いにしえの少女
 ジープでクーロン近くまで来ると、否が応でも巨大な鉄の塊が目に入った。
「なんですかあれ!?」
 とセレンが声を上げるのも無理はない。空を飛ぶ乗り物が一般的でないうえに、この飛空挺の大きさは尋常ではない。シュラ帝國が世界の誇る〈キュプロクス〉がそこにはあったのだ。
 ハンドルを握っていたトッシュが嫌な顔をする。
「あれは皇帝専用の飛空挺だ」
 すぐ近くに悪名高き皇帝ルオがいる。
 ぞっとした顔をしたのはセレンだった。
「でも、そんなまさか……クーロンは完全な自治領で、シュラ帝國は勧誘して来ないはずじゃ?」
 自由の名の元に繁栄と陰を築き上げてきたクーロンは、シュラ帝國の領土ではあったが、その自治は完全に独立国といっていいほどであった。
 ジープは迂回し、〈キュプロクス〉が停めてあるのとは反対の方向から街に入り、さすがに目立つジープはすぐに空き地に捨てた。
 街に入った四人はすぐに話し合いをはじめ、三手に分かれることにして、それぞれの方向に歩き出した。
 セレンはすぐに自分の教会に戻ることにした。あのときは一生戻って来れないかと思った。けれど、どうにか戻ることができそうだ。
 教会の前で通りまで来て、セレンは懐かしの教会を見上げた。
 数日見なかっただけなのに、どうしてこんなにも懐かしく感じるのだろうか。外観はなにひとつ変わっていないというのに。
 教会の静寂の中で、ただひとりの足音が鳴り響き止まった。
 セレンは美しき色彩が差し込むステンドグラスを見上げ、深い息を肺の底から吐き出した。
 所々襤褸がきて壊れてしまっている教会だが、このステンドグラスだけは、時が経つのを忘れたように輝き続けている。
 静かに微笑む聖母が赤子を抱きかかえている構図のステンドグラスは、まるで自分のことを象徴しているようだとセレンは思った。
 生まれて間もない頃に、この教会に拾われた。セレンは父と母の顔も、その名すら知らない。セレンを育ててくれたのは、若い神父と新米のシスター・ラファディナだった。その二人も、今はもうこの世にいない。
 ラファディナは若くして病魔に胸を犯され、この世を去ってしまい。神父もまた……。
 セレンは沈痛な表情をしながら、胸で輝くクロスを握り締めた。
 ――この教会は自分が絶対に守りぬくと決めた。
 長い間、時が経つのを忘れて、セレンはずっとステンドグラスを眺めていた。
 静寂に包まれた冷たく硬い石の床に、ブーツの踵を鳴らす音が鳴り響いた。
 はっとしたセレンが後ろを振り向くと、そこには白い影が揺れていた。
「あなたは!?」
 セレンの声は上ずっていた。
 知っている。この女性を知っている。終日前に、この女性に襲われ教会を追われた――〝ライオンヘア〟。
 艶やかに微笑むライザが、
「お帰りなさい」
 と静かに声を響かせた。
 自然とセレンは一歩足を後退させた。
「なんであなたがここに?」
「人質が必要なのよ」
 せっかくあの人たちと別れたのに。平穏な日々が送れると思ったのに。自分の考えが甘かったことをセレンは悔やんだ。トッシュは自分もこれから帝國に狙われる可能性があると示唆していたのに。
 街の入り口で話をしたときも、誰かをセレンの護衛に付けると言ってれたのに。それを断ったのはセレン自身だった。
「わたしはもうあの方たちと無関係です。わたしを人質にしても無意味です!」
「あら、それはアナタが決めることではなくってよ」
「まったくそのとーりだな」
 第三者の声だった。
 教会の入り口に立ち、輝く白い光を背に浴びる人影。それは少年――いや、少女だった。その名はアレン。
「ったくよー、せっかく誘導作戦してもアンタが捕まったら意味ねえもんな」
 アレンの息は少し上がっていた。今さっきまで銃弾を浴びせられていたところなのだ。
 四人はクーロンに入り、三手に分かれた。セレンは教会に戻り、トッシュとリリスは坑道に向かい、そしてアレンは街で暴れていた。そう、アレンが囮になっている隙に、トッシュとリリスは警戒の網をぬけて坑道に入ったのだ。
 腹を擦りながら教会の中へアレンは入っていく。
「腹空いちゃってさぁ、文無しだからここでなんか喰わせてもらおうと思ったんだよ。そしたら変な女いるし」
 変な女とはもちろんライザのことである。
「坊やが単独行動してるって通信が入ったから、そちらに行こうと思ったのだけれど、教会にシスターが戻ったって聞いたものだから、この子を人質にして坊やと楽しく遊ぼうと思ったいたのに、坊やの方から会いに来てくれるなんて、嬉しいわ」
「坊や坊やうるせえぞ、俺の名前はアレンだ。呼ぶときはアレン様と呼びやがれ!」
 威勢のいいアレンを見て、セレンは心から安堵した。たまにはアレンの食欲も役に立つことがあるものだ。そのお陰でセレンは救われた。
 白い陰が動いた。〈歯車〉の音もなっていた。二人は同時に動作を取り、硬直した。
 神聖なる教会で、二丁の銃が抜かれた。だが、まだ牙は剥いていない。
 アレンの構える銃は雷撃を噴く〈グングニール〉。そして、ライザの構えるハンドガンもまた正体不明の魔導銃だった。
 二人の間に緊張という名の糸が張り詰められるが、それもすぐにライザの不敵な笑みによって解かれた。
「アタクシは銃を撃つ気ゼロよ。なぜなら、この〈ピナカ〉は荒々しい怒りによる、想像を絶する破壊の象徴。こんなのをぶっ放したら、アタクシの身体まで吹っ飛んでしまうわ」
 紋様が刻まれて入るが、それ意外は普通のハンドガンと変わらない。そんなちっぽけな銃が、想像を絶する力を持っているというのか――〈グングニール〉以上の力を。
「俺は撃つぜ」
 相手が撃たないのなら、アレンは勝ったも同然だ。しかし、ライザは嘲笑う。
「ならアタクシも撃つわ。同時に撃てばアタクシが勝つ。けれど、坊やが撃たない限りはアタクシも撃たない。まだ死にたくはないもの」
 相手の言葉が嘘ではないことにアレンは気づいていた。
 どちらも動けない状態で、第三者のセレンが叫んだ。
「教会の中で争いはやめてください!」
 と言ってから、小さな声で付け加えた。
「……やるなら外で」
 そうは言っても、二人は一触即発状態で、どちらも一歩も動けない状態だ。った。
 ため息を漏らしたアレンが、なんと〈グングニール〉の銃口を床に向けたのだ。
「外出んぞ」
「わかったわ」
 なんとライザも銃口を下ろし、アレンの提案に同意したではないか!?
 アレンは敵に背を向けながら教会を出て、ライザは最後まで銃を放つことはなかった。
 教会の前の通りに出た二人は、五メートルほどの距離を取って向かい合った。二人とも銃は構えていない。
 舗装されていない剥きだしの大地を踏み鳴らし、アレンは前屈運動をしながら独り言をごちた。
「さーてと、どーっすっかな。こっちが撃てばあっちも撃つだろ。でもさ、こっちが早く撃って、相手に撃たせる時間を与えなきゃいいんじゃん?」
「あれ嘘よ」
 ライザがボソッと呟いた。いったいなにが嘘なのか?
「嘘ってなにがだよ?」
「同時に撃てばアタクシが勝つわ。でも、アタクシの身体が吹っ飛ぶというのは嘘よ。普通の人間が撃てばそうなるかもしれないけど、〝この子〟を飼いならしているアタクシなら平気」
 ライザは〈ピナカ〉の銃口を天に向け、そのスライド部分を愛でるように片手で愛撫し、銃の先端に口付けした。
 少し背中をゾクゾクとさせながら、アレンは生徒が教師に質問をするように手を上げた。
「はーい、はーい。じゃ、なんで俺のこと撃たないんだよ?」
「アナタを殺したくないのよ。アナタをアタクシの奴隷にしたいのよ!」
「オェェェ……」
「だから、降伏なさい。一生アタクシの足下で可愛がってあげるわ」
 濡れた唇をライザは艶かしく嘗め回し、よりいっそう唇は妖艶な輝きを放った。
 気分的にアレンは負けそうだった。

 砂や砂利を荷台に乗せ、次から次へと行き来するトラック。坑道の入り口は獅子軍によって警備され、そいつらの手には小型マシンバルカンが構えられている。その他にも、見張りの数は数知れない。
 そんな警備厳重な坑道入り口に、小柄な〝少年〟が単身で突っ込んだ――アレンだ。
「糞兵士どもがっ、掛かって来いや!」
 アレンの手に握られているのは〈グングニール〉。〈歯車〉の音も轟々と鳴っている。その姿を見た者は破壊神でも現れたと思ったかもしれない。
 尋常ではないスピードで地面を駆ける〝少年〟は、稲妻を吐きながら次から次へと兵士たちを打ちのめしていく。
 雷撃が生き物のように駆け巡り、雷雲の中に入ってしまったかのようだ。その中で雷鳴に負けぬほどの叫びをあげる破壊神。
「オラオラオラオラーッ!」
 雄叫びあげる〝少年〟が通ったあとは、稲妻が大地を抉り、全てを灰にする。草木などは未来永劫生えないかもしれない。それほどまでに壮絶だった。
 アレンが走るあとを銃弾が追いかけ、大地に穴をつくり砂煙が上がる。
 さすがのアレンも、複数の方向から撃たれる銃弾に耐えかね、坑道の中に駆け込んだ。
 薄暗い坑道の中に雷鳴とともに稲光が翔ける。
 坑道の入り口からフラッシュする光が逃げ出し、ついでにアレンも大勢の兵士に追われて逃げ出てきた。
 このとき、アレンは本能だけで動いていた。もはや作戦もあったもんじゃない。とにかく暴れまわることだけしか頭にない。
 大勢の兵士を引き連れ、アレンはハーメルンのヴァイオリン引きのように、ヴァイオリンの代わりに雷鳴を鳴らして兵士たちを街の中へと導いた。
 天を突く雷が遠くに見え、雷鳴の音が徐々に遠くなっていく。雷雲は去っていったのだ。
 坑道入り口からは兵士の数が減り、警備も手薄となったところで、トッシュとリリスがひょっこりと顔を出した。
「あれじゃあ、ただのヤケクソにしか見えんな」
 苦笑するトッシュにライフルの銃口が向けられたが、トッシュの動きの方が早い。
 疾風のごとく風を切ったトッシュはハンドガンを撃ち、この場に残っていた数人の兵士の脳天を撃ち抜き、慣れた手つきで弾倉を入れ換えて、弾のなくなった弾倉を地面に放り投げた。
「さて、リリス殿を〈扉〉に案内するか」
「ほほっ、〈扉〉を見るのは久しぶりじゃの」
 果たして妖婆リリスの『久しぶり』とは、どのくらいの時間を指し示すのか。それは途方もない年月に違いない。
 坑道の中は静かだった。遠くから掘削機の音が響いては来るが、兵士たちの数はアレンの活躍によって減っている。
 前よりも広くなったと思われる坑道を、点々と壁に埋め込まれたオレンジ色のライトに沿って歩く。
 道は入り組み、迷路のようになっているが、道順は前と変わらない。ただ、心配なのは兵士と出くわすことぐらいだろう。
 トッシュが不意に足を止め、リリスの身体をそっと手で押し戻した。近くに人の気配がする。
 曲がり角からトッシュがそっと顔を出す。その視線の先には二人組みの兵士が、立ち話をしていた。
 二人組みの兵士は頭からフルフェイスのヘルメットを被っている。そのヘルメットは通常の弾丸を弾き返し、口のところには空気浄化機が付いている。それを見たトッシュはあることを思いついた。
 曲がり角を勢いよく飛び出したトッシュは、そのまま止まることなく一気に兵士の懐に廻り込み、相手の首に腕を掛けて一気にへし折った。
 骨の折れる音が鳴り響く中で、残った兵士がライフル銃を構えるが、トッシュは長い円筒状の銃身を脇に抱え込み、そのままハイキックで兵士のヘルメットを蹴り飛ばすと、ライフルを思わず手放して地面に倒れた兵士の上に乗り、首に腕を掛けた。
 鈍い音が鳴り響き、兵士はそのまま息を引き取った。
 二体の死体を見下ろしながら、トッシュは物陰から顔を出したリリスに話しかける。
「俺様はこれを着られるが、リリス殿は……」
 ローブを纏う枯れ木のような老婆に、兵士の服が着られるか。それがトッシュの心配だった。
「わしがこんな汗臭い服、ごめんじゃな」
 服のサイズが合うか以前の問題だ。
 トッシュはしかたなく自分ひとりでもと、兵士の装備と服を脱がし、素早く自分の服と取り替えるために着替えをした。その横でリリスが嫌な顔をして呟く。
「レディーの前で裸になるんじゃないよ」
「…………」
 この老婆に乙女の恥じらいがあるとは思えなかったが、トッシュは押し黙りながらリリスに背中を向けた。
 着替えを済ませたトッシュが振り返ると、そこにはなんと兵士が立っており、トッシュは自然と身構えた。
「わしじゃよ、わしじゃ」
 フルフェイスの中から響く声は、まさしくリリスのものだった。着替えるのが嫌だと言いながらも、しっかりと着替えたらしい。しかも、どう見てもそこに立つ兵士の背丈は、リリスの背丈とは異なっていた。
 不思議なことと言えばもうひとつ。素っ裸で転がっているはずの兵士の死体すら見当たらない。すべては妖婆の成す業か?
 リリスは地面に転がっていたトッシュの服を持ち上げると、それをトッシュの目の前で壁に押し付けた。すると、まるで壁が粘土かゼリーになってしまったように、服がズブズブと壁の中にめり込んでいくではないか!?
 兵士の死体もこうやって処理したいに違いない。
 目を丸くしたトッシュを尻目にリリスはさっさと歩いていってしまった。その歩き方も老人のそれではない。
 〈扉〉までの道のり、何人かの兵士とすれ違ったが、それほど怪しまれずにことが運んだ。
 不気味の輝きを魅せる金属の〈扉〉の前には、二人組みの兵士が開かぬ〈扉〉の門番として立っていた。
 トッシュは物怖じすることなく兵士たちに話しかけた。
「交代の時間だ」
「もうそんな時間か」
 とひとりの兵士は怪しみもせず受け答えたが、もうひとりの兵士が不信を持った。
「まだ、交代まで一時間はある。それに坑道の入り口で騒ぎを起きたと連絡が入っている。おまえらがその一派という可能性もある」
 一筋縄ではいかないらしい。
 ここでリリスが前に出て、被っていたヘルメットを取り、胸ポケットからIDカードを提示した。その顔は妖婆リリスの顔とは異なる若い男のもので、IDカードに写っている顔写真ともピタリ一致した。あのときに身包み剥がした男と瓜二つの顔だ。
 兵士二人はほっと胸を撫で下ろし、先ほど不信感を抱いていた兵士が声を弾ませた。
「なんだマイクか、そうならそうと早く言えよ」
 リリスが使った顔は顔見知りの〝顔〟だったらしい。
「外の騒ぎのせいで、タイムシフトが大幅に変更になったんだ」
 とリリスはその顔に相応しい声で言った。
 こうして二人の兵士はなんの疑いも持たず、この場を離れて行った。
 再びヘルメットを被るリリスを見ながら、トッシュは魔導師という存在が異界の存在であることを痛感した。
 魔導師という存在は、普通に暮らしていれば、まずお目にかかれない存在だ。普通の暮らしをしていなくて、一生内に出会えるかどうかわからない。魔導師というのは、それほどまでに数が少なく、半ば伝説上の存在なのだ。
 〈扉〉を手の甲で叩いたリリスは老婆の声で、
「本当に開けていいのかい?」
「そのためにあなたを呼んだ」
「そうかい。じゃが、わしの仕事は〈扉〉を開けるまでじゃ。そのあと世界が滅びようがわしには関係ないってことを覚えておいで」
 とんでもないことを口にするリリスだが、トッシュはその言葉をただの脅しとして受け取った。
「誰かが来る前に早く開けてくれ」
「せっかちな奴じゃな」
 リリスの両腕が、羽ばたく巨鳥のように大きく広げられた。
 巻き起こるはずもない強風が吹き荒れ、微かにリリスの足が宙に浮いた。そして、玲瓏たる声が響いた。
「ここを封じたのも妾の気まぐれなら、ここを開けるのも妾の気まぐれじゃ」
 玲瓏たる声はリリスの声だった。その声は妖女リリスの魅言葉。誰をも魅了する声音。
 トッシュの全身は弛緩し、思わず足から地面に崩れてしまった。だが、彼の意識はほぼ正常なものを保っている。狂人的な精神力の賜物というところだろう。普通の人間であれば、快楽に酔いしれて堕ちてしまっていただろう。
「妾の愛しい子……迎えに来たぞよ」
 〈扉〉がよりいっそう妖しい輝きを放ち、悲鳴をあげた。
 キーンと耳を突くような高い音が鳴り響き、〈扉〉が熱せられたチョコレートのように溶けていく。
 幾星霜の時を経て、ついに〈扉〉は開かれた。
 ひとりの気まぐれな女の力によって――。

 通りに風が吹き、甘い香りを含んだ妖気が場を満たす。
 白い影は微笑み、〝少年〟は嫌な顔をしていた。
 相手の妖気に中って、アレンは戦う前から負けそうだった。
 アレクの前方には〈ピナカ〉を構えるライザが、濡れた唇を歪ませながら微笑んでいる。
「アタクシの奴隷になれば、一生なに不自由なく暮らせるわよ」
「俺は束縛されんのが嫌いなの」
「アタクシは束縛するのが好きなのよ」
「このサド女!」
「本当のことを言われても、痛くも痒くもないわ――あら?」
 白いロングコートのポケットで鳴る通信機に気づき、ライザは魔導銃〈ピナカ〉を持った手をアレンに向けつつ通信機に出た。
 通信内容を聞いたライザが、この上なく妖艶な笑みを浮かべる。
「ふふっ……そうなの……」
 通信機を切ったライザの浮かべる表情が気になったのか、訝しげな表情でアレンが尋ねる。
「なんだったんだよ?」
「魔導感知器が、地下から放出された魔導エネルギーを感知したそうよ。もしかしたら〈扉〉が開いたのかもしれないわ」
 ライザの勘は当たっていた。先ほどトッシュたちによって〈扉〉を開いたのだ。
 〈扉〉が開かれたかもしれないと聞き、アレンがニヤッと笑う。
「俺の活躍が実を結んだってことだな」
「そういうことになるかしらね。でも、〈扉〉の中に入ったトッシュは袋の鼠。〈扉〉の中になにがあるにせよ、それをどうやって持ち去るのかしら。巨大な装置だったら運べないわよね」
 〈扉〉を開けること。それはまさに今回の作戦の入り口でしかない。果たしてトッシュの策は?
「俺、中になにがあるか知ってんぞ。人型エネルギープラントがあるんだってさ。人型なら自分で歩くんじゃないのか?」
 この情報はアレンがリリスから聞いたものだった。そして、この情報はトッシュもライザもまだ知らぬことだった。
 エネルギープラントと聞き、この世界の者たちが、まず頭に浮かべるものは魔導炉の存在だろう。魔導により放出されたエネルギーを電気エネルギーに変換し、膨大なエネルギーが二十四時間、止まることなく都市にエネルギーが供給される。だが、この技術は失われし科学技術であり、ゼロから魔導炉を造り出す技術は現代には残っていない。魔導炉がなんらかの理由で大爆発を起したとしたら、その被害は計り知れない規模となるだろう。
 人型エネルギープラントなどと言うモノ、科学者であり魔導師であるライザも聞いたことがなかった。
「人型エネルギープラント? 古の時代に戦争で投入された巨神兵……いえ、あれはただのゴーレムと機械の合成物……だとすると?」
 ブツブツと独り言を言いながら、ライザの思考は巡らされ、古い書物に書かれた事柄を思い出していた。それでも人型エネルギープラントに関する事柄は思い出されなかった。いや、その事柄に関する書物を読んだことがないのだろう。それでは思い出すことなど不可能だ。
 現在、世に残っている魔導炉の規模を考えると、それを人型にするなど不可能だとライザは考えた。できたとしても、全長何十メートルもの巨人だろう。
 未知への探究心が、ライザの欲望を駆り立てた。
「休戦にしないかしら?」
「はぁ?」
 突拍子もないライザの提案に、アレンは思わず口を半開きにしてしまった。
「アタクシはアナタを殺したくない。だから、アタクシには戦う理由がないわ。〈扉〉までアタクシが案内するわよ」
「はぁ!?」
「それに、そちらのシスターもアタクシといっしょのほうが安全よ」
 突然ライザに視線を向けられたセレンは、
「えっ!?」
 と眼を剥いて後退りをした。
 先ほどまで自分を人質にしようとしていた人が、今度は自分といたほうが安全だと言う。セレンは困惑した。
「あの、どうしてあなたといっしょだと安全のでしょうか。その、あなたは……敵なわけですし」
「アタクシはアナタを人質にするのをやめたわ。けれど、他のものがアナタを狙うかもしれない。少なくともアタクシと行動をともにすれば、アタクシ直属の獅子軍に命を狙われる心配はないわ」
「でも、それは……その……」
 つまりこれは休戦というより、捕虜になれと言っているのではないだろうか?
「俺はいいぜ、別にぃ」
「なに言ってるんですかアレンさん!?」
 セレンが声をあげるが、アレンは構うことなく両手を上げて降伏のポーズを示した。あまりにもあっさりし過ぎだ。
 〈ピナカ〉を構えていたライザも、〈ピナカ〉を下げてコートの内ポケットにしまいこんだ。
「やっとアタクシの奴隷になる気になったのかしら?」
「絶対違う!」
 アレンは即答で断言した。
「俺があんたの休戦を申し入れたのは、道がわかんねえから。〈扉〉までの道聞いたんだけどさ、忘れちゃって」
 坑道の中はまるで迷路のようになっている。はじめて入る人間は地図でもなければ〈扉〉まで辿り着くのに多くの時間を要する。だが、トッシュは地図が紛失し、誰かの手に渡ることを恐れ、口頭でアレンに〈扉〉までの道のりを説明しただけだった。
「まあ、いいわ。二人ともアタクシに付いて来なさい」
 踵を返してコートの裾を跳ね上げたライザの後ろを、なんの迷いもなくアレンが付いていく。その行動はセレンの理解しがたいものだった。ライザは仮にも敵なのだ。
 その場に立ち竦んでいるセレンに、振り返ったアレンが声をかける。
「さっさと行くぞ」
「でも……」
 口ごもるセレンに対して、アレンは人懐っこい笑顔を贈った。
「俺が守ってやんよ」
 守ってやるもなにも、敵の中心に自ら入るなんて――とセレンは思ったが、アレンの表情から感じられる、底知れぬ自身を信じた。
「絶対守ってくださいよ。わたしになにかあったら一生怨みますからね!」
「任せとけって、たぶんなんとかなるからさ」
「…………」
 一瞬セレンの心が揺らいだ。――やっぱり信用できないかも。それでもセレンの進み道は限られていた。
 前を歩く二人をセレンは小走りで追いかけた。
 一〇〇メートルばかり歩くと、鉄の囲いをされた工事現場が見えた。この中に行動入り口がある。
 工事現場の中は殺伐とし、兵士たちがあれやこれやと走り回っていた。そして、ライザがこの場に来たことで、兵士たちの動きが慌しくなり、ライザの傍らに居る〝少年〟の顔を知っていた者は、ぎょっと眼を剥いて驚いた。
 先ほどアレンがこの工事現場で暴れたことは記憶に新しい。多くの兵士は負傷して運ばれていったが、中には無傷の者や軽傷の者もいて、この場に残った者もいる。その者たちがアレンの顔を忘れるはずもなく、ライフル銃を構えて身構えた。
 だが、それをすぐにライザが抑えた。
「この二人はアタクシの客人よ、銃を下ろしなさい」
 兵士たちは頭を混乱させながらも、ライザの言葉に従わざるを得なかった。
 すぐに上級兵がライザのもとに駆け寄ってきて敬礼した。
「地下から放出された魔導エネルギーを感知してすぐ、〝鬼兵団〟のキンキが何人かの兵士を引き連れて〈扉〉に向かいました」
 兵士の報告を聞いて、ライザがあからさまに嫌な顔をする。
「あの脳なしの莫迦鬼が向かったの?」
「はい!」
「アナタたちも脳なしだわ!」
 目の前にいた兵士の股間をブーツの踵で蹴り飛ばしたライザは、鼻で嗤いながら早歩きで坑道の入り口に向かって歩き出した。
 股間を押さえて蹲る兵士を見下げながら、
「ご愁傷様」
 と呑気にアレンは言って、ライザのあとを追った。そのあとを気の毒そうな顔をしたセレンがすぐに追う。
 魔導を孕む空気が漂う坑道の入り口に、三人は足を踏み入れた。

 白銀の長方形の箱。切れ目も繋ぎ目もない箱。その中にトッシュとリリスはいた。
 先ほどまで薄暗い坑道の中にいたせいか、眩しい光で目が霞む。
 目が落ち着いてきてもなにも変わらなかった。やはりなにもない部屋。
 ざっと辺りを見回したトッシュが呆れた声を響かせた。
「なんだここは?」
 期待していたものがなにひとつない。
 空っぽの部屋の床に、トッシュは胡坐をかいて手に顎を乗せた。
「俺様はここになにをしに来たんだったか?」
 苦笑する横で老婆の声でリリスが笑う。トッシュがヘルメットを取っているのに対して、リリスはまだフルフェイスのヘルメットを被っていた。
「ほほほっ、現代人は古代人よりも頭が悪くなったのかね。エネルギープラントはこの部屋の床下に眠っておるのじゃ」
「なにっ?」
「あの時代はなんでも収納して隠してしまうのが流行での、エネルギープラントも隠してあるのじゃ」
「この部屋のどこにもスイッチは見当たらないが?」
 トッシュの言うとおり、部屋のどこにもスイッチはない。凹凸すらなく、切れ目すらない部屋のどこにモノを隠せるのか?
 未だ武装兵の格好をしたリリスは、優雅な足取りで部屋の中心に向かった。果たして、フルフェイスの奥に隠されたリリスの顔は今?
 部屋の中心で足を止めたリリスは床に肩膝を付け、右手を天井高く上げ、床に向かって振り下ろそうとした刹那、リリスの動きが止まった。
 床すれすれでピタリと手を止めながら、リリスは部屋の入り口に視線を移動させた。
 腰を曲げて頭を下げた巨人が部屋の中に入って来た。
 立ち上がった男の背の高さは三メートルを越えていた。上半身裸の巨人の胸板は鉄板のようで、そこから伸びる腕は丸太のように太く、そして理想的な逆三角形のボディが美の輝きを放っている。だが、その上についた頭はなんと醜悪なことか。
 殴られた瞬間みたいな顔をした坊主の頭の巨人が、手に持った金棒でブンと風を切った。
「オラノ名前ハ金鬼ダ。水鬼ヲ殺シタ奴、許シテオケネエ。ドコノドイツダベ?」
 胡坐をかいてるトッシュが首を横に振り、リリスもぬけぬけと首を横に振った。
「わしじゃないよ。水鬼なんて奴の名前、はじめて聞いた」
「嘘付クデネエ、オマエラノ仲間ガ水鬼ヲ殺シタノハワカッテル。オラ怒ッタ!」
 突然金棒を振り回し暴れ出そうとした巨人を近くにいた兵士が止める。せっかく開いた〈扉〉の中で暴れられ、施設を破壊されてしまっては元も子もない。だが、暴れまわる巨人を静止させることはできなかった。
 金棒が轟々と風を唸らせ、兵士のヘルメットの中味を砕いた。銃弾を弾き返すヘルメットも、中味は打撃による衝撃に耐えられなかったのだ。地面に倒れた兵士のヘルメットの中は崩れた豆腐のようになってしまっている。
 さすがに身の危険を感じた残りの兵士はライフルを構えようとしたが、その前に殴打され地面に沈んだ。巨人の割には動きが早い。
 仲間殺しをした巨人金鬼は地面に足音を響かせながら、胡坐をかくトッシュの前に立った。
「オマエガとっしゅカ?」
「ああ、俺様がトッシュ様だ」
 トッシュは立ち上がったが、巨人との体格の違いは明らかだ。これでもトッシュは体躯もよく、身長も一八〇センチを越える。それでも、まるで大人と子供に見えてしまう。
 首を曲げて上を向くトッシュと金鬼の視線が合致する。どちらも負けず劣らずの鋭い眼をしている。
「とっしゅト言ウ男ヲ殺セ言ワレテル」
「殺れるもんなら、殺ってみな!」
 遥か頭上から振り下ろされる金棒を後ろに飛び退き躱したトッシュは、愛用のハンドガンを抜いて引き金に手を掛けた。
 火を噴く銃口。
 放たれた銃弾は三発とも命中した。
 トッシュが眼を剥いた。
「嘘だろ」
 金鬼は胸板で銃弾を受け止めたのだ。そして、金属音を立てた銃弾は虚しく地面に転がった――金鬼の胸に傷ひとつ付けることもできず。
 トッシュも持つハンドガン――〈レッドドラゴン〉は、五センチの鉄板を貫通する威力を誇る大口径の銃だ。それが肉すら皮膚すら貫通できなかった。
「オラノ身体ハ鋼鉄ヨリモ硬イ。銃弾ナンテ恐クナイゾ」
 つまりトッシュのハンドガンは武器としての意味を成さなくなった。
 頭を抱えるトッシュがリリスをチラリと見るが、
「年寄りのわしを扱き使う気かい? わしはここでおぬしらの戦いを見ておるから、思う存分戦うがよい。幸い、この部屋はおぬしらがいくら暴れても壊れんようになっとるでな」
 視線を巨人に戻したトッシュは床を駆けた。
 敵と距離を取りながら、作戦を練る。が、武器の効かぬ相手とどう戦う?
 金鬼は金棒を無鉄砲に振り回しトッシュを追いかけてくる。巨人の割には意外に動きの素早い金鬼だが、トッシュの動きの方が素早さでは上回っている。それに金鬼の武器が金棒ということもあって、近づかれなければ負けることはない。だが、いつまでも逃げ回っているわけにはいかないだろう。
 部屋中を駆け巡りながらトッシュは金鬼の金棒を見ていた。あの威力は先ほど目の当たりにしている。一発でも喰らえばアウトだ。それでもトッシュは接近戦を目論んでいたのだ。
 床を蹴り上げたトッシュが速攻を決める。
 金鬼との距離を一メートルに縮めたところで、トッシュが〈レッドドラゴン〉を構える。だが、金棒が地面を割るように振り下ろされて、トッシュの鼻先を通過して地面を叩いた。
 グォォォン! と床が唸り声を上げるが、床にはなにひとつ傷が付いていない。リリスの言うことは本当だったらしい。
 肝を冷したトッシュは再び金鬼を間合いを取っていた。
「ふぅ、死ぬところだったぜ」
 冷や汗をぬ拭ったトッシュが再び速攻を決めた。
 狭まる金鬼との距離。
 トッシュには振り下ろされる金棒がスローモーションに見えた。
 遥か頭上から振り下ろされた金棒は鼻先を通過し、床を力強く叩こうとしていた。トッシュはこの刹那に全神経を集中させた。
 ――僅かな隙を突く。
 〈レッドドラゴン〉の照星を通して照準が定められた。
 引き金が引かれ、銃口が火を噴き、また火を噴いた。
「ギャアァァァァァッ!」
 奇声をあげた金鬼は金棒を投げ捨てて、両手で顔面を覆って床に膝を付いた。
 続けざまに発射された銃弾は確かに金鬼を貫いたのだ――金鬼の両眼を。
 指の間から血を滴り落とす金鬼は床の上を転げまわりながら泣き叫んでいた。これほどまでの苦痛は、この鉄巨人にとって初めてものだったのだろう。
 仰向けになって天井に咆哮する金鬼の口の中に冷えた金属が突っ込まれた。
「俺様の勝ちだ」
 金鬼の口に突っ込まれた銃口がなんども叫び声をあげた。
 飛び散る血飛沫が〈レッドドラゴン〉を持つトッシュの手を紅く染める。
 やがてカチカチと音を鳴らした銃は弾切れを起し、トッシュは血まみれになった金鬼の口から銃身を引き抜いた。
 もうすでに金鬼は息を引き取っている。それも最初の数発目には息を引き取っていた。それがわかっていながらトッシュは撃ち続けたのだ。
 屍体の傍らに跪いたトッシュは、血だらけになった手と銃を金鬼のズボンの布で拭った。普通の神経を持つ者がする行為ではない。トッシュの持つ名――〝暗黒街の一匹狼〟の由縁は、トッシュが単独行動を好むためではなく、誰もトッシュと組みたがらないために付けられた名前だったのだ。
 立ち上がったトッシュの視線に三人の人物が目に入った。
「なんでその女と一緒にいる?」
 トッシュの問いはすっ呆けた顔をしたアレンに向けられたものだった。
「一時休戦」
 簡潔に述べるアレンをすぐさまセレンがフォローする。
「あ、あの、わたしの命を保証してもらう約束もして……そのぉ」
 フォローになっていなかった。
 鬣を靡かせながら〝ライオンヘア〟が一歩前に出る。
「一時休戦して、お互い無意味な争いはやめたのよ。それにしても、前よりヒッドイ顔ね、この莫迦鬼」
 床に転がる屍体にライザは言葉を吐き捨てた。決して仲間とは思っていない口ぶりだ。
 屍体の横を素通りしたライザはリリスの前に立った。
「アナタが〈扉〉を開けてくださった方かしら?」
「いかにもそうじゃ、ライザちゃん」
「あら、アタクシの名前を知っているだなんて、光栄だわ」
 なにもない部屋を見回したライザが言葉を続ける。
「ところでエネルギープラントはどこにあるのかしら?」
「わしが目覚めさせようとしたところで、そこで眠る木偶の坊が邪魔に入ったのじゃ」
「あら、なら殺されて当然ね。では、さっそくだけどエネルギープラントを出してくれないかしら?」
「よいじゃろう」
 部屋の中心まで歩いたリリスが足を止め、再び床に肩膝を付け、先ほどと同じように右手を天井高く上げ、床に向かって振り下ろそうとした。
 その刹那、床に付いたリリスの手を中心して強風が吹いた。リリスの一番近くいたライザが後ろに吹き飛ばされたほどの強風だ。
 風はその勢いを増し、光の波紋が部屋の中心から放たれ、光の通過した床には魔方陣らしき紋様が描かれていた。
「娘よ、お目覚め!」
 リリスの声が響いた。妖女リリスの声がフルフェイスのヘルメットの奥から響き渡った。
 部屋中が目も開けられぬほどの眩い光に包まれ、それが合図となって部屋中からモーター音が轟々と鳴り響いた。
 光の渦の中で歯車もまた、なにかに共鳴するように激しく回転していた。

 その日、クーロンが局地的な地震に見舞われた。
 時間にして一〇秒にも満たなかった揺れは、轟々と地獄の叫びをあげながら地面に亀裂を走らせ、街を闊歩していた多くの者が足を取られ亀裂の中に呑まれていった。
 悲鳴があがり、幼子が泣く声や獣の咆哮は、地響きに掻き消された。
 悲痛の声をあげたのは人や獣だけではない。建物や道や風さえも声をあげ、ガラス製品の割れる音が街のあちらこちらから鳴り響き、街中の点けてもいない電気が勝手に点き、蛍光灯や電球が弾け飛んで割れた。
 魔導炉からのエネルギー供給は一時的にストップし、電気系統のトラブルや二次災害による事故や火災が起きた。そして、多くの場所で被害が出るとともに死傷者も出てしまった。
 これが自然災害ではなく、あるモノによって引き起こされた地震であることを知っているのは五人のみだ。その五人は今、クーロンの地下にいる。
 銀色の箱は凄まじい輝きを放ち、リリスが部屋の中心から少し離れると、その床から鳴り響くモーター音とともに煙が立ち昇り、筒状の物体がせり上がってきた。荘厳とさえ言えるその登場は、神の光臨を思わせたほどだ。
 激しい揺れによって壁に叩き付けられていたセレンだったが、やっと揺れが治まり、光も治まってきたところで、自然と部屋の中心に向かって足を運ばせていた。そう、部屋の中心に現れたモノに惹き付けられるように、足が勝手に動いてしまったのだ。
 部屋の中心に現れた筒状の物体は、直径一・五メートル、高さ二メートルほどの液体が満たされた硝子ケースで、中には人型をした物体が入っていた。
 硝子ケースに片手をつけたセレンは、中に入っている物体に魅了されていた。
「……綺麗」
 表現力の乏しい言葉だが、そうとしか言えなかった。
 中に入っていたのは可憐な〝少女〟だった。
 硝子ケースの中に入っていたのは十三、四歳の〝少女〟で、衣服などはまったく身に付けていなかったが、その代わりに白と紅の翼が身体を包み込み、膝を抱えるようにして〝少女〟は安らかに眠っていた。その表情はまるで天使のように安らかで、世の中の穢れを知らぬ純粋無垢な顔をしていた。
 腕組みをしながら〝少女〟を見るトッシュが、難しそうな顔をした。
「これがエネルギープラントか?」
 トッシュの横でライザも難しい顔をしていた。
「人型とは聞いていたけど、ただのキメラにしか見えないわ」
 キメラとは獅子の頭を持ち、山羊の胴に蛇の尾を持つ怪物ことで、異なった遺伝子型が身体の各部で混在する生物のことも指し示す。
 誰にも気づかれずに、ローブを纏った老婆の姿になっていたリリスが、硝子ケースの中にいる〝少女〟を懐かしい眼差しで見つめていた。
「人型エネルギープラントのゼロ号機じゃ。これが最初で最後の人型エネルギープラントじゃよ」
「開発が打ち切りになったということか?」
 トッシュがそう尋ねると、リリスは深く頷いた。
「そうじゃ。あまりにも強大な力を持つがゆえに、造られたのはこれ一機のみ。そして、この子の存在は歴史から抹消され、地下深くに厳重に封印されたのじゃ」
 そんなものをなぜリリスは今更封印を解く気になったのか?
 リリスは深い皺の刻まれた顔で哀愁を浮かべた。
「この子を永遠の眠りに付かせたのはわしらの勝手じゃ。この子が望むようにしてやるのもよいじゃろう。たとえ世界が滅びようとわしには関係ないからの、ほほほっ」
 硝子の中で眠る〝少女〟に世界を滅ぼすほどの力があるのか。だとしたら、この〝少女〟は、天使ではなく悪魔だ。
 四人が硝子ケースの近くに集まる中、ただひとり遠く離れた場所で壁にもたれ掛かっている者がいる――アレンだ。
 歯車の音は鳴り続け、アレンは額から冷たい汗をかいていた。
「わけわかんねえ……」
 それはアレンにも理解しがたい、今までに経験したことのない現象だった。
 近づけば近づくほど〝身体〟が苦しくなる。けれど、アレンは硝子の中で眠る〝少女〟に呼ばれていた。アレンは今、矛盾という壁に板ばさみにされている状態だった。
 蒼ざめた顔をしているアレンに気が付いたセレンは、少し慌てた表情をしてアレンの元へ駆け寄ってきた。
「アレンさん大丈夫ですか、顔色が悪いですよ」
「腹が減っただけ」
「はい?」
 不思議な顔をしたセレンは不思議な音を聞いた。それは腹の虫が鳴く音ではない。もっと奇妙な音だ。その音が歯車の回転する音だということをセレンは知る由もない。
 セレン以外のものはアレンを気にすることなく、硝子ケースの前で話を続けていた。
「中から出して平気か?」
 と聞きながらトッシュはリリスに視線を向けた。
「出してもいいのじゃが、そのときは子のが目覚めるときじゃ」
「俺様に装置全体を運ぶ術はない。となると、中味だけを運ぶしかないな」
「おぬし、本当にこの子を目覚めさせる気かい?」
「もちろんだ。でなきゃ、ここまで来た甲斐がないだろう」
「ちょっと待ってくださらない、アタクシのことをお忘れかしら?」
 二人の会話にライザが割り込んだ。
「アタクシ――いいえ、帝國側としても、このエネルギープラントの所有権を主張するわ」
「ちょっと待て、〈扉〉を最初に発見したのも、この部屋に入ったのも、俺様が先だ」
 少し声を張り上げたトッシュの眼前に、長く伸びた人差し指が立てられ、ライザが舌を鳴らしながら人差し指を横に振った。
「残念だけど、この土地は帝國が買収したわ。だからこの土地から出てきたものは、帝國のもの」
「それは地上の空き地の話だろう。おそらくこの上は街の中心部、空き地から遠く離れた場所だ。それでも権利を主張するか?」
「だったら、この場で殺り合うかしら?」
 ライザの手は白いコートの内側に差し込まれ、トッシュもそれに応じて腰に手を掛けようとしたときだった。〝少女〟の口から小さな泡がシャボン玉のようにいくつも吐き出されたのだ。
 思わずライザとトッシュは〝少女〟に目を向けた。
 〝少女〟の安らかな表情はなにひとつ変わらない。ただ、小さな口から泡が吐き出されただけだ。けれど、誰もがそれを予兆と感じた。
 歯車が鳴っている。
 ――呼ばれている。
 セレンはゆっくりと歩くアレンの背中を追っていた。
 硝子ケースの前に立っていた三人は、なぜかアレンに道を開けた。それは本能的なものだったに違いない。
 〝少女〟を包んでいた白と紅の翼が水の中で揺れ動き、閉じられていた瞳が微かに動く。そして、リリスの瞳が妖しく輝いた。
「ほほほっ、共鳴しているようじゃな。わしが目覚めさせんでも、この子が目覚めるようじゃぞ」
 その言葉はすぐに実現した。
 アレンと〝少女〟の距離が一メートルを切ったとき、〝少女〟を包んでいた硝子ケースが、シャボン玉が弾けるように跡形もなく割れた。それはまるで儚い夢が弾けたように。
 〝少女〟を優しく包み込んでいた溶液は、壁を失い外に流れ出し、七色に輝いた。そして、すぐに蒸発して消える。すべてはおぼろげな記憶と化したのだ。
 白翼が開かれ、紅翼が開かれ、そこに現れた一糸纏わぬ清らかなる〝少女〟の裸体は、瑞々しさを放ち輝いていた。まさにその姿は狂い無き創造物。神ですら創らなかった美を、古のヒトが創り出していたのである。それは果たして神をも畏れぬ大罪か?
 静かに開かれた〝少女〟の瞳が、目の前にいる〝少年〟を寝ぼけ眼で愛くるしく見つめた。
「私と……同じ……」
 小さな声を漏らした〝少女〟は赤子のような無邪気な笑みを浮かべた。
 純粋過ぎるが故の不自然と底知れぬ恐怖を感じたライザが微笑んだ。
「いいわ、最高よ。この子はアタクシが預かるわ」
 素早くライザが〝少女〟の腕を掴むが、掴まれた当の本人は自分の置かれている状況が理解できないのか、きょとんとした表情をしながら真ん丸の瞳でライザを見つめている。
 〝少女〟を我が物にしようとするライザに対して、トッシュが〈レッドドラゴン〉の銃口を向けた。
「可愛い子の独り占めはよくないな」
「あら、早い者勝ちじゃなくて?」
「四対一だ」
 この言葉に対して、すぐにセレンが声を荒げた。
「わたしを数に入れないでください!」
「わしも入れないでもらおうかの」
 セレンとリリスに嫌な顔をされ、頭を掻いたトッシュはアレンに視線を移した。するとアレンは、今までにないほどの真剣な顔をしているではないか。
「その子を外に出しちゃいけない……よーな気がする」
 と、そのままリリスに視線を移して言葉を続けた。
「あんたはやっぱ糞婆だ。なんで封印を解いたんだよ!」
「わしは自由気ままに生きているだけじゃ」
「糞婆!」
 リリスを罵ったアレンはライザに視線を戻して、〈グングニール〉を構えた。
 ――これで二対一。ハンドガンを構える〝少年〟と〝暗黒街の一匹狼〟、〝少女〟を人質に捕った〝ライオンヘア〟。互いに対峙し一歩も動かない。
 ライザの身体が霧の中にいるように霞んだ。だが、すぐになにごともなかったように輪郭がシャープになり、ライザが舌打ちをした。
「ここじゃ無理みたいね」
 いったいなんのことを言っているのか? それに気づいたのはリリスとアレンだった。しかし、声に出したのはアレンのみだ。
「空間転送か!」
 いつかの市場でアレンの前からライザが突如姿を消したあの現象。だが、この白銀の箱の中ではその効果を発揮できなかったのだ。
 〝少女〟の腕を強く掴んだライザが床を力強く蹴り上げる。
 出口へ走るライザの背中を追いながらトッシュが叫んだ。
「攻撃するな、〝少女〟を無傷で奪還しろ!」
「言われなくてもわっかってらーっ!」
 逃げるライザをトッシュとアレンが素早く追う。しかし、ライザの勝ちだ。
 白銀の箱を出たライザは後ろを振り返り妖しく微笑んだ。
「では、御機嫌よう」
 ライザの身体とともに〝少女〟の身体が霞んだ。
「セレン捕まえろ!」
 それはアレンの叫びだった。
 アレンの視線の先にはトッシュが居り、その先には出入り口付近で突っ立っているセレンがいた。この距離ならセレンが一番近いとアレンは判断したのだ。
 突然のことにセレンはびっくりしながらも、すぐに自分のするべきことに気づき、〝少女〟に手を伸ばした。
 ――そして、消えた。
 ライザと〝少女〟が空間に解けるように消え。〝少女〟の腕を掴んだセレンもまた、空間に呑み込まれるようにして姿を消してしまったのだ。
 三人もの人間が消えてしまうという不可解な現象を前にして、トッシュは口を半開きにしながらアレンとリリスに顔を向けた。
「なんだありゃ、人が消えたぞ?」
 それはトッシュにとってはじめて見る光景だった。魔導というものが、この世に存在していることを理解しながらも、人が消えるなどという現象は信じがたいことだったのだ。
 床に胡坐をかき頭を抱えるトッシュのもとにリリスが歩み寄った。
「あれは空間転送じゃな」
「空間転送ってなんだ?」
「人を瞬間的に移動させる手段じゃよ。とは言っても、決まった場所にしかいけないうえに一方通行じゃ。街の外に飛空挺が停まって居ったことを考えると、あの中に移動したのかのお?」
 手に顎を乗せて考え込みはじめたトッシュの前にアレンが座った。
「仕事どーすんだよ。あの〝少女〟を奪還しに行くのかよ?」
「行かない」
「はぁ!?」
 それはアレンにとっても予想だにしなかった返事だった。
「行かないと言ったんだ。ミッションは失敗、おまえへの支払いは半額の五〇〇〇イェンだな」
「はぁ? ちゃんと全額支払えよ」
「仕事に失敗したんだから、半額だけでも払ってもらえるだけ感謝しろ」
「もういらねぇーよ。あんたから一銭ももらわねえ。だから今後一切俺にかかわるなよ糞オヤジがっ!!」
 顔を真っ赤にしたアレンが、のっしのっしと大股開きで出口に向かって行く。そんな怒りを露にするアレンの背中に、飄々とした声でリリスが声をかける。
「どこに行くのじゃ?」
 リリスの呼び止めに、アレンは顔を蛸みたいな真っ赤にして振り返り、大声で怒鳴った。
「あんたも今後一切俺と関わるなよ! あんたらと組むとロクなことがないっつーことに気づいた。……糞っ!」
 アレンは独り坑道の奥へと消えていった。

 待遇としては牢屋に入れられなかっただけマシだろう。それが自分を慰めるセレンの考えだった。
 部屋は一人でいるには広く、床には金糸と銀糸の刺繍がされた赤絨毯が敷かれ、テーブルや椅子といった家具にはこみいった曲線模様の細工がされ、部屋は華やかな色彩を放つロココ様式にまとめられていた。
 豪華絢爛なこの部屋にもてなされるのは、普段であれば一流の貴族に違いないが、今この部屋にいるのは、汚れた僧服を着た十五歳の小娘だ。釣り合いが取れていないのが目に見えて明らかだ。
 こんな部屋に入れられている以上は、立派な客人として迎えられていると思いきや、どうやら違うらしい。ドアは鍵が掛けられておらず開きっぱなしになっているが、その先には見張り役の男が立っており、窓はもとから開かぬように嵌め殺しの窓になっている。これでは逃げようがない。
 セレンは部屋中を意味もなく歩き回った。やることがないのだ。
 窓の外に広がる光景は、朱色に染まったクーロンの街だ。朱色に染まった空へ街から吐き出される黒い煙が伸び、街はすでに地震から立ち直り、二十四時間眠らぬ街にふさわしい活気を取り戻している。
 セレンはクーロン地下坑道からここ――〈キュクロプス〉艦内への空間転送に巻き込まれてしまった。そして、すぐにこの部屋で軟禁状態にされ、〝少女〟がどこに連れて行かれたか知らない。
 部屋は今セレンがいる場所の他に寝室とシャワールームがある。なに不自由ない部屋だが、それは囲いの中の自由だ。こんなところにいられない――というのが、セレンの気持ちだった。
 どこでどう運命を見誤ってしまったのか。アレンと出会わなければ、もっと平凡なシスターとして一生を終えていただろう。いや、アレンと出会う前の時点で、裏路地に入ってさえいなければ、あの時間にあの道を、買い物を――運命の鎖を辿れば尽きることない。
 部屋を歩き回っていたセレンはシャワールームに足を運んだ。シャワーを浴びるためではない。逃げ道を探すためだ。
 天井を見上げた視線の先に、通気孔の入り口が見えた。蓋が閉まっているが、簡単に外せそうで、小柄なセレンならば中に入れるくらいの大きさだ。
 天井までの高さはそれほど高くないが、セレンが両手をめいいっぱい上げてジャンプしても届きそうもない。
 部屋の外の見張りに悟られぬように、セレンはそっと椅子を一つ運んで来ると、通気孔の真下に置いた。
 椅子に乗ったセレンが両手を上に伸ばすと、楽々と天井に手がついた。これで上に登れる。
 通気孔の蓋を開けたセレンは、暗闇の中に恐る恐る手を入れ、縁に手を掛け、肘を掛け、踵が少し浮いた。
 ぐっと細い腕に力が入り、踵がゆっくりと椅子の上に降りた。
「登れない」
 肘を掛けたところで足が浮いてしまい、それ以上動けない。筋力のないセレンには、とても通気孔までよじ登ることができないようだ。
 小さな口元から、ゆっくりと息を吐いたセレンは、心の中で数を数えた。
 三、二、一――。
 椅子を踏み台にしてセレンが勢いよく飛び上がった。
 片足が椅子の背もたれに引っかかり、椅子が大きな音を立てて床に倒れた。
 通気孔の中に両肘を掛けられたのはいいが、足場を失い、力も入らず、セレンは足をバタつかせながら、その場から動けなくなってしまった。
 やがて部屋の外から物音を聞いて駆けつけて来た見張り役の兵士に、ライフルの銃口を向けられてしまった。
「そこでなにをしている? 早く降りて来い!」
 セレンからは下にいる兵士の顔が見えなかった。顔を通気孔の中に突っ込んでいる。
 声に命じられるままにセレンは降りようとしたが、下が見えないために床までの距離が掴めず、
「すみません、降りるの手伝ってくださいませんか?」
 と暗い通気孔の中に声を響かせた。
 どこからかため息を吐くような声が聞こえ、セレンの両足が抱きかかえられるように掴まれた。
「ゆっくりと手を放して降りて来い」
「ありがとうございますぅ」
 床の降ろされたセレンは、そのまま腕を掴まえれ、リビングまで歩かされると、銃口を向けられ椅子に座らされた。
「じっと座っていろ」
「はい」
 力ない声でセレンは返事をした。
 状況は完全に悪化した。
 手足を縛られることはなかったが、椅子から一歩も動けず、常に自分に銃口を向ける兵士が凛とした態度で立っている。セレンは目を伏せ、重いため息を吐いた。――逃げ出そうなんて考えなければよかった。
 そもそもセレンひとりで逃げられるわけがない。それに逃げる途中で銃弾に晒される可能性は大いにある。そう考えると、セレン身体をゾクゾクとさせて身震いをした。
 最初から殺す目的なら、こんなところに閉じ込めておくはずがない。じっとしていれば殺される心配はない。そう思ったセレンは運命に身を任せることにした。
 だが、しばらくしてセレンは足をムズムズと悶えるように動かしはじめた。
 妙な動きをするセレンに対してライフル銃を構え直した兵士が聞く。
「どうした?」
「あの、えっと……トイレに行きたいのですが?」
 顔を真っ赤にしたセレンは恥ずかしそうに言った。そう言えば、ずっとゴタゴタに巻き込まれ、トイレに行く暇などなかったのだ。
 尿失禁しそうな強い尿意を催し、寒気がして鳥肌が立ったセレンは、相手の承諾を得る前に立ち上がった。
「ごめんなさい、我慢できません!」
「仕方ない、俺の前をゆっくり歩け」
 背中に銃口を突きつけられ、トイレに向かってゆっくりと歩き出した。早く歩きたいのは山々だが、ゆっくり歩けと命令されている上に、走りなどしたら恥ずかしいことになってしまいそうだった。
「扉は開けたままにしろ」
 トイレの前に来たところで、兵士がとんでもないことを言い、セレンは顔を真っ赤にして眼を剥いた。
「な、なんでですか!?」
「可笑しな真似をしないとも限らない」
「窓もない密室から逃げられるわけないじゃないですか!」
「わかった、ドアは閉めていい。その代わり早く済ませろよ」
 ドアを閉めて密室の中でひとりになったセレンは、僧服の裾を巻く仕上げパンティを下ろすと便座に腰掛けた。
「はぁ」
 自然と安堵のため息が漏れ、セレンはふと天井を見上げて、大きな目をいつも以上に大きく開けた。
 トイレの外で待っている兵士はライフルの銃口を天に向けて構え、微動だにせずセレンのことを待ち続けていた。
 三分の時間が流れ、五分を過ぎた。
 なにか可笑しいと思った兵士はトイレのドアを強く叩いた。
「早く出て来い!」
 少し強い口調で言ったが、応じる答えはなく、しーんと静まり返っている。まるでなかに人がいなようだ。と、ここで兵士ははっとした顔をしてドアノブに手を掛けて、壊れんばかりに強く廻した。
「返事をしろ!」
 返事はない。ドアも開かない。――してやられた!
 兵士は足を上げてドアを蹴破ろうとしたが、足跡が付いただけでびくともしない。
 已む無く兵士はライフル銃を構えた。艦内での銃の使用は基本的に制限があるが、これは緊急事態だった。
 ドアノブに三発の銃弾を喰らわせ、ドアを蹴破り中に突入した兵士は辺りを見回した。
 一般人には不必要と思える大きな個室には、洗面台が設置され、便器の蓋は閉められ誰も座っていない――もぬけの殻だ。ただ、びゅうびゅうと風の音が鳴っている。天井の通気孔が開いていた。そこからセレンは逃げたのだ。
 通信機でどこかに連絡をした兵士は、閉まっている便器の蓋に足を掛けて、すぐに通気孔の中に入っていた。
 そして、少し経ったところで、洗面台の下に設置されていた棚の蓋が内側から開かれ、セレンがひょっこり顔を出した。彼女はずっとトイレの中で息を潜め、じっと兵士が通気孔に入ってくれるのを祈っていたのだ。セレンの作戦にまんまと敵は嵌ったわけだ。と言いたいところだが、これは不幸中の幸いがもたらした出来事だった。
 本当は通気孔から逃げようとしたのだが、またしても背が足りなかったのだ。セレンが右往左往していると、外から兵士の怒鳴り声が聞こえ、慌てて彼女は棚の中に隠れたのだ。そして、運は彼女を味方した。
 だが、これから先、セレンはこの敵陣の中からどうやって脱出する気なのだろうか。運もそうは味方してくれないだろう。そして、セレン自身も自分の運が、人よりも悪いことを身に沁みてわかっていた。
 頭を抱えたセレンは重い足取りで歩きはじめた。

「これが人型エネルギープラントかい?」
 少年とは言いがたい妖気を纏う皇帝ルオが尋ねた。
「ええ、そうらしいわ。検査はこれからしようと思っているのだけれど、なにからしようかしら?」
 ライザは硝子板を通して、その先の密室にいる〝少女〟を見ていた。
 冷たい金属の壁に包まれた部屋で、〝少女〟は瞬きもせず壁に一点を見つめ続け、ただじっと膝を抱えて座っているだけだった。逃げるでもなく、動くでもなく、声すら漏らさない。生きているのかと疑うほどだ。いや、はじめから〝生物〟ではないのかもしれない。
 〝少女〟が閉じ込められている部屋の壁は、魔導炉の爆発にも耐えうる超合金であり、硝子の板もただに硝子にあらず、魔導的なコーティングを施しており、周りの壁よりは脆いが、それでも壊されることなど在り得ない。魔導炉の小型版とも言える、人型エネルギープラントが突如爆発しようとも、絶対壊れない筈だ。筈というのは、〝少女〟の力が未だ未知数だからだ。
 白い布の服を着せられた〝少女〟は、まるで天上人のような雰囲気を醸し出し、肌は着せられた服よりも白く輝き、穢れなき純粋さをイメージさせた。そして、背中に生えた二対の翼が、天上人の雰囲気をよりいっそう強いものにする。しかし、片方の羽根は紅い。
「まるで天から降って来た〝少女〟だね。いや、堕ちてきたのか」
 悪戯な表情をして笑うルオに対して、ライザは深く頷いた。
「そうね、だから古代人は地の底に封印のでしょうね。魔導硝子越しでも、ゾクゾク感じるわ」
「魔導を帯びた風を纏っているのが、ここにいても感じられる。その〝少女〟は魔導の塊に等しいかもしれない」
「帝國の力――いいえ、貴方の力になるわ」
「朕に操れると思うかい」
「アタクシがお手伝いいたしますわ」
「それは頼もしい言葉だ。では、あとは君に全て任せるとしよう」
「畏まりました」
 紅いマントを翻し、部屋をあとにするルオの背中に一礼したライザは、再び檻の中の小鳥を見つめた。
 翼の生えた〝少女〟は尚も膝を抱えじっとしている。
 ライザにはひとつの疑問があった。
 ――古代人は、なぜこんなモノをつくったのか?
 そもそもエネルギープラントを造るならば、人型である必要はない。人型の方が不便であるし、造るのにも手間が掛かるはずだ。なのに、古代人は人型エネルギープラントを製造した。
 人型〝エネルギープラント〟というのは嘘、もしくは便宜上なのではないかとライザは考えた。古代人は〝人型〟のモノをつくろうとしたのではないか?
 ――では、〝少女〟はなんの目的で、この世に生み出されたのか?
 人型兵器――否、人型は兵器の形としては欠点が多すぎる。だが、それでも人は人型にこだわりを持つらしく、ゴーレム、ホムンクルス、自動人形、F男爵という医師は、死体を繋ぎ合わせ人型のモンスターを創り上げた。人はいつの時代も生命の創造を試み、神の真似事をしてきたのだ。
 古代人は初めから新たな生命を創ろうとしていた――それがライザの結論だ。
 ライザがこのような結論を出したのは、彼女自身が生命の創造主になろうと試みたことがあるからである。しかし、彼女は自分が納得できる結果を出せず、成功と言える例は一例もない。その成功の糸口が目の前にいる。ライザは心躍らせた。
 だが、問題はこれから〝少女〟をどう扱ってよいものか?
 せっかく手に入れたサンプルを壊すわけにもいかない。それに、小型魔導炉とも言うべき力を持つモノに、もしもなにかがあってからでは済まない。〝失われし科学技術〟はなにが飛び出すのかわからない、ビックリ箱のようなものなのだ。
 〝少女〟の翼が微かに煌き、光の粒子を呼吸するように放出している。
「翼は内部に溜まったエネルギーを外に放出するためのものなのね」
 ライザは自分の言葉に自分で納得し、深く頷いた。
 翼は空を飛ぶためのものではないだろう。あのような形状と大きさでは、ヒトが空を飛ぶことは物理的に不可能だ。できたとしても、それは翼が羽ばたく力によるものではなく、他の力の働きによるものだろう。
 ライザの考えでは、翼は〝少女〟の原動力になっている魔導エネルギーを体内から外部に排出するためのものであり、翼から零れる煌めきは魔導のカス――廃棄物に違いない。
 立てた人差し指を唇に当てたライザは、甘い息を漏らし考え事をすると、なにかを思い立ったように白いコートの裾を翻した。
 電子ロックにカードキーを差し込み、暗証番号を紅いマニキュアを塗った爪で押すと、金属の扉が横にスライドして開いた。その先にいるのは〝少女〟。
 ブーツの踵を鳴らし、ライザは優雅な足取りで〝少女〟の横に立った。
 どこを見ているのかわからない〝少女〟の瞳に、しゃがみ込むライザの姿が映し出された。
「アタクシの言葉が理解できるかしら?」
 なんの反応もない。
「創造主に魂を入れてもらわなかったのかしら?」
 〝少女〟の眼は死んでいた。
「でも、アタクシは見たわ。アナタの瞳に光が宿った瞬間を」
 それは〝少女〟が永い眠りから醒めたときのこと。〝少女〟は愛くるしい瞳をしながら、小さく呟いたのだ――『私と……同じ……』と。あのときと今、なにが違う?
「……あの子の存在」
 唇を舐めたライザの脳裏に浮かぶ〝少年〟の影。あの〝少年〟が鍵に違いないとライザは確信したのだ。
「――となると、あのシスターがやはり役に立ちそうね」
 シスターとはもちろん、シスター・セレンのことである。人質としての効果が今発揮した。あとは、セレンを出しにアレンを呼び寄せればいい。
「さあ、アナタはアタクシと王子様に会いに行きましょう」
 〝少女〟の腕を掴んだライザがゆっくりと立ち上がり、〝少女〟は抵抗することもなく、揺ら揺らと立ち上がった。
 虚ろな〝少女〟を外に連れ出そうとしたライザの足が止まった。
 静かだった部屋に通信機の音が鳴り響く。〝少女〟は音など聞こえていないように、なにも反応を示さない。虚ろなままだ。
 通信機に出たライザが艶やかに笑う。
「あのシスターも、見かけによらずおてんばさんだこと……ふふ」
 それは拘束中のセレンが逃げ出したとの連絡だった。
 掴まれていた腕を放された〝少女〟は、木の葉が舞い落ちるように床にへたり込み、ブーツを鳴らす音が遠ざかって行った。

 つづく



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