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邪神殿 |
今、テレビや新聞などのメディアで帝都都民の関心の的の一つに挙げられるものといえば、帝都の地下で発見された古代遺跡ではないだろうか。 発見から1ヶ月ほど経つこの遺跡のニュースは、一時は話題性を失い身を潜めていたが、ここ最近また世間を賑わすようになった。それはなぜか? それは、遺跡の調査に向かった考古学者やトラブルシューターが相次いで行方不明になり、その人々を捜索するために派遣された人探しの専門家のマンサーチャーまでもが行方不明になってしまったからだ。 この事件を受けて報道各社はこぞってこのニュースを取り上げ、遺跡での取材合戦が繰り広げられることになったのだが、今度はその報道陣の中でも行方不明者が出るという最悪の事態になってしまった。 しかし、行方不明者が出れば出るほど帝都都民の関心は高まり、それに比例して報道各社の取材合戦は熱を帯びる結果となっていった。 時雨[シグレ]はこの日、こたつで〝独り〟お茶とみかんをしながらTVで古代遺跡関連のニュースを見ていた。 「あぁ、このニュースまたやってるんだ。ふ~ん、今度は人がいなくなっちゃったのか」 「行方不明になっちゃった人の数はもう100人以上になるそうよぉん」 「!?」 びっくりしたお茶を片手に時雨は凄い勢いで後ろを振り返った。 「はぁ~い時雨ちゃん、お元気してた?」 時雨の目の前には、スラリと伸びた美脚を見せ付けるかのようにモデル立ちをした今日も派手な法衣を着たマナが立っていた。 派手な法衣といっても彼女曰く、魔導士の”正装”服らしいのだが、時雨は”盛装”服でしょ、といつも思っていた。しかし、それを口にしたことは一度も無い。もちろん理由はあとが恐いからで、その思いは一生時雨の口からは発せられることはないだろう。 「どっから入って来たの?」 時雨はもっともな質問をマナに投げかけてみた。 「テレポートして来たのよぉん」 「こういうのって不法侵入っていうんじゃないの?」 「堅いことはいいっこなしよぉん」 時雨の目線がマナの足元に注目し、それから彼は茶を少し喉に通して言った。 「でさぁ、何しに来たの〝土足〟で?」 「帝都地下の遺跡に今から行くわよぉん」 「はっ!?」 マナの言葉に時雨は驚きと戸惑いを隠せなかった。 「ちゃんと聞えてたでしょ、早く仕度して行くわよぉん」 「訳不明、なに言ってるの?」 いきなり現われて遺跡に行くと言われても、時雨にはその訳も理由も全くわからない。 それにマナが土足で現われたのはそれほどまでの急ぎの用事なのかと時雨は少し考えたが、マナは平気で人の家に土足で上がるタイプの人間なのだと結論付けた。 腕組みをしたマナは時雨を促すようにこう言った。 「紅葉[クレハ]ちゃんにも行ってみろって言われてたでしょ」 「そういえばそんな事もあったような、なかったような……ってなんでそんな事知ってるの!?」 確かに時雨には紅葉に遺跡に行ってみろと言われたような記憶がある。だが、そのなことよりもなぜマナがそのことを知っているのかということのほうが時雨にとって不思議でたまらなかった。 お茶を飲みながら時雨が疑問に首を傾げていると、突然どこからか男の声が聞こえた。 「私が彼女に伝えたからだ」 「!?」 時雨がバッと前を振り向くとそこには紅葉の姿があった。 「何で紅葉までいるの……いや、それよりもどこから入って来たの?」 「それは、国家機密の研究に関わる事なので述べる事はできんな」 「はぁ、意味不明だよ」 頭を抱えて悩む時雨をマナは彼の襟首を掴んでこたつから引き出そうとする。 「時雨ちゃん、早くいくわよぉん」 「ま、待ってよ、せめて剥きかけのみかんを食べてから」 時雨はこたつにしがみ付き必死に抵抗する。 「寒いから出たくないというのが本音であろう」 紅葉の鋭い指摘が時雨の胸に突き刺さる。 「ドキッ……違うよ、起きたばっかりでいきなり出かけるなんて言われたから」 その言葉にマナの鋭い指摘が直ぐに入る。 「起きたばっかりって、今午後の3時よぉん」 それに続いて紅葉が皮肉を少し込めていう。 「そうか、寒いという理由の他に低血圧というのもあるわけだな」 「それだけじゃないわ、めんどくさがりっていうのもだわぁん」 「なんだよ二人していきなり人の家に押し掛けてきて出かけるとか言っていきなりボクの事外に連れ出そうとしたりなんかしちゃってさぁ人の都合なんて二人とも生まれてから今まで考えた事ないでしょいつもそうなんだボクのこと散々振り回したあげく……あぁーっもういいよ!!」 時雨は今の言葉を息継ぎ無しで不満をたっぷり込めて言った。が紅葉とマナにあっさりと返されてしまった。 「気が済んだが?」 「じゃあ早く出かけるわよぉん」 「はぁ、もういいよ」 時雨の全身の力が一気にガクンと抜けた。 時雨は結局二人に〝強引〟に連れられて古代遺跡の入り口まで来てしまった。 遺跡の入り口の前には学者や警察、そして報道陣でごったがえしている。 「はぁ……」 時雨の気分はかなりブルーだった。 「何でボクがここにこなくちゃいけないの?」 肩を落とし暗い顔をして時雨は紅葉を上目遣いで見た。そんな時雨を紅葉は冷ややかな目で見てこう言った。 「この遺跡で行方不明者が出たというニュースは知っているな」 「あぁ」 時雨は気の無い返事を返した。 「昨日付けで私がここの調査の総指揮をすることになった」 「それで、何でボクが呼ばれなきゃいけないのさ」 マナが突然二人の会話の間に割り込んできた。 「あたしと時雨ちゃんは紅葉ちゃんのサポート役として雇われたのよぉん」 「雇われたって、紅葉がボクらを雇ったの?」 「推薦したのは私だが、雇い主は別にいる」 「誰?」 「帝都政府だ」 時雨の顔つきが険しくなる。 理由はわからないが時雨は帝都政府のことをあまり良く思っていないらしい。 「まぁ、古代遺跡の調査となれば当然だろうね、ってそんな話ボク聞いてないよ」 「今、初めて言った」 今の紅葉の言い草は”それがどうかしたか?”という感じだった。やはり紅葉は自己中心的で他人の都合など考えていいないようだ。 「はぁ……」 ため息を付き、いつものことだと時雨は諦めることにした。 遺跡の入り口はビルとビルとの間にある空き地にある。 新たにここに建てられる筈であったビルは地下10階地上2階建てのビルであったため、工事の際地面を深く掘り進めなくてはならず、その際にこの地下遺跡を発見するという結果に繋がったのだった。この地下遺跡は外界との空間軸が異なっているようで外層面積に比べ中は異常なまでに広いとの専門家たちの報告結果が出されている。 時雨たちは簡易巨大エレベーターに揺られていた。身体が小刻みに揺れ、下へと降って行く――。 ガタンという音を立てエレベーターが地面に到着した。 「おおっと」 時雨があられもない声を出しながらバランスを崩した。 「行くぞ」 紅葉は時雨のことなど構いもせず足早に歩いて行ってしまった。 「紅葉ちゃ~ん、待ってぇん」 マナは空を飛んで彼を追いかけた。 彼女は急いでいる時などは自らの足を使わず空を飛んで目的地に行く。彼女曰くそっちの方が早くて疲れないかららしいのだが、普通は空を飛ぶというのは魔力を多く消費するため大きな疲労を伴うものであり、普通の魔導士ならば足を使うと疲れるからなどという理由でこの術は使わない。そのような理由で彼女がこの術を使えるのは彼女の持つ底を知らぬ魔力のおかげであって、彼女だからできる芸当と言える。 遺跡の中は迷路のように道が入り組んでいて、トラップも多く仕掛けられている。トラップが仕掛けられているということは、この場所に人を近づけない為と考えるのが必然的だろう。では、なぜ人を近づけないようにしているのか、遺跡には何があるというのか? 遺跡の中はほのかな光で溢れている。それは遺跡自体が微かな光を放っているためである。この遺跡にある壁や天上などはそれ自体が光っている、その理由は壁などに使われている岩に含まれる成分がこの遺跡全体に発せられている強い磁場と反応して輝いているのだと遺跡に入った専門家たちは言っている。 少し遺跡の奥へと進んだ所でマナはある物を見つけた。 「あらぁん、こんなところにいかにも押して下さいって感じのボタンが」 そう言いながらマナは壁に付いているボタンを押そうとする。 「ま、待って!」 時雨が急いで止めに入ろうとするが間に合わなかった。 「えいっ」 マナの人差し指がボタンを強く押した。辺りが静まり返る――。 「あらん、なにも起こらないわ」 マナの言葉に対して紅葉は当たり前だというような顔をして、眉をぴくりと上げて言った。 「入り口付近のトラップの大半はすでに解除済みだ」 「はぁ、よかった」 時雨は安堵のため息を付いた。しかし、マナは少し不満そうだ。 「つまんないわねぇん、あ~んなことやこ~んなことが起こるの期待してたのにぃ~」 「期待しないでよそんな事……っあれ?」 時雨はある異変に気付いて辺りを見回す。 「どうしたのぉん?」 マナはまだ異変に気付いていないらしい。 「紅葉がいない」 「ウソぉん!?」 紅葉の姿が忽然と消えてしまった。二人は辺りを見回すが紅葉の姿はどこにもない。紅葉は何処へ消えてしまったのだろうか? 「これが今ここで流行ってる神隠しってやつかしらぁん」 マナの言い草は明らかに他人事ごとだった。紅葉のことなどどうでもいいのか、それともただ単に自己中心的なだけなのだろうか? ため息を付きながら時雨は困った表情をしてマナを見つめた。 「マナが変なボタン押すから」 「紅葉ちゃんが入り口付近のトラップは解除してあるって言ってたじゃない」 そう言ってマナは再びボタンを押した――。 「ほら、何も起こんないじゃない」 「だからって、そう何度もボタンをむやみに押すのやめてよ。もし何か起こっ……」 話の途中で時雨の姿がマナの前から忽然と消えてしまった。 「あっ……時間差だったのねぇん」 少し考えた後マナはボタンをもう一度押してみることにした。 「ぽちっと」 ――時間差でマナの姿がその場からパッと消えた。 マナは何も無い小部屋の中央に立っていた。 どうやらあのトラップは人をあの場所とは別の場所にテレポーテーションさせてしまうものらしい。 「あらぁん、みんないないわねぇん」 マナは辺りをぐるりと見回した。 部屋には何も無い、窓もなければドアもない、四方は壁で囲まれており、本当に何も無かった。 「出口がないわねぇん、ということは、他のみんなは別の場所に飛ばされたって事かしらぁん」 そう、あのトラップは一度に一人ずつ別々の場所にテレポートさせることにより後から追おうとした者を全員はぐれさせるというじつに巧妙で手の込んだ意地の悪いトラップであったのだ。 少し考えたマナは壁を叩きながら移動して出口が無いか調べたが見つからなかった。そこで仕方なく彼女は魔法で壁に穴を開けることにした。 彼女は右手を壁に向けると手のひらから魔弾と呼ばれる魔力を結晶化したものを発射した。 放たれた光が壁に当たると同時に厚い岩でできた壁は音を立てて崩れ落ち、直径3mの穴がぽっかりと口を開くと、彼女はそこから部屋の外へと移動した――。 薄暗い廊下を歩く時雨の肩はぐったりとたれ、足取りはとても重く、それを反映するように表情は今にも自殺してしまいそうなくらい憂鬱な顔をしていた。 「はぁ、だから押すなって言ったのに」 歩いても歩いても何処までも何処までも続く直線の廊下を彼はただひたすらに歩いていた。 「みんなどこにいるんだろう」 彼の右手にはひも状の物が握られており、その先端にはひし形の宝石らしき物がぶら下がっている。これは彼の得意とするダウジングである。探しているモノに反応して宝石がその場所を指し示してくれるというものなのだが――。 「どうも反応が鈍いな、この遺跡のせいかな」 この遺跡の調査記録によると方位磁石や連絡機器は特殊な電波が出ているため使えないとの報告がある。 「せめて、この真っ直ぐな道を出たいなぁ」 彼は結局かれこれ2時間ほどこの真っ直ぐな道を歩いてた。 「はぁ、どこまで続くんだろこの道、こっちの方もぜんぜん反応してくれないし」 前方の道は薄暗く、どこまで続いているのか検討もつかない。 彼はひもにぶら下がった宝石を見た。 「!!」 時雨の頭にある考えが浮かんだ。しかし、それは今までここまで歩いてきたという努力を全て水の泡にする恐ろしい考えであった。だが彼はそれを実行に移した。 時雨は勢いよく後ろを振り向いた。 「あっ……やっぱり」 振り向いた先にはなんと、5メートル先くらいのところに鉄の扉があった。 時雨は2時間以上もの間、同じ道を永遠と歩かされてしまうループトラップとは知らずに歩かされていたのだった。 「はぁ……早く後ろ振り返ればよかった」 時雨はため息を付くとドアを開け中に入って行った。 静かな石畳の廊下に響き渡る足音。 「入り口付近にまだ解除していない、トラップがあったとはな」 紅葉の顔つきは普段と何ら変わらない表情をしていたが、心の奥底では怒りの念で憤怒していた。彼は常に冷静沈着で顔立ちも良く女性には比較的やさしいため、女生徒に大変人気のある帝都大学のプロフェッサーなのだが、実は非常に気性の荒い人物であったありするのである。そんな彼を知っているのは極小数で、その中の一人の時雨は時折彼の無鉄砲な怒りの被害者であったりしたのだった。 「……微かだが血の臭いがするな」 紅葉が辺りを見回すとあるものが彼の目に止まった。そこには、八つ裂きにされ内臓器の飛び出した死体が転がっていた。 「一つ、二つ……全部で5体か」 紅葉は死体に近づきしゃがみ込むと物色を始めた。 彼の手には常に白い手袋がはめられていて彼の手を直接汚すことはない。その手袋をはめた手が死体を隈なく調べつくす。 「歯形と爪痕、だいぶ喰われてしまっているな……獣の仕業か?」 移動し他の死体もくまなく調べる。 「やはり、同じ歯形と爪痕か……ん?」 紅葉は死体の手に握られている何かを発見した。 「鍵……?」 紅葉はその鍵を死体の手から取ると自分の白衣のポケットに入れた。 死体に用の無くなった彼は立ち上がると足早にこの場を後にした。 少し進んだ所で紅葉の足が不意に止まった。 「また、死体か……」 そこには3体の死体があった。その死体はまたも八つ裂きにされ内臓器が飛び出していた。 紅葉はしゃがみ込みまた死体の物色を始めた。 「同じ奴の仕業か、しかも今度は血がまだ温かい……獲物が近くにいる可能性が高いな」 案の定その獲物はすぐに紅葉の前に姿を現した。 「ほほう、四つ足か」 紅葉の前に姿を現したのは全長3mを越える大狼で、その身体は血で全身が紅く染まっていた。 狼は紅葉を見るや否や血に染まった毛をなびかせながらいきなり襲ってきた。 無表情の紅葉は白衣の内側からフラスコを取り出すと狼目掛けて投げつけた。しかし、フラスコは狼に交わされ床に落ちてしまった。が、紅葉はそれも計算に入れていた。床に落ちたフラスコは大爆発を起こし床に大きな穴を開け、狼にもダメージを与えた。 また攻撃をしようとフラスコを取り出す紅葉を見た狼は尻尾を巻いて逃げて行ってしまった。 「逃げられたか」 その言い方はまるで最初から逃げられることを予知していたかのような言い方だった。 紅葉が床を見ると、そこには廊下の奥へと続く血痕が地面にへばり付いていた。さっきの狼の血痕だ。紅葉の目的は最初からこれだったに違いない。 「追ってみるか」 紅葉は血痕に注意を払いながら廊下の奥へと歩き始めた。 「あらん、また見つけちゃったわぁん」 マナははしゃぎながら壁に埋め込まれた宝石を取ろうとしていた。 宝石は壁に描かれた魔方陣の中心に埋め込まれている。この宝石は魔石といって、石の中にいろいろな魔法や魔力を封じ込めたものである。 マナは軽快なステップで山済みにされた分厚い本の一冊を手に取った。 「あらん、こっちには魔導書が」 マナの取った本は魔導書であった。そして、彼女は本の表紙にに付いた埃をふぅーっと息を吹きかけ取ると、本をパラパラとめくった。 「見た事のない文字ね、まぁいいわ家に帰ってゆっくり解読しましょ」 今彼女がいる場所はこの遺跡の宝物庫らしい。 「もう、全部いただいたかしら?」 マナはそう言うと辺りを見回した。その目線の先には――部屋には何も無かった。そう、マナが全て回収していまったのだ。 しかし、マナは何も持っていない、手ぶらだ。回収した物は何処にいってしまったのだろうか? そうマナは手から突然大鎌を出したり出来るように物体を一時的に別空間に保管しておくことのできる術を心得ていたのだ。今回もそれを使った。 一息付いたマナは満足げな顔をしてこの部屋を後にした。 部屋の外に出ると道が三方向に分かれていた。どの道を進むべきか迷うところだ。 「さっきは右から来たから、今度は真っ直ぐ行ってみようかしらぁん」 真っ直ぐの道を選び、彼女が歩き始めてから5分くらいたった頃、彼女の目にあるモノが飛び込んできた。 「あらん、これはお激しいこと」 マナの目に飛び込んできたものとは死体の山であった。それも八つ裂きにされ内臓器が飛び出し辺りに散乱している。紅葉の時と全く同じ死体だ。しかし、マナはそんなことなど知る余地もない。 死体のそばにはビデオカメラが落ちている。どうやらこの死体は報道人のものらしい。 「普通なら、『このカメラに何か事件に関する証拠が写ってるかもしれない』とか言って、調べるんだろうけど、あたし機械にはうといのよね」 マナはそう言うと何事も無かったように歩き出した。 「まぁ何か出たら、その時はその時って感じよねぇ~」 彼女の神経は並みの人間とは根本的に違うのかもしれない。 この男は未だに道に迷っていた。迷っているという自覚の無い二人とはえらい違いだ。 「はぁ、今ボクはどこら辺を歩いてるんだろ」 ダウジングがこの場所ではあまり役に立たないことを悟った時雨は作戦を替え、右手を壁につけながら歩くことにした。その甲斐があったの無かったのか、彼は人影を見つけることができた。 その人影に駆け寄った時雨であったのだが、その人影は彼の全く知らない人物であった。 その人物は白い薄布でできたワンピース型の民族衣装のようなものを着た若い女性で、悲痛な顔をして右足を抑え、床にうずくまっていた。 時雨はその女性に近づき声をかけた。 「どうしたんですか?」 時雨に声をかけられた女性は、そこで初めて時雨の存在に気づき、はっとした表情を浮かべた。 「どうしたんですか?」 時雨はもう一度女性に問い掛けた。 「足を怪我してしまって……」 声には苦痛が混じっているが、澄んだ綺麗な声の持ち主だ。 時雨は女性が手で抑えている足を見た。 手の隙間から血が滲み出していて、赤い血が彼女の白い肌を紅く染めている。 「ちょっと、手を退けてもらえます」 時雨がそう言うと、女性は血で紅く染まってしまっていた細い手を退けた。そこには焼け焦げたような深い傷があった。 その傷を見た時雨は思わず顔をしかめる。 「ひどいなぁ……」 そう言って時雨はコートのポケットに手を突っ込むと、小さな小瓶を取り出した。 「これ、塗り薬なんですけど、すごく効く代わりにすごく染みるんで我慢してくださいね」 時雨は女性に微笑みかけた。その微笑みはまるで天使の笑顔のようであった。この顔で見つめられたら女性はイチコロだろう。 女性が小さく頷くと時雨は女性の足に薬をやさしく塗り始めた。女性の顔が苦痛で歪む。 「だいじょうぶですか?」 女性はまた小さく頷いた。 薬を塗り終えた時雨は次に、コートのポケットから包帯を取り出すと女性の足に巻き、そしてきつく縛った。 「ありがとうございました」 女性は時雨に対してお礼を言った。 「あぁそうだ、いろいろと聞きたいことがあるんだけど」 「なんでしょうか?」 「そうだなぁ、まず名前。ボクの名前は時雨、君の名前は?」 「…………」 女性は急に無言になり黙り込んでしまった。 「どうしたの?」 「覚えていなくて」 「じゃあどうしてこの遺跡にいるのかは覚えてる?」 女性は首を横に振った。 「そう……じゃあ、その傷はどうしたの?」 「魔物に襲われて」 「どんな魔物だった?」 「白くて、火を噴く魔物でした」 「ふ~ん」 「あなたはどうしてこの遺跡に来たのですか?」 今度は女性が時雨の質問をしてきた。 「えっ、ボク? ……ボクはね、この遺跡で行方不明になった人たちを探しに来たんだけど」 「遺跡を荒らしに来たのではないのですね?」 「うん、そうだけど……?」 時雨はいぶし気な表情をしながらうなずいたあと、少し間を置いて納得したかのように呟いた。 「まぁいいか……」 「どうしたのですか?」 「あ、うん、なんでもないよ、あのさぁ、出口とか……わからないよね。ボクは取り合えず向こうから来たんだけど」 時雨は自分の来た方向を指差し、ふと女性の方を振り返るとそこには女性の姿はなかった。 「――あれ?」 時雨は女性を探そうと駆け出した。すると、前方に人影が――。 「あれ?」 連続して驚かされた時雨はそう一言呟くと足を止めてしまった。 人影は時雨の存在に気づいたらしく時雨に向かって飛んできた。 「時雨ちゃ~ん、逢いたかったわぁん」 派手な衣装着た人物――マナは時雨に抱きつきそのまま押し倒してしまった。 「……重い」 バシッ!! 時雨はマナの強烈な平手打ちを喰らってしまった。 「痛っ!」 頬に手をやる時雨に対してマナが激怒した。 「レディに向かって重いだなんて言うなんてデリカシーのカケラもないわよぉん、以後気をつけなさい!」 「だってホントに重……」 何かを言おうとした時雨の目の前には平手打ちの構えをしたマナが立っていた。それを見た時雨は蒼い顔をして思わず身動きを止めた。 「時雨ちゃん、今なんて言おうとしたの?」 「お、おも、思わず、マナに抱きつかれてビックリしちゃたなぁ、あははは」 苦しい言い訳だった。 「まぁ、いいわぁん、ゆるしてアゲル」 「あ、ありがとうございますマナ様」 時雨の顔は少し引きつっていた。そして、彼は直ぐに話題を変えようとした。 「と、ところで白い民族衣装みたいなの着た若い女性見なかった?」 「見てないわよ」 「おかしいなぁ」 「その女性がどうかしたのぉん」 「さっき、向こうで会ったんだけど、その人足に怪我してて、手当てしてあげたらいつの間にか居なくなっちゃって――。そっちは何か変わったことあった?」 「向こう側で八つ裂きにされた死体を見たわぁん、それとビデオカメラが落ちてたわぁん」 「そのカメラに何か写ってるかも、見に行こう」 二人はその場所に移動することにした――。 程なくして二人はあの場所に着いた。そして、無残な光景を目の当たりにした時雨はこう言った。 「すごい大惨事って感じだなぁ」 間延びした時雨の言い方からはあまり大惨事という感じは受け取れない。やはり、時雨の神経は一般人の感覚からズレているのかもしれない。 マナが地面に落ちているカメラに向かって指を指した。 「そこに落ちてるのがそのカメラよぉん」 時雨はしゃがみ込んでそのカメラ手に取って見てみた。 「小型のハンディーカムか、テレビショッピングで見たことあるよ。たしかその場で撮った映像が見れるやつだったと思ったけど……壊れてないみたいだし見れそうだね」 「じゃ早く見てみましょ」 「うん、見たいのは山々なんだけど、ボク機械にはうとくて」 時雨はそう言いながら、乾いた笑いを発した。 マナはガクっと肩を落とし細い目をして遠くを見つめると、ある人物のことを思い出した。 「……はぁ、こんな時に紅葉ちゃんがいてくれたら」 獣の血痕を頼りに歩いていた紅葉だが、その血痕もいつしか消えてしまっていた。 「逃がしたが……まぁ良い、その代わりにこんな所に出られたのだからな」 紅葉は目の前にある石でできたシンプルな作りの宮殿を微笑みながら一望した。 石でできた階段を登り、宮殿に入ろうとした彼の目に、門番のように気高く立っている石の彫像が映し出された。 「あの狼に似ているな。ここの守り神か何かっだったのか……」 紅葉の行く手に大きな門が立ちはだかった。 その門には鍵穴があり、もしやと思った紅葉はさっき回収した鍵を差し込んでみた。すると門は紅葉の手を借りずに自動的に左右に開いた。 紅葉は門を潜り宮殿の奥へと進んで行った。 宮殿の内部は大きな柱が何本か立っていて、奥には祭壇があり、そこには杯が祭られている。シンプルな造りで静かで荘厳な雰囲気が感じ取れるのだが、それとは別に何か殺伐とした空気も充満していた。 祭壇に近づきた紅葉は杯に興味を何故かそそられた。そして、それを手に取りまじまじと眺めた。 「聖杯か何かの類か……ん?」 紅葉が杯の底を眺めていると、底の方から紅い液体がふつふつと湧き出してきた。 「血の香がする、血の湧き出る杯か。邪教崇拝の神殿か……な、なんだ!?」 紅葉の左手が突如自分の意思とは関係なく勝手に動き始めた! 「くっ、なんだ、これは!?」 杯を持った左手は、紅く泡を吐く液体を無理やり紅葉に飲ませようとした。 紅葉は必死に抵抗するが、やがて彼の身体の自由は全てきかなくなり、ついには紅葉は杯の中身を全て飲み干してしまった。 「私とした事が……」 白い麗人が揺らめいた。 バタン!! 紅葉の意識は薄れていき、彼は身体は床に倒れ込んでしまった。 ハンディーカムを見下げながら腕組みをする時雨は少し考えた後、ある決断をした。 「見れないんじゃしょうがないから、場所を移動しよ」 「そうねぇん、紅葉ちゃんを探しに行きましょう」 あっさりと二人はカメラに写った映像を見ることを断念し、紅葉を探しに行くことにした。 紅葉を探し歩くこと数分、二人は石でできた宮殿を一望していた。 時雨は目だけを軽く動かし宮殿を見回すと深い息をついた。 「何か、この遺跡の最重要ポイントって感じだね」 「もしかしたら、この中に紅葉ちゃんがいるかもしれないわねぇん」 「だといいけど」 この時、時雨には何だかわからないが、もやもやした嫌な感じのモノが胸の中で増幅していた。 二人が石段を一歩一歩上がって行くと、そこには大きな門があり、その左脇には大鷲、右脇には大狼の石像があった。 時雨の足が扉の前で止まる。 「扉の向こうに人の気配がする」 「紅葉ちゃんかしらぁん」 時雨は扉を開けようと力いっぱい押してみた。しかし、扉はぴくりとも動かない。 「開かないよ、この扉」 「時雨ちゃんここ」 マナは扉に付いている鍵穴を指差した。 「鍵が必要なのかぁ」 「時雨ちゃん、ちょっと退いて」 時雨が扉から離れると、マナは両手に魔力をいっぱいに溜め扉に向けて撃ち放った。すると、扉に当たった魔弾はスポンジに垂らした水のように扉に吸収され消えてしまった。 扉に魔弾が吸収されてしまったのを見て、マナは一直線に扉に向かって行って、扉をコンコンと叩いてみた。 「……オリハルコンでできてるみたいねぇん」 オリハルコンとは錬金術でのみ作り出すことのできる金属で、純粋な状態では金よりも軟らかく、合金にするとプラチナよりも硬くなり、ひんやりと冷たいのだが、金属全体からオーラのような揺らぎが立ち上り、軽さはアルミよりも軽く、他にも色々な性質を持ち合わせており魔道具としてよく持ち要られるのだが、その性質の中に魔法を無効にしてしまうという性質があり、マナの魔法が扉に吸収されてしまったのはこのためであろう。 時雨は石段に座り込んで、両頬に手を付いた。 「鍵見つけなきゃいけないのかぁ」 時雨はコートのポケットに手を突っ込むと緑茶のペットボトルとパッケージングされた塩せんべえを取り出した。 それを見たマナはおなかに手を当てて、何かを思うように上を見上げた。 「そろそろディナーの時間ねぇん」 マナはそう言うとディナーセットを魔法で異空間から取り出した。 マナの出したディナーセットのセット内容は、テーブル(このテーブルには白いテーブルクロスがかけられている)、オートクチュールっぽい豪華な椅子、銀食器(皿は料理と一緒に出すのでこの場ではまだ出ていない)。 マナは腰に手を当てて何かに対して頷くと、椅子に深く腰掛けた。 「はぁ、立ちっぱなしで疲れたわぁん。まずは食前酒を頂こうかしらぁん」 マナはテーブルの上にワイングラスと赤ワインを出した。 それを見ていた時雨は自分の持っているお茶とせんべえを見つめ、とてもひもじい気分なり、そして、マナの方を振り向きマナに夕食を食べさせてもらえないかとお願いをしてみた。 「あ、あのさぁ、ボクも夕食まだなんで、ご一緒させてもらえないかな?」 マナは下民でも見るかのように見下した態度で時雨を見てこう言い放った。 「『マナ様、どうかディナーを食べさせてください、お願いします』は?」 この言葉を聞いた時雨は一瞬ムッとしたのだが、自分のお腹が〝ぐ~〟 と正直に鳴いたのを聞いてその感情を抑え、マナに願いをこうた。 「マナ様、どうかこのとてもひもじい思いをしているボクにディナーを食べさせてください、心からお願いいたします」 最後に時雨は必死で満面の笑みを作りニコッとマナに微笑みかけた。 「まぁ、いいわぁん、そこにお座りになってぇん」 マナが魔法で〝普通〟の椅子を出すと時雨はそこに着席した。 こうして、二人はディナーを摂ることにした。 ――二人がメインディッシュに口をつけようとしたとき、邪悪な殺気が辺りにたち込めた。 「敵かしらぁん」 「まだ、ディナー食べてないのに」 二人の前に姿を現したのは白銀の毛を持つ大狼だった。 「あれがバラバラ殺人の犯人かしらぁん」 「食事会は中断みたいだね。……ん?」 時雨は何かに気づき狼の首元を指差した。 「あれ、見てよ」 「なぁに?」 狼の首元には鍵がぶら下がっていた。 「あらん、あの〝ネックレス〟欲しいわぁん」 「鍵の方から歩いて来てくれたみたいだね」 「じゃあ、時雨ちゃん、食後のいい運動頑張ってきてねぇん」 「マナは?」 「食後すぐの運動って身体に悪いのよぉん」 「何か言ってる事矛盾してるよ」 「あらん。そぉお?」 マナの言い方は明きかに惚けていた。 「ほらん、お相手がこちらに向かって来たわよぉん」 マナの言葉の通り、狼はその牙を時雨たちに向けて来ていた。 「はぁ、食後の運動か……」 ため息を付きながらも、狼の相手をしようとしている。そんなところに、彼らしさが出ていると言ってもいいだろう。 時雨はコートのポケットからビームサーベルを取り出し、そのスイッチを入れた。 すると、辺りは一瞬まばゆい光に包まれた。その光によって、狼が一瞬怯んだところに時雨の剣技が放たれる。 地面を蹴り上げ移動し、時雨の剣が刹那の瞬間に狼に突き刺さる。 時雨が剣を一気に抜くと同時に狼の死の咆哮が辺りにこだまする。そして、狼はぴくりとも動かなくなった。 勝負は一瞬の呆気ないものであった。その為なのかどうか、狼を仕留めた時雨の顔はとても不服そうな顔をしていた。 「どうしたの時雨ちゃん?」 不思議に思ったマナが時雨に問い掛けてみたが、時雨が答えを返すまでには少しの間があった。 「この狼が足に巻いてる包帯、ボクのだ……」 「えっ……どういうこと!?」 思わず紅茶を飲もうとするマナの手が途中で止まる。 「この遺跡であった女性には巻いてあげた覚えはあるけど、狼に巻いてあげてはない」 「その女性がその狼って事?」 「かも知れない……!?」 時雨が狼を見つめていると、その狼が突如空気に溶けてしまったかのごとく、跡形もなく姿を消してしまった。狼がいた場所に残っていたのは、包帯と鍵だけだった。 「消えた」 時雨はそう小さく呟くと、鍵が拾い上げポケットに突っ込んだ。 「この鍵で開くといいけどなぁ」 時雨は自分の席に戻ると深くため息をついた。 そして、マナと時雨はティータイムを済ますと鍵を試してみることみるした。 しかし、この状況下でのん気にティータイムをする二人の度胸の大きさといったら帝都でも三本の指に入るのではないだろうか。その三本指の中にはもちろんあの紅葉も含まれている。 時雨はオリハルコン製扉の前に立つと、コートのポケットに手を探るように突っ込み鍵を取り出すと、鍵穴に挿し込み回してみた。すると、扉はカチャという音を立て、人の手を借りることなく左右にゆっくりと自動的に開いた。 宮殿の中は広く質素な作りになっており、静寂に包み込まれている。 二人は宮殿の奥へと進んで行き、そこで待ち構えていた男を見た時雨は思わず叫んだ。 「紅葉!」 紅葉と呼ばれた男はゆっくりと時雨たちのもとへ近づいてきて、不適な笑みを浮かべながら自分の顔を指差しこう言った。 「やぁ、君らはこの男の知り合いかね?」 この言葉に二人は戸惑いを覚えざる得なかった。 時雨が怪訝そうな顔をして呟く。 「気配が違う」 「外は紅葉ちゃんでも中が違うみたいねぇん」 そう、二人が感じた通り、彼は紅葉であって、紅葉ではないモノだった。 「その通りだ、私は君らの知っている男ではもうない」 男の言葉で時雨の気配が一瞬にして冷たく鋭いものに転じた。普段の時雨からは決して想像できぬものだ。 「どういうことだ?」 「私の名はアポリオン、この宮殿の主だ」 「そのお前が何で紅葉の身体をしてるんだよ」 「私は実体を持たぬ、それゆえ器が必要なのだよ、おわかりになられたか?」 「わかった。じゃあその身体返してもらうよ」 「ふははは……」 アポリオンは突然大声で笑い声を発して直ぐに言葉を続けた。 「それはできんな」 「何でなのぉん」 「私は実体がなければ自由に動くことさえままならぬのでな、この身体はもう少し借りておこう」 「駄目だ」 時雨が間入れず返した。その言葉には鋭さと冷たさが混じっていた。しかし、相手はそれに動じる様子もない。 「だが、キサマらは私をこの身体から追い出す術知らぬであろう?」 「おまえを動けなくした後でゆっくり考える。――という訳でマナまかせた」 時雨はマナの肩を軽く叩いた。 「何であたしなのぉん」 「だって、ボクには何にもできないもん」 時雨の意見はもっともだった。時雨は肉弾戦はできても、相手の動きを封じる術やましてやアポリオンを紅葉の身体から追い出す術などまったくもって知るはずがない、ここはマナに任せるのが得策といえよう。 「しょうがないわねぇん」 とマナが言った瞬間、彼女の手から魔弾がいきなりアポリオン目掛けて放たれた。不意打ちである。 魔弾の直撃を受けたアポリオンはよろけて床に膝を付き、マナを凄い形相で睨み付けた。 「小娘の分際でよくも!!」 一瞬目の前で起きた光景に唖然とさせられてしまった時雨は気を取り戻し、マナに対して罵倒を浴びせた。 「何すんだよマナ、時雨が死んだらどうすんの!」 「だってしょうがないじゃない、相手を弱らせた方が術を掛けやすいんだもの」 それは正しい発言なのかどうか時雨は考えたが、今ここで頼れるのはマナしかいなかった。 ゆっくりと立ち上がったアポリオンの瞳は真っ赤に燃えているようであった。アポリオンの内では憎悪の念がふつふつと湧き上がって来ている。 「不意打ちとは下卑たやり方をしてくれたな、キサマには今すぐに地獄の苦しみを味合わせてやろう」 そう言うとアポリオンは仁王立ちのポーズを取り、全身から邪気を放出し始めた。その邪気は瞬く間に宮殿全体に広がり、周りの空気を全て包み込んだ。邪気は目で見えるものではないが、常人であればすぐに吐き気を催したり、最悪の場合は発狂してそのまま死んでしまうだろう。しかし、ここにいる二人は顔色一つ変えず平然と立っている。そのことがこの二人と常人との格の違いを証明していた。 紅葉を救うにはまず、相手を弱らせる必要がある。それを聞いた時雨は仕方なく、紅葉と戦う道を選んだ。 「マナ、逆刃刀か何か出してくれない?」 マナは異空間の中から逆刃刀を出すと時雨に手渡した。 その光景を見ていたアポリオンは腕組みをすると渋い顔をした。 「二対一かフェアではないな」 そう言ったアポリオンが天に手を軽く掲げると、突如宙に直径2mほどの光の玉が出現し、その中から生れ落ちるように女性が地面に落ち、ゆっくりと足を付けた。 女性を見た時雨の顔つきが一瞬にして変わった。 「君は……」 目の前に姿を現した女性は時雨が怪我の治療をしてあげた〝あの女性〟であった。 「男、君の相手は彼女にしてもらう」 女性はアポリオンに命じられると哀しげな表情を浮かべた。 時雨は逆刃刀を構えた。そうビームサーベルを持っているのに関わらずあえて時雨は逆刃刀を構えたのだ。 一方マナとアポリオンの戦いはもうすでに始まり、凄まじいものだった。 「さぁ早く地獄を見せてくれないかしらぁん」 マナの挑発でアポリオンの怒りは更にを増した。 「キサマの血を一滴残らず絞り採って殺してやろう」 アポリオンは地面から30センチメートルの所を宙に浮きながら、マナに襲い掛かった。その両手にはフラスコが握られている。 「紅葉ちゃんの技も自在に操れるってことかしらぁん」 マナの魔弾が連続して放たれる。魔弾は横に半円状に並び床1メートルの高さを凄いスピードでアポリオン目掛けて飛んで行った。 アポリオンがフラスコのコルクの蓋をぴんと指で弾き飛ばすと、中から濃い霧が発生し、アポリオンの姿をすっぽりと隠してしまい、その霧に魔弾が直撃する。霧は引きちぎられたように拡散し消滅していく、しかしそこにはアポリオンの姿は無かった。 「――後ろだ」 後ろで声がしたと思った刹那、マナの背中はアポリオンの手刀によって切り裂かれ、血が服を紅く染めた。 マナは痛みをこらえ、瞬時に大鎌を取り出し後ろに大きく振りかぶった。 アポリオンは地面を強く蹴って、大きくジャンプしそれを交わすと、空中から下目掛けてフラスコを投げつけた。マナは瞬時に防護壁を張り巡らせる。彼女の身体は半円状の透明なカプセルみたいなモノに包まれ、フラスコがその防護壁に当たると大きな音を立て大爆発を起こした。立ち込める煙の中、マナは移動しアポリオンとの距離を取り、巨大な魔弾を発射した。 アポリオンはそれを避けられないと見てとって、マナと同じく魔弾を作り出し、それを飛ばして相殺を試みた。 魔弾と魔弾が互いにぶつかり合って、大爆発を起こした。その爆発は凄まじいもので、宮殿全体を大きく揺らすほどだった。 時雨と女性は対峙し互いに見詰め合った。 「あなたは、また私に剣を向けるのですね」 「また?」 時雨は彼女に聞き返した。しかし、時雨はその答えを知っていた。 「狼の姿の時、私はあなたに一度殺されました」 「やっぱりね。でも君は何者?」 「私はこの宮殿を守る者。それが私に与えられた絶対的使命であり、破ることの出来ない絶対的な鉄の楔」 彼女の身体が少しずつ光を持ち始め白い服をゆらゆらと揺らめかせる。その光の中から直径20センチメートルほどの白く輝く光の玉がいくつもいくつも生まれ出るように飛び出し、彼女の身体の周りで停滞している。 その光の玉が30個ほど溜まった時、彼女はその玉を一気に解き放った。 光の玉は水の玉のように揺らめきながら、時雨目掛けて次々と飛んで行く。 「最初会ったときは悪い人には見えなかったのになぁ」 そう言い時雨は飛んでくる光の玉と玉の間を縫うように巧みに避けながら、女性に近づき一刀を喰らわせたのだが――。 時雨の手にはものを切ったときの感触が伝わってこない。確かに時雨の一刀は女性を捕らえていた。しかし、その一刀は女性の身体をすり抜けてしまっていたのだ。 時雨は目を白黒させた。 そんな時雨に女性は風のように近づき、自分の顔を時雨の顔の目の前まで持っていきこう言った。 「今の私に物理攻撃は効きません」 時雨は瞬時に後ろに飛び退き間合いを取り、女性に質問をした。 「どういうこと?」 「肉体はあなたに殺され消滅してしまいました。ですが私の魂魄までは消滅しません」 「じゃあ、最初から肉体なんて必要ないような気がするけどなぁ」 時雨の言う事は至極最もだ。しかし、女性は言った。 「それは違います。肉体の無い私はこの宮殿から出られないのですよ。ですが……」 彼女が突如右手を横に大きく振ったかと思うと、そこから三日月状の白く輝く刃[ヤイバ]が飛び出した。 「今の私は不死身です」 時雨は間一髪のところで状態を後ろに仰け反らせて、刃を避けることができたのだが、時雨が上を見るとそこには光の玉が降り注いで来ていた。 時雨はそれは避けきれず、全てもろにくらってしまった。その数約20、破壊力は一つ一つの玉が20キログラムの鉄球の玉と同じだ。 鈍い音が辺りに鳴り響く。時雨全身の骨は砕けてしまったに違いない、もう彼は動くこともできず苦痛の中を死んでいくだろう。 女性は時雨の元へ歩みより、膝を付き時雨の唇と自分の唇を重ね合わせた。そして、唇をゆっくりと放しこう言った。 「あなたの事は嫌いじゃありませんでしたがこれが運命です」 彼女は自分を覆っている光からナイフを作り出し、時雨の心臓を一思いに突き刺そうと思った瞬間地面が大きく揺れた。 彼女はバランスを崩し床に倒れ込んでしまい、その女性の耳元で誰かがこう囁いた。 「ボクも君のこと嫌いじゃなかったよ」 女性は声にならない悲鳴を上げると跡形も無く消えてしまった。今度は本当に消滅してしまったのだ。 時雨は〝輝く剣〟を持ち立ち尽くしていた。その姿からは神々しさすら感じられ、その姿をひと目見たものは皆失神してしまうだろう。しかし、帝都の天使の顔は何処か哀しげな表情をしているように見えた。 横目でちらっと時雨を見たマナは直ぐに視線を前方に向けた。 「あっちの方は決着が付いたみたいねぇん」 こっちの戦いのも決着を付けるべくマナは目を閉じ魔力を徐々に解放し始めた。 マナの身体は光に包まれ、少しずつ上へと上昇していく。 彼女の身体が地面から約2mの所に到達した時、彼女の目がカッと開かれ音も無く敵に向かって接近しながら、その身体からは無数の光の線がまるでビームのようにアポリオン目掛けて発射された。 無数のビームから逃げる術などない。アポリオンがビームの直撃を受け、怯んだ隙にマナは相手の正面に回りこみ相手の動きを封じる呪文を唱えようとしたその瞬間。アポリオンの口元に不気味な笑みがこぼれ、それを見たマナは一瞬ためらいの表情を浮かべたがそのまま呪文を唱えよう試みた。が突然マナの身体に異変が起きた。 「私の方が速かったようだ」 身体が動かない――。マナの身体はアポリオンの術にかかり動きを封じられ、魔力をも奪われてしまったのだった。 「くっ……」 マナの表情が険しいものに変わっていく。 さっきまで呆然と立ち尽くしていた時雨であったが、マナの異変に気づき我に返り剣を構え直しアポリオンに斬り込みかかった。 「そうかもう一人いたのだったな、キサマを殺すのはあいつを倒した後にしてやろう」 アポリオンはそう言うと時雨の攻撃を備え向かえ討とうと気を集中させそれを一気に解放した。すると、大きな風がアポリオンを中心に巻き起こり、近くにいたマナがまず吹き飛ばされ壁に叩きつけられ意識を失い、時雨までもが風圧によって壁に叩きつけられ、手に持っていたビームサーベルを地面に落してしまった。 アポリオンはすかさず凄まじいスピードで時雨の懐に入り込むと手刀で時雨の胸を下から斜めに切り裂いた。 血しぶきが紅葉の顔を真っ赤に染める。 時雨は相手の強烈な一撃により、身体を思うように動かなくなってしまった。 アポリオンは口の周りにまで飛んで来た血と舌なめずりして見せた。 その姿は下品なものには見えない、それはそれをやっている顔が紅葉のものであるからでだろう。長髪の麗人がする舌なめずりする姿からは甘美、そして妖艶な色気を醸し出してさえいる。しかし、今紅葉の身体の中身に居るのはアポリオンだった。 「なかなかの美酒だ、こんなにうまい血は初めて飲んだ。もっと、もっとくれ、キャハハハ」 そこに立っているアポリオンはさっきまでのアポリオンとは別人にどんどんなっていく。 顔はどんどん醜悪なものへと変貌していく、あの麗人の紅葉の顔にここまで醜悪な表情をとらせるとは、紅葉がこのことを後で知ったとしたらどんなに恐ろしいか。 「キャキャキャ、血だ、血をもっとくれ」 この姿こそ本当のアポリオンなのだろうか? アポリオンの手刀が再び時雨に襲い掛かる。 「血だ、血をくれ!!」 うつむいて壁に寄りかかって座っていた時雨の口元が動いた。 「ボク、低血圧で貧血持ちなんだよね……」 時雨はそう言うと近くに落ちていたビームサーベルを拾い上げ、紅葉の足目掛けて斬りかかった。そしてすぐさまバランスを崩したアポリオンの肩にビームサーベルを突き刺し、そのまま背中から相手を押し倒して床に串刺しにした。 時雨はアポリオンをビームサーベールと足で押さえながら動きを封じ立ち上がり、地面に這いつくばっているアポリオンを観ながら小さくこう呟いた。 「ごめん、紅葉の身体傷付けて」 一様ここで紅葉に対して謝っておいたが、あとで紅葉に直接もう一度謝る気は時雨にはなかった。その後の反応が怖いからだ。時雨はこのことは黙ってようと心に堅く誓った。 「許さぬ、許さぬぞ」 アポリオンは負傷をかえりみず、時雨のビームサーベルで自らの肩を切り裂き、蛇のように地面を這いつくばり、時雨の足を掴んだ。 「放せ、放せよ」 時雨は足をぶんぶん振って振り払おうとした。剣を使って相手を斬ることも可能なのだが身体の持ち主の顔が時雨の頭に浮かびそれは諦めた。 アポリオンは時雨の身体を伝って蛇のように登くる。紅葉の顔が時雨の顔の前まで来たときアポリオンは不適な笑みを浮かべこう言った。 「キサマの身体を」 そう言ってアポリオンは突然時雨の口に自分の口を重ね合わせた。 時雨は驚きのあまり身体の動かし方を忘れてしまった。 紅葉の舌が時雨の口の中に入り込んでくる。このことにより時雨の頭はパニック状態に陥り、そこに拍車をかけるようにある考えが時雨の頭を過ぎった。その考えとは、このことを紅葉に知られたら殺されるどころでは済まないということだ。 時雨は口の中にドロドロしたものが大量に流れ込んでくるのを感じた。息苦しさを感じ、思いっきりむせ返ったが液体はどんどん時雨の身体に浸透していく。 液体が全て時雨の口の中に流れ込むと、紅葉の口は時雨の口から放され、紅葉の身体は全身の力が抜けていったように地面に倒れ込んでしまった。 呆然と立ちすくんでいた時雨の頭の中で誰かの声が響いた。 『キサマの身体は貰った』そう時雨の頭の中で誰かが喋ったと思った瞬間、時雨は意識を失った――。 「はははは、もうこの身体は私のものだ」 その言葉を喋っている身体は時雨のものだった。そう時雨はアポリオンに身体を奪われてしまったのだ。 「おぉ、なんという力だ、この身体はすばらしいぞ、力が漲ってくる」 なんということであろうか、あの帝都の天使、帝都一のトラブルシューターがやられてしまうとは誰が信じようか。 しかし、突然アポリオンの身に異変が生じた。 「な、なんだ、身体の自由がきかん……誰だ、まだ意識が残っているのか……いや違う…うっうう……」 なんと、アポリオンが突然苦しみだしたのだ。 「誰だ…誰だ私の邪魔をしているのは…!?……キサマか!!」 アポリオンの声が宮殿中に響き渡り、アポリオンは膝を付き、そして倒れ込みもがき苦しみだした。 「なぜだ…なぜ…お前が!!」 アポリオンの顔は狂気の形相を浮かべ、そして口から何かを吐き出した。それは血塊のようであったが血ではない。 吐き出されたモノはまるで苦しむかのような動きをしている。スライムのようなゼリー状の物体――そう、これがアポリオンの本体なのだ。 一番初めに意識を取り戻したのは時雨だった。 時雨はゆっくりと立ち上がると、辺りを見回した。 特に変わったものは一つもなかった。だた、あったのは床にえばり付いた”ただの”血の塊だけだった。 「…………」 時雨は自分の身に何が起こったのか考えてみたが全くわからない。 時雨は取りえず近くに倒れている紅葉に歩み寄り、丁重に起こした。 「……時雨?」 紅葉の第一声はそれだった。 紅葉も自分の身に何が起こったのかわからなかった。 荒れ果てた宮殿を見て紅葉は時雨に聞いた。 「いったい何があった?」 「紅葉と戦った」 「それで?」 「途中で記憶が途切れた」 時雨は首を傾げそのまま黙ってしまった。 「私を操っていたものはどうした?」 「さぁ?」 時雨は首を傾げる一方だった。 「ちょっと、二人とも手を貸してくれないかしらぁん」 マナは壁にもたれながら二人を呼んでいる。 「ねぇ、身体の骨が何本か逝っちゃったみたいで動けないから助けてくれなぁい」 「ボクだって、胸のところざっくり斬られて重症だよ、魔法で治せないの?」 時雨の負わされた傷は重症のはずなのだが、時雨の口調はそれを感じさせないものだった。 「もう、魔力は全部奪われたわぁん、ねぇだから手貸してぇん」 「〝なぜか〟私は身体のあちこち、そして足が特にやられていて動けん」 二人の目が同時に時雨に向けられた。 結局時雨は二人も担いで出口までいくハメになってしまった。 帰りの道は紅葉の一流のプロフェッサーとしての超的確な〝勘〟によって案内され出口に到着することができた。 時雨は出口に着くと全身の力が抜け上の二人に押しつぶされるように地面に倒れ込んだ。 それを見ていた、研究者や報道人がいっせいに周りを取り囲み騒ぎたてた。 それを聞きながら時雨の意識はどんどんと闇の中へと沈んでいった――。 それから数日――。時雨は自宅の茶の間で渋めのお茶をすすっていた。 時雨はここ数日の間、この家から一歩も出ずに一日中この部屋でお茶を飲みながら何か物思いに耽りながら過ごしていた。 「どうしたんです、テンチョ。テンチョがこんなだからお店の方ももう3日も休んじゃったじゃないですか、また赤字街道爆進まっしぐらになっちゃいますよぉ~」 「うん、そうだね」 時雨の返事には感情がこもっていなかった。あの遺跡での出来事以来時雨はずっとこうなのだ。 「う~ん、いくら考えてもわからないなぁ……もういいや、考えるの辞めよ」 そう言って時雨はここ数日間のことがまるで嘘だったかのように元気を取り戻した。 「そうだ! ここ数日ハルナちゃんに迷惑かけたし、今日はボクが腕によりをかけておいしい夕食を作ってあげるよ」 「ホントですかぁ~、うれしいです。テンチョが料理食べさせてくれるなんてひさしぶりですぅ」 ハルナは本当に心の底からうれしそうな顔をしていた。 「じゃあ、一緒に買い物行こうか」 「はい!」 まだ季節は冬だというのにハルナの笑顔は部屋中を春の陽気でやさしく包み込んだ。 あの事件以降、遺跡での行方不明事件は一件も発生することはなかった。 行方不明になった人たちはあの事件の余日から一週間ほどをかけて全員遺体として発見され、遺跡からはだんだんと報道陣の数は減っていき、今ではもう都民の頭からは遺跡のことなどもうすっかり忘れさられてしまっていた。しかし、あの事件に関わった3人の、いや、2人の頭にはにはいつまでも疑問が付きまとうことになってしまったのだった。 しかし、全ての謎は……この遺跡で……。 邪神伝 完 エデン総合掲示板【別窓】 |
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