アレン始動

《1》

 砂漠に水が湧けば、自然とそこに町ができる。
 水の多さに比例して町も大きくなっていく。
 そこは砂漠の真ん中にある小さな町。これと言った産業はないが、一件だけ酒場がある。酒が飲める場所があるだけでも、ほかの町や村よりはマシだ。砂漠にある町はそれほどまでに貧困に喘いでいる場所が多いと言うことだ。
 今や世界の3分の2が砂漠地帯であり、人間が住める土地を差し引いた場合、砂漠地帯に住んでない人間のほうが少ない。
 砂漠地帯では作物が育たない。作物が育たなければ、家畜も育てることができない。深刻な食料不足の連鎖。
 生きるためには金がいる。
 金がない者は飢え死にをするだけだ。
 そんな世の中で、クーロンのような大都市ならまだしも、こんな田舎町で店のメニューを片っ端か注文する大食らいは珍しい。
 しかし、大男ではなく、小柄な〝少年〟というのが、周りを非常に驚かせた。
 山積みなった空の皿がテーブルに積み上げられていく。
 そのようすを見ていたカウンター席の男が、マスターにひそひそ話をする。
「あいつ化け物か? 店の食いもん全部喰われるんじゃねぇか?」
「そりゃ困るよ。あんな客想定外だ。店の食料だって町のもんと、外からたまにくる〝普通
〟の客の分くらいしか用意してないよ」
 マスターは溜息を落とした。
 一時的に売り上げが伸びても、食料が底をついて臨時休業となれば、結局は同じ売り上げになってしまう。それに常連たちには文句を言われることだろう。
 救いがあるとしたら、あの客が酒を注文しなかったことだろう。
「もし食料が底をついちまったら、常連さんには酒だけを出すしかないな」
 つぶやいてマスターは大食らいの客からもらった金を数えはじめた。
 この店では常連でない者からは、先払いで金をもらうことにしている。それが今回は仇となった。こんな金の大事な時代だからこそ、金を目の前に出されたら、それを突き返して帰ってくれとは言えない。
 フードを目深に被っていた少年がマスターに顔を向けて、大きく手を振った。
「おい、おっさん! この肉料理うまいから5人目くらい追加、金はここに置いとくぜ」
 大食いで周りを驚かせたが、金の羽振りの良さも目を引いた。
 テーブル席の3人組も〝少年〟の話をひそひそとしていた。
「あいつ何もんなんだ?」
「俺さっき便所行くとき見たんだが、ただの餓鬼だったぜ。そうだな、歳はやっと毛が生えそろったってところじゃねえか?」
「そんな餓鬼がなんであんな金持ってるんだよ?」
「盗みでもしたんじゃねえか? それ以外考えられるか?」
 二人が話している中、同じ席の男はひとり黙っていた。顔が少し青いような気もする。
 心配になった仲間が声をかける。
「腹でも痛いのか? 飯も酒も進んでないぞ?」
「……俺も便所に行くとき見たんだよ、あいつの顔」
 青い顔の男が重い口を開いた。
 二人の仲間の視線が青い顔の男に強く刺さった。
 ――なにを怯えているんだこいつ?
 そして、青い顔の男は再び重い口を開くのだった。
「保安所の壁に貼ってあった賞金首にそっくりなんだよ……あいつ」
「どうせちんけな盗人で三〇〇イェンくらいの賞金だろ?」
 少額の賞金首であったなら、男はこれほどまで青い顔をして怯えるだろうか?
 轟音!
 店のドアが破壊され、武装した屈強な男たちが続々と店内に入ってきた。
 人数は五人。先頭に立っている男は、ほかの者よりも身体が一回り大きく、リーダーの風格が伺える。
 リーダーの男が店内を見回した。
「一〇〇万イェンの賞金首はどいつだ!」
 この屈強な武装集団が店内に現れた衝撃を凌ぐ一言だった。
 一〇〇万イェンと言えば夢の金額だ。貧困層は一生掛かっても稼ぐことのできない金額。そんな賞金を出せる者も限られてくる。
 テーブル席に男がつぶやく。
「二桁間違ってんじゃねえか?」
 同じ席で青い顔をしていた男は首を横に振った。
「本当だ、三ヶ月の前の噂知ってるだろ……あいつが〝雷獣〟だったんだよ」
 〝三ヶ月前〟で通じる話題と言えば、クーロンでの事件だ。
 クーロンに現れたシュラ帝國の巨大飛空挺キュクロプスが放った魔導砲。それとは別の脅威も人々は見た。あれがなんだったのか、未だに多くの人々は知らずに、数え切れない噂話が生まれた。
 そして、同時期に高額な賞金首を懸けられたのが、〝雷獣〟の通り名を持つ〝少年〟だった。
 賞金を懸けたのはシュラ帝國。事件との因果関係を誰もが勘ぐるだろう。
 〝少年〟は屈強な男たちが乗り込んできたあとも、構わず食事を続けていた。まるで何事もなかったように。
 リーダーに睨まれた客たちが次々と首を横に振る。俺は〝雷獣〟じゃない――と。
 そして、最後に残ったのが〝少年〟だった。
「テメェが〝雷獣〟か?」
 リーダーが凄みを利かせて尋ねたが、〝少年〟は答えず食事を続けている。
 次の瞬間、銃声が鳴り響き、〝少年〟がフォークで持ち上げていた肉に大穴が開いた。
 〝少年〟は凍り付いたように動きを止めた。
 子分の一人が笑い出した。
「ギャハハハッ、あの野郎、ビビって小便でも漏らしたんじゃねえか?」
 ほかの子分も続いた。
「一〇〇万イェンなんて何かの間違いだと思ったぜ」
 同じ額の懸賞金を懸けられている男がいる――〝暗黒街の一匹狼〟だ。彼はその賞金にいたる悪評や噂の数々がある。それが〝雷獣〟にはなかった。
 どこかで〈歯車〉の音がした。
 〝少年〟が肉ごとフォークをテーブルに突き立てた刹那!
「俺の首狙うなら、顔くらい覚えてこいよ、なッ!」
 店にいた者たちが気づいたときには、〝少年〟がリーダーの顔面を拳で抉った瞬間だった。
 この場で誰よりも巨大のリーダーが大きく吹っ飛ばされ、後ろにいた子分たちを巻き添えに、ボーリングのピンのように次々と倒れた。
 客たちは眼を剥いた。
 しかし、これで終わりではなかった。
 男たちは〝雷獣〟の意味を知ることになる。
 〝少年〟が懐から隠し持っていた〝銃〟を抜いた。
 閃光!
 瞬く間に稲妻が店内を翔け抜けた。
 雷音はまるで獅子の咆吼。
 屈強な男たちは立ち上がる隙も与えられず、聞くに堪えないおぞましい絶叫をあげた。
 魔導銃〈グングニール〉の稲妻は、身体の芯から肉を焼いた。
 被っていたフードがいつの間にか取れていた〝少年〟――いや、少女アレンはマスターに顔向けた。
「さっきの肉料理まだかよ?」
 店内に立ちたちこめる肉料理のような臭い。
 客たちが一斉に嘔吐した。
 平然とした顔をしているのはアレンだけ。その顔を見ただけで、幾つもの修羅場をくぐってきたことはわかる。
 恐怖で言葉を失っていたマスターだったが、ついにこう言ったのだ。
「テーブルの金を持って……さっさと出てってくれ」
 ときにその言葉は命取りになる。相手はつい今し方、屈強な男たちを一瞬で倒した100万の賞金首だ。
 しかし、アレンは金を持たずに店の出口に向かって歩いた。
「ごちそうさん、うまかったぜ。金は店の修理代にでもしてくれよ」
 アレンは店を出た。
 次の瞬間、緊張の糸が切れたマスターは気絶してぶっ倒れた。
 食事を済ませて、軽い運動もしたアレンは、店の裏に停めてあったエアバイクを取りに向かった。
 店の裏まで来ると、なにやら三人組の男たちがエアバイクの周りを囲んでいた。
「おい、タイヤがないけど大丈夫かよ?」
「バラしてジャンク屋に売れば問題ないだろ」
「そうだな、さっさと運んじまおうぜ」
 そう言った男がエアバイクに触れた瞬間、バチバチと音と火花を散らせながら泡を吹いて気絶した。
 周りの男たちは慌てて何もできない。
 そこへアレンがやって来た。
「人様のもん盗もうとするからだぜ」
 〝失われた科学技術[ロストテクノロジー]〟の産物であるエアバイクの、行きすぎた防犯対策が発動したのだ。
 アレンは戸惑って動けずにいる男たちを掻き分け、エアバイクに乗ろうとした。
「気絶しただけで命の心配はねえから、これに懲りたら盗みなんてするなよって伝えてくれ。あんたらもだぞ?」
 仲間がやられ、説教までされた。
 男たちはアレンが信じがたい額の賞金首だとは知らなかった。
 ――目の前にいるのはただの餓鬼だ。
「よくもこの野郎!」
 男がアレンに殴りかかった。
 どこかで〈歯車〉の音がした。
「懲りてねえな糞野郎ッ!」
 重いアレンの拳を喰らった男が五メートル以上吹っ飛んだ。よろめいて五メートル下がったのではなく、宙を五メートルもの距離を跳んだのだ。
 残る一人の男は仲間を置いて走って逃げてしまった。
 アレンは特に追うこともしない。降りかかる火の粉は払っても、遠くの火元まで消すのが面倒だった。
 エアバイクに乗って走り出す。高度はあまり出ていない。地表から二〇センチ程度の高さを飛行している。
 高度を上げれば、それだけエネルギーの消費も激しくなり、空を吹く風も強くなる。エアバイクにはバランス調整システムが搭載されているが、それでも高い高度での強風に煽られてしまう。それに、高度と風速と時速が加われば、それだけ体感温度は急激に下がる。エアバイクは高い高度を飛ぶようには設計されていなかったのだ。
 町を出て砂漠地帯を走る。
 砂漠と言ってもここは砂の広がる地帯ではなく、土砂漠だ。
 この世界の砂漠の割合のうち、砂砂漠は40パーセントほどである。残りを占めているのが岩石砂漠、礫[レキ]砂漠、土砂漠だ。
 小高い丘に登るとアレンは遠くの景色を眺めた。
 もう町は見えない。広がる景色はどこまでも砂漠。
 空もまた、どこまでも広がっている。
 降水量の少ない砂漠では、雲一つなく澄み切っている。
 行く当てはない。
 広がる砂漠と空になにもないのと同じで、アレンにも目的とする場所がなかった。
 シュラ帝國に眼を付けられために、同じ場所に長いもできなくなってしまった。
 一〇〇万の賞金首は途方もない額だ。そこまでの額になると、首を狙ってくるのは莫迦か自信がある者のどちらかだ。中途半端な者が狙ってくることはあまり少ない。
 それでも時折、今日死ぬともわからない生活苦の女子供、年寄りに命を狙われたこともあった。そういうことがあってからは、なるべくそれなりの大きさがある町に立ち寄ることにしている。逆に大きすぎる町に行くと、顔が知れ渡っていることが多く、金の亡者どもがさらなる金を求めて狙ってくることも多い。
「……世の中どんどん住みづらくなってやがる」
 アレンは吐き捨てて再びエアバイクを走らせた。
 しばらく行く当てもなく走り続けていると、エアバイクが激しく上下に揺れた。風ではない。同じ高度を保っているのに大きく揺れたということは、地表に変化があったということだ。
 崖が音を立てて崩れてきた。
「糞っ!」
 ハンドルを切って土砂を避けた。
 だが、それで終わりではなかった。
 まるで地の底で地獄の怪物が唸っているような地響き。
 アレンの目の前で地面に亀裂が走った。
 次の瞬間だった!
 地中から水柱が天に向かって聳え立ったのだ。
 噴き出した水にアレンは一瞬にして呑み込まれた。
 濁流と共にアレンが亀裂の中に消える。
 為す術もない出来事であった。

 威厳の象徴である広い玉座の間。
 ヒールの音を響かせながら〝ライオンヘア〟がこの場に姿を見せた。
 百獣の王で獅子が跪く相手――暴君ルオ。
「なんだい険しい顔をして?」
「またテロが起きたわ」
「規模は?」
「魔導炉が一つ、機能停止にまで追いやられたわ」
 世界の電力を担っている魔導炉。その恩恵に預かっている大半は富裕層である。
 シュラ帝國に対するテロ活動。一時は残酷無慈悲な帝國な所業を恐れ、なりを潜めていたが、ある時期からその活動が活発になって来た。
 ルオは薄く微笑んだ。
「三ヶ月前から運気が落ちたらしい」
「貴方ともあろう御方が、運などに左右されるのかしら?」
「いや、朕に切り開けぬ道などない」
 その絶対たる自信。それがなければ、幼くしてシュラ帝國に君臨し、武力と恐怖よる政治は行えない。
 シュラ帝國の皇帝が皇帝であるためには、人間を捨てた強靱な精神と力を持った魔人でなければならないのだ。
 運気が落ちたという発言は弱音を吐いたわけではない。その状況を楽しんでいるのだ。
「弱い者を甚振ったところで楽しくもない。さて、魔導炉を機能停止に追い込んだ彼らは、今とても達成感に溢れ、シュラ帝國に一矢を報いたつもりになり図に乗っていることだろう。叩くには良い頃合いだと思うだろう?」
「ええ、叩くのなら容赦なく」
「そうだ、久しぶりに鬼兵団に任せてみるか。三ヶ月前の働きはろくなものではなかったからね。名誉挽回のチャンスを与えてやるのも一興。今度は全員だ、全員この場に招集させろ」
「御意のままに」
 鬼兵団と言えばアレンたちに放たれた刺客だ。
 第一の刺客であった水を操る水鬼は、あと一歩までアレンを追い詰めたが、真の姿を見せたリリスによって葬られた。
 第二の刺客であった鋼鉄の肉体を持つ金鬼は、トッシュとの戦いの末に口腔に銃を乱射され死んだ。
 果たして残る鬼兵団の能力は?
 再びアレンたちの前に立ちはだかることはあるのか?
 運命の女神は時に残酷だ。

《2》

 クーロンの住人にも忘れられてしまった廃れた教会。
 神父が亡くなってからは、より廃れる一方だった。
 三ヶ月前までは建物自体も崩れ落ちそうなほどだったが、今ではある者の援助によって、壊れた箇所や痛んでいた箇所が修復され、小綺麗な教会に生まれ変わった。
 建物が生まれ変わっても、住人たちの心は変わらず、迷った仔羊すら教会に訪れる者はいない。
 そんな教会であっても、シスター・セレンはこの場所を見放すことはなかった。
 セレンもまたシュラ帝國に仇をなし、顔もこの場所も知られている。指名手配こそされなかったものの、教会に留まることは危険極まりない行為だった。
 覚悟を決めてセレンはこの場にいる。
 あれから三ヶ月経つが、なぜか未だに帝國はこの場に姿を見せることはなかった。その沈黙が逆に恐ろしくセレンを不安にさせる。
 今日か、それとも明日か、寝ても覚めても帝國が現れることに恐怖する。
 とても辛かった。
 慕っていたシスターが亡くなり、神父も亡くなり、独りになってしまってから、これほどまで独りということが恐ろしいと感じたことはなかった。
 短い間であったがアレンたちと行動し、危険な目に遭って命を失いそうにもなった。
 ――それでも今の方が何倍も苦しい。
 もしかしたら、アレンやトッシュとの関係が切れたから、帝國が現れないのかもしれない。
 何を選ぶのかと訊かれたら、セレンは教会を選ぶ。
 そのためなら、独りでも耐えられる。
 セレンはだれも見ていなくても、笑顔を忘れない。
 いや、だれも見ていないわけではない。
 教会の裏庭に咲き誇る花々――彼らがちゃんと見守っていてくれる。
 今のセレンの心を癒してくれるのは、この花々だった。
 枯れた大地に色とりどりの花は珍しい。
 クーロンは大都市で水もほかの地域に比べればあるが、それでもこんなに綺麗な花は珍しい。
 セレンが水をやり、ときに鼻歌を聴かせ、丹念に育てた花。
 それはセレンの心を癒すと共に、生活費として生きる糧にもなっていた。
 ほかの町や村では人々は花になど見向きもしないだろう。貧困層にとって、花など腹の足しにはならない。クーロンは貧困層も多いが、富裕層も多く済んでおり、生活落差の激しい町だ。富裕層には少なからず、花を買ってくれる者がいるのだ。
 花壇の横には水路がある。クーロンの井戸などの水は浄化しなければ飲めないが、ここの水が水源が違うのか、澄み切った綺麗な水だった。
 そして土も違う。
 水は元々この場所に湧いていたものだが、肥沃な土は神父が遠くから運んできたもので、さらにそこへ動物の死骸や野菜の残り滓を埋めて肥料にして育てた土だ。
 少し心配な顔をしてセレンは花々を見つめた。最近、花の育ちが悪い。土のせいか、水のせいか、原因はわからない。
 セレンは水を汲み、やかんを改造したジョウロで水を撒きはじめた。
 先端を蓮口に改造されたやかんからは、シャワー状の水が優しく噴き出る。
 甘い風の匂い。
 上機嫌になったセレンは鼻歌を歌い出した。
 このときは帝國の恐怖などすっかり忘れている。
 警戒心もなく、心穏やかに花と向き合う。
 だから近付いて来た気配にまったく気づきもしなかったのだ。
「こんにちは」
 優しい女性の声だった。
 驚いてセレンは振り向いた。
 そのとき、ジョウロの水が相手のドレスに!
「あっ、ごめんなさい!」
「大丈夫ですよ、この花も水が欲しかったのでしょう」
 気品のある顔つきの女性は、そのドレスも大輪の花のように美しかった。
 セレンはハンカチを持っておらず、自らの服で女性のドレスを拭こうと慌てた。
「本当にごめんなさい。突然だったもので、驚いてしまって、ごめんなさい」
「ですから、大丈夫ですよ。このドレスも綺麗な水が頂けて喜んでおりますわ」
 花のような笑顔だった。
 その笑顔に同性ながらセレンはドキッとした。
 すぐにセレンは女性に見られていることが恥ずかしくなってきた。
 同じ女性として、向こうは美しい花のようなドレスを着こなし、こちらは雑巾のように薄汚れた質素な尼僧服だ。
 この尼僧服が気に入らないわけではない。愛着を持って大事に着ている。それでも、こんな美しいドレスを見せられてしまったら、羨ましく思ってしまうのは仕方がないことだった。
 ぼうっとセレンがしていると、女性の声が現実に引き戻した。
「どうかなさいましたか?」
「あっ、いえ、美しい方だなぁって……はっ」
 セレンは息の呑んで口を噤んだ。つい口に出して言ってしまった。
「ありがとう、嬉しいわ」
 嫌みのない笑みで女性は答えた。
 この場の空気と女性は見事に溶け込んでいる。それがセレンには複雑な思いだった。
 教会を今まで独りで守ってきて、自分の居場所はここしかないのに、一瞬にして花のドレスを着た女性は、咲き誇る庭園を我が景色にしてしまった。
 セレンは気負いながらも、静かに対抗心を燃やした。
「あの、この教会のなんのようですか?」
 あくまで女性はこの教会の住人ではない。何かの用で訪れた客人だ。
「花の匂いに誘われて……わたくし花が大好きで、花を売っている方がいると聞いて、ここまで出向いたのですが?」
「そうなんですか!」
 セレンの心に花が咲いた。
 自分の育てた花がもらわれていくのは、寂しくもあるが、それ以上に嬉しいことだった。
「どの花になさいますか?」
 笑顔でセレンは尋ねた。
「そうね、二本ほどあなたが選んでくれるかしら。できれば、土ごと頂きたいのだけれど、よろしい?」
「はい! 鉢がないので、新聞で土を包むことになりますけど大丈夫ですか? あっ、溢れないように何重にもして、丈夫に包みますから」
「あなたにお任せいたしますわ」
「ちょっと待っててください新聞紙を取りに行って……?」
 セレンが走り出そうとしたとき、地面が少し揺れた。
 だんだんと揺れが激しくなる。
 地響きが聞こえた!
 立っていられなくなったセレンが地面に手をつく。
 地の底で何かが流れているのがわかった。
 眼を丸くしたセレン。
 地の底から水柱が天に昇ったのを目撃したのだ。
 まさに土砂降りであった。
 地中から水と共に噴き上がった土砂が、空から降ってきた。
 それだけではない。
 なにが起きたのかわからぬまま、セレンは鉄砲水に呑み込まれ流されてしまった。
 叫び声すらあげられない。口を開ければ泥水が口の中に入ってくる。
 流されたセレンは教会の壁に激しく打ち付けられた。
「うっ」
 徐々に水が引いていく。
 泥だらけになりながらセレンは立ち上がった。
「ああ……そんな……」
 絶望的な声をセレンは漏らした。
 美しく力強く咲いていた花々が刹那にして土砂に埋もれた。
 同じく泥だらけになった女性がセレンに近付いてきた。
「大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。あなたこそお怪我はありませんか? ドレスもそんなに汚れてしまって」
「ご心配なく。それよりも……」
 女性は少し離れた地面に視線を向けた。
 同じ方向を見たセレンは、あまりの驚きにそれが現実だと思えなかった。
「アレンさん!」
「水といっしょに噴き上げられてきたらしいですわね」
「そんなことが……それよりも今は!」
 セレンはアレンに駆け寄った。
 泥だらけのアレンは気を失っている。
「アレンさん! アレンさん!」
 セレンの呼びかけにも答えず、蒼白い顔をしてまるで死んだように動かない。
 慌てながらセレンはアレンの呼吸と脈を調べたがよくわからない。
「脈が取れません!」
「慌てないで、落ち着いて、わたくしに代わってくださる?」
 改めて女性がアレンの呼吸と脈を確かめた。
「まだ生きているわ」
「本当ですか!」
「ええ、辛うじて」
「……あっ」
 セレンの目の前で女性はアレンに唇を重ねた。
 その行為は人工呼吸というより、ただの接吻に見えた。
 静かに唇が離された。
「脈も呼吸も正常に戻りましたが……可笑しいですわね」
「可笑しいってなんですか?」
「息を吹き返さない……この子、半分死んでいるわ」
「……半分」
 その言葉にセレンは思い当たることがあった。
 鼠色の金属に覆われたアレンの右半身。
「なにか心当たりが?」
 女性に尋ねられ、セレンは少し戸惑った。
「いえ、その……」
 あのことを言っていいものなのかわからない。
 たしか……セレンがアレンの身体を見たのは、この教会での出来事だった。あのとき、金属の半身を見られたアレンは平然としていた。まったく隠すそぶりも見せなかったが、見られたあとだから開き直ったのかもしれないし、アレンの了解を得ずに話すことは躊躇われた。
 女性はそれ以上の追求をしなかった。
「まずは彼女を運びましょう」
「えっ、女の子だってわかったんですか!?」
「格好は荒くれの男のようだけれど、唇の柔らかさは誤魔化せないわ」
 女性は微笑んで、アレンの身体を抱きかかえた。大の大人ではないとはいえ、アレンをひとりで抱えるのは大変だろう。すぐにセレンも支えた。
「こちらです、教会の中へ」
 二人でアレンを教会の中まで運んだ。
 隅々まで掃除してあった廊下は泥だけになってしまったが、今はそんなことを気にしている場合ではないだろう。
「シャワールームは?」
 女性に尋ねられ、セレンは申し訳なさそうな顔をした。
「シャワーはありませんけど、お風呂場はこちらです」
 まずはこの泥を落とさなければ。
 風呂場に着くとセレンはポンプを動かし水を出した。そして、この場を女性に任せて部屋を飛び出そうとする。
「タオル持ってきます!」
 風呂場を飛び出し、急いでセレンは大きめのタオルをいくつも持って帰ってきた。
「あっ!」
 セレンは顔を赤くして目を伏せた。
「すみません!」
 再び風呂場に飛び込むと、女性もアレンも裸になっていたのだ。
「同じ女同士なのだから気にしないで。あなたも泥を流して着替えたほうがいいわ」
「あ、あっ……は、はい」
 少しセレンは恥ずかしそうにしながらも服を脱ぎはじめた。
 ふと、セレンの脳裏に思い出される過去の記憶。
 母のように、ときには姉のように慕っていたシスター・ラファディナ。昔はよく彼女とお風呂に入っていた。懐かしく温かい記憶だ。
 風呂場に飛び込んだ拍子に、二人の裸を見てしまったせいで考えが及ばなかったが、今さらながらセレンは気づいた。
「彼女の身体……驚かれましたか?」
 アレンの身体を見られてしまった。あのとき口ごもったことも、意味を失ってしまった。
「ええ、こんな人間がいるなんて信じられないわ」
 〝失われし科学技術〟の時代ならまだしも、今の時代にはありえない技術。医術と言うべきか科学と言うべきか、半身を機械に覆われた人間が存在していた事実。誰もが驚愕するだろう。
 自分たちとアレンの身体を洗い、バスタオルに来るんだアレンをセレンの部屋のベッドまで運んだ。
 セレンと女性はバスタオルを身体を巻いて、着替える間もなくアレンの看病をした。
 女性がアレンの様態を診る。
「様態は変わらないわ。良くもならず、悪くもならず、まだ半分死んでいる……」
「やはりお医者様を……でもお金が」
 医者を呼ぶという選択は、意識を失ったアレンを見つけたときから考えていた。だが、ネックだったのは治療代だ。
「医者は呼ばなくていいわ。わたくしの見立てでは、ただの医者では治せないでしょう」
「もしかしてあなたはお医者様なのですか?」
「多少の心得はあるけれど、医者ではないわ」
「そういえば、名前を伺っていませんでした。わたしの名前はセレンと言います」
「あなたの名前は伺っているわ。わたくしの名はフローラ」
「わたしの名前を?」
「この場所を教えて頂いたときに、あなたの名前もいっしょに」
 フローラは笑みを浮かべた。
「どなたから聞いたんですか?」
「うふふ、秘密。それよりも服を貸していただけるかしら?」
「ああっ、気が利かなくてすみません。尼僧服しかありませんけど、それでよろしいですか?」
「ええ、ありがとう」
 すぐにセレンは別の部屋に服を取りに行った。
 部屋に戻ってきたセレンが持っている尼僧服はラファディナの遺品だった。
「フローラさんのドレスに比べたら粗末な服ですが……」
「どんな服でも構わないわ」
 服を受け取り着替えをするフローラ。
 セレンも着替えを済ませ、アレンも着替えをさせることにした。やはり服は尼僧服しかなく、セレンの物を着せた。
 尼僧服を着たアレンの姿はセレンを驚かせるものだった。
「女の子みたい……あっ、はじめから女の子でした」
 あとは髪を切って梳かせば、より女の子らしく見えるだろう。振る舞いや格好は少年だとしても、やはり少女なのだ。
 セレンはアレンの手を握った。
「冷たい……このまま目を覚まさないなんてこと……フローラさん?」
 悲痛な表情でセレンはフローラを見つめた。
「わたくしにもわからないわ。その子の状態を看ることのできる方は、医術ではなく、その半身の機械に精通した方でしょう」
 アレンを助けるにはどうしたらいいのか?
 ――大魔導師リリス。
 その名がセレンの脳裏に浮かんだ。
 しかし、問題はセレンがリリスの居場所を知らないことだった。
 以前、リリスの家に行ったことがあるが、道はトッシュに任せていたために覚えていない。
 そうなるとまずはトッシュを探さなければならない。だが、セレンはトッシュに居場所すら知らなかった。〝あれ〟から会ってもいないのだ。
 アレンの意識が戻らないまま、様態が悪化してしまったら?
 リリスやトッシュを探している間にも、そうならないとは限らない。
「あの人がこの町にいるかどうかも……」
 独り言をつぶやいてしまったセレンにフローラは尋ねる。
「あの人? その方がこの子を治せる方なの?」
「あのっ、違います。治せる可能性がある方は別の方なんですけど、その方の居場所を知っている方がまた別の方で……トッシュさんって言う方なんですけど」
「〝暗黒街の一匹狼〟と呼ばれていた方かしら?」
 その通り名を出されてセレンは不味いと思った。評判の良くない名前だ。セレンまでも同じと思われ、距離を置かれる可能性もある。距離を置かれるだけならまだしも、災難が降ってくる可能性もある。
 不味いと思いながらも、セレンは消極的に首を縦に振った。
 その嘘を付かなかった行為が岐路を見いだしたのだ。
「その方ならよく存じ上げているわ。もちろん居場所も知っているわ」
「本当ですか!?」
「ええ、すぐに連絡をつけてみましょう」
「ありがとうございます!」
 こうして再び歯車は回りはじめた。

《3》

「おう、久しぶりだなシスター。フローラその服はどうした?」
「少し汚してしまったのよ」
 居場所を知っているというだけではなく、顔見知り以上らしい。
 三ヶ月前となに一つ変わらないトッシュの姿。
 しかし、大きく変わった点があった――周りだ。
 〝暗黒街の一匹狼〟が群れていた。
 酒場ならまだしも、酒もない場所で仲間たちといっしょにいたのだ。しかも、セレンの顔を見る寸前まで、真面目な顔つきで話し合いをしていた。
 このことについて、道すがらセレンはフローラから話を聞いていた。
 ――同じ環境保護団体で活動しているのよ。
 と、フローラが言ったときには、セレンは言葉を失ってしまった。
 同じ話を聞いて驚くのセレンだけではないだろう。〝暗黒街の一匹狼〟と環境保護団体というのは、冗談もいいところだ。
 環境保護団体というが、集まっている面子の中には、がたいの良く血の気が多そうな者も多かった。
 セレンは冗談でも言われたのかと思って、フローラに尋ねる。
「本当に環境保護団体なんですか?」
「ええ」
 と言ったフローラは見た目が合致しているが――。
「本当に本当ですか? だって、そこに置いてあるの銃ですよね?」
 セレンの視線の先には壁に立てかけてあるライフルがあった。
「ええ、本当よ。ただあなたが想像していたものとは、少し違ったのかもしれないわね。この名を聞いたことがないかしら――ジード」
「まさかそんなフローラさんが……」
 フローラが発した名前を聞いてセレンは驚きを隠せない。もしそうだとしたら、セレンには似つかわしくない場所だ。逆にトッシュがいる理由は少なからず理解できるようになる。
 ジードはここ最近頻繁に新聞に載っている団体だ。
 ここに来るまでにセレンは可笑しいと思った点がじつはあったのだ。
 まずこの場所が飯店の地下にあり、隠し扉と隠し通路を使って通ってきたこと。さらに見張りの者たちが武器を見えるように携帯していたこと。とても穏やかな空気とは言えなかった。
 それらの見てきたものが、フローラの言葉を裏付けてしまっている。
 世間を賑わすジードは環境保護団体などと呼ばれていない。
「テロリストだったんですか!!」
 セレンが叫んだ。
 一瞬にして部屋に殺気が張り巡らされた。
 周りにいた者の眼がセレンを捕らえて放さない。
 今の発言がこの空気をつくってしまったことにセレンは気づいた。
 助け船を出してくれたのはトッシュだった。
「まあ、新聞にもそう書かれてるからな。シスターがそう言うのも無理はない。おまえらもそう怖い顔するな、本当にテロリストみたいだぞ?」
 殺気が治まった。
 しかし、セレンはここにいるのが気まずくなった。
 フローラが微笑む。
「奥の事務所で話しましょう。トッシュも早く来て」
 セレンを逃がすように三人は事務所に入った。
 部屋に入るとすぐにトッシュはテーブルに寄りかかって煙草を吸いはじめた。
「で、シスターがなんの用だ?」
「アレンさんのことで……」
「あいつか……帰ってくれ、俺は今とても平和に暮らしてるんだ」
 周りからテロリスト呼ばわりされる団体にいながら、平和とはよく言えたものだ。
 話も聞かずに追い返そうとするトッシュにセレンは詰め寄った。
「話ぐらい聞いてください、アレンさんが意識不明で大変なんです!」
「だから俺様になにをしろって言うんだ? あいつを助ける義理なんて俺様にはないぞ。早く帰れ、アレンのこともほっとけ。俺様とあいつに関わらないことがシスターの身のためでもあるんだ」
「わたしだってあなたやアレンと関わりたいわけじゃありません。わたしだって平和に暮らしたい……でも、目の前に困っている人がいたら助けてあげたいと思うのが当然じゃないですか!」
 必死な訴えはトッシュに伝わるのか?
「当たり前だと思ってるのは〝お嬢ちゃん〟だけだ。クーロンなんて街に住んでるクセに、世の中のことがまったくわかってないんだな」
「わたしだって世の中のことくらい……」
「わかってない。シスターはクローンにいる困ってる奴をいつも片っ端から助けてるっていうのか?」
「それは……」
「そりゃ助けてないよなぁ。でもそういう奴がいることは知ってるはずだ。知っていても眼に入れないようにして、教会なんかに閉じこもってるんだろう?」
「もういいです、あなたなんかに頼みません!」
 啖呵を切ってセレンはトッシュに背を向けた。背を向けてから後悔をする。アレンを助けたいと思ってここまで来たのに、自分の一時の感情のせいでアレンを助けられなくなってしまうかもしれない。
 セレンが謝ろうとしたとき――。
「彼女のことを助けてあげて」
 フローラが優しく言った。
 次の瞬間、空気ががらっと変わった。
「俺様がどんな奴でも助けてやるよ!」
 トッシュは凛々しい顔をしてフローラに視線を送った。
 変わり身の早さにセレンは唖然とした。そしてすぐに悟ったのだ。トッシュがフローラにどのような感情を抱いているか――。
 どう見ても今のトッシュの行為は、女の前で格好をつけたい男だ。そうする理由は一つだろう。
 セレンはフローラの表情から、そのあたりの感情を察しようとしたが、こちらの想いはよくわからなかった。
 別人のようなやる気を見せてくるトッシュ。
「俺様はなにをしたらいい? 具体的な何かがあって俺様を尋ねて来たんだろう?」
 迫ってきたトッシュの気合いに押されてセレンが後退る。
「ええっと、リリスさんの家の場所を教えてもらえるだけでいいんですけど」
「よしわかった、車に乗せてってやる」
 話がとんとん拍子で進んでいく。
 さらにトッシュが迫ってくる。
「アレンはどこにいる?」
 これに答えたのはフローラだ。
「医務室に運んでもらったわ」
 教会にひとりで残しておくわけにはいかず、手間取ったがここまで運んできた。
 トッシュは大きく懐いた。
「ならすぐにでも出発だ。フローラはどうする?」
「わたくしはここに残るわ。ジードの活動があるもの」
「そうだな……」
 少しトッシュはうつむいて寂しそうな顔をした。とてもわかりやすい。
 そしてトッシュは顔をあげた。
「さっき仲間と話し合ったんだが、やはり次のリーダーはフローラがいいとみんな言っている」
「困るわ、わたくしのいないところで話をするなんてずるい。リーダー代行はしても、リーダーをやって皆さんを引っ張る器なんてないもの」
「そんなことあるか、みんながフローラを指示してるんだ」
「考えておくわ」
「みんなもいい返事を期待してる。よし、行くかシスター?」
 トッシュに顔を向けられたセレンは頷いた。
「はい、いつアレンさんの様態が悪化するともわかりませんから、早く行きましょう」
 こうして再び三人でリリスの元へ行くことになった。
 まるで歴史が繰り返しているようだ。

 玉座の間に集まった鬼兵団の数は三名。
 ルオは不機嫌そうだ。
「二人ほど足りないようだな、朕は全員と言った筈だが?」
 皇帝を前に跪いている三人。
 後ろの二人のうち、一人目は東方にかつて存在した花魁の格好をした狐顔の女。紅い着物が眼に焼き付く名は――火鬼[カキ]。
 横にいる土気色の肌をした大男。殺された金鬼の弟である――土鬼[ドキ]。
 そして、一歩前に跪いている黒く塗りつぶされた仮面を被っている性別も不明な者。この者が鬼兵団のリーダーである――隠形鬼[オンギョウキ]。
「鬼兵団ハ元ヨリ結束シテ集マッタ集団デハナイ故、自由ナ思想ヲ持ッテ招集ニ応ジル応ジサナイモ団員ノ自由」
 隠形鬼の仮面の下から発せられた声は、まるで合成音のような響きをしていた。
 ルオを守護していた〈黒の剣〉が唸った。
 刹那、隠形鬼の首を突き刺そうと〈黒い剣〉が翔けた。
 誰一人この場を動かなかった。動けなかったのではなく、動く必要がなかった。
「フフフッ、オ戯レヲ」
 〈黒の剣〉は隠形鬼の前で止まっていた。切っ先が震えている。真横からでは何も見えなかったが、九〇度視点を変えると底には魔法陣が宙に浮いており、それが盾となって〈黒の剣〉を受けていた。
 さらに驚くべきことに切っ先を向けられ、魔法陣に守られているのはライザだった。
「なぜアタクシがここに!?」
 本人すらそこにいたことを驚いた。
 そして、本物の隠形鬼は平然とルオの真横に立っていた。
 ルオは驚くことなく、〈黒の剣〉を鎮めて自分の元へ呼び寄せた。もう〈黒の剣〉に殺意はない。殺気は常に放っているが。
「噂通りの実力というわけか……面白い。もっと面白い物を見せるというなら、招集の件は不問にいたそう」
「今ノハホンノ余興デ御座イマス。御依頼ガアレバ何ナリト」
「ライザ、話してやれ」
「畏まりました」
 返事をしたライザは鬼兵団に向けて話し出す。
「ジードというテロリスト集団はもちろん知ってるわね?」
「おら知らね」
 口を挟んだ土鬼の頭を火鬼が引っぱたいた。
「あんたは莫迦なんだから黙ってな。どうぞ獅子の姐さん、話をお続けになってくんなまし」
 ライザは少し調子を狂わせられながら、話を続けることにした。
「ただの小うるさい蝿かと思っていたら、ついに昨日ジードにしてやられたわ。昨日起きたシュラ帝国領での大規模停電はそいつらのせいよ」
 どこからか小さな笑い声が聞こえた。笑いの主は隠形鬼だった。
「ウッフフッ、魔導炉ガ破壊サレタト言ウノハ、嘘デハナカッタト言ウ訳カ」
 ライザは鋭い眼で隠形鬼を睨んだ。
「うるさい蝿がこの部屋にもいるのかしら? まあいいわ、アナタたちにはジードの壊滅、そしてリーダーと、ある男をルオ様の御前に突き出して頂戴」
 ルオの眉が一瞬上がった。皇帝の知らない事柄があったらしい。
「ある男とは誰だい?」
「ジードにはある男が噛んでいることがわかったのよ……〝暗黒街の一匹狼〟」
 その名を聞いてルオが妖しく微笑んだ。
「面白い、久しく名を聞かんと思っていたら、ジードと行動を共にしていたとはね」
 急にライザはルオに背を向けて、通信機を取り出してひそひそと話しはじめた。
 そして、通信が終わると再びルオに顔を向けた。
「失礼したわ、緊急の連絡だったもので。シスター・セレンが動き出したそうよ」
 セレンは帝國に見張られていた。それを示唆する言葉だった。帝國がセレンの前に現れなかったのは、ずっと密かに監視していたからだったのだ。
「トッシュ、セレン、君のお気に入りの名前は挙がってこないのかな?」
 ルオはライザに微笑みかけた。
「いえ、今のところは。シスター・セレンの動きに関しても、まだ未確認の情報が多いわ。伝わってきた話によると、謎の女がシスターの元に訪れた直後、教会の敷地から水柱が上がったとかなんとか。その後、しばらくして数人の男が教会を訪れ、謎の荷物を運び出し、シスターと謎の女はどこかに向かったそうで……水柱と荷物、謎の女、なんの関係があるのか今のところはわからないわ」
 荷物はおそらくアレンだ。帝國はそれに気づいていない。
 アレン、セレン、トッシュが再会し、帝國が再び動き出す。
 放置されていた土鬼は胡座をかいていた。火鬼も痺れを切れして足を少しずつ崩そうとしている。
 隠形鬼が口を開く。
「我々ノ話モ進メテ欲シイノダガ?」
 ルオがライザに向かって顎をしゃくった。話を進めてやれという合図だ。
「依頼内容はさっき言ったとおりよ。報酬はトッシュの懸賞金も込みで三〇〇万イェンでどうかしら?」
 火鬼が少女のような笑顔を見せた。
「さすがシュラ帝國、太っ腹でありんす。お頭様、お勤めはもちろんここにいる三人で、報酬も当然三人で山分けでありんすか?」
「ソレデ良カロウ」
 鬼兵団が話していると、ライザは緊急の通信を再び受けていた。
 ライザは楽しそうに笑っていた。
「うふふふっ、素晴らしい展開だわ。ルオ様、なんとシスター・セレンとトッシュがいっしょに町を出たそうよ。まさかシスターの行き先がトッシュの元だったとは……少しは期待していたのよ、だってシスターが関わる人物は限られているもの」
 その報告を耳にして隠形鬼は仲間に尋ねる。
「サテ、とっしゅトヤラヲ誰ガ捕ラエニ行クカ。行キタイ者ハ居ルカ?」
「おらに殺らせてくれ」
 土鬼が身を乗り出した。
 すぐに火鬼が口を挟む。
「あんたわかってんのかい? 殺すんじゃないよ、生きたまま捕らえるんだ」
「あらをばかにするでねえ。兄じゃよりおらのほうがばかでねがった。兄じゃの敵[カタキ]だ、おらに殺らせてくれ」
「まことにわかってるのかねぇ、この木偶の坊は?」
 火鬼は心配そうだが、隠形鬼はそれを認めたようだ。
「良カロウ、とっしゅハ土鬼ニ任セル。シテ、じーどノ本拠地ハ何処ダ?」
 ライザが答える。
「それもアナタたちに探してもらおうと思ったけれど、もうすぐわかるかもしれないわ。すべてシスター様のお導きよ」
 シスター・セレンが線となり、点を繋いで行ったのだ。
 その事実を知ったとき、セレンはどう思うのだろうか?

《4》

 静まり返った砂漠。
 生物たちは身を潜めているのか、それともここは死の砂漠なのか。
 そんな砂漠でただ一つ動いてるジープの影があった。
 砂を巻き上げ走るジープの車内では、茶色に布を頭から被り、ゴーグルをつけて運転をするトッシュの姿があった。
「そう言えばさっき奴の姿を見て驚いたんだが、なんで女の格好なんてしてるんだ?」
「アレンさんのことですか?」
「そうだよ、あの尼僧服ってシスターのもんか?」
「そうです、わたしの物を着せました」
「そういやフローラも尼僧服だったよな?」
「それが……きゃっ!?」
 急にハンドルが切られ、セレンの身体が大きく振られた。
 ジープは止まってしまっている。
「すまねえ、いきなりサンドマンタが飛び出して来やがったんだ」
「本当だ、まだ小さい子供ですかね?」
 砂の上を跳ぶように泳ぐサンドマンタが、ジープからどんどん遠ざかっていくのが見えた。
 再びトッシュがアクセルを踏んだ。
「それで尼僧服を着ている理由はどうしてだ?」
「えっと、それがですね、教会の裏庭から水が噴き出してきて、それがちょっとじゃないんですよ。わたし滝って見たことなんですけど、きっとあんな感じだと思います」
「俺も滝なんて見たことないからよくわからんな」
「そのせいで泥だらけになってしまって。あっ、それだけじゃないんですよ、アレンさんがその水といっしょに出てきたんです?」
「ハァ?」
 庭から水が噴き出したとか、アレンが出てきたとか、話だけではにわかに信じがたいのは当然だろう。
「『ハァ』じゃなくて、フローラさんだっていっしょにいたんですから」
「とにかくその野郎は溺れて瀕死ってわけだな。溺れ死になんて滅多にできる経験じゃないな……」
「まだアレンさんは死んでませんから! それにトッシュさんだって大量の水の中に投げ込まれたら泳げるんですか?」
「泳げるわけないだろ。シスターも泳げないだろう?」
「泳げませんよ。泳ぐってそもそもどういうときに必要なんですか?」
「庭から水が噴き出してきたときだろう?」
 二人の会話からもわかるように、水の中を泳ぐという行為は非日常なのだ。水の乏しい地域では、それが当たり前だった。
 急にトッシュがハンドルを切った。
「糞ッ!」
「きゃっ!?」
 砂の中から飛び出してきたサンドマンタ。影は一つではなく五以上。小規模な群れだ。
「おいおい、なんでこっち来るんだ?」
 トッシュは慌ててアクセルを踏んだ。
 岩のように硬い皮膚を持ったサンダマンタの群れが向かってくる。いや、襲ってくる。
 荒々しい運転で車体が弾み、セレンの身体も上下左右に大きく振られた。
「ちょっと、アレンさんが後ろで寝てるんですから!」
「知るか、シスターはこの状況がわかってるのか?」
「わかりませんよ!」
「わからないのになんで強気なんだよ。とにかく武器だ、巨大害虫用のバズーカが後ろに積んであるから取ってくれ」
 助手席に乗っていたセレンは揺れる車内で後ろを向き、座席に膝を付いて後部座席に身を乗り出した。
「アレンさんしか乗ってませんけど?」
「あるはずだ、もっとちゃんと探せ!」
「ん……ううん……もぉ!」
 セレンが膝を浮かせた瞬間、サンドマンタがジープの側面に激突した。
 激突の振動よりも、躱そうとしたハンドル操作のために、車内が大きく揺られてセレンが振り落とされそうになってしまった!
「きゃっ!」
 このときセレンはバズーカを掴んだときだった。
 バズーカがセレンの手を離れた。投げられたように車外へ放り出され、砂漠の海に沈む。
 この事態にトッシュは気づいていない。
「おい、バズーカはまだか?」
 セレンは返事ができなかった。静かに席に座って黙り込む。
「シスター聞いてるのか? バズーカはどうしたんだ?」
「それが……落としちゃいました」
「落とした?」
「車の外に……」
「…………」
 サンドマンタはまだまだ追撃をやめない。
 こうなったら逃げ切るしかない。
「シスター掴まれ、放り出されたら自分を怨むんだな!」
 それから必死で逃げた。
 広い砂漠をどこまでも逃げた。
 ようやく土砂漠まで来ると、サンドマンタはいつの間にか見えなくなっていた。さすがに固い地面では追ってこられないのだ。
 一息ついたトッシュは煙草に火を点けた。
「なんでサンドマンタが……普通ジープなんて襲って来ないぞ?」
「もしかしてですけど、あの前に子供のサンドマンタを見たじゃないですか? あれと関係があったりして」
「どうだろうな、とにかく助かったんだ。このツケは別にツケとくからな」
「わたしにですか?」
「俺様は命の恩人だろう?」
「わかりました、そのうち返します」
 たしかに車の運転をしてサンドマンタを振り切ったのはトッシュだ。けれど、セレンはなんだか納得いかなかった。
 それからしばらく道なき道を走り続け、なにもない場所でブレーキがゆっくりと踏まれた。
「おかしいな。この辺りのはずなんだが?」
「もしかして道に迷ったなんてことありませんよね?」
「場所はこの辺りで合ってるはずなんだが……」
「そういうの迷ったって言うんじゃないんですか?」
「そうじゃないんだよ。場所はこの辺りのはずなんだ」
「トッシュさんがそう思っていても、実際にないんですから、道に迷ったって認めたらどうですか?」
 セレンに責められトッシュは空を仰いだ。
 車は再び走り出さない。
 セレンも気晴らしにアレンの様子を見ようと、その身を後ろに向けたときだった。
「道におるのかのぉ?」
 後部座席にいた妖婆リリス!?
 その声を聞いて驚いたトッシュも後ろに顔を向けた。
「婆さん……いや、リリス殿。砂漠の真ん中でどうして……?」
「ここはわしの家の前じゃて」
 そんなはずはない。ここには何も……リリスの家があった。忽然とリリスの家が目の前にあったのだ。前と変わらぬ姿で、昔からそこにあったと言わんばかりに建っている。
 あまりの出来事にセレンは言葉を失っているが、トッシュはすぐにその現実を受け入れた。
「俺様が正しかったってことが証明されたわけだ」
 トッシュが間違っていなかったのだとしたら、リリスの家はここにあったのだろう。見えなくなっていたのか、それとも別の場所から現れたのかはわからないが。
 やっとセレンは気を取り直した。
「アレンさんが目を覚まさないんです、助けてください!」
 言われてリリスは被されていた布を捲り、アレンの顔を見た。
「とりあえずわしの家へ運ぶのじゃ」
 トッシュがアレンを担いで家の中へ。
 続いてセレンが入り、最後にリリスは砂漠の向こうを〈視〉てから入り、ドアを閉めた。
 家がおぼろげに消える。
 その場に残されたのは一台のジープのみ。

 鏡に映った〝少女〟の姿。
 冷たい輝きを放つ金属が半身を覆っていた。
 刹那に絶叫が響き渡った。

「どうしてこんな躰にしたッ!」
 叫び声を上げながら飛び起きたアレンは、目の前の影に掴みかかった。
 何重にも皺が波打っている老婆の顔。
「わしはおぬしを直しただけじゃ」
「これの……どこが……すまねぇ、あんたか」
 夢と現実の狭間にいたアレンが意識を取り戻した。目の前にいるのが妖婆リリスだと知ったのだ。
 全裸のアレンは寝かされていた台の上から飛び降りた。
「着るもんあるか?」
「おぬし好みの襤褸いローブなら用意しておる」
「気が利くな姐ちゃん」
 アレンはいつのも格好に着替えると、髪の毛を掻き毟るようにしてボサボサにした。少女らしさが消え、みすぼらしい物乞いの少年ようになった。だが、その眼のは猛獣の輝きを放っている。見た目よりも、この眼の奥にあるモノが、アレンをより〝少年〟らしく見せているのかも知れない。
 着替えを済ませて部屋を出ると、すぐにセレンと目が合った。
「アレンさん!」
 心配そうな顔をして飛びついてこようとしたセレンをアレンは躱した。
「気持ち悪いから抱きつくなよ」
「だって……心配したんですから……抱きついたっていいじゃないですか」
「そのことなんだけどさ、なんで俺がここにいて、あんたらもここにいるわけ?」
 まだ目を覚ましたばかりで状況が理解できない。
 セレンが今までのことをアレンに聞かせた。
 ――数分が経ち、話を聞き終えたアレンはセレンに一言。
「あんがとな」
 無愛想に言った。
「わたしはなにも……見つけただけで、助けたのはみなさんで」
 アレンとセレンの間にトッシュが割って入ってきた。
「おいおい、俺様にもちゃんと礼を言え。フローラにもだ。これは大きな貸しだからな」
「はいはい」
 アレンは軽くあしらった。
 あからさまな態度で、聞こえるようにトッシュは舌打ちをした。
「……っ糞餓鬼。やっぱり助けるんじゃなかった」
「あんたは慈善で俺を助けたわけじゃねえんだろ。貸し借りでイーブンだろ」
「おまえが貸しを返してはじめてイーブンだ」
「わかってるつーの。で、どこに〝道案内〟して欲しいんだよ?」
「道案内なんておまえに頼むか! そうだ、俺様たちの手伝いをしろ。きっとフローラも賛成する筈だ、フローラに返す借りも合わせてそれがいい」
「はぁ? なんであんたが他人のことまで決めるんだよ」
「フローラもそう望むに決まってる!」
「だ~か~ら~!」
 火花を散らす二人の間に決死の覚悟でセレンが入った。
「まあまあ二人とも落ち着いてください。まずはフローラさんに直接会って、アレンさんがお礼を言えばいいんじゃないですか?」
 トッシュも頷いた。
「そうだな、もう用も済んだ。アジトに戻るついでにおまえも来い」
「俺がなんで行かなきゃなんねえんだよ」
 また言い合いが加速する前に、セレンがアレンをなだめようとした。
「トッシュさんに言われたから行くんじゃなくて、アレンさんがフローラさんに会いに行くために行くんです。わかりましたよね、アレンさん? フローラさんは命の恩人なんですよ?」
「わかったよ、行けばいんだろ。姉ちゃん、あんたにもそのうち借りを返すから、用があったら呼んでくれよな」
 顔を向けられたリリスは破顔した。
「わしのはただの気まぐれじゃ、恩を感じる必要はないよ。どうして借りを返したいというのなら、そのシスターに感謝するんだね」
 言われたアレンはセレンを一瞥してすぐに顔を背けた。
 トッシュはさっそく帰る準備をはじめた。
 それを見たアレンは嫌そうな顔をした。
「もう帰るのかよ? 俺腹減ってんだけど」
 リリスが笑った。
「躰を直してもらって飯の催促かい?」
「俺の楽しみは寝ることと喰うことなんだよ。躰を直したついでに飯の借りもツケといてくれよ。なあセレン、あんたも疲れた顔してんだから休みたいだろ?」
 そんな顔をしているのは、すべてアレンのせいだ。アレンもそれくらいわかっている。
「でも……」
 口ごもるセレンにリリスは声をかける。
「たまの客人じゃ、もてなしてやるよ」
 リリスもわかっていた。
 髪をかき上げたトッシュがつぶやく。
「不器用な奴だな」
 すぐにアレンが睨んできた。図星だったのだ。
 そして、セレンは鈍感だった。
「でもリリスさんにこれ以上ご迷惑をかけるのは……」
 ここから先はアレンが強引に押し切る。
「もてなしてくれるって言ってるんだからいいだろ。俺は飯を喰いたい、あんたは休みたい」
「休みたいなんて言ってませんけど」
「顔に書いてあんだよ。トッシュからもなんか言ってやれよ」
「俺様は帰りたい。アジトでフローラが待ってるからな」
「こ、の、や、ろぉ~っ!」
 どこかで〈歯車〉の鳴る音がした。
 アレンが床を蹴り上げようとした瞬間、その前にリリスが立ちはだかった。
「やめんかど阿呆!」
 それはただのデコピンに見えた。だが、リリスのそれを喰らったアレンは、二メートルは吹っ飛んだのだ。
「いってーな、糞婆!」
「ほう、知っていてわしを〝婆〟と罵るか?」
 いつにリリスまで敵に回してしまった。
「わしの家から出て行け!」
 窓が独りでに開き、アレンの躰が浮いたと思うと外に放り出された。
 慌ててセレンはドアから外に出た。
 トッシュは普通に家をお邪魔した。
 そして、家は消えたのだ。
 蛙のように倒れていたアレンが顔を上げた。
 その先にあった巨大な人影。
「おめえら、どこ消えてた?」
 外でアレンたちを待っていたのはジープだけではなかったのだ。

《5》

「おら待ちわびた。おめえらが消えちまったもんだから、ここでずっと待ってたんだ」
 土気色の肌の巨漢――土鬼だった。
 立っているその全長は兄であった金鬼を凌ぎ、五メートル近くはあるだろう。目の前に立つアレンが小人のようだ。
「とりあえず俺の知り合いじゃないけど?」
 そう言ってアレンはセレンを通り越してトッシュに顔を向けた。
「俺様の知り合いでもない」
 トッシュは残ったセレンを見た。
「わ、わたしも知りませんよ!」
 三人とも初対面なので当たり前だろう。
 土鬼の目的は――。
「トッシュはどいつだ?」
 すかさずアレンはトッシュを指差した。厄介事には巻き込まれたくないということだ。
 トッシュが前に出た。
「俺様がトッシュだが……穏やかな用事じゃなさそうだな」
「おめえを殺しに来た」
 すっかり任務を忘れている。火鬼が心配したとおりだ。
「俺様を殺しに?」
「そうだ、兄者の敵だ」
「覚えがない」
 と言いながらも、トッシュの脳裏に浮かんできた顔。まさしく鬼兵団の金鬼だった。よく似た兄弟だ。
 トッシュは愛銃の〈レッドドラゴン〉を抜いた。
「弟のほうが実力は高そうだ!」
 戦いの中で養ってきた眼はたしかだ。
 ゆえに奇襲ともいうべき先制に打って出た。
 ドラゴンの咆吼!
 銃弾は心臓に向けて二発。その二発ともが土鬼の胸を貫いた。
 土鬼が笑った。
 血が噴き出ない!?
「おらは兄じゃのようにばかでねえから、業を磨いて磨いて最強にしただ」
 土鬼の躰が砂のように崩れ落ちる。
 一体化。
 もう土鬼がどこにいるのかわからない。
 声はどこからともなく響いてくる。
「死ねーッ!」
 姿を消したメリットを考えれば、攻撃は死角から来るはず。
 そう予想していたトッシュは度肝を抜かれた。
「正面か!」
 砂が一本の大きなドリルとなって飛んできた。
 トッシュは横に飛んでどうにか躱した。もし、死角からの攻撃だったら、躱すのが遅れていただろう。
 また土鬼は砂と同化してどこにいるのかわからない。
 大量の砂が動き出す。
 手だ、人間を一掴みにできるほどの砂の手が現れた!
 巨大な影がトッシュに覆い被さる。
「俺様は虫じゃないぞ!」
 砂にまみれながらトッシュが跳んだ。
 まるでハエ叩きのように巨大な手が砂に打ち付けられた。
 何度も跳んでトッシュが逃げる。巨大な手が地面を叩きながら追ってくる。
「糞ッ、人間がどうやって土塊[ツチクレ]に変わるんだ! 俺様の知っている魔導の範疇を越えてやがる!」
 〈レッドドラゴン〉が吼える。
 しかし、銃弾は砂に虚しく埋もれるだけだ。
 この怪物には物理的な攻撃が効かないのか?
 肉体は臓器は脳はどこに消えた?
 砂の一粒一粒が意志を持った生物だとでも言うのか!?
 トッシュは逃げることしかできなかった。
 ただ見守っているだけのアレンとトッシュの目が合った。
「助けてやってもいいけど貸しな」
「なにが助けてやるだ、おまえにならどうにかできるのかッ!」
「そんなのやってみなきゃわかんねえよ」
 アレンも策があるわけではないらしい。
 何も出来ずにいるセレンが必死になってアレンに訴える。
「助けてあげてください、アレンさん!」
「あんたが助けてやれよ」
「それができないから頼んでるんです!」
 セレンに太刀打ちができるわけがない。敵は人智を越えている。トッシュすら一方的な苦戦を強いられているのだ。
 ――人智を越える。
 現在の人智を越えた存在は〝失われし科学技術〟。
 魔導と科学は突き詰めれば、同じモノに行き着く。どちらも自然の摂理に則った法則でなりたっているもの。
 砂の怪人土鬼にも仕掛けがあるはずだった。人の想像を越えた技術はまるで魔法のように見える。
 しかし、トッシュは逃げるのに精一杯で、反撃することも、相手の弱点を考えることもできなかった。
 巨大な手から土弾[ドダン]が発射された!
 トッシュは背中に一発目を受けた。今まで受けたどんなパンチよりも重く響く。
 二発目は紙一重で躱した。
 三発、四発と躱したが、五発目は思わぬところから飛んできた。
 四発目が落ちた地面だ!
「くッ!」
 脇腹を抉った土弾。
 前や後ろならば、喰らったあとにバランスを立て直せたかもしれない。だが、逃げる途中、片足をあげていたときに喰らった横の攻撃は、いとも簡単にトッシュの躰を倒したのだ。
 立ち上がる動作は完全な隙だ。
 トッシュは倒れると同時に、自らの意志で多く地面を回転した。立ち上がらず別の動作をしたのだ。
 回転の最中、追撃の一弾を躱し、次が来る前に〈レッドドラゴン〉の引き金を引いた。
 虚しく弾は土塊を貫通しただけだった。
 それでもいい、零コンマ何秒でも相手に隙を作り、そこに岐路を見いだす。傷を与えるだけが攻撃ではない。
 トッシュは笑った。
 笑いかけられたのはアレンだった。
 二人の距離はほんの目と鼻の先。土弾の餌食になるのは二人だった。
「この糞野郎、俺も巻き込む気か!」
 アレンが叫んだ。
「たまたま逃げた先がここだっただけだ」
 トッシュは動揺ひとつ出さずにそう言った。だが、その笑みがアレンの言葉を裏付けていた。
 魔導銃〈グングニール〉をやむなく抜いたアレン。
「あんたを殺すか」
 銃口がトッシュに向けられた。
 さらにアレンは続ける。
「向こうを殺すか」
 トッシュを殺せば敵の目的は達成される。敵を殺せば敵自体がいなくなり襲ってこない。
 〈グングニール〉の銃口はトッシュから外れない。
 土弾が連発された。
 流れ弾はアレンにも当たるだろう。
 〈グングニール〉の引き金が引かれ、雷鳴が鳴り響いた。
 幾重にも枝分かれしていく稲妻が土弾を貫通して翔け巡る。
 伝導率が低い土塊に効果があるのか?
 そもそも、電流という攻撃は無機物にどれほどまでの効果があるのか?
「グギョォォオオオオッ!!」
 土鬼の絶叫が響いた。
 地に落ちた土弾。
 トッシュがすぐに気がついた。
「火花か?」
 稲妻を喰らった土弾から火花が出ている。
 ただの土塊ではなかったのか?
「ナノマシンじゃよ」
 老婆の声。
 アレンの真後ろに妖婆リリスが立っていた。
 そして、消えていた家が蜃気楼のように揺れながら見えていた。
「わしの家に電流を当ておって、ど阿呆!」
 リリスが平手打ちを放った。
 軽い音を鳴らして頭を叩かれたアレン。
「いってーな。あんたの家のことなんて知るかよ」
 おぼろげに見えるリリスの家。おそらくアレンの撃った〈グングニール〉の電流によって、なんらかの支障をきたしたのだろう。
 支障をきたしたのはリリスの家だけではなかった。
「ガガガ……グガガ……ヨクモ……コロシテヤル」
 土鬼もショートしていた。
 大量の砂煙が舞い上がった。
 土弾の雨。
 無差別攻撃だ!
 トッシュだけではない、アレンも、セレンまでも、そしてリリスにも襲い来る土弾。
 この場の全員を敵に回した土鬼は愚かだろう。とくにリリスに手を出すべきではなかった。
「核はそこかい?」
 妖しく輝いたリリスの瞳。
 砂にまみれて一つだけ、拳ほどの石があった。見た目ではただの石だ。
 リリスの手のひらでバチバチっと音がした。
 稲妻がリリスの手から放たれる寸前!
 巨大な炎の壁が視界を遮った。
「こなたの勝負、お待ちくんなまし!」
 炎を手に宿しながら現れた花魁姿の火鬼だった。
 視界を遮っていた炎が消され、火鬼は懐から壺を取り出した。
「土鬼、返事しな!」
「ナンダ! オラハコイツラヲミナゴロシニ……オオオオ、シマッタ!」
 大量の砂が渦を巻きながら壺の中へ吸いこまれていく。おろらく土鬼だ。土鬼が壺の中に吸いこまれているのだ。
 おそらくすべてを吸い込み終わったのだろう。火鬼は壺にふたをした。それにしても、吸いこんだ量は壺よりも多く、いったいどこに消えたのか?
「失礼しんした。莫迦が勝手な真似をしてしまって、わちきはその尻ぬぐいに来たでありんす」
 土鬼を封じ込めたが、その言動からアレンたちはこの者を敵の仲間だと察した。
 トッシュはすでに銃口を火鬼に向けていた。
 艶やかに笑う火鬼。
「おっかない武器は下げてくんなまし。わちきは無駄な仕事はしない質、死合いは次でも宜しいでありんしょう?」」
「そうだな。俺様も、降りかかってきていない火の粉まで、振り払うほど暇じゃあない」
「では、近いうちに……」
 火鬼は燃えさかる車輪のついた人力車にひょいと飛び乗った。車を引くのは此の世のもの思えない、牛の頭に人間の躰をした者と、馬の頭に人間の躰をした牛頭馬頭[ゴズメズ]だった。
 火の粉を散らしながら人力車が空を駆けて遠くへ消える。
 セレンは恐ろしくてたまらなかった。
「今の人たち……頭が動物……でしたよね?」
 おぞましい化け物だった。牛や馬が二足歩行をしていたわけではない。腰布だけを巻いたあの躰は筋骨隆々な男のものだった。
 リリスが静かに言う。
「キメラじゃよ」
「キメラ?」
 セレンが聞き返した。
「そう、キメラじゃ。人工的に作られた怪物じゃよ。太古の昔から人間は恐ろしい怪物を想像するとき、人間とほかの動物を掛け合わせたり、動物同士を掛け合わせた。ゼロから生物を生み出す想像力がなかったのか、身近なものだからこそ恐ろしさや神秘性があるのか、もしかしたらつくることができることを知っておったのか……」
「じゃあ……今の怪物はだれかがつくったものものなんですか?」
「既存の生物が掛け合った存在が自然に発生すると思うか?」
「そんな……ひどい、神への冒涜です」
「神が人間をつくったことは自然への冒涜ではないのかえ?」
 リリスは不気味に笑った。
 そして言葉を続けた。
「わしは神など信じておらん。もしこの星の生態系に干渉した存在がおったとしても、それは自然を超越した存在でもなければ、唯一神などではない。人間よりも高い文明を持っていたということじゃろう。〝失われし科学技術〟もおぬしらから見れば、神の所業じゃろう?」
「〝失われし科学技術〟はその仕組みもわからないし、不思議なものだと思います。でも神はそういうものじゃないんです、わたしは神を信じてますから」
「腐った世界でもシスターはシスターか。いや、こんな世界だからこそ神が蔓延るのか」
 リリスは家に帰っていく。
 すでに帰ろうとしていたトッシュだったが、ジープを見た途端、宙を仰いで頭を掻いた。
 打撃によって潰されたジープ。エンジンが破壊され、タイヤはすべてパンクしており、運転席にはドアが食い込んでいる。
「ったく、どこの莫迦だよ?」
 アレンが横に来て言う。
「さっきの砂男だろ?」
「んなことわかってる。どうやって帰ればいいんだ?」
「あんたのほうが莫迦だろ?」
「んだと?」
「砂男はどうやって来たんだよ?」
 普通に考えれば土鬼も帰る手立てがあった筈だ。
 トッシュは辺りを見回した。
「なにもないが、どうやって来たんだろうな?」
「えっ、マジ!? なにもねーの?」
 慌ててアレンも辺りを見回した。
 ――乗り物なんてなかった。
 乗ってきた乗り物はいったん引き上げたという可能性。砂漠の真ん中で、時間や燃料のことを考えれば、非効率的だと言える。
 アレンは閃いた。
「どこかに隠されてんだよ、砂の中に埋もれてるとか!」
「目印もなにもない場所で俺様は無駄骨なんて折りたくないぞ」
「なら俺が見つけても乗せてってやんねえからな!」
 アレンは独りで砂を掘りはじめた。
 それを尻目に一服するトッシュ。
 セレンはどうするか迷っていた。
「あの、アレンさん?」
「なんだよ?」
「手伝ったほうがいいでしょうか?」
「あったり前だろ」
 手伝わないで見つかった場合、セレンも置いて行かれそうだ。
 砂を延々と掘り返す作業。
 掘っても掘っても砂ばかり。さらに掘ると同時に砂が崩れて穴が埋まる。
 五分でセレンは力尽きた。
 その前にアレンは三分で飽きていた。
 結局、乗り物は見つからなかった。
 休憩をしていたトッシュが立ち上がった。
「お前ら本当に莫迦だな。リリス殿、リリス殿、どうか助けてくれないか?」
 深々とした。
 返事はない。そこには家すらない。なにもない砂漠。
 トッシュが大きな口を開けた。
「婆さん近くにいるんだろう! アレンを救ったのに、今度はその救った相手まで見殺しにするつもりか!」
 トッシュの声以外は静かなものだった。
 あきらめたトッシュは胡座をかいた。
 アレンはまた何かを閃いたようだ。
 〈グングニール〉の銃口が何もない空間に向けられた。
 本当にそこには何もないのか?
「故意で撃ったら容赦せんぞ、アレン?」
 アレンは背後に殺気を感じて振り返った。
 老婆の顔が目と鼻の先にあった。
「わっ!」
 驚いてアレンは腰を抜かして尻餅を付いた。
 もちろんそこにいたのは妖婆リリスだ。
 すぐにセレンが駆け寄ってきた。
「リリスさん、わたしたち帰れなくて困ってるんです!」
「わしには関係ないね」
 救った相手を見殺しにする。気まぐれな老婆だ。
 トッシュも割り込んできた。
「近くの町でも村でも着けるならどんな乗り物でもいい、礼はするから貸してくれ」
「わしの眼鏡[メガネ]にかなう礼ができるというのかい、このわしじゃぞ?」
 こんな辺境に住んでいても、リリスならば不自由な生活をしているとは思えない。金や物資では取引はできないだろう。リリスほどの実力があれば、手段は違えどトッシュに叶えられることなら、自らで叶えることができそうだ。
 トッシュが言葉に詰まった。取引相手が悪すぎる。
 しかし、次の瞬間にはリリスの態度が変わった。
「車を貸してやろう。ただし、わしもいく。運転の仕方を教えるのも壊されるのも面倒じゃ」
 気まぐれな女だ。

 つづく



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