最終話_失なわれしアリス~そして、ルナティックハイへ~(4)
 機械人形である彼女は夢を見ない。
 なぜなら眠ることがないから。
 だから、アリスは虚無の中から目覚めた。
 少し眼[アイ]の様子が可笑しいように感じられた。目覚めたばかりで視界がぼやけているのだろうか――いや、人間でない彼女にそれはない。
 最後に残る記憶[メモリー]。
 そうだ、大きな損傷を受けて腕も下半身も失った筈。
 だが、腕の感覚も下半身の感覚もある。試しに失った筈の腕を眼の前に持ってくると、確かにそこには腕があった。
「おはようございますアリスさん。ご気分はどうですか?」
 聞き覚えのある男の声。そこに立っている長身の男。丸いサングラス。肩には巨大な鴉。
 記憶回路が混乱しているのか、すぐに名前が出てこなかった。
「影山彪彦……誰……アタシは知っている……アタシ……とは誰?」
 アリスは上半身を起こしておでこを押さえた。まるで人間のやる動作だ。
 泥人形の〈彪彦〉は興味深そうにアリスを観察している。
「少し記憶が混雑しているようですね。ここはわたくしの隠れ家です。他人を招き入れるのは貴女とシュヴァイツさんではじめてですよ」
 〈彪彦〉の視線を追ってアリスもそちらに顔を向けた。
 無機質な手術台に乗せられているシュヴァイツの姿があった。服を脱がされ、代わりに包帯を巻かれている。
 すでにシュヴァイツは目を覚ましているようで、躰を動かさずに口元だけで挨拶をした。
「やあ、おはようアリス君」
 アリス、アリス、アリス……その言葉がアリスの中で木霊した。
 混乱が激しく心を揺さぶる。アリスは怯えるように瞳を見開いた。
「アタシ……いえ、わたくしは……トラックの荷台に……違う……貴方の攻撃で重大な損傷を受けて機能を停止させた?」
「はい」
 と、〈彪彦〉は頷いた。さらに〈彪彦〉は続ける。
「すでにプロテクトと暗示は解きました。両方が掛かっていたようですね。生前の記憶にはプロテクトを、本人の個性には暗示を掛け、機械人形としての偽物の性質を与えられていたようです。今の貴女はご自分のことを『わたくし』と呼ぶ必要もないのですが、それは機械人形として目覚めたあとの記憶の積み重ね、習慣と新たな人格形成の言わば癖のようなものでしょう」
 アリスの場合は主人格が、機械人形後にあるようだった。まるで他人の記憶を持ってしまったような感覚。不思議で気持ちの悪い感覚だった。
 次から次へと引き出すことのできる記憶の引き出し。
「わたくしは死んだのですわね……姉とはあまり上手くいっていなかったよう……あまり思い出したくはなかったことが多い。でも、まるで他人事のようで、あまり苦しまずにいられる。本物のわたくしというべき存在を客観的に見ているわたくしがいる。そのことによって、自己の存在を個として認識できたような気がします。あくまで違う存在なのだと」
 本物と出会ってしまったときの恐怖。記憶を取り戻す前は、そのことによって自己が崩壊するのではないかと恐怖した。しかし、実際に記憶を取り戻してみると、客観的な記憶として処理されてしまった。
 本物ではない。しかし、偽物ではない。
 〝アリス〟から生み出された機械人形は、〝アリス〟とは別のアリスとなった。
 今なら本体の屍体と顔を合わせたとしても、似ているモノとしか思えないかもしれない。
 少し物思いに耽っていたアリスだが、ふと思い出したように顔を上げた。
「わたくしの身体[ボディ]はどうやって直したんですか?」
 〈彪彦〉は首を横に振った。
「直せませんでした。ですから、別のパーツで代用させて頂いたのですよ」
「だから稼働が少し鈍っているような感覚があるんですね」
「はい、首から下のパーツはほぼわたくしが用意したモノです。セーフィエルさんの技術には及びませんが、この帝都では最高峰の技術。見た目は前とさほと代わりませんが、性能に関しては雲泥の差がありますね。それにしてもセーフィエルさんの持つ技術は凄い、貴女を分解して大変勉強になりました」
 すぐにアリスは自分の機能を検索した。
 武装ゼロ、特殊機構〈コード〉へのアクセス不可。視力20パーセント以上低下、聴力20パーセント以上低下、外部装甲80パーセント以上の防御力低下、腕力・脚力・瞬発力などの運動能力70パーセント以上低下。
「少し人間の身体能力を上回る程度ですね」
 まるで人間に近づいてしまったようだ。機能だけでなく、心も。
 自分に心があることを今のアリスは強く実感していた。おそらく人間としての記憶が、そう思わせているのだろう。
 アリスは自分をじっと見つめている強い眼差しに気づいた。それは口を挟みもせず、アリスを見続けていたシュヴァイツだった。
「なにか?」
「アリス君の口調が少し変わったような気がしてね。しゃべり方だけじゃなくて、中身もだいぶ変わったようだけど」
「そうですか? 客観的に自分を観察してみるとそうですが、あまり実感として自分では変わった感じがしません。自然なことをして自分自身を受け入れているようです」
「本質が変わってないことを祈るよ。僕のお気に入りの君はそっちだからね」
 シュヴァイツは手術台から降り、畳んであった服に着替えた。
 ジャケットを羽織り着替え終えたシュヴァイツはアリスに顔を向けた。
「いつ出かける?」
「どういうことですか?」
「僕も影山さんも、今後の君の動向が気になるんだよ。まだ君についての興味が尽きない。次の大きな興味はどこかにあるセーフィエルの妹の屍体さ」
 あえて〝君〟とは言わず、〝セーフィエルの妹〟として、個々の存在だと言い分けた。
 アリスは自分の記憶を探った。
 知っている。セーフィエルが隠した屍体の在処。
 目覚めたときから彪彦やシュヴァイツに対する敵対関係は薄れていた。
「一緒に来ますか?」
 なぜそんな言葉が出たのだろう?
 屍体は自分ではない。だから会っても平気な筈。そう思いたいだけなのかしれない。だから、独りで会いに行くのは怖いのかもしれない。
「もちろんさ」
 シュヴァイツは答え、彪彦も、
「ええ、最後まで同行させていただきますよ。ですがシュヴァイツさん、貴方はまだ傷が癒えないのですから、もう少し休んでいたほうが良いのでは?」
「なにそれ、自分だけ美味しいことする気なのかい? 君はいつもやんわり人を出し抜こうとするところあるよね。だから信用ならないんだ」
「貴方こそ日頃から虚言が多いですよ」
「虚言だなんてとんでもない」
「では言い方を換えましょう。わたくしや他の階位の高い者に対して言い訳が多い」
「言い訳ではなくて弁解とかじゃないかなぁ?」
 おそらくシュヴァイツのこういうところを彪彦は言いたいのだろう。けれど、ここで一つ溜息をついて、話題を切り替えることにした。
「出かけましょう。シュヴァイツさん運転を頼みます」
「僕はこれでも病人だよ。車の免許くらい取ればいいでしょ」
「車は運転できますよ、ただ免許は持っておりません。長生きし過ぎるとそういうところで不便が出るものです。すでに戸籍上は死んだ人間ですから」
「偽造でも偽名でも、いくらでも免許を取得する方法あるでしょ……ったく、君こそ言い訳が多いじゃないか」
 彪彦は言い返さずに黒いコートを翻して部屋を出て行ってしまった。
 手術台の上に座っているアリスにシュヴァイツが手を差し出した。
「では行きましょうお嬢さん」
 エスコートの手を掴まずにアリスは床に降りた。そして、シュヴァイツと顔もお合わせず歩き出してしまった。
 独り残されたシュヴァイツは鼻から溜息を重らした。
「ん~、つれないなぁ」
 まだ痛む躰を引きずりながらシュヴァイツもこの部屋をあとにした。

 愛車のジャガーは2人乗りだった。
「これじゃあ影山さんは乗れないねぇ~」
 ワザとらしいシュヴァイツの言い草。
「乗れますよ」
 答えたのは〈彪彦〉は、そして彪彦が顎が外れるほど嘴を開けて〈彪彦〉を呑み込んでしまった。
 オープンタイプの座席の後ろ辺りに彪彦は留まった。座席と座席の間から顔を出す形だ。
 助手席にはアリス、もちろんシュヴァイツは運転席に乗り込んだ。
 エンジンを掛け、シュヴァイツは助手席に顔を向けた。
「それではアリス君、道案内をよろしく頼むよ」
「メイ区にお願いします」
 帝都の南に位置するメイ区は相模湾に隣接した都市だ。帝都最大の大学にして、最先端の魔導を学べる場所として有名な帝都大学もある。
 彪彦は『ふむ』と鼻を鳴らした。
「もしかして、アリスさんの祖父が所有していた屋敷でしょうか? いやしかし、あの場所はすでに我々が調査済みの筈だったのではなかったのか……」
「〝彼女〟の祖父については調べましたか?」
 アリスはあえて〝彼女〟と差別した。
「いえ、そこまでは調べておりませんでしたが」
「〝彼女〟の祖父はマジシャンだっだそうです。当時はまだ魔導が一般的でありませんでしたから、祖父はそういった形で自分の才能を生かしたんでしょうね。だから仕掛け[トリック]に長けていました」
「ほう、では屋敷には仕掛けがあると?」
「そうです」
 どんな仕掛けがあるのか、それをアリスが口にする前にシュヴァイツが阻んだ。
「おっと、レディはあまりおしゃべりではいけないよ。それじゃあオバサンみたいだからね。そのトリックとやらは着いてからのお楽しみでいいんじゃないかな?」
 アリスと彪彦は無言で同意した。先を急ぐ必要はない。目的地に着けばわかることだ。
 メイ区の郊外にあるその屋敷は西洋風の作りになっていた。長らくの間、人は住んでおらず、地元では不気味がられている。いや、この屋敷は人が住んでいたときも妖しげな屋敷であった。
 屋敷の扉や窓は当然のこととして閉め切られていたが、特別厳重な警戒や防犯システムなどはないようだ。大切なモノを隠して置くには安易すぎる。だからこそ彪彦たちはここを見過ごしたのだろう。
 厳重であればあるほど、そこに何か大事なモノがあると言っているようなもの。
 屋敷の扉の前に立ったアリス。
「どうやって進入したんですか?」
 これは以前ここを調べた彪彦に対する問いだ。
「〝鍵男〟は便利な男でして、その驚異から帝都政府から指名手配を受けているほどです。何せどんな金庫も開けてしまいますからね」
 いない者の話をされても何もはじまらない。
 シュヴァイツは手の指を大きく開き、強く握りしめてストレッチをした。
「仕方がないね、ドアを壊して入ろうか?」
 その提案もすぐにアリスに首を横に振られてしまった。
「いえ、用事があるのは中庭ですから、他に方法があると思います。空から入れればよいのですが……」
 〈ウイング〉召喚は使えない。
 この場ですでに空に飛んでいる者がいる。鴉の彪彦だ。
「わたくしの出番でしょうかね。口の中に入っていただけますか、中庭までお運びいたします」
「イヤだ」
 シュヴァイツは即答だった。
 『やれやれ』といった感じで彪彦は頭を振った。
「仕方がありませんね、お二人ともわたくしの足に片方ずつお掴まりください」
 か細い鳥の足は強く握っただけ折れそうだ。ましてひと一人と100キログラム以上あるアリスを引っ張り空に浮かぶなど……。
 漆黒の魔鳥は巨大な翼を羽ばたかせた。
 1度目の羽ばたきではまだ浮かない。2度目の羽ばたきでアリスの足が浮いた。3度目の羽ばたきで確実の空に舞い上がった。
「やはり重たいですね……シュヴァイツさん、やはり降りてもらえませんか?」
「あはは、面白いこというなぁ。僕の肉体は脆弱な人間なんだよ、死ぬに決まっているだろう」
 すでに地上は十数メートル下。3階建て屋敷の屋根が見え、その置くに五角形の中庭が見えた。
 アリスは今や水も止まってしまった噴水を指差した。
「あそこに行ってください」
 地上との距離が1メートルを切ったところでシュヴァイツが彪彦から降り、続けてアリスも地面に降り立った。
 枯れた芝生の地面。花一つ咲いていない閑散とした中庭。
 オブジェは目の前にある噴水のみ。だが、その噴水も止まり、濁った雨水が湛えているのみ。
 アリスは服が濡れることに構わず、その噴水の中に足を踏み入れた。
 スカートの裾が水の中を泳ぐ。
 噴水の中央にある壺を持った女神像。アリスはその像を抱きかかえて、力一杯回転させた。
 水の波紋を起こしながら少しずつ像が回転する。それが90度回ったところで、湛えられていた水が急激に流れはじめた。
 水底に現れた螺旋階段に水が落ちていく。
「こんな仕掛けがあったとは、気づきもしませんでしたよ」
 感嘆を漏らした彪彦がいち早く螺旋階段を下りていく。
 シュヴァイツはアリスに手を伸ばした。
「足下が滑りやすくなっているのでお気を付けください、お嬢さん」
 伸ばされた手には目もくれずアリスは螺旋階段を下りはじめた。
 最後に残されたシュヴァイツは溜息を漏らした。
「はぁ、またフラれた」
 頭の後ろを掻きながらシュヴァイツは階段を下りた。

 つづく

 
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