最終話_失なわれしアリス~そして、ルナティックハイへ~(3)
 逃げる……どこに?
 マナのところへは戻るなと言われた。
 行く所などない。
 ――ただの機械人形でしかないのだから。
 上空を彷徨い続けるアリス。
 今宵の満月は心象を表すように淋しい光で地上を照らしていた。
 魔鳥がアリスの行く手を阻んだ。
「どこへ行く気ですかアリスさん?」
 鴉の姿をした彪彦だった。
「貴方に答える筋合いはありませんわ」
 すでにアリスは殺気を放ち戦闘体勢を整えていた。
 だが、彪彦は殺気の欠片も見せていない。
「まあ、武器を収めてください。夜間飛行をしながら、ゆっくりとお話をしましょう」
「お断りさせていただきます」
「ご自分の正体に興味はありませんか?」
「わたくしはただの機械人形にすぎません」
 過去に何度も、自らを機械人形と称してきた。それはなんら不自然ではなかった。疑問すら浮かばな……いや、その疑念をわざと思わぬようにしていた。
 ただの機械人形では出せぬ表情をアリスはしていた。微かに戸惑い、それを必死に押し込めようとしている表情。
 アリスの表情を彪彦は見逃さなかった。
「やはり気になるようですね」
「いいえ」
 すぐに相手の言葉を打ち消した。それは動揺という感情。
 彪彦は聞かれてもいないのに話をはじめた。
「貴女はセーフィエルが人間であったときの妹……のコピーとも言うべき存在です」
「嘘です、わたくしは……わたくしは……」
 いったい何者なのか?
 明らかに戸惑うアリスに彪彦はたたみかけた。
「貴女の生まれた家系は一流とは言えないものの、力のある魔導士の家系でした。ただ、貴女は母親が妊娠中に魔導被爆したために、他の血縁とは似ても似つかない姿で生まれてきたそうです。金色の髪、蒼い瞳、今の貴女の姿は生前の生き写しらしいのですが、セーフィエルが証拠の多くを隠滅したらしく、写真も何も残っていませんが」
「証拠がないのなら、わたくしはとても貴方の話を信じるわけにはいきませんわ」
「我々も確たる証拠は持っていないのですよ、残念なことに。しかし、どこかに証拠が眠っていると我々は確信しているんですよ」
「…………?」
「貴女自身です。交通事故で死亡した貴女の遺体がどこにも葬られていないのです。おそらくセーフィエルさんは今もどこに〝貴女〟を隠している」
 もしも彪彦の話が本当だとして、もしもアリスが〝アリス〟のコピーであるならば……。
 ――今ここにいるわたくしは何者なのか?
 存在として、個体として、ある種の生命として、全てが偽りならば……。
 ――感情すらも、自己の意志すらも嘘なのか?
「わたくしはただの機械人形……」
 何も疑問に思うことはない。機械人形なのだから、感情など初めから偽りの作り物なのだ。
 本当にそうなのか?
 魂の奥から湧き上がってくる哀しみ。
 魂?
 果たして魂の定義とは?
「激しい動揺が顔に表れていますよ」
 彪彦はアリスの〝心〟を突いた。
 アリスは思いを振り払うように首を激しく揺らした。
「わたくしはただの機械人形でしかありません!」
 すぐさま彪彦は否定の言葉を投げかける。
「人間の脳を移植したサイボーグならまだしも、これほどまでに感情豊かな機械人形を未だかつて見たことがありませんよ」
「わたくしの創造主であるセーフィエル様であれば、どんなことでも可能な筈……」
「確かに、彼女の持つ魔導科学力は他の追随を許しません。実はこの躰は彼女の作品なのですよ。鴉形の魔導具にわたくしの魂が乗り移ったのです。そのな芸当ができる彼女ですら、今の貴女を作ることしかできずにいる……何か疑問を感じませんか?」
 セーフィエルはなぜ〝今のアリス〟を創った?
 事故で亡くなった妹を蘇らせるため――ならば別の方法もあった筈だ。
 機械の躰という容れ物を作り、さらに魂ではなくコピーというべきモノを注入した意図は?
 果たしてセーフィエルは妹の屍体をどこかに隠しているのか?
 それを使って死者蘇生を行えばよいのではないのか?
 それとも魂を魔導具に乗り移すことはできても、純粋な死者蘇生とはセーフィエルを持ってしてもできないことなのか?
 ここで彪彦はこんな誘いをした。
「探しに行きませんか〝貴女〟を?」
 この言葉でアリスの心が揺れ動いたのはたしかだった。だが、興味があっても『はい』と返事をすることはできなかった。
 自分が何者であるのか、それも気になるが……本当に屍体の〝アリス〟がいた場合、自己の存在を揺るがす事態になりかねない。とても恐ろしいことだった。
 返事をしないアリスに構わず、彪彦のおしゃべりは続いた。
「貴女は〝貴女〟の居場所を知っているのではないかと、わたくしは考えているのですよ。本体から記憶を容れ物に移す、あるいはコピーする場合、わたくしだったら全てを移し換えますね。記憶の一つ一つを選別して移すのは膨大な作業になりますし、ほぼ不可能に近い作業とも言えます。ならば全てを移したあとに一部の記憶にプロテクトをかけたり、暗示をかけたほうが効率的ではないかと……つまり、それを解除することによって、貴女は全てを知ることができるということです」
「貴方はそれをわたくしにしようと言うのですか?」
「はい」
 深く彪彦は頷いた。
 アリスは沸々と沸き立つ衝動を抑えられずにいた。
 ――知りたい。
 その欲望は強く、それを恐れる感情も強い。
 人間の感情ともいうべきモノで、アリスは悩み苦しんでいた。
 たとえ、自分の正体を知るとしても、この得たいの知れない魔導士に頼る必要はあるのか。
 セーフィエルに頼むことはできない。なぜか恐ろしくて、この話題すら尋ねることができないだろう。
 今のマスターであるマナはどうだろうか。いや、アリスはマナに対して心の底から信頼を寄せているわけではなかった。
 行く当てもなく、頼るべき相手もいない。それが今のアリスだった。
 では、やはり目の前の魔導士に――?
「貴方の力を借りることはできませんわ。たとえわたくしの記憶媒体にかけられている……かもしれないプロテクトを解いたとしても、そのあとでわたくしをまた人質に取るのでしょう? こうしてわたくしを追いかけて来たのも、全ては人質としての価値があるからでしょう?」
「追って来たのは貴女が言ったとおりの理由ですが、貴女に興味を抱いているのは純粋な好奇心です。その好奇心が満たされるなら、貴女を人質にしないと約束をいたしますが?」
「嘘ですわ!」
「嘘ではありませんよ。貴女を人質に取っても、セーフィエルさんが言うことを聞いてくれるかどうか……。おそらくすでにあの現場にいたうちの団員は全滅、数人はさっさと逃げてしまったかもしれませんね。セーフィエルさんは我々の手に余る存在です」
「だったら尚更、人質のようなモノが必要なのではなくて?」
「わたくしは他の団員と違って事を早急に進めたいわけではないので。封印の1つを失っている今、おそらくあの方の思念が漏れ出すのも、そう遠くない未来だと予測しておりますし」
 後半の言葉は独り言のような呟きだった。
 たとえ彪彦が約束を守ることが事実だたっとしても、それを信用する信頼関係がなかった。
「やはり貴方の力は借りませんわ」
「なら仕方ありませんね、力ずくということになりますが」
「こちらも力ずくですのでお構いなく」
 先に仕掛けたのはアリスだ。
 召喚[コール]には数秒を有する。ならば速攻で相手に向かって攻撃を仕掛ける。
 激しく揺れたドレススカートが、まるで華のように開き回し蹴り放たれた。
 巨大な鴉とはいえ、その大きさはたかが知れている。蹴りを喰らって大きく飛ばされた。
 翼を大きく広げ空気抵抗を受け、彪彦は空中で制止した。
「この躰で戦うのは分が悪いようです。助けていただけませんか?」
 その乞いはアリスではなく、その後ろに向けられたものだった。
「もうギブアップかい? 影山さんらしくないね」
 その男の声を聞いてアリスは素早く振り返った。
 見覚えのある男が空中に立っていた。ピアニストにして、その正体はD∴C∴の魔導士――シュヴァイツ。
「やあアリス君、久しぶりだね」
 敵とは思えない爽やかな笑顔をアリスに贈った。
 シュヴァイツはアリスが持つ翼に似た飛行魔導具を背負っていた。
 目の前で殺気を放つアリスを差し置いて、シュヴァイツはその先にいる彪彦に視線を向けた。
「そうそう影山さん、やられたらしいよセーフィエルに。やっぱり5=6[アデプタス・マイナー]と6=5[アデプタス・メジャー]じゃまったく歯が立たないね。7=4[アデプタス・イグセンプタス]や第三団[サード・オーダー]だってわかっててやらせてるよね?」
「7=4であるわたくしの対する抗議も含まれていますか? たしかに、セーフィエルさん相手なのですから、せめて7=4が出向くべきだとわたくしも思いますがね。あの方の後ろ盾がない今、皆臆病者になっているのですよ」
「影山さんもかい?」
 意地悪な表情の質問を、鴉はまるであざ笑うかのような表情で返した。
「わたくしは無謀なことをするほど愚かでないだけです。それにセーフィエルさんの力を借りるにも、あんなやり方では無理でしょう」
「その言い草は可笑しいなぁ。アリス君の誘拐を企てて、今回の作戦を提案したのは君だろう?」
「ええ、失敗すると思ってましたよ。焦って暴動でも起こしかけないD∴C∴の団員たちに、一筋の光を与えてやったとでも言うのでしょうかね。希望を持って1つの目的に団結していれば、それなりに統率も取れるでしょう。そういうことなのですよ、アリスさん」
 急に彪彦はアリスに言葉を振り、さらに続ける。
「つまり、わたくしの目的はセーフィエルさんに非ず。本当は……貴女に興味があったから誘拐したんですよ」
 さらに彪彦はシュヴァイツに言葉を投げかける。
「ねえ、貴女もだいぶ興味があるでしょうアリスさんに?」
「あるね。僕ははじめてアリス君に出会ってから、ずっと興味を持ち続けているよ」
 二人に見つめられたアリスは、いつの間にか戦意を失っていた。
 ――なぜ、そんなにまで自分に興味を持つのか?
 おそらくその答えはアリス自身が持っている。彼女自身が己の存在が気になるように、周りもまたアリスの存在に疑問を抱く。
 アリスはマナのところに預けられてよかったと、今になって思っていた。マナはアリスのことを程度よく無関心であった。もっとも近くにいた存在が、アリスに無関心であったために、自己の存在を疑問に思わずに来れたのだ。
 そのままが幸せだったかもしれない。
 これほどまでに思い悩むことがあっただろうか。機械人形として、自己の存在を疑わずにいた頃は、決してここまで思い悩むことはなかっただろう。
 シュヴァイツの登場でアリスの心は微妙に揺れ動いていた。彼とは過去に幾度も刃を交えた。敵であることには違いないが、不思議な感情を彼に抱いていることも間違えなかった。
 元を辿れば、その出逢いが特異であったからかもしれない。
 はじめは敵としてアリスの前に現れたわけではなかった。
 クリスマス・イブのあの日、華麗なるピアノの調べ……今でもアリスの記憶に残っている。
 しかし、敵なのだ。
 力を借りるわけにはいかない。
 再びアリスは戦闘モードに入った。
 シュヴァイツは仕方なさそうに、少し憂いを含んだ瞳をした。
「肉弾戦は苦手なんだけどね……影山さん、サポートお願いできるかい?」
「元よりそのつもりです。わたくしの躰は誰かに使われることによって、その真価を発揮する魔導具ですから」
 シュヴァイツの手に留まった彪彦は〈鉤爪〉に変形して装着された。これで使用者たるシュヴァイツは何もせずとも〈鉤爪〉は自らの意志で攻撃を仕掛ける。
 手を掲げるアリス。
「コード001アクセス――〈ビームセイバー〉召喚[コール]、コード002アクセス――〈シールド〉召喚[コール]」
 光り輝く剣と盾を装備して向かい打つ。
 口を開けた〈鉤爪〉から魔弾が撃たれた。
 〈シールド〉で魔弾を弾きながら〈ビームセイバー〉で斬りかかる。
 アリスの蒼眼が見開かれた。
 なんと大きく口を開けた〈鉤爪〉の中に〈ビームセイバー〉が呑み込まれたのだ。
 〈鉤爪〉の中に広がる闇。その中で〈ビームセイバー〉の輝きは失われ、まるで喰われているようだ。
 驚いていたアリスの腹が長い脚に蹴り上げられた。
「いつも思う、君を傷つけることは不本意だと」
 シュヴァイツは溜息を吐いた。
 〈鉤爪〉の口から抜かれた〈ビームセイバー〉はその輝きを取り戻している。だが、アリスはその武器を戻した。そして、別の武器を召喚する。
「コード006アクセス――〈ブリリアント〉召喚[コール]6[シックス]、照射!」
 雨のようなレーザーを縫うように避けるシュヴァイツ。
 その隙にアリスはさらに召喚を続ける。
「コード004アクセス――〈レイピア〉召喚[コール]」
 鋭い〈レイピア〉で肉を貫かんと踏み込んだ。
 シュヴァイツは身を翻して躱そうとしたが、〈鉤爪〉がそれをさせなかった。
 突き出された〈鉤爪〉。
 突き刺された〈レイピア〉。
 なんと〈鉤爪〉は〈レイピア〉を呑み込み、そのまま前の進みアリスの手まで迫ってきた。
 アリスは〈レイピア〉を捨てるほかなかった。
 だが、間に合わない!
 腕の消失。後から襲ってくる強烈な痛み。
 ――機械人形である自分に、なぜ創造主セーフィエルは〝痛み〟を与えた?
 疑問をメモリーに過ぎらせながら、素早くアリスは身を引いた。
 痛みはすぐに治まる。尾を引かないのが人間との違いだ。
 しかし、破壊――というより消失した腕の傷口からは、循環液が垂れ流され、火花が散っている。
 〈鉤爪〉が追撃を仕掛けてくる。
 〈シールド〉が突き出された。大きく開いた〈鉤爪〉の口でも、〈シールド〉は呑み込めない。
「照射!」
 待機していた〈ブリリアント〉が一斉にレーザーを放った。
 この距離でシュヴァイツに躱す術はなかった。避けようと試みるが全てを躱せず、いくつかは〈鉤爪〉が呑み、一発が腕を掠り、もう一発が脇腹を焼き焦がし、さらに一発が背中の翼に当たった。
 左翼が破壊され、シュヴァイツの躰が左に傾いた。
 絶好のチャンスにアリスは攻撃を仕掛けた。
「照射!」
 レーザーは確かに発射された。だが、攻撃に気を取られ、防御がおろそかになっていた。
 〈鉤爪〉がシュヴァイツの手を離れ飛びかかって来たのだ!
 アリスの胴が喰い千切られ、無惨にも下半身が地面に落下していった。
 片腕を失い、上半身だけどなったアリスを見てシュヴァイツは目を伏せた。
「僕も重傷……だけど……それもやり過ぎだよ……」
 彼もレーザーを受けて重傷だった。緩やかに地面にへ落下していく。
 アリスの視界にノイズが入りはじめた。
 すぐに機能も停止する。
 アリスは瞳を見開いたまま、その活動を停止させた。
 先に落ちたシュヴァイツよりも早く、アリスは落下していった。

 つづく

 
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