最終話_失なわれしアリス~そして、ルナティックハイへ~(5)
 地下は暗闇かと思いきや、ところどころ明かりが灯っていた。
 螺旋階段を下りると池を渡した橋に続いていた。天井から落ちた水はすべてこの池に落ちる

 シュヴァイツは鼻に香る何かを感じた。
「う~ん、磯の匂いがするね」
 もしかしたらこの池は海に繋がっているのかもしれない。
 橋の先には扉があった。岩でできた頑丈そうな物だ。
 アリスの足が扉の前で止まった。そこから次の行動を取る様子を見せない。
「一族の者だけが開けられる扉だそうです。わたくしに開けられるとよいのですが……」
 扉には取ってのようなモノはない。そこにあるのは刻まれた文字。現存するどの言語にも当
てはまらず、どの魔導書にも記されていない文字。
 アリスはその文字を読み上げた。
「ひらけごま」
 後ろにいたシュヴァイツは呆気に取られた。
「それマジなのかい? 考えた人のセンスを疑うね」
 ギャグで当てずっぽうに言ったら当たりそうな呪文だ。こんな呪文で扉が開くとは……開かない?
 アリスは踵を返して振り向いた。
「無理なようです」
 すぐさまシュヴァイツからツッコミが入った。
「呪文が間違ってるんじゃなくて?」
「いいえ、合ってます絶対に」
「あんな呪文が正解のわけがないよ」
「わたくしが間違ってると言いたいんですか?」
「そういうことが言いたいんじゃなくてさ、思い違いとかあるだろ」
「そんなことありません。もう記憶は取り戻しましたから」
「取り戻した記憶がセーフィエルの妹の記憶すべてとは限らないだろう?」
「でも……」
 二人が言い合っている最中、彪彦は池の上を飛び回って何か感じているようだった。
「池の水が揺れてますね。それもだいぶ激しいようですが?」
 その指摘の直後、彪彦は上がった水飛沫の中に姿を消してしまった。
 霧のように舞う水の粒の奥に巨大な影が見える。
 その姿を確認できたときには、アリスとシュヴァイツは池の中に落ち、この部屋が大きく揺れていた。
 池は思ったよりも深い。
 水面からシュヴァイツが顔を出し顔に張り付いた前髪を掻き上げた。
「いきなり頭突きなんて、おかげでずぶ濡れだよ」
 シュヴァイツの視線の先、そこには巨大な額を持った小型鯨のような怪物がいた。あの頭でいきなり突進してきて、アリスとシュヴァイツはかろうじて避けたが池に落ち、激突した壁が大きく地鳴りを起こしながら揺れたのだ。
 その怪物のシルエットは一見して鯨のようであるが、皮膚は堅そうな鱗で覆われている。
 橋は壊され、上がれる陸地もないが、螺旋階段はまだ天井まで続いている。逃げ場はそこだけか?
 天井近くにはいち早く避難した彪彦が羽ばたいていた。
「長らく使われていない間に、海の怪物が棲み着いたと考えるべきか、それともここで飼われていたのか? ところでアリスが沈んでしまったのですが、自力で上がって来れないでしょうから、どうやって引き上げましょうか?」
「僕か君のどっちかがやるしかないだろ!」
「わたくしは水が苦手ですから困りましたねぇ」
「僕だって非力な人間だよ。たとえ水の中とはいえオートマタを抱えて泳げるハズがないからね。ところであの怪物はどこに行ったのかな?」
 最初の突進以降、すぐに姿を消してしまった。水面に姿がないということは水中であることは間違いないが?
 そのとき!
 魚雷のように水中を猛スピードで怪物が水面に迫り、そのまま天井高くまで飛び跳ねた。
 アリスだ!
 怪物の頭にアリスがしがみついている。
 再び怪物が水面に落ちる前にアリスは螺旋階段に飛び移った。
 彪彦がすぐさまアリスの元へ羽ばたいた。
「これを装備してください!」
 彪彦の躰が変形する。〈鉤爪〉だった。
 ひとり池に残されたシュヴァイツに怪物が突進しようとしていた。
「僕のところ来るよ、これって弱いもの虐めだろ?」
 言葉は余裕だが、置かれている状況は一刻の猶予もない危機。
 アリスは〈鉤爪〉を構えた。
 大きく開かれる嘴。
 大の大人を呑み込むほど特大の魔弾が発射された。
 背中に魔弾を喰らった怪物が飛沫を上げながら水中に沈んだ。
 高波が壁を打ち付け、シュヴァイツの姿も消えた。
 怪物もシュヴァイツも、どちらも水面から顔を出さない。
 やがて穏やかになる水面。
 彪彦は鴉の姿に戻り、池の上を飛び回った。
「あの程度で死ぬような人ではありませんし、もし死んだのならばD∴C∴の6=5の階位は剥奪、団員としても問題アリですね」
 水の中でなにか動きがあった。
 水中から巨大な影が浮いてくる。再び怪物が襲ってくるのか。いや、様子が可笑しい。
 確かに上がって来たのは怪物であった。だが、怪物は水面で上下しながら揺れているのみ。
ただ浮いているだけという表現がしっくりくる。気を失っているか、あるいは死んだようだ。
 しばらくして怪物の口がゆっくりと開き、鋭い牙の間から人間の手が出た。
「怪物に喰われるなんて人生ではじめてだよ、ったく」
 無事な様子でシュヴァイツは苦笑いを浮かべ、怪物の口の中から這い出てきた。
「影山さん、早く僕も螺旋階段まで運んでくれないかな?」
 螺旋階段まで運んでもらったシュヴァイツはジャケットを脱いで、ぞうきんのように力一杯に絞った。
「できれば今すぐシャワーを浴びたいね」
 濁った水が絞られたジャケットからボトボト垂れる。
 螺旋階段から続いていた橋も壊され、扉の前に行くことも容易ではなくなった。
 しかし、思わぬことが起きていた。
 扉が破壊されていたのだ。そう、怪物の頭突きで壁が崩れ、扉までもが破壊されてしまったのだ。今さらながら、あの頭突きをモロに喰らっていたかと思うとゾッとする。
 彪彦は脚をアリスとシュヴァイツに向けた。
「さて、先に参りましょう」
 突きだした脚に掴まれということだ。
 シュヴァイツはうんざりしながらも彪彦の脚を掴んだ。
 二人を乗せ彪彦が大きく羽ばたく。そのときに飛んだ水がシュヴァイツの顔にかかった。
「もっと静かに羽ばたけないかな?」
「文句を言うなら落としますよ?」
 淡々と脅しを掛けてくる彪彦。
 すでに足は池の上。
「レディの顔に水を引っかけるなんて失礼だろ。だから言っただけさ」
 シュヴァイツの言葉はあからさまに嘘くさかった。
 飛行時間は短いものだった。すぐに扉の奥についた。
 長い廊下がまっすぐ続いている。道幅は乗用車が通れるほど大きく、ここも明かりが灯っていた。
 先を歩こうとしたシュヴァイツの腕をアリスが引っ張った。
「おっと、なんだい? ああ、レディファーストだったかな?」
「いえ、仕掛けがありますから気をつけてください?」
「仕掛け……本当だ、床に絵柄があるね。実は気づいてたけど、ただの模様かなって」
「順番取りに踏まないと死のトラップが発動します。空から飛び越えようとしても駄目ですから、気をつけてください」
 と、視線を向けられたのは彪彦だ。
「わたくしなら心配ご無用ですよ。シュヴァイツさんとは違いますから」
「僕と違うって言い方、明らかに差別だよね。傷つくなぁ、仲間意識にかけるっていうのかな。そういえば影山さんて単独任務多いよね?」
「それが何か?」
「友達少ないんだね、可哀想に」
「貴方のほうがよっぽど可哀想ですがね」
 二人が言い争いをしている間にアリスは先に進んでいた。
 慌ててシュヴァイツが踏み出そうとしたが、絵柄に足を付けそうになってピタッと止まった。
「5枚のタイル……スペードのエースだけど……アリス君どこを踏めばいいか教えてくれるかな?」
「最初は1ペア、次は2ペア、スリーカードと順番に踏んでください」
「遊び心があるね」
 1列目と2列目に共通した数字は〝1〟だった。
 彪彦はシュヴァイツの肩に留まった。
「これで空を飛ぶことにならないでしょう」
「人の肩借りるなら、お願いくらいするべきだよ」
「ではよろしくお願いします」
「はいはい」
 シュヴァイツはスペードのエースを踏んだ。次にハートのエース。
 順調にタイルを踏んでいく。
 いち早く扉の前まで来たアリスは次の部屋に消えてしまった。
「アリス君、置いていくなんて酷いなぁ」
 急いでシュヴァイツはアリスの後を追った。
 最後のロイヤルストレートフラッシュ。
「止まりなさい!」
 突然、彪彦が声を荒げた。
 が、遅かった。
 シュヴァイツはタイルを踏み、
「何も起きないけど?」
 と、不思議な顔で尋ねた。
「そのタイルはフェイクですよ、残りの列の数を数えてください」
「踏んでもトラップは発動してないけど?」
「まだ間違った数字を踏んでいないからですよ。でもご覧なさい、残りの列はいくつですか?」
 残る列は2列。踏んだタイルは〝ハートのQ〟と〝ハートのJ〟の2枚。
 シュヴァイツはハッとした。
「イカサマじゃないか!」
「違いますよ」
「だって1枚足りないじゃないか」
「残る1枚は目の前の扉なのですよ、ちゃんと見てください」
 扉に描かれた道化師の絵。よく見ると〝JOKER〟とは掛かれておらず、〝J〟とのみ、そして道化師の心臓の位置に〝ハート〟のマーク。
「やっぱりイカサマじゃないか!!」
 シュヴァイツは口に手を当てて難しい顔をした。
 次のタイルは〝ハートのキング〟で間違いないが、問題は最後のタイルだ。
 一歩進みシュヴァイツは足を止めた。
「踏んだらどんなトラップが発動するんだろうね。興味があるけど、やってみたいとは思えないな」
「この位置からまず扉を破壊して、一気に中に飛び込むというのでどうでしょう?」
「頑張ってジャンプできない距離ではないけど、トラップがどんなモノかわからないからね」
「しかしここでじっとしているわけにはいかないでしょう?」
「それもそうだね」
 変形した〈鉤爪〉をシュヴァイツは装備して、放たれた魔弾が扉に撃ち込まれた。破壊された扉の破片が先にいたアリスの躰に降り注いだ。
 アリスは眼を丸くしている。
「どうしたんですか?」
「扉が故障したみたいで開かないものだから、仕方なく壊したんだよね、彪彦さん?」
 助け船をシュヴァイツは出したが、ばっさりと斬られた。
「いいえ、貴方がミスをしたせいですよ」
「またまたぁ~、僕のせいにしちゃってさ。この際、どちらに非があるか争ってないで先を急ごう」
 一歩足を後ろに引いて、勢いをつけてシュヴァイツが飛んだ。
 天井から降り注ぐ雨のような槍。
 間一髪でシュヴァイツは次の部屋に飛び込んだ。
「ふぅ、串焼きになるところだったね、影山さん?」
「ええ、誰かのミスのせいで」
「そうそう誰かさんのせいでね」
 と、チラッとシュヴァイツは彪彦に視線を向けた。まるで他人事。
 鴉に戻った彪彦はシュヴァイツと距離を開けた。もう関わるのも疲れたと言った感じだ。
 廊下はまだ続いていた。
 アリスは歩こうとしない。
「記憶ではここが祖父の隠し部屋だったんですけど、こんな廊下見たことがありません」
「君がすべての記憶を持ってるわけじゃないと思うけどって、言ったかな言わなかったかな?」
 シュヴァイツの推測が正しいかもしれないが、本当にこんな廊下などなかったのかもしれない。
 廊下に変わった様子はなく、床にタイルなどもない。遠くには次の部屋に続く扉がある。
 不審に思いながらも先を進む。
 10歩も歩かぬうちにそれに気づいた。誰も口に出さずとも答えがわかる。扉との距離が縮まらないなのだ。
 夜風が廊下を吹き抜けた。
 それを合図に振り返ったアリス。
「姉貴……」
 意識せずに出てしまった呼び名。
 慌ててアリスは言い直す。
「セーフィエル様」
 そう、そこに立っていたのは夜魔の魔女セーフィエル。夜のような漆黒のドレスを身に纏い、静かに静かにそこに佇んでいた。
「枷が外れてしまったのねアリス……こんなところにまで来るなんて」
 冷徹な瞳は彪彦を見据えている。『貴方の仕業ね』と言わんばかりの瞳だ。
 彪彦は口から〈彪彦〉を吐き出し、穏やかに戦いの準備に備えた。
「お早いお着きですねセーフィエルさん。ちょうど良かった、この先の部屋まで案内してもらえませんかね?」
「引き返すなら今のうち、さもなくば死を超越した苦しみを与えるわ」
「交渉決裂ですか……では、シュヴァイツさん〈リピートラビリンス〉を解くので頼みますよ!」
 〈彪彦〉の口から怪音波が発せられ、空気が激しく振動した。
 視界をも揺らす音波の力は、そこに張られていた結界を破壊した。
 シュヴァイツが扉に向かって走る。それを追うアリス。さらにセーフィエルも地面を蹴り上げた刹那、黒い壁が目の前に立ちふさがった。
 壁の向こうから彪彦の声が聞こえる。
「追わせはしませんよ」
「小賢しいわ」
 セーフィエルの手のひらに力が込められ、黒い壁が消し飛んだ。その先で待ち受けていた網。
 粘着性のある網がセーフィエルの全身を捕らえた。
「これでわたくしを捕らえたつもり?」
 躰を包む網が酸で掛けられたように煙を立てながら溶けていく。網から抜け出すなどセーフィエルにとって造作ない。
 しかし、その僅かな時間稼ぎが命運を分けた。
 すでにシュヴァイツは扉を破壊して奥の部屋へ。
 そして、アリスも――。

 つづく

 
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