ねこ耳かよ!?
 ローズマリーは高らかに笑い去って行き、明日菜ちゃんも慌てて行ってしまった。
 その後、俺は残っている食いもんに手をつけながら、あやめさんの話に耳を傾けていた。
「明日は『ハルカ降臨祭』の最終日でございます。最終日には遥か彼方からいらっしゃる神をお迎えするレースが行われます。ズバリ、光さまにはそのレースに出ていただきます」
 そう言えばローズマリーもレースがどうとかって言ってたような気がする。もしや!
「あのローズマリーとやらもレースに出場するのか!」
「ええ、もちろんで御座います」
「その勝負買った!」
 この決断に俺は〇・一秒もかけなかった。まさに即答だ。
 ジンセーの決断はその場の乗りだ。俺はいつでもそうやって生きてきた。今回もそのノリで、この難関を見事突破し、正義の名のもとにローズマリーを成敗してくれる!
「では、レースについての詳細をご説明します」
「あ、うん」
 あやめさんは淡々としていて、燃え上がっている俺との絶対的な温度差があった。どういうわけか、あやめさんのペースに引きずり込まれてしまう。まさに底なし沼に足を踏み込んじゃったよ状態……なのかっ!
「レースは二人一組で走りゴールを目指すという障害物形式をとっております。街中を走るコースにはトラップが仕掛けられ、最悪の場合は……ということも御座いますのお気をつけ下さい」
「今の間はなに? 明らかに嫌なものを含んでますよ的な間はなんスか!?」
「お気になさらずに、では次のご説明を――」
 さらっとせせらぐ小川のごとく流す気ですか、あなたさまは!
 ――などということは口に出さず、俺は黙ってあやめさんの言葉に耳を傾けた。
「光さまとペアを組ませていただくのは、このわたくしで御座います。何か不満な点は御座いますか?」
「滅相も御座いません。あやめさんは最強っス」
 あやめさんはニコリと笑い説明を続けた。
「レースの出場者はねこ耳を着用することが義務づけられ、ペア同士は身体の一部を手錠で繋ぐことをルールとしております」
 ねこ耳着用に手錠って、アブノーマルな世界だな……というか、なぜにそんなルールなの?
 頭の上にはてなマークがグルグルかけっこしてしまし、この質問をあやめさんに投げかけようとしたが、あやめさんは『質問は一切答えません』というオーラを全身から漲らせている。しかも殺気も混じってるし。
「質問は御座いますか、ありませんね、では次のお話を。ここからが重要なお話なのですが、このレースの出場者にはハルカ教関係者が多く出場しております。そして、このレースの裏の目的は派閥争いなので御座います。このレースで優勝を収めた派閥は他の派閥よりも優位な立場になることができ、その派閥の発言権などは一年間もの間……暗黙の了解により……絶対的な権力を持つので……御座います」
 あやめさんの身体はわなわなと震え、その口調は低く禍々しい怨念を秘めているように思えた。てゆーか、この場にいたら殺される。首をキュッとされて、絶対に屠られるぅ!
 歯軋りをしたあやめさんは修羅のごとく顔つきで、テーブルをグーでぶっ叩いた。
「あのオカマが優勝したのだよ!」
 テーブルの上が局地的な地震に襲われ、店内にいた客がいっせいに振り向いた。
 明らかに口調が違った。本性だ、本性だよ、怖いよ、怖いよこのメイドさん。
 刃物を片手に血まみれになったメイド服が頭に浮かぶ。メイドは笑っていた。恐ろしい地獄絵図だ。
 何事も無かったように席についたあやめさんは、お清まし顔で微笑んだ。
「それから、優勝者は神によって願い事を叶えてもらえるので御座います。叶えてもらえる願い事の範囲はありますが、中には恋愛成就の願いを叶えてもらった方も過去にいたそうですよ」
「その話乗った!」
「そう言うと思っておりました。光さまは鈴木明日菜に首ったけ、うふふ」
 バレていたのか。さすがはメイドさんだ。ザ・観察眼と言ったところだな。
 俺はあやめさんのまいたエサに食らいつき、レースに出場に意気込んだ。この状況から言って、レースは俺のために開かれる手で力強く叩きながら立ち上がった。
「去年と言っても過言ではない。つまり、優勝するのは、世界が誇るクールビューティな白金光だ!
 食事を済ませた俺は店内を出てすぐに、あやめさんに連れられるままに、あっちこっちそっちに連れて行かれ、新代表のお披露目会とか、二次会とか、三次会とか、カラオケとか、とにかくめくるめくスケジュールの嵐。
 俺はわけのわからんうちに、激流に流されるだけだった。
 そして、ふと気づく。
 ――あっ、家に帰んなきゃ……ま、いっか。

 レース当日、横断幕には『爆々ねこレース』と大きく書かれている。そんな名前だったのか、このレース。
 サン・ハルカ広場は人人人の人の群れ。出場者は全員ねこ耳着用で、応援している人の中にもねこ耳がいる。ちなみ、このねこ耳は街のコンビニなどで一九八〇円で売っているらしい。
 これだけの人がねこ耳着用だと怖い。ていうか、変人奇人サーカス。って俺もその中に入ってるのか!
 俺が辺りを見回していると、あやめさんが俺の腕に手錠をかけた。まるで犯罪者扱い。
 自分の腕と俺の腕を繋いだあやめさんの顔は真剣だった。しかし、ねこ耳。だけど、萌え。
 正直に告白してやるぅ、俺はねこ耳メイドもツボだ!
 だが、自分のねこ耳は解せんな。たしかに俺は何でも似合うが……恥ずかしい。
 ふざけたレースだが、優勝者の与えられる特権はスゴイ。俺は愛を勝ち取ってみせる。俺は明日菜ちゃんの愛を俺だけのものにしてみせるぞ!
 だが、意気込み過ぎたせいか、腹が……痛い。昔から本番に弱くて、今回も腹の調子が悪い。
「光さま、大丈夫で御座いましょうか? 駄目でも、お薬を飲んででも無理やり走れば平気です」
 レースに出ないと絞めますよって感じの目だった。そんな目で見られたら、死んでも走るって。
「走るっスから、そんな目で見ないでください……」
「そんな目とはどのようでな目で御座いましょうか。優勝しないと屠るぞって目で御座いましょうか?」
 あやめさんは微笑を浮かべた。俺はそれを見て凍る。優勝しないと殺されるぅーっ!
 大丈夫だ俺。落ち着け俺。こういう時は楽しい思い出を……。
 そうだ、明日菜ちゃんと夕焼けに染まる浜辺を歩き、そこで二人は……ってこれって思い出じゃなくって妄想じゃん。
 そうだ、明日菜ちゃんだ。このレースは愛の障害物競走。この難関を乗り越えて、見事、明日菜ちゃんをゲットだぜ!
 どこからか向けられたカメラのフラッシュで俺の目が眩む。後援会のビューティフォーレディーたちだ。笑顔で手を振り返さなければ。
「がんばりますので、応援よろしくお願いします」
 腹の痛みに負けた俺は苦笑になってしまったが、それでもレディーたちは黄色い悲鳴を上げてくれた。――カッコイイって罪だな、ふっ。
 辺りを見回していると、ローズマリー&明日菜ペアもいた。俺としては心が痛む。
 想い人敵同士だなんてジンセーは過酷だなと想いつつ、はっとした。ローズマリーの見た目は女でも中身は男。まさか、二人はそういう関係なのか!?
 そう言えば、俺が明日菜ちゃんとトキメキで運命的な出逢いをした時、明日菜ちゃんは俺を見てオドオドしていたような気がする。なのに、今はローズマリーと楽しそうに、おしゃべりしちゃってるっぽいぞ!
 ――ああ、ローズマリーさま、こんなところでダメですったら、もぉ。――みたいな!
 ……今のは俺の勝手にモーソーだが、ないとは言えない。そうだ、そうに違いない。二人はデキてる。
 あの海上レストランでも、明日菜ちゃんに嫌われていたような気がした。ああ、悪夢が現実にって感じだ。
 俺の心は泥沼の底に沈み、失意と言う名の檻に拉致監禁。近くではローズマリーって名前の悪魔が見張りをしている。ビバ・ドン底!
「光さま、光さま大丈夫で御座いますか?」
 項垂れた首を持ち上げると、そこにはあやめさんの美しい顔が。そうだった、俺にはあやめさんというパートナーがいるじゃないか。あやめさんに恋愛対象を乗り換えようって話じゃなくって、あやめさんとだったら、このレース勝てる!
 そうだ、勝って恋愛成就を願うんだ!
 よ〜し、元気モリモリパワーがモリモリしてモリモリだ!
「あやめさん、このレース絶対に勝ちますから」
「なんと心強いお言葉。前代表もそんなことを申して、負けましたが」
 どうしてそこで釘を刺す?
 いや、ここで俺の脳裏にある考えが浮かぶ。
「前回のレースにもあやめさんが出てたんスか?」
「ええ、前代表とペアを組ませていただきました」
「それで、ローズマリーペアに負けたと?」
「ええ、ローズマリー&明日菜ペアに負けたので御座います」
 まさか、このあやめさんが負けるとは、前代表がへっぽこだったのか、ローズマリーがスゴイのか、実は明日菜ちゃんが魔法少女で……なんてことはないな。
 駄目だ、負ける。負けてしまう。絶望的だ。ジンセーお先真っ暗だ。
 恋愛成就なんて儚い夢のまた夢。
 何でこんなレースに出るハメになったのか、今更ながら疑問に思う。しかし、俺はすでにスタートラインに立っていた。
 男の華咲かせてやる!
 スタート地点は熱気ムンムンで息が苦しいほどだ。
「光さま、もうすぐレースがはじまります。ご準備はよろしいでしょうか?」
「おう!」
 キラリーンと歯を輝かせた俺を見て、あやめさんは満足そうにうなずいた。あとは、スタートの合図を待つまでだ。
 俺はちらっと横目でローズマリーを見た。日傘かよ!
 ローズマリーは日傘を差していた。あのまんまで走る気なのか、非常識だ。
 ……ねこ耳、手錠の方が非常識だった。
 スタートラインの端に銃を天に向けて構える人が立った。もうすぐ、スタートだ。
 ――ヨーイ、ドン!
 の合図で銃の先から火花ならぬ、万国旗が出た。マジシャンかあいつは!?
 などと思っているうちに、俺の身体はあやめさんによって強引に引っ張られていた。
「光さま、全速力で走って!」
「ごめん、万国旗に見惚れてて」
「そんなことは、どうでも宜しい。走れ!」
 あやめさんの叱咤に脅えて走り出す俺。だが、その俺のせいでスタートが出遅れた。
 人だかりの中に飲み込まれた俺は、満員電車で揉みくちゃにされてるようになって、にっちもさっちもどーにもならなくなってしまった。しかし、あやめさんは凄まじい。
 あやめさんは手をグーにして、辺りにいる人たちをなぎ倒していく。
「オラオラ、退きやがれ愚民どもが!」
 口調も怖い。
 般若と化したメイドさんに俺は恐る恐る聞いた。
「あのぉ、あやめさん。それって暴行罪では?」
「お堅いことを申さずに。これはスポーツ≠ナすから」
「…………」
 そういう問題なのか!?
 あやめさんにお陰で道が開き、どうにか人だかりを抜け出すことができた。
 ここであやめさんはポケットから取り出した爆竹に火をつけて後方に放った。
 けたたましい爆発音が鳴り、中華街の旧正月みたいな、ドンチャン騒ぎで俺の後ろを走る人たちが地面から飛び跳ねて踊っている。
「爆竹もアリなんスか?」
「ええ、障害物競走ですから」
 俺の質問にさらっと笑顔で答えるあやめさん。たかが障害物競走と侮っていた俺がバカだった。もっとちゃんとルール確認をしておくべきだった。
 周りを見渡すと、木刀を振り回している人とか……って俺に向かって来てるじゃん!?
 木刀を持ったオッサンが俺に襲い掛かってきた。頭に乗せたねこ耳が緊迫感ない感じだが、その下のついてる顔は恐ろしい。
「殺されるぅ!」
 俺に振り下ろされた木刀をあやめさんが片手で掴み、そのままオッサンの巨体を投げ飛ばした。恐るべしメイドさん。
「ご無事で御座いますか光さま?」
「ああ、なんとか」
 って、俺よりも投げ飛ばされたオッサンの方が心配だ。石畳の上にもろ激突って感じだったもんな。
「今のは紅薔薇派の妨害で御座います」
「マジで殺されるかと思った」
「殺されはいたしませんが、病院送りにされることはありますので、お気をつけください」
 だから、そういうことをさらっと言うの止めてくれ。
 あやめさんはさらっとした顔で、再びポケットの中から何かを取り出した。そして、また後ろにばらまく。
 また後ろの人たちが飛び上がって踊ってる。けど、今度は苦痛に顔を歪ませている。そう、あやめさんが地面にまいたのはまきびしだった。
 まきびしっていうのは、鉄をトゲトゲに加工したもので、忍者が追ってから逃げるために地面に巻くアイテムだ。俺も昔は忍者に憧れたもんだが、まさかあやめさんがまきびしを使うとは……まさか!?
 メイド=忍者か!?
 あやめさんを見ていると、そうかもしれないと思えてくる。
 美しい街中を駆け巡るねこ耳軍団。美しい町並みに、俺たちは不釣り合いだと思う。そして、街中に不釣り合いな物が、前方に見えてきた。それは網だった。
 障害物競走に網はお約束って言ったらお約束だが、あの網、変だ!
 マグロが掛かってやがる!?
 マグロだけではない、タイにヒラメが舞い踊る……お遊戯会か!
 網の近くに立ってる水着のお姉さんがホイッスルを持って監視している。ちゃんと網を潜らない人がピコピコハンマーで殴られている。
 網の下を俺たちは上手に潜り、あと少しで出られるというところで、あやめさんが悲鳴をあげた。
「きゃ〜〜〜っ!」
「なんスか!?」
 俺はあやめさんの脚に巻きつくにょろにょろを見た。それはまさしくタコの足。
「わたくし、軟体動物が苦手なんですぅ〜!」
 あやめさんの弱点発覚。
 タコのサイズはビッグだ。深海にはこんなビッグなタコが棲んでいると聞くが、ここって水上都市だけど、湖だったよな。ワザワザ漁師さんが海から釣り上げて来たのか。ちなみに俺の想像だと一本釣りだ。
 あめさんが引っ張られると俺も自動的に引っ張られる。これって危機的状況じゃん!
 俺は網に手を掛けて踏ん張るが、手が千切れそうなくらい痛い。たかが、タコに分際で、後でタコ焼きにしてやる!
 タコの脚は八本。一本はあやめさんのふとももに巻きついている。残りの七本も人の脚に巻き付いているではないか。しかも、みんな美人のお姐さん。
 大タコは美人ばかりを狙うエロタコだったのだ。ちょぴり羨ましいぞ。
「いやん、えっち!」
 あやめさんが色っぽい声で悶える。
 俺は判断した。このエロタコは女性の敵だ。許してなるものか!
 だが、俺は網にしがみ付いているので精一杯だった。
 成す術もないと思われた時、タコの脚があやめさんの脚から外れた。タコ本体を見ると、何者かがタコに傘を突き刺していた。傘……日傘……ローズマリーか!?
 ローズマリーはタコに日傘を何度も突き刺し、タコ足に捕まってた明日菜ちゃんを救い出していた。明日菜ちゃんも捕まってたのか、自分のことに精一杯で気づかなかった。
 てゆーか、あの傘って武器だったのか。
 一足先にエロタコの脅威から逃れたローズマリー&明日菜ペアは、網を抜けてさっさと先に行ってしまった。しかも、ローズマリーの野郎、俺の顔を見て一瞬笑ったぞ。
「光さま、わたくしたちも先を急ぎましょう」
「おう!」
 俺たちは全速力で走った。

 ――つづく


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