5億円かよ!?
 イタリアのヴェネチアの町並みをパクった観光都市――水上都市アクアリウム。
 街の中心にあるサン・ハルカ広場の石畳から、赤レンガで造られた鐘楼が天をぶち抜き、そのシンプル・ザ・ベストな感じのフォルムが近くのある寺院とは対照的なビューティフルさを備えている。
 一一一メートルの鐘楼から見渡せる青空と統一された赤レンガの屋根とのコントラストを一望できてしまう古い町並みが美しい。そんな景色は思わず鳥になって羽ばたきたくなるほどで、年に何度か本当に鳥になる観光客が絶えず、塔の上には綺麗な花々が咲き誇っており、それもそれでビューティフルだった。
 今日は『ハルカ降臨祭』というお祭り騒ぎの最終日で、街のどこでも賑わいを見せ、酔った客の裸踊りもばっちり見られる。
 サン・ハルカ広場では祭りのメインイベントであるレースに出場する人々が、ねこ耳の飾りをつけて真剣な顔をしている。もちろん魚屋さんのおじさんから、怖い顔のお兄さんまでねこ耳着用だ。
 ひょんなことから、このレースの出場することになった俺は、パートナーを務めてくれているメイドさんの姫扇あやめさんと互いの腕を手錠で繋ぎ、スタートラインに立って猛烈に興奮していた。
 もちろんあやめさんは美人で興奮してしまうが、俺が興奮しているのは違う理由だ。
 このレースのルールはねこ耳を付け、パートナーと身体を手錠で繋いで、二人で協力し合いながら、夢と愛を祈りで力に変えてというハルカ教の教えに基づいたデンジャラスなレースなのだ。そして、聞いて驚け!
 このレースで勝利の栄冠を勝ち取った者には、カミサマとやらが願いごとを叶えてくれるのだ。すごいミラクルなレースだ。
 俺はこのレースで華麗なまでに見事に勝って、愛を成就させようと意気込んでいた。そして、意気込み過ぎて腹が痛くなってきた。
 腹を押さえて蒼い顔をする俺をあやめさんの瞳が見つめる。ちょっと恥ずかしい。
「光(ひかる)さま、大丈夫で御座いましょうか? 駄目でも、お薬を飲んででも無理やり走れば平気です」
 決して休めと言わないところがあやめさんらしい。
 苦笑いをする俺。よ〜く考えたら何で、こんな観光地でこんなレースの出場するハメになってしまったのか、今更ながら考える。俺は思う――これは神の啓示に違いない。そして、これは俺に神が与えたもうた愛の試練だ!
 昨日まではペンギン学園中等部に通う一般生徒会長だったのに、今はねこ耳なんてつけて、わけのわからない障害物競走に主出場しようとしている。こんなジンセー普通は味わえない。ちょっぴりお得気分だ。
 どこからか俺にカメラのフラッシュが嵐のように向けられ――眩しい。でも、これもファンサービスだ。俺は苦笑いをしながら手を振る。すると黄色い悲鳴が俺を取り囲む。
 新天地でのファンを見ながら、俺は思う。――カッコイイって罪だな、ふっ。
 次から次へと巻き起こるイベントは嵐のように俺を包み、流れに流せれきっていたら、いつの間にかこんな状況になってしまっていた。
 そう、思い起こせば、家の玄関を開けたら見知らぬメイドさんが立っていた時から、俺の運命は決まっていたのかもしれない。

 その日、俺こと近所の奥様方にも有名な白金光は、いつも通りの学校生活を営み、いつも通りに家に帰った。ただ、ひとつ違っていたのは、玄関開けたらそこにはメイドさんだったのだ。
 見知らぬメイドに俺は戸惑った。ドアノブに手をかけたまま硬直する俺に、ぴゅ〜りり〜っと風が吹く。
 こやつは何者だ。曲者か、泥棒か、親戚のお姉さんか誰かだったか。いやいや、百歩譲っても俺はこんな女知らん。
 紺色の生地に白レースをあしらったメイド服を着て、頭にはヘッドドレスを乗せてしまっているこの人は、どっからどう見ても『メイドさん』だ。しかも、胸の谷間にものを落としたら遭難しそうだ。
 唖然とお口あんぐりの俺は、今ごろになって思わず手に持っていたバッグを落としてしまった。それがグットタイミングな合図になったように、家の奥から両親登場。
 ニタニタ笑っている親父はメイドさんの肩に慣れ慣れしく腕を回し、親指を立ててグッドを表すポーズをした。
「よくやった不肖の息子。カッコよさだけが取り柄だったお前だが、今日と言う日は褒めてやろう。こちらにいらっしゃるのは姫扇あやめさんだ」
「はじめまして光さま。わたくしの名前は姫扇あやめと申します。今日から光さまの身の回りのお世話をさせていただきます」
 俺はこのあやめさんとやらの言葉を理解するのに数秒を要した。むしろ、理解しきれねえ!
「ちょっと待った、むしろ何があろうと待て! 身の回りの世話って何だ。事情をこと細かく、尚且つわかりやすく、短く四〇〇字以内で説明せよ!」
 早口で捲くし立てた俺に、親父が近づいて来て肩に腕を回してきやがった。しかも息が酒臭いぞ。
「お前の転校が突然決まってな、さっさとこの家を出て行け」
「はぁ? 意味わかんねえよ。てゆーか、出て行けって、親父たちは?」
「転校するのはお前だけだ。転校先ではあやめさんが面倒みてくれるから心配せずに旅立ってこい、我が息子よ。いざ、旅立ちの時だ!」
 よし、冷静になれ俺。パニック状態になるとろくなことがない。
 まず、俺の転校が決まったらしい。あとは、あとは……わかんねえ!
 意外なところに事件の謎は隠されているはずだ。物事を別の方向から考えろ。……ちょっと待て、親父がなぜ家にいる?
「親父、仕事どうしたんだよ!? 休みじゃないだろ今日?」
「会社なら課長を殴って帰って来た。一度殴ってやりたかったんだ、あのハゲ課長の頭を」
 俺は笑うしかなかった。これまでだって笑顔で何でも乗り切ってきた。生徒会長の選挙だって、笑顔で手を振ってただけでどうにかなった。だが、今日ばかりは顔が引きつる。
 頭が真っ白になりかけていた俺の腕を突然あやめさんが掴んだ。
「では、参りましょう光さま」
「どこに?」
「水上都市アクアリウムで御座います。詳しいお話は移動中にいたします」
「わお!」
 あやめさんは俺を強引に玄関の外に連れ出そうとする。俺は足を踏ん張ったが、このメイドさん只者じゃない。なんつーバカ力だ。
 俺は両親たちに手を伸ばすが、両親は俺に向かって手を振ってやがる。しかも満面の笑み。
 やばい、このままでは拉致監禁されるに違いない。憶測だが。
 俺は強引にあやめさんの腕を振り払って親父に飛び掛かった。
「クソ親父が!」
「何だとバカ息子!」
 床に尻餅をついた親父の上に俺は馬乗りになり、二人は芋虫のようにゴロゴロ転がった。転がったといっても、一回転もしないうちに廊下の壁にぶつかって痛い。
 取っ組み合いの末に、俺が親父の上に馬乗りになった。
「詳しい事情を話せ!」
「バカ息子、父さんの上に乗るとはけしからんぞ。母さん助けてくれ!」
 俺と親父の視線がいっしょに母さんに向けられた。
 母さんは眩しいまでの笑顔を浮かべながら、顎に手を当てて無駄なまでのポーズを決める。さすがは元モデルだ。
「う〜ん、社会見学だと思って転校したらいいんじゃないかしら?」
「って母さん! 説明になってないし!」
 声を荒げる俺の顔の前に一枚の紙が突き出された。紙の後ろからあやめさんの声が聞こえる。
「ここに書いてあることをお読みください」
 紙には大きく『誓約書』と書かれている。内容は『五億円で一年間、息子を貸します』と書かれてある。しかも、下の方には両親の直筆サインが書き込まれている。
「なんじゃこりゃーっ!」
 誓約書を奪い取ろうとしたところで紙が上に引かれ、俺の手は見事に空振りをしてしまった。その伸ばした腕を目にも留まらぬスピードであやめさんの繊手が力強く掴む。かなり痛い。
「では、改めて参りましょう。さ、光さま、外にリムジンが到着している頃で御座います」
 事情もままならないうちに、俺はあやめさんに腕を掴まれ床を引きずられた。
 玄関の段差で腰を打ちつけ、靴も履かずに外に連れ出された。綺麗な顔をしてやることが強引だぞ、このメイドさんは。
 玄関の前にはリムジンが止めてあった。俺は否応なしにリムジンの中に押し込められてしまった。絶対拉致監禁だ。
 リムジンの外で両親に会釈をするあやめさん。動揺しちゃってる俺。そして、俺に手を振る両親。
 あやめさんがリムジンに乗り込むと、すぐにリムジンは走り出した。
 住宅街を颯爽と走るリムジンに、両親がいつもでも満面の笑みで手を振っていた。絶対あの笑顔だけは忘れねえ、帰ってきたら復讐してやる!

 リムジンでだいぶ走った後、俺は列車で移動することになった。もう抵抗する気もない。なぜなら、聞き分けのない男はカッコ悪い、by俺。
 俺を乗せた列車は大きな湖の上に敷かれたレールを走り、まるでキラメク水面の上を走っているようだ。個室の窓から眺める景色は神秘的でビューティフォーだった。
 窓から首を出すと、湖の中心に人工的に造られた都市が見える。その都市はイタリアのヴェネツィアの町並みを思わせる。というか、観光ガイドでそう謳っているから間違いない。
 椅子に腰掛け、紅茶まで飲んで寛いでいる俺に、目の前にいるあやめさんが話しかけてきた。
「では、そろそろ光さまが転校する本当の理由について説明いたしましょう」
「大富豪のお婆さんが、ぜひとも俺を養子にしたいとか?」
「いえ、新代表になってもらうためでございます」
「新代表?」
 新代表ってなんだ。代表っていったら、俺の中ではサッカーの代表選手とか、そんなのしか思いつかないけど、もしや、サッカー日本代表に俺が選ばれたとか!?
 なわけないな。そもそもサッカーなんて体育の授業で嫌々やらされた程度だ。だとしたら、何だ。俺のスーパーな頭脳を持ってしてもわからん謎があるとは、世界はビックだ。
 俺が勝手に妄想しているのを止めるかのように、あやめさんが軽く咳払いをして凛とした瞳で俺を見つめた。
「アクアリウムの住人の多くは『ハルカ教』という宗教の信者であり、その宗教には白薔薇派と紅薔薇派という二大勢力が存在しております。その白薔薇派の代表の任期がつい先日切れましたので、光さまが次の代表として選ばれたわけで御座います」
「無理」
 俺は即答して、言葉を続けた。
「俺は自慢じゃないが、一般中学生の分際だ。確かに代表って言ったら、地位も名誉も手に入りそうな気がして、ホントはやりたいような気がするが、常識的に考えて俺は無理」
 俺の言葉にすぐさまあやめさんが反応して、どこからか取り出した資料を読みはじめた。
「中学校の生徒会長していらしゃると書かれております。大丈夫です、同じようなものでございます」
 キラキラ眩しい笑顔を俺に飛ばすあやめさん。その自信はどこから来る。
「生徒会長と同じにするのはどうかと思うが……?」
「いいえ、笑顔で手を振っているだけで殆ど大丈夫ですから、何も問題も御座いません。わたくしも付いておりますし、怖いお兄さんに絡まれてもわたくしが一発でのしてさしあげますわ」
 あやめさんは笑顔でさらっと言ったが、最後の方にスゴイ言葉が潜んでいたような気がしたが、触らぬ神に祟りなしだ。だって、絶対このメイドさんは只者じゃない。
 何かを思い出しようにお口をO型にしたあやめさんは、突然上着の中に手を突っ込んで二足の靴を取り出した。俺の靴じゃん、というか、そんなとこからかなぜ出る? あんたはマジシャンか!?
「光さまのご自宅から先ほど届けさせました。どうぞ足をお出しください」
 出せと言ったにも関わらず、あやめさんは俺の足を持ち上げて靴を履かせてくれた。
「どうもありがと」
「どういたしまして」
 俺とあやめさんの瞳が合った。まさに状況的にはトキメキな瞬間だった。
 あやめさんが顔を桜色に染めて小さく呟いた。
「カッコイイ」
 次の瞬間にはあやめさんは凛とした表情に戻っていて、軽く咳払いをして、さっきと同じように淡々とした口調で話しはじめた。
「光さまが選ばれた選考基準は『カッコイイ』からで御座います。白薔薇派の代表は仕事などできなくともいいので御座います」
「それってお飾りってこと?」
「そうとも言います。光さまのカッコよさは、全代表を凌いでおります。きっと良き代表にお成りになるとわたくしは信じております」
 あやめさんは俺の両手をぎゅっと掴んで目をキラキラ光らせた。俺はその瞳に負けそうになった。あやめさん美貌は俺の出会った女性の中でもトップレベルだ。しかし、俺は負けない。負けてなるものか!
「やっぱり、俺には代表なんて無理だと思う。ということで帰る」
 俺はびしっと姿勢を伸ばして立ち上がり辺りを見回した。窓の外の光景が目に入る。……走り出した列車は停止してくれるはずもなく、しかもここって湖の上じゃんか。なんたる不覚。
 力なくして椅子に再び腰を下ろした俺は、頬杖をつきながら、大人しく流れゆく風景を惚けながら見つめた。
 真夏のキラキラ輝く水面が眩しいぜ。コンチキショー!

 ――つづく


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