古えの搭で眠るもの
 塔の中に入った二人は多角形の石を敷き詰めた床を歩きながら辺りを見回した。塔の中は広く、時間を刻まぬ炎が辺りを照らしている。少し薄暗く、怪物や亡霊が出そうな雰囲気だった。
「じゃ、坊やは適当にあっちを探して、あたしは向こうにお宝がないか探すから」
 こうアズィーザに言われたセイは少し嫌な顔をした。
「別行動ですか?」
「こんな広い塔なんだから二手に分かれた方がいいに決まってるじゃないさ」
「わかりました。じゃあ、僕はあっち行きます」
 ため息をつきながらセイはアズィーザと分かれた。
 セイが選んだ道には外に出ることのできる出入り口があり、その出入り口を通って外に出ると、そこには塔の外壁に沿って造られた階段があった。階段の途中には中に入る出入り口があったが、セイはとりあえず塔の一番上まで登ってみることにした。
 ふと、セイは塀から下を覗くと、都市がすでに随分と下の方に見える。だいだい七階建てのビルほどの高さかもしれない。
 階段は緩やかに上って行くために、その距離は長く、ようやく終わりが見えてきた。
 最上階らしいその入り口には先程まではなかった扉があった。今までは各フロアを出入り口は吹き抜けとなっていたのだ。
 扉の前に立ってセイは力いっぱい扉を押してみた、しかし開かない。扉を引いてみた、しかし開かなかった。
「鍵が必要なのかも」
 セイが困った顔をしていると、首から提げていたバッグの中から強い波動のようなものを感じた。慌ててバッグの中を開けると、そこには淡く輝く魔導書が入っていた。――〈ファティマの書〉だ。
 魔導書を取り出したセイは、その魔導書を扉の前に翳(かざ)してみた。すると、扉が軋(きし)みながら自動的に開いたではないか!?
 戸惑いもなくセイはすぐさまこのフロアに足を踏み入れた。
 このフロアの構造は幾つもの小部屋で仕切られているらしく、廊下が走り、その途中に幾つもの扉があった。しかし、セイは周りの部屋に目もくれず、突き当たりにある部屋を目指した。そこから何かを感じる。そして、魔導書の輝きも増していた。
 廊下の突き当たりにあるドアはセイが触れる前にその口を開き、セイを中へと導いた。扉の先にはまた廊下があり、その先に扉があり、セイはその扉の前にいる少女を発見した。
「……人がいる!?」
 驚いたセイはすぐさま少女に駆け寄った。
 猫耳を生やした金髪のメイド風の服を着た少女。彼女は目を瞑り、扉の前にじっと立っていた。
「あの、君は?」
 セイが尋ねると少女はその瞳はゆっくりと開き、透き通る蒼い瞳でセイを見つめて静かに微笑んだ。
「お待ちしておりました、新たなご主人様」
「僕がご主人様!?」
 驚くセイに猫人の少女は静かに微笑んだ。
「そうでございます。貴方様はわたくしの二人目のご主人様です」
「意味がよくわからないんだけど?」
「わたくしの以前の主人は大魔導師ファティマ様でした。そして、〈ファティマの書〉を持ち、ここに現れる者に仕えるように仰せつかっておりました」
「じゃあ、君は大魔導師ファティマの知り合いだったてこと?」
 大魔導師ファティマが生きていたのは一〇〇〇年以上も昔だったとセイは聞いていた。それなのに目の前にいる少女は少女≠ネのだ。
「わたくしはファティマ様の知り合いではなく、従者でございます。わたくしはファティマ様に生を与えられ造られた自動人形でございます」
「人形なの君?」
 だから歳を取っていないのだ。それに言われてみれば肌は陶器のように白く透き通っていて、顔立ちも整いすぎて人とは思えぬ美しさを誇っていた。
「わたくしはファティマ様に生を与えられ造られた自動人形でございます。では、ご主人様、扉の奥へご案内いたします」
 扉を開けようとする機械仕掛けの少女にセイは声をかけた。
「ちょっと待って、まだ名前聞いてないんだけど?」
「ファティマ様にはアリスと呼ばれておりましたが、新しい呼び名はご主人様がお考えください。それがわたくしの名になります」
「あ、じゃあ、アリスで」
「素敵なお名前、ありがとうございます」
 ニッコリと微笑んだアリスは扉を開けて、中にセイを招き入れた。
 部屋の中は煌びやかに輝くシャンデリアに照らされ、華麗な彫刻の施された椅子や机や置物が配置されおり、壁一面に置いてある本棚には本が隙間なく入れられていた。
「ここはファティマ様のお部屋でした。そして、今からはご主人様のお部屋です」
「あ、あ〜、あのさ、僕が君の主人になったことは理解したんだけど、僕は具体的になにをすればいいの?」
「ご主人様はこの都を治める新たな長(おさ)となるのです」
「長ってこの都で一番偉い人ってこと」
「そうでございます」
「はあ」
 なんだか自分の考えが及ばないところで話が進んで知るようにセイには思えた。
 セイとファティマが出逢った時のそうだった。突然見知らぬ世界に連れて来られ、ご主人様と呼ばれた。
 アリスはセイに椅子に着くように進めると、鉢植えに挿してあった花を一本引き抜き、その花からティーカップに飲み物を注いだ。
「ご主人様、どうぞお飲みください」
「あ、どうもありがとう」
 飲み物を口に運んだセイはふと思った。――動いてる。
「あのさ、この都市にあった物は全部動かなかったんだけど、今その花から飲み物を注いだし、このカップも動いてるよね。そう、それに君の動いてる」
「この都市で時が止まらずにいるのは、この部屋とわたくしだけです」
 セイがアリスに質問を投げかけようと口を開きかけた時、扉を開けてアズィーザが飛び込んで来た。
「ここにいたのかい、探しちまったよ」
 アズィーザを確認したアリスの目つきが鋭くなった。
「ここはご主人様のお部屋です。早々にお帰りくださいませ」
「僕の知り合いだから、大丈夫、悪い人とかじゃないから」
 セイがアリスにそう言うと、アリスはアズィーザに深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。ご主人様のお知り合いとは知らず、無礼を働いたことをお許しください」
「あたしは別に構わないよ。それよりもこの子なんだい?」
 『なんだい?』と顔を向けられたセイは首を横に振った。セイにもまだよく理解しきれていないのだ。
「僕のことを新しいご主人様って呼ぶんだけど、前は大魔導師ファティマに仕えていたんだって。あと、名前はアリスで機械人形なんだ」
 機械人形アリスを一瞥(いちべつ)したアズィーザはふふ〜んと鼻で笑った。
「一家に一台欲しいねえ。それでご主人様ってどういうことだい?」
 また顔を向けられたセイはまた困った顔をした。
「だから、僕に顔を向けられても困ります。僕もこれから詳しく質問しようとしてたとこなんですから。あのそれでアリスさん、なんでこの部屋だけ時間が動いていたり、都市中の人々がいないんですか?」
「わたくしにさん&tけする必要はありません。この部屋だけが時を刻み、都市中の人々や動物たちが姿を消したのは、全てファティマ様の仕業でございます」
「あ、あのアリス、大魔導師ファティマが……?」
 余計にセイの中で謎は深まってしまった。
 大魔導師ファティマの目的は?
 アリスはアズィーザにお茶を差し出すと、静かに目を瞑って語りはじめた。
「ファティマ様は生涯をかけて一冊の魔導書を書き綴り続けました。その書の内容は世界の全てを記すこと。ファティマ様は二千年以上もの永い時を生き、世界中を旅し、多くを書に綴りましたが、それでも全てを記すことはできませんでした。そして、ファティマ様はある日突然この地に戻り、人々を〈大きな神〉から守るために封じ込めたのです」
 セイもアズィーザも頭の上にはてなマークが飛んでしまった。
 口を開いて説明を続けるようすのないアリスにアズィーザが質問をした。
「それでおしまいかい? 説明がだいぶ省かれてたように思ったけど。なんでファティマは世界全部を書に書き綴ろうとして、なんで人々を封じ込める必要があったんだい?」
「わたくしが知っているのは今説明したものだけです。ファティマ様は多くを語りませんでした。ただ、わたくしとこの部屋の時間だけを止めず、新たな主人を待つようにとだけ仰られました」
 つまり、アリスに説明を求めてもよい答えは返って来ないということだ。だが、次の一言が状況を発展させる。
「そして、ファティマ様は必要最低限のことは〈ファティマの書〉に記したと仰っておりました。つまり、そこにご主人様の求める答えが書かれているのです」
 だが、〈ファティマの書〉は半分が焼け焦げ、とても読める状態ではなかった。
 セイの落胆は大きい。
「魔導書は見てのとおり、破損してもう読むことはできなんです」
 謎を解く鍵であった魔導書は使い物にならない。しかし、アリスはニッコリと微笑んだ。
「ご主人様、心配なさらずに肩お上げください。その魔導書からは魔導が感じられます。そう、その魔導書はまだ生きております」
 確かに魔導書はまだ微かだが力を持ち、翻訳機としての力も健在だった。しかし、ページを読むことができないのは確かで、それがどうにかなるとでもいうのだろうか?
「この魔導書が生きてる?」
 セイが不思議な顔をして尋ねると、アリスはコクリと小さく頷いた。
「文字として失われても、知識が死んだわけではございません。魔導書に宿る精霊が魔導書の知識を共有しているのは、文字で表されているからではございません。魔導書そのものが知識を記憶しているからです。しかし、今その魔導書は力を失いつつあります」
「どうすればいいんですか?」
「ご主人様の中に宿らせればよいのです。これはご主人様の知識が増えるという意味ではなく、ご主人様の中に別の〈存在〉が住まうスペースをつくるということです」
「意味がわからないんですけど?」
「なさればわかります。では――」
 アリスは〈ファティマの書〉とセイの身体に触れると、静かに何かを呟いた。すると、セイの身体が輝きだしたではないか!?
 そして、〈ファティマの書〉は煌く粉になってセイの口に流れ込んで行ったのだった。


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