最終話_失なわれしアリス~そして、ルナティックハイへ~(2)
 巨大なペット小屋と化した屋敷に、ぽつんと残された黒猫。
「困ったわぁん……」
 マナは独りごちた。
 利己主義で、自己中で、世界は自分を中心に回ってるマナでも、とりあえず人間の血が通った人間だ。攫われたアリスを救おうと考えた。
 しかし、猫の躰でできることなど限られている。
 とりあえずマナは助けを求めることにした。
 装飾の華麗なクラシックな電話――しかもダイアル式でマナは知り合いのTSに連絡を取ろうとした。
 受話器からベルの音が聞こえ、すぐに相手が出た。
《はい、ジズシエスタです》
 若く少し声のトーンの高い女の子が出た。
「仕事の依頼よ、早く時雨ちゃんに代わって頂戴」
《時雨さんはもうTSの仕事をしていないんです、ごめんなさい。他のTSを当たってください》
「ハ~ル~ナ~! あたしの声がわからないのぉ~!」
《あ……マナさんですか?》
「そうよ、てゆーかあなたまだ仕事してるの? もうすぐ生まれるんでしょ?」
 まずハルナは雑貨屋ジズシエスタの経営者である。そして、妊娠10ヶ月だったりした。
《時雨さんが出かけていると店に誰もいなくなっちゃうんで》
「そーゆー問題じゃないでしょ~。バイトくらい雇いなさいよ」
《そんなお金ありませんよぉ。これから赤ちゃんだって生まれるんですからぁ》
「だったらまた時雨ちゃんがTSに復帰すればいい話じゃない?」
《ダメですよぉ! 赤ちゃんが生まれてくるのに、時雨さんにもしものことがあったら……この歳で未亡人だなんて死んでもイヤです!》
「あなたまだ19でしょ? 人生なんていくらでもやり直し利くわよ」
 若干の皮肉が込められていた。と言っても、マナはハルナとそう歳が離れているわけではない。ただ、二十歳以上と未満の差をマナはナーバスになっているのだ。
 こんな世間話をしている場合ではないとマナはハッとした。
「違うわ、こんな話してる猶予はなかったんだわぁん。時雨ちゃんはどうしたの、時雨ちゃんは?」
《だから出かけてますけどぉ》
「ったく、これだから……ハルナちゃんからもケータイ持つように言って頂戴。帰ってきたら伝言を伝えて、あたしのケータイに連絡いれないと末代まで呪うって!」
《それ困ります、末代ってアタシたちの子供って意味じゃないですかぁ!!》
「だったら今すぐ離婚でもなんでもしなさいよ」
《そんな理不尽な……》
「そういうことだから、さようなら」
 ガチャンと電話を切った。かなり一方的だ。
「……役立たず」
 と呟いてからマナは頭を抱えた。
 マナが黒猫に変身してしまう秘密を知る知り合いは少ない。その少ない中の時雨だったのだが、ケータイも持ってない原始人だった為に連絡がつかない。できれば秘密を知っている者に協力を仰いだ方がリスクが少なくて済むのだが……。
 事件の最大たる問題はアリスが攫われたこと。次に問題なのがセーフィエルと連絡が取れないこと。この2つ目の問題が事件をややこしくしているのだ。
 セーフィエルは謎の多い女だ。先ほど彪彦から聞いた話でさらに謎が深まってしまった。同じ師弟同士であるが、連絡先すら教えてもらっていない。マナは勝手にライバル心を燃やしているが、決して仲が悪いわけではないので悪しからず。
 もともと機械人形アリスはセーフィエルが製造したもので、マナに痛い目を見させるための殺人人形[キリングドール]だった。と、マナは思っていた。しかしどうやら真相は違うらしい。
 アリスは敵としてマナの前に現れ、さらに襲いかかってきたという既成事実はある。そして、アリスはマナの手によって改造され、マナの忠実……とは言えないが、メイドとしてマナ邸に住み込みで仕えることになった。
 筈だったのだが、常にセーフィエルは裏で糸を引き、実際にところはアリスは誰の僕であるかわからない。むしろ、誰の僕でもないのかもしれない。
 アリスとはいったい何か?
 果たしてその答えをアリス自身は答えることができるのだろうか。
 全てを答えられるのは、おそらくセーフィエルのみ。
「もぉ、セーフィエルちゃんったらどこにいるのよぉん!!」
 再びマナは受話器を握った。猫の手で器用にダイヤルを回す。
 呼び出しのベルが鳴り続ける。なかなか相手が出ない。
 堪え性がないマナは猫爪をガリガリしそうになるのを堪えるので必死だった。
「は~や~く~出なさいよぉ~ん!」
 それから十数秒待って、ようやく相手が出た。
《……マナちゃん……満月の日はあたしも辛いの知ってるでしょ?》
 マナが電話を掛けたのはゴスロリTSで有名な夏凛だった。
「知ってるわよ、でも緊急事態なのよぉん!」
《あたしのほうが緊急事態。今こうしてる間もマナちゃんのこと血祭りにあげたくて仕方ない》
「ごめんなさぁい、あたしが悪かったわぁん。どうぞお大事に」
 ガチャッとマナは受話器を置いた。
 マナと同様、夏凛も満月の日は危ない。二人は同じ人物に呪いをかけられ、それぞれ〝症状〟が異なっている。夏凛のほうは24時間、あることに悩まされていて、満月の晩はその副作用で血が騒いでしまうのだ。
 最初からマナは夏凛に連絡しても無駄だとわかっていた。だから先に時雨に連絡したのだが、それでも緊急事態なので一様連絡したまでのこと。
 黒猫の秘密を知っているのは、世界でたったの5人のみ。うち二人は今さっき電話をかけたTSの二人、残りはもっとも連絡が取りたいセーフィエル、攫われているアリス。そして、呪いをかけた張本人。
「絶対にありえないわ」
 最後の一人を思い浮かべてマナは首を横に振った。
 マナに呪いをかけたのは師匠であり、もっとも苦手として会いたくない人物。マナ以上に自分中心に世界の回ってる人物で、どう考えてもマナの頼みなど聞いてくれない。
 シャンデリアの電球が点滅して、どこも開いていないのに部屋に夜風が吹き込んだ。
 そこに佇む喪服のようなドレスを着た女。まるで夜そのもののような女が、いつしかそこに立っていた。
「アリスはどこ?」
 緩やかに流れる水のような声。
 マナは少し驚きながらも、まるで驚いていない表情をした。
「あらぁん、セーフィエルちゃんこんばんわぁん」
「そうね、挨拶がまだだったわね。けれど今は……アリスはどうしたのかしら?」
 静かな物腰でありながら、なんという威圧感。正直に言うことが躊躇われた。目の前で攫われたなど口にしたら、極寒の怒りがマナを襲いそうだった。
「ええっと、買い物に行ったのよ。そうよ、近くのコンビニまで」
「嘘はいけないわ。アリスは完全停止してから、6分以上が経過するとわたくしに分かる仕組みになっているの」
「なにそれ、知らないわよぉん?」
「教える必要があって?」
 十二分にある。けれど、ここではマナは口を噤むことにした。
 セーフィエルは辺りの気配を探るように部屋の隅々まで見渡している。
「微かに〈闇〉の匂いがするわ。ここに誰かいたわね……それでアリスはどうしたの?」
「……簡単に言っちゃうと、鴉を連れた男たちに攫われちゃったのよぉん♪」
 明るく言ってみたが、セーフィエルは感情を表に出せず、氷のような眼差しを床に向けている。
「影山彪彦……D∴C∴の残党が何を……」
 と呟き、セーフィエルは顔を上げてマナを見据えて言葉を続ける。
「貴女のところにアリスを〝預けて〟いたのは、わたくしのところよりは安全であると考えていたのだけれど……」
「あらぁん、今まであたしはアリスちゃんのお守りをさせられていたわけぇん?」
「お守りをしていたのはアリスのほうでしょう。プロトタイプとはいえ、〝アリス〟の心を受け継いでいる人形を……そうね、敵を皆殺しにしてでも奪い返さなくては……」
 夜風が渦巻くように吹いた。それは荒野に吹く風。
 マナは身を強張らせた。いつものセーフィエルと〝何か〟違うと感じた。
 そーっとベッドの下に身を隠そうとするマナに、静かな水面のようなセーフィエルの瞳が向けられた。
「さようならマナ」
 まるで冷たい死の宣告のようであった。
 しかし、マナは九死に一生を得たようで、セーフィエルは水面に落とした墨汁のよう揺れ動き、やがてその姿を完全に消失されてしまった。
 残されたマナは額の汗を拭った。
「ウチのセキュリティーをもっと万全にしなきゃいけないわぇん」
 一晩に2回も進入を許すとは、たとえ侵入者が類い希なる存在であっても許されない。
 すでにマナの頭の中はアリスのことより、新たなセキュリティー対策でいっぱいだった。別にアリスのことをおろそかにしているわけではない。黒猫にできる領分をわきまえ、類い希なる存在たるセーフィエルに全てを託したのだ。

 闇夜に潜む陰になりながら、セーフィエルは世界に溶けて移動した。
 誘拐犯はわざとらしく痕跡を残している。熟れて甘く魅惑的な匂いが残っている。甘いというのは比喩に過ぎず、それは溺れるほどに官能的な生と死、あらゆる欲の薫り。
 それは〈闇〉の放つ腐臭ともいうべきもの。
 たとえどんなに魅惑的であっても、人が手を伸ばしてはいけない禁断の罠。
 この薫りを道しるべのように残しているのは、それこそが罠。
 やがて痕跡は学校の校庭へ導いた。
 夜の学校は昼間とは打って変わって静かなものだ。
 ここで痕跡は途絶えた。
 校庭にはボール1つもなく、人の気配もない。では、敵は校舎で待ち受けているのか?
 ――否。
 セーフィエルは見えない壁にそっと触れた。結界だ。
 見えない壁は外部からの侵入者は拒む。
 だが、おそらく敵の予想していることだろう。
 セーフィエルの指先が見えない壁を通り越し、こちら側からはまるで指先が消失したように見える。そのままセーフィエルは内部へと進入した。
 内部に進入すると見えなかったモノが姿を現す。
 校庭の真ん中に立つ長身の男。その肩には鴉。
「わざわざこんなところまでご足労でした」
 恭しく彪彦は頭を下げた。その傍らにはウッドチェアに座らされたアリスの姿。項垂れたその姿は未だに機能が停止しているらしい。
 セーフィエルは足音も立てず彪彦に近づいた。ただし、一定の距離を開けた。およそ5メートル。
「D∴C∴の残党が、なぜこんなことをしたのかしら?」
「残党とは言葉違いです。まだ我々は解体もしておりませんよ」
「つまり求心力を失った今、それを取り戻す工作をしていると理解してよろしいかしら?」
「やはり貴女だと話が早くて助かります。もう察しがついていると思いますが、あのお方とのリンクが断たれ我々は窮地に陥っています。初めのうちはその事を隠して組織を動かして来ましたが、やはりそれには限界がありました。そして、もっとも問題なのは第二団[セカンドオーダー]が不老でなくなったことです。この特権を得るために活動している団員も少なくありません。不老でなくなった者たちは今や大あわて、その様を見ていると笑えるものがありますよ」
 丸いサングラスの下で薄ら笑いを浮かべた。
 魔導結社D∴C∴の本質を知るものは少ない。一般人から見れば、ただのテロ集団と見なされるだろう。しかし、その実体はもっと強大なモノのために動いている。
 彪彦からの話を要約すると、現在D∴C∴は〝あの方〟と連絡、ないしは供給される〝チカラ〟のようなモノを断たれていると考えられる。そして、そのことによりセカンドオーダーに所属する者たちが不老でなくなってしまった。

「わたくしは貴女も知っているとおり、すでに不老の存在ですから、目的は純粋なあの方への忠義で動いているんですよ。あの封印を解くことは貴女でもできないことを知っています。が、再びリンクを繋ぐ方法くらいは知っているのではないかと思いましてね」
「アリスと引き替えに、それをしろと言うのね。そう、過去のわたくしは〈闇の子〉の封印を解くことも目的のために辞さないと考えていたわ。けれど今は理由がない」
「交渉決裂ですか……本当は人質をこの人形娘ではなく、解き放たれた貴女の娘にしたかったのですが、どうしても居場所が掴めなくて。帝都政府も見つけられないくらいですしね」
「どちらにしても交渉は不可ね。交渉などせずとも、わたくしは人質を取り返す」
 セーフィエルの次の行動は彪彦にも読めた。人質の奪回。そのために、直接アリスに向かうか、それとも彪彦を葬るか。
 鴉が上空へ逃げ、彪彦はアリスに手を掛けようとした。
 だが、セーフィエルの扇から放たれた風が彪彦の躰を引き千切った。まるで彪彦の躰は霧のように、風によって掻き飛ばされたのだ。
 地面に迸って散らばった泥のような物質。人間の残骸とは決して思えない。
 セーフィエルはアリスを抱きかかえ、すぐに上空を見上げた。
「まだやるつもり……彪彦?」
 呼びかけられたのは鴉。
「さすがは貴女だ。一撃でわたくしの人形を破壊するとは……やはり、わたくしをよく知る貴女では分が悪い」
 その声は彪彦のものだった。そう、こちらの鴉こそが彪彦の本体なのだ。
 分が悪いことを知っていて策もなしに挑むことはしないだろう。
「いつ貴女に気づかれるか怯えていましたが、まだ気づきませんか?」
「この結界内部から外の様子がまったく伺えないことに何か関係があるかしら?」
 見えない壁の向こう側。学校の校舎やフェンスの向こうの道路。一見して不審な光景はない。だが、長くその光景を見続けていればいつか気づくだろう。
 景色がまったく動かないのだ。
「気づかれておりましたか、すでにこの場所は包囲されています」
 彪彦の言葉が終わると同時に、結界が音もなく解かれた。
 多勢に無勢。セーフィエル相手に何十人ものD∴C∴団員が待ち構えていた。
 生け捕りは殺害よりも困難だ。相手がセーフィエルならば尚のこと。
 東洋龍のような形をした金属のアームがセーフィエルに襲いかかった。さらに背後からはヨーヨー、地面からは幾本もの怨霊の手が伸びた。
 アリスを抱いた状態では、セーフィエルの技に制限がある。一人であれば敵の攻撃など難なく回避や無効化できるだろう。
 セーフィエルはアリスを抱きかかえたまま上空に飛翔した。
 しかし、金属アームが生き物のようにしつこく上空まで追ってくる。
 さらに〈輝く矢〉の乱れうちと、セーフィエルの頭上に落ちてくる稲妻。
 天空にセーフィエルは手を掲げたかと思うと、その手を振り下ろした。
 刹那、稲妻の進路が急激に変化して、金属アームに直撃した。
「あががっががっ!!」
 金属アームの先にいた巨躯の男が痙攣しながら倒れた。
 羽毛が落ちるようにセーフィエルが緩やかに地面に落下する。下では大勢の敵が待ち構えている。
 セーフィエルは異空間保管庫から魔導バッテリーを召喚し、そのバッテリーを目にも留まらぬ速さでアリスの背中に入れた。
「逃げなさいアリス」
 そう命じてセーフィエルは圧縮した空気を放ち、アリスを遥か上空に打ち上げた。
 ゆっくりと目を覚ますアリス。
 常人であれば上空で目を覚まし、ただただ混乱に襲われるだけだろう。だが、アリスは瞬時に理解した。
「コード000アクセス――60パーセント限定解除、コード005アクセス――〈ウィング〉起動」
 鳥の骨のような翼がアリスの背に生えた。
 さらにアリスは武装を続ける。
「コード006アクセス――〈ブリリアント〉召喚[コール]6[シックス]」
 召喚された6つの球体からレーザーを地上に向けて照射しようとしたとき、それを止めたのはセーフィエルだった。
「ここはわたくし一人に任せて逃げなさい。マナのところには戻らずに追っ手のこない場所へ」
 それは暗示のように、絶対服従の命令としてアリスに届いた。
 敵の目的はセーフィエル。だが、アリスのことを見す見す逃がすことはなかった。
 翼の生えた四つ足の獣がアリスを追おうとした。
 だが、驚くべきことが起きた。
 空を飛んでいた獣が地面に叩きつけられたのだ。さらに地上ではセーフィエル以外が蛙のように地面に這い蹲ってしまった。
 それとは反対に、アリスは磁石が弾き飛ばされるように急激に天空へ打ち上げられた。
「超重力発生装置よ」
 とセーフィエルは囁いた。
 アリスの飛行システムは半重力によるもので、地上の重力が上がったことにより、反発して天空にはじき飛ばされたのだ。
「わたくし独りであれば、貴方たちを滅ぼすことなど容易いこと……」
 セーフィエルは静かな月のように微笑んだ。

 つづく

 
エデン総合掲示板【別窓】
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