Scene3 肉食の獣
 マンションを出てすぐにリサが戒十に尋ねた。
「車とか持ってないよねえ?」
「まだ高1だよ」
「あたしは運転はできるんだけど、見た目がこんな感じでしょ? だから免許とか持ってないんだよねー」
 見た目とは制服姿と中高生の顔立ちのことだろう。
「制服着てるけど、わざわざ学校に通ってるの?」
 戒十が尋ねるとリサは指を3本立てた。
「中3、去年も一昨年も学校を替えて中3。来年はそろそろ進学しようかなって思うから、高1になる予定」
「キャットピープルは外敵年齢が変わらないの?」
「そうねーだいたい変わらない。変わりはじめたら死の宣告。老化は人間の3倍以上のスピードで進むかな」
「それは困るな。子供の見た目じゃできないことが多すぎる」
「シンは外見大人だから普通免許と大型バイクの免許持ってるよん。風俗店だっていけるしー、居酒屋だっていけるもんね」
 ずっと子供のままでいたほうが楽だと戒十は昔に思ったことがあるが、いざずっと子供の姿のままいるとなると問題が多すぎるように感じる。
 高1なのでバイトぐらいはできるが、歳を取らないために同じ職場でずっと働くこともできず、安定した生活はできそうもない。
 戒十はある意味母子家庭で、母は放任主義というか、あまり戒十と接触しないが、それでも歳を取らない息子を不審に思う日が来るだろう。
 戒十が小さく呟く。
「高卒がギリギリかな……その後謎の失踪」
「生活に関してはそれなりに保障されてるよ。今はインターネットだってあるし、昔に比べればぜんぜん楽」
 確かに昔に比べれば山に篭らなくても、人と会わずに快適な生活が過ごせるだろう。
 大通りに出たリサは左右を見回した。
 すでにシンの姿はどこにもない。
「バイクを徒歩で追うわけにもいかないしー、タクシーなんかぜんぜん走ってない」
 どうすると顔を向けられた戒十もいいアイディアはなかった。
「顔を向けられても困る」
「だよねー。方法がないってわけじゃないんだよ。あるにはあるんだけど……」
 口ごもるリサ。
 あまり使いたくない手段。それにはデメリットが多いのか、非合法な手段なのか。戒十には見当もつかなかった。
「どんな方法がある?」
「あんまりやっちゃイケナイことになってるの。人間に目撃されるとマズイことになるんだけど……まっ、夜だしいっか」
「どんな方法って聞いてるじゃないか」
「あーとねぇ、アタシがカイトを背負って走る」
「は?」
 冗談にしか聴こえなかった。だがリサは本気だ。
「カイトが落ちなければ、時速120キロは出せるっぽくなくない?」
 聞かれても困る。
 時速120キロで走れば、足を地面に蹴り上げるだけでも相当な衝撃のはずだ。だが、マンションから飛べられるなら、その衝撃も耐えられるかもしれない。
 背中を丸めて、乗れと合図するリサに戒十は渋った。
「嫌だ」
「どーしてぇ?」
「だって……その……」
 顔を赤くして落ち着きのない戒十を見て、リサはお子様を笑うように悪戯な表情をした。
「はは~ん、女の子に抱っこされるのが恥ずかしいとか?」
「違うってば!」
 力強く反発する戒十。
「そうやって否定すると逆効果だよぉん。女の子に抱きつくぐらいでそんなにテンパってたら、キスもできないってゆか、したことないとか?」
「……それくらいはあるよ」
「えっちはまだ?」
「…………」
 ついに戒十は押し黙ってなにも言えなくなってしまった。
「あたしはこー見えてもお婆ちゃんだし、男性経験は豊富だよ。遊郭……じゃなくて、現代風に言うと風俗、そんなのとか援交とか、とにかく長く生きてると自然と人性経験豊富になるよ」
「そういうの嫌だな」
「はいはい、とにかくさー、乗った乗った早くしないとシンが死ぬかもよ」
 さらりと言われ、冗談なのか本当なのかわからない。
 とりあえず戒十はリサの背中にかぶさるように乗った。
 オバサンだったらこんなに緊張しなかったかもしれない。同い年か、それよりも下の外見年齢を持つ〝少女〟に背負われると、妙に意識してしまう。
 戒十の心臓の鼓動はリサに聞こえているだろう。超感覚を持つ彼女は嘘発見器と同じだ。
 振動が戒十を振り落とそうとして、恥ずかしさを忘れて必死でリサの身体に腕を回した。
 自動車では感じられないスピード感。
 バイクの荷台に乗っているような感覚は、実際の速度よりも体感速度を増して感じられる。その恐怖感を戒十は心地よく感じた。
 戒十を背中に乗せたリサは大通りを避けて裏道を通った。まだまだ深夜ではないために、どこから人が出てくるかわからない。
 リサは耳を済ませながら人のいない道を選んで通った。そのために目的地まで遠回りになってしまったことは否めない。
 急ブレーキをかけたようにリサが足を止め、戒十は前方に放り出されそうになったのを堪えた。
「急に止まらないでよ!」
「そろそろ人が多くなってきたし、今の時間帯じゃひと目にすぐついちゃう」
 リサの背中から降りた戒十は電車が走る音を聴いた。近くに線路が通っているらしい。
 しばらく人が走る程度の速さで走った二人は、淡いネオンが輝く小さな風俗街にやってきていた。健全な中学生と高校生が来るような場所ではなかった。
 伏目がちに歩く戒十にリサが声を掛ける。
「カイトの心臓がちょードキドキしてんの聴こえる」
「からかうなよ」
「年下苛めるの好きなのぉ」
 リサの年齢はわからないが、彼女にとって世界中のほぼ全人口が年下だろう。
 だが、リサはこう補足をする。
「年下って言っても思春期だよ。女の子も含めてね、うふ」
 妖しく笑うリサに目をやり戒十は思わず苦笑してしまった。長く生きていると通常の刺激では満足できなくなり、ノーマルの一線を越えやすくなるのかもしれない。
 リサの足はこじんまりしたラブホの前で止まった。それに気づいた戒十は毒づくように言う。
「冗談でしょ?」
「アタシがカイトとラブホでにゃんにゃんするとでも思っちゃってるぅ?」
「……そーじゃなくて」
「心配しないでぇー、3回くらい会ってからじゃないと寝ないから」
「君って本当にテレビでよく言う最近の若者だな……」
 主に都心部で蔓延する性の若年齢化。リサはそれを体現しているようだ。
 リサは親指を立てて道路の向かいを指差した。そこには大型のバイクが停めてあった。バイクに疎い戒十でも、それが大型であることはわかる。
 全長2メートル以上で、1000cc以上のバイクだ。原付とは比べ物にならないほど大きさを感じる。
 このバイクはおそらくシンの物なのだろう。だとすると、ラブホが本当に目的地らしい。
 ラブホの入り口に立っていたリサが突然叫ぶ。
「ヤバイ出てくる!」
 何がと聞く時間もなかった。
 自動ドアのガラスが粉々に砕け飛び、破片を浴びたリサの横を巨大な影を走り去っていった。
 2本足……いや、4本足で走り去った影は人間のようで、人間ではなかった。
 すぐにラブホからリボルバーを構えた二人の男が飛び出してきて、リサに焦りを含みながら怒鳴るように尋ねた。
「どっちに行った!」
 リサが指さしてやると、二人組みの男はあの影を追って行った。
 それに続いて右腕を手で押さえたシンがラブホから出てきた。
「不覚を取った」
 絞るような声を出したシンが手で押さえる腕からは、真っ赤な血が流れ出していた。
 シンの傷には気づいたが、戒十の関心は別に向いていた。
「さっき出てきた二人は僕らの仲間?」
 シンの傷口を見ながらリサが答える。
「さっきのは警察」
 傷口を見ていたリサはシンの断りを得ぬまま、舌を伸ばして流れる血を綺麗に舐め取った。その行為に戒十はどこかいやらしさを感じた。舌を腕に這わすリサの表情が淫猥なのだ。
 思わず戒十は生唾を飲み込んでしまっていた。その音をリサに聴かれているであろうことを考え、とても恥ずかしくなる。
 血が舐め取られると、そこには大きな爪で引っかかれたような3本の傷があった。傷の大きさを考えれば、血はまだ止まっていないように思えたが、そこには血が固まったような痕がある。
 もしかしてと思った戒十が尋ねる。
「キャットピープルは高い治癒能力も備えてる?」
 だとしたら、ますますヴァンパイアにそっくりだ。
 口を手の甲で拭ったリサが答える。
「哺乳類では最高ランクかな。けど吸血鬼みたく凄くないけど。出血多量とか重症を負えばちゃんと死ねるし、心臓がはじけ飛んだら即死……頭も。死ぬときはかなり呆気なく死ねる」
 だとしてもシンの回復能力を見る限り、それでも十分だと思う。
 シンの傷を観察しながら戒十が尋ねる。
「どのくらいで完治する?」
「1日経てば完治する」
 シンの答えに戒十は満足そうに頷いた。それだけ早ければ十分すぎる。
 その場に立ち尽くしているシンの顔をリサが下から舐めるように覗き込む。
「どーしてさっさと〝成れの果て〟追わないの?」
「俺には無理だった。だから傷を負わされた」
 刀を持っていないからではない。
 シンは続けた。
「彼女への想いが判断を鈍らせる。俺に止めは刺せないと痛感させられた」
「そーゆー中途半端な優しさみたいなのは相手のためにならないの知ってる? 恋愛でも中途半端な優しさが相手を傷つけることあるんだから」
 言い終えたリサは周りを置いて歩き出していた。
「アタシひとりで行ってくる」
 走り出そうとしたリサの腕をシンが掴んだ。
「俺が行く」
 ここまで来たら戒十も置いてきぼりを食らうのは嫌だった。
「僕も行くよ」
 こうして三人は〝あの影〟を追うことにした。

 ラブホを離れ、3人は徒歩で〝あの影〟を捜索していた。
 リサが言うには、遠くには行っていないはずらしい。
「キャットピープルは基本的に臆病なの。逃げるよりも隠れてると思うんだよねー」
 辺りは密集した住宅街だった。
 入り組んだ路を目的地がわかっているように迷うことなく進む。
 リサとシンは臭いを頼りに進んでいるのだ。〝成れの果て〟は特に臭いが強いらしい。
 シンの長い腕が伸びて戒十の前進を止めさせた。近くになにかいるのかもしれない。
 先頭を歩いていたリサも足を止めて、なぜか大きな声を出す。
「事後処理は警察とかがやってくれるけど、あまり派手にやらないようにねー!」
 塀の向こうにいた影が飛び上がり、二階建ての屋根に乗った。
 夜が辺りを包む中、戒十の眼ははっきりと屋根の上にいるモノを見ることができた。
 短く黒い毛並みの動物。
 人のようであり、巨大な猫のようでもある。長い尻尾はあるが、猫のような耳はない。耳は人間の位置にあり、長く伸びてエルフのように変異している。
 夜闇に金色の瞳が輝いた。
 風が唸るような咆哮が響き渡り、屋根の上から〝成れの果て〟が飛び降り、緩やかな放物線を描いて戒十に襲い掛かってきた。
 逃げる隙は十分にあったが、戒十はその場を動けずにいた。迫る鋭い牙と爪。
 戒十を庇うように飛び出したシン。
 シンは〝成れの果て〟を抱きとめるように押さえ、そのままアスファルトに押し倒して前脚を押さえた。
 馬乗りになっているシンに〝成れの果て〟は首を伸ばして牙を向ける。
 牙は空を噛み切り、歯が激しく鳴り合わされる。
 〝成れの果て〟を押さえたまま次の行動に出ないシンにリサが言葉を浴びせる。
「えっちしてるんじゃないんだからいつまで上乗ってるの。変異が進むと手に負えなくなるよー」
「わかっている!」
「手が足りないならアタシが手伝っ――っ!?」
 シンの身体が大きく上空に突き飛ばされた。
 小さくリサが愚痴を吐く。
「言わんこっちゃない」
 逃げようと背を向けた〝成れの果て〟に、リサが肉食獣のように飛び掛る。
 リサの伸びた鋭く硬い爪が〝成れの果て〟の背中を抉り、血飛沫が噴水のように噴き出し、リサの顔や服をどす黒く汚[ケガ]した。
 うろたえる〝成れの果て〟の前に立ち塞がるシン。
「止めは俺が……」
 神速でシンは〝成れの果て〟の首を握りつぶすように掴み、大きく口を開けて鋭い犬歯を覗かせると、そのままゆっくりと〝成れの果て〟の首筋に噛み付いた。
 そして、動脈を噛み千切りながら首の肉を剥ぎ取った。
 噴き出す血を顔に浴び、シンはもう一度〝成れの果て〟の首を噛み切った。
 身体を痙攣させる〝成れの果て〟をシンは優しく抱き支えた。
 目の前で繰り広げられる光景に戒十は息を呑んだ。
「残酷だな」
 いつの間にか戒十の傍らにはリサが忍び寄っていた。
「自然界は人間の目から見れば残酷かも。肉食獣は草食動物を襲って、首を噛み切り内臓を喰らう。けど、アタシは人間の方が残酷だと思うけどなー」
 痙攣する〝成れの果て〟は、シンに抱き支えられながら、震えるように歯を鳴らしていた。
 〝成れの果て〟の毛並みが波打つように揺れ、電気を帯びたように逆立った。
 戒十とリサは眼を剥いた。
 鋭く尖った〝成れの果て〟の牙がシンの首筋を噛み切ったのだ。
 苦悶の表情を浮かべ、シンは力なく倒れた。
 逃げる〝成れの果て〟の背中を睨みながら、リサは倒れるシンを抱きかかえて膝をついた。
「変異が第2段階になるなんてついてない」
 噛み切られたシンの首筋をリサは手で押さえながら、上目遣いで恨めしそうに戒十を見つめた。
「戒十にもっと力があれば、〝成れの果て〟を追えるのに……」
 今は重症を負ったシンに手を取られてしまっている。
 サイレンの音が聴こえた。おそらくまだまだ遠い距離にあるだろう。
「カイトはさっさとどっかに姿を隠して、あとはアタシがどうにかするから……」
 リサは戒十に顔を向けて話していなかった。その視線は蒼白い顔をしたシンに注がれている。
 自分が無力だと知り、戒十は後ろ髪を引かれながら、この場から逃げるように姿を消した。


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