砂漠の都
 太陽が燦然と降り注ぐ枯れた大地に少年はいた。
 舞い上がる黄砂に吹かれながら、少年は砂に埋もれる足を一歩一歩着実に動かし、どこ行く当てもなく歩いているようだった。
 少年の年の頃は十五、六歳と言ったところだろうか?
 頭には耳の垂れ下がった犬に似ているパイロットハットを被り、その帽子にはゴーグルが付けられ、身体を覆う茶色い服は帽子と同じ素材らしき色褪せた皮製の物で、その服は砂や陽の光を拒むような厚手の服だった。
 衣服の所々は汚れ、解れ、破れ、少年の旅が長いものだったことを物語っている。
 ――そう、少年は旅慣れた物腰をしていた。
 そのことは少年の表情からも見て取れた。
 深く被った帽子から覗く瞳は、遥か彼方を見つめているようで、なにも見つめていないような眼差し。
 少年はあの先になにを見る?
 そして、なにを求め、旅をしているのだろうか?
 その時、少年の腹が奇怪な音を立てて鳴いた。
 ぐぅぅぅぅぅ~~~っ。
 腹を押さえた少年が砂の上に膝を付き、そのまま前のめりになりながら顔面から砂にダイブした。
 少年の口から微かな声が漏れる。
「腹減ったぁ~~~」
 今、少年に最悪最強の敵が襲い掛かる!!
 ――空腹。
 たかが空腹と莫迦にすることなかれ。この少年は金銭的な都合から旅の途中で食料を切らせ、一週間もの間、口に入れた物は塵と空気と水だけ。その水もついさっき飲み干してしまった。
 少年は意識を朦朧させながら砂の上に寝転び、仰向けになりながら顔の前に腕を置いて天を仰いだ。
 太陽はまだまだ高い位置にあり、陽の光が少年を串刺しにするが、気温そのものは高くない。大地が枯れている理由は、灼熱の太陽のせいではないのだ。
 地平線の向こうで砂埃が霧のように舞い上がり、轟々と風が鳴る。
 上体を起こした少年は目を細めた。
 視線の先に映る光景。砂の上を走る巨大な影と小さな影。それを見た少年は思わず声をあげた。
「食料!」
 舞い上がる砂の中を巨大な影が小さな影を追っている。
 轟々と砂を巻き上げ、風を鳴らしながら爆進する巨大な影の正体は岩蛇だった。その全長は約三〇メートルもあり、岩のような鱗に全身を覆われていて、小象であれば丸呑みにされてしまいそうだ。――これでも小物の岩蛇だ。
 巨大な岩蛇に追われていたのは、二足歩行のクェック鳥と呼ばれる飛べない鳥に乗った男だった。
 『クェック』と鳴き声をあげることから、その名を付けられたクェック鳥は、人を乗せた状態で時速約六〇キロメートルの速さで走ることができる。だが、それでは岩蛇の魔の手からは逃げられない。
 身体をくねらせる岩蛇は砂の上を泳ぐようにして獲物を丸呑みにしようとしている。このままでは、男はクェック鳥とともに真っ暗な岩蛇の腹の中に納まってしまうだろう。しかし、そうはならなかった。
 巨大な穴としか思えない大口を開けた岩蛇が男を呑み込もうとしたその時、男の手から閃光を放ちながら煙を撒き散らす弾丸が発射された。――信号弾だ。
 男の放った弾は巨大な口の中に消えていき、岩蛇は巨体を揺らしながら狂うように頭を振った。
 表皮は岩のような鱗に覆われていようとも、口の中に弾を打ち込まれたのでは岩蛇も堪ったものではない。しかし、致命傷にはならず、むしろ岩蛇は怒り狂うように暴れまわった。
 一部始終を見ていた少年はお腹を擦りながら呟いた。
「皮剥がせば食えるな」
 少年は岩蛇を仕留める気でいた。いや、喰らう気でいた。
 暴れまわる岩蛇によって砂の大地は波打つように動き、砂に足を取られたクェック鳥が男を乗せたまま転倒する。
 砂の上に大きく放り出された男の上に巨大な影が覆い被さる。
 巨大な壁のように迫ってくる岩蛇から男は逃げる術を失っていた。だが、男は見た。陽光を浴びて空に舞い上がった小さな影を――。
 ぼろ切れのマントを空中で投げ捨てた少年は、天に向かって咆哮しながらもだえ苦しんでいた岩蛇の口の中に飛び込んでいった。
 少年が岩蛇の口の中に飛び込む瞬間、どこかで歯車の鳴る音がして、少年の右手が激しい閃光を放った。
「喰らえ糞蛇っ!」
 怒号をあげた少年が岩蛇の長い舌に右手を押し付けた瞬間、岩蛇は巨大な身体を大きく震わせてスパークした。岩蛇は少年によって電撃を喰らわされたのだ。
 舌をだらりと伸ばして痙攣する岩蛇は巨体を砂の上に大きく打ちつけた。
 砂煙が舞い上がり、砂を被る岩蛇は微かに痙攣するものの、気を失っているようで動く気配はもうない。
 息を荒げて砂の上に大の字になって寝転ぶ少年の顔に男の影が射す。
「おまえ、人間か?」
 体躯のいい無精髭を生やした男の声には感嘆と畏怖の色が雑ざっていた。
 自分を見つめる男を霞む目で見ながら、少年は息絶え絶えといった声で呟いた。
「……飯…食わせろっ」
 そして、少年の意識は闇の中に落ちていった。

 砂漠の中心に聳える鉄の要塞。シュラ帝國が世界に誇る皇帝ルオの居城である巨城だ。
 権威を示すためだけに広い玉座の間。大理石の床に敷かれた金糸の刺繍が施された紅い絨毯が玉座まで伸びている。その玉座に座る者は、この帝國の若き皇帝――ルオだ。
 皇帝であるルオの前に威風堂々と立つ、雄ライオンのような髪型をした女性。白衣のようなロングコートを着た彼女は、濡れた唇からセクシーな低音で掠れた声を部屋に響かせた。
「目下のところトッシュの行方は不明。街の外に出かけたとの情報もあるけれど」
 目の前にいるのが皇帝だというのに、〝ライオンヘア〟の口調には敬意の欠片も含まれていなかった。それに対して皇帝も気にしたようすもない。
「トッシュは行方知れずか。して、あの話の真意は?」
「裏づけは取れたわ。すでに坑道は我が軍が占領し、発掘は至極順調よ。トッシュが街に帰って来て、このことを知ったらどんな顔をするか、楽しみだわ」
 妖々と魅惑的な笑みを浮かべる〝ライオンヘア〟。それにつられて皇帝ルオも静かに笑う。
「大地の下に眠るモノは、神か悪魔か……」
「なにが飛び出して来ようと、〝失われし科学技術〟は、この世界に新たな風を吹かせるわ」
「それは滅びの風かもしれないよ」
「滅びの力でも手玉にとって見せますわ」
「それは頼もしい」
 陰を纏い、くつくつと嗤う皇帝ルオの表情は、悪戯な悪魔のようだった。
 皇帝ルオの悪評は多く、独自の美意識を持つ彼の虐殺の数々は国を跨いで人々に知られる。
 三年前、前皇帝であるルオの父が崩御し、十三歳という若年でルオが帝位を継承して間もない時であった。ルオは領土拡大のために、とある砂漠に住む部族の要塞を落とすことになり、彼はただ一言を発した
 ――串刺し刑が観たい。
 その一言だけで、女子供関係なく一二〇人あまりの人間が串刺しにされ、その半分以上の人間が生きたまま串刺しにされたのだった。
 その光景は凄まじく凄惨であり、串刺しの刑を実行させられたルオの軍隊ですら躊躇いを覚え、嘔吐する者や、最後までルオの命令に従えずに串刺しの刑に処された者もいたほどだ。
 串刺しの方法は肛門から内臓に串を差し込んだり、へそを刺したり、心臓を刺したりといろいろな方法が取られ、串刺しにされた者はみな地面に串とともに立てられ、ルオのオブジェにされた。そして、ルオは乾いた大地に血を滴り落とすオブジェを見ながら、大声を張り上げて満足げに笑ったのだと言う。
 以上の悪行が、暴君ルオの名を世界に知らしめた最初の行であり、序の口であった。
 玉座に座り、足を前に投げ出したルオは、なにかを思い出しように手を叩いた。
「ああ、そうだ。今朝の料理で舌を少し火傷したんだったよ」
「『作った料理人を切り刻んで家畜の餌にしろ』ですわね?」
 〝ライオンヘア〟はルオのことを熟知しているのだ。
 ルオは満足そうに笑った。
「君は最高の側近だ。ただ、信用はできないけどね」
「いいえ、アタクシは〝貴方〟に身も心も捧げた奴隷ですわ」
「嘘が上手だ君は。君が朕に仕えるのは科学と魔導の研究のためだろう?」
「ええ、それもありますわ。でも、アタクシは本当に貴方を慕っているのよ。貴方は史上最悪の暴君だわ」
 今まで立っていた〝ライオンヘア〟が跪き、投げ出されたルオの足に手を伸ばす。
 ルオは自分の投げ出した足に靴の上から接吻する女を見下しながら、満足げな表情を浮けべて嗤った。
「お褒めの言葉ありがとう」
 顔を見合わせて二人は、陰を纏いながら静かに静かに嗤った。

 少年は固いベッドの上で目を覚ました。
 最初に少年が見たものは、茶色い染みのある灰色の天井。次に見たものは灰色の壁。それ以外はなにもなかった。そこは汚いベッドと灰色の壁しかない部屋だった。
 ベッドから跳ね起きた少年は金属のドアの前に立った。ドアノブなどは見つからず、電動スイッチも見当たらない。つまりこちらからでは開けられないというわけだ。
 少年がドアに向かってファイティングポーズを取ると、どこかで歯車の回る音がした。しかし、その音は徐々に弱くなり、やがて止まった。そして変わりに別の音が鳴る。
 ぐぅぅぅぅぅ~~~っ。
 重い息をついて腹を擦る少年は、そのまま背中から冷たい床に寝転んだ。
「腹が減ってなにもする気が起きねえ」
 少年の声が虚しく部屋に響いて消えた。
 天井の染みを見つめながら、少年が虚ろな目をしていると、金属のドアがスライドして部屋の中に無精髭を生やした男が入って来た。
 部屋に入って来た体躯のいい男は、岩蛇に襲われていたところを少年が助けた男だった。
 男の姿を確認した少年は眼の色を変えて飛び起きると、自分より背の高い男の襟首を掴んで叫んだ。
「この糞野郎! 命の恩人をこんなところに閉じ込めやがって!」
「俺様は慈善家じゃないんでな、例え命の恩人でも素性が知れない者は信用できない。ここまで運んできてやっただけでも感謝しろ」
 ぐぅぅぅぅぅ~~~っ。
 男の襟首を掴んでいた少年の手から力が抜けていき、ヘナヘナと少年は膝から崩れ落ちた。
「腹が減って……飯食わせろ……」
 男は腹を押さえてうずくまる少年を見下げながら、思わず口から空気を噴出して笑った
「腹いっぱい食わせてやるから付いて来い」
「俺をここに閉じ込めて置かなくていいのか?」
「おまえが目を覚ました時に、勝手に出歩かれると困るから閉じ込めて置いただけだ」
「それだけか?」
「いや」
 男は裏のある笑みを浮かべた。その笑みを見て少年はさして気にしないように鼻を鳴らした。
「ふ~ん。で、あんた名前は?」
「人に名を聞くときは自分から名乗れ」
「俺の名前はアレン。で、あんたは?」
「俺様はトッシュ。この街じゃ、ちっとは知れた名だ」
「自慢なんて聞きたかねえ。早く飯食わせろ」
「……口の悪いガキだな。付いて来い」
 トッシュは頭をかきながら部屋を出て行き、アレンはその後を覚束ない足取りで付いて行った。
 部屋の外は長方形の筒のような廊下が続いていた。
 所々が茶色く錆びている廊下を照らす明かりは、等間隔に天井にぶら下がっている裸電球だけで、廊下全体が薄暗いために遠く先は闇だった
 二人は足音を響かせながら廊下の奥へ向かった。
 前を歩くトッシュが顔を向けずにアレンに話しかけた。
「ところでおまえ、魔導師か?」
「違う」
「じゃあ科学者か?」
「いいや。俺は魔導師でも科学者でもない、ただのガキさ」
 この世界を支える二大柱は科学と魔導。
 魔導と科学の融合により生まれた魔導炉により、膨大なエネルギーが二十四時間、止まることなく都市にエネルギーが供給される。しかもそれも過去の恩恵。今に残る〝失われし科学技術〟によって世界は成り立っている。
 廊下の突き当たりには金属の梯子があり、それを登って二人は地上に出た。
 アレンは自分たちの出てきたマンホールを見ながら興味深げに呟いた。
「おもしろいとこから出たもんだ」
「他言しない方がおまえの身のためだ」
「なるほど」
 すぐにアレンは理解した。このマンホールは秘密の出入り口と言ったところなのだろう。
 辺りは朱色に染まり、石畳の路に影が射している。
 左右は石などで造られた凹凸のない建物に囲まれ、もちろん人通りはない。
 アレンはトッシュに連れられ裏路地を抜けると、そこは一変して人通りの多い歓楽街だった。
 目がチカチカするようなネオンが街を照らしはじめ、得体の知れない出店が並び、娼婦たちが仕事をはじめている。夜が更けてくれば、もっとこの街は賑わうことだろう。
 トッシュとともに人ごみの中を歩きながらアレンが呟いた。
「こんなデカくて活気のある街は珍しいな」
「この街にはなんでもある。武器も薬も――暴力もな」
「たしかに治安も衛生もサイテーだな」
 まだ日が完全に落ち切っていないというのに、屋台で酒を引っ掛けて喧嘩をはじめている若者たちが目に飛び込んでくるし、汚れた路の片隅では鼠たちが食べものに集っている。
 掘っ立て小屋のような店が並ぶ中、トッシュがアレンを連れてきた店は豪華な門構えの店だった。
 店内に入るとすぐに、大胆に切り込まれたスリットから脚を覗かせるチャイナドレスを着た美女に出迎えられた。
「いらっしゃいませトッシュ様」
 店の女はトッシュの名を知っているようだ。
 しばらくして、チャイナ服を着た別の美女が店の奥から出てきて、トッシュがなにも言わなくても店の奥の個室に案内された。
 個室は朱色が多く使われ、部屋の真ん中には朱色をした円形の回転テーブルが置かれていた。
 席に着いたトッシュはメニュー表をアレンに見せながらしゃべった。
「この店はエビチリが美味いんだ」
「俺、辛いの苦手なんだけど、この店辛そうなもんばっかだな」
「食わせてもらう立場の奴が文句言うな」
「文句じゃねえよ、腹の中入ったらみんな同じだしな」
「それでおまえはなに頼むんだ?」
「うんじゃ、全部持って来させろ」
「は?」
 トッシュは眼を丸くして、半ば呆れたように口をポカンと開けた。
 面倒くさそうにアレンはメニューを全部なぞるように指差して口を開いた。
「聞こえただろ、ここに書いてあんの全部持って来させろ」
「全部食う気か?」
「もちろん、残さず食う」
「よし、おい全部持って来い!」
 トッシュが近くにいた店員に声をかけると、店員はドレスのスリットから脚を覗かせながら慌てたようすで厨房に走って行った。
 しばらくして湯気の立つ料理が次々と運ばれて来て――消えた。もちろんアレンの腹の中に。
 腹の底に料理を流し込んでいく小柄な少年を見ながらトッシュがため息をついた。
「マジで食ってやがる。おまえの胃はジャンクイーターか……」
 ジャンクイーターとはゴミでも金属でもなんでも喰う怪物の名前だ。
 アレンは口いっぱいに豚肉を頬張って、それをウーロン茶で流し込んで喉を鳴らした。
「俺の胃は特別せいだかんな。あんたの財産全部食ってもいいぜ」
「それはやめてくれ」
 トッシュは苦笑いを浮かべながら少し汗をかいた。
 そして、店のメニューを全部食い終えたアレンは腹を擦りながら天井を仰いだ。
「食った食った、これで三日は食わなくても平気だ。飯食わせてもらったついでに、もうひとつ頼みたいことがあんだけど、いいか?」
「あつかましい奴だな。言ってみろ」
「仕事の世話してくんねえか?」
「なにができる?」
 急にトッシュの眼が鋭く光り、アレンは不適な笑みを浮かべた。
「なんでも」
「それは話が早い」
 そしてトッシュも笑った。
 トッシュの言葉からも伺えるように、彼ははじめからアレンにある話を持ちかける気でいたのだ。
 煙草に吹かせながらトッシュが仕事の内容を話しはじめた。
「仕事に頭は必要ない。ただ向かって来る敵を倒せばいい」
「ふ~ん、ボディガードってことかよ?」
「目的はある物を手に入れることだ。それを手に入れるために、おまえは俺に手を貸す。簡単な仕事だろ?」
「簡単とは思えないけどね」
 アレンは空気を察していた。目の前にいる男は小物ではない。それだけに仕事が簡単なものとは思えなかった。
 無言でアレンは三本指を立ててトッシュの眼前に近づけた。それを見たトッシュが口を開く。
「三万イェンか?」
 三万イェンもあれば、まあまあ困ることなく一年間暮らせる額だ。
 アレンは首を振った。
「いいや、三食昼寝付き」
「……おまえなぁ」
「それから、報酬は五〇〇〇イェンでいい。前金に二〇〇〇イェン、仕事が終わったら残りの三〇〇〇イェン、もちろんキャッシュで」
「その条件を飲もう」
 と、トッシュが言葉を発し終えたときだった。爆音とともに厚い壁が粉々に吹き飛び、辺りが咳き込むような煙に包まれた。

 料理店の裏路地に集まった数人の人影は身を潜め、盗聴器によって厚い壁の向こうで交わされる会話の一部始終を聴いていた。
《仕事に頭は必要ない。ただ向かって来る敵を倒せばいい》
《ふ~ん、ボディガードってことかよ?》
《目的はある物を手に入れることだ。それを手に入れるために、おまえは俺に手を貸す。簡単な仕事だろ?》
《簡単とは思えないけどね》
 壁の向こうは店の個室で、そこにいるのは二人だけらしいことが確認されている。ここに集まっている者たちの標的は、そのうちのひとり――トッシュと呼ばれる男だ。
《その条件を飲もう》
 と盗聴器から聴こえた刹那、女の声が裏路地に響き渡った。
「突入!」
 硝煙と爆音とともに分厚い壁が破壊され、店に中に一人の女と銃を構えた男たちが流れ込んだ。
 アレンとトッシュは先の見えない煙の中を逃げようとしたが、席から立ち上がってのみで足を止めて、両手を高く上げた。
 煙が晴れてくると、ハンディバズーカを持つ女が現れ、その後ろに従える男たちは小型マシンバルカンの銃口をアレンとトッシュに向けていた。
 女は白衣のようなロングコートの裾を揺らしながら、ミニスカートから覗く脚を見せ付けるように歩き、ブーツの踵を鳴らしてトッシュに詰め寄った。そして、雄ライオンのような金髪ヘアをかき上げながら濡れた唇を舐めた。
「お久しぶりねトッシュ」
 妖艶な声音だった。
 この女の名前はライザ。〝ライオンヘア〟と異名される帝王ルオの側近だ。
 トッシュは両手を挙げながら口にくわえていた煙草を床に吐き捨てた。
「そんなでもないだろう。前に遭ったのは一週間前だったか?」
 ライザと話しながらもトッシュの目は他のところを観察していた。
 目の前にいるライザの持つハンディバズーカは、ライザが社長を務めるライザ社の最新型モデルで、発射する炸薬弾は感度が高く、威力も非常に大きい。しかも、どうやら正規の物ではなく、ライザ専用に改造が施されているようだ。
 ライザの後ろにいる男たちの持つ銃は最新式の小型マシンバルカンで、優れた連射性と集弾性を備えている。
 この部屋の出口は元からあった出入り口の扉とライザが壁に開けた穴。壁にできた穴まで行くには小型マシンバルカンを構えた男たちの中を通ることになり、逃げるとすれば出入り口の扉か?
 だが、敵は連射性を備えた小型マシンバルカンを装備している。バルカンを乱射されたら逃げ切るのは困難と言える。
 トッシュは横で手を上げているアレンに目を向けた。
「どうにかできるかアレン?」
「いいや。まだあんたから金もらってないからどーもならん」
 それは金さえもらえば、この状況を打破できるということか?
 〝ライオンヘア〟は獲物でも物色する眼つきで、アレンを下から上に舐めるように見た。
「可愛らしい坊やね。トッシュといるからにはただの子供じゃないだろうけど……」
 自分を見て舌舐めずりしたライザを見てアレンは悪寒を覚えた。
「俺はこんな男と一切関係ない。ちょっと飯をおごってもらっただけ」
 もちろんアレンの言う『こんな男』とは他でもないトッシュのこと。まだ雇い主でない男に懸ける命は持ち合わせていないのだ。
 一切の自分との関係を絶とうとするアレンの言葉に、トッシュは呆れたように言葉を吐いた。
「……おいおい、そりゃないだろ」
「だってまだ金もらってないもん」
「飯おごってやっただろ」
「あんたの命助けたからチャラだね」
「砂漠から運んでやっただろ!」
 アレンとトッシュはこのまま喧嘩でもはじめそうな勢いだった。それを止めたのはハンディバズーカを二人に向けたライザだった。
「アナタたち、自分の置かれている状況を理解しているのかしら?」
 自分の置かれている状況を忘れているトッシュが、鋭い眼つきでライザに振り向いて怒鳴り散らした。
「わかってる!」
 とんだとばっちりを受けたライザは、唇を尖らせて不満顔をする
「アナタたちはアタクシたちにいつ殺されても可笑しくない状況なのよ。わかったら口を謹んで、手を首の後ろに回して膝を付きなさい!」
 トッシュはすぐにライザの言うとおりにしたが、アレンは手を天井に向けて上げたままで従うようすを見せなかった。
「だから俺はこんな男と関係ないから解放して欲しんだけど?」
 とアレンが言っても無駄なようで、怒っている〝ライオンヘア〟はハンディバズーカの銃口をアレンの顔面に向けた。
「さっさとアタクシの言うとおりになさい。そうすれば命は取らないわ」
「はいはい」
 抵抗をあきらめたアレンはため息混じりの声を漏らして床に膝を付いた。
 ライザはアレンとトッシュをすぐに殺す気はないらしい。それに疑問を覚えたのはトッシュだった。
「どうしてすぐに俺様を殺さん? いつもなら容赦なく銃撃されるが、拷問にかけてジワジワと殺す気か?」
「拷問もいいけど、今のアタクシにアナタを権限はないわ。今日は商談に来たのよ」
 商談に来たにしては物騒な格好だ。それに、この状況では一方的な取引しかできそうにない。だからこそトッシュは取引に応じるしかない。
「それでどんな商談だ?」
「〝アレ〟を手に入れるために力を貸して欲しいのよ」
 ライザの言う〝アレ〟と聞いてアレンはすぐにピンと来た。トッシュはアレンを雇おうとした際に目的を『ある物を手に入れることだ』と言った。そして、『ただ向かって来る敵を倒せばいい』とも言っていた。さしずめ〝敵〟とは今目の前にいる輩のことだったのだろう。
 少しの間、沈黙して考え深げに俯いていたトッシュが顔を上げた。
「俺様に拒否権はないらしいが、報酬くらいはあるんだろう?」
 この状況において報酬を要求するトッシュにライザは妖艶と微笑んだ。
「さすがは〝暗黒街の一匹狼〟さんだこと、肝が据わっているわね報酬はアナタの命でどうかしら? 今後一切、帝國はアナタの命を狙わない。アナタが帝國に危害を加えなければの話だけど」
「俺様の命か……魅力的な提案だが、金も欲しい」
「ふふ、一〇〇万でどうかしら?」
「その条件で飲もう」
 商談が成立したところで、アレンがこの場に適さない間延びした声を発した。
「あのさぁ、俺の処分はどうなるわけぇ?」
 妖しい眼つきでアレンを見たライザは、上唇を舐めて熱い吐息を漏らした。
「坊やはアタクシが可愛がってあげるわよ」
 アレンはゾクゾクと身を震わせて、わざと嘔吐するような仕草をした。
「オェー、そりゃ勘弁だ」
「アタクシはアナタみたいに性格の曲がった子が好きなのよ」
「俺はあんたの期待に添えないと思うけどな」
「あら、そんなことないわよ。それに〝一匹狼〟が雇った子だし、興味がそそられるわ」
「まだ雇われてない」
「なら、アタクシが代わりに雇って差し上げるわ」
「それはお断り」
 アレンは小型マシンバルカンを構える男たちに一瞥した。男たちの緊張の糸は全く途切れるようすはない。つまり、少しでも可笑しな動作を見せれば撃たれる。
 どこかで歯車が激しく回転する音が聴こえた。その音にライザが気づいた時には、アレンが右足で床を激しく蹴り上げたところだった。そして、蹴られた床は四方に砕け、アレンは扉までの五メートルという距離を軽く跳躍した。
 銃口から火を噴く小型マシンガンから弾丸が連射され、アレンに当たった三発の弾が高い金属音をあげて地面に落ち、最後に当たった一発がアレンの左肩の肉を貫いた。
「くっ!」
 歯を食いしばるアレン。
 アレンは銃弾を躱しながら、右手で拳を作って眼前の扉を激しく粉砕し、個室から飛び出すことに成功した。
 鮮血が吹き出る左肩を右手で押さえながら、アレンは賑わう店内を跳躍した
 店内で飯を食っていた客たちは、自分たちの座るテーブルを足場にして料理を滅茶苦茶にし、一〇メートル以上もの距離を跳躍する少年を見て目を白黒させた。
 この店の個室は完全防音であり、店の賑わいもあったのも相俟って、個室の壁がハンディバズーカによって破壊されたことに気づいていなかった。客たちはアレンが扉を破壊したときにはじめて騒ぎに気づいたのだ。
 店を飛び交うアレンにマシンガンの銃口を向けられるが、それをライザが静止させた。
「もういいわ、騒ぎを大きくする必要もないわよ。それにあの子まだ詳しくは知らないんでしょ?」
 ライザに顔を向けられたトッシュは大きく頷いた。
「どうせ盗聴してたんだろう。この店の中で話したことで全部だ」
「なら放置しても問題ないわね。でも、可愛い子を逃がしたのは残念だわ」
 そう言ってライザは自分の人差し指を濡れた唇で軽く噛んだ。

 その日の夕暮れ、シスター・セレンはいつもどおり夕食の買い物を済ませ、自分の勤める教会へ足早に帰ろうとしていた。
 セレンは生まれた時からこの街を出たことがなく、かれこれ一五年ほどこの街に住んでいるが、それでも夜は怖いし、この街の治安がいいとも思っていない。そのため、僧衣の下には、護身用としていつもハンドガンを忍ばせている。だが、そのハンドガンの銃口はこれまで一度も火を噴いたことがない。
 ネオンが店を彩りはじめ、屋台からは香ばしい肉やソースの焼けた匂いが漂ってくる。
 武器や防具を扱うジャンクショップの横を抜け、セレンは裏路地の横を抜けるところだった。昼間ならば、この裏路地を通って教会に帰るのだが、日が落ちはじめてからは通りたくない路だ。そのため、いつもならば素通りするのだが、今日に限っては違った。
 裏路地の闇から音が聴こえた。
「ちょっと嬢ちゃん、手を貸してくれないかい?」
 それは中年男性の声音だった。
 セレンは闇の中に顔を突っ込み、そこにいる男を確認しようとした。セレンの頭には困っている人を助けなくてはいけないという使命感だけで、それが危険な行為だったことをすっかり忘れていた。仲間以外の人間と関わらないことが、この街でトラブルに巻き込まれない鉄則だったにも関わらず。
 薄暗い路地の中に入り、壁に寄りかかり腹を押さえて座っている中年男がセレンの目に入った熊のような男は顔を歪ませながら歯を食いしばり、見るからに苦しそうな表情をしていた。
「大丈夫ですか?」
 とセレンが声をかけると、男は荒々しい息遣いで答えた。
「ちょっと腹の調子が……よくなくってよ……」
「悪い食べものに中ったん――!?」
 セレンは物陰から突然現れた男によって口を押えさられてしまった
 そう、一人が病人のフリをして、残りの一人が物陰に隠れて獲物を狙う。男たちは暴漢グループだったのだ。
 普段、暴漢に襲われる割合が多いのはこの街の人間ではない。それが今、暴漢グループに襲われているのは、この街に一五年も住む者だった。セレンは自分の間抜けさを悔やんだ。
 セレンの口は泥臭くて毛むくじゃらの分厚い手によって塞がれ、真後ろにいる男の身体がセレンのヒップや背中にぴったりと密着している。時折、耳に吹きかけられる荒い息にセレンは身震いした。こんなときにセレンにできることは神に祈るのみ。だが、その祈りも通じない。
 病人のフリをしていた男が立ち上がったかと思うと、セレンは乳房を鷲掴みされた。
「尼さんのクセになかなかいい乳してんじゃねえか」
 目の前で舌舐めずりをする男を見てセレンは失神しそうになった。きっとこのまま男たちにいいようにされて、身包み剥がされて売られるか、殺されるか、するのだろうセレンはいっそのこと殺して欲しいと思った。
 地面には先ほどセレンが羽交い絞めにされてしまったときに落とした買い物籠があり、その周りには汚れてしまった野菜や果物が散らばっている。それを見たセレンの目頭は熱くなり、大粒の涙が頬を伝って地面に次々と落ちた。――嫌だ。
 心の中でなにかが吹っ切れたセレンは、自分の口を塞いでいた芋虫みたいな指を、歯を立てて思いっきり噛んでやった
「痛えっ!」
 情けない声をあげて男がセレンから身体を放した瞬間、セレンはその隙を突いて僧服の裾を捲り上げ、太ももに装着していたホルダーからハンドガン抜いて構えた。
 銃口を向けられた男は両手を高く上げ、セレンに指を噛まれたもう一人の男は、噛まれた指を口に銜えながらセレンから距離を取った。
「わ、わたしから離れて、さっさとどこかに行ってください……さ、さもないと撃ちますよ!」
 セレンは自分では凄みを効かせて言ったつもりだったのだが、その言葉は振るえ、ハンドガンを構える手も大きく震えていた。それを見た男は銃口を向けられながら嗤った。
「嬢ちゃん、ちゃんと銃口を向けないと当たんねえぜ」
 そのとおりだった。セレンの手は震えていて、銃口は男から明後日の方向を向いている。これではとても銃弾が命中するとは思えない。
「撃ちます、本当に撃ちますよ!」
 セレンは叫ぶが、もはや男たちは信じていない。この女には撃てないと確信している。
 口から指を抜いた男がセレンにジリジリと詰め寄り、セレンの前にいる男の巨大な手が伸びる。
「撃ちます! あっ!?」
 撃てなかった。セレンは手首を掴まれて捻られ、そのままハンドガンを地面に落としてしまった。銃を持っているだけでは、護身用にはならないのだ。
 セレンの身体は巨漢の男によって力のまま地面に押し倒され、僧衣が泥で穢された。
 再びセレンは男に捕まり、もう一人の男がハンドガンを拾い上げてまじまじと見詰めた。
「こりゃマガジンが装填されてねえぞ。がははっ、こんな玩具で冷や汗かいて損したぜ」
 ハンドガンには弾が入っていなかった。これではセレンが引き金を引いていても弾は出るはずもなかった。銃の取り扱いに慣れていないセレンは、そんなことも気づいていなかったのだ。
 シスターに覆いかぶさる熊のような男が、穢れを知らない乳房を激しく揉みしだく。
「止めっ!?」
 叫ぼうとしたセレンの顎が無理やり閉じられた。自分の顎から伸びる毛むくじゃらの腕をセレンが目線で追うと、そこにはニヤついた男の顔があった。セレンは熊男に上に乗られて胸を掴まれ、もう一人の男には顎を無理やり閉められ叫ぶこともできなかった。
 再びセレンは心の中で神に祈りを捧げた。
 そのときだった。
 裏路地に缶カラを蹴飛ばしたような音が響いた。
 男たちは耳を尖らせて、音のした方向を勢いよく振り向き、熊男が声をあげた。
「誰だてめぇ!?」
「俺のこと? ただの通りすがり」
 闇の奥から現れたのは左肩を手で押さえた少年だったその押さえている手からは、紅い血が滲み出していた
 セレンは神に感謝した。これで自分は助かるかもしれない。けれど、次の少年の言葉にセレンは愕然とさせられた。
「ちょっと横通るけど、俺のこと気にしないでお楽しみを続けて」
 この言葉に男たちは口を開けてきょとんとした。
 少年の態度は男たちが怖いとか、関わりたくないとか、そういったものではなく、本当にどーでもいいと言った態度だった。この少年は、少年の顔を持った冷酷無慈悲の悪魔かもしれない。
 空気の横を通るように少年は男たちの横を歩いていく。
 このときほどセレンは自分の不幸を呪ったことはなかっただろう。救いの手が現れたと思ったら、それは悪魔だった。だったらはじめから手なんて差し伸べて欲しくない。ぬか喜びとはこのことだ。
 だが、話の展開は少し違った方向に向かうことになった。セレンの顎を押さえつけていた男が、セレンを解放して立ち上がり、少年の背中に向かって叫んだのだ。
「おい小僧、俺たちの顔見たからには生かしちゃおけねえ!」
 そう言った男の手には銀色に輝く刃のギザギザしたナイフが握られていた。
 振り返った少年はすごく機嫌の悪そうな顔をして、自分の左肩から右手を離し、その手で紅く染まった右肩の傷口を指差した。
「俺さ、今すごーく機嫌悪いわけ。なんでかっつーと、撃たれたから。マジで痛くてイライラすんだよ!」
 歯車の回転する音が裏路地に響いた刹那、ナイフを持った男の左頬を少年の拳が激しく抉った。それは目にも止まらぬ速さだった。
 少年に殴られた男は五メートルほど宙を飛び、地面に落ちてからは服に泥をつけながらゴロゴロと五メートルほど転がった。
 相棒が一発でヤラれたのを見て逆上した熊は、頭に血を昇らせてセレンの上から立ち上がると、なにも考えずに猪突猛進で少年に素手で殴りかかった。しかし、少年は赤子相手のように軽く熊を躱し、熊の腹に左膝で一発喰らわせてやった。それで熊はノックアウト。
 少年は口から泡を吹いてうつ伏せになる熊の尻を踵で蹴飛ばし、満足げな笑みを浮かべた。
「糞ったれが。俺に喧嘩売ろうなんざ一億年早ぇんだよ」
 そう言って少年は熊の後頭部に唾を吐きかけた。
 目の前で繰り広げられた出来事に唖然としていたセレンであったが、我に返って地面から立ち上がり僧衣についた汚れを手で払うと少年の前に立ち、大きく右手を振り上げた。
「この人でなし!」
 バシン!
 日も沈み真っ暗になってしまった裏路地に鳴り響く音。
 セレンは涙ぐみながら少年の頬を叩いた。
 普段であれば人に手を上げるなどしなかっただろう。しかし今は、極限状態の恐怖から解放されることにより、いろいろなことが思い出されて頭に血が昇っていた。
 なにがセレンの感情を高めたかというと、それは少年の行動にある。
「あなた、わたしが襲われてたというのに、助けもしないで立ち去ろうとしましたよね!」
「別にいいじゃん、結果的に助けてやったろ?」
「助けて頂いたのは感謝いたしますけど……あっ!?」
 会話の途中でセレンは目を丸くして、自分の口をはっと息を呑みながら手で押さえた
 セレンの視線は少年の左肩に注がれていた。そして、紅く染まる少年の肩を見ているうちに、セレンの顔からスーッと血の気が引き、頭に昇っていた血が一気に足元まで落っこちた。
「だ、大丈夫ですかぁ!? 肩から血が出ているじゃありませんか、すぐに手当てしないと! あ、あの打ったりしてごめんなさい、ちょっと冷静さを欠いていたみたいで……」
 と言っているセレンは今も冷静さを欠いているようだった。
 目の前で慌てふためく年端も行かぬ尼僧を見て、少年はため息をついてパイロットハットの上から頭を掻いた。
「肩の怪我なんか大したことねえよ」
 少年とセレンの歳は同じくらいだと思われるが、二人の纏っている雰囲気は明らかに違った。セレンはおどけなさの抜けない少女であり、少年は口も性格も悪いただのガキのようだが、少年はセレンとは明らかに違う影を纏っていた。
 歩き去ろうとする少年の背中をセレンは見送りそうになってしまった。なぜだが、少年の背中に声をかけることに気が引けたのだ。しかし、セレンは喉から声を絞り出した。
「あの、待ってください。病院まで付き添います!」
 少年が無愛想な顔つきで振り返った。
「病院は行かねえ」
「駄目ですよ、病院に行かなきゃ!」
「俺って頑丈だから、血なんてとっくに止まってんし。病院とかあんま好きじゃねえんだ」
「では、わたしの家で手当します」
「一晩泊めてくれんなら行く」
「えっ」
 少年は悪戯な笑みを浮かべ、それを見たセレンは少し戸惑った。だが、命の恩人であり怪我人である少年をこのまま放って置くわけにはいかず、セレンは首を縦に振った。
「わたしの家は寂びれた教会ですけど、それでよろしければお泊めします」
「うんじゃ、泊めてもらうわ。で、あんた名前は?」
「わたしですか、わたしはセレンと申します」
「ふ~ん、俺の名前はアレン、よろしく」
 差し出されたアレンの真っ赤な右手を見てセレンは少し戸惑った。アレンの手は乾いてひび割れた黒い血に覆われていた。そんな手で握手を求められても困ってしまう。
 すぐにアレンはセレンの表情を悟って、服で手についた血を適当に拭い去り、再び右手を差し出した。けれども、乾いた血は拭い去れず、また少し付いていたが、セレンは相手の好意を裏切ってはいけないと思いアレンの手を握った。
 柔らかかった。アレンの手は思ったよりも柔らかくて温かい手だった。そのことにセレンは少し心を解きほぐす。
「柔らかくて赤ちゃんみたいな手ですね」
 そう言われた途端、アレンは握っていたセレンの手を激しく振り払い、唇を尖らせて怒ったようにそっぽを向いた。
「俺は赤ん坊じゃねえ。ほら、さっさとあんたんちに案内しろよ」
「別にそういった意味で言ったんじゃないですけど……。わかりました、わたしの家に案内します、付いて来てください」
 なぜ相手に態度を悪くされたのかわからないまま、セレンはしゅんとした表情で歩きはじめた。が、その足が急に止まる。
「ああっ!? 夕飯のおかず!」
 地面に散乱する野菜や果物を見て、セレンの瞳は少しずつ濡れはじめていた。それでもセレンは涙を堪えて、黙々と地面に落ちて汚れてしまった食べ物を拾い集めて籠の入れていく。
 籠の中にリンゴ持った手がそっと入る。それはアレンの手だった。
「洗えば食えんだからクヨクヨすんなよ」
 別にそういうことで泣きそうになってるんじゃない。セレンはそう思いながらも、アレンに優しさを感じて嬉しかった。
 ――最初の印象よりも悪い人じゃないかもしれない。

 街の奥まった道の先にある寂びれた教会。そこに訪れる迷える子羊たちはいない。この教会に出入りする者は、今やセレンただ独りだった。
 所々、屋根や壁が風化し、破損してしまっている教会の外観を見て、アレンは正直な感想を口にする。
「これ本当に教会かよ、寂びれてんなぁ」
 この言葉を聞いてセレンは少しムッとしたが、すぐに悲しい表情をして呟くように話した。
「昔から寂びれた教会だったんですけど、三年前に神父様がお亡くなりになってからは、前にも増して寂れてしまって……。今のところ新しい神父様が赴任して来る予定もありませんし、今この教会に勤めているのもわたしだけですし……」
「つーことは、あんた独りで暮らしてるってことかよ?」
「ええ、三年前からは独りでこの教会に住んでいます」
 そのため、セレンは裏路地でアレンに一晩泊めてくれと言われた時に、少し戸惑いを覚えて躊躇した。
 女独りで暮らしている家に、たとえ命と恩人と言っても男を泊めていいものか。それにまだ相手の素性もわかっていないのに。それでも首を縦に振ってしまったのは、困っている人を見ると放っておけないセレンの性格だろう。その性格が幾度となくトラブルの種になったのは言うまでもなく、今日の出来事は最も最悪だった。
 目の前にある教会は寂れていて、物静かな印象を受けるが、どこからともなく激しい地響きのような音が聴こえてくる。
「あのさ、近くで工事とかやってんの?」
 アレンが尋ねるとセレンが大きく首を振った。
「一ヶ月ほど前から近くで工事をしているみたいで、今まで静かだったんですけど、先日から急にうるさくなって困ってるんです」
「ふ~ん」
 二人は壁と壁に挟まれた細い道を通って教会の裏手に回った。そこには小さな庭があり、そこで見た物にアレンは感嘆の声をあげた。
「こりゃすげえな」
 そこにあった物は綺麗に咲き誇る色取り取りの花だった。
 美しい花壇の横には湧き水の流れる水路があり、水のせせらぎとともに甘い香りのする風が爽やかに吹く。この場所は、この街のオアシスと言える場所だった。
 セレンは花々をかけがえのない存在として、大切に思う眼差しで見つめた。
「神父様は花を育てるのが好きな方でした。今でもわたしがそれを受け継いで育いて、少しでも生活の足しになればと売っているんですよ」
「ふ~ん、クーロンで大地に咲く花を見るなんて思ってなかった」
 クーロンと呼ばれるこの街は、街としては大きく繁栄しているが、その大地は汚れ、枯れ果てているために栄養価もなく、花が咲くに適してるとは到底言えない。
 教会の裏口から建物の中に入り、アレンはセレンに連れられるままに薄暗い廊下を歩いた。
 廊下を歩いている途中で、不意にセレンがアレンに声をかけた。
「アレンさん、そこの床が――」
「うわっ!?」
 急に木造の床が割れ、アレンは抜け落ちた床に片足を取られてしまった。
 事故とはいえ、大事な教会が壊されてしまったことにセレンは頭を抱えた。
「腐ってるって言おうとしたのに……もう、これからは気をつけてくださいよ」
「だったら、早く言えよ」
「だって、わたしはいつも意識せずに避けてるから、ついつい言いそびれてしまったんです!」
「つーかさ、腐ってるってわかってんなら直すとかしろよ」
「直すお金もないですし、わたし大工仕事なんてできません!」
「なんであんた怒ってんだよ、床が抜けたのは俺のせいじゃないだろ」
「だって……」
 生まれて間もないときからセレンはこの教会で育った。この教会はセレンにとって掛け買いのない大切な場所であり、事故であったといえ、その大事な場所が壊されることに怒りがこみ上げてくる
 頬を少し赤くしながらもセレンは高ぶる感情を抑え、アレンをある部屋に案内した。
 こぢんまりとした小さな部屋にはベッドとタンスが置いてあるだけだった。
「長い間使っていませんでしたけど、この部屋を一晩使ってください」
 セレンは長い間使われてないと言ったが、その部屋の床にもタンスの上にも埃なく、アレンがベッドに腰掛けても埃が空気中を舞うことはなかった。そのことから、この部屋が定期的に、セレンの手によって掃除されていることが伺えた。
「わたしは包帯と消毒薬を持って来ますから、この部屋でじっとして待っていてください」
「わかった」
 セレンはアレンを部屋に残し、自分の部屋に救急セットを取りに向かった。
 廊下を歩きながら、セレンは今さながらアレンを連れて来てしまったことを後悔する。しかし、この家には盗まれるような物はなく、アレンが自分ことを襲うような人とは思えない。でも、やはり見ず知らずの人を泊めることに不安はあった。
 アレンは悪人ではないが、善人とも思えない。それがセレンの感想だった。
 救急セットとタオルとバケツに張った水を持ったセレンは、アレンの待つ部屋のドアをノックもせずに開けた。
「…………!?」
 部屋に入った途端、セレンは息を呑んで目を丸くした。
 あまりの驚きにセレンは荷物を落とすことのなく、ただ固まってしまうばかりで、アレンから目を放せずにいた。
 セレンの視線の先には服を全て脱いでいる、全裸の状態のアレンが立っていた。
 全裸を見られているアレンは気にすることもなく、セレンに声をかけた。
「ちょっとさ、背中見てくんない?」
「え、あっ……」
 自分に背中を向けるアレンから、セレンはまだ目を放せずにいた。
 そこにあったモノがただの男性の裸だったら、セレンは目を両手で覆って視線を逸らせたに違いない。しかし、そこにあったモノは違ったのだ。
 柔らかな曲線を描く脚の付け根にある小ぶりなお尻は、発達途中の少女のお尻のようであったが、大きく形良く膨らんだ胸は見ているだけでセレンもドキッとしてしまう。そう、アレンは女だったのだ。しかも、セレンを驚かせたのはそれだけではなかった。アレンの右半身は鼠色に輝く金属によって覆われていたのだ。
 その場で動けなくなっているセレンの目の前までアレンが移動した。
「俺の身体ジロジロ見て、エッチだぞあんた。もしかして、そっちの趣味があんのか?」
「え、違います、別に女の人が好きとかじゃなくて、その身体……」
「サイボーグだよ。こん中に入ってる臓器も半分は人工臓器」
 そう言ってアレンが右胸を叩くと、金属の鳴り響く音がした。アレンの右の乳房は左と形の上では差異なく再現されているが、やはり鼠色の金属でできていた。
 アレンはセレンの手からタオルと水の張ったバケツを取り上げ、タオルを水で浸すと、右肩についた血の痕を拭きはじめた。
 血の拭き取られた傷痕は大きな瘡蓋になっていた。通常の人間ではありえない回復の速さなのは言うかでもない。
 水の張ったバケツの中に紅く染まったタオルが投げ入れられ、バケツの中から水が床の上に少しはね飛び散る。そして、アレンはセレンに向かって背中を向けた。
「背中ちょっと見てくんない?」
 言われたとおりセレンがアレンの背中を――というより、アレンから目を放せずにいたセレンが背中を見ると、そこには黒い煤がついたような跡が三つ並んでいた。その三つの後を線で繋げた先に、右肩の傷痕がある。この三つの跡はアレンが料理店で銃弾を受けたときのものであった。
「黒い煤汚れみたいな跡が三つありますけど?」
「そこんとこさ、へこんだりしてない? ちょっと手で擦ってみて」
 言われたとおりにセレンはアレンの背中に触れた。温かかった。金属の背中は予想とは違い温かく、人の温もりが感じられた。しかし、人肌とは違い、硬い金属であることには違いなかった。
 セレンが弾の痕を指先で擦ると、黒い煤が指先に残るだけで、アレンの背中にはへこんでいる痕もなにもなかった。
「別にへこんでもませんけど?」
「やっぱな。あんな弾くらいでへこむはずないんだけど、いちよー確かめないとな」
「弾って、もしかして撃たれんですか!? もしかしてこの傷も?」
 にしては治りが早いことにセレンも気が付いた。
「貫通したから治りが早くて助かったぜ。炸裂弾とか喰らってたら泣いちゃうとこだったよなぁ」
 振り返ったアレンはセレンに向かって笑った。その笑みをみたとき、セレンはとんでもない人と係わり合いになってしまったことに気づいた。目の前にいる少年のような少女は、ただの人間ではない。
 アレンは自分のお尻や脚などを見回すと、満足そうに頷いた。
「他は撃たれたないみたいだな」
 服を着替えはじめるアレンを見て、セレンはこれからこの少女とどうやって接すればいいのかを一生懸命、頭をフル回転させて考えていた。
 まず、少年だと思っていたアレンが少女だったことで、それなりに態度が変わってくるだろうし、それよりもあの鼠色の身体を見てしまっては……。
 アレンは軽くサイボーグと言ったが、あんな大掛かりな物は今だかつて、セレンは見たことも聞いたこともなかった。きっと、半身をサイボーグ化する技術は現代の技術ではなく、今に残る〝失われし科学技術〟によるものだろう。しかし、それでも誰がその技術を使ってアレンにサイボーク手術を施したのかわからない。そんな技術を使いこなせる者が、この世に何人いるのか?
「あの、アレンさんって……」
 と言って、セレンは口を噤んだ。
「俺がなに?」
「別にいいんです。それよりも、夕飯食べますよね? 粗末なものしかありませんけど」
「夕飯はいらねえ。さっき腹いっぱい食って来たとこだから……ま、代金は高くついたけど」
 苦笑いを浮かべるアレン。それを見てセレンはなにを思ったか、こう口にした。
「食い逃げですか?」
「はっ? 食って逃げたには逃げたけどさ、別に食い逃げじゃねえし、相手が一方的に撃って来たんだしさ」
「お金は持ってるんですか?」
「一文無し」
「やっぱり食い逃げしたんじゃないですか!」
「なんか勘違いしてねえか? 俺は普通にトッシュって野郎と食事してたら、変な女が配下の野郎どもをみたいのを引き連れて来て、気づいたらマシンガンでズドドドドドって撃たれたわけよ」
「トッシュって、〝暗黒街の一匹狼〟と呼ばれる人のことですか!?」
「そーいやー、そんな呼ばれ方してたような、してなかったような?」
「あなたいったい何者なんですか!?」
 これが一番聞きたかったことだった。
「何者って聞かれても困るよなぁ。俺は俺だし、決まった職業に就いてるわけでもねえしな」
 誤魔化されているのか、本心からこんな回答をしているのか。アレンの表情からは窺い知ることはできなかった。
 セレンはアレンから聞くことをやめた。世の中には知らない方がいいことが多い。きっと、目の前にいる少年に似た少女とは、深く係わり合いにならない方がいい。それがセレンの答えだった。
「わたしはこの部屋を出て右の突き当たりの部屋にいますから、用があったら訪ねて来てください。じゃあ」
 セレンは足早に部屋を出ようとしたが、それを真剣な顔をしたアレンが止めた。
「あのさ」
「なんですか?」
「トイレどこ?」
「……はい? え、えっと、部屋を出て左の突き当たりです」
「あんがと、じゃな」
 人懐っこい笑みを浮かべるアレンに手を振られ、セレンはなんとも言えない表情で部屋を後にした。

 その坑道が発見されたのは偶然だった
 武器の運搬を秘密裏に行うために坑道を掘り進んでいたところ、その新たに掘り進めていた坑道と古い坑道が偶然にぶつかったのだ。
 古い坑道を見つけたトッシュは武器運搬計画を早々に取り止め、失われた科学技術の発掘に乗り出した。
 〝失われし科学技術〟の発掘は少人数で行われ、ダイナマイトなどは使用せずに、小型ドリルなどを使用し、地上に情報が漏れないように最大限の注意を払って行われていた。この場所は街の真下だった。そう、ここはクーロンと呼ばれる街の真下だったのだ。
 最大限の注意を払いながらも、秘密はどこからか漏れるもので、もっともトッシュが気を払っていたはずの相手に嗅ぎ付けられしまった。それがクーロンの南に広がる砂漠の中心に存在するシュラ帝國の若き王――皇帝ルオだった。
 街の外れのただの工事現場に偽装されていた空き地。そこに昨日から大量の人や、トラックに乗せた機材が運び込まれた。中でも一番目を引いたのは坑道掘削装置だった。
 坑道掘削装置とはトンネルを掘るための機材であり、動力は魔導炉から供給されるエネルギーである電気だ。その全長は一四・九メートル、全幅二・八メートル、全高一・八から三・五メートルで重量三〇トン。先端に取り付けられたドリルには棘のような物が並び、それで岩などを砕きながら、約一時間の間に三〇メートル掘削することができる代物だ。
 次々と運び込まれてくる機材を見ながらトッシュが頭を掻いた。
「ったくよー、俺様が街の奴らにバレねえようにしたのに、はぁ」
 ため息をつくトッシュの横で、〝ライオンヘア〟が前髪をかき上げながら掘削装置を眺めていた。
「アナタのやり方じゃ、全坑道を見つけ出して掘り起こすのに何ヶ月かかることかしら?」
「一ヶ月くらいじゃねえか?」
「アタクシたちは三日でやるわ」
「雑な仕事して街のあちこちが陥没しそうだけどな」
「何事にも多少のアクシデントや犠牲はあるわ」
「そーですかい」
 今のトッシュは帝國に牙を抜かれた狼だ。
 トッシュの傍には常に彼を監視し、命を狙うライザ直属の軍隊――獅子軍の精鋭が最低三名は付いている。それに加え、トッシュの腕にはブレスレット型発信機が付けられている。今のトッシュはトイレの中ですら気が休まらない。
 と、思いきや。トッシュは大あくびをしながら、眠そうに目を両手で擦っていた。
「俺様は旅から帰って来て疲れてる。寝かせてもらうがいいか?」
「駄目よ、アナタからは聞きたい話が山とあるわ。それに――」
 肉食獣のようなライザの金色の瞳がトッシュを放さない。
「アナタが街の外になにをしに行ったのか聞かせてもらいたいわ」
「女遊びをしに行っただけだが」
 明らかに嘘だとわかる言葉だったが、それを平然とトッシュは言ってのけた。
「どんな遊びだったか詳しく聞きたいわ」
 ライザは微笑みながらトッシュの頬に平手打ちを喰らわせた。
 避けられたものをトッシュは避けず、微動だにせず受けてたった
 紅く染まった頬を気にすることなく、トッシュは不敵に微笑を浮かべた。
「女をヒィヒィ言わせてた。だが、たまにはこうやって女に甚振られるのもいいもんだ」
 たとえ牙を抜かれても、狼の精神は変わらない。
「いいわ、話は少しずつ聞かせてもらうわ。まずは坑道の中に入りましょう」
 踵を返し、白いコートの裾を揺らすライザが坑道の入り口に向かって歩き、そのあとを背中に銃を突きつけられたトッシュが付いていった。
 坑道の入り口は高さ三メートルの幅が四メートル。中も同じくらいの広さで、急な下り坂になっている。
 オレンジ色のライトが点々と照らす坑道の中をしばらく歩き、先頭を歩いていたライザの足が止まった。彼女の視線の先には金属の扉があった。
「この扉なんだけど、魔導学と科学の権威であるアタクシにも開けることができないのよ。もちろん破壊も試みたけど傷も一切付かず」
「俺様もいろいろやったが無理だった」
 不気味な輝きを魅せる金属の扉。見た目はどうってことのない、まっ平らな板のような扉だった。それが開かない。
 扉の前で腕組みをするライザ。
「なら、扉を無視して別の場所に穴を開けて中に入ろうかしら?」
「俺様がすでにやった」
「知ってるわ」
 ライザがこの坑道にはじめて足を踏み入れたときにはすでに、この扉までの道が掘り進められ、ライザが言った方法をトッシュが試した痕跡もあり、金属の壁の前で止まっている穴がいくつもあった。
 う~んと唸ったライザは金属の扉をブーツの踵で蹴り飛ばしたあと、振り返ってトッシュに話しかけた。
「で、アナタはどうやってこの扉を開ける気だったのかしら?」
「さあな、手詰まりって感じだ」
「……あ、そう」
 ライザの足が振り上げられ、扉を蹴飛ばしたのと同じ踵がトッシュの腹を抉った。
「うっ!」
 トッシュは微動だにはしなかったが、その口元からは空気の塊が吐き出された。
「次は股間にいくわよ」
 トッシュの股間の膨らみを見ながら妖艶と笑うライザの脚が再び動く。
 だが、トッシュがついに動いた。
 ライザの脚を軽く躱し、後ろにいる銃を構えた三人の男たちよりも早くトッシュは動いた。
 鋭い眼で狙いを定めたトッシュは銃を持っていた一人の男に襲い掛かり、腹を深く殴り、すぐにその男の後ろに廻り込んで、男を盾にしながら銃を奪い取った。
 盾になっている男は、それだけでも通常の銃弾を防ぐことのできる合金素材で織られた防護服を着用し、その上から多層構造の繊維素材で作られた防弾ベストを着ていた。文字通り、この男はトッシュの盾となっている。
 しかし、残った二人の男がトッシュを撃てない理由は他にもある。
 トッシュの持つライフルの銃口はライザのこめかみに向けられていたのだ。
 あっさりとしてやられたことにライザは頭を抱えた。
「ウチの精鋭が野犬に軽々とあしらわれるなんて、サイテーだわ」
 悔しそう眉をひそめるライザのこめかみには、今もトッシュが銃口を向けている。
「形勢逆転はしたが、これからどうしたものか?」
 敵の銃を奪い、人質も取った。がしかし、坑道の中は帝國軍の兵士たちで溢れ、そしてもう一つ。
「アナタの腕に付いているブレスレットのことをお忘れかしら?」
「いいや」
 そう、トッシュの腕には発信機が付いていた。しかも――。
「アナタに言い忘れていたことがあったわ」
 不敵に笑うライザを前にして、トッシュも少し嫌な表情をする。
「なんだ、言ってみろ?」
「そのブレスレットが爆発するわ」
「そいつは困ったな」
 さも困ってないように言ったトッシュは、銃の引き金から指をなるべく外さないようにして、ブレスレットをしていた右手から左手に銃を持ち替えた。
「俺様の右半身が吹っ飛んだら、残った左手でおまえの脳味噌を吹っ飛ばす」
 それは本気だった。この男なら必ずやるとライザも確信した。
「アナタならたとえ死ぬことになって、最後に敵に報いて死ぬでしょうね」
「俺様はただじゃなにもしない」
 そして、ライザはついに折れた。
「わかったわ、アタクシを人質にしてどこまで逃げられるかやってみなさい」
「最後まで逃げ切ってみせる」
 トッシュが笑う。それは自信の表れだった。

 夕飯をついついいらないと言ってしまった手前、アレンのすることと言ったら寝ることしかなかった。
 いびきを立てて脚を大きく広げて寝ていたアレンが突然の目を開けた。
 なにかが爆発したような物音が聞こえたのだ。
 しかし、彼女はまた目をつぶって寝ようとした。
 どこでなにが起きようと、自分の直接危害が加えられなければ、関係ないのだ。
 しばらくして、再び爆発音がした。今度のものは先ほどよりも大きく、建物が古くボロいせいもあるが、大きく建物が揺れた。
 さすがのアレンもこれにはキレたようで、ベッドから上半身を起して怒鳴り散らした。
「俺のジンセーの楽しみは寝ることと食うことだ! 俺の楽しみを奪う糞野郎はどこのどいつだーっ!」
 ベッドから跳ね起きたアレンは、適当に投げ置いていたパイロットハットを被り、部屋の外に飛び出した。
「きゃっ!」
 可愛らしい声を出したのはもちろんアレンではない。部屋を急に飛び出して来たアレンにぶつかって、床に尻餅をついているシスター・セレンだ。
「もお、いきなり部屋から飛び出して来ないでくださいよ!」
「あんたの注意力が足らねえんだよ」
「もお!」
 顔を膨らませて怒ったセレンは、アレンを無視するように廊下を走って行ってしまった。その後をアレンが追って、すぐにセレンの横に付く。
「あんたも馬鹿デカイ物音聞いたんだろ?」
「だから外に向かってるんです!」
「なんの音だと思う?」
「わからないから見に行くんですよ!」
「そりゃそーだ」
 二人はボロボロの椅子の置かれた静かの聖堂を抜け、教会の前の通りに飛び出した。
 すぐにセレンが空に立ち上る煙を見つけた。
「あそこはたしか工事現場」
「銃声だ」
 アレンが呟いてすぐ、通りの曲がり角から人影が現れ、地面を激しく蹴り上げながらこちらに向かって走って来た。
 何者かに追われているような人影は、アレンたちの前を通り過ぎようとしたのだが、ふとアレンの視線が人影と合った。
「あんたは」
「おう、いいとこで会った、俺様を匿え!」
 セレンは目を丸くしたまま謎の男に押され、アレンとともに聖堂の中へ後ろ歩きで押し込まれてしまった。
 謎の男は聖堂の扉を閉め、アレンとセレンに向かって振り返った。その男はトッシュだった。
「とにかく俺様を匿え、礼はする」
 次の瞬間、聖堂の扉が激しく開けられ、ライフル銃を持った数人の男たちが聖堂の中に流れ込んで来た。
「怪しい男を見かけなかったか!」
 男たちは入って来るなり、アレンのセレンに銃を向けた。
 もちろん『怪しい男』とはトッシュのことだが、トッシュの姿はすでにどこにもない。そこには古びた聖堂があるだけだ。
 アレンは大あくびをしながら、受け答えをする。
「爆発音がしたみたいだから外に出ようと思ったんだけどさ、なんかあったの?」
「貴様らの知ることではない!」
「はいはい、そーですか。怪しい奴なんか見てねえよ。こっちにいるにはシスターだし、嘘は付かねえから、さっさと別んとこ探した方がいいぜ、追ってる奴が逃げちゃうよ」
 アレンの言葉に続いてセレンがひと押しする。
「神聖な神の家に銃を持ち込まないでください、お願いします」
 丁重に頭を下げるセレンであったが、男たちは構わず聖堂内を捜索しようとした。
 だが、外の通りから男の声が聞こえて、足が止まる。
「怪しい男がいたらしいぞ!」
 聖堂から男たちが無愛想な顔をして無言で出て行く。アレンが背中に唾を吐きかけたことにも気づかず。
 一気に肩から力の抜けたセレンは早々に聖堂の扉を閉めた。すると、今までどこに隠れていたのか、トッシュがひょっこりと顔を出した。
「ブレスレットを外して男にプレゼントしたのが効いたな。俺様の悪運も大したもんだ」
「わたしは不幸のどん底です」
 セレンは深くため息をついた。――今日は特についてない。
 裏路地で男たちに襲われ、謎の少女を家に泊めることになり、今度は謎の男をその場の空気に流されて匿ってしまった。今朝割った卵に黄身が二つ入っていたが、もしかしたらその時に今日の運を使い果たしてしまったのかもしれない。
 木製の椅子に腰掛け、煙草に火を点けたトッシュの顔が、薄闇の中に浮かび上がる。
「さてと、匿ってもらった礼はどうするか。一五〇〇イェンでどうだ?」
「一五〇〇イェンですか!?」
 思わず声をあげてしまったセレンを見て、トッシュがう~んと唸る。
「それでは満足できないか。三〇〇〇イェンでどうだ?」
「違います、お金とかじゃなくて……」
 さっさと出て行って欲しかった。
 これ以上ごたごたに巻き込まれたくない。それがセレンの本音だった。
「金じゃないと来たか。そんなことを言う人間がこの街にいたなんてな、さすがは教会だ。そんな慈悲深いシスターにお願いがあるんだが、一晩泊めて欲しい」
 トッシュの言葉に、さすがにセレンは頭を抱えてあからさまに嫌な表情をした。泊めて欲しいイコール匿って欲しいと同じ言葉だ。だが、セレンはうなずいてしまった。
「わかりました、一晩お泊めします」
「ありがとよシスター」
 景気のいい声でトッシュは言うが、セレンにしてみれば悪い。
 煙草の煙を天井に向かって吐いたトッシュの前にアレンが立った。
「あんたさ、まだ俺のこと雇う気ある?」
「前金は払える状態じゃないぞ。それに三食昼寝付きも難しそうだ」
「一万イェンで手を打ってやるよ」
「五〇〇〇イェンじゃなかったのか?」
「条件が変わったし。あー、それとさ、こっちのシスター・セレンへのお礼はこのボロ教会の建て直しでいいよ」
 勝手に自分へのお礼を決められたセレンは声を荒げた。
「そんなこと頼んでいません」
「あんたさ、お礼はちゃんと貰わないと駄目だぜ」
 アレンの言葉にセレンの心が揺らぎ、彼女がトッシュに頭を下げようとした瞬間、トッシュが先に口を開いた、
「匿ってもらっただけで教会建て直しとは高くついたな」
 言われてみればそうだ。セレンはなんてとんでもないお願いをしようとしていたのかと、自分を恥ずかしく思って顔を赤らめた。だが、トッシュの次の言葉に目を丸くした。
「だが、たまにはカミサマにコネを作って置くのも悪くない。よし、二〇〇万もあれば立派な教会になるだろ」
「えっ、えっ、えええ、やめてください、そんな駄目です。とにかく駄目です、だってそんな教会なんて建てたら、ほら、街の人たちに壁とかステンド硝子とか持っていかれそうですし!」
 とにかくセレンは慌てふためいた。普段から慌てることは多いが、こんなに慌てたのはきっと生まれてはじめてだろう。一秒間に瞬きを三回もしていることからも、その慌てぶりが伺える。
 今にも目を白黒させながら失神しそうなセレンの横で、呑気な顔をしてアレンが笑っていた。
「ま、いーんじゃないの。トッシュが直してくれるって言うんだからさ」
 ――トッシュ。その名を聞いて、ついにセレンはお尻から冷たい石の床に崩れ落ちた。
「ト、トッシュ!? この方が〝暗黒街の一匹狼〟……」
 おでこに手を当てたセレンは、ゆっくりと後ろに倒れて気を失った。
「あーあ、あんたの名前聞いたら気ぃ失っちゃったじゃん」
「俺様のせいじゃないだろ。とりあえずこのシスターをベッドまで運んでやろう」
「あんたがな」
「口の悪いガキだな」
「そいつはどーも」
 悪戯な笑みを浮かべるアレンに舌打ちしたトッシュは、手に持っていた煙草を投げ捨て靴の裏で火を消すと、地面に横たわっていたセレンを胸の前で抱きかかえて歩き出した。
「シスターの部屋はどこだ?」
「んなもん自分で探せよ」
「糞ガキがっ!」
 金で雇われようとも、この二人の間には絶対に主従関係は成立しないようだ。

 つづく



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