寮の近くまで逃げ帰ってきた。
 誰とも会いたくなかった。特に知り合いとは絶対に会いたくなかった。
 しかし、その願いすらも裏切られた。
 そこにはペン子がいた。
「どうしたのですか綾織さん!?」
 傷つき薄汚れたミケを見て驚いたようだった。
 すぐにペン子は近づいて来たが、ミケは残っている精一杯の力で押し飛ばした。
「来るなよ!」
「どうしたのですか?」
「心配したふりするなよ」
「ヒナは心から綾織さんのことを心配しています」
「良い子ぶりやがって。どうせおまえもオレのことを!(クソッ、なんでこいつの心だけ聞こえないんだ!!)」
 心が聞こえることにより傷つき。
 聞こえないことにより恐怖を覚える。
 ミケはなにも信じられなくなっていた。
 だから心にもないことを……
「おまえのこと嫌いなんだよ!」
 世界が静まり返った。
 悲しい顔をしたペン子の瞳から、一粒の涙が流れ頬を滑り墜ちた。
 涙は地面で四散して消えた。
 土砂降りの雨の音。
 痛む胸。
 ペン子はなにも言わず去っていった。
 その姿が、あの泣きながら去っていった少女と重なった。


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